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井上委員 渡邊さんのお
考えは、税をとる立場に立っておりますから、当然のお
考えだと存じますすが、国全体の経済ということを
考えますと、私
どもといたしましては、やはり
食糧がどう確保されるかということが前提になりますものですから、そこで
食糧の所要量を集めるためには
農民を納得させなければならない。納得さす
根拠は何と申しましても
米価であります。その
米価が生産費を償う
価格であるかないかということは議論の余地がありますが、今までどっちかといえば、生産費を償う
価格ではない、だから採算が合わぬから
供出米は出さぬ、こういう実情に置かれたために、今まで十年も十五、六年も続けてきた供米
制度を廃止して、新しい
制度によって米を集めようという
考え方に立った。これは、この新しい
制度を採用するに当って——あとから
大蔵大臣に聞くつもりでありますけれ
ども、問題は
農民が納得する
米価が算定されるかどうか、これにかかっておるわけであります。すでに
農業団体の方から
政府に対して、
石当り一万二千五百円で買い上げてもらいたいという要求がされておる。一万二千五百円で
政府が買い上げるならば、
政府が勧奨します
予約売り渡し制度を支持しよう、
協力しよう、もしそれができなければわれわれの方は
協力ができないという非常な決意でおるわけです。ところが、かりに一万二千五百円の
米価ということになりますと、消費者
米価を上げない限りにおいては、現在の消費者
価格との間に少くとも五、六百億の財政負担をしなければならないことになる。消費者
米価を上げれば、全般の給与ベースも上げなければならぬことになってくるし、物価は上ってくるし、国際収支は悪化してくるということになって、全体がくずれてくる。だから一にかかって
米価を
農民の納得する
価格に上げることにある。上げさえすれば、
農民といえ
ども納税の義務を怠るものではないのですから、採算の合わぬ
価格で強制的に買い上げるところに問題があるのです。採算が合わぬ
価格をきめて、それで強制的に買い上げようとするから、予定
通りの米が集まらぬということになってくる。そこで集めようとして、
奨励金制度を使い、
減税制度を使って米の
集荷をはかってきたわけです。今度は
奨励金を全然やめてしまう、ただ一部
減税だけは何とか
考えようといっているが、問題はそこにかかっておって、
政府が
米価の算定を何ぼにしようとするかということが大きな問題になります。だから
米価が他の
工業生産品と比べて採算の合う
価格である、再生産をまかなうだけの十分な
価格であるということがきめられますならば、当然
税金は負担しなければなりません。今年の産米
価格も、いろいろ生産方式を検討してきめようといたしておりますけれ
ども、この生産方式の算定がまた非常に政治的に取り扱われて、おそらく一万円前後の
価格にきめられるのじゃないかと私は見ておる。そうすると、
農民側の要求します
価格との間に二千円からの
開きを出すのではないかとわれわれは見ておる。そういう状態のもとに供米を進めましても、実際上そんな
政府に
予約売り渡しはしないことになりはせぬか。そうなれば、現実に絶対量が
不足をいたして参りまして、輸入をふやさなければならぬことになるが、そうなると大
へんなことになりはせぬか。だからこの際、
米価があ
まり引き上げられないわが国の経済の現状から
考えて、
減税の面で何とか
考えてやるべきが妥当で臓いかという意見が出てくるのです。この点をもっと政治的に御考慮を願いたい。私
どもは、
農民は米を作りさえすれば税を負担せぬでもいいのだ、そういう
考え方は持っておりません。
農民といえ
ども正当な所得を持っております以上は、当然税の対象になり得るのです。ところがその正当な所得の算出の基礎になっております
米価というものが、非常に採算を割っておる
価格できめられておるというところに、その税がかけられない原因が起つているのです。だから
税金を負けたらどうか、こう
考えておるわけだ。それでわかりませんか。