○中崎
委員 社会党を
代表して両派社会党
提出の
臨時石炭鉱業安定法案に対して賛成をいたし、
政府提出の
法案に対して反対の意を表明せんとするものであります。
最近におきまする
石炭業界の混乱はその極に達しておりまして、社会不安もまたゆるがせにすべからざるところの重大なる段階に立ち至ったのであります。これはひとり
石炭関係事業のみにとどまりませんけれども、ことに
石炭業界においてはその
程度の深刻なることについて目をおおうことができないのでありまして、その責任の大半は一にかかって
政府にあるということを施定せざるを得ないのであります。ことに
政府は昨年度における
石炭の需要
見込みを四千六百万トン
程度に押えまして、これを完全に目的達成のためにあらゆる努力を払うということを、しばしば国会においても明言したのであります。ところがその実績を見ますと、四千百五十万
程度の大きなるところの相違というものが、この
石炭業界の大きなる混乱をもたらしたところの重大なる原因でありまして、ことに現在においては全体を通じて一
トン当り五百円
程度の採算割れの
価格をもって販売されておる、こういう不自然きわまるところの現象というものは、いやしくも経済について多少の見識を持つ人のとうてい見のがすことのできないところであります。ことに
中小炭鉱に至りましては、はなはだしきは一
トン当り千五百円
程度の採算割れの
価格をもって販売しておる、こういう実情あるに至っては、これをこのまま放任しておくところの
政府の政治的責任はきわめて重大だといわなければならぬのであります。これに対しまして
政府は何といっても一番必要なところの金融に対しまして、ことに
中小炭鉱に対しては目をおおいまして、ほとんどこれに対するところの融資の道を
考えていないのであります。これがついに行き詰まりまして、好ましくないところの千五百円
程度の採算割れの安い値段をもってダンピングしなければならぬという状態に追い込まれております。そこでこうした
石炭問題と真剣に取り組む場合におきましては、まず金融の適正な道を講ずることが第一であり、第二には販売機構について、これら
中小炭鉱の側について十分に
計画的な経済活動がなし得るような道を
政府みずから率先して講ずべきであるのにかかわらず、手をつかねて何らこれに対して適当な対策を打たないわけであったのであります。さらにまた生産の
計画につきましても、やたらに膨大な、実情に沿わないような机上の
計画をもって業界を指導するところに大きなるところの政治的責任があるのでありまして、これらの大きなる三つの要素がついに
炭鉱業界をして収拾することのできないような現在の状態に追い込んでしまったのであります。そこで私たちはこうしたところの当面の問題を解決するがためには、こうした急進な
石炭鉱業合理化法案というものを出す前に、まず第一に現在瀕死の状態に陥っているところのこれらの
炭鉱に対して適当なる融資の道を講じ、そうしてまた販売機構等の点についても十分に組織的、統一的活動をするような道を講じ、そうして新しいところの需要の開拓についても
政府が一段と熱意を払い、さらに
電力あるいは鉄道等の大口消費者についても十分の協力し得るような態勢を打ち立てることによって、現在の急場は救い得ると私は
考えておるのであります。しかる後において一応不十分であるが、立ち直っておるところのこれらの
炭鉱業者に対しまして、あらためてお互いに手に手をつないで、ただ一人の落伍者も出さないような、そういう合理的な方法によってこの道を講ずる、そういう手段を講ずることは決して絶無ではないと
考えておるのでございます。現に紡績の操短について
考えてみましても、紡績業界にも
相当大きなるところの混乱が来ておるのでございます。ところがこれに対しては何ら独占禁止法を排除するような
法的根拠がないのにかかわらず
政府は一つの腹を持って、責任を持って、一面において多少の問題を持ちつつも、紡績操短の手を打つことによって、さらに業界に適正な指導をすることによって、まず第一に繊維業界における混乱を食いとめておるという実情を無視してはならないのであります。この紡績操短によりましてただ一人の失
業者も出ないようにという
政府の
考え方の上に立って、多少の紆余曲折はありといいながら、紡績業界は漸次安定の道に立ち直っておるという状況を見ましたときに、こうした無理な、首切り浅右衛門ではありませんが、中少
炭鉱業者を次から次へと首を切ってしまう、あるいは多数の
炭鉱従業員の首を切ってしまって、知らぬ顔の半兵衛というような政策を講ずる前にただいま申しましたような手を打つべきものであると私たちは信じておる次第でございます。かりにこの
法案が通過して
実施に移された場合において、
政府が
考えておるところの三百万トンの
買い上げ計画によってこれが一応実現したといたしましても、その次にはまたこれに準ずるような
中小炭鉱が次から次へと首を切られる、最後には少数の
大手炭鉱、大資本家のみがひとり政治と結託することによって国民の犠牲の上に繁栄するものであるということを私たちは憂慮するものでございます。そうしたような行き過ぎたといいますか、お互いに国民がひとしく手に手をつないでその所を得るというふうな
考え方をするがためには、もう少し
考え方を改めていくべきものだというふうに
考えておるのでございます。かくのごとくにいたしまして、
合理化の名前のもとに日本経済は漸次ピラミッド型に変貌しつつあるのであります。中産的な立場にあるところの
事業あるいはそういう階級の人たちが漸次影を没しまして、大きなるところの資本の組織のもとにおいて、多数の国民がほとんど生活もできないような状態に追い込まれるというがごとき政治のあり方ということに対しては、われわれは目をおおうことはできないのでございます。そういう
意味合いにおいても、こうした反動的と申しますか、大資本家擁護の
法案に対しては賛成ができない次第であります。
次に本案は欠陥と矛盾に満ちたところのものでありまして、まず第一に、本
法案は
炭価の引き下げを第一にねらって、国際経済の流れにさおさしていこうというものでございます。ところがそれがために三十四年度には
炭価の二割引き下げを
目標として進んでおるのでございますけれども、その二割の
炭価の引き下げが、こうしたような不徹底なやり方によって果して実現できるかどうかということは、私たちは大きな関心を持って見ておるのでございます。かりにそれがある
程度値下げが実現したといたしましても、まず当座といたしましては現在の五百円
程度の
炭価の値下りをまず第一に引き上げなければならぬのであります。言いかえますと、現在よりも少くとも五百円
程度の
炭価の引き上げが行われない限りにおいては、この
炭鉱の行き詰まりということは食いとめられないということは火を見るよりも明らかなのであります。もしこれを食いとめんとするならば、たとえばかつて
政府が
炭鉱業者に対して融資しておりましたところの復興金融金庫の金を、現在開発銀行に引き継いでおるのでございますが、これらの金のさらに金利の棒引きとかあるいは元金のたな上げ棒引きというふうな、言いかえれば国民の膏血からしぼり上げたところのその犠牲の上に、さらにまた今後縦坑その他
炭鉱合理化の名前のもとに予定されておるところの千三百億円
程度の国民の血の税金を出すことによって、さらにその金利を大幅に引き下げることによって、これら一部
炭鉱業者が利益するがために生ずるところの
炭価の引き下げ、言いかえれば、国民の犠牲においてされるところの
炭価の引き下げ、あるいはまた法律が
実施されまして、カルテルがいよいよ
実施される際において、標準
炭価と符牒を合せるがごとくに、
炭価の引き上げが行われることは、火を見るより明らかであります。
政府が
考えているところの
産業合理化よりも、反対の方向に進むものであることは、火を見るより明らかだと
考えるのであります。かりに
昭和三十四年度におきまして二割の引き下げをする。その二割の引き下げについては、特に
賃金につきましては
現状を維持するというのであります。そうして
炭価の構成要素といたしましては、
賃金が約四割
程度の比重を占めておるというのでありますから、
残りの六割
程度のその他の経費をもっていたしまして、二割を引き下げしなければならぬのであります。そういたしますと、いわゆるその他の経費をもって節約すべきものは、三割二分
程度の引き下げをしなければ、
政府の
考えておるところの二割の
炭価の引き下げにならないのであります。果してこれが実現できるかどうか。いわゆる縦坑開発をすることによって、三割二分
程度の物件費の引き下げができるかどうか、重大な疑問を持っておるのでございます。こうしたような
考え方の上に立って、
政府は二割を
目標として
炭価の引き下げをするということは、羊頭狗肉でありまして、この
法案を強引に通過せんがために、われわれに一時的に説明するというところの机上のプランにすぎないということを申し上げておきたいのであります。こういうふうな点から
考えてみましても、さらにまた
政府の経済六ヵ年
計画の中におきまして、国民生活の水準が三十四年度においては一割五分
程度の引き上げになっておるにかかわらず、この
炭鉱従事員の給与そのものが
現状維持であるという点を
考えても、いかに
政府の
計画の中が矛盾だらけであって、行き当りばったり、その場限りの説明にすぎないかということを私たちが
考えてみましたときに、
政府の説明をそのままにうのみすることができないことは明らかであります。果してそうであるならば、いわゆる
計画生産の上に一つの
計画を立てて、
石炭に関するところの鉱業を合理的に処理するという
考え方というものは、私たちはそれをそのまま信用できないということを
考えてみましたときに、そうした上に立ったところのこの
法案に対しては、そのまま賛成できないということも、自然に出てくる結論であるというふうに
考えなければならぬのであります。
次に貯炭に対する問題につきましても、この
計画を十分に効果あらしむるがためには、貯炭に対するところの問題についても、十分法的
措置が講ぜられるような方法がなければならぬのでありますが、この問題については、
政府はたとえば昨年度において、ただ
電力に関する
石炭だけでも二百数十万トンの大きな誤差が現実にあった。これは自然の現象によるものであったといたしましても、そういう大きなるところの自然現象に左右されるところの要素があるにかかわらず、それがまた
炭価を安定し、業界におけるところの安定をはかる大きな障害になっておるにかかわらず、そうしたような問題について何らの考慮が払われていないというところに、この
石炭業界におけるところの安定の大きな欠陥があるといわなければならぬのであります。そういうふうな点につきましても、
政府が一体どの
程度の責任を持つか。ただ
合理化資金と申しますか、設備
資金についてのみその
資金を裏づけするというのでありますが、こうした問題についても十分の考慮を払われない限り、この
合理化法案の
意味は、いわゆる画龍点睛を欠くといわなければならぬのであります。
〔「まだあるのか」と呼び、その他発言する者あり〕