○山下(春)
委員 ただいま議題となりました
戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を
改正する
法律案に対する
修正案に対し、各派を代表いたしまして、
提案理由の
説明を申し上げます。
戦没者遺家族、戦傷病者、老齢旧軍人は、過ぐる太平洋戦争の犠牲者中、最も気の毒な人
たちであります。もちろん第二次大戦の戦火は、
程度の差こそあれ、戦闘員、非戦闘員の別なく、全
国民に何らかの形において打撃を与えておりますが、肉親を戦場に失った人々、完全なる身体の機能を喪失した人々、生涯の大半を軍務にささげ尽した人々は、かつての国家権力、公的権力によって直接戦争の犠牲となった人人でありますから、他の
一般戦争犠牲者とは異なった角度から国家の補償を受くべき性質の人々であります。言いかえますれば、これらの人々は、国家権力の制約を受け、軍務を遂行して倒れた
方々の肉親であります。与えられた任務に服して傷つき、病に冒された人々であります。これらの人々を戦争犠牲者中の犠牲者として、第一義的に取り扱わなければならないゆえんも、ここにあると思うのであります。従いまして、民主国家として再出発した日本が、これらの人々に対してその処遇を厚くすることは、全
国民がこうむった被害に対し、国として間接的ながら遺憾の意を表する
行為にも通じますし、ひいては二百万戦没者の英霊を慰め奉る精神にもつながるものと信じて疑いません。援護法の制定も恩給法の一部
改正も、私はこの精神を基盤としてなされたものと
考えております。しかし、現在行われております援護法並びに恩給法による国家としての補償はなお多くの点で
改正すべき要素を残しております。
その第一点は、戦没者の死亡原因に関する認定基準であります。従来、恩給法にいう公務傷病とは、軍の医療設備が完備し、衛生材料の補給も円滑に行われ、軍医官等もそれぞれ専門の部門につき、軍人や軍属が傷を受け、病に冒されても、急速にしかも適切な医療処置が講じられるという大きな前提に立って判定されたように承知しております。しかるに、今次の大戦では、戦線が広
範囲にわたり、戦地の気候風土も千差万別であり、戦闘期間も四年の、長きにわたっております。ことに戦争の末期においては、兵站ルートの多くは麻痺し、衛生材料は欠乏し、専門医官が不足し、適切な医療処置が講ぜられた戦域はごくまれであったと断言できます。これに加うるに、動員兵力が増大するにつれ、本来ならば過激な軍務、ことに強靱なる体力を必要とする戦闘勤務にはとうてい、応じられないような、いわゆる弱兵まで多く召集され、第一線に送り出されたのであります。この
二つの要素、すなわち従来の恩給法が想定していた戦没規模をはるかに越えた戦闘形態と、大量動員された水準以下の虚弱者との
二つを背景に、国家補償のあり方を
考えますと、恩給法上の公務傷病も、それを起点とした援護法上の公務傷病も、その認定基準において、太平洋戦争の実態にそぐわない点が多々あると思います。以上が
修正を要する第一点であります。
次は、戦没者の身分についてであります。現在援護法におきましては、旧国家総動員法に基いて徴用され、または総動員等軍務に協力させられた者及び旧陸海軍の要請に基いて戦闘に参加、協力して死没した
方々の遺族に弔慰金三万円を支給することになっておりますが、法的にこれらの範疇に入れられる戦没者の実態をしさいに検討いたしますとき、三万円の弔慰措置が果して当を得たものであるかどうか、疑いの念を禁じ得ません。一、二の例をあげますと、沖縄の戦闘では、数千の青少年学徒が、あるいは勤皇鉄血隊員とし、あるいは通信隊員とし、あるいは看護婦として戦死しております。また旧満州国の開拓任務を帯びて大陸に渡った人々の中に、開拓少年義勇隊と申す開拓訓練隊がありましたが、終戦時約二万二千五百を数えたこれらの少年義勇隊員中、三千余名が悲壮な最期を遂げております。さらに全員玉砕のサイパンでは、いたいけな小学生が通信隊の連絡要員となって、熾烈な十字砲火の中をかけ、任務を遂行し、あたら春秋に富む若い命を南海の島々に失っております。さらにまた、旧国家総動員法に基く学徒協力令により、軍の直轄工場、監督工場等には多くの青少年学徒が動員され、勤務中空襲等により死没しております。その数はいまだ正確には把握しておりませんが、すでに弔慰金三万円の裁定を行なった件数だけでも二千四、五百件と推定されます。その他、戦地、非戦地の別なく多くの青少年が動員され、少からざる戦没者を出していると
考えられますが、これらの戦没青少年に対する補償措置は、決して満足すべき段階に達しておりません。弔慰金三万円の当否はしばらくおくといたしまして、まず考うべきは、彼らの身分をどう扱うかという問題であります。沖縄の戦没学徒にしろ、満州の少年義勇隊員にしろ、学徒協力令による動員学徒にしろ、彼らの服した勤務の
内容、身分上の拘束度等は、援護法にいう有給軍属とは差別のつけられない場合が多かったと
考えられます。私は彼らの身分を直ちに有給軍属のワク内、もしくは正規軍人の資格内に引き入れよと申すものではありませんが、彼らの純粋な愛国心と、洋洋たる前途を軍務にささげた事実とをあわせ
考えるとき、再度国家補償の出発点に立ち返り、彼らの身分に再検討を加え、その基底に立って彼らへの補償を立て直すべきだと信ずるものであります。
身分上の取扱いについて次に考うべきは、いわゆる無給軍属の処置であります。彼らの多くは、その勤務
内容において、全く戦地勤務の軍属でありながら、給与の支払者が民間企業体であったため、戦闘
行為に倒れたにもかかわらず、法の対象外に置かれております。南方の軍報道業務に従事した報道班員、南方進出企業の従業員、大陸の国策事業会社の従業員等がそれであります。その他、有給軍属以外の戦務協力者で、身分の取扱い上再考を要すべき者が少くありません。以上が
修正を要する第二点であります。次は、法にいう戦地
規定の適否についてであります。およそ戦地という概念は、その反対概念として、内地もしくは非戦地、つまり交戦による戦火が直接的にも間接的にも及ばない地域というものを持っているはずであります。従来の恩給法並びにそれを基盤とした援護法は、このように画然と区別できる
二つの地域を想定し、その
一つを戦地として補償体系を立てたものと
考えられます。こうした地域別による補償の差は、日清戦争日露戦争、第一次大戦、日支事変、太平洋戦争の初期においては、一応の妥当性を有してはおりましたが、太平洋戦争中期以後、特にサイパン陥落後の戦局におきましては、戦地、非戦地の別を定める区分基準は、非常にあいまいになったと断言できます。内地は敵機のじゅうりんにゆだねられました。日本本土沿岸海域にも戦雲が立ち込めました。このような戦局下にあっては、戦地、非戦地の別による条件差は、きわめて接近したと申さねばなりません。たとい、百歩を譲って、戦地という概念の中には、内地を離れたという精神的な重圧、海を隔てて肉親と相離れているという感情的な苦痛が含まれているとする一部の主張を容認したといたしましても、それなら戦争末期の台湾や朝鮮を、何ゆえに戦地としないかとの疑問がわいて参ります。今次の大戦におきましては、すべての日本人が戦火に見舞われ、すべての同胞が物心両面において大きな打撃を受けました。激闘の繰り広げられた戦域も、北はアリューシャン、南は豪州、東はハワイ、西はインドにまで及んでおります。従いまして、
現行援護法に
規定された戦地には、根本的に
改正のメスを加える必要があると
考えられます。私はこの際、法に定められた戦地
規定は、原則としてこれを削除し、国家権力が個人に対し、勤務の
内容、身分の拘束度について、どのような強制力を及ぼしたかという点にこそ、国家補償の出発点を置くべきだと信ずるものであります。これが
修正を要する第三点であります。
最後は、戦没者遺族の
範囲についてであります。
現行援護法は、大体において新民法を基礎に遺族の
範囲を定めてはおりますが、なお実情に即さない点が少くありません。一例をあげますと、再婚関係に入った戦没者の妻には遺族年金の受給権が認められておりませんが、これらの女性は、夫を戦野に失い、国家のあらゆる処遇を
停止され戦後の混乱期にほうり出された気の毒な
方々であります。彼女らの多くは、再婚関係に入らない限り、人間としての生きる権利すら放棄しなければならない状態に追い込まれたのであります。かつてもてはやされた靖国の妻という誇りを捨て、あえて再婚するまでには、筆舌に尽しがたい辛酸をなめた
はずであります。もし国家か国家の名において補償を継続し、憲法に
規定する文化生活を彼女らに保障していたならば、あえて年金受給権を失う行動は取らなかったと断言できます。私は、再婚関係に入り、現在において不足ない生活を営む
方々にも年金を与えよと申すものではありませんが、少くとも一定期間内に再婚解消した未亡人には、当然国としての補償をなすべきだと、主張するものであります。現に恩給法においては、昭和二十八年度の敏正により、戦没者の父母は、氏を改めない限り、配偶者を迎えても失権しないとの
規定を設けました。これは戦没者の妻であり、あれは戦没者の父母であるとの違いはありますか、もし再婚という男女関係をもって受給権喪失の動かしがたい
理由といたしますならば、このような恩給法上の
改正は不可能だったはずであります。女なるゆえに、妻なるゆえに彼女らに課せられた失格
規定は、旧民法時代の家の制度と、夫を国家にささげた場合は国家が十分なる補償を行うという前提に立っていたものと
考えられます。敗戦はこの制度を崩壊せしめ、この補償を中断いたしました。その間にこうむった損失と打撃については、国として何らの責任も取らず、ひとりか弱い戦争未亡人にのみその責任を追及するのは、道義の名においても許せない措置だと申さなければなりません。その他未認知の子、事実上養親子と同一関係にあった親、または子についても補償の道を開くべきであります。憲法
改正による家族制度の廃止、終戦後の社会事情、経済事情、戦後七年にわたる国家補償の一切の
停止、これらの諸条件を
考え合せ、法に定める遺族の
範囲はさらに拡大すべき要があると
考えられます。これが
修正をいたしたい第四点であります。
以上公務の認定基準、公務員の身分・戦地、非戦地の別、遺族の
範囲に関し、
修正すべき論拠を述べましたが、国家財政の現状を勘案いたしますとき、補償の実施に当っては、なお少からざる制約もやむを得ないと
考えられます。しかしながら、技術的な面から諸種の制肘を加える以前に、私
たちとして深く考うべきは、今次の大戦は、旧来の恩給法等が想定していた戦域、戦闘形態の限界をはるかに越えていたこと、
国民総ぐるみの抗戦が展開されたこと、長期にわたる戦闘の後、むざんな敗北を喫したこと、そして軍人、軍属及びその遺族に対し、ほとんど全面的に補償が
停止され、しかもその期間が七年の長きにわたったこと等であります。これらは、私
たち日本人としては、かつて経験しなかった大きな悲劇であり、その処理には、国力のすべてを傾けるべき性質のものであります。従いまして、その第一条に「国家補償の精神に基き、軍人、軍属であった者又はこれらの者の遺族を援護することを
目的とする。」とうたってある援護法におきましては、従来の補償技術にとらわれることなく、自由にして、実情に即したおおらかな精神に立ち、少くとも歴史に悔いを残さない心がまえをもって、申しました四点につぎ抜本的な改善を加うべきであろうと信じます。しかも補償に要する経費は、ここ二、三年のうちには激減すべき必然性を有しておりますから、国に殉ずるとはいかなるものであり、これに報いる国家の補償とはいかなるものであるかを全
国民に認識せしめ、もって国家再建の精神的基盤を確立するのもここ一、二年の間にかかっております。
これらの諸点を背景に、以下援護法に対する
修正案の各項について御
説明を申し上げます。
その第一点は、遺族年金の増額、公務扶助料の増額に伴い、援護法の適用を受ける遺族に対する年金を三万五千二百四十五円に増額いたしました。ただし、昭和三十年十月分から昭和三十一年六月分までは三万一千五円といたしました。
その第二点は、公務先の
範囲拡大であります。軍人及び準軍人については、故意または重大な過失によって負傷し、または疾病にかかったことが明らかでないときは、公務による負傷または疾病とみなすことでございます。ただし勅令第六十八号による恩給
停止以前にすでに恩給権の裁定を受けた者につきましては、援護
審査会の議決を必要といたしております。
第三は、軍属については戦時災害の要件をはずし、単に公務上の負傷または疾病のみを要件といたしました。
第四点は、満州開拓青年義勇隊の隊員に対する弔慰金の支給であります。満州開拓青年義勇隊の隊員が、昭和二十年八月九日以後、業務上負傷し、または疾病にかかり、その負傷または疾病が原因で死亡したときは、その遺族に対し弔慰金を支給することといたしました。
第五点は、養子でなくなった者の遺族年金の受給権復活の
範囲拡大であります。昭和三十年六月三十日までに離縁または縁組みの取り消しにより養子でなくなった配偶者、子及び孫について遺族年金の受給権を与えることといたしました。
第六点は、戦犯として拘禁中死亡した者についての遺族年金、弔慰金の支給の適正化であります。巣鴨に拘禁中死亡した者についても、厚生大臣が公務による負傷または疾病により死亡したものと同視することを相当と認めたことを、遺族年金及び弔慰金支給の要件といたしたのであります。
以上が
改正の要点でございます。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願い申し上げます。(拍手)