○砂原
参考人 つき添い婦問題が世の中の関心を引きまして、今日御
審議いただけることは、関心をお持ち下さっているということで、私たち、毎日
療養所の明け暮れ
患者さんのお世話をしております者として、国民の
皆様に、この問題を云い場面で
考えていただけるようになったということを、大へんに感謝しているのであります。
基本的な線といたしましては、私はつき添い
制度は廃止すべきであると
考えます。このことについては、それに付随するいろいろな条件は、当然問題になりますけれ
ども、基本的な線としては、ほとんど疑う余地がないものだということを確信いたします。くだくだしくは申しませんけれ
ども、
療養所に入りました
患者さんは、
療養所の職員が全責任を持って
看護すべきは当然であります。実際
療養所の人事的な管理の及ばない方が、
療養所の中にいられて、しかも
患者さんの身のまわりの
看護というきわめて重要なこと、特に結核という病気の場合は、近ごろ化学療法や外科療法も発達はいたしましたけれ
ども、その根本は安静度による、つまり一人心々の
患者さんのからだの中の病気の工合に応じた生活をさせる、従って
患者さんの日常生活を利していくということが、今日といえ
ども、ゆるがない筋道であると思います。従って、
患者さんの身のまわりのことを、十分な経験を積んだ、しかも
療養所の方針を体した
看護婦がやるということは当然でありまして、現在の
状況を見ておりますと、最も大切であるべき本質的な
看護が、外から派遣されましたつき添い婦の方にまかされていて、
看護婦の諸君は近ごろでも
——社会保障制度が大へん整備されて来ましたのはけっこうでありますけれ
ども、書類書きに追われましたり、
事務の
連絡に追われましたり、そういうようなことでありまして、まことに本末が転倒しておるような
状況であると
考えるのであります。
またもう
一つ、やや例をあげるような形で申し上げますと、現在の
国立療養所の食費は、私たち
考えますと、非常に安きに過ぎると思うのであります。そして
療養所の全体の職員の数と同じく、炊夫、料理場の職員の数も非常に少いのでありますが、そういう困難な条件のもとで、私たちがなけなしの知恵をしぼり、励まし合って献立を作って参りましても
——これはすべてのつき添いさんがそうやっていると申し上げるのではありませんが、私のところではそうさせておりません。いませんけれ
ども、一般的な何として申し上げますと、
病院から出ました食事をつき添いさんがお上りになって、つき添いさんが別に作られた食事を
患者さんにあげるというようなこともないわけではないと思います。そういうようなことでありますと、今後大気、安静、栄養という、きまり文句にうたわれているようなことに対して、私たちの責任が持ちようがないということは、よくおわかり願えるかと思うのであります。こういう例は、あげれば切りのないことでありますけれ
ども、そういうような一、一の例をあげましただけでも、つき添いというものはなければないでよろしい、その方がよろしいということは御了解いただいたかと思うのであります。
しかしながら、それは
患者を現在よりも悪い待遇に置いて処理していいということではないのでありまして、御存じだと思いますけれ
ども、現在の
国立療養所における
患者の待遇というのは、決して十分でない、むしろ十分ということからも非常に遠いというのが、
実情であります。そしてまた、このようにつき添いが、ほかの
療養所や
病院で問題にならなくて、特に
国立療養所で問題になるというのは、私たちお預かりしている者として、大へんお恥かしい次第に
考えるのでありますけれ
ども、やはりそういうことになって来たのには、それだけの
理由があったということを認めざるを得ないと思うのであります。大体、私
どものところでは、
国立東京療養所というところでありますが、戦争中は傷癖軍人
療養所でありまして、そのときはつき添い婦が一人もおりませんでした。全部今日の
意味における
完全看護であったわけであります。従って現在
国立療養所がだらしがなくて、ほかのところが、今都のお話が出まして、
完全看護をやっておるというふうにおっしゃいましたが、そういう
意味で、私たちの方が先輩だと思っております。ところが、時日の経過のうちに、
国立療養所だけにつき添い問題のいろいろな困難さが集積して参りましたというのは、
理由のあることだと思います。それは当時、先ほど申しました
療養所の職員だけで
看護しておりましたときには、その当時
看護婦の養成所をやっておりまして、その養成所の生徒も、現在とは違いますから、助手という名前をつけまして職員並みに働かせていたわけであります。
患者の安静時間に講義をやる。講義が従で、労力としての働きに期待するのが主であったというような状態でありました。そのときの
看護婦と助手の割合は、大体四対一であったのであります。従って、数があればできるということであろうと思います。ところが、戦争が終りましてから、だんだんと
療養所なんかに来て下さる
看護婦さんというものもいなくなりまして、数が非常に少くなったところに定員法というものが出てきまして、非常に少くなったところで押えつけられてしまったということなのであります。しかも、一方におきましては、戦争直後ではほとんど大気、安静、栄養、
日本のわずかな
療養所において胸郭成形
手術が行われていたにすぎません。くだくだしくは申し上げるまでもありませんけれ
ども、その後一般的な普及、かてて加えて肺切除法というような高度の
手術がふえて参りました。それにストレプトマイシン、パスなどというようなものもふえて参りました。昔の
療養所のいわば牧歌的な存在であった時代とは、まるで面目が一新して参りました。しかも
昭和二十三年以降、ほとんど
看護要員の数がふえておらないのであります。従って、その間の
要求を曲りなりにも満たしていきますためには、私たちは申すまでもなく
患者さんを少しでも早く、少しでも完全におなおしするということが最大の目的であることは、お断わりするまでもないことでありますから、そこで自然にこのような
看護制度というものができて来たわけであります。従って、私はつき添い
制度は廃止すべきものだと思いますけれ
ども、今日までにつき添いの諸君が果されました時代的な役割と申しましょうか、そういうものはやはり認めるべきであるというふうに
考えます。しかし、このままの形を続けるということは、先ほど申しましたような
理由で正しくないことだというふうに確信いたします。
そこで、問題は、つき添いを廃止していきます行き方と数の問題というふうに、私は理解いたしております。数につきましては
厚生省が二千二百七十人という数をお出しになっております。この根拠につきましては、私十分に承知いたしておらないのであります。そしてまた私たちは、全国的にどのような
患者がどのくらいあり、それからこの
手術がどのくらい行われておるかという全体の数をつかむ立場にございません。
昭和二十八年ころまでの
手術の統計は、
厚生省当局がお持ちになっておるのであります。従って、全体的な今日の数を出してどうということは、なかなか言いにくいのでありますけれ
ども、しかし私たち自身、それからこの付近の幾つかの
療養所について聞いてみました感じでは、二千二百七十人という数を非常にうまく按分してみても、なかなかこれはむずかしいのじゃないか、少くとも深刻な不安を持っておるということが
実情であると申し上げなければならないのであります。もっとも、現在におきまする
療養所の
看護態勢といいますか、そういうものが万全であるとは言えませんし、よく比較に持ち出されますのは
国立病院の方でありますが、
国立病院と比較いたしまして、
看護婦の動かし方、あるいは
看護婦の素質、そういうようなものについて、あるいは
療養所が劣っておるかもしれません。そして私たち目の前に一人々々の
患者さんをかかえておりますものといたしましては、それなりに一生懸命にはなりますけれ
ども、それだけに大局を見誤まるというようなこと、あるいは今日までやって来たことを、動かしがたいものとして
考え込んでしまっておるということは言えないと思います。それはある
程度やってみなければわからないという部面も含んでおります。しかし、ことにいろいろな
意味で非常にむずかしい問題を含んでおります結核
患者さんのことでありますから、十分な安全率をかけて、しかも今日より、よりぜいたくなというのではなくて、今日から移行するのに、
段階的に、できるだけそういうことに対する費用を減らすのは当然だと思います。金は幾らかかってもいいというようなことは一声えないと思います。工夫をして、できるだけお金のいらない方法でもやらなければなりませんし、
療養所の中の経理の都合で、そういうふうにやらなければならないと思いますけれ
ども、しかし、何といっても
患者さんの生命に関することでありますから、これを十分に慎重におやりになっていただきたいというふうな気持を持っているのでありまして、この点につきましては、
厚生省の医務局にもたびたび私たちは申し上げているので、よくおわかりになっていらっしゃると思うのでございますが、
予算の技術的折衝ということになりますと、私たちの全然わからないことでありますから、二千二百七十人という数を
厚生省当局が取る。取るといってはいけないのかもしれませんが、大蔵省からお取りになるについて、非常に努力なさっていられたのだろうと思います。第一段としては、それより仕方がないということもあるのかと思いますけれ
ども、しかし、これは現状をもってしても、私たちは非常に不安を持っている。ただ二千二百七十人という数が出ましても、先ほど申し上げましたように、私たちは個々の施設を持っている立場でございますから、私のところへ何人来るんだということがほんとうにわかりませんと、ぴんとこないのであります。それが非常にうまく按分ができるとおっしゃるならば、やってみてそれぞれの数を示していただくより仕方がないのですけれ
ども、それをお示しいただけるという
段階でありませんので、その点ではわかりにくいのでありますが、
中野療養所、
清瀬療養所、それから私のところなんかでは、大体千人にちょっと欠ける
患者でありますけれ
ども、これは直観的と申しますか、ある
程度の計算的な組み立てをやった数でありますけれ
ども、やはり九十名くらいはどうしても要るのではないかというような気持を持っておるのであります。それからほかの
療養所も、神奈川とか大小いろいろ聞いたのでございますけれ
ども、大体そういうような比率でいくようにも聞いております。二千二百七十人という数がそういうふうに按分せられて、しかも全体の
療養所が、大きい
療養所は大きい
療養所なりに、
手術を多くやっているところは多くやっているところなりに按分ができるということであれば、私は何も申し上げることはないのでありますけれ
ども、全体的な見通しとしては、繰り返して申しますが、私たちは相当な不安を持っているということを重ねて申し上げるのであります。
国立病院と比較されますけれ
ども、大体
国立病院の
患者の三分の一は結核でありまして、あるいは三分の二以上も結核である
病院もあるわけでありますが、御存知のように
国立病院におきましては、
看護婦は
患者四人に一人で、雑役的な人を入れて平均しますと三・六人に一人ということになっております。今度二千二百七十人という
療養所の方に加えました数は四・七か幾らになると思うのでありますが、これほどの開きが、全体として
考えますときには
——私はこういう
考え方しかできない、また許されていないわけでありますけれ
ども、このくらいの開きでいいのか、やはりもう少し
国立病院に近づけるべきであるということを痛感いたします。大体
国立病院並みのところまで持っていきますと、十人か十二人に一人くらいのつき添いを入れませんと
——つき添いじゃありません、常勤労務者といっておるのでありますが、それを入れませんと、うまくいかないようであります。先ほど申し上げました私たちの
療養所や、やや大きい
療養所で、九十人、あるいはちょっと例をとりますと、浩風園でありますとか、横浜
療養所の四百人そこそこのところで三十五人くらいほしいというのですが、大体その辺の数が、偶然でありますが当っているような気がいたします。
ことに、現在の
療養所の
実情を見ておりますと、外科の
手術がどんどんふえて参る、しかも複雑な
手術がふえてくる。それから内科の方でも、特に
国立療養所の方では、そういってはなんですが、ほかの
療養所で持て余されたような、非常に
重症な、私たちとしましても手のつけようがない、と申しましても、昔とは違いますから、
患者さんは死にません。死にませんけれ
ども、日常生活に非常に差しつかえる。たとえば、肺活量が千以下というような者が非常に多くなる、そういう傾向が非常に顕著でありまして、近ごろ入ってくる
患者さんは、
重症の割合が非常に多くなっております。それから、そういうような
手術をやりますと、同じ肺切除といいましても、私たちのところは、区域切除というような指の先くらいなところを切り取るようなものよりも、片方の肺全部を取ってしまうような肺切除がふえてきておるということ、そういう趨勢を加味して
考えましたときに、私たちは一そうの不安を感ぜざるを得ないのでありまして、この点は繰り返して
厚生省の方に申し上げてありますが、
厚生省としても、私たち接触しました
範囲では、何よりも
患者のことをお
考えになっておるという点では、常に非常によく
意見が一致しておるのでありますから、今度これでおやりになるといっても、よりたくさん無理のない数でできるならばよいとお
考えになるでありましょうし、もしもうまくいかないというときには、破綻が来ない先に、何かの
意味でこれを増員されることに努力されるということを、私たちは
厚生省を信頼しておりますから、信じて疑わない次第であります。
大体、つき添いについて私の申し上げたいと思いますことは、これで尽きたわけでありますが、
国立療養所といいますものは、いろいろな
意味で、結核
患者のうちの特に
重症な部門を受け持つことになりまして、社会的ないろいろな矛盾が集積しておるところでありますから、あまり試みだけで失敗するというようなことのないように、十分安全率をかけたやり方でやっていただきたい。その上で、私たちもいろいろ工夫すべきところは工夫いたしまして、できるだけ職員の数も少くして、しかも能率的な治療をやっていくように心がけていきたいというように
考えております。