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1955-05-27 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年五月二十七日(金曜日)    午前十時三十七分開議  出席委員    委員長 中村三之丞君    理事 大石 武一君 理事 中川 俊思君    理事 大橋 武夫君 理事 山下 春江君    理事 山花 秀雄君 理事 吉川 兼光君       植村 武一君    臼井 莊一君       小川 半次君    亀山 孝一君       菅野和太郎君    草野一郎平君       小島 徹三君    床次 徳二君       松岡 松平君    横井 太郎君       越智  茂君    小林  郁君       中山 マサ君    野澤 清人君       八田 貞義君    岡本 隆一君       滝井 義高君    中村 英男君       長谷川 保君    帆足  計君       八木 一男君    横錢 重吉君       神田 大作君    堂森 芳夫君       山口シヅエ君    山下 榮二君       中原 健次君  出席政府委員         厚生政務次官  紅露 みつ君         厚 生 技 官         (医務局長)  曾田 長宗君         厚生事務官         (社会局長)  安田  巌君         労働政務次官  高瀬  傳君         労働事務官         (職業安定局         長)      江下  孝君  委員外出席者         議     員 福田 昌子君         厚生事務官         (医務局次長) 高田 浩運君         参  考  人         (東京民生局         長)      加藤 清一君         参  考  人         (国立東京療養         所長)     砂原 茂一君         参  考  人         (国立千葉療養         所長)     岡田 藤助君         参  考  人         (国立療養所浩         風園内附添婦) 和田 ハル君         参  考  人         (附添婦代表) 堀江 ハル君         専  門  員 川井 章知君         専  門  員 引地亮太郎君         専  門  員 浜口金一郎君         専  門  員 山本 正世君     ————————————— 五月二十七日  委員松永東君、滝井義高君及び中村英男辞任  につき、その補欠として松岡松平君、伊藤好道  君及び八木一男君が議長指名委員に選任さ  れた。 同 日  委員伊藤好道辞任につき、その補欠として滝  井義高君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 五月二十六日  失業保険法の一部を改正する法律案内閣提出  第九四号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  失業保険法の一部を改正する法律案内閣提出  第九四号)  附添婦制度に関する件     —————————————
  2. 中村三之丞

    中村委員長 これより会議を開きます。  まず日程を追加いたしまして、失業保険法の一部を改正する法律案議題とし、審査に入ります。高瀬労働政務次官より提案趣旨説明を聴取いたしたいと存じます。高瀬労働政務次官
  3. 高瀬傳

    高瀬政府委員 失業保険法の一部を改正する法律案提案理由を御説明申し上げます。  失業保険法は、昭和二十二年第一回国会において、経済緊急対策の一環として制定され、その後数次の改正によって制度整備拡充が行われ、戦後の困難な経済状勢に対処して、今日までよくその機能を果してきたところであります。しかるに、一昨年末より実施せられました緊縮政策に伴い、失業情勢は悪化し、これが急速な改善は今直ちに見込まれないのでございますが、これに対処する方策の一として、給付日数合理化等中心とする失業保険制度整備拡充をはかり、失業対策事業等拡充と相待って一層効果ある失業保障を行い、もって失業者の生活安定に資したいと存ずる次第でございます。これがこの法律案を提出いたした理由でありますが、次にその概要を御説明申し上げます。  第一に、被保険者の当然適用範囲医療看護その他保健衛生事業社会事業更生保護事業等に及ぼして、社会保障制度拡充をはかった点でございます。失業保険適用範囲は、できるだけ拡大して、雇用関係にある労働者失業時の生活の保障を広めることが望ましいところであり、この観点より、すでに昭和二十四年の改正において大幅の適用範囲拡大を行なったのでありますが、今回の改正においては、さらに原始諸産業を除く事業のうち医療看護その他保健衛生事業社会福祉事業更生保護事業等に対して、新たに適用範囲拡大を行おうとするものであります。  次に、長期にわたり被保険者であった者に対する失業保険金給付日数を二百七十日または二百十日とする一方、季節的労働者等が主体となっております短期保険者に対しては、その給付日数を九十日とすることといたした点でございます。従来、被保険者離職した場合に、離職前一年間における被保険者期間が六カ月以上であれば、離職後一年間に一律に百八十日の給付が行われたのでありますが、長期間同一事業主に雇用された者は、離職した場合において、すみやかに再就職することが比較的に困難である場合が多く、また長期間保険経済に貢献したという点をも考慮して、十年以上同一事業主に被保険者として雇用されていた者に対しては二百七十日分、五年以上同一事業主に被保険者として雇用された者に対しては二百十日分支給し得ることにいたしたのであります。また、最近は季節的労働者等短期労働者失業保険乱用が目立って参りましたので、この際乱用の余地を残さないよう、一般的に短期保険者すなわち離職前一年前間に被保険者期間が九カ月までである者に対しては、給付日数を九十日とし、一律百八十日の給付制度より生ずる不合理を是正する措置をとった次第であります。  次に、失業保険法施行実情にかんがみて、被保険者の資格の取得、喪失についての政府の確認の制度を設け、被保険者としての権利の保護を厚くするとともに、不正受給の防止、保険料収入の確保に資することといたしました。  また、今回の改正に当り、被保険者または被保険者であった者の福祉の増進をはかるため必要な施設を設置することについて、明確な規定を設けることといたしました。これは従来も失業保険特別会計法規定等からして設置し得るものとされていたのでありますが、今回これを明確にいたしたわけでございます。  以上が今次改正の主眼とするところでございますが、このほか必要な注文の事務的整備を行い、一層適正な法の運用をはかりたいと存ずる次第でございます。  何とぞ御審議の上、すみやかに可決せられますようお願い申し上げます。
  4. 中村三之丞

    中村委員長 以上で説明は終りましたが、なお本案につきましての質疑次会以後に譲ることといたしまして、つき添い婦制度に関する件についての調査を進めます。  ちょっと速記をとめて。   〔速記中止
  5. 中村三之丞

    中村委員長 では速記を始めて。  それでは午前中はこの程度でとどめまして、午後一時まで休憩いたします。    午前十一時十三分休憩      ————◇—————    午後一時二十四分開議
  6. 中村三之丞

    中村委員長 休憩前に引き続きまして会議を再開いたします。  山花秀雄君より発言を求められておりますからこれを許可いたします。山花君。
  7. 山花秀雄

    山花委員 今日の日程は、専門的な意見を聞くという意味で、各参考人の方から陳述をしていただくことになっておりますが、その前に一言お聞きをしたい点がございます。それは承わるところによりますと、昨夜厚生省の方から、清瀬東京療養所ですか、そこに何か調査に行かれたということを承わったのであります。たまたまそのときに患者手術をやっておるような場所に行かれた、こう承わっておるのでありますが、厚生当局で行かれました実情を、一つ詳細に御報告を願えればけっこうだと思うのであります。
  8. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 昨日、私の方から技官を派遣いたしまして、その状況を見て帰っておるわけであります。それにつきまして、一応簡単な報告を受けたのでありますが、詳細な報告というところを申し上げるところまでいっておりません。大体手術の行われました状況、それに対して看護婦配置いかようになっておるか、またそれに対しまして、つき添い婦が何人ついておるかということを大体見て参ったのであります。  大体、病棟といたしましては、十八病棟ございます。そのうち外科病棟となっておりますのが五病棟でございます。病棟によりまして多少多い少いはございますけれども患者の数はおおむね五十人見当が一つ収容定員になっております。ただ、作業病棟は幾分小さい病棟でございますので、三十人くらいになっております。看護婦配置は、外科病棟では九人配置になっております。そのほかの病棟は、清瀬におきましては重症病棟あるいは軽症病棟というような区別はいたしておりませんで、大体みな混合いたしておるわけであります。  それから、それについておりますつき添い婦の政は、外科病棟におきましては、看護婦と同数くらいの九人あるいは八人、一病棟だけ七人というところがございますが、それだけついております。その他の病棟におきましては、少いところで二人、多いところで五人。六人というところも一病棟ございます。大体四、五人というものがついておる状況でございます。結局外科病棟は一応は分れておりますけれども内科病棟におきましては、重症あるいは軽症というようには必ずしもはっきり分れておらないということになっておるのであります。  大体私報告を受けておりました内容はその程度でございます。看護婦の勤務の配置状況というようなものにつきましては、まだ詳細に報告を聞いておりません。いずれまた折りがございますれば、追加御報告申し上げたいと考えております。
  9. 山花秀雄

    山花委員 私は、昨夜厚生当局の方から東京療養所視察をされたということを承わりまして、本案件審議に非常に重要と考えまして、朝、この委員会が開会される直前に、委員長を通じてこの問題に関してのみ質問をする、はっきり申しますと、厚生省当局がとっぴな質問で戸惑いしないように前もって通告しておいたのですが、その旨が局長さんの方に通じたのか通じなかったのか、この際一つはっきりさせていただきたいと思います。
  10. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 私、昨日、本委員会が開催されるということを伺いまして、その議題につきましては、つき添い婦の問題も議せられるというように私了解いたしておりました。定刻にお伺いするというつもりでおりましたのですが、いろいろ資料整備等につきましておくれまして、それに自動車の都合というようなこともございましたので、ついおくれまして、十一時十分くらい過ぎておりましたが、参上いたしましたので、非常に皆様方に御迷惑をおかけしましたことを、心からおわび申し上げたいと思います。
  11. 山花秀雄

    山花委員 私の質問は、さようなことを聞いておるのではございません。朝あなたに質問したときに、あなたが下僚から報告を受けていないというようなことで答えられないようなことがあると困りますから、質問要旨をはっきり申し上げていたはずなんです。それがあなたに通じていたか、いなかったか。これは事務上の問題で、今聞いておるわけです。あなたはきょうの議題がどうとかこうとか、そういうようなことを私は聞いておるのではないのです。けさ私の質問要旨通告していたことが、下僚を通じてあなたに伝達されたかどうか、こういう点を聞いておるのです。
  12. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 つき添い婦の問題が議せられるということは承知いたしておりましたが、御質問の御趣旨というものは、承知いたしておりませんでした。
  13. 山花秀雄

    山花委員 それでは委員部の方にも私はお伺いしたいと思いますが、劈頭私は、清瀬東京療養所厚生省から昨夜視察に行かれた、この問題は本案件審議するのに非常に重要な参考になるので、その問題について聞きたいから、特にほかの同僚議員質問を押えて、この問題に関して私に質問をさせてもらいたい、こう委員長の手元に申し上げて、委員長からその旨を通告をしておるはずだと私は考えておるのです。ところが、あなたが、そういう通告は受けていない、単につき添い婦の問題だけの案件でここへまかり出た、そうなりますと、一体その間の連絡がどこが不備であなたに通じなかったかという点を、私どもとしては究明していかなくてはならぬと思うのですが、この点は委員長から問題の所在をはっきりしていただきたいと思います。
  14. 中村三之丞

    中村委員長 委員長からお答えいたします。委員部の方からその旨を政府委員に伝えたそうでございます。
  15. 山花秀雄

    山花委員 厚生当局にお伺いしたいと思います。これはそういう意味で、午前中はほかの方も来ておられましたが、結局あなたが来ないとこの答弁ができないというので、朝の委員会は、はっきり申し上げますと流会したのです。しかるに委員部の方では、その要旨を伝えてあなたの方に連絡をした、こう言うのです。その間一体どうなっておるのですか。これは綱紀の問題にも関しますから、この点ははっきりしていただきたいと思います。
  16. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 いかようなところでその連絡が絶たれましたか、私もよく存じませんので、私ども関係者たちによく聞きただしてみまして、お答え申し上げたいと思っております。
  17. 山花秀雄

    山花委員 このつき添い婦の問題の一番議論焦点になっておりますのは、外科手術をしたときのつき添いの問題であります。ところが、たまたまあなたの方で外科手術をしておるときに視察に行かれたということを承わりましたから、そこでその外科手術をしておるときの実情を、厚生当局としてはどうお考えになるかという点をわれわれは聞きたかったのです。これは審議の一番中心点になっておるのであります。そういう点で、私は朝から何回も連絡をしていたのです。ところが今あなたの答弁は、後刻詳細に御通知申し上げる——この委員会は、本件だけが議題に上っておるわけではございません、他にもたくさんの議題がこの委員会に上程されておるのです。はっきり申し上げますと、もっとてきぱきこの問題を片づけたいのです。片づけたいから、そういう焦点になった点を抽出して議論をしていきたいというのが私ども委員の念願であります。ところが、あなたの方でサボられて、いつまでも、いつまでもこの問題で委員会を毎日々々開催するようなことであれば、議事運営の能率の上においても、多大の支障を来たすと思うのです。私はすぐ連絡していただいて——きょうは幸い参考人が来ておりますが、参考人は必ずこの外科手術の問題についてのつき添いの関連陳述なされるだろうと私は思うのです。その問題に関して、各同僚委員からも質疑があると思うのです。そこで、厚生当局の昨夜見聞されたその御意見を拝聴してこの問題を審議していきたい、かよう考えておりますので、すぐに連絡をとっていただいて、昨日病院に行かれました人の意見一つ聞いていただいて、局長から後刻詳細に報告していただきたいと希望いたします。  それからもう一つは、これは委員長にお願いをしたいと思うのでありますが、きょう参考人おいでを願ったのは、はっきり申し上げますと、これはもう相当議論を重ねておりまして、きょう参考人からいろいろ御意見を承わって、われわれ委員会としては早く結論を出したいのです。そこで問題になりますのは、厚生大臣あるいは大臣代理厚生政務次官等々——これはもう政治問題になってきておると私は思うのです。従ってこの重要な参考人の御意見を、厚生当局最高責任者としては、やはり同席して聞いていただきたいと思うのであります。ところが大臣が来ていない、政務次官も来ていない。
  18. 中村三之丞

    中村委員長 政務次官は見えています。
  19. 山花秀雄

    山花委員 そうですか。もうちょっと前に出てもらわないと、あまり小さいからわからなかった。(笑声)  この点は、やはり私は最高責任者に聞いていただいて、厚生当局の最後の腹をきめていただきたいと思うのであります。大臣出席につきましては、一体どのようになっておりますか。これを委員長から一つお聞かせを願って、私はこの議事を進めていきたい、かよう考えております。
  20. 中村三之丞

    中村委員長 今、報告を聞きますと、厚生大臣予算委員会出席しておるそうで、今政務次官が見えておりますから、政務次官にとくと聞いてもらって大臣報告していただく、こういうことで御了解願えませんでしょうか。もし厚生大臣出席が必ず必要であるということでございましたならば、もう一ぺん交渉してみます。
  21. 山花秀雄

    山花委員 ただいま委員長からのお話は、よくわかりました。しかし、私ども考えといたしましては、厚生大臣予算委員会に初めからしまいまでぺったりつき添っていなければならない、そういう場合も私はあると思うのです。しかし、もう予算委員会も大体山を越したような状態でございますから、おそらく何か厚生問題の質疑のときだけ予算委員会に列席しておられればいいのじゃないかと考えております。こちらの委員会最終段階に入って、もう政治的にどう扱うかという段階に入っておりますので、できれば厚生大臣列席のもとに、この重要なる参考意見を聞いていただいて、厚生当局一つ明確なる政治的判断をしていただきたいと、かように考えておりますので、委員長から要求をしていただいて——向うがとうしてもはずせないというのを、無理に引っぱってくるわけにも参らないだろうと思いますけれども、しかしこれは誠意をもって、寸暇をさいて、この委員会に列席するというような政治性厚生大臣要求していただきたいと思います。それからまた、参考人方々から、いずれ審議参考になるような貴重なる御意見を拝聴さしていただけると私ども考えておりますので、私の質問はこれで終りまして、参考意見を聞いて、あとで同僚委員からいろいろ質疑があるだろうと思いますので、昨夜の病院に出向かれた具体的報告は、参考意見が済んでからでも一つ厚生当局の方からお聞かせ願いたい。このことだけを申し上げまして私の質問を終ります。
  22. 中村三之丞

    中村委員長 厚生大臣につきましては、再度交渉いたします。
  23. 長谷川保

    長谷川(保)委員 議事進行について。きょうは御多忙のところを参考人の方においでいただいたのでありますが、おいでになりました方の名簿を見ますと、いずれも厚生省直轄の、いわば国立療養所あるいは東京民生局あるいは国立療養所にお勤めになっていらっしゃる方のようであります。この中には、おなれになっておりません方も多数いらっしゃると思います。この際厚生当局もここに出席いたしているのでありますから、この重要な参考人陳述が、少しでも厚生当局に遠慮するということがあっては重大だと思います。従って、委員長におかれましては、これらのことについて陳述されます参考人方々が、十分その真相を遠慮なくここで陳述し得るように、特に陳述を始めるに先だちまして御注意をせられますように望む次第であります。
  24. 中村三之丞

    中村委員長 山花君の質疑関連して発言を求められております。帆足計君。
  25. 帆足計

    帆足委員 山花君のただいまの質問関連いたしまして、厚生省当局は、昨日中野療養所実情を多少お調べになられましたように承わっております。私はおくればせながら、そういう調査をなさいましたことに対しては、深い敬意を表するものでございます。しかし同時に、ただいま切迫した状況になりましてそういう調査をいたさねばならぬということは、この問題につきまして多少準備が足りなかったということを意味するものであろうと思います。しかし、昨日厚生大臣は、きょうの参考人陳述を聞いて、各同僚議員が納得され、世論が納得されたならば、修正もまたそれが必要であるならば別にこだわることはないという非常にりっぱな御答弁でございました。この委員会の各同僚議員方々は、すべて病める者、よるべなき者の友達であり、同時に中山女史山下女史初め、病人に特に理解のある同僚議員もおられますし、また次官紅露さんは、日本で婦人の政治家次官はわずかの数でございますが、まことに厚生次官にふさわしい方でありますので、虚心坦懐に皆様とともに参考人の話を承わり、そして実際に即した政治をしていただきたい。そのためにこそ委員会も開かれ、参考人も来ていただいている。従来の日本の習慣では、何もかもきまってしまって、参考人の論述は馬の耳に念仏というような弊風がかつてはあったのです。今日はそういうことであってはならぬと思います。参考人の方を呼ぶということは、与党野党を問わず、超党派的に問題が重要であるから聞こう、聞く以上は虚心坦懐になって聞こう、これが私は参考人の方を呼ぶときの態度であろうと思います。従いまして、政府委員にお尋ねするのですが、昨日中野療養所その他をお調べになりましたとしたならば、貴重な参考人意見を述べていただく時間を小さくするわけに参りませんから、後ほどでけっこうですから、中野療養所の問題についてもお尋ねいたしますから、御準備をお願いしたいのであります。特に完全看護等方法論については、異論はありませんでしょうけれども、現在そういうことが問題になっているのではなくて、具体的な予算看護人の人数と病人の数と、今後の結核外科についての動向、こういうこととの関連において具体問題が問題になっているのでございます。私などは、自分で喀血して長い間苦しみましたので、療養所のすみずみまで心得ているのでございます。その私どもがこうしてわざわざ他の委員会からこちらにはせ参じてお願いしているのでありますから、政府委員委員長も虚心坦懐に聞いていただいて、ほんとうに民主党内閣になって、前より少しでもよくなったというような結果を生むために、御努力願いたいと思いますので、政府委員におきましても、資料の御準備のほどをお願いする次第です。
  26. 中村三之丞

    中村委員長 つき添い婦制度に関する問題につきまして、委員会要求により参考人方々出席されておりますので、意見を聴取することにいたします。  この際委員会を代表して一言あいさつを申し上げます。  参考人方々には、御多忙中にもかかわらず御出席くださいまして、まことにありがとうございます。本問題は、厚生省の所管といたしまして、医療行政における重要な案件でありまして、当委員会といたしましても、連日この問題を取り上げ、大臣その他関係政府委員等出席のもとに、真剣に討議して参りました。加えて、直接この問題に携わっておられる方々意見をも聞く必要があるとの見解から、本日皆さんに御足労をわずらわした次第であります。どうぞ忌憚なき御意見をお述べ願います。  以上簡単ながらごあいさつを申し上げた次第であります。  なお、意見をお述べになる時間は、議事の整理上、おおむね十五分程度にしていただき、後刻委員から質疑もあることと存じますので、これに対しましてもお答えを願いたいと存じます。  なお、委員方々に申し上げますが、参考人方々が五名見えておりますので、一応全部の方から意見をお聞きし、その後に質疑を許可することにいたしますから御了承を願います。  それでは、まず加藤清一君にお願いいたします。
  27. 加藤清一

    加藤参考人 私からつき添い婦の制度についての意見を申し上げてみたいと思います。  今度、厚生省の方で考えておられる国立病院なり療養所における完全看護の態勢を取ろうということにつきましては、私ども実際の運用をいたしております立場にある者といたしましては、賛成であります。と申しますのは、申し上げるまでもないことだと思うのでございますが、統制ある看護ができることになると思いますこと、それから病院内における人事管理の面におきましても、いいのではなかろうかというふうに考えられます。さらにまた、率直に申し上げますと、今日までのつき添い婦に関するいろいろな事務関係におきまして、実際やっているわれわれといたしましては、いろいろ困難な問題等もございますので、できることならば、完全看護一つ実現できますようにやっていただくことが、ありがたいことだと思っております。  御参考までに申し上げておきますが、東京都の都立の病院は、すべて完全看護で進んでいるわけでございます。  きわめて簡単でございますが一応申し上げます。御質問がありますときに、なお申し上げることといたします。
  28. 中村三之丞

    中村委員長 それでは砂原茂一君。
  29. 砂原茂一

    ○砂原参考人 つき添い婦問題が世の中の関心を引きまして、今日御審議いただけることは、関心をお持ち下さっているということで、私たち、毎日療養所の明け暮れ患者さんのお世話をしております者として、国民の皆様に、この問題を云い場面で考えていただけるようになったということを、大へんに感謝しているのであります。  基本的な線といたしましては、私はつき添い制度は廃止すべきであると考えます。このことについては、それに付随するいろいろな条件は、当然問題になりますけれども、基本的な線としては、ほとんど疑う余地がないものだということを確信いたします。くだくだしくは申しませんけれども療養所に入りました患者さんは、療養所の職員が全責任を持って看護すべきは当然であります。実際療養所の人事的な管理の及ばない方が、療養所の中にいられて、しかも患者さんの身のまわりの看護というきわめて重要なこと、特に結核という病気の場合は、近ごろ化学療法や外科療法も発達はいたしましたけれども、その根本は安静度による、つまり一人心々の患者さんのからだの中の病気の工合に応じた生活をさせる、従って患者さんの日常生活を利していくということが、今日といえども、ゆるがない筋道であると思います。従って、患者さんの身のまわりのことを、十分な経験を積んだ、しかも療養所の方針を体した看護婦がやるということは当然でありまして、現在の状況を見ておりますと、最も大切であるべき本質的な看護が、外から派遣されましたつき添い婦の方にまかされていて、看護婦の諸君は近ごろでも——社会保障制度が大へん整備されて来ましたのはけっこうでありますけれども、書類書きに追われましたり、事務連絡に追われましたり、そういうようなことでありまして、まことに本末が転倒しておるような状況であると考えるのであります。  またもう一つ、やや例をあげるような形で申し上げますと、現在の国立療養所の食費は、私たち考えますと、非常に安きに過ぎると思うのであります。そして療養所の全体の職員の数と同じく、炊夫、料理場の職員の数も非常に少いのでありますが、そういう困難な条件のもとで、私たちがなけなしの知恵をしぼり、励まし合って献立を作って参りましても——これはすべてのつき添いさんがそうやっていると申し上げるのではありませんが、私のところではそうさせておりません。いませんけれども、一般的な何として申し上げますと、病院から出ました食事をつき添いさんがお上りになって、つき添いさんが別に作られた食事を患者さんにあげるというようなこともないわけではないと思います。そういうようなことでありますと、今後大気、安静、栄養という、きまり文句にうたわれているようなことに対して、私たちの責任が持ちようがないということは、よくおわかり願えるかと思うのであります。こういう例は、あげれば切りのないことでありますけれども、そういうような一、一の例をあげましただけでも、つき添いというものはなければないでよろしい、その方がよろしいということは御了解いただいたかと思うのであります。  しかしながら、それは患者を現在よりも悪い待遇に置いて処理していいということではないのでありまして、御存じだと思いますけれども、現在の国立療養所における患者の待遇というのは、決して十分でない、むしろ十分ということからも非常に遠いというのが、実情であります。そしてまた、このようにつき添いが、ほかの療養所病院で問題にならなくて、特に国立療養所で問題になるというのは、私たちお預かりしている者として、大へんお恥かしい次第に考えるのでありますけれども、やはりそういうことになって来たのには、それだけの理由があったということを認めざるを得ないと思うのであります。大体、私どものところでは、国立東京療養所というところでありますが、戦争中は傷癖軍人療養所でありまして、そのときはつき添い婦が一人もおりませんでした。全部今日の意味における完全看護であったわけであります。従って現在国立療養所がだらしがなくて、ほかのところが、今都のお話が出まして、完全看護をやっておるというふうにおっしゃいましたが、そういう意味で、私たちの方が先輩だと思っております。ところが、時日の経過のうちに、国立療養所だけにつき添い問題のいろいろな困難さが集積して参りましたというのは、理由のあることだと思います。それは当時、先ほど申しました療養所の職員だけで看護しておりましたときには、その当時看護婦の養成所をやっておりまして、その養成所の生徒も、現在とは違いますから、助手という名前をつけまして職員並みに働かせていたわけであります。患者の安静時間に講義をやる。講義が従で、労力としての働きに期待するのが主であったというような状態でありました。そのときの看護婦と助手の割合は、大体四対一であったのであります。従って、数があればできるということであろうと思います。ところが、戦争が終りましてから、だんだんと療養所なんかに来て下さる看護婦さんというものもいなくなりまして、数が非常に少くなったところに定員法というものが出てきまして、非常に少くなったところで押えつけられてしまったということなのであります。しかも、一方におきましては、戦争直後ではほとんど大気、安静、栄養、日本のわずかな療養所において胸郭成形手術が行われていたにすぎません。くだくだしくは申し上げるまでもありませんけれども、その後一般的な普及、かてて加えて肺切除法というような高度の手術がふえて参りました。それにストレプトマイシン、パスなどというようなものもふえて参りました。昔の療養所のいわば牧歌的な存在であった時代とは、まるで面目が一新して参りました。しかも昭和二十三年以降、ほとんど看護要員の数がふえておらないのであります。従って、その間の要求を曲りなりにも満たしていきますためには、私たちは申すまでもなく患者さんを少しでも早く、少しでも完全におなおしするということが最大の目的であることは、お断わりするまでもないことでありますから、そこで自然にこのような看護制度というものができて来たわけであります。従って、私はつき添い制度は廃止すべきものだと思いますけれども、今日までにつき添いの諸君が果されました時代的な役割と申しましょうか、そういうものはやはり認めるべきであるというふうに考えます。しかし、このままの形を続けるということは、先ほど申しましたような理由で正しくないことだというふうに確信いたします。  そこで、問題は、つき添いを廃止していきます行き方と数の問題というふうに、私は理解いたしております。数につきましては厚生省が二千二百七十人という数をお出しになっております。この根拠につきましては、私十分に承知いたしておらないのであります。そしてまた私たちは、全国的にどのような患者がどのくらいあり、それからこの手術がどのくらい行われておるかという全体の数をつかむ立場にございません。昭和二十八年ころまでの手術の統計は、厚生省当局がお持ちになっておるのであります。従って、全体的な今日の数を出してどうということは、なかなか言いにくいのでありますけれども、しかし私たち自身、それからこの付近の幾つかの療養所について聞いてみました感じでは、二千二百七十人という数を非常にうまく按分してみても、なかなかこれはむずかしいのじゃないか、少くとも深刻な不安を持っておるということが実情であると申し上げなければならないのであります。もっとも、現在におきまする療養所看護態勢といいますか、そういうものが万全であるとは言えませんし、よく比較に持ち出されますのは国立病院の方でありますが、国立病院と比較いたしまして、看護婦の動かし方、あるいは看護婦の素質、そういうようなものについて、あるいは療養所が劣っておるかもしれません。そして私たち目の前に一人々々の患者さんをかかえておりますものといたしましては、それなりに一生懸命にはなりますけれども、それだけに大局を見誤まるというようなこと、あるいは今日までやって来たことを、動かしがたいものとして考え込んでしまっておるということは言えないと思います。それはある程度やってみなければわからないという部面も含んでおります。しかし、ことにいろいろな意味で非常にむずかしい問題を含んでおります結核患者さんのことでありますから、十分な安全率をかけて、しかも今日より、よりぜいたくなというのではなくて、今日から移行するのに、段階的に、できるだけそういうことに対する費用を減らすのは当然だと思います。金は幾らかかってもいいというようなことは一声えないと思います。工夫をして、できるだけお金のいらない方法でもやらなければなりませんし、療養所の中の経理の都合で、そういうふうにやらなければならないと思いますけれども、しかし、何といっても患者さんの生命に関することでありますから、これを十分に慎重におやりになっていただきたいというふうな気持を持っているのでありまして、この点につきましては、厚生省の医務局にもたびたび私たちは申し上げているので、よくおわかりになっていらっしゃると思うのでございますが、予算の技術的折衝ということになりますと、私たちの全然わからないことでありますから、二千二百七十人という数を厚生省当局が取る。取るといってはいけないのかもしれませんが、大蔵省からお取りになるについて、非常に努力なさっていられたのだろうと思います。第一段としては、それより仕方がないということもあるのかと思いますけれども、しかし、これは現状をもってしても、私たちは非常に不安を持っている。ただ二千二百七十人という数が出ましても、先ほど申し上げましたように、私たちは個々の施設を持っている立場でございますから、私のところへ何人来るんだということがほんとうにわかりませんと、ぴんとこないのであります。それが非常にうまく按分ができるとおっしゃるならば、やってみてそれぞれの数を示していただくより仕方がないのですけれども、それをお示しいただけるという段階でありませんので、その点ではわかりにくいのでありますが、中野療養所清瀬療養所、それから私のところなんかでは、大体千人にちょっと欠ける患者でありますけれども、これは直観的と申しますか、ある程度の計算的な組み立てをやった数でありますけれども、やはり九十名くらいはどうしても要るのではないかというような気持を持っておるのであります。それからほかの療養所も、神奈川とか大小いろいろ聞いたのでございますけれども、大体そういうような比率でいくようにも聞いております。二千二百七十人という数がそういうふうに按分せられて、しかも全体の療養所が、大きい療養所は大きい療養所なりに、手術を多くやっているところは多くやっているところなりに按分ができるということであれば、私は何も申し上げることはないのでありますけれども、全体的な見通しとしては、繰り返して申しますが、私たちは相当な不安を持っているということを重ねて申し上げるのであります。  国立病院と比較されますけれども、大体国立病院患者の三分の一は結核でありまして、あるいは三分の二以上も結核である病院もあるわけでありますが、御存知のように国立病院におきましては、看護婦患者四人に一人で、雑役的な人を入れて平均しますと三・六人に一人ということになっております。今度二千二百七十人という療養所の方に加えました数は四・七か幾らになると思うのでありますが、これほどの開きが、全体として考えますときには——私はこういう考え方しかできない、また許されていないわけでありますけれども、このくらいの開きでいいのか、やはりもう少し国立病院に近づけるべきであるということを痛感いたします。大体国立病院並みのところまで持っていきますと、十人か十二人に一人くらいのつき添いを入れませんと——つき添いじゃありません、常勤労務者といっておるのでありますが、それを入れませんと、うまくいかないようであります。先ほど申し上げました私たちの療養所や、やや大きい療養所で、九十人、あるいはちょっと例をとりますと、浩風園でありますとか、横浜療養所の四百人そこそこのところで三十五人くらいほしいというのですが、大体その辺の数が、偶然でありますが当っているような気がいたします。  ことに、現在の療養所実情を見ておりますと、外科の手術がどんどんふえて参る、しかも複雑な手術がふえてくる。それから内科の方でも、特に国立療養所の方では、そういってはなんですが、ほかの療養所で持て余されたような、非常に重症な、私たちとしましても手のつけようがない、と申しましても、昔とは違いますから、患者さんは死にません。死にませんけれども、日常生活に非常に差しつかえる。たとえば、肺活量が千以下というような者が非常に多くなる、そういう傾向が非常に顕著でありまして、近ごろ入ってくる患者さんは、重症の割合が非常に多くなっております。それから、そういうような手術をやりますと、同じ肺切除といいましても、私たちのところは、区域切除というような指の先くらいなところを切り取るようなものよりも、片方の肺全部を取ってしまうような肺切除がふえてきておるということ、そういう趨勢を加味して考えましたときに、私たちは一そうの不安を感ぜざるを得ないのでありまして、この点は繰り返して厚生省の方に申し上げてありますが、厚生省としても、私たち接触しました範囲では、何よりも患者のことをお考えになっておるという点では、常に非常によく意見が一致しておるのでありますから、今度これでおやりになるといっても、よりたくさん無理のない数でできるならばよいとお考えになるでありましょうし、もしもうまくいかないというときには、破綻が来ない先に、何かの意味でこれを増員されることに努力されるということを、私たちは厚生省を信頼しておりますから、信じて疑わない次第であります。  大体、つき添いについて私の申し上げたいと思いますことは、これで尽きたわけでありますが、国立療養所といいますものは、いろいろな意味で、結核患者のうちの特に重症な部門を受け持つことになりまして、社会的ないろいろな矛盾が集積しておるところでありますから、あまり試みだけで失敗するというようなことのないように、十分安全率をかけたやり方でやっていただきたい。その上で、私たちもいろいろ工夫すべきところは工夫いたしまして、できるだけ職員の数も少くして、しかも能率的な治療をやっていくように心がけていきたいというように考えております。
  30. 中村三之丞

    中村委員長 岡田藤助君。
  31. 岡田藤助

    ○岡田参考人 つき添いの問題は、最近になってわれわれも相当一生懸命に考えておるのでございますが、これは普通の療養所の職員とちょっと違う中身を持っておると思うのです。そして、私ども考えておりますつき添いの必要な部分を申し上げますと、大体三種類に分れるのではないか。その一つは、外科手術関係ある患者さん、もう一つは、内科的な疾患で非常に重症になった患者さん、それから三番目のものは、肺活量が非常に少くなって、あるいは脊椎カリエスということで、からだが動かない、こういう方々でございます。私ども療養所の例を申し上げますと、つき添い婦の三分の二程度が、外科の患者さんのつき添いでありまして、三分の一が内科的な患者あるいはカリエス患者、そういうものに対するつき添いなのであります。療養所が非常にたくさんの手術をやれば、つき添いの数も自然にふえる、それから重症患者をたくさん入れれば、つき添い婦の数がふえる、反対な場合には、つき添いの数が少くなるということで、療養所の性格あるいは働き方によりまして、つき添い婦の数が変ってくるのでないかと思うのでございます。この点が普通の療養所職員の定員をきめるときとだいぶ違う。従って、手術の例数が非常に多い療養所でありますと、ベッド数に比較しましてたくさんのつき添い婦が必要であるということは、申し上げるまでもないと思うのでございます。  われわれの療養所は、七百のベッドでございますが、昨年肺葉切除等の大きな手術を行いました者が百例ございます。今年は大体二百例の手術をやりたいという目標を持っておるのでございます。ただいまの東京療養所でございますと、手術例が八百という数になっておるそうでございます。われわれのところが二百、東京療養所が八百といたしますと、外科に要するつき添い婦の数は、われわれの療養所の四倍になる、こういうような計算ができるのではないかと思うのでございます。  私ども療養所で、どのくらいのつき添い婦が必要であるかと申しますと、現在看護婦患者六人について一人という割合の数でございますが、その数を動かさないでやるということになりますと、つき添い婦の数は三十六名くらい必要になって参ります。この三十六名は、内科の重症患者看護をも含めて行う数字でございます。この数字がどのくらい確実性があるかということにつきましては、実際にやってみないと、大丈夫だということは申し上げられないのでございますが、現在の療養所の設備の内容、私の療養所ではそういう人を減らすためにどのような設備をしたらいいかというようなことについて、今まだ検討中でございますが、少くとも人を減らすような、減らして、しかも医療内容を低下させないような設備ができないと、この三十六名というものも、実はできなくなるのでございます。先ほど砂原さんからもお話になりましたように、つき添い婦を療養所の中からなくす、そうして療養所の職員が直接患者さんの診療看護に当るという根本の方針は、私どもも非常に賛成をしておりますし、そういうことを強力にお進めいただきました厚生省の御当局にも、非常に感謝をしておるものでございます。しかし、この数のつき添い婦を全然なくしてしまうということに関しまして、やはり数の問題で非常に疑問の点が出てくると思うのでございまして、この数はわれわれも、できれば国立病院の定員の数にしていただく、それまでいかなくても、少くとも重症患者と外科の手術病棟、この二つの部分の看護婦あるいはつき添い婦というものの数は相当考慮していただきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  32. 中村三之丞

    中村委員長 和田ハル君。
  33. 和田ハル

    ○和田参考人 私、こういうところに参りまして発言するのは、初めてなものですから、よく皆さんにおわかりになるように説明できるかどうかわかりませんけれども、うちの浩風園について、ちょっとお話したいと思います。  今浩風園では、患者さんが全部で四百人おります。それに対して、看護婦さんが五十二名なんです。そのうち婦長室に二名、手術室に四名、外来に三名になっております。それにつき添い婦の方が、手術病棟や一般病棟を合せて平均二十五名くらいおりまして、雑仕婦の人が六人おります。それで、つき添い婦の約半数以上は、派出婦会から来ているのであります。今、私がおりますニホ病棟患者さんが七十名おります。看護婦さんが六名、雑仕婦が二名、つき添い婦が二人なんです。それで今のところやっているのですが、仕事がすごく大へんなんです。  それから手術病棟のことですけれども患者さんが一週に平均十例くらいの手術があるのであります。それで看護婦さんの仕事というものは、結局注射をしたり先生の治療介助というようなことだと思うのです。あとのいろいろな、ずっとつき添って検脈をしたり、麻酔がさめるまでの間酸素吸入をかけたり、患者がのどがかわいたと口を動かして訴えられたとき、うがいさせてあげたり、しめしてあげたりする仕事は、全部私たちがやっているのであります。それで職員の方のお話なんですけれども、とてもつき添いなしでは手術はできないのではないかというような話をしております。  それから、私たちの小さい仕事の内容なんですけれども患者さんは、麻酔がさめて、たんが出たいと思っても、からだ全体がしびれて、からだが動かないというわけです。そういう場合に、自分がそばにあるちり紙一つとり得ない、たんを吐くこともできなければ、また尿意を催しても、それを自分でとってすることもできないわけなんです。そういう場合につき添い婦がそばにいて一々そういう身のまわりのお世話をしているわけなんですけれども、それが術後十日ぐらいは、ほとんど身動き一つできないというような患者さんなんです。ふとん一つ持ち上げられない、からだが寝っきりなものですから、手を動かそうと思っても動かない。そういう場合に、つき添いがいなければどうなるだろうかということを、患者さんの方では言っております。看護婦さんは、食事を運んできてくれますけれども、それを食べることは自分ではできないわけなんです。それに早く体力を回復させるためには、いろいろな食餌が必要だと思うのですけれども、それを冷たいままでは、とても食べきれないというような話をしているのであります。  それから、患者さんが術後において、ずっとからだがしびれて、どうにも自分の感覚がないから、少しマッサージをしてくれないかというようなときに、全部そういう仕事はつき添いの方でやっているのです。そういうときにはほんとうに一人でなくて、うちの人でもそばにいていただいて、自分がその間にちょっと食事したり、びろうなお話ですけれども、御不浄に立ったりすることができるわけです。それに私たちとしても、今こういうつき添い制度が廃止になりますことは、生活の問題なんです。それは理想論から申しますと、皆さんがおっしゃる通り、大へんけっこうなことだと思うのですけれども、生活の問題ということを考えると、賛成できないと思います。大ていの人が、扶養家族を三人から四人くらい持っておりまして、男の方が一家の柱となって生活と戦っていらっしゃるのと同じじゃないかと思うのです。そういう場合に、職を奪われるということは重大なことだと思うのです。自分だけのことじゃなく、家族がこの先どうなっていくかと思うと、実際夜も寝られないようなことがあるのです。  私、こういうところに来て話すのが初めてなものですから、こまかいことでいろいろと申し上げたいこともありますけれどもこの辺で……。
  34. 中村三之丞

    中村委員長 次に、堀江参考人
  35. 堀江ハル

    ○堀江参考人 私はつき添いを廃止して常勤労務者にかえるということは、現在の定員法の中での病院療養所の状態、それからつき添い婦の生活権の問題から、現状ではこれを廃止することはやめていただきたいという意見を持っております。たとえば三十年度に国立療養所百八十三カ所で、入院患者が六万五千五百床、これに対して看護婦さんが一万五百三十名で、この看護力だけでは足りなくて、つき添いさんが四千二百名いると言われておりますが、これは現在減っているということを委員会でよく聞くのでございます。この減っていると申しますのは、生活保護法や健康保険法の看護給付が制限されますために、家族の人がつき添い人として病院に行っております。それから看護給付が制限されますために生活保護法、健康保険法のつき添いさんが減って、自費で看護料を出す患者さんが多くなっているので、減っているという数字が出るのだと考えられるのでございます。  それで、このつき添い制度を廃止して八時間制の公務員の制度に切りかえるのでございましたら、現在のつき添い婦は拘束十六時間から二十四時間の労働をしているような状態でありまして、常時監視を要する生死に近い重篤の患者さんを看護するような場合には、二日か三日眠ったか眠らないかわからないような状態でございます。また外科手術の直後なんかは、ほんとうにひざががくがくして歩けないような状態になるほど、働き続けているのでございます。その時間からいきますと、八時間制に切りかえるのでございましたら、四千二百人の倍の看護婦または雑仕婦の定員をふやしていただきませんと、現在の看護力を保っていくことはできません。それでないと、病院内の看護力が非常に低下します。さっき砂原先生が、化学療法が非常に発達したために、無理な手術をしなければならないと思うということを言われたのですけれども、その看護をする看護婦さんが、ほんとうに患者さんのための看護に手が回るだけいらっしゃらないわけです。そういうような状態で、ほんとうのそばについていてやる看護は、つき添い婦の制度によってなされているといわなければならないと思います。  それから、たとえば埼玉療養所の実態調査を申し上げますと、昭和三十年四月二十四日の患者数が八百三十七名で、看護婦さんが百十二名、補助婦二十三名、そのうち入院患者看護に直接当っております人が百十一名、一日平均六十三名の看護婦さんが勤務しておるという状態です。正午から午後の八時まで勤務しておる看護婦さんが十二名、夜勤が十二名、合計八十七名が勤務しておるという状態です、そのほかの看護婦さんは、日曜、祭日、代休、病気、休暇に当てられておる状態でございます。それで勤務者は、昼の間の一番多いときで十三ベットに一人ぐらいの看護力というところです。一病棟で申しますと、七十名に五名というような状態の数字が出ております。看護婦さんの仕事も非常に多種多様でありまして、それだけの看護婦では足りませんので、つき添いが五十三名おりまして、五十九名の患者さんを看護しておるような状態です。埼玉の従業員組合の調査では、廃止するのであったら、今おります百十二名の看護婦さんプラス百三十三名を増加してくれないと、今の看護力を続けていくことはできないということがいわれております。  それから私たちは、つき添い婦の場合に、三百人ばかりの実態調査を今年の一月にしてみましたところが、七〇%が未亡人であったのです。そうしてその人たちは、平均三人強の扶養家族をかかえているわけです。それで廃止になりましたら、扶養家族をかかえて行先きのない人、家のない人が半分いるのです。つき添いさんたちは、この問題が始まりましてからは、仕事をしているときには不安を忘れておりますけれども、ちょっと仕事を離れたときには、ぼんやり考え込んでおるというような、非常にみじめな状態で今働き続けているわけです。  それから、つき添いさんの数の減っておるということは、生活保護法または健康保険から看護給付が制限されますために、どんどん狭められてきておる。その中には、つき添い婦のないような療養所まで今できておる。それは決していいことではなくて、患者さんの犠牲とつき添い婦の必要度ということから、つき添い婦がいなくても済むような療養所病院ができておるというふうにいわなければならないと思うのです。  それから、東京都立の病院完全看護でやってのけておるというふうにいわれておりますけれども、行ってみますと、派出婦会から出るつき添いさんが大ぜいおられるわけです。そうして都などから調査か監査かに見えるときは、つき添いさんたちはどこか別なところに行って、また帰ってくるという状態なんです。  それから病院の給食のことを、さっき参考人の先生方から出されましたけれども、ほんとうに胸に病巣をかかえた患者さんたちに、病院から出された給食をそのまま食べなさいといっても、無理なんです。食べられない患者なら、それでいいじゃないかというような考え方も出るかもしれませんけれども、ほんとうに熱があったり、成形や肺切除などしたあとは、一口でも何か飲んでいただきませんと、衰弱が非常に激しい。そこについて常時見ておりまして、もう人ごとでないほど、ついておる人たちは、何か一口でも口に合ったものを食べていただきたいという気持になるわけです。それで、今国立病院の九十何円かの給食では、骨を何本も取ったような患者さんが食べられるようなものは出ないわけです。そういうような状態で、どうしても今の国立病院の給食と看護内容では、つき添い婦が必要であるというふうに考えられますので、六万何千人の患者さん、それから国立療養所の従業員の方たちも、私たちつき添い婦も、今いるつき添い婦の倍の数を看護婦の定員と雑仕婦の定員で下さるのだったら、これはできるだろう、しかし、二カ月二カ月で身分を切りかえられるような不安定なものだったら、とても困るという意見が強いのでございます。  それで、こういう状態の中では、つき添い制度は廃止されることは、これは私たちは生活権の問題でありますし、病人をなおすのでなくて、病人の回復をおくらせ、ほんとうに助かる人でも、安静のときに安静にすることができないような不安な状態で、死ぬようなことがあるということを考えなければならない。そういったような状態の中では、今の定員法が、もっともっと看護婦の数をふやせるような定員法になるまでは、このつき添い廃止をやめていただきたい。それから身分の不安定な常勤労務者なんていう制度考えないでいただきたい。人をふやすのでしたら、二千二百七十名は看護婦の定員と雑仕婦の定員でふやしていただきたい、そう考えているわけです。  生活権を守ることと、病院看護を今より悪くしないために、つき添い制度はなくさないでいただきたいということを、参考人として強くお願いするわけでございます。
  36. 中村三之丞

    中村委員長 以上で参考人方々陳述は終りました。  次に、参考人に対する質疑通告がありますので、順次これを許可いたします。  なお御了解を得ておきますが、質問通告者は七人ございます。どうぞそのおつもりで御質問を願います。吉川兼光君。
  37. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それでは、まず加藤参考人にちょっとお伺いしておきたいと思いますが、先刻あなたのお話を伺っておりますと、完全看護制度には賛成である、しかしながら事務関係等からいろいろ困難なことがあると仰せられたように思います。これはあるいは私のきき違いかもしれませんがその事務関係等とおっしゃいますのが、私には意味がわかりかねますが、どういうことでございましょうか。
  38. 加藤清一

    加藤参考人 私の申しましたのは、完全看護は、病院における看護状況その他の点からいって、非常に好ましいことだと言ったほかに、事務関係で因ることになるというのではございませんで、私ども今日までつき添い婦に対するいろいろな給与の支払いなどをやっておりますと、事務関係の煩雑さが、完全看護になりますと避けられるということと、いま一つは、不正請求等の余地がなくなるといったようなことから申しましても、病院における完全看護制度はよろしい、こういう意味で申し上げたのでございます。
  39. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それからあなたは、都立の病院はすでに完全看護を行なっておるというふうに言われたのですが、実は私どももかねてから都立の病院にもつき添い婦がいるということを聞いておったのでございますが、はしなくもただいま参考人の堀江さんから、それを立証するような、すなわち、あなたが先刻ここでお述べになりましたことを反駁されるような御発言があったのであります。これに対するあなたの御意見を伺いたいと思います。
  40. 加藤清一

    加藤参考人 私の承知いたしておりますところでは、先ほど申しました通り、都立の病院完全看護をいたしておりまして、つき添い婦の採用はいたしておりません。あるいは、たくさんの病院のことでございますから、何と申しますか、いわゆるやみで来ておるのがあるかもわかりません。そのあたりはよく承知しておりませんが、私の承知しておるのは、今申し上げたようなことであります。
  41. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 ではその辺でよろしいでしょう。  次に、砂原さんにお伺いしたいと思いますが、先刻のあなたのお話を伺っておりますと、その中に、病院患者用に出した食事をつき添い婦が食べて、患者には別なものを食わせておるというようなことが、あなたの病院にもるとは言わなかったようですが、地にそのような例があると、よその例まで引いての御説明でございましたが、そのことはどうなんですか。その意味は、今、堀江さんでしたか、和田さんでしたか、その問題に触れておりましたように、病院でお作りになってお出しになる食事を、患者が自発的におとりにならない場合に、やむを得ずそれにかわる食事を、つき添いさんのところで用意をされて出し、その上でせっかく病院から出た食事をむだにするのは惜しいことだというので、やむを得ずそれを引き受けるという意味なのか、あるいは別な意味があるのか、それをお伺いしたいと思います。
  42. 砂原茂一

    ○砂原参考人 それは一々の場合について、私、どちらでありますか、ここで言い切れるものでもないのですけれども、それは先ほど堀江さんのおっしゃったような意味のもあるかもしれませんし、またそういうような形でやられていたものが、ある程度習い性となっておるという場合もあるかと思うのであります。ただ、私の申し上げたのは、食費も足りない、しかし、その中で従業員も努力しておる。やはりせっかく努力したものが、患者さんに上っていただけないということになれば、なかなかその努力のしがいもないというので、ますますお座なりになるということもあると私は思いますので、そういう意味で食費の値上げができなければ、この問題は根本的に解決できることではないというふうに私思いますけれども、やはりできるだけ療養所の方で栄養や何か考えてやったものを努めてあがる、そうしてやむを得ないところだけ補食するというような程度になるのが、建前じゃないか。できるなるば、療養所の者だけで、これは嗜好の問題もありますが、ある程度あまり片寄った偏食の方には、努めて食べるという努力もしていただかなければならぬということもありますから、そういうことも含めて、問題ではあるということを申し上げたのであります。
  43. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 私はその問題はここでそう深くお伺いするつもりはないのでありますが、ただ、つき添い婦の問題をテーマにしております今日の委員会で、そういう御発言がありますと、何だか別な意味が隠されておるような誤解を世間に招くおそれがあるかと案じられますので、ことさら質問の最初に取り上げてお伺いしたわけであります。  それから、今度の予算に盛られております、すなわち本日の主題でありまする現在のつき添い婦を廃止いたしまして、二千二百七十名の雑仕婦制度にこれを移行させようとする厚生省の今回の新施策についてでありますが、あなた御自身も、そういう重大な移行をするには、今回の場合、すなわち現状では、はなはだ不安を伴うものがあるのであって、もっと安全性をこれに付加される必要があるのではないか、こういうふうにおっしゃったと思いますが、私は、それは大事な病人をお預かりになっておりますあなたの御立場といたしましては、まことにごもっともな御心配だと思います。ところで、これは昨年でありましたか、やはりこのような雑仕婦に切りかえるという問題が起りました際、全国の療養所の医務課長クラスといったところが結束して、省内の動きとして河か反対運動をやったため、厚生省が一応思いとどまったというような事実があったやに私どもも聞き及んでおります。これはあなたに聞くことじゃないかもしれませんが、あなた御自身のお立場からも、そういう反対の御意見をしばしば厚生当局に向ってお述べになったように、先刻のあなたのお話の中にもあったようですが、それをこの際確かめておきたいと思いますので、お述べになったような事実がおありになるのかどうか……。
  44. 砂原茂一

    ○砂原参考人 たびたびお話をしてございます。その内容のようなことを少し申し上げてようございますか。
  45. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 どうぞ。
  46. 砂原茂一

    ○砂原参考人 先ほどちょっと申し落したような感じもいたしますので、補う意味で申し上げたいと思います。  確かに、つき添い問題については、私たちも手を焼くといいますか、困っておりますので、これは何とか打開しなければならぬということを考えていたわけでありますが、こういうふうになってきて、ことにつき添いの数が相当ふえてきたということは、先ほど申し上げたように、いろいろ理由があるのですが、もとは、療養所に入ります初めに二人づき、三人づきということができたわけです。一人の患者さんだけでなくて、比較的軽い方にもつけることができたわけです。私は、このことは、結核というような病気の場合は、当然それでいいと思うのです。たとえば、御存じかと思いますが、結核患者を一度、二度、三度というふうに分けます。そうすると三度の方にやっていいことと四度の方にやっていいこととがございます。そうすると、普通の日常生活のうちから、御自分でできる人との差ができるわけでありますから、それを補っていかなければならないわけですが、非常に重い方になると、何から何までやってあげなければならぬということで、一人づきということになります。それぞれ段階があることだと思っております。そういうふうにして二人づき、三人づきということをとることが認められていまして、そのときはそんなにふえていなかった。私どもでも七十人ぐらいであったと思います。ところが、社会局が、だんだんふえるのはだらしなくつけるのだとお考えになったのだと思いますが、病院の基準を設けられまして、一人づきでなければならぬということになつたわけでございます。そういたしますと、どういう方にも一人づきでなければいかぬということになりますから、必然的にふえていくということもあるわけであります。従って私どもなどは、むしろつき添い問題を暫定的に解決していきますためには、今まで通り必要なものには一人づき、そうでないものは二人づき、三人づきというふうにして、患者別の組み合せをやれば、お金を減らすだけの目的ではないと思いますけれども、一応減ることになると思います。確かに各療養所を見ましても、同じような条件のところで、多過ぎるというところもありますし、そうでないところもありますので、それは設備の状況などにもよるのでありますけれども、たとえばこの療養所は百十人もついている、同じようなところで百人ぐらいでやれる、それなら九十人か百人でやれ。その場合に、療養所でやりよいようにやれということになれば、減ってくると思います。私はそういうふうにして暫定的にやっていけば、大体どのくらいが必要だということが無理なく出てくると思ったものですから、最初そういう趣旨のことをたびたび申し上げたわけでございます。まあ非常にけっこうなことだと思いますけれども、理想的なところへ飛んでいかれたものですから、何か現実がびっこを引いてあとからついていくような感じがいたします。
  47. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 そうしますと、この問題について、厚生省のやり方に対する砂原さんの御印象は、厚生省は、あなた方のような実際現場においてこういう問題に直接にタッチしておる人々の御意見を尊重せず、つまり無視して、いわゆる机上論というか、現実に合わないことを強行しているものだというふうにお感じになっていられるのでしょうか、その辺のところを一つ……。
  48. 砂原茂一

    ○砂原参考人 たびたび申し上げましたように、つき添いを廃止していただくことは、こちらからも私積極的に申し上げたはずですが、先ほどの暫定的なことなども申し上げて、二千二百七十人という形になりそうになりましたときに、たびたびそれでは不安であるということを申し上げたのです。ただこの場合に、先ほどもちょっと申し上げたのですが、私たちが考えますと、これじゃどうも不安であるし、少きに過ぎるというふうに申し上げたのですけれども厚生省の方では、公立病院などの例をお引きになって、できるだろうというふうにお考えになる。それを最後に争っていって解決するためには、それではその二千二百七十人という数を、一ぺん個々の療養所まで下りてきて、それをどういうふうに組み立てて盛り上げていったらこうだというふうな説明をいただければ、その個々の段階において最初の数の取り方なんかについて申し上げられるわけですが、やはり予算をとるというようなときには、なかなかそういうこまかいところまで実際いかなくて、あとでつくものかどうかわかりませんが、なかなかそこの説明をしていただけるということもないものですから、実際これでできるとおっしゃれば、やってみるより仕方がないというような気持の所長も多いわけでございます。ただその場合に、暫定的にといいますか、幾つかの療養所なんかでやってみました場合に、どうしてもできなければ、今もって一月から三月まではつき添いをつけられるようになっているという話ですが、そういうようなものが延長されたり何かするというようなことで、何とかなるのじゃないか。実際ある程度現在全然つき添いのないところもあるわけでございますから、全体の数に当ってということは、なかなかむずかしいのでございますが、個々の療養所の数を引きくるめました場合には、なかなか十分にはいかない。先ほど申しましたように、二千二百七十人を、十分な傾斜をつけてできるかどうかということを厚生省が出して下さらなければ、最後のところは何とも言えない。しかし、現場的直感というものでは、ほとんどの療養所長は不安を持っているということをたびたび申し上げたわけであります。
  49. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 これはまことに率直なお尋ねになりますが、これはあなたに向って伺う範囲を集約する意味から多岐にわたることは避けますが、厚生省ではこの二千二百七十名の少数の雑仕婦の運用論のごときものをこの委員会において試みておられて、たとえば重病患者を一カ所に集める案などを申し述べているのでありますが、それは全くの厚生省の机上プランであるか、それとも実際においてあなた方現場の意見を聞いたり、または他の方法等による実情調査されたところのちゃんとしたデータの上に立ったところの案なのか、この際確かめたいと思いますが、これについて、何か御存じでしたら、ここで御発言をわずらわしたいのが一つ、それから、何ですか、先刻のあなたのお話によると、あなたの主宰する東京療養所のような代表的なところに伺ってすら、まだ厚生省の方からは、今度の二千二百七十名の雑仕婦制度が実施された場合、およそ何人ぐらいの割当があるというような、大体の見込みのようなものさえも何らの御内示がないわけでありますか。
  50. 砂原茂一

    ○砂原参考人 それはございませんと申し上げるほかないのであります。それから整備の点につきましても、整備が取れているというお話でございますけれども、私たち個々の療養所を伺ってみますと、ずいぶんこういうことをしてくれなければ困る、できないというお話があるのです。それはずいぶんたくさんの量になるものですから、なかなか整備費の範囲ではむずかしいのではないか。だから整備がちゃんとできましてからというお話だと、私たちもなるほどとうなずける点があるわけでございますが……。
  51. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 大体わかりました。そうしますと、砂原さんのお話では、今の厚生省の案では、現場で患者を預かる側は全然責任は持てない、こういうふうなお気持であるとわれわれが了解しても差しつかえないですか。
  52. 砂原茂一

    ○砂原参考人 むしろこのままでありますと、これは私のと言うより、私たちのと言った方がいいかもしれませんが、やはり患者の選択なんかいたしまして、あまり重い者を入れないとか、手術の数を減らすとか——入っておられる方について八分目ということはできませんから、そういうことにならざるを得ないのではないかということを危惧するわけでございます。
  53. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それでは、これからの分は、一つ岡田さんにお尋ねしたいと思います。先刻の岡田さんのお話を伺っておりますと、あなたの病院のつき添い婦の就労状況とでも申しますか、それが外科関係が三分の二、内科及びカリエスなどの関係が三分の一とおっしゃったようですが、それは患者の数を平均して按分的な割合でございましょうか。患者とは、もちろん手術を受ける患者のことであります。
  54. 岡田藤助

    ○岡田参考人 手術患者は八月とか、三月の末から四月にかけてとか、そういったときには非常に数が減って参ります。これは平均した数でございます。内科の重症患者と申しますのは——私のところでは、重症病棟という病棟がありまして、重症患者の数は、そのベッドによって制限されておりますので、それ以上は入らない、こういうわけで、重症病棟も大体満員でございますし、ほかも全部満員でございます。
  55. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 岡田さんはただいままでの砂原さんの御発言をずっとお聞きいただいたと思いますが、砂原さんが言われましたことは、大体あなたも現場の療養所の責任のある方として御同感でしょうか。それとも、どこか相違するところがあるのでしょうか。相違するところがあればお聞かせ願いたいのですが……。
  56. 岡田藤助

    ○岡田参考人 私どもは先ほど申し上げました通り、大体国立病院並みの定員——その中につき添い婦を含めてけっこうでございますが、その定員が確保され、設備もやや十分になるというところが目標でありまして、そうなれば相当いいだろう、しかしそれから隔たっている場合には、やはり隔たっているだけ十分なことはできないだろうと考えております。
  57. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それではもう少し具体的にお伺いいたしますが、ただいま砂原さんが最後におっしゃいましたように——それはお言葉の通りではないかもしれませんけれども、私の受け取りましたところでは、もし、今回の厚生省の案をそのままに、つき添い婦の廃止を行うような事態に立ち至って、療養所実情に合わない場合には、重症患者の入院を断わったり、手術の数を減らしたり、いわば医療の低下を余儀なくするような仕儀になるかもしれない、現場の責任者としてこういうふうに考えておるとお答えになったように私は取りましたが、この点に対するあなたの御意見は、砂原さんと御同様なのかそれとも違うお考えなのか、それを承わりたいと思います。
  58. 岡田藤助

    ○岡田参考人 私が関東信越出張所長から伺いました話では、三十年度に関する限りは二千二百七十人のつき添い婦であるのだが、もし、それが不足する場合において医療の低下をするということは、とうていわれわれとして忍びがたいところであるし、また社会保険並びに生活保護法のつき添いの費用は取ってあるから、必要なものはそれから取ってもよろしいというようなお話を承わっておるのでございます。従って、つき添い婦を全然なくしてしまって運営するならば、現状では医療の低下はある程度避けられないと思いますが、当分の間そういう費用を使ってもいい、そういう予算もあるということを承わっておりますので、それならば十分やっていけるだろう、こういうふうに現在考えておるのでございます。
  59. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 ただいまの御発言は非常に重大と思います、実は厚生大臣を初め厚生当局は、そのようなことをこの委員会で申していません。すなわち他の委員のこの種の質問に対しては、そういう費用はないというふうに答えておったように私は記憶しております。これは私の記憶違いかもしれませんが、そこであなたにそのことをお話になりました方の職名とできれば御氏名をもう一度はっきりとおっしゃっていただけませんか。
  60. 岡田藤助

    ○岡田参考人 厚生省医務局関東信越出張所長千種峯蔵先生であります。
  61. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 そうしますと、そのような責任のある方の御発言でございますから、それをあなたが御信用されておりますことは、御無理もないことだと思うのですが、今も申しましたように、この委員会においての今までのこの問題に対する論議の経過には、そのことが全然現われておらないのです。しかも、むしろ否定的な言辞が厚生省当局によって述べられているわけであります。しかしこのことはこれ以上あなたにお伺いしてもしようがないのでありますからやめましょう。  そこで、これは決して仮定ではありませんが、かりにあなたのお考えの中に仮定としてお受け取りいただいてもけっこうですが、二千二百七十名の雑仕婦に切りかえて、つき添い婦を廃止しようという厚生省のこの案がそのまま行われた場合には、医療の低下もまたやむを得ないというような問題に、あなたのお立場としてぶつかるのではないかと思いますが、あなたのお考えをあらためて伺いたいと思います。
  62. 岡田藤助

    ○岡田参考人 おっしゃる通りの前提条件では、医療の低下が起りはしないかと存じます。
  63. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 本日は他にも質問者が多いようでありますから、私は端折って参りますが、実は私も若いときに、その方の病気で半年ほど入院をいたしておったのであります。また私の子供にも今もそういう病気に冒されている者がいるのでありますが、私の経験を通しても考えられまるすのは、患者の精神的方面の病気に及ぼす影響は相当大きいと思うのであります。今もし厚生省が強行しようとしておりまするところのつき添い婦を廃止して、それを雑仕婦制度に切りかえられました場合におきましては、いわゆる八時間労働ということになるのでありますが、これについては、重症患者によっては三交代というようなことを行い得るのかもしれませんが、しかし雑仕婦の絶対の数が少いのに、そううまくはいかないと思うのであります。ただいまのつき添い婦は二十四時間拘束で、実働時間は十六時間から二十時間と言っていますが、患者の立場からすれば、とにかくつき添い婦がそこにいなくても、自分にはつき添い婦がついているんだというような安心感と、それとは反対の状況からくるところの不安というものとでは、患者の精神的な方面に及ぼす影響はきわめて大きいのではないかと思うのであります。そういう点につきまして一々の具体的な事実が違うのでありますから、お答えはむずかしいかもしれませんが、一般論として患者に及ぼしまする影響は、専門のお立場から考えられてどんなものでしょうか、これは一つしろうとにもわかりやすいように、お教えいただきたいと思います。
  64. 岡田藤助

    ○岡田参考人 患者に及ぼします精神的な影響と申しますことは、これはやはり非常に重大な問題だと私は考えます。単に肉体的の安静をいたしておりましても、やはり心配ごとがありますと、病状はよくなりませんし、また悪化する場合が、しばしばあるのでございまして、私どもは、そういう点で、今度のつき添いの問題も、実は先ほど申し上げました通り、とにかく二千二百七十で不足する場合には、絶対に心配をかけないということを申しておるのでございまして、精神的な問題は、重ねて申し上げますが、肉体的な安静あるいはそれ以上に重要であると思います。
  65. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 そこで、本日もここにつき添い婦の現在数の調査のような書類を厚生省から配付を受けておるわけでございますが、これによりますと、最近にはだいぶつき添い婦が減ったようになっておるのです。これに対しては、先刻参考人のどなたからか、最近生活保護関係であるとか、あるいは健保関係であるとか、そういうような方面の医療券の給付がわざと押えられている、こういうような関係から、家族つき添い婦がふえて、いわゆるつき添い婦の数が減っておるのだという御発言がありましたが、現場においてつき添い婦のお仕事等をごらんになっておられる岡田さんのお立場として、こういうような話に対して、どういう御認識をされておられるか伺いたいのです。
  66. 岡田藤助

    ○岡田参考人 生保及び健康保険の患者のつき添い人、それからそのつき添い人の中で、家族のつき添い、それから専門のつき添いと分けてみますと、私ども療養所におきましては、家族のつき添い人は、多くは重症患者につき添っておるようでございます。それから外科の手術をしましたあとにも、家族のつき添い人もございますが、大体家族のつき添い人がふえたとも減ったとも申し上げられないのでございます。大体この四月からは、同じくらいの程度でございます。たとえば、今年の五月一日でございますと、家族のつき添い人が八名、それから専門のつき添い人が十八名、五月二十五日現在でございますと、家族つき添いが七名、専門のつき添い人が二十一名、こういう数でございまして、家族のつき添いはふえた減ったと申しましても、一、二名の程度でございます。これは以前からも大体この程度でございました。私ども療養所で、一番つき添い人が多かったのが四十名でございます。これは手術の件数が重なって多くなりますと、数はふえますが、手術をやめますと減ってくるのでございます。
  67. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 では、もう一つお伺いしたいのですが、それはもしこのつき添い婦の廃止、要するに切りかえが行われるような場合に、現在のつき添い婦の中からいわゆる雑仕婦の方に所属がえといいますか、新たに採用するというような考え方が厚生省にあるかのようですが、それももちろんわずかな数でありますので、残ったつき添婦には仕事のあっせんをするとか、そのためにすでに労働省との間に打ち合せているとか、いろいろのうまい話があるようでありますが、現場においてごらんになりました場合に、たとえばあなたのところで従来お使いになっておられるつき添い婦の中で、雑仕婦に採用可能といいますか、切りかえ可能というような人は何割ぐらいおありかということをお聞かせ願いたいのが一つ、それから切りかえできないような人々に対して、あなた方療養所の当局者として、仕事を見つけてやるような余地が果してあるのかどうか。その余地がもしあるとすれば、大体そのパーセンテージはどのくらいになるのか。御迷惑な質問かもしれませんが、どうかおわかりのところを……。
  68. 岡田藤助

    ○岡田参考人 私ども療養所におりますつき添い人を、大ざっぱに分けますと二種類になるのでございまして、一つは、大体女の患者さんで、回復しましてどこにも行くところがないという方が、まあいわば療養所に無断で住みついて、あるいは居住をしていながらつき添いをやっておる、こういう方が現在八名おります。そのうちの二名は、実はあまり使えないのです。それで、だれでも頼み手がないというのが二名おります。この二名もときどきはつき添いをやっているようでございます。二名のうち、一名はときどきつき添いをやっている。これは相当老人の方でございます。もう一人は、少し頭がどうかしているのでありまして、これは患者さんの洗たくなどを少しやって、ようやく生活をしているという程度の者であります。この少し能力が欠けていると思われる人は、ちょっとわれわれのところで使えないのでございますが、そのほかは何とかなる。それから、ほかにありますつき添い人は、これは千葉市の派出看護婦会から来ている人でございまして、希望によりましては全部採用してもよろしいかと思います。
  69. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それでは、あとのお二人の参考人に少しずつお聞きします。  和田さんにちょっとお伺いしますが、先刻あなたのお話の中にありました、職員の方でも、つき添いを廃止したのでは手術はできないと言われたとは、医師でしょうか。
  70. 和田ハル

    ○和田参考人 できないじゃないかということです。
  71. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 できないじゃないかと言われたのでけっこうですが、その方の所属は。
  72. 和田ハル

    ○和田参考人 看護婦さんなんです。
  73. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 看護婦さんですか、わかりました。  それからもう一つお伺いいたしますが、看護婦手術の際には、注射をしたり、何か書いたりして、あとのことは何でございますか。酸素吸入であるとか、口のかわいたところをぬらしてやることとか、そういうことは全部あなた方つき添い婦のお仕事とおっしゃいましたが、つき添い婦のお仕事をもう少し詳しくお述べ下さいませんか。
  74. 和田ハル

    ○和田参考人 手術をして、患者さんが病室に帰ってきますね、そうした場合、酸素吸入はずっとかけっぱなしなんです。ですから、そういう場合、そばについていないと、マスクがはずれたり、カテーテルがわきに除かれたり、また無意識に患者さんが手を動かした場合に、それがはずれたりなんかするから、そうしたときに、ついていて、それを見てあげなくちゃいけないのです。それから、せきをするとか、たんを吐く場合でも、自分で紙をとれないというようなことがあるのです。それから熱が出たら、やはり氷まくらをしたり、あまり熱が高ければ、上にも下にも氷嚢をしてやらなければならない。成形の場合なんか、悪寒がしたりする場合がある。そういう場合には、湯タンポを入れたりします。それから麻酔がさめるまでの間は、いつ脈が切れるかわからないのです。そういう場合には、ずっと脈をとっておらなければならぬ。看護婦さんは、治療が済むとすぐ帰ってしまうのです。ですから、片時も目が離せないのです。
  75. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それからあなたのお勤めは横浜の浩風園でございましたね。
  76. 和田ハル

    ○和田参考人 そうでございます。
  77. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 これは立ち入った質問で恐縮ですが、あなたのところのつき添い婦さんの生活状況と申しますか、何人おられて、その中でどういう境遇の方が何人といったようなことを、お差しつかえない範囲でもっとお伺いしたいと思います。
  78. 和田ハル

    ○和田参考人 一々は人の生活には立ち入ってよくわからないのですけれど、大体は、主人が病気でほかの病院へ入院しているとか、子供さんが小さいのに実家へ預けて仕送りをしておるとか、そういうような程度で、詳しいことは私たち仲間でもよく話し合っていないわけです。
  79. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それじゃ堀江さんにお伺いいたしたいのでありますが、現在のつき添い婦の勤務状況と申しますか、お仕事の状況ですね、先刻あなたは、二十四時間拘束で、十六時間ないし二十時間勤務というふうに御発言のようでございましたね。ところが、たしか広島県の療養所の医員であったかと思いますが、ちょっと今その名前ははっきり記憶しておりませんが、その人が、これは厚生省の照会に答えたのではないかと思いますけれども、現在のつき添い婦の療養所における勤務時間の平均は八時間とたしか三十六分というような数字を出していたと思いますが、このような数字は、果して根拠のあるものかどうか、そして普遍的な妥当性を持つものかどうかということを、あなたの体験を通じてお伺いしたいのであります。
  80. 堀江ハル

    ○堀江参考人 この広島療養所の八時間三十六分という資料を、厚生省の実本管理課長が持っていらしったから、私は見せて下さいとお願いしたのですけれども、見せていただけなかったわけなんです。それで、どうしてもつき添いの実働が八時間三十六分ということは、今厚生省が出されております常時監視を要して適切に処置をするというような重態な患者さん、または手術直後の患者さんには、とてもこういう労働時間はあり得ないわけなんです。そこで、全医労とつき添いの組合と患者さんの代表を広島療養所に派遣したわけです。そこでいろいろ職員の方や、またつき添いさんや所長先生にもお聞きしましたところが、ほんとにお便器をかけるにしても、済んだからお便器をとりに行ったり、捨てて来たりする時間を入れてないのです。患者さんにお便器をかけてあげて、排便なさって、それをふいてとるだけの時間、ほんとの仕事をする時間、準備も跡片づけも、そういったものは含まない時間でも、これだけ仕事があるのだということを調査してあげたならば、厚生省もつき添い廃止などということは言わないだろうというので出したところがですよ、たとえばお掃除をするときに、ほうきを取りに行ったり、また水をくんで来たりするような時間が入っていない、ほんとにふくならふくという時間だけしか見ていなかった。そういったものを厚生省が廃止の理由にしたのだったら、ほんとに心外だ、厚生省はあまりひどいじゃないかという報告を持って帰っているような状態なんでございます。  それから神奈川県の久里浜療養所では、患者さん方は、つき添いを取られたら大へんだ、一体今の看護の内容というのはどういうのだろうということを調査したわけなんです。そうしましたら、看護婦さんのほんとうの基本的な仕事の量というのは、数字で表わしたところが三八〇という数字が出ておるわけなんです。それから看護婦さんが実際にしている仕事が四一〇と出ているわけです。厚生省がつき添いを廃止しましたときに、これだけの仕事をやればいいんだということを出しているのは、久里浜の患者さんたちが調査しましたのは大体四八〇と出ているわけなんです。実際、今看護婦さん、雑仕婦、つき添い婦でしている仕事が七六六・六五という数字が出ておりますので、これでは、もうとても二千二百七十名の八時間制の雑仕婦といいますか、常勤労務者をもらっても、とてもやっていけない。それからこの二千二百七十名の中で、ほんとうに看護力に使う人ばかりではない、半分が雑仕婦の方に使うのだというようなことも聞いておりますので、ほんとうにこれでは大へんな看護力の低下ではないか、そう考えておるわけなんです。  それから八時間三十六分と申しますのは、つき添いさんが、患者さんが重篤で目を落すというようなときに、いつ脈が切れるか、またいつ呼吸がとまるかわからない、またたんが出るというようなとき、目を離せないで、そばに添い寝をいたしまして、ほんとうにおちおち眠ったか眠らないかわからない日が幾日か続くわけです。そういうときに、適当に起きてたんを取ってあげたり、また脈を見てあげるとか、冷汗をふいてあげるとか、そういう容態が悪いときや、また苦痛が多いときに、夜起きて看護婦さんのところに知らせに行くという時間も、この八時間三十六分の時間内には入っていないようなわけでございます。
  81. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 実はまだ聞きたいことがたくさんありますが、ほかの委員もたくさんお尋ねのようでありますから、この辺で私は打ち切りますが、先刻堀江さんのお話の中にありました。全国の療養所患者の数とか、入院患者の数とか、いろいろな数字をあげていましたようですが、あの数字の出所と、もう一つ、埼玉県のお話をなさいましたね、あの埼玉県の療養所のお話しになりました数字、これはどこの調査の数字なのか、二つとも同じところから出たのか、別なのか、それだけをお伺いしておいて、私の質問を打ち切りたいと思います。  どうも長々と皆さん御苦労さまでした。
  82. 堀江ハル

    ○堀江参考人 埼玉療養所のは、全医労の埼玉支部から提供されました資料でございます。  それからさっき国立療養所の定員のことについてお知らせいたしましたのは、全国医療労働組合に、厚生省が三十年度に出したという定員の表といって見せられたのを申し上げたわけでございます。
  83. 中村三之丞

    中村委員長 岡本隆一君。
  84. 岡本隆一

    ○岡本委員 まず砂原さんにお伺いいたしたい。このつき添い看護婦の問題は、まず第一に、病院の管理のあり方の問題として考える、その次には、患者の立場に立って考える、その次には、つき添い婦の立場に立って考える、こういう三つの立場々々で考え方に開きがある。私は今まで委員会での論議が、多く病院の管理の形、そういう意味から論じられ、さらにまた、つき添い婦の人の失業の問題として考えられてきた傾向が強いと思う。しかし、今吉川さんの質問にもございましたが、患者の精神上に及ぼす影響というものは、非常に重大だと思います。そういう点については、この委員会で論議されている点が割合に少いと思います。私、先日病院へ行って参りまして、いろいろな患者さんにも会ってお話を聞いて参ったのです。患者さんは、みんな非常に不安を持っています。そういうことについて、療養所の管理に当っておられるあなたとして、何かお聞きになっていはしないか。それからまた、こういうふうなことが実施された場合に、十分そういう不安をなくしていくだけの自信がおありかどうかということを、まずお伺いしたいと思います。  その次には、患者が非常に不安に思っているという点において、もし、こういうことが実施されるとするならば、十分かゆいところに手の届く看護というものが行われなければならないと思います。どうにか安静に寝さしておけばいいというふうな気持でなくて、制度が変ったけれども、さすがに厚生省が頭をしぼって考えられただけあって、非常にいい制度だというふうに、病院の居心地が非常によくなったというふうに思えるだけの成果をあげてもらわなければならないと思います。そういうふうな成果をあげるについて、どの程度の人が必要かという問題ですが、先ほどあなたは、あなたの施設として九十人ほどほしいというふうにおっしゃったと思います。私はそれをもう少し具体的に掘り下げて考えてみたいと思いますが、まず第一に、そういうふうに十分な看護をやっていくために——肺切除をやった患者さんは、大体手術直後は、ずっとだれかがつききりでついていなければいかぬと思いますが、そういう期間は一体幾日ほどであるか。それからまた、これは個室に収容しておったのでは、二人の患者を一緒にみとりしていくということはできないと思います。従って、手術後の患者を何名か一緒に総室へ収容しなければならないと思います。しかし、今の日本人の気風から見て、そういう手術後、自分自身が非常に苦しいものだから、いろいろ取り乱すというふうなこともあると思いますが、そういうことを日本人はきらうのです。従って、重ければ重いほど、個室に収容されることを希望する。それを、重ければ重いほどというと、語弊があるかもしれませんけれども手術後の患者さんは、とにかく総室に収容しなければならない、そういう傾向が出てくると思います。これは、やむを得ないと思うのですが、そういう点についてのお尋ねをいたしたいと思います。さらにまた、一人のつき添い婦に二人の患者を見させられるようになるのは、大体幾日日ごろから幾日間ぐらいか。それから、三人の患者を見られるようになるのは、幾日目から幾日間ぐらいか。大体こういうふうにやっていきたいという、あなたの病院としてのお考え一つ承わりたいと思います。
  85. 砂原茂一

    ○砂原参考人 たくさんの御質問なので、落すかもしれませんが、あとでまた……。  最初の、患者の心持、心理という問題、これは、先ほど岡田さんもおっしゃったのですが、非常に重大であります。こういうことを言うと、しかられるかもしれませんが、結核患者というのは、非常に神経症的な、ノイローゼ的な傾向が大きくて、非常に心配するわけですね。普通の健康者であれば心配しないようなことも、心配することがあります。しかしそれは、心配するから悪いといえないので、その心配することをも含めて、結核患者だというべきであろうかとも思います。従って、取扱いの上で十分に注意もし、またこういう何かのもののやりかえというときには、十分納得をさせてやらなければならぬということを考えております。しかし、また一面から申しますと、管理的な立場に立つ話になるわけですけれども日本病院は、日本的な伝統と申しましょうか、あまりに義理人情的、家族的雰囲気を持ち込み過ぎているということも、私、否定はできないと思います。それは、ある程度患者の説得、教育によって組みかえていかなければならない面を持っていると思います。日本の中でも、幾らかの病院はそういうふうになっていると思います。たとえば小さい子供さんを一人離しておくということは、日本人としては非常に忍びないことでございますけれども、たとえば、聖路加なんかではやっておるわけであります。それをそのままそうでなければならないということを申し上げるのではないのでありますけれども考え方によっては、幾らかそれに近づくことは可能だと思います。先ほど手術後の話もございましたけれども、一人づきの期間を比較的短かくしているところ、あるいは完全看護をやっていて、つき添ってはいない、見回りをひんぱんにやるというようなところに入っておる人でも、それで安心している人もあると思います。先に入っておる患者から、これで大丈夫だと言われれば、それで安心するということは確かにあると私は思います。逆に、非常にたくさんのつき添いがついておりまして、いわば至れり尽せりでありますと、そうでなければならぬように思い込むという面も確かにあると私思います。それは何か妥当なところで折り合わなければならない問題であるように思います。  それで、患者さんにこういう切りかえについてのことが伝わりましてから、これは一番最初の御質問だと思うのですが、非常に不安を持っているということは確かでありまして、私のところにも、このくらいの厚さの、私どもの方の患者さんの一人々々が書かれたのが来ております。実際その方々が主観的に非常に心配されているということも、その限りにおいて真実であって、そういうことについて、私たちが扱わなければならないものだということは確かだと思うのです。  それから手術後のつき添いの期間の問題ですが、これは私のところだけでなくて、実はこの近くの二、三の療養所の外科の方に集まっていただいたのですが、これは実はいろいろでございます。たとえば、肺切除のあとでも、二日だけつければいいという人もあるし、五日くらいという人もあるのですが、そういうところの習慣、風習ということもございますけれども、幾らか技術的な問題も入るわけでございます。たとえば肺切除のあと、肺がなくなるわけですから、肋膜の再膨張ということが非常に重要な問題になりますが、それを再膨張させるために持続吸引ということをやっておられるところもあるわけであります。そうしますと、管が詰まると困るから、数日間はついてなければならない、目が離せないということもありますし、そうしなくても再膨張に関係ないということであれば、ついていなくてもいいということになるわけです。そういうことを取りまとめた形で申しますと、大体手術後三日間は一人づきが必要であろう。二日間というところもあるのですが、ならして言いまして三日間、四日間は二人づき、次の週は三人づき、そうして次の週は四人づきというようなことでいいのではないかというような、これもいろいろな条件の違うところを合せたものですから、そういうものとしてお聞き取りを願いたいと思うのですけれども、大体そういうふうな見当じゃないかというふうに、外科を直接扱っております看護婦や何かが言っております。
  86. 岡本隆一

    ○岡本委員 それから、手術患者以外に、内科的な患者として現在つき添いがついていると思うのですが、そのついているつき添い婦の状態——状態といいましても、一人づきが何名、二名づきが何名ということですね、どのくらい今ついているのか、それをちょっとあなたの病院の状態を伺いたい。
  87. 砂原茂一

    ○砂原参考人 実は先ほども言葉の端にちょっと申し上げたかと思いますが、私のところでは徹底的な一人づきでございます。どんなに軽くても——軽いと言うと、しかられるかもしれませんけれども、一人づきにしなければならぬというお話ですから、一人づきを徹底しております。
  88. 岡本隆一

    ○岡本委員 それでは、もう一点だけお伺いしておきます。手術患者がどんどんふえていくということだが、私どもも確かにそうだと思います。このごろは手術適用をだんだん広げて、できるだけ根治手術をやった方がいいという考え方に変ってきているのではないか、手術の安全性が高まるにつれてそういう考え方に変ってきている。従って、肺切除がこれからどんどんふえていく、そういう観点からいきまして、昨年の数よりも、今年の肺切除の数がふえるだろう、また事情が許せばどんどんふやせばいい。従って、この療養所の中の人手の問題が手術の数を支配するといたしましたら、人手が押えられれば押えられるだけ、手術の数のふえるのが押えられることになるわけです。従って、療養所としては、医療内容を向上させようとしておるその意欲が、今度のつき添い制度の廃止というふうな問題、人員に拘束されるということによって、医療内容の向上が押えられるというふうなことがありはしないかということを私どもも憂えるのでありますが、そういう点についてのお考えをお伺いしたいと思います。
  89. 砂原茂一

    ○砂原参考人 結核の問題、特に治療の問題が、今非常に大きな転換期に立っているようでございまして、実は私この数年の間にどうなるか、なかなか予言的なことは言えないという気持が——あまり今、気のきいたことを申しておきますと、頭をかかなければならぬのではないかという気持もいたしますし、一がいに手術がふえるかどうかということは、私簡単には答えられませんけれども、少くとも手術適用のある患者手術されないで残されているのがまだ非常に多いこと、そのことは実態調査なんかの成績からも、まぎれのない事実であって、それが自然発生的に、あるいは積極的な掘り出しによって手術台に導かれる数は、現象としてはふえることは確かだと私は思います。  それから第二の、人手が制約されれば、手術が押えられるようになりはしないか、それはまさにその通りだろうと思います。一つ療養所の中における移り変りにおいても、それは言えることでありましょうし、実は肺切除などというものは、現在の日本ではまだ普及の段階にありまして、比較的小さな療養所などでは、今までしなかったところもありますので、まあ胸郭成形だけでは仕方がありませんから、そちらへ移っていこうとする、そういたしますと、今までやらなかったのにそういうのをやり出すと、これは必然的に手術をする人が多くなることになると思います。またそれをやらないということになると、ことに国立療養所の使命という場合に、非常に疑問だろうと思いますし、医者の方から申しますと、小さい療養所なんて、そういうものの言い方、考え方も、ほんとうは正しいとは思いませんが、医者は、やはり手術でもしないといい医者が来ない。重症者だけ見ているということになると、今でさえ国立療養所の医者が足りなくて因っていることに、拍車がかけられるということがあわせて言えるのではないかと思います。
  90. 中村三之丞

    中村委員長 堂森芳夫君。
  91. 堂森芳夫

    堂森委員 一、二点だけ伺っておきたいと思います。先刻、加藤さんだの砂原さんだの岡田さんだの、今度の新制度には基本的には賛成である、しかし数のことが問題である、こういうふうに発言をされたのではないかと思うのでありますが、しからば、今度の厚生省の二千二百七十名という定員について、たとえば現地における療養所民生局というような立場に立っておられる方々として、具体的にあなた方のお働きになる場所についてどのようなことを——こういうふうなことはあり得ないと思いますが、いろいろとお考えになっていると思います。率直に何かお答えになるならばけっこうであります、お願いしたいと思います。
  92. 岡田藤助

    ○岡田参考人 二千二百七十という数は、全国的な数でございますので、その数をどのくらいふやしたならばいいかということは、私ども実は申し上げる資料を持っていないのでございますが、ただいまいただきました厚生省の試算は、千葉療養所はこのくらいだという数で見ますと、二十四、五人という数字でございます。私ども療養所におきまして相談をいたしました結果が大体三十六人、こういう数字が出ております。先ほども申し上げましたように、外科の患者重症患者との割合によって変化いたすと思いますので、私どもの方で昭和三十年度に二百例の肺切除または胸郭成形術の手術をいたしますという予定のもとには、三十六名ということになり、三十六名と二十五名の差が、私どもの方では不足しはしないかと思うのでございます。
  93. 堂森芳夫

    堂森委員 それは非常に重大なことだと思うのであります。六万三千五百以上のベッドが全国にあって、看護婦さんが一千名以上、つき添い婦が四千数百名おられる。今度は二千二百七十名に雑仕婦の人がなる。岡田さんのさっきの御発言によりますと、患者六人につき一人は必要である。そうしますと、目の子勘定でもわかるわけでありまして、従って今度の新制度、しかも二千二百七十名の定員には、あなたは一療養所責任者として反対せざるを得ない、こういうお立場になると思うのでありますが、いかがでございましょうか。
  94. 岡田藤助

    ○岡田参考人 先ほども申し上げました通り、目の子算で少し足りないじゃないかと、実は私ども考えているのでありますが、これはいろいろ人や設備の合理化をはかりまして、できるだけ少くする、そうして努力をしてもなおかつ足りない分は、先ほど申し上げましたように、健保あるいは生活保護法からのつき添い婦を雇い入れるというようなことを実は考えておるのでございまして、これが可能だという前提のもとに私は賛成しておるのでございます。
  95. 堂森芳夫

    堂森委員 これ以上、御無理かと思いますから、追及いたしませんが、基本的には賛成である、しかし数が問題だということは、皆様方おわかりになっておるのでありますから、この次の機会にまた厚生省当局にもお尋ねする、こういうことにいたしたいと思います。いろいろお尋ねしたいことがありますが、その一点だけで私は質問を終ります。
  96. 中村三之丞

  97. 長谷川保

    長谷川(保)委員 砂原先生、岡田先生に、まず先に伺いたい。  先ほど来の同僚の質問にも出てきたのでございますが、先般来、私どもがこの問題を非常に心配いたしまして、当委員会政府当局に尋ねましたところによりますと、本来、つき添い婦を二千二百七十人常勤労務者として雇い入れる、それは患者二十五人に対して一人という大体の割当だという答弁です。ところが、その二千二百七十人というのは、半分がつき添いに当るのであって、半分は雑役に当るのでもります。そうして、さらに、今度は労働時間は公務員と同じになりますから、それぞれの団体協約等できめました時間、少くとも三交代ということでございます。実質的には実際働くつき添い婦というのは、今のつき添い制度をやめて新しく出て参りますのは、患者百人に対して一人ぐらいの割合に常に働いているということになる。今までの二十五人に一人が、三交代でそれが半分ですから、そういうことになってくると思います。先ほど来の御高説を伺っておりまして、私、非常に大へんだと思いましたことは、今日の皆様療養所看護婦の働いております実態というものが、事務連絡というようなことに主として追われまして、ほんとうに大切な第一線でつき添って看護するという仕事は、つき添い婦にまかせられているという状態であるということを伺いまして、これでは大へんだ。なぜなら、日本看護婦制度というのは、看護婦病人を見るという制度になっているはずだ。しかるに、国の一番大事な国立療養所において、事実はそうではないということがここにはっきりしたわけです。そこで、これは日本病院管理を根本的に考え直さねばならぬというように、先ほど来ひそかに思っているのであります。先ほど来、先生たちは、根本的には完全看護のアイデアというのは賛成である。私も賛成であります。が、数と、どうやってそこに移っていくかという問題であるというお話がございました。そこで私が一つ伺いたいことは、まず、ただいま申しましたように、患者百人に対して一人が働いているというのが、今度のつき添い婦の常勤労務者のほんとうの実態だということになってくるのであります。そういうことでありますと、先ほど来のお話のように、非常に手不足になる。この際、療養所看護婦の働いておりますあり方を変えて、これを事務連絡を主にした立場から、つき添いを主にした働きに持っていく余裕があるかないか。あればどれくらい余裕があるか。つまり、看護婦をどのくらい回すのか。ないとしますれば、ただいま申しましたような今度のつき添い婦を常勤にしようとする実態、これはてんで問題にならないかどうか、それともまだ考える余地があるか、この点を率直に承わりたい。
  98. 砂原茂一

    ○砂原参考人 ただいまのお話の点、現在のつき添い婦さんを使っておるよりも、常勤労務者、公務員として扱った場合の方が、ある意味で当然人手が多くなる、三交代や何かでそういうことになるということは、私は確かだと思います。従って、そこを一度くぐってこない考え方では、ほんとうのことが出てこないと思います。ただ長谷川先生は、二十五人に一人と言われましたけれども、それは平均値であるとも思いますから、もっと多いところはそうでないと思いますが、平均値的な議論範囲では、そういうふうなことであろうと思います。それであればこそ、うっかりすると現在のつき添い婦より多くなるようなことに相なるのではないかと、公務員的に思う点もございます。これをどうしていくかという問題、こまかい数字を積み重ねてお答えする用意を持っておりませんが、先ほど私が申し上げましたように、日本の現在の療養所の姿は、正しい姿でないということは確かであります。それにはいろいろの問題、設備の問題などもございますが、人の問題について言います場合に、何と言いましても、療養所実情に即した定員の数なり、中の分け方なりを考えられなければならないのではないかと思います。たとえば、雑仕婦の定員化という問題は、今度の問題と切り離して行わるべきであると思います。これは想像を言ってはいけないと思いますが、たとえば、おそらく看護婦という方が大蔵省から予算が取りいいということもありましょうが、看護婦の定員として私の方は百七十七人になっております。その中で、三十七人は看護婦ではなく雑仕婦です。看護婦だけ幾ら取っても、看護婦は使い走りをしなければならぬのでは、ほんとうに看護婦でなくなることでしかありません。従って、今申しました療養所の中の実際行われておる機能に即した本来の看護婦と雑仕婦的の者、ある意味でつき添い婦的な者というように考え分けていって、それを積み重ねていって、看護婦の定員は看護婦の定員として取れるように、雑仕婦は雑仕婦として取れるように、つき添い婦はつき添い婦として取れるようにやっていかないと、今日までのような中途半端のやり繰り的なやり方がいつまでも続いておっては、問題の根は断ち切れないと思うのであります。
  99. 岡田藤助

    ○岡田参考人 現在も二千二百七十という数字が、全然問題にならないということは私ども考えていないのでありますが、ただこれでは多分相当不足するだろうということでございます。それから、これはつき添い婦というだけでなくて、やはり看護婦と今の雑役婦とそれからつき添い人、こういうものが、結局から言いますと、どの部分が多くても、大ざっぱにいえばいいのじゃないかと思います。要するに、総員数においてまだ足りないということを考えておるのであります。
  100. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それから管理の問題が出ましたし、また当委員会でも、これが問題になっております。今、つき添い婦のおばさんたちは、婦長の支配のもとにあるというように伺っておるのでありますが、実態はどうなっておりましょうか。砂原先生にお伺いいたします。
  101. 砂原茂一

    ○砂原参考人 そのようでございます。
  102. 長谷川保

    長谷川(保)委員 婦長さんの管理下にあるということでありますれば、所長さんが婦長を監督し指揮しておるわけでありますから、実際には所長さんの監督下にあるわけであります。ところが、先ほどからお話を伺っておりますと、その点が、どうも所内の者でないからやりにくいというふうに聞こえたのであります。たとえば療養所の方針に従って看護をしてくれないというつき添いのおばさんがありましたときに、それを婦長が断わるというようなことができるのかどうか、事実はどうなっておりましょうか。
  103. 砂原茂一

    ○砂原参考人 それはできます。ただ、私の申し上げましたのは、そういう意味ではございませんで、これは病気のことでありますから、予測のできない浮き沈みがあると思います。その人が手があきまして、隣りの患者さんが急に手が要ると言いましたときに、ではこちらの方をやって下さいとは言えない。病院の中における管理という意味では、婦長の指揮でありますけれども、現在のつき添いのお金の問題と申しますか、患者さんとつき添いさんの間の関係からという意味でございます。
  104. 長谷川保

    長谷川(保)委員 そうしますと、たとえば生活保護患者、あるいは健康保険でつき添いが来ておるというような患者におきましては、先ほどもお話になりましたが、かつては二人づき、三人づきが自由にできる。ことに私が聞き、また調べたところによりますと、東療や清瀬病院などは、病院当局、患者の自治会及びつき添いの組合の三者話し合いの上で、非常に上手にやっておる。私はむしろよくやっていらっしゃると非常に感心をした。それが、例の二十七年七月の社会局長の通達でありましたか、一人一人づきということにしたので、非常に不便が出てきたのです。ですから、これをもう一度前に戻して、こういうことは先ほどからお話がございましたが、自由に病院側でつき添いさんを二人づき、三人づきにして、かつて清瀬病院等でしておりましたようにすることができて、病院長あるいは婦長さんの思うようにそれが回るということになれば、この管理の問題は大体解決するということになりますか。
  105. 砂原茂一

    ○砂原参考人 今の前の部分は、そうだと思います。社会局長おいでになりますけれども、実は私も前からそういうことを申し上げておるのです。率直に実情を申し上げますと、現在のやり方は非常に不合理だと思います。今、清瀬病院の例をお出しになりましたが、確かにほんとうのことだと申し上げていいと思うのです。二人づきをやっていないわけです。それは社会局の御方針で、いけないのです。私のところは、一人づきでやっているわけです。そのかわりに、社会局でおきめになりました基準より広げると、あすの日から切られると困りますから、ややゆるめる。つまり、一人づき二人づきの方を何とかするか、つき添いの方をどうかするかしなければ成り立たないというように、二者択一のようなことになっているのは、実情にはなはだ沿わないので、それをお改めになることが第一歩だということも、私どもかねがね申し上げているわけでございます。従って、二人づき三人づきでなくて、一人づきだけにするとふえるとおっしゃいますけれども——これはさっきから繰り返し申し上げて、御了解を得られないところでございますけれども、私のところでも、あるいはほかの同僚の話を聞いてみましても、二人づき三人づきをやったところは、確かに少かったわけであります。一方におきましては、手術がふえたというもう一つの因子がございますから、その間の分析が幾らかむずかしくなると思いますが、一人づきよりも二人づき、三人づきが少くて済むということは確かだと思います。その点では、長谷川先生のおっしゃる通りだと思います。従って、そうすべきだと思います。またそうした方がよりベターだと思いますが、それによって管理の問題が完全に解決するというふうには、私は思いません。そうして社会保険なら社会保険の中での組み合せということもできますけれども、片方に自費の人もおるわけでございますので、よりいいとということは申せますけれども、根本的な解決は、やはり完全看護にいかなければならない。ただ、中間的な措置としては、そういうふうな段階を踏んだ方が穏当であろうということは申し上げられると思います。
  106. 長谷川保

    長谷川(保)委員 もう一つ伺いたいのでありますが、これは砂原先生と岡田先生のお二人に伺いますが、私も実はあっちこっちの療養所にときどき伺って実情を拝見するのでありますけれども療養所病院の通常出しております食事は、いろいろ御工夫なさっていらっしゃいましょうが、重症あるいは手術直後の患者に十分適したようには、何と申しましても大ぜいのことでありますから、個々の配慮が行き届きかねるというのが実情であると思うのであります。大へん失礼な言い分でありますが、もし皆様のお家族の方がこういうような病院に入られましたような場合に、大体今のままでいけるとお考えでしょうか、それとも、やはりそこに個人的な配慮をしなければならないのが今日の療養所の現実である、こうお考えになるでありましょうか。これはもちろん皆様が、所長一人でどうなることでもありません。もちろん厚生省の一番上の方から考え直さなければできないわけでありますから、これは決して先生方の責任という意味ではなくて、現実をどうお考えになりますか。十分か、それともきわめて不十分か、あるいはこの程度で仕方がないと、お家族の場合でもお考えになるか。大へん失礼な質問でございますが現実を教えていただきたいのであります。
  107. 砂原茂一

    ○砂原参考人 大へん痛い御質問でございますけれども、おっしゃる通りといわざるを得ないかと思います。実際国立療養所は、よく御存じだと思いますけれども、私どもずいぶん前から言っておるのでありますが、国立療養所の問題は、つき添いの問題と食事の問題に尽きると思います。私たちあまりしゃべるとだんだん下手になって参りますが、そんなことばかり明け暮れてしております。これから解放して下さると、患者のなおし方もうまくなるのではないかと思います。この二つの問題を根本的に直さないと——私のおります清瀬などは、十三の療養所があります。ほかのところは、いろいろな経営主体になっておりますが、材料費だけで百二十円から三十円ぐらい使っていられるという——それは額面通り受け取っていいかどうかと存じませんけれども、九十六円ということでは、なかなかむずかしいと思います。それに大きな療養所になりますと、廊下が長くございまして、温食とか個人の嗜好に適したものを与えるというようなニュアンスに富んだものは、お手あげだと言わざるを得ないと思います。従って、一方で経過的に自炊が行われておるわけでありますけれども、そのための患者さんの出費というものは、相当なものだというふうに思います。国家的な大きな見地から言いましたときに、私たちも、これを食えばよろしいのだ、これ以外に必要なものはないのだと言うことができるようにしていただければ、非常にありがたいと思います。
  108. 長谷川保

    長谷川(保)委員 岡田先生の病院ではいかがでありましょうか。
  109. 岡田藤助

    ○岡田参考人 ただいま砂原さんからのお話と、私どもは全く同様でございまして、特に手術直後の患者食というものは、やはりいろいろ調べてみましても、直後大体一週間ぐらいは食べられないということを聞いております。それから内科的な重症患者でございましても、やはりその人の嗜好に合った食べものを個々に調理して与えるということも、現実の問題としては不可能であると申し上げざるを得ないのでございます。
  110. 長谷川保

    長谷川(保)委員 加藤局長さんにちょっと伺っておきたいのですが、実は先ほどほかの参考人の方が申されました国立病院完全看護の問題です。私どもは折に触れて各地の国立病院実情を拝見に伺うのでございますけれども、最近は非常にずるずるに、完全看護は名ばかりで、実際はむしろ家族つき添い人がつくことを、病院長あるいは婦長はひそかに歓迎しておるというような状態で、ずるずると家族つき添いが手術後あるいは重症患者にはついておる。それが幾日もやっておりますととても耐えられませんから、また結局専門の職業にしているつき添い婦の方を雇い入れるというような実情になっておる実態を私、見るのであります。これができまする、経済的な余裕のあります方はけっこうでありますけれども、私が非常に心配しますのは、その余裕のない方が非常に困るということを思うのであります。どうも私は、やはり先ほどお話がございましたが、東京都の病院でも、局長がお回りになって、先ほど堀江さんでありましたかだれかがおっしゃいましたような実情が、事実あるのじゃないかと思うのであります。大へん失礼でありますが、やはりそういう点があるのじゃないでしょうか、どうでしょうか。そういう疑いはございませんでしょうか。事実そういうことでどうやら持っているのじゃないかと思いますが……。
  111. 加藤清一

    加藤参考人 病人に対する家族のつき添いとか、それからその家族のつき添いの方々が、いろいろな家庭の事情で引き続きおれないので、また新しく本職のつき添い婦を雇うようなことになるといったような点でございますが、これには感情的な問題もございまして、果して科学的、合理的に病状という関係から見ますと、それだけの必要があるかどうかということにつきましては、いろいろ考えさせられる点があるのじゃないかと思います。先ほど私申しましたように、都立の病院では一応完全看護ということでやっておるのでございますが、あるいはいろいろな関係で、現在の人手の関係では、どうしてもお医者さんの所望されるような看護ができないといったようなときには、患者からお医者さんの診断書を出して、そしてこちらの看護の決定をやりますれば、できないことはないと思うのであります。   〔委員長退席、吉川(兼)委員長代   理着席〕 これあたりは実際の運営に当りまして、病院長あるいは療養所長の方におかれて、どうしてもこれは看護婦をつけなければならぬという場合には道が開かれておりますから、私の方でも検討を遂げて、これは適当なものだというものについては、つけてもいいのじゃないか、こういうふうに考えております。
  112. 長谷川保

    長谷川(保)委員 しかしそういう場合に、事実社会福祉事務所では、許さぬのじゃないでしょうか。完全看護のところには許さぬという方針が、厚生省の方針だと思うのですが、その点どうなっておりますか。
  113. 加藤清一

    加藤参考人 御指摘のように、そういうことになっております。
  114. 長谷川保

    長谷川(保)委員 そういうことになっておるが、事実はやはり少しはそういうようにつける場合も、現実問題として許可しておりましょうか。
  115. 加藤清一

    加藤参考人 私、今まだそこのところは承知してはおりません。一応帰りましてから調べてみたいと思います。
  116. 長谷川保

    長谷川(保)委員 もう一つ加藤さんに伺ってみたいのは、私の方でも調べておるのでありますが、例の清瀬病院のつき添い看護料のプールの問題、だいぶ会計検査院の方で突っ込んでいって、あちこちお困りのようでございまして、この間会計検査院の第二局長も来られて、必ずそれを回収しようという意思ではないというふうにここで答弁なさいましたが、聞くところによりますと、この看護料をある程度未払いにして押えてある。この問題が片づくまではというので、押えておるというふうに伺っておるのですが、都の方で看護料を押えてあるというような事実があるのでございますか。
  117. 加藤清一

    加藤参考人 御指摘のように、清瀬病院のつき添い婦の関係につきましては、昭和二十七年の四月から九月までについて調べたと思うのであります。これは会計検査院が調べたのでございますが、不当請求が大体六カ月の間に百七十六万円ほどあるということを指摘されております。働いた方に対しましては、これは当然払わなければなりませんけれども、不正なものに対しましては、一文だってやるべからざるものだということを、私ども強く考えてやっておるわけでありますが、それで実は困っておりますので、これを今申しましたような関係で、何とか返させたいと思っております。  このいきさつを申し上げますと、まず病院に入っておる患者から福祉事務所の方へ医者の診断書をつけましてつき添いをつけてくれという申請が出て参ります。そうしますと、福祉事務所の方では、厚生省から来ております基準がございます。こういう病気の場合は何週間つけるとか、こういう病気の場合は五日つけるとかいう基準がございますから、その基準に従って看護の決定をしておるわけでございますが、看護券にかえて病人に渡します。そうすると、その病人は、今度はつき添い婦の方にそれを渡しまして、そうして請求を出すわけでございますが、私の方へは個々のつき添い婦から請求がございませんで、全部組合の代表者にそれぞれのつき添い婦の方々は委任しておられます。ですから、その委任状を添えて組合の代表者が受け取りに来て、これを渡しております。この百七十万余りの金につきましては、個々のつき添いさんについて私の係の者が聞きますと、その通りにもらっておらない、こういうことでございます。それは、やはり組合の方へプールされておるようにしか考えられないのでございまして、組合の代表者なり療養所長、病院長なんかにも来てもらいまして、先般来いろいろこれが返還方について交渉いたしておるわけでございますが、御指摘の、つき添い婦の四月分の半分だけ払っておりまして、その残りの半分と五月分はまだ払っておらぬのは事実でございます。これはまじめなつき添いの方々の生活状態にかんがみまして、一日でも早く差し上げたいと私ども思うのでございますけれども、今の問題があるものでございますから——理屈からいえば、問題は別じゃないか、払うものは払って、取るものは取ったらいいじゃないかとおっしゃられれば、その通りに違いないのでございますけれども、何とかこれは一つ早い機会にこの問題を解決したいということで、苦慮いたしておるようなわけでございます。実は清瀬病院の四月分も、全部払ってなかったのでございますが、先般もいろいろ交渉がございまして、半月分だけ払ってあるのでございますが、まだ半月分払ってないのでございます。何とか組合の諸君も考えてもらって、一つ返すべきものは正しく返す、こういう挙にすみやかに出てきてくれることを期待いたしておるようなわけでございまして、これは一つ何とか私の方で責任を持って解決していきたい、できるだけ払うべきものは払って上げたい、こういうふうに思っております。
  118. 長谷川保

    長谷川(保)委員 この問題は、個々の問題でありますから、ここではこれ以上伺うのはやめますけれども、どうも私ども調べたところでは、非常に行き違いがあるように思う。事の起りは、先ほどの二十七年一月の社会局長の一人々々つきの通達にあるようであります。そこで、非常な行き違いがあるようでございますから、どうか合理的に解決していただきたいと思うのであります。つき添い婦のおばさんたちは、生活が楽ではないのでありますから、かつて不正があったからといって、今の不正ではないのでありますから、善処をついでにお願いするわけでございます。  そこで、もう一つ伺っておきたいことは、今度はつき添いの方の組合の堀江さんにお伺いしたいのですが、たとえば手術の直後につくときには、先般来いろいろこちらで調べてみますと、二十四時間制である。二十四時間雇い入れられるという形になるようなふうに今日も伺うのでありますが、これは二十四時間雇い入れられるという契約か何かしてあるのですか。何かそういう契約書でも入っているのですか。
  119. 堀江ハル

    ○堀江参考人 いたしてございません。
  120. 長谷川保

    長谷川(保)委員 もう一つ。それでは加藤さんに伺いたいのですが、二十四時間雇い入れるということに、何か根拠があるのですか。私ども考えますのには、この間もちょっと労働省の基準局長に聞いたのですが、二十四時間労働というのは変だと思いますけれども、そういうような何か根拠があるものでしょうか。基準法からいっても、何だか変だと思いますけれども、二十四時間雇い入れるというような、何かそういう根拠があるのでしょうか。これは都の方で雇い入れるという形になりましょうが、都の方ではどういうふうにお考えになるのでしょうか、お伺いいたします。
  121. 加藤清一

    加藤参考人 まことにごもっともな痛い質問でございますが、これは私どもの方といたしましては、実施機関であります知事なり、あるいは福祉事務所とつき添い婦との関係は、雇用契約に考えておりません、これはあくまでも第三者のためにしまする準委任契約というふうに解釈しておりますのと、それから実態の関係から申しまして、労働基準法が適用になるものとは考えておらぬのでございます。もっと申し上げますと、これは実物給与でございまして、今の病人看護するという行動を、実施機関の方でやらなければならぬのでありますが、それが実施機関の方でできませんから、つき添い婦に頼んで、こちらにかわってやってもらうという準委任契約ということに解釈してやっておるわけでございます。従って、基準法は適用されないものと思っておりますし、またその契約の内容につきましては、実は私の今承知しておるところでは、内容的にどうという具体的な取りきめはしてございません。ただ、その前々からのしきたりと申しますかで来ておりますので、八時間を越す場合は一時間ごとに幾ら出すとか、そういうような慣行を内容として取りきめをやっておるということの解釈で、今日までずっと来ておるわけでございます。
  122. 長谷川保

    長谷川(保)委員 今ちょっと聞き落しましたので、加藤さんにもう一度伺いますが、今の八時間を越えた場合には超過勤務手当を出しておるのでございますか。
  123. 加藤清一

    加藤参考人 それは具体的に八時間を出たら幾らというようなことは、はっきり覚えておりませんが、これは何かいろいろ加算をしたのがきめてあるわけでございます。具体的にどうというのは、私承知しておりませんので、これは他の参考人にお聞き願えばありがたいと思います。
  124. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それでは堀江さんでも和田さんでもけっこうですから……。
  125. 和田ハル

    ○和田参考人 今、割増しをいただいておりませんです。
  126. 長谷川保

    長谷川(保)委員 どうも、御承知のように、これは形式的には労働基準法にかからないといたしましても、基準法の中に看護という業務があるのです。先ほどから伺っておりますと、このつき添いさんの仕事の実体は、看護であります。そうすると、国なりあるいは都なりというものが、これをどういう形にしろ、雇い入れて金を払ってつけておるということになりますと、これは当然八時間労働にすべきである、あるいは基準法で許されました看護の制限である九時間制にすべきである。それ以上の場合には、当然これは超過勤務をつけるべきである、こういうように思うのであります。そう考えて参りますと、先ほどのプールの問題で、よし不正があっても、これは今までのやり方が間違っておりはせぬかと思うのであります。だから、今のつき添い制度というものが変だと思うのであります。われわれは、この点については今日の問題外といたしまして、いずれ委員会で別に厚生当局から伺うことにいたしますから、ここではやめておきますが、結局もう一度和田さんに伺いたいのでありますが、そうすると、手術直後といいますか、あるいは重篤の患者、危篤の患者についておりますのは、これは二十四時間実際には勤務しておって、その合間々々で患者さんの様子を見てうたた寝をするというのが、現実のあり方ですか。
  127. 和田ハル

    ○和田参考人 派出婦会からの規則では、一日のうちに八時間は休養させてもらいたいというようなことはあるのですけれども、実際としては、目の離せない患者さんは結局二十四時間つきっきりということで、自分の休むひまというものは、ほんとうに患者さんがちょっと落ちついている場合に、うたたね寝する程度だと思います。しかし、三日や四日ぐらいは、ほとんど寝られないと思います。
  128. 長谷川保

    長谷川(保)委員 もう一つ伺いますが、それでは、つき添い婦の賃金というものは、一日幾らでございますか。
  129. 和田ハル

    ○和田参考人 結核の開放性の場合は五百十円いただくことになっております。開放性と開放性でない場合とによって、賃金が違うのでございます。開放性でない場合は四百三十円でございます。地域によって多少違っております。
  130. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員長代理 横錢重吉君。
  131. 横錢重吉

    横錢委員 だいぶ時間がたちましたので、要点だけお伺いをいたしたいと思います。療養所を預かっておられます砂原先生と岡田先生にお伺いいたしたいと思いますが、共通の点がございますので、よろしくお願いいたします。  療養所を預かっておられまして、現在の人員で十分な医療ができておる、こういうようにお考えになっておられるかどうか。それから現在の医師、看護婦、雑仕婦、そういうような定員は、どういうふうな数字になっておるか、あるいはまた、もし欠員があるならば、欠員が何名くらいあるか、この点をお伺いしたいと思います。
  132. 岡田藤助

    ○岡田参考人 問題がちょっと全部記憶しておりませんので、大へん失礼なことがあるかもしれませんが、あらためてお聞きただしを願いたいと思います。  現在の療養所で十分な医療がなされているかどうかという問題でございますが、これは十分ということがどの程度意味するかということによって、内容が違って参るのでございますけれども、いろいろ予算の制約とかあるいは法規、たとえば結核予防法というような法規に制約された状態下にありますし、また医学が非常な勢いで進歩いたしておりますものですから、その一番最高医療というものを行いますのには、まだまだわれわれの理想とするところには遠いと考えております。  それから医師、看護婦等の定員でございますが、現在の定員は、昔からあります定員がそのまま引き継がれております。昔からと申しますのは、化学療法それから外科療法というものが非常に進歩して参りましたのは、日本におきましては大体昭和二十五年というところがちょうどその分れ目になっていると思うのでございますが、その二十五年以降と二十五年以前との医療内容というものは、実は格段の差異が見られるのでございます。しかし、それだけ内容が複雑高度になっておりますが、定員の方はそれに伴っていないということが現状でございます。私ども療養所で、医師の定員は十九名でございますが、これは全部ふさがっております。看護婦の定員は百二十四名でございまして、昨日現在で六名欠員を生じておりますが、これは全部近日中に補充が可能な状態にあります。雑仕婦の数でございますが、これは百二十四名の看護婦定員の中で二十三名——はっきり記憶いたしませんが、二十一名の病棟の雑仕婦がおります。
  133. 砂原茂一

    ○砂原参考人 大体岡田さんのおっしゃったところと同じ趣きでして、完全かとおっしゃられても、完全ということの定義がいろいろむずかしゅうございますが、たとえば、予防法による化学療法に制約されているということは事実で、たまたま予防法に規定されております現在の化学療法で、私、十分だとは思いませんが、そういう意味を一応別にいたしますと、大体療養所というのは、医療的な面では少くとも水準的にはやっていけると思います。しかし、それ以外の生活的な管理的な面では、はなはだおぼつかない状態であることは、先ほどから繰り返して申し上げておることでありますから、ここで繰り返すことはいたしません。  私のところの定員につきましては、私のところは患者の数が千五十名というのですが、千五十名はなかなか入りませんで、九百八十名ぐらい。これは入らないというのは、患者がいないのではありませんで、操作上そういうふうになってしまっているということであります。医者が二十九名、そして看護婦の定員が百七十七名、これも先ほど申し上げましたが、そのうち純粋の本来の看護婦が百四十名、その差し引きのところが雑仕婦ということになっておりまして、現在の療養所の定員の考え方の基礎づけが、非常にあいまいであって、現状に即しないということは、先ほど申し上げたところでございます。
  134. 横錢重吉

    横錢委員 今の砂原先生のお答えの中で、医師の定員数とその欠員、看護婦の欠員というのが、ちょっとはっきりしないのですが。
  135. 砂原茂一

    ○砂原参考人 医師などについては、欠員はございません。看護婦でも、まあないといっていいかと思います。操作上と申しますか、やめまして、呼んでいるのがまだ来ないという意味ではございますけれども、これは岡田さんのところにいたしましても、私のところにいたしましても、比較的立地条件がいいというようなことで、数年前までは看護婦を求めにくくて非常に苦労したこともございますけれども、現在はそういう苦労は一応自然に解消した形であります。
  136. 横錢重吉

    横錢委員 今の岡田先生のお話では、六名の看護婦の欠員があるというように、聞いたのであります。療養所においては、常時病気退職その他の点で欠員が出ておるようでございますが、定員が定員通り一ぱいになっておるときと、欠員になっておるときとでは、常に欠員のように見受けておるのですが、この点いかがでしょうか。
  137. 岡田藤助

    ○岡田参考人 定員よりオーバーしますということはできないのでございますので、定員一ぱいになりましてから、また看護婦が一人やめ、二人やめる。そうしますと、やめてからその補充をします期間がいろいろになりますので、一見いたしますと、いつも欠員があるというふうにも見られるかと存じますが、必ずしも内容はそうではございません。それから、来るといって約束しておきまして、待っております間に来なくなるということも、実はあるのでございまして、欠員の期間が延びるということはございます。
  138. 横錢重吉

    横錢委員 この点は岡田先生に伺いますが、千葉の療養所では、看護婦は夜間の勤務の場合に、七十名くらいの病人のところで一名しか勤務者がいない。これは常時の姿なのですか、それとも定員が足らないために起っている状態ですか。
  139. 岡田藤助

    ○岡田参考人 私の療養所では、一病棟が七十五名という病棟もございますし、六十名の病棟もありますし、四十五名の病棟もございますが、その一病棟について夜勤は一人置くということで、夜間の勤務者をできるだけ減らしまして、昼間の方に回しておるわけでございます。それでも、たとえば手術をするというようなときに、人が足りないということが現状でございますので、看護婦の増員という問題については、いつも頭を悩ましておりますし、また増員方のお願いは、いつもしておるという現状で、手が足りないということは、昔からありましたことでございます。
  140. 横錢重吉

    横錢委員 次の点は両先生に伺いたいのでございますが、今の医療券の制度をもってしては、病院所長の完全な指揮下のもとに入っておらないということになっておるわけでございますが、そういうような病院の方からして常雇いである、あるいは任命したものである、こういうようなことでないため、今まで不工合を感じた、あるいはまた職員の間において、どうもその点が工合が悪いというようなことで問題になったというようなことがございますか。
  141. 砂原茂一

    ○砂原参考人 この点も、先ほど多少例を引いて申し上げたことでございますけれども医療券で結局患者さんとつき添いさんとの契約といいますか、その間の結びつきということになっておりますので、その患者さんが割合によくなって、かたわらに急に悪くなられた方がいるといったときに、それをすぐ振り向けるといったようなことができにくい、療養所全体を見回しまして、経済的配置なり働かせ方なりをやりますためには不十分である。それから不平というか、持ちつ持たれつでありますから、きわだてて不平が職員からあったということはございません。それは個人的な問題なんかありまして、あのつき添いさんがどうもだらしがないとかなんとかいうことがありましても、それから全体を推しはかって物を言うべき筋合いのものではないと思いますけれども、やはりつき添いさんの方が年が上であったり何かいたしますという関係上、先ほど申し上げましたように、管理の上では、婦長のもとについているといいましても、その辺が十分にいかないというような点で、不便を感じているということはあると思います。
  142. 岡田藤助

    ○岡田参考人 私の療養所で、現在のつき添い婦がいるために非常に不都合なことがあったというようなことは、ないのでございますが、ただ、つき添いをやめておっても、帰る家がないというので、療養所の中に住みついておるというような人が、過去に何人かあったのでございます。この人たちは、どうかと申しますと、患者さんの方もあんまり頼まないというので、処置に困るという場合がありまして、これはそれぞれ療養所の方で養老院に送ったり、あるいはその姻戚の人に引き取っていただいたり、また精神病院の方にお願いして入れてもらったりしたというような事実がございます。それで、そういう現在のつき添い人が悪いからつき添いを廃止するという意味で、われわれは考えているのでございませんで、やはりつき添い廃止というようなふうにした方が、人の能率というようなことで、よりいい状態になるということで、われわれは賛成しておるということでございます。   〔吉川(兼)委員長代理退席、委員   長着席〕
  143. 横錢重吉

    横錢委員 今のお答えで大体わかったのでございますが、そうしますと、具体的には、指揮下に入っていないために特に不便を感じる、あるいはまた不工合を感じたというようなことはないというように承知をしてよろしゅうございますか。
  144. 岡田藤助

    ○岡田参考人 さようでございます。
  145. 横錢重吉

    横錢委員 それでは次のことをお伺いしますが、現在のつき添い婦の能力で、つき添いをしておりまして、能力が足らないために間違いを起した、あるいはまた能力が足らないために完全な看護ができなかったというような事実、そういうものはございましょうか、両先生に……。
  146. 岡田藤助

    ○岡田参考人 千葉の療養所におきましては、先刻申し上げました二、三の例が困った例でございます。一応そういう人は整理をいたしておりますので、現在はないのでございます。
  147. 砂原茂一

    ○砂原参考人 大体そういうことでございまして、むしろ療養所全体の機能を今よりも能率化して、管理に筋を通していくというような意味、従ってそのことが患者さんの全体看護を適切にするであろうという建前の問題からでありまして、個々の問題、つき添い婦さんでこういう具体的な間違いがあったからというような意味でないということは、岡田さんの今おっしゃった通りであります。ただ、ずいぶん年取った方もいられて、養老院へ行かれる方もいられるし、そういうようなわけですから、失業問題というようなことに関連しての御質問かとも思いますが、実際私のおります清瀬などでありますと、引き揚げてこられた方なんかで看護的な知識を持っていられる方とか、そういう方は、清瀬へ行けばつき添いの仕事もあるからというようなことで、引揚げ住宅なんか割り当てられてやられているということもあるのだと思います。そういう意味で、失業の方をお引き受けしているというような機能も幾らか持っているかもしれないと思いますけれども、あまり年取った方なんかであって、実際私のところでも直接養老院へ行ってもらった人もおりますものですから、そういうふうだったら、もっと若い、しかも正規の看護学でしょうか、そういうものをおさめられた方で満たして、しかもそれを定員化して活発に動いてもらった方が能率的だと考えます。
  148. 横錢重吉

    横錢委員 今の点でよくわかりました。もう一点お伺いいたしたいと思いますのは、現在のつき添い婦は、先ほどからもいろいろ言われましたように、二十四時間勤務という、患者の手となり足となるという特殊な立場でありまして、おそらく他の商売には例を見ないところの二十四時間勤務という方法をとっておるわけでございますが、こういうような任務というものは、手術をした直後、あるいは重症患者というものには、絶対的な必要性があるのではないか、こういうふうに考えられます。それからまた、そういうような仕事に従事する場合には、これはごく年齢の若い、特に婦人の若い者であっては、仕事をきらうといいますか、なかなか適さないのではないか、こういうように考えるのでございます。こういうような場合には、やはりあり程度の中年者、今お話のありましたような特別の養老院に行くというものは別でございますが、実際上には、中年者の方が大体適当しておるのではないか、こういうふうに考えておりますが、こういう点はいかがでございましょうか、年齢などの点。
  149. 砂原茂一

    ○砂原参考人 年齢の方から申し上げますと、それは具体的な場合でありますと、そういうようなこともあると思うのでございます。手術につくのを好む好まぬというような形ではございませんと思いますが、たとえば年取った方は、自分の身の動かし方は十分でないけれども、非常に注意がよく行き届くとか、患者さんの扱いが非常にいたわりに満ちているとかというので、元気はつらつなつき添いさんよりも、患者さんに人気があるということは現実にあるのであります。従って、採用するときなんかも、そういう方は採用してもいいということになりましょうが、しかし、大筋から申しますと、十分なる労働能力なり、精神的な若さを持っている人が優先的にといいますか、そういう人によって構成されている方がいい、年寄りでなければ看護できぬというようなことはちょっとおかしいように思います。それから二十四時間看視を要するということは、確かにございますし、そういう役割をつき添いの方が果されたということは確かでありまして、私、先ほどからも、つき添いさんでない方がいいという話もだいぶありましたけれども、そういうつき添いさん、二十四時間勤務というようなものに、療養所の現在の機構が乗っかっている。それにつけ込んで、それをいいことにして成り立っているというような面、従ってそういうのに対しまして恩恵をこうむっているというような面もあることは確かであります。しかし、二十四時間看視をしなければならぬということは、これは決してつき添いのような形のものでなければならぬということではなくて、看護婦であっては悪いということとは私は別だと思います。
  150. 岡田藤助

    ○岡田参考人 私は先ほどから申し上げました通り、どういう職種のものでも、総体の人員が足りないということでございまして、その中でつき添い人がどのくらい、看護婦がどのくらいという割合については、特に検討いたしていないのでございますが、ただわれわれの療養所は、昔傷痍軍人療養所でございまして、その当時におきましては、看護婦養成所の生徒であり、また看護助手である若い人が、全部現在の看護婦並びにつき添い婦の役割を果しておりまして、さほど不自然でなかったのでございます。いろいろ療養所の運営ということから申しますと、現在のつき添い婦の占めております数のできるだけ多くの部分が、看護婦または準看護婦で占められる方が、医療的には非常にいい面が多いのじゃないか。しかしまた個人的な嗜好の問題、あるいは看護人、つき添い婦の社会的の経験という点から申しますと、やはり若い看護婦では足りない面がどうしても出てくるのじゃないかということで、やはりある程度の社会的経験を積んだ人も、どうしても必要になってくるだろうということも考えております。それからもう一つ、若い人が、きたない仕事をするのをいやがりはしないかという問題もございます。現実の問題といたしましても、たとえば便器あるいはたんコップの始末というような、いわゆるきたない仕事というのは、事実看護婦はいやがる傾向があるようでございますが、これはその療養所のしきたりで、どのようにでも持っていくことは可能であると考えております。
  151. 中村三之丞

    中村委員長 神田大作君。
  152. 神田大作

    ○神田(大)委員 同僚委員方々から御質問がありましたので、重複することを避けまして、簡単に二、三御質問申し上げます。  まず加藤参考人にお尋ねいたします。先ほどつき添い看護婦制度を廃止して雑仕婦にするということに対しまして、御賛成のようでございましたが、現在のようなつき添い看護婦の数から申しますと、われわれの調査からいきますと約四千人、厚生省からの数字によりましても三千五、六百人のつき添い看護婦のかわりに、二千二百七十人くらいの雑仕婦がそれを補う、そういうような状態であります。しかも、つき添い看護婦の場合は、平均十六時間勤務しておりますが、雑仕婦の場合には八時間勤務というような、そういうふうにズレておる現在におきまして、このような現在の状態におきましても、つき添い看護婦制度を廃止して雑仕婦制度にすることがいいとお思いになりますかとうか、お尋ねいたします。
  153. 加藤清一

    加藤参考人 私の申し上げましたのは、これも先ほど来いろいろお話が出ておりますように、今のつき添い婦制度が全然いけないからということでなしに、それよりも、完全看護制度をとるという方向は私は非常に賛成だ、こういう意味でありまして、今具体的の二千幾らという数が適当であるかどうかということは、私資料がありませんし、またそうした専門的知識を持っておりませんから、わからないのでございますが、要するに、少くとも今の看護力の限度は落さない程度でやってもらいたいものだ、こういう希望は持っております。二千幾らで足りなければ、皆さん方の御尽力で加えてやっていただければ非常にありがたいと思うのであります。  それから、ついででございますから、先ほど長谷川先生の御質問のつき添い婦さんの契約の内容について、どのくらいかということに対しまして、私、何か加算があるように申したのでございますが、これは私はっきりまだ承知しておりませんので、あるいは間違っておるかもしれません、この点一つ御了承置き願いたいと思います。
  154. 神田大作

    ○神田(大)委員 次に、堀江さんにお尋ねいたします。先ほど給与問題につきまして御質問があったようでございますが、それに対しまして、五百十円とかあるいは四百三十円とかいう話でありましたが、全体として、一体つき添い看護婦方々は、はなはだ失礼な話になります場合はお答えしなくてもけっこうでございますけれども、月平均幾らくらいの給与になり、またその給与の算出の仕方は、どういう仕方をしておるのかお尋ねいたします。
  155. 堀江ハル

    ○堀江参考人 つき添い看護料の日当の算定方法は、昭和二十六年十月十日に厚生省の保険局から出ております。それは、免状を持った看護婦の場合には、国立療養所看護婦さんの初任給から算出されていると考えております。それから免状のないつき添いさんの場合には、雑仕婦の初任給から算定されていると考えております。それからつき添い婦の一カ月の収入は、稼働日数によって差がございますし、それからさっき出されておりました徹宵勤務をした場合の加算は、厚生省の通牒では二割五分出してもよいということをうたってございますけれども、全国的に見て、厚生省がそんなに言ったって県では出せないというような理由や、また予算がないから県では出せないというような理由で、もらえないところがございます。さっき和田さんの言われたのは、神奈川県ではやれないということを言われたように記憶いたしておりますので、出ていないのではないかと思います。東京では朝まで起きていたとき、またそばに添い寝をして常時起きて看護をした場合は、先生がそれを認めた場合、二割五分加算されております。それから地方によりましては、厚生省の算定基礎も、うちの県では出せないのだといって百九十円くらいで払ってくれないところもございます。
  156. 神田大作

    ○神田(大)委員 砂原先生にお尋ねいたしますが、あるいは岡田先生でもけっこうでございます。厚生省は二十九年度に入退院基準並びにつき添い看護制限に関する指令を出したと思うのでございますが、それによって、実質的に療養所でもって看護制限になるような事態が起きたかどうか、あるいはまた、この患者にはつき添い婦をつけなければならないというようなことで、療養所では福祉事務所に対しまして医療券の請求をしたにもかかわらず、それを拒否されたというような事実があるかどうかという点について、お尋ねいたしたいと思います。
  157. 砂原茂一

    ○砂原参考人 私は詳しくそういうことを知らないので、申しわけないのでございますが、看護券を請求してそれが許可されなかったという例は、幾つかあると思います。現在でもあると思います。それがこの前行われた看護の基準というものが出ているからそうなったかどうかというようなことについては、ちょっと私、そうだともなかなか言い切れないのであります。まあある程度許可する方と申請をいたします医者の方との見解の相違というようなものもありますので、そういうときには、こちらから押し返して願っているわけでありますが、なおかつそれでうまくいかなかったという場合も、ないわけじゃございませんけれども、先ほど申し上げたように、今よりも二、三年前の方がひどかった、そのために二重つき添いというようなことが——申請をいたしましてもどの患者に許可がくるかわからないというような、どうもかけみたいなことがございましたが、近ごろはそういうような印象は私は持っておりません。
  158. 神田大作

    ○神田(大)委員 つき添いをした場合、医療券が福祉事務所長に拒否されました場合に、看護はしたけれども、給料の支払いを受けないというような場合があるであろうと思いますが、そういう場合がたびたびあるかどうか、その点をお聞きいたします。
  159. 堀江ハル

    ○堀江参考人 それは方々にございます。働いても何にもならなかったというつき添いさんが、あちらにもこちらにもございます。それがプール制というようなもので——三人づき、二人づきを、一人づきでなくちゃならないといって切りかえられたときに、先ほど砂原先生も言われましたように、どの患者さんに許可になるかわからない、そういったところから、ああいうプール制ということが考え出されたということも、過渡期においてはあったということでございます。
  160. 神田大作

    ○神田(大)委員 これで質問は終りたいと思いますが、砂原先生にお伺いいたしますが、いろいろお聞きしておりますと、つき添い制度を廃止して雑仕婦に切りかえることに対しましては、その制度においては賛成であるけれども、人数の点において不安があるというようなことを言われました。これは非常に重大なことだと思うのでございますが、つき添い看護婦というような人のやっているところの仕事の面と、雑仕婦が今後なさんとするところの仕事の性格等についても、大いに疑義があるとわれわれは考えるのでありますが、人数さえ増せば、つき添い看護制度を廃止してもいいというようにお考えになっているかどうか、お伺いいたします。
  161. 砂原茂一

    ○砂原参考人 そのように考えております。おっしゃった意味をそんたくいたしますと、つき添いというものであった方が、それが療養所の公務員であるよりもいい点があるのではないか、それは仰せの通りあり得ると思います。もともと公務員というものは評判が悪うございますから、公務員になりますと、私たちみたいになってしまうのではないかという不安もあると思います。それから患者さんも、一対一という、自分についているという感じでございますから、そういう感じがするのと、あちらの集団、こちらの集団というよりも、看護も非常に行き届きますし、またこういうことを言ってはいかぬかもしれませんけれども、つき添いさんも、自分のついているのはこの方だということになると、あまりなまけられないということもありますし、ほかへ行ってなまけるということもできません、そういううま味は認めなければならぬと思います。日本患者さんが今まで伝統的に持っていた病院における快さといいましょうか、そういうものが幾分減殺されるであろうということは、これは否定すべくもないと思いますけれども、しかし話の大筋は、そういうのは、一面においては私たちこれから努力していきますとともに、そういううまみといいますか、人情的なことは幾らか犠牲にしていただくということはやむを得ないのではないかと考えます。
  162. 中村三之丞

  163. 帆足計

    帆足委員 時間もあまりありませんので、要点を御質問いたしますけれども、本日参考人方々の誠実な、そして実際的な御説明で、もはや問題の所在はきわめて明瞭になったように伺うのであります。ところで、参考人の方はお聞き及びでなかったのですが、昨日政府委員説明では、今次の政府案は、日本の現在の環境では、政府案でまずまず事足りると思う。これは財政不足というような圧迫の結果ではなくして、一応満足な自主的な案であるという御説明でございます。私は、この御説明をまことに遺憾に思って伺いました。しかし、さらに具体的に伺いますと、個々の病院への人員の割当その他については、具体案すら示されていないということも、ほぼ見当がつきましたので、遺憾ながらこの案は大臣次官のもとにおいて再検討を必要とするものと存じまして、今日超党派的な雰囲気で、病人たちのために、参考人皆様からお話を伺う機会を持ちましたことは、きわめて意義のあることとして拝聴いたしたのであります。  さて、そのような前提のもとで、本日私どもが伺いましたことは、参考人各位におきましては、完全看護という原則には賛成である、しかし現在の環境のもとにおいて、政府が提示されております案に対しては、個々の療養所に対して具体的にいかなる予算といかなる人数が割り当てられるかわからないから、これに対して確たる回答はできない。平均値ではあるけれども、総数から見たところの政府の案から類推いたしますと、非常につき添い婦さんの数が減少いたしまして、深刻な不安を感じ、医療の低下の心配があり、特に重症患者に対しては引き受けることを手控えせねばならぬような雰囲気も生ずるであろう、こういう御意見のように承わりました。私はこれは党派の立場を離れて、この御意見に従って検討せねばならぬと思います。皆様の御説明要旨、すなわち現状では総数から類推いたしますときに、このような不安を感ずるというふうに私どもが感じました点は、たびたび委員各位から重ねて質問がございましたが、私が今申し上げますような理解がほぼ妥当でありますか、一言御返答願いたいと思います。
  164. 砂原茂一

    ○砂原参考人 今、帆足さんがおっしゃった通りと申し上げていいと思います。私たちは、今までのその日暮しのいろいろなことを考えながら、及ばないことだらけの療養所をもう少し筋道を立てる。ことに医療の面では、比較的充実しております国立療養所看護や食事の面で、びっこを引いている面を何とか回復いたしたいということが、毎日の念願なのであります。その一つとして、つき添い問題を取り上げております。つき添い制度が廃止になるということは、私たち長年願っておりましたことが実現するので、非常に喜ばしいのですが、これは申すまでもなく患者さんの看護と治療ということが第一であります。つき添いにいたしましても、看護制度にいたしましても、そのための手段であることは、これはまぎれもない事実であります。ことに相手が結核というような非常に困った病気に悩んでおられる方々のことでございますから、わずかなことでありましても、それが何かの試みに供されるというようなことでは困るのだというふうに私思います。従いまして、十分に検討されて安全率を高めて、私たちの至らないところから、数字的に抜き差しならない形として言い表わし得ないことも感じておるということをおくみ取り願って、それを反映した形で妥当な形に作り変えていただくということが必要だと思います。しかし、私たちがやっておりますことは、目先のことだけしかわからないという意見もございますので、実は案ずるより産むはやすいというようなこともあり得ないことはないというふうに考えます。たとえば二千二百七十人というような数でも、努力すれば、あるいはいろいろな条件がそろえばということであれば、あるいは許容せられるということもありますけれども、現在の数がまず行われてしまえば、それは整備と歩調を合せるというわけには参りませんので、一応そういうことを振り返って考えてみましても、なおかつ不安が残るというふうに申し上げたいと思います。
  165. 帆足計

    帆足委員 ただいまの結核治療の段階は、非常な転換期にありまして、一時は入院患者の数が増加するでありましょうし、外科はさらにふえるでありましょう。それは家庭に放置しておりますより望ましいことでございます。このような状況のもとで、私どもは、つき添いさんの看護の内容も伺いました。特に設備との連関におきまして、私たち聖路加病院や衛生病院などよく見学に参りますが、あの食事あの設備ならば日本的、アジア的醇風美俗にたよらなくても、安んじて病院にすべてをまかすことができます。あそこは裸のまま入院すればよろしいのです。一年間病院にほったらかしておいても、おばさんがつき添うよりはるかに安全です。それはお医者さまの技能の問題だけでなくして、設備の問題です。設備と人間の働きとが結びついて、初めてよい能率を発揮することができるのです。今日、私ども各地の療養所を歩きますが、先ほど申されましたように、設備が非常に貧困な状況でございますので、つき添いさんの仕事がどれほど重要であるかということをわれわれ先ほど伺った次第です。  そこで伺いたいのですが、つき添い制度を今度常勤制度に改めまして、人数を減らしまして三交代ということになりますと、人数も減りますし、勤務も醇風美俗でなくて、官僚的と申しますか、きまりきったものになるわけでありましょう。そのときに、今日のような設備の貧困、看護婦さんの数も足らず、看護婦、つき添い婦の教養も高からざる現状のもとにおいて、また権利を主張することは知っておっても、義務を遂行するにおいては、われわれ労働組合の立場に立っておる者も大いに反省すべき点があるような今日の現状のもとにおいて、人数は減らし、三交代制度になって、四十八時間も六十時間も患者につき添って、いわゆる醇風美俗でなした仕事を一体円滑にし得るかどうか、私はこの点に疑問を持っておりますが、その点はどういうふうにお考えでしょうか。両所長さんに簡単にお答えを願いたい。
  166. 砂原茂一

    ○砂原参考人 醇風美俗になれました日本国立療養所の現状では、仰せのように、相当条件がそろいましても、なおかつ困難が残るということは、認めなくてはなりませんけれども、しかし私たちは、その中で幾らかずつの進歩をしなければならない。そのことは、窮極には患者さんの幸福になる。先ほど例をお示しになりました聖路加病院とか衛生病院が、それがそのままいいかどうか別問題として、そのレベルに上げることは、患者さんに取って今より幸福であるということは疑いないと思いますから、設備の点、数の点において十分な配慮——仰せになりましたように、それぞれの素質の問題もございます。そういうものは、一朝にして振りかえることのできない問題ですが、しかし設備と人の数の問題を満たしていただけば、やはり私たちはやるべきであると考えます。
  167. 帆足計

    帆足委員 そこで問題は、結局設備と数と予算の問題、その問題をおいて話し合いましたところで、これは病院経営学と看護学の序論を論じておるようなことで、無意味でございますので、そこで結局、今の問題としては、過渡期にどれほどの予算と、どれほどの人数と、どういう設備でもってこれを切り抜けていくか、そうして目的は厚生次官のお考えになることでも、現在よりも全体としてよくなるということが目標でなくてはならないと思うのです。現在より少しでも悪くなるならば、現在よりも不安を感ずるならば、私はこれはやはり修正すべきものであると思いますので、そういう前提のもとでお考え願いたいのですが、先ほど千葉の病院に対してはどういう人数になるか、御希望の人数より五割少いことを大体伺いましたが、清瀬病院中野療養所に対しては、どのくらいの人数の割当になるでしょうか。政府委員からちょっと耳打ちしていただいて、それに対して御答弁を願わなければ——われわれは空理空論の徒ではありません。従いまして、ちょっとその点を耳打ち願いましてお答えを願いたいと思います。
  168. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 耳打ちと申しましても、どうかと思いますので、発言を求めたのでございますが、私ども先般の委員会におきましてもお答え申し上げましたように、今いろいろ試算をやってみております。その上で、この理論的な数字と現状及び今後の改善の見込みというようなものを見まして、きめて参りたいというふうに考えておりますので、実はただいまはっきりとした数字は申し上げかねるというような事情にございます。御了承願います。
  169. 帆足計

    帆足委員 私は今驚くべきことを伺ったのです。数字というものは理論から生まれるものではない。完全看護が必要だということは、看護学の理論から生まれますが、どれだけの予算を持ち、どれだけの人数を持つかということは、実際から生まれるものです。従って、各療養所別に、国がその任務を遂行するために必要不可欠の人員を計算して、その計算の集計がすなわち総数になるべきもので、そこでその総数を予算でもってその通りいくかどうか検討して、若干手かげんする、これが方法論的に私正しいと思う。これ以外に考え方というものはないのです。それがきまらないうちにこういうような予算を組まれ、提案をなさるということは、確かに多少不備な点が、また大いに不備な点があると思います。従いまして、せっかく参考人の方がお見えになりましたのに、一番大事な問題に対してほお答え願うことができないということは、この案の欠陥であろうと思います。そこで両所長にお尋ねするのですが、あなた方は私どもの信頼しているお医者様であって、大切な方です。私は終戦以来、労働組合運動または患者の自治会の運動等が多少急激に走りまして、お医者様に対する尊敬と信頼の念という点において遺憾な点がありまして、これが日本医療制度の改善のため進歩のために、一つの信用失墜する結果にもなっておることを、私どもの責任としておわびせねばならぬと思います。病める者たちに対する手当、それから社会保障の充実は、保守革新の別はありますけれども、少くともこの委員会出席しておられる同僚議員の諸君は、党派のワクはありますけれども、相ともに手を携えてできるだけの努力をせねばならぬというのが、私どもの今日の敗戦国の、貧しい国の努めだと思うのです。そのような観点から見まして、いろいろ行き届かぬ点も、われわれの側にもございました。しかしお医者さんの側におきましても、もう少しはっきりと態度を明らかにされまして、もうこういう問題が私どもの耳に入ります前に、所長さんが厚生省の当局と交渉して、数字くらいは十分御存じになっていなければならぬのであって、泣く子と地頭にはかなわぬ、長いものには巻かれろというのでは、私はそれでは患者さんの信頼を得ることに、多少やはり困る点があるのではないかと思うのです。長いものに巻かれろといいますけれども、長過ぎるものは、適当に畳んではさみで切って整理整頓すればよいのであって、そのためにこの委員会があるのですから、長いものは皆さんと一緒にここでよく整理して、納得の上で、私は整理整頓すべき性質のものだと思うのです。いかに長いものでも、あやまちはあるのです。非常に忙しいものですから、実際中野療養所清瀬国立療養所に対する割当の数字すら検討せずして、この案が出たということは、私は遺憾な点であると思います。せっかく今日は大臣のかわりに紅露次官さんが御出席になっておりますから、問題の所在点がこういう実際的な点にあって、イデオロギーの問題その他にあるほどの深刻な問題でなくして、これは病人看護の実際の家族会議を開いておるような雰囲気であることを御了承願って、善処願いたいのでありますが、所長さんは、なぜ今日まで自分の療養所に対する割当人員を知ろうとなさらなかったのか、まことに恐縮な質問ですけれども、御心境のほどを承わりたいと思います。
  170. 砂原茂一

    ○砂原参考人 知ろうとしなかったわけではありません。知ろうといたしましたが、今、委員会で御質問になっても、まだ厚生省の方でお答えにならないのですから、私質問いたしましても、お答え得られなかったということであります。
  171. 帆足計

    帆足委員 最後に、それでは問題の所在はきわめて明確になりまして、政府委員を怒らしても礼儀に反することでありますから(「長いものに巻かれたじゃないか」と呼ぶ者あり)巻かれませんけれども、これはすべて話し合いで平和的に解決すべきものである。ましてや、政党政派の党略からものを見るべき問題でもございませんから、私は民主党、自由党の正論の皆様と相談し合って、この問題の善後措置をいたさねば、議員としての職責上相済まぬと思いまするし、必ずや厚生大臣紅露次官も、この問題の重要性を御認識下さると思います。その上、昨日も申し上げましたように、私自身も数回喀血しました。三日間喀血を続けたときのからだの状況、苦しさ、それから最近における外科手術の進歩は非常に巧妙でありますけれども、それがいかに大手術であるかということを、紅露さんももちろんごらんになっておられると思いますが、私は昨日厚生大臣のあの健康な姿を見ながら、この大臣のあばら骨六本、一つへし折って差し上げたらどうであろうか、それが病人のためによいことであるならば、結核菌を少し参らねばならぬとすら思ったくらいでございます。もしこういう問題に御理解がないならば、厚生大臣は、一度重大な慢性の病気をしたことの経歴のある者というように憲法を改めねばならぬことにもなりますので、どうか一つまじめにこれを取り上げていただきたいのです。  そこで最後にお尋ねいたしますが、これに対する修正案ないし善後策の案は、幾つかあると思うのです。それにつきまして何か御要望がございましたら、両所長から伺いまするし、今日直ちにそれを申しにくい、また準備も不十分でございますれば、ぜひともこの社会労働の各委員に、皆さんからの建設的意見をお出し願うことをお願いできますかどうか、これを最後にお願いしておきたいと思います。どうぞ御両所からお答えを願います。個人としてでけっこうです。
  172. 砂原茂一

    ○砂原参考人 試案と申しますか、幾らかの数に当ったようなお話は、先ほども、たとえば手術後どうである、一人づきはどのくらいの期間であってほしいというような形で申し上げたわけでございますが、結局割り出す方程式を出すということになるのだと思います。それが全国的な安静度を分けたもの、あるいは手術の現在の数、それから施設のいろいろなことの資料を私たち持っておりませんので、結局個々の療養所についてのものということになり、それが相当その療養所の特殊な条件にも支配されておりますので、なかなかむずかしいことだと思いますけれども、たとえば手術後どのくらいの間はどうであってほしい、それにはこれだけの設備が見合わなくてはならないというようなことは、考えてもおりますしいたしますが、やはりそれは全体の数——一番私いいと思いますことは、厚生省がお出しになります方式を見せていただいて、ここがこれじゃおかしいじゃないかというようなことが、実際的のように私は考えます。
  173. 帆足計

    帆足委員 最後に、せっかく参考人皆様に来ていただきましたのに、今日は病理学と看護学の一班だけを伺いまして、そして一定の数字については——現在扱っている将来扱うであろうところの病人に対して、敗戦国ですから十分なことはできませんけれども、少くとも今日の現状を考えても、多少なりとも明日のためによくする、これが今日の民主党の政策であらねばならぬと思うのですが、その程度のことにこの案が合格しているかどうかということの検討でありますのに、所長さんに数字を差し上げておりません。所長さんとしては、数字をいただかなければ明確なことは答えられないという御答弁でございました。これ以上お尋ねいたしましても、かえって御迷惑かと存じますし、問題の所在も同僚議員皆様の御熱誠な御質問と皆さんのお答えによりまして、だいぶん明らかになりました。あとまた同僚議員から適切な御質問もございますから、私は参考人皆様にこれだけのことを申し上げまして、いろいろ伺いましたことを深くお礼申し上げますが、先ほど申し上げましたように、数字を政府委員に示していただきまして、個人の御意見でけっこうですから、後ほど同僚各議員に皆様の建設的な意見修正案を一つ出していただきたいと思います。政府委員におきましても、審議の過程において、あらましの数字でもお示し下さる御誠意がおありでありましょうか。長いものにこの点お尋ねする次第であります。
  174. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 私、長々と発表させていただきますことはどうかと思うのでありますが、個々の施設につきましての具体的な数字を示しておらないということは、先ほど来問題になっております通りでございます。しかしながら、大体どの程度の数字になるということは、ある程度随時特殊な療養所に話をしております。それからもう一つの問題は、大体の基準でございます。これもやはり試案としての基準なのでございまして、たとえば外科病棟におきましては、病床四について看護婦及びつき添い婦——雑仕婦はちょっと別になっておりますが、雑仕婦のうち看護の補助をいたします者、こういうものの配分が四床に一人、それから内科におきましては六・八人に一人それからこれが両方まじりました混合病棟でございますが、ここにおきましては五病床に一人、小児病棟におきましても五病床に一人、成形の非常にからだの不自由な方々に対しては四病床に一人というような基準でもって大体計算してみますと、約三、四百人になるかと思いますが、それくらいの余分が実は出るのであります。この余分をどういうふうにしてどこの施設に振り向けていくのが一番妥当であろうか。これは一つ理想の姿を描きまして、その理想の姿にしゃにむに——しゃにむにという言葉は悪いかもしれませんが、いわば少し強方に持っていくように努方すべきか。あるいは現状において、事実私どもがこの看護の体制をととのえて参りますれば、相当少人数でも十分看護をいたすことができるという可能性が強いか、あるいは非常に困難かというようなことを勘案しながら、この配分をしていくべきではなかろうかというような意味におきまして、これをどこへ持っていくかということの最後的なことは、各施設に申しにくいというような状況にございます。これも百八十幾つの施設がございますので、全部というわけにはなかなか参りません。私どももいろいろ方々出歩きましたりしたようなときには随時、これも確たる数字でなく、おおむねこれくらいのところがあなたのところに行きそうだが、これでやれそうかどうかというようなことを聞いているような次第でございます。
  175. 帆足計

    帆足委員 結局ただいまのような御答弁また御調査は、今から一カ月ないし二カ月前にしていただきたかったことであります。今ではちょっと手おくれだと思うのです。従いまして、今せっかく参考人として御招待いたしたモデル・ケースの一つでございますから、両所長には、私、しろうとでよく存じませんから、ただいまの計算から類推されたところの大体の人数、割当基準をお示しくださいまして、そうして両所長から、これは議員の要求でございますから、必ずお示しくださることと思います。従いまして、それを伺いまして、両所長から各委員に簡単に一つだけでけっこうでございますから、御意見でもお寄せくださいますことをお願いいたしまして、私の質問を終ります。
  176. 中村三之丞

    中村委員長 中原健次君。
  177. 中原健次

    ○中原委員 大要同僚委員から重点的な御質疑がございましたし、参考人各位から、それぞれ御答弁もございました。従いまして、私が特に御質問申し上げたいと考えておりました問題点につきましては、大要回答を得たと思います。なお、ただいま帆足委員から、非常に深い御経験の中からの妥当適切な御発言があって、われわれの質問すべきところをお示しになりましたし、従って、私は蛇足を加える弊を気づかいまして省略したいのでございますが、ただいまの局長の御答弁の中で、それぞれの状態に対する割当人数の問題の基礎にもなるかと存じますので、一応堀江さんあるいは和田さん御両氏の間で、一点だけ御回答をいただきたいと思います。  そのことは、先ほどから問題になっておったのでありますが、一日労働時間、つまり二十四時間大体その患者につき添っている形になっていると理解いたしておりますが、一月の間に一人のつき添い婦の方が何日ぐらいその時間を担当しておいでになるか。そしてその一月の間の担当しておいでになる労働時間の、その一日額の、たとえば東京都における給料はどうなのか、このことをもう一度伺いたい。先ほど御答弁がありましたが、ちょっと理解しがたいので、特に一月間におけるその労働日の時間数が聞きたいと思います。
  178. 堀江ハル

    ○堀江参考人 この点につきましては、はっきりとしたものは非常にむずかしいので、まだつかんでおりません。一人のつき添い婦が二十四時間、ほとんど、眠ったか眠らないかわからないような状態を過すと申しますことは、術後の患者さんなど個人差はございますけれども、大体三日ぐらいはそういった看護状態を続けると考えます。それが過ぎますと、個人差はございますけれども、もうからだも耐えられませんし、患者さんの方も幾らかお休みになりますので、少しは眠れるというような状態が続きます。それで三日ぐらい一人の患者さんに一人のつき添いがつくということでは、肺摘や区域切除の患者さんの場合に、とてもそれは看護はしていけないんじゃないかと考えます。もうそれはほんとに最小限に考えましても、七日か八日ぐらいは、一人のつき添いさんだけでは十分な看護ができない。二人のつき添いさんが八時間交代で看護しなければ、一応の看護はできないのではないかというふうに考えておりますし、組合員がそういうふうに話しております。
  179. 中原健次

    ○中原委員 一人のつき添いの方が、大体二十三日ぐらいですか、以上の勤務はできないとかなんとかなっておると思いますが、従いまして、その月のうち二十三日という日は、ただいまのお話のように、大体一睡もできがたいような状態が三日続く、あるいはだんだんわずかずつ眠れる状態が繰り返されながら、さらに二日あるいは三日あるいはまた次は一週間というふうに続いて、だんだん快方に向う、こういうふうに、先ほどこれはどなたでしたか、所長のお話であったと思うのですが、それと関連して考えますと、大体そういう判断かついて参ります。従いまして、二十数日の勤務の時間中は、大体二十四時間拘束され続けるということにも解釈ができるのです。二十四時間拘束はされておる。しかしながら、だんだん快方に向うにつれて、眠る時間がだんだんふえてくる。しかし眠っておる中にも、何どきでも起されれば起きてその仕事に従事する、こういう状態が二十数日続く、こういう解釈に実は到達するのですが、この私の判断は違いましょうかどうか、ちょっとお伺いしたい。
  180. 堀江ハル

    ○堀江参考人 そういう状態が何日間か続く患者さんもございますし、一応小康を得まして、そばに添い寝をしませんでもよろしいという先生方や看護婦さんの指導がありますと、つき添いの部屋へ帰って休むこともございます。
  181. 中原健次

    ○中原委員 従いまして、そういう状態の中で勤務を続けておられるわけでありますから、大体もうその特定の患者にはつき添いが必要でなくなるという日に到達すると思うのです。その場合に、その次はもう仕事がなくて遊ばれるという形になるのか、それともまた次の新しい患者につかれるということになりますか。
  182. 堀江ハル

    ○堀江参考人 大体そういうような勤務状態を続けております。
  183. 中原健次

    ○中原委員 それで大体わかりました。従いまして、つき添い婦としてのお仕事は、二十四時間の拘束が原則であって、その原則の中に、いわゆる二十四時間の中における労働、勤務の軽重はある。つまり眠れる時間も、その中から求めることができるような状態はある。しかしながら、拘束は、勤務するからには二十四時間である、こういうことになって参ったと思います。  そこで、これはせっかく先ほど局長さんの御発言がありましたから、一つだけお伺いしておきます。先ほど御答弁になりました四ベッドに一あるいは、六・八ベッドに一——五、六ベッドに一云々の配置でございますが、この配置は二十四時間を対象とした配置でございましょうか、それとも八時間勤務を単位とした配置でございますか。
  184. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 今日におきましては、看護婦は八時間勤務、それに予算措置といたしましては、一時間の超勤が準備してございます。
  185. 中原健次

    ○中原委員 それと関連しまして、それではただいまの実情から結論される二十四時間は、一応拘束されてつき切らなければならぬという今日の実態、その実態と、ただいまの局側のお計画とはどういうことになりますか。
  186. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 手術後におきましては、おおむね患者さん一人に対して一人のつき添い婦が昼夜つきます。その後随時先ほどからたびたびお話がございましたように二人づき、三人づき、四人づき、あるいはもっと軽くなりますれば五人の患者さんも見れるというような状態に随時移行して参ります。平均的には、大体私の考えておりますのは、手術後おおむね三日は昼夜つかなければならぬ、それからその外科病棟におおむね三カ月ぐらい滞在するというような工合に考えております。それから病棟の単位といたしましては、私ども大体四、五十を一単位として分けるのが適当であるというような考え方を持っております。
  187. 中原健次

    ○中原委員 そのような基礎の上に立っての病棟の算出であるとすると、今日の実情から、いわゆる看護内容がよくなるとはやはり考えられぬように思います。その議論はいたしません。私はそう思います。いずれそれはまた後日の委員会で御相談をしたいと思います。  そこで、私は一そうはっきりしてきたことを一言つけ加えて、質問を終りたいと思います。先ほど砂原先生でございましたか、この状態でははなはだ不安である、手術の数をだんだん減らさなければならなくなるかもしれないし、あるいは患者の選択を必要とするような状態が起るかもしれない、はなはだ今後のお医者さんとしての医療の社会的な役割を担当する立場から考えて、非常に不安をそのお言葉の中にかもし出したように拝察しました。なお岡田先生も、ただ問題は、不足するかもしれない、その不足する人数については、他の予算をこれに充当して、別途に何とか措置していただけるだろう、そのようなことを聞かされておるので、それに期待をかげながら何とかという、非常に不安な御答弁もあったように拝聴いたしております。従いまして、かれこれ考えて参りますと、やはり結論は、先ほど帆足委員が切々と訴えられましたその結論に、私どもも大体残念ながら達することができております。このことは、はなはだ遺憾しごくに存ずるのでありますが、いずれにいたしましても、本委員会委員各位の文字通り良識によりまして、よき結論が出ることを期待いたしておりますし、また当局におかれましても、この問題については、ただかたくなに法規の立場をだけ持ち続けられるとも考えません。本日の参考人の各位の長時間の御労苦を感謝いたしまして、本案件のよき結果を作り上げることのできますよう心から祈りまして、私の質問を終ることにいたします。
  188. 紅露みつ

    紅露政府委員 ただいま集約した結論的な御意見が中原委員からございましたけれども、今日は、また大へん御熱心な長時間にわたっての御審議に、ほんとうに委員皆様に敬意を表します。また参考人方々からの供述も、それぞれの角度から伺いまして、大へんとうとい資料をいただいたと存じます。それぞれの立場から言われますと、なるほど、なるほどと思う点もだんだんに出てくるのでございまして、これは当然のことであろうと思うのであります。このとうとい資料は、ほんとうにむだにいたしませんように、尊重いたしまして私どもは進めたいと存じております。  供述のすべてを通じまして、不安があるという点を御指摘でございます。私もそれをたびたび伺いましたが、結局するところ、このつき添い婦の制度を変えるということにつきましては、これはいろいろな点から悪くはない、賛成だ、こういう御意見のように伺ったのでございますが、そのつき添い婦の方々の牧の問題に不安があるように存じます。もちろん当局といたしましては、専門的ないろいろな角度から、これまでの来方をも参考に、十分に検討して参ったのでございまして、一応これでいけると考えておるのでございます。設備、施設等も、今までのままでなく、働いていただきいいようにこれを整備して参る、かように今考えておるのでございます。当然、これは失業の問題もずいぶん大きく取り上げられておりますけれども、眼目は、患者を早くよくしなければならないのでございますから、医療を低下させてはならない。そういうことから、今事務当局からお話がございましたように、試案としては数も一応割当をしておるようでございますが、それでもまだ余裕を取って、そしてそれぞれの実情に即した行き方をしたい、こう考えておるのですが、それでもまだということもあるかもしれません。そういうような場合には、御承知のように生活保護法の方は、こういうふうに切りかえましても、予算を落しておりません。それから健康保険の方は、これはもちろん給付の面で行くわけでございますから、先ほど山花委員でございましたか、あるいは吉川委員でございましたか、もうゆとりは絶対にないのだというように厚生大臣が申し上げたというお話を伺ったのでございますけれども、それは神様のすることではございませんが、今申し上げるように、医療を低下させるようなことがあってはならないのでございますから、ぎりぎりに何としても少しも出ないというような、そんな行き方ではないと存じます。帆足委員はあいにくお帰りになりましたけれども厚生大臣に少し結核菌を参らなければというような御発言がございました。健康のサンプルのようなわが厚生大臣ではございますが、この問題につきましては、より深い関心を持ちまして、先般来非常にこれを心配をして、そうしてこういう結論に到達したのであります。  今日は大臣差しつかえがございまして、伺えなくてまことに相済みませんが、御審議の様子は、大臣にもよくお伝えをいたしまして、皆さんのこの御熱心な御審議に対しては、これを尊重して参りたいと存じますから、どうぞその点は御了承を願いたいと存じます。  まだ御質問がおありになるそうで、ごあいさつが早うございましたが、あとの質問も伺わせてもらいます。
  189. 中村三之丞

  190. 八木一男

    八木一男委員 時間もおそうございますので、簡単に要約して質問をさせていただきます。私、途中から委員を差しかえをしていただきましたので、最初の参考人各位のお話もよく承わっておりませんし、ダブる点がございました場合には、どうか失礼な点はお許し願いたいと存じます。  まず岡田参考人にお伺いをいたしたいのでありますが、岡田先生は、この制度になって、数の点においては非常に不安であるけれども、さらにそれと並行して、つき添い制度も残されるという話を聞いたので、安心をしておるというような御意見だったように伺いましたけれども、それで間違いはございませんでしょうか。
  191. 岡田藤助

    ○岡田参考人 その割り当てられました人数によりまして努力してみまして、なおかつ足りないという場合には、健康保険並びに生活保護法からつき添い婦を頼むということが可能であるというふうに伺いましたので、やってみようという気持になっております。
  192. 八木一男

    八木一男委員 その場合に、岡田先生は、やってみて足りない場合に、生活保護の方、また健康保険の方から医療券を切って、つき添いさんがその処理に当られる、それならばやっていけるかもしれないということで、今のようにお考えになっておられるわけでございます。もちろん、それにつきましては、ごくわずかな数のつき添い婦が許されてというわけじゃなしに、許された場合に、そういうことではおそらく自信がおありにならないので、現在より激減しない数においてつき添い婦が許される場合にのみ、何とかやっていけるのではないかというような御意見じゃないか、こう拝察するわけでございますが、どうでございますか。
  193. 岡田藤助

    ○岡田参考人 激減するとか、そういうことはあらかじめ私は予定しておりませんで、どうしても必要であるという、もちろん客観性を備えました必要性をわれわれが認めました場合には、とにかく何としてもやはりつき添い人を置かなければならない。医療の低下はもちろんしたくはないのでございます。また去年よりも今年は手術件数をふやしたいという気持をわれわれは持っておるのでありまして、医者でございますから、医療を向上させていくということに対する差しつかえがあってはならないと考えております。
  194. 八木一男

    八木一男委員 私は、岡田先生はこういうお考えだと存じますが、医療上、看護上必要なりと、岡田先生を初め療養所の先生方がお認めになった数のつき添い看護婦が許されるものであれば、このことでやっていける、もしその数だけ許されないものだったら、これはやっていけないという御意見であると拝察するわけでございますが、いかがですか。
  195. 岡田藤助

    ○岡田参考人 御意見の通りでございます。
  196. 八木一男

    八木一男委員 療養所所長とされて、大へん当然な御意見だと存じまするが、往々にしてこの問題は、そういう問題で救われるというような、何といいますか、期待を持たれた場合にも、実際は量においてそれが実際になくも同然の制度に化することがある。そういう例が、前にいろいろのことであったということを一つお心にとめていただきまして、この問題をもう一回、一つよくお考になっていただきたい。大へんなまいきでございますが、私ども希望するわけでございます。  次に、砂原先生にお伺いいたしたいわけでございますが、現在結核の治療法が非常に急速に変っておりまして、何と申しますか、成形手術から肺切除の手術がどんどん行われているという状態で、今までなおらなかった患者が、なおる道が開かれたので、大いに手術をしていただいて、早く世の中に再生をしたいという強い願望を持った患者が大ぜい待っている事情であるということを、私ども常々伺っているわけでございます。そこで、療養所の先生方は、その患者の世の中に生き返りたいという強い熱望を生かしてやりたいというために、非常に一生懸命になって手術に邁進しておられる。従って看護婦さんも、婦長さんも、つき添い婦さんも、そのお医者さんの努力とともに、同じような気持で大いに努力していられる。何と申しますか、気持の上で一生懸命になられて、ほとんどこれ以上はできないというところまで手術を一生懸命やられて、そして再生のために努力しておられると私ども思うのでございますが、この点についてはいかがでございましょうか。
  197. 砂原茂一

    ○砂原参考人 おっしゃる通りであると思います。
  198. 八木一男

    八木一男委員 そういたしますと、私ども、今病院の先生方や婦長さんあるいは看護婦さんたちも、労働条件においてぎりぎりのところまで、あるいはもっと言葉をはっきり申しますれば、基準法に違反したとんとんの線までも、自分を犠牲にしてやっておられると思うのであります。ですから、今の線よりも、たとえば看護婦、それから今の雑仕婦、つき添い看護婦、すべてのそういう病人看護に当るような人たちの人数がちょっとでも減りました場合には、非常に困難な状態に陥るのではないか。そして、ちょっとでも減りましたときには、砂原先生も先ほどおっしゃいましたように、再生を願う人をやむなく見殺しにしてでも、手術を減らさなければならないというようなことが起るのではないかということを、一つ伺いたいのでございます。
  199. 砂原茂一

    ○砂原参考人 ちょっとでもということは、なかなかむずかしいかと思いますが、おっしゃる通り、現在よりも進歩はしても、それ以下に足を引っぱるようなことは困ると思います。ただ、一生懸命にやっているというお言葉で、大へんありがたいのでございますけれども、しかし私たちは、私たちの職務には、なお努力すべき余地がないというようにうぬぼれることもできないと思います。たとえば、こういう問題でしばしば問題になりますことは、非常に比較の対象になりやすい国立病院療養所における看護婦の働きぶりなどが比較に出ます。タイム・スタディなんかによってそういう比較が出されます。御存じの通り、療養所というものは、病院よりも設備条件も非常に悪うございますし、それから患者も非常に長うございます。先ほどからしばしば話がありましたように、患者は非常に神経質でございます。従って、病院よりも非常にやりにくい条件のあることはわかっておりますけれども、現在の私たちの働きぶりが、ほかと比べまして十二分、あるいはもって範となすに足るかということになりますと、必ずしもそうはいえないと思いますから、今まで以上に看護能力が低下しないようにお願いをいたしますとともに、私たちができるだけ努力をして、より能率を上げてくい、その結果として人が減るのは、これは少しも差しつかえないと思います。
  200. 八木一男

    八木一男委員 大へん謙虚な御返事でございましたけれども、とにかく現在の非常に悪い設備のもとで——設備改善によって非常に能率が上るという余地はありましても、現在の非常に不十分な設備のもとにおいて、全力をあげて結核患者の再生のために力を尽しておいでになるものと考えまして、先生方のお考えも間違いがないのではないかと思うわけでございます。もし、間違えましたら御訂正願いたいのでございますが、そういう意味におきまして、少しでも——少しでもという言葉は、言葉に非常にむずかしい点があるわけでございますが、普通の意味で、大幅にじゃなくても、ある程度変っても、たちまち今の状態で手術を回転していくことが困難になるというようなぎりぎりの線で働いておいでになると、私考えておるわけでございますが、それについてはいかがですか。
  201. 砂原茂一

    ○砂原参考人 主観的な気持といたしましては、そうでございます。従って、先ほどおっしゃいましたように、幾らかの抜け道ができましたといたしまても、それは名目的なものではやはり困るのだというふうに考えます。
  202. 八木一男

    八木一男委員 岡田先生にお伺いいたしたいのでございますが、千葉療養所においても同様に、ほんとうに皆様方が全力をあけて結核患者のためにやっておいでになって、今のところもそういうよう労働力の余裕であるというな状況にない、ほんとうに余裕の全部を患者のために尽していただいておると私考えておるわけでございますが、いかがでしょうか。
  203. 岡田藤助

    ○岡田参考人 ただいま砂原さんからのお話と同じようでございまして、われわれもできるだけの努力をしておるつもりでございますが、客観的に見ました場合にお恥かしい次第でございますが、どこか抜けているという点は、おそらく多々あるということも十分承知しているのでございます。ただ先ほども申し上げたいと思いますが、結核療養所の実態というものは、昭和二十五年が契機となって、非常な転換をしているのでございますが、職員の気風と申しますか、そういうものは、二十五年以前の気風を大部分受け継いでおるというのが現状でございます。たとえば医者にいたしましても、昔は、肺が少し悪いので、普通の病院の勤務はできないけれども療養所に行って、自分が療養しながら患者を見る、こういうような傾向も、一般的に申しますと非常に多かったと思うのでございます。それから看護婦にいたしましても、やはりそういうような空気がありますし、ことに安静時間が午前と午後にとられておりまして、こういう安静時間の間の看護婦並びに職員の勤務態勢というものは、個々の療養所によっていろいろ趣きを異にしております。そういう点が、国立病院等と比べましていろいろ目に立つところであると存じますが、そういう点につきまして、われわれは、その労働力をいかに十分に利用していくかということにつきまする検討という問題が、まだ少くとも私ども療養所におきましては未解決になっていると考えております。  それから、もう一つの問題は、これはまだわかっていない問題でございますが、結核患者に安静を行うということ、この安静が原則であるということは、われわれも異論のないところでございますが、化学療法剤が使われるようになりましてから、安静の問題がもう一ぺん検討されなければならない、そういうところに、また療養所の職員の勤務状態というものが安静とのかみ合せにおきまして、もう一ぺん検討しなければならない問題があると考えております。しかし、これはこの化学療法剤と安静というものの相関関係が、まだはっきりしていませんので、勤務力の問題も未解決でございますが、見通しといたしましては、この化学療法剤の使用によりまして、療養所のいろいろな問題も変貌をなし得る見込みが相当あると考えております。
  204. 八木一男

    八木一男委員 岡田先生にお伺いいたしますが、化学療法によっていろいろと療養所のやり方を変える余地もあるというような意見もあるというお話でありますが、それつにきましては、やはりそういうことが確定しましてから、療養所ではいろいろ御計画にお組み入れになるものと存じますが、試験的にそういうことをお組みになるということはないのでしょうか。
  205. 岡田藤助

    ○岡田参考人 実は多少やっておるのでございます。しかし、これは一般論としては申し上げられませんので、岡田個人としての見通しの問題でございます。一般論では決してございません。
  206. 八木一男

    八木一男委員 岡田先生にお伺いいたしますが、手術後の患者は大体において、何と申しますか、私も実は手術をしていただいてなおしていただいた経験があるわけでありますが、小さな一人部屋に入っておって、隣りの手術患者のうなり声も聞えないで安眠できるとか、そういうことが必要であろうかと思うわけでございますが、それについてはどうでございましょうか。
  207. 岡田藤助

    ○岡田参考人 患者の精神的の安静という意味で、手術直後の患者が一人部屋に入るということは、一番望ましいことだと存じます。
  208. 八木一男

    八木一男委員 砂原先生にもその点について……。
  209. 砂原茂一

    ○砂原参考人 精神的安静という点では、私もそう思いますが、しかしその辺は、患者さんの扱いやすさという点とある程度均衡をとっていい問題じゃないか。現実に私のところでは、手術直後三人の部屋で簡単にカーテンをやっております。それでいいのではないか、それがむしろ大勢ではないかと思います。ただ、そういうふうにいたしますと、看護の手が幾らか省けますしいたしますけれども、現在の療養所の建て方がそういうふうになっておりませんから、重症室に入れざるを得ないようになる。三人部屋のようなものを別に作ろうと思えば、今六人入っているところをつぶして入れなければならないとか、従って収容定員が減るとかいうような問題が派出いたしますけれども、私は手術直後でも二人部屋、三人部屋で悪いということはないと思います。
  210. 八木一男

    八木一男委員 砂原先生にお伺いいたします。先生方の御経験の深い御意見を伺って、大へん勉強さしていただいたわけでございますが、大部分は大きな部屋でなく、二人部屋とか三人部屋とか、比較的小さな部屋の方がいい状態であるわけですか。
  211. 砂原茂一

    ○砂原参考人 三人が限度だと思います。
  212. 八木一男

    八木一男委員 実はこの制度につきまして、私どもが人数の点でいろいろと政府の方にお伺いいたしましたときに、重点的に配分して、重点的にそういうふうな手術患者、重篤患者を一まとめにして見られるから、そばでいきなり大事が起ったときにも大丈夫だという御答弁を、しばしばいただいているわけでありますが、今の先生方のお話によりますと、三人まではある程度まとめられても、それ以上まとめて少数の雑仕婦で大ぜいの手術後の患者とか重態の患者を見ることは大へん困難を伴うのではないかと思われるのでありますが、この点について砂原先生いかがでしょうか。
  213. 砂原茂一

    ○砂原参考人 おっしゃる通りと思います。
  214. 八木一男

    八木一男委員 それでは、和田さんと堀江さんにお願いいたします。実はこのように先生方やつき添い婦の方々や、また東京都の方々というような関係の深い方がおいでになりまして、貴重な御意見を伺わせていただいたことは、非常にけっこうなことだと存ずるのでございますが、この問題の核心であります患者意見が聞けないことが、私どもはなはだ遺憾なのであります。この点につきまして、いろいろの点で患者に近いのはどういう方だという観点がございましょうけれども、しかし、患者がわがままの気持もあるかもしれませんが、それ以上にほんとうの気持を、権威者でなくてときどき漏らすという相手は、そばにつき添っておられる方々に漏らすのではないかと私は考えているのであります。この点和田さんと堀江さんの御両名の方から、患者がこの問題についてどのような気持でいるかということにつきまして、聞かせていただきたいと思います。
  215. 和田ハル

    ○和田参考人 患者さんの意見としては、おばさんたちのやっている仕事を、看護婦さんが全部やってくれればいいというような考えを持っております。手術の場合、どうしても常時看視が必要だというわけで、そういう面で雑仕婦に切りかえられたら、とてもそういう仕事はやってもらえないのではないかと言う。だから、結局おばさんたちがやってくれる仕事を全部看護婦さんがやってくれればいい、そういうことを言っておられるようであります。
  216. 堀江ハル

    ○堀江参考人 患者さんは、今つき添いがやっているだけの仕事を看護婦さんがやってくれたらいいけれども、何か公務員である看護婦さんには、頼みにくい仕事がたくさんあるというのが、患者さんのほんとうの気持だろうと思います。たとえば、成形されたときなんか動くことができない場合、からだが非常に不自由になるわけですから一定の期間腰に手を入れてあげるとか、また足を伸ばしたきりの場合に、非常に苦痛があるが、自分ではその足を動かすことができないというような場合に、ひざの関節に何かふとんでも入れてあげる、またその高さを長い間続けているとまた苦痛がくる、それを低くしてあげるとか、とってあげるとか、また入れ直してあげるとか、また仰向けに寝たきりの場合、かかとが非常に痛くなったり麻痺するような状態になってくる、そのときに、またもんであげるとか、また手がしびれるようになったときに、さすってあげるとかいうようなことを、今の看護婦さんの定員では、つきっきりでその仕事をして差し上げるということは、とても不可能だと考えるわけなんです。ほんとうに重篤な患者さん、喀血された患者さん、ちょっと御不浄に行くのも、何か食事に行くひまも、そばにいなければ精神的に不安で不安で、たとい喀血しなくても、だれかそばにいなければ不安で不安で耐えられないというようなことは、やはり看護婦さんや先生方がいらしたときに、どうかいと言われると、ええ大丈夫ですと、そのときにはおっしゃるのですが、お腹がすいただろうけれども、もうしばらく食事に行かないでほしい、眠いだろうが何か不安でどうにもならないから、そばにいてほしいというようなことは、今の定員法では、とてもとてもできることではないのじゃないかと考えております。
  217. 八木一男

    八木一男委員 今のお話を伺いまして、私も実は手をさすってもらったり、腰に手を入れて直してもらった経験があるものですから、ほんとうにそうだと思うわけです。それにつきまして、今、和田さんも堀江さんもおっしゃいましたけれども、今やっていただいているようなことをやってもらえるのならというのが和田さんのお話であり、堀江さんはさらにそれにつけ加えて、今の制度がなくなったならば、それができないであろうという意見も、患者の方からよく聞いておられるわけであります。とにかく手術の直後においては、そばにいる人、また夜は仮睡にしろ、そばに寝ていてくれるという人がなければ、非常に不安であると同時に、不安だけでなしに、苦痛であるというのが患者状況だと思うわけでございます。堀江さんも和田さんも、お医者さんじゃございませんし、りっぱな先生が同席におられるのに、和田さんや堀江さんに伺うのはどうかと思うわけでございますが、患者のほんとうの気持をそばで察しられて、そういうような気持でないかと思うわけでございますが、それについてもう一回おっしゃっていただきます。堀江さんにお願いいたします。
  218. 堀江ハル

    ○堀江参考人 患者さんのほんとうの気持は、やはり身近にいる人が一番言いよいのじゃないかというふうに考えるわけです。先生、看護婦さんには、何か言いたくても言えないようなものを理屈でなしに持っているということ、それからほんとうに常時看視を要するような苦しい状態のときには、理屈も何もなしに何か言いたいことが言ってみたいという気持を、患者さんは十分持っていられると思うのです。それから今のつき添い制度でありますと、何か自分で使っているという気持の気やすさから、かたい気持にならないで、軽い気持で頼みいいというのが、一番患者さんの精神的なものを満たすというような点で、今の制度がほんとうに必要なのじゃないかというふうに考えているわけです。
  219. 八木一男

    八木一男委員 同様のことについて、和田さんにお願いいたします。
  220. 和田ハル

    ○和田参考人 患者さんは、どっちかといいますと、やはり看護婦さんでは気がねだ、その場合、おばさんたちだったら、自分の家族のような、母親のような気持で、自分は実際のところ苦しくてどうにもならないのです、そういう場合、自分の思うことを言わなくてもわかって、何でもやってもらえるというような、そういう状態がほしいのじゃないかと思います。
  221. 中村三之丞

    中村委員長 八木君に申し上げますが、だいぶ参考人の方も疲れておられますし、まだ委員外の福田君の質問もありますから、どうぞ一つ重複のないようにお願いいたします。
  222. 八木一男

    八木一男委員 重複のないようにいたします。  砂原先生と岡田先生にお伺いいたします。ただいまこの問題の権威者の両先生を前にいたしまして、つき添い婦の方に患者のことを伺って、大へん何だか失礼なことを申し上げたように思うのでありますが、しかしまた、患者の中にはこういうような気分があることを、両先生も御承知だと思うわけでございます。先生方は、医療をほんとうの科学的な責任からいろいろの問題について御研究になり、結論を出しておいでになり、それが患者を甘やかさないでなおせる最もいい方法であるという点で、御結論をお出しになっておるのに違いないのでございまして、私どもも、それを心から信ずるわけでございますけれども日本完全看護に至る道が、非常に文字通り不十分な道であり、それまでの間におきまして、先ほど砂原先生のおっしゃいました快さと申しますか、家族的な要素と申しますか、これを全然無視することはできない、また全然無視することは、特に普通の状態とは違って、ある意味では絶望的な病であり、ある意味では非常に長く時間のかかる病であり、ある意味では精神的に非常に影響を受ける病でありまする結核の場合におきまして、やはり快さとか家族的な点と療養の点ということも、科学者としての先生方もある意味では無視してはいけないというお考えもお持ちになっていただけるのではないかと思うのでございますが、これについて、砂原先生の御意見一つお伺いしたい。
  223. 砂原茂一

    ○砂原参考人 ただいま、医者や看護婦にはなかなかほんとうのことを言わないという話でございますから、私うまくお答えできるかどうかわからないのでございますけれども、確かにそういう気持を持っているであろうということはわかります。そして、今おっしゃいましたように、先ほどの帆足先生の表現でありますと、醇風美俗といいますか、そういう家族的な快さがどこまでであって、必要欠くべからざる看護の面がどこまでであるかということを、数の上で割り切るということは非常にむずかしいことだと思います。ことに日本人は、そういうような環境で安心して療養するということになれていないから、なおさらそうだと思います。一言にしていえば、こういう完全看護的なやり方は、比較的軽症な方には、今までより非常に便利ないい方法だというふうに思いますが、非常に重症な神経質な方には、あまり今までよりよくないと思われるという性質のものだと思います。その辺のかね合いが結局問題になると思いますが、やはりどちらだけというふうにもいきませんので、先ほどのお話がありましたように、医者や看護婦にほんとうのことを言わないで苦しんでいらっしゃるのでは、これは形を整えても仕方がないのであります。患者さんが医者や看護婦にほんとうのことを言って、こうしてもらいたいと言い、それにこちらが打てば響くように応じるという形になれば、問題が解決すると思いますけれども、なかなか以前からの習慣、しきたり、ものの感じ方というものは、一朝にして改まるものじゃないということも考えられます。たとえば、術後全然一人の看護婦がつききりでやるというようなことでなくて、術後すぐから見回り的なやり方でやっていることが外国に多いわけで、日本でそういうふうにやっているところもあるわけですから、不可能なことではないと思いますが、一足飛びに飛びにくいということもあって、これは私たちも厚生省の方も同意見だと思いますけれども、二、三日はやはり一人づきでやるというような考えでやって、そこの気持の調整を取りながら自然なものの流れの方に持っていく方がいいとは思います。
  224. 八木一男

    八木一男委員 最後に、一言だけ質問させていただきます。堀江さんにお伺いいたしますが、実はこの問題について、患者看護療養所の管理、そういうことについて、参考人に伺えたことが非常に多いように存じます。しかしながら、つき添いの方々にとっては、それと同時に、大きな失業の問題であろうかと思うわけでございます。厚生省の御説明では、雑仕婦に採用その他のことがございますが、私どもが自分の立場において精密に調べたところによりますと、相当大量の失業が出るのでございます。その場合に、あなた方の同僚の方々は、他に転職の道がおありになる方が多いかどうか、また転職できない場合に、生活をそのまま続けていくことが楽にできる人が多いかどうか、その点についておわかりになるだけ、実情を教えていただきたいと思います。
  225. 堀江ハル

    ○堀江参考人 この制度が廃止されまして転職のできるという方は、ほとんど聞いておりません。それから、今の生活を続けていかれるということも聞いておりません。これが廃止になったならば、あすからどうしていいかわからないという、ほんとうに切実な声だけを聞かせられております。  それから病院内の管理、そういった面でありますが、働いた賃金の面では、病院側との関係は、病院からいただいておるのではございませんけれども患者さんにつきますときには、お医者さんが、この患者につき添いが必要であるという証明を書いていただいてつき添いますので、病院の管理下にないということは、ちょっと言えないんじゃないかというふうに考えております。また自費の患者さんにしても、お金は患者さんからいただきますけれども、やはりこの患者にはこういう看護をということを、先生や婦長さん、看護婦さん方から指導されて仕事をしておりますので、変則的ではありますけれども、やはり病院の管理下にあるんじゃないかと考えております。また職場は提供されておりますが、身分は保障されておりませんので、病院から働いた賃金をもらっておるわけではありませんで、妙な形ではありますけれども病院の管理下にはあるということが言えるのじゃないかというふうに考えられるのです。
  226. 中村三之丞

    中村委員長 大分時間がたちましたが、ちょっとお諮りいたします。委員外の福田昌子君から発言を求められておるのですが、御異議はございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  227. 中村三之丞

    中村委員長 それでは異議なしと認めまして許しますが、どうか簡単に重複せぬようにお願いいたします。
  228. 福田昌子

    ○福田昌子君 大へんおそくなりまして恐縮でございますから、簡単に一、二点だけお尋ねいたします。  砂原先生にお尋ねしたいのでございますが、このつき添い婦廃止の制度厚生省がおきめになります前に、厚生省当局から、これに対して何か御相談があったのでありましょうか、この点を一点お尋ねいたします。
  229. 砂原茂一

    ○砂原参考人 相談と申しますか、話は聞いておりました。
  230. 福田昌子

    ○福田昌子君 はなはだ了解いたしますのに困る御答弁をいただいたのでございますが、ただお話だけをお伺いなさったのでございましょうか、それに対して、どうだろうかという御意見をお求めになられたのでございましょうか。
  231. 砂原茂一

    ○砂原参考人 先ほど実は詳しく申し上げてあるのでございますけれども、二千二百七十人という数は伺いましたが、中の配分の方法というようなことは伺っていなかったのでございます。しかし、先ほどから繰り返し申し上げましたように、これでは配分がうまくいくという公算が少いのじゃないかと考えまして、これでは困るから内容をできるだけ——私たち一つ一つの施設を預かっておるものですから、二千二百七十と申しましても、現実に一つの施設にどれだけ来るかということがよくわからないのでございます。そういう意味で、具体的に考えていく足場が非常に取りにくかったものでございますから、それをお願いしたのですけれども、なかなかその運びには至らなかった。しかし、この数では非常に不安なんです。全国の多くの療養所の中には、これでもいいだろうというところもございます。たとえば、二十五人を一人で引き受けるという療養所の方もおられたわけでございますけれども、そういうところは非常に少い、あるいはないところでございますから、私から考えますと、二十五人に一人もそこにいきそうもないのでありますから、それでやっていけるということでありましょうが、私どもは非常に不安に思いまして、それでは困るからということを申し上げる機会はしばしばございました。
  232. 福田昌子

    ○福田昌子君 二千二百七十人のラインで考えた場合に、非常に少いからという御意見は先ほど伺っておりましたが、それゆえに現在いるつき添い婦さんを中心にされて、少くとも現状程度のつき添い婦さんの数は認めてもらいたいというような要望は、厚生省に再三なさったわけでございますか。
  233. 砂原茂一

    ○砂原参考人 それは先ほど申し上げましたように、実は私のところは社会局の通牒を非常に厳重に守りまして、比較的軽い方にも一対一でつけておるのでございます。私のところは、全国で一番多いのじゃないかと思います。私はこんなには要らない、これは二、三人づきにすれば、それだけでずいぶん減ると思います。最初に配分のことで申し上げましたように、私の方は国立病院並みと申しましょうか、看護婦の数が四対一でございます。雑仕婦の数が二十五人に一人くらいでしょうか、療養所の方は六対一でございますけれども看護婦の数を病院並みくらいに——それと同じでなくてもいいのですが、それと非常に近いということでありますと、何か妥当なような気がします。
  234. 福田昌子

    ○福田昌子君 実は私、委員外でございますが、いろいろと先生方の御意見や、つき添いさんの御意見を聞かせていただいて、非常にありがたかったのでございますが、私ども非常に遺憾に思いますことは、さらにでき得べくんば、看護婦さんや患者さんの御意見も聞かしていただきたかったと思います。ことに、つき添いさんが、今でさえ十分でないという点は、これまで聞かされておったのでありますが、その状態をさらに見越しまして、現在三千二百名の方々がつき添いさんとして働いておられる現状を無視して、定員を二千二百七十名にされるというようなことになりますと、それぞれの療養所内におきます看護婦さんとつき添いさんの仕事の量におきまして、結局だれかがその仕事を背負わなければならないということになって参ります。そうなりますと、つき添いさんの仕事の量もふえて参りましょうし、看護婦さんの仕事の量もふえて参るということになるのであります。従いまして、そういう意味で、こういうつき添いさんの制度を変えますことに対しまして、厚生当局は、つき添い婦の方々の御意見をお聞きになったか、また看護婦さんの御意見をもお聞きになったかどうか、この点を曾田医務局長にお尋ねいたします。
  235. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 私も視察に行っていろいろ見ております。また所長、婦長、看護婦さんたちの意見もいろいろ聞いておりますし、私の局内の各課長等もいろいろ意見を伺っております。またいろいろ陳情等も受けておりまして、その文書等も拝見さしていただいております。
  236. 福田昌子

    ○福田昌子君 和田さんと堀江さんにお伺いしたいのでございますが、つき添いさんになる前の前職は、どういう方が多いのでございますか。それと、平均年齢はどの程度の方が多いのでございましょうか。
  237. 堀江ハル

    ○堀江参考人 ほとんど家庭の主婦が占めているわけでございます。前は家庭におられたのですけれども、戦争で夫をなくしたり、また夫が結核で入院しているとか、また子供が結核で入院しているとか、引き揚げてきたが、仕事がなくて子供や夫に病気になられたというような、ほんとうに不幸な人たちがほとんどだということが言い得るかと思います。また御主人がありましても、病気で入院しているとか、失業しているとか、まだ外地から引き揚げてこなくて、いつ帰るかわからない夫を待っているというような人でございます。そして今年一月の実態調査では、平均年齢が三十六歳という数字が出ました。
  238. 福田昌子

    ○福田昌子君 こういうつき添い制度をお変えになりますに当りまして、医務当局といたしまして、看護婦さんの定員を変えるとか、あるいはまた人員が少い形でも、療養所の仕事というものが、患者に対しましても、また医療担当者の方々に対しましても、十分働きやすい体制にするというような意味で、医療設備を変えるとか、そういうようなお考えがなされたかどうか、予算措置がとられたかどうか、この点を医務局長に伺います。看護婦の定員制の改正の問題、また療養所内の設備の問題に対して、どれだけの考慮が払われたか。
  239. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 看護婦の増員につきましては、あわせて要求いたしたのでありますが、今回大蔵省の査定にあったような次第でございます。今後とも逐次内容を充実して参りたいというふうに考えております。  それから設備の点につきましては、大体どのような設備がさしあたり必要かというようなことは、勘案しておるのでありまして、逐次整備して参りたい、ナース・ホーンやインター・ホーンというものもつけて参りたいというふうに考えております。
  240. 福田昌子

    ○福田昌子君 定員を減らしますに当りまして、——看護婦さんの定員じゃないのですが、特に病院患者に対して携わっておる人の、働き手の数を減らすというような段階におきましては、それに見合うだけのつき添いがなければならないと思うのでありますが、今伺いますと、病院内の設備の点でも、つき添いさんを廃止する制度に歩調を合せてなされていない、また看護婦の定員の増もなされていない、そうしてつき添いさんの制度を先ばしってなされる、こういうことであるならば、結局、結果的には患者さん、看護婦さんにしわ寄せが来る、そうしてまた最も大切な問題は、つき添いさん自身の失業の問題が起ってくるのであります。しかも、医務局長自身が、医療担当の経験もおありになるんじゃないかと思いますが、それでなされるということは、私ども非常に了解に苦しむのでございます。しろうとの方がなされるならば、ある程度やむを得ないということもありますが、専門家である医務局長がなされるということは、私は非常に了解に苦しむのでございます。従いまして、こういう無理な制度をお採りになるということに対して、いま一度御反省を求めますが、それと別個にお尋ねいたしたいのは、当然失業なさる一千名のつき添いさんの方々にどういう措置をおとりになるか。これは既得権を尊重する意味におきまして、また憲法上からも、つき添いさんの生活を守るということをお考えになるのは当然だと思うのでありますが、これに対してどういう御措置をお考えになっておられるか、この点を伺います。
  241. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 この点につきましては、前に当委員会におきましても、かなり時間をちょうだいして、いろいろと御説明申し上げたのであります。私とかく話が長いので、むしろ御迷惑をおかけしておるのじゃないかと思うのでありますが、簡単に申しますならば、私ども新しい増員と申しますか、これによってこちらに振りかわっていただける人たちは、なるべく採用して参りたいということ、それからもう一つは、医療機関といたしましては、国立だけではないのでございますけれども、いろいろ病床が増加しておりまして、結核病床だけでも大体年に三万、それから一般病床を加えますれば六万というようなものが最近において増加しておるような状況であります。私どもは、またこの病床増加に努めておるわけであります。このために、医師あるいは看護婦というものの補給についても、非常に頭を悩ましておるような状況でございます。このつき添い婦さん、看護婦と申しますか、看護の補助者というような方々にも、ぜひそちらの方に出ていただきたいというような希望さえ私どもは持っておるのでございまして、もちろん、これは土地の条件などもございまして、今までございました療養所のすぐそばで、新しい職ができるというふうに結論はできないと思いますが、さような条件の備わっておるところも相当あると考えられます。かようなところには、できるだけごあっせんを申し上げたい。むしろ逆に申しますれば新しい施設での職員の増員に対しまして、進んで御協力を願いたいというくらいに考えておるわけであります。そのほか、私ども療養所といたしましても、あるいは病院の方でもさようでございますが、やはり昨年あるいは今年の予算に組んであります増員予定も多少ございます。そういうような点においても、今まで御経験のある方、非常にすぐれた方々には、一つ引き続き仕事をしていただきたいというふうに考えております。先ほど療養所長さんも一、二の例としてあげられましたように、中に非常に老齢の方とか、あるいは病身の方というような方がございますならば、こういう方々に対しては、社会局あるいは児童局等ともよく連絡をとりまして、しかるべくいろいろお世話いたしたいというふうに考えておる次第です。
  242. 福田昌子

    ○福田昌子君 予算上二千二百七十名のワクのようでございますが、この二千二百七十名は、どういう条件でお採りになるのでございますか、この点だけ最後に伺います。
  243. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 御質問趣旨がよくわからないのでございますが、一応お答えいたしますれば、身分は一応雑仕婦ということになっておりまして、この予算といたしましては五級三号というものが予算に組んでございます。
  244. 福田昌子

    ○福田昌子君 私のお聞きしているのは、どういう資格とか基準で御採用になるかということです。
  245. 曾田長宗

    ○曾田政府委員 基準といたしましては、これも前に申し上げたのでありますが、雑仕婦といたしましては大体二種類ございます。一つ看護補助者として、一つはほんとうの意味というか、狭い意味でのいろいろの雑用をするというような二つの意味がございまして、補助者といたしましては、原則といたしますれば看護の経験の相当深い方というのがありますけれども、年寄りとかあるいは子供とか、こういうようなものについて非常に親切なお世話をなすった経験があるというような方々に対しましては、これは必ずしも不適格者というわけにはいかないというふうに考えております。
  246. 福田昌子

    ○福田昌子君 どうもありがとうございました。
  247. 中村三之丞

    中村委員長 それではこれにて質問は終ります。  最後に一言参考人方々にごあいさつを申し上げます。  大へん長時間、熱心に御陳述下さいまして、まことにありがとう存じます。委員会を代表いたしまして、参考人方々に厚くお礼を申し上げます。  次会は公報をもって御通知し、本日はこれにて散会いたします。    午後六時三十九分散会