○佐々木(秀)
委員 そうすると、あなた方の
証言していることがちぐはぐです。文部省でもはっきりしたことを言わなかったから、これでよいのだと思って私は態度を変えた、こういうことなんですが、私
たちは、この
教科書の
採択問題に対しては、あなた方の
証言を聞いているとどこまでも疑わざるを得ないのであります。ちょうどそのときはあなたは
教育委員ではなかった。そうして、
福島県においては、限定制度というものを、きのうおいで下さった安藤前
委員長、この人
たちの手によって作った。そうして、
事務局の佐藤という次長が案を立てて、そのときに三社を指定した。二葉に東京書籍ですか、それに
学校図書も最初入っていたようですが、途中から原案が変ったかどうかして、日本書籍が入った。こういうことをわれわれの方では
承知しておる。日本書籍が入って
限定採択となった。この結果は数字がはっきりと物語っている。限定制度になって、日本書籍が四万一千五百八十五冊しか出ていなかったのが十二万四千百二十八に上っております。これは
中学校の部です。二葉の方ですと、限定制度になってから、前にはわずか二千七百七十三冊しかなかったが、それが一躍一万二千四百七十八冊になった。これは
福島においてです。今度は皮肉にもまた、あなたの
関係しておりました、かつて
駐在員をなさっていた
学校図書が、ちょうどあなたが
教育委員になると数がふえている。前々年を調べますと三十一万五千四百三十九冊であったのが、
昭和三十年になると四十五万五千百七十六冊出るようになった。こういうような一連の形を見ると、
教育委員会が限定制度をとると、その
関係会社の本がたくさん売れるようになった、あなたも
教育委員でなかったときにはこのやり方には反対していたが、
教育委員になると、かえって限定の擁護になってしまった、あなたが
教育委員になると、あなたがかつて
関係していた
会社の本がぐっと数がふえてくる、そういう点を私
たちは数字の上から見のがすわけにはいかないのであります。だから、どうしても、各
会社から、
教育委員なり、あるいはかつて
自分の
会社の
駐在員であったとか、あるいは
編集の顧問であったというような
方々には猛烈なる連動が展開される、そこでいろいろな忌まわしい供応とか買収とかいう風聞がばらまかれる、こういうように私は
考えているのであります。そういうことの裏づけをするような数字がちゃんと
採択の数字の上に現われてきているのであります。
そこで、私のお伺いしたいのは、どうも納得がいかないことは、あなたは
学校図書の
駐在員をなすっていたのですが、報酬が、最初は八千円で、あとでやめるころになって一万四千円になった、八千円や一万四千円の報酬をいただいて、あなたは各方面の
学校を回り、あらゆる方面をかけ回って、全力を尽していろいろな
先生方の
意見も聞いた、そうしていい本を出すように努力し、次の
編集のための助言をした、こうおっしゃいますが、八千円や一万四千円の報酬では、それほど
活動できないと私は思いますが、八千円、一万四千円というのはただ表面だけの報酬であって、それ以外のものとして、出張費とかあるいは交際費とか、こういうものが
相当出るのではないかという
考えを私は持っております。それからまた、あなた方が働きかける場所はどういうものかというと、いわゆる
研究会、
講習会、こういう方面に働きかけをしたということでございました。われわれの
委員会で今日まで取り上げて参りましたのは、この
研究会、
講習会が最も忌まわしい問題を生む場所なんであります。
研究会をやると称しては料理屋や旅館に
先生方を呼んでどんちゃん騒ぎをする、その
会社々々によって違いますが、ある
会社のごときは、五千円ずつ日当旅費として渡した、こういうことが全国的に
研究会、
講習会の美名によって行われているのであります。そこに、あなたが働きかけをしたというなれば、
会社の
経費というものはそういう点から出ているのでありますから、そういう点の実情から、おそらく、
駐在員がその地方でやるときの音頭とりをやるのだと思いますが、その点に対して、俸給のほかに旅費等が別に出るのか、あるいは売り上げ部数によって歩合制度にでもなっているのか、ただ単に八千円ないし一万四千円で、
駐在員というものはそれ以外の収入はないのか、この点に対するお答えと、
講習会、
研究会等に対する
駐在員の行う仕事の
概要を承わりたいと思います。