○山中
委員 ただいまの
証言については、私は少しおかしいと思います。しかしながら、あなた方がそういう現状しかできなかったとおっしゃいますれば、それはやむを得ますまい。しかし、常識として、こういう
教科書採択基準をお示しになるならば、全科目にやられなければ、私は
意味をなさないと思うのです。あなた方のその流された趣旨に合わないと考えます。従って、私は私なりに、なぜこの数科目のみに限って出されたかということについて、
立場が違いますから、勝手な
解釈をしてみたのですが、私の見る
ところ、あなた方の最も重点を置いておられるものは社会科だと断定せざるを得ない結論になってくるのですが、この社会科というものをあなた方は重点に取り上げられて考えておられるが、たまたま、この
採択基準については、社会科を盛り上げて重点に置いた形でほかの科目を流した。従って、取り残された国語とかその他の科目は、これは取り残されたのではなくて、まあつけ足しにするときにその点はもうよかろうというので取り残されたものと私は考えるのです。もちろん
証人は別な見解がありましょう。しかし、私があなた方のこの
採択基準について調べてみた場合に、私
どもから考えて、
教育が最も中正でなければならず、あらゆる
立場にとらわれないものでなければならぬという観点から見ると、最も疑問の多い点が社会科にある。従って、社会科の
教科書というものを重点に私はいろいろ調べたのですが、中の顕著な例を二、三あげてみますと、これは現に
文部省検定済で
採択されている中学の社会科の第三学年用でありますが、たとえば太平洋戦争の説明の前置きがこういうふうに書いてございます。「
日本の軍国主義はますます勢いを得ていった。強大な軍隊を背後にもつ陸海軍の指導者や、それと結びつく財界や官僚
たちが国の政治を思うままに動かすようになり、重い税金に苦しむ国民の不平をそらすために、戦争をほめたたえ、外国の侵略に備えるためと称して軍備の必要を説き歩いた。そのうえ政府は、国民の平和思想の発表や政治の批判を封ずるために、警察だけでは足りなくて、憲兵までも使ってだんあつした。こうして日露戦争に続く第一次世界大戦、山東出兵、満州事変、上海事変、中日戦争、」——これは
日本と支那の戦争だと思いますが、
日本の
教科書に中国を先に書いてあります。大体普通の常識では、
日本と中国というならば日中と言うのが普通ですが、ここでは中日戦争としてあります。それから、「太平洋戦争と次から次へととめ
どもなく戦争を続け、とうとう一九四五年の大敗北となった。」、これは中学のやつです。それから、
小学校の「あかるい社会」六年の上です。それに日露戦争の話が出ておりますが、「だから、中国の領土へせめこむのは、
日本もロシアもおなじことなのに、
日本国民の多くは、これは正しい戦争だと思って、戦いをつづけました。しかし、国民のなかには、戦争に強く反対する人
たちもいました。」—ここで堺利彦とか幸徳秋水等が書いてあります。それから、この日露戦争の結末はどうついたかということでは、「戦いは、陸も海も、
日本の勝利におわりましたが、そのときは、
日本には、もう戦う力がなくなっていました。そこでアメリカのとりなしで、講和条約をむすびました。その条約で、
日本は樺太(いまのソヴィエトのサハリン)の南半分をロシアから手に入れました。」、この史実などはそれぞれ
解釈はございましょう。私
どもとしては、こういうふうな
解釈が国民の最も中正な
解釈だとは考えません。たとえば、常識から考えましても、「樺太(いまのソヴィエトのサハリン)」といっておりますが、南樺太の所属というものは、国際法上まだ
教科書でしかも生徒に「ソヴィエトのサハリン」といってカッコして教えるほど確固たるものではないのです。私はここでは二、三の例を述べただけですが、まだあちこちございます。たとえば蒙古来、蒙古が
日本に攻めてきたというのは、これは常識でみんな知っている歴史の大きな事件でございますが、その蒙古の攻めたことをどういうふうに印象づけようとしているかというと、中国が攻めたのではない、蒙古が攻めたのである、こう書いてあります。「蒙古は、らんぼうに、中国や朝鮮をしたがえたので、中国や朝鮮の多くの
人々にうらまれていました。
日本にせめてきたときの船も、中国や朝鮮の人
たちからむりにとりあげたり、そこの
人々に、むりにつくらせたりしたものでした。
日本が蒙古軍をおいはらったことを聞いて、中国や朝鮮の
人々も、勇気をふるいおこしました。蒙古は第三回めの
日本の攻撃をくわだてていましたが、中国の農民
たちは反乱をおこして、これをじゃましました。そして、蒙古が、
日本へせめていくことをあきらめたのがわかったとき、中国の
人々は、たいそうよろこびました。」、なるほどそういうこともありましょうが、しかし、今までの歴史の概念から言って、蒙古というのは中国大陸を征服した国なんです。従って、今日の中国の、その当時の国名の蒙古が攻めてきて、しかもまたその船の指揮者が中国人の范文虎とか、いろいろおります。そういう者であったことも常識です。そうすると、蒙古という国が攻めてきたことの
解釈が、どうも中国が蒙古から無理やりに連れてこられたのだ、こういうふうな記事が生徒の
教科書として出ておるわけです。この
内容がよい悪いということを論議する前に、このようなよい悪いの論議、どちらが正しいかの論議は非常にかまびすしいことなんです。従って、生徒に
教科書の活字を通じて
教育すべき
教育の仕方として、このような、ただいま述べたような方向を持つということは、私はちっとも正しいことではないと思う。むしろ、純白な青少年、児童というものを
教育する上には非常に慎しまなければならぬ態度だと考えるわけであります。
ところが、このような
内容が、あなた方の
教科書の
採択基準の社会科の部の明細なる項目その他によりますと、明らかにこれに合致します。私
どもは、こういう方針で文字にして事実を取り上げて解明をすれば、こういう言葉になり、こういう史実の述べ方になる、これは直結したものだという感じしか持てないわけであります。しかも、先ほどあなたは、この
採択基準を作って流した目的はただ
採択の参考にすると、こう言われたのですが、しかしながら、私
どもの考える
ところでは、今年から始められたということは、
文部省の
検定基準その他に
日教組としてはあきたらないものを持っておる、あるいは
日教組としては
文部省が反動化しつつあるということを考えておる、従って、自分
たちの
教育の擁護者としてあるいは
実践者としての
立場から、これに対抗するための
意味で流したものとわれわれは受け取らざるを得ないのです。そうして、あなた方のこういうものに対して、
教科書出版会社というものは非常に敏感である。何となれば、
日教組といえば
全国的な先生
たちの集団である。
全国の先生方といえば、実際に一冊々々の本を
採択する権利を持って、
教科書会社の生命を左右することのできる人
たちがその構成分子でありますから、
日教組はことしはこういう方針で
教科書を
採択するということがわかったならば、
教科書会社というものは商売人ですから、社運を賭してその方向に
教科書を合致せしめるのが当然のことだと考えるのであります。従って、このようなことは、私
どもとしては、むしろ、あなたが述べられました
教育基本法というものにあなた方自体が逸脱する傾向を現実に形作りつつあるのではないかと考えるのでして、その点心配でならない。いわゆる宗教に片寄り、あるいは思想に片寄り、あるいは特定の政党に片寄った
教育をしてはならないという点から、私
どもはかように実際に批判をする。先ほどは同僚の山田君が
質問いたしましたが、左派の
立場において、自分は全然差しつかえないと考えるばかりでなく、逆にどしどしやってもらいたいということを言っておるのです。そこに論議の分れる
ところがあります。そうすると、結果的に言っては、どれが正しいという国民の世論の判定というものがない以上は、そういうものを
教科書の中に載せるのは、
教育の中正の上から、しかも
義務教育の本旨から、私はどうかと思いまするし、また、児童がこれを自分
たちの
教育の材料としての明瞭に消化できるものでなければならないという
範囲を超えておると思いますが、この点はいかがでしよう。