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北島証人 いわゆる
地方版という
言葉、これは公式の
名称でございませんで俗称でございます。
文部省におきましては
地力版という
言葉は認めておりませんが、
最初に、いわゆる
地方版というものの
法律的根拠を申し上げたいと思います。
文部行で発行いたしました
学習指導要領、これは
文部省であらゆる
教科書はこういう方針に従って編さんしなければならぬということを出した
要領でございます。
昭和二十六年のものでございますが、その前書きの第一項にこういうことが書いてございます。「新しい
教育では、各
学校がその
地域社会の
要求を詳しく見きわめて、
児童の発進に応じる
教育課程を設定しなければならない。」、同じくその
あとに、「ある題材を選ぶ場合には、それが
ほんとうに
児童の必要と
興味に合い、同時に
地域社会の
実情と合っているかどうかを見なければならない。」、それから、「
小学校教育の主目標は何か」という第二節のところに、こういうことが書いてございます。「
小学校の
教育は、日常の卑近な
生活に根をおろし、それを育てていくことに
注意しなければならない。
小学校の時期には、
児童の
生活経験の領域はまだ狭いので、
教育は絶えず、この
生活経験を豊かにし、高めていくことに努力しなければならない。そうすることによって、しだいに広い世界への目を開いていくことができるのである。」、こういうことが書いてあるわけでございます。私
どもの考えといたしますと、新しい
終戦後の
教育と
地方版の
存在理由というものは表裏一体になっている、つまり、
地方の
実情と
要求、
児童の
生活経験によって
教育というものはスタートされなければならぬ、ことに、低
学年の者においては、
児童の
経験範囲が非常に狭いので、
児童がたやすくまた理解しやすく、
学問に対する
興味を持ち理解を深めるということが身近なことからでなければならぬということが書いてあるのが、この
小学校の
学習指導要領でございます。しかし、これは
占領の当時でございましたので、
最初に今まで出ておりました
国定教科書というものが発行されまして、その
国定教科書に伴いまして
検定基準というものができまして、その
あとでこの
指導要領ができたわけでございます。本来の形から申しますと、
指導要領が先にできて、それに
検定基準ができる、それから本ができるというのが本来の形なのでありますが、
占領下でありましたので、そういう反対の傾向をとったのであります。
次に、
昭和二十三年七月十五日に施行になりました
教育委員会法には、
教科書検定基準について、五十条にこういうことが書いてあるのであります。これは後に削除になりましたが、その当時有効であったわけでありまして、「
都道府県委員会は、前条各号に掲げる
事務を行う外、左の
事務を行う。」というその第二号に、「
文部大臣の定める
基準に従い、
都道府県内のすべての
学校の
教科用図書の
検定を行うこと。」ということが書いてございます。従いまして、このものができました当時におきましては、むしろ
地方検定ということが当時の
法律の
趣旨であった、こう私は考えております。しかし、これは実際に行われなかった。
理由はどういうわけかと申しますと、当時、
用紙が配給でありまして、それから
印刷能力も非常に少かった。そのために、特例といたしまして、第八十六条に、「
教科用図書は、第四十九条第四号及び第五十条第二号の規定にかかわらず、
用紙割当制が廃止されるまで、
文部大臣の
検定を経た
教科用図書又は
文部大臣において
著作権を有する
教科用図書のうちから、
都道府県委員会がこれを
採択する。」、こういうふうになっておるわけであります。今申し上げましたこの二号は、いずれもその後、これも私ははっきり存じませんが、
大達文部大臣のときでなかったかと思いますが、そのときに廃止された次第でございます。
実際問題といたしまして、結局、
文部省といたしましては、この
指導要領におきましては、低
学年においては
児童の
教育は身近なものから発しなければならぬということが書いてありますし、一つには、
文部大臣がこれを
検定するというふうに
あとから直ったわけでございますから、この
指導要領とこの
検定基準との間にギャップがあるわけであります。それをどういうふうにして埋めていくかということにつきまして、
昭和二十六年から、
地域性を持つ
教科書を、実質的に認めるため
検定基準の
必要条件の
拡大解釈を認めたのであります。
それから、二十九年度から
文部省が出した「
教科書検定申請の手引き」という中に、
編集趣意書に関しての項目に、
地方の特色を生かした
編集をした場合には生かした方とその
理由を付記すること、ということで、これを認めることになったのであります。ただし、
文部省の示達によって、
地方版なる標記は避ける。それで、
著者名によりまして、たとえば
地方の
教育団体が
著者に加わったという形において、この
教科書はそういう
地域性があるのだということを示す、こういうことで
文部省が認めたわけでございます。
私
どもといたしましては、この
学習指導要領が正しいと思っておりますし、また、この
学書指事要領に沿うならば、
教科書というものは、ことに低
学年におきましては、たとえば
国語科、
社会科、理科、算数、それから中学の職業、
家庭科のようなものは、むしろ
地方版の形で、
子供を身近な自分の
経験からスタートさせ、これを郷土からさらに
日本全国に広め、そして世界的に目を聞いていくということが、
ほんとうの新しい
教育の
趣旨に沿っていくものであると考えているわけであります。たとえば、御
参考までに申し上げておきたいと思いますが、
終戦前の
国定教科書というものは「サイタサイタサクラガサイタ」ということから始まっているわけであります。これは
桜読本と一般に言われているわけでありますが、この私
どもの
教科書におきましては、これは
北海道版でございますが、その点の扱いが違っております。四月一日に
児童が就学するときは、
東京その他のところにおいては、草は青々として、短ぐつ、それから半ズボンという形で行われております。しかし、
北海道の方はどうかといいますと、まだ雪が残りまして、長ぐつをはいて、
えり巻をして行くというような
状態でございます。校庭にもまだ雪が残っておるというような
状態で、教室においても四月一日にはストーブをやっているという
状態でございます。従って私の方では、それが五月の「こいのぼり」の
あとに出てきております。これは、
東京の
児童に
コイのぼりの
あとに桜が咲いたという
教科書を出せば、この
教科書は間違っておるというふうに思うと思いますが、しかし、
北海道の
児童に桜が咲いてから
コイのぼりが出るという
教科書を与えて、
北海道の
児童が果してこれを了解するか、またたやすく理解していかれるかということを考えますと、われわれとしましては、
北海道というような、あまりに内地と
地理的条件が変りましたところにおきましては、むしろ低
学年におきましては
地域に即した方がよくはないか、そう全日本的である、あるいは世界的であるということは
要求される必要がないと思いますので、
地域に即した、
児童がたやすく勉学できる身近な
経験を通しまして、
学問に対する
興味がわき、また理解できるというところに重点を置くべきでないかと考えたのでありまして、これは、私
どもの方の
会社の幹部が、ほとんど戦前から
北海道で
教育関係に従事しておりまして、みな何十年間の
児童の
教育があるわけでございます。その者が
ほんとうにそういうことを痛感いたしまして、また
北海道の
先生方も、低
学年においては、
北海道に即した
教科書を作って、どうか
児童の便宜をはかってもらいたいという
要求がありましたので、こういうものを作った次第でございます。
つきまして、
文部省から
注意があったかと申しますと、
文部省の方では、ただいま申し上げましたように、これを拡大強化して、たとえば、私の方では、
北海道国語教育連盟という
名称を出すことによって、
地方版というものが正式に認められてないけれ
ども、この
教科書は
北海道の
地域性を持った
国語の
教科書であるということを指示するようにしろというお達しによってしているわけであります。なお、
検定を出願しますときに、
趣意書におきましても、この旨を明確に書いておる次第でございます。
以上であります。