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石井証人 私の手元に、
日教組が出しております
教育評論という雑誌がございます。この雑誌の第四巻第二号で、第四次
教育研究
全国集会の報告ということになっております。これは
日教組の
教育文化部で
編集して出したものでありますから、
日教組としては十分公的な資格を持ったものであろうと思います。この報告書によりますと、
教育研究集会で何をやったかということを書いてございます。私はこれをつぶさに研究をいたしました。その中で特に問題にいたしたいと思いますものは、
一つは社会科の運営をめぐっての結論であります。社会科という教科は取扱いが非常にむずかしい教科でございますが、
日教組は、これを
教育研究集会で取り上げまして、この社会科をどう運営すべきかという問題について三つの分節を作っております。第一の分節では人権
教育をやれということを書いてあります。第二分節では国際理解の
教育をやれと書いてある。第三の分節では郷士
教育を展開すると書いてある。
そこで、その人権
教育、国際理解の
教育、郷士
教育というもののやり方を私はこの文面でとったのでありますけれども、人権
教育については人権は守られていないという前提に立っている。守られていない前提に、日鋼室蘭の争議の場合であるとか、北九州の炭鉱の問題であるとか、いろいろ例があげてあります。討論の模様も出ております。そして最後に、人権
教育を妨げているものがきびしい民族の現実であり、その背景には国家権力がある、それと対決する姿で
教育を進めなければならぬというふうに書いてございます。
それから、国際理解の項では、いろいろな研究発表があります中に、こういうことなんでございます。
アメリカに片寄る
教育が行われている、
——この事実は私も否定いたしません。それを是正して穏健中正な方向に持ってこようという
意図ならば、これはいうところの国際理解になると思うのでありますが、ここで言われているのは、ソ同盟
——ソ同盟という呼び方もちょっと特異な呼び方なんですが、ソ同盟をどう教えるかというような課題がございまして、そこでいろいろ発表があった中に、たとえば、福岡の場合は
ソビエト・ユニオン及び
ソビエト・ニュース、岡山の場合はモスクワ放送を中心にして時事
教育をやっているというようなことが書いてありまして、そして最後に、
ソビエトの文学あるいは音楽を教材に取り入れることによって、
ソビエトの民族文化に親しませ、正しい理解を持たせる素地とすることが提案されたと書いてあります。そして、特に情緒に訴えなければならぬから、知的な面だけでなくて、情緒を通じてもそういう
ソビエト理解を行えというのであります。それが公正な
範囲ならいい。公正な材料によるものならいいけれども、ここに指摘されているモスクワ放送というものは、これは私は短波も中波も非常に興味があるものですから聞いておりますけれども、これは非常に謀略宣伝的なにおいの濃いところの放送であります。そういうものを直ちに教材に取り入れることが是であるか非であるかということは、非常に問題であると
考えるのであります。それから、地域
教育でありますが、郷士
教育の項も、これは主として講師の高橋硬一氏が指導したようでありますけれども、出てくる結論は、
教科書の中に出てくる百姓一揆であるとか何であるとか、そういうものを中心にした民衆史を
建前にして、それを骨にして時代発展の法則をとらえさせていく。それは先般申し上げましたように小
学校の歴史の
教科書に如実に出ておるわけであります。
もう
一つ、私が
教育研究集会で指摘したいのは、これは非常に長くなりますから、省きますけれども、父母や青年と教師の結合を強めるための
教育活動をどのように進めるか、
——ここに書いてありますところのレポートは、左派社会党も書かないであろうし右派社会党も書かないであろうような
内容に満ちております。詳しく申し上げるととは避けますが、総じてそこである特殊な社会理解、世の中を理解する特殊な原理、つまりマルキシズムでありますが、それにささえられた
教育理論がそこにあるということを
考えざるを得ないわけであります。
そういう見地から、
——前々にもそういうものがございました。その前の研究集会でもございました。これは
日教組の諸君自身がよく知っています。そして講師団を何とか少し衣がえをしようではないかということで、私もその相談に参画したことがございます。徐々にその
傾向は現われつつあるようであります。そういうことは認めますけれども、長野の研究集会の場合にはまだまだそういう公正な
立場が守られていないというふうに
考えるわけでございます。