○
石井証人 標準中学社会の「上」でありますから、一年生が使うものであります。(「
委員の
質問に返事する必要はないよ」と呼ぶ者あり)これは、現在の
経済機構についていろいろ書かれた
教科書でありますが、その中に
賃金に関すす
説明がございます。以下のごとく
記述してあります。「
賃金は
労働に対する報酬として
労働者に支払われるものであるが、これは、
労働者があすもまた健康で働くのに必要な
生活費に、
自分が働けなくなったのちに
自分の
あとをついで働く
子供の
生活費、更にその
子供がりっぱにおとなになるのに必要なだけの
教育費とが計算されて支払われなければならない。」、こう書いてある。こういう
賃金理論もあるにはありますが、一般的でありません。同一
労働同一
賃金という
賃金理論もございます。これは
生活保障給の
理論でありましょう。この
理論でいきますと、とにかく
家族一体がみんな食って飲んでゆたかに
生活できるということが
条件であって、
労働に関する質だとか量だとか、そういうものは全然問題にならないわけです。ところが、実際の
賃金支払いの形態はそうじやない。
子供は矛盾を感ずるだろうと思うのであります。学歴によって差等があり、経験年数によって差等があり、
労働時間の長短によっ差等があるわけであります。これが丁寧懇切な
賃金の
解説をするのならばいいけれども、こういう一方的な、ただ一部の論を広げて全体となすような傾向は誤謬である、こういうふうに申さざるを得ないのであります。これらの私が申し上げましたものに、不正確である、正確を期する
記述にするためにはもう少し配慮しなければならぬという点で申し上げたのであります。
ところが、以下私が申し上げますものは、主として小学校の
教科書でありますが、これは、先ほど申し上げましたように、中国、
ソ連を礼賛すると申しますか、賛美をすると申しますか、そういう形が露骨に出て、それに反する勢力——たとえばアメリカでありますね。たとえば現在の
日本でありましょう。そういうものを非常に陥れて書く。そのために意識的な省略と誇張をやる。書かれてあることは、議論をすれば事実であると立証することができるかもしれないけれども、その間に、事柄が事実であったにしても、誇張と省略がある。大事な点を省略して、大事でない点を誇張しておるというふうな
向きもあるのであります。
たとえば、六年生の
社会科の
教科書、主として地理的
内容を持った
教科書でありますが、この中にアジアの諸地域の状態が書いてございます。まず冒頭に南鮮、朝鮮のことが書いてあります。この朝鮮の
記述の中に、朝鮮の地勢、風土、地理を語る
言葉の中に、「広い田んぼをつききった大きな道路を、外国の軍用自動車が、すなけむりをあげて走っていくすがたも見えます。」、こう書いてある。つまり、これは地理と何の関係があるのか知りませんが、ここで外国の、朝鮮ではない外国の軍用自動車が砲煙を上げて走っておる、それを書いてあるわけです。事実でありましょう。事実ではありましょうが、そういうことをわざわざ地理の
教科書に書く必要はないと思う。あるとすれば、北鮮も同様のことを書いてしかるべきである。ところが、北鮮には何も書いてない。朝日
新聞の和田記者でありましたか、金日成さんか何かに会ってそのレポートを送っておる。その
記事を朝日
新聞で読みましたが、北鮮には中共の人民義勇軍が鴨緑江を渡ってから平壌に着くまで至るところにいたと書いてある。とにかく、私は、均等でない、一方的であるということを申し上げておくわけです。
次にビルマのことを書いてあります。「イギリスやアメリカのせわになっています。」と書いてあります。それからフイリッピノのことが書いてありますが、「アメリカの軍事基地となっています。」と書いています。これはそうであるかもしれませんが、その他のことを書かないで、アジアのこれらの国々だけがそういう状態あもということを強調する結果になっておる。なぜならば、中国がソ遮の対華援助に関する協定で莫大な援助を受けてただいま五カ年計画進行中であるということは
一言も触れてないのであります。これは非常に公平でない。私は公平な
教育を望みます。そのために、この
教科書の
編集というものはきわめて片寄っているということが言えるし、また言わなければならぬと思うのであります。こういう本で
教育されたのではかなわぬと私は思うのであります。
それから、もっと意識的な間速いは、この
教科書に中国という項目を取り上げておりますが、その中国の中に台湾が含まっております。
記述り形態としてはこれは非常に
見解の異なるところであります。台湾が中国のものであるかどうかについては、これは
皆さんの方かよく御
承知だろうし思うので、私は申し上げません。
それから、もう
一つそれと同様の誤まりがございます。歴史の
教科書でございます。日露戦争の結果、
日本が樺太をもらったと書いてあります。樺太をもらったのはいいのですが、南樺太の下へカツコいたしまして「ソヴィエトのサハリン」と書いてあります。これはある
教科書では「サガリン」あるいは「サハレン」となっているのもあります。
表記はまちまちでございましょうが、いずれにいたしましても、南樺太の下にカツコして「ソヴィエトのサハリン」と書いてある。これは果して現在の国際法上
ソビエトの領土であるかどうか、これはまた
皆さんの方がお詳しいのでしゃべることを避けます。これは、私は、意識的な書きかえと申しますか、
編集だと断ぜざるを得ないのでございます。
さらに、そういうことに類する誇張と省略の中には許しがたいものがあります。この歴史の
教科書中に、中国と
日本が古い昔から交わってきた歴史がずっと書いてあります。それはいいことであります。私はこの
教科書の前半からその事柄を拾ってきたのでありますが、中国との関係を語る
言葉は全部、まねをした、学んだ、勉強しに行った、そういうことはかりであります。その後半は全部、
日本が大陸侵攻をやってめちゃくちゃに中国人民をいじめた、その悲惨な中国人民の状態が中国の版面で書かれてあります。その中に、そういう傾向を保つために
一つの歴史の書きかえが行われておる。これは許せない。これは学者としても許せないと思います。これを書いたのは歴史学者でありますけれども、元文のところがあるのです。
皆さん御
承知のように、蒙古来、これはこの
教科書によりますと中国が攻めてきたのではないということになっている。中国は侵略国家ではないから、そういうことを
子供に意識づけなければならないので、中国は攻めてこないことになっている。蒙古が攻めてきたので中国の人民は塗炭の苦しみを受けて、実は
日本の方へ手をたたいて拍手を送っていたというり
記述になっている。ところが、歴史の教えるところによりますると、江南軍は范文虎という中国人が将軍でありまして、范文虎に率いられた十万の大軍が何そうかの船で博多に攻めてきたわけであります。明らかに中国車が
日本に攻めてきたわけであります。それをわざと書かないですりかえて書いてある。こういうことは私は
教科書を
編集する者の良心として許せないことだと思うのであります。こういうひどいことが行われております。
まだあるのです。
中学の
社会科であります。この
教科書は全体が平和
運動のテキストの体裁をなしているのです。平和運勅はいいことであります。私も平和は好きであります。好きでありますけれども、ここで説かれておる平和
運動の形態というものは、これは
教育の公正なる運営を阻害するおそれが多分にある。この書物は平和を脅かすものはすなわち戦争であると書いてある。戦争の歴史を書いてある。それはその通りであります。近代に入ると戦争の原因か変ってきたと、こう書いてあも。近代とは産業革命を経て
資本主義社会にたっら今日であります。今日は戦争の原因が変ってきたと書いてある。そうして次のように書いてある。「産業革命を経て近代にはいると、経済情勢の変化とともに、戦争の原因もいろいろの新しい要素と結びつくようになった。そのおもなものは資源の取り合いでる。」、こう書きまして、その
あとに、フランス、アメリカ、ドイツが市場争奪と植民地の争奪をやったことが書いてあります。そうして日露戦争もそうであったと書いてある。第一次大戦もそうであった、第二次大戦もそうであった、そうしてここでは
資本主義社会が爛熟するとそれか帝国主義化して市場と植民地を争奪するために戦争を起すんだということが書いてある。が、しかし、ここで考えなければならないのは、そういう戦争は国民の全体が総意を固めてやるのではないと書いてある。だれがやるのか。それは
日本の国民がいろいろと平和
運動をやってきたこともわかる。その戦争をやるのはだれだ。この
教科書はそれは死の商人であると書いてある。デス・マーチャントと書いてある。「それは戦争によって利益を得る人々であると考えなければならない。戦争によって国民の大部分は苦しみ悩むけれども、きわめて一部の人々は戦争によって得をする。だからそういう人々は、政治家をそそのかしたり、国民が戦争を好きになるようにしむけたりして、戦争をくわだてる。こういう人々のことをふつう「死の商人」とよんでいる。」——一部の
資本家のたくらみによって政治家がそそのかされて戦争か起るんだということを書きまして、その次に、それでは戦争の原因はわかった、戦争の原因を除去することが平和への道だと書いて、どうすればいいか、——社会的原因の除去と書いてある。
子供なりにこの
言葉は翻訳してありますけれども、「社会の改善が必要である。」、こう書いてある。社会改革と申しますか、つまり今まで述べ立ててきたような
資本主義社会を別の仕組みにする必要がある、それが平和運勅なんだということで結んであるわけであります。私はこの思想の当否は言いません。そういう考え方も世界の一部、
日本の一部にあります。その思想の当否はここで論じませんけれども、
義務教育である公
教育が公正に運営されるためのこれが要素になるかどうかということは、賢明なる方々はおわかりになっていただけるだろうと思うのであります。ただ、念のために申し上げておきますが、この平和闘争の
原理は、過日スターリンが発表しましたスターリン論文と全くウリ二つなんであります。スターリン論文の定式化されたところを
子供の
言葉に直すとそういうことになるのであります。
〔「そんなことを言う必要はない」
と呼び、その他
発言する者多し〕