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白根証人 法律におきまして、
教科書の末端までの完全な供給の責任は、供給業者でなくて
教科書出版
会社が負わされているのであります。従いまして、全然別な
企業体でありますけれども、供給機関のあり方ということにつきましては、各
発行会社はもとより、私の立場から申しましても、非常に強い関心を持っております。国定時代、特に戦争末期、
終戦の直後、あらゆるものが
国家統制、配給
制度になりましたときに、本屋といえどもやはりいわゆる配給者であるというので、ほしければ買いに来い、前金を出せというような習慣が、しばらくの間、
終戦後といえども行われておったのでございまして、約六十あります全国の特約供給所及びその傘下約五千の小売業者の中には、現在ではこういった時代錯誤的な意識は払拭されておりますようなものの、因襲久しく、なおかつ頭のすみっこに多少でもそういうものが残っておる、こういうようなことを考慮いたしまして、私みずからが、機会あるごとに
地方に出かけて行って、供給業者の会合にも出まして、
教科書というものの
性格から、完全供給の義務ということを強く
要望指導いたしております。なお、特約機関をも含めまして供給業者と
発行会社との契約は一年更改、
年間の成績を見まして、その供給の実績が上らない場合には契約を破棄することができるような仕組みになっております。
第二にお尋ねの学生協問題でありますが、御承知の
通り、
終戦直後のただいま申し上げましたような時世に、ひどいのは、
教科書がなかなか手に入りにくいから、前金を出せと言って、県下の
子供から前金を取り立てまして、それを横に流す、あるいは
教科書入手の努力はあまりしないでいて、一年ほどその金をただで使っておいて、期限が来たら、
教科書は半分しか手に入らなかった、金は半分返すから、リヤカーを持って取りに来い、こういうけしからぬ特約があったということを聞いております。そこで、当初におきまして
学校生活協同組合が
教科書の配給に手をつけましたのは、程度の差こそあれ、こういった欠陥のある特約のあった県であります。
子供を直接預かっておる教育
関係者としては、私はこれは当然の心境だろうと思います。中には、そのために東京に出て参りまして、
教科書会社と交渉をされても、片一方も業者でありますから、経済信用の置けない
学校の
先生の団体なんかとは取引できないというので、大部分の
会社はこれとの取引を拒んだのであります。そのために、郷里から何とか自分たちの手で
教科書を
子供に与えたいという決意をもって上京された生協の
人たちの中には、東京の安宿で天井を仰いで首をくくろうかとまで考え詰められた人もあるように承わっております。その当時の情勢におきましては、余人ならず、私どもでも、かくのごとき
行為に出たと思うのであります。ところが、その後供給機関もだんだん整備して参りますと、
学校生活協同組合が直接
教科書を取り扱うということは、何としても
採択の
関係者である
学校教員とうらはらの
関係にある人がこれを扱うのであります。すべての
発行会社がこれと商取引をいたしますれば、一応取引先である全
発行会社のどれこれによくすることもできないという仕組みでありますが、
発行会社の中で数種の特殊な
会社だけ学生協と取引を結ぶと、勢い特約供給所と学生協との間に売り込みの
競争が起るのであります。その場合に、現場の
採択者につながる組織が
教科書を扱う、しかもこれによって相当の手数料をとるというようなことは、
教科書そのものの公正な選択、純教育的な選択という面から、道徳的な問題は別といたしまして、好ましくないというので、
昭和二十七年に、学生協のごときものが
教科書を取り扱うことは好ましくないという文部
次官通牒が出たのであります。自後、学生協は逐次株式商事
会社に改組いたしまして、今日ではなまのままの学生協が
教科書を扱っておるという県はありません。この問題に対する私の所見は、一部分は申し上げたのでありますが、今後ともこの
学校生活協同組合から発生いたしました特約供給機関は、協同組合の規約を株式
会社の寄付
行為に切りかえただけでは、この機関はなかなかすっきりしない複雑なものであります。末端の取次店に理想的なものをつかむというだけでも、そう簡単にはいかないのであります。また、二十七年の
次官通牒以来三年しかたっていないのであります。さらにその方向に供給機関としてのすっきりとした形にできるだけすみやかに脱皮されることを私は希望し、
関係者に対してもその旨アドバイスはしているようなわけであります。