○
千賀参考人 私は
選挙というものに
関係したのは今度の
選挙が初めてであります。というのは、
島野候補が
学校時代の友人だったものでありますから、従いまして
——私はいかなる
政党にも現在
関係ございません。あるいは過去にも
関係ありません。ただ
友情から
島野武候補に応援した次第であります。その
友情から応援したわけでありますが、さらに考えますと、
岡崎栄松候補は
市会の大勢を握っておりまして、早く言うと
御用党でございますが、その多数をもって思うことは何事も大体なし遂げることができるような
状態であります。
新聞紙上ですでに御
承知だと思いますが、渡米旅費問題だとか万年筆問題だとか、現在検察庁で
取調べ進行中の
ガス発生石炭の
不正使用事件など、こういうような問題がたくさんありますが、簡単に申しますと、保守的な
政治家というよりは、むしろ
独裁的な
政治家である、私
たち市民といたしましては、こういう
独裁的な
政治を排して、もっと
事件のない、明るい
政治が
仙台市にも必要である、こう痛感しておるのは私だけじゃなく、多数の
市民がそういうふうに見ております。そういう
気持と
友情とがからんで、
島野君を応援した次第であります。従いまして、われわれは、地方自治体に巣くう
独裁政治家と戦うんだ、この私
たちの
気持ちは、
選挙が始まると、いろいろなことにおいて非常に注意深くものを見たのであります。
選挙が始まりますと、
選挙のときだけ刑行するような小さなタブロイド型の
新聞、いろいろありましたが、それに
島野武は赤であるというような虚偽の事実を載せて、それを
市民に配布する。配布する
方法もいろいろと非常におかしい
方法で配布しておりましたが、たとえば、
投票日の朝、未明に、全
市内に張りめぐらしました赤の陰謀を破砕して赤旗を市役所に立てさせるなというような意味の
デマを書いた大きな
ビラを、市の
選挙管理委員会の
係長である
桜井という男が
——お
手元に差し上げました印刷物には某というふうになっておりますが、それは
桜井という男であります。その男が、八幡町
住宅付近に、自分からそういう
宣伝ビラを配布しております。これが
選挙管理委員会の
係長の生きた実態であります。それは
一つの例でありますが、あるいはまた飛行機で
赤賞伝をやる。なるほど私は
島野候補を子供のころから知っておりますが、あれは
ばかだと言った場合には、なぜあれは
ばかだというふうに日
本人はだれでも反問するのでございますが、あれは赤だと言った場合には、なぜ赤だということをだれも反問しないで、何か昔の
東条内関時代のような感じで、何か国賊みたいに見る非常におくれた
民衆を、誤まった社会的な
錯覚に陥れやすい非常に危険な言葉だと存ずるのであります。そういうようなことが何回も何回も続けて行われたのでありますが、こういうふうな
独裁の
政治家でありますから、保守的な
政党の方もこれを積極的に応援する方は少なかったと思います。従いまして、だれも
保守政党の
代議士の方で
一緒に
演説会に出て
演説をして応援してくれる人がなかったために、ある
保守政党の
代議士の方が、
御霊屋橋という
伊達家の霊廟の前の橋のところで、
市会議員を応援するために
演説しておりましたところが、その
演説しておる
代議士の方のところに
自動車を持っていきまして、
岡崎氏はすぐそのあとから話し出したということであります。そうでもしなければ、
保守政党の
代議士の方の応援をあたかも受けたかのような印象を
民衆に与えることができなかったのだと思うのであります。そうでもしなければだれも
一緒になって応援して下さる方がなかったことが、
新聞紙上でも明らかであります。
こういうような意味合いにおきまして、私
たちは、
仙台の
市政を明るくするために、いろいろの
被疑事件の
発生をなくするということよりも、もっと明るい民主的な
市政を築き上げるために戦うんだという
気持で、
選挙に従事したのであります。たとえば、私は、
仙台市内の
連坊小学校、
南材木町
小学校、
荒町小学校、
片平町
小学校、この四つだけは
投票日に自転車でみな回ってみたわけでありますが、
投票所の周辺は、赤の隠謀を粉砕せよと、あたかも
島野武候補が
共産党員であるかあるいはそのシンパサイザーであるかのような
錯覚を起させる、そういうような
デマの
ビラが道の両側全部に一面に張ってありました。まっかなところに
白抜きでございましたから、まるでいなかのお祭のような
状態でございました。特に、
南材木町
小学校の
投票所入口は
講堂の裏門の方にありまして、すぐそこから二十間も難れないところには
南材木町の
交番がありますが、その
交番の前にも張ってありました。そういうわけで、いよいよ
投票となったのでありますが、あれはいろいろな
刑事被疑事件を起しておる人間であるから、この
選挙中においても何かやるだろう、こういうような
気持が全
市民の胸に消えなかったと思うのであります。
市民の利益を守る二、三の
新聞社は夜
投票所を回り
——七ヵ所の
投票所だと思いますが、
自動車を二台か三台出されまして、
パトロール式に、市の
選挙管理委員会と、臨時に
管理委員会の
事務を嘱託された市の
吏員たちの
行動を看視したということが、
新聞には載りませんけれども、これは事実でありまして、だれしも明らかであります。
これほど疑われた
選挙でありますが、今度は
開票になったのであります。私は、第四
開票所であった
荒町小学校の学区内に居住しておる者でありますから、
荒町小学校の
立会人になりました。ここにその
責任者がおります。
最初市会議員の
開票が午前中かかりまして、ここにおります星君がほかの
開票所と連絡の結果、大体一時ごろ
開票するという話し合いでありました。それでその
予定通り一時ごろから
開票を始めたわけであります。
開票の
状態は、
最初十数人の
男女が
三つのテーブルを囲みまして、
荒町小学校、
片平町
小学校、
連坊小学校、この
三つの
投票箱をあけたのであります。あける前に箱の
点検をいたされたのでありますが、これには異常がなかったようであります。それからこれを三
候補の
名前別に大別して、その大別したものを、十数人の
男女の方々が、
傍聴席といいますか、
講堂の入口の方のテーブルに持っていきまして、これを五十票ずつにたばねたのであります。たばねたものは、その
講堂の北側の方に
——裁判所には略図を出したのですが、ここには持って参っておりませんが、そこに
計算係という係がおりまして、
立会人の
手元に持ってくる前にその
計算係のところに行って、五十
票束幾らを
立会人に渡すかということを一々記帳されたようであります。記帳したものが
立会人の私どもの手に参ったのであります。それを今度私
たちは見たわけでございます。
私は、前申し上げました
通り、
選挙というは初めてでございますから、何万枚、何十万枚でも
投票というものは数えるものだというふうに思い、数えないのが常識なんだということは知らなかったわけであります。それが
一つと、もう
一つは、何か不正があるのじゃないかという疑いが消えないから、これは当然数えなくちゃならない、この二つの
気持から、一枚々々裏表を見て数えたのであります。私は
岡崎さんの方を主として見ました。私の隣にいた
高橋候補の
立会人は、これは
抜き取り検査といいますか、ちょいちょい検査しておったようであります。そして一束五十票でございますから、五十票あるものが四十九票しかない
岡崎さんの束とか、五十一票あった鳥野
候補の束とか、あるいは
岡崎さんの方の束に
島野君の票が一票あったとか、そういう束は私の前にためておきまして、全部正誤を書いて三枚の紙にそれぞれ記帳いたしたのであります。そういたしますと、私の見のがしたものがあったわけでありまして、私の手を通過していったものを次の
高橋候補の
立会人がまた見まして、その中からも、全部通計すると、その
高橋候補の
立会人は、はっきりここでその数字はわかりませんが、六つないし八つくらいは発見してくれて、私の方によこして、その発見したものだけをそのつど市の
管理委員会の
事務執行者へ渡したようであります。そういうふうにした結果、五時ごろで、大体薄瞬くなったのであります。ライトが
傍聴席側に二つ、票を見る方に
一つしかありませんでした。
一つはこわれておった。非常に暗くて、
事務執行に支障を来たすような
状態で、かつ私は長時間たったために疲れておりましたけれども、パンとコーヒーを持っておって、コーヒーを飲んで疲れを防ぎながらがんばったのであります。大体五時半ごろからは、あまり不正な東が発見できなかったのでありますが、一番多く発見した頻度と申しますか、度数は、
開票の
事務が始まった当初が一番多かったと思います。だんだん減ってきまして、
最後に五時半ごろになって薄暗くなりましてからは、発見がほとんどなくなったと思います。この事実から遡及いたして考えますると、その
選挙管理委員会で臨時に
選挙管理委員会の
事務を嘱託した
仙台市役所の吏員の中に、だれか一名ないし二名の不正な、一時的にそういうような
島野の票を減らし、
岡崎栄松候補の票を多くしようとした人間がおりまして、それがたび重なって発見されたものでありますから、私の発見したものはまとめて突っ返してやりました。そのとき、市の若い
吏員たちは、どうも済みませんというきわめて簡単な言葉を言い残して、一番向うの十数名の人
たちが五十票ずつにまとめている、そこへ持っていって束の是正をやったようでありますが、その束ごとに、一度通過してきた計数係は通さないで、まっすぐ向うの数える方へ持って帰ったようであります。これは、全部が不正な人間であって、総がかりで不正なことをしたというふうに断定することは絶対できないのでありますが、一名ないし二名の不正な者がおって、それがたび重なって事実が発見されたために、
事務のあとの方ではこれを控えたんじゃないか、こういうふうに感じたのであります。
それから、これは
裁判所の
証拠保存のことでちょっと一言いたします。
沼倉氏がおっしゃった束のことでありますが、
梱包は五分くらいの角で綿糸が十文字に入った厚手の油紙といいますか、表装用紙といいますか、
包み紙でございまして、それに紙の
ひもがかけてありました。この破り方は、手を上げれば出し入れ自由でございます。これは
裁判所の係の方もおやりになって明らかでありますが、出し入れ自由であります。票を出して書きかえることは自由でありました。そしてたまたま
三つか四つの束はこわれませんでしたが、こわれない
梱包は、この糸を解いて中身を出すのに、時計を持っていってはかってみますと、この四つとも二分を要さなかったのであります。簡単に申し上げますと、私
たちが町のパン屋から買う食パンの
包みを解く時間くらいしかかからないのであります。
ひもを解く時間は二分弱であります。大へん
増減工作は自由自在に行われたというふうに前の
参考人は推定されたようでありますが、その点においては私も同
意見であります。