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青木参考人 私は当院のほとんど全議員の方によって
提出された
国土開発縦貫自動車道建設法案の内容につきましては、非常にけっこうであるという賛意を表するものであります。実は私はただいま議員でありますが、私が議員でない前からこの問題は
研究しておったのであります。それからただいま財団法人
日本財政経済研究所というものを作りまして、私は会長としていろいろな
研究をやっておりますが、その
研究題目の一つにこの問題を選んで、昨年これに対する私の
意見を紙上で発表いたしております。この際その要領を申し上げまして、本案に賛成する趣旨を述べたいと思います。
この
道路計画は、第一
道路という言葉がうまく該当するかどうか問題があるわけでありますが、既存の
道路の観念ではないわけでございます。この計画の
目的は大体二つあると私は思います。一つは
交通量あるいは輸送量の増加に対応する新しい
交通態勢を整備するということ。もう一つは、これによって今まで放任されていた
国土を生かしていくというねらいでございます。この
法案の名前におきましては、後者の方に重点が置かれておるのでございますが、私は両方とも大事な
目的であると思うのでございます。
大体今日の
日本の
産業経済の分布
状態というものは、京浜地区あるいは
名古屋地区、阪神地区、北九州というようなふうに非常に重点的に、極度に集中しておるのでありますが、これもむしろ
交通関係が原因でこういうふうになったとも言えるのでございます。
交通量から申しますと、今度の計画というものは、こういう重要なる
産業都市を結ぶ
長距離、中
距離の輸送に重点を置いておるのであって、汽車でいえば急行を一本通そうという
考え方でございます。従ってそういう
意味から言えば、今申したような数点の大きなところをミスしさえしなければ、一々今の人口密度に応じて通るなどという必要は絶対にないのでありまして、そういう点から申しましてもこういう新しいところを通るということは、将来増加する
交通量を緩和するというこの
目的に少しも差しつかえないと
考えておるものであります。しかしながら、この
法案の生命は何と申しましても
国土の
開発であります。今まで
日本としては八割方も山でありますが、その山がほとんど放任されておる。これでは狭くなった領土に今後増加人口を収容していく場合に非常に無理があるのでありまして、どうしても新しい計画を立ててこの増加人口を吸収するということが、国策の根本になることは当然でございます。そういう
意味におきまして、今まで放任した山地の開拓によって、山林資源なり鉱物資源なりその他の資源の
開発をはかる。あるいは工業も、今まで
先ほど申したような地域に集中しておるのを、
交通の利便によって地方に分散する。人口もこれによって分散するという国策を立てることは、今日最も急務であるのであります。そういう新しい
日本の国作りというふうな意義をこの
法案が
意味する点において、私は非常に意義のあるこの
法案を成立さして実行したならば、昭和
時代のわれわれが将来の子孫に残す最も大きな遺産になるのじゃないかとすら私は
考えるものでございます。
私が
先ほど申しました財政
経済研究所の紙上に発表した
意見の一つは、いわゆる弾丸
道路が
東海道を予定されて計画されている、これは非常に
考えものであるということに重点を置いて述べたのでございます。それ一つだけ申し上げましても、これだけ増加した人口を養うには農業増産が必要である。今日まで農業増産ということは各党を通じて重要政策にうたっているにもかかわらず、新しく開拓する農地よりもつぶす農地の方が多いということすらあるのでありまして、この貴重な農地をできるだけ保存しなければいけないというのが根本の
考えでございます。都会地あるいは肥沃な農地を莫大につぶすということは、食糧政策の
見地から避けなければならない問題であるので、私はそういう点に重点を置いて自分の所見を発表しております。そういう
意味において
日本の背骨であるところの山嶽
地帯を貫いて、それに北
日本、南
日本全部を支線でつないで
交通網を完成するということは、何としても新しい
日本の今後の国策としてぜひ実行していただきたいという念願から、この
法案に賛成するものでございます。
それから私は計画の資金方面について若干
意見を申し添えておきたいと思います。これは
提案者の
提案したところによりますと、
東京大阪間の
中央道路だけで千三百五十億、もし全国だと六千五百億くらいかかる。これはもちろん大ざっぱな計算でございましょう。それで世間には、これはとてつもない大きな計画で、実行できないのではないかということを心配する人が少くないのでございます。私はこの計画を
研究するときから、もちろんこの点に考慮を払っておるのでございます。私はこういう数字の問題等とはほとんどともに育った人間でございまして、数字についてはある直感の勘すらも持っておるのでございますが、私はこの問題が数字が大き過ぎてむずかしいと
考えたことは一回もございません。六千五百億円を突然出せば大きいという感じがするでございましょうが、二十年で割れば年額大体三百億円でございます。昭和三十年度の予算の
参考書に出ておりますところの財政投融資の計画によりますと、地方債の分まで寄せるならば財政投融資の総額は三千億をこえておるのでございます。それに比べて三百億円という数字は、大して大きな数字ではない。それから
経済企画庁で発表された今後の
国土開発計画の数字を見ましても、総合
開発の
構想という数字によりますれば、二十八年度から四十年度の資金需要量を見ましても、財政投資だけで七兆二千八百億という数字が計上されておるのであります。年額にいたしましても、これは最低五千六百億に当るのでございます。そういうふうな
日本の今後の総合計画の規模から
考えて、年額三百億くらいな程度の資金需要量は、そう大した問題ではございません。今日までいろいろな方面にこういうふうな財政資金あるいは投融資が行われております。もちろんこれは
時代の推移によって、内容も変えていく必要もありましょう。また今までよりももっと効率的にこれを動かさなければならない事情もございましょう。あるいは今後国力が伸びて総体もふえていくことの可能性があるのでございます。問題が大き過ぎるのではなく、今後の国家の資金の使用計画においてどこに重点を置くかによって、たちまちきまる問題でございます。たとえば今日まで
国土開発の重点
産業として電源
開発が取り上げられておるのであります。この第一次五カ年計画の所要資金量を見ると、これは千八百億円、この
道路計画の五カ年計画の第一期計画はわずかに年三百億であるということで、電気の計画よりもはるかに数字は小さいのでございます。それから水力電気の発電計画は、今のまま行きますれば、本年は電源
開発会社と公営を合せて四百五十億でございますが、これは四年先になりますと百六十億に減るのでありますが、その減った分だけをここに持ってきても、この計画は遂行できるというくらいの程度の問題であることを、まず皆様に御了承いただきたいのでございます。それで問題は、国会が国策の重点をどこに置くかということによって、たちまち解決する問題でありまして、
日本の国力なり、あるいは今後の貯蓄なり、生産力なりと比べてみて、決して不可能でもなければ、もちろん無理のある計画でないということを私は申し上げるわけでございます。
それからこの数字が大きいという
考えから、これは外債でも起さなければできないのじゃないかという
意見が一部にあるのでございます。それで私はこの点についても
意見を卒直に申し上げておきたいと思います。これから私が申し上げる
意見は、今この
法案が出て
考えついた
意見ではございません。一昨年の初め、これは私が議員になる以前のことでありますが、世間では外資導入という問題が非常に大きく扱われて、外資導入がなければ
日本経済の再建ができないというような
意見が、
相当多かった。私はその
意見を聞いておりまして、これはややもすれば
日本人が非常な
考え違いをしておる。それで私は専門的
見地から――私は実は大蔵省で二十年、国際金融の問題に私の官吏生活のほとんど全部をつぎ込んでおった体験者でございます。それで私は一昨年の始まりに、外資導入論の再検討という論文を草しまして、大蔵省の機関雑誌といわれておる財政という雑誌に投稿いたしまして、これが四月号に出ております。これから申し上げるのは、この雑誌で発表した
意見のあらましでありまして、今突如としてこの
法案が出たから
考えついた
意見ではないのでございます。
外資導入と申しましてもいろいろありまして、たとえば技術の導入、あるいはパテントの導入に伴って、外資が入ってくる場合が多うございます。これは特殊な意義があって、私の論ずる範囲外でございまして、これはけっこうであるのであります。それから物が入ってきて、その代金の決済が外債の形で延べ払いされることもあり得る。現に過剰農産物の処理について、それが国内に投資されるということは別問題であります。これはそれ自体に意義があって、何ら批判する必要はないと
考えます。それからもう一つは、外国の資本家が
日本の
事業が有望であるというので、投資しようという
考えがあり得るのでございます。これはむしろ積極的に向うからそろばんをはじいてみて、
日本の
事業計画に参加しようという計画でございますから、これも時と場合によっては非常にけっこうであります。
日本がそこまで
経済や政局が安定するということは、われわれも希望するのでございます。これらはそれぞれの別な
意味があります。私がこれから申し上げるのはそうではなしに、
日本の
事業計画に必要なる資金を外国から借りてくる、そういう資金の調達
方法としての外資問題をいうのでございます。この資金調達
方法としての外資の問題は、
結論から申しますと、これは為替
関係に必要がある場合に、初めて合理的根拠を見出すものでございます。わが国の歴史から
考えましても、日露戦争当時の外債というのは、軍艦や兵器その他の軍需品を買うために、どうしても外資が要るという為替
関係の必要から起きておるのであります。それから関東大震災の復興外債でございますが、これは復興に必要なる資材を輸入するために、どうしても為替
関係が逼迫してきたので、外債の計画を立てたのでございます。これが大体外資というものの本来の必要の原因であると思います。ただ少し違っておるのは、
日本の電力会社等が外債を起したことがございますが、これは直接にはその資金の条件の問題でございます。たとえば国内において長期低利の社債を起すことができないというので、外債を計画したのでございます。ただしその際においても、政府がこれを認可する場合には、やはり為替
関係において必要があるという見通しがないと認可いたしておりません。そういうような
日本の過去の経験から見ましても、国際収支の
関係あるいは為替
関係の必要がない場合に、外債を募集するということは、その理論的根拠を欠くものでございます。
さて現在の
日本の為替状況はどうかというと、もちろんまだ
日本の国際収支の状況は安定しておりません。永続性のないような貿易外収入によって
維持されておるという
日本の国際収支は、健全ではございません。しかしながら何と申しましても、まだ昨年の輸出の好況その他からして、ただいまでは十二億ドルの外貨を持っておるという現状でございます。こういう場合において、一体何の
目的でこれ以上の外貨を外債募集によってふやす必要があるかという問題があるのでございますが、私は今のところ、そういう必要がないという
考え方でございます。人によりましては、
日本の国際収支の状況は安定しておらぬ、将来困ることがあるかもしれぬ、あるいは輸入超過になるかもしれぬから、金を借りておくのだというような
考え方で、もし外債を募集するならば、これも私は見当違いだと思います。やはり国際収支のしりというものは、正常な貿易によって合せるのが当然でありまして、借金で国際収支のしりを合せるということは、これは非常な不健全な
考え方でございます。ちょうど個人でいえば、自分の収入よりもよけい消費をしたいために、借金をして生活程度を高めるというような
考え方と同じでありまして、これは健全なる
考え方ではございません。またそういう国情ならば、外国から金を借りなけれけば国際収支のバランスがとれないというような国に、外国は金を貸すはずがございません。それからもう一つ外債の問題で
考えなければいけないことは、そのときは借りれば、国際収支の上、為替
関係には都合がいいのでありますが、期限が来れば元利払いをしなければならぬ。そういう
意味においては、長く国際収支というものにマイナスになるのでございます。これはただ金をもらった場合と違うことは申し上げるまでもありません。ことに
事業会社として、あるいは会社でなくても、
事業計画の上に外資を入れるということは、外資であれば、これはアメリカから借りるドルの債務になるのでございまして、原則として円の債務ではありません。そうなると、
事業計画そのものよりも、将来の為替価値の変動によって、会社の経営が非常な苦況に立つとも
考えられるのでありまして、そういう
意味からも、外債という問題は非常に考慮を要する問題でございます。
その次に、
日本の金融政策、通貨政策の上から見て、一体外債というものはどういう
関係を持つかということが、非情に重要な問題になるのでございます。金融政策から申しますと、
先ほど申した通り
日本の戦前の電力外債というものは、国内においても長期低利の社債を起すことができないというために、発行したものでございます。しかし今日では
日本のこういう国家
事業は、政府の息のかかった財政投融資によってまかなわれるという先例ができ、今後においてもおそらくその道をとるでありましょう。そういう場合には、期限の問題にいたしましても、金利の問題にいたしましても、国会の意思によってどうにでもきまるのでございまして、この点からも外債を仰ぐというようなことは必要ないのでございます。また今日
日本で行われておるように、場合によっては非常な低利な国家賃金も出ております。私は外国から金を借りる場合には、原則としてそういう低い金で借りることすら困難ではないかと
考えております。それから国内の通貨政策との
関係を
考えてみたい。もしこの
事業が財政投融資でまかなわれるとする場合に、財政資金が健全財政下にまかなわれるならば、これは決してインフレーションにはなりません。歳出予算の一項目として税金で払われるわけでございますから、インフレーションにはなりません。それから金融債その他でまかなわれる場合におきましても、これは国民貯蓄の利用によって行われる場合には、これまたインフレーションになりません。貯蓄の活用にとどまるのでございます。ただそういう場合に新たに国債を
日本銀行引き受けによって発行する、いわゆる一種の赤字公債で公債を出してその金をここへつぎ込むとか、あるいは金融債にいたしましても、しりを
日本銀行へ持っていってめんどうを見てもらうというような、そういう形でこれが融資される場合には、初めてインフレーションの原因になるのでございます。ところが外債を起してこの
事業資金に充てまする場合には、例外なく一応インフレーションを起すのでございます。外債を起すと国内の景気がよくなるというような一般現象をいうのは、その現象をいうのであります。何となれば、たとえば公社なり会社なり、
道路の建設資金を外債で調達したという場合には、その外国で借りた外貨というものは向うへ預けておいて、そうしてその外貨を国なり
日本銀行なり為替銀行に売って、そのかわり金たる円を国内で労賃に支払いあるいは材料の購入に使う、国内にばらまくのであります。従ってこれは明らかに例外なり通貨の増発の原因となるのであります。ただ普通の赤字財政等による通貨の増発と違う一点は、この
日本で散布した円資金の裏づけが、外国に外貨としてあるといよう一点にあるのであります。しかしこれ自体は直接には国内の通貨には、裏づけがあろうとなかろうと影響ありません。ただ影響あるといたしますれば、その外貨で物資を購入して
日本へ輸入して、その物資を国民に売りつけてその資金を吸い上げて、初めていわゆる通貨増発の原因を除去することができるという、その潜在力を持っているという点において違うのであります。ところが今日一体そういうことを目当てとして何をよけい輸入することができるか、またそれが国策として適当かどうかという大きな問題があるのであります。今日食糧にいたしましても、これ以上無限に外国から食糧を輸入することは幾多の困難があるということは、皆様御承知の通りであります。砂糖にいたしましても、もう百万トンの計画があれば、これ以上輸入する余地はありますまい。それからその次の生活必需品である繊維製品等について、どんどんふえて困っているという
状態であります。鉄はどうでございますか。鉄も国内ではもう消化し切れずに、輸出の方面に極度にふやけようとしておるのでございます。そういう場合に一体何を輸入して、国内の通貨を吸収しようとするのでございましょうか。これは一歩誤まれば、ぜいたく品、浪費の原因を作るということにすぎないのでございまして、むしろこれは非常に警戒を要する問題でございます。あるいは機械でも入れればというようなこともおりますけれ
ども、これもやはり輸出
産業に関連する
産業に必要な機械でなければ、ただ国内の水準を高めるということに終るのでございます。機械にいたしましても、国内では
相当機械ができるのでございまして、それをむやみに外貨があるからといって、外貨活用の名において、
日本でできる機械などを輸入することは、国産奨励、
産業振興の本旨にももとることになるのであります。これは非常にむずかしいのであります。
そういうふうに為替
関係から見、金融
関係あるいは通貨政策の
見地から見ても、これは非常に考慮を要する問題である。外資さえ入れれば簡単にできるというようなものではないと私は
考えておるものでございます。いわんや
先ほど申した通り、為替資金が要る場合には外債の
理由がある。ところが今度の
道路計画を見ましても、年額三百億にいたしましても、この資金の三割は労賃として国内に落ちるのでございます。
あとは物件費でございますが、そのうちおもなる材料といたしましては鉄が二十ヵ年全部で百二十万トン、それから木材が四百万トン、セメントが六百万トンという
参考資料を与えられておるのでございますが、外国からの輸入というものは、鉄の原料だけである。年額六万トンの鉄の需要でございますか、これは原料としてならばこの半分、三万トン程度で、問題にならぬ。これがために外貨を入れるという
理由は全然ないのでございます。そういうふうに
考えますと、やはり国内で円で済ませる金を外貨を借りるなんということを
考えずに、お互いの貯蓄によってこれだけの
事業を子孫に残すために、営々として働いてかせぎ出すという方針がよろしいのでございます。これは
先ほど申した通り、わが国の国力、また貯蓄力の傾向から見て何でもないことだということを重ねて申し上げまして、皆様の御計画に賛意を表し、ぜひすみやかにこの
法案を通して、国民に前途の希望を与えていただきたいということを申し上げまして、私の
意見を終ります。