○
野口参考人 大体今御
質問のように、問題の発端は
昭和二十三年度にさかのぼります。たまたま
昭和二十三年度の
オカボ等の
保険金、
——保険金とは
災害を受けた
農家に支払われるわけですが、その金のうちで四百万円を
天引きして
事務所を作ったわけです。たまたま
昭和二十四年度の
麦類保険が
農林省できまったわけです。だから二十三年度作付の
麦類の
被害金額、いわゆる
保険金の
栃木県へよこされたのが八千七百四十四万三百十円ときまったわけです。そのうちからまた二千百七万三千七百三十八円を
賦課金と称して取ったわけです。そこで問題なのは、二千百七万三千七百三十八円というものは、当然
災害を受けた
個々の
農家に支払うべき金を、単に
農業共済組合長が集まりまして、
栃木県の
総会をやって、その席上、最初は
寄付してくれというようなことを申したのですけれ
ども、私
どもの方の
組合で、
理事会の結果、そういう空気を察して、たとい
寄付ということに賛成しても
災害補償金というものは
個人々々の
被害をこうむった
農民がもらう
性質のものであり、また受け取るべき
性質のものであるから、
幾ら組合長たり
とも人の財産を、
支払いを受ける
農家の許可なくして
寄付はできないという観点から、
南犬飼村では、当時
組合長が
浜野清で僕ら
理事でございましたが、徹底的に反対したわけです。そこで県の方ではなるほどと気がついたのでしょう。引っ込めて、
昭和二十五年五月二十五日の
臨時総会においていわゆる二千百七万三千
幾らという金を今度は
賦課金という形で徴収することになったのに、僕らも
会長代理でその
総会へ参りました。今日ではあまり
災害補償法の研究もしておりませんのでわかりませんが、当時の
災害補償法によれば、
事務費の赤字以外は
賦課金として
組合員より徴収することができないとはっきりうたってあるわけでございます。だからこれは当然
個人個人に支払うべき金を
賦課金の
名目でも
寄付の
名目でも取るということは、いわゆる
組合員個人々々の
災害をこうむった
農家の承諾がなければこれは
違法行為であるということで、
栃木県の
臨時総会において反対したところが、わずか四
カ町村がわれわれの主張に賛成したわけでございます。
安蘇郡の赤見村と僕らの
隣村の
稲葉村と桑村、この四
カ町村だけが私
どもの意見が相当であるということで賛成したけれ
ども、大多数の
農業協同組合長は、そういう違法な
行為をあえて
決議して
天引きしてしまったわけです。そこで問題は、われわれはどこまでも反対の態度で、何万人集まってきめようとも、
所有者の知らない間に、それを渡さないで
天引きするなどということはどろぼうにもひとしいということで、断固として
県連に
抗議を申し込んで、当時
県連より
——二千百七万円何がしの金のうち三十万七千円が私
どもの村に来る金なんです。その金をあなたらの方では反対しているし、
個々の
組合員も承知しないのだからということで、それでは支払うということで
支払いの
確約書をもらったわけでございます。
そこで
改選の時期になりまして、何といいますか、悪く申しますならば農村のボスと称しますか、そういう者の
支配勢力が強かったために、われわれの
正義派の方々の
組合長が選挙で敗れて、今度
昭和二十五年の五月幾日かの
総会で
大垣義忠が
組合長になって、県に対する三十万七千円の
受け取り方の
交渉を継続してやられたわけでございます。ところがたまたま
大垣組合長が何回か
県連に足を運んで、
昭和二十五年九月二十六日に三十万七千四百六十九円という金をもらってきたわけです。そこで私
どもの方の
農協では
臨時総会を開きまして、この金は
栃木県でただひとり、
犬飼だけが
正義の叫びを上げてもらった金であるから、有意義に使用しようではないかということで
農業協同組合全部補助して、また
災害が発生しないように
共同防除を行なったわけであります。ところが
あとになってそれを気がつきますと、
昭和二十六年度の麦の
災害金の前渡金として
大垣組合長がもらってきたわけであります。だから今度は
昭和二十六年度の麦の
災害の
保険金が
農林省から下ってきますと、三十万千
幾らの金が差し引かれるから
被害農家にやれない、それでは県で
昭和二十四年度の
麦類の
災害保険金の
天引きをよこしたというのはうそではないか、
確約に違うではないかということで、
大垣組合長はそういう誤った
受け取りを出して、拒否されたので、
大垣組合長は
組合の指弾するところとなって、とうとう
自分で
組合をよして、その
あと渡辺房というのが
共済組合長になりまして、県の
連合会長であった
佐蔵清一郎君に直接
交渉したわけであります。
確約書があるのだから至急に払ってほしいということを言うと、多分
佐藤組合長が
事務局と相談して取ってくるということで、そこで
昭和二十六年度、
南犬飼村の百十四町か百十七町かの水稲の
水増しをやって、その金を
農林省から、取って、それで
犬飼村は私
どもの
確約した
昭和二十六年の十一月一日に十九万円、二十七年の一月三十日に二十五万円、それから二十七年の三月六日に六万五千円、これだけ
天引きした金をもらったわけでございます。たまたまその後全体の数字を見ますと、
昭和二十四年か五年だと思うのですが、
水増金は
昭和二十四年度の
オカボが一千八十五万七千二百六十五円二十銭というものが
——いわゆる
単位共済組合の
災害評価委員というものが
評価したのがまずいから、県の
災害評価委員が見直したという形でいわゆる
水増しが足りてくるわけであります。だから村の
単位農協では、
自分らの
単位農協の
災害評価委員が
ほんとうに現実に二十人、三十人も出て、どこのたんぼも畑も見て歩くので、これが一番正しい
評価だというのが、そういう相違が出てきたので、県の方ではこれでは少いからというのか何だか知らないが、
昭和二十四年度の
オカボの一千八十五万七千二百六十五円二十銭というものを
水増しして
——私はこれは
詐欺行為じゃないかと思うのですが、そういうふうにして、計三千百九十三万一千五百十三円二十銭という取るべき金でないものを取ったわけです。そこで当時私は
日農の
委員長をやっておりましたので、その問題を取り上げまして、相当
検察庁あたりに告訴もし、告発もしていたのですが、
検察庁の方のあいさつは、それは必ず君らが主張するがごとく法律には違反しておるけれ
ども、
個人として横領したような事実は見受けられないから、不
起許処分に決定したということを私
どもに言っておったわけであります。
そこで今度
単位農協から端を発しまして、
栃木県全体で再び同一
事件が取り上げられて、司直の手によって相当糾明されたわけであります。そこで三千百何十万という金を県の
連合会で使うというのはけしからぬから、
農民に返すべきであるというような
行政命令が来たので、
昭和二十九年二月二十日に
栃木県
共済組合連合会の
臨時総会を開いて、
農民に返すという
決議をして、この金は
農民に返ったように聞いております。そこでどうも私のふに落ちないのは、さきに僕らの村だけで三十万七千
幾らもらってあるにもかかわらず、
オカボの
水増しで三十七万八千六百三十円と、それから二十四年度の
麦類の
天引きで三十万七千四百六十九円、この金が合算されて六十八万何がしという金がまた
農林省の
行政命令に従って私
どもの村へ返されてきているわけであります。従いまして、以前の六十万七千何がしという金は、
協同組合に
災害がはっきりしないということで補助した。
あと三十七万八千六百三十円というものが私
どもの名前によって
水増しされたのを、返すというのならば、これだけでよいではないか、こう考えたのですが、事実は六十八万何がしかの金がきておって、従って
水増しも
個々の
耕作面積の
災害の
水増しでなくて、架空のいわゆる百何町歩かの
オカボが作ってあるということに見せかけた
水増しなので、私
どもの方では分けることができないということで、いまだに保管しておるわけです。