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1955-07-16 第22回国会 衆議院 外務委員会 第32号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月十六日(土曜日)     午前十時二十四分開議  出席委員    委員長 植原悦二郎君    理事 大橋 忠一君 理事 北澤 直吉君    理事 福永 一臣君 理事 穗積 七郎君       菊池 義郎君    草野一郎平君       高岡 大輔君    夏堀源三郎君       並木 芳雄君    山本 利壽君       淡谷 悠藏君    稻村 隆一君       高津 正道君    森島 守人君       淺沼稻次郎君    松岡 駒吉君       岡田 春夫君  出席政府委員         外務政務次官  園田  直君         外務事務官         (アジア局長) 中川  融君         外務事務官         (移住局長)  矢口 麓藏君  委員外出席者         参  考  人         (日本海外協会         連合会会長) 上塚  司君         参  考  人         (鳥取海外協         会事務局長)  大久保 毅君         専  門  員 佐藤 敏人君         専  門  員 村瀬 忠夫君     ————————————— 七月十六日  委員田口長治郎君、木原津與志君今村等君及  び戸叶里子君辞任につき、その補欠として久野  忠治君、淡谷悠藏君、鈴木義男君及び淺沼稻次  郎君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 七月十五日  東南アジヤ諸国善隣関係樹立に関する請願(  安藤覺君外二名紹介)(第四二三一号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  特別円問題の解決に関する日本国タイとの間  の協定締結について承認を求めるの件(条約  第一八号)  日本海外移住振興株式会社法案内閣提出第一  三六号)について参考人より意見聴取  国際情勢等に関する件     —————————————
  2. 植原悦二郎

    植原委員長 これより会議を開きます。  特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定締結について承認を求めるの件を議題といたします。政府側より提案理由説明を求めます。園田政務次官。     —————————————    特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定締結について承認を求めるの件   特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定締結について、日本国憲法第七十三条第三号ただし書の規定に基き、国会の承認を求める。     …………………………………    特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定   日本国及びタイは、   両国間の懸案である「特別円問題」を解決することにより、両国間の伝統的友好関係の強化及び両国間の経済協力の増進のための基礎を確立することをひとしく希望して、   次のとおり協定した。     第一条  1 日本国は、次のとおり、五十四億円に相当する額のスターリングポンドを、五年に分割してタイ支払うものとする。   (1) この協定効力発生の日が属する日本国会計年度に十億円   (2) (1)の会計年度に次ぐ四年間は、日本国の毎会計年度にそれぞれ十一億円  2 1の支払に適用される為替相場は、それぞれの支払の時に日本国において設けられているスターリングポンド外国為替公認銀行電信売相場によるものとする。     第二条   日本国は、両国間の経済協力のための措置として、合意される条件及び態様に従い、九十六億円を限度額とする投資及びクレディットの形式で、日本国資本財及び日本人役務タイに供給することに同意する。     第三条   タイ政府は、次の請求権を含む「特別円問題」に関する日本国政府及び国民法人を含む。)に対するすべての請求権を、タイ政府及び国民法人を含む。)に代つて、放棄する。   (1) 昭和十七年六月十八日に東京署名された特別円決済に関する日本銀行タイ大蔵省との間の協定及び昭和十八年三月十九日にバンコック署名されたタイ国庫特別円勘定に関する日本銀行タイ大蔵省及びタイ銀行との間の協定に基いて日本銀行に設けられたタイ銀行特別円勘定に関する請求権   (2) タイ外務大臣にあてたタイ駐在日本国大使の次の書簡に基いて日本国政府タイ政府に売却すべきであった金のうちまだ売却されていない分に対する請求権   (a) ディレーク外務大臣にあてた坪上大使の千九百四十四年四月七日付の書簡書簡番号F八六/一九)   (b) シーセーナー外務大臣にあてた山本大使の千九百四十五年一月十八日付の書簡書簡番号ED九/四五)   (c) シーセーナー外務大臣にあてた山本大使の千九百四十五年七月三日付の書簡書簡番号ED八一/四五)  (3) タイ外務省トゥアイテープ・テワクン経済局長及びタイ銀行プラヤット・ブンラナシリ総務部長が千九百五十年一月四日に署名した金の引渡確認書に掲げられている金の未引渡分に対する請求権     第四条   両国は、この協定の円滑な実施を確保する目的のため、協議及び両政府への勧告のための機関として、両政府代表者から構成されるべき合同委員会東京に設置するものとする。     第五条   この協定は、それぞれの国により、その憲法上の手続に従って承認されなければならない。この協定は、その承認を通知する公文が交換された日に効力を生ずる。   以上の証拠として、下名は、それぞれの政府から正当に委任を受けて、この協定署名した。   千九百五十五年七月九日、バンコックで、英語により本書二通を作成した。   日本国のために     太田一郎署名)   タイのために     ワン・ワイタヤコン クロマムーン ナラティップ・ポンプラバン(署名)     —————————————
  3. 園田直

    園田政府委員 ただいま議題となりました特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定締結について承認を求めるの件につきまして、提案理由を御説明申し上げます。  わが国タイとの間には、第二次大戦中、特別円勘定に関する諸取りきめ及びこれに関連する金の売買に関する諸取りきめが存在しましたが、戦後これらの取りきめに基く両国間の債権債務関係解決のため、両国政府の間で折衝を重ねて参りましたところ、本年四月タイ外務大臣親善使節として来朝するに及んで、両国政府間の話し合いは急速に進展し、特別円問題の解決の方法に関する大綱についての意見の一致をみましたので、その際両政府間の了解事項共同声明として発表いたしましたことは、御承知通りであります。  その後、さらに両国政府は、右の了解に基き、特別円問題の解決に関する協定締結するための交渉を行なって参りましたが、本月初めタイ外務大臣の再度の来日の機会に、その案文について妥結を見るに至りましたので、七月六日両国外務大臣の間で協定文の仮調印を行なった上、七月九日にバンコックでわが太田大使と先方のナラティップ外務大臣との間で本協定署名を終了いたした次第であります。  本協定により、わが方は、五年の分割払いによって、五十四億円に相当するポンドタイ支払うとともに、経済協力として、九十六億円を限度とする投資及びクレジットの形によりわが国資本財及び役務を供給することを約し、タイは特別円問題に関する一切の請求権を放棄することになっております。右のうち、五十四億円相当ポンドは現金による支払い、九十六億円は投資及びクレジットによる資本財及び役務の供給になりますが、後者については、その期間、条件ないし態様がいまだきまっておらず、今後の話し合いによって合意することとなっており、そのための協議及び勧告機関として合同委員会東京に設置することが規定されております。  本協定実施により、わが国タイとの間に存在していた重要な懸案が円満に解決されますことは、今後の両国友好関係をますます強化するとともに、経済協力による両国間の経済提携が一段と促進され、ひいて、わが国アジア諸国との政治的、経済的関係の改善及び発展に少からず資するものと確信いたします。  よって、ここに本協定締結について、御承認を求める次第であります。何とぞ慎重御審議の上、本件につき、すみやかに御承認あらんことを希望いたします。
  4. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて提案理由説明は終りました。質疑次会に譲ることといたします。さよう御了承願います。     —————————————
  5. 植原悦二郎

    植原委員長 この際なお政府より発言を求められております。これを許可いたします。園田外務政務次官
  6. 園田直

    園田政府委員 先般来から御報告を申し上げました中国大陸に残留する邦人の引き揚げ問題について、一般国交との問題とは別個に、人道上の問題であるから政府みずから責任をとって直接政府の手によってこれを解決するという御報告を申し上げておきましたが、それに基きまして申し入れを昨十五日いたしました。それに関連をして御報告を申し上げます。  中国大陸に残留する邦人の引き揚げ問題については、従来日本赤十字社そのほか二団体と中国紅十字会との折衝により、十一回、計二万九千名の集団帰国の実現を見たのでありますが、日本政府調査によると、なお約六千名の在留邦人があり、またいわゆる戦犯と称せられ服役中のもの千六十九名を加えて約七千名の邦人が今なお中国大陸に残留しており、さらにかって中国大陸におり現在まで状況不明となっておる者約四万名がございます。昨年十一月中国紅十字会代表一行の来日後、その約束によりまして二千余名が帰還いたしましたが、本年三月の配船を最後として、その後は進展してなく、間もなく釈放されるであろうといわれたいわゆる戦犯といわれる人たちの送還も実現しておりません。また確実に残存していると思われる約六千人の人たちの中にも帰還希望者があるにかかわらず、帰国できないでいるという報道もございます。さらに戦後長い間状況不明となっておる多数の人たちの状況についての情報も提供されておりません。これらの問題については、従来より、日本赤十字社などより、中国紅十字会に種々連絡しているのでございますが、急速に進みませんので、これが促進につき、中華人民共和国政府人道上の見地に立っての誠意ある取り計らいをされんことを希望し、日本は今日は中華人民共和国承認してはおらず、両国間の正式国交関係はございませんが、本件のごとき純粋な人道上の問題については、国交の有無にかかわらず、中華人民共和国当局も、当然にわが方の希望達成方を考慮されるものと期待をして、昨十五日、ジュネーヴにおいてわが総領事より、同地駐在中華人民共和国総領事代理にこれらの要望を書類をもって伝達をいたしました。  まずジュネーヴ総領事に電報でもって訓令をいたし、書類を送付し、書類をもって引き揚げ促進について会談したいと申し入れましたところ、その後数日経過しまして、十四日付書簡をもって、十五日午前十時領事館において面会したき旨の回答があり、十五日十時より面会をして、こちらより送付いたしました引き揚げ促進に関する申し入れを終了いたしております。  その申し入れの際の中共総領事代理沈平氏と、わが方の総領事との会談の概略を御報告申し上げますと、中共政府は、帰国を希望する日本人を帰還させることはその根本政策であって、今後も変ることはないとはっきり述べております。なお、こちらから提示をいたしました書簡内容等説明したのに対して、数字その他については政府に問い合せよう、しかしながらまた帰国希望者については、中共赤十字と日赤との間に、現に調査を行なっているものと思う。ただし大部分国民政府当時に抑留されたものであるから、日本側でわかるならば帰国希望者の氏名や住所あるいはその他の調査に協力してほしい。次に四万人の行方不明については、中共赤十字社でもできるだけ調査するつもりであると述べ、さらに戦争犯罪人は、中国に対する犯罪者であるから、他の抑留者とは異なるが、人道上の見地から中共政府としては、でき得る限り寛大な措置をとる方針であるとの旨がございました。本書簡は直ちに本国政府に送って、何らか回答あり次第通報して、今後の話し合いを進めていきたい、このような概略の模様でございます。  従いまして、以上御報告を申し上げまして、政府中共残留邦人引き揚げ促進に関する処置を御報告申し上げます。
  7. 穗積七郎

    穗積委員 議事進行。今園田次官から中共引き揚げ報告がございましたが、この問題に対する質問を許すのですか、許さぬのですか。理事会をお開きになりましたか。どうして処理されますか。
  8. 植原悦二郎

    植原委員長 お答えいたします。海外移住振興株式会社法案につきまして参考人のおいでを願っております。これらの方々をあまり長くお待たせすることはどうかと思いますから、質疑を許さない方針でありますが、並木君から緊急質問をしたいという申し出がありますので、これは二、三分の時間を切って許してはどうかと委員長は考えております。
  9. 穗積七郎

    穗積委員 今の園田次官説明、特に引き揚げ問題に対する説明については、われわれとしても特に時間を限って質問したいことがあるのです。それでは並木君の緊急質問と称する中身は何か御存じですか。どういう問題についての緊急質問委員長はお聞きになっておられますか。
  10. 植原悦二郎

    植原委員長 今の政府報告について緊急質問をしたいとの申し出があります。
  11. 穗積七郎

    穗積委員 他の委員にも同様の質問がある。同じ問題で、緊急性については同じですから、与党の並木君にのみ許して他の、特に野党に対して許さぬということは……。
  12. 植原悦二郎

    植原委員長 委員長はさように考えておりません。
  13. 穗積七郎

    穗積委員 それでは同様にお許し下さい。
  14. 植原悦二郎

    植原委員長 委員長はさように考えておりませんが、御承知通り海外移住振興株式会社法案について参考人を呼んでおりますので、それを許すとしても、どなたに対しても時間を極度に制限してお許しすることを御了承願いたいと思います。     〔「理事会をやろう、勝手にきめては困る」「許すか許さないか理事の方で短時間に御相談願います」と呼ぶ者あり〕
  15. 植原悦二郎

    植原委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止
  16. 植原悦二郎

  17. 植原悦二郎

    植原委員長 これより日本海外移住振興株式会社法案審議するため、参考人より意見を聴取することにいたします。  本案について参考人として出席を求めましたのは、日本海外協会連合会会長日伯中央協会理事長上塚司君、及び鳥取海外協会事務局長大久保毅一君であります。  議事に入るに当りまして、参考人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中のところわざわざ御出席をいただき、厚くお礼を申し上げます。当委員会といたしましては、本案について審議を続けて参りましたが、今回特に参考人各位の御出席をお願いいたした次第であります。  議事の順序について申し上げますと、まず参考人各位の御意見を開陳していただき、そのあとにおいて委員質疑がある予定であります。なお御意見の開陳は一人二十分以内にとどめたいのでありますから、さよう御承知をお願いいたします。念のため申し上げます。衆議院規則の定めるところにより、発言委員長の許可を受けることになっております。なお参考人委員に対して質疑をすることはできないのでありますから、この点も御了承願います。  それではこれより参考人意見を聴取いたします。上塚司君。
  18. 上塚司

    上塚参考人 今日は海外移住振興株式会社の件に関連いたしまして、参考人としてお呼び出しをいただきましたことはまことに光栄といたしまして、深く感謝いたします。  ブラジルに対しまする移植民ばかりでなく、私はここに概括的な移植民に対する私の考えを一言述べさせていただきたいと思います。  戦争前と戦争後との対南米への、そのうちでも特に日本から多く行っておりまするブラジルヘの移民のやり方は、非常に変ってきておるのでございます。御案内のごとく、戦争日本から主として参りましたのは、ブラジルのうちでもサンパウロ州、パラナ州等の南部諸州でございました。これらの方面に対しましてはすでに農業が確立されており、農園がりっぱにでき上っておるところに日本人コロノ、いわゆる契約労働者として入って参ったのであります。従って日本からブラジルに着きますると、これらの移民は、ブラジル移民官の手によりまして、それぞれの耕地に分配せられまして、その耕地には住宅もあり、あるいはその働きに対しては賃金を与えられまするから、最初から生活についてはあまり心配が要らない。最小限度生活費用向うへ行ったままで得られるのでございます。でありまするから、日本からもあまり準備を要しなくて、向うへ送り出すことができたのでございまして、ある年におきましては年間二万人あるいは三万人近くの人を送り出した事例があることは御承知通りでございます。  しかるに戦争後の移民は非常に変って参りました。第一このサンパウロ州に向ってのこれらのコロノ移民は、サンパウロ政府があまり歓迎いたしません。従ってこのコロノ移民として日本から出る者は戦後ほとんどなくなったのでありまして、わずかに呼び寄せ移民及び技術員として昨年参りました紡績移民あるいは養蚕移民のようなものがわずかばかり行ったにすぎないのでございます。  戦後のブラジル政府傾向といたしましては、昨年なくなりましたヴァルガス大統領の意向もございまして、主として未開発地開発に力を注ぐことになったのでございます。つまりアマゾン流域を中心といたしまするアマゾンの川の注ぐ範囲内、九つの州がありますが、その九つの州に向ってできるだけ集中して未開発地開発する。ブラジルで考えておるところによりますると、このアマゾン流域がほんとうのブラジル富源地帯であって、この地帯開発しない限りにおいては、富源開発産業の真の発展をもたらすことはできないから、ぜひこの方面に力を注ぎたい。たまたまわが日本人は過去三十年近くにわたりまして、このアマゾン流域に参りまして農業開拓の仕事に従事して、非常な苦心はありましたけれども、現在インドジュート及びコショウの栽培に非常に成功いたしております。インドジュートにおきましては本年度四万五千トン以上を産出いたしまして、ブラジルの自給自足を十分に満たすだけになっておりますし、またコショウ方面におきましても、すでに今年度以降においてはブラジル国内需要を満たすまでに達しております。従ってジュートにおいては日本の金にいたしまして約六十億円、コショウにおきまして十四、五億円の産額を上げて、ブラジル国際収支の上においても、またアマゾン産業においても、第一位の産業を作り上げておるのでございます。  かような関係からいたしまして、ヴァルガス大統領は、未開発地開発はどうしても日本人によらなければとうていできないということを考えまして、このアマゾン流域日本人の手で開拓したいというので、アマゾン開拓計画というものを作り上げました。そのアマゾン開拓計画憲法に制定されているのでありますが、全ブラジル連邦歳入の百分の三、それからアマゾン川の所属流域九州歳入の百分の三、なおその九つの州にあります二百五十三の都市の歳入の百分の三、これらを合せたものをもってアマゾン開拓計画予算といたしまして、毎年これだけの金を投ずることになっているのでございます。そしてその費用をもってアマゾン流域連邦植民地開発することになったのでございます。戦後、昭和二十七年から移民を送り出したのでありますが、今月まで送り込みましたところはアマパ州、パラ州、アマゾナス州、グアポレ州、リオブランコ州、この五つの州にわたっているのでございます。  しからばこの連邦植民地はどういうふうにして経営されているかと申しますと、まず連邦政府によって州に植民地を設定するということが決定いたしますと、その州に命じて州内の場所を選定させます。そしてそれについてアドミニストラドールと称する管理官を任命いたすのであります。この管理官が行って植民地育成保護等に当るわけでございます。これに対しましてまず連邦政府としては、植民地統治者によりまして土地の選定、それからこれを個々に分割すること、それからまず原始林伐採、これは一部の伐採でございます。さらにまた住居であるべき小屋の建築、井戸、道路等を建設し、将来入植者が入って参りました後には学校病院等衛生施設ないしは交通、通信等についてもそれぞれ力を入れることに相なっておるのでございます。そうしてそこに開拓移民日本から行って入りまして、その土地をもらって、自分の手によってそれから後はあるいは山切りが十分にできていないところは山切りを追加して行い、そうしてそれをほして焼きまして、土地を整地して、その整地した土地の上にものを植えて、その収穫によって生活をしていくのであります。従って従来のように、サンパウロに参りましたコロノ移民のように最初から給料をもらえる場所賃金をもらえる場所を持っているのではなくて、すべて自分の手によって伐採し、整地し、それからものを植え、栽培し、収穫を上げて、その収穫を上げたもので生活をして、その余剰の物資をためていって、さらに将来の計をはかるということに相なっておるのであります。従ってその困難の点はとうていこのサンパウロにおけるところのコーヒー園に入っておりましたあの契約労働者とは比べものにならないのであります。  以上のように、第二次大戦移民のおもなる受け入れ国でありまするブラジルにおける日本移民に対するところの傾向が、連邦植民地に入植せしめるという開拓移民に重点を置くようになっております。従って従来やっておりましたところのコロノはなくなり、ただ呼び寄せ移民及び技術移民等によるところのものが少数行っておるような程度であります。今行っておる大部分というものは、今申しましたところの連邦植民地に入りますところの開拓植民でございます。しかしこの開拓植民には、ただいま申し上げました通り連邦政府としても、この土地を区画したりあるいは森林を伐採したりあるいはまた家を建てたり、道路を作ったり、病院学校等施設を行なったりいたしまして、相当予算が要るのであります。少からざる費用が要るのであります。従って受け入れ側といたしましても無際限にここに入れというわけにはいかないのでありまして、一定の制限がおのずから起って参るのであります。その上に最近ブラジル経済状態は非常に悪くなりまして、貿易の方も逆調でありまするし、ドルも不足いたしておりまするために、為替相場も非常に下落いたしておりまして、インフレーションがひどくなって、財政の困難を来たしておるような次第でございます。そういうわけで国家もまた個人と同じく、自分が食っていけない場合は、まず自分が食うことを先にいたしますからして、この移民というような問題につきましても、自然力が及ばなくなってくるのはやむを得ない次第でございます。そういうわけで、この財政上の関係から緊縮政策にならざるを得ない結果として、ブラジル連邦植民地においても幾多の施設等についてやるべき事柄が延ばされておる事実はあるのでございます。  しかし元来植民地を創設するに当りましては、これはなかなか困難なことで一朝一夕ではでき上るものではございません。たとい形の上ででき上りましても、諸般の施設が完全にできたといたしましても、植民地は必ずしも安定するものではないのでございます。植民地の危機はどういうときに来たるかと申しますと、それは生活の安定ができないときでございます。幾ら作ってもものができなかったり、あるいはせっかく作ったものが十分売れなくて金にかえることができなかったり、あるいはまた土地が悪くて前途の見込みが非常に薄くなって、落胆したりするような場合には、この植民地が非常に動揺して参るのでございます。そうしてその結果は煩悶し、懐疑して非常な不幸な結果を起す例は、これは単にブラジルばかりでなく、至るところの植民地においても過去において例を見たところでございます。大久保毅一君がせんだって朝日新聞で指摘されましたマナカプールの植民地のごときも、その一部において昨年に入りましたところの最後の移民のうちに、多少非常に不安を感じておる者があるということは私も報告を得ておりますが、これもやはり将来に対するところの生活の安定ということに対する事柄が、第一の原因をなしておると私は考えております。  それでまず植民地を作ったならば、植民地の当事者としては、どうしてもこの農法を確立いたしまして、この植民地にどういうものを作るか、どんなものを作れば何ヵ月のうち、あるいは何ヵ年のうちにはこれだけの収入が上って、そうして自分生活を満たすばかりでなく、相当の余財を持ち得るという希望を与えざる限りにおいては、なかなかそこに達するまでは相当の困難が続くのでございます。私が最初アマゾン開発いたしましたときには、インドジュートをあそこに栽培するということをやりました。しかしその試験にかかりましてから成功するまでは、前後七ヵ年を要しております。その間には非常な困難をたびたび繰り返しておるような次第でございまして、どうしてもその段階に達するためには多少の年月、少くとも五年あるいは十年の年月を必要とすることは、これはもうほとんど例外なしといっても差しつかえございません。マナカプールもようやく一昨年からこの入植を始めた程度でございまして、今やまさにその不安の段階に、ちょうど一つの過程を経過しつつあると言っても差しつかえないと思うのでございます。これに対しましては、どうしても連邦政府に善処していただかなくちゃならぬのでありますが、ブラジル政府といたしましても、先ほど申しましたように、予算関係その他の点においていろいろと困難なこともございますから、できるだけわれわれ日本側も協力して、そうして植民地の完全な育成をはかりたいと考えておるのでございますけれども、しかし植民地は、元来が御承知のごとく、ブラジル政府の経営する植民地でありまして、これに向ってくちばしをいれるということは、やがて内政干渉として非常に問題を起す基となるのでございます。それで今日の機構のままでは、日本側からいろいろとこまかい問題を持ち込んで相談するまでにいきません。それで私はかねてから考えておりまするが、他の植民地は別でありますが、少くとも連邦植民地につきましては、日本政府ブラジル政府との間に十分の協定をして——これは表向きの協定をやるということがいいかどうかはわかりませんけれども、もしこれができ得るならば、ブラジル政府との間に十分の了解を求めて、どの程度まで日本政府が立ち入ってこれをやることができるか、またブラジル政府にどの程度まで世話をしていただけるものか、その点を十分に話し合いをして、分界を定めてやっていくことが必要ではないかと考えるのであります。そうして謙虚な気持でもってお互いに協力していったならば、この植民地の建設というような困難な事柄も、まだ今よりもさらに楽にできるのではないかと考えております。  しからば今後の移民についてはどうしたらよいかと申しますると、連邦植民地は今申しましたような性格のものでありまして、ブラジルの中央政府が建設するものでございますから、すべて向う様まかせであります。向うの考えられる通り向うの言われる通りに従って、こちらから移民を送っているのでございます。従って向う様の御都合によって、こちらから送りますところの移民の数のごときも、自然変って参ります。いつ中断せられるかもわからない場合も起ってくるのでございます。それでわが移民を最も効果的に送り出す方法としましては、先ほど大橋委員との間にも話し合いがありましたが、やはり企業移民でございます。企業移民という言葉が果してあるかどうかは存じませんが、この新天地に新しく事業を興して、その事業に対して、たとえば工場のプラントを日本から輸出して、向うの人々と合同で合弁事業等を行う、一例を申し上げますると、たとえば砂糖プラントを日本から投資するということがきまりましたならば、その砂糖プラントが一日百トンの処理能力を持っておるとしまするならば、少くとも二千町歩の土地に栽培する原料を必要とするのでございます。でありまするから、そのプラントとともにまず技術者、事務員あるいは職工等が参りますばかりでなく、その原料を栽培する二千町歩の土地を耕作するところの移民が必要となってくるのでございます。これは戸数にいたしますると、ところによって受け持ちの町歩が違いますけれども、南伯方面をもってしますると、五百戸から千戸くらいのものが必要となってくるのであります。五百戸ないし千戸の移民を新しく送り出すということは、相当大きな仕事でございます。ここに移民を送った場合には、これらの移民向うに着きますると、すぐその職ににありつく、栽培物もちゃんときまっておる。これをどのくらい作れば、どのくらいの収益が上るかということもはっきりいたしております。でありまするから、これが一番安全な行き方でございます。しかしこのことは日本の側だけで勝手に計画してもいかないものでありまして、たとえば精糖事業のごときは、ブラジルにおきましては大きなライセンスでありまして、ライセンスを得なければできない仕事であります。またその他の事業にいたしましても、ブラジルと非常に競争するような仕事は、ブラジル国家としてはこれを好まないに相違ありません。でありますから、ブラジル国家の利益を害しないで、そうして十分にブラジル政府及び民間の人々の了解を得まして、でき得れば資本を合弁にして半々に持ちまして、日本からプラントを送って、同時にこれに伴う移植民を送り出す、これが一番新しい移民の行き方であると考えておるのでございます。  この意味におきまして、今回の海外移住振興株式会社のごときは、ブラジル側との間のいろいろの計画の折衝等においても相当やわらかくすることができるでありましょし、またこういう計画に対しましても、相当の援助を会社としてやることができて、その達成の上に貢献することが少くないと私は考えております。大体私の申し上げるところは以上でございますが、なお時間がございましたならば、他の点につきまして発言をお許し願いたいと思います。
  19. 植原悦二郎

  20. 大久保毅

    大久保参考人 私は昨年の十二月に神戸を出帆いたしましたぶらじる丸に便乗いたしまして、移民諸君とともにアマゾンに参りまして、アマゾン及び南ブラジル地帯、さらにボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの日本人植民地を視察いたしまして、この六月下旬にこちらに帰って参ったのであります。  特に現地に参りまして、私の痛感いたしましたことは、今までの視察者の方は、ほとんどかけ足で各植民地をお回りになっておるようでありますので、私はむしろ重点的に植民地を選定して、その実態を調査いたしたいという計画で参ったのであります。現地に入ってみますと、植民地内部に足を踏み入れた人は、内地からたくさんの視察者が今日まで見えたけれども、私が初めてである、こういうことを移民諸君から聞いたのであります。私が回りました各植民地はそういった状態で、移民生活をしております家に実際に寝泊りをしてその実態を調べてきたわけであります。  その植民地の概観を申し上げますと、先ほど上塚さんからお話のように、アマゾンは一昨年の暮れからようやく入りかけたばかりでありまして、まだ一つの試験期間だと私は見ております。現地におきましては、いずれの場所にも相当むずかしい問題があるように私は見ております。この点については後ほど申し上げます。南ブラジルは、パラナ、サンパウロ、リオデジャネイロ州の日本人農民の生活の実態に触れてきたのでありますが、先ほどお話のように、現地ブラジルは悪性インフレに悩まされておりますが、その一面農産物は割合相場が安くなっております。このため一般に農家の生活は必ずしも楽であるとは言い得ないのであります。特にサンパウロ州の実態を見てみますと、全農業生産の六、七〇%は日本人農民がその実権を持っておりますけれども、どちらかというと現在の段階では、ブラジル農業は投機的な農業でありまして、無肥料、無灌水でその土地からとれるものだけをとると、次の新しい原始林地帯に移っていく、こういう形で経営しております。そのために農業が非常に不安定である。それから作っております作物の実態を見ますと、品種改良が非常におくれております。そういうような点から見まして、南ブラジル地帯について現在の日本農業技術を身につけた人たちが行けば、サンパウロ州あたりの農業をさらに発展させる大きな作用を持つのではないか、こういう点について非常に明るい見通しをつけてきたのであります。  それからボリビアの方に参りますと、ここはまだ試験段階でありまして、昨年の八月、九月に沖縄移民が約四百名入っております。これが昨年の十月ごろから原因不明の悪疫にかかりまして、約半数の百八十五名が罹病して十四名が死亡する、こういう悲惨事が起っておりまして、現在植民地をどんどん移動しておりまして、大体今体今月末ごろまでには移動が完了するようであります。日本人植民地は小森プランとか西川プランとか落合プラン、こういうものが今準備を進められておりますが、これについてはまだ海のものとも山のものとも判断がつかない状態であります。  それからパラグァイにおきましては、昭和の初期に拓務省がブラ拓に委託をして作りましたコルメーナ植民地がありますが、このコルメーナの植民地が、今までの日本がやってきました南米における植民地の典型的な姿を持っておると私は考えております。それはコルメーナ植民地ができましてからすでに三十年近くなっておりますけれども、鉄道沿線に通ずる自動車道路が今もってできておりません。しかも三十年近い間略奪農業を続けました結果、一時は生産が上って生活も非常にゆとりができたのでありますが、現在はだんだんと土地が荒廃して生産力が低下しております。このために非常に生活不安が起りつつあります。しかも内地から新しい移民を入れる条件もありませんし、結局パラグァイ人の間に一つの離れ小島という形で残されておりますために、日本人生活程度がだんだん低下するにつれて、日本人向うにおります原住民のようにはだしで歩く生活を覚えて参ります。一方パラグァイ土人の方は日本人から分化的なものを譲り受けて、彼らはくつをはく生活を覚えてくる。こういうふうにお互いが作用しながら日本人全体の生活程度、文化程度が低下していく、こういうようなことが戦前の移民政策の典型的な現われとして現在出ておるのであります。この点はアマゾン移民については十分反省をさせられる問題だと私は考えております。  それからパラグァイの南のチャベス植民地でありますが、ここは土地は非常によくて生産力もあるのでありますが、パラグァイ政府自体が財政が乏しいために、パラグァイ政府の援助は受けることができません。従って自力で密林の中に入っておりますために、現在交通の問題でありますとか、医療施設の問題であるとか、教育の問題であるとか、そういった面に非常な苦しみをなめておるのであります。  アルゼンチンにおきましては、日本人は大体北部のミシオネス地域で現在マテ茶と紅茶を作って非常に成績を上げております。しかしアンデス山脈のメンドーサにおきましては、主として果樹園を作りまして、ここでは非常に成績をあげておりますが、アルゼンチンとはまだ移民協定も結んでおりませんし、呼び寄せ以外には入れませんので、アルゼンチンに対する大量移民ということは、現在では考えられないと思うのであります。  そこで当面の問題でありますアマゾンに話を返しまして、このアマゾンの問題点でございますが、私が回りました地域において概括的に申し上げますと、先ほど申し上げましたように、試験的な段階でありますために、アマゾンの各植民地における苦しみというものは相当なものであります。しかしこれは試験期としては、あるいは当然であるかもしれませんし、また密林というものになれない、熱帯農業というものに無経験の者が飛び込まれた以上は、あの程度のものは出てくるのじゃないか。特に内地の開拓農民の生活の実態と比較いたしましても、気象条件等の特殊的な条件はありますにしても、大体同じような苦しみをなめておると私は考えております。特にフィリピンのダバオに、四十年前にマニラ麻を作るために入った人が、ベレンの郊外に一家族、モンテアレグレに一家族、アグアフリアに一家族あります。その人たちの体験を聞いてみますと、四十年前にダバオに入ったときの自分たちの生活条件、入植条件から考えるならば、現在のアマゾン移民条件は非常にいい、こうい結論を出しております。しかし四十年前のものの考え方と現在のものの考え方、さらに四十年前の農業技術なり農業機械の問題、そういうような点から考えまして、四十年前と比べていいからといって、現在のアマゾン移民のこの苦しみが当然であるということは、私は言い切れないと思うのであります。  特にアマゾンで考えられます問題は、国内の開拓であるとか、あるいは南ブラジル開拓におきましては、もしそこがうまく行かなければ、発達した交通網といろいろあります産業の中に、どんどん逃げ込んでいくことができます。ところがアマゾンにおいては、一旦入りましたならば簡単にほかに変るということが非常にむずかしいのであります。従って、一たん入りましたところに、低い生産力の地帯、あるいは施設の悪いところに入りまして、そのまま居すわるというと、結局日本人自体の生活が現地の土人と同じような生活程度に落ちてしまう。先ほど申し上げましたパラグァイのコルメーナのような状態が、もっとひどい状態で現われるおそれがあるのであります。これを防止していきますためには、どうしても後継部隊をどんどん送っていくということと、さらに必要な施設を改善するための資本が導入されなければならない、こういうふうに私は考えます。  その具体的な問題を申し上げますと、まず農業技術の点でございますが、全然熱帯農業に経験のない者が入りまして、何を、いつまくか、こういうことすらもわかっておりません。幸い植民地におります日本人通訳と称する、以前アマゾニア産業研究所の、高等拓殖学校を出ましたような人が現地の指導者として指導しておりますので、割合うまくいってはおりますけれども、実際に農民の話を聞いてみますと、自分たちの農業技術の先生は現地のインデアンで、インデアンに種まきの時期やどういうものをまくかというようなことを聞きながら初めはやっていかなければならない、こういうようなことを言っております。それから上塚さんの話にもありましたように、一体何を作れば食えるのか、こういう点が全然わかっておりません。戦前に海興でありますとか、あるいは南拓その他YMCA等のいろいろな植民がアマゾン地域に入っていったのでありますが、その大部分何を作ったら生活ができるかという苦しみの中に耐え切れないで逃げ出したり、あるいは相当な犠牲者がその間に出ておるのであります。現在コショウで有名なトメヤスの組合を見ましても、一番よく入りましたときには三百五十家族の日本人が入っておったのでありますが、これが米を作ってみたり、カカオを作ってみたり、あるいは野菜を作ってみたりしてどうしてもやっていけない。そのうちに集団的なマレッタであるとか黄熱病によって多数の犠牲者が出る。そうしてついにいたたまれなくなって大部分の人が逃げ出して、約六十家族余りの人が残って、その人たちが今日のコショウというものを発見して育てていったわけであります。従って六十家族の成功の裏には約三百家族の犠牲というものが、長年にわたって払われておるという事実であります。  それからその当時ありましたモンテアレグレの南拓の植民地を見ましても、現在残っておりますのはたった一家族しか残っておりません。アマゾン地域に散っていきました人たちは、現地のインデアンの女をめとったりいたしまして、子供の教育もできないままにほとんど土人化している状態が現われております。この点につきまして、特に営農指導面においては、相当施設を考えていかなければならないと思います。  さらに加工技術及び施設の問題であります。これは現在ベレン近郊では相当野菜の生産が豊富になってきております。アマゾン地域の住民は大部分が土人でありまして、点々とあります都市に若干白人がいる程度でありますために、野菜の消費量は至って少いのであります。従って、ベレンにおいてさえもすでに過剰生産の気味がある。ある移民は、自分のトマトが生産過剰になってきているので、何とかしてトマト・ケチャップを作りたい。しかしそれを勉強するための資料もなければ、技術もない、施設を手に入れようがない、どうしたらいいのだ、こういうような苦しみを述べておったのであります。こういう点について、将来加工技術なり加工施設を送り込んでいかなければならない。  もう一つは、農業の機械化の問題であります。現在のアマゾン移民はくわ一丁かついで行く、いわゆる裸移民であります。ところがあの密林地帯農業開発というものには速度が必要でありまして、くわ一丁の開拓を続けていきますと、密林であるとか、雑草であるとか、そういったような気象条件に伴う阻害がどんどん進んで参ります。そういたしますと、せっかく勤労精神を発揮して戦っていっても、結論的にはそういったアマゾンの気象条件によって農業が押えつけられてしまう、こういうようなことが起ります。さらに各植民地を回ってみますと、大ていの植民地で一人あるいは二人の犠牲者が出ております。それは山切り、ふなれな密林の伐採作業のために死んだり大けがをして動けなくなった人がおります。こういう点にしましても、農業機械化をはかれば、その犠牲者は最少限に防がれていくのじゃないか。こういったような施設が必要でありますが、今もお話がありましたように、ブラジル自体が一九五五年度においては、予算の一律三割の削減をやっております。私がアグアフリアに参りましたときも、すでに植民地の職員の首切りが始まっておりました。こういうような状態において、ブラジル連邦政府側の植民地において、これらの農業技術、営農指導、加工の問題、農業機械化等への資金の投入というようなことは、とうてい考え得られないのではないか、こういうふうに考えたのであります。従いましてこれ以上移民アマゾンに送るといたしますならば、どうしても受け入れ体制の強化をやっていただきたい。  そのために第一に考えなければならないのは、植民地土地条件の選定の問題であります。これは現在の連邦政府植民地は、農業の立地条件というよりも、ブラジル側の行政的な要求によって作られた植民地がほとんどであります。従って場所によりますと非常に土質が悪くて、生産力の上らないところがあります。そういうような農業に適しないようなところでさえも、向う側は植民地として入れる場合があります。こういうようなところに大量に移民を送ることはとうてい考えられないのでありまして、今後移民を入れますためには、われわれの方でその立地条件を十分考えて、適地に入れていくような体制を作っていかなければならない。  それからもう一つは、指導農場の設置の問題であります。これはブラジル連邦政府に対して、こちら側で日本人の技術者を送る等のことは思いもよらぬことであります。従って私が現地の人たちといろいろ研究いたしました結論は、アマゾン地域の中間地帯に農場を設定いたしまして、ちょうどこれはサンパウロのカンピナスにおきます東山農場のような形に持っていって、農場自体の自立経営ができ、その農場経営の中において、いろいろ品種改善の問題であるとか、営農改善の問題であるとか、あるいはさらに成績が上っていきますれば、アマゾンに入っていく青年たちの訓練所をも併設する。こういう形に持っていって、その模範農場の経営と、アマゾンにおります日本移民との結びつきを考えていきますならば、非常にうまくいくのではないか、こういうふうに考えております。  もう一つ、日本移民を前進させますためには、今申しますように、海外の受け入れ体制を強化するということがもちろん必要でありますが、もう一つ国内の体制を強化していただきたい。国内の募集選考の業務は、海外協連合会と府県の海外協会が行なっております。海外協連合会には現在相当の補助も行っておるようでありますが、府県段階には全然補助が来ておりませんので、府県段階では非常に仕事の推進に困っておるのであります。その結果どういうことが起きるかといいますと、私が一緒に参りました移民の実態調査をやってみますと、ある人は移民の許可を受ける際に五万円の寄付金を海外協会に強要された。ある人は許可を受けるために、当局に対して二十五万円も使わなければならなかった、こういうような不祥事が起ってきておるのであります。移民の募集選考ということは非常に重大な仕事であるにもかかわらず、それが任意団体にまかされておる。その財政的な基礎は何ら考えられていない。上からただ仕事だけ押しつけられておる。こういうことでは、内地の募集選考がうまくいくということは考えられないのであります。  結論的に申しますと、アマゾンの資源は豊富なものがある。それから気象条件は、私が参りましたのはちょうど真夏でありましたけれども、その条件は私の体験をもってすれば、そう内地で想像するほどひどいものではない。十分生活に耐え、労働に耐えるだけの条件である。そういう点から見ましても、アマゾン地帯は今後世界の宝庫として、無限の資本と無限の労働力を要求しております。こういう点において私は非常に将来性はある、ただそれを前進させるためには、先ほど申し上げましたようないろいろな条件を整えた上で、やっていただかなければならないと考えております。  最後に今後の移民の問題について私の考えておりますところを少し申し上げさせていただきたいと思います。それはリオデジャネイロで、CIMEと向うで言っておりますが、欧州移民機構の問題を調査いたしました。ここで非常に私が感じましたのは、国連から派生いたしましたこの欧州移民機構が、関係国の出資金によって移民の経費をこの団体が負担をして、どんどん送り出しておるという事実であります。ブラジルにおきましても、一九五三年には一万二千二十九名、四年には一万六千百六十五名送り出しております。それから一九五五年度でこの欧州移民機構の事業計画を見ますと、年間の予算が四千五百万ドルで、十三万五千人の移民を送り出すようになっております。この移民に対しては、渡航費のほとんど全額をこの団体で持ちまして、本人はわずか一割程度の経費しか要らないわけであります。こういった国連がやっております欧州移民機構のワクを拡大して、アジア民族もその中に含めていただくような外交折衝をやっていただくことが必要ではないか。特に昨年度ブラジル移民の実態を見てみますと、農業移民として入った者はわずかに一千百二十八名しかありません。あとは工業移民とか、呼び寄せ移民になっております。従ってブラジル政府農業移民を要求する限りにおいては、日本はその面においてこの欧洲移民機構というものを地域を拡大してもらう要求を出しても、決してブラジルに対してもマイナスにならない、こう考えております。  それから現在ローマにありますカトリックの法王庁において移民委員会を作って、要するに人口過剰地帯の人口を未開発地に送るような運動を起しております。御承知のように南米地域はカトリック教を基礎にしておりますので、このカトリックの移民委員会等に対する働きかけをもっと積極的にやっていただくならば、日本移民の将来はもっと発展するのじゃないか。  それからもう一つ、日本自体も移民協定を積極的に講じていただきたい。現在移民協定を結んでおりますのは、イタリアとかオランダに限られております。しかしヨーロッパ移民の実情を調べてみますと、ドイツにおきましては、国内で非常に労働条件がいいために、ブラジル移民の収入の倍くらいの収入があります。このためにドイツ人はほとんど移民に行く必要がない。それからオランダ、オーストリアは現在完全雇用が十分できておるために、移民ということを考える必要がない。こういうような状態が現われておりまして、現在南米移民はポルトガルとかイタリアというような国に限られておるようであります。こういう点から見ましても、国内の労働情勢というようなものを考えまして、結局外交的な政策をもっと積極的にやっていただくことが、移民発展の前提になるのではないかということであります。  もう一つは貿易と移民との関係でありますが、現在南米諸国は、第二次大戦中において経済力、政治的な地位が非常に高まったために、最近では国家主義的な意識が非常に強くなって、国内の必需品は国内で生産するという傾向が現われております。一例をあげますならば、ボリビアのごときは、国内で生産いたします工業製品の規格にきまったものは、輸入を禁止しております。日本人の小森という人が現在くつ下を作っておりますが、その工場も見ました。その小森さんの工場で作っておりますくつ下の規格は、全部輸入禁止になってきております。従って、その工場はわずか百台の機械しか持っておりませんけれども、独占的な価格で売り出していける、こういうような強みがあるわけであります。そこで私は考えますのは、移民にぜひ機械を一台ずつ持っていくような態勢にしていただきたい。そうすると、アマゾンに二千家族行くと仮定にするならば、二千台の農業機械が入っていく。そうすると、その二千台の修理であるとか、いろいろな工場がそれに付帯してできることになると私は考えます。  それからもう一つは、移民農業を基礎とした工業化をやっていただきたい。サンパウロ州で私が痛感いたしましたのは、極端な例をあげますと、養蚕の九割九分は日本人やがっております。ところが、日本人が絹織物をやっております機械台数はわずかに六十四台でありまして、九割九分は、トルコ人であるとか、ユダヤ人が加工をやっております。そのほかの、綿にしましても、あるいは落花生にしましても、せっかく日本人がその七、八割は作っておりながら、かんじんの加工の段階にきますと、外人資本に押えられて、思うように引きずり回されておる、こういうことであります。それからチャベスの例をとりますと、パラグァイのチャベスに参りましたときに、今チャベスでは綿花を作っておりますが、エンカルナシオンの製綿工場の主人が参りまして、日本人が綿を作っておるのを見て、非常に手をたたいて喜んだ。つまり、日本人が綿を作ってくれれば自分の工場がうんともうかるのだ、こういって喜んで帰ったといっております。こういう点から見ましても、日本人の非常な努力によって作り上げた農産品を中心とする工業化をぜひはからなければならない。  もう一つは文化的な政策でありまして、日本のいろいろ優秀性が伝えられておりますけれども、現地に入ります日本文化というものは、非常に低俗なものばかりであります。最近サンパウロ州にパチンコが入って参りましたし、日本人の店でかける音楽といえば、お富さんとかいうような歌が盛んにはやっております。こういう低俗な文化を幾ら紹介いたしましても、日本のほんとうの優秀性というものは認められない。そのためには、私は現地にぜひ図書館を作っていただきたい。それは日本移民がこの図書館によって勉強して自分農業経営を向上させると同時に、英文の日本の文献を送りますならば、外人が日本の優秀な技術であるとか機械というものに着目をしてくると思います。その点はアメリカが非常に合理的な政策をとっております。こういう点も大いに私は進めていただきたいと考えるのであります。  結論的に申しますと、移民業務は、窓口は外務省であってよいと思いますけれども、移民の本質的な問題については、移民政策と貿易政策、文化政策、こういうものが総合的に一貫されて成り立つものであって、これらの点について今後の考え方を国内においても一そう発展させていただきたい、このように祈念するものであります。
  21. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて参考人各位意見の開陳は終りました。  参考人の方々に対して委員より質疑の通告がありますけれども、先刻御承知通り園田外務政務次官報告に対して質疑の通告がありますので、理事の御提議に基いて極度に時間を制限いたして、御通告の各位十分ずつ質疑を許します。そのために参考人の方々はしばらくお待ちを願わなければならないので、はなはだ恐縮でありますけれども、ごらんのような実情でありますから、この点を御承知を願いたいと思います。  並木芳雄君。     —————————————
  22. 並木芳雄

    並木委員 先ほど政務次官から、中国大陸残留の邦人引揚げ問題について御報告がございました。これについて二、三質問をいたしたいと思います。  第一に、日本政府を代表して田付総領事が、ゼネヴァにおいて中共政府総領事代理に日本政府の意向を申し入れいたしましたけれども、これに対して先方の総領事代理はどういう回答をされましたか、その点をお伺いいたします。
  23. 園田直

    園田政府委員 先ほど御報告申し上げました通り、こちらから申し入れました書類を本国に回送して後日返答するということでございます。その際の会談の様子は、先般申し上げました通りでございます。
  24. 並木芳雄

    並木委員 そうすると、間もなく本国からの回答が期待されるのでございますが、それについて幾日くらい待ってもらいたいとか、日時の点については何もございませんでしたか。もしないとすれば、日本政府としては、いつごろ先方からの回答を期待しておりますか。
  25. 園田直

    園田政府委員 日時その他については返答はございません。最初中国大陸残留邦人引き揚げ問題について会談したいという書翰の申し入れをやって、それから本国の方に請訓を受けて十五日の会見になったわけでございます。今度はいろいろな問題がございますから、いつになるかわかりませんが、早急に回答があるものと考えます。
  26. 並木芳雄

    並木委員 日本政府申し入れに対して、これはもちろん中共政府としては異存がないと思いますから、日ならず回答が来るものと期待しております。その場合に、第一段階として着手すべきことはどういうことであるかということを先方に申し入れてございますか。たとえば調査団を派遣して、なお中共地区に残留する邦人調査をするとか、あるいは第一着手としてやるべきことがいろいろあると思いますけれども、どういう点から始めるというところまで申し入れてございますか、お尋ねいたします。
  27. 園田直

    園田政府委員 引き揚げ問題について、行方不明あるいは死亡者その他について詳細申し入れはしておりますが、向うから正式に回答のあったあとどのように話を進めていくかということは、一に会談の具体的事項でございますから、それは今後の問題でございます。
  28. 並木芳雄

    並木委員 日本政府代表と向う政府の代表との話し合いが行われるようになったことは、私は非常な朗報であると存じます。しかしながら一方においては、これは共産主義陣営の平和攻勢の一環ではあるまいかというような声も聞かれるのでございます。従いまして、この機会に政府としての見解を明らかにしておいていただきたいのは、これは決して平和攻勢の一環としてでなくして、日本政府人道に基いて中共政府に要望した、その結果折れてきてこういうふうになってきたのだということをわれわれは確信するのでありますが、その通りであるかどうか、お尋ねいたします。
  29. 園田直

    園田政府委員 向うの方から申し込んできたのではございませずに、こちらの方から申し込んだのでございますから、これが平和攻勢の一環であるとは全然想像もできません。なお申し込みに際しましては、特にその他の外交上の問題とは別個に、人道上の問題であるから、これのみ取り上げて念のために申し入れてございます。
  30. 並木芳雄

    並木委員 その点は非常にはっきりしたわけです。このごろは日ソ交渉の成り行きその他に関連して揣摩憶測が行われますので、どうしてもその点はっきりしておく必要があったわけであります。それとともに、こういう中共からの引き揚げが行われるならば、北朝鮮における引き揚げの方もこれと並んで交渉すべきではないかという声も出てきておるのであります。この点についてはおのずからそこに相違があると思いますけれども、日本政府としてはどういうふうにお考えになっておりますか。
  31. 園田直

    園田政府委員 中華人民共和国に対する申し入れも、戦後十年を経てようやく今日やったような状態でございまして、北鮮との間はまだそのような段階には来ておりません。同じ人道上の問題でございますが、これに関連しては昨日アジア局長から答弁した通りでございます。
  32. 並木芳雄

    並木委員 中共側における在留邦人の人数その他について、何か先方から通報がございましたか。こちらの政府の持っておる数字と先方の数字との間の食い違いというものについて、結果が出ておりますかどうか。
  33. 園田直

    園田政府委員 まだその段階ではございません。ただこちらの政府が責任を持って直接に向う政府申し入れ向う政府がこれを受け入れた、しかも見通しについては大体期待ができる、こういう段階でございます。
  34. 植原悦二郎

    植原委員長 穗積七郎君。
  35. 穗積七郎

    穗積委員 きょうは本件審議する予定の日ではございませんが、たまたま委員長園田次官発言を許されたので、一つだけ簡単にお尋ねしておきます。私どもの考えでは、この問題はジュネーブにおいて曲りくねった屈折した交渉をしないで、おやりになるなら初めから日本の外務省の責任者が中国へ渡って向うと堂々と折衝すべきものであり、当然そのようにされると期待しておりましたが、実はいろいろ手の込んだやり方をなすったわけです。そのことについての責件はお尋ねいたしませんが、その結果向うも非常にフランクに堂々と、しかも先ほど御報告通り好意的な答えを寄せて参りました。そういたしますと、日時の問題は別といたしまして、間近な機会に具体的に交渉を始めなければならなくなると思います。そうなるとジュネーブにおける両国政府の出先機関の交渉では、とうてい具体的な進行は不可能だと思いますから、当然私どもは次の向うのより合理的なより具体的な返事を待って、すぐわが国の外務省の責任者が中国へ渡つて、現地において直接に中共本国政府調査なり折衝をすべきものだとわれわれは考えるのです。そういうお考えは当然お持ちだと思いますが、念のために伺っておきたい。またそういう御方針であるといたしますならば、その時期、方法等について多少お考えもあろうと思いますので、この際明らかにしておいていただきたいと思うのです。
  36. 園田直

    園田政府委員 日本政府が直接にやらなかったという仰せでございますが、決して第三国等を通じてやつたわけではございません。ただいまのところは日本政府向う申し入れるのに一番接触のあるところとして、ジュネーヴには日本の在外公館もございますし、中共の在外公館もございますからあの地を選んだだけでございます。今後向うとの話し合いの結果、ジュネーヴにある両国の在外公館がこの問題を責任をもって話し合うか、あるいは直接政府から中共に派遣をして折衝を始めるか、これは一に今後の話し合いによって進展していくことであると考えます。調査その他についてはもちろん当初より、こちらから人員等を中国大陸に派遣をして協力するなどということは考えておりません。
  37. 穗積七郎

    穗積委員 時間がむだですからもう少し率直にお答えいただきたいのです。私の言うのは、最初向うがどういう考えを持ち、どういう態度で出てくるかということが明確にわからない場合においては、ジュネーヴ両国出先機関を一ぺんお使いになるのもけっこうでございましょう。しかし先ほどあなたが御報告になった通り、非常に好意的な返事があって、これは具体的に間近に進むものと思うという希望を持たしむる報告国民になすったわけですから、そうなりますと、次に出てくる返事はさらに具体的になってくることが、今の御報告で予想されるわけです。そうなればどっちにするかということは、今ごろ委員会で答弁できぬというようなばかなことはないので、どちらでおやりになるつもりですか、どちらでもけっこうですから、もう少し御方針を明らかにしていただきたい。
  38. 園田直

    園田政府委員 話し合いの都合によって、中国大陸に直接こちらから人を派遣して話し合いを進めた方が便利であるという両国の合意ができれば、当然そうするつもりはございますが、ただ話し合いの段階でございますから、両国意見がまずジュネーヴでやろうということになればそうなるわけでございますが、大陸に直接人を派遣することを避ける意思はございません。
  39. 穗積七郎

    穗積委員 今のお答えでは、やる意思がある、その場合も考えるべきだ、その方がいいというお考えであろうと私は内意をそんたくするわけです。当然なことで、この際になればもうアメリカや自由党にびくびくと気がねなどされないで、堂々と人道的な問題だということを打ち出して、早くおやりになることの方が物事を成功せしむる上において私はよかろうと思う。相手国もそういう態度で臨んでこそ、私は問題が政治的に混乱しないで、しかも人道上の問題としてスムーズに進むものだと思うし、内閣のおためにもなると思っておりますから、ぜひその通りにお考えをお進めいただきたいということを強く要望いたしまして、私の質問を終ります。
  40. 植原悦二郎

    植原委員長 岡田春夫君。
  41. 岡田春夫

    ○岡田委員 参考人もおられますから、簡単に一点だけ伺っておきますが、今園田次官から、話し合いの進行の過程においては、中国大陸日本側から派遣する用意があるという意味の答弁があったことを私は喜んでおるわけであります。そういう率直な態度でこの問題を具体的に解決されるよう要望しておきたいと思います。しかしその点において一つだけ伺っておきたいと思うのです。そのように中国へ派遣するということになって参りますと、これは外交上の問題として非常に重大な問題でありますので、この問題については当然外交官を派遣して、その問題の折衝に当るものであろうと私は考えておりますが、この点についてはいかにお考えになっておるか、この一点だけを伺っておきたい。
  42. 園田直

    園田政府委員 それも今後の問題でございますから、はっきりしたことを申し上げることはできませんが、私個人の考え方では次のように考えております。将来この折衝が進みまして中国大陸に派遣することになれば、これは引き揚げの専門的な問題でございますから、専門家を派遣した方がよいのではないかという意見も実際にはございます。しかしこれは、引き揚げ問題が他の外交上の問題にからんでいくというおそれがあれば、そこにいろいろな阻害があると思います。先般穗積委員からも御質問がありましたが、この問題は自由党初め各党最初から御支持いただいておるとわれわれは考えますし、他の自由主義国家群にも、人道上の問題であるから、国交の問題とは別個に進めていくということは、大体通報いたしております。従いまして私どもの考え方では、直接話し合いがついて引き揚げが始まることになればそういう引き揚げの実務を打ち合せするについては、専門である厚生省が当るのが当然でございますが、それまでの話し合いを進めるにつきましては、われわれ外務省の責任をもってやるべきであると私は考えております。     〔山本(利)委員「関連して一点だけ」と呼ぶ〕
  43. 植原悦二郎

    植原委員長 関連質問なら許しますが、今理事の方で三人と限定したのでありますから、関連質問はごく時間を限ってなら許します。山本利壽君。
  44. 山本利壽

    山本(利)委員 並木君の質問の中に重大なことがありましたので、一点だけ伺います。この際北鮮における日本人も帰すように交渉すべきではないかという発言に対して、園田政務次官から、中共との交渉でも相当長年かかったのであるから、北鮮の関係については今考え及ばないという意味のことがありました。昨日も日本にいるたくさんの朝鮮人が北鮮に帰りたい、その便宜をはかりかねるのは、韓国に対するところの政治的な考慮であったはずでありますが、北鮮から日本に帰りたい者があるならば、これはまことに双方の交換ということになりますし、この点はちょうど中共から帰る邦人に加えて、その経路は天津経由としてもいいのでありますから、ぜひ日本にいるたくさんの鮮朝人で北鮮に帰りたいという者を帰すことは、日本の現状からいってもけっこうなことでありますから、この際何とか関連をして交換的に帰すということを一つ考えていただけるかどうか、この点について承わりたいと思います。
  45. 園田直

    園田政府委員 昨日から詳細御報告申し上げました通りに、北鮮と日本との関係はきわめて微妙でございます。人道上の問題でございますから、当然のことではございますが、人道上の問題であるならばあるほど、これは国内の各分野におきましても、あるいは他の自由主義諸国家におきましても、了解と納得があって初めてこれが成果を上げ得るものと考えております。ただいまのところ、北鮮の今の問題に関しましては、日赤が交渉中でございますから、いましばらくその成果を待ちたいと考えております。     〔「関連質問」と呼ぶ者あり〕
  46. 植原悦二郎

    植原委員長 もう許しません。     —————————————
  47. 植原悦二郎

    植原委員長 これより海外移住振興株式会社法案について参考人並びに政府当局に対して質疑を許します。     〔発言する者あり〕
  48. 植原悦二郎

    植原委員長 ただいまのような山本君の質問は、関連質問としてはかなり無理のものであります。もう許しません。  参考人に対する質疑を、通告順によってこれを許します。稻村隆一君。
  49. 稻村隆一

    ○稻村委員 上塚先生にお伺いしたいのですが、先生が長い間日伯親善と日本移民のために御尽力された功績に対して、多大の敬意を表する次第であります。今後とも日本移民問題に尽力されんことを希望する次第でありますけれども、ただ率直にお聞きしたいのです。実は私も戦後農業協同組合の幹部といたしまして、南米移民に多少協力したのです。ところが向うから来る報告はすべて悪いわけです。それから私の友人であり、親友である大宅壮一君などが行きまして、それが週刊朝日等に連載されておりますが、むろんこれは緑の地獄アマゾンというふうな、いささか誇張された文学的表現になっておりますけれども、実際はいろいろ情報を聞きましてこれは私は事実であると思う。それでその点非常に遺憾に思うので、当局に対しても御警告を申し上げたわけでありますが、しかしこれによって私は決してアマゾン移民を誹謗するものではない。ただ良心的に考えるのですが、私満州移民のことをよく知っておりますけれども、これはやはり原則的には同じたと思う。というのは、ああいう植民地農業というものはよほど受け入れ体制を整えて、そうして相当な資本と技術がなければ、結局これは何人の悪意でなくても悲惨な結果に終つて、行った者は農奴のような状態になってしまう、こういうことはもう当然だと思うのです。  そこで先生のお考えをお伺いしたいのですが、アマゾン移民というものは非常に慎重に考えなければならぬのではないか。そしてこれはやはり何でもかでも少しばかりの金を使って、方々へ散財させるのじゃなくして、一定の地域に対しては集中的にそこに資本をつぎ込んで、そうして先ほど大久保さんのお話のあったように模範農場的なものを作つて、まずモデル・ケースを作ることが重大ではないか、こういうふうに考えるのです。というのは先ほど大久保さんのお話があったように、私は満州の三河というところでロシア人のコサックが農業をやつておるのを見た。その付近に中国人が農業をやつておりましたが、中国人は非常に勤勉であり、コサックの人々は端的な言葉でいうならば非常になまけ者が多いのです。しかし一方は百デシャチンぐらいの大きなものを持っておる、そうして経営組織が非常によろしい、それだから非常に高級な生活をしておる。勤勉な者は非常は非文明的な生活をしておって、むしろなまけ者である思われる者が文明的な生活をしておるというその実例を見ておるのです。そこに日本移民も初め参りまして、中国人などと同じ農業をやつてひどい目にあっておる。どうしてもこれは高級農業にしなければならぬのですが、アマゾンというところはむろん熱帯地方ですから、耕地面積が満州ほど要しないことは明瞭であります。しかしこれはやはり高度の文明的な政治によってやらなければならないのではないか。北海道移民最初は内地の移民のつもりでやって失敗いたしておるのです。それがやはり耕地面積も拡大いたしまして、生産設備も改善いたしまして、ようやく広地農業の段階に達したわけでありますから、そういう点に対しまして、私は先生の御意見をお伺いしたいと思うのであります。
  50. 上塚司

    上塚参考人 ただいまの御質問にお答え申し上げます。アマゾンの事情に関しましては、最近だんだんと旅行者が多くなりますにつれていろいろの批評が伝えられまして、その非難の声はとかく非常なボリュームとなって日本国内に伝わって、非常な誤解を引き起していることは私のはなはだ遺憾とするところでございます。たとえばアマゾンに三代おればサルになる、あるいはアマゾンは緑の獄であるとかいうような言葉は、その地にまだ行っていない人で、一万七千マイルの地球の裏表であるところの日本国の人が伝え聞くと、それはもう非常な場所であって、とうてい人間の住む場所ではないように考え始める、これは大へんなことと私は考えておる。一ぺん通過の旅行者の最初に足を地に印した場合に感ずるところのインプレッションというものは、これは大いにたっとばなくてちゃならぬ事柄でありますけれども、このアマゾンというところは、一体日本人の考えに及ばない大きな巨川でございます。何しろペルーのアンデス上から大西洋に至るまで、本流だけでも四千マイルの長さがあります。そしてそれに千五百マイル、二千マイルの支流が南北からこれに注いでおって、川の幅でも河口においては二百六十マイル、その中にはさまっておるデルタの大きさも九州くらいの大きさがあります。そういう大きな場所に来て、そうして人間がその広い大きな緑の中のただ一点に立って、自分の感じたことだけをすぐそこで感じてここは暑いとか、これは物が悪いとか、この土地は非常にやせておるとかいうような判断を下すことは、これは非常な冒険なのです。私の主として仕事をいたしましたブラジルのアマゾナス州一州でも、昔の日本の約六倍、そうしてロシヤを除いたヨーロッッパの広さぐらいございます。そのうちのマナカプールのごときはただ一点にすぎない。非常な広い場所なのです。それだからそのうちにたまたま土地のやせたところがあったからといって、アマゾン全体の土地が非常にやせておるというような断論を下すことは、これはいわゆる群盲象を評するのたぐいにすぎないと思います。アマゾンの開拓に従事するに当りましては、この前人未踏の天地を開くに当って日本の大衆移民を送り出すのでありますから、私は決してみなの考えておられるように粗雑に送ることを決意したのじゃございません。  私は昭和二年にブラジルの州政府から百万町歩の土地の譲渡を受けたのであります。それが開拓のために昭和三年に最初調査隊を送った。これはちょうど大橋忠一先生が移民課長をしておられるときに相談をして第一次の調査隊を送ったのであります。それから昭和五年に私自身が外務省の委嘱を受けまして調査団長となりまして、二十一名の調査隊員を率いてアマゾンに乗り込みまして、そうしてアマゾンのすみずみまで調査をしまして、その百万町歩の地域を画定するとともに、中心部をきめまして、その中心部にインステイチユート・アマゾニアというものを作りました。アマゾニア産業研究所でございます。そうしてその中に農事試験場、気象観測場、病院及び学校の四つの機関を作ったのでございます。すなわち農事試験場においては農作物の試作栽培、気象観測所においては気候、風土の調査、それから病院においては衛生保健の調査、これは移植民に対する三つの大きな原則であります。この三つの大きな条件調査するためにこの機関を作り、そうして最後に日本において日本高等拓殖学校、現地においては実業練習所という学校を作って人材の養成に当ったのでございます。そうしてこの農事試験場、気象台、病院等によって調査しましたのは、昭和六年一月一日から月報に毎月発表いたしております。気象観測のごときも一日に三回ずつ東京の中央気象台の観測方法に従って専門家がこれに当りまして、調査いたしました結果は毎月月報に発表して、戦争が始まるまでずっとやつております。それはこの月報をごらんになればわかります。これは産業気象としては完璧のものでございます。これは毎月やつております。それから衛生状態等についても、あるいはまた気候風上等につきましても、農業のことについても、みなありのままこれに報告し、かつまた私の送りましたところの高等拓植学校卒業生の連中で今残っておりますのは家族を加えて千三百人おります。この連中の行動の毎日の日誌もこれに発表して、一つも隠すところはなかったのであります。従ってこれをごらんになりますれば——これは戦争が始まるまで約十二年間くらいの月報でありまするが、この中にはその間にどういうふうにして人間が動揺してきたか、懐疑し、煩悶し、困難な状態に陥ってきたか、それをどういうふうにして切り抜けたかというようなことがはっきりとわかるのであります。  今大久保君も言われました通り、農事試験場のごときは最初から私はこれを建設して、そうしてあらゆる産物について調査し、そうしてその中の日本人としてあそこに発展するために最も必要なるものとして選定したのがこのジュートインドの黄麻であります。黄麻に関する調査はこれは拓務省で発表した私の報告書であります。そういうことでこの黄麻の発見までにも非常な苦心と困難がありました。ここに詳しく申しませんけれども、しかし今日はとにかくこれが発展いたしまして、そうしてブラジルの金貨流出を防ぐところの重大な原因をなしておりますばかりでなくて、アマゾン流域においてはこの日本人によって発見されたところのジュートが最大の産物となっているのでございます。  今日日本人が行って何もしないなんということを考えられると大へんなことです。これだけでもブラジルはどれだけわれわれに感謝し、かつなくなった大統領が——私が戦後十年間とだえたところの日本移民を再開するために、リオデジャネイロの官邸で大統領に会いまして、そうして相談をしました。一個人の上塚であります。その当時はまだ平和会議も済んでおりません。従って日本からは移民の問題を持ち出すことは、政府としては当然できないときであります。そういうときであったにかかわらず、私から願い出たことについて即座にこれを承諾して、移民審議会におきましては相当の反対があったにもかかわらず、外部においては満場一致の形をもってこれができ上りまして。現在ブラジルに年間五千人ずつを送つておりますのは、これはやはり日本人があの地においてなした産業上の効果を十分にブラジル大統領政府国民が認めてくれているからでございまして、これは今までのアマゾンにおける日本人が何も仕事をしていない、大久保君の話によりましてもまるでこじきの生活をしておるようなことを言っておられまするけれども、これは最近戦後に行ったのは昭和二十七年の暮れに五十四名を送りましてから後でありまして、まだ四、五千人しか行っておりません。わずかに一年半か二年しかたっておらぬのであります。これらの者に向って成果を求めるということは、これは全く開拓植民の意義を知らないものであります。開拓植民原始林の中に入って、世界に類のないというあの大原始林にいどんで、そうしてこれを開発して、そこに新しい社会を作り、新しい文化を樹立し、新しい文明を建設せんとする大業でありますから、わずかに一年や二年や三年や五年の成果をもって決定するというようなことは、非常な間違いであります。これにはもう少し日本人が時間をかして、そうしてその成果を十分に見詰める必要があります。  現に私が初めてヴィラアマゾニアという根拠地に入りましたときに、農事試験場を作るとともにすぐ私がカスタニヤという木を植えさしたのであります。カスタニヤというのはブラジル・ナッツと申しまして、非常に大きなものでこの中にさやの形のクリの実が何十と入っておるのであります。それがことごとく濃厚な食用油となっておりまして、ジュートができますまでは、これがブラジルアマゾンにおける輸出の大宗をなしておったものでございます。これが非常な大木となるのでありまして、一体どのくらいかかれば実がなるかわからないときでありましたから、私がその木を植えることを提唱いたしましたところが、支配人以下そんないっ実がなるかわからないようなものを植えて、費用ばかり食ってどうするかということを言って盛んに反対をいたしました。しかし私は押し切ってまず最初五十五町歩に二千五百本の木を植えました。それと同時に四百町歩のゴム園を一方で作り上げたのでありましたが、そのカスタニヤが最初私は十三年かかると思っておったのが、七年目から実がなりまして、最近そのヴィラアマゾニアというところに入植いたしました日本移民、それは私の全然知らない人であります。その人からその出身県である群馬県の海外協会に来た手紙によりますると、今その木一本から二万円ずつの収穫が上っております。二千五百本ありますから五千万円の収穫がそれからだけでも上るわけでありますが、そういうふうで時間を置き、そうして先のことを考えてやれば非常におもしろい仕事があるのであります。今のインドジュート、黄麻のほかに、あるいは河口におけるアカラにおいてはコショウの栽培がありまして、これは先ほど話のありました通りに、六十家族の人で十四億円の収穫を上げております。一家族二千万円程度の収穫を上げるようになっております。  従って今まで行った人々はアマゾンにおいて相当生活をしておるのであります。相当の成果を上げておるどころじゃない、ブラジル産業上においては畏敬すべき一つの結果をもたらしておるのであります。ただその日にちと費用とそれからいろいろの技術を今後大いに注入することは当然必要でございますけれども、決して日本人の今までやったことがむだでもなければ、また今後入れられることに対して悲観すべき事情は一つもございません。念のために申し上げておきますが、私は気象等につきましても、あとでごらん下さいますとわかりますが、非常に詳しい調査を長い間かけていたしております。それによると温度あるいは湿度、雨量あるいは風の方向、風の早さあるいは雲の量等について詳しく調べ上げられております。そして決してこの地が日本人の住居に適しない場所でないこともはっきりいたしております。また産物のごときについてもマナカプールのアグアフリアという場所がありますが、このアグアフリアの場所に入った人が一番最近に入った人でありまして、ここに入った十八家族ぐらいのうちに悪い土地に割り当てられたのがあります。これだけの話をされて、アマゾン全体の植民地が地味が悪いかというと、そういうわけではない。その他の土地から来ている報告はそのことごとくがその地味のいいこと、気候のいいことを礼賛しておるのであります。向うから直接この協会その他各府県によこしておるところの手紙を見ますと、実にいいということを言ってきております。またアグアフリアに入った人でも、自分のところは幸い土地がよかったということを言ってきているくらいでありまして、非常な広い、世界無類の大原始界に入って、びょうたる人間のただ一つの足の着いたところについて感じたことを評論されることは、実に自然を冒涜するものと言って差しつかえないと私は考える。もう少し謙虚な立場、もう少し大自然に対する尊敬の考えを持って当ったならば、必ずもう少し違った観測が立つのじゃないかと私は考えておる次第でございます。
  51. 稻村隆一

    ○稻村委員 上塚先生の御説明よくわかるのです。私も上塚先生が関係された国士館の創立者の一人ですから、あなたの書いたものはずいぶん読んでおります。あなたのいろいろのことは非常によく知っているのですが、しかし私も移民のことはある点までわかっているのです。北海道移民の開拓者のむすこであり、満州移民にも関係したのですから、移民のことは南米のことは知りません、本の上でしか知りませんが、よくわかります。特に最近農協の役員として南米に移民を送ったことに対して責任を感じているので、お尋ねしたのですが、あなたの言うことはよくわかるのです。あなたの言われた通りだと思うのです。私は決して南米移民に反対するものじゃないし、アマゾンが悪いとかなんとかいうのじゃない。本の上でしかよく知らないのですから。ただ私のお聞きしたことは、移民の問題ですが、無資本でただ不用意にやるということは、実に私は満州移民の実例から見ても悲惨な目にあわされると思うのです。そういうことは人間の生活を守る上から、人間の生存を守る上から実に重大な問題だと思う。私の過去の満州移民その他のことから言うのでありますが、現にいろいろな手紙も来ているし、書いてある。それは必ずしも偽わりで書いたと思わない。ただ実際向うにやるのにはよほどの資本と技術を持って慎重にやらなければならないのじゃないか。どういうふうな農業組織が適当であるかということは、なかなか短時間では御説明はできないかもしれませんけれども、私のお聞きしたことは、向うに行って農奴にならざるを得ないようなことではいけないので、いかに苦しくとも将来、先の見える立場から耕地面積はどのくらい必要か、それから農業組織がどう、つまりドイツやイタリヤのように——むろんあなたのやっていらっしゃることは、私は非常に理想的な移民であると考えるが、全体として日本政府の援助のもとにやった最近の辻移民とか松原移民というようなものは、これは決してこの人たちの悪意でも何でもない、この人たちはまじめにやっていると思うのでありますが、移民契約がなかったり、受け入れ体制がなかったり、資本がなかったりして、そこに私は悲劇が発生すると思うのです。将来の理想はともかくとして、実際問題として、現実の移民としても、いろいろな人々がひどい目にあっている悲劇を私は問題にしておるのでありまして、そういうことが起らないために、どういうふうな方法が必要であるかということをお尋ねしているのでございます。
  52. 上塚司

    上塚参考人 お説まことにごもっともでございまして、私もその点については非常に頭をひねっておる次第であります。その方法等につきまして一々ここに詳しく申し上げるということになると非常な時間を要することになりますから……。ただし連邦植民地等につきましては、すみやかに一つの農法を確立する必要がある、というのは物は何でもできるのであります。たとえばラミーを作ってもあるいは柑橘類を作っても、ゴムを作ってもみなできるのでありますが、それをすみやかに作って生産化して、皆がその収獲を上げて、これを売って収入を上げるように持っていく必要がある。これにはアマゾンの特殊性から言いましてやはり一定の条件があるのでございます。たとえばまず最初に必要なことは、永年生作物よりも、まず行った当座におきましては一年生作物であることが必要です。まず自給自足をするための食糧の生産、それから早く資本を回収するとかあるいは早く収益を上げて次の段階に進むための一年生作物に力を入れる。そうしてそれはどういう品物であるべきかというと、幾ら作っても直ちに売れていくような性質のものでなくてはならぬ。そうして保存及び荷作り、運送等においてきわめて容易にできる性資のものでなくてはいかぬ、そういうものをいろいろよっていきますと、おのずから限定されてくるのであります。そういうものを根本からやっていきますと、私がやりましたように非常に長い期間がかかる。インドのジュトの場合のように、これは一たび成功すれば大へんに大きなものになりますけれども、やはり時間を要するのであります。それでこういうたくさんあとからあとからと送る場合においては、どうしても手近なもので金にかわり得るものを共同して大量に作り上げなくてはならぬ。それは運搬等の問題がありあるいは販売等の関係があって、入植地の当事者が組合組織を十分に作らせまして、それを培養し、育成していって、その力によって売り出すような工夫をしなければならぬ。その産物を何にするかということは、今われわれとしては——たとえばラミーをやるとすれば、これに伴うところのプラントを送らなければならぬ、それについては向うとの十分な話し合いがつかなければならぬとかいうような問題が起ってくるのでございますから、当然資本を必要とします。そういう場合に今回の会社等がこれに援助をしてくれるということになれば、これはコマーシャル・ベースにおいて償って、しかも移民の受け入れのためには非常に有効な施設を行うことができる、産業を作り上げることができると思います。これについてはいろいろと考えておる向きはございます。しかし具体的には物を作るだけではいけないので、これを売るための、消化するための工場等の組織を一方で作る必要が起ってくるわけであります。
  53. 稻村隆一

    ○稻村委員 いろいろなそういう最近の問題は、私は移民協定ができてないことが非常に大きな原因であると思うのですが、それがやはり松原移民とかという人々のやったことが、いろいろ誤解されておる原因であると思うのですが、移民協定については、外務省に聞いてもはっきりしたお答えを得ていないのですが、先生は移民協定というものをどういうふうに——これは可能性があるのかないのか、それからどういうふうになっておるのか、それをもし御存じであったらお知らせ願いたい思います。
  54. 上塚司

    上塚参考人 移民協定については非常な細心の注意が必要ではないかと思うのでございます。と申しますのは、ブラジル国民全体が日本人を全面的に歓迎しておるというわけのものではないのでございます。ブラジル人の中には反対者もあるのであります。そういう人のある中に、表面立っていろいろの協定日本から申し出て、それが議会の問題となったような場合に、果して議会を円滑に通過し得る見込みがあるかというと、そういうものは場合によるとやぶへびになるようなことも起らぬとも限らないのでございます。私がこう申しております発言でも直ちにこれはブラジルに影響して参ります。でありますから非常な細心の注意を払わなければならぬ。私が考えますのには、必ずしもかた苦しい協定でなくてもよろしい、少くとも連邦移民向う政府が実行しておる事柄であるからして、その植民地に立ち入って日本がいろいろのことをするわけにはいかないからして、その点についてどの程度まで日本がお世話をすることができるか、ブラジルでどの程度までやっていただけるか、その点を打ち合せをする打ち合せ程度でやっていければそれもよかろう。協定ができればそれに越したことはございません。しかしイギリスとかドイツ、イタリアあたりがやりましたようなふうの協定を、今すぐ望んで果してできるかどうかということは、私どもは全然確信を持っておりません。あってもこれを実行するについては非常な注意が必要ではないかと考えております。
  55. 稻村隆一

    ○稻村委員 よくわかりました。  次に大久保さんにお聞きしたいのですが、私何も移民問題にけちをつけて何か言おう、こういうのではないのです。大久保さんももちろんそうだろうと思うのですが、この間ブラジル移民に私ども協力したときに、条件が非常にいいような話だったものだから、移民問題に対していささか慎重である私も、これなら差しつかえないと思って八方奔走して、多少このお世話をしたわけなのです。ところが案に相違していろいろな手紙が来ている。それから家族からもいろいろ聞かれる、恨まれるということになる。かつこれが行った人に対して非常な刺激を与えておるということになれば、責任問題であり、重大な問題だから私は大久保さんにお聞きするのですが、大久保さんは——私は念のために申し上げたいのですが、ブラジルにおけるこっちの移民の悲劇というものは、ブラジル政府に何ら責任のないことなのです。私はその点むろん——ブラジル国民ブラジル政府の、終戦後まだ日本人が非常にきらわれているときに、日本国民に対して示された好意に対しては満腔の敬意を払うものです。感謝しておるものです。だからブラジル政府に対して少しも責めるとはころない。ただ日本移民向うへ行ってもし悲惨なる生活をしているとすれば、それは日本政府の責任である。日本政府あるいは日本全体、私どもに責任がある。世話した農協などにも責任がある。その意味から私は申し上げるので、これは自分の責任として解決しなければならぬ問題で、少しも相手を恨んだり相手を攻撃する必要はない。それは誤解がないように申し上げておきたいと思う。ですから大久保さんからも率直にお答え願いたい。六月三十日の読売新聞の島根版によりますれば、島根版において大久保さんがお話になったところによりますと、「ヴェルテイラで立ち退き命令、大久保氏にブラジル移民から便り」こういうふうなことが出ておりまして、これは時間の関係上ここで読むことをやめますけれども、ヴェルテイラ付近のことですが、農林省、外務省で世話した条件とは全然違う、実にひどい目にあっている。同地区の六十家族の集団移民が立ちのき命令を受けているというふうなことが書いてある。それから全然条件が違っている。このことはほかの方の大宅君のあれにも出ております。それからまたこれは山陰日日でありますか、これも新聞の見出しですから非常に誇張された見出しでしようが、「哀れ異境に狂う移民の犠牲者・日本婦人」こう書いておる。その中にジュキリというところにある国立精神病院において、昨年七月の収容者のうち日本人が八百二十名もおる、こういうことはいろいろ環境が変ったりいろいろな条件が悪かったりしていることがこういうことになっているのだ、こういうことが書いてあります。私も北海道移民のむすこでありますから、むろん移民には犠牲が伴うことはわかっておる。これは当然のことです。犠牲なくして実際の仕事は成り立たない。しかし私はいやしくも今日の時代に、一人の成功者のために九人のものが発狂するなどというような犠牲があるとするならば、これは許すべからざる政策であると思う。むろん苦しみやなんかは仕方はないけれども、無責任な移民政策ぐらい私は憎むべきものはないと思う。これは私は多年移民問題を研究した立場から申し上げるのですが、こういう事実があったのかどうか、それを大久保さんから率直にお聞きしたいと思うのであります。
  56. 大久保毅

    大久保参考人 ただいまの御質問にお答えいたします。私が帰って発表いたしましたことは、私の見ました事実に基いた発表でありまして、その通りであります。なぜそういった食い違いができ、現地の移民の悲惨な事態が起っているかと申しますと、それには私は三つの条件があると思います。第一は、昨年の七月からブラジル日本人の受け入れ条件が変ってきたという事実が、その前後の移民に知らされていなかったということはございます。それは昨年の六月末までは移民審議会というものがあって、移民関係を扱っておりまして、その当時までに辻小太郎氏とブラジル政府との話し合いにおいて、日本人移民に対しては、相当な特別の待遇が与えられるという話し合いがあったのであります。ところが昨年の七月移民審議会が解体されまして、新しく移民院というふうに変って参りました。その際に今まで日本人に特別与えておった条件は一切元に返しまして、公共事業的なものは連邦政府がやりますけれども、個人に関しますたとえば農具でありますとか種子であるとか、あるいは建築材料であるとかいったようなものは、個人の負担に切りかえられておるのであります。その事実がその当時参りました移民に知らされていなかった。そのために移民が現地に参りまして、内地で言われたことと全然違うじゃないか、おれたちの借金がふえるばかりじゃないか、こういうことを言って非常に憤慨しておる事実がございます。  それから第二点は、向う側の受け入れ体制が非常に弱体であります。具体的な話を申し上げますと、新しい移民を入れるというような場合に、非常に広大なアマゾンの各地の植民関係者が寄って協議をするというようなことが、事前にほとんどなされておりません。そして辻小太郎氏とベレンの総領事館との間で話がきまって送り込まれていくということがあります。ヴェルテイラの問題を取り上げてみましても、最初の募集条件では、各人に住宅が準備してあるというように言われておったのでありますが、現地に参って聞いてみますと、ぶらじる丸が内地を出帆したのが十二月二十一日であるにかかわらず、ヴェルテイラの農園に対して日本人が入植するという決定通知が行われたのが十二月三十一日であります。しかも一月二十一日には、すでに船がベレンの港に着いておるわけであります。そのために、移民が着いたときには、六十家族に対してわずか四戸しか家ができていないというような食い違いがありますために、移民は非常な不満を抱いておるということが出てきております。  それからもう一点は、入植の時期の問題であります。コロノの場合におきましても、入植時期ということが非常に大切であります。コロノの例を申し上げますと、カフェ・コロノに入ります場合には、大体カフェ農年の当初に契約するのが建前になっております。従って、カフェ農年は九月から翌年の八月まででありますから、九月の当初に契約して農場に入るのが好ましい。それからアマゾン、その他の自立農民の場合でありますが、この場合は、地域によって入植適期というものが非常に変って参ります。入植適期は何によって判断するかというと、向うの乾季とか雨季という気象条件に合せてやります。先ほども上塚先生のお話のありましたように、農民は現地に参りますとまず山切りをいたします。そしてそれを乾燥させて山焼きをして、そこに種をまきっけるわけであります。従って、山切り、山焼きの段階は乾季に入らなければできない、そして種まきは雨季に入ってすぐやるということになるわけであります。ところがこれで見て参りますと、入植適期は、ベレンにおいては六月から九月まで、モンテアレグレにおいては六月から九月まで、マナウス付近が五月から八月、グアポレでは四月から七月、それから。パラグアイのチャペスにおきましては五月から九月というようになっております。ところが内地の募集条件を見ますと、一律に自立農民は十三万円以上となっておりますが、十三万円程度の資金を持っていくようにということになっております。ところが御判断願えると思いますが、移民船は毎月出ております。そうしますと、入植適期をはずれる移民相当あるということであります。そうすると、種まき時期をはずして雨季に入った自立農民は、現地に入っても山切り、山焼きも手につかない。そうすると、半年ないし一年余分に金を食い込んでくるということになるのであります。適期に入った者はすぐ作業ができるから、非常に順調に伸びていくが、雨季に入った移民は、乾燥季に入るまで待って山切り、山焼きというふうに進んでくるために、生活資金に相当金を使います。こういうような点が、内地の指導は非常に一律的でありまして、雨季に入るような移民に対しては、あらかじめそれだけの注意を与えておかなければならぬ。特に私が一番心配しておりますのは副食物の点であります。雨季に入りますと、葉菜類というものはくさって作りにくいのであります。それから内地から持っていきました種は、最初の一年くらいはなかなか育ちにくいのであります。そうすると、入ってすぐ小屋を建てて、そのまわりの山を切って、若干の野菜畑を作りましても、それができるまでには相当の期間がかかり、あるいは失敗もある。そうすると、立ちどころに食うものがなくなってしまう、こういうようなことが起り得るのであります。従って、入植時期を適期をはずしたために、農民が非常な苦しみにあっている事実ができてくる。ところが内地の指導は、画一的な指導が行われておるところに問題がある。特に私が考えましたのは、移民船のあり方でありまして、結局入植適期と移民船の配船という問題を、もう少し合理的に考えていただいてもいいのじゃないかと思うのでありまして、そのために移民が非常な苦労をしておるのであります。  それからいろいろの間違いでありますが、ヴェルテイラの条件は、労働賃金が四十クルゼイロスというふうに内地で言われておりますが、ところが現地に着いてみますと、二十七クルゼイロスということになったのであります。これはどこに問題点があるかというと、四十クルゼイロスというのは——ヴェルテイラではゴム液の採取をやるのでありますが、普通のなれない者は一人当り三百本程度の木のゴム液採取をやります。その際には大体二十七クルゼイロスの賃金が払われます。それから一カ月間無欠勤で働きますと歩増しがついて三十クルゼイロスになります。それからさらに熟練工になりますと、五百本ぐらいの木がこなせて、その人は一カ月無欠勤の場合には最高四十クルゼイロスの賃金が出るのであります。その最高四十クルゼイロス出しておるということが、最初の募集条件の四十クルゼイロスとなってきたのでありまして、現地の実態というものが内地の方に十分知らされていない、そういうような点があるのじゃないかと思います。これはやはり心理状態でありまして、移民を募集する担当者としては、なるべく好条件を宣伝してやるのがいいかもしれませんが、そういうように最高の条件で知らされていたのが、現地では最低の条件になるということであります。  それからさらに、最初申しましたように、日本人は現地では何か非常に歓迎されておって、特別な条件が与えられておるように現在の移民は考えておりますけれども、昨年から制度が変ってそういう特別待遇はない。要するに現地の原住民に与えておるブラジル移民政策の条件と同一の条件日本人にも与えられている、それ以上のものは出ないということが十分認識されていないのじゃないか。そういうような点からいろいろ移民の不満も出てきている。また、生活程度の問題におきましても、内地の生活程度を考えて入ってみると、結局現地の待遇は原住民の生活条件と同一のものを与えられる。こういうようなことがあります。  それからヴェルテイラのもう一つの条件、ゴム液採取の条件は、これは大体男だけしかやらないことになっております。セリンゲロといいますが、セリンゲロは男の作業でありまして、朝六時暗いうちからゴム園に入っていきます。従って、女がセリンゲロをやるというのは、いわゆる札つきの女とされておって、ブラジル人社会ではつまはじきにされて、相手にされないような人が行くわけでありますが、ところが日本人の家族構成によりますと、女手が多い家族があります。それで女手の多い家族では、働き手がないために非常な生活の苦しみを覚えている、こういうようなことが現地に着いてみるとわかってくるのであります。  それから、ヴェルテイラの日本人の雇用を一切取りやめるというのは、ブラジル内部のいろいろの手続上の問題が原因となって起ったようでありまして、これはいろいろ実情を現地からの手紙等でその後調べてみますというと、日本側の手落ちではないと私は考えております。ブラジル政府内部の問題であって、結局追い出された人は非常な苦しみを受けているのじゃないかと思います。それはなぜかというと、ヴェルテイラの場合は雇用移民であるから、毎日賃金がもらえるから、三万円程度の金を持ってくればいいということになっておりますが、三万円しか持っていない移民がいきなり奥地の自立農民に入って参りますというと、立ちどころに生活資金に非常に困ってくる。  こういうようなことが今のヴェルテイラ移民の現状の苦しみじゃないかというふうに考える。以上であります。
  57. 植原悦二郎

    植原委員長 高津正道君。
  58. 高津正道

    ○高津委員 上塚参考人にお伺いします。あなたは日本海外協会連合会の副会長をなさっておりますが、今度できる日本移住振興株式会社なるものは、一億円の政府出資、民間の株主が五千万円、そのまた五倍の社債を募るというか、資金が集められますから、それで九億円、その上三百万ドル、アメリカの民間三銀行から借り入れますから、五カ年は毎々々それが十億八千万円、そうすると十九億八千万円という大きな会社になるのでありますが、あなたの日本海外協会連合会では今まで政府からどのくらいの補助を受けておられたか、副会長であるから御存じであろうと思うのでそれを伺いたいと思います。今度はたくさん行くでしよう。
  59. 上塚司

    上塚参考人 海外協連合会と今度設立さるべき会社とはその事業の内容、それから性格がおのずから違っております。従って海外協連合会に貸し付けてもらってる費用、あるいは補助してもらっておる費用をもってこの会社との関係を批判されるということは、非常な筋違いじゃないかと考えております。それで私はただ御質問によりまして申し上げますが、海外協連合会日本における移民の募集、選考、そかれら訓練はこの役所でやっておりますけれども、そういう問題と選出に対する手続をやっております。今日までのところでは選出の場合に一人当り渡航費が約十万円か十一万円、おとなでかかりますから、それに要する資金を政府から借りて、そしてそれをまた移民に貸し付けておるのであります。これは四年据え置き、八年年賦、結局十二年間で返すことになっております。それからそのほかに会の運営をするために今年度においてはたしかに千二万円の補助が会にあることになっております。それだけでございます。
  60. 高津正道

    ○高津委員 日伯中央協会の理事長をやっておられますが、政府からの補助金というか、今の貸付でなしに補助金はどのくらい出ておりましょうか。
  61. 上塚司

    上塚参考人 一厘もございません。
  62. 高津正道

    ○高津委員 あなたはその選挙公報の中で、「昭和二十六年ブラジル国を訪問、大統領ヴァルガス氏と会見し、戦後初めて移民の道を開きました。また二十九年秋、日本政府を代表し、親善使節として南米を訪問しましたが、その帰途特に西インド諸島中のドミニカ共和国を訪問し、大統領及びその令兄で実権者トルヒリョ元帥と会見し、同国に対しても移民の道を開きました。」と書いておられますが、そのドミニカ共和国には現在何十戸、あるいは何百戸ぐらい入植しておりましょうか。
  63. 上塚司

    上塚参考人 ドミニカ共和国に対しましてはまだ一人の日本人も行っておりません。これからの問題であります。それをやるために私は昨年向うへ行って、大統領及び大元帥に会って話をきめてきたような次第でございます。
  64. 高津正道

    ○高津委員 上塚参考人は隘路はどこにあると思われるか。あなたの今まで御陳述は、すべて隘路の打開の方策や、隘路はここにあるというお話であったと思いますけれども、その隘路の最大なるものを一つか二つおあげ願いたいと問う場合には、どれとどれを一番大きいものだとあなたはお考えでありましようか。
  65. 上塚司

    上塚参考人 隘路は、私の考えではやはり資本であります。これは実行するだけの資本が十分にあればできます。ドミニカでもブラジル移植民でもどの方面に向ってもできます。
  66. 高津正道

    ○高津委員 もう一つ、あなたの御発言の中で謙虚な気持で当っていけば、先方の外交官であろうと先方の国民であろうと、必ず成功するんだ、こういうような意味の御発言があったのでありますが、私は謙虚な気持だけではしょうがないと思う。いんぎん無礼という言葉もあるのでありまして、謙虚でありさえすればいいという抽象的なことではしょうがないと思う。現在世界の国民はどういうような考え方を持っておるかというような新しい指導理念をつかんでやらねばいかぬのだ、古い頭ではしょうがないのだ、こういうように私は考えますが、これに対する上塚さんの御意見を承わりたいと思います。
  67. 上塚司

    上塚参考人 御説の通りまことにごもっともでございます。私賛成であります。
  68. 高津正道

    ○高津委員 大久保参考人にお尋ねいたしますが、日本海外協会連合会が、あるいは各県にある海外協会が移民から五万円取った、ある場合には二十五万円取ったというひどいのさえあった。これは必ず法規によって取ったものでありましようか、何かわいろのような性質を持つものを取ったのでありましょうか。そうしてすべてこういう場合に固有名詞が消えて表われにくいのでありますが、何県の海外協会がそういうことをやったのか、だれがもらったのかだれが、それを取ったのか、そういう固有名詞を入れて明らかにしてもらえば全国はみんなわいろやリベートで日本の政治は沈没しそうな状態でありまして、あなたのような方が勇気を持ってはっきり言ってもらえば、政治のためにも日本のためにも非常に役立っと思いますので、固有名詞をあなたに入れてもらいたいことを要求するものであります。どうぞ勇気を持って。
  69. 大久保毅

    大久保参考人 今のところ海外協会は任意団体でありますので、別段どういう法規によってどうこうということはありません。  それから先ほどの問題は寄付金というような名目でもらい受けておるようであります。その件のことについてはすでに外務省にも報告しておりまして、外務省でいろいろ善処しておられますので、これ以上追及の必要はないと思います。
  70. 高津正道

    ○高津委員 現場の第一線の移民の実際生活しておる状態を、こまかに調べられた新しい立場からものを見られるあなたが今まで報告されたことと、それから上塚さんが上の方からお話をなさることと、まるで非常に食い違いがあるのですよ。それで上塚さんの御意見に対するあなたの立場からの御意見を承われば、われわれは非常にものがはっきりするのでありますから、あなたの御意見を聞きたい。上塚さんの方は食傷するほどとは申しませんが、十分の時間で承わりましたので、あなたの方からの意見、お考えがあるならば、そちらの面から対照してみるとものがよくわかると思うのであります。
  71. 大久保毅

    大久保参考人 上塚先生は多年アマゾン開発に御尽瘁になり、もう数回にわたって現地でお暮らしになったこともありますが、私は先ほど申しましたように何も言葉もわからない、それから短期間に一旅行者としてかけ足で回ったものでありますから、偏見もありますし、また独善的な見方もたくさんあると思います。  それから私の言ったことと上塚先生の言ったことに、非常に食い違いがあるように御指摘でありましたが、私は大体両者の意見は一致をしておると考えております。ただ戦後の最近の日本人植民地におけるいろいろなトラブルは、私自体が見ておるのでありまして、その点についてはこまかいいろいろな問題があるという点を申し上げたと私は考えております。従って上塚先生の今までの御指導なり御理念に、さらに先ほど申しましたように現地の入植適期の問題であるとか、携行資金の問題であるとか、あるいは入植の受け入れ体制に対するこまかい指導であるとか、こういったような具体的な指導を今後つけ加えていただいたならば、非常に順調にいくのではないかこういうふうに考えておるわけであります。
  72. 高津正道

    ○高津委員 私が承わったのでは、上塚参考人は、向うでは非常によくいっておるので大へんけっこうな明るいものだ、こう言われるし、あなたは、どうしてどうして、今新聞などにいろいろ報道されておるように、暗い暗いので気の毒で、あんなやり方では仕方がないんだという。これは明らかに食い違っておるのですよ。しかし先輩に敬意を表せられる面もありましようから、それであなたは証人ではございませんし、私はもちろん追及はいたしません。  それでは上塚参考人にもう一点お伺いいたしますが、あなたの選挙公報を読んでみますと、(笑声)これは関連があるのです。活字をもって書かれたので非常に責任があるのでありますが、「自由党はこの移民問題を重視し、すでに十大政綱の中に年間一万戸送出、日本海外移住株式会社の設立を決定しております。」こう出ておるのです。それで鳩山さんの内閣になってから、これに対する予算がなかった、それを自由党が予算の修正でここへ一億出すことにしたのです。そのためにこの法律案がここへ日の目を見て、急遽上程されてきておる、こういう経緯なのでありますが、あなたの考えておられた日本海外移住株式会社というものと、今度できる会社というものはどのような違いが現われておるか、あなたから見れば、この会社に対してどういう希望を持っておられるか、その点を最後にはっきり聞かしてもらえばいいと思います。そしてあなたの御経歴はもちろん存じております。外務委員長もなさり、大蔵政務次官もなさった人であり、ことに自由党では総務であり、外交調査会の副会長もなさっておられた方で、心に十分の敬意を持っておることだけは誤解のないようにお願いいたします。
  73. 上塚司

    上塚参考人 今お話の海外移住株式会社案というのは、吉田総理大臣がワシントンでアメリカ銀行との間に話をきめて帰られまして、そうしてすみやかにこの会社案の実行機関の設立をするようにという急がれた、そして自由党におきまして非常に急遽案を作りまして、そして政務調査会、総務会を通過して、これを自由党案として発表したのであります。従ってその会社案というのと、現在ここに出されておる案との直接の関連はございませんかもしれませんけれども、その土台をなしておることは事実であります。そして、その内容が私の海外移住株式会社案とどういうふうに違っておるか、相違はないかというお尋ねでございますが、大体今のところでは一致いたしております。私はきわめてよい案だと喜んでおるような次第でございまして、私第三者でございますけれども、できるだけすみやかに御審議御決定、御協賛あらんことを希望する次第でございます。
  74. 植原悦二郎

  75. 淡谷悠藏

    淡谷委員 大久保参考人にお尋ねいたしますが、さっき上塚参考人も同様申されておりました通りブラジル現地の移民の実態は、非常に成功している人もあるし、入植してすぐの移民は悲惨な生活をしておるという事実もはっきりして参りました。戦争前のブラジル移民で実際に成功しておる人の数というものは、移民のうちの何%くらいになっておるか、その点をお伺いいたしたいと思います。
  76. 大久保毅

    大久保参考人 それはブラジルにおきます日本人生活の実態というものが戦後調査されておりません。現在サンパウロ総領事館が中心となって、日本人のそういった生活状態の調査のカードを配って、実態調査をやりかけておりますけれども、各地を回ってみましても、そういったカードが十分行き渡っていないのが相当ありますし、サンパウロ総領事館自体も、この仕事はちょっと確実なものはつかめないのじゃないか、そう言っておりますので、的確にどうこう申し上げることはできません。ただパラナ州に参りましたときに、パラナ州の日本人会長と会っていろいろ話をしました。パラナ州では各地区の日本人会の代表者が集まって、日本人の呼び寄せを大いにやろうじゃないか、こういう申し合せをやっておった時期でありまして、一体どれくらいのパーセンテージで呼んでいただけるのかという質問をいたしましたところが、現在パラナ州で農業を直接営んでおるのが約一万家族ある、そのうち日本人を内地から呼び寄せる実力のある者は大体三、四〇%程度と見ておる、こういうお話であります。それ以上のことは私には判断ができません。
  77. 淡谷悠藏

    淡谷委員 計画をしたはっきりした植民でもなかったのですから、どうせ現地では激しい自由競争が行われるものと思っております。移民の中には若干優勝劣敗で落ちていった人もあるだろうと思います。またこの移民の形というものも、満州あるいは国内における移民とは違った大規模なものであるらしい。そうしますと、今後の日本移民政策では、現地における農業労働ということを主体とした移民に重点を置かれた方がよろしいか、あるいはそういう農業労働者の中からたたき上げて、いわゆる移民の成功者というような、大農園経営の形まで持っていかれた方がよろしいか、あるいは端的に言うと企業移民を作るのがよろしいか、あるいは労働を主体とした移民を作るのがよろしいか、どっちの方が安全だと思われるか、その点をお聞きしたい。
  78. 大久保毅

    大久保参考人 これは場所によって非常に違いますし、それから向うの労働法によっても制約がございます。アマゾンにおいては、いきなり企業移民というのは今の段階では考えられないのじゃないか。それはまだ企業をやるだけに農業生産が伸びておりません。従って、アマゾン地域及びボリビア、パラグアイにおいては、一応農業移民を先駆者として、それに適当な時期に工業施設を持っていくということが大切だと思います。ただし向うに工業を持っていきます場合に、その工場における使用人が三分の二以上はブラジル人でなければならないという法律がございます。そのブラジル人というのは、何も外人でなければならぬということじゃないので、要するに向うの国籍を持てば日本人でもブラジル人になるわけであります。従って向うにプラント輸出をすれば労働者が全部日本人で占められるということは言い得ないと思います。ただ特殊の技術者に限ってはその制限をはずされる条件がついております。  それからサンパウロ、パラナ州においては、先ほど申しましたように農業の七〇%、六〇%は日本人が実力を持っておりますので、これは工業的な進出は相当可能性がある。この場合に、現地の日本人も現在相当資本を蓄積しておりますので、内地からある程度の呼び水をつぎ込んで現地資本を十分開拓すれば、内地からそれほどの金をつぎ込まなくても相当な事業ができるのではないか。先ほど上塚先生も言われましたように、事業によっては外人と相当な競争をしなければならぬような場合も起りますので、その点は考えなければならぬ。しかし最近の農業の動きを見ておりますと、サンパウロ州の土地がだんだん荒廃して、農業者はパラナ州からさらに奥地のマットグロッソの方にどんどん入りつつあります。そうすると、パラナ州の奥地のマットグロッソにどんどん入りつつある農業生産をもととした新しい工業の可能性が非常に大きいのじゃないか、こういうふうに考えております。それからもう一つは、向うの工業は幼稚である。日本の工業技術を持っていけばすぐ成功するように言われますけれども、まず第一に言葉の問題が出て参ります。商取引の問題もいろいろ変ってきております。それから税法等がいろいろ変ってきておりますので、日本から中小企業を持っていってすぐ成功するということは少しむずかしいと思います。やはりある程度現地の生活を十分に体験し、言葉もわかり、商取引の慣習もわかった上でやる。言いかえると、こちらから技術と資本を持っていって、なるべく今までの現地の体験者をうまく利用して伸ばしていくといったことが好ましいのではないか、こういうふうに考えております。
  79. 淡谷悠藏

    淡谷委員 現地の移民の形は、従ってさまざまな種類のものが出てくると思いますが、いずれにいたしましても、棄民政策でない限りは、最後まで移民の行く末を見てやるというだけの親心が大事だろうと思います。それでさっきもお話がございましたが、現地の受け入れ機関でございます。今度いただきました資料に基きますと、現地の受け入れ機関ブラジル拓殖組合、パラグアイ拓殖組合等々があるようでございますが、あなたがごらんになったところでは、こういう受け入れ機関がただいまその機能を十分発揮しておるかどうか、また将来こういうふうな受け入れ機関で十分やっていけるかどうか、お伺いいたしたいと思います。
  80. 大久保毅

    大久保参考人 ブラジル拓殖組合の問題でありますが、これは御承知のように、長年の経験とそれからいろいろな実績を積み上げておるわけであります。現在指導されておる人たちは現地の実情にはきわめて詳しいのでありますが、最近の農業技術であるとか、農業機械とか、いろいろな新しい問題については、必ずしも適当な人ばかりではないと思います。そういう点については、日本からある程度のそういう技術者とか新しい知識を持った人を送り込んでやることが必要じゃないか。それからパラグアイ拓殖組合の方は、パラグアイにおります日本人がまだ非常に少いために、その実力はきわめて微微たるものであります。しかしその指導者の方はやはり現地で長らく生活をなさっておる人でありますから、こういう人に今申しましたように日本から新しい指導陣営を加えて、財政面においても強化していけばその機能に耐え得るのではないか。問題は、日本からどの程度これから支援していくかということにかかるので、ただ現地の今までのものをもって、今後の問題がすべて処理できるかということについては、若干の疑問がある、こういうふうに考えます。
  81. 淡谷悠藏

    淡谷委員 あなたの視察をされました記事を拝見いたしますと、国情に合わないせいもあり、またこちらから出発するときのさまざまな誤解もありまして、現地でたくさんの婦人が発狂したものがあるというようなことが書いてあります。これはいろいろな原因もございましょうが、そうした発狂するほど苦しくなった場合に、的確に相談をしてやって何とか処理してやるような、農業関係以外の移民の相談所のような設備が現在できておりますか、その点をお伺いしたい。
  82. 大久保毅

    大久保参考人 その文章の中にもあると思いますが、サンパウロに今ありますのは、渡辺マルガリータという方が中心になっておやりになっておる救済会というのがあります。それからもう一つは正岡冬子という婦人がやっておられる婦人相談所というのがあります。これはいずれも特殊寄付によってやっておられる状態でありまして、具体的にそれ以上の強い救済機関というものはありません。しかも渡辺マルガリータさんのやっておられる救済会の事業を見ましても、すべてそういった気違いであるとか、老病者であるとか孤児であるとか、そういったものの救済はあげてカトリック教の慈善機関にお願いしておる実情であります。この点について現地でいろいろ調べてみますと、日本の仏教団体の動きというものが、少し考えていただかなければならぬような事態が起っておるのであります。それはどういうことかというと、現地でいろいろ聞いてみますと、東本願寺なり西本願寺なりの偉いお坊さんが行かれて、あちらこちらで盛んに仏教の宣伝をして歩いて、相当なお布施を持ってお帰りになったようであります。こういうことに対してブラジルの外人はどういう批判を加えておるかというと、日本人はなるほど仏教を信じておる、ブラジル自体は宗教の自由を認めておる、しかし都合のいいことばかり仏教を宣伝しておいて、困った者はみなあげてカトリックの方に持ってくるじゃないか、しかもそういった行き方というものがブラジル人社会と日本人社会との同化しない一つの原因になっておるのじゃないか、そういう点に外人の痛烈な批判があります。それからもう一つは、日本人の持っております悲しい性質と申しますか、自分のことだけはやりますが、そういう社会的な施設に対しては案外金をかけないのであります。そのために、現在では日本人のそういった気の毒な人たちは、すべてカトリックの方にお願いするより方法がない、しかもそのカトリックに対して日本側の方から何ら感謝の意を表したこともなければ、資金を寄付申し上げたこともない、こういうふうなことが今私の考えた問題であります。  それからその二つの団体の動きでありますが、その力はまだ全部のブラジルに及んでおるとは言い得ないので、主体はサンパウロ市を中心にしたものでありまして、奥地の方は十分機能を発揮していないように私は見ております。
  83. 淡谷悠藏

    淡谷委員 上塚参考人にこの際お伺いいたしますが、パラグアイ拓殖組合は海外移住組合連合会の現地機関というふうに、外務省から出された資料には書いてありますが、その点の関係はどうなっておりますか。
  84. 上塚司

    上塚参考人 パラグアイ拓殖組合はもとのブラジル拓殖組合の関係でやっておったところでありまして、そのブラジル拓殖組合というのが現在いわゆる日南産業というものと関連しまして清算の過程にあるのであります。まだそれがはっきり片がついておらぬのでありますが、そういう関係になっております。
  85. 淡谷悠藏

    淡谷委員 これは海外移住組合連合会とはどのような関係になっておりますか、はっきりいたしませんが……。
  86. 上塚司

    上塚参考人 海外移住組合との関係はまだ直接つながっておりません。しかし今度この会社ができますと、そういうものがずっと連繋がとれるようになってくるのじゃなかと考えます。
  87. 淡谷悠藏

    淡谷委員 そうしますと、この資料にある海外移住組合連合会の現地機関である、直接関係があるというのは誤まりでございますか。
  88. 上塚司

    上塚参考人 それは戦前に海外移住組合の連合会というのがございまして、ただいまの日本海外協会連合会とは違うのであります。戦前にそういう組合がごいました。
  89. 淡谷悠藏

    淡谷委員 大久保参考人に重ねてお尋ねいたしますが、私ブラジル移民についてはまだ現地を見たことはございません。しかし満州における移民の事業は、さっきお尋ねいたしました稻村委員と同じように現地を親しく回りましてその実態を調べ、またこの問題には相当深く頭を突っ込んで参りましたが、満州の農業でさえ日本内地の農業とはかなり違っておりました。加藤完治さんあたりは多大の国費を使いまして内原に道場を設けて、やまと魂を吹っ込むのだといって、くわの柄をかつがせていったあの少年移民たちが、現地では全然役立たない事実を見てきました。さっきあなたがおっしゃったように、現地人を先生にして新しい満州農業を苦力に学んでおったという実態を見て参ったのであります。同じようにブラジルのほんとうの農業の姿をよく理解せず、十三万の金を持って移住しさえすれば何とかなるんだ、こんな甘い考えで行ったのじゃ、絶対に移民は成功しないと思いますが、その点はいかようにお考えでございますか。特に外務省が今度主管になるようでありますが、移民はただ国内の人間を向うへ移したからそれで成功したのだというお考えではなく、行ってからも、日本人がどうして安楽な幸福な生活ができるかということまで、十分に指導また育成しなければ、これは成功しないことだと思いますが、今度の移民につきましても、特に農業移民には、現地の農業に対してはっきりした認識と、りっぱな指導性をもってこれを指導するような機関を育成する必要があるとお考えにならないか、その点を伺いたい。
  90. 大久保毅

    大久保参考人 ただいまの御質問なり御意見の点でありますが、今までの——今までのと言うと語弊がございますが、戦前のブラジル移民というものが、非常に南米の楽天地というような言葉で飾られておりまして、しかも戦後日本人の成功者が相次いで内地に帰られるような実情から、ブラジルは非常にいいところのように考えられて、向うに行きさえすれば金がころがっていたり、ダイヤモンドが出たり、一攫千金的な宣伝が一時行われておったようであります。しかし最近の移民の考え方は必ずしもそういった点ばかりではありませんで、相当ある程度の見通しを持っておるようであります。たとえていいますと、私が一緒に参りましたぶらじる丸での実態調査を私がしたのでありますが、現地に対してどの程度期待しているか、それに対する答えの総計でありますが、あまり期待しないというのが二家族であります。今よりは経済的にはいいだろうというのが三十一家族、大いに成功するだろうというのが二十九家族、それから経済的に期待はできないけれども、精神的な解放が得られるというのが三十四家族であります。つまり一番多いのが精神的な解放が得られるという喜びを期待するものが三十四家族、その次は経済的には今よりは少しはいいだろうという程度が三十一家族、大いに成功するのだというのが二十九家族、そういう程度でありまして、六割以上の者がそれほどの期待はかけておらないようであります。従って、移民自体も昔のような甘い夢を持ってはおりませんけれども、指導面においては、やはりもう少し実のいった指導を加えていかなければならぬ。それから日本側で、内地で幾ら言葉の上で説明をしたり、教育をしたりしましても身につきません。先ほど申し上げましたように、できれば現地に模範農場を作っていただいて、そこで自立経営をやりながら、それにあわせて訓練所のようなものを付設して、上塚先生のおやりになった高等拓殖学校の現地の教育機関のようなものができ上げれば、これに越したことはない、このように考えております。
  91. 淡谷悠藏

    淡谷委員 上塚参考人にお尋ねいたしたいと思いますが、さっきからいろいろ伺っておりますと、結局ブラジル移民、これは資本がなければ成功はしないという結論になりそうでございますが、一体今まで現地では資本がどのような方法で動いておったか。特にこの資本の系統がどういう系統のものであるか、その点この植民事業に深く打ち込んでおられます上塚参考人から、お教えを願いたいと思います。
  92. 上塚司

    上塚参考人 ただいまお尋ねの点は、アマゾンに限ってお尋ねであろうと思いますが、それでよろしゅうございますか。
  93. 淡谷悠藏

    淡谷委員 成功しておりますブラジルの、いわゆる企業移民の方々の資本を特に重要視いたしますから、一つ両方を……。
  94. 上塚司

    上塚参考人 ブラジル移民全体について申し上げますと、移民の大多数というのは、従来サンパウロ及びパラナ州におった移民でございます。これは先ほど申しました通り日本からあまり大きな資金を携えずに参りまして、そして現地に参りますと、すでにでき上っている農園に雇用移民として入り込んでいく。そして賃金をもらって仕事をして、その賃金によって生活をしていく。それをだんだんためて参りまして、ためた金で新しく土地を買い、そこにコーヒーを植えあるいは綿を作るというように、いろいろ農業をやりまして、そしてもうけた金でまたふやしていく、またもうかったら追加してだんだんと広げていって、私の知っているところによりますと、サンパウロにおけるコーヒー園主で一番成功した人は、大分県の元村均君兄弟でありますが、これは元サンパウロにおける上塚第二植民地というところにおりました。それがパラナ州に今移りまして、おそらく昨年の霜でだいぶやられましたけれども、昨年までの収穫は、年に十万俵近くの収益を上げておったのであります。十万俵と申しますと、コーヒーの値段にもよりますし、為替相場にもよりますけれども、やはり数億の収穫であります。そういうふうにサンパウロ方面における今日までの成功者は、主として農業を土台として、農業の上に根ざした人がもっぱら成功をいたしております。一億以上の資産を持っている人は、これは昭和二十六年前後の調べでありますが、おそらく百名以上もあると考えられます。それからアマゾンにおきましては、私の送りました日本高等拓殖学校の学生は、このジュートという栽培物が、川にきわめて近くの低い土地よりほか栽培をいたしておりません。そのためにアマゾンの河口から千マイルの上流のアマゾナス州の首府のマナウスというところから、下流は約五百マイルの下流のパラ州のサンタレンまでの本流筋とそれから支流を合せまして、約八百マイルの間に散らばっておるのであります。これは仕事の関係から散らばっておりますから、日本から一般旅行者として行かれる方は、とうていそれを一々見て歩くことはできません。それでこれらの人々に会っておりませんが、これらの人々は、大宅君でありました中野君でありましたかの報告によりますと、今ジュートの栽培をやっていないというのでありますけれども、以前のように広くはやっておりません。しかし親分となっているのです。いずれも八百マイルの間に散らばってパトロンと称する、っまり日本でいう地主でありますが、それは、土人の栽培業者は、そのままに放置してはなかなか生活ができませんから、栽培する前に資金を貸してやる。それから栽培したものを買い取ってやってそれを売っていくという、そういう組織を作らなくては、あそこの農業は発達しないのです。非常にプリミティブな、一番最初の原始段階にありますから……。それで、今ずっと流域の広い地域に散らばっておるのでありまして、これらの者はやはり相当の産を作っております。大きいのはやはり一億近くの財産を作っております。従って今までの人々は、長くおった人々の中には、二十年たっても二十五年たっても依然として呉下の旧阿蒙という者も当然起っております。何割かの人々はやはり昔ながらの貧乏を続けておる人もありますけれども、大多数の人は、一応の生活の安定を得ておる。中には相当の財を作っておる向きがあります。大久保君の見てこられた地域は、最近向うに参りました移民のことでございます。戦後、昭和二十七年以後、と申すよりも、正確にいえば二十七年に行ったのはジュート移民でありますから、二十八年以後に向うに行きましたものでありますから、まだ一年か一年半くらいよりたっていない時期に行かれたので、これは一番苦しいときなのです。ちょうど日本から持っていった金もなくなり、これから先どうしようかといって自分で非常に煩悶し、苦労しておる最中であります。これは植民地構成のときに必ず経過する一つの段階でありますが、一番苦しいときに行かれた。それだからまだ何もできていないといっても差しつかえないくらいに、おそらくまだ整っていなかったろうと思います。しかしこれには五年、十年の年月をかけなくてはなりません。私は先ほど申しましたように、永年生作物を作るならば二十年の年月を必要とするのであります。そのくらいのしんぼう力が必要であります。
  95. 淡谷悠藏

    淡谷委員 私のお尋ねしたいのは、現地における事業経営の資金が、自分たちの獲得した資金でまかない得ておるかどうか、あるいは他の金融機関等から負債の形で若干融通してもらっておるかどうか、その負債が返還されておるかどうか、つまり今度できます海外移住振興株式会社が約十九億八千万円、二十億に近い金を出すのですが、この金はどの方向に流れていくか、それを確かめたいのであります。現地の移住者の生活が、行ってすぐ天国になるとは私も少しも考えておりません、さまざまの段階で苦しい点もあるだろうし、これはまた別な方法で手を打たなければならぬと考えておりますが、今度の会社の資金が今までの移住者の上に流れるのか、今までの移住者の蓄積された資本がこの会社に吸収されて別な方面に流れていくのか、その資金の流れ方を一つあなたにお伺いしたい。
  96. 上塚司

    上塚参考人 今度できる会社の資金というものは、いろいろの形で流れていくだろうと考えられます。第一は渡航費、これはアメリカから借りた金はそちらの方には回されませんが、政府の資金が渡航費に対して貸し付けられる。それから向うにおきましては、私の考えでは、移民に対しましてはあまり保護の厚きに失するということは、かえって移民の独立と成功をはばむもととなりますから、それはよほど考える必要があります。向う移民が参りましてから第一に必要なのは、与えられました土地が三十町歩なら三十町歩ございますが、そのうちの三町歩なり五町歩なり、その土地にすぐ栽培するためにすぐ伐採しなくてなりません。州によりますと、すでに州の連邦費用伐採して待っておるところもあります。そういうところもありますけれども、行って自分伐採しなくてはならぬ場合も生ずるのであります。それから、それを伐採して焼くのに相当費用がかかる。焼いた後に焼け残りがありますから、それをずっと処理して整地する必要がある。整地してそれに初めて種物を植え付けるのであります。そしてその植え付けた種物からまず一番手近なものとしては食糧、米、その他マンジョカ等の収穫を上げられるまでは、早くともやはり十カ月は見なくてはなりません。向うへ着きましてから十カ月間の食糧、生活費用が必要なのです。それから場所によっては農機具、種物あるいは種苗等を与えてくれましたけれども、最近連邦政府予算緊縮政策をとるようになりまして、それができなくなりますと農機具代、種物代、苗代、そういうものを必要とします。それに場合によれば労力が足らないと、土人を使う賃金も必要になります。営農資金として必要になってきます。だから日本内地において土地を売り、家を売って、再び帰らない決心で向うに行くのでありますから、その際売った金をできるだけほかのことに使わないで、向うに行った後に使えるようにして、しんぼうして持っていってもらいたいと考えております。いずれにしても借金になることでありまして、第一この渡航資金でもって一家族五十万円あるいは多いのになると百万円も借金をしなくちゃなりません。その上に向うへ行ってから営農資金を、よし貸してくれるにしても、借りるということは、これは農業のような利益の薄いものに、そんな負担の重い借金をするということはおもしろくないのでありますから、できるだけ借金を向うでしないように、会社としてはそういう面にはできるだけ貸付をある点まで制約する必要があるのじゃないか。いたずらに潤沢に貸し付けることばかりが移民を保護することでないと思います。しかし中にはどうしても資金を持たない者がある、どうしても生活できない連中が起ってきます。そういう場合には当然これは会社が見なくてはらぬということになるだろう、それからなおそのほかに、向うでだんだんと事業が発展して参りまして、すでに既成の農園等におきましてはいろいろな仕事が考えられるのであります。そういう場合に、たとえば農産加工の仕事であるとかあるいは畜産加工の仕事であるとか、あるいはジュートで申しますればジュートミルのプラント、つまり製麻会社、麻をガンニー・パックに作るところの工場の設置、そういうものはすべて入植者の仕事を援助するためのものでありますから、そういうものを興すための費用を必要とするようになって参ります。そういう場合にこれに向って融資するということが起ってくると思います。そういうふうに具体的な問題を一々とらえて、その問題々々について、確かにこれは大衆移民のためになるものである、またこれをやっておけば将来多数の移民を呼び寄せることができるような基礎ともなり得るというようなものに対して、一々個々にわたって十分研究して貸し付くべき問題と考えます。すべてこれは商業的見地の上に立ってなさるべきものであって、他日回収すべきものと考えております。
  97. 淡谷悠藏

    淡谷委員 大へん詳しい御説明でございましたが、結局現地の農業移民の営農資金を貸すということに解釈いたします。同時に企業の資金について十分の配慮があるように承わりますが、現在まで地元の大きな事業者、こういう人たちが、借金等がこげついてどうにも企業ができないといったような形のものがあるかないか、その点を伺いたい。また企業に名をかりてそういう負債の肩がわりをするような危険性がないかどうか、その点もあわせてお伺いしたい。特にこの間外務省の答えでは、土地などが出た場合にはこの土地を買うこともあり得るという御答弁がございましたが、この日本海外移住振興株式会社というものは、現地でそういう土地の出物を買って果して安全であるかどうか、また本来の目的にかなうかどうか、一つ参考人の率直な御意見を聞かしていただきたい。
  98. 上塚司

    上塚参考人 その答えは非常にむずかしい答えでございまして、一々具体的の問題が出てきた場合に会社当局が研究いたしまして、十分の研究の結果、調査の結果によって貸し付けるべき性格のものであれば貸し付ける、そうでないものであればこれを拒否するというふうにして、今からどういうものにどうというようなことは、どうも私どもから申し上げにくいのでございます。それは会社が設立されて会社の重役当局がきめ、係の者がきめる事柄であると存じます。
  99. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それでは重ねてお尋ねいたしますが、現地の移民の中に借金で苦しんで急いで肩がわりをしなければならないような必要がある人があるかないか、その点だけお答え願いたい。なおこの資料に基きますと、十八ページに「海外移住振興株式会社」という項がございまして、「今般アメリカ市中銀行ニューヨーク・ナショナル・シティ、バンク・オブ・アメリカ及びチェス・マンハッタン三行より千五百万ドルの移民借款成立の見込がついたので、今国会に日本海外移住振興株式会社法案を提出、」というふうに書いてありますが、これはやはりアメリカ三行の借款ができたことで、この会社設立の促進になったのかどうか、その二点だけお尋ねいたします。
  100. 上塚司

    上塚参考人 今お尋ねの、現地における移民の中で借金ができてやっていくことができなくなったので、その借金を肩がわりするために、この会社に借金を申し込んできた場合に、貸してやるべきかどうかというような……。
  101. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それは違います。私の言うのは、成功した移民がたくさんあるようですが、どうにもこうにもならなくなって、今借金を返さなければ事業をやっていけない、しかし呼び水を出してこの借金を肩がわりしてやれば今後立ち直るのだ、こういう性格を持った移民があるかないかということであります。これに貸す貸さぬは第二段といたしまして、そういうふうに失敗か成功かの分れ目にあるような大きな借金で苦しんでおります移民があるかどうか、特にそれは大きな企業家の中からお答え願いたい。
  102. 上塚司

    上塚参考人 それは私の狭い見聞ですからわかりませんけれども、中にはそういう者もおるかもしれませんが、元来この会社の資金はアメリカからコマーシャル・ベースで借りる金でありますから、有利確実なものに貸し付けるべき性格のもので、必ず返還さるべきものに貸し付けるものであります。それでその人がもし信用があって、そしてもう少し手を貸してやれば、ほんとうにその事業が浮き上るというようなものであれば、これはそのときの重役によるでありましょうが、貸すような場合も起ってくるかもしれない。しかし純然たる金融機関とは違いますから、この会社としてはそういう点についてはよほど十分の考究をして、その人を助けたために将来日本移民が大いに入れる余地ができるとか、あるいはその事業が復興したために、多数の移民が利益を得るとかいうようなことになれば、そういうことも考えられると思いますけれども、元来の根本理念はコマーシャル・ベースで有利確実なものに貸し付けるということが、土台をなしておるのじゃないかと考えます。  第二の御質問は、吉田総理大臣がヨーロッパから帰りがけに、昨年の十一月の初めにニューヨークからワシントンへ来られまして、そしてその間にナショナル・シティ・バンクとチェス・マンハッタン、バンク・オブ・アメリカとの間の話をつけられたのであります。この三つの銀行と今度の会社との間に取りかわさるべきいろいろの約束ごとというようなことは、私ではわかりません。これは外務当局がその衝に当られますから、外務省の当局からお聞きを願いたいと思います。
  103. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて両参考人に対する質疑は終了いたしました。  両参考人には種々有益なる御意見を開陳していただき、まことにありがとうございました。委員長よりこの旨厚くお礼を申し上げます。  次会は公報をもってお知らせをいたします。本日はこれにて散会いたします。     午後一時三十五分散会