○重光国務大臣 その点については戦前の考えと戦後の考えというものは非常に違っております。私も実はその
大橋君の御
意見を聞きました。さような気持を待っておったのです。ところが実際戦後にはすっかり変っておるのです。戦後の
大使というのは国内的の地位の問題としては
公使と何ら変りのないものです。それが四級か五級かに分れておるのです。だから
大使はやめて
公使になることもできます。しかし
公使の上級者は
大使の下級者よりも俸給も何も上です。それからまた
大使はやめても、これは下級とか上級とか書いてありますけれ
ども、どっちが上級かわからない、そういうことはないわけです。たとえば
外務事務官、今はみんな事務官になっているが、われわれの時代の事務官といったら書記官以下ではなはだ貧弱なものでした。今は
外務省員はみんな事務官じゃないですか。私も実は不案内なところがあるのですが、
大使をやめても
外務事務官になる。たとえば最近の荒川
大使のごときは、やっぱり
外務事務官になるのです。だから下級者も上級者もない、そういうふうになっているのです。戦前の
大使というのは、これは大へんなことでした。これをやるのにはいわゆる親任官で大臣と同じ待遇でしたが、今は
大使も
公使も認証官で、やっぱり認証式をやるのでございます。これは
外国に使臣としてやるのだからというところに重きが置かれておるのだ、こう私は思っております。しかし、今では
大使が上か、
公使が上か、実はわからぬような事態になっておるのであります。しかしこれを
国際間から見れば、何といっても
大使は昔の伝統がありますから、
大使といえば上のように感じます。国内的の何じゃございません。
国際的には
公使よりも下に下ることはございません。
そこでわれわれはアジア外交に重きを置いておる。どうもヨーロッパを先にしてアジアをあとにする、これはもう絶えず
国会でも攻撃のあった点です。私
どもはさような
国会の攻撃などに耳を傾けて、アジア外交に重きを置かなければならぬ、アジアに大いに力を尽さなければならぬ、力を尽す以上はアジアの国が貧弱であるからといって、
大使はヨーロッパの二、三の国に限ってアジアの国にはやらぬのだ、そういう昔の考え方は私は悪いと思う。
アメリカが
アメリカ中心の
国際外交を動かしておる。
アメリカは中南米のどこの国へも
大使をやって決して
公使はやらない。これは
一つの大きな見識だと私は思う。日本はさような例に学ぶわけではありませんけれ
ども、そのくらいの気位が東洋人として、またアジアの先進国としてあってもいいのだと私は思っております。だから
大橋君などが戦前のことを考えて、アジアの国はアジアの何で、それはちっぽけな
公使館でいいのでという考えについては私は同調しかねるのです。そこでそういうアジア外交をやろうという以上は、少くともアジアのおもな国、また小さな国であっても、
大使をよこしてくれた、さすがに日本だ、こういうような
関係を作りたいのが私の主張であります。
そうしてその
大使の中には、たとえば今台湾の国民
政府に使いされておる芳澤
大使のごときは非常な大先輩で、これは一番高い
大使になっております。芳澤
大使と同級な
大使は一人もないのであります。それからずっと五段くらいに分れております。その五段目、六段目くらいの
大使より以上の
公使はたくさんおります。そうしてそういう大
公使が本省に帰ってくればこれは
外務事務官ということになるのです。これは少しも差はないのであります。そういうふうにやっておるのでございます。それが戦前と戦後の差でございます。