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1955-05-06 第22回国会 衆議院 外務委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年五月六日(金曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 植原悦二郎君    理事 大橋 忠一君 理事 菊池 義郎君    理事 北澤 直吉君 理事 福永 一臣君    理事 穗積 七郎君 理事 松本 七郎君       伊東 隆治君    高岡 大輔君       松本 俊一君    山本 利壽君       福田 篤泰君    渡邊 良夫君       稻村 隆一君    高津 正道君       戸叶 里子君    松岡 駒吉君       岡田 春夫君  出席政府委員         外務政務次官  園田  直君         外務事務官         (経済局長)  湯川 盛夫君         外務事務官         (条約局長)  下田 武三君  委員外出席者         専  門  員 佐藤 敏人君         専  門  員 村瀬 忠夫君     ――――――――――――― 四月七日  委員大橋武夫君、坂田道太君、山中貞則君及び  河野密辞任につき、その補欠として渡邊良夫  君、江崎真澄君、水田三喜男君及び西尾末廣君  が議長指名委員に選任された。同月二十七  日委員久保田豊辞任につき、その補欠として  岡田春夫君が議長指名委員に選任された。 同月三十日  委員臼井莊一君、上林山榮吉君、櫻内義雄君、  中曽根康弘君、松岡松平君、森下國雄君、淡谷  悠藏君、田中稔男君及び八百板正辞任につき、  その補欠として菊池義郎君、高岡大輔君、山本  利壽君、並木芳雄君、芦田均君、松本俊一君、  稻村隆一君、高津正道君及び細迫兼光君が議長  の指名委員に選任された。 五月六日  理事松岡松平委員辞任につき、その補欠とし  て、菊池義郎君が理事に当選した。     ――――――――――――― 四月二十七日  関税及び貿易に関する一般協定のある締約国と  日本国との通商関係規制に関する千九百五十  三年十月二十四日の宣言有効期間を延長する  ための議定書への署名について承認を求めるの  件(条約第一号) の審査を本委員会に付託された。 同月十三日  沖縄諸島日本復帰促進に関する陳情書  (第七号)  日中、日ソ国交回復促進に関する陳情書  (第五八号)  同(第八三号)  海外抑留同胞帰還促進に関する陳情書  (第五九号)  韓国抑留第一大和丸等乗組員釈放に関する陳  情書(第六〇号)  対ソ国交調整に関する陳情書  (第八四  号)  歯舞諸島返還運動促進に関する陳情書  (第八五号)  原、水爆の製造並びに実験中止に関する陳情書  (第  八六号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  理事の互選  関税及び貿易に関する一般協定のある締約国と  日本国との通商関係規制に関する千九百五十  三年十月二十四日の宣言有効期間を延長する  ための議定書への署名について承認を求めるの  件(条約第一号)  国際情勢等に関する件     ―――――――――――――
  2. 植原悦二郎

    植原委員長 これより会議を開きます。  理事補欠選任についてお諮りいたします。理事松岡松平君が去る四月三十日委員辞任せられましたので理事が一名欠員となりました。それゆえこの際理事補欠選任を行いたいと存じますが、それは前例により委員長において指名することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 植原悦二郎

    植原委員長 御異議がなければさように決定いたしまして、菊池義郎君を理事指名いたします。     —————————————
  4. 植原悦二郎

    植原委員長 関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する千九百五十三年十月二十四日の宣言有効期間を延長するための議定書への署名について承認を求めるの件を議題としてお諮りいたします。政府より提案理由説明を求めます。岡田外務政務次官。     —————————————    関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する千九百五十三年十月二十四日の宣言有効期間を延長するための議定書への署名について承認を求めるの件  関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する千九百五十三年十月二十四日の宣言有効期間を延長するための議定書への署名について、日本国憲法第七十三条第三号ただし書規定に基き、国会承認を求める。    …………………………    関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する千九百五十三年十月二十四日の宣言有効期間を延長するための議定書  関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する千九百五十三年十月二十四日の宣言当事国政府は、同宣言1(c)の規定により、同宣言有効期間を千九百五十五年十二月三十一日まで、もし同宣言一般協定第三十三条の規定に基く日本国の同協定への加入により同日前に効力を失ったときは、その時まで、延長することに同意する。  以上の証拠として、前記政府代表者は、この議定書署名した。  千九百五十五年二月一日にジュネーヴで、ともに正文である英語及びフランス語により本書一通を作成した。   オーストリア共和国のために   ベルギー王国のために   ブラジル合衆国のために   ビルマ連邦のために   カナダのために   セイロンのために   チリ共和国のために   デンマーク王国のために     ギュンナル・ザイデンフアーデン       千九百五十五年二月十五日   ドミニカ共和国のために   フィンランド共和国のために     K・R・サヴォラーティ   ドイツ連邦共和国のために     ハーゲマン       千九百五十五年二月三日   ギリシャ王国のために     N・ハジイ・ヴアシリウ       千九百五十五年二月十七日   ハイティ共和国のために   インドのために   イタリア共和国のために   ルクセンブルグ大公国のために     A・デュール       千九百五十五年二月十一日   オランダ王国のために   ニカラグア共和国のために     I・ポルトカレロ       千九百五十五年二月十一日   ノールウェー王国のために     パウル・コート       千九百五十五年二月四日   パキスタンのために   スウェーデン王国のために   トルコ共和国のために     C・S・ハイタ       千九百五十五年二月十六日   アメリカ合衆国のために   ウルグアイ共和国のために     クルロー       千九百五十五年二月十五日   日本国のために     萩原徹     —————————————
  5. 園田直

    園田政府委員 ただいま議題となりました関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する千九百五十三年十月二十四日の宣言有効期間を延長するための議定書につきまして提案理由を御説明いたします。  わが国は、一昨年のガット第八回締約国団会議において採択されました関税及び貿易に関する一般協定のある締約国日本国との通商関係規制に関する宣言、すなわち、いわゆるわが国ガット加入宣言によりまして、実質上ガット加入したと同様の利益を受けております。  しかるに、仮加入宣言1の(C)の規定によれば、同宣言は、わが国ガットへの正式加入の日または別段の取りきめがなされない限り、本年六月三十日に失効することになっております。一方、本年二月二十一日にジュネーヴにおいて開始され、現在もなお続行されております関税交渉会議において、わが国ガットヘの正式加入が討議されておりますが、来たる六月三十日までには実現の運びとならない可能性が多いのであります。  よって、昨年十月二十八日からジュネーヴにおいて開催されました第九回締約国団会議におきまして、右の可能性を見越して、前記の仮加入宣言有効期間を延長することとなり、本件議定書が、本年一月三十一日に、賛成二十六、反対なし、棄権五、欠席三をもって採択されるに至った次第であります。  この議定書は、わが国と仮加入宣言当事国でこの議定書署名する国との通商関係を、わが国ガットヘの正式加入または本年十二月三十一日のいずれか早い時期まで引き続いてガット規定によって規制しようとするものでございまして、わが国はこの議定書署名することによって、継続してガットに基く利益に均霑することができるわけであります。  この議定書署名のため開放されました二月一日には国会はちょうど解散中でありましたが、この議定書はもともとわが国利益のために、かつ、わが国署名を前提として作成されたものであり、また、時あたかもわが国ガットヘの正式加入のための関税交渉を控えておる際でもありましたので、率先わが国がこれに署名することが絶対に必要と認められました。よって、二月一日に政府の責任におきましてこれに署名し、国会承認は、憲法第七十三条三項但書の規定に従って、事後にお願いすることといたした次第であります。  以上の事情でございまするので、御審議の上すみやかに御承認あらんことをお願いいたします。
  6. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて提案理由説明は終りました。本件に関する質疑は次会に譲ることといたします。     —————————————
  7. 植原悦二郎

    植原委員長 理事の御決定によりまして委員長バンドン会議報告をせよとのことであります。委員長は衆議院の決定によりましてバンドン会議に列席したのでありますから、理事の御決定によってその会議の状況を報告せよということでございましたならば、それに従いまして報告を申し上げたいと思います。実は準備もいたしておりませんので、ごく座談的に浮んで出る状態をお話申すこととして御了承を願いたいと思います。なおその話につきまして御質問でもあれば、それにお答えして補充したいと思います。さようあらかじめ御承知を願いたいと思います。  まず委員長席からこのままで報告をいたしてよろしかいかがか、皆さんの御意見を伺いたいと思います。     〔「異議なし」「けっこうです」と呼ぶ者あり〕
  8. 植原悦二郎

    植原委員長 それならばこれから御報告申し上げますが、バンドン会議は先月の十人目にバンドンで開かれました。出席した国は主催国の五カ国、パキスタンインドビルマセイロンインドネシア、それとアジアアフリカにおける二十四九国、合せて二十九カ国でありました。私は国際会議をのぞいたこともたびたびありますが、今度の国際会議ほど異彩のあるものにぶつかったことはありません。と申しまするのは、アジアアフリカの人民は御承知通り有色人種であって、しかも世界の人口の約三分の二を代表するところの二十九カ国、大きい国は中共、インドパキスタンを主といたしましてアフリカのイエーメン、ゴールド・コースト等国々まで集まったのでありますから、有色人種世界一大国際会議と申すべき光景で、おそらく人類歴史が始まって以来かかる会議の開かれたことはこれが初めてでありましょう。ある意味からいって人類歴史の新しい一ページを作るもの、これによって、過去においてはほとんど世界を支配する者は欧米白色人種のように思われたのでありますが、このバンドン会議光景を見ますると、偉大なる有色人種会議だ、アジアアフリカ国民は覚醒したのだ、ここでアジアアフリカ諸国のみならず、世界のすべての人類歴史において新しい一ページが開かれるのではないかというような印象を受けました。その多くは、第二次世界戦争以前においては植民地として取り扱われておった国々なのであります。それが独立国、あるいは半独立国の形で立ち上ってここに一大国際会議を開くに至ったということは、まさに世界の壮観だとも考えられました。この会議についてアジアアフリカのすべての国は、非常な興味を持っておったに違いないですけれども、欧米諸国はさらにこの会議に対して非常な関心を有しておったように私には感ぜられました。アジアアフリカ以外の世界のあらゆる国は、この会議の劈頭においてこの会議に対して祝電を送ってよこしたばかりでなく、世界各国から集まった新聞記者などの光景を見ますると、アジアアフリカ諸国自体がこれに対して関心を持っておったよりは、欧米諸国の方が強い関心を持ったのではないかというような感じさえ与えられるようでありました。と申すのは、この会議において、世界がはなはだしく緊張している今日、たとい国は小なりといえども二十九カ国、世界人類の頭数からいえば約三分の二にも当る有色人種の国家が一つのブロックを作って他のブロックに対抗するようなことになったらば、世界の緊張はゆるめられずしてかえって強められるじゃないかというような感じを持ったのではなかろうかという疑問さえあったのであります。  そこで会議の実際は何が目的か一どこにこの会議を導いていくのであるかということについては、私自身が第一に抱いた関心事でありました。この会議がさきに申したボゴールに集まった五カ国の主催によって開かれたことは明らかだが、一昨年のコロンボ会議の継続であるかどうか、そのきめた目的は何であったかとせんさくしてみましても、はっきりいたしません。アジア諸国友好関係を作り、できるだけ互いに協力するような態勢を作ろうとするようにも思われた。そして各国がそれぞれ自国の立場や、その考えていることを率直に述べて、互いによりよく了解し、より強く協力するためだというふうに思われました。けれども、御承知通りこの会議周辺に前から浮んでおりました空気は、決して楽観すべきものではなかった。パレスタインの問題が出たらどうなるか、台湾海峡の問題がどう取り扱われるかというような空気が会場の内外に浮遊しておりました。パレスタインの問題が出たならば、アラブ民族ユダヤ民族と、ユダヤ民族を支持する英米等との国のあつれきがかなり強く出てきやせんか、また台湾問題はどうかというような感じもありました。またコロンボ会議関係からインドネール周恩来がいわゆる平和五原則なるものを提出したらば、その審議はまた荒れるのではないかというような感じもありました。そういうような点から考えまして、御承知通りに大きい国としてネールパキスタンを代表しておる首相のモハメッド・アリとは決して平和に済まないかもしれぬ。また周恩来と、フィリピンがその雄弁をもって鳴っておるロムロを特に国務大臣に採用した、そのロムロ台湾海峡の問題などで論争したならば、かなり激しい議論になって、この会議は荒れるじゃないかというふうにも感じられたのであります。ところが会議というものは妙なもので、会議は十八日に始まりました。最初各国代表者が順次演説をするはずでありましたが、その前夜主催国がにわかに会議を開いて、十人目の議事運営を全く変えたのです。十八日に演説する者はスカルノ大統領総理大臣のアリ・サストロアミジヨヨだけ、各国はその演説の草案を提出してこれを記録にとどめる。そして各国代表者演説をしないということにきめて、これを通告したのであります。非常に妙な状態だと思いました。これは推測でありますからそれがほんとうであるかどうかわかりませんが、集まった各国代表者の顔ぶれと空気とを見て、これが思い思いの演説をしておったらば、その演説が端緒になってあるいは会議を紛糾せしめはせぬかということを、ネールなどが考えたではなかろうか。ネールはみずから五カ国の主導者をもって任ずるもの。私はネールはこれを心配して議事運営をにわかに変更したものじゃないかというような感じを持ちました。ところが十八日になってそのことを各国に通告したところが、各国はみな反対した。どうしても用意したところの演説だからするということで、結局主催国の定めた議事運営の方法は、また逆戻りをして、各国とも演説をするということになったのです。そういうことになったから十八日の開会の時刻も遅れたし、当りまえで言えば十八日の午前九時からおそくまでやったらば、全部の首席代表演説が終るはずでありましたけれども、そのごたごたのために時間がおくれて、大統領インドネシア総理との演説で、あとごく少数の人の演説ができないようになって、演説順序はABCの順序でされるのに途中から始まって、ロムロ演説周恩来演説より先になった、ロムロ共産主義反対するところの演説をあの雄弁でやり立てたのです。その結果翌日今度は初まりのAの方に戻って来て演説をするようになって、周恩来演説をするようになったときに、これはかなりネール意見もあったではないか、周恩来が来る日に予定を延ばしてビルマに寄っていろいろ打ち合せをしたことの事実等を考えれば、周恩来ネールに言われて翌日の演説をそっくり——ネールに言われたか事態がよくわかりませんが、これは私ども外から見て言われたのじゃなかろうかと思われる節がある。なぜそういう節があるかと言えば、インド国際会議を代表しておるメノンは、初まりから終りまでいかなる総会においても委員会においてもネールそばを離れたことはない、このメノンが始終ネールそばにおって助言し、欧米国際連合空気を相当ネールに吹き込んでおったのではないかと政治的に考えられます。そこで周恩来は初め提出したところの演説をそっくりかえて、翌日演説したのはロムロ演説にこたえる演説と見ていいような演説をした。ということは、ロムロはこの会議各国議論をしたりけんかしたりするために集まった会議ではない、もちろん二十数カ国がおのおの違う歴史を持ち、国情を持っておる、従って違った意見の出るのは当然だが、その異なった意見をみんな述べて、そうしてよりよき了解を得て、協調してアジアアフリカ各国民の発展に寄与せんとするために集まったものであろうと思うと述べ、前日提出した周恩来演説とその日にした演説とはかなり内容が違って、周恩来態度は非常に協調的になったのです。だから、ある意味からいえばあやまちの功名と申すか、議事運営で全部の演説をするのをしないようにきめた。それがネールのさしがねと思い、みんなでネール目当て反対してひっくり返してしまった、そうして会議が新たに進んだというような点から考えて、その空気のもとにおいて、かなり協調空気が醸成されたので、ある意味からいえば、私はあやまちの功名だったと思う。それ以来会議はずっとなごやかになり、この二十九カ国が、この会議を失敗に終らせてはいかぬと、みんな反省し自省し、隠忍して、そうしてこの会議を成功ならしめなければならぬという空気に変って、各国態度がかなりやわらいだように私は見てとりました。  そこで大会の各国代表演説も無事に終り、文化委員会経済委員会政治委員会三つに分れて委員会が開かれて、会議が進められることになったのです。  政治委員会というのは、各国代表者会議であります。その前に、実はパレスタインの問題が委員会の席で起りましたが、このパレスタインの問題に対しては、レバノンとかシリアとか、アラブ民族を代表して、パレスタインから逃げ出した者、追い出される者、これらの人権を尊重したり、生命、財産を安全にしたり、これらの者に居住の地を与えないという理由はないと、先生たち議論するときは、テーブルをたたいてやり、それは盛んなものです。青筋を立てて、繰り返し繰り返しやるところは、なかなか遠慮会釈もなく、みんな議論を述べます。それのみならず、そういう問題になれば人権の問題にからまるから、コールド・コーストの代表者のようなところでも、リビアのようなところでも一言なかるべからずで、この会議政治委員会は、かなり言論が風発して盛んなもので、炭のようにまつ黒いゴールド・コーストリベリアを代表しているような者でも、英語でなかなか雄弁人権の問題、植民地化反対の問題、帝国主義反対の問題を言うときには、実に元気のいい雄弁で、彼らの主張を論断するところは、むしろ敬服に値するものだと思いました。周恩来はしばしば議論しますが、ネールは、いつでも協調の役目に立って、なるべくこの会議をうまくまとめていきたいというようで、最後の発言者ともいうべきでしょうか。ところが、小国のいわゆる。パキスタンを中心とした、一面からいえばネールに対する反対空気もかなりあることが議場面に現われてきて、ネールが発言するとそれに対して直ちに発言して、それを反駁するというような光景は、実にこの国際会議において初めて見る光景じゃないかというようなおもしろい会議でした。トルコ首席全権は都合のいいときは英語で話して、少しむずかしい問題になるとフランス語で話して通訳させるというように、これは自由自在でして、割合に冷静な会議の中でいつでも一番冷静な議論をする人間トルコ首席全権だと思うくらいな冷静なバランスの取れた議論をしたのです。  そういうような状態会議は進みまして、おそれたところの台湾問題も出ることなく、ただこの会議において一番目立ったことは、これは日本人には想像できないのですが、コロニアリズムとインペリアリズムの問題が出たときには多くの国は実に熱心に論じます。なぜかなれば、多くはその経験を経た国です。人権擁護人種差別撤廃植民主義帝国主義に対しては実に強い反対がどの国にもある。そうしてリベリア、チュニジア、モロッコの問題に対しては、名は言いませんけれども、フランスに対して非常な強い反感を持って、どうしてもこの植民主義を一掃しなければならないという議論をするときには、それに呼応する声がかなり盛んです。ナセル・エジプト首席全権などもそういう問題に対してはかなり強い議論をいたします。またニューギニアのエーリアの問題、あれもみんなの同意を得て、オランダの勢力をあれから駆逐しようという、植民政策について反対する点についてはまたインドネシア自身もかなり強いものであることを感じたのです。人権の問題、植民主義の問題、帝国主義の問題についてはアジアアフリカの小さな国は、想像もできないほど真剣です。そうして非常な熱意を持ってそれを論ずる光景は、そういう経験のない日本人の実に想像も及ばないところだと感じました。そういうようなわけで、政治委員会台湾の問題が出なかったから、非常に盛んに議論したのはパレスタインの問題だけで、大体今申す三つ人権擁護植民主義帝国主義に対する非常な熱意を持った盛んなる議論が戦わされたのみでありました。  文化委員会の方は、これは割合議論はなく、日本首席全権の言葉でこの会議に初めて上ったことでありますが、みんな注意はしておっただろうけれども、宗教にせよ、文化にせよ、世界の一番偉大なるものの出発点古代アジアアフリカの大陸だ。しかるにそれが東西に流れて、古代の盛んなる状態を継続しなかった。途中に科学文明のためにそれらがやや押される気味があって、そうして今日の状態になっておる。これをもう一度思い直してアジアアフリカ人間が、元の宗教アジアの特殊な文化をせんさくしてこれを復興せしめて、そうしてアジアアフリカ民族のさらに文化的の発展をはかるということについては、ほとんど異議がなくきまりました。これは日本の顧問の藤山愛一郎さんの思いついた提案でありましたが、アジアアフリカに対しては、文化のいかなる方面研究者に対しても、アジアアフリカ文化賞というようなものを一年に一度くらい出すことをやってみたらいいだろうという提案がありまして、これは実は非常に歓迎されました。そういうことによってアジアアフリカ民族が互いに文化の向上をはかって、たとい映画であろうとも、演劇であろうとも、科学であろうとも、美術であろうとも、工芸であろうとも、宗教であろうとも、あらゆる方面で特殊な研究を遂げたり非常な貢献した人に対して、一年に一度審査を遂げて、それにノーベル賞のような賞を与えるようにしたらば、アジアアフリカ文化の向上に非常に役立つだろうというようなことで非常に賛成を得ましたが、さてその約十万ドルの賞金をどうして集めるか、そうしてだれが提出するか、その審査をどういうことにするかということで非常に議論が分れまして、これは特別に他日研究しようということで決定はいたさなかったけれども、非常な注目の的になったことは事実であります。  経済の問題については、エカフェの会議のあとだからこれは日本の朝海君も非常な便宜の立場で、ここではある意味において割合に小さな国がアジアアフリカのソリダリティを作って一そう協力を強くしてアジアアフリカの経済的提携をはかろうかというようなことがかなり唱えられましたけれども、そういうふうになったら、今日経済的に一番有力な英米の援助を受けられないようになったり、これに反感を持たれるようになってはいけないというので、経済的に協力という意味は、第一にはアジアアフリカ国民がやはり世界のあらゆる国民と協力して、アジアアフリカの経済的資源の開発をはかり、協力してその発達をはからなければならないじゃないかという結論に到達して終りました。  そこで、いわゆるコロンボ会議の五原則の問題は出ずして、それがついに十原則の問題となってきまりました。その十原則の問題は、やはり人権尊重、民族自決、植民地主義排撃、あるいは帝国主義排撃、領土の不可侵、主権の尊重、内政干渉を許さないという大体五原則の述べた方向ですけれども、それの言葉づかいはかなり違って十原則となって現われて、それが国際連合の憲章の原則と目的に準じての十原則、アジアアフリカの二十九カ国の声明となって現われることになじました。経済に対しての協力、文化に対しての協力、その他の問題に対しては平和十原則を声明することを全会一致できめて、そうしてこの会議が初めはかなりあらしを呼び起しはせぬかというようなふうでありましたけれども、結果はまことに穏やかに、そして帰りがけになって各国代表者と話してみまするに、まあ、よかった、みんな大成功だという成功を喜んで帰途についたというがこの会議状態ではないかと思います。  大体何の用意もない思いつきのままを私が申し上げて御報告したことをどうかお許し願いたいのであります。なお質問でもおありになったらお答えいたします。
  9. 高津正道

    高津委員 委員長はさすがに老練家であって、その空気、それから経過を短かい時間でわれわれによく報告されて、その点感謝するのでありますが、ただ一点、インペリアリズムの問題やあるいは植民地主義の問題に対して非常に討論が戦わされた、リビアやモロッコなどがフランスに対しても強い態度議論したというようなお話があったが、日本人のごとくそういう経験のなかった国の者には全く予期しないことである、そういう表現や認識が出ておるのでありますが、われわれから見れば、今こそなまなましい帝国主義植民地主義というものの被害国であって、日本の代表として行っておる者が、首席代表が言えないならば、ほかの人がその場合に何らかの発言の機会を得てそれらに同調する空気をつくってこそ、初めて国会から行かれた人の価値があるのだと思うのですか、実にその感覚たるや驚くということでない、一番先頭に立ってそれをまず感覚し、それを表現してもらいたいと思ったのに、そこの部分が私は非常に物足りないのですが、委員長のこれに対する御意見を承わってみたいのです。
  10. 植原悦二郎

    植原委員長 その御意見もごもっともだと思いますけれども、私どもは顧問という資格です。ですからそういう会議に発言の機会はありません。それからそういう点になると、非常に言葉も関係するじゃないですかね。立ちどころに立って発言を求めなければ1腹の中じゃごもっともと思っておるけれども、すぐ発言の機会をとらえて発言するということもなかなかむずかしいことで、そこへいくと、これはだれかれと言わないで御同様日本人は外国語の一番不得手な国民じゃないですかね。それだからそういう国際会議に臨んで、いざ発言していいというときにひょいと発言できないという不自由もある。腹の中では賛成しておっても、その賛成を声明すればなおよかったかもしれませんよ。声明しないでも賛成の態度をとったことは事実です。だからすぐに立って声明しなかったという点が悪かったといえば、それは悪かったことになるかもしれませんけれども、一つも反対したことはないのです。大いに同情し賛成しておったわけです。
  11. 高岡大輔

    高岡委員 今の植民地主義でありますとか帝国主義、そういうようなものに非常に活発な議論が出たというのは、これは独立運動を見てきた者にはよくわかるのですけれども、ネール氏がしょっちゅう調停役に立ったということは、どういう立場にネール氏がおったのか。今のお話で聞くと、この会議を何とか円満に終了したいという気持からいろいろな骨を折っておられた。特にメノン氏がしょっちゅうそばについておられたといったような話から想像されないこともないのでありますけれども、ネールの考えておられたおもな点がどういうところにあったのか、そういう点が、御想像でありましょうけれどもお気づきになりましたらお聞かせ願いたいと思います。  それからもう一つ、お尋ねしたいことは、さっきの文化問題でありますが、アジアアフリカ文化というものは、これはあの辺をずっとお歩きになったことでございましょうから、いろいろと今遺跡がありますが、これは私最初に旅行した時分には、そういうものを見て非常に驚嘆したといいましょうか、非常に賛美したのです。ところが二度、三度と向うへ行ってそういうものを見てみますと、非常に私は嫌悪の情が出てきました。といいますことは、これは私個人の考えでございますけれども、アジア文化と今までわれわれが単に言っておるところのものは、これは王侯貴族の文化であって、言葉をかえていえば、これは搾取の表現であるとさえ極言され得るのではないかという気がするのであります。宮殿の非常にりっぱなものでありますとか、ないしはその他の寺院建築でありますとか、いろいろなものを見てみますときに、私は全体を見たわけじゃございませんけれども、インドにおける大理石の塔を見てみますと、そういうことを強く感じるのでありますが、その文化委員会においてそうした王侯貴族の文化、すなわち搾取の文化であったということに気づいて、同時にわれわれが今後平和な世界を作って行くのには、大衆文化というものにより力を入れなくちゃならないのではないかというような話が出たものかどうか、やはり昔の王侯貴族の文化を謳歌しょうというのか、それともいわゆる文化というものはむしろ健全という言葉にかえていいのか、あるいは簡素という言葉にかえていいのか。われわれの簡素生活というものが、それがほんとうのいわゆる文化生活であって、英仏的な華美を競う生活こそ嫌悪すべきものであって、東洋は東洋的の精神的な生活というものに、そこに文化を見出していくというよう話があったかどうか。一番最後のアジアアフリカ文化賞をくれるというようなお話を聞いていると、何か王侯貴族の文化をまだ謳歌しているような感じを受けたのでありますが、その辺もう少し御説明をいただきたいと思います。
  12. 植原悦二郎

    植原委員長 第一のネールに対することでありますが、これは表に現われないことで、ただ推測にとどまるので、私の言うことが当るか当らないかわかりませんよ。このアジアアフリカ会議の五カ国のうちのやはり一番インフルエンシャルな政治家はだれかと思えばネールといわなければならないのですね。この五カ国がアジアアフリカ会議をだれが先に言い出して開くようになったか知りませんが、パキスタンインドビルマセイロンインドネシア、このことを考えまするときに、結局は、やはりこの会議主催した以上は、この会議を成功せしめなければならぬというのは、人情としてネールの頭の中に強く打ち込まれたものじゃないかと思うのです。そこでパレスタインの問題に対しても、台湾の近海の問題に対しても、これで議論が沸騰して会議を決裂せしめるようなことになっては大へんだとネールは考えておったのじゃないか。そこでなおさら私どもの目にちらついて見えたのはメノンです。メノンインドを代表しておる国際連合代表者ですが、これが帰ってきてネールにつき切りでおったことを考えてみても、この会議の成功、不成功は、かなり欧米諸国で注意して見ておる。だからなるべく協調的にアジアアフリカ諸国が協力して経済的開発、文化の向上をはかるのだ。その間には協力、協調という空気がみなぎり、しかもそれが英米に対して反対ブロックを作るものでないという状態ならば、非常によいというふうにメノンは考えたのじゃないか。そういう空気ネールにつぎ込んだのじゃないか。ネールは盛んにそういう点で周恩来を説いて、周恩来を穏やかにするように努めたのじゃないかというふうに感じられました。これはただ私の感じで、それ以上のことは、私は話してみたわけでもない。ネールとは話をしましたけれども、ゆっくり話をする機会がなく、周恩来とは二時間以上議員が話しました。ネールとは私個人は話をして、またゆっくりお話をしようといったけれども、会議が朝九時から晩の七時、八時まで続いてしまうので、そういう機会を得られなかった、それのみならず感心したことは、ネールは総会にも委員会にもいつも一番最初の出席者ですよ。その点は、私は非常に感心しました。ネールがいかにこの会議に熱心であったか、どの委員会でもネールが出席するところは、第一に出席しておるのはネールです。総会においてもそうです。そうしてネールは、議論するときには非常に早口で、しかも卓をたたいて議論する。自分の意見には人をも承服せしめざればやまざるという態度であり、今日のインドは何といってもネールがまだ独裁的の政治をやっておると思われますけれども、人に接するのは穏やかなものです。どんな人にでも話をする。新聞記者が途中で会って、これにサインをしてくれというと、若い小僧っ子のような人間にでも喜んでサインをしていく、写真をとりたいといえば、こっちの人まで連れてきて一緒に写真をとるというふうで、これはどうも日本の政治家ばかりでなく、日本人には見られない光景だと思いましたよ。日本人は、偉くなると、会議に行ってもあとから行かなければいけない。先に出れば幾らか人間が軽くなるとか、どんな人でも軽く話しては値打ちが下るという変な頭があったり、変な習慣が日本人にはあるのです。そこへいくと、ネール態度を見れば、やはり徹底的な革命政治家の民主主義者だ。そうしてまだインドの国情で政治は先生の独裁的な形になるけれども、民主主義者だと思いました。会議光景は今お話し申す通り、推測ですけれども、ネールはこの会議主催者の有力な一人であり、この会議を成功せしめたいと熱心に思うたためでもありましょう。またそこへは国際連合の方の空気を伝えたメノンもあずかって力があるのじゃないか、こういうように感じました。  そこで今の文化の問題ですが、これは、文化というものはどういうものかといって議論すれば非常な議論があるし、ラスキンのセブン・ランプス——七つの燈明、それが人間文化を導くものだ、劇にせよ、詩にせよ、建築にせよ、彫刻にせよ、絵画にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、すべて人間感じたり見たりした最高のものを形に表わして将来に伝えられるようにするもの、そういう点を文化と言ったならば、いろいろの論もありましょう。けれども、世界の仏教、キリスト教、マホメット教というものを見ると、大がい古い時代において一番文化の流れを出しているものは宗教が中心じゃないか、そういう点から考えてみれば、マホメット教でも、キリスト教でも、仏教でもアジアアフリカから興って、これが東西に広まったものである。それから今言う通り、その後にギリシャ、ローマでその上につけ加えたいろいろの新しいものができていますけれども、ごく古い、往昔のものを見れば、やはりエジプトとかなんとかいう小アジアの地方におけるものが一番古く発達したものである。そういう点から考えて、ごく古代文化あるいは偉大な宗教の発祥地はアジアアフリカだ。それが東西に流れた。その後だんだん一般の人間が発達して、あなたの言う通り、ギリシャやローマになればかなり民主的な文化のようなものが生まれ出たに違いない。ほんとうに文化と言えば、ただ一つの人種や一つの階級でなくて、人類のすべてに行き渡る文化でなければならない。そういうことはあなたのお説の通りだと思いますけれども、ただ人間誇りを持たなければいかぬじゃないか。アジアアフリカ人間は、始終現代の欧米文化によって植民化されたというようなことを考えるよりは、やはり偉大な宗教アジアアフリカで興つたのだ。これによって誇りを持って、そうして将来に立ち上って、協力してアジアアフリカのすべての人間人権を尊重したり、人種の差別も撤廃したり、こういう問題で立ち上った方がいいという場合には、今の文化賞のようなものもいいじゃないか、またそれにみんな共鳴したということも事実なんです。だからして、そういう意味で私が言うたことを御承知願いたいと思います。
  13. 高岡大輔

    高岡委員 私決してあれするわけじゃありませんけれども、もう一つ言葉をかえてお聞きしたいのです。私ネール氏とは、昔のことですけれども、毎日二時間ばかり一週間くらい続けて議論したことがあるのです。このネトル氏の気持から想像して、パキスタンの方とは例のカシミール問題で、具体的な問題、こまかい問題に行くと非常にむずかしくなってくる。むしろそういう問題を取り上げることよりも、周恩来と手を握ることにおいて、また一面メノン氏を顧問格にして欧米に刺激を与えないようにして、アジアで団結していこうという意図がネール氏にあったかどうか、こういうことなんです。いわゆるアジアにおける面積からいうと小国の人とあまりこまかい話を進めていくよりも、中共の周恩来と手を握って、大ざっぱにこの会議を持っていこうという気持がネール氏にあったかどうか、多分あったのじゃないかというふうな感じを受けるものですから、その道のヴェテランの植原さんはそういうお感じがなかったかどうかということなのです。
  14. 植原悦二郎

    植原委員長 どっちにしても、バンドン会議の立役者、一番人気のあったのはネール周恩来です。周恩来の至るところ大衆が集まって歓呼の声が割れるごとくでありましたが、これは御承知通りインドネシアには華僑が非常に多い。それが周恩来が来るというので沸き立つようになって、もうジャカルタに上陸当時からあとを追いかげるような状態で非常な人気であった。私ども衆参両院の五人の議員が支那の大使館に周恩来をたずねましたときにも、支那の大使館に華僑が若い者から年寄りまで集まって取り巻いて、騒ぎは大へんなものでした。私どももやはり周恩来と話すためにそこを訪問したというように感じてみんな喜んだのでしょう。私どもが大使館を出て自動車に乗るとき、自動車が通行するときなどというものは、みんな手をあげて大へんな大騒ぎでした。どっちにしても、バンドン会議の立役者は、ネール周恩来とそれから。パキスタンのモハメッド・アリで、タイの首席全権も非常な評判でした。というのは、政治会議において先生が、実は私は日本から帰ってここに着いたばかりで、日本には賠償のために行っておった、賠償問題に対してはかなり距離があって非常にむずかしかった、話がまとまらないで自分は帰らなければならないと思っておったのに、道義の問題を一たび唱えたところ、日本人はよくわかってくれて、自分の言うことに同調して、そうして妥協ができたということを話したわけですが、このときほど満場が拍手をもってこの言葉を迎えたことはなかったです。そうして非常に公平な議論をする人で、りっぱな議論をしました。  それからもう一人目につく人は、インドネシア総理です。この議長ぶりというものは実にりっぱなものでした。この議長ぶりは日本議長に学ばせたいと思うくらいにりっぱなもので、あらゆる人に発言の機会を与え、満足させて、そうして大がい予定の時間で会議を終ることができるように導いたというこのインドネシア総理議長としての手腕も、この会議を成功せしめた一つの原因だと思います。実によかったと思います。
  15. 松本七郎

    松本(七)委員 議員だけで周恩来と二時間くらい会談されたときの話の要点、特に中国の通商代表部の設置とそれから台湾政権について、何か周恩来と話し合いをされたようですが、あなた方が周恩来と特に会談された内容をかいつまんで報告していただきたい。
  16. 植原悦二郎

    植原委員長 通商貿易に関してですか。
  17. 松本七郎

    松本(七)委員 いや、それ以外に委員長が重要な問題と考えられた、周恩来と二時間もしゃべった会談の内容です。
  18. 植原悦二郎

    植原委員長 これはみんな五人の議員が聞いておったので——ここにはただ会議の問題を委員長から報告せよということでしたから、周恩来の問題には触れなかったのですが、周恩来との会見の内容はどういうことであったかといえば、それもお話し申していいと思いますが、周恩来に会うことの橋渡しをしたのはあなたの方の佐多君です。佐多君は周恩来に中共で会っておるということでよく知っておるから、一つ周恩来に会ってみないか、こういうことでしだ。それは会議が終って出立する二十五日でありました。夕刻飛行機でジャカルタに行くので、朝から割合にひまであったから、その日に周恩来に会うことにして支那の大使館をたずねてそこで会いました。主として私は周恩来の意向を聞きたいと思いましたから、私が周恩来にあいさつせよ——団体じゃないから団長じゃないけれども、団長格で、年上だからと言われればぼくは異議があるけれども、年上だということも含まれたのでしょう。だからぼくにあいさつせよ、こういうことでありました。そこで私は周恩来にこういうあいさつをしたのですよ。中華人民共和国の総理大臣としてあなたにお会いし、その謦咳に接することはきょうが初めてです。けれども私はあなたが南京の周囲を軍服つけて詰めえりで飛んでおった時代からあなたを知っております。直接話したことはありませんけれども、あなたを長い間知っておる人として、あなたの行動を遠くからながめておったこともあり、近くでながめたこともあります。きょうはあなたに親しく接してその謦咳に触れることはまことに私の喜びとするところです。きょうは私どもの意見を言いに来たのじゃないが、あなたの持っておる御意見を時間の許す範囲でなるべく多く聞かしてくれろ、こういう話をしたのです。そうするとその軍服の詰めえり時代と言われたので、よほどてれたと見えて大いに笑って、てれた顔でした。そこで話はかわりますが、周恩来英語がどの程度わかるかわかったと思った。ということは、周恩来会議の席で支那語で話をして通訳させておる。その通訳が行き詰まると、周恩来が指図して言いかえさせるのです。だからこれはわかるなという感じを持ったのですけれども、決して公開の席ではこの人は英語を使いません。支那語を使います。それで日本語のわかる通訳がおりますから、私も英語や支那語を使う必要はないと思って、通訳つきで日本語で話し、周恩来日本語の通訳つきで支那語で話しました。一つは戦犯者の、支那に浮虜としてとめておかれている人のことについて話をしました。一つは貿易のことについて話をしました。それがおもな問題だったでしょう。戦犯の人についてはこれはその三、四日前に高碕首席全権が、厚生省から、周恩来とぜひその話をしてくれということで、戦犯を早く帰してくれるように話をしたということを聞いておりましたが、その話の行きがかりがあったのでしょう。先生は長く戦犯者の問題を話しまして、それはいつでも送り帰すということを繰り返し言っておりました。元満州国の溥儀さんもおります。あなた方中共においでになってお会いになりたければいつでもお会いさせてあげます、こういった言葉で言っておりましたし、だからそういう戦犯のことに対してもどうか日赤の団体やいろいろではなくて、日本政府が口をきくというような立場になったならば、まことに好都合、すぐにも実現できるということでした。  それから貿易のことについても、これは中共と日本と有無相通ずる状態貿易をするということは、相互に利益のあることでちっとも異存はありません、どうかそうしたいと思う。これに対しても今中共は国家管理です。日本は個人々々だし、そうするといろいろのやりにくいことがあるから、日本政府で片棒かつぐというようなことになったならば、これもうまくいきます。こういうふうな話でした。
  19. 松本七郎

    松本(七)委員 その際に蒋介石政権の問題に触れたようなお話はなかったのですか。
  20. 植原悦二郎

    植原委員長 これはそういう政府が片棒かつぐというような話のあとで、佐多君が植原さんは外務委員長ですよ、だから周恩来さん何でもお話になったらよいでしょう、こう言ったら、私は日本総理の鳩山さんも重光さんも認めておるし、知っておるのだ。だからしてあなたは帰ったらどうか鳩山さんに中華人民共和国の周恩来を認めるように話をしたらどうです。こういう話があったのです。
  21. 岡田春夫

    岡田委員 一つだけ伺います。さっきからバンドン会議の成果をだいぶ話されたのですが、その成果を現内閣の外交政策にどういうように反映されるか。あなたは政府の担当者じゃないから何ですが、しかし与党の最長老として、しかも外務委員長としておいでになったのであるから、この点をどういうように反映をさせていくか。ことに平和十原則の問題なんかについては、相当現内閣のとっている外交政策との間に、食い違いが出てくるであろうと私は考えている。そういう点について、特に国会の代表としておいでになった限りにおいて、バンドン会議の成果というものを責任をもって反映していただかなければならないと思うのだが、こういう点についての植原さんの決意を一つ伺いたい。
  22. 植原悦二郎

    植原委員長 岡田委員から大へんむずかしいことをお尋ねにあずかりまして、御満足なさるように答弁ができるかどうか知りませんけれども、政治的にいえば十カ条の声明が、バンドン会議の最後にまとまったものです。それと日本政府の政策と矛盾したり困るようなことは、私はどこにも起ってこないと思います。それからバンドン会議に行ってみた結果、インドネシアというところへ私初めて行きましたが、この国のことをするにはジャワだけじゃいかぬ、スマトラもボルネオもよく見なければいかぬ、のみならずこの国とも日本が早く通商貿易のできるように条約の結べるようにすることは、相互のために非常に利益だと思いました。できるならそれに努力したいと思います。政府をしてそういう方向に向わしたいという感じもあります。非常に天候、風土もよし、資源も豊富だし、そうして日本の五倍も面積があって人口は日本よりは少いというところですから、ここで日本の技術や日本の頭をもって協力して、これを開発してやれば、相互のために非常にいいと思いましたが、ただ一つ、インドネシア人に対して私が感じたことは、非常に疑り深いということです。やはり二、三百年オランダの統治のもとにおいて圧迫された国民で、非常に人に対して疑惧の念を抱く。これに対して、日本が共同で投資して合弁のようなもので開発するというようなことはむずかしいじゃないかという感じがしました。賠償問題も、御承知通り独立とは名だけで、経済の実権はオランダ人と華僑にある、そして金がない、日本と早く賠償問題も解決したい、ところが日本貿易じりの一億七千万ドルもしりをしょっておってこれさえ払えない状態である。それを支払わしてそうして日本が幾らか投資して開発しようとすると、なかなか疑り深い国民であるだけに、これはなかなか容易にいかないのじゃないか。それのみならずフィリピンの賠償の問題もじきに解決するかしないかわからないが、これはいいとか悪いとかの意見がありましょうが、ここに初めてスタンプリングブロックをぶち破って、そして賠償問題の話のつく糸口をつくったのは、やったことがいいことか悪いことか別として、やはり永野護君だと思います。私はインドネシアの問題も、役人が小手先でやっておったって話はつかぬと思う。やはり賠償問題はそろばんを持つ実業家が行って、角突き合わしてこれはどうなる、これはどうなるといって今の両国の間に横たわっておるスタンプリングブロックをぶち破って、道を開いて、あとは役人にまかせてもいい。役人の頭ではできない、これは私の感じです。ここに外務省の方がおって非常に恐縮ですけれども、これは率直な考えで、民間の人に道を開かせるより道がない、こういう感じです。
  23. 岡田春夫

    岡田委員 どうも委員長は私の質問について随想談が大分多いようですが、私の伺いたいことはそういうことではなかったのです。たとえば平和十原則の中で現内閣の外交政策と相いれないといわないにしても、少くとも違うという感じを受けたことが、バンドン会議に御出席になってあなたとしてあっただろうと思う。たとえばもっと具体的にいえば、十原則の中には内政不干渉の原則なんかも入っておるわけです。こういう内政不干渉の原則について現実の日本政府としては、防衛分担金の問題を通じて内政干渉せられているじゃないか、こういう具体的な二つの問題をバンドン会議に出席された議員団の代表としてあなたは、今後どういうようにバンドン会議の成果を反映される決意があるのかということを私は伺っているので、インドネシアの天気がどうであったというようなことを私は聞いているのじゃない。お天気の話はよくわかりましたから、バンドン会議の具体的な成果をどういうように政府の外交政策に反映されるか、与党として、しかも最長老として、また外務委員長としてその決意を伺いたいというのが私の質問の要旨です。そういう点を簡単でけっこうですから一つお話を願いたいと思います。
  24. 植原悦二郎

    植原委員長 岡田さんにお答えしますが、それから先になると議論の問題になるのですから、岡田さんの御意見は大いに考慮し研究して矛盾なからしめるように努力したいと思います。バンドン会議に対する私のお話はその程度にとどめておきまして、ここに穗積さんが質問の通告をなさっておりますから、穗積さんに御質問をしていただくことにいたします。
  25. 穗積七郎

    穗積委員 私、質問いたします前に、委員会といたしまして委員長のお考えを伺っておきたい。実はきょうも私は重大な問題がございますから、ぜひ総理並びに外相に出ていただきたいと思ったのですが、今委員部の諸君に伺いますと、予算委員会とぶつかって出られないという簡単な御返事なんです。そうしますと、予算委員会はこれから継続してずっと下旬まで続くということが予想されますし、それが済みますと、参議院の予算委員会、こういうことで外務委員会の討議も、重要な問題に関してぜひ首相または少くとも外相には出ていただかなければならないわけですが、それを一体どういうふうにこれからお取扱いになるおつもりであるのか、先般の理事会におきましては、予算委員会にとらわれることなしに外務委員会の重要性にかんがみてぜひ出席を要求する、そのつもりで委員、長から交渉していただくようにというお話でしたが、きょうも御出席がございませんし、それから今後の見通しについても委員長は一体どういうお考えを持っておられるのか、ちょっと前もって伺っておきたいと思います。
  26. 植原悦二郎

    植原委員長 穗積さんにお答えしますが、予算委員会が開かれている間でも、こちらに総理の出られないというようなこともなかろうと思います。からだは一つしかないのですから、両方同時に出るわけにはいかないから、予算委員会の都合のつくように相談してみて、こちらへも出てもらうように取り計らいたいと思います。
  27. 穗積七郎

    穗積委員 それではこの前の理事会の決定、すなわち私が先ほど繰り返しました外務委員会の独自の立場で強く要求するということについては委員長のお考えは再確認されたと理解してよろしゅうございますね。
  28. 植原悦二郎

    植原委員長 もう一度はっきり……。
  29. 穗積七郎

    穗積委員 その方針で強く主張されることを委員長としては考えを変えておられないわけですな。
  30. 植原悦二郎

    植原委員長 お答えします。外務委員会の重要性は決して他の委員会に劣るものでないと思います。それゆえに……。
  31. 穗積七郎

    穗積委員 それではちょっとお尋ねしますが、実は定例日はあしたの予定でございましたのをきようになさった。これは承わるところによると、委員長の御都合だったということですが、この日はしかも予算委員会の各党代表の第一陣の質問の日でございまして、初めからそういうことであるなら、出られないことを予想して委員長はお開きになったのですか。何か交渉をなさったのですか。きょうの委員会総理または外相の出席を要求されたのかどうか。それがぶつかることは初めから御承知でお開きになったわけですから、その点はどういうことになっておりますか。
  32. 植原悦二郎

    植原委員長 お答えいたします。穗積さんからこの前七日に開いてくれろというお話でした。そうしたいと思いましたけれども、きょうは予算委員会の初日でありますし、それからあすは二日目のことで、いろいろ様子も見なければいけないと思うし、もう一つは、委員長自体も、あすは朝ちょっとバンドン会議の問題を民主党に報告しなければならないようなこともありますし、それから問題はと申しますと、きょう掲げたような外交上の問題ですから、そう大した質問もあるわけでなし重要性もないわけで、きょうは、理事の方からおきめを願っているきょうの議題となったものは、政府説明だけを聞いておこうというようなことでありましたから、委員長もきょうはそう大したことでもないと思ったから、七日のを一日繰り上げて開いても皆様の方に御迷惑のかかるようなこともなし、外務委員会に対して非常に差しつかえを生ずるようなことはない。ただ穗積さんにお願いしたいことは、総理に質問したいことなら、予算委員会の方の都合もにらみ合せて都合をしてもらわなければならないので、特にどういう火急の質問がある、それだからして総理にぜひ出席してもらいたいという、具体的にあなたの急いで総理に質問しなければならないことを伺えば、なおさら総理を了解せしめてここへ出席せしめることも私としては非常にたやすくなりはしないかと思います。ただ外務委員会総理を呼び出せということよりは、どういう火急な事項がある、その事項に対して総理にどうしても答弁してもらわなければ困るから、それで総理に出席してもらいたいということを具体的にあなたからお示しになれば、私が予算委員長とまた政府と、総理と話をするにも大へんに便宜かと思います。お差しつかえなければそういう問題を具体的にしていただけばなお都合がいいと思います。
  33. 穗積七郎

    穗積委員 わかりました。それでは私に限らず、他の委員の方も、委員部を通じてそういうふうに具体的に要請いたしますから、一つ強く交渉していただくことをお願いいたしておきます。
  34. 植原悦二郎

    植原委員長 承知いたしました。そういう問題が具体的になりますれば……。
  35. 穗積七郎

    穗積委員 続いて二、三点質問させていただきたいのですが、きょうは今申しましたような状況でございますからあまり多くはいたしませんが、ただ一つ、両局長がせっかくお見えになりましたから、あるいは要を得ないかもしれませんが、要を得る点だけ御答弁願いたいと思います。それは一昨日調印になりました日中貿易協定の内容についてですが、第一にお尋ねいたしますが、両局長ともすでに目をお通しになりましたかどうか伺いたいと思います。
  36. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 新聞で承知した程度でございます。
  37. 穗積七郎

    穗積委員 下田局長もですか。
  38. 下田武三

    ○下田政府委員 私も新聞で研究した程度であります。
  39. 穗積七郎

    穗積委員 これをごらんになりますとおわかりの通り、特に決済の問題、れから見本市の問題それから常駐の通商代表部の問題、それから十一条に示されました、将来両国の政府間の正式な協定を要望する点がありまして、この協定の内容自身は、政府の保証がなければ非常に実行の困難な点が多数ございますが、これらの問題についてはお聞きの通り、先月の二十七日に在京いたしました議員連盟の代表の諸君が鳩山総理に会って、そしてその内容について説明いたしました上で、特に今申しました三点についてはよく説明した上で、できるだけの協力をするという話を返事としてとったわけです。従ってそのことを声明にも出したわけですが、その後政府から事務当局には何らかの事前または事後に御相談があったでしょうかどうか、ちょっと念のために伺っておきます。
  40. 下田武三

    ○下田政府委員 この日中貿易協定の交渉は民間の交渉であるという建前でございましたので、私ども政府当局といたしましては、直接には全然タッチいたしたことはございません。しかし間接的にはいろいろな経路からお話は伺っております。その程度であります。
  41. 穗積七郎

    穗積委員 それではそれはあれですか、伺ったと言われるのは、内閣の当局からそういう事前の連絡なり相談があったというのか、国際貿促なり、議員連盟からプライベートに話があったというのか、どちらでございますか。
  42. 下田武三

    ○下田政府委員 民間の交渉でございますから、内閣から外務当局に話すという筋ではございませんわけでございまして、従いまして、一番間接の連絡がありましたのは議員連盟、主として与党に属しておられる議員の方から連絡が一番あったのでございます。
  43. 穗積七郎

    穗積委員 それでは続いてお尋ねいたしますが、特に今申しました諸点については、これは政府の保証が予定されておるわけです。それに対して鳩山総理自身が確約されておられるわけですから。その後事務当局には何ら連絡はないわけでございますか。
  44. 下田武三

    ○下田政府委員 保証と仰せになりますが、私どもは保証と了解いたしておりません。政府が保証するということは、政府がその実現の責任をとるということでございます。鳩山総理がおっしゃったといって議員側の代表から手紙で申しておることは、協力と支持を与えるということでございます。政府の現在置かれておる地位のもとにできる限りの協力と支持を与えるということと了解いたしております。
  45. 穗積七郎

    穗積委員 せっかくのお答えでございますが、私の質問したのはそういうことではございません。保証という言葉をどう理解するか、あるいは支持と協力の内容をどういうふうに相互に理解するかというそのことは、議員連盟と総理との話でございますから、従って私のお尋ねいたしているのは、そういう事実があった後1あったことは事実でございますが、その後に、今申しました決済方式の問題、代表部設置の問題、見本市の問題等については、政府としてこれをどういうふうに具体化して協力したらいいかというようなことについて、事務当局に何らかの御指示がございましたでしょうか。
  46. 下田武三

    ○下田政府委員 少くも外務省の経済局、条約局に関する限りは、政府側からこれに関しまして指示を受けておりません。
  47. 穗積七郎

    穗積委員 声明文の中にも、今のそういう支持、協力という言葉が使ってございますが、先ほど申しましたように、先月二十七日にはっきり内容を説明した上で、鳩山さんの言葉をかりれば、それら重要な三つの問題については当然なことである、それは実現できるように努力しますという返事をいただいたわけです。そうして同時に、あなた方が——正式にはさっき言われておる通り、何ら通告を受くべき義務を持っておらないわけですが、しかし新聞紙その他を通じてごらんになったということで、その内容を見れば、今申しましたような政府の協力なくしては実現が非常に危ぶまれる内容を持ったものなんです。従ってもしそういう政府からの事務当局に対する具体的草案を作るべき何らかの指示がやがてあるだろうと思うのですが、その事前に——そういう事実を少くとも局長としては情勢をごらんになっているわけですから、従って事務当局に何らかの試案のようなものがございましょうかどうか、伺っておきたいと思います。
  48. 下田武三

    ○下田政府委員 別に試案というものはございませんが、しかし現実の問題になりました場合の態度というものはあらかじめはっきりいたしております。
  49. 穗積七郎

    穗積委員 経済局長の御答弁をいただきたいと思います。
  50. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 新聞等で拝見しているだけでありますが、何かそういう御指示があったときに具体的に考えて参りたいと思います。
  51. 穗積七郎

    穗積委員 それでは大体要を得ませんから、総理または外相の御出席のときに具体的に政府のお考えを伺いたいと思っておりますが、最後に一点下田局長にお尋ねします。指示のあったとき態度がはっきりしているということはどういうことでございますか、内容についてでございますか。
  52. 下田武三

    ○下田政府委員 この内容につきまして一番法律問題と関連がありますのは、通商代表部の問題だろうと思うのですが、通商代表部の問題につきましては、これが初めての問題でございませんので、従来の先例その他も十分研究いたしておりますし、現在の段階でこの協定に書いてありますような外交官待遇の特権を有する通商代表部の設置というようなことが起って参りますと、これに対する態度は法律的には国際先例にかんがみましてはっきりいたしております。
  53. 穗積七郎

    穗積委員 そのはっきりしているということは、外交官待遇を与えることができるというのですか、できないというのですか。
  54. 下田武三

    ○下田政府委員 現在はできないということにはっきりいたしております。
  55. 穗積七郎

    穗積委員 それでは鳩山さんがそういうことに対して御返事なすっていられますから、どういうおつもりでなさったのか、いずれそれは御自身から直接伺いたいと思います。  経済局長にちょっとお尋ねしますが、決済方式の問題は、日本銀行が参加をして、日本銀行に人民銀行の口座を設けるということになっておるわけですが、それらの方式についてはどういう方式——今後具体的な手順として日本銀行と人民銀行間における協定等が必要になろうかと思いますが、今までの先例等も見まして経済局長の御意見、お考えはどうであるか、個人的お考えでけっこうでありますが、最もリーズナブルなものについてのお考えを伺っておきたいと思います。
  56. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 個人としてのお答えになりますが、私ども実はこの協定の正文も拝見しておりませんし、また妥結に至るまでの裏面の詳細な経緯にも通じておりませんが、中共貿易の決済について私どもの考えておりますことは、これは現在の日本の戦略資材の禁輸、それから中共側では消費財の輸入は好まぬといったようなことで、どうしても日本の輸入超過ということに傾向がなりがちなので、これをできるだけ均衡するような方式をとりたい、こういうことを考えております。それで現在は逆トーマス方式というものを使っておりますが、この新聞で拝見したところでは、日本銀行と向うの人民中央銀行との間に協定をする、こういう問題がございます。これがこの通り正しいといたしますと、非常に特殊な銀行である日本銀行がこういう協定に参加した方がいいかどうか、またそういうことと政府承認といったようなものは関係がないかといったような点も一つ研究する必要がある。それからまた一般の銀行政策の問題もあるでしょうから、外務省だけではきめられず、大蔵省その他関係省とも十分協議をしなければならない。そういったいろいろな点を承知した上で慎重に研究したいと思うのであります。しかしその協定によりますと、これには時間を要するだろうという前提だろうと思いますが、その協定ができるまでは英ポンドで決済をするというふうになっておりますので、さしあたりは大体従来の方式、できればそれをもう少し自由にする道も発見できるかと思いますが、そういった方式でやっていきたいと思っております。
  57. 穗積七郎

    穗積委員 最後にお尋ねしておきますが、国際見本市を向う側のが本年度中に東京において云々ということになっております。その問題と、それから今の円建ですね。決済を今まで英ポンドであったものを円建にするということですが、そういう円の国際性というか、自主性を回復するというような政策が今度のこの問題を通じて出てくるわけですが、そういうものについてアメリカ側との間に支障を来たすようなことを予想しておられますかどうか。その二つの点について条約局長のお見通しを一つ伺っておきたいと思います。
  58. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 私からお答えさせていただきますが、見本市の問題につきましては、私どもは、初めは見本市はけっこうである、ただ中共と日本だけののでなくて、今現に東京においてやっておりますが、ああいった国際的見本市に中共も参加するといった方式がいいのではないか、こういうふうに考えておりました。そういうことであれば、これは来年も見本市に参加をするということになります。  それからもう一つの円建というのは協定にございましたでしょうか。私ちょっと新聞で拝見したところでは、ないようです。ポンド決済……。
  59. 穗積七郎

    穗積委員 これはそういう含みでございます。日本銀行に特別勘定を置くということですね。
  60. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 先ほどお話ししましたように、裏面の経緯、含み等について私どもはあまり通じておりませんので、そういった点があればいろいろな形が考えられると思いますが、方式を詳細に伺った上で考えることにしたいと思います。
  61. 穗積七郎

    穗積委員 それでは中国のだけの見本市ということは困難でございますか。それが一点。  それから今の円建の方式は、日本銀行に向う側の勘定を設置して、向うの払いの場合にはその勘定に借り方の記載になり、こちらから払うのは貸し方の記載になる。こういうことですが、円で表示されるわけですね。従って英国を信用状その他通る必要もございませんし、従ってすべて直接的に手続も簡素化されると思いますが、そういう問題について、国際的に今の日本の立場として何かそれに障害になるような、特にアメリカとの関係において障害になるような配慮すべき条件があるかどうか。その二点をもう一ぺんお答えいただきたいと思います。その円建の問題については仮定でよろしゅうございます。
  62. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 円建の問題については、私としては今初めて伺ったわけですが、第一、日本銀行が先ほどお話しましたように、この協定に直接参加することが可能であるかどうかという問題があります。その上でもしそれが差しつかえないということになった場合、今の問題が出てくるのだと思います。相当テクニカルな問題がありますので、大蔵省その他ともう少し協議してみないと、私には何とも申し上げられません。
  63. 穗積七郎

    穗積委員 それから見本市の問題で、中共だけの単独の見本市は困難でありますか。
  64. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 この協定の最終的段階でどういうふうになったか知りませんが、私どもの知っております限りでは、現在の日本と中共との関係では、お互いに単独の見本市を持つということは、やはり政治的にいろいろ考慮をしなければならないから望ましいことではないというようになっておったのでございますが、その後総理とのお話がどうなったか私は承知しておりません。
  65. 穗積七郎

    穗積委員 お尋ねした点についてお答えいただければ、それで打ち切るつもりでしたが、ちょっと不明確でございましたから……。私が先ほど下田条約局長に特にお尋ねしたのは、政治的な問題についてこれは内閣自身が判断されるわけでありますから、国際法上そういう障害があるかどうか、それをちょっと明らかにしておいていただきたいと思います。
  66. 下田武三

    ○下田政府委員 見本市の問題につきましては、これは法律の問題は入って来ないと思います。もっぱら政治的、経済的考慮で決定さるべき問題だと思います。  通商代表部の問題は、これはどうしても国際法の問題が入って来ざるを得ません。そこで先ほどの御説明を補足させていただきますが、私が現在の段階で設置を認めることができませんと申し上げましたのは、外交官特権を有する正規の通商代表部の設置はできないということで、民間の通商代表部でしたら、これは差しつかえないわけであります。しかし法律の見地からいいますと、まだ条約関係も全然ない困り人間が入って来るのでありますから、日本はお前は入国させないという自由もあるわけであります。また滞在させないという自由もあるわけであります。しかしながら鳩山総理の御意思が協力と支持を与えるということにあるといたしますと、たとい条約関係のない国の人間でありましても、入国させることもできますし、滞在させることもできます。しかし外交官特権はどうしてもできません。なぜかと申しますと、一国を代表する政権が二つ入りまして、外交官特権を認めることは、これに伴う特権、礼遇をすべて与えるわけであります。たとえば天長節で宮中に入るときに、やはり外交特権をもって礼遇をやるなら、中共の人も招かなければならない。宮中の宴会で国民政府側とけんかを始められたりしてはたまったものではありません。国際法上、国際慣例上おのずからできないことがあります。これはどうしてもいたし方ないと思います。しかしこれに支持と協力を与えるということが政府の政策でありますならば、何ら権利のない者にも入国の権利を認める、何ら滞在の権利のない者にも滞在の権利を認めることは、これは政治的考慮からなし得ると存ずるものであります。
  67. 穗積七郎

    穗積委員 大体国内におきまする今の外交官待遇云々ということは、おそらく限度がございましょうし、そしてその内容も旅行の自由であるとか、いろいろな警察の監督それから条約とかいろいろな問題があろうと思います。そういうような問題については事実上可能でございますね。
  68. 下田武三

    ○下田政府委員 国際法及び国際慣例と矛盾しない限り、政治的または経済的考慮から、事実上の好意——フェイヴアーを与えるということは可能であると思います。
  69. 穗積七郎

    穗積委員 その中で一つお尋ねしますが、商取引のことでございますから場合によって秘密を要する場合もあると思います。そういう場合に暗号電報その他を使用することはどうなりますか。
  70. 下田武三

    ○下田政府委員 これも法律問題ではございます。つまり国際電気通信条約という条約がございまして、政府向けに打つ電報、あるいは政府から受ける電報は暗号を使用する特権が認められております。しかしこの場合に条約上の政府と認めるかどうか。国民政府政府として認めておりながら、もう一つの中国を政府として認めるかどうかという、実は条約との関係において問題があるのでありますから、これは従来の例から見ますと、国際電気通信条約政府というものは、何も一国の政府という厳格に解していない前例もありはしないかと思います。これはもう少し研究を要しますが、電気通信条約との関係は多少融通がきく問題ではないかとただいま思っております。
  71. 穗積七郎

    穗積委員 湯川局長にもう一点お尋ねいたします。先ほどおっしゃいました見本市、これは単独では相当困難だということは今の両局長のお答えでもって、法律上の問題ではなくて、政治上の理由だということが大体明らかになったわけですが、その政治的に配慮しなければならない条件というものはどういうことでございますか。
  72. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 これは政策の問題でありますが、私ども最近まで承知したところでは、国際的な見本市もあることであるから、そのときに参加するということでいいのじゃないか。特に今の正常な国交関係もない中共との現実の状態においては、二国だけで特別の見本市をするということは、政策として好ましくない、こういうふうに了解しております。
  73. 穗積七郎

    穗積委員 それはもとより局長の個人的御意見でございますね。あるいは外務省としての御意見でございましょうか。
  74. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 これはもとより政府のきめられることでありますから、大体そういう方針というふうに今までは了解をしておったのでございます。従って私個人がそういうことを特に考えたわけではございません。
  75. 穗積七郎

    穗積委員 大体わかりました。これ以上のことは総理または外相に直接お尋ねしたいと思っております。それから一つだけ、あなたの今までの理解の範囲でけっこうですが、国際見本市を開くという建前でした場合に、中国以外の国が参加しないということ、事実上中国一国だけが見本市を開くような結果になった場合はどうなりますか。それでも困難ですか。
  76. 湯川盛夫

    ○湯川政府委員 国際見本市を開くという場合には、いろいろ参加してくれるであろう国と相談をしてやります。現在東京でやっておりますのは約二十カ国が参加しております。全然ほかの国が興味がない、一国しか参加しないという場合に、国際見本市を開くかどうかということはまた別途の見地からきめられると存じます。
  77. 松本七郎

    松本(七)委員 関連して、条約局長にちょっとお尋ねしておきたい。これは近い将来に中華人民共和国が国際連合に加盟するということは十分あり得ると思います。そうすると蒋介石政権の代表とこれが両方、国際連合の加盟国になるということは十分考えられると思います。そういう場合には両方の政権の代表に外交官待遇を日本でも与えるということになってくるでしょうか。
  78. 下田武三

    ○下田政府委員 御指摘の国際連合国民政府と中共側と両方が加盟するということは、私どもちょっと考えられないと存じております。つまり中共加盟と言っておりますが、実は中国の代表権の問題でございまして、国連における代表権を国民政府側が行使すべきや、中共側が行使すべきやという問題でございますから、日本という国が新たに加盟するという問題とは別の問題でございまして、従って国連でこの問題が解決するという暁におきましては、中国の正統政府がはっきり中共であると認められたときにいわゆる中共の加盟問題は解決するのだろうと思います。従いまして日本といたしましても、そのような国連という国際機関でそう認定されましたならば、日本の取扱いもおのずからそれに準ずることに相なると思うのであります。
  79. 高津正道

    高津委員 関連して。条約局長に聞きますが、日本が中国からの通商代表部に対して外交官の特権を与えれば、儀式などにお招きした場合に両方が出てけんかなどがあれば、という一つの困難な実例が指摘されたのでありますが、そういう場合は、そういうことのないようにということをはっきり約束させれば、それは解消すると私は思うので、それでその他の場合があり得るものかどうか、その他の場合を聞いておきたいと思います。
  80. 下田武三

    ○下田政府委員 宴会の場合のけんかは、どうも適切な例ではなかったのでありますが、問題はその前提なのであります。つまり外交官が任国に来て特権礼遇を受けますのは、その国の正統政府代表者であるというところからくるわけであります。従いまして中国という一つの国から国民政府側と中共政府側との両方が中国の代表者なりとして任国で並存し得るということは法律上どうしても不可能なわけであります。それでございますから、その法律上の不可能であるというところから先ほどの例を申し上げましたが、どだい前提が不可能なのでございますから、同じ宴会に両方が出てくるということも実はあり得ないわけであります。
  81. 高津正道

    高津委員 インドパキスタンと二つに分れた、そういうことになればそういう問題は一切解消するわけですね、そう考えていいですか。
  82. 下田武三

    ○下田政府委員 仰せのようにはっきり二つに分れてしまいますか、あるいははっきり一つの政権のみが正統政府になるか、その二つの解消方法しかないと思います。
  83. 植原悦二郎

    植原委員長 本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。     午後零時三十五分散会