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1955-07-23 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月二十三日(土曜日)     午前十時四十七分開議  出席委員    委員長 高岡 大輔君    理事 臼井 莊一君 理事 辻  政信君    理事 堀内 一雄君 理事 中山 マサ君    理事 戸叶 里子君       赤城 宗徳君    保科善四郎君       眞崎 勝次君    山本 勝市君       山下 春江君    柳田 秀一君       受田 新吉君    小林 信一君  委員外出席者         参  考  人         (靖国神社権宮         司)      池田 良八君         参  考  人         (靖国神社奉賛         会理事長)   館  哲二君         参  考  人         (靖国神社奉賛         会事務総長)  大谷藤之助君         参  考  人         (靖国神社奉賛         会事務局経理課         長)      中村 清一君     ————————————— 七月二十三日  委員山村新治郎君辞任につき、その補欠として  山本勝市君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 七月十九日  ソ連抑留胞引揚促進に関する請願坂田道太  君紹介)(第四三一六号)  ソ連抑留胞引揚促進に関する請願草野一郎  平君紹介)(第四三四五号) 同月二十二日  ソ連抑留胞引揚促進に関する請願平田ヒデ  君紹介)(第四四五八号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  遺家族援護靖国神社における英霊合祀に関す  る問題)に関する件     —————————————
  2. 高岡大輔

    高岡委員長 これより会議を開きます。  本日は靖国神社における英霊合祀に関する問題について参考人より事情を聴取することにいたします。  本日ここに御出席を願いました参考人方々は、池田良八君、館哲二君、大谷藤之助君及び中村溝一君の諸君であります。  では、これから参考人より事情を聴取することといたしますが、その前に一言参考人各位に対しごあいさつを申し上げます。参考人各位には御多忙中のところ御出席下さいまして、委員長より厚く御礼を申し上げます。本特別委員会は御承知のように海外同胞の引き揚げ及び遺家族援護諮問題についての調査を行なっておりますが、特に遺家族援護につきましては各般にわたり調査検討いたして参っているのでありますが、現在靖国神社における英霊合祀が滞っております状態につきましても、その事情を聴取し、本委員会調査に資したいと思いますので、この点お含みおきを願いまして、詳細に事情をお述べを願いたいと存じます。  まず、池田参考人より、靖国神社における現在までの英霊合祀状況及び未合祀英霊に対する今後の合祀計画等について事情をお伺いいたしたいと思います。池田参考人
  3. 池田良八

    池田参考人 靖国神社の現在の合祀状況について申し上げる前に、戦前状況と少し違ったところがありますから、比較をして申し上げます。  終戦前の合祀状況は、戦没者調査いたしまして、お祭りを申し上げる予定のものを陸海軍当局でおきめになって、それをお祭り申し上げ、霊璽簿をそれによって調製いたしまして、それから各御遺族に対して合祀をする通知状合祀祭に御招待する招待状を差ししげまして、期日がきまりましたときに招魂式を行います。その招魂式によりまして、お招き申し上げましたおみたまを直ちに御本殿にお移し申し上げまして、御木殿の御正座にお祭りを申したのであります。御木殿にはその当日各御遺族に御参拝いただきまして、それで合祀が全く終ったのであります。  戦後におきましては、終戦の当時の特殊な事情によりまして、そのときに靖国神社にまだお祭りを申し上げられない戦没方々が、大体一二、三十万柱いらっしゃるということでありましたが、そのまだお祭りを申し上げない方々をどうするかという問題がありまして、終戦の結果陸海軍がなくなる直前でありますが、一番責任を感じておられます陸海軍におきましては、その方々を何とかしてお祭りを申し上げなければならないということになりまして、関係官内名方々や内務省の神祇の方々に集まっていただきまして、二十年の十一月十九日にそのお祭りを申し上げない百数十万の方々招魂をいたしまして、お祭りをいたしまして、その方々のみたまを御本殿におおさめするということになったのであります。これは従来のように一々お名前霊璽簿に謹写してお祭り申し上げるということは当時の事情でできないのでありまして、それで、結局おみたまだけをお迎え申し上げまして、御木殿にお移しする。お移しするには、御正座に沿いまして、われわれの言葉で言う相殿にお祭りを申したのであります。そして、逐次資料集まりました方々からお名前を謹裁いたしまして御正座にお祭りを申し上げるという話し合いになっておったのであります。それで、予定通り二十年の十一月十九日にお祭りを申し上げまして、お祭りを申し上げましたおみたまは御木殿お相殿にお移しいたしまして、逐次お調べがつきました方々から毎年時期をきめまして御正座にお移ししてきたのであります。  かように、戦前と戦後との状況は違っておりまして、みたまはお招き申し上げましたけれども、その霊璽をお祭りできない方々がまだたくさんおありになるという現状であります。結局、ただいまどうなっておりますかと申し上げますと、お名前をお調べいたしまして御本殿におおさめ申し上げましたおみたまが、大体七十六万柱ばかりいらっしゃいます。そのお方々の御遺族に対しましては、一昨年からそのお祭りが済んでおりますという御合祀通知状を差し上げております。あとまだ大体百二、三十万のおみたまが、その霊璽簿に謹戒されない方々おいでになりますので、合祀が完全に行われないおみたまが百二、三十万いらっしゃるというのが現在の状況でございます。  一応これで終ります。
  4. 高岡大輔

    高岡委員長 それでは、次に、館参考人より、靖国神社奉賛会の性格、事業及び英霊合祀計画等についての事情お話し願いたいと思います。
  5. 館哲二

    館参考人 ちょっと私の立場を申し上げたいのでありますが、私は靖国神社総代の一人であります。それから、ただいま、靖国神社奉賛会というものを一昨二十八年に発足したのでありますが、それの副会長兼理事長をやっておりますので、その立場から申し上げたいと思います。  今池田権宮司からお話がありましたように、従来は全部陸海軍の方で手続をしていただき、お世話を願っておったのが、陸海軍が解消せられました関係上、靖国神社が単独の宗教法人としてやらなければならない。そのためには、今申し上げましたような霊璽簿の調製なり通知状を出しますには相当の金額がいるのであります。これについて靖国神社自体で何とか考えなければならないのでありますが、終戦時私ども総代を承わった時分には、一体靖国神社自体が存立するかせぬかという危ない時期であります。社頭はすでに非常にさびれてしまっておりまして、とうてい靖国神社が自分でまかないがつかないような状況でありまして、ただ、靖国神社の境内から申しますと、元の遊就館を富国生命に貸しまして、その家賃が当時入って参りました。それから、国会前にあります遺族クラブと称しまして元の陸海軍将校集会所でありますが、あれを終戦後私が理事長で引き受けまして遺族クラブというものにしたのでありますが、あれを靖国神社に奉納いたしまして、それを今駐留軍が使っております。その家賃というようなので辛うじてやってきたのでありますが、幸いにもそのうちだんだん御社頭も栄えて参りまして、現在では靖国神社経常費だけまかなっていくことはできます。しかし、今のように二百万近い英霊合祀を完全に終了するというだけの臨時的な費用というものは出てこない。どういう方法でやるかということにつきましては、かれこれ国会方々にも御相談を申し上げたりしたのでありますけれども、結局、宗教法人であるという立場上できない。そこで、仕方がないから、靖国神社自体が何らかの方法考えられなければならぬというので、寄り寄り実業界の万両にも相談をいたしましたのが二十八年の初めころであります。そこで、結局はやはり奉賛会というものをこしらえて、そういう方面の臨博の費用というものを全国民の喜捨によって出していくより以外にないのじゃないかというので、二十八年の十月に各方面の御賛同を得まして靖国神社奉賛会というものをこしらえたのであります。それが発足しまして今日に及んでおるのでありますが、初めの計画としましては、二百万の英霊を完全に御奉祀申し上げるというために、大体経費的に申し上げますと、元の陸海軍あと仕事をやっていただいております世話課なり何なりの方面からいろいろな資料をいただき、お世話を願っていくのでありますが、それらの調査などをして霊璽簿をこしらえ上げ、あるいは、何百万になります神霊でありますから、それの索引簿をこしらえましたり、あるいは一応の経歴簿をこしらえましたりするために、全体として要りますのは、一柱について百円くらいずつの金がかかるのであります。そうしますと、二百万と予定をいたしますと二億円をこす金がなければならぬ。それから、御奉祀申し上げまして遺族の方に御通知を差し上げて、その際、これは鉄道の方にも御心配をいただいて半額の汽車割引券を二枚入れて差し上げて、そして参拝をしていただきたいという御案内を推し上げるわけであります。参拝をしていただきました方に対して一応の接遇をしなければならぬ。これは、戦前でありますと、陸海承の方から費用もいただいておりましたし、それからまた、私ども当時関係しておりました軍人援護会などというものからもいろいろおみやげを差し上げたりして、相当な御接待もできたのでありますが、今日はとうていそういうことはできませんが、まあ御紋菓を差し上げたり、おみきを差し上げたりするような金にいたしましても、やはり百円くらいはかかる。従ってやはり二億円くらいの金がかかるというようなことで、四、五億円の金は、それを完全にやりとげるためにはかかるというので、この金を一つ全国崇敬者からお願いをすることにしようというので発足したのが奉賛会目的であります。  これは大体三年くらいの間で実は片づけるつもりで発足したのでありますが、経済界のいろいろな事情がありましたり、また、いろいろ各地方お願いをするのに、あるところには災害がありましたり、いろいろな事情がありましたりして、手おくれをいたしまして、今日各地方支部をこしらえていただいておりますのは十四府県であります。そうして、今年の来月から九月ころにかけましてまた十三、四府県支部をこしらえていただく予定になっております。そうしますと、全国の大半の府県がやっていただくようになるのであります。これによって今の所期の目的のものを集めていきたいというので、実は、神社自体として、遺族のお気持も察しまして、金が集まらなくても仕事一つ着手しようというので、当初百五、六十人の臨時職員を入れましてその仕事をやりました。その結果としまして、今権宮司から話がありましたように、今日まで七十万ほどの御英霊に対しましての通知状を発送することができて、合祀を完全にすることができたのであります。ところが、現在予期通り寄付金集まりがないのであります。最後には目的は達し得るとは思いますけれども予定のように迅速に参りませんので、実は人減らしをしまして、現在は九十人ほどの臨時職員でやっております。しかし、これはできるだけ早くやらないと遺族のお気持にも沿わないと思いまして、今後約二年ほどの間にはこの仕事だけは完了したいというつもりでかかっておるのであります。  それから、もう一つ奉賛会目的の中にあるのでありますが、御承知のように、神社自体は戦災を直接に受けなかったのでありますが、いろいろやはり焼夷弾が落ちましたりして焼けた部分もあります。それから、御承知のように、遺族の方がこのごろは団体で参拝をされる方が非常に多いのであります。農繁期を除きまして、ほとんど毎日幾組かがおいでになる。ところが、あそこで休んでいただく場所もないというような状況でありますので、ぜひとも一つ参集所というようなものをこしらえて、せっかく汽車で疲れておいでになった方に足を伸ばしていただくような場所がどうしても必要だと、非常に強い要求もありました。これらの接遇の設備をやろうというので、この金も実はあわせて奉賛会目的の中に入れて募集をしております。  従いまして、奉賛会としまして全国に呼びかけて募集をしておりますのは六億七千万円であります。ただ、非常に集まりが少いのでありまして、現在までの状況をちょっと御参考までに申し上げますと、現在までに集まりました金は全体でまだ五千七百万円、一割までにもならないような程度であります。これは、各支部結成さえできますれば、案外迅速に結成ができたところは集まっておりますので、私どもはそう悲観はしておりません。支部結成さえできますれば相当な程度目的の金は集まり得るのではないかというように考えております。奉賛会結成いたしました目的及び現在までの状況は今申し上げた通りであります。
  6. 高岡大輔

    高岡委員長 次に、大谷参考人より、靖国奉賛会における英霊合祀計画について補足的に御説明々願いたいと思います。
  7. 大谷藤之助

    大谷参考人 ただいま御説明がありましたように、奉賛会事業としていろいろ事業をあげておりますが、合祀あるいは遺族さんの接遇の問題、あるいは御社頭整備復興の実施なり、その実施のための計画神社側でやる、奉賛会資金造成をやるということが会の原則として取りきめられておるのであります。実際事業神社の方の立場でやってもらうということになっておりますので、計画自体はむしろ神社の方で御説明願う方が工合がよいのではないかと思います。  ただ、この計画裏づけになる資金面でございますけれども、現在までの状況は先ほど理事長さんからお話が出た通りでありますが、向う二カ年間ということで、合祀の終るまでには三カ年間でやはり資金造成ができなければならぬという問題がございます。この問題で、実際それではどのくらいな計画裏づけになる見通しを持っておるかといいますと、先ほどの説明で尽きておるかと思いますけれども、私自身、これは理事長さんなりあるいはその他の方と考え方が違うかもしれませんが、実際木会立場で各県と折衝したところを見ますと、発足した県の御返事をその通り受け取れば、大体発足して半年間には概成いたしますということをどなたさんも本部長さんは申されるわけでありますが、当節のような事情でありますから、おそい県では、大体今日一年になっておりますけれども、まだ二、三割しかできないという程度でありますので、必ずしもどうも受けた御返事だけでは参りません。従いまして、今二年ということで本会としても調達してやらなければならぬということで馬力はかけておりますけれども、この点は多少延びる懸念がありはしないかという点を事務局でも心配しておるわけでございます。
  8. 高岡大輔

    高岡委員長 次に、中村参考人より、英霊合祀に要する経費靖国奉賛会事業に要する経費等についての説明を願いたいと思います。
  9. 中村清一

    中村参考人 奉賛会経費につきましては、お手元に差し出しました事業計画の概要によりまして大体の計画をいたしております。現在まで奉賛会の支出した計数の概略を申しますと、奉賛会が始まりましてから現在までに受け入れた奉賛金は、先ほど理事長からお話がありましたように五千七百万円であります。その五千七百万円のうち奉賛会として靖国神社の方に送納をいたした金額は四千八百五十万円であります。  奉賛会は先ほどのような関係寄付金募集に当っておりまして、事業神社の方の事業として遂行しておるのであります。奉賛会自体経費の概況を申しますと、二十八年の創立当初の年度における経費総額は三百六十万円であります。それから二十九年度、これは会計年度と同じでありますが、一千九十万円であります。合計いたしまして約千四百万円ばかりでございます。大体その程度でございます。
  10. 高岡大輔

    高岡委員長 これにて一応参考人より事情を聴取いたしました。  この際、参考人に対する質疑の通告がありますので、これを許します。堀内一雄君。
  11. 堀内一雄

    堀内委員 日本の軍人軍属戦死病没の際に靖国神社合祀されることを無上の光栄としておったのでございますが、これを期待して死んでいったのに、今日、終戦後十年になりましても、なおかつ半分以上の英霊合祀されておらないということは、まことに申しわけないことと存ずるのでございますが、この点について今まで神社当局並びに奉賛会方々の非常な御尽力をいただいたことは、われわれ感謝する次第でございます。これはただその方々の御努力にのみ御期待いたすことでなく、何とかして国家で合祀を促進していくということを念願して、この委員会で今日までいろいろ検討した結果、実情をお伺いすることになって、本日お伺いするわけであります。  最初に、今御説明になった事柄のうちで、ちょっと不明の点がありますので、その点まず池田参考人にお伺いいたしたいと存じます。戦後この英霊奉斎のことを急速にやらなければいかぬというので関係者が集まって案を立てたというその時期はいつごろでございますか。同時に、そのときに百二十万柱云々というふうに説明されましたが、これはおそらく二百十万の逆の間違いじゃないかと存じますが、その点まずお伺いいたしたいと思います。
  12. 池田良八

    池田参考人 その協議の時期は二十年の十月の初旬かと思います。——今はっきりした記憶はありませんが。それから、もう一つ、百二十万と申しましたのは、そのときの話で百二十万と申しておりました。あとでだんだん判明いたしました結果百九十八万。これは時期のずれがございますから、そのときに話が出た柱数を申し上げたのでございます。どうぞ御了承願いたいと思います。
  13. 堀内一雄

    堀内委員 その次に、館参考人にお伺いいたしたいのでございますが、今後二年間に完了予定ということでございますが、奉賛会が二十八年の七月に発足されて、二十九年以降、二十九年、三十年の合祀は三十五万柱であるように聞いておりますが、それが今後二年で合祀完了をする予定というお見込みは、どういうところから起っておるのでございましょうか。
  14. 館哲二

    館参考人 実は、奉賛会をこしらえましたときに、三カ年間で完了したいという建前でかかったのであります。というのは、御遺族気持から言いましても、終戦後長く一向合祀通知も来ないという御不平が非常にあるので、そのお気持を察しまして、一つあげて努力をして三カ年間で完了したいというつもりでかかったのであります。ところが、先ほど承申し上げましたように、経済界が不況にぶつかってきたということ、また、同じような種類のといいますか、神社方面募金がいろいろはち合せしておるというような状況もあったりしまして、各地方へ行きますと、なかなか予期通りにすぐに応諾をしてこれに取りかかっていただくことはできない。もう一つありますのは、各地方護国神社が焼けまして、そのためにその復興をやらなければならぬというような関係もありまして、なかなか地元との折衝に時間がかかる。そのためにずっと下打ち合せに今まで時間がかかったのであります。今日までようよう十四府県だけが完了しまして、大体下打ち合せば各府県大部分進んでおります。そこで、ただいつ地方本部発足するかというような時期に向いてきておるのであります。もう一つつけ加えておきますが、たとえば、知事の選挙があるとか、地方選挙にぶっつかったりしまして、やると言っておきながら、ついそういうことで延びております。一応これも片づいたというので、この八月、九月の間には、今のところ十一が発足していただけると思います。それが発足いたしますれば、他の府県も相次いでやっていただけるという見通しを持っておりますので、地方本部結成はそれほど手間取らずに全国に及ぶのではないかと思っておるのであります。そうしますれば、これは地元熱意いかんにもよりますが、今大谷事務局長が言いましたように、ところによってはなかなか集まりにくいところもありますが、なかなかよい成績で集めていただいておるところもあるのであります。これは私ども努力いかんにもよるわけでありますが、これをできるだけ早く進めて、二カ年間に完了してもらいたいということをはっきり言い出していこう。その金さえ集まってきまして、今減員いたしました臨時職員をもう一度ふやして仕事を進めていくということになりますれば、予期通りの数はやれるのではないかという考えから申し上げた次第であります。
  15. 堀内一雄

    堀内委員 ただいまのお話で、支部結成が済めば大体金は集まるだろうというお話なんですが、募金について、二十八年、二十九年、三十年、各年にどのくらい集まっておるか、それから府県別で、要すればあとでもいいのですが、どんなふうに集まっておるかという状態中村参考人からお伺いしたいと思います。
  16. 中村清一

    中村参考人 お答えいたします。先ほども申しました五千七百万円の奉賛金内訳は、創立以来の総計をまず申し上げたいと思いますが、本会で直接受け入れたものが二千七百六十万円、その内訳は、法人が二千三百六十万円、個人その他社頭の方に参りましたのが約四百万円、それから地方本部府県の方から集まりましたのが三千二十万円、内訳を申しますと、東京都が千五百三十万円、福岡県が五百五十万円、岡山県が四百十万円、大分県が二百五十万円、佐賀県が五十万円、徳島県八十万円、三重県百万円、鳥取県四十万円、以上の通りであります。これを年度別に申しますと、二十八年度は六十四万円であります。二十九年度が四千百六十万円、それから本年度三十年度の六月までが千四百八十万円、以上の合計が五千七百万円であります。
  17. 堀内一雄

    堀内委員 ただいまの募金状況から見まして、今後二カ年で果して百二十万余柱の合祀ができるかということについては私は非常に必配なのですが、これについて、今後の募金計画というようなものが立っておりましたら、それをお伺いしたいと思います。
  18. 大谷藤之助

    大谷参考人 各県で今結成されておりますのは、先ほど申し上げた十四県で、この九月ごろまでに大体日取りが確定し、日取りが確定しなくても結成すると今本会で大体見通しております県は、約十三県ないし十四県ございます。そうしますと、大体この九月の末までにはおよそ二十七、八県ないし三十二、三県の程度までこぎつけられる、かように考えております。実は、奉賛会は二カ年で終るという計画は、決して始められた県が三年やってもらうということでなくて、準備期間も要るから、当年度内になるべくすみやかに準備を終るようにしたい、そして、各県のいろいろな募金がありますから、適当な時期にスタートしていただくけれども、およそ年度内に発足して全国大体概成してもらうということが初めのねらいであります。その他の情勢もありますけれども、今の段階になりまして私どもが今年二十県作る、あるいは来年二十県作るという計画は、実は、当初は二カ年の計画で、この県はよさそうじゃないかということでいろいろ瀬踏みしてやりまして、今年は二十県なら二十県で概成したい、こういう本会計画でありましたが、しかし、実際に現場に臨んで折衝しますと、幾らかような計画を机上でやりましても、現場との話し合いではその通り参りません。本会としては、六県発足をし、その六県の次の準備会発足を持つまでは、ほとんど二カ月間出っ放しに出て、やはり足を運ばなければ、机の上のやりとりでは幾らやっても感情を害するだけで進まないというような点もありまして、本会として最大限の手足を使ってやっても、今日のこの状況になっておる。先の計画を本年はやりたいという考えを持っておりますけれども、今のところ、この秋までにこの概成ができれば、その他の県はあまり無理押しをしてこちらからお願いすることもできにくいことでありますし、大半ができれば、よその県もやはりやろうじゃないかということで、率直に申しますと様子を見る、足もとを見られておるということが言えますが、そういう点もありまして、過半数が一応動き出せば、本年末あるいは年度末の来年三月までには、県の特殊の事情のない限りは、こちらからは受けて立っても発足は大体めどがつく、こういうふうに私どもの方では見通しております。資金造成もありますけれども、全額が計画的に造成してもらうことを当年度内ということでお願いしておりますが、これは必ずしもそうはいかぬわけでありますけれども、実際の集まり状況は、やってもらっておるところは町村でもどんどん完結していくわけであります。おそいところは、やはり手がつかないから、県としてのまとまりが悪いわけでありまして、いわゆるスタートを切られた単位々々の市町村ではまとまりは早いわけで、その金も団体的に送っていただけますから、奉賛会の奉仕事業も、これからは十七、八の府県から百万円ずつ流し込んでもらっても何とかまとめていける、かような見通しを持っております。
  19. 堀内一雄

    堀内委員 ただいまお伺いした中に、いま一つあるのですが、募金と申しますか、会費と申しますか、先般ちょうだいしました規定を見ると、みんな会費として募集しておられるようでありますが、そうすると、会費に対して各県にどのくらい割り当てるというような計画になっておるのですか。その辺をお聞きしたいと思います。
  20. 大谷藤之助

    大谷参考人 会費と書いてありますのは、実は神社としてこういう計画をいたしますのに、伊勢神宮さんなり明治神宮さんなりその他でやっておりますのを参考にしたわけであります。この計画は二年か三年前でありますが、従来やっておられるのはみんな奉賛会の会員募集ということで、個人の会費ということになると税とかいろいろな問題がないのであります。そうじゃないと、寄付にはいろいろ税金もかかるというような話を聞いたこともありますし、一応名官ではそういうことでやっております。ただ、そこで疑問が起りますのは、会費というのは毎年奉納するのじゃないかという御懸念がありますが、一回限りで、神社の当面の費用があがれば、むろん継続しない。一回限りということは年月日を添えてその会員の了解を求めることになっております。そういうことで、特別な会員ということで、いわゆる普通の会費とは趣が違う。それから、六億七千万円の各県への割当ということは、これは符付金でありますから、決してそういうことはできません。数字で赴いたものをこちらからお願いするということになりますと、なかなかそこが機微な問題でありますが、出向いていってやられる前に、各県の準備会委員にお集まりいただきまして、そういう方々と御相談して、これならやっていけるというくらいなところで大体各県にお願いする。決して別当とか強制寄付とかいうことにならぬようにしたいということでやっております。十四県だけで滞りなくやっておりますが、大体、現在共同募金とかいろいろな募金もありますので、皆さん見当はつけておられます。あとの県にこれだけだということは、本会としてはお願いもできない。そういうようなことでやっております。
  21. 堀内一雄

    堀内委員 そうしますと、会員ということにはなっておるが、それは大体県、市町村というものを対象とし、それが会員という名前になって会費を納めるということでありますか。
  22. 大谷藤之助

    大谷参考人 奉賛される個人の崇敬者が会員になるわけであります。団体はなるべく避けてもらって、個人というので、団体にも代表者のお名前をちょうだいしております。個人の方が会員になり、市町村が会員になっておるということはもちろんありません。そういう立て方であります。
  23. 堀内一雄

    堀内委員 そうしますと、そこで非常に不安にかられる点がある。すでに東京都は千五百万円、福岡は五百五十万円というような大口の会費が集められておる。そのあとで、地方の弱小府県、しかも現在地方府県状態というものは非常に財政が困難な状態になっておるのでございますが、私ども今まで聞いておるところでは、やはり町村が大体単位になってやっておる。私はあえてこれがいいとか悪いとか言うわけではありませんが、県なり町村が会員になって負担しておるというように聞いておるのであります。その場合に、町村等の会員の種類にも、たくさん出すのと少いのとあるようでありますが、そういう金をよく集めることができるかということが一つ。それから、そうでなくて、法人そのほかの個人を対象としておるということになりますれば、東京、福岡等のようなところですでにこういうようにたくさん今まではできたが、今後もそういうふうなたくさんの金が期待できるかどうかという二点です。
  24. 大谷藤之助

    大谷参考人 今のところでは、その話は、本会として、私ども各地を回りましても聞いておりません。大体個人のものを集めて出される。ただし、支部長さんは町村の代表ということで、町村に支部長さんをお願いしてやっておりますが、個人の方々奉賛金を出しております。先ほど説明がありましたところの各県奉賛金の受け入れ状況を申しますと、法人は、特別の大法人といいましょうか、工業クラブとかそういうようなところで出しております。その他のものなり社頭募金はみんな個人の方から集めたものであります。各県の中で大口の何十万というものはまだ本会に報告が参っておりません。本会に来ました連絡では、みな個人の方の奉賛金集まりとなっておって、町村で実際集められたものであります。
  25. 堀内一雄

    堀内委員 私は、ほんとうに二、三年で奉賛していただけるかどうかということを心から心配して、いろいろお伺いいたしておるのでありまして、その実情をお伺いして、できるならばわれわれも何とかして御協力申し上げようという趣旨でお伺いしておるのですから、その辺誤解のないようにお願いいたしたいと思います。  今までお伺いした点から見て、今までのところだと、六億七千万円のうちの五千万円ほか集まっておらない、財界は非常に不景気である、地方の方の政府といいますか府県はみな赤字財政である、こんなような状態で今後二年に六億二千万円という金が集まり得るかというのが非常に心配なのでございますが、それに対しまして、いま一度理事長である館参考人のお腹組みをお伺いしたいと思います。
  26. 館哲二

    館参考人 堀内さんの御心配いただいております心配は、実は私どもも内心は持っております。そこで、今考えておりますのは、全体としまして私ども極力出向いてお願いをして回らなければならぬと思いますが、全体の計画は先ほど申しましたのでは六億七千万円でございまして、御奉祀を申し上げる手続をするのに二億何千万円かかりますか、それと、御遺族おいでになったときに御接待申し上げるのに二億何千万円、それで四億円ちょっと越すのです。もう一つ、残りの部分は、戦争などで今までにいたみました部分とか、手直しをしなければならぬ分というものがあるわけであります。予算を組みますときに、実は、これだけではまだ足らないのだ、たとえば靖国神社ではお鳥居を献納した、あの道路にあの鳥居があるのが靖国神社のシンボルであったので、あれを復旧してもらわなければ困るというお話もありました。それから、参集所につきましても、現在こしらえたのでありますが、あれでも手狭なので、もう一つこしらえるべきであったという話もありますが、それらのものは全部削って、最小限見たわけであります。なおその上でも、建築物の方は集まる状況によっては将来に延ばしてもいいじゃないか、——御本殿は今のところいたんでおるわけでもございません。ただ、もう一つ心配なのは、二百万の英霊をお納めするということになりますと、霊爾簿を納める場所が今の御本尊殿では狭くなり、どうしてもあのうしろへ霊爾簿を納める神庫をこしらえなければならない。これはやはり最小限度要るのじゃないか。そうすれば、集まる状況によっては、そういう建物の方をやめて、集まった分はあげて直接の合祀の手続をするという方向へ持っていったらどうか、大体今までのところですと五億円ほどの金で事は済む、こういうことも内心考えておるのであります。ですから、とりあえずは合祀を促進するための金を極力集めるという考えに立っていって、その集まった状況によってやっていこうという考えでおるのであります。  集まる状況は今も大谷参考人から話をいたしましたが、これは話をしていただきますとだれも反対する人はないのです。実によく集まる金であるのであります。要するに、集めていただく人に熱意を持っていただくことが必要なのであります。その熱を持っていただくためには、やはり中央で呼びかけます私ども努力をしなければならぬというように思っておりますので、目標としましては、私は一、二年という旗じるしを上げて強く呼びかけて、一般遺族の方に一日でも早く安心していただきたいという気持でおります。
  27. 堀内一雄

    堀内委員 ただいまの理事長お話に、呼びかければすぐ非常によく集まるというお話がありましたが、実は地方ではかなり不平を持っております。すでに二カ年分を一度に納めてしまってやっておるが、それが聞くところによれば合祀の方に使わずに待合所に使われてしまったという。これは前年ですか、三千四百万円会費が集まったというけれども、そのうちの三千万円は休憩所の設立に使われてしまった、しかもなお銀行から三千万円の金を借りておるという。すでに六千万円の経費がその方へ使われておるが、今まで出した金の中で、先ほどのお話によると神社の方へ四千八百万円を送っておるというお話でございましたが、地方などで言っておりますのは、五千七百万円のうちで三千万円、並びに三千万円銀行から金を借りて休憩所を作って、実際の合祀の方へは金が行ってないというようなことが言われているのでございますが、その辺について中村参考人から実情をお伺いしたいと思います。
  28. 池田良八

    池田参考人 私からお答え申し上げます。先ほど大谷参考人から申し上げましたように、奉賛会募金の団体でありまして、実際の業務は神社の方でやるということになっております。神社の方ではあらかじめ年度の初めに特別に臨時特別会計という予算を作りましてやっておるのであります。その予算の項目を申しますと、合祀の諸費、遺族接遇費、それから営繕という三項目に分けてあります。それで、一昨年の二十八年度から、途中からでありますが始めました。二十八年度状況を申しますと、合祀関係諸費に大体四百四万円臨時予算で使いました。二十八年度はほかには使っておりません。二十九年度は、合祀諸費には三千二百四十五万円、参拝せられる遺族接遇費には百九十万円、それから営繕が二千四官八十一万円、これが二十九年、昨年度状況であります。そういうことになっております。
  29. 堀内一雄

    堀内委員 うわさされておりますように、休憩所のために六千万円かかって、そのうちの三千万円は銀行から借りておるというようなことは、うそなんでございますか。
  30. 池田良八

    池田参考人 今申し上げましたように、営繕の方に二千四百八十一万円昨年度で払っておりまして、今年度になりましてから大体一千万円払っております。ですから、労繕の方に払いましたのは、昨年度と今年度と合せて三千四百万円になるわけであります。そうして、あと残っておりますのはまだ未払いであります。
  31. 堀内一雄

    堀内委員 そうしますと、先ほどの合祀費用という中に、遺族接遇費が一柱百円ということがありましたが、実際地方で聞いたところによりますと、先ほど大谷さんの御説明もありましたが、合祀の御通知が出ました際に、やはり旅費と、それからほかに靖国神社へ納める金というのを百円、それだけをみな村で負担しておるのです。でありますから、実際その費用の出所は個人であるか町村であるかということは、私よりもむろん皆さん方がよくおわかりでありましょう。私もさらに調べてみるつもりでありまするが、とにかく神社合祀のために一柱百円ずつ町村費から出て、それを持ってきて遺族が納めるということになっておりまするが、その百円の神社へ納めるという金はどんなふうなことになっておりますか、お伺いします。
  32. 池田良八

    池田参考人 御参拝のときにお納めになる玉ぐし料とか神饌料のことでございますが、それは、合祀関係を除きましても、御参拝になるときには、おさい銭がわりとか、あるいは玉ぐし料がわりということで、遺族さんが個人あるいは団体で持って見えられるわけであります。百円というお話が出ましたが、その百円は、神社から百円持ってこなければならないということは申し上げていないので、遺族さん方の個々のお気持神社へお納め願っておる。そのお納めになる神饌料なりそういうものは神社経常費の方の予算につけてあります。ただいま奉賛会の方でやりますのは臨時特別会計の方であります。社弧でお納めいただきますおさい銭なりそういう神饌料というものは神社の一般会計の方に入ることになっております。
  33. 堀内一雄

    堀内委員 そうすると、先ほど館参考人からお話のありました遊就館並びに旧遺族クラブ家賃と、ほかに、遺族から納めるそういうものは大体内規が百円というようなことになっておるのではないかと思っておりまするが、そういうような三つが大きい筋になって経常費をまかなっておるというふうに理解してよろしいのか。それからまた、遺族の奉賛と申しますか、合祀の際に持ってきて納める玉ぐし料とかは大体どのくらい入っておるものでございますか。
  34. 池田良八

    池田参考人 今の神社の一般会計の経常費というのは、大体収入は御社頭の収入でございます。これが八割くらいございます。今の建物から入ってきますのは、そのほかの二割の中に入っていくわけであります。ですから、大体神社経費というのは御社頭の収入はよりましてまかなわれると申し上げてよろしいと思います。  今の百円が何か神社の内規になっておるのじゃないかというお尋ねでございますが、それは、いろいろ、神社参拝しましたらどうしたらいいかというような御質問がございますので、御参拝になりましたら玉ぐし料として幾らでもおぼしめしでよろしいですからお納めいただけばけっこうですと申しております。そして神社もその経常費におきましては御社頭の収入によりまして御奉仕申し上げておるのでありますが、その御参拝いただきました方々にはおしるしを差し上げております。お札とかいろいろおしるしを差し上げておりますから、そのおしるしを差し上げる場合に、お納めになりました金額によりまして少しものが変っていくのであります。ですから、百円くらいお納めになりますとこんなものを差し上げておるのです、五十円の方にはこんなものを差し上げておるのですということを団体の代表者の方には申し上げて、参考にしていただいておるわけでございますから、そういうことの内規が、こちらの差し上げるものも必ずしも百円をお納めいただかなければならぬという内規ではないわけです。どうぞ御了解願います。
  35. 堀内一雄

    堀内委員 先ほどのお話の中に、合祀諸費並びに遺族接遇費というのがありまするが、送納金とか言っておられました奉賛会の方から納める金は、遺族接遇というような点ではどんなふうな費用になるわけでございますか。
  36. 池田良八

    池田参考人 神社に御参拝になります御遺族さんの和知は二通りあるわけなのです。一般の参拝、何も合祀関係考えない御参詣の方々、それから、合祀通知状をいただかれまして来られます方と、二通りあると思います。一般の方々には、先ほど申し上げましたように、そういう内規でもって神社では御待遇申し上げております。また、今の合祀関係通知状を受けて来られる方につきましては、この合祀通知状の中には宮司からのあいさつやら、それから、通知をいただいて初めて御参拝になります方については何らかの待遇をしようと、この分が臨時特別会計の方の遺族接遇費の中にあります経費でありますが、その百円内において御待遇をするということになっております。これは神饌料の有無にかかわらず、そのものはすべての合祀通知を受けられた方には差し上げております。これは一柱につきまして一枚ずつ特別参拝券というものを入れてあげております。その特別参拝券を持って見えた方にはそのおしるしを差し上げるということになっておりまして、これは幾ら御奉納いただきたいということは一つもございません。無料で差し上げておるわけであります。経費の出所はそういうことであります。待遇の方はそういうことになっております。
  37. 堀内一雄

    堀内委員 そうすると、合祀の際に遺族神社から下さるかわらけとかいろいろなものがあるそうですが、それはいずれの方の費用から出ておりますか。
  38. 池田良八

    池田参考人 合祀は、先ほど申し上げましたように、年に一回ないし二回、日をきめて行われるものでありますが、そのときには、以前のように何万も御招待することはできませんわけでございます。それで、この春から、そのときに御奉祀申し上げる——御奉祀という言葉はちょっと不合理でありますが、御霊璽簿に書きまして御正殿に御奉遷申し上げる方々の御遺族さん力の代表といたしまして、各県ごとに男女お二人の代表を御選定願って御参列をいただいております。そして、その御参列をいただきまして、そのお祭りを済ませております。他の御遺族さん方は随時御参拝になる。合祀祭のときに御参拝になるのでなくて、平常御都合のいいときに特別参拝券を持って御参拝下さるということになっております。そういう状況であります。合祀祭のときには、全国から百名ばかりの代表者として参る方々だけでございます。
  39. 堀内一雄

    堀内委員 その合祀祭のときにおいでになる方、あるいは特別参拝券を持ってくるときに、みな百円ずつ納めて、何かの記念品といいますか、そういうものをいただいて帰っておるように私は聞いておるのでありますが、それは間違っておりますか。
  40. 池田良八

    池田参考人 特別参拝券を持って見えた方でも、今の玉ぐし料をお納めになる方もありますし、お納めにならない方もございます。お納めになりました方には、そのほかに神社からさらにおしるしを差し上げているようなわけであります。全然取扱いを別に考えております。特別参拝券を持って見えた方と一般の御参拝と別に考えております。
  41. 堀内一雄

    堀内委員 そうすると、合祀の式のときに参列される方と、特別参拝の方と、一般参拝の方と、三段階に分れるようでございますが、ほんとうに合祀というお祭をして遺族に安心させるために要する費用というのは、最後にせんじ詰めると、どういう費用で大体どのくらいかかるものでございますか。
  42. 池田良八

    池田参考人 お手元に差し上げてあります「経過及事業計画の内容」ですが、これの二ページに、靖国神社合祀祭関係参拝遺族接遇社頭整備復興経費概算書というのがございます。この内訳の中に、合祀祭関係費とありまして、二億一千五百二十六万円上げてあります。これが一切の合祀関係の諸費でございます。これは、下段にありますように、御祭神百九十八万柱という想定のもとに計上された予算であります。  内訳を申し上げますと、合祀通知状費が七千七十万円、これは、御霊璽簿を御本殿にお移ししまして、その通知状を御遺族に差し上げる経費でございます。それから霊璽簿費、これは霊璽簿を謹製いたしまして御本殿に納めますが、その霊璽簿を調製いたします経費でございます。この霊璽簿は、明治の初めからしきたりがありまして、そのしきたりによって謹製している霊璽簿でありまして、料紙は鳥の子でございまして、表紙は全部金襴を使っております。天地に金箔を用いて非常に御丁重なものであります。中に紀裁いたしますのは、御祭神の本籍の府県、位階勲等、階級、なくなられた年月日、場所、それから氏名を毛筆で書きます。その次は神庫造営費、これは、先ほど即事長が申されましたように、御木殿が非常に狭くなりまして、御霊璽箔の格納ができないような状況になっておりますので、御本殿のうしろに神庫を作って、そこに納めるというので、これが二千二百万円。その次に祭神輝、上奏薄費とありますが、この祭神箔は、御霊璽簿を御木殿に御納付してしまいますと、あとで事務に困りますので、御本殿に納めまして霊璽簿と同じものを事務用として祭神簿として社務所に置いております。それから、上奏簿は、これは陛下のお手元に差し上げるものでありまして、祭神簿と同じ形式のものであります。それの作製費が千七百七十四万円。それから祭神名票費、これは御祭神を御奉祀いたしましたその後、御祭神に関する調査とか、いろいろなことがありますものですから、一番基本になるものといたしまして、カード式の御祭神名簿を作っております。それから索引は調査のときに必要になります。参拝券費は、先ほど申しましたように、参拝になりますときに持って見える特別参拝券を調製する経費であります。それから業務室設備費、これは事務室の経費です。祭典費千四百五十二万円、これは、先ほど申しましたように、霊璽奉安をいたします合祀祭の当日、各府県から代表に参列していただく、その代表の方々の参列していただく祭典の費用でありまして、参列者の接待やら、いろいろなものがこの中に入っております。予備費とありますのは、下にありますように、百九十八万柱以外に将来二十万柱くらいはまた調査の結果判明するだろうという予想のもとに、二十万柱に対する予備費として千八百万円計上してあります。あとは雑費。そういうことになっております。  接遇の方はその次に書いてあります。
  43. 堀内一雄

    堀内委員 そうすると、この接遇費の中の授与神饌費というのは、これはみな遺族がいただいていく費用でございますか。
  44. 池田良八

    池田参考人 そうでございます。
  45. 堀内一雄

    堀内委員 そうすると、通常言われておる百円納めるというのは、神社の方に玉ぐし料として納めるので、それはこの合祀には関係ないと見てよろしゅうございますか。
  46. 池田良八

    池田参考人 そうでございます。
  47. 堀内一雄

    堀内委員 その次に、よく言われておる遺族の休憩所というのは、この中のどの費用になっておるのでございますか。六千万円かけたという……。
  48. 池田良八

    池田参考人 第三の社頭整備復興費の第一項の造営建築工事費の中のイに御社殿、附属殿造営及び改修費というのがございますが、この中の一つになっております。
  49. 堀内一雄

    堀内委員 どれですか。
  50. 池田良八

    池田参考人 内訳でいきますと、下に北参集所というのがあります。これであります。
  51. 堀内一雄

    堀内委員 大体経費のことはわかったような気がします。  その次にお伺いしたいことは、合祀関係霊璽簿を作るまでの調査、これは先ほどお話しの九十人とかいう人でもってやっておるのですか。九十人の人で、各府県の方の調査との関係はどうなっておりもすか。それを、どなたでもよろしゅうございますから、お聞かせ願います。
  52. 池田良八

    池田参考人 終戦から一年くらいの間に、各復員局にございました戦没者方々資料を全部神社にいただいておりますので、その資料を整備いたしまして、仕事を遂行しております。しかし、これは、終戦のああいうときでありますから、その資料が不完全であります。それで、いよいよ決定をいたしまして御霊璽簿を謹製申し上げるという段になりますと、不安なところがありますから、これを各府県世話課お願いいたしまして、もう一度それを調査していただくということにしております。それから、海市の方は地方の復員局にお願いいたしまして、さらにそれを調査し、そして正しいものを最後に決定するということでやっております。
  53. 堀内一雄

    堀内委員 各府県で聞きてますと、各府県にあなたの方から調査を御依頼になるその費用は、追って払うからということで、各府県に御依頼になって、各府県ではそれを世話課等にやらしておるが、いつになってその金がもらえるだろうというようなことを言っておるやにも聞いておるのですが、その辺のところを、そしてどのくらいその費用予定してあるのか、お聞かせ願いたい。
  54. 池田良八

    池田参考人 その費用は、神社からは何も差し上げておりません。そういう仕事を始める前に、経費を出していただきたい、世話課経費がないから、そういうものをもらえればという話はあったことはありますが、しかし、それはそれきりになりました。今のような非常に窮屈な予算でございますから、神社から費用は出せません。
  55. 堀内一雄

    堀内委員 理事長にちょっとお伺いいたしたいのでございますが、とにかく今後百二十万柱の英霊調査をいたさなければならないのであり、その調査にも私どもの聞いておるところでは相当の仕事があるように思っておるのでございます。しかし、その調査等に対するやり方は、今のいわゆる好意をもってやってくれるというような程度でやっていけるものか、ことに復員関係の役所などはどんどん人減らし等もやっておるときでありますので、その辺に関してどんなふうなお考えをお持ちですか。
  56. 館哲二

    館参考人 実は、その点非常に因ったと思っておるのですが、各地方世話課では恩給の仕事で手一ぱいになっていられるところなのです。そこへまた神社からこの仕事お願いするというのは、非常にお気の毒に思っております。神社がこの予算を組みますときには、地方世話課の方で御調査を願うというだけで、特別にこちらからその費用を差し上げるという考え方はしておらなくて、地方世話課の方の仕事としてやっていただきたいという非常に甘い考えで実はお願いをしたわけなんです。ところが、今、お話のように、恩給の仕事もある意味から言いますと一応形だけは進んでおるような形になっておりますし、世話課の人が減ってくるというので、地方にとっては非常に御迷惑だと思うのであります。そういうことを考えまして、何とか政府の方でも世話課あたりに何かお手当が願えたらという希望は持っておるのです。実はまだそれが実現はされておらないと思いますが、そういうような事情でありますので、非常に心苦しいのです。従いまして、地方の方でも相当仕事に手間もとれると思いますし、事実上なかなか困難だということで、私どもも非常に今お気の毒に思っておるのであります。
  57. 堀内一雄

    堀内委員 先ほどからお伺いいたしておりますと、まことに失礼な言い分ですが、経費の意においても、今後三年で百二十五万柱を奉祀することができるか、同時にまた調査そのほかの方面においても百二十万というような大きいものの調査が果してできるか、この点が非常に不安になっておるのでございます。この点につきましては、いずれまた検討いたすこととしますが、その前提といたしまして、この英霊靖国神社に奉祀するという法的根拠というか、社会的な考えというか、そういうことに対する根本の問題をお伺いしたい。
  58. 池田良八

    池田参考人 これは非常にむずかしい問題でありまして、靖国神社の御創立のことに及ぶと思いますが、靖国神社の御創立は、明治元年五月十日の太政官布告が出ておりますが、それに基きまして、東京の九段に招魂社が明治二年六月二十九日に御創建になった。それで、元年の太政官布告の中に、国事に倒れたる者をお祭り申し上げて、そのお名前をいついつまでも残し、みたまをお慰めしようということがその一番の根本になっておるのであります。それによりまして、明治、大正以降、ずっと国難に倒れた方々のお祭りは続けられてきたのであります。
  59. 堀内一雄

    堀内委員 戦後においては、今どんなふうな形になっておりますか。
  60. 池田良八

    池田参考人 戦後の状況は、一番初めに申しましたように、二十年の十一月十九日のお祭り、これは臨時大招魂祭という名前でありますが、臨時大招魂祭を執行せよということを仰せ出されたのであります。その仰せ出されてお祭り申し上げたみたまの奉祀状況が、今までのような状況になっております。そのときに仰せ出された御趣旨は、御創立の御趣旨と変らないのであります。
  61. 堀内一雄

    堀内委員 その次にお伺いいたしたいのは、靖国神社の性格の問題であります。占領軍の靖国神社に対するいろいろな取扱いから、一時は靖国神社が取りこわされるのではないかというようなことまで言われた時代もあったようでございますが、その後靖国神社が単独宗教法人となって今日に及んでおるということを聞いておるのでございますが、靖国神社というものは、いわゆる宗教と違って、先ほどからのお話によると、いわゆる御廟ともいうような厭味の神様であって、従って、宗教法人というような形になっておるのは一つの変則であるように思っておるのでございます。これが宗教法人というような建前をとらなければならなかった事情、並びに靖国神社そのものの、一般の神社、いわゆる宗教との違いというような点について、お考えをお開かせ願いたい。
  62. 池田良八

    池田参考人 非常にむずかしい問題でありまするが、法的に見ますれば、靖国神社は二十一年の二月一日に勅令七十号によりまして宗教法人に自然に移行した。そうして、その勅令にありますように、六カ月以内に当時施行されておりました宗教法人令による法人を組織しなければならないということでありましたので、その勅令によりまして靖国神社は二十一年の七月七日と思いますが宗教法人になりました。それから、宗教法人令が廃止されまして宗教法人法が二十七年に制定されたのでありますが、それに基きまして宗教法人ということになって現在に至っております。それが法的に靖国神社宗教法人となった事情であります。先ほど申されましたように、神社のうちでも靖国神社は特色のあるお社でありますから、おっしゃいましたように、廟的な性格であるというようなことを一時国内でも言われたことがありました。特に、占領軍の非常に力の強いときには靖国神社の存立問題に及びまして、結局靖国神社は何らか変更しなければ存続しないと言われた時代に、それならば靖国神社ということでなく靖国廟とかいうふうなことで残そうというような話もあったわけでございます。しかし、現在におきましては、宗教法人というものは国から非常に優遇された法人でございまして、財団法人とか社団法人とかいうものよりも宗教法人の方が非常に優遇を受けております。ですから、今のところ、神社といたしましては宗教法人というワクの中におるのが一番いいようでございます。それで宗教法人となったのでございます。
  63. 堀内一雄

    堀内委員 結局、すみやかに英霊合祀するためには、何らかの方法でもって国の助けを得なければできないと私は思うのでございますが、そういう点から申しまするならば、これが国に尽された方々の廟所であるというようなことになれば、これは憲法の宗教関係のところにも触れませんし、そういうようなこともできるのじゃないかと思うのでございまするが、そういうような形にかつて検討したこともあるというお話ですが、廟という形になることが悪いということの根拠は、ただいまの宗教法人の待遇がいいということ以外に何かありまするか、お伺いしたい。
  64. 池田良八

    池田参考人 神社と廟との関係ですが、廟は大体支那式の考え方からきております。日本では神社という形でありまして、神社に祭られることを最高の名誉としております。廟に祭られるということより、神社に祭られるということを一番の名誉としております。なくなられた方々も、戦死をしましたならば靖国神社に祭られるということでなくなっておられます。廟といいますと、お墓と申しますか、むくろを拝むということと一緒になるのであります。たとえば、日本でありますと、日光の東照宮、これは日光廟であります。家康のお墓であります。秀吉をお祭りしました京都の豊国神社、これも秀吉のお墓であります。こういう点で、靖国神社の現在の状況は、やはり神社という性格でなければならないということで、神社が一番いいということになっております。それから、ほかの神社と違うということでありますが、これは国の取扱いもほかの神社と違うのでありまして、御創立以来靖国神社は中央官庁の直轄の社として取り扱っておられまして、伊勢神宮を省きまして、その他の神社は第二次監督を各府県の知事が行われていたのでありますが、靖国神社のみは中央官庁の直属で御奉仕をしていくというようなことで、非常に靖国神社を重く見ておったのであります。
  65. 堀内一雄

    堀内委員 私の申し上げておりますのは、いわゆる東照宮とか何々神社というところで、それが廟になっておるのだというのと同じような意味において、名前靖国神社であっても、それが本質的に英霊の廟所であるという形にすることはできないのかということを申し上げたのです。同時にまた、従前のように、憲法改正前の状態という今お話がありましたけれども、それでいけるのならば、何もわれわれは苦しむ必要はないので、そこに敗戦という現実の冷厳なる事実があり、また憲法改正という問題があったために、われわれが今ここでいろいろ検討しなければならないような状態が起っておるのであります。そこで、私は、ただいまの池田参考人お話の中にもありましたように、名前を何も廟と言わなくても神社ということで置いて、現実の性格は東照宮と同じような意味における廟所といったようなふうに考えた方が、むしろ妥当ではないかと思うのでございますが、その点について、いま一度、できれば奉賛会館参考人の御意見をお伺いいたしたい。
  66. 池田良八

    池田参考人 私からお答えいたします。廟と神社という非常にむずかしい問題になっていきますが、靖国神社靖国神社のままそういうふうな国家性、公共性を持つことになるということは、御祭神から言っても望ましいと思うのでありますが、廟にすればそういうことになるかどうかということも考えなければいかぬと思います。廟になりましても、これはやはり宗教法人というようなものになるのであります。ですから、名称は神社でありましても廟でありましても、同じ結果になると思うのであります。ですから、靖国神社という古い名称がありますから、靖国神社は私たちはどうしても変えたくないと思っております。靖国神社のままそういうふうなものに行ける道があれば行く、その辺が非常にむずかしいところだと思います。
  67. 堀内一雄

    堀内委員 私の申しますのも、靖国神社という名前を云々ということではないので、靖国神社という名前をそのまま存続してゆきながら、そこに、法的解釈とかなんとかいう問題でもって、実質的に廟であるからというようなことで何か考える余地がなかろうかということを私は申しているのでございますが、神社当局としてもこの点に対する結論的な御意見もないようでございますから、いずれまたわれわれは研究してみたいと存じます。  次にお伺いしますのは、奉賛会という機関です。これは監督官庁といったようなものが何かあるのでございますか。会ということになっておりますが、実質的にはいろいろなことがありましょうが、その点についてちょっとお伺いしたい。
  68. 大谷藤之助

    大谷参考人 今の奉賛会の寄付行為に対します監督は東京都庁が当っております。東京都の法人課でやっております。毎年度決算期が違いますが、年末決算で全部決算報告をやっております。それから、奉賛会の中での監査は、むろん、御承知のような理事会なり役員会がやっております。
  69. 堀内一雄

    堀内委員 大体私のお伺いする質問の点は終りましたが、この問題は、地方におきましては護国神社があり、中央においては靖国神社になっているのでございますが、東京都においては、靖国神社は東京都の所管になっているので、靖国神社とほかの護国神社との関係、特に東京都出身の英霊関係はどんなふうになっておりますか。
  70. 池田良八

    池田参考人 靖国神社護国神社は全然関係はございません。東京都においてはもちろん護国神社はないのでありますが、東京都御出身の御祭霊はもちろん靖国神社直接にお祭りを申し上げております。靖国神社はそういう宗教法人でありますが、監督官庁というようなものは全然ございません。しいて言いますれば、いろいろな書類は東京都の法人課で扱っているというくらいでありまして、この神社の制肘を受けますのは国の法律以外にないのであります。  それから、ほかの神社と比較して説明しますが、ほかの神社は、ほとんどの神社一つの団体を作りまして、神社本庁という団体を作っております。神社本庁の下に各府県神社庁というものがございます。東京都も東京都神社庁というのがあります。その東京都神社庁のもとに各神社が付属しているという格好になっております。靖国神社神社本庁の所属の神社ではございません。単独の宗教法人になっております。
  71. 堀内一雄

    堀内委員 靖国神社の問題は一応ここで打ち切りますが、これとほとんど表裏をなしている護国神社の問題が各府県にあるのでございます。この護国神社もやはり現在のところ奉賛会というものを作ってやっており、しかも遺族寄付金募集して歩いて、そして遺族の手によってお祭りをしているというような形になっているのでございますが、この護国神社奉賛会というものと靖国神社奉賛会との関係はどんなふうになっておりますか。お互いに提携していかれているのか、あるいは寄付金等の問題についてはむしろ両方がぶつかるような関係になっておりますか、その点について……。
  72. 大谷藤之助

    大谷参考人 一応建前としては、護国神社のそういう奉賛会募金靖国神社奉賛会募金とは全然切り離してやっていただくということをお願いしてあります。各県の実際の実情について申し上げますと、県内では、事の筋合いが神社の維持経営でもないし、ちょっと御造営とかそういうこととも違うから、やはり切り離した方がいいという御意見の県もあるようであります。県によりましては、趣旨は違っても、靖国神社護国神社は親戚づき合いみたいなものだから、話せばわかるというので、一緒にやっている県もあります。一緒にやっております県は、合せた額はそう多くないということでして、数千万円に上る募金をやっているものもありますが、それ以外のものは二、三万円の維持経営費のもあるようであります。それから、大分県みたいに、靖国神社護国神社を分けよう、こういうことで行っておられる県もあります。しかし、復興募金をやっておられる県は、まず護国神社地元神社からということでやっておりますし、また、福岡県のように、靖国神社をまずやっておいて、次に護国神社をやるというところもあります。これは、県内の委員会で順序についてきめられてから、そういうふうにやっております。
  73. 堀内一雄

    堀内委員 大体私の質問はこれで終りますが、今までの当局お話を伺いましても、募金の金の上から申しましても、また調査の上から申しましても、二年間なり三年でおやりになるということは非常に困難のように存じます。しかしながら、一方、すでに終戦十年になってまだ靖国神社に対する合祀が終らないということは、戦争のあと始末という意味からいたしましても、また英霊を旗を振って見送ったわれわれ国民といたしましても、まことに申しわけないことに存ずるのでございます。占領軍の日本弱体化政策並びに日本に与えられた憲法というようなものの条件からその点が阻害されていることはまことに困ったものでございます。われわれも何とか方法をしてこの問題を解決しなければならないと存じておりますが、神社並びに奉賛会等におかれましても、一つ今後一そうの御尽力、御努力お願いしたいと存じます。ただ、まことに申しにくいことでございますが、三千四百万円集まった寄付金と申しますか会費の中で、三千万円さらによそから借金をしてきて、そうして遺族の休憩所を作ってしまった、それがためにまだ一千万円も借金があるというような状態で、それが経費の方でもって合祀の方に影響しているという点であります。聞きますれば、何か天幕張りか何かあるそうでありまして、そういうものを利用すれば、お祭りのときの休憩所ぐらいは私は何でもないと思う。それは神殿を壮厳にする意味においてはいいかもしれませんが、とにかくみたまが祭られないというような状態で、私は造営なりそれに付属したいろいろなものをやるということは納得のいかないところでございます。この点が地方におきましても非常に非難のまとになっているのでございまして、私は、こういう点につきまして今後ぜひ御注意になりまして、一柱でも多くの英霊を一日も早く合祀していただくように御心配を願いたいとお願いいたしまして、私の質問を終ります。
  74. 館哲二

    館参考人 今の堀内閣下のお話、大へんごもっともだと思います。実は、私どもは参集所に唐手すべきかどうかという相談をやっているわけです。ただ、今は、御承知のように、おいでになりますと、団体が桜の木の下でいつもむしろを敷いて休んでもらっているような状況でありまして、これらのことから考えまして、御遺族参拝されるまでの間の休憩所だけはとりあえずこしらえようじゃないかというので、あれだけを実は着手した。ですから、今、ごらんいただきますように、つなぎの廊下も仮のものしかやっておりません。それから、ここに計画しております二億円ほどの金のうちのそれだけをやりまして、ほかの方は合祀の方を全部やってから手をつけようという段取りでやっておりますので、御注意の点は大へんごもっともだと思います。私ども関係者の一人として、よく心得ておきます。
  75. 高岡大輔

    高岡委員長 山下春江君。
  76. 山下春江

    ○山下(春)委員 朝からるる靖国神社に対する御質問がありましたので、私が何も重複した御質問をすることはもうございませんが、ただ、私は、けさからの靖国神社側と堀内委員との問答を聞いておりまして、非常に妙な気持になりました。非常な矛盾の上に立っていろいろ議論が進められておると思うのであります。  先ほど池田さんからお述べになりました靖国神社の性格でありますが、これは、明治元年の太政官布告をもって、国に殉じた人をお祭りするところであるということであります。ただいまは、敗戦の結果、これが宗教法人となっている。宗教法人になっているものに対して、堀内委員の申される通りに、一柱でも早くお祭りをいたさなければならないではないかという国民の意思表示、国家的意思表示をこの神社にすることは無理である。根本からこれは矛盾に立っての議論であります。この靖国神社という神社を、今日のままの姿にして、いわゆる宗教法人として置いておくところに矛盾がある。宗教法人であるがゆえによい待遇を受けておる、——これは、宗教法人としての人格からおっしゃればその通りでありましょう。しかしながら、一体国に殉じた者に対して国家がどう報いるかということのけじめをつけてものを考えるときに、このような議論は実に本末——本末と申しますよりは、根本的な矛盾に立っての議論だと思うのであります。こういう矛盾を解消すべく、昨年度、吉田内閣のときだと思いましたが、名前は仮称として無名戦士の墓を立てようということが持ち上りました。これは、おそらく、だれが考えてみても、この矛盾を解消したいということであったでありましょう。  一体、国民が国に殉ずるとは何か、それに対して国がどう補償すべきか、いわゆる国家の意思決定をどういう形においてするかということでなければならないのであります。今日において、一宗教法人たる靖国神社にいろいろな問題を持ちかけまして、そうして、これを早く解決するのにはどうするかというので、集まった寄付で勝手に休憩所を作ったり、いろいろなことをするのはけしからぬじゃないかとか、また、神社の方では、そんなものに使っておらない、ただ渡り廊下を修繕しただけだとか、これは全く英霊に対しては言語道断な議論でありまして、さような議論が行われるべき性格の神社ではないのであります。  そこで、国家がこの問題に対してどのような意思決定をするかということであります。一靖国神社に対する質疑応答ではこれは解決をいたさないのでありますが、いたさないといっても、このままにしてはおけません。国に殉じた尊い英霊を慰め奉るために、せめて靖国神社にお祭りするということが、御遺族の人々にとっては一番大きな慰めでもあり、安堵でもあり、またそうしてもらいたいといういちずの気持がございます。そういうところから呼びかければ非常に寄付がよく集まるというような言葉が出たりするほどでありまして、あるいは、私自身も、昨年北海道を調査いたしました際に、月寒町の町長から言われたことは、靖国神社合祀される方がたくさんあったんだが、一時ではなかなか金が出しにくいものだから、当町においてはこれを三カ年間に分けて、町から三千円の補助を差し上げて、靖国神社合祀される方の御遺族を東京へお参りにやっております、こういうことであります。今日御承知のような地方財政逼迫の折柄、このいちずに靖国神社に祭られたい、祭ってもらいたいという遺族の一筋の頼み、願いの心をかなえてあげることが、せめて国民としての悲惨な敗戦の跡始末としての一つの心やりなのでありますけれども、しかし、考えてみれば、神社そのものとしてはそうは考えながらも、実は東京都に監督されておる一宗教法人であるというようなところに、いろいろな矛盾が出るのであります。これは、当然、この靖国神社というものが生まれましたそのもとに立ち返りまして、国家の意思決定として、この神社というものに対してどういう態度をとるかということが先決でなければなりません。  皆様方もいろいろ御遺族の要望にこたえるべく非常な努力をしておられますが、その努力は必ずしも正しく地方に映っておらない。あるいはむしろそれは一つの不平の声にもなっておる。今堀内委員からお話しになりました護国神社に対しましても、東京に来られない御遺族の方を慰め、かつは御英霊を慰め奉るために非常な盛大な行事を各県で行なっております。それらの費用遺族のふところから大部分が出るとなると、われわれ国会としては、こういうことを見ておられない。今回の恩給法の改正あるいは遺族援護法の改正等も、国家財政の必ずしも豊かでないときではありましたけれども、いわゆるこの国家の意思決定をどうするかということが最大の論拠であります。国に殉じさせた者に対して、国家の予算がまことに逼迫さしているから、心ではそう思ってもそう処遇ができないということではならないということが、あるいは恩給亡国等の暴論もある中を、あえてわれわれが誠心誠意その関頭に立って戦ったゆえんもそこにあるのであります。そういう点から、私は、この靖国神社の将来というものに対しましては、国民の長い間の郷愁の森でありますそういうものに対しましては、一宗教法人たるの性格をもって、戦後五・六年間皆様方が今日までにあそこをいろいろ取りつくろい、御修復その他のことをして、あとう限りの御努力をもって非常にたくさんの御英霊合祀していただいた御努力に対しては感謝いたしますけれども、このままにしておきましたのでは、この問題はいつまでたっても解決をしない。国民の頭の中にすっきりしたものができないのであります。私は、国家の資金がどのくらい出ておるかは存じませんが、一昨年アメリカのアーリントンの無名戦士の墓所を訪れましたときに思いましたことは、あのワシントン郊外はるか離れたところにありますけれども、ワシントンの国会議事堂からまっすぐに、一直線のところにアーリントンの無名戦士の墓はあるのであります。それは、その戦士の国に殉じられたその気持を察して、政治を行う者は再び間違った政策によって尊い人の命を落してはならない、あそこには戦士の魂が眠っているのだ、どうか為政者は今後国策を遂行する上にむだな犠牲を出さないように心すべきであるということをお互いに戒め合う一つの下心もあって、そういう場所に作られたということであります。私どもが非常に祖先を崇拝し、あるいはそうした国に殉じた人に対して国民的な一つの感謝の念をどこの国よりも早く現わす国民のあり方としては、私は現在の姿は正しい姿ではないと信じておるものであります。  堀内委員からるるこまかい点に対して御質疑がございました。一々今日本の国内にあちらこちらで耳にする問題でありますけれども、要すれば、戦後十年、独立して三年を経ました今日、あの二十一年の勅令七十号というものが正しい国民意思の表示ではなかったということはだれしも承知するところでありますから、そういう点で、私どもが今後こういう問題をどういうふうにすることが最も国民の意思にぴったりし、そのあり方が最も正しい姿になるかということを、当事者である皆様方とともに、国会も政府もあげてこの問題の解決に当らなければならない。  こまごましたことはことごとく御質問のあとでございますから、私は私自身の感想あるいはその今後のあり方というものに対する点を申し上げましたが、奉賛会理事長として今日までこの尊い御事業に携わってこられました館さんとしては、あなた御自身のお考えがありましょう。また、当局であられる池田権官司にも、あなた自身の、こうあることが正しいのではなかろうかというお考えが、ひそかにあったに違いありません。ただ、そういうことを公けに訴えるの機会なく今日まで過されたのではあるまいかと考えますので、御両所のこれに対するお感じを伺っておきたいと思います。
  77. 館哲二

    館参考人 今山下委員からのお話でありますが、実は、私も、終戦靖国神社総代を引き受けまして、ちょっと富山県の知事になりました関係で一時やめたのですが、今なお引き続いてやっておりまして、靖国神社自体のあり方ということに対しまして、今お話しのように、何か非常に割り切れないものがあるのです。どうも、やはり、私ども国民の一人としては、ぜひともこれは国家が何とかして祭るべきだと思います。それがまた全体の人の心持だと思う。それが今のような法規の上でやり切れないという気持で、非常に何とも落ちつきのない状態にあります。私も、国会におります一人としては、ぜひとも何とかこの法を皆様と一緒に研究をして、国民の考え方と一緒にぴったり合うようにしていかなければならぬという気持は持っております。きょうここで皆さんからそういうお気持をお聞きしまして、皆さんもそういうお考えを持っていただきますれば、私たちも非常に心強い心持で、一つ今後皆様と御相談をしていきたいと思っております。ただ、それは待っておりましてもなかなかいかないものですから、奉賛会をこしらえて、お祭りする分だけは早くやろうというので取りかかったのが、なかなか思う通りに進まないのは遺憾でありますが、皆様のお心持は非常に感謝をいたしまして、よく御相談をして、何とかしていきたいと思います。大へんおこがましいと思いますが、感謝をしておきます。
  78. 池田良八

    池田参考人 ただいまありがたい御意見を承わりまして、私ども奉仕をしております者にとりまして、非常に心強く感じます。靖国神社の御祭神は、どうしても国家性をお持ちにならなければ、御神徳の発揚はなかなかできない。私ども奉仕をしておりましても、やっぱりその辺がもやもやしまして、すっきりしないことがしばしばあるのであります。しかしながら、たくさん参拝される御遺族に対しましては、今の世の中ではこういう宗教法人というようなことになっておるのでありますが、神様の御資格は日本の国の神様であるから、昔とちっとも変らない御神格をお持ちになるということを強調いたしまして、御遺族様には申しております。全く、私ども、ただいまおっしゃいましたような考えをしております。今後ともよろしく御指導をいただきたいと思います。公けの席上で神社の問題を取り上げていただきましたことにつきまして、今まで力がない私どもにとりまして非常な心強さを感じております。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
  79. 山下春江

    ○山下(春)委員 責任者として、ふだんお祭りしながら、何か割り切れないお気持が内蔵しながらも、さりとて次次に御参拝になる御遺族の方、あるいは次から次からいろいろ法規の整備その他によって新しく出てくる御英霊に対し、それをそのままにしておくことができないので、ぼつぼつ力のあらん限りをやっておる、これはもうごもっともなお話でございまして、現にそのお仕事にきょうまで精励をされまして、非常な御不便とがまんをしながら御遺族を慰めてこられましたことに対しましては、私ども国会としましても、これまた深い感謝でございます。しかしながら、この両者がほんとうに一体となりまして、国家の意思決定によってこれが行われるという姿にすみやかになさねばならないのでありまして、その努力をいたすことを私はお誓い申すと同時に、委員長に特に申し上げておきますことは、この問題については、一引き揚げ委員会の問題でなく、広く世論を結集いたしまして、さような委員会の意思が国家の最終的な意思決定として発揚いたしますように、政府に御伝達を願いまして、そのことが決定いたしますようにお取り計らいを願わんことを強く希望いたしまして、私の質問を終ります。
  80. 高岡大輔

  81. 山本勝市

    山本(勝)委員 大分時間も回りておりますので、簡単にお尋ねいたしますが、最近天皇の御親拝はどういうふうになっておりますか。
  82. 池田良八

    池田参考人 終戦後は、終戦の年の二十年十一月十九自に、先ほど申しました大招魂祭に御参拝がありました。それからずっとありませんで、二十七年の十月十七日ですか、そのころ御参拝がございました。それから昨年の十月に御参拝がございました。そういう状態であります。
  83. 山本勝市

    山本(勝)委員 戦前における天皇の御親拝と最近の御親拝とは意味が全然違うのでありますか。
  84. 池田良八

    池田参考人 戦前は、合祀祭でございますが、臨時大祭が春秋ありまして、そのときに新たに合祀されましたみたまに対する御親拝のように承わっております。戦後の御参拝になりましたときは、講和条約が発効いたしました直後に御参拝をいただきました。そういったお心持から御参拝になったのではないかと思います。それから、昨年は、この奉賛会募金によりまして、遺族の代表を呼びまして、霊璽の奉安のお祭りをする、その第一回のお祭りであったものでありますから、御参拝をいただいたのであります。しかしながら、お気持は前と同じお気持で御参拝になっておられると拝察いたします。終戦のときの詔書にありましたように、戦死なされた方々またその遺族方々に気の毒だとおっしゃった、あのお気持から御参拝になっておるものと思います。
  85. 山本勝市

    山本(勝)委員 占領中は、地方でも自治体が神社に対していろいろな世話ができない、慰霊祭のようなものでも町村としてできないということであったのが、最近はそういうこともやっておるようです。占領中といえども天皇が個人として参拝されることは差しつかえなかったのだと思います。そうすると、占領中は御参拝がなかったが、占領政治が終って後は、やはり天皇として御参拝になっておられるのか、そうでなしに個人として御参拝になっておられるのか、その点いかがですか。
  86. 池田良八

    池田参考人 その辺のところはちょっと申しかねます。私たちにはその辺ははっきりわかりません。
  87. 山本勝市

    山本(勝)委員 堀内委員、山下委員から懇切な行き届いた御意見があって、もうそれ以上つけ加えることはあまりないのでありますが、私は、結局、靖国神社というものを宗教として扱うことに根本の問題があるのじゃないかと思う。戦前におきましても、靖国神社が宗教であるか宗教でないかということは非常な議論がありました。だから、もし宗教として扱えば、これは宗教法人というような法人一つとして扱う扱わぬにかかわらず、今の憲法のみならず前の憲法でありましても、宗教の一つだという考えの上に立っていく場合には、国家がそのもろもろの宗教のうちの一つに対して特別な扱いをするということは、これはむずかしくなるのじゃないかと思うのです。戦前において、国家がこれに力を入れてああいう扱いをし、また、個人としての天皇じゃなしに、天皇が天皇として御親拝になっておったということは、これを単なる宗教、つまりたくさんあるうちの一つの宗教として扱っていなかったからだと思う。ですから、今後の行き方におきましても、靖国神社を多くの宗教のうちの一つとして扱うならば、たといその宗教の中で特別待遇をするにしましても、宗教として扱っておる限りは、そこにどうしても限界がある。それなら、墓場として扱うということに対しては、これはまた異論がありましょう。どうも、お墓だけで、神として祭られないというのでは、やはり遺家族としてはほんとうに満足できない。だから、神として祭るのだけれども、しかしそれは宗教ではないのだという解釈といいますか意思決定といいますか、そこまで突き詰めていくと、これは神とはいっても憲法でいう宗教上の神あるいは外国でいう神とは違うのだということをはっきりしなければならない。これは、われわれが国に殉じた方に対する感謝とか崇敬の対象であって、宗教としての門徒とかキリスト教でいう、そういう信仰の対象ではないのであって、靖国神社にいられる皆さんが宗教という考え方にあくまでこだわっていると、それはもろもろの法人の中では宗教法人というのは特別待遇されるでしょうが、しかし、それからは一歩も抜け出られない。だから、宗教から抜け出ていかなければ、たくさんのもののうちの一つだという考え方では、ほんとうに国をあげての崇拝の対象にはならないし、また、天皇が民族の象徴として堂々と御親拝になることはできない。天皇陛下が大祭には参拝されるということが、やはりこれまでの遺家族として安んじるもとになっておったのではないか。ですから、護国神社に祭られるのと靖国神社に祭られるのとでは違う。これは簡単には結論するわけにはいきませんけれども、何とかして、堀内さんや山下さんの行われるように、国として堂々とその費用も出し、みんなあげてそれを参拝するというのには、宗教ということから脱しないといかぬ。かつて、今の最高裁判所の長官をしておる田中耕太郎氏が、靖国神社参拝したある小学校の生徒に先生が参拝と言ってみんなに頭を下げさせたというので、ひどく怒って、そうして問題を引き起したことがある。これは館さんも御記憶だろうと思います。これは、田中耕太郎氏が怒ったのは、氏がカトリックだからで、カトリックというものは、きわめて厳格で、自分の宗教以外のものに一切頭を下げない。ですから、宗教ということになりますと、どうしてもそういう問題も起ってくる。たとえば、小学校の生徒が修学旅行に来て、先生が率いて行ってそこへ参拝する場合に、国のために殉じた神様に対して敬礼をするということは、これはだれも異存はないでありましょうけれども、宗教となりますと、たくさんの宗教のうちの一つでありますから、田中耕太郎氏のような議論が出てくると思う。だから、今後は、宗教法人としてでなしに、宗教からもう一つ抜け出たものとしての靖国神社という考えでいくべきではないかと思うのですが、その点、館さんいかがでしょうか。
  88. 館哲二

    館参考人 今の山本委員お話ですが、実は私も前に神社局に関係をしておりまして、そのときには、靖国神社神社局の所管ではなくて陸海軍省が直接にやっておられた特殊な存在であったのです。そこで、終戦後私総代を仰せつかってからも考えておるのですが、何か気持においてほかの神社とはどこか違っておるんだということはあるのですね。あるんですが、どうも、信仰の対象になるかならぬかという問題になりますと、はっきり言って、あそこに神様としてお祭りしてあるんだという御遺族気持と、そこはどうもなかなか削り切れないものがあるものですから、どういうお取扱いをしていった方がいいかということについては、実は悩まされておるのです。先ほど廟舎という話もありましたが、私としては、どうしていいかという問題は実はまだ結論が出ておりません。しかし、これはさっき権官司さんから話がありましたように、神社本庁というものがありまして、神社が大体入っておりますが、靖国神社は全然違うんだからということでそこへ入っておらないのです。今の法規の上で宗教法人としては取り扱われておるのですけれども、今の神社本庁へ入って、普通の神社と同じだという建前はとらない方がいいのではないか、これだけ別に立っていって、そこで何か発見をするという行き方をしたらどうかというので、実は解決に悩みながら、私は総代の一人としてはそういう気持でおるのであります。
  89. 堀内一雄

    堀内委員 本日この靖国神社英霊合祀の問題につきましては当局から十分事情もお伺いすることができましたが、これを要するに、全英霊をすみやかに靖国神社合祀することは全国民の熱望であるのでありまするが、それにもかかわらず、法令そのほかの支障によりまして、その実施はきわめて困難であることが予想されるのであります。しかるに、本打政府当局出席しておりませんので、政府の意図するところを十分承知することができませんのはまことに残念でありますが、委員長におかれまして、政府当局等に対して、この事情を十分お伝えいただくと同時に、政府当局、当事者並びにわれわれ委員会関係者一つ十分懇談いたしまして、そうして何とかこの問題を打開するようにしたいと存じまするので、委員長におかれまして、このことに関して御配慮をお願いいたしたいと存じます。
  90. 高岡大輔

    高岡委員長 先ほど山下委員からの御要望もあり、ただいま堀内委員からの御要望もあったのでありますが、当委員会の本日の内容を政府当局にも十分申し伝えますと同時に、本日おいでいただきました館参考人を初めとして、各関係者方々とも今後十分懇談をいたしまして、何とか全国にわたる御遺族の御満足のいくように、国家としてもまたこれに対するはっきりした態度をきめるべく、努力をして参りたいと思います。  ほかに御質疑がなければ、これにて参考人よりの事情の聴取を終ります。  参考人各位には、お暑いところ長時間にわたりまして詳細に事情をお述べ下さいまして、まことにありがとうございました。委員長より厚く御礼を申し上げます。  次会は公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後一時三分散会