○山下(春)
委員 朝からるる
靖国神社に対する御質問がありましたので、私が何も重複した御質問をすることはもうございませんが、ただ、私は、けさからの
靖国神社側と
堀内委員との問答を聞いておりまして、非常に妙な
気持になりました。非常な矛盾の上に立っていろいろ議論が進められておると思うのであります。
先ほど
池田さんからお述べになりました
靖国神社の性格でありますが、これは、明治元年の太政官布告をもって、国に殉じた人をお
祭りするところであるということであります。ただいまは、敗戦の結果、これが
宗教法人となっている。
宗教法人になっているものに対して、
堀内委員の申される
通りに、一柱でも早くお
祭りをいたさなければならないではないかという国民の意思表示、国家的意思表示をこの
神社にすることは無理である。根本からこれは矛盾に立っての議論であります。この
靖国神社という
神社を、今日のままの姿にして、いわゆる
宗教法人として置いておくところに矛盾がある。
宗教法人であるがゆえによい待遇を受けておる、——これは、
宗教法人としての人格からおっしゃればその
通りでありましょう。しかしながら、一体国に殉じた者に対して国家がどう報いるかということのけじめをつけてものを
考えるときに、このような議論は実に本末——本末と申しますよりは、根本的な矛盾に立っての議論だと思うのであります。こういう矛盾を解消すべく、昨
年度、吉田内閣のときだと思いましたが、
名前は仮称として無名戦士の墓を立てようということが持ち上りました。これは、おそらく、だれが
考えてみても、この矛盾を解消したいということであったでありましょう。
一体、国民が国に殉ずるとは何か、それに対して国がどう補償すべきか、いわゆる国家の意思決定をどういう形においてするかということでなければならないのであります。今日において、一
宗教法人たる
靖国神社にいろいろな問題を持ちかけまして、そうして、これを早く解決するのにはどうするかというので、集まった寄付で勝手に休憩所を作ったり、いろいろなことをするのはけしからぬじゃないかとか、また、
神社の方では、そんなものに使っておらない、ただ渡り廊下を修繕しただけだとか、これは全く
英霊に対しては言語道断な議論でありまして、さような議論が行われるべき性格の
神社ではないのであります。
そこで、国家がこの問題に対してどのような意思決定をするかということであります。一
靖国神社に対する質疑応答ではこれは解決をいたさないのでありますが、いたさないといっても、このままにしてはおけません。国に殉じた尊い
英霊を慰め奉るために、せめて
靖国神社にお
祭りするということが、御
遺族の人々にとっては一番大きな慰めでもあり、安堵でもあり、またそうしてもらいたいといういちずの
気持がございます。そういうところから呼びかければ非常に寄付がよく集まるというような言葉が出たりするほどでありまして、あるいは、私自身も、昨年北海道を
調査いたしました際に、月寒町の町長から言われたことは、
靖国神社に
合祀される方がたくさんあったんだが、一時ではなかなか金が出しにくいものだから、当町においてはこれを三カ年間に分けて、町から三千円の補助を差し上げて、
靖国神社に
合祀される方の御
遺族を東京へお参りにやっております、こういうことであります。今日御
承知のような
地方財政逼迫の折柄、このいちずに
靖国神社に祭られたい、祭ってもらいたいという
遺族の一筋の頼み、願いの心をかなえてあげることが、せめて国民としての悲惨な敗戦の跡始末としての
一つの心やりなのでありますけれ
ども、しかし、
考えてみれば、
神社そのものとしてはそうは
考えながらも、実は東京都に監督されておる一
宗教法人であるというようなところに、いろいろな矛盾が出るのであります。これは、当然、この
靖国神社というものが生まれましたそのもとに立ち返りまして、国家の意思決定として、この
神社というものに対してどういう態度をとるかということが先決でなければなりません。
皆様方もいろいろ御
遺族の要望にこたえるべく非常な
努力をしておられますが、その
努力は必ずしも正しく
地方に映っておらない。あるいはむしろそれは
一つの不平の声にもなっておる。今
堀内委員から
お話しになりました
護国神社に対しましても、東京に来られない御
遺族の方を慰め、かつは御
英霊を慰め奉るために非常な盛大な行事を各県で行なっております。それらの
費用が
遺族のふところから大部分が出るとなると、われわれ
国会としては、こういうことを見ておられない。今回の恩給法の改正あるいは
遺族援護法の改正等も、国家財政の必ずしも豊かでないときではありましたけれ
ども、いわゆるこの国家の意思決定をどうするかということが最大の論拠であります。国に殉じさせた者に対して、国家の予算がまことに逼迫さしているから、心ではそう思ってもそう処遇ができないということではならないということが、あるいは恩給亡国等の暴論もある中を、あえてわれわれが誠心誠意その関頭に立って戦ったゆえんもそこにあるのであります。そういう点から、私は、この
靖国神社の将来というものに対しましては、国民の長い間の郷愁の森でありますそういうものに対しましては、一
宗教法人たるの性格をもって、戦後五・六年間皆様方が今日までにあそこをいろいろ取りつくろい、御修復その他のことをして、
あとう限りの御
努力をもって非常にたくさんの御
英霊を
合祀していただいた御
努力に対しては感謝いたしますけれ
ども、このままにしておきましたのでは、この問題はいつまでたっても解決をしない。国民の頭の中にすっきりしたものができないのであります。私は、国家の
資金がどのくらい出ておるかは存じませんが、一昨年アメリカのアーリントンの無名戦士の墓所を訪れましたときに思いましたことは、あのワシントン郊外はるか離れたところにありますけれ
ども、ワシントンの国
会議事堂からまっすぐに、一直線のところにアーリントンの無名戦士の墓はあるのであります。それは、その戦士の国に殉じられたその
気持を察して、政治を行う者は再び間違った政策によって尊い人の命を落してはならない、あそこには戦士の魂が眠っているのだ、どうか為政者は今後国策を遂行する上にむだな犠牲を出さないように心すべきであるということをお互いに戒め合う
一つの下心もあって、そういう
場所に作られたということであります。私
どもが非常に祖先を崇拝し、あるいはそうした国に殉じた人に対して国民的な
一つの感謝の念をどこの国よりも早く現わす国民のあり方としては、私は現在の姿は正しい姿ではないと信じておるものであります。
堀内委員からるるこまかい点に対して御質疑がございました。一々今日本の国内にあちらこちらで耳にする問題でありますけれ
ども、要すれば、戦後十年、独立して三年を経ました今日、あの二十一年の勅令七十号というものが正しい国民意思の表示ではなかったということはだれしも
承知するところでありますから、そういう点で、私
どもが今後こういう問題をどういうふうにすることが最も国民の意思にぴったりし、そのあり方が最も正しい姿になるかということを、当事者である皆様方とともに、
国会も政府もあげてこの問題の解決に当らなければならない。
こまごましたことはことごとく御質問の
あとでございますから、私は私自身の感想あるいはその今後のあり方というものに対する点を申し上げましたが、
奉賛会の
理事長として今日までこの尊い御
事業に携わってこられました館さんとしては、あなた御自身のお
考えがありましょう。また、
当局であられる
池田権官司にも、あなた自身の、こうあることが正しいのではなかろうかというお
考えが、ひそかにあったに違いありません。ただ、そういうことを公けに訴えるの機会なく今日まで過されたのではあるまいかと
考えますので、御両所のこれに対するお感じを伺っておきたいと思います。