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1955-07-08 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月八日(金曜日)    午前十時四十四分開議  出席委員    委員長 高岡 大輔君    理事 辻  政信君 理事 堀内 一雄君    理事 戸叶 里子君       赤城 宗徳君    保科善四郎君       眞崎 勝次君    眞鍋 儀十君       田村  元君    中馬 辰猪君       仲川房次郎君    山下 春江君       柳田 秀一君    受田 新吉君  出席政府委員         外務事務官         (アジア局長) 中川  融君  委員外出席者         厚生事務官         (引揚援護局総         務課長)    栗山 廉平君         参  考  人         (ビルママン         ダレー会会長) 市原  了君         参  考  人         (サン・トレー         ディング株式会         社代表取締役) 黒川 信夫君         参  考  人         (全日本仏教会         国際局長)   中山 理々君     ――――――――――――― 七月八日  委員高橋等君辞任につき、その補欠として中馬  辰猪君が議長の指名委員に選任された。     ――――――――――――― 七月七日  海外抑留同胞帰還促進に関する陳情書  (第三一八号)  ソ連抑留胞引揚促進に関する陳情書  (第三四五号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  ビルマ地域における戦没者遺骨収集に関する  件     ―――――――――――――
  2. 高岡大輔

    高岡委員長 これより会議を開きます。  直ちに、ビルマ地域における戦没者遺骨収集に関する件について、参考人より事情を聴取することにいたします。  本日ここに御出席願いました参考人方々は、市原了君、黒川信夫君及び中山理々君の諸君であります。事情をお伺いいたす前に、一言参考人各位に対しごあいさつを申し上げたいと存じます。  参考人各位には御多忙中のところ御出席願いまして、委員長より厚く御礼申し上げます。本特別委員会は、御承知のように海外残留同胞引き揚げ及び遺家族援護の諸問題についての調査を行なっておりますので、現在まで調査を行なってきております南方諸地域における戦没者遺骨収集及び慰霊のいまだ実施されていない地域として、今日ビルマ地域実情皆様よりお伺いいたし、調査参考に資することといたしましたので、この点お含みおきを願い、詳細にビルマにおける実情並びに遺骨収集に対する御意見をお述べ願いたいと存じます。  まず初めに市原了参考人よりお話を願います。市原了君。
  3. 市原了

    市原参考人 私は、大東亜戦争中ビルマ方面軍宣伝班員として従軍、ビルマ戡定作戦終了マンダレー市において市原商会を経営しマンダレー日本人会のお世話をいたして参りました。昭和十八年三月、皆様承知インパール作戦が開始されるや、マンダレーの各商社は各社数名ずつ各兵団徴用になり、私の店からも私以下十五名徴用になりまして、特に印緬国境カボー盆地の開発を命ぜられ、撤退作戦終了まで従軍いたしました。私は、作戦のことはよくわかりませんが、インパール作戦は、雨期と飛行機にはばまれまして、軍の意のごとくならなかったと思われます。印緬国境一帯、カレワータムの一線にはインパール陥落後の委員として各種部隊が待機いたしておりました。また病院もたくさんありました。撤退作戦が始まると、戦闘部隊犠牲者はもちろんでありますが、この後方部隊は、糧秣の補給が戦闘部隊優先のため、ほとんど栄養失調にかかり、動けませず、飢死、自決する者が毎日続出して参りまして、思い出してもお話もできないありさまでございました。インパール街道はもちろんですが、カレワー国境タムーチンドウィン支流ユウ川の周辺に、数万の戦歿者がいまだジャングルの風雨にさらされていることでしょう。私がおりましたところのユウ川上流のアローの病院などでは、撤退命令が急なためほとんど自決いたされました。この病院には、私のところから毎日木の芽スープ——塩が若干入っておりますが、これを補給しておりまして、患者の人の大半はインパール前線において負傷された方が多かったのであります。それからこれは私の隣の村のパンダというところでございますが、私が軍司令部に連絡に参りましてその帰り道に、村の入口で、二人の兵隊さんが全裸に近い姿でのどを帯剣で突き自決しているのでございます。かたわらの道に、木のきれで、私たちはもう一歩も動けないからここで自決をいたします、ボロボロの軍服に穴のあいた地下たびですが、どうぞ利用して下さいと、きれいに整頓して持ち物全部積み重ねてありました。内地もビルマ物資不足のことを思われてなされた行動と思いますが、死を目前にしてこのようなことをされる余裕があることを思いますと、さぞかし前線においてもはなばなしい活躍ができたことと、思わず頭が下りまして、丁重にその場に埋葬いたしました。どこの部隊兵隊さんかわからないのが非常に残念であります。マンダレーも十九年三月敵の手に落ちましたが、あの方面住民は、最後まで日本人に非常に協力してくれまして、必ず戦没者の遺体も埋葬してくれておるものと思います。  私たちマンダレー日本人会生存者は、昨年の五月ごろから会合いたしまして、何とかして一日も早く、あの勇敢に戦い、あるいは最後までがんばって戦没されました方々の御遺骨収集慰霊をしなければ、われわれ生存者として戦没された方々に相済まないと考えております。たまたま昨年十月ビルマとの賠償協定もでき大使交換も済みましたので、本年四月準備会を開き、五月五日福岡市において発会式慰霊祭を行いました。このことが毎月新聞に報道されましたところ、九州、山口の各県の遺族会あるいは遺族戦友方々からたくさんの激励のお手紙をいただきまして、ほんとう遺族戦友の声を聞きました。遺族の方は、私のお父さんあるいは夫、子供の骨は、すでに十年も経過しているのでありますから、わからないかもわかりませんが、その地の土でも石でも草花の種でもよいから、ぜひ持って帰ってきていただきたいという切なる願いでございます。特に自由党の中馬先生は、当時インパール作戦主力兵団生存者として、この会の記事をごらんになりまして、わざわざ福岡においでになりまして、協力申し出られました。この遺族会遺族戦友方々の意を体しまして、五月中旬、私、会を代表しまして上京、たまたま最近この問題でビルマを訪問されました黒川さんともお会いいたしまして、仏教会中山先生、日赤、遺族会方々の御協力を得まして、十一日ビルマ戦没慰霊会発会を見ました。本日本委員会はこの問題を審議されることになり、異境万里ビルマ風雨にさらされておる戦歿者もきっと喜んでおることと思います。何とぞ政府並びに国会におかれましても一日も早く本問題を実施されるよう、生存者の一人として、また会を代表してお願いいたします。  簡単でございますが、以上をもちまして報告といたします。
  4. 高岡大輔

    高岡委員長 次に、黒川信夫君にお願いいたします。
  5. 黒川信夫

    黒川参考人 最近ビルマを訪問して参りまして、特に遺骨収集に関する件に一つの重点を置いて見て参りましたので、もはや大部分方々は数次にわたります報告で御存じかと思いますが、私は今度インドビルマに参りましたのは初めてでございます。ただ、戦時中に、ビルマの南の方のアンダマン、スマトラを含む地域作戦行動をしておりました一端末の参謀でございまして、その関係上、特に悲惨なるビルマの戦況の跡につきましては人ごとでなく見て参りました。このたび四月上旬に行われましたアジア会議日本代表団の一員に加えられまして参りましたので、この機会を利用いたしまして、できる限りインドビルマ方面及び、できましたならば、中国方面のわれわれの戦友の眠っている状態、またこれの送還が非常にむずかしいという状態でありましたので、それを念頭に置きまして、出発前に引揚援護局あるいはここにお見えになっております辻先生その他にごあいさつに参りまして、できる限りのことをやってこようと決意を持って参りました。  これは蛇足の話でございますが、アジア会議に私が参加いたしましたのは、あの会議そのものの背後にあるものはいろいろ揣摩憶測をせられておりますが、私自身は、何らそういった色なしに全くの中立、かつ突然の御指名を受けまして参りました元軍人でございます。デリーにおきまして、ビルマの各代表、この方々は、聞くところによりますと、あるいは想像して行ったのでありますが、大部分が反政府人たちであるという状況でありましたので、ビルマ大陸における遺骨収集の困難というものを、この際その一角をどうしてもくずしたい。また、中国に参りましても、今までの懸案を元戦友立場から至誠を披瀝して、あの人たちの御協力を得ようという決意で参りました。残念ながらこのたびはビルマの方にひっかかりまして、中国の方に回れなかったのでございますが、デリーにおきましてそういった各代表との間をしばしば訪問いたしまして、ビルマ国内情勢、特に遺骨収集し得るかいなかという問題に焦点をしぼりまして折衝いたしました結果、私の頭の中に大体の構想ができましたので、特に彼らに頼みまして、彼らと今一緒に手をつないでいる人たちラングーンに集まっていただいて、私も、旅費が少いから、できるだけたくさんの人にお会いできて、この問題が果して私の構想通り進むだろうかどうだろうかということを検討をさせてもらいたいと言ったところが、この申し出を受けてくれまして、四月の十九日にラングーンに集まっておるから行けということでございましたので、そこへ参りまして、ラングーン郊外——タマエの近くでございますが、数名の人々と会いました。それ以来、ラングーン滞在三日間でございましたが、日本大使館牛葉参事官以下大使館員及び在留日本人会ビルマ方々及びビルマ赤十字の副社長と申しますか、名誉副社長といった方々にお会いいたしまして、大体この大陸のむずかしいと考えられるものも、方法を考えれば、また熱意いかんによってはできる。少くも本年の雨季明けからは、国民がやる気でがんばればできるという確信を持つに至りましたので、以後帰りまして、引揚援護局はもちろんのことでございますが、赤十字全日本仏教会、その他の御協力をいただけると考える各種の団体にお話を申し上げまして、一日も早く、特に悲惨であり、また現在もむずかしいと考えられるビルマをまず第一次に達成したいと、今日まで微力を尽さしていただいております。  後ほどもしいろいろ御質疑がございましたならばお答えいたしますが、とりあえずこれだけ申し上げます。
  6. 高岡大輔

    高岡委員長 最後に、中山理々君にお願いいたします。
  7. 中山理々

    中山参考人 私は、ビルマの一仏教の性格と、ビルマ仏教界と私ども仏教界との戦後の関係、最近の遺骨につきましての先方の気持を、わかりました点を申し上げようと思っております。  大体ビルマ仏教国でございまして、憲法におきましても仏教は特別な位置を付与せられておるのでございます。住民の九〇%は仏教徒でございまして、ビルマ人といえば仏教徒ということになっておると、ビルマ人みずからが申しているくらいでございますが、われわれの大乗仏教と違いまして、あちらは原始仏教でございまして、二千五百年前、釈尊の当時、阿難とか、目連とか、舎利弗とか、そういう人たちがいたときのようなその通りの格好をして、それに似た出家生活をしているのであります。物質生活というものを非常に卑しみまして、要するに、物質生活というものはわれわれの仏性を曇らすものだ、従ってわれわれの理想とするところは涅槃寂静精神の自由であるという立場で、彼らの理想は三衣一鉢の出家生活が一番の喜びとするところのものでございます。従って、ビルマ人は、どういう人でありましても、子供のときに一度はお寺に入りまして、不殺生、不邪淫、不妄語、不飲酒というような五戒、八戒さえ守って、そうして二カ月なり三カ月なりを過ごす。これは、子供自身喜びでもございますし、また親の誇りでもあるのでございます。その中で仏縁のある優秀なものが残りまして仏道修行を続けるというのが向う仏教でございます。従って、肉体というものは精神の入れものである。これが滅びてなくなれば、これを埋葬いたしますが、日本のようにりっぱなお墓を建てるわけでもございません。死体に対しては、日本のようなうるわしい感情はないのであります。遺骨につきましても、一般のものは火葬いたしません。少くとも、修行に一生をささげたようなりっぱな坊さんであれば、これは火葬をしてその遺骨を尊ぶということはございます。その最も大きな例は釈尊でございまして、釈尊遺骨に対しましては、絶対の敬意を払い、心を込めましてこれをあがめて、仏塔を随所に建てておるのでございます。  そこで、この遺骨の問題でございますが、終戦後、世界仏教徒会議昭和二十五年の五月にセイロンで行われました。そのとき私たまたまインド世界平和者会議高良さんと一緒に行っておりましたので、そちらに回りまして参加いたしましたが、そのときにビルマ代表が来ておりまして、なかなか活躍しておりました。そのときに、日本も独立をしたら、一つ世界仏教徒会議をやってもらいたい、第二回の仏教徒会議日本でというような希望がございましたので、昭和二十七年、幸いにわが国も独立いたしましたので、さっそく東京並びに京都におきまして第二回の世界仏教徒会議を開いたのでございます。そのときにもビルマ代表は大勢参りまして、ビルマとは大へん親しくなったのでございます。越えて昨年は、第三回の世界仏教徒会議ビルマで行おうということになりましたので、それに先立ちまして、五月に、ビルマでは仏滅二千五百年記念の仏典の編さん、校訂並びに現代語に翻訳というような、仏典結集と私ども言葉で申しますが、歴史的な第六回目の結集をやるというので、世界中の仏教徒並びに学者を集めまして、盛大な発会式をやったのでございます。そのときには、わが長井真琴博士並びに曹洞宗宗務総長佐々木泰翁師二人が国賓として招かれて、大へんな厚遇を受けて帰ってきたのでございますが、間もなく先ほどお話ウ・チョウ・ニェン夫妻が九月に日本に参りまして、私ども共立講堂で盛んな歓迎会をやったのでございますが、その団長夫人日本の第二回の世界仏教徒会議にも参っておりまして、われわれは非常に親しく、そしてその暮れに行われます第三回のラングーンにおける世界仏教徒会議についていろいろ打ち合せをいたしました結果、ほかの国ではせいぜい二十名、平均して十名くらいというのを、日本は特に六十八名の代表を受け付けてくれまして、日本航空の柳田社長の好意で日本飛行機を一台チャージしてくれましたので、為替関係も非常に楽になりまして、日本からかようにたくさんの代表が来たということは、日本の上歴史から申しましても非常に珍しいことでございましたが、ビルマ連中といたしましても非常な喜びでございまして、戦争中の気持を払拭して特別にわれわれを歓迎してくれたのでございました。  そのとき私どもを送ってくれました仏教徒も、また行きます私どもの胸のうちにも、ビルマの山野に眠っております十八万の犠牲英霊のことを思い、まだ帰って来ない八万幾らの御遺骨に対しましては、向うへ行くのであるから、何とか格好をつけて来たい、どこに御遺骨があるか、どういう方法でもってこっちに持って来られるか、そういうことも胸に刻んで参ったのでございますが、向うに参りましてさっそく間接に話をいたしまして、私ども考えておりました、ビルマ戦争犠牲者と、われわれの英霊と合せて怨親平等での合同慰霊祭をしたいという申し出に対しまして、ちょっと待ってもらいたいということになったのでございます。それは、ビルマの大衆は、日本人といえば兵隊を思い、兵隊といえば、中には日本兵隊を喜んでいる者もありましょうけれども、大多数は、日本兵隊といえば、びんたであり、あるいは略奪であり、あるいはいろいろな乱暴なことをする人であると思っている。しかも、御承知のごとく、ウ・ヌー、オンサン初め、 アンティファシスト・ピープルス・フリーダム・リーグというようなものを立てて、日本のファッショに反対をした政治的な歴史もあるのであります。従って、苦に返って戦争当時の犠牲者云々ということを今言うと、せっかく日緬協定ができて平和的になって、日本から、兵隊ばかりでなく、やはり技術家も来る、また平和の衣を着た坊さんが大ぜい六十何人も見えているので、ビルマ人たちは、なるほど日本にもこうしたりっぱな平和な人たちがいるのかと思って喜んでいるところであるから、そういうことをやられては、また昔の日本のことを思い出して、寝た子をさますことになるから、やめてもらいたいというようなお話がありましたので、私どもは非常に意外に思いまして、ただ、ラングーン郊外並びにマンダレーまで参りましたので、マンダレー郊外部隊が残しました同胞犠牲英霊のお墓の前にそろいまして、香華をささげ、お経を上げてお祈り申したのであります。ことに、そちらの地図にもございますが、マンダレー付近のあのイラワジ上流百マイルを仏教遺跡参拝のために上下いたしまして、川蒸気で行ったのでありますが、デッキの上で曹洞宗管長高階老師を囲みましてお経を上げまして、持って参りました地蔵菩薩の三万枚の絵姿を川に流しまして、いわゆる地蔵流しの法要をいたしたのであります。御承知のごとく、ビルマは五月から十月まで雨季でございまして、十一月からずっと毎日々々いいお天気で絶対に雨は降らないのでありますが、そのときたまたま一天にわかにかき曇りまして雨がぼつぼつ落ちまして、われわれの衣に当ったのであります。一緒に行きました参議院の赤松女史、その他の皆さんも、全くこれは英霊心持ではないかと思って、われわれも胸迫ったことでございました。イラワジ川の河畔におきまして、河畔の砂利を拾い、あるいは激戦の地といわれたところに行きまして、そこの石をふところにして持って帰りまして、これを粉にして、小さい錦の袋に入れて、三月十四日の護国寺のわれわれの報告会並びに慰霊祭にはビルマの御遺族をお呼びして、お渡ししたのが、せめてもの私たちの心根でございました。  しかるに、こちらにいらっしゃいます黒川さんが、四月のインド平和者会議の後に、ビルマをお回りになって、ビルマ赤十字社長にお会いになり、また反政府軍ボスなどにもお会いになったところ、向もでは遺骨のことについて協力しようというようなお話だということを伺いましたので、さっそく私は黒川さんに来ていただきまして、いろいろお話を伺い、非常に喜んだのでございます。幸い私どもが大ぜい参って平和な姿を見せてきたために、だんだん気持もゆるんだというようなうぬぼれも出まして、これならばほんとうにありがたいと思っておったのでございますが、それがだんだん進みまして、いよいよビルマ戦没者慰霊会発会しようというような話まで、高岡先生初め皆さんの御熱意が盛り上って参りましたので、さっそく私は向う手紙を出しました。と申しますのは、五月の中旬に、私どもの宗派から、十二名の若い僧侶と一人の尼さんの十三名が、ビルマウ・ヌー首相の招請で、向う戒律仏教の一年間の修行に参るというのであります。その送別会の席上で私は黒川さんのお話をしまして、私どもが行った範囲ではむずかしかったらしいけれども、最近好転したとも思われるので、ビルマの人の気持をそこなわないように気をつけながら、その遺骨のことを聞いてもらいたいと言っておきました。なお、私手紙を出しまして、今度はこうした慰霊会が発足するようになって、総理大臣の官邸で官民あげての意向を盛り上げるのだから、果してそちらの方でできるかどうか、もう一ぺん聞いてもらいたい。同町に、私終戦以来懇意にいたしており、日本にも参りました、検事総長であり、現在では最高裁判所の判事をしておりますウ・チャン・トーンという若い閣僚でございますが、これがビルマ仏教会を牛耳っておる方であります。ビルマ仏教会は、仏教が国教であります関係上、国家機関としてやっておりますので、みなそうした閣僚級連中主任になってやっております。その中の主任事務総長のチャン・トーン氏に、こういうことを聞いておるのだが、できれば事情を知らしてもらいたい、終戦十年遺族心持を思うと、ほんとに私どもは寺として檀家のお骨であるから責任が重いのだといって、手紙を出してやりました。不幸にしてウ・チャン・トーン氏は国際司法官会議でアテネに行ってしまいまして、返事はとれなかったのでございます。とうとう十一日には間に合いませんので、私はあの会を発起人会としていただきまして、発会式は一昨日に延ばしたようなわけであります。  その後、私の手紙ビルマにおります若い僧侶たちにあげましたところが彼らも非常に感激いたしまして、自分たち委員を作りまして、仏教会会長最高裁判所のウ・トーン氏に会いまして、その報告が来ております。会いましたところ、そういうことならば、決してわれわれは反対もしないし、むしろ仏教会あげてそういう心持になるのをわれわれは援助しよう、そういうはっきりした返事をもらったのでございます。なお、いわく、これはどうしても国際問題になるからして、国家国家との話し合いもつけてもらいたい、われわれ仏教会としては、国家機関であるから、できるだけのことはするけれども、われわれは国家責任者でないのだから、その点を一つよろしく頼むということをことずけてきたのでございます。ところが、最近の外務省お話を伺いましても、また厚生省の皆様お話を伺いましても、御調査の結果、あちらの方では、まだ正式には言って参りませんけれども、こちらへ参りましたウ・ソー・ティン外務次官アジア局長は、個人の立場としてはなるほど同情にたえない、しかしこれは国防省関係することだから、国防省に相談してから返事しようということになったそうでございます。御承知のごとくあちらでは治安がまだ非常に悪いのでございます。私ども参りまして、ラングーンからマンダレーに行きますまでの汽車は、ドイツ製のりっぱな寝台車でございまして、日本にもないくらいのりっぱな車でございますけれども、私ども参りますと、夜間はぺンマナ辺でとまってしまうのであります。夕方着いて翌朝までは危なくて夜行の汽車が走れないというような、われわれ想像もできない状態でございます。いわんや、奥地に参りますと、黒川さんのお会いになりましたようなボス連中が、鉄砲をかまえて今の政府に対してゲリラ戦をしているような状態でございまして、国防省ということも出たのでございましょう。結局私は相当な危険があると思います。しかし、私ども仏教徒として、善の者として、衣を着ていけば、何とか政治を離れた立場も得られやしないか、またその立場をもって行かなければならぬと思っているのでございます。最近ウ・ヌー首相も、世界一週の旅をアメリカで終りまして、日本に一週間ほど滞在するそうでございますが、そのときには、私どもビルマ慰霊会の恵を体しまして、幸い私のところの仏教会会長名誉会長というような御指示もいただきましたので、ウ・ヌー首相にわれわれの衷情を述べまして、無理にとは言わないけれども、最近のウ・ヌー首相言葉の中に、日本占領後のビルマを見ましても、日本に対する憎しみで一ぱいであったというような言葉が出ておりますので、私どもは彼の感情も顧慮しながら、また終戦後の御遺族の切々たる心持をも胸にしまして、話をしてぜひお願いしたいと思っているのでございます。しかし、大体の今の見通しでは、同じ仏教国でございますし、われわれが話をすれば、われわれの申し出を断わることは今ではなかろうと思う。現に、外務省お話を伺いましても、はなはだ明るい気持でございます。黒川さんのお話がやはりほんとうであるように思われますので、私はこの際政府におかれまして積極的な御施策をとられんことをお願いする次第であります。向うにおります若い僧侶たちは、たとい草に伏し木に寝ても、そのことをいたしたい。カレワを中心にして四万、シッタン川で三万の英霊が沈んでいるとか、そういうことを向う日本人会の席上で聞きまして、非常に感激しておりました。どういうことでもいたします。ただ修行の妨げになるとか、また修行のために来たのに、遺骨を探しに来たのかと思われても困りますが、その誤解さえなければ、どういうことでもします。こう申しているのであります。重ねて私は政府の積極的な御支援と積極的な施策と御交渉の進展をお願いしたいと思います。  大へん長くなりましたが、以上で終ります。
  8. 高岡大輔

    高岡委員長 これにて一応参考人より事情を聴取いたしました。  この際、参考人に対する質疑の通告がありますので、これを許します。堀内一雄君。
  9. 堀内一雄

    ○堀内委員 この際黒川参考人にお伺いいたしますが、ビルマの治安関係についてまずお伺いしたいと思います。
  10. 黒川信夫

    黒川参考人 ごく最近の治安状況につきまして、私の得るところを申し述べます。  ここ数年来ウ・ヌー政府が非常に努力をいたしまして、現在のウ・ヌー政権の兵力と申しますか、警備兵力は、正規丘が四万で、正規の警察軍が三万ございます。その約七万と、あとは、各村落で自警団を組織いたしまして、ひたすら積極と消極の両面にわたり治安の回復を急いでいるのでありますが、この数年来非常に実績が上りまして、現在のところでは過去におきますとほとんど同等くらいのところまで参りました。ただ、反政府兵力が力を持ったようでございまして、現在におきましては約一万内外の反政府軍の兵力、そのほかに台湾軍と申しますか、台湾の兵力が約五、六千、約五分の一くらいの反政府軍の兵力でもって抗争を続けておるようでございます。この目的はほとんどが政治及び民族的な闘争でございまして、これは私も満州の匪賊をすぐ思い出したのでございますが、これとは性格を非常に異にしまして、特に日本人の問題につきましては、反政府軍も、一応政策上約三億ドルの対日賠償につきまして非常に反対をしているようでございますが、個々に当りますと、反政府人たちも、日本人の人道上の問題の行動につきましての治安ということは、過去における一般の満州の物取りの匪族と違いまして、行動にさしたる支障を来たさないという確信があり、また、このボスたちに会いまして真剣に頼みますと——これはほとんどカレン族及びアラカンの人たちでございましたが、われわれは激戦中にも日本軍をむしろ援助したい方であって、現在の政府が悪いのであって、日本人が来て遺骨収集する、あるいは慰霊を行うことについては、むしろわれわれが案内をしてやってもいいというくらいまで向うは言ってくれておりました。現在の反政府軍の主体と申しますのは、この前ちょっと印刷いたしましてある方にお渡しをしたのでございますが、共産匪と称する共産系の赤色及び白色共産党という非合法の共産勢力、それに民族闘争をやっておりますものが——ラングーンの北の方にトングーというところがありますが、このトングーの東の方にパプンというところがあります。そこを根拠にいたしまして、このラングーンマンダレー街道、トングー、ペグー方面に勢力を逐次伸張して、日本人が一番たくさん戦死をいたしましたこの間に、特にカレン族の種族闘争のものが行動しておるようであります。それから、われわれとして重視しておるマンダレー、インパール方面におきましては、ほとんどが共産系の白色と赤色のもの、最近はそれに最右翼のバー・モー政権の残党がこれと統一行動をとろうという密約があるようでございまして、その人たち行動している、蠢動を続けているというのが現状のようでございます。  簡単でございますが、お答えといたします。
  11. 堀内一雄

    ○堀内委員 次に、遺骨は現在どのような状態になっておりますか。たとえば山地に集団埋葬されているというようなことか、または当時のままに散在しておりますか、その辺について……。
  12. 黒川信夫

    黒川参考人 私各方面を回って見る余裕がございませんでしたけれどもラングーンにおられます江守日本人会長そのほか相当数の日本人が奥地を歩いておられます。その方々から私が知り得たこと、及び大使館でいろいろ吉田副領事及び沼田君あたりがこの問題に専念をして検討しておられるようでございますが、その人々からの情報、及びこちらへ帰りましたこの方面作戦をせられました参謀の方々、そういった方々から、あるいはまた、私が帰りまして新聞に出されましてから、元戦友から多数の激励と当時の状況を言ってきていただいたのでありますが、その方々からのお知らせその他を総合いたしますと、戦時中になくなられました方々の現在の姿は、白骨がその辺にころがっているというのは少い。これにつきましての情報を私も現在ぼつぼつながら集めておりますが、どこへ埋めた、どの道の何メートルくらいのところ埋まっている、あるいは自分が見て来たという当時の戦友報告を総合して、初めて正確なものが得られるのではないかと考えております。ゴム林あるいはジャングルの中に小さい小屋を建てて、そこでなくなられた、あるいは仮包帯所のようなところで、そのままあおぶくれのままなくなったというようなのがごく一部でございますが、そのままにほとんどもうわからないようなところにころがっている、いわゆる地表にころがっているというところもごく一部にはあると思います。
  13. 堀内一雄

    ○堀内委員 同僚の辻委員がのどをこわして発言ができませんので、私が辻君にかわってその意見を述べます。  ビルマ遺骨収集には、治安の関係もあり、相当の危険も伴うことが予期せられるのであります。しかしながら、十年後の今日十八万の遺骨がさらされていることは、かつてビルマの戦場にあった私としましては見るに忍びないものがあります。願わくば、政府においては、すみやかにその収集の計画を立てられたく、私は、僭越ではありますが、国会のお許しを得てその収集団に参加させていただきたいことをこの機会に申し上げます。終り。
  14. 高岡大輔

    高岡委員長 山下春江君。
  15. 山下春江

    ○山下(春)委員 戦後十年、灼熱瘴癘のビルマのジャングルの中に、十八万という非常にたくさんの英霊が、香華をたむける人もなく、いまだに風雨にさらされているということは、まことにわれわれとしても耐えられないものを感ずるのであります。今回黒川参考人、その他市原中山参考人及びいろいろな方面方々の御尽力によりまして、多くのジャングルの中に捨て去られておりました御遺骨を何とか持って帰ることができるのではなかろうかという希望を持たせていただいたことを、諸参考人方々に厚くお礼を申し上げます。今中山さんからるるお話がありましたように、この問題は両政府間に話が進められることが好ましいというお話でございましたが、中山さん御自身政府と直接その後お話をお進めになった様子はございませんか。
  16. 中山理々

    中山参考人 先ほど申しました最高裁判所の判事ウ・チャン・トーンと申します人が、仏教会の事務局長をやっておりますので、この人に話を進めておるわけであります。と申しました理由で、もう帰ってきたと思いますが、帰ってくれば必ず返事があると思います。電報も打ってございます。
  17. 山下春江

    ○山下(春)委員 先方の政府の方へは、そういうふうな日本仏教国としての立場から、いろいろ手をお打ちになっている点は、これまた感謝にたえないし、非常に御苦労であると思うのでありますが、日本政府に対しては何か御相談をなすったことがおありでしょうか。
  18. 中山理々

    中山参考人 ビルマ慰霊会の発足の問題でございますが、外務省に私参りまして、黒川先生のお話を申しまして、外務省として直接あちらへ聞いていただけないか、そういうことをお願いいたしました。また黒川さんや皆さん一緒に厚生省の方にも参りまして、田辺援護局長にお目にかかりまして、この点をなおお願いいたしました。やはり、厚生省としましては、外務省の方に連絡をして、まず外務省から先方の意向をただして、われわれは慎重な方法をとろうと思う、こうおっしゃっておられました。私の仄聞するところでは、高岡委員長外務省の方に何度も行かれまして、かたいお約束をされておるそうでございまして、それが先月の末に太田ビルマ大使からのの文書で返事が参りました。現地のこの辺は治安がいいとか、この辺は困難である、この辺は治安がよくても猛獣、毒蛇の困難があるとか、詳細な御返事が参っております。それで、その中に、ちょっと私聞きましたが、アジア局長をしていますウ・ソー・ティン氏が、プライベートに同情して、国防省と相談して正式な回答を出しましょう、そう言われたそうであります。なお、私ども仏教会としましては、正式の書面を両方へ出しております。
  19. 山下春江

    ○山下(春)委員 高岡委員長外務省にお出かけになりました結果も聞きたいのでありますが、ちょうどきょうは中川アジア局長が御出席でございますから、この問題は、ただ単にお祭騒ぎになることなく、せっかく参考人皆さんが非常な努力をして一つの糸口を開かれたわけでありますから、政府としてもこれに対して積極的な協力をして、このことの実を結ばれることが非常に大切なことと存じます。十年間いろいろな事情があったとはいえ放置されていたということは、はなはだ残念なことでございますので、政府としてもこの問題について相当御研究になったと思いますので、中川局長からその点を承わりたいと思ます。
  20. 中川融

    ○中川(融)政府委員 この問題につきましては、政府といたしましても大賛成をいたしまして、政府が率先してやらなければならぬ問題でございますので、民間の有志の方々のお申し出、御計画というものを詳細にわれわれもお聞ききいたしまして、厚生省と外務省とで相談いたしまして、これはぜひ最近の機会に実現したい、かように考えまして、まずその最初の手段方法といたしましては、やはりビルマ政府の意向を問いただす、同意を取りつけるということが先決である、かように考えまして、六月初めに詳細にこちらの計画というものを現地の太田大使に申し伝えまして、これをビルマ政府に伝え、ビルマの同意を取りつけてもらいたい。その内容につきましては、遺骨収集をすることを了解を得て許してもらうということ、なお、遺骨収集いたします際に、現地で遺霊祭を行う。遺霊祭を行うに当りましては、もしそういうことが可能であるなれば、単に日本の軍人の方々の遺霊のみならず、ビルマの人で戦死された方もたくさんおられるわけでありますから、それらの人々の霊をもあわせてお慰めするという意味で慰霊祭を挙行したい。なお、遺骨収集等をいたしました現地には、できれば何らかの意味で碑を建設するというようなこともしたい。そのようなことを申し出たのであります。なお、治安状況がビルマでは必ずしも良好でないところもあるようでありますから、具体的には、この地域は治安上さしつかえない、この地域は治安上困るというような詳細な情報もできればいただきたい、かようなことを数カ条申し入れさせたのでございます。それに対しまして、ただいま参考人の方から御報告がありました通り、先方のウ・ソーティン・アジア局長は、非公式に、自分としては、第一の日本の軍人さんの遺骨収集するということ、なお必要があれば現地において慰霊祭を行うということについては、当然これは賛成すべきであると思っている。なお、現地に碑を建てる、記念碑を建てるということについては、まだ、現地の民族感情というか、戦争に対する感情というものが十分解け切れていないというところから、あるいは記念碑を建てるというようなことは困難であるかもしれない。なお、治安状況については、相当治安は回復してきているけれども、なおまだ匪賊が蠢動している地域があるので、そのようなところでは遺骨収集は困難ではないかということを十分はおそれている。かような中間的な回答がございました。しかしこれは正式の回答ではない、正式の回答は、国防省と連絡して、国防省からしっかりした回答をもらってからするということで、これが六月の末でございます。従って現在国防省からの正式回答を待っているということでございます。  なお、現地の大使館も非常に苦心いたしまして、治安状況等について相当詳細な資料を報告してきております。その内容をかいつまんで申し上げますと、ラングーンの近くが案外治安状況が悪い。むしろラングーンから遠いところ、インドの国境に近い方、インパール作戦からずっと後退したわけでありますが、あの沿線あたりが匪賊も少くて、むしろ治安状況がよくて案外行けるのでは一ないか。それから、割に雲南国境に近い方——これは雲南国境にもできれば入りたいということを向うに問いただしたのでありますが、雲南省に入るということは事実上中共治下であるから困難であるという中間報告がウ・ソ・ティン氏からありましたが、むしろ国境に近いところがかえって治安状況が比較的いい。こういうことが判明いたしまして、それらの事情は詳細厚生省に報告いたしております。それらの報告に基いて、厚生省が中心になりまして、現地に遺骨収集団を派遣するという計画をこれから作ることになる、かように考えております。なお、ごく最近ビルマの首相のウ・ヌー氏が日本に来られますので、その際には、さらに民間各団体の方々協力いたしまして、ウ・ヌー首相にもこの点についてのできる限りの協力をお願いしたい、かように考えております。
  21. 山下春江

    ○山下(春)委員 政府がこの問題について非常に積極的に誠意を持ってお当り願っておることに対して、大へん私もありがたく思うのであります。しかも最近ウ・ヌー首相がおいでになるということも非常にいいチャンスと思うのでありまして、私もその点をぜひ政府で積極的に御交渉願いたいと思ったのでありますが、そういう御準備もあるということで、大へんけっこうでございます。これは、政府の今のお考えでは、この前の大成丸のように政府が主体になってやることの方がいいとお思いになりますか、どういう形態をもって実行に移そうとお思いになっておられましょうか。
  22. 栗山廉平

    ○栗山説明員 政府といたしましては、この前と同じように、政府で編成しました収集団をもってビルマ遺骨収集もいたしたいというふうに考えております。
  23. 山下春江

    ○山下(春)委員 今の中川アジア局長お話で、御遺骨のある地域の治安状況等も相当詳しくわかっておるようでございますから、私は、この際、非常にたくさんの御遺骨でありますから、一応その政府の考えておられる方式によりまして、治安等の非常によい地域の、いわゆる地元のビルマの人々の好意的な協力の得られる地域で、この遺骨収集というもりが非常にいい感じでいい成績を上げることができれば、きょうまで非常に心配されておった、あるいは日本人に対して多少の疑問を持っておったビルマ人たちに対しての親善にも非常に大きな貢献をするものと考えますので、そういう点では、この遺骨収集をなさりにおいでになる方等につきましても、政府でも十分御検討を願って良い結果が上げられますよう、このむしろ悲しむベき事態を取り上げながらも、なおそのことが日緬両国間の関係に非常なよい結果を残したということに到達いたしますように、御努力を願いたいと思うのであります。
  24. 高岡大輔

    高岡委員長 戸叶里子君。
  25. 戸叶里子

    戸叶委員 戦争犠牲一つとしての私ども同胞遺骨が、まだそのままにされているということは耐えられないことでございますが、そういう意味から、皆さんの御努力で今日遺骨収集の具体的なところまでだんだん運んでこられたということは、私どもといたしましてもまことに感謝する次第でございます。  そこで、先ほどの参考人黒川さんのお話を聞いておりましたところが、現地の方々といろいろお会いになって感じられたことは、やはり方法と熟意を持って臨まれるならばある程度解決される、こういうことをおっしゃいましたけれども、何かその方法について、あなたのいろいろな方とのお話し合いの中から具体的なものをお持ちになっていらっしゃるかどうか、この点を伺いたいと思います。
  26. 黒川信夫

    黒川参考人 先ほど申し上げましたように、私は私なりに一つの構想を相当慎重に検討したつもりでございますが、まことに非才でございまして、果してそれが公正妥当なものでありますかどうかということは何とも言えないのでございますが、私は、一つの構想としまして、先ほどもちょっと申し述べましたように、現在の治安状況及び今までこの収集ということについての阻害が何であったかということから分析をいたしますと、一つ熱意の欠如である。小さい例を申し上げますと、向うの大使館に参りまして遺骨のことについてどういう状態になっておるか調べようと思いましても、外務省を通じて厚生省から来ておる書類がどこへしまってあるかわからない。昭和二十五年に厚生省から回ってきた書類を、これが最近のものであるとしてお示しいただいたのでございますが、戦没者あるいは行方不明者の数字につきましても、こちらへ帰りましてから検討してみますといろいろ差異があるようでございますし、また、ラングーンにおきます日本人慰霊のための共同募地を見ましても、あれで現地の大使館が、われわれのやらなければならない義務というものを責任を持ってやろうという熱意が果してどの程度まであるかということにつきまして、この席で申し上げるのははなはだ失礼でございますが、そういったわれわれの国内問題から、いわゆる阻害事項が発生してきている。   〔委員長退席、堀内委員長代理着席〕 従って、これを早期に実行に移すには、やはり実際にわれわれがやらなければならぬと痛感しております戦友なり御遺族方々気持ほんとうに受け継いだ人々によってやられるのが一番適当ではないかと思います。  また、現存のビルマの治安状況から考えまして、先ほどもアジア局長からお話がありましたように、ラングーンの近くが特にひどいということは、ほとんど物取りではなくて、ラングーンの近くに政府の機関が集中している、それがために政府に対する示威という目的を持って治安を悪くしている、あるいはさらに、カレンあたりは、独立しょうとしている関係上武器がほしい、武器がほしいから、各地に駐屯している小兵力の政府軍を小さく攻撃して鉄砲を取るという目的、あるいはその移動の途中で列車を襲撃するといったような、純然たる政治目的及び民族闘争の治安不良という情勢から考えまして、私が、インド及びビルマラングーンにおきましていろいろの人たちに会って向うの人の対日感情その他を検討いたしますと、赤十字の旗を立てて行動すればまず鉄砲のたまが飛んでくることが少い、また先ほどからのお話のように仏教国であって、僧侶の姿であれば、カレン族を除く諸地域におきましては一応まず無事通過ができる。カレン族は四百万この山地及び一部平地方面に浸透してきておりますが、ほとんどがキリスト教徒でありまして、現在同様に五二年の秋から始まりました英国の遺骨収集につきましての非常な協力と、それから毎年五月十七日に行われますイングリッシュ・グレーヴ・ミッションの記念祭には、カレンの人たちは多数参加をして、英緬の共同というような空気まで盛り上げている。そういったところから、私も、国内のことを考えませんならば、民間団体で、仏教あるいは赤十字、ともにイデオロギーのない人類愛に基く諸団体によっておやりになるのが、一番至当ではないかと考えたのでございます。  国内問題につきましては、やはり国内の御遺族方々の御納得の行くように、政府の手を通じてお手渡しになる。あるいはラングーンにおきましても日緬合同の慰霊祭を施行せられます。そういった面で政府が表にお立ちになって、実際の面は、ほんとう実情から申しますと、あまりビルマ政府軍の警備兵力をつけていただいたりしない方がはるかに容易であり、またトラブルも起こらないでスムーズに行くという、これが実情でございますけれども、全般の情勢から見まして、当然国家がやることであり、また国家の費用でやっていただかなければ、現在われわれ微力でございましてとうていできませんので、現在の私の立場から申しますと、困難ではあるけれども政府がやっていただく。政府がやっていただくにつきましては、われわれは、でき得る限りの、一兵卒の御奉仕を申し上げるという気持で、現在の慰霊会に私も顔を出しております。
  27. 戸叶里子

    戸叶委員 これまでの遺骨収集が成功しませんでした一つの理由といたしまして、日本の出先機関の中にも非常な落度があった、こういうようなことも言われるわけでございます。ただいまのアジア局長の御答弁を伺っておりますと、今度は大へん積極的に乗り出しておられるようで、ございますので、そしてまたただいまの黒川さんの御意見を伺いましても、結局政府と民間団体が力を合せて強力な運動をやるべきであるという結論に達したと私は考えるので、ございます。そこで、先ほどのお言葉の中にございましたが、たとえば、反政府軍の強い地域であっても今度の遺骨収集の問題は、人道上の問題として日本が話し合えば話し合えるような状況にあるというようなことを、さっきちょっとおっしゃったように思いますけれども、この点はどうでございましょうか。と申しますのは、先ほどアジア局長のウ・ノー・ティン氏から、この先については危険だ、この先は危険でないというような情報が入っているというふうにお話しがございましたが、危険でない地域だけで、危険な地域はそのままにしておくというのでなくて、何らかの方法が考えられないか、こういうことも私ども考えますので、参考のためにもう一度伺わせていただきたいと思います。
  28. 黒川信夫

    黒川参考人 先ほどは出過ぎたことを申し上げましたけれども、治安の比較的むずかしいという地域におきましても、私が先方に参りまして各方面方々にお会いした感じでは、できると判断をいたします。またこれは、ラングーンに二年ばかりおられました河野副領事の個人的な御意見を承わりましても、できるというお考えのようでございます。河野さんは御自分の弟さんをマンダレーの周辺でなくされた方でございましたが、この河野さんの言葉、また、ごく最近に私よりも一カ月ばかりあとにラングーン付近を回って帰りました、二年ばかりインドビルマ方面を歩いて帰って参りました沖君あるいは真家君あたりからいろいろ状況を聞きましても、方法によってはできるという私は確信を持っております。これを今回もし早期に政府がおやりいただくということにつきましては、できる限り私たちといたしまして奉仕をさせていただきたいと考えております。
  29. 戸叶里子

    戸叶委員 アジア局長に伺いますが、ビルマ遺骨収集に当って、どこかほかの国の例のことを御存じでございましょうか。
  30. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいま参考人の方からちょっと御発言がありました通り、これは英国がすでに三年くらいの間やっておる模様でございます。相当成果を上げたということでございますので、その実情を現地のイギリス官憲からよく聴取して報告するようにということを、先般一般的訓令を出します際に同じくつけ加え出したのでございますが、これについてはまだ報告を受けておりません。従ってどのような方法でイギリスがこれに当り、どのような成果を上げたということは、非常にわれわれ知りたいと思っておるのでありますが、現在までのところ、まだ詳細な報告が来ておりません。この報告が来ますれば、われわれが今度やろうといたしております遺骨収集方法についての貴重な資料が得られるのではないかと期待しておるところでございます。
  31. 戸叶里子

    戸叶委員 私がイギリスの例として伺っております一つのことは、大使館の中に常住の遺骨収集係の人、熱心にそのことに取り組む人を置いて、現地の人をつけて各地を詳細に歩いて成果を上げているということを伺っておりますけれども、こういう点を実際にお聞きになったかどうか、黒川さんにお聞きしたいと思います。
  32. 黒川信夫

    黒川参考人 現在、英国大使館におきまして、ワッドソンという方、これもやはりビルマで歴戦の方だそうでございますが、ワッドソンさん以下数名の英国人が、遺骨収集につきまして五十二年の秋からお始めになっておりまして、その事務所は大使館の中にあるそうでございます。この方が治安のいいところから二年の計画でもって遺骨収集を始められたそうでございますが、ビルマ人を十名ないし十五名使われまして、比較的いいと思うところ、あるいは情報を収集して、ここにあるとか、あるいはこの方面で英国人が死んだというような情報をとってやっておられるそうでございますが、まだ現在三分の一くらいしか進んでいない。これは完全にやろうと思えば長くかかるものでありまして、英国軍があの方面でどのくらいなくなりましたもの一か、おそらく二、三万ではないかと思うのでありますが、英国式の遺骨収集日本遺骨収集は、おのずから方法なり構想が違うと思うのであります。けれども向うは個々に一人々々確実な方法によってやっているようでございます。われわれは、とうていそれだけのことを、遠隔の地でもあり、できないのではないか、それを完全にやりおおせのるは、仏教会等の、ことに現地に深く入り込まれる方々、そういう方々以外には、政府がおやりになるのではとうていそれだけの規模のものはできないのではないか、やればやれると思いますけれども、むずかしいと思います。
  33. 戸叶里子

    戸叶委員 アジア局長に伺いますけれども、ただいまのお話、お聞きの通りでございます。そこで、仏教会の方などにもたくさん行っていただいて、現地でできるだけ早く私どもはその効果の上ることを望むわけでございますけれども、なかなかいろいろな問題もございましょう。そこで、仏教会の方にもたくさん行って住んでいただいて、いろいろと調査をしていただく、そういうようなことを積極的に援助するためにも、どなたか一人大使館なり何なりにこの遺骨収集係として置くくらいの熱意政府は持った方がいいのではないかと思いますけれども、この点に対するお考えはいかがですか。
  34. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいまの御意見、私も大賛成でございます。ぜひそのような方法も考えまして、たとい今回の遺骨収集がいろいろ時間その他の関係で万全を期し得ない場合におきましても、なお引き続いて、今御指摘のような方法等を考えまして、遺骨調査、あるいはできますれば週骨の収集までも行う専門の機関と申しますか、そういう機構を現地の大使館にも作りまして、先ほど参考人の方から御指摘のありましたような、前に行った書類がどこに行ったか見えなくなったというような事態が決して再び起ることのないように努力をいたしたい、私も強くさように考えておりますので、御了承願います。
  35. 中馬辰猪

    中馬委員 私は、去る五月の本委員会におきまして、ビルマ地域における戦没同胞遺骨収集に関しまして、厚生省並びに外務省の御当局に対しまして質問をいたしたのでありますが、実は私個人のことを申し上げて恐縮でございますけれども、私も、戦争中、昭和十六年大東亜戦争開始と同時にビルマに参りまして、終戦後約一カ年間同地に抑留せられておりましたために、このビルマ戦没慰霊会の設立及びその後の運動につきましては、非常な関心と同情を寄せている一人であります。今日参考人といたしまして市原黒川中山のお三方が、今日まで非常な努力をせられてこういう委員会における取り上げまでしてもらうようになったということは、まことにお三人の方方の御苦労と努力のたまものであったと思って、深く感謝をいたしておるものであります。まずお礼を申し上げてから質問をいたしたいと思います。  実は私が戦争ビルマにおりましたときの感じでは、当時は戦争中でございますし、また特に戦争終了までは日本が戦勝国でありましたから、そのために、私どもビルマ政府あるいはビルマ人に対する感じというものは、あるいは一方的な感じであったかもしれませんから、この点についてははなはだ警戒を要するわけでありますけれども、現在、特に対ビルマ賠償が二億ドルに決定をいたしましてからのビルマ人日本人に対する感情はどういうふうになっておりますでしょうか。終戦直後に比べて非常によくなったとか、あるいはやや好転しておるとかというような面につきましては、どのような状態でございますか、アジア局長にお伺いいたまします。
  36. 中川融

    ○中川(融)政府委員 私どもが、政府におきまして、ビルマ国民の対日感情をどういうふうに見ているかという点について申し上げたいと思います。あるいはここにおられます参考人方々が現地に最近行かれましてごらんになられましたところと、若干食い違いがあるかもしれませんが、その点は御訂正を願いたいと思うのであります。  われわれは、主として先方の政府筋と接触して、見ておるのでございますが、対ビルマ賠償がきまります際の状況から簡単に御説明いたしますが、あの賠償問題をひっさげまして昨年の夏来られました際のウ・チョウ・ニェン工業大臣の言といたしまして、ビルマ国民は決して長い間の戦争における日本軍のいろいろな行為というものを忘れることはできない。これは口に出して言えないいろいろな苦しみを実は受けている。しかしながら、同じアジア民族として、決して、いつまでもこれを根に持って、日本国民を許さない、日本国民と交際しないというような考えは持っていない。日本が、あっさりと、あのときのことは、今度賠償問題を解決することによって忘れて、今後は同じアジアの民族としてお互いにアジアの復興に邁進していこうではないかという態度に出てくれるならば、自分らとしては喜んでそれを受け入れる。昔のことは昔のこととして、できるだけ忘れて、新しい将来に向って進んでいこう、かような決意をもって来ているのである。従って賠償の額等も決して幾らでなければいかぬというようなことは考えていない。しかしながら、日本の誠意のあるところを賠償の内窓によって示してもらいたい。それだけが自分の希望するところである。かような態度であったのであります。非常に仏教徒らしい大乗的な考え方でありまして、われわれもその態度に深く感激したのであります。その結果、交渉はお互いの誠意によりまして順調に進みまして、二億ドル賠償ということにきまったのであります。その後、ビルマとの折衝におきまして、要するに今日ではその賠償をいかに現実に日本が誠意をもってきちんきちんと払ってくれるか、これが残された私どもの問題でありまして、これがちゃんと約束通りに行く限りにおいては、決して日本に対しても悪感情を持たないということを言っております。われわれもまたそう考えております。現に、いろいろな国際会議その他におきまして日本が参加するというような問題におきまして、ビルマは常に日本を支援してくれているのでありまして、大きく申し上げまして、ビルマ政府並びに国民の対日感情というものは、戦争当時の感情を心の底にいまだに残して持っているということはないと、かように考えております。また日本も、その先方の気持に応じまして、誠意をもって今後の日緬国交を改善樹立していくという心がけで進むべきものである、かように考えているのであります。
  37. 中馬辰猪

    中馬委員 ただいまのアジア局長お話を聞いてまことにわれわれも意を強くするのでありますが、この運動が漸次具体化いたしまして、いよいよ日本政府の名前で遺骨収集団が向うに渡った場合において、たとい全般的にはビルマの国民感情日本人に対して非常に良好であるからといって、それだけでは私は安心ができないのではなかろうかと思うのであります。先ほど来参考人方々やその他の方々からお答えがございましたように、あるいはビルマ人とかあるいはカレン人とかあるいはチン族というような、そういう問題もあるし、あるいはキリスト教の問題、仏教の問題、いろいろございますから、これを全ビルマ一つ、今度日本政府から参るところの視察団というものは決して他意はないのだ、戦争中の遺骨収集及びビルマ戦没者に対する慰霊のために来たんだということをあらかじめ周知徹底せしめる必要があると思っております。それらの情報宣伝といいますか、そういう活動をする新聞、ラジオあるいは雑誌等を通じてビルマ国民にこれを徹底せしめなければならぬと思いますが、現在ビルマにおきますそういう方の日本の大使館における活動の状況、及び大使館がこれをなすに際しましての通信機関といいますか、そういうものは一体どの程度にございますものでしょうか。私どもの聞くところでは、そのほかに、仏教仏教としての特殊通信網がございまして、ラングーン仏教のこちらでいう総本山でございますが、そういうところから各地に伝えるという一つ方法もございましょうが、政府の方の立場といたしましては、新聞、雑誌、ラジオ、そういう方面を使う場合においての使い方でございますが、向うでは雑誌、新聞類はどの程度発行されておりましょうか。
  38. 中川融

    ○中川(融)政府委員 御指摘のように、今回遺骨収集団が現地に参ります際には、これが決して他意のあるものではないということを広くビルマ国内に周知せしめることが必要になるわけでございますが、それではこれの具体的方法いかんということになりますと、正直のところなかなかむずかしい事情にあると思います。と申しますのは、治安状況から申しましても、先ほどの話にもありました通り、ラングーンは別といたしまして、その周辺はすでにもう政府反対する連中が幡きょしておるというようなことになっております。従って、国内に対する通信というものにおきましても、いわゆる普通の有線電信による通信網というものはほとんど期待できないのではないかと考えるのであります。なお、新聞、雑誌等ももちろん発行されておりますけれども、これも全国あらゆるところにまでそれが及んでおるというような事態ではないようでございまして、やはりラングーンとかその他大きな町に集中されておると見なければならぬと思うのであります。今回の遺骨収集団が参ります場所は、どちらかといえば、そういう人の多い大きな都会というところではないのでありまして、いなかに行くわけでございますので、ここらに周知徹底せしめるということはなかなか困難であろうというので、実はその点が心配の種の一つでございます。しかしながら、これは結局先方の政府を通じまして、政府の機関等を通じて行けるところまではそれで周知してもらう、それ以外には、ただいま御指摘のありましたように、それ以外の方法、ただいまの仏教、宗教を通ずる一つの網と申しますか、ルートというのがあると思われますので、そういう方法によって徹底をはかるとか、あるいは飛行機によりまして、伝単といいますか、こういうことをやるのだというビラを目的地の周辺に振りまくというようなこと等。普通の国では行われない特殊の方法をやはりいろいろ考えなければならぬ、かように考えております。なお、現実にも相当飛行機を利用しないと、これはむずかしいのではないか、ラングーンから奥地に参りますのに、やはり飛行機とか船等の便というものをよほど考えなければいけないと思います。先般南方方面遺骨収集船を出しましたときとは構想を相当変えまして、新しい構想が必要ではないかと考えております。なお、現実の収集に当りましても、単に政府の職員のみが当るのではなく、民間の有志の方方、仏教関係方々の御援助を願うということがどうしても必要じゃないか、これが私のただいまの考えでございます。そういうことについて、政府部内でさらに具体的方策を慎重に研究いたしたい、かように考えております。
  39. 中馬辰猪

    中馬委員 向うの具体的な話はそれくらいにいたしまして、来たる七月十九日でございますか、ウ・ヌー総理大臣がアメリカより日本に来られるそうでございますが、最初私どもが聞いたところでは、同総理大臣は三日間滞在されるというお話でございましたが、今朝及び昨日の新聞を見ますと、各新聞によって若干数が違うようでございますけれども、ある新聞には三日間と書いてございますし、ある新聞には五日間と書いてございますが、大体何日間の御滞在でございますか。
  40. 中川融

    ○中川(融)政府委員 今回来朝されますウ・ヌー首相は、正味四日間滞在される予定になっております。朝早く着きまして晩おそく立たれるという予定でございますので、現実には大体四日ある、かように考えております。
  41. 中馬辰猪

    中馬委員 実は、ビルマ慰霊会におきましても、最初三日間おられるということを前提にいたしまして、またとない機会であるから、一つ総理大臣に対してこの運動のお許し方をお願いしたい、こういうことで進んで参っておられるようでございます。ところが、聞くところによると、同首相は中央公論に手記を先般発表せられておりましたが、あれを私ども実は非常な関心を持ちましてつぶさに拝見いたしたのでございますけれども、中にはわれわれが見てびっくりするくらい激しい筆もございます。従ってウ・ヌー総理が日本に来られた場合において、どういう方法ビルマ慰霊会やあるいは政府の方から交渉をしたならば一番効果があるだろうか、この点に関しまして、専門であるところの外務省におかれましてはとくと御研究を願いたいのであります。実は、最初は、国民の歓迎大会を本願寺で開きまして、その席上戦没者遺族方々代表者からお訴えいたしたい、こういう計画でございまましたが、途中で、あるいは外務省の意見でございますか、厚生省の意見でございますか、よく存じませんが、ウ・ヌー総理は必ずしも親日家ではないから、あんまりそういうことはせぬ方が、かえって刺激しない方がよろしいのではなかろうかという御意見もあったようでございます。しかし、私どもの考えといたしましては、いやしくも一国の総理大臣が来られて、しかも国賓待遇として来られるわけでございますから、そういう方に対して国民歓迎大会という一つの儀礼をもって歓迎することは、むしろ喜んでもらえこそすれ、刺激を与えたり、あるいはそういうことをしたがために逆にビルマ戦没遺骨の問題が阻害される、こういうことはないのではないかと考えておりますけれども外務省におかれましては、こういう点をどのようにお考えでございましょうか。
  42. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ウ・ヌー首相が滞在されます四日間の日程につきましては、大体こういうことをしたい、こういうことをしたいという先方からの申し入れがよほど前からございまして、それに基きまして日程を作りまして、さらに向う政府と協議いたしまして日程ができたのであります。国民大会という考えも初めにあったのでありますが、その過程におきまして、国民大会ということは考えを改めて、むしろ今回の四日間は大体政府が主になりましていろいろの行事を組む、なおウ・ヌー首相にこういうものを見たいという点が相当たくさんございまして、たとえば工場等相当見たい、あるいは仏教の中心地ま見たいというようなこともあり、農家に一泊して日本の農村を現実に経験したい、かようないろいろな注文がありましたために、日程が非常に詰まって、国民大会の考え方は一応ドロップされたのでありますが、それは、ウ・ヌー首相が親日的でないから国民大会でいろいろするのはよくない、かような見地から落したのではないのでございます。ウ・ヌー首相日本占領当時の経験を手記に書かれたということは事実でございますが、これは、私が了解しているところでは、決して最近のものではない。相当前のものを最近日本の雑誌に翻訳して載せたのでありまして、今ウ・ヌー首相があのことを頭にいまだに強く持っておられるというふうに見るべきではない、かように考えております。御承知のように非常に熱心な仏教徒でございますので、そのような昔のことをいつまでも根に持っておられることはない。また一国の首相がさような考え方でおられるとは私も考えておりません。従って、遺骨収集問題につきましては、やはり人道的な立場あるいは仏教的な立場というようなことからウ・ヌー首相に訴えるということは非常に効果があるのではないか、かように考えております。その方法といたしましては、必ずしも国民大会というようなことは要らないのではないか、むしろ心と心とが触れ合うようにしてお願いするというのが一番効果的ではないか、かように考えておりますから、ぜひそのような方法でこの問題の解決をはかりたいと考えております。
  43. 中馬辰猪

    中馬委員 ただいまの局長のお言葉で、あれはずいぶん前に書かれたものであって、現在はさような考えとは違うんだという、これはまことにありがたいことだと思います。われわれもそうありたいものだと願っておるわけですが、もし歓迎大会等ができないような場合におきまして、外務省におかれましては、このまことに貴重な四日間でございますから、ぜひ一つ、この機会をとらえて、国民の意見として強く御交渉が願いたいのであります。実は、川崎厚生大臣は、私どもと会うたびに、ビルマの問題はどうなっているんだということを強く聞かれるし、むしろ私どもが督促されるくらいに非常に御関心が深いようでございます。ところが、重光外務大臣に対しましては、まだこの点に関しまして私どもの方からもさような積極的なことを強く言うておりませんし、またさような段階でないと思っておりましたために、今までは、主として事務当局の皆さん方に対してこの問題を一つ裏面において御交渉してもらうように、実は私どもは差し控えておったのでありますけれども、いよいよ七月十九日といいますと、あと十日くらいでございますから、私どももあと十日間くらいのうちに馬力をかけまして、重光外務大臣に対しましてこの問題を国民の名において強く訴えるし、また事務当局におかれましても、外務大臣に対しましてこの点を一つ強く訴えてもらいたいと思うのであります。  なぜ私がかようなことを申し上げるかというと、私は実は苦い経験があります。それは奄美大島が復帰をするかしないかというあの問題のときに、当時、アリソン氏が向うからこっちにやって参りました。私どもは、奄美大島の方々のためにこの奄美大島の問題をぜひアリソン氏に伝えてもらいたい、こういうことを訴えたところが、そういうことは外交の機密の問題だから、言うかもしれぬし言わぬかもしれぬというような、まことに情ないことを言われて、一同憤慨したことがございます。そこで、せっかく国民の全部の方方が非常な熱意を持っておられましても、当の責任者である外務大臣にこのことが的確に伝わらず、また外務大臣におかれましても、そういう空気のことは新聞を見る程度で、大して関心がないんだ、こういうようなお気持で折衝をただ事務的にされるようなことがあれば、まことに遺憾であると思いますので、私ども、前に岡崎外務大臣がやったようなそういう遺憾な点を再び繰り返してもらいたくないという心配から、実はかようなことを申し上げておるわけであります。できるならば私どもは本委員会の名前において鳩山総理大臣にも訴えまして、鳩山総理もウ・ヌー首相とパーティをされるという計画があるそうでありますから、そのパーティの席上においてでも鳩山総理からウ・ヌーさんにも伝えてもらうし、また重光外務大臣からも、この問題を正式に一つビルマの賠償の問題あるいは貿易の問題と並んで、ぜひ強く取り上げてもらいたいということを希望するわけであります。どうか局長におかれましても、この問題は、きょうやきのうに始まった問題でなくして、実に深刻な問題でございますし、また外交の重大な問題であると考えておりますから、ぜひこの点は強く外務大臣に訴えてもらって、そうして外務大臣が必ず的確にこの問題の真相をとらえてウ・ヌー首相に交渉されるように強く希望いたしまして、私のお尋ねを終りたいと思います。
  44. 堀内一雄

    ○堀内委員長代理 他に御質疑はございませんか。——他に御質疑がなければ、これにて参考人よりの事情聴取を終ります。  参考人各位にはお暑いところを長時間にわたり詳細に実情並びに御意見をお述べ下されまして、本委員会といたしまして調査上非常に参考になりましたことを、委員長として厚くお礼を申し上げます。  眞崎委員より発言を求められております。これを許します。眞崎勝次君。
  45. 眞崎勝次

    眞崎委員 この際動議を提出いたします。本件は一日も早く実現しなければならぬ問題でありますし、各派一致の強い要望もありますので、この際委員会の決議とし、ビルマ地域における戦没同胞遺骨収集を実現したいと存じます。案文を朗読いたします。   ビルマ地域における戦没同胞遺骨収集に関する決議  ビルマには約十八万の同胞遺骨終戦十年後の今日弔う者もなくさらされている現状にかんがみ、政府はすみやかに遺骨収集の具体的計画を立てられんことを要望する。   右決議する。  以上であります。  何とぞおよろしくお取り計らいをお願いいたします。
  46. 堀内一雄

    ○堀内委員長代理 眞崎君の動議の通り委員会において決議するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  47. 堀内一雄

    ○堀内委員長代理 御異議なきものと認めまして、さよう決定いたします。  なお、政府当局に対する送付等の手続については、委員長に御一任を願います。  本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後零時二十七分散会。