○
小山(亮)
委員 ただいま同僚
委員から
質問がありましたのに関連いたしましてお尋ねしますが、
船舶が
沈没したときに
船長はどうして死ぬのだ、死ななくてもいいのだというお話かありましたが、私は商船学校を出まして十六年間
海上生活をして参りまして、現に私自身
船舶が
沈没した
経験も持っておりますが、法規にきめられております
船長の権限というものは、船が
沈没いたしましたときに、最後の瞬間まで船に残って
乗組員の救助とか、あらゆる手段を尽さなければならぬということになっております。従って運輸
大臣が言われましたように、
全員が完全に救助されたときは
船長は喜んで退船ができます。それも最後の瞬間であります。しかしながら乗客であるとか、
乗組員の一人でも救助されないで、どこかにまだひそんでおるというような場合には、
船長はこれを捜査しますから、古い話ですが、日露戦争のときに広瀬中佐が杉野兵曹長を探しに行ったという歌が残っておりますが、一人の行方が、一人の行方がわからないので探しに行った広瀬中佐が死んでおります。それとちょうど同じように、
船長は最後の瞬間まで残っておる。と同時に、ただ残っているのではない。船内のどこかに一人でもいはしないかというので捜査しなければならない。それが
ために大体
船長は生きてこられない。だれも生きたいのはやまやまだが、あの船橋におって、船が沈沈しますときに
——私自身
経験がありますが、船が
沈没しますときには、船が沈むことによって大きな波が起きて、そうして引き込まれるのです。私自身七回引き込まれた。もし救命胴衣を私が身につけなかったならば、七回巻き込まれたときに生きてこられなかったのです。そういうような
経験がございまして、
船長は最後の瞬間まで残っていて、その重責を果す以上、生きてこられないのが事実なんです。でありますから、今まで、外国の船でも
日本の船でも、
船舶が遭難いたしましたときに、
乗組員なりあるいは乗客がなくなりましたときには、
船長というものはほとんど生きて帰ってくる人はございませんでした。けれ
ども、完全に救助されたときには
船長はもちろん生きて帰って参りました。それから
船長が死んでしまったならば、衝突した
事態の真相がわからないじゃないかと言われますけれ
ども、
船長の下には、エンジンの方には機関長以下がおり、副
船長格である一等運転士、そのほかそれぞれの
船員がおりまして、それぞれポジションについていて知っておりますから、それらが生きている限りは、ひとり
船長が死んでも、何ゆえにこういうことが起ったか、すぐにわかるのです。ですからその点は決して心配はない。それをことさらに、遭難に当っては
船員はなるべく生きなければならぬというようなことを、もし運輸
大臣の方で言われるようなことがございましたならば、そうでなくても、今度のこの
高松における
事件のように
船員の精神が弛緩しておりますから、この
事件のような
事件が幾らでも起るので、私はこの点は
反対でありまして、やはり
船長がことさらに生きてくるということはあり得ないものと思います。これは私
ども運輸
大臣と同じような意見を持っております。それからもう一つ、ただいまに関連しまして、商船大学の問題であります。これも文部
委員会の方ではどういうような見地から、いろいろのことがきまったか知りません。しかしながら実際において商船大学でわ教っておるところの生徒はまた卵です。生徒です。それから海技専門学院でいろいろ再教育を受けます者は、すでに高等商船学校を出まして、そうして免状を取って、
船舶職員としてりっぱに働いている、いわば先輩です。その人がさらにそれ以上の免状を取る
ために、中間の
訓練を受けるのであります。従って教えられる
内容は、商船学校の教育とは全然違う。ですから大学の方も、それらの人々が一緒に授業をすることはできない、不可能なんです。どうしても別にしなければならない。それともう一つは、実際上の問題としまして
神戸の商船大学は、川崎商船学校が前身ですが、その川崎の商船学校が戦争後廃止になりまして、そうしてそこにできたのが海技専門学校なんです。ところがどういうわけか知りませんが、商船大学が二つ要るというような議論が起りまして、
神戸に商船大学というものができましたときに、その土地の
人たちの条件としましては、設備その他について二億円の支出をする設備が足りないからなお七千万円の現金を醵出して、その学校の設備を完全にするというような約束がある。それにもかかわらずいまだにその約束は果されておらない。そればかりでなく校舎を引き渡しますときに、
神戸の商船大学を海技専門学院に併設しても、授業その他には何ら
支障を起さないようにするというはっきりした約束を文部省はしておる。しかるにかかわらず、ひさしを貸しておもやを取られたような格好で、今日になりましたら
神戸の商船大学の方が生徒がよけいになってきたので、寄宿舎が狭いから立ちのけというようなことを言われるのです。そうすると一体今の海技専門学院は寄宿舎を追い出されるというようなことで、一体どうしたらいいかというようなことになって、やむにやまれず別に芦屋に舎宅を見つけてそこでやろうとしておるのです。ですから私は何の
ために一緒にするのか意味がわからないのです。そればかりでなくて、もっと根本の問題は、なぜ
日本に商船大学というものが二つなければならないか、商船大学が二つある必要は全然ありません。今
山口県、愛媛県、広島県、あるいは三重県、富山県にあります高等商船学校にいる生徒と、清水にありまする商船大学の生徒、この卒業生だけで
船員が余って困るのです。失業して困るのです。にもかかわらず、さらにもう一つ大学をどういうわけか作って、そしてこれに対して多額の金をつぎ込もうというのは、私はおかしいと思う。校舎が狭いから二つにしたというならわかる。けれ
どもそうじゃない。清水の商船大学はもと戦時中に海軍兵学校と同様な授業をしておったところなんです。四千人の生徒があそこで
訓練を受け、収容されておったところなんです。ですからあの膨大な校舎、りっぱな設備、それから教員などの住宅やなにかのりっぱなことは驚くべきものなんです。その四千人も収容されたところに、今わずかに五百人の生徒を入れているだけなんです。そして
神戸に持っていって、さらに四百二十人ばかりの生徒を入れようというのです。今どこでも校舎がなくて困っておるというようなときに、商船学校だけが、必要でないところの学校を二つどうしても置かなければならぬという理由はない。しかも費用の点からいいますと、清水の商船学校だけで一年に一億二千万円の国費を費しています。さらに
神戸の商船大学では八千二、三百万円の費用を必要としている。あれを一つにすれば一つで済むのです。生徒がわずか四百何十人に対して、教授と職員の数が百五十六名もおる。こういうぜいたくなものを何の
ために作ったか。そしてまた教授が
神戸の商船学校から芦屋の海技専門学院に行くまでの間の距離が遠いから困るというのだが、今
日本中に新しい大学ができておるが、校舎と校舎との間の距離が遠くて汽車で二時間ぐらい旅行して、ほかの校舎に行くというのはたくさんあります。車で行ったってわずか何分、歩いて行ったところで三十分か四十分で行かれるようなところに、離れていて授業ができないから一緒にしろなどということは、全く私は現在の
日本の国情をわきまえざるものだと思う。それから費用がなくてあらゆる設備と費用を節約するときに、商船大学がなぜ二つなければならぬか。こういうことに対して
政府当局はなぜ目をおつけにならぬか。なぜ一つにするようなことを断固としておやりにならないか。私はそれを非常に不可解に思いますが、運輸
大臣のお
考えはいかがでしょうか。