○小山(亮)
委員 私はこの問題が一番重大問題だと思っております。これは何ゆえに
衝突したか、何ゆえにかかる惨害が起ったかということは、それぞれの専門
機関で
調査しなければ軽々しく言えません。ただいま運輸大臣がここで発言しました言葉は、他船が進行してくるのに、なぜ
かじを左へとってそれを向けたか、どうもわからないと言うが、それはおわかりにならないわけなんです。こちらのお客さんをたくさん積んでいる船が、どうしても
衝突は避けられないというときに、先ほど水夫長の話の
報告の中にございましたが、すでに二分前にエンジンをス
トップして、
速力はなくなった、しかし他船が接近して避けられないというときには、自分の船を救うためには自分の船のへききを相手に向けるということは常識なんですよ。だから向けるのがおかしいというのは、これはやはり技術の問題ですから、ここに私は
専門家の審査が必要だということが言えると思う。ですから
衝突の
原因について
運輸委員会で、いかに明敏な頭脳を持っておいでになる方でも、これは海上に起った、特別の技術をもって審判しなければならぬ
事故でありますから、事の善悪をはっきりさせるためには、慎重を期するために、かえってそういう問題には言及しないと
委員が言われたことは正しいと私は思います。従ってその問題を私は言うのでなくて、
船員というものに対しての、それから
国鉄の士気が上っているか下っているかというようなことを
検討するには、
衝突した、
事故が起った後のその処置、これを見ればよくわかるのです。
国鉄には今あれだけのりっぱな装備ができております。たとえば
レーダーにしましても、たしかスペリーの
レーダーだと思いますが、短
距離と遠
距離との間に五段の切りかえができる。たしかこれは最新式の装備のものでありましょう。けれども
霧中においては、
船影がまつ黒に出てくるものが鉄船である。非常に薄く黒く出てくるものが木船であるというような見当はつきますけれども、船がどちらの方向に向いておるかということは、幾ら
レーダーに取っついておったってわかるものじゃないのですから、そういう問題はどうしてもあげて
専門家にゆだねなければならないことなんです。私どもの言わんとするのは、その善後処置なんです。あれだけりっぱな装備を持っておる。無線電話は持っておるし、あらゆる設備を持っておって、あの
連絡船の装備というものは大したものです。ところがそれだけのものを持っていながら、それを使わなければ何にもなりはしない。
ボートを下げなければならないのですよ。数分間でボートが下らぬというような、そんな
訓練を受けている
国鉄の
船員だったら、それは船乗りじゃないのです。かつて私の船に乗っておりまして、大正五年第一次欧州戦争のときに、イタリアの沖でドイツの潜水艦に一発の魚雷を食らって、三分五十秒で
沈没しました。三分五十秒だから何をするひまもなかったのですが、六隻のボートをちゃんとおろして、一人もけがもしないで、みんなのがれることができました。とにもかくにもそういう
訓練を受けていなければならないのです。
救命艇でも、ああいう装備の船ですから、ハンドル
一つ回せばすぐおりる、非常にりっぱなものです。一人でも、そこへ行ってやりさえすれば、すっとおろせるようになっている
救命艇も使わないで各室に用意してある救命袋もつけさせないような
船員は、
船員じゃないですよ。そういう
訓練を
鉄道当局でおやりになっていないとすれば、
鉄道当局の
責任というものは私は重大だと思います。
これは要するに、先ほども
委員の
報告にございましたように、
鉄道の
船舶管理
機構というものはゼロじゃないかと私は思う。だれが一体これを監督し、だれが一体これを
訓練し、注意を与え、そしてこれに指示しているか、これを私は非常に不可解に思うのです。元来
鉄道の管理
機構においては、
船員の発言権というものは少しも認められておりませんよ。
船長——これは洞爺丸の
事件でもそうなんです。そしてまた今運輸大臣が、この
事件が起って、事あらためてこの
機構問題を
云々されるのは、私はおかしいと思う。洞爺丸の
沈没事件の後に、日本の海洋会であるとか、十一会であるとか、海上出身の、全国の各商船学校を出た、あらゆるそういう
専門家の寄っているところで
検討しまして、そして
鉄道当局にも運輸当局にも詳しくこの
事情を
説明して、この
機構を変えなければいかぬということをしばしば進言しておるのですよ。長崎君もこれを受け取っておられるのです。
三木運輸大臣も、就任されてこれを受け取られております。しかしながら、こういう親切な技術家が出した意見書というものには、一顧も与えてくれない。何のためにそうした
調査をし、そうした意見書を出しておるかわかりません、それを
一つも見ないでおいて、
事件が起るとたちまち大騒ぎして、さあ大へんだということになる。これは
鉄道もそうですし、運輸省もそうですが、この問題はたくさんありますよ。私は今の
機構を改めなければ、こんな
事件がまだ幾らでも起ると思う。これはやみませんよ。
鉄道がこわいこわいと言うが、
鉄道ばかりじゃありませんよ。
これは余談になりますけれども、私は横浜を見ましても、東京を見ましても、このごろりつ然としておるのです。修学旅行の団体がどんどん来まして、そうしてあの港を見たいと言う。それを発動機船に乗せてどんどん見せていますよ。相模湖
事件と同じようにもぐりがやっておる。業者がやっておるのじゃないです。よもぐりが料金を取って、港の中をさんざん見せて歩いている。ちゃんと一定の免状を持っておらない。定員制なんか守らない人たちです。横浜なんかきょうこのごろ、修学旅行の団体が一カ月に十万人くらい海上をすっかりやってますよ。それをだれが監督しておりますか。危険千万ですよ。これは必ず
事故が起きますよ。そうなってから、それだれがやめろ、かれがやめろ——役人が一人、二人やめたって、死んだ人間は生き返りはしないのですから、ころばぬ先のつえ——こういう問題は大臣の管轄下にはたくさんあるのですよ。そういうのに対して、抜本的なことをお考えにならなければだめなんです。
鉄道の問題だってそうなんです。
船長の
責任といいますけれども、
連絡船は普通の航洋船と違うのですから、商法によりまして
船長は全
責任を負っていますよ。
船内において生殺与奪の権をつかさどるだけの権力を負わされております。しかし
宇野−
高松のように、出帆してすぐ一時間で向うへ着いてしまう、また向うを出てすぐ一時間でこっちへ来るというものの生殺与奪の権なんか持っておったところで、
船長はどうにもならないのですよ。もちろん
ダイヤがあります。実に厳重な
ダイヤですけれども、
鉄道当局がここにおいでになったら伺いたいのですが、五分おくれると、なぜおくれたかという理由書を出すのですよ。十分おくれても、五分おくれても、三十分おくれても、おくれた理由書というのを出すのです。
船長がたくさん出しますと、どうもあの
船長は勇敢でないぞということで、だんだん受けが悪くなる。これは函館を調べてよくわかった。函館のようなところでも、あの何千トンという大きな船が、着岸して離れていくまでの間が八十分ないし百二十分です。着岸して、そうして桟橋から綱を取ってすっかり縛りつけて、お客を乗せる、
貨車を載せる、手荷物を積み込む、食料品を積み込む、消耗品を積み込む、石炭を積み込む、これはやはりそれぞれ手分けしてぱあっと一斉にやるのです。そうして八十分ぎりぎり一ぱいでさっと綱を解いて出ていくのです。ふたをして荒天の準備をするとか、倉庫の入口にちゃんとキャンバスをかけて、綱で縛ってしまうなんということをする時間はありはしないのですよ。ただ積みっぱなしで出されるのですよ。これが八十分ないし百二十分の間に限定されておるのです。
宇野−
高松もそうです。桟橋に着いてから出ていくまでの時間が限定されて、お客をみな乗せたらだあっと出ていくのです。だから、そういうやり方をするきびしい
ダイヤで、少しもゆるみがないでしょう。十五分おくれてきても、すぐお前は理由書を書け、また三十分おくれてきてもその理由書を書いて判をついて出さす、そういうことだから、どうしたってそんなことをやらないように、
ダイヤに合せるようになるのですよ。
命令はしないが無言の圧力なんです。そういうことに対して、
船長がこれでは困るということを言いたい。言いたいけれども、上でわかってくれる人がない。陸の人ですから、
鉄道の工学士ですから、こんなことはわからない。しようがない。だからやはりその上には——
船長には
責任を持たせればいいのです……。
鉄道にはいい規則がありますよ。私は
国鉄の規則を拝見して——
国鉄船舶就業規則第七条「
船員は、安全を確保するため次の綱領を遵守し、その万全を期さなければならない。一、安全は
輸送業務の最大の
使命である。二、安全の確保は規定の遵守及び執務の厳正から始まり、不断の修練によって築き上げられる。三、確認の励行と
連絡の徹底は安全の確保に最も大切である。四、安全確保のためには職責を越えて一致協力しなければならない。五、疑わしいときは手落ちなく考えて最も安全と認められる道をとらなければならぬ。」これはこの
通りですよ。この
通りやりさえすれば問題はないのですが、この
通りやろうとしてできないのです。今の
機構がじゃまになってできないのです。こういう点に対して
鉄道当局の方、私はだれでもいいのですが、よく知っておいでになる方から、今までの
機構において改める
個所があるかないかということについて、明確な御答弁を承わりたいのです。