○大山郁夫君 大体いろいろの問題で
質疑応答があ
つたようであ
つて、非常に短かい、二日か三日のことでは尽せないようにも
考えられるのですが、併しまだなかなかたくさん残
つておるようにも
考えられるわけであります。それで私のお尋ねしたいのは、
重光外務大臣は日ソ
通商或いは文化交流の問題だとか、日中経済交流、文化交流の問題、これらは勿論その
解決が大事だが、併し国際情勢の動きにいつも睨み合せてそれを
解決して行かなければならないというような趣意のことも言
つておられたように思うのです。それから又自由世界ですか、自由世界との
関係のあの枠の中で
解決して行かなければならないというようなことも言われたと思う。自由世界ということは何を言
つておいでになるのか、私には実はわからないので、アメリカ
あたりが非常に自由の国であるということは前から言われ、私たちも青年時代からそういうことを盛んに聞かされて、私たちの青年時代は、多分
重光外務大臣も同時代の人だから同じような本を読んだと思うのですが、例えば昔のフランスのトクヴイルという人のアメリカの状態を書いたもの、オストロゴースキー、ジエームス・ブライスというような人のものは
日本で古典のごとく非常に大事にされ、如何にアメリカ自体が自由な国であるかということを、そういうものを通じて教えられたようなわけです。私も長くそういうことを
考えてお
つたのだが、私一九三二年頃からアメリカにおりましたが、その体験と、それから
日本に帰
つてからあのマツカーサーの支配下にあ
つての総司令部と私との
関係、最後には私の逮捕まで発展したのですが、そういうような状態を通じてその方面のイリユージヨンというものがすつかり壊されてしま
つたわけです。初めて一九三二年に私アメリカへ行きましたときには、アメリカのほうで、
日本の軍部に反対しておることがわか
つてお
つたので非常に彼らが私を歓迎してくれたので、本当に自由の国だと思
つたが、併しそれは間違いだ
つたので、やはり
日本の軍部は独占資本のお先棒のような形だ
つた。アメリカの独占資本は
日本の独占資本と争覇戦に乗出してお
つたようなときに、アメリカのことがわか
つてお
つたというので、私を非常に優遇してくれたわけだが、私はアメリカに十五、六年もおりましたが、
日本の帝国主義政策に反対したと同じ態度でアメリカの帝国主義政策にも反対したので、最後は敵国外人としていろいろの苦しい中に追いやられ、或いは誘惑を以て迫られ、亡命
政府を作れとか、それから
日本に無条件降伏の放送をしろとかい
つて、殆んど私をアメリカの独占資本の道具にしたようなことがありましたが、それと私は戦
つたので、
日本に帰
つてもその戦いを続けて行こうとして、軍事裁判にかけられようとするところまで来たのでありましたが、そういうことから自由世界なんというような、こういう幻想はすつかり破れてしま
つたのでありますが、併し自由世界というような
言葉を
重光大臣が使
つておられる
気持はわかる、アイゼンハワー、チヤーチルイギリス首相などが同じ
意味で使
つておるので、多分国際連合においてアメリカ並びにアメリカに追随してそうして世界政策を行な
つておる国々、言換えれば資本主義世界の国々、こういう
意味に理解されるのじやないかというふうに
考えられるのであります。併しそれはどうでもいいことでありますが、その自由主義の国々との
関係の変化に従
つて日本の重大な問題を
解決する態度を変えて行くというような
意味に私は了解したわけでありますが、併しただその自由世界の内部、外部の動きで
日本の政策を変えて行かなければならないということにな
つたならば、もう
日本の政策はしよつちう変
つていて、動きのとれないことにな
つてしまいはしないか、やはりそういうような外部の世界の動きというものを見るということは非常に大切であるけれ
ども、併し
日本としてはもつと
日本の対内政策、
対外政策を
解決する基調の動かない根本
方針を持
つていなければならないのじやないか、そうして今日の
日本の
対外政策の根本
方針というものは勿論世界平和に対する
日本の根本政策でなければならないのであるが、同時に又
日本がしつかりした対アジア政策をとらなければならないのじやないか、対アジア政策の根本をどこに置くか、これはいろいろさまざまな点から考慮を進めて行かなくちやならないと思うのでありますが、今月
日本においてアジア
諸国民との連帯感情が非常に強まりつつあるということは、私たちがしよつちう見ている事実なんです。私は
日本のすべての大衆と接触していると言うことはできませんけれ
ども、大衆との接触の範囲というものは相当に広いと思
つている。北は北海道、南は九州までの大衆にしよつちう面接して、全部の
日本の国民と接触しておるとそういうことを言う勇気はないけれ
ども、併し大衆との接触面は相当に広いということは正直に言うことができると思うのでありますが、その中で私が非常に注意したことは、アジア人としての
日本人の意識が非常に強まりつつある、最近において殊に強まりつつある、これはどこから来ているかということは非常に大きな問題でありますが、併しアジア人との、アジア
諸国民との連帯感情ということの根本はどこにあるのか、しばしばアジア人種というものがあるということが言われておりますが、そんなことは滑稽でとるに足らないことで、アジアには同じ人種でないいろいろな人種が、我々が人種というので、アリアン人とか、セミテイツク、ハミテイツクというようなことを教えられましたが、そういう人種はアジアにはすつかりあるのであ
つて、同一というものがアジアの連帯性の根拠とな
つておるのではないので、それはどこからかということについては、そういうものがあるということは事実昔もあ
つたけれ
ども、今日において非常にそれが強くなりつつある。併し
日本にそういう
一つの力を、刺戟を外部から与えたということも私は知
つておる。例えばインドのネール、あのサンフランシスコ平和会議が行われたときに、それに参加しなか
つた一つの理由として、彼はこういうことを言
つておりました。アジアの悩みというものは、いわゆる植民地支配、コロニアリテイ、これ続く限りはこれはアジアの苦しみ、悩みというものは永久に去らないということを言
つてお
つた。そのほかの理由もありましたが、アメリカが
日本に占領軍置いておき、その下において
日本人に自由に意思を発表しろと
言つたつて、それは無理だ、
日本国民が本当の自由意思から
承認するような
平和条約というものはそ中から生れない、そういうことも言
つてお
つたと思うのですが、同じもとからそれが来ておると思うのでありますが、先ずアジアの
諸国民は、あの国ほ最近百年或いは最近数百年間、皆ヨーロツパ、アメリカの帝国主義の支配の下にあ
つたので、それから解放されようというのがアジア人の大きな希望で、すでにその方面において成功している国がある。中華人民共和国、あの五年前の中国の人民解放軍がとうとう国民
政府を台湾へ押しや
つて、あの本土の上に本当の民族的の基礎の上に人民民主主義の
国家を築き上げた、これが又アジア
諸国民から非常に仰ぎ見られておる。
日本は長い間近隣に対して侵略主義をと
つてお
つた、それは事実でありまして、そこでアジア人の憎悪の的にはな
つておるけれ
ども、それにもかかわらずアジア
諸国民が
日本が偉いというようなことを言
つてお
つた一つの原因は、外国の帝国主義に対して
日本は立派に肩を並べて対抗してお
つた、
日本から言えば自慢にもならないことだけれ
ども、アジア人がそういうことで
日本人を憎みながらも、
日本人は偉大だということを言
つてお
つたその心持は我々にはよくわかる気がするのでありますが、殆ん
どもうアジア全体、インド或いは
インドネシア、そういうふうな国々は言うに及ばず、あの国際連合におけるいろいろな動きを見ておるというと、このアジア、アラブ十数カ国の人々もこの点は少しも異論はないのである、この点がアジア人を支配しておる大きな
気持である。帝国主義の支配から解放されよう、
日本も曾
つては帝国主義の国でよその国を植民地化してお
つた国だが、併しあの大戦に負けてからこのかたというものは、やはり帝国主義の支配の下に来ておる、率直に言えばアメリカの植民地のような状態の下に
日本はや
つて来ておる、そしてアジアの
諸国民と全然同じ境遇に立
つておる、これが
一つの現在のアジアの連帯性の基礎にな
つておるものであるというふうに我々は
考えるので、これは今後
日本の問題を
解決する上において非常に大きな問題であります。この間
衆議院においてそげ光
外務大臣は
社会党左派の細泊兼光君の
質問に答えられて、私新聞で見たのでありますが、あの中に平和の五原則に関する
質問が出た、それに対して平和の五原則は理諭としては非常に立派だということを言われたというふうに新聞で見たのでありますが、運用の面においていろいろ難点があるけれ
ども、即論としては非常に立派なものであるということを言われたのだが、あの平和五原則というものはやはりアジアの連帯性の上に立
つておる。第一に領土主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、内政に干渉しないようにしよう、それから平等互恵、平和的共存という五つの項目が並べられておるのであるが、併し全体をまとめて我々は平和的共存と言うことができると思うのでありますが、これはもう勿論この平和的五原則ができたのはやはりヨーロツパの帝国主義の支配に対して、それからの解放ということが基本にな
つておる、こう思うのであります。それでさつきから頻りにSEATOの問題とか、台湾の問題がここで論じられてお
つたのでありますが、あのSEATOの問題にしてもやはり平和五原則の適用である。インドシナの休戦のあのいろいろな要綱がそうであ
つた。あのインドシナ三カ国のどこにも外国の軍事基地を設けない、又外国の軍隊を駐留せしめない、或いは又ヴイエトナムのあの将来の自由
選挙に関して国民の意思を完全に発表させた上で投票せしめて政権の帰趨を定めさせるというような、全く平和五原則、言換えれば平和的共存の理論の適用であ
つたと我々は言うことができると思うのでありますが、SEATOの問題に関しましても、今、
重光外務大臣がいろいろの
説明をしておいでにな
つたのだが、併し私は
一つ欠けておる点があるのではないかと
考えるが、やはりあの平和五原則については、殊に平和的共存の理論の適用であるというのは何であるかと申しますれば、あのアジアの
諸国において、殊にSEATOというものが、これほアメリカ帝国主義を中心に
一つのアジアに関する分裂政策だというふうに
考えられておる、アジアの本当の安全保障というものは全アジアの安全保障でなければならない、今日ヨーロツパで同じようなことをベルリン会議以来言われておるが、周恩来
総理が去る六月の下旬に、ニユーデリーでインドのネール首相と会う前に、ジユネーヴ会議で
発言したのにやはりそういうことが言われてお
つたというようなことを書いてあ
つたと記憶しております。即ちアジアの集団安全保障というものは全アジア集団安全保障でなければならないが、あのSEATOというのはアジアの一部の国々に対して他のアジアに当らせようとしておるが、集団安全保障どころか、アジアの危険を保障しておるというような、
言葉は違いますが、そういう
言葉で言
つてお
つたが、そういうことを
言つた後にニユーデリーへ来て、そうしてネール首相とあの共同
声明を出した。そういうことにおいてもSEATOというものをどういうふうに見ておるかということを我々は
考えざるを得ないのであります。それからアジアから見れば東南アジアの集団安全保障とい
つておるが、一体あの東南アジアの集団安全保障に参加しておる国はどれだけかと言えば、七カ国と言
つておるが、その中で本当に東南アジアの国と言われるのは二カ国ではないか、アメリカの属国のような
フイリピンとタイであ
つて、パキスタンというのは、成るほどパキスタンは飛地があ
つて一部は東南アジアのほうに来ておるけれ
ども、パキスタンのメイン・パートはむしろ西アジアのほうに片寄
つておる、東南アジアの安全保障の体制と言
つておるが、
あとは皆イギリス、フランス、アメリカ、ニユージーランド、オーストラリアとい
つたような、殆んどアジアの国とは言えない国で、そのほうがいわゆるプレドミネートしておるようなわけなんで、東南アジアの国とい
つたら、厳絡に言えば二カ国パキスタンはちよつとばかりが東南アジアにかか
つておるというような状態で、おまけに今日民族の自主性ということが言われておるようなときにおいてもアジアの防衛というものは先ずアジア人が中心にならなければならないということは言うまでもないことだが、これはアメリカのほうが音頭をと
つてそれが中心にな
つておるのだから、これはアジアの集団安全保障というものは本当の名前に相当していないものであるということができると、こう
考えておるのであります。そうして又アジアの
諸国民は、あのSEATOというものは結局反共、共産主義の進出ということを表面の名としておるが、本当に東南アジアにおける民族運動が将来起
つて来るのを、これを圧服しようとしておるものであると、こういうふうに
考えられておることも、これも否むことができない事実なんであります。又それは決して根拠のないことでないのでありまして、あのジユネーヴ会議においてインドシナの休戦を盛んに論じてお
つたときに、アメリカのほうでは東南アジア介入をしよう、殆んどその議論が相当の力を得てお
つたようなわけであ
つて、私たちの聞いたところによるというと、あれが実現しなか
つたのはやはり……、一体アメリカ帝国主義はアジア人をしてアジア人と戦わしめるという
立場に立
つておるのだが、事実においてはあすこではアジア人同士戦わないというようなほうへすべての機運が向か
つてお
つた。それからアメリカの一部のほうではアメリカの飛行機で以て爆撃する、原爆まで落すというような、けれ
ども併し又一方のほうではアジア人を使わなか
つたら、結局は最後はアメリカの歩兵でや
つて行かなければならないが、併しアメリカにはそれだけの歩兵部隊がないわけなんです。そういうような議論をや
つてお
つた一人としては、
日本に曾
つて来てお
つたリツジウエイもそういう
立場をと
つたということを言われておるが、そういうようなこと、それから当時のあの東南アジアの民衆の解放戦の場合にあ
つても、丁度曾
つての朝鮮の人民の解放戦の場合と同じように、あのアジアの独立運動というものはすつかり侵略とか、反抗とかいうふうに呼ばれて、そしてしべリヨン、反乱、そうしてそれで戦か
つておる人間はレベルス、私たちはそういうようなあの従軍記事を読むたびにアジア人としての私たちの血管の血が湧いた。あなた方はどういうようなお
立場をおとりにな
つたか知らないが、私たちはそうであ
つたのでありますが、そういうことを
考えるときに、やはりあのSEATOの性質というものが、むしろアメリカがあれが集団安全保障だとか何とか言
つているが、じやなくて、やはりこの東南アジアにおける民族運動を鎮圧しようというような、そういうことから来ているということを言
つて決して間違いないというふうに私は
考えておるわけなんでありますが、併しそれは又私の
考えだから、お前の
考えが間違
つていると言われたらこれも仕方のない話でありますが、このアジアの
諸国民はこれをどういうふうに理解しておるか。コロンボ会議に参加してお
つた五カ国というものは、パキスタンを除いてはみんなそれを否認しておるのであります。アメリカのことであるから、東南アジアの防衛体制というのだから、どうしてもやはりセイロンにも、インドにも、
インドネシアにも入
つてもらいたか
つたには違いないのだが、併し本当にアジアにおいて幾らかでも自由ということを制度の上に現わしておる国においてはそれに背中を向けた。それは殊に
ビルマは今
賠償問題で我々の討議の対象にな
つておるのだが、
ビルマはそれに入
つておらないのでありますが、
ビルマはどういう
考えでいたかということは勿論私としてはそれを知る材料を持
つておらないが、併しインドで周
総理がネール首相とあの平和五原則の共同宣言をしましたが、やがてそのネール
総理は
ビルマへ行きまして、やはり
ビルマ首相のウー・スーと同じ
意味のあの共同宣言を出しておるのであるから、大体
ビルマがどういう態度をと
つてお
つたかということはわかるし、そしてその後ネールは北京へ行
つて毛沢東と会
つて、もつと堂々としたこの共同宣言を出していたようなわけだが、これはウー・ヌー
ビルマ首相も又やはりインドに行
つて同じような
意味で毛沢東或いは周恩来
総理と会見をし、又いろいろの
協定をして来ておるのでありますから、だから大体
ビルマという国がどういう態度をSEATOに対してと
つておるかということがわかる。それから又
ビルマが
インドネシア、インドと一緒にSEATOというものを蹴
つておるということは、これは確固とした歴史的事実なんです。これはもう疑うことはできないのでありますが、
日本が本当に世界平和に対する
日本の政策をきめようとすると平和五原則から離れることができない。少くとも
日本はアメリカについてしま
つてアジアに背中を向けて、アジアに対して戦うという
立場をとるならば格別だが、今日アジアにおいて滔々として西から東まで起
つておるあのアジア各国民の連帯性というものにしつかりと足を踏みしめようとするならば、あの平和五原則、殊に平和的共存の理論というものから離れるわけに行かない。そういうようにな
つて初めて我々は中国に対してどういう態度をとるべきか、又東南アジアに対してとういう態度をとるべきかというようなことに対して、おのずからもう自然に来る結論を得ることができると思うのでありますが、殊に
日本がSEATOに対して今後どういう態度をとろうとしておるのか。吉田前
内閣首相は、飽くまでも
政治的に
日本は東南アジアでなくして、むしろ東北のアジアだから、その中に入らないならば、アメリカはSEATOでなくNEATOという
言葉をこしらえて、そういうことを
準備しておるのだが、とにかく
日本はそういうことを離れて、やはり
政治的に経済的にそのSEATOと
協力をする用意があるということを言われておるのだが、併し私は本当にアジア各国民との連帯性を
考えた
日本国民の意思ではない、それから非常に離れておるものだと思うのでありますが、今の民主党、
日本民主党内閣は果してこれに対してどういう態度をとろうとしておるのでありますか。中国に対しても同じことでありますが、要するに私が初めから言おうとしたのは、
重光外相が
日本の今後のいろいろの政策を世界の動きつつある情勢と睨み合せて調節して行くというのは、これは御尤も千万だが、併ししつかりした根本的の政策を持
つている必要があるのではないか、そうして対アジアの根本政策を持とうとするならば、アジア各国民間に今盛んに起りつつある、当然起
つているところのこのアジア各国民間の連帯性の上に足がしつかり踏みしめられておらなければならないのじやないか。そうすると、SEATOに対する態度、中国に対する態度、台湾に対する態度というものは、同じようなふうにわかる。台湾の解放ということを周恩来が叫んでおるが、これもやはり平和五原則の適用なんだ、本当に生きた適用であると思う。アメリカに対する内政不干渉を叫んでいる、領土を尊重しろ、カイロ宣言を尊重しろ、すべて尤も千万なことで、そうしてこれは明らかに平和五原則の適用なんです。我我が平和五原則というものを非常に尊重する限りは、この台湾の解放の宣言もやはり同じように尊重しなければならないと思う。こういういろいろの問題があるのだが、非常に混乱した
質問でありましたけれ
ども、つまり対アジアの根本政策を特たなければならないのじやないかという点と、それから出発してあのSEATOに対してどういう態度をとろうとしておいでになるか、あの周
総理が世界に投げかけた台湾解放の宣言、それに対してどういうような態度を以て臨まれるのであるか。これは
日本の国民のアジア連帯性の意識と、それから祖国の独立を守る意識と非常に深い繋がりがあるので、これに対する回答を先ず求めたいと、こう思うのであります。