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高良とみ君 この問題は少し今後とも研究を要すると思います。
参考人を将来お喚びになりましたときにも、問題が成るべく混乱しないように、今の
うちから
一つ厚生引揚当局の
考え方を話しておいて頂きたいという
希望を、私は持
つておるのであります。
というのは、七十一名の
うち少しは
民間人もありますが、大体話を聞きますと、非常な困難の中に経験して来て、それから多くの人の状態は、取残されたままいろいろな隊の
命令で以て、隊を離れて
食糧の
確保、
土地の
確保等に出たあと、帰
つて来てみたら船が帰
つてしま
つた。その後
日本からは何ら船も迎えも連絡がなか
つた、というのが
実情のようであります。当時の隊には限られた
食糧と金しか残
つていなか
つたものですから、隊の上のほうの
命令で以て、
土地を
確保して
野菜を作るというようなこともあ
つたらしいのであります。又みずから進んで、
食糧を減しては相済まないと
思つて、
食糧を
確保に行
つた。帰
つて来たところが
逃亡、
離隊というような名前が付けられている
事情のようでありまして、これはなお
当局で十分御検討願いたいのでありますが、ああいう
国際情勢の只中にありまして、而も
内地には少しも報道が来ておらない、そういう中にありましたものを
離隊、
逃亡というカテゴリーの中に入れますこと自身が、非常に残酷のように私ども迎えに
行つた者は感じたのであります。今後とも他の
地区、或いはタイとかビルマとかから帰る人があると存じますが、それを
離隊、
逃亡というような
言葉で迎えられるということを、薄々聞いたり、又はほかの人から聞いたりしてお
つて、心中誠に朗らかに帰
つて来たにもかかわらず、どうか我々を迫害しないでくれとか、暴力を使わないでくれとかいうような
要望事項も出ていたことを思いまして、絶対そういう心持ちは迎えるほうの祖国にはないということを
説明しましたけれども、併しこの点、
日本にはもう軍隊もない時代でございますから、今更
離隊、
逃亡ということで
差別待遇をしたり、苦悩を経て来た
同胞を石を以てうつというような、そういう気持は
日本国のどこにもないと思います。
そこで幸いにして七十一名という僅かな方々に対して、予算の中から
支給を処理されたことは大変結構なことだと思いますけれども、若しそうでありませんと、今後とも親切に、随分貧しい中からも金を出し、
食糧を与え、そして親しく世話をしてくれた
越南地区の人民や
政府、
中共に入
つてからまでも、貧乏して困るというので、金を送り付けたというような
人たちに対しても、誠に恥しいことではないかというように考えるわけでございます。ここに御同行しました
横山委員もお出でになりますが、更に
中共におきましては、何ら
中共に
関係のなか
つた越南地区に取り残された
日本人に対しまして、厚くねぎらい、又迎賓館に入れて、そして
衣類等も
支給して、ぼろぼろの着物を脱がせ、そしてや
つて来たことを思いますと、僅かな金のために、ただ法規がそうであるということで冷淡な取扱いは、私ども少くとも
厚生委員の一人としては、したくないというように考えたわけです。そういう意味で、今まで多少とも
逃亡とか、
離隊とか、或いは
越南軍にみずから進んで参加したというようなことを、多少こちらで考えていたとするならば、それは
引揚援護局におきましても、十分一つ考え直して頂くか、或いはそういう
事情があ
つたにしても、食うに困
つたから一部
越南軍に参加したけれども、
言葉もわからないし、役に立たないというので、その後
民間に定着して、
日本人など一人もおらないジヤングルの中で、
野菜を作り、或いは
医者なら
医者を開業し、
言葉を教えたりして、厚くねぎらわれて来た、十数年目に帰
つてきた
同胞でありますから、そういう点も十分考慮して処して頂きたいというふうに私は思
つたわけであります。
これにつきまして、
委員諸賢に御
報告しますと共に、困難の中にいた我が
同胞たちに対してできるだけの、「よき
サマリア人」のような厚いもてなしをしてくれたアジアの諸国に対しましても、
日本へ帰
つて来たら
差別待遇したとか、或いは特別な疑いを持
つて見たというようなことのないように、
希望を述べさせて頂きます。