○
金森国会図書館長 私
ども図書館をやっておりましてつくづくと感ずることでありますが、日本には
図書、
資料というものがないわけではなくて、ある程度あるにかかわらず、みなそれが穴の中に入ってしまって、よその人には用いられない。つまり各人が、骨董品にたとえますと、倉庫に入れてしまって自分も大して使わないけれ
ども、人にはまったく使わせない、こういう傾きが非常にあるわけでございます。それで、そういう点について、かねがね、無理からぬ
方法で、しかもだれでも利用ができるような方向に導きたい、かように
考えておったわけでありますが、先ほどちよつと私の口から出た外国の発明その他の
資料でありましても、それからまた原子力
資料のようなものでありましても、これは
相当金のかかるものでありまして、あっちこっちに分散しては、利用するのは便利は便利だけれ
ども、とても経済的にこれはやれないものと思っておりました。私
どもの方の
計画といたしましては、普通の
図書館等でお買いになるものは比較的簡易に買えて、そうして自分のところに置いておきたいというものは、これはそのままにしておいていいのでありますが、金のかかるもの、またまれに使うもの、また部数の
世界的にいっても非常に少いものというものは、まず一ところにこれを置きまして、そうして必要な者にはすべて自由に簡便に用いられるようにする、こういう
方法をとることが、実際近代
図書館の一番大切な任務のように思っておりまして、及ばずながらもそういう方向に進んで行こうと思っておりますが、しかし、世の中にはまた別の
考え方がございまして、自分の
手元に置けば便利である。その
通りに相違ありません。しかし、同時にほかの人間にとっては非常に不便である、こういう結果も起って来るのでありますが、その中で折衷的に、あまり無理をしないでうまくやって行こうというのが念願でございまして、その結果といたしましては、できるだけ普通の
図書館ではお買いになれないようなものを
国立図書館に備えておく、そのかわりそれはパブリックに開かれておるのであって必要な人は適当な
方法でもってこれを利用することができるようにしよう、こういう念願を持っております。そういうふうに
考えて行きますと、
書物というものは妙なものでありまして、本を買う値段は安くても、それからの仕上げと申しますか、カードをこしらえたり、分類したり、本だなをちやんときめていつでも思うように出せるようにするというこの
経費は、
書物の値段の何倍というくらいのものでなかろうかという気がいたします。たまに道楽に、試みにしろうとながら計算をしてみますと、本は百円であっても、これを整理し、保存し、本だなをつくり、
建物をつくり、
土地を買うということになりますと、千何百円もかかるという計算になります。これは、私の独断ばかりでなく、外国の
調査にもそういうことが出ておりますが、そうなると、
書物という貴重品は、やはりある程度まで
計画的な扱い方をしなければならぬという気がしております。私
ども今P
Bレポートを約十一万点持っておりますが、これの整理もなかなかむずかしいのであります。十一万というと、口で言えば何でもございませんが、
仕事といたしますと
ほんとうにたいへんな
仕事でございます。それから原子力
資料ももう二年ばかり続けて入れておりましてことに外国の雑誌のバック・ナンバーに出ておるものを
考えますと、雑誌も今おそらく二万点くらい入れておるわけであります。これをまた整理し、だれでも使えるように持って行くという大きな
仕事を、だんだん
予算をもらってやろうと思っておるわけであります。というところへ、今度現われましたのがアメリカから日本に贈られる原子力
資料でございまして、中味のことは詳しく存じませんけれ
ども、もしもこれを、
一つの役所が使うのでなくて、いろいろな学者とか特殊な官庁とかいうところが使って、実益があり、しかも
書物がそう手軽に得られないものであるとするならば、何としてもそれが
一つの所にあって使われる方が便利であろうという気がいたします。何も
図書館に持って来なければならぬりくつはございません。日本の国家として、この基調なものが公平にだれにも使えるようにしなければならない。あるいはそれがためには特別なくふうがいるものかもしれない。これは、自分が
図書館をやっておりますので、身びいきをしてはならぬというわけで、自分に酷に当るような
考え方を始終持って議論をしておるわけであります。
ところで、
書物というものは妙なもので、ひとりぼっちでいるもんじゃございません。原子力
資料であるからとて、
一般の物理学あるいは経済学あるいは原子力に関する国際条約の問題というので、科学とは思っておりますけれ
ども、普通の科学じゃなくて、電気にも
関係する、法律にも
関係する、外交にも
関係する、経済にも
関係する、そのほか物資にも
関係するというふうに、いろいろなところにぐるぐると連繋を持っておりまして、
一つの役所でこんなものを持ったって、
ほんとうに局部的な利用しかできないものと思っております。私の方で原子力
資料を集めますときに、今の学術
会議の会長であります茅先生を頼んで来て、それに湯川さんなんかにも参加してもらい、それから法律学者、経済学者という各界の人約十数人を集めていろいろ
相談してもらいました。それによって系統的にこれを集めることかできようというプランを立てて、それで実行しておりますので、軽々しくただ原子力
資料を特別にサイエンスのところに置けばよろしいということになりますと、非常に煩雑になります。それでは、政治的に
関係するものは政治
図書館に持って行く、経済的に
関係するものは経済
図書館に持って行く、こういうふうに分散しますと、本も失いましようし、利用価値も減って行くということになろうと思います。手前みそを言うようでございますけれ
ども、こういう
資料というものはだれでも全部を使うということはほとんどないものでありまして、ところどころちょいと見る、自分の専門のところを調べる程度でありますから、結局写真で複製して利用するということが一番大切になります。こういう
書物の第何ページから第何ページまですぐ
手元に取寄せたい、この図版を早く
手元に置きたい、こういうときでありましても、それも町の中の写真屋に頼んでやらせればできますけれ
ども、そう手軽になめらかにできるもんじやございません。私の方では、最近ロック・フエラーから大よそ一千五百万円以上出してもらいまして、写真の複製ではおそらく日本に類例のないほど完備したもの
——これには現像薬とかなんとかいうもので少しお金がかかりますが、フルに使わせますれば、どんなものでも即座に複製ができるという設備をやっとつくり上げました。と申しますと
一つのひいき目にもなるのでありますが、分類ということはなかなか専門でありまして、私
どもすぐれた分類学者がおるとは信じませんけれ
ども、しかしおのずからそこに
相当の長足の進歩もあろう、こう
考えております。いろいろなことを総合いたしますと、やはりとにかく
一つにまとめておく方がよいだろう、そこには他の学問のできる人がまわりをとり囲んでおって、いつでも
相談ができるようになっておる方がいい、ことに複製も自由にできる、分類もある程度合理的にやれる、こういうことの方が一番好ましいような気がいたします。といって、これをどこにつくるか。
一つしかつくれない。それに適する場所、それに対する専門の大きな設備をつくれば格別であります。専門の設備がつくれなければ、少くとも経過的には
国立国会図書館のような
一般的に似たような
仕事に手をつけておるところがやる方が本筋であり、
あとは
事務上に不便のあるところは不便のないようにして、閲覧もでき、利用もでき、貸出しもできるようにすればよいのじゃないかという気がするのであります。ただ、今聞いておりますと
——聞くというか、およその動きを察知しておりますと、どうもその方向と反するようなきらいがあるように思いますので、自分ではなるべくなら
図書館に置きたいと思っております。こういうものを、けんかを買って、欲張って行くという気持もいやでありますから、実は差控えておるような実情であります。