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参考人(
沼田稲次郎君) この質問条項、問題として挙げられておりますのを
只今拝見いたしましたのですが、
最初の問題からすでにこの十七条の
考え方自体を吟味してみないとはつきり捉えにくいのじやないかと思われますので、少しこの
問題点から離れて、併し結局
問題点に触れさして頂くような形でお答えさして頂きたいと思います。
大体この
公労法の十七条、十八条というものの解釈がやや混乱しておるのは、これは大体政府が同条についてなかなか押付けがましい解釈をやられるからじやないかと思う。というのは、労働大臣の談話というものをみると、十七条に
違反してしま
つた場合には、もうその
争議行為を構成する個々の
争議行為に至るまですべて違法にな
つてしまう。
つまりピースフル・パースウエイジヨンまで違法にな
つてしまう。
つまり違法一色に塗りつぶす考えであります。即ち十七条の
違反行為というものは一切合財違法である、いわば違法一元論とでも言うべき
考え方であります。そういう考えで行くと、これは十七条というものは
憲法違反にな
つて来るのじやないか。というのはこの
争議行為というのは、労働者が社会的な地位からいわば自己の要求を主張するために可能な唯一の
手段なんでありまして、これをそのような労働者の社会的地位から生ずる基本的な
行動形態ということを承認したのが
憲法二十八条なんであります。
従つてそれをや
つたということによ
つて何かすべて違法一色に塗りつぶしてしまうという
考え方で行くと、これはやはり基本権を奪
つたということにならざるを得ない。だからそういう
考え方をすれば、たとえ
仲裁裁定制度が設けられてお
つたにしても、その代償ぐらいでは到底補い切れないくらいのいわば基本権の奪い方になりますので、
憲法違反というほかはないのじやないか。で、少くもあらゆる形での
遵法闘争というふうなものまでをも、これを十七条に含めることは全く不可能であるというように考えざるを得ないのであります。
従つて遵法闘争をや
つたということの
理由として、この十八条を発動するということは、政府のような十七条
違反に対する解釈をとる限りにおいては全く
理由が成り立たない。而もいわば
仲裁裁定が一方において無視されておるということを考えますると、これはむしろ正当な
組合活動を
理由とする
解雇にな
つて、不当労働
行為になるのじやないかというふうにさえ考えておるのです。
そこでそれでは十七条というものを
憲法に
違反しないように解釈するというのはどうすればいいかというふうに考えてみますと、
つまり憲法に合した、
憲法の根本的な労働基本権の
精神に合したふうに十七条十八条というものを考える、合理的に考えて行こう。その場合に私は少くも三つの
条件が必要だと思うのであります。
一つは十七条
違反があ
つたからとい
つて、それは十八条の限度においてだけ法が反作用を加えるというものだというふうに考えなければいけない。
つまり違法というものは多元的に考えるべきである。だから具体的に個々の
行動を見て、それが違法かどうかということを判定すべきであ
つて、十七条に
違反したストライキが行われたといえば、一切合財違法になるのだというような
考え方であ
つてはならない。だからピイスフル・パースウエイジヨンまでが違法になりかねない解釈というものは成立たない。だからそうでなくして、ただ単に十八条の限度において法が反作用を認めておるというふうに考えられるべきだと思うのであります。だから本来は公共企業体でもあるから、
解雇というものはできない
建前ですが、それをむしろこの十七条を犯したということで一応
解雇はできるという
一般的状態を作り上げるという
意味のものであろうと思います。それから第二の
条件は、十七条にいう
争議行為及び正常な
業務の
運営を阻害する
行為というふうなものは、これはいわば伝統的な、市民法的な
考え方で行けば債務不履行なり不法
行為なりに当るような
行為を含むのであ
つて、今度
国鉄がおやりに
なつた安全衛生規律の遵守闘争だとか、荷物の愛護運動だとか、運転保安規整闘争ですか、或いは白票挿入運動というようないろいろの形で行われたいわゆる安全闘争というようなものはもとよりのことでありますが、本来保護法上の
権利を利用するに過ぎない賜暇闘争までも、この場合は十七条外に置くというふうに考えて行くべきではなかろうかというふうに思うのであります。ただ十割賜暇ということについてはいささか問題がある。併しながらこれまで
国鉄のおやりに
なつた十割賜暇というものは、実は三十三カ所かに区切
つて行われたわけで、いわば部分的な十割賜暇、全部の闘争から見ればいわゆる一部分ストでしかない、こういう性質のものであろうと思うのであります。それから第三の
条件としては、やはりストライキ権をとにかく制限をしておるのでありますから、それについてはやはり
一種の代償というものが認められなければ生存権要求とは調和しがたいということを考えますと、やはり生存権保障が存すると客観的に認め得るような
仲裁裁定というものが実施されなければいけないのじやないか。
仲裁裁定というものが無視されたということになれば、実はスト権というものは確保されるのじやないかというふうに考えられる。
つまりストをや
つても非難し得ないのではないかというふうに考えられます。そこで今度の闘争では
問題点というふうなものは余りないというのは、今言
つたように、大体十七条
違反と考えるのはいけないのじやなかろうかというふうに考えられるのでありますが、十割賜暇というふうな問題が多少問題になると思います。併し一日行われた十割賜暇というものも、先ほど言
つたように全体から見れば完全なゼネストというふうなものじやない。やはり部分ストの性質を持
つているに過ぎない。而もそこまで追い込んで行く過程というものを、この
日本国有鉄道職員局から出されている経過概要というものを拝見いたしますと、余り誠意ある態度で問題を解決しようとされるお気持が当局側から余り出ておられないように受取られる。それは事実の問題で、私よくわかりませんが、ここで受取
つた感じでは、十割賜暇
指令が出て、やつと〇・一カ月出そうかという切出し方をしている。もつとなぜ早く出さないか。そのことを早く出せば、もう少し円滑に話が進むんじやないかというふうに思われるような状態であります。たとえいろいろの非難が十割賜暇に対して持
つて来られたとしても、
仲裁裁定が行われておらないという事情を考えて行くと、やはり衡平の原則から照しても、十七条
違反として非難するというのは無理じやなかろうかというふうに考えられます。それで十七条については教唆とか共謀とか扇動とかいうものが出ておるのでありますが、これは
組合活動を承認する限りは、
組合活動というものを原則として、これを認めて行こうとする限りは、
組合がいろいろの戦術、防禦を図るものは当り前でありまして、法を越えて行くような戦術を立てるということもいろいろ出て来るのは当然であります。そうした中に
行動として出て来たところに制限を加えるか否かというところに問題があり、
組合活動を認めた限りにおいては、教唆、扇動の類は、私は全くこの
規定は
意味をなさない、無効であるというふうに考えております。
憲法違反と言
つてもよろしいと思います。
そこで十七条
違反という
争議が行われた、ストライキが行われてしま
つたという場合に、十八条は
如何なる法理に
従つて適用になるかということがこの
問題点として掲げられておる。ずつと四、五、六、七なんというようなところは、そういう
つまり十七条
違反ということを前提として、その場合に十八条は
如何なる法理によ
つて運営されるのかという
考え方に当ると思うのでございます。条文を見てもわかりますように、十八条の
行為は別に
組合を罰する
意味はない。だから
行為者が
解雇される、こういうことなんです。ところが
行為者全部を
解雇するということは、これはロツクアウトと同じことなんですね。全面的にロツクアウトをや
つたと同じ
結論にな
つて来るわけです。となると、実際はできない相談です。一定の
範囲のものに限定して首切るほかないということは、差別待遇するほかないということになるわけです。差別待遇の
基準をどこにおくか、
情状斟酌ということを言われておるようでありますが、結局のところ、これは
組合の団結活動に最も忠誠であ
つた人たち、
つまり団結忠誠の強いメンバーを
組合から追出す結果になるわけです。単に経営から追出すのではなくて、四条で逆締付け
規定を持
つておりますから、
解雇という問題は同時に
組合の中から追い出すことになるわけです。この
公労法の
規定によると、そうしますと、民間の場合においてさえ
解雇というものは非常に重要な問題にな
つて来る。これは必ずしも
組合から追い出すという法的な結果が出て来るわけじやない。事実上は首を切られれば
組合から追出されることになるけれども、法的にはそういうことになるはずはない。ところが
公労法の場合には、
解雇されたら
組合から追出される。最も
組合に忠誠な活動を行
なつた人間が
組合から追出されることになる。これは団結権を保障する
精神から言えば、決して望ましいことではない。そのように
運営されてなるものじやない。この条文を見ても「
解雇されるものとする」と書いてある。そうすると、この条文そのものを受取れば結局
解雇される、それはそのまま受取
つては実現できないというようなものはその法は大体死んでおると見てもいいんじやないか、勿論十七条は
組合にもストライキを禁止しております。ところが十八条は
組合をどうしようということを
規定しておるわけではない。ということは、
組合については
一種の道義的な
規定をしたというふうに考える以外にはなかろうかと思います。若し
責任者を首切るという気持で首切
つたものだとすれば、その点はこの参議院労働
委員会の
会議録を見ますと、当局側の答えの中にはしばしば出でおる、
責任者を処罰するという
考え方でございますが、ところがこの
責任者は一体彼の
行為に基く
責任ではなくて、
組合のポストに基く
責任を負うということになる。そうすると、
組合は本来罰せられない。
組合に対しては何ら法が反作用を加えないという
行為から行けば、その
組合のポストにおるという
意味において特に差別的に
解雇するということが出て来ることは、これはおかしい。若し又はかのところにも、よく当局側の
意見で出ておるように、積極的な分子を切
つたということが出ておる。積極的な分子を切るというのはこれはますますおかしいので、
指令に非常に忠実、積極的な履行者が罰せられるという形になるので、やはり
一つの団結への介入となる。十七条
違反があ
つたからとい
つて、
組合に対して団結への介入を認めておる趣旨は十八条の中にはない。団結への介入を生ずるような形においてしか、実際やれないような
規定ならば、その
規定は死んでおるのじやないか。だから私は十八条の「
解雇されるものとする」という
規定は、実際は
解雇はできないということじやないかと思
つておるのです。
つまり一せいに
解雇ができないならば全然
解雇もできない。その際にこの
法律により実際の
権利を失うということですが、これはまあ
仲裁委員会とか調停
委員会とかその他のそういういわば
公労法によ
つてサービスをしておる、そのようなサービスを受け得ないということです。そうすると、たとえ団結権の支配介入があ
つて不当労働
行為にな
つても、この
法律による一切の
権利を失うから、この
法律に基く不当労働
行為による救済は求め難い。併しながら
憲法二十八条に基く限りにおいては、その
解雇は無効であるということは言えるのじやなかろうかと思います。
今度
会議録をずつと拝見いたしまして、今日の
問題点にも触れて来るところが相当あるわけですが、
一つは
業務の正常な
運営という問題であります。
業務の正常な
運営を害するか否かということについて
組合と当局とは完全に見解が対立しておるわけですが、
遵法闘争いわゆる安全規程を守る
遵法闘争までを、これを
業務の正常な
運営を紊すものであるというふうに当局がおつしやるのは、これは無理だろうと思います。保安規程、安全規程というふうなものは、その本来の性格から見て、公共の福祉に最も必要な規程なんです。最も必要な規程というよりも、公共の生命にも関する規程でありまして、この規程を守ることが武器になるような状態であるとすれば、これは誰が反省しなければならないかと言えば、まさに法
自体が反省しなければならない。これを以て法条のむしろ義務を守るような
行動を非難し得る法秩序はあり得ない。私はその
意味でこの
遵法闘争は正常な
運営を害するとは到底考えられない。だから正常な
運営ということがいつも行われておる
運営という
意味ではないので、やはり真に公共の福祉に合致するごとく行われておる
運営状態にほかならないのであります。ところでこれも
会議録を見ておりますと、当局が何か正常な
運営を阻害するということを一方的にきめて、非
合法行為ということを非常に呼ぱわ
つておるわけです。非
合法行為と断定して十八条を無
条件的に
適用されておる。そこから
解雇権の
濫用があるかどうかという問題になるので、やはり
解雇権の
濫用だというよりはかなかろうと思うのであります。第一、十七条
違反であるかどうかが非常に議論の分れるところであり、而も
違反であ
つても、それが非
合法行為と断定できるかどうかということは、極めて重要な問題であり、むずかしい問題である。但し立法解釈上の技術上の問題であるよりも、いわば法哲学的な問題であります。恐らく法哲学者であられる最高裁長官が最も苦心される問題であろうと私は思
つておるのであります。その問題を当局にも
法律の専門家がいらつしやると思うけれども、当局がこれを非
合法ときめて、そうして
組合に非
合法だと押し付けるという態度は、これはやや挑発に似た感がある。決して適当だとは思えない。併しそれをおつしやることは直ちに言論による支配介入であるかどうかということは、私は必ずしも断定しませんけれども、併し不適当であることは間違いなかろうと思うのであります。だからこういうむずかしいこの問題をはらんでおる場合には、これは少くも
団体交渉をやるか或いは両者の間で解釈の統一を図るような努力をしてから、それからこの
解雇するにしても問題を起すべきなんで、勝手にいわば非
合法行為だときめ込んで十八条を無
条件的に
適用して、この
適用の仕方だ
つていろいろ議論のあるところを一方的にきめて直ちに
解雇通告をするという場合は、どう見ても適当でないものがあると思われます。で、この
解雇のやり方を見ますと、確かにこの
組合の主張されておるように狙い打ち的な
解雇の性格が強い。その点でやはり差別待遇、或いは更に
組合に対する差別待遇を通じて、
組合に対する支配介入というふうなにおいが非常に強い
解雇の仕方であります。
それから十八条の
解雇がこれが
懲戒解雇ではないということは当局もおつしや
つておりますが、全くそうであります。これは別にあえて実質的に
懲戒解雇だというふうな
考え方をとるべきじやない。それから
ピケツトで就業を阻止したことが問題にな
つておるように思いますが、
会議録を見ますと……。ところがその
ピケツトというのも大体ストライキ破りは外から来て、これに対して
ピケを張るという形よりも、大体
組合内部の脱落者防止のためのデモンストレーシヨンというにおいが強いことは、
実態に即して見れば非常に明らかである。これはいわば
組合に対する団結強制の表現なのであ
つて、いわゆる第三者のストライキ破りに対する
ピケツトと同じように考えていいかどうかということは、それは
ちよつと無理だろう。いわんや列車の前に坐り込む
行為でありますが、いわんやというのはなぜかというと、車掌を乗せないで汽車を発車させようとした、これを抑えるということが新潟かどこかで起
つたように
会議録では現われておりますが、成るほど
一般的に汽車の前に坐り込む
行為というのは、これは
公労法上は当然十七条
違反であるというふうに考えられましようが、ところが
一つの安全闘争という
意味を持
つて来るのじやないか。
つまり車掌を乗せないという状態というのは、よくよくの場合にやれる。そのよくよくの場合がこれだということは、そのよくよくの場合を作り出しておる
労働組合側としては到底承認しがたい、承服しがたい事態にあるので、これをいわばとめたからと言
つて、そのほかの
行為を果して期待し得るか、これもやはりその点は
責任を追求すべき事柄ではないように思います。
大体以上のようなところで私の見解を一応述べさせて頂きました。大抵ここに出された
問題点に触れておることだろうと考えております。