○
参考人(
浦川守君)
浦川でございます。三池における
けい肺の
現状につきまして率直にここで申上げてみたいと思
つております。
一般論的な問題については、すでに前三回のこのような
会議でお聞きにな
つていると思いますし、私は飽くまでも現実の現場においてどのような
状態におかれておるか、その中から見た私の
考え方、こういうものに重点をおきたいと思います。
三池でこの
けい肺問題が
発生いたしましたのは、
昭和二十一年のときであります。このときに組合のほうから、経営協議会におきましていわゆるよろけと言
つておりましたその当時の
けい肺患者が
発生し、実際組合員の中に非常に困窮しておる者がおると、この者についての会社の救済を求めたわけであります。それを提案いたしたわけであります。ところが当時の病院長で、現在も病院長をや
つておりますが、その病院長はこういうことを言
つております。三池には当時、二十一年の
状態では
けい肺患者は
発生を知らない、文献では過去にそういうのがどつか南米方面にあ
つたというようなことを
発言をいたしたわけであります。私たちとしては非常に残念でありましたが、そのときの経営協議会では、それに対する何らの結論も求めることができなか
つたわけでありますが、ところが組合といたしましてもいろいろ
考えましても、どうしてもやはり現実の病人の
実態については眼を覆うことができないという中から、再度検診を要望いたしましたところが、二十二年になりまして、五名の
けい肺患者が三池におる。これは
要領三の
けい肺患者が二十二年に発見されたわけであります。併しそれは手遅れで、その年に四名の死亡者を出したというような非常に悲惨な
実態を持
つております。それからその後やはり
炭鉱にも
けい肺というものがおるということが漸く一般にも知られるようになりましたし、組合といたしましても、この点についてのいわゆる輿論的にも、或いはこれに対する社内的な
取扱いにつきましても、その後積極的にいろいろ
対策を進めて参りました結果、二十八年の末現在で、
三池炭鉱における
けい肺患者は三百四十一名に達しております。うち二十二年以降死亡した者が二十四名、それから打切りでやめて行
つた人が三十七名、
退職した人も同じく三十七名、こういう数字にな
つております。
それではこの具体的な事実、この統計的な
考え方に基きまして申上げますと、三池における
けい肺病の
発生というものは、二十二年から漸くその問題が提起されて出て来たということでありますけれ
ども、二十二年以前にこのような
状態はどうであ
つたか、私はこの
状態については、やはり結核とか或いはその他の病気でやめて行
つた人が相当の数あ
つたというふうに判断をしております。又非常に長老の、長く
炭鉱に勤めてすでにやめて行
つた人の話を聞いても、丁度今の
けい肺と同じような
状態で倒れて行
つた人が私傷であ
つたということを聞きまして、恐らくこの
実態については、過去の二十二年以前の
状態においても、この
けい肺という知られざる名前の下に私傷でやめて行
つた人が相当あ
つたというふうに判断をしております。
先ほど
大滝部長からも言われたのでありますが、この二十二年以前の
状態が今の日本の
炭鉱における
状態ではないか。私は検診すればもつと各
炭鉱にもこの
けい肺患者がいるというような
実態を確信しておるわけであります。
それから三池における
けい肺患者の年次別の
発生の
状況を申上げますと、二十二年に五名の
発生を見ております。二十三年には二十八名の
発生を見ております。二十四年には十三名の
発生、二十五年には三十三名の
発生を見ております。二十六年には百五十名の
発生であります。二十七年には八十二名の
発生、二十八年には三十名の
発生とな
つておりますが、三池においては或る程度の作業方式の変更とか、或いは湿式による掘進等がなされておるにもかかわらず、今の数字を見ておわかり願うように、
患者の
発生数というものがむしろ増大の傾向にあるということにつきましては、いろいろ
考えて見なければならん問題であると思います。各
企業における自主的な
予防対策の限界というものを私はこの中に感ずるわけであります。
なお、この
炭鉱賃金が非常に低い、或いはその上に請負給という制度のために、非常に各労働者が働かされておる。或いは
炭鉱の機械とか或いは
けい肺予防に対する機械とか、器具の不完全さというものにつきましても、私は指摘できるのではないかと思う。三池の場合でさえもこのような非常に不完全な機械器具の
状態の中で、
けい肺患者はむしろ殖えて行くという
状態を
考える場合に、私はこの問題につきましては、生産第一主義という今の
経営者の
考え方を、保安のほうに重点を置いて行
つてこそ初めて本来の生産というものは軌道に乗るものであるというふうに
考えるわけであります。
三池におけるいわゆる機械器具の不完全の例を二、三申上げますと、ドリルという
一つの機械が新らしく坑内に入れられております。これは「のみ」の中から水が出て、湿式で
粉塵を立たせないようにするという機械であります。これを使う過程においてこのような事態が出て来ます。
炭鉱では、先ほど
大滝さんも言われたように電圧が下がる、水圧が下がる、そのために折角そういう「のみ」を使
つても、その「のみ」の水が先に出ないという
状態も現場では往々にして出ております。なお実際に生産第一主義という形の中で、ドリルという機械は坑内のほうに据えた。ところがそれに水を引く配管の設備というものが非常に遅れて来る。その遅れて来る場合に、掘進の労働者は遊ばなければならない。遊べばその日の生活に困るというわけで、やはり止むなく
仕事をやる。そういう中でやはり
けい肺の
発生というものは減
つておらない。或いはマスクという問題、
けい肺についてはマスクをはめて
予防をする。成るほどこの点については組合としても、このマスクをかけることにつきましては積極的にこれに対する運動をや
つたわけであります。併しこのマスク自体につきましても、中に海綿が入
つておる。特に四山とか或いは三池の坑内においては、非常に高熱作業であります。この高熱作業の中においてマスクをはめて坑内に入
つて仕事をすれば、そのマスク自体がすでに乾燥してしま
つて、マスク自体の価値がなくなる、こういう
実態であります。これで形式的に機械設備が入
つたというように判断することは、これは大きな間違いではないかと思います。
次に注目してもらいたいのは、先ほどの年次別
患者の
発生数の中で申しまして、二十六年のときに百五十名の
患者が出ております。これはなぜこの百五十名の
患者が
発生したかと申しますと、これは
労働省より直接検診に来られたということであります。二十五年までも勿論会社の
医師は熱心にいろいろの検診をや
つてお
つたと私は思
つております。併しやはりいろいろ大々的に或いは徹底的にやれば、二十六年における百五十名、二十二年以降二十五年までの、或いはそういう
状態の中での三倍乃至四倍の
患者数がそこで発見されております。こういう
実態を
考える場合に、先ほど申しましたように、いわゆる全
炭鉱における徹底的な
けい肺に対する
予防措置を講ずるならば、又講じなければ、二十二年以前の
状態では実際
けい肺という苛酷な悲惨な病気によ
つて、それが私傷病といううやむやの中で死んで行く
実態が
炭鉱の中には数知れず多くあるということを判断するわけであります。
それから次に、年次別に
患者がどのような死亡の統計にな
つておるかと申しますと、二十二年で五名の
患者に対しまして四名の死亡にな
つております。それから二十三年には二十八名の
患者発生数に対して十一名の死亡者が出ております。二十四年には十三名のうち四名の死亡者、二十五年は三十三名のうち一名の死亡者、二十六年は百五十名のうち五名の死亡者、二十七年、二十八年は、これは百十二名の
患者の中で一名の死亡者、このような数字が出ておりますが、これは
労働省の検診等早期に
予防対策が講じられたその運動の結果死亡者が減少したのではないか、そういう早期
予防対策のために死亡者が減少したのではないかというふうにも一応は
考えられますけれ
ども、併しこの数字は、むしろ二十二年以降強制的に
退職を求められた例もありますし、或いは職場を去
つて行
つた人たちがむしろ六十二名という多数に上
つておる
現状をこの数字の中から
考えます場合、社内の統計的には死亡者の数は少くても、むしろこの六十二名の人が殆んど死亡しておるという
実態、そういう
実態の中から、この
実態の事実についてはあとで申上げますけれ
ども、そのような中で、やはりこの数字につきましては十分我々としても
考えなければならないと
考えております。
それから
炭鉱における
けい肺の
発生についてどうして
発生するのかということについていろいろ
考えてみたわけでありますが、これは
炭鉱というものが、基礎産業として戦前、戦後を通じまして増産を強制されまして、労働者は産業戦士としてもてはやされた。そうしてそのもてはやされた蔭には酷使された。こういう結果が、その記念品が
けい肺として現在の労働者の中に残
つておるというふうにも
考えられるわけであります。最近は又生産性の向上ということによ
つてコストの切下げが各社で求められております。この産業界のそういう要望に対しまして、
炭鉱の老朽化を防ぐためには、この中にはやはりそのしわ寄せというものが労働者に一番かか
つておる。それは
炭鉱の若返りということから、
炭鉱を深く掘
つて行かなければならない。深部の石炭資源の掘進とか或いは竪坑の開発、これは飽くまでも岩盤掘進という形の中で掘進作業というものが続けられて強行されて行かなければ、この
炭鉱の若返りはできないわけであります。このような掘進作業というものにつきましては一応ここで紹介をしておく必要があると思いますが、暗黒の坑内の中で、而も通気というものが殆んど袋小路的な
状態の中に置かれておりますので、通気というものが十分でない中でいわゆる岩盤を機械で掘
つている。ところが
炭鉱の
粉塵というものが非常に多い。これはドリルを使いましても、まだ
粉塵というものがたくさん残
つておるわけであります。この
粉塵の中で
仕事をや
つておる労働者の掘進作業というものがやはり続けられて行かなければ、今後の日本の
炭鉱の若返りということはあり得ないというふうに思
つております。このような
仕事はなお今後も続けられて行くというふうに判断します。
なお貸金というものは先ほど申しましたように請負給の
賃金である。これは
炭鉱の労働者の
賃金が非常に低いということと相待
つて炭鉱労働者の
けい肺患者を
発生する非常な要素にもな
つておるということを申上げたいと思います。それは戦前以来、石炭の産業の増産については非常に強く要望されておりましたし、我々自身といたしましても、石炭の生産につきましてはいろいろな角度から苦心をいたしたわけであります。ところがその苦心をして出した石炭であるとか或いはボタ、ボタといいますのは掘進して出る岩盤であります。このボタ等がやはり標準作業量という形になりまして、その標準作業量で、仮に百の標準作業量が二十二年でありましたならば、
賃金改訂のたびに百十になり百二十になり、百三十になりというふうに非常にそれが加重いたしておる結果、やはり新らしい機械を据付けましても、それに要する手待ち時間或いはそれに対する能率の低下というものの中から、労働自体はやはり新らしい機械に馴れるということと、それを本当に自分の生活
賃金とからみ合せて
考えるという
実態になると、やはりなかなかそれはむずかしい問題であります。このような問題につきましても、やはり十分その
予防対策を受入れる
状態の中に労働者を置いてもらいたい。ただ形式的にこの機械を入れたからそれでいいのじやないか、入れて
仕事をすればその日の生活のできない、その日の飯の食えない
状態においてそういう機械を形式的に入れて、これで事足りるという態度であ
つたならば、
けい肺というものは今後一層多くなるであろう。これは勿論我々自身も反省しなければならん問題であると思いますけれ
ども、そういう
実態も十分知
つてもらいたい。
炭労の今度の
賃金闘争、
賃金要求の中で請負給制度の撤廃という
一つの要素を出しましたのも、かかる悲惨な
実態を防ぐための
一つの問題点であ
つたというふうにこの機会に御説明申上げたいと思います。
なお
けい肺病の特殊性につきましてはすでにいろいろ言われておると思います。
けい肺に罹
つた人は殆んど治らないということも言
つております。又私たちの経験からも、
けい肺に罹
つた人が本当に全快したということを過去の経験からまだ一回も見ておりません。而も
けい肺に罹るということは、やはりたとえそれが一度であ
つたにいたしましても、その療養につきましては非常に苦労をするわけであります。例えば気候の
ちよつとの変化に伴いまして直ちに発熱をする、而も風邪を引いて、その風邪がもとで
けい肺というものが結核と併発いたしまして倒れて行
つた、こういう例もあるわけであります。一度になりますれば、たとえそれが公傷に認定されなくても、又二度にな
つて公傷に認定されなくても、その
なつたという事実の中で、非常にこの病気というものの進行
状態、或いはこれに対する
予防非常にはむずかしい
状態に現在の労働者は立たされておるということは、特殊な
状態ではないかと思います。
それから
けい肺の
患者というものが、やはり病気といいましても、いろいろ薬もあるわけでありますが、この
けい肺患者に対する薬というものはやはり
栄養補給的な性格のものしかないわけであります。従いまして毎日の食膳の中で栄養のある物をおやじに食わせる、ところが日本の家庭制度の中ではやはりおやじだけがいい物を食べて、小供がたくさんおる中で子供らに食わせないというわけには行かない。その場合にやはり人情としても家庭的な生活費が嵩んで行く、おやじが食わないでそうして家庭も辛抱して行こうというならばいいわけです。ところがなかなかそうは行かん。病人があるとい
つても、到底薬を買えない病人ということになりますと、
けい肺患者の家庭については非常に惨めな生活を現在や
つておるわけであります。この
けい肺患者の苦しい
実態、いわゆる死刑を
予定されて、いつ死ぬかわからない、その死を待つばかりのいわゆる労働者の生活、これはここでいろいろ申上げても恐らく抽象論になると思いますけれ
ども、昨年であ
つたかと思いますが「生きる」という映画があ
つたわけです。死を宣告された人間がどういう苦しい目に会
つて、どういう人世観になるか、これはあの映画「生きる」の主題の人物のように、達観して最後の生きる途を迫るように人間は人格的にも高ま
つて行かなければならんとは思いますけれ
ども、併しやはり死を
予定された人間の心境というものは筆舌に尽しがたいものであると私
どもは思います。そういう経験を持
つております。
時間もたちますので、一度、二度の
患者につきましても、これはまだ三度という
状態までは進んでおらないにしましても、先ほど申しましたように非常に出勤率が下がるのであります。労働の
能力が下がるという
状態でたとえ
配置転換をいたしましても、その病状を進めないために非常な苦労が要る。すでに
けい肺の三度と同じような
状態において療養をしなければ、又三度という本当に死に至る道程を、近道を行くということを
考えるわけであります。この点につきましては、今後の
法案の中にも十分いろいろ御考慮願いたいと思
つております。
なお私は
医学的には非常に無知な人間でありますけれ
ども、
けい肺という病気につきましては、これは絶対に治らないのかどうかということについて、私は結論から申しますと、是非治してもらいたいというふうに思
つております。明治時代におきましては、結核というものは不治の病だということをいわれました。今の
けい肺は今の時代において不治の病だといわれております。併し私は今の労働者の悲惨な
実態の中から、是非何とか治してもらいたいというふうに
考えておるわけであります。私はこの
けい肺についての
研究の
実態につきまして、二、三、いろいろ見たわけであります。例えば鬼怒川の療養所に見学に参りましたときに、一隅にけい酸を含んでおる岩石、恰好の岩石を分析されておるお
医者さんがおられたわけであります。ところがその設備たるや、私の目から見て、素人の目から見ましても非常に貧弱な
状態である。併し私のほうに三百四十一名の
患者がおるのに、三池の岩盤を本当に
調査されてもら
つておるのだろうか、そういう中でああいう
患者の
発生状況である。こういうことから見ても、まだこれに対する
医師の
調査も十分でなか
つた。こういうことを
考えまする場合に、私はこの
けい肺に対する
研究所というものはもつと総合的に根本的な
立場で私は作
つてもらいたい。そういうことの中で今の不治と言われておるこの病気につきましては何とかや
つてもらいたいというふうに
考えます。三井の
医学研究所というところでも勿論や
つておられます。や
つておられますけれ
ども、やはり一
企業における
研究所の段階というものはおのずから限度があります。三池でも
けい肺の
研究所がありましたけれ
ども、二十五年であ
つたと思いますが、火災によりまして焼けまして、非常に残念でありましたけれ
ども、私はそのような
立場から
けい肺に対する根本的な、一
企業に任せるということでなくて、もつと総合的な
立場でそういうものを作
つてもらいたいというふうに
考えます。
それから
けい肺患者の生活の
実態につきまして非常にたくさんの資料、いろいろの内容を聞いておりますけれ
ども、主だ
つて特に皆さんがたに知
つて頂きたいというのを二、三紹介いたしたいと思います。前原留雄という四十三才の掘進工がおりました。これは勤続八年であります。その掘進工は
昭和二十八年の八月の十一日に休業いたしまして、約七カ月間の病床の結果、二十九年の三月一日に死亡したわけであります。この人の健保等級は十一級であります。級等級でありますから十一級であります。この級等級の十一級と申しますと九千円の手当しかありません。これは家族七人で、十三才の長女を頭に子供六人おります。これも併し結核合併症という病気で倒れておりますが、家計費が月最低二万八千円は要るのであります。家族七人で一万八千円はやはり要るのであります。それは全部借金でや
つております。一日三百円の療養費で、そして家族七人で而も栄養を自分で取
つて行かなければならん。これは、こういう
状態はこれは死ぬということ以外にはないと思います。これは前原君の例であります。
原田君の例にいたしましても、勤続十四年、三十五才の男でありますが、二十六年の六月に初診をいたしまして、
けい肺の認定が二十七年の十月の七日にあ
つたわけであります。死亡は二十八年の十二月の九日であります。この初診から
けい肺の決定まで約十七カ月間、一年半に近い日数がかか
つております。
けい肺の認定通知というものが非常に遅れておるのです。こういうことがその
患者の場合にとりましてはいわゆる私傷病で、その間
けい肺の認定があるまでは取扱われておるわけでありまして、私傷病で給付が切れてからその認定の通知が来るという極端な例がこの例であります。ところが私傷病の給付が切られますれば全部自分の費用で見なければならん。そうなりますと私傷病の打切後の赤字というものは相当厖大な数字になりまして、この原田君の家族につきましては現在相当の借金を背負
つて非常に苦しんでおるという
実態があるわけであります。
なお、長くなりますが、藤木君の例をもう
一つ申上げますと、これは四十才の男で勤続十七年であります。初病は二十五年の七月の二日、公傷打切りは二十八年の七月三日、死亡は二十八年の十一月十四日であります。これは休業中のこの人の給付は月一万一千円、家族七人、十三才の長男等子供を五人抱えて、毎月の最低の生活費が一万八千円といたしますと、赤字は月に七千円の赤字を毎月見ております。
この例の中で特にまだ皆さんがたに知
つて頂きたいのは、三年間というその打切
補償のために、非常に残念ながら職場をやめて行
つた。やめて行
つたところが十一月の十四日に死亡をいたしておる。これはやめてから死亡いたしております。これなんかは典型的な問題であります。打切解雇すれば事足りる、打切解雇したらばその人間の精神的に受ける問題、或いは経済的に受ける打撃、この問題は、月に二万三千円の病気の治療費、療養費というものが要るという
実態の中で、この問題につきましても非常に三年の打切
補償というものがむしろこの藤木政之君を死亡に至らしめたということを、家族の者も非常にそういうことで嘆いておりますけれ
ども、こういう点につきましても十分
考えて頂きたいと思います。今いろいろ申上げましたように結核との合併症で非常に誤診が多いということ、この点につきましても一言申上げたいと思いますのは、
けい肺というものに罹ると非常にまあ肺が弱
つて来るということで結核に侵される要素がある。そのために非常に結核と
けい肺との
判定がつきにくい
状態であります。三井の場合、三池の場合、特にいろいろの
医者のいろいろな角度から
研究はしてもら
つておりますけれ
ども、安田という工員の場合におきましては、
医師は結核ということを最後まで固執しました。併し組合としましては或いは本人といたしましては、経験年数の中からは、これは飽くまでも
けい肺と同じ症状であるというふうに自覚症状も訴えたのであります。併し最後までいろいろやりましたけれ
ども、やはりどうしても死ぬまでそれに対して黒白はつかなか
つた。併し解剖をした結果、これは
けい肺であ
つたということ、肺の中に岩粉がざくざく入
つてお
つたという
実態、こういう
実態等も十分
考えますれば、やはり結核
患者等におきましても十分いわゆる掘進作業、
粉塵作業に従事した人数に応じて検診等も十分にや
つてもらいたい、こういうふうにも
考えるわけであります。
それから初診から認定までの期間が非常に長い、これは先ほ
ども申しましたように、この長い結果における労働者の被害というものは甚大であります。私傷病という形で取扱われる、或いは場合によ
つては打切られる、全部自分の自費で生活しなければならん、金がなければ借金をやらなければならん。そうして或る何カ月かしたらあれは公傷でした、或いは
けい肺でしたという認定が来る場合があります。これは先ず会社の
医師が
けい肺と認定して基準局に申請するまでの期間は半年か一年くらいかかる場合があります。基準局が認定するまでの期間にこれ又半年か一年の期間がかか
つております。こういう
状態の中で労働者は非常に苦しんでおるということもこの機会に申上げたい。
それから藤木政之君の例のごとく、三年の打切
補償をやられたために、経済的にも或いは精神的にも打撃を受けて、長年の職場を離れたその打撃のためか、やめて三カ月か四カ月してもうすでに死んでおる。こういう例は今この藤木君の例を
一つ申上げましたけれ
ども、先ほどの六十数名の
退職者の中にもそういう例が多々あるということを申上げたいと思います。
それからこの生活の苦しい
実態の中でなお大きな矛盾がもう
一つあります。これは
けい肺患者という者は今なお
医学上は治癒の見込がないというように言われております。併し治癒の見込がないということは、やめてからの失業保険はもらえないということであります。ところがこれにつきましては失業保険法の三十八条で月額千分の八を乗じた金額が徴集されますので、こういう非常に可哀相な人までもすでに初めからもう、やめても失業保険をもらえないという
実態の労働者に対してもいわゆる失業保険を、これは年間にすれば千円を超す金額になるわけでありますが、こういう金額をやはり取るということにつきましても、やはり今の
実態の中から考慮してもらいたいという事項であります。失業保険の係に行きましても、やはり社会事業として辛抱してもらわなくちやならん、こういうことを言いますけれ
ども、むしろ社会事業的に或いは人道的にも救済すべき人間からまでもこういうものを取るということにつきましては、やはり十分御一考願いたい点であると思います。
最後に、私の下手ないわゆる言葉で申しますよりも、
けい肺法制定に対する三池の労働者の声を率直に私は最後に申上げたいと思いますのは、丁度十二月の九日に死亡した原田儀一君のことでありますが、
国会において
けい肺法制定運動が起
つた当時より署名運動等に私と共に
協力してくれた一人であ
つたわけであります。ところが三池における
けい肺法制定の署名運動ということも前後四回に亘
つてや
つております。その二回目の二十八年の三月だ
つたと思いますが、四山町の街頭でこの署名運動、
けい肺法に対する署名運動を頼みますと市民の皆様に訴えまして、名もない市民の激励と、
予定以上の人数に達する署名簿を手にして、二人手を取
つて喜んだことがあ
つたわけでありますが、ところが今度
けい肺法の
制定を見ずして不幸
けい肺によ
つて倒れてしま
つたという私の同志が最後に私に言
つたことは、私は不幸にして
けい肺で倒れるけれ
ども、あとあとにこういう苦しみを残してくれるな、是非
けい肺法制定については
努力してもらいたいということを私に言
つたわけであります。私としてもこの機会に皆さんがたに聞いて頂くことについては非常に嬉しいわけでありますが、いろいろの言葉を申上げますよりも、この労働者の悲痛な声を是非聞いて頂きたいのであります。
なお
九州では毎年労災に対する
労使懇談会というものが福岡で行われます。これは二十七年のことだ
つたと思いますが、
労働大臣代理といたしまして基準局長が参りまして、私が
けい肺法の
制定についての
質問をやりました際にも、
けい肺法制定には
努力したいということを、約束いたしてくれております。私は早速毎月開かれる
けい肺患者の座談会にこのことを報告いたしました。そうして非常に皆も喜んでおりましたけれ
ども、その後
国会における審議
状態が非常に進まず、先ほ
ども申上げましたように、死刑囚にも似たこの
患者の気持というものは非常に悲惨な暗い気持でおるわけであります。どうか一日も早く
けい肺法の
制定について
努力してもらいたい。このような悲惨な職業病についてはいろいろの事情も、或いは各政党、右とか左とか、革新とか保守とかいう
一つの問題点、或いは問題の事情もあると思いますけれ
ども、やはり私は今後の日本産業の生きる道ということは、生産性の向上を高めて行かなければならない、こういうことがいろいろ言われております。生産性の向上ということには、私に言わせれば、労働者が自律的に生産意欲を高めて行くということが、これが非常に重要なことだと私は確信いたしております。この自律的な生産意欲の増大をするということは、これは、懸命に働いた労働者に対してはやはり温い手当をしてやるということこそ私は必要であろうと思います。百歩先の目標を見て、一歩先のことを
考えないで、一歩先のこういう
けい肺法制定に関するこのような問題を
考えないで、やらないで日本の生産性の復興という掛声ばかりや
つて、本当の日本の産業というものは絶対復興しないであろうということを私は確信いたしております。どうか三池の労働者の今の気持というものを率直に申上げましたので、皆さんがたのよろしく今後の御審議を
お願いするわけであります。終ります。