○
公述人(
高橋亀吉君) 二十九年度の
予算そのものに関連したことは鈴木君その他
専門の方のほうからお話があると思いますので、私は今度の
デフレ政策が一体どういう
影響を及ぼすか、どうせねばならないかというふうな
デフレ政策そのものの一般に関して私見を述べてみたいと思うのであります。
今度の
デフレ政策は
目的は四つあると思うのでありますが、その
一つは生産以上の
消費を抑圧しようということであります。第二は
物価を下げて
日本経済の
国際競争力を強化して行く、そうして輸出の増進、輸入の削減を図ろうとすることであります。第一は資本の効率をよりよく利用して
国民蓄積を増大して行こうということ、第四はこの
デフレ政策がてこにな
つて民間事業の整備を徹底させて行こう、この四つの
目的を持
つているものだと思うのであります。自然この
政策をどう進めて行くか、どういう手を打つべきか、どういう
影響があるかということはこの四つの
目的に合致するか否かということを中心にして評価されるべきだと思うわけでありますが、ところで
デフレ政策というからには
インフレの根源をからすということに第一に目を向けるべきだと思うのでありますが、それは
財政、特に中央及び地方の
財政の
放漫を是正するということは言うまでもないのでありますが、併し今日の
日本の
国際収支を悪化させた
インフレのより大きな原因は
事業経営の
放漫というところに根ざしていると思うのであります。その
事業経営の
放漫を助長し促進したものが
財政金融の
放漫である。こういうことが言えると思うのでありますけれども、併しこの際
インフレの根源をからし、
国際収支の悪化を防ごうというのには最も大きな
インフレ要因をなしている
事業経営の
放漫を是正するということ、それに関連して
国民の
過大消費を抑えるということ、即ち
財政、
事業経営、
国民消費、この三つの
放漫を是正するということでなければならないわけであります。単に
財政の緊縮というだけで
目的が達せられるものではないと思うのであります。それからして
財政を緊縮するということは当然にこの三つの面の
放漫な
消費を抑制するそのてこになる、こういう
意味において
財政の緊縮が考えられるべきだろう、こういうふうに思うのであります。そこで問題になります点は現在の
デフレ政策と申しますと主として
財政金融でありますが、それで以上の
目的が達せられるか、これで十分か、或いは行き過ぎておるか、或いは過小か、こういう問題が第一に起ると思うのであります。次にはそうした
デフレ政策に
経済界が果してこれに耐えるかどうか、その
影響は一体どうだ、こういう問題があると思うのであります。そこで、それらに対してどういう対策が必要か、これが今日の問題の点だと思う次第であります。
先ず
財政の
デフレ政策でありますが、これは
財政消費を削減して
国民経済の
有効購買力、
有効需要を減らす、これが第一の
目的を持
つておると思うのでありますが、これにはそのどういう点を減らしたらいいかという面において
相当問題があるわけでありますが、多分これは鈴木君等が
あとで
専門の立場からお話があると思いますから、私は
一般論を申す関係上その点は省きます。それから
財政デフレのもう
一つの役割は
事業及び
国民の負担を軽減するということであります。併しさつき申しましたようなこの際
デフレ政策を必要としておる
一般的観点から言いまして、
財政の
デフレ政策の持
つておるもう
一つの大きな
意味は、
政府は
財政上の
デフレ政策を強行するということによ
つて、全体の今
日本が必要としておる
デフレ政策をあらゆる方面に断固として進めるこの
意思表示をしておる。
政府の
財政に対する態度によ
つて他の全体の
デフレ政策に対する
政府の
決意というものがここに指標的に現われる、そういう
意味において
財政の
デフレというものが大きく見らるべきだというふうに思
つております。
ところで今度の
財政デフレの
経済的影響でありますが、これは三つのアングルからその
影響が計られると思うのであります。
一つは
通貨をどこまで
収縮し得るかという点でありますが、これは御
承知のように歳入において約四百億円
内外縮小とみている。こういう点が超均衡
予算的な性格を実質的に持
つている。こういうわけでありますが、これは併し
デフレ政策が成功すれば実際このくらいの
収入減はやはり起ると見るべきでありましようから、果して実質上の
通貨収縮政策になるかならないかということは疑問でありますが、とにかくその面から見て
影響を考えるという点が
一つありますが、この点はさつき言いましたようなわけでそう大きく
経済界に
影響を及ぼすと見るほどのものではない、こういうふうに言い得ると思うのであります。もう
一つの見方は、前年度つまり二十八年度に比べて今度の
財政がどれだけ
収縮しているかという観点から
影響を見ようとする点でありますが、これは御
承知のように
一般会計で二百七十七億、
投融資会計まで加えて六百億近くが前年度に比べて少い。それだけ
経済界に
影響が来るわけであります。多くの見方はこの金額を中心にしてどういう
影響があるか。こういうふうに見ているわけでありますが、併し御
承知のように
地方財政までも入れればそう減
つていないということになるのでありまして、これだけであれば
財政面から来る
デフレの
経済界に及ぼす直接の
影響というものはそう大きいものではない、こういう見方が一応成り立つと思うのであります。併し
経済界に及ぼす
影響という面から見ますと、以上二つの点よりもこれから述べます第三の点がより真実に近い予想になるのじやないかと思うのであります。というのは
経済界は前途を予想していつも動いているのであります。そこで二十九年度
予算というものをこれまで
経済界はほぼどれくらいのものと予想して動いて来たかと言いますと、御
承知のように少くとも一兆二千億円内外に上るものじやないか、それ以下にはよう抑え得ない情勢ではないか、又今までの年々増加して来た
テンポから言いましても大体一兆二千億、これがほぼ今までの
テンポから言えば妥当な点ではないかというふうな
考え方から、
経済界自身は二十九年度は一兆二千億円の
予算、こういう予想の下に
経済活動をして来たと見るべきなんです。それは現に十二月初め頃までも、或いは中頃までもそういう
考え方が瀰漫しておつたわけであります。然るにそれが一兆億以下に抑えられた。こういうわけでありますから
経済界への
影響としては約二千億円の
収縮が来た、こういう
影響が現われる。こう見るべきであろうと思うのであります。そういうふうに見ますとこの程度の
財政デフレでありましても
相当の
影響は
経済界にある、こう見ざるを得ないということになると思うのであります。
併し二十九年度というと少し時間が食い違いがありますが、暦年で二十九年における
経済界の
デフレの本体は、
財政よりも
金融自身にあると思うのであります。
金融の
収縮という面のほうが今年の
デフレを最も強く支配する
要因である、こういうふうに見るべきであろうと思うわけであります。
従つてデフレの
影響を見る場合には
金融を合せて特に強く見る必要があるわけであります。
金融の
デフレのほうがひどいというのは
日本銀行が
金融を締めるからという
意味ではないのでありまして、それよりも
国際収支が悪化して国内の資金が海外に流出する。そこから若し
金本位制度であれば自動的に
金融が締まるはずでありますが、今日
管理通貨の下といえどもこういう
影響は依然として強く作用するのでありますが、それが少くとも暦年の二十九年においては三億ドル内外の赤字になる。約一千億円以上の資金が海外に流れ出るわけであります。放
つておけばそれだけ
通貨が
縮小する、こういう働きをするわけであります。先にも申しましたように
財政面においては或いは四百億円近くの
通貨の
縮小があるかも知れないが、併しこれは
デフレ政策が成功すれば
歳入減がそれだけ多くな
つて通貨の
縮小にはならない公算も強いものでありますが、
金融面では明らかに約一千億円の
通貨の
縮小が起る、こういう
状態にあるわけであります。そこで問題はこの
国際収支から起る
通貨の
縮小の全部を直ちに
通貨の
縮小として現わすか、或いはそれを急激にやらずに徐徐にそれが出るようにするか、又はその一部分を
日本銀行の手心で緩和する措置を講ずるか、こういうことが問題になるわけでありまして、その
措置如何によ
つて影響が違
つて来るのであります。併しそれらについては
あとで時間があれば述べたいと思うのでありますが、併しこの
財政金融の
デフレの
影響として挙げました以上申しました点は、実はどういう
デフレの量がここに起るか、こういう問題だけなのであります。一定の
デフレの量がここに起るとして、それが
経済界にどういう
影響を及ぼすかということになりますと、これはここで
デフレが起る量ばかりが問題ではないのでありまして、これを受入れる
経済界の
状態が一体どういう
状態にあるか、その
状態如何によ
つて影響は非常に違
つて来るのであります。丁度
健康体であれば風邪をちよつとひいてとんぷく一服飲めばなおるぐらいの風邪でありましても、体が非常に弱
つておるとか或いは
相当結核が進んでおるとかということになれば、その風邪がもとで重患にもなりましようし命取りにもなるのであります。それと同じようでこれだけの
デフレを受入れる現在の
経済界がどういう
状態にあるのか、
健康体であればこれだけの
デフレの量があるその
影響だけを一応見れば
経済界への
影響というものはおよそ見当がつくわけでありまするけれども、併し現在の
経済界の
状態如何によ
つては、
健康体の場合に比べて或いはそれに何倍する
影響が出るかも知れないのであります。そこで、ここで
財政金融の
デフレ経済界に及ぼす
影響を見ます場合には、その
デフレの量と速度も無論大きな
要因でありますけれども、これを受入れる
経済界の
体工合というものを検討してみる必要があるわけであります。
ところで現在の
日本の
経済界はどういう
位置にいるかと言いますと、さつき申しました
通り一つは
インフレの
要因として
放漫な
経営をしている。
財政以上に国全体から見れば
インフレ要因をばらまいている。これを
一つ抑えねばならないという
位置にあるわけでありますが、その
放漫経営をや
つております最も中心的な部面は、
減価償却を怠
つて欺瞞的な利潤を出して資産を食いつぶしている。払
つている税金も配当も賃金も利子も、無論重役の賞与とか社用族的な費用も利益があ
つてや
つているのではなくて資産を食い込んでや
つている。こういう面が非常に多い。こういう点であります。そこでこれをどうして抑えるか、こういうことが必要になるのでありますが、大
ざつぱに数字を見ましても約年々二千億円の
減価償却の不足が起
つているのであります。これは
大蔵省調査の
国民所得に対する
減価償却率を
昭和九—十一年平均と二十七年とを比べてみましてその差が約三%八にな
つておりますが、これを
国民所得にかけると約二千億というものが出るのであります。そのほかに
企業界はそれまでの
赤字損失を隠して、ごまかした
経営をや
つている。これがどのくらい大きな国全体の
インフレを助長しているかと言えば、今問題にな
つております例えば
保全経済会を見ればいい。内容が空にな
つてお
つてもあるような顔をして高い配当を払
つている。そうすれば
受取つた人間は金があるつもりです。財産もあり金も入
つたつもりで
消費している。実際は皆食い込んで大部分はないのだ。こういうような全体を食い込みながら皆に
消費カを与えている。こういうのが
事業界にも非常にと
言つていいくらい多いのであります。これをここで中止せしめねばならない。こういう
位置にいるのであります。そのほか現在日々損をしているにもかかわらずそのうちにはよくなるのではないかというふうな淡い期待を持
つて、いわゆる
自転車操業、損を隠しながら
経営をしている。こういう面が又今日の
日本の
インフレ、所得以上の
消費をしているそういう方面に大きな
影響を及ぼしているのであります。これを中止せしめる必要がある、こういう
事態にあるのであります。
それからもう
一つ今日の
経済界の
位置を語るものはこういう点にあるのであります。一体大
景気の時代には
財界は金が容易にもうかるものでありますから
経営が非常に
放漫になるのであります。それは当然なんであります。それを経費を二倍三倍に膨脹させても利潤が四倍五倍ともうかるときには経費の膨脹というものは問題にならん。そこで
経営がいつでも大
景気の場合には
放漫にな
つて来ます。その上にそういう時代には
物価が高い、それでもうかる、こういう採算で
事業がいつも乱立されます。
相当事業が起るのであります。ところがそれが平常
状態に返ればそんな
放漫な経費は許されない。乃至は
物価の高い時代に
作つた事業はや
つて行けない。現に問題にな
つている船なんかはすでにそうでありますけれども、そういう
事態に追込まれるのであります。そこでその上に
相当の
事業は到底支払いきれないような借金を背負
つておる。
整理をすればそれだけの借金を払う能力がないにもかかわらず、放
つておけばごまかして金利だけ払
つておる。こういうふうな形をや
つているのであります。そういう面を
整理しながら
日本の
経済はや
つて行けるものではないのです。日々くい込みを続けておるということになるのであります。
そこで以上申しましたような
経済界の
整理を平時にもどれば必要とするのであります。
ところで現在の
日本の
経済はどうかと言いますと、終戦後
物価が約三百倍にも暴騰し、その上に
朝鮮ブームの段階というものを経ておりまして、或る
意味において非常な大
景気の
あとという
状態にあるわけでありますが、当然自然そういう
整理を一応やらねば
経済の立直りは不可能なんです。到底できない。ところがそういう
整理を
事業家は放
つておいたらやるかというとなかなかやらないのです。これは大正九年の
反動の
あとでもその前の場合でもそうであります。というのはそうやればぼろが出る。自分の
位置もなくなり
事業も倒れるかも知れない。こういうわけでありますからできるだけ弥縫したい。その上に或いは
景気の波がそのうちには寄せてそれで救われるのではないかという希望を常に持つのであります。人間の欲で同じようなことを考えて同じ歴史をくり返すのであります。もう
一つは今度も問題にな
つておりますけれども、こういう場合に
政府の
救済援助を求める。そこで
スキャンダルが出る。大正九年ののちにも非常な
スキャンダルがその場合に出ました。で御
承知のように軍部のフアツシヨを養成したような
政党に対して
国民が信頼をなくした。そういう気分は大正九年以降の
反動の
整理を
事業界が自力で自主的にやらずに、或いは
政府の
援助救済その他の運動をうんと続けたということにあつたのであります。今度も同じことをや
つてお
つて現に御
承知のような問題を起しておる。そういうわけで放
つておいてはなかなかやらないがどうしてもこれを
整理をやらねばや
つて行けない。それは丁度
財政も同じなんであります。
財政も今までのような
財政ではや
つて行けない。これは
整理せなければいかないという場合に、
政党なり
政府なりが事前に早々と
整理をやつた例があるかというと歴史においてもそういうことはめつたにないのです。それは
事業界と同じでありまして、
せつぱつまらないとやらない。
せつぱつまつて今度のときもそうです、二十八年度の
予算でやるべきことをや
つていなくて二十九年度に急カーブを描いてやつた。それは要するに
国際収支がいよいよ悪化してこんなでは大変だ、こういう
事態ができて初めて
財政の
整理もできたわけであります。それと同じように
経済界の
整理も
事態が
相当急迫して、その急迫した
事態が
相当進まなければやらない。それはどういうことかと言うと不況です。不
景気が来る。
金詰りが来る。これではにつちもさつちもできない。今までのやり方ではと
つてもできないという
事態が起らない限りやろうとはしないものなのであります。そこで今まで
財政なり
金融なりそれで
財界の弥縫を助けて来たそういう
政策を打ち切る。そうして
経済界の
相当な不
景気を出す。
金詰りを出す。そうして初めてこういう
財界の
整理ができるのであります。そういうわけで
デフレ政策を
経済界が必要とし、その国が必要としております場合にはそれはいつも
財政金融の
デフレだけではないのでありまして、それがてこにな
つて今申しますような
経済界の
整理を徹底さす、
財界の
切開手術をやらす、こういう作用を合せて常に持
つておるのであります。そういうわけでありますから今度の
デフレは単にこれだけの
デフレの量があるというだけではなしに
経済界がそういう
状態にありますから、併せて
経済界の今までの弥縫、ごまかし、やりくりというものが表面に出て来る、その
整理をせねばならない、こういうものが併せて起るわけであります。当然それだけの
影響が
財界に起るものと見ねばならない次第であります。
そこでそういう場合に先ず一番必要なことは
国民各層の人心を一変さすことなんです。今までのような安易なやりかたでは駄目だ、ここでさて今後や
つて行けるという
状態にまで
経営を全部やり替えにやいけない。それは
国民の生活においても労働のほうにおいても同じである。そういう気分を一新させ、
政党のほうでもそうでありまして、少し困ればすぐ
財政を膨脹さして何とかしてやろう、そういう気分を一新さしてしまう、こういうことが必要であるのであります。その自覚が早くできればできるだけ
デフレの量は少くても問題が解決され、
目的が達せられるのでありますが、その自覚が少ければ少いほど
デフレの量が多くな
つてにつちもさつちもいかなくなる。
行政力が強くならないと
整理ができない、
自然反動が多きい、こういうことになると思うわけであります。ところで現在の
財界はどうかと言いますと、これだけの
デフレ政策をとりながら御
承知のようにまだこの
デフレ政策を果して遂行し得るか否かということについて
半信半疑の
状態である。或いは
デフレを強行すれば
財界がそこここに破綻が起る、そんなことは今の
弱体内閣ではやれないのじやないかということから大したことはやらないだろう、こうした考え、又や
つてみても
財界に破綻が起きればこの前去年の春、いろいろ
不渡手形が大会社に出ると、日銀が救済したように今度もやるのじやないか、やらざるを得ないのじやないか、そうなれば
却つてインフレになるのではないかというような
考え方を持
つておるとか、或いは
手持外貨がここまで減
つてくれば結局は
輸入制限をするのじやないか、そうなれば
物価はむしろ上がるのだというので思惑をや
つている、つまり
物価が下るどころか上がるのだという思惑も行われている。或いは
円レートの切下げが必至じやないか。こういうふうな
考え方が
相当財界を支配しておりまして、
デフレ政策を遂行し得る力があるかないかについて
半信半疑の
状態にあるのであります。こういう
状態が現にあるということは、若しこれを続けよう、その
目的を達しようとすれば今一段の強い
デフレ政策の
圧力が必要だ、こういうことに一方にはなります。若し又その
圧力から来る打撃を恐れてここで態度を緩和する、こういう形になれば
デフレ政策は頓挫して来る。一度頓挫するという形になればもはや
国民は今日の
政党政治に対して
デフレ政策を遂行する能力なしと、こういうふうに見ると思うのであります。つまり
政党政治に対して
デフレ強行の能力なしという不信任が起るわけであります、そうなればこれは当然に大きな
インフレ思惑が
国民全体に起
つて参るわけでありまして、それを阻止することはそうなれば容易でない、恐らくできなくなるのじやなかろうか。やろうとすれば今日以上の、それに何倍する蛮勇を振
つてデフレをや
つて相当の大きな犠牲が起
つてもかまわないだけのことをやるか、どららかになると思うのであります。そういうわけで中途で挫折さすということは大変なことだ。こういうふうに思うわけでありまして、
経済界をできるだけ大きな
反動なしに而も
デフレの
目的を達しようというのには、
デフレ政策を遂行するこの
決意に
国民が
半信半疑でいる
状態を早く打破する必要があると思うのであります。これは今日重大なポイントであると思うわけであります。そのためにはどうしても或る点の
圧力を加える必要がある。と
言つても今のところどういう
圧力を加えるかというと、
政府の
決意、
政党の
決意というものを一段と強めるほかない。とすれば手取り早い方法は
金融を一段と締めるということでありますが、併しできるならこの
状態であるならば、二十九年度
予算がまだ通過もしていないのでありますけれども、それに対しても
実行予算を組んでもう一段締めるというくらいの
決意を現わすべきである。そうすれば
国民も
財界も
政府の
決意というものに信頼をおいて今言つたような
反抗運動を起さない、それだけ大きな
圧力なしに
デフレの
目的が達せられる。こういう形になるのではないかと思う次第であります。
ところで以上申しましたことによ
つてわかりますように、今度の
デフレは
相当の
影響が
経済界に出ます。と言うよりはさつきも言いますように、今日の
日本の
経済界は今までの通りでや
つていけない
事業がうんとあるのであります。これを
整理せねばいかない、或るものは合同さすべきであります。或るものは減資をする、うんと
縮小せねばや
つて行けない
事業も
相当あります。
経営もうんと
整理せねばならん、配当も減らさすべきである。そうや
つて行かなければや
つて行けない
事業がざらにあるわけであります。当然これは
デフレ政策をとらなくてもそれらの
事業はや
つて行けないのであります。ただ
デフレ政策はそれらの
事業の
整理を促進さす、ふんぎりをつけさすとこういう働きをするわけでありますが、それだけ見ましても
相当の破綻が続出する、かなりのシヨツクが起る、こう見ざるを得ないわけであります。
そこでそういう場合にそれらの破綻を恐れて、ここで何とか手を打つ必要があるかどうかという問題でありますが、
財界からは現にそれらについて
相当の陳情もあるようでありますけれども、これらは断じて中途で救済すべき手を打つべきでないと思うのです。これは大正九年の
反動以降の場合によく現われておるのでありますが、当時御
承知のように九年
反動後、
財界の癌という言葉で言われておりましたが、
財界の
整理ができていない、業界の
整理ができていない。
事業の
整理を徹底させ癌を手術しようとすれば命にかかわる。放
つておけばだんだん体が悪くなる。
財界が悪くなる、こういう
意味で
財界の癌と言われておつたのでありますが、これがあ
つてなかなかできずに結局大正九年からぐずぐずして
昭和二年の
金融恐慌の破綻にまで持
つて行つたのであります。この当時の
政策を顧みてみますと
日本銀行なり
政府なりは、
経済界に混乱が起りそうだと言いますと、その混乱を防遏するということに全力を挙げた。それには目先一応成功したけれども、より重大なポイント即ち
経済界の
整理すべきものは、損のあるものは損を切らし徹底的な
整理をせねば
日本の
経済界は立ち直らない。そこで
整理すべきものは
整理さすのだ、こういうメスの入れ方が非常に不十分である。これが大正九年以降の
経済の癌を作り、それからさつき言いましたようなその救済のために
政党に運動してそうして
政党の腐敗を起したが、結局は
昭和二年の
金融恐慌でそれが破綻した、暴露した。こういうことがあるのであります。そこで個々の問題はここで少々の混乱が起きても
デフレを遂行して
整理すべきものは
整理さすということが先ず第一段に必要であると思うのであります。併しながら今の
日本の
経済界はまだ病後でありまだ
健康体にもど
つていない。財戦の痛手を受けて病後でありますから
整理するだけでへとへとにな
つてしまう。
相当困
つてしまう。それを
整理した
あと放
つておいてひとりでに立ち直るだけの力があるかというとこれはないと見るべきである。そこで
整理した上でこれならや
つて行けるという
状態を作つたからには、その場合にはこの立ち直りを促進する
政策をとる。こういうわけで
整理を先ず徹底させて、その上ならば必要な手は伸べる。その態度をとるべきであると思う。つまり混乱が起ることを恐れてそれを防遏するという
政策を排して徹底的に
整理させてその
あとで必要な手は伸べる、こうあるべきだと思うのであります。無論国家的な必要の
事業は放
つておいてはや
つて行けない、こういう
事業もありましよう。それに対しては或る程度まで国家が必要な保護をし助長
政策をとる。こういうことも必要になると思うのでありますが、これも先ず
整理を徹底さすべきなんで、例えば今度汚職事件で問題を起した船舶にいたしましても、なぜあれだけの保護
政策をとるならば合同を条件にしなかつたか、或いは経理の徹底的な
整理を条件にしてその上でなぜあれだけの援助費を出さなかつたかというふうに、
整理さすべきこともさせずにいろいろの金を出したところで駄目なんです。
整理を先ず徹底させて国家的に必要な
事業であるならばその
あとで必要な施策を講ずべきだ、こういうふうに思うのであります。そういうわけでここで
財界に或る程度の破綻が起るのを恐れる必要はない。問題はその
整理ができた
あとでどういう手を打つか。この準備ができておるかどうか。そこに問題がある。こういうふうに思うのであります。例えば今の
日本で
整理を要求しておるからさつき言いましたような合同、合併、資本の
整理、減配、無配、こういうようなことも
相当必要でありましようし、或る場合には借入金も半分ぐらいちよん切
つて債権者に負担さすというぐらいのこともあ
つて然るべきでありましよう。当然に経費は徹底的に
整理する。
経営はうんと合理化する。従業員も過大なるものは
整理する。こういうことも必要にな
つて来ると思うのであります。
のみならず私はここで重大な点だと思いますことは、一体
日本のようなこういう資源が貧弱で、而も敗戦後更に貧弱にな
つて、而も敗戦の結果資本蓄積の大部分は破壊されている。生産条件は非常に悪化した今日の
日本において、主なる基礎産業において実働七時間しか働いていない。而もその労働者が中小企業のほぼ倍の賃金をと
つている、それだけはコストが高くな
つている、これでや
つて行けるかどうかという点です。そういう
整理をするのには政治力がない。
経営者にもできないのですよ。今のなりじやあできない。これは
事業が赤裸々にな
つてや
つていけるかいけないかという生死の断崖に立たなければ、これでや
つて行けるかどうかということがはつきりしないのです。そういう
意味においてもいい加減なことでこれでや
つて行けるもんではないのでありまして、全体的にここで
整理すべきものは
整理する。
日本の
経済の如実な姿を赤裸々にここに出して、必要な
整理は、敢行さす、その上で手を打つ、こういうことをやるべきではなかろうか、こう思うのであります。これに対して
経済界その他の人ではそういうことは戦前のように労働勢力の弱いときはできただろうけれども、今日のような場合にはそんな
整理ができつこはない。そんな
切開手術はできないのではないかという見方があるのでありまするが、然らばこのままでや
つて行けるかということがさつきも言いましたように根本の命題になるのであります。さつきも言いましたように、これではや
つて行けないのです。や
つて行けるはずがないのです。どんなに考えたところで実働七時間でこの
日本の資源の貧弱な資本のない国で、どうしてや
つて行けるのか。それは一部分の産業はや
つて行ける。又それだけの払えないことはないけれども、それだけ高い賃金をと
つているのですからほかのほうの産業をみんな圧迫している。全部がや
つて行けない。こういうわけで
国民経済全体から見てこれでや
つて行けるか、こういうことが問題になるのでありまして、や
つて行けるか行けないかという面を労働者諸君にも如実に自覚してもらう、これ以外にこの問題を解決する方法はないと思うのです。それには一応なまはんかな
政府の救済
政策はよしてしま
つて如実の赤裸々の姿を一応出す。これでなければしようがないんじやないか。とともに労働対策自身も、今のように組織労働ばかりじやなしに、組織されない労働が一番悲惨である、賃金も半分だ。そのほかに多くの半失業者、失業者がいるのみならず、これから労働年令に達する人は就職難で非常に困
つている。この解決をするのには雇用力をふやすほかない。産業を発達さすほかない。それにはどうしたらいいかという、働く
国民全体の広い
意味の労働者全体を考えた対策を、そういう
意味において立てる必要があるのでありまして、労働勢力が強いから今日そういうことができないと、然らばこのままで行つたらどうなるんだ、こういうことと、問題の解決は一体どうしてできるんだということを考えると、やはりここで赤裸々な姿を出すべきだと、こういうふうに思う次第であります。
ところでそんなことをやれば、恐慌が起らないかというと、これは私は一般的恐慌は起きないと思う。こういう
デフレ政策をやればというので、よく例えば松方公がやつた明治十三年から八年間の
デフレ政策が問題に
なつたり、或いは
昭和四年から六年の浜口内閣、井上蔵相の手によ
つて行われた
デフレ政策等が引合いに出されるようでありますが、これはまるきり事情が違
つている。あのときは為替が
相当下
つているやつを人為的に上げようとしたのであります。その上に浜口内閣のときには世界恐慌が起
つているのであります。今度はそういうものは両方ともないのであります。むしろ今日の
デフレ政策にやや以た類型を過去に求めれば、近くはドツジラインでありましよう。それよりもよりよく似ておるのは大正十一年の二月に加藤友三郎内閣の海軍の軍縮を中心にして
財政金融の
デフレ政策をとりました。つまり第一次大戦及び戦後の大
景気の
反動を受けた
あとの
経済界の
整理を必要とする段階においてとつた
デフレ政策、及び関東大震災後のいわゆる震災
景気を抑える
意味において十三年六月に護憲三派内閣で浜口蔵相がやつた
金融及び
財政の緊縮
政策、このときは緊縮
政策で当時の三井物産等に匹敵する大きな貿易商の高田商会等も倒れ、神戸の鈴木商店が危いことも表面に出た。こういう
影響を及ぼしましたけれども恐慌にはな
つていない。今例をとれば以上二つの面が一番よく似ておると思うのであります。恐慌になる虞れは万々ないと思うのであります。一体恐慌というのが起るというのには信用の基盤に激変が起ることが
一つの条件である。例えば
経済界の根抵に大激変が起つた、或いは震災が起つたとか、或いは第一次戦争がぽこつと勃発したとか、こういう形で
経済界に混乱が起つた、相手の取引先の信用
状態がわからなく
なつた、不安に
なつた、こういうのでみそもくそも一緒にして相手を警戒する。こういう不安
状態が出ない限りは恐慌には滅多になるものではないのであります。ところが現在は世界の
景気に大
反動があれば別でありますけれども、これは今のところは
景気の後退はあ
つても大したことはない。国内の
経済基盤にも何も変化がない。で各取引所も銀行も相手方の資産
状態がほぼわか
つておるのでありまして、こういう
状態において
デフレが来たからとい
つて今言つたようなここに破産者が起つたからと
言つて、すぐそれで全般的な恐慌が起るはずはないのであります。そんなことは万々ないと見ていい。もう
一つは一般恐慌が起るというには大
金融界に飛火するということが必要であります。
金融界があぶない、大きな銀行があぶない……ところが今回の場合は長い間に、
昭和二年の
金融恐慌、及び新銀行法及びその後の
整理によりまして銀行の数は非常に減
つております。大体今まで恐慌の場合に銀行取付の口火に
なつた小銀行というものが殆んどなくな
つております。そういうことを考えてみますと一般恐慌になるという虞れは万々ないとこう見ていいわけでありますし、この
状態において一般恐慌を起さない方式をとるということは、大した
インフレを起さずに十分とり得るのであります。一般恐慌を恐れる必要はないと思うのであります。ただ私やなんかにも大きな会社の重役が、君、僕のところでさえここで
デフレやられたらや
つて行けないのだぞ、我々の知
つているところのあすこも何もこれじやや
つて行けない、だから
デフレ政策とるよりないじやないか。こういうような見方がある。私はそのときにだからこそ
デフレ政策をやるのだ、あなたのところまでそんな今のなりでや
つて行けないという
経営状態じやメスを入れるほかないじやないか。あなたのところまでそうだつたらば、それは大変なんだとい
つて私は言つたのですが、そういうふうにみんな痛い思いをして
整理をしようという段階にいないのでありますが、併しここで
整理と
言つても以上申しましたようにや
つて行けないところを
整理するだけなんです。や
つて行けなくなるというのじやない。それはおよそ見当がついている。どれくらいのことをやらなければならんということもおよそ見当がついておるのでありますから、そういう恐慌が来るという虞れはない。そこで断固としてやるべきだと思うのであります。併しながらこれだけのことをやるからには、
デフレのしわ寄せを全部
財界に責任を負わして放
つておいてできるか。又放
つておいてもいい倫理かというと、必ずしもそうではない。今日のような
財界の
事態を起した半面には、
政府の
政策がその責任を負うべきものも多々あるわけなんであります。でありますから、これについてはできるだけそういう
財界の
整理を円滑にできるように総合的な対策が要ると思うのであります。単なる
デフレで圧迫するばかりじやなしに、側面からいろいろの手段を講じてそれがや
つて行けるようにする。その
一つは固定資産再評価、今度国会に提出されようとする再評価、つまり企業資本充実策であります。これは私は
政府原案はまだ手温いと思う。資産再評価は限度一ぱい強制すべきだ。八〇%しか強制しない。限度一ぱいにしましても、今
日本当に必要な資産再評価の実はまだ七、八割に達しない。限度一ぱいや
つても全体のやらなければならない部分の七、八割なんです。これを徹底的に強制すべきだと思う。それから資本繰入れもこれを強制すべしだと思う。そうなれば増資ができない、こういう議論があります。これは如何にも尤もな抗議でありますが、私は増資ができなければ、一応資本を全部繰入れて減資したらいい。減資さしたらいい。減資させれば同じことなんだ。併し減資させれば同じことだと言いながら実は重大な差異が起る。ここで減資せねばならないということは
経営者の非常な責任だ。今までのように高級車に乗
つて今までのような贅沢をやりながら減資ができるものじやない。徹底的に
整理しなければ、
事業経営を徹底的に
整理しなければ減資できるものじやない。そういう
意味において減資するということをやれば、強制さしたところが何ら増資に差支えないのであります。そして又そういうことをやれば株が下るという議論があります。一体株価というものは
事業の真実を表明する値段、適正な値段であ
つて然るべきなんだ。これを
政府が守る、市場、取引所が守るという性格のものだ。それが今ごまかしの株の値段が出ている。それが下る、正しい値段に下る。これがいけないからとい
つてこれを援助するような
政策を
政府としてとるべきではないと思うのであります。又繰入れないということはどういう形になるかというと、それだけ積立金の余裕があります。だものだからほかに損をしても平気でこれをや
つている。簡単に積立金で損が埋められるものですから、
事業の
経営というものを依然として
放漫にする。そういうわけでさつきも言いましたように、
事業界というものは自分自身でなかなかやらない。これは単に窮業界ばかりでなく、多くの人間がそうなんですけれども、やらないものですから
整理をせざるを得ないところに追い込むほかはない。そうするには
金融で締めるということは非常な圧迫が他に参りますけれども、固定資産で締めるということはそれだけなんです。悪い
影響が一番少くて而も
事業界の整備を徹底さすことに効力が非常に強いのであります。
それからオーバーローン解消策がありますが、これはいろいろの見方があると思うのですが、私はこの際としては徹底的に
整理をさして
事業界の……、そうしてさつき言つたようにこれだけでへとへとになりますから、そうして
相当借金や何かが過大で動けないという
事業が
相当出て来る。そういう場合にこのオーバ・ローン解消策というものは、それらをも考慮して全体の債務を解決する。こういう方向に持
つて行くべきではないかと思うのであります。その立場から言いますとまだ早い。先ず
デフレ政策を徹底的にやらして、その結果を見てどういう手を打つたらいいかというときにこれはリザーブすべきではないか、こういうふうに思うのであります。
その他独禁法にしても或いは農村対策にしても、
物価を下げるというからには、御
承知のように
日本の賃金
物価は米価と非常に密接な関係があるのでありますからこれと照応した
政策をとるべきであります。殊に世界の農産品はだんだん下
つて、それを基礎にして世界の賃金ができ
物価が下ると、こういう場合にこれと遊離した米価
政策をとりながら、一方には
物価を下げようという方向をとる
政策も間違
つているわけであります。労働対策にしても
財政にしても今までのようなやり方ではまだ駄目なんです。徹底的にとるべき措置もあるでありましようし、失業対策も今のなりで十分だとは考えられない。こういうふうに打つべき手は多々ある、こういうふうに思うわけでありますが、併しこれらを先ず全部揃えて、そうして
デフレ政策をとれという
財界の要望はその限り私は正しいと思うのであります。が併し実際問題としては以上申上げましたような
政策は、これは皆さんのほうが私どもよりよりよく御
承知のように、これは一応勢いが出ないとできるものじやない。勢いが出なくちやいけない。勢いが出て初めてできる。
例えば浜口内閣が
昭和四年——六年であれだけの
デフレ政策をとつた。四年に官吏の減俸令を出した、一番最初に……。これは理論的には一番正しい方法だけれども、余り出しようが早いので勢いが付かないうちに出したから駄目にな
つてしまつた。今度は
昭和六年には減俸案がすらりと通つた。これは先ず理論的に全部を揃えてやるべきでありましようが、実際問題としては勢いが付かなければやれない
政策が多多ある。勢いを付けてやる、これが必要だと思うのであります。そういう面は頭の中へは皆さん是非入れておいて頂きたいのですが、併しこれが揃わなければやれないというのでは
デフレ政策はやれるものではない。先ずや
つてしま
つて、
相当困難な事情があ
つて、そこで勢いが付いて初めていろいろな総合
政策ができる。こう見るべきだと思うのでありますから、先ず今度の
デフレ政策は徹底的にやるようにして頂きたい、こういうふうに思う次第であります。(拍子)
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