○
参考人(
山田新之助君) 私
どもは今日
借地人のほうを代表して出よという御命令によりましてまかり出ましたわけでございます。
実は私
どもがこの会を組織いたしまして、そうして運動に着手いたしましたのは、丁度三年ほど前でございまするが、各地におきまして、
地区々々におきまして
東京の一部でも皆いずれの
地区地区において
接収せられた当時の
東京都、或いは
道府県等におきまして皆いずれも
地区別にこれが復権の運動をいたしておつたわけでございまするが、それにつきまして当初は、一番初めは、国会に請願いたしません以前は、この
東京都及び特別調達庁のほうに対しまして陳情をいたしたのでございまするが、特別調達庁のほうでも非常に御同情になりまして、又
東京都といたしましては安井都長官も非常に御同情に相成りまして何とかしてこれを救
つてやりたい。これは焼けた当時の悲惨なる状況又強制疎開の、第一に重要なる施設等を守り或いは戦災を最も少くしたいというため犠牲になりまして、勝つために疎開をしたのでありまして、何とかして救
つてやりたい。又特別調達庁の根道長官もこれ又御同感でございました。でありまして、丁度ときが講和発効の前でございましたので、私
どもだんだんとこの
地区的の運動がまとまりまして、そうしていずれも地方毎に上京して参りまして、特別調達庁にお願いしたのでありまするが、何とかしたいというので丁度講和発効と同時に当時は
不動産提供法というような仮の名前をつけておりましたが、現在は
日本国と
アメリカ合衆国との間の
安全保障条約第
三条に基く
行政協定の実施に伴う
土地等の使用等に関する
法律案、こういう
法律にな
つておりますが、その中に我々を救うべく大いに努力いたしたのでありまするが、遺憾ながら法務省の、
反対にあいまして、そうして今日までこういう、ふうに私
どもは血みどろの陳情を続けまして、そうして十三国会より今まで連日連夜商売をすつぽ
つて何とかして数万の人を
救いたい、かように考えまして今日まで私
どもは運動を継続してお
つたのでありまするが、ときに私
どもは特別調達庁だけではなく本日御臨席の阿川第二課長さんのところに、法務省に参りまして再三陳情いたしたのでありまするが、
如何とも……、公文を以て長官のほうで、これ以上はどうしてもできない、あなた方がやるならば議員立法でやつたらどうかというような
お話でございました。そこで
東京選出その他各県の所属の代議士のところに参りましていろいろ
お話を申し上げたのでございます。ところがこれは誠にお前たちは気の毒だ。戦争の犠牲者でありましてそうしてこれが解除の場合、だんだんと解除に相成
つて来るわけでありまするが、解除の場合になりまするというと、ここに私
どもは強制疎開……。即ち焼けた場合におきましては、ここに
相当に保険金もつけられるのでありまするけれ
ども、これ又特殊預金と相成りまして五万円以上は政府に没収に相成りました。又強制疎開におきましてはこれは初めの頃は非常に緩漫でございまして、一週間ぐらいの時間であ
つたのであります。私
どもが強制疎開をいたしましたときには二十四時間でございました。突然に参りまして、麻布の軍隊から大変な軍隊が出動して参りまして、柱に全部縄を付けまして、柱を切断いたしまして、そうして二個中隊ぐらいがロープを以ちまして全部引倒す。我々は営業は勿論のこと、もう常業権どころの騒ぎではないのでありまして、風呂敷包を持
つて表に飛出す。そうして区役所からそのほうの係の人が参りまして、お前たちはともかく勝つためには止むを得ないじやないか。ここを疎開しなければ若しやのことがあつた場合には大変大きな災害が起るから、お前たちは犠牲になるのだ、併し戦さに負けたんじやしようがないからというので、私
どもは言い含められまして、泣く泣く……、前のほうを見ますと盛んに商売をしておる。我々は商売がないのですから前のほうは繁昌いたします。強制疎開を免がれている所は盛んに商売をしているけれ
ども、私
どもは本当に草分けからおりました人間で、ございましたが仕方がありませんから泣く泣く荷物を持
つて強制疎開のために立退くといつたようなことにな
つたのでありまして、その間誠に実に情けない話でありました。
大体これは
接収地区といいまするのは比較的場所がよろしい所でございまして、あまり悪い所は進駐軍が
接収いたしませんので、いい所でございまして、いずれも中小企業のところが大部分でございますが、私
どもは今日その
土地におりまして信用もありまするし、海岸の附近でありまするから、海に
関係した商売ができますのですが、七十万坪に亘るところの厖大な
地区を
接収いたしまして、海岸三百メートルは船を寄せつけないというために商売ができない。そういつたような状態でありまするが、今日これが
接収が解除に相成りまする場合には……。私
ども誠に悲惨のどん底に、地獄といいますか、焼実弾、爆弾が落ちまして命からがら、そうして又強制疎開等によ
つて営業はなくなる、いる所はなくな
つて、路傍に迷う。そういうようなたくさんの人の犠牲においてこれが
接収解除の場合になりますると、私
どもは
地区的に申上げてどうですか……。御
参考にちよつと申上げますが、芝浦におるのでありまするが、これは約全部で一万坪であります。
土地の所有主は大阪の小畑忠良さん、その管理地であります。その他大蔵省財務局管理課の持分であります。これは相続税で手放した人が
相当ございます。そこが
接収されておりまして、
借地権があるところを無理にどかされ、そうして僅かばかりのお金を頂戴いたしましたが、これ又三千円だけでございまして、あとは特殊預金、これもその当時において一万円で、これは私
どもはもらつた形式に相成
つておりますのでありまするが、事実はさようなことであります。そうして地主さんにあげた場合には坪当り三万円ぐらいの地面が浮上がる、そこは
借地権がないことになりますので、これで新聞を見て芝浦
接収解除、こうなりますると一人で二億円、三億円の金が舞い込むのであります。戦争の被害のどん底に追い込まれて、そうして私
どものようなものが職を離れて或る者は学校の小使いをし、或いは日雇労務者になり、或いは奥さんは、立派な商人でありましたが奥さんはおでん屋の女中をしている、こういつたような状態に追込ましているその犠牲において、一夜にして数億円の金を受けるということは、戦争のこの悲惨な状態を犠牲にして莫大もないところの利益を得るということは、社会の思想に及ぼしまするところの
関係もどうかと、又一面社会通念の上から申しましても
如何かと、かように考えまする次第なのでございます。私
どもはかようなわけで僅かばかりの金を握つただけでありまして無理やりにどかされて、父祖伝来の営業を放
つてしま
つて、一銭の常業の
補償をもらつたこともございませんし、そうしてこの
借地権利の
補償金のごときはもらつたものもある、もらわないものもある。そうしてお金を、頂いたものは整理がつきまして確か
昭和二十四年と思いましたが、その頃は坪二十円や三十円の
借地権利を頂いても、その
東京都から頂いたのは戦争が過激なために事務が遅れましたので、お調べになればわかりますけれ
ども、戦争が終
つて暫く経
つてから頂きました。そのときはすでに物価は三百倍に暴騰してしま
つて、大部分の人は二十坪や三十坪の中小企業の
方々で、
権利をやるから取りに来いと申しましても、七百円や六百円をもらうのに茨城県、千葉県から汽車に乗か
つて往復の汽車賃を払
つて弁当を食べてそうして来たんでは引合わない。恐らく取りに来たい人が大部分でありますので、ところが或る期間に取りに来ないものはもう新聞に公告をして、そうしてこれをやつたものと見なして処理すると、こういうので、法的には全部もらつたことに相成
つておりますけれ
ども、もらいに行つたものはいない、もらいに行つたところで引合わない。こういつたような状態に追込まれているのであります。でありますので、私
どもはこれは何とかして
一つまあ救えないものかと思いまして、実は私
どもの仲間には
弁護士もおります。多数おりまするから、又
法律家も学者もおりまするし、いろいろございます。私は商人ではございますけれ
ども、実は特別調達庁の
不動産の審議会の
委員もいたしております。又建設省の住宅対策審議会の
委員もいたしておりまして、現在物価庁がないわけでありまするから、地代家賃
統制その他賃借
関係の
土地建物については一切建設省でや
つておりますので、私はその点につきましては或る程度までは勉強しなければならんというような立場にありますので、研究はいたしておりまするが、余りにもこれは不合理である。これは当然我々のほうに返るべきであるというのでありまして、私
ども衆議院におきましては四百六十六人の方に、まあでき得る限り多数の方にお目にかかりまして、幸いにまあ全会一致を以ちましてこれが通過をいたしましたような次第でございます。私
どもの
法律家もおりますので、いろいろ研究をいたしてみまして、私
どもの伜も法学士でありましてよく研究いたしておりましたが、これは
憲法違々々ということをしばしばこの法務省、
弁護士会のほうでおつしやるようでございます。けれ
ども、これは甚だ私はどうかと思うのでございますが、この点につきましても私はいろいろ
自分の職務の
関係で調べておるのでありまするが、現在もすでにその
罹災都市借地借家臨時処理法というのは現在も現存いたしておりまして、今日にもちよつとした火事があれ、ばその
適用を受ける、又風水害等におきましてもこの
適用を受けることに相成
つておるのであります。そして私が岩波書店の大法全書をひもといて見まするというと、この
憲法改正になりまして、
昭和二十二年に第二十五条ができました、この
臨時処理法であります。そうすると戦災でなくとも火災、震災或いは風水害等におきましてもこの
臨時処理法を現在
適用を受けつつあるのであります。そして
臨時処理法も政府が出した案でございます。この追加も政府が出した追加でございます。そうしてこれは焼けましても、普通の火事で焼けましても、保険金も取れる火事でありましても、やはり借家人が
借地権利を得るということにな
つております。丁度
罹災都市借地借家臨時処理法で戦災と同じような
適用を五年間受けることにな
つておるのであります。そうすると私
ども現在この
法案を拝見いたしますというと、借家の人は借地は得られない、それだけでも善意の
第三者の
侵害は少いわけであります。これはすでに今日まで、昨年の締切りであります。全書を見ますというと、
昭和二十二年の二月の二十日には能代市の火事に
適用されております、二十五年の四月三日には熱海に
適用されております。同月十三日の火事にも熱海が
適用されておるわけなのでございます。それから同じく二十五年五月十三日には長野県の上松町にこの
適用を受けておるのであります。越えて二十六年六月一日には秋田県の鷹巣町に
適用を受けております。又二十六年十二月十六日には三重県の松阪市にこの
適用を受けておるわけであります。それから又二十六年四月十七日には鳥取県鳥取市においてこの
適用を受けておるのでございます。そうして我々のほうが善意の
第三者の
侵害のために、これは
憲法第二十九条においてこれは
違反するというようなことを
言つておる方が
自分の出したものは
憲法違反じやない、堂々と今日この法の
適用を行な
つておる、たまたま我々のほうでそれよりもずつと引つ込めてそうして借家をどいて出たものが大なる
憲法違反であるという論拠は甚だ私は当らないと思う。どういうお考えでそういうことをおつしやるのか。私が六法全書を見たのは二十六年四月にな
つておりますが、その後においても恐らく二十七年二十八年というものは、昨年の風水害においてもこの
適用があ
つたのだろうと私は思うのであります。そこで実際問題は、理論はいずれでもございますが、果して現在の
接収地区におきまして、大体
接収地上区の問題の現在問題にな
つております地域は都会でございます。そうして都会の
土地を買うという場合におきまして、実際において
接収地区においての善意の
第三者があるかどうか、歩
つてもこれは九牛の一毛であろうと思うのであります。この
罹災都市借地借家法の
適用は初めは
昭和二十一年九月十五日からでありますが、戦争のために失い、或いは強制疎開のために失いました
土地は莫大もない
土地でございます。それが
昭和十八年から戦争の被害を受けております。そうして
昭和十九年からは盛んな強制疎開が実行されております。その終戦後におきましての
土地の売買、
借地権利の売賞というものがたくさんにありました。これは五万とあつた。従
つてあとから天から降
つて来たのは即ちこの
臨時処理法でありまして、私
どもは
土地を買います場合には耕地は黙
つては買いません。そこに新地があつた場合においては、これは前に
借地人があつたかどうかということを一応調査するというが常識であります。又この
土地は区両整理の
地区に入
つておるのじやないかどうか、又道路改正或いはその他についての予定の敷地ではないか、こういうことも考えて買うのが、これは
自分が命から二番目の金を出して一生そこに住まおうというような計画を立てます場合に、思惑は別であります、これは相場であります、ばくちでありますから……。それを実際に使用せんとするものは十分に調査するのがこれは常識でございます。特にこの進駐軍の
接収と申しますものは、全くあけましてもなかなか発表いたしません。これは私特別調達庁におりますのでわか
つておりますが、これはあいてそうして完全に綺麗に新地にしなければ発表いたさないものであります。前からあけるということを言つたものはございません。又現在この
接収地区の新地と申します都会にありますものは、いずれもビルディングの中に、事務所を設置、進駐軍がおるとか或いは又いろいろな
関係でモーター・プールに使うとか、或物間場であるとか、或いは荷揚場であるとかいうような所に使うのでありまして、これにはいずれも、バリケードを張りまして、そうして実弾をこめた兵隊が番をいたしております。これを買うのに新地と同値で買うというものはあろうはずはございません。嘘です、絶対に……。私は調べたのでありますが、
東京、大阪、名古屋、それから横浜等調べましても、恐らく善意の
第三者というものはございません。民法上によりまして、名義が変
つておれびよいというので、故意に
自分の親戚とか社員に代えた実例はありますけれ
ども、真に市場の場合においても売買された実例というものは誠に少い。皆無とい
つていいのでありますが、理論の上から言いますと、それはいささか議論があるようでありますが、いま一方において
罹災都市借地借家臨時処理法において、こうして今日にも水害があり、風害があり、そして地震、火事であ
つても救われるというのに、これが何で
憲法違反なのかと私は考えるのであります。これは
自分が作つたものは差支えないが、他人が作つたものはけなすこういうようなことに相成るのではないかと私は考えるのであります。甚だこの役所というものは現在実にどうも問題の焦点に相成
つておりますので、私は大いにこの点につきまして疑惑を持つものであります。
それから又
土地収用法から参りましても百五条と百六条におきましても、これが公園或いは又鉄道の敷地にこれを取りましても、これが要らなくな
つて返す場合においては、この
権利は元に返るという
法律にな
つております。でありますから私はどの論点から参りましても、実際論から行きましても、又理論の上から参りましても、これは当然私は主張できるものの筋合いであると考えまして、そうして
相当他から、注意があ
つたのであります。これは或る
関係の私の実は友人でございまして、法務省に長くおつた方がありまして、こういうふうに特調に省議をつけて出したものはなかなか面子の上から譲れないのだ、だからこれはなかなかむずかしい問題だからということであ
つたのであります。併しこれは出すのならこういうようなあわれなる人、こんな誠に情けない、実にどうも涙がこぼれて全く気の毒な人であります。こういう
人たちが全国に数万おるのであ
つて、この
人たちの犠牲において、そうして一夜において数億円の金を儲けるということは果してどうであるかというので、夫は私は商売をおつぽりまして、実は
自分の家内は胃潰瘍で入院しております。でありまするが、家へは帰りません。何とかして救
つて上げたいという考えで、私は実はもう一生懸命にな
つて飛んで歩いております。
で、ここにおいてちよつと一言申上げたいのでありまするが、私は又一面におきまして全国貸家組合
連合会の会長をいたしておるのであります。この会はこれは
借地人もおりまするし、地主もいるのであります。従
つて現在の会員、役員中には無論利害半ばいたしておるのであります。で役員会にかけたところが、これは譲歩すべきである当時の実情を考えて、あの戦争の悲惨なる状態、あの強制疎開のみじめな状態、あの状態を考えたならばですね、これは
自分の欲得を言うべきでない、こういうふうなわけでありまして、全国的にこの
法案に対して賛成をいたしまして、会長一生懸命やれ、こういつたようなわけで、これは殆んど資産階級でございますが、こういうようなわけでございまして、私はどの点から参りましてもこれは決してやましくない、こういう立場から私はや
つておるのでございます。誠にどうも参議院の法務
委員の
先生がたには私
どもが実はお目にかか
つて詳しく申上げたいと存ずるのでありまするが、何分にも会期が切迫いたしておるような状態でございまするのと、いま
一つは非常な重要
法案がございますようでございますので、お忙しいので現しくお目にかか
つて申上げる機会会がございませんので、廊下において誠に御迷惑と存じましたが、立話で以て陳情或いは実情を御説明申上げる程度でございまするので、以上はそういうようなわけでございまして、決して
憲法違反でないことは明らかでございます。
いま
一つ申上げたいのでありまするが、何分にもこれはまあ資産のほうの階級に属しておる人間でございますけれ
ども、併しこの
土地、
建物の賃借
関係になりまするというと、いずれもこの善意の
第三者というものは
昭和二十一年九月十五日の発令の
臨時処理法、このくらい大きな恐らく
第三者の利益の
侵害はないのでありまするが、併しもつと遡りまするというと明治四十二年の
建物保護伝、この
法律の
施行に当りましては、それまでは地震売買と申しまして地主の
権利というものは莫大もないものでありましたが、これが封じられまして、その時の地主の権益というものは恐らく九〇%は削減されました。続いて大正十年の
借地借家法、それから続いて二回の改正におきまして地主、家主というものは、これは
権利というものは殆んどなく
なつたわけであります。従
つてその間におけるところのたくさんの
土地を買い、家を買つた人はそこに
権利の
侵害というものが起つたわけでございますので、これはどうしても社会を構成し、或いは産業経済或いは政治という問題の立場から参りますると、この大正十年の
借地借家法は別としまして、この
建物保護法を作らなかつたならば、今頃恐らく政治経済ともに大混乱に陥りまして、そうして恐らくこれがどう
なつたかということは想像にかたくないのであります。即ち地震売買というのでございますが、これを封じたのであります。でありますから農地法は勿論でありますが、どうしても私の考えではこの家主、地主というものはだんだん世が進むに従いまして、或る程度のこれは損をすることは覚悟せなければならんということは、私がお世話いたしておりまする全国の貸家組合法によるところの貸家組合におきましてもよく了承いたしまして、この
法律ができまする場合、
如何なる
法律ができましても決してこれにあえて
反対するものじやございません。まあ恐らく最近においても又或いは
借地借家法の改訂があるのではあるまいかと存ずるのでありまするが、
相当に
権利金も高ま
つて参りましたので、その必要が叫ばれておるのでありますが、決して私
ども反対するものではございません。
まあ以上申上げましたような次第でございまして、どうか
一つできますなれば私に御質問を頂きまして、私のほうが悪いというならば私は決して皆さんの袖にすが
つて、そうして私はもうお願いをいたしません。こういう会をお開き下さいまして誠に有難い次第でございまして、私に対しましてどうか
一つお話がございますれば、私は是非ともお答えをいたしまして御了解を願いたいと存じます。
ここでもう
一つ、これは御
参考までに申上げたいのでございまするが、これはあの強制疎開におけるところの実例でございまするが、これは芝浦の
土地が実は大阪の元企画院副総裁の小畑忠良さんという方が二万坪を一千万円で貸したのでございます。もう数年前……そうしてこの
土地の地主は有名な越後の中野貫一と申しまして石油王であ
つたのでありますが、これが大変手違いで没落いたしまして借金をいたしまして、この一千万円の金を借りてとうとう返せない。代物返済をいたしまして……、ここに謄本を持
つて来ておりますが、代物一返済によりまして小畑氏に入
つてしまつた。その二万坪のうちの七千坪が現在
接収地区でありまして、これは現在この
接収地区は……、今日特別調達庁の方はいらつしやいませんが、特別調達庁の方にお聞きになればわかりますが、六十二円五十銭の地代を特調から払
つております、小畑さんに……。そうして
接収にならざる所、その
反対側の、道路から一方こちらは焼けなか
つたのでございまして、焼事弾が落ちなか
つたのでございますが、でありまするから
地代家賃統制令でこれは七円九十銭、そうして特調が払
つておりまする金は六十二円五十銭、これは事実でございます。私がきめたのでありますから……。これは大いに同情があるのであります。この
接収という問題はまあ一方
地代家賃統制令りと申しまするものは、これは家主、地主に対しては、不利益でございまするが、併しこれは戦争前の
土地建物で、而も住宅に限るのでございまするから、これは先ず
自分に家があ
つて貸しておくのでありますから、
相当なる
理由があるならば、家がなければその貸家に入れるのでありますから、家があ
つてこの家を貸しておくのでありまして、而も買つた代金或いは建築資金というものは非常に安かつた、恐らく
土地においては二十円、三十円ぐらいの
土地じやなかつたかと思う。
建物は大概五、六十円ぐらいでありますから、安くてもこれは我慢していなければならん、一方これを上げますというと
地代家賃統制令を改訂いたしましてこれを現在の市場相場にいたしまするなれば、これは非常に賃金ベースに
関係ある、俸給生活者に大きな影響を及ぼすから我慢をしてもらいたいというので、建設省の住宅対策審議会に対しまして各方面から
地代家賃統制令の改訂の陳情がございますけれ
ども、私
どもはこれはよくないというのでありまして、従
つて若しやこの
接収がございません場合でございましたならば、やはりこれはやれなか
つたのでありまするから七円九十銭、そのために小畑さんは坪当り五百円くらいで買つた
土地が毎月六十二円五十銭の収入がある。そしてこれが
接収解除になりまするというと、これは三カ月間は整地をいたしまして大体において涙金として、お別れ金といたしまして特調から出ておるような次第でございます。この場合におきましては
土地に余り傷がない場合には、三カ月も一カ月もございますが、大体三カ月くらいの見当でお支払いをしておるようであります。従
つて地主はこの戦争のために現在までも
地代家賃統制令の数倍の地代を徴収して、そうして非常にこれは恵まれてお
つて、且つ又この
接収解除の場合においては一晩において数億円の金を取る。五百円で買つた
土地が三万円である。こういうことは、これは人が儲けることを決して私は羨むものじやございません。これは経済活動において当然のことでございまするが、我々もこの戦争の悲惨なる状態、このなげかわしいところの戦争に追い込まれた大なる犠牲者によ
つてこの一部の地主が莫大もないところの利益を得るということは、現在の思想の問題においてどういうものかということを考える次第でございます。
誠に私はどうも申訳ないことをいろいろ申しましたが、私はもうどうかして
一つこの
法案を作
つて頂きたいという念願以外にございませんので、この実情を
一つ御調査下さいまして、私
どもの請願陳情をいたします次第において、お前のほうが悪いからやめろとこういうような
理由が
通ります場合だつたらいつでも喜んで引下る次第でございます。どうか
一つこの点をよろしくお聞きとりを願いたいと存ずるのであります。誠に有難うございました。