○楠見義男君
法制局長官に一点だけお伺いしたいのですが、それは
憲法の第九条三項の問題なんです。この問題については、今までの
国会でも、或いはこの
国会においても、衆議院或いは参議院それぞれの
委員会でたびたび論議もせられたことで、或いはこの
委員会でもすでに論議のあつたことと思いまするし、従
つて重複して御質問申上げることを誠に恐縮に存じておりますが、お
考えの一端をお伺いいたしたい。それはこの
秘密保護法と直接の
関係はないのですが、併し間接的には非常に重要な
関係のあることで、と申しますのは例の日米安全保障条約とMSA協定と
憲法の
関係なんです。実は私ども、これは或いは私だけの
考えかもわかりませんが、我々
国民として、或いは又
立法府の
人間として、国の行政の基本法である
憲法の解釈が必ずしも明確でないということほど、不幸な
国民はないというふうに
考えている。これは併し
佐藤さんのほうではそれを
考えるのはむしろ間違いで、
自分のほうははつきりしておるというふうにお
考えにな
つておるかも知れませんが、と申しますのは多少
意見に亘り或いは冗漫に過ぎて恐縮ですが、例えばこれから出て来る防衛二
法案、これなんかも自由党、改進党、
日本自由党の合作といいますか、妥協によ
つてできたと伝えられておりますが、その改進党は
自衛のためには
戦力を持
つてもいい。併し自由党のほうはというか、
政府は
自衛のためでも
戦力は持たないのだ、現
憲法の下では持てないのだと、こういうことで全く違つた解釈をと
つておられる政党間に合作されたのが防衛
関係二
法案だと伝えられております。これなんかも冒頭に申上げましたように、一国の
憲法でそうふうに非常に明瞭を欠いておるということでは、私ども
国民としては非常に不幸だと思います。
明治憲法においては、伊藤博文公の
憲法義解等
相当権威のあるものがありましたが、今度の新
憲法においてはそれがない。ただ我々としては一番よりどころにするのは、
憲法制定当時における
政府の提案理由、或いは修正理由、或いはその当時における
国会の
審議、
質疑応答、こういうものが一番我々としてはよりどころだと思います。その解釈がだんだんと変
つて来ている。学者によ
つては、
憲法の解釈といえども少くとも自由討論的に、そのときの情勢によ
つて変
つてもいいのじやないかというふうな議論をせられる方もありますけれども、私は少くとも一国の基本法はしかく軽々しく
考えるべきものじやない。こういうふうに思
つておりますと同時に、よりどころとしてはこれは、遂にその制定当時の
国会の
審議の状況、或いは
政府の理由というものを尊重している立場をと
つておるわけなんであります。これが実は前提なんです。
そこで日米安全保障条約によ
つて日本は
自衛力の漸増というものを期待されておる。その条約を我々参議院で、私も当時その条約の特別
委員会の
委員としていろいろお伺いしたこともありますが、これは飽くまでアメリカ側の期待であ
つて、
日本は義務を負
つていないのだということでありましたが、今度のMSAにおいては、明らかにこれは向うの相互安全保障法に基いて
日本は義務付けられている。そこで日米安全保障条約においては
日本は当時警察予備隊でしたか、或いは保安隊でしたか、
日本としては間接
侵略に対する
責任といいますか、それを負
つており、それに必要なたしか人員等の増加も当時やつたと思いますが、そうして直接
侵略についてはこれはアメリカが日米安全保障条約によ
つて分担をするのだ。こういうことで安全保障条約ができ、我々もそういう
説明を伺い、又そういうものとして賛成了解した点であります。そこでその当時の日米安全保障条約に基いて
日本における外国からの直接
侵略を防衛する担当を背負うところのアメリカ駐留軍の装備については、これは
戦力でないということを
考えた人は私は一人もいない。むしろそれは
戦力だと思う。その
戦力と
日本の保安隊、或いは警察予備隊がいざというときには
相当共同的に行動をとる場合がある。そうなればそれも
戦力ではないか。
日本の警察予備隊の装備も
戦力ではないかという議論もその当時あつたことは御記憶のことと思います。それはいずれにしても
日本のほうは別として、直接
侵略を担当するアメリカの装備を
戦力でないと理解した人は一人もないし、又
政府もそれは
戦力だと認められておるわけです。
そこでこれからお伺いする点になるんですが、MSAの期待するところ、又それと関連を持
つておる防衛軍ですか、新設せられる防衛隊、この
関係を見ますと、アメリカはその直接
侵略に必要な
戦力を持
つておつた。そのアメリカが漸次
日本に地位を譲るといいますか、向うは申すまでもないのですが、
日本からできるだけ手を引きたい、又
政府も
独立国として我々もその期待をして
自衛力を増して行くのだということでありますから、その直接
侵略に応じ得る
戦力と、これは何年かかるかわかりませんが、その地位にと
つて代るためのスタートを今切つたと私は理解しておるのです。それはそうでないということを言われる方もあるかもわかりませんが、これは常識的に
考えても、又MSAの企図するところを
考え、又防衛隊が、従来の保安隊が防衛軍になるという点を
考えても、少くとも直接
侵略に今度は
法律では対応するように組織替をするのだし、その
戦力を持
つておるアメリカにと
つて代ろうとするのだから、
戦力を持とうとしてスタートを切つたという点だけは間違いないと思います。
そこで
憲法の問題にな
つて来るのですが、これはまあ私は誤解といいますか、
言葉の綾だろうと思うのですが、よく衆議院あたりで、総理が
戦力を持つに至らば
憲法を改正する、こういうことの
答弁を言われておるのです。
新聞等で、或いは速記録でも拝見したこともあるのですが、これは本末転倒で聞違いだろうというふうには誰しも思
つておるので、
戦力を持
つていけないというのだから、
戦力を持つに至らば
憲法を改正するというのは、これは間違いだろうと思います。そこで
考え方が又いろいろあ
つて、
戦力を持つ意思があ
つても、
戦力に至らなければこれは
憲法違反でないという解釈と、それから
戦力を持とうという意思でスタートを切れば、これは
憲法の九条に違反する。少くとも
憲法を改正してからでないと、その意思を持
つてそのスタートを切るということは
憲法の第九条二項侵犯ではないか、こういう見方とあると思うのです。私は実はそのあとのほうの
戦力を持つ意思があ
つて、意思があるというその
意味は、さつき申上げたようなことを根抵にしての論拠なんですが、
戦力を持つ意思があ
つてそのスタートを切ると言いますか、MSAを受入れて防衛隊を設置するというスタートを切るにおいては、これは私は
憲法違反じやないか、こういうふうにまあ実は
考える。附加えて言いますと、よくまあ
政府のほうで御
答弁になり、たびたび
佐藤さんからも伺つたことでもあるのですが、
戦力とは何ぞや、それは近代戦遂行をなし得るに必要な総合国力といいますか、総合力だ、こういうような定義をよく聞くのですが、これは実はまあ抽象的にはそういう議論が
質疑の過程においてはとり換わされても、実際問題としてそいつを突き進めて行きますと、然らば総合国力或いは総合力とは何ぞやということになれば極めて不明確で、その総合力未だ整わずというふうに
政府が
考えれば、いつまで経
つても総合力にはならない。極端なことを言えば、仮にアメリカ或いはソ連と同等以上の装備を持
つても、
国民の愛国心未だ結集されず、或いは戦意未だ持てずということであるならば、それは総合力とは言えないと言えば言えないこともない。こういうことから実は
言葉のあやとして非常に不明瞭だと私は
考えるのですが、これはまあ併し見方ですからとやかく申すのではないが、要するに問題は
戦力を持つ意思があ
つてそうしてスタートを切るということは、これは
憲法違反じやないか。少くとも
憲法を改正しなければそういうことはできないのじやないか、こういうふうに思うのですが、その点についてはさつき申上げたように、あちらこちらでたびたび議論があ
つて耳にたこができることだと思いますけれども、念のために
一つお伺いしておきたいと思います。