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政府委員(
井本台吉君) 実は
刑事訴訟法第二百九十九条の
規定の由来は、これはアメリカの証拠法の
関係に密接な
関係がある次第でございます。私どもの考え方といたしましてどうしてもこの問題を解明するにはアメリカの従来のいきさつを一応参考にしなければならないということで次のような研究をした次第でございます。
結局アメリカにおきましてはかような調書閲覧問題というのは、弁護側のいわゆる魚釣の旅というふうに申しておりますが、フイツシング・エクスピデシヨンというふうに言葉を使
つております。その魚釣の旅の希望にあります。何が自分のほうの利益になるかどうか、何かさような事実が魚釣をや
つてお
つて、ひつかか
つて来るかも知れないということを望みまして、自分の知
つている事実に基礎をおくことなしに相手方の手のうちを見ようとする希望に由来するもののようでございます。
併しこのこと自体決して一概に不当な希望であるということはできないのでございます。アメリカでも連邦民事訴訟規則上この魚釣の旅的な質問を相手方に浴びせましても、相手方は魚釣の旅であるということを以て答弁を拒否することはできないこととな
つておるばかりでなく、
日本のように全体の訴訟の構造上、弁護側の力が比較的弱いというところでは、
検察官側の資料を頼りに弁護の材料を集めたいという希望の起ることも無理からぬところがあるからであると考える次第でございます。
このような相手方の収集した証拠の利用が問題になるのは、英米のような当事者主義的な訴訟構造の下においてでありまして、ドイツのような、又は
日本の旧
刑事訴訟法のように、起訴と同時に一件記録が
裁判所に提出せられまして、
裁判所が訴訟の指導権を握るような職権主義的な構造の下では、
弁護人は公判前に
裁判所において
検察側の収集したあらゆる資料を閲覧することができるので、このような問題の起る余地は非常に少いのでございます。勿論当事者主義的訴訟構造を徹底しますれば、一方の当事者が相手方に対しあらかじめ手のうちを見せるなどということは考える必要がございません。米英でも旧来のコンモンローにおいては、そういう問題はなかつたのでございます。併しながらエクイテーの
裁判所においてはローマ・カノン法を継受しまして、相手方に自己の手のうちを知らせなければならないという
制度を採用したようでございます。これをデスカバリの
制度というのでございます。これは田中和夫教授は開示と訳し、羽山検事は露証というように訳しております。この
制度は後にコンモンローの
裁判所にも採用されました。訴訟を単に勝敗の面からばかりでなく、真実発見という面からも考えるべきであるとし、相手方を不意打ちにして混乱させて勝利を得るために、自分の知
つている事実や自己の持
つている証拠を公判まで隠しておくことはフエアでない。而も訴訟を遅延させるもので、公判まで事実及び証拠を無制限に隠しておくことと許すべきではないと考えるように
なつたのでございます。つまり開示の
制度は公正にして迅速な訴訟ということを
目的とするために採用せられるに至つた
制度であることに留意する必要があると考えるのでございます。我々の現存
刑事訴訟法は当事者主義的色彩を強くする半面、それによる訴訟のスポーツ化を防ぐための
一つの手段として第二百九十九条の
制度を採用したものと考えられるのでございます。従
つて同条の解釈
運用に当りましては、常に公正且つ迅速な
裁判を念頭におかなければならないと考えるのでございます。田中教授の研究によりますと、イギリスの開示
制度、これは民事でございますが、いろいろ
説明しております。ちよつと長くなりますけれどもお許しを得まして……。
(イ)事実の開示、相手方に対しまして
裁判所の
許可を得て事実に関する質問
事項を列記した質問書を送達し、相手方はこれに対し宣誓供述書によ
つて答弁する義務を負う
制度であります。
(ロ)文書の開示。これを二に分けます。(1)文書の一般的な開示。これは次の特定文書の開示に対応するもので、当事者の申立により
裁判所がその必要とする限度において当該事件で問題となる
事項に関する文書で相手方が現に所持又は支配し、或いは曽
つて所持又は支配したものの開示を相手方に命じ、相手方がこれに応じてかかる文書を列挙した宣言供述書を提出する義務を負う
制度。(2)といたしまして、特定の文書の開示。当事者の一方が宣誓供述書で特定又は特定種類の文書を指定し、その文書が相手方の支配内にあるか又は曽
つてあつたと信ずる旨及びそれが事件において問題となる
事項に
関係があると信ずる旨を述べ、相手方が宣誓供述書でこれに答えることを
裁判所から相手方に命じてもらう
制度。
(ハ)といたしまして文書の閲覧、相手方がプリーデイング、これは訴答と訳しておりますが、プリーデイング又は宣誓供述書に引用又は記載した文書とそうでない文書とに分れます。前者についてはその相手方に対する書面の通知によ
つて閲覧及び謄写を求めることができます。後者については自己に閲覧権のあること及び文書が相手がの支配内にあることを述べた宜誓供述書を附して
裁判所に命令を求め、その命令を得て相手方の文書の閲覧謄写をすることができます。
右の三つのば合に、最初から
裁判所の命令を求めて行う場合とそうでない場合とがありますが、後者の場合は、相手方が応じない場合は改めて
裁判所の命令が求められるのでありまして、
裁判所の命令があればそれに応じないと
裁判所侮辱罪となります。
なお同氏の研究によりますと、アメリカの
制度、これは民事でございますが、次の
通りであります。
(イ)証言調書、デポジシヨン、相手方でも第三者でも公証人の面前で証言させて、事実の知識を得るために行われます。この証言聴取には厳格な証拠法則の
適用はございません。訴え提起後二十日以内であれば
裁判所の
許可不要。証人に対しては罰則附呼出状の使用が認められます。証人から異議の申立があると、
裁判所は尋問を却下するか
条件を付けます。ただ事件との関連性を要し、証言拒否権のある場合には及ばず、更に自己の訴訟準備のため不可欠でないにもかかわらず、開示の
方法によ
つて相手方の訴訟準備をのぞき込み、又は利用しようとすることは許されないとされます。
(ロ)質問書の
制度、インタロゲートリーズ・トウー・パーテイス、相手方のみに対して行われる。訴提起後十日以内は
裁判所の
許可不要。相手方は
原則として受領後十五日以内に宣誓答弁書を送達する。質問
事項は、事実でも、証人の氏名
住居でも、文書の存在に関する情報でもよい、魚釣り的質問でもよい。
(ハ)文書及び物件の提出及び閲覧、当事者に対してのみ求められ、
裁判所は正当な事由の存在があると思つた場合にのみ開示命令を発する。文書、書籍、計算書、手紙、写真、物件等を指定し、提出、閲覧、謄写、撮影を求めるものと、
土地建物を指定し、検査、測量、撮影、立入を求めるものに分れます。
(ニ)身体の検査、
裁判所の命令で医師による当事者の身体精神の検査をするもの、これはセルフ・インクリミネーシヨン、禁止の
原則には触れないとされていまいす。
右の(イ)(ロ)(ハ)の場合、
裁判所の命令に服従しないときは
裁判所侮辱となり、
裁判所の命令なくして行われた相手方の要求を拒否したときは、
裁判所の命令が求められると共に費用の弁償を命ぜられます。又は証言調書をとる旨の通知をしながらみずから出頭しなかつたとき、質問書に対し答弁書を出さなかつたときはその者のプリーデイングの全部又は一部の抹殺等の
不利益を受けます。
アメリカではこの民事
関係制度の
運用状況を見ますると、費用と時間とがかかり過ぎるとの非難があります。又事件に関連のない私的な事柄の詮索に濫用されているとの非難があります。又
裁判所に予想以上の時間を費させているとの非難があります。更に
裁判所に開示申立の処理能力の欠除という非難があり、又開示の段階では事件について十分な知識がないため、
裁判所の裁定が適当でない場合もあるのでございます。又不埒な当事者が開示を策謀に利用するとの非難があります。併し実際はそれほどでもなく、却
つて相手方の偽証を防止するために利用されておる模様もございます。弁護士が相手方の労力でみずから労せず武器を取上げ、誠実な弁護士の注意深い調査を報いられないものとしているとの非難がございます。
これらの点に関しまして、証拠法の
関係で研究いたしました羽山検事はウイグモアを引用いたしまして次のごとく申しております。
開示の
制度は真実発見の面からは必ずしも合理的であるとは言えない。相手方に十分準備させることになる利益と策謀の機会を与える
不利益とがあるからであります。訴松促進の面からは利益になります。併しイギリスでは法曹実務家の減収と策謀の危惧から
原則としては開示を否定しておるのであります。併し相手方に策謀の余地の少い場合、民事について当事者が証人となる場合の証言及び既成の文書その他の証拠及び策謀があ
つても開示するのを妥当とする場合(例えば検事側の証人)等について開示を認めるに至
つております。この後者の場合の例として刑事被告人に送達される訴訟状謄本の裏面又は末尾に大陪審の面前で又は
検察官が取調べた証人の住所氏名を記載することが挙げられます。刑事で
検察官に文書その他の証拠の開示は認めてはおりません。
で、かような開示の
制度に関してモデルコード・オブ・エビデンス、これは刑事にも
適用があるそうでありますが、次のごとく当事者双方に文書の開示の義務を認めております。
このルールの五百十九条を見ますると、「
裁判官は、自己の裁量により、第五百十五条(公文書)第五百十六条(
権限ある
行為の報告を要求されている者によ
つて作られた文書、第五百十七条、(公務所の記録の
内容の証明書)及び第五百十八条、(結婚証明書)により許容される証拠を、それを提出する当事者の相手方がその写し又は重要な部分の写しを、その証拠が提出される以前の合理的な時間内に附与されていないと認めるときはこれを排斥することができる。」と
規定されております。判定
理由といたしまして、
本条は不意打ちからの保護及び相手方が第五百十五条乃至第五百十八条によ
つて提出する書面の有効性又は正確性を調査する機会を与えんとするものであるとされておるのであります。
これが大体アメリカの傾向でありまするが、
日本の従来の経験によりますると、大阪の枚方事件及び吹田事件が非常に参考になるべき事情を提供しておるのでございます。
両事件の主な弁護側の資料を見ますると、(イ)
刑事訴訟法は人権擁護の見地から解釈
運用しなければならない。
(ロ)第三百条を実質的に保障し得るのは
弁護人であるから、
弁護人は
検察官調査全部を閲覧し得べきで、第二百九十九条はそのための機会を保障している。
(ハ)反対尋問権を十分行使し得るためにも閲覧が必要である。
(ニ)証人を
検察官の尋問による心理的拘束から解放するためにも閲覧が必要である。
(ホ)
弁護人の冒頭陳述のためにも閲覧が必要である。
(ヘ)政治的
犯罪についてのみ閲覧を拒否するのは不当である。
(ト)訴訟遅延の責任は
検察官が負わなければならない。
これが大体の弁護側の主張でありまするが、
検察側の主張といたしましては、(イ)証拠として使用するかどうか判明しないうちに閲覧させる必要はない。
(ロ)
弁護人は被告人との間に自由交通権を持
つているから、証拠に出されていない書面まで閲覧しないでも反対尋問はできる。
(ハ)第三百条を根拠とする見解は、
弁護人に
検察官の義務の履行を監督せしめることとな
つて甚だ不当である。
(ニ)冒頭陳述は
弁護人側の証拠に基いて行えば足りる。
(ホ)政治的事件というので閲覧させないのではない。
かようなことに帰着します。
裁判所の見解といたしましては(イ)第二百九十九条に
法律上合致しても、同条はアンフエアとなるべき最小限度の
行為を禁止しているのであるから、それたけで直ちにフエアであるとは言えない。訴訟はフエアでなければならない。
(ロ)
弁護人は
検察官に対抗できるほど強力ではないから、
弁護人が
検察官の所持する資料に手がかりを求めて活動を
開始するのが一般の慣行とな
つている。
(ハ)当事者間で解決されるまでは、
検察官側の立証
事項、尋問
事項を詳細に書いて提出することにより、
弁護人の尋問を可能容易にすることとする。
(ニ)証人尋問終了後調書の
取消請求があつた場合には、更に改めて証人を喚問し反対尋問の機会を与える。
こういうような見解でございます。これは結局
刑事訴訟法第二百九十九条の
法律解釈としては、
検察官が証拠として提出する証拠についてのみ事前閲覧の機会を与えればよいとしつつ、
運用により
弁護人の希望をできるだけ満足させようとしたものである。
その後この吹田、枚方両事件では次のような了解ができております。
吹田事件第九回公判(
昭和二十八年二月十一日
裁判長弁明)「調書閲覧問題でありますが、これについてはあれから三回に亙
つて裁判所が中に入り、
検察官と
弁護人との間で話合を重ねました結果、基本的な主張は別として本件の具体的な
措置としては次のような
方法、即ち
裁判所で採用決定された証人につきましては、立証段階に応じグループごとに従来の慣行
通り証人全員の
供述調書を証人尋問手続前に相当の
猶予期間を置いて
弁護人側に閲覧せしめる。」
枚方事件第十一回公判(
昭和二十八年三月十二日)
この
裁判長からは、「尋問調書の閲覧の問題に関し、先般
裁判所、
検察官、
弁護人間で会談の結果了解に達した。それは証人を小松方の被害
関係、山上の集合
関係、公務
執行妨害
関係というように、それぞれのグループに分けて採用決定をし、その決定した証人に対する調書は、証人尋問前に閲覧させるというのである。この
方法をとることにしてこれから証拠調に入りたいと思う」旨の発言があり、これに対し東中
弁護人は、「弁義人側の承認した
理由は、これにより十分に防禦権の行使ができ得ると考えたからではない。ただ訴訟進行に協力する意味において承認したのである。従
つて訴訟遅延による異議権はこれを留保するものである。」というようなことを述べております。結局以上の資料によりまして、第二百九十九条が米英の開示の
制度に由来しているものであること、この開示の
制度はエクイテイ的な考え方によるものであ
つて、それが訴訟のスポーツ化を排し、真実の探求と、訴訟の促進という要請から、開示による不都合な結果、殊に相手方の策謀を十分に警戒しながらも、次第にそれを乗り越えて発達して来たものであるということ、従
つて法律の解釈としては、最小限度証拠に提出するものだけ閲覧させればよいのであるが、それ以上に及ぶことが好ましいけれども、それは具体的場合における諸般の事情を考慮して
検察官の判定すべきことであること、米国でも刑事では丁度我々が二百九十九条と同じ程度の開示をしていることを知り得るのでございます。
第三百条及び反対尋問権の確保を根拠として、第二百九十九条の拡張解釈をするのは、私どもといたしましては根拠に乏しいという考え方でございます。第三百条については、
検察官の職務履行を監視するために、
検察官の全調書の閲覧権を
弁護人に与えるべきだという主張には、多少の飛躍があり、反対尋問権確保については、証拠になる書面についてのみそれを与えれば足りるので、若しさような主張のごとくであれば、記録の全部の閲覧を許さなければならないということになるのではないかと考えるのでございます。ただ
検察官といたしましては、訴訟遅延の非難を甘受しても、証人の証言前の閲覧を拒否しなければならないかどうかについて、慎重な配慮をしなければならないし、その他証拠に提出できない書類でも、
弁護人側の全体の構成上、比較的地位の弱い現状を十分認識して、これは早目に閲覧等の機会を与えて処理すべきであるというような考え方を持つに至つた次第でございます。