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説明員(
井本台吉君) むずかしい問題でございますが、まず第一に刑事
事件として過失
事件を扱います場合に何か問題になるかといいますと、先ず第一に、正確に事実を確定しなければならんということでございます。これは
事件の発生前後から結末に至るまでの事実を正確に確定する、そしてその確定した上でその当面の過失の責任を負うべき者が善良な管理者の注意の
程度でいいのか、あるいはもう少し
程度の高い者でいいのか、いろいろな場合がございますが、どの
程度の注意義務を払わなければならんかという
一つの価値判断をとなければならんという点がありまして、その価値判断の問題も相当これはむずかしい問題でございます。簡単な例を言いますると、踏切を走る電車が踏切ごとに踏切を通過する人間を
考えて、なんどきでもとまらなければならん注意義務があるかどうか、踏切はこれは専用軌道であるから、人が来ても、人がいてもかまわずに一定速度で走
つていいのかというそういう価値判断の問題は非常にむずかしい問題でありまして、これもそのときそのときで大分情勢が変化して参りまして、古い大正時代の判例などにおきましては、かなり鉄道の
運転士にきつい注意義務も課せられておりましたが、これは漸次さようななんどきでもとまれるようにして走
つてお
つたのでは、鉄道業務は勤まらん、むしろ障害を受けたものが専用軌道であるというような
意味で、むしろ
被害者が責任を負うべきものであるというような傾向が強まりつつあ
つたように
考えるのでございます。ただ現実に、過失の責任を問われたものが一番下級の者で、その上に及ばんじやないかという点でございますが、事実問題といたしましてさような
状況のもとに
事件の
捜査をいたしますので、勢い現状にタツチした者が大体責任を負うというのが刑事
事件の特質と
考えるのでございますが、最近の判例などにおきましても過失の共同責任といいますか、さらに昭和二十八年の一月の最高
裁判所の判例などでは、共同正犯というようなことすら認めております。過失に共同正犯があるかどうかという点については、これは学者の間では相当争いがあるようでございますけれ
ども、現実には過失犯にも共同正犯があるというような判例が出ております。さような傾向で、ある
程度直接の
行為者以外にも相当責任を負うべき者があれば、これは追及して行かなければならぬというような傾向にはな
つていると存じます。しかしながら
お話のような鉄道の事故があれば、直ちに上級者が過失の責任を負わなければならぬというようなことには、
日本の法制ではこの建前にな
つていないのでございまして、これは政治上さような部下の監督不行届であるというようなことで責任を負うというのであれば、これはまた別の
考えでございます。少くとも刑事
事件といたしましては、直ちに上級者が責任を負うというわけには参らんのでございまして、やはり実際の
行為者と相当の
関係があるという点において責任が追及されるべきであるというように私は
考えております。ただ、過失
事件の扱いでも、民事
事件について
考えてみますると、これまた非常に違うのでありまして、無過失責任まで認めなければならないというようないろいろな学説があ
つて、
関係がなくても損害を与えた側のほうが相当の財力なり金力もあれば、過失があ
つて障害を受けた者にも、ある
程度の損害を払わなければならないというようなことにしなければ、社会の公平が保たれないのではなかろうかというような傾向は、民事方面では相当出るだろうと
考えます。さような
状況で民事
関係のにうは、これは私のほうの直接の所管ではございませんからこの
程度にいたしまして、刑事
事件といたしましては、さような点が非常に
捜査上困難であるということを
先ほど亀田さんに申し上げたわけでございます。