○国務大臣(
小原直君) 大へん重大な問題だと思います。日本の現行憲法はやはり三権分立の趣旨に基いてできているものと
考えております。いわゆる三権分立は、仰せになりましたように互いに相寄り相助けることももちろんでありますが、また一面においては、権のいわゆる立法、司法、行政おのおの与えられたる分を守
つて、侵さざることが必要であろうと思うのであります。これをいろいろ申し上げますと、憲法論みたいなようにな
つて大へん長くなりますから、ごく簡潔に申し上げますが、今
お話になりましたように、この三権のうちで司法権は、純司法権はこれは全く独立不羈であ
つて、立法からも行政からも干犯されてはならんものだと思います。行政権はいわゆる三権の
一つではありますが、これはやはり立法府すなわち
国会からは一種の監督を受けて、行政の公正に行わるることを監視せられている
立場にあります。しかしそれであるからとい
つて、この行政権が全的に立法権によ
つて何でも命令をせられ、その命令のままに動くものであるとは
考えておりません。やはりここに立法府すなわち
国会といえ
ども、行政権のある面においては制約を受けることがあるのではないか、それがどれほどであるかということは、なかなか重大な問題でここで、すぐに申し上げられませんけれ
ども、にかくある程度においてはやはり制約を受けることがあるのではないか、こういうふうに私は
考えております。ところで
お話になりました検察権、この検察権はやはり今日では行政権であることは、これはもう学者の一致した
議論で疑いのないところであります。しかし検察権は一般行政権とは異
つております。これもまた行政法論者、憲法学者の一致した
意見であります。それは何かというと、検察権は司法権を行うがためになくてはならんものであります。司法権に隣したといいますか、司法権と兄弟分の関係にある
立場になければならんものでありますから、この検察権の行使につきましては、司法権から侵されないことはもちろん、司法権がまた侵すという場合はないと思いますけれ
ども、立法府の
国会から国政調査の領域において、この検察権のあるものが侵される、つまり
国会の国政調査権のもとには、検察権もすべて調べられて、そのなすがままにまかせられるものであろうか、こう申しますと、私はそこにやはり相当大きな制約がある、こういうことを
考えます、それどれだけの程度であるかということは、これはなかなかこれまた一朝にして申し上げられませんが、とにかく検察官が現実に
事件の
捜査をいたしておりますときに、その
捜査に対しては
国会の国政調査権といえ
ども、これに干渉することはできないのだ、もしこれに干渉してこの
事件はこう調べろ、ああ調べろ、これは
起訴にしろ、不
起訴にしろというようなことを、
国会の調査権として行い得るものとするならば、犯罪の
捜査はできないのです。犯人は逃亡し、証拠は隠蔽されてしまうのであります。検察権の行使は到底できないから、この段階においては
国会の調査権といえ
ども、検察権には関与できない、こういう私は制約を受けるものと思
つております。しからば、この
条文がどこから出るかと申しますると、これはいわゆる検察の
秘密、
捜査の
秘密というものは、旧刑事訴訟法には
捜査は
秘密を守り云々という
条文かありますか、ところが現行刑事訴訟法にはさような
条文がないのであります。現行刑事訴訟法には
秘密を守らなければならんという規定がないから、今日の刑事訴訟法においては
秘密を守る必要がないのかと申しますると、これは決してそうではなく、これは今申し上げたように、もし
捜査の
秘密になに人かが立入
つて、これをどんどん洩して行
つたならば、
捜査は行い得ないのであります。犯罪の検挙ができない。
従つて国家の治安が維持できないのでありますから、これはどうしてもこの段階においては検察権というものはどこまでも独立不覊でなければならん、こういうことを私は
考えております。それならば
捜査が終
つた後はどうする、こういう問題であります。
捜査が終
つて起訴いたしますと、これはもう裁判所の独立した裁判所の裁判を受ける
立場に入ることになります。そうな
つて来ると、その
捜査中に知り得た
秘密は、先ほど来たびたび申し上げましたように、
公判の開始前には訴訟に関する
書類は公けにすることができない。
従つてその
内容もこれを公けにすることはできないということにしなければ、裁判が公平に行われるということを確保できませんから、この場合においてはやはり
捜査権は、言いかえれは検察権はその段階においてはやはりこれに干渉することを許さない、こういうことになるものだと思います。ただ、全然ある
事件が
起訴されないで不
起訴にな
つてしま
つた。そうしてそれに
関連して何物も残
つておるものはない、こういう
立場にあ
つたときに、その
捜査事件の
秘密はことごとくこれを公表してもいいのではないか、こういう
意見が出て来るのです。これについてやはりいろいろ問題があります。ある部分はそのときにはもう
秘密性がなくな
つてしま
つているということが言えるという
議論があります。またその反面において若干それは残さなければ困る、こういう
議論がありますが、これはあるいは全く
捜査が終
つてその
事件が不
起訴にな
つて、しかもそのほかに何ら関係がないというようなものになると、若干これは問題がありまするが、今日においては
検察当局としてはかような場合においても、なおその
捜査の
秘密を維持しなければ、それを維持することによ
つて、次にたくさん来る
事件の
捜査が初めてできるのだ、多くの
事件の
捜査をことごとく
秘密を暴露して公表してしまうということになれば、
捜査に当
つて調べられた人、
被疑者はもちろん関係人、そういう人たちは、折角
秘密に調べられるからこそ、自分たちの真実を語る機会を得て話すのであります。それがことごとく、済んでしまうと、暴露されるのだということになりますと、次に来たる多く関係者
被疑者等は前に調べられたものが皆暴露されるというので、われわれもまた皆暴露されるのでは、何の役に立たんからということで皆逃げるか、隠れるか、証拠を隠滅をするか、言わないかということにな
つて捜査ができなくなるのじやないか。それでありますから、不
起訴にされた
事件といえ
どもある程度
秘密にしなければならん、こういうことを私は
考えておるのであります。