○国務
大臣(大達茂雄君) これはまあ
お話の通り、非常に貧村といいますか、
補助金をもら
つても、そのあとの金の出るところがないというようなことも、これはあり得るわけでありましよう。ただそういう場合に、これを所期の目的を挙げるためには特別の融資をするとか或いは全額を国で負担するというような
方法以外にはない。ただそこまで行きますと、
補助金のことであり、やはり市町村自治団体として独自な団体生活をしておるものでありますから、そう国のほうで皆見るということは有り得ないことはないと思いますけれ
ども、一応の筋としては
補助金でありますから、やはり一定の限度にとめておく。これは
一般に貧弱町村というものが戦前もそうでありましたが、戦後におきましては
一般に経済水準が非常に低下した関係もあ
つて貧弱町村が非常に殖えて、最小限度の町村の事務の運営にも事を欠くということがあるのではないかということを私
ども考えております。御承知の町村合併促進ということもやはりその点から
地方の自治団体として自立することができない、現状のままでは経済、財政水準が非常に低下しておるということが主たる理由であると私は思
つております。それは
交通が発達したとか何とかいうことはありますが、それが主たる理由である。御承知のように以前は町村合併は郷土観とか郷土意識というもので簡単に行われなかつた、これをやることは非常に難中の難であつたのだが、つまり町村合併促進に関する
法律ができまして、これが昔のことを
考えるとまるで夢のような違い方です。昨日もそういう
説明が自治庁のほうからありましたが、予期された以上に非常に急速にこの町村合併がどんどん行われたということは、その元にな
つておるものはどうしてもこの町村の財政力の低下ということが一番大きな原因にな
つておる。つまり隣の村と自分の村という郷土意識というもの、それを顧る余地がなくて、とにかく合併したければ持たないということが一番大きな原因であろうと思います。これはひとり
学校の問題だけではないのでありまして、いろいろな点で自治団体としての最小限度の仕事をするにも事欠くということにな
つて、そういう関係があ
つてこの町村合併が非常に促進されておると思うのです。そこまで自治団体というものが、この
僻地の
学校というものは御承知の通り
学校の
先生の
住宅と、それから
学校の教室を併せたようなことでや
つておるということが多いように聞いておりますが、建物としても大して大きな建物ではないのでありますから、そういうものすら全然できないというほど町村が極度に財政的に疲弊してしまうということであれば、これは別途やはりこれに対しては先ほど荒木さんから
お話がありましたけれ
ども、全般的に僻陬地における経済水準というものが非常に低いということは、これはすべての問題の元でありますから、これは事実なかなか、前からも例えば農山漁村の
振興というようなことは昔から叫ばれ、又随分政府としては努力して来てもなかなかこれは経済的な必須の、そういう条件がありますから、努力しなければなお悪いの手が、これもなかなか思うように行かない。離島
振興法というものもできておる、そういうすべての力を併せて行かなければ、ただこれを全額
国庫負担にしてということは、それができれば結構ですが、これを一遍にそこまで
学校だけについてそれをするということは現状から言
つてちよつとほかとの釣合いもとれませんし、これはできるだけ金の許す範囲で少しでも多くの
学校、少しでも多くの災害地というふうに、これは欲を出しては何ですが、
考えておるものでありますから、や
つて見まして、どうしてもいけないということであればそのときに
考えなければならないと思いますが、現在の
計画としましては一応その
程度でとにかく実行に移してみたい、こういうふうに
考えておるわけであります。
それからその次の
補助による
施設を正当な理由なくしてほかの目的に使う。つまり
学校として、或いは
教員住宅としての
施設に
補助したにもかかわらず、それを全く別のものに使
つてしまつた、これはどうもそういうことで
補助金を使われては困りますが、どうしてもこれは返してもらうというのが当然であります。併しそういうことが頻繁に起るということを
考えておるわけではないのですが、今のように
僻地山村におきましては、あらゆる面において非常に財政的に逼迫しておりますから、だから折角
文部省のほうでは
学校の
施設のほうに使
つてもらうつもりで出してみても、現地ではやはり苦しまぎれにほかに使うというようなことは、そう大して悪い意味じやなくてもそういうことはあり得ますから、私
たちの立場としてはそういうことにならないようにという予防的な意味で、この
補助金についてはこういう規定が要ると
考えて入れておいたのであります。それ以上大して深い意味はありません。こんな例が幾らも出て来るとも思
つておりませんし、ただ折衝
補助をするのだから、苦しまぎれにほかに使われても困るという気持から出しているだけであります。