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国務大臣(
大達茂雄君) 先ほど私は第二番目の御質問と
関連して
只今の御質問であ
つたのでありますが、
つまり多数の先生はそう
自分の職務を曲げて、ほしいままな
教育をするという
気持は持
つていない、であるからして、それらの先生がたに対してこういう強い
政治行為の制限をするということは誠に……、まあそれらの先生がたに非常に窮屈な思いをさせる、
偏向教育をしようとするような先生、或いは一党一派に偏
つた教育をしようとする先生、そういうものに対してはともかくも、一般のそうでない先生がたに対してこういう制限をするということは行き過ぎの場合が起る、又それらの先生がたが良心的に仕事をする場合に、それを一体どうして安全に保護するかと、こういう
意味の御質問だと思います。成るほどそういう点はあります。これはただ法律の建前といたしましては、公務員である者は現実の政争の渦中に、本人がどの政党を支持し、又選挙のときにどういう人に投票をする、これは無論当然なことであります。併しその公務員たる身分を持
つておる人は、現実の政争の渦中に巻き込まれ、そうしてまあ強い
言葉で言えば、
政治運動に狂奔をするというようなことのないようにあるべきである。これは窮屈な場合を生ずるかも知らんが、これは公務員についてはそういうことが要求せられて然るべきものである、こういう見地は現行の法制の上にとられておる態度であろうと思います。
従つて国家公務員についても地方公務員についてもやはり同じ考え方で、公務員というものは余り
政治に深入りをしない
立場をと
つてもらう、こういう考え方であります。そこで、これはまあ
偏向教育の場合に現われることが多いのでありますが、併しこれは一般的なことでありますから、必ずしもいわゆる
偏向教育ばかりではありません。自由党の非常な熱心な支持をし、選挙の
ために自由党なら自由党の
ために夢中にな
つて、まあ自由党員として活発な運動をしておるというような先生が、どうも自由党……、
自分の党派に属しておる人の子供に対してはいい点をつけるとか、或いは上の
学校に進学するような場合に贔屓するような、依枯贔屓なことをするとか、こういうことも起る場合を考えて、これは必ずしも
偏向教育だけではありません。その公務というものが全体に対する奉仕という
立場を離れて部分的な利益或いは一部分の
ために動く、こういうことのないようにしなければ、全体に対する奉仕にならない、まあ
政治問題でありますから、それがいわゆる一党一派に偏した
教育として現われる場合が通常でありましようけれ
ども、必ずしもそういう場合だけではないんで、
つまり非常に
政治運動に夢中になると、おのずから
教育の面に置いて不公平なことが生じる、
教育だけではありません。公務の上に不公平を生じ得るから、公務員である間は、そう立入
つた選挙運動とか立入
つた政治活動は控えてもらうということが、公務員という身分から来る国家的な要請である。少くとも現行法上はそういう要求を公務員に対して持
つておるんだ、こういうふうに私は考えます。でありますからして、その限りにおいて公務員が一般の民間人と違
つて、
政治活動の面においては束縛を受けるということは、これはやむを得ない。これはひとり先生がただけではありません。多数の国家公務員の場合におきましても、これがみんな変な悪い人ばかりと、こういうことではないんであ
つて、やはりそういう人が公務をとりながら、傍ら個人としてではありますけれ
ども非常に熱心な政党フアンで、選挙のたびに飛び
出して運動をするというようなことであれば、自然にその公務に影響が、同じ人間のすることであるから、どうしても影響が来る虞れが強い。そういうことの虞れをなくする
ために公務員である限り
政治制限に服してもらわなければならん。法律上そういうことを要請する建前でありますから、それに関する限りは良心的な先生がたで不自由を感ぜられることがあ
つても、これはやむを得ないものである、そういうふうに考えておるわけであります。ただ人事院規則の
内容を見ると、随分いろいろなことがたくさん書いてある。この
内容については、当否の論は別でありますが、これについて、非常に広汎に亘り過ぎて、殆んど何も、
政治的な発言も何もできなくなるこういうふうに一般に見られておりますけれ
ども、併しこれは私
ども人事院程則をよく読んでみるというと、そう非常に窮屈千万なものであるとは思われません。第一目的というものを制限しておる。ここに掲げられた一定の行為であ
つても、この人事院程則に掲げてある目的によ
つてやらん場合には、これは禁止された行為ではありません。その目的ということも、例えば選挙の場合に特定の候補者を支持又は反対をする、或いは特定の政党を支持又は反対をする、或いは特定の
内閣を支持又は反対をする、或いは又
政治の方向に影響を与える目的をも
つてするとか、
政治の方向という
言葉は非常にむずかしく解釈されるかも知れませんが、今日は民主主義という方向で
政治が流れておる、それを逆流させて他のフアッシヨであるとかその他の
政治主義に方向を変えようとする、そういう根本的な問題を指しておるのであるということが、人事院の解釈としては、
はつきり示されております。又地方の問題につきましてもリコールをするんだとか、或いは地方議会の解散の要求をするんだとかいうような、極めて強い
政治目的をも
つてする場合にのみこれが限局されておるのでありますから、いつも話の出ますように、もう少し予算を上げてもらいたいとか、或いは又給食をどうしてもらいたいとか、そういう類のことはこの目的のうちにはちつとも入りませんから、これはそういう点まで窮屈であるということになればこれは由々しいことであります。けれ
どもこれは人事院規則を見れば極めて明瞭だ、極く根本的な
政治の基本に
関係するような目的を持たない限りは禁止はされておらんのであります。でありますからして、これは人事院規則は成るべく正確に個々の行為を捕捉しようとしたからして、これはまあ十七もあるという非常に広汎な窮屈な規定だという考えのように見えますけれ
ども、個々の場合を一々書き並べようとすると、かなりこういういろいろなものが出て来る、これを包括的なことに書き表わそうと思えば書き表わせると思いますが、そうすると実際の運用においては列挙したよりももつと窮屈な、
つまり縛られる範囲が広くなる、できるだけ具体的に、
はつきりした行為をこれに限定して、そうして個々に書き表わしたということは、これは数が多いということは、私はむしろ包括的な書き方をすれば非常に広く解釈される虞れがあるということの配慮から来たものであろうと思います。殊にこの目的において極めて強い目的をも
つてする場合だけに限定をしてありますから非常に窮屈になる、殆んど日常の生活の上において誰もが言うような
政治的な希望であるとか、或いは苦情であるとか、そういうようなことまでも言えなくなるというようなことは、これは人事院規則からは出て参りません。
従つてそういう非常に強い
政治活動はすると、併し
学校の
教育においては極めて熱心なまじめな
教育をするという先生もありましよう。これは国家公務員の場合においても或いはその他の地方公務員の場合においてもそういう人はあるかもしれない。公私の区別を厳重に立てて、
自分の
政治的
立場と別に公務については厳重に執行する、こういう人も決してそういう立派な人もないではないけれ
ども、先ず一般の人間の習性から見て余り
政治運動に熱中し、一方的な
政治的
立場に夢中になるというと自然公務の上にそれが影響して来る。だから公務員となれば窮屈であるけれ
ども、まあ大変長くな
つて済みません。併し私はこの
法律案の趣旨を
本当に御了解を得たいと思うので申上げますから、くどいようでありますが、そういう趣旨でな
つておりますから、その点これは公務員であればやむを得ないものであるというふうに御了承を頂きたいと、こう思います。