○
公述人(海後
宗臣君) 私は
教育学の研究をいたしておるものでありますが、その立場からこの
二つの
教育法案の成立することに対しては反対の
意見を持
つております。と申上げますが、私は特に
政党、
政治団体或いは現にここにおいて問題にな
つておると称せらておりますところの
日本教
職員組合とは何ら特殊の
関係を持
つておりません。
先ず初めにお尋ねにな
つております
義務教育諸
学校における
教育の
政治的中立の
確保に関する
法律案、これについて申上げます。
この
法案の
提出の理由は、「
義務教育諸
学校における
教育を党派的勢力の不当な
影響又は
支配から守り、も
つて義務教育の
政治的中立を
確保するとともに、これに従事する
教育、職員の自主性を擁護する必要がある。」というふうに理由が書かれてあります。これはこの
法律案の第一条、
目的という部分と大体同文であります。
従つてこの理由及び
目的は
教育基本法第八条、特にその第二項と深い
関係があると私は解釈いたします。大体を申しますと、第八条の二項がほかの条項、特に第九条、第十条、これは宗教
教育及び
教育行政でありますが、と比較いたしまして、このままに放置してあ
つては、
政治的中立が
確保できない
事態にな
つているという判断がされたから、特にこの第八条の問題について
法案が用意されておるものと見ます。若しそのような
事態が発生していないならば、ほかの
基本法の条項と同じように特別な
確保の
法律を必要とはいたしません。殊に罰則を伴うような
法律を作る必要はないと言わなくちやならんと思います。例えば宗教
教育に関する条項であ
つても、これと大体同じような様式を持
つております。若し
学校が特定の宗教に関する
教育を行うようなことがあります場合には、或いはこれを採上げて、これを処罰の対象とするというようなこともこれと同じようにでき得ないことはないと思います。或いは
教育行政が不当な力の
支配によ
つて非常な偏
つた教育を行うというようなことが第十条の
基本法の原則に反して行われました場合には、それを処罰の対象にするということも又起り得ることであります。ところがそういうものについては別にこのたびは
法案が用意されておりませんで、第八条の、特に第二項、この点についてだけ
法案が用意されておりますので、私はこのように第八条の
事態が特に何か問題にな
つておるというように見なければならんと思うのであります。そういたしますと、この
法案が用意されて来た事情を考えまして、この
法律によ
つて政治的中立性を
確保しなければならないような事情が特に
全国の
義務教育諸
学校内に起
つておるかどうかというこのことが先ず何をおいても一番根本になることであります。私は
教育に関する研究の必要から
全国の小、中
学校を相当に広く訪問をいたしておりますし又
教職員の団体或いは
教職員個人と話合いましたり或いはそこにおいて書かれております
教職員の執筆しましたものなどを読む
機会を割合に多く持
つておる、そういう部面の
教育研究をしておる一人であります。
従つて私がこういう
教育研究を主としてしております
関係から、
全国の諸
学校の状況を見まして、現在この
法律が必要とされるような
事態は母起
つていないと私は判定をいたします。新聞紙上によりますというと、いわゆる
偏向事例なるものが
全国から二十数個挙げられたということが報せられております。これが現下の
義務教育学校における危険な状態を判断する材料となるというようなことでありますならば、これには相当問題があると私は考えます。
義務教育を実施しておりますところの
学校は、申上げるまでもなく
全国に約四万、而もここに挙げられましたところの
事例なるものも、新聞紙上によ
つて見ますと、それらの多くは
学校全体に関することでなくして、その中の一
教員が
一つの教室内においてこういうことがあ
つたということなどのようでありますが、若しそういう点を考えますと、
義務教育の仕事に従事しておりますところの
教員は、
全国小、中
学校合せて約五十万、その中に二十余のそういうケースがあ
つたということ、或いは若し学級ということにいたしますならば、
全国の学級数は三十七万六千の学級を持
つておりますが、その三十七万六千の学級の中において二十幾つかの
事例が発生した、こういうことであります。若しこのパーセントを取りますならば、〇・〇一或いは幾ら多くても〇・〇五%に限られることであります。或いはこれに類することが数万あるというようなことを若し予想してありますならば、そういう
事例が挙げられなければならんと思いますが、私は全開の
学校を相当に広く見ておりますけれども、そういう
事例をたくさんに挙げるということは恐らく不可能に属すると思いまするので、こういう事情から、現在はこの
政治的中立に関する
法律を特に用意しなければならんような
事態が
全国の小中
学校の中に起
つておるとは私は判定いたしません。
次に
政治的中立性の故に禁止される活動の実態は、この案の第三条に書かれてあります「
義務教育諸
学校に勤務する
教育職員に対し、これらの者が、
義務教育諸
学校の児童又は生徒に対して、特定の
政党等を支持させ、又はこれに反対させる
教育を行うことを教唆し、又はせん動してはならない。」ということであります。衆議院における修正は「反対させるための」という言葉が入
つたようであります。この「ための」の解釈は第三項がなくな
つたためであると私は推測いたしております。まあかように一般には説明されております。併し第二項がございますので、第二項のほうを見ますと、第二項には「特定の
政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる
教育」こういうことが問題になる
教育の実態を表わす言葉としてこの
法案の中に出ております。この第三条の第一項或いは第二項のほう、両方とも極めて不明確な
教育の実践を対象にしておりまして、その不明確な
教育の実践の対象をもとにして処罰の根拠が発生して来る、こういうことになります。そういうふうな事情でありますことは、
教育の実践を採上げてこれに処罰の対象を決定する根拠を求めるということが、これが非常にむずかしいということであるのでありますけれども、併しそういうむずかしいことに対して、ここでそれを採上げて処罰の根拠を作ろうとする、こういうことになります。而も不明確であるということは、甚だしい拡大解釈がこれから恐れられるということは、従来の我が国におけるかくのごとき不明確な、特に人間の
思想及び行動の全般的な
性格に関する判定の問題として出て来ておることでありますから、拡大解釈がされる虞れなしとしないということは、やはり言わなければなりません。どうして判定が困難かと申しますと、これは
教育ということの
性格から来ています。
教育と申しますことは申上げるまでもなく
義務教育の小中
学校において教師が生徒に対してさまざまな学習
指導を行いますが、それは常に変化いたします。そうして如何なる予測の下にどういう実態が成立するかということは、実はその場にならなければわからないということが
学校における
教育の実態であります。又人間を造くる働きというのは、外部から見ては見えないところにいろいろな働きがあるのです。そのことが
教育の本質であります。こういうふうに、こういう点につきましては人間を望ましく育成しようとする極めて複雑なことを、処罰の成立に対する対象の根拠として求めてあるのでありまして、このことが問題となります。併し私はそれが不明確であるということの故に、これを問題とするということにとどまりませんで、およそ
教育の実践形態、現に現われておりますところの
教育の実態を採上げて、これを処罰の根拠にするというようなことが起ることは、
教育の正しい発展のために決してあり得べからざることであると私は考えます。
教育は常に人間を立派に育てようと考えておるのでありまして、その立派な人間を育てることについては人によ
つて多少考えが違うかも知れませんが、併しおよそ人に善意を持ち愛情を持
つて働きかけようとするものが処罰の対象になるというようなことでは、これは
国家の将来が正しく
教育によ
つて担われることはできないと私は考えます。
従つて、
教育ということは、処罰の対象を発生させるような根拠にはならないようにあるべきだと、又そうすることは不可能でないと私は考えます。若し
教育の実践を捉えて処罰の根拠にするというようなことが各所において行われますならば、
国民教育は破壊されるというように考えております。
教育ということの
性格そのものからしてやられておるところの
教育は、常に処罰を発生させるところの根拠にするということを思わせるような、そういうことが起るということは、この
法案の非常に重大な問題点であります。なお、
教育の持
つておる
性格からいたしまして、
教育は社会生活上の事象に触れないでは行われないのであります、ただこれは消極的に
政治的
意味を持
つた問題に触れるという問題ばかりではありません。積極的に
学校の教師は
子供に対して
政治的な教養、即ち
政治教育を積極的にしなければならない任務を持
つておるのであります。その際に、
教育指導する
内容が特定の
政党を支持し、或いは反対させるための
教育であるかないかというようなことを考えておるというのでは
教育の
指導はできません。そのゆえにこそ
教育の
中立性は守られなければならんというふうに、各国ともこの問題のために熱心に努めておるわけであります。でありますから、若し教えなければならん
内容が或る
政党を支持するようになるか、反対するようになるかということを
教育者が一々気にして言葉遣いを考え、態度を改めなければならんということがありますならば、正しく教えなければならない教材も、こういう
政治的考慮に
関係があるという点からして、それも又教えられないようにな
つて来る。これは
教育にと
つて非常に重大なことであります。私はこの点について私が実際に
教職員との話合いによ
つて得て来ておる具体的な材料によ
つて申上げます。これは架空に構想したことではありません。私がこの
法律案が問題になりましてから後数カ月間において、各所において取
つて来ておるところの材料であります。それによ
つて申上げます。
例えば、最もたびたび私が触れて参りましたことは、平和
教育ということです。平和
教育を
子供に対してすると
政治的偏向があるというふうに認められますが、
先生平和
教育は如何いたしたらいいでしようか。こういうことが現に各所において尋ねられております。これは甚だしい
教育の誤まりであります。そのごとき質問を発せさせるような
事態にあるから仕方ありませんけれども、そういうことを問題にするということでは
教育はできません。どこの国に行きましても、平和が世の中に招来されるということのために挙げて努力をしております。
子供に対しては平和であるということを重大な教材にして皆教えております。それは各国の教材をと
つてみて明晰であります。
従つて私は平和について教えること関して
教員が消極的にな
つたり、気兼をしたりするというようなことが現にこの
法案が用意されたということの故に
全国に起
つておる事実を非常に私はたくさん聞いております。これは現に、人から聞いたのでない。私が
教員と直接の話合いによ
つてと
つて来ております。
次には
戦争の教材の扱い方です。
子供が
戦争はどう考えるか、こういうふうに、例えば中
学校の生徒などは尋ねて参ります。その場合に、
戦争は何と教えるか。
戦争は悪いと教える。これは当然なことであります。
世界どこの国の教材においても
戦争は望ましいことでないと教えられております。若し我が国の
学校が
戦争は悪いことであるということを教えるのが何かの
政党に偏る。或いは離れてその
政治的勢力を減退させるというような考慮の下にこれに対して
教職員が控え目になるならば、非常な恐るべきことであります。
或いはもつと単純なことになりますというと、農地の交換分合について、
子供に何と答えたらいいかということをこの間尋ねられました。私は
日本の農業生産を合理化する
意味において耕地整理及び農地の交換分合ということは国の農業方針としてとられていることだから、そのことは教えなくちやならない。こういうふうに私は
教員に対して申しました。併し
教員は交換分合というということを教えて、余り強くこれは大事だと言うと或る
政党に近寄
つたという判断を受けるから、
自分はこういうことは教えられなくなる。農地は混乱していてもよろしい、或いは畦道は幾ら曲
つていても構わん。構わんということは言わんにしても、そういうことは成るべく言わんようにする、
先生はわからないから。現にそういう問題を出しております。
或いは贈収賄の問題について
子供に聞かれたときは
自分は答えようがなくて困るということでありますから、何と尋ねられたかと聞きますと、中
学校の生徒は、これは社会科の教官でありますが、この教官に、贈収賄ということが世の中に、新聞に毎日出ておりますけれども、あれは
先生はどう考えますか。こういうふうに聞かれたときに、
先生は、あれは悪いと言うと
政治的偏向が起るから悪いとは言えない。そういうふうにその
先生が現に私に言
つたのであります。(笑声)そういうふうに笑わなくちやならんようなことが起
つております。
それからビキニの灰についてもそうでございますが、ビキニの灰によ
つて障害が起
つたということを余り強く言うと或る
政党に近寄
つて来る、或いはこういうことを言わないようにすることは別の方向に近寄
つて来る、それじや
先生は仕方がないから知らないと、これはつい先日ビキニの灰の扱いについて
先生に尋ねられました。私は如何にビキニの灰が
日本人にと
つて重大な衝撃を与えているか、或いは又これが人道上どういう問題になるかということを答えなくちやならない。あなたは直ちに答えなくちやならないと言いました。そういうことは実際に私がと
つて来たことでありますが、これらのことが現に私に対して尋ねられているということであります。このようになりましたならば、およそ
教育というものは社会事象に
従つて現に
政治的問題にな
つているいろいろなことに
関係して来ますけれども、それをいろいろ予測してあつちに行
つたらこうなる、こつちにこう行
つたらこうなるというふうに考えて、処罰の対象になるようなことが
法律的に、
義務教育の小中
学校から発生しないようにという
教員が努力いたしますならば
教員は仕事ができなくな
つてしまうのであります。こういう事情が現にあるのです。この
法案がすでに用意されたということのゆえにかくのごときことにな
つておりまするから、若しこの
法案が通過いたしまして成立いたしましたならば、更に重大な思惑が
教育界に起
つて来て、私は
日本の
教育界は微妙な
教育上の機能の支障を起す、こういうように考えております。
次にこの
法案の成立後について私が考えておりますることは、こういうふうな
政治に関する
教育が行われたかどうかということが処罰の発生して来る根拠にな
つておりますから、その事実があ
つたということを立証しなか
つたならばこれを発動させることはできません。そのためには小中
学校の毎日の
教育の実践が常に処罰を発生させるかも知れないという可能性を持
つたものであるとして監視を受けている、こういうようなことになります。或いはまあこういうことはないかも知れませんけれども、そういう事実がありと誰かが解釈して、そうしてこれを通報する者がある。場合によ
つては捜査の必要上
学校に捜査の仕事が入
つて来るというようなことが起
つて来るに違いないと今までのいろいろの事柄から推測いたします。そういたしますとこういうふうな状況下においてはおよそ
教育という名前に当るようなことは到底実践することはできません。それは処罰の可能性があるかも知れんというような予想、思惑を持
つて教育を小中
学校において行うということは、あり得べからざることです。そういうことができて来るようになる可能性がありますから、その
意味において私はこれはよろしくないと思うのであります。そういうふうになりますというと、こういう
事態の結果からして小中
学校の教師は
教育に対していろんな圧迫を感じますから、そこから豊かな
教育活動を展開させるということができなくな
つて来ます。そして
国民の
教育を通しての積極的な力というものを喪失するようになります。その結果
日本の将来に与える禍いというものはこれは目に見えないところで測り知るべからざるものがあると私は考えております。現にそういう教師の消極性或いは不当な予測をしてそして脅えておるというその
事態は、これ又この数カ月間において私は各所においてこの様子を見て来ております。現に私が話合
つた人々の間にそういう実際の経験を持
つております。例えばこれは或る場所において起
つたことでありますけれども、
一つの県内の
教育の優秀な
指導的役割を果すような立派なかたが集りまして、ところがその席で話をいたし、最初は私はその人だけで話をすることにな
つておりましたが、県の
教育委員会の
指導課のかたと、それから県の
教育委員のかた、それからPTAの代表のかたと、そういうかたがこの話合いに参加がしたいということになりまして、私は別に差支えありませんから、どうぞお聞き下さいというので傍聴ということになりましたが、この
教員は私との話合いを殊更に回避いたします。そうして当然答えてよいことに対しても答えを回避いたします。そして何か調子の合わんことばかり言
つております。私は話が成り立ちませんから暫くして打切りまして、今度は別室に行きましてその
教員だけで話をいたしましたところが、まるで別人のような話し振りになりました。私はその甚だしい対蹠振りを見まして、それは一体どういうことなのか、なぜあなたはさつきそういうように話をしないのか、今言
つているようになぜ言わないのかと言うと、もうああいうことは
教育委員なり
指導課なりPTAの代表のかたのおるところでは言えない。若し言うならば
自分はその言
つたことを材料にしてあの
教員はこうだというようなことを推定されるから言わないのだと、こう申しております。現にこれは私が或る県において経験して来たことであります。そのごとくに消極的になり、そうして非常な圧迫を感じております。これは
教育の実践の場面における問題を申しました。
それで引続いて簡単に
教育学の研究に関する問題を申上げます。この
法案の第三条に「何人も、
教育を利用し、特定の
政党その他の
政治的団体の
政治的勢力の伸長又は減退に資する
目的をも
つて、
学校教育法に規定する
学校の職員を主たる構成員とする団体の
組織又は活動を利用し、」云々というふうにありますが、このことが厳密に適用されて参りますならば、
教育学その他の社会科学、文化科学の自由な研究はそこなわれることになると思います。と申しますのは私などは随分
教員の団体などには接触しております。これは
日本の例えば
教員の全部が
日本教
職員組合に入
つておるのですから、そこに行きまして
教員に会いますと、その人は
組合員でありますから、私が今まで話をしに参りました所は何県の
日教組の支部でありますかどうかは知りませんが、何とかという形にな
つております。或いは何県の教
職員組合文化部という所に行きます。そこで私は
教育の問題、或いは教材の
考え方そういうことについて話をいたしたりいたしますと、それが若しここに書いてあるようなことに当りますと、我々は何人もということに該当します。実はよくわかりませんけれども、これだけ読んで見ますと、私どもは一カ月のうちにそういう形態に会うことが少くとも十回ではきかないと思います。相当いたしております。そういうことが若し行われて参りまして私が
教員の団体に対して話をしたために、その
人たちが
学校で実践した
教育が処罰されるようなことにな
つた場合、誰からあなたがたはそういうことを聞いたかということになりますから、
最後は私が処罰されることになります。そういうふうになりますというと、
学問や
思想の自由は甚だしくこのことによ
つて侵されることになるのでありまして、我々は
教育学の研究をいたしましてこれを進めて参りますのに常にこの
法律のあることを頭に入れて置かなければなりません。併し今日は
教育学の研究が
教育実践者と非常に深い結び付を持
つております。我々は単に書斎の中において勉強しておるのではございません。現に
教育の実践場面に出ましてこういうことを行わせれば結果はどうなるか、そういうことを見届けまして、又現に行われておる
教育の実践が我々の理論にかな
つていないものがあるならば、それはいけないからやり直せということを我々が要求いたします。これは
教育学を担当いたしておりまする我々として当然の任務でありますからいたします。若しそういうことをいたしました場合に、そのことがこのことに
関係いたしますというと、我々は実践者と結び付いた研究というものはできなくな
つて参ります。現に平和
教育についても平和の
考え方を
子供たちに植え付けるにはどうしたらいいかということを研究しております。それが
日本の小中
学校において生徒にどういうふうな方法で行うか、或いは今日
戦争放棄ということについて、
戦争ということは、こういう
憲法がなくても
戦争は悪いことであるから
戦争は悪いことだということを、
子供たちの頭に小さいときから如何にして
戦争回避ということを教えるかということの方法を我々研究しております。我々は書斎だけの研究では仕方がない。我々は
教職員にその方法を伝授いたしまして、それをや
つてみた結果、どうであるか、
戦争を本当にやらないような
子供ができておるかできていないかということを確かめます。できていないならば方法が悪いのであるから、どういう方法に変えたらいいかということを我々は研究してやております。これは我々の職務でありますから、それを実践いたしております。そういうふうにやりましたことが若し
教唆扇動に当るということになりますならば、我々は
教育学の研究はできなくな
つて参りますから、これは容易ならんことだと思
つております、多分ならないと思いますが。
政府委員のこの
法案に対する説明を見ますと、学者が
意見を述べたり研究の発表をすることは自由だというようなことが説明文にあります。これは言を要せんことであります。特にこういう説明を要するということが私はおかしいと思う。
日本において学者が
意見を発表し、そして研究の結果を公表することがどうして断わらなければならんのか、そういうことは許されるとなぜ言わなければならんのか、こういうことはないと思います。これは現在の世相を表わしております。私は
学問、
思想の自由のためにこういう説明文が出て来るということがそもそも
日本の事情を現わしておると思う。でありますから、我々は
教育学の研究ができなく窒息するようなことになる、そういう虞れもあります。その故にこれは非常に困
つた法案だと思います。以上のように私は考えまして、最初にお尋ねにな
つております
政治的中立の
確保に関する
法案は甚しく有害である、不必要であるばかりでなく優しく有害である、こういうふうに考えております。
従つてこの第一の
法律案は成立しないように御研究を頂きたいと思います。
次に第二の
法案について申上げます。第二の
法案は
教育公務員の
特例法の一部を改正する
法律案でありますか、これは
内容は非常に簡単明確でありまして、国立
学校の
教育公務員の例によることとする必要があると、こういう必要があると書かれてあります。国立
学校の
教育公務員が
政治的活動の
制限を受けること、そういうことは成るほど規定されておりまするが、そういうことが行われることは適切でないと私は考えております。これはほかの
公務員と
教育に携わるところの国立
学校の
教育公務員は非常に
性格が違いますから、そういうことが行われることは適切でないと考えております。でありますから
政治的活動については
教育公務員に対しては甚だしい
制限を加えないで、成るべくこれに
制限を加えないように努力するということが必要であると思います。そのことについてはこの
教育公務員の
政治活動の禁止のそれぞれの条項がありますが、あの条項に対して
教育者としてかくのごときことが
制限さるべきかどうかということについて批判を今日加えられて来ております。私はこういう批判も出ておりますからそういう方向へ向
つてこの国立
学校の
教育公務員の
政治制限に関するあの
法律もそういうことがはずされるように
法律を改正して頂きたいと思うのです。で、この国立
学校の
教育公務員の
政治活動禁止のことがああいうふうに出ました際に、聞くところによりますというと、こういうことが国立
学校の
教育公務員に対してなされては困るという
意見が主として
大学側から出たと思います。これは
大学ばかりでありませんが、一般の
教育職員がそうであ
つては困るという、そういう
意見が出されたそうであります。それであの中から
教育公務員をはずして欲しい、ああいう厳しい
制限をすることははずして欲しいということ、併しそれは、はずせないという何か事情があ
つたそうでありまして、それでその結果厳しい適用はしないという了解が成
つたというふうに私は伝え聞いておるのでありまして、これは至当なことだと私は考えております。
従つて今日までそのような慣行が行われていないと私は解釈いたします。例えば政府の実施しようとする政策についてこれを批判するということは、これはいけないことにな
つておりますけれども、併し我々が現に
文部省がやろうとしておることに対しても批判を必要に応じて加えます。批判する必要がないことは加えませんけれども、批判する必要のあることは加えます。私は余り議会或いは
文部省その他に対して
政治的行動に該当するというようなことは余りしたことはございません。昨年社会科の問題が起りました際に社会科が不当な
取扱いを受けると、私は社会科の持
つておる
性格を
学問的に研究しております立場から考えまして、そんな変なことは、社会科に対して予測されておるような変なことは起らんようにして欲しいということを言
つて、
文部省のと
つておる政策に対して批判的な見解を述べました。述べましてからあとに
文部大臣に対してこの
意見を陳述し、こういうことが行われないように、そういうような
政治的な意思の表わし方をして欲しいという御要望が各所にありまして、私はそういう
意味において大臣に面会をしたことはありませんけれども、面会いたしまして申しました。併し別にそれからあとまだ
政治活動禁止の条項にこれは抵触したという
お話は何も聞いておりませんから、多分あれは許されたのだと思います。そのうちあるかも知れませんが、今のところはありません。そのほかたくさんいろいろございますけれども、国立
学校の
教職員がこの
政治的
制限の厳重に隅から隅まで受けることは、現に慣行上はありませんです。私はそういうふうに判定いたします。でありますから、これに倣うというのは何に倣うのか、私はその少くとも若しこういうことが出るならばその慣行に倣うということか或いは我々はこういうものがなくな
つて欲しいと考えますから、こういう倣うというようなことはこの際
法律できめられんほうがよろしいと思います。併し私はそういうふうにここで考えをまとめて申しますけれども、それは一体どういうところから来ておるかと申しますと、
政治活動が甚だしく
制限を受けますというと、
教員が
政治についての正しい理解が持てなくな
つて来ます。そうしますというと
政治に関してどのような
教育を
子供に与えたらいいかということもだんだん明らかでなくな
つて来ます。一市民としての
政治的な感覚を持たない
教員には到底
子供の
政治教育は託することはできません。
従つて私は
義務教育の内におけるところの
教員を
政治的に力のないものに去勢してしまうという結果にな
つて来る。第二の
法案については今後の正しい
政治教育のためにこういうものは成立してはいけないと思うのです。どこの国におきましても一
教員が一市民として許されておるそういう
政治活動に対しては
制限を与えてない。
学校の内において或る
政党を是とし否とするということは、これは
教育基本法は至当だと考えますから、
教育基本法にきめてある
通りに行かなければならないと思いますが、町に出た一市民としての
教員の
政治活動が甚だしく拘束されて来るというようなことが起りますならば、これは
政治的な
考え方が
教員にできなくなりますから、そういう
教員に
子供を頼んでおきましたならば、
子供の
政治的感覚はできなくなりますから、それでは将来の
政治は暗黒になりますから、これは容易ならんことだと思います。
教員は一市民として許された、
教員たるところの
性格に恥じない限りの
政治活動は全面的に許されている、その
政治活動の如何なるものであるかということは、どれをとるかということの判定は
教育者の良識に今日待
つて何ら心配はないと考えております。なお
教員の
政治活動という問題をもつと具体的に申しますというと、例えば
文部省のやろうとすることに対して
教員がそれを賛成しない、そういう場合に、
政治的な活動を
教員がする、して
文部省の
教育政策と
日本の
教員が対立をするというようなことも起
つております。併しこれは非常に悲しむべきことだと私は考えます。
文部省は
教員の
教育の実践に対して最高の奉仕をしなければならない、こういうものと考えますから、その
教員と
政治的活動の
制限を争うというようなことが起
つている、これでは到底正しい
教育はそれでは行えないと思います。併し大よそ対立抗争というものは両方でありまして、一方ではありません。一方では対立抗争になりません、両方であります。
従つて私は今日、
教員の闘争、
政治的運動に関する闘争の方式を批判を加えなくてはならんことは、これは
教員の良識に訴えて批判を要求いたしますけれども、併しそれは
教員に対してばかりでなく、
文部省が
教員に対して最高のサービスをしようとする、そういうふうな雰囲気を持
つているかどうかということも今日反省を要することだと考えております。その事実は非常に明瞭でありまして、今日この問題にな
つておりますところの二
法案のことについてそのことを考えれば、正しく立証されておると思います。今日
教員或いは父兄或いはそれは全部でないかも知れません。父兄或いは小中
学校長、小
学校長の団体、中
学校長の団体、が全部揃
つてこの
法案に反対しております。そうして考え直して頂きたいというふうに求めております。その求めている声がかくのごとくに聞えておりますのに、この声を如何にして採上げ、どのような考えを持
つているかということに対して積極的にこれに奉仕しようとするような雰囲気が今日
日本にないということは、これは非常に悲しむべきことであります。そういう対立的な気持を以ては
教育の自主性も何もない。いわゆる全体の
指導、助言をし、正しき
日本の
教育が成長するようにという働きを表わさなければならん
文部省が、こういうふうな
政治的活動の
制限において鎬を削るというようなことでは
教育はよくならんことと思います。
従つて、こういう対立抗争を早速に解消しなければならんと私は考えておりますけれども、現状は決してそうではありません。若しこの
法案が成立いたしますならば、ますます対立抗争は激化するに違いないと思います。そうして
日本の文教は決して立派に育つことはできないようなものにな
つてしまう、私はこの
法案成立後の状況を見通しております。私は具体的なことを申しますけれども、
日教組と
文部省が対立している、そういうことではいかんことです。これは両方から責めなければいけません。
従つて文部大臣を初めとして
文部省内においてさまざまな文教行政に携
つているかたは進んで一橋の
教育会館を少くとも一週間のうちに数回は訪れ、又
教職員も平明な気持で以て
文部省内を訪れて、お互いに
日本教育のために話合おうという、そういう雰囲気ができなければいけないと思います。私はそういうものができて欲しいと考えておるのでありますけれども、今日はそういうこととまるで反対の態度が両方においてとられておるということは、これは両者とも反省を要します。そういうことを激化するようなことは、この国立
学校教員並みに扱うということを今日の慣行を無視して厳密にいたしますならば、ますますこれは激化すると考えますから私はこれに対して反対であります。若し坊間においていわれておりまするごとく、この第二番目の
法案が
選挙の際における対策であるというようなことであるならば、これは甚だしくよろしくないことであると考えます。例えば
教員が
選挙運動をし過ぎる、或いは
教員から出て来たものが議員にな
つて出て来るということではよくないというような
考え方がどこかにある、そういうことを予想されて、そうして国立
学校教員並みに五十万の
教職員の
政治活動をこれによ
つて厳重に縛ろうというようなことでありまするならば、これは更に憂慮すべきことだと私は考えておるのでありますが、これは坊間にいわれておることでありまして、そういうことはないと思います。
教員組合から議員が出ても悪いことはないです。たくさんにな
つたからいけないということもないと私は考えております。ですから、私は
教員の
政治性を持
つた行動によ
つて選挙の際に障害が起るというその障害の実体というものが、若しそういうことがありとすれば、何であるかということを突き止めないといけないと思います。実はこのことは裏に隠れておるようでありまして、この中の説明にも何にも書いてありませんが、坊間伝えておるところによりますと、そういうことを申しておる人もありますので……。
こういうことを考えてみると、この
二つの
法律案はこれらが成立することによ
つて、
政治的中立性という名前に実はかりて民主的な
教育のあり方が甚だしく阻害される虞れがあるというふうにこの両案とも私は考えておりますから、そういう
意味において、
日本の民主的
教育を成長させたいという私の
考え方からこれに対して反対をいたします。両
法案とも成立をしないように参議院の文部
委員の皆さんに大いに努力して頂きたいと、私の
意見を申述べたあとに附加えます。
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