○
公述人(
伊沢甲子麿君) 伊沢でございます。申上げます前にちよつとお断りをしておきたいと思いますが、私都立
杉並高等学校に今勤務しておりますが、
杉並高等学校の教員を代表して申上げるというわけではない。もう
一つは、都立の高等
学校の教員の代表的な
意見だというふうにとられては困るのです。それでなくても私が最近書きました或る雑誌の論文を或る政党が無断でそれを借用して、そしてそれを全国にばらまいて、こういう
学校の先生がこういうことを
言つておるじやないか、だから日教組のほうはどうのこうのと、まあ日教組を叩くために利用したんでしようけれ
ども、私の書いたものを私に何の断りもなく出した政党がございますから、それだけは固く断
つておきます。それから私の個人の性格ですが、非常に毒舌家でございまして、私の恩師の辰野博士から免許状をもらつたものでございまして、あなたがたの気に障るようなこともちらつとしやべるかも知れません。それから私の大叔父伊沢多喜男も私にだけは頭を下げておつたほど毒舌でございますから、それだけは前以てお許しを願いたいと思います。
それで、申上げますが、
教育の問題ですが、余り私は四角張
つてものを言いません。私はやつぱり民主
教育の
一つの建前というものはやはり不偏不賞だと思います。中立何とか、中立というとおかしいですが、中立という
言葉はいろいろあいまいですが、中立でなくて不偏不党だと、何党に属するような、個人的に属するのは構いませんが、それを教壇に持
つて来て何党に属すがごとき
態度をとることは非常に問題だと思う。これをやりますれば、小さい子供は自分の親父やお袋よりも聞きますよ。今のように我々
教育者が馬鹿にされておる時代でも、自分の親父やお袋の言うことよりも先生の言うことを聞きますよ。だからそういう
意味においても、
義務教育者は教壇において一党一派に属するような発言は小さい子供には差控えてもらいたい、それは私ははつきり申上げます。なぜかと申しますと、私は高等
学校で
日本歴史を教えておりますが、教えておりますと、一番驚くことは、中
学校を出て来た子供が、非常に驚くのですよ、
日本の国の歴史のことで子供が知
つておるのは八日市という市場がどうだというつまらないことは知
つておるけれ
ども、
日本の国がどうして生成発展して来たかということはまるつきり知らない。案外子供のくせに、子供のくせにというといかんかも知れませんが、農民が搾取されたとか何とか、どこどこの代官が苛めてひでえ目に会わしたということはよく知
つておる。山びこ
学校の本なんて読んでみるとそれが出ておりますが、そういうことを知
つておりますが、
日本の国の我々の偉大な先祖たちは少くとも輝く二千年の歴史を構成して来たということはまるつきり知らないんだ。私はこれは
日本歴史の
教師として非常に慨歎に堪えない。
日本の偉大なる人物と言いますか、そういうような、我々のいわゆる憧れの的とも言うべき人物などはまるきり知らない。そうして割合に歴史上のそう大きな問題でないと思うことはべちやべちやよくしやべる。そうして一番恐ろしいことは、
日本の国というのはつまらない国だというような、そういう考え方を何だか、どこで植付けられて来るのか知らないが、植付けられている。私のほうに入
つて来た子供がはつきり言いました。再軍備なんと言うようなやつはみんな悪いやつだ、絶対に平和でなければいけない、そういう政党でなければ駄目なんだ、あとのやつはみんな我々若い者を軍隊に持
つて行くためにあんなことを
言つているのだ。これは私の甥なんですが、高等
学校を
言つてもいいのですが、名前を言うと、その高等
学校から文句を言われると悪いから言いませんが、私立の有名な
学校ですが、その私の甥が言うのには、実際
学校の先生なんかが
言つておる、保守党のやつはけしからん、保守党のやつはじじいが多いから、だから兵隊にとられやしないから若い者が兵隊にとられる、それを保安隊だ、へちまだということはけしからん、我々はみんな弾よけにされてしまう。誰がそんなことを教えたかというと、何々先生が
言つている、全然同感だ、おれたちも殺されちやたまらないから反対するのだ。実にその
表現法が問題だと私は思うのです。いろいろ事例を挙げてどうのこうのというと、問題になりますが、私は証人じやないので
意見を述べますが、
表現法が問題だと思うのです。ともかく今の教員組合の、日教組の根本の目標というのは、先ほ
ども午前中の質問などを伺
つてお
つてもわかりますが、再軍備反対、可愛い教え子を戦場に送るな、誠に美しい
言葉で飾られているのでありますが、自衛力までも否定しようとする勢いが非常に強い、そのスローガンで進んでいることは確かなのです。全国の
学校の先生が若し団結してこういうことを小
学校、中
学校の先生が
言つているのだとすれば、
言つているのかいないのか、実際のところ小中
学校の教員ではないからわかりませんが、
言つているのだとすれば、私は
国家の自衛という観点から
言つて憂うべき問題が起る。これは共産圏の国々を利するだけであ
つて、我が
日本はただでさえ丸裸なのに、いつまでもこの丸裸の状態を続けなければならない。これは私の非常に憂うるところなのであります。というと、お前は
学校の教員のくせに、憲法を絶対に守ると誓約書を書いて高等
学校の教員に
なつたのに、さてはお前再軍備賛成だ、憲法違反でどうのこうのと、早速質問があとから出るだろうと思います。それは覚悟しておるのでございます。私はよく新憲法の解釈が、
法律の
専門家じやないからわかりませんが、私の解釈するところでは自衛力は認められていると思うのです。芦田均先生でございましたが、そのかたもどこかでおつしや
つておつたような気がするのでございます。自衛力は認められるというようなことを新聞で述べておられた。私もその
意見に賛成なのであります。そういう
意味から
言つても非常に自衛態勢を崩すという、そういう方針が確かに盛られている我々の所へ来る新聞、今日持
つて来ましたが、毎月毎月来るのですが、日教組の新聞、その
教育新聞というようなものに出ているのは大概その問題なんです。私はこれでも
日本の国を憂うる者として、過ぐる日の戦いに学徒出陣で青春の夢を捨てて身を以て海軍予備学生として砲煙弾雨の中へ身をさらしたのです。私の友人が、ああ
日本が
日本がと
言つて死んで行つた姿をこの眼で見ている。それは「きけわだつみのこえ」の映画に現われているように、軍を呪い、
日本を呪
つて死んだやつなんかいない。一部にはあつたでしようが、みんな
日本の国を守りたい、負けたくないという気持で死んで行つた、これだけははつきり申上げます。その私の友
人たちがあの世で、又靖国神社で以て何と
言つているか、今の現状を見て恐らく泣いていると私は思うのです。骨抜き同様にいつまでな
つているのかと泣いているのじやないかと思う。私も実はこの戦後八年間というもの教員をやりましたが、私がどれだけ苦しかつたか、よく左翼の人が自分たちは町のPTAのボスからいじめられたとか、何からいじめられたとか何とか言うが、私が何か言うたびに右翼だ、何だかんだということを、ひどいデマが飛ばされた。そうして先ほど先生がおつしやいましたが、同僚で中傷する人が
学校の教員にはいて、それが司令部に訴えるというような
人間もいる。私は別に軍国主義を鼓吹したわけでも何でもない、
〔
委員長退席、理事剱木
亨弘君着席〕
又再軍備を演説したわけではないから平気ですけれ
ども、ともかく私の気持として実に憂うべき状態があつた。この八年間、天皇陛下を好きだということさえも言うと、変なふうにすぐ言つた人が多い。私が都高教の中央執行
委員に
なつたことがありますが、私みたいなものが
なつたのは不思議ですが、そのときに立候補の演説で昭和御維新の断行ということを言つたのですが、凄いことを言つたはずですが、それでも私に投票した
人間がいざとな
つてみると案外多い。たしか私が第二位で薄井君の次に当選したと思うのですが、そのときに、私が個人的に天皇陛下は好きなんだということを言うと、とんでもないことを言うとすぐ言つた人がある。私ははつきり
言つて天皇陛下が好きでしようがない。直接個人的に知り合いじやありませんけれ
ども……(笑声)
そこで、そういう
意味においてともかく共産党、そういうふうに色をつけるのはどうかと思いますが、ともかく現在の日教組の
一つの主流にな
つている人が全部とは絶対に言いません。併しその中のかなり有力な人が
相当左翼的な思想を持
つていることは事実です。それでなかなか頭のいい人が多い。私のように低能の人は少い。なかなかうまいことを
言つて日本の自衛力を高めない方針に着々と持
つて行く、私はそう感ぜられる。お前は証拠を出せと言うかも知れませんが、私は第六感でそう思う。
人間第六感があるのですから……、第六感がないのは動物だけだと思います。そこでその
意味において私が今新聞の一部を皆さんにお読みしましよう。それより事実はまだたくさん持
つておりますが、持
つて来るのが重くてしようがありませんから、時間が長くなりますから一部分だけ読みます。こういうことが書いてあります。これは一月二十二日のやつでして、その中に書いてあるのですが、「本当の平和がくるまで、或る
教師から」と出ております。『先般東北地方の或る高校の先生から編集部に年賀状が届きました。次はその概要です。新年おめでとうございます。一九五四年は、是非とも平和を守るための闘いの年としたいものです。最近の
社会は、ますます私が
学校に行
つていた頃と似て来ているようです。これは私の想い出なのですが、中学生のとき予科練を受けようと思
つて担任の先生のところに出かけました。「君たちは勉強がしたくなく
なつたのか、学生のときは勉強することだけ考えなさい」、消極的な
言葉ではありましたが、そのとき「良いことだ頑張れ」と言われていたら、私の生活は間もなく終
つていたかも知れません』、これは
学校の先生は君たちは勉強しなさい、勉強がしたくなく
なつたのか、予科練なんか考えないで勉強しろと言つたのだと思います。それをこの人が感激したと思います。「憲法学習運動をや
つても弾圧される
社会になりました。併し現在の私たちには大きな力を持つ
組織があります。今年こそは、いや、本当の平和が来るまで、
皆様と共に闘いたいと思
つています。」、
一つの
組織を頼りにして、そうしてこういう保安大学に学習するような学生を諭すとか、又は何と言いますか、憲法擁護という建前の下に自衛隊の漸増を阻もうというような意向が
相当見られるのじやないかと思います。殊に保安大学の受験生を諭すなんて、私は問題だと思います。入学するのにどこを受けようと自由です。それは
教師の
良識において……。それがパンパンガールになるとか、それから万引きをやるのは、やつちやいけないととめるのは当然ですが、保安大学に行つちやいかん、商人なんか
なつちやいけない、皆んな
政治家になれと法学部に勧められたら、商学部に行くのはいなくなる。保安大学に行くのを諭したというふうに出ておりますが、これは事実だとすれば大問題だと思う。
ともかく、こういう風潮があるのは、何も私は教員組合とか
学校の先生の一部だけを責めようとは思わない。こういう風潮を作つた戦後の評論家だとかジャーナリズムに責任がある。そういうものが持ち上げるのですよ、
先生がたを……。天真爛漫な
先生がたは乗
つてしまう。先生はすれておりませんから、職員室の中しか見ていない人が多いのですから、私はそういう面でも非常に問題がある。ともかく
学校の先生は不偏不党であ
つて、そうしてそれにおいて自分の信念とか、そういうようなものはそれは場合々々によ
つて述べてもいいと思いますけれでも、併しそれにも述べ方があると思う。対象が小さい子供だつたときには、常に述べ方を考えなくちやならん。
教師としての述べ方を考えるべきだと思います。
それからこの
法案で、公立
学校の先生を
国家公務員なみにするということに対して、非常に反対しているのでありますが、私は
国家公務員に
なつたから
学校の授業がろくにできなくなるというようなことは考えられない。国立の
学校でも立派な授業をや
つているのでありまして、公立の
学校より国立の
学校がうまく授業が行
つていないとは断定できないのでありまして、そういうことだけで
教育が駄目になるとか、ほれ、我々の口が塞がれたとか、手枷足枷がかけられるとか、すぐそういうことに持
つて行くのは飛躍した考えではないか。半面におきまして、午前中聞いておりましたところで、
末川先生のおつしやつたことでぴんと来るのですが、PTAというものが非常にボスが支配してお
つて、そういうものがあの先生は赤だとか何とか、田舎なんかで言う人があることは事実です。私のようなこんな思想の
人間、私は青森県に満一年四カ月、足かけ三年いたのですが、私はこういう性格でありますから、県会議員だろうが町長だろうが、何が来ようと、市長が来ようと、思うことはぽんぽんやつつけて、満座の中で罵つたことがあるのですから、そしたら私の行つたあとで、ここらは殆んど自由党ですが、あの伊沢は満座の中で罵つたが、あれは秘密共産党員であつたらしい、新聞に出ておりますが、青森の三戸新聞というゴロ新聞がありますが、その中に出ておりました。教え子が何か怒
つて送
つて来ましたが、私が帰
つて来たあと、こういうことが書いてあつた、新聞社襲撃するのだと、生徒が憤激しておりました。そういうことを書いた新聞もあるのですから、それは確かに非常に問題があると思います。併し私はこの
法案ができたからとい
つて、無実の罪の人をぼこぼこつかまえるということは考えられない。やはり
調査すればわかるのであ
つて、例えば
政治的にいろいろ発言するとしても、特定の政党のために明らかに走狗と
なつたと断定されたり、又は或る特定の
目的を持
つて、例えば世界共産革命を企図して、そしてその生徒を指導しておつたというようなはつきりした事実がわかればともかくも、そうでないような
人たちがこれと同じようなケースに入れられて、片つぱしからつかまえられるのじやないかというふうに心配するのは行過ぎじやないかと思います。そんなに心配することはないと思うのです。
それから、それよりも私は却
つて恐れるのは、近頃でもそうですが、終戦後特にそうだつたのですが、却
つて私が心配するのは
日本のお国のいわゆる美しさとか、それから曾
つての
日本のやり方にもいいところもあつたのだ、又は太平洋戦争などにしても、
日本ばかりが悪かつたのじやなかつたというようなことなんかひよつと言いますと、却
つてあいつは右翼だとか、恐るべきことを言つたとか何とか、評論家や
言論人が一緒にな
つてぶつたたく。勿論同僚の
教師なんかもどうのこうのと言う例もあるのであります。これは私一番いい例を挙げますと、映画の問題ですが、
学校で生徒をときどき映画へ連れて行くのですが、そうしますと、「戦艦大和」という映画があつたのです。その映画を映画研究部の部長の先生が連れて行くというふうにきめた。映画研究班の者だけですよ、何も生徒全部じやないのです。希望者だけ集めて連れて行くと言つたら、やはり
学校の映画研究班としてそういう「戦艦大和」というものを見に行くというのはちよつとどうかと思う、世間から軍国、主義と誤解されやしないかと
言つて、左翼でも何でもない人ですが、心配して早速それに反対を唱えて、それは行かせないほうがいいと
言つて、非常に職員会議でもめたことがあるのです。大和なんか軍国主義でも何でもない。ちよつと軍艦マーチが聞かれるだけですが、私は「ひめゆりの塔」や「きけわだつみのこえ」は
学校でこそこそ行くのです。左翼の映画だつたら大して批判もなくぞろぞろ連れて行く。「ひろしま」なんか圧力があつたと言いますけれ
ども、いろんな
学校が見に行きます。ところが「太平洋の鷲」ですか、「戦艦大和」ですか、「叛乱」という映画ですか、あんな映画のときはどうのこうのと言われやすい。正直に言うと子供たちは、ほかの
学校のことは知りませんが、今まで教えて来たいろんな
学校の生徒がよく手紙をくれます。一番感激したのは「太平洋の鷲」、「叛乱」だつたと
言つております。特に山本五十六さんは感激したと、子供たちは正直ですから。そこで、ともかくそういうような状態でありまして、こういうように私は、却
つて右と言つちや失礼だけれ
ども、ともかく左翼の人から見れば右と言われるでしよう、右の人はよほど不自由している。思うことも言えない。そういう
人たちは自分の言動を慎しんでおるから言えないのです。そういうことも非常に問題だと思う。私この
法案が出たことを
教師の
立場として、
教師にいろんな足枷、手枷をかけるという考えからい
つて、本当を言うと余り心から全面賛成というふうに叫びたくない
立場なんですけれ
ども、現状がこういう新聞やなんかで宣伝されたり、又各組合の情宣部でそういうふうな国際情勢をプリント刷りにして配
つて来ておりますが、それなんか教員を啓蒙する
意味で配
つて来ておりますが、それなんかに書いてある物の見方というのは、実に一方的な見方なんで、お伊勢さんの神社の、この前式典がありまして、そこへそんなのが復活したのは軍国主義の集りだから、軍国主義の芽生えだから、
学校の教員は団結してこれを警戒しろとか、そんな
意味のことを
言つて来たり、このすぐ前の日教組の新聞でしたか、皇太子殿下の悪口を笑話みたいな形で書いてあつたり、アメリカ軍が
日本から撤退するというデマをばらまく、フランケンシュタインの復活ですか、これはアメリカ軍のことを
言つているのでしようが、西
ヨーロツパを抑えるので、軍国主義が起りつつある、ナチスの復活だとか、いろんな一方的な見方の国際情勢のパンフレットみたいなものを
学校に送
つておる。組合にこういうものを配
つて来て、ものを知らない先生方は、ものを知らない先生方と
言つては失礼ですが、そういうものに知識のない先生、無批判に盲従する、盲従すると
言つてはおかしいですけれ
ども、信用する虞れなしとはしない。そういう点でも、私はこの
法案はまあ実に涙をのんで、現状においては涙をのんで賛成する。それが私の偽らざる気持です。
実際、こういうところへ私が立つのでも、実は悩んだのです、はつきり言いますと。個人的な話になりますが、私これをやることに同僚や友
人たちが皆とめたのです。これをやると、皆、お前は教員の裏切者だとやつつけられる、お前の思想はわかるけれ
ども、お前の思想
通りにはと
つてくれない、だからお前はきつとやられるぞ、そういうことを
言つて忠告してくれたのもありますし、昨日ですけれ
ども、或る人が来まして、これは組合に
関係している人ですが、個人の
立場で来られました。その人がいろいろ私の
立場を聞きに来ました。別にその人は私を抑えるために来たのではないでしようが、とにかく反対だ、我々の気持はこうだということを私に教えに来てくれたのです。ともかく周りから私がここに立つのは、この壇に立つのは余り賛成する人は殆んどない。それはこの
法案に賛成している人でも、先生でも、こんなことを立
つてしやべれば、お前はあとからごてるから、とんでもない目に会うかも知れないというような心配をなさ
つているかたもある。そんなこと私はこの思想の自由の
世の中に、又
言論の自由の
世の中に、最も自由々々を叫ぶ組合幹部諸君が自由にものを言つた
つて、これをいじめるとか、あとから復讐をするというはずはない、そういう自由を尊重する
人たちだから、自由に聞くだろうと
言つて私は出て来たのです。そして今日この二
法案に賛成いたします。ただあとのほうに、刑罰に処するというのですか、刑事犯みたいなことに罰則がな
つておるのですが、このところはちよつと私はどうかと思うのですが、一年以下の懲役ですか、それから又三万円以下の罰金というふうにな
つておりますが、この罰則はもつと
学校の先生をやめさせるとか、別な処置をとる
方法がなかつたかどうかということも考えるのですが、併しこういう法策を遂に断固出した大達
文部大臣は、これは私はよほど悩んだ末、私のように悩んだ末にこういうことを考えただろうと思います。私は大達さんは全然知らないのです。ここにいても、どこにいるのか顔が全然わからないのですが、いたらあとから手を挙げて頂きたいのですが、(笑声)私の死んだ大叔父伊沢多喜男が、あの大連というやつはちよつと見どころのあるやつだということを若いときに
言つていたところを見ると、立派な人なんだろうと思う。そういう人がやつたのだから、私はこれは
相当悩んできめたのだろうと思う。この罰則については何とも私の
意見は述べられません。私はよくわからないのです。実際言うと、こういう刑罰をきめるのは、もつとほかの罰則がなかつたかというふうにも考えます。併し、ともかくもこの
法案の
目的には賛成です。現状においては止むを得ないと、こう思います。
以上が私の気持でありますが、それ以外にもう
一つ言いますが、現在私の憂えていることで、これは大事なことですから、
最後にもう
一つ言いたいのですが、現在の
学校の
教師がとかく
政治家の真似をしたがるのです。これは非常に問題だと思う。非常に現在の
学校の
教育者は……、
教育は
政治に
関係がありますけれ
ども、いわゆる
政治家の真似をしたがる。これはどういう理由でそう
なつたか、私もいろいろ考えておるのですが、ともかく校長クラスの人では、非常に自由党の県会議員だとか、都会議員だとか、そのほか代議士だとかいうのと組んでいろいろうまいこと働く人もある。それから校長クラスの人で、
社会党系の人と手を組んでうまく動く人もある。そういう
政治的にうまく動く人を名校長だとか、教員でも議員なんかに当選する人を偉い人だというように考えている人が随分多い。これは私は問題だと思う。そういう者を偉いと考える考え方は非常に問題だと思う。これはそういう考え方がないわけではない。お前一人の考えだろうと言うかも知れんが、そういう考えを持
つている人が多い。そうして一例を挙げますと、私が青森県にいたときに事実この身で体験したことなんですが、これは甚だ自由党のかたに耳が痛いのですが、黒板に丁度
独立後最初の選挙、何年であつたか忘れましたが、その選挙のときに、青森県から或る代議士が出た。その人が演説してぐるぐる廻
つておりました。その選挙がいつとい
つてまだきまらないときでした。夜高等
学校の講堂で施政演説会をやるというので、私たちの高等
学校の教員室に大きく何々代議士何月何
日本校に来校して講演会ありと、大きくその人の名前が黒板に書いてある。それで私は朝の職員朝会のときに、こんな名前を書くのは何事だ、選挙違反だから消してしまえと
言つて、私はどんどん消してしまつた。そうしたらなめくじみたいな面をした教頭が出て来て、冗談じやないと
言つて私が消したのを又黒板につけた。私が消したら、又つけた。それでけんかに
なつたから、次の日に職員会議に持込まれた。校長が立
つて次の日の職員朝会にこういうことを言つた。本日何とか先生の話がある、どうぞ皆さんは各ホーム・ルームに行つたら、今晩その先生の話があるから、生徒にその先生の講演を聞くように勧めてくれと、そこで私は立上
つて、冗談言うなと、馬鹿なことを言うな、ホーム・ルームでそんなことを生徒に勧められるか、選挙違反じやないかと、その点
日本の先生はいくじがないから、選挙違反なんと言われるとパツと顔色を変えて、いやそんな
意味じやない、
社会科の
一つの手助けになるから、(笑声)代議士の話を聞くと非常にいいから勧めたので、今の発言は取消しますと
言つて取消したことがあります。私は勿論自由党の提燈持ちの人も遠慮なくひつつかまえてぶち込んでしまつたらいいと思う。それからそのほかに、青森県の小
学校の校長が言つたのですが、この校長はかなり年輩の人ですが、清水幾太郎先生の講演か何か聞いて感激しちや
つて、感激居士で、まるつきり感激しちやつた。
社会党左派が天下をとらなければ我々は仕合せにならん、左派でなければならんと、まるで左派が天下をとればすぐ我我の生活が楽になるように
言つておつた。私をつかまえて口僻のように、あなたは東洋精神の権威だという話だが、あなたのような考えはどうも感心しない、左派が立たなければ駄目だ、我々のような正しい者は食
つて行けない、貧乏人は麦を食えというようなことを言う大蔵大臣ではどうにもならない
言つて、がみがみ
言つておりました。私は小
学校には勤めておりませんから、日頃職員室でよくがな
つていたのはよく聞いておりましたが、
一体教室じや生徒にはどんなことを話したか知りませんが、恐らくそんなこをは話していないと思います。立派な先生ですから……。併しそういうことを常に
言つておる人がいるというようなことは、これは自由でありますが、校長室で教員たちの前でがんがん言えば、影響なしとはしない。非常に問題もあるのです。こういうように左右両党どちらに偏しても問題だと思う。少くとも公立
学校の教員として公的な
立場にある限りは、
政治教育はしてもいいけれ
ども、併し自分の分際というものは考えなければいけないし、特定な
目的を持
つて自分の感情を露骨に出してしまうということになると、非常に問題だと思う。真実を教えるというようなことを最近小
学校の
先生がたが言いますが、真実と言いますが、これはクソ・リアリズムと言いまして、日教組の一部小
学校の教員や、中
学校の教員の作文の指導にクソ・リアリズムというものがある。何でもかんでも事実なら書け、事実なら教えるというようなわけで、アメリカ兵がパンパンと何とかしておるところを見て来いとか、そうしてお尻をなめたとかなめないとかいうことを作文に書かしておる先生がいる。「基地の子」というのを読んだら、その子供がお母さんに見つかると困るからと言つたら、先生が、いや抽出に入れて誰にも見せないから安心して書けと
言つて書かしておいて、結局その後本に発表した。もう本に発表しておりますが、これは或る
意味では子供を騙したのだと思う。何でも事実だからとい
つて、それを子供に教えたり、書かせたり、又は見ることを勧めたか勧めないか知らないが、勧めたとしたら、問題だと思う。便所を覗いて、糞便しておるところを覗いて作文に書けということに
なつたら、私は大変だと思う。(笑声)そういう
意味でクソ・リアリズムということは反対する。(笑声)
そういう
意味におきまして、現在の傾向をいろいろな点から眺めまして、止むなくこの
法案に賛成するという
態度をとるわけであります。だから、私は特別な党に入られて特別な
目的を持
つて運動されるかたは、
学校の先生をおやめにな
つて、何か別なことをして頂きたい。不偏不党、而も飽くまで信念を持
つて、そうしてやるべきことはやると、そうして而もそれが飽くまで
教師であり、又公務員であるという建前をよく考えなければならない。よほど慎重に考えてものを
言つてもらいたい。慎重に考えるとい
つても、それは必ずしも卑屈になるわけではないと、私はそういうふうに思います。私はちつとも卑屈にな
つておらない。
最後には私は腰折一首朗詠いたします。(笑声)「時世とはいえどかなしも
政治屋のまねする
教師猿にかも似る」。(「侮辱している」と呼ぶ者あり)