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1954-04-19 第19回国会 参議院 文部委員会 第23号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月十九日(月曜日)    午前十時三十三分開会   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     川村 松助君    理事            剱木 亨弘君            加賀山之雄君            荒木正三郎君            相馬 助治君    委員            雨森 常夫君            木村 守江君            田中 啓一君            高橋  衛君            中川 幸平君            吉田 萬次君            岡  三郎君            高田なほ子君            永井純一郎君            松原 一彦君            長谷部ひろ君            須藤 五郎君            野本 品吉君   国務大臣    文 部 大 臣 大達 茂雄君   政府委員    文部大臣官房会    計課長     内藤誉三郎君    文部省初等中等    教育局長    緒方 信一君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   説明員    大蔵省主計局主    計者      大村 筆雄君   参考人    東京教育委員    会教育長    加藤 清二君    東京都立新宿高    等学校教諭   金子 勝史君    東京公立高等   学校主事会会長  勝村  満君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○義務教育学校における教育政治  的中立の確保に関する法律案内閣  提出衆議院送付) ○教育公務員特例法の一部を改正する  法律案内閣提出衆議院送付) ○教育文化及び学術に関する調査の  件  (朝鮮人学校問題に関する件)  (女教員のかく首問題に関する件) ○勤労青年教育振興法案荒木正三郎  君外十七名発議)(第十八回国会継  続)   ―――――――――――――
  2. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今から文部委員会を開会いたします。
  3. 須藤五郎

    須藤五郎君 この前の委員会におきまして、本日法務大臣の御出席を要求しておいたのでありますが、法務大臣は今日は御出席なさらないのですか。
  4. 川村松助

    委員長川村松助君) 今朝事務のほうからあなたにお伝えしましたように、今日は都合が許さないからあとにしてくれ、こういうお話だそうでございます。
  5. 須藤五郎

    須藤五郎君 事務のほうから先ほど聞いたことは聞きましたが、これは公式でないからもう一度委員長にお尋ねしたいのですが、先ほど事務の話では法務大臣は一切の委員会出席しない御意向だということを伺つたわけです、衆議院参議院も。それはどういう理由によるのか。大臣出席を要求して、一切の、ほかの委員会に出ておつてこの委員会に出られないというのならわけはわかるのでありますが、一切の委員会出席しないということはどういうことに原因があるのか甚はだ私は不可解だと思うのです。
  6. 川村松助

    委員長川村松助君) そういうことは申上げないと言つております。
  7. 須藤五郎

    須藤五郎君 いや、私は一切ほかの委員会にも出ない、衆議院のほうの委員会も出ない、参議院のほうの委員会も出ないということを私は先ほど事務のほうから聞いたのです。ですからそういう、非公式にそういう発表を事務局が発表して、公式の場合こういうふうに逃げるのだつたらこれは問題だと思うのですから、是非次委員会に……。
  8. 川村松助

    委員長川村松助君) 私のほうから、もう一回折衝してみます。
  9. 須藤五郎

    須藤五郎君 それでは私は本日は法務大臣文部大臣の御同席の席上でいろいろなことを質問申上げたいと思つておりましたが、法務大臣が見えませんからその点は省略しまして、いささか少し文部大臣質問をいたしたいと存じます。  先の委員会におきましていろいろ問題になつた点一つ私が確かめておきたいことは滋賀日記の問題、いわゆる冬の友の問題で、あの中にある中国に関する記事が、これを文部大臣偏向教育事例として特に取上げていらつしやるようでありますが、これは如何なる理由によるのか、もう一度文部大臣から答弁を頂きたいと思います。
  10. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この前申上げたと思いましたが、この滋賀日記は私どもから見ますというと、一定点図を以て編纂してある。その編纂の態度がさようであると思つております。そうして結論づけるというようなふうに、この各冊とも最後のページですか裏のところに、中国から引揚げた子供作文が掲載されています。その作文は、これは私は中国から引揚げた子供作文を全般的に読んでおりませんから、その点ははつきりいたしませんけれども、要するに中国を礼讃して、そうして日本に対して非常に不満足なことを書いてあります。そういう点でこの日記教材として使用する場合にその教え方によつて偏向教育になる可能性は十分に含んでいるのだ、こういうふうに私は認定しております。
  11. 須藤五郎

    須藤五郎君 そこで、私はもう一度本論に入る前に、それでは大臣中国観というものを一つこの際伺つておきたいと思うのであります。新らしい中国に対する大臣考え方一つつておきたいと思います。
  12. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私の中国観というお言葉でありますが、現在中国共産党治下にある、それ以上は私は存じません。従つてここに特に私の中国観としてお聞き頂くようなことはありません。
  13. 須藤五郎

    須藤五郎君 中国観というもの、中国に対する何ら知識を持つていらつしやらない大臣が、中国から帰つた子供たちが純真な気持で書いたあの文章をどうしていけないというふうな断定大臣がなさる根拠があるのでしようか。どういう根拠によつてそういうことをお考えになるのですか。あの文章間違つたことを伝えているというふうな大臣のお考えでありましようか、その点を伺いたいと思います。
  14. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 必ずしも子供の書いたことが中国に関する限り間違つている、こういう断定をしているのではありません。間違つているとか間違つていないとかいうことは別問題であつて、そういう類の作文各冊、各学年に対してその点を特に選び出して教材として選択した、そこに偏向教育教材たる可能性がある、こういうふうに思うのであります。
  15. 須藤五郎

    須藤五郎君 それは間違つておるか間違つてないかということは問題でない。それはどこの国のことでもいいことがあるならば、いいと言つて報告することにいささかも私は問題はないと思うのです。どこの国のことでも我々は知らなくちやならんし、又知らなければならない。それにたまたま中国のいいことを書いた作文が載つたからといつて、それを大臣は或る意図の下でやられたごとく故意にねじ曲げて、これを偏向教育事例として挙げたところに、僕は大臣の頭の中に問題があるのじやないかと思うのですが、どうでございましよう、どういう根拠からそういうことをあなたはおつしやるのですか。
  16. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は偏向教育というものは、虚偽を教え教育だといういうふうには考えていない、偏つた教育をすることが偏向教育だ、嘘を教えることが悪とか何とか、これは別問題です。
  17. 須藤五郎

    須藤五郎君 或る国のいいことを教えることがどうして偏向だということが甘えるのでしようか。それならばもう教育というものは全部偏向だと言わなくちやならんことになるんですが、どこにその原因が、そういう偏向だということができるんでしようか、重ねて伺いたいと思います。
  18. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 偏向ということは、今申上げたように、私は嘘を言つているから偏向だと言つているのじやない。一定方向に偏つたものを教える、教材もその方向に特殊にそういう趣旨教材を選択し、或いは編纂をする、こういうことが偏つた傾向がそこに見られる、こういうことであります。須藤君は前にこの偏向教育というものは、つまり教育中立性というものはないのだということを言われました。これは一つの見識でありましよう。あなたのさような観点から言えば、偏向教育というものを不思議に思われるのは尤もであります。尤もであるけれども、少くとも基本法は、嘘とか嘘でないということは別問題として、教育中立でなければならんということをきめておるのであります。で、あなたの教育には中立性というものはないのだ、もともとが。こういう観点から立つならば、偏向教育ということはあり得ないとお考えになるのは、これは或いは御尤もであります。併し私どもはそう思つておらん。
  19. 須藤五郎

    須藤五郎君 その教育中立性がないという問題に関しましては、私は後刻大臣討論したいと思いますから、今はその問題に触れません。今はその問題に触れませんが、実に不可思議だと思うのですよ。どこのことでもいいことは知らさなければならん。たまたまそれがあなたの言ういわゆる共産圏というか、中国のことがそのいい事例として出されたから、これは偏向だと、それがアメリカのいいことだつたら、あなたは偏向だと言わないのです。そこの点を私は言つておるんです。我々は教育者としては、どこの国のいいことでも知らさなければならない。だから中国のいい事例を挙げて子供作文に書いたのを、それを事例に挙げておる、そうすると、その文章一つつても忽ち眼の色を変えてこれを偏向事例だというふうにあなたは言つておる。ところがアメリカのいいことはどれだけ出たつてあなたたちは問題にしようとしない。即ちあなたたちアメリカ一辺倒の頭で、私はここを偏向だということを、私は逆に申上げなくちやならん。むしろ今の日本教育アメリカ一辺倒的な偏向教育が施されておるということを私はこの際に申上げるわけなんです。それにあなたは中国のいいことが一文章載つたからといつて、それを偏向教育事例だといつて、それを処罰の対象として考えておるところに私は非常な疑問を持つわけなのです。どしてそういう考え方をあなたはなさるのか私はお尋ねしたいと思います。どうですか、もう一度お答え頂きたい。
  20. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 何遍申上げても同じことでありますが、基本法に掲げある教育中立性というものの趣旨に違反する、その精神に抵触する教育偏向教育と、まあそういう名前で申上げてあるのです。(須藤五郎君「それは詭弁ですよ、大臣」と述ぶ)だからそういうものがないというならこれは別論ですが、それは須藤君もいつかそういうことをおつしやつたし、又そういう考え方を持つておる人があります。現に日教組の教員臨時講座ですか、そういうものがあります。社会科シリーズというようなものがあります。その中にもやはり同様な意味のことが書いてある。教育というものには中立性ということはないのだ、こういうことが響いてある。あなたがたはそういう考え方でお考えになるから……。
  21. 須藤五郎

    須藤五郎君 いえいえ、そうじやない。私は今の討論段階はそういう考えの下にやつているのじやないのです。あなたが偏向だと言つているのが何の根拠もないということを言つているんです。むしろあなたたちの頭の中にこそ偏向教育があつて……。
  22. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは須藤君の御意見でありますから……。
  23. 須藤五郎

    須藤五郎君 いやいや……。
  24. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 御意見でありますから、これはどうも幾ら申上げても同じことです。御意見として承わつておく以外にありません。
  25. 須藤五郎

    須藤五郎君 これは私はこの間の委員会であなたと私的に話したことですから、私今それを問題にしようとは思わないんですが、中国の今日の現実を私はあなたはもつと知つているだろうと思つたんです、今日の中国真状を。その上の御理論だと私は思つて今日お尋ねしたんですが、あなたは今日の中国を何ら知らない、知らないというよりか中国に関しては私はあなたと討論することは無駄だと思いますから討論はよしますが、今日の中国というものはあなたが曾つて戦争時代において知つた中国とはまるで変つているということを先ず念頭において頂かないと、日本のこれからの文教政策上非常な大きな過ちをあなたが犯すだろう。それはあなたの過ちに終らず日本の将来にとつても、とつても大きな影響を与えるだろうということを私は心配するわけです。中国の今日は昔の中国とはすつかり変つているんです。新らしく新中国というものはすつかり変つておるわけです、あなたが昔知つたものとは。今中国の五億八千万といわれる人民はすつかり新らしく生れ変つておるということを先ずあなたは念頭においてかかつてもらわないと、文教を過つのみならず、日本政治自体を私は過つもとになると思うのです。そこで私はあなたに中国をこれから大いに勉強して認識を改めてもらいたい、そういうことを先ず要求します。それでないと、とんでもないことになる。私は今あなたと新らしい中国に関してここで討論しても、あなたが知らないというのだから、討論にならないから私はやめますが、すつかり変つているというんです。三反五反運動などというものは、決して日本に伝えられるような暴力的な破壊的なものじやないのです。実に孔孟教え基本として、中国の今の政治孔孟教え基本とした、それをマルクス主義的に孔孟教えをちやんと(「むずかしいね」と呼ぶ者あり)何と言いますか解決して、そうして中国人民を指導しているのでありまして、あなたの考えているような中国ではないということをこの際はつきり知つて、どうぞ今後大いに研究して日本の文政を過たないようにしてもらいたい。そうでないと、ああいう中国を礼讃した一児童文章山口日記云々というようなことで、殊更に曲げて物を考えたら、そうしてあれを偏向教育対象とするというような頭でこれから日本文教がなされるならば、これは私はもうとんでもないことだと、そこで私は逆に、今日日本の認定された教科書の中にアメリカを讃美した面がどれだけあるかということを、あなた御存じなんですか、どうですか、小学校で。
  26. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は甚だ申訳ないんですが一々は知りません、教科書は読んでいませんから。
  27. 須藤五郎

    須藤五郎君 それではあなたは小学校中学校教科書をずつとページだけでも見ていらつしやらないわけですか。何も御存じないんでしようか。
  28. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 近頃教科書が非常にたくさんありますから、まだ見ておりません。
  29. 須藤五郎

    須藤五郎君 見場ておりませんか。それでは私はその教科書から、児童にどういう結果が現われておるかということを私は御参考までに申上げて見ようと思います。郡内中学生一千名を対象として次のような調査をした。世界で一番好きな国はどこですかという調査をしましたところが、アメリカと答えたのが三二%です。イギリスが二八%、フランスが一一%、スイスが一五%、ドイツが七%、インドが二%、ソヴイエトが二%、悲しいかな祖国日本が好きだと答えたのが二%、中国が一%です。これが今日中学校でやられている教育実態ですよ、このパーセントに現われているのは。いいですか。それから大阪市の池田小学校池田市の池田小学校共同調査で、四、五、六年の児童人間が自由に生まれ変ることができるとすれば、あなたはどこの国に生まれ変りたいですか、という質問をしたわけです。ところが驚くなかれ、その答えが出ておるわけですが、四年生は日本に生れ変りたいというのが五八%ある、ところが五年生になりますと二〇%に減るのです。それから六年生になりますと一六%に減るのです。自分祖国に再び生れ変りたいという人の数が、こういうふうに上級に至るに従つてずつと減つて来るのですよ。それからアメリカ対象にしますと、アメリカに生れ変りたいというのが、四年生では三七・四%です。それから五年生になりますと六六%、六年生では五三%です。スイスというのが四年生では二%、五年生では九%、六年生では二二%。いいですか。自分祖国に生れ変りたいというのが、これがあなたの希望するところの日本人の頭でしよう。どうですか、私もそうです。再び自分が生れ変るならば、日本に生れ変つて、よりよい日本を作りたいというのが、これが我々祖国を愛する人の気持なんです。ところが、今日の小学校では尋常六年生は日本に生れ変りたいというのが一六%で、アメリカに生れ変りたいというのが五三%になつているわけなんです。こういう教育が今日中学校小学校でなされているというのです。これは何でしよう。これこそ偏向教育じやないか。これこそ日本教科書の持つている偏向性の現われじやないですか。私はそういうことを心配するわけなんです。  それから、「なぜアメリカが好きか」という調査で、理由は、「民主主義の国だから」、「日本を守つてくれるから」、「日本に反対しないから」、「金持ちだから」というのが三四%ですよ。「文化が進んでいるから」というのが一八%、こういう数字が出ております。又「世界で一番偉いと思う国はどこですか」、これらに対しまして、アメリカと答えたのが三八%、イギリスが一六%、ドイツが二一%、ソヴイエトが九%、フランスが八%、インドが五%、中国が三%。こういうことはずつと私はたくさん事例を持つているのですが、お好みならば全部読上げてお聞かせしてもよろしいのですが、ほかの人が迷惑すると思いますから私は、(「いいです」と呼ぶ者あり)読みますか。それから、「アメリカソヴイエトとどちらが平和を願つていると思うか」という間に対しましては、アメリカが平和を願つているというのが九六%、あとソヴイエトです。「日本アメリカが仲がよいし、アメリカロシアとは仲が悪いのでロシアは中共と一緒に日本に攻めて来るかも知れない」とか、「ロシア講和条約に参加しなかつたのは日本を攻めるつもりだから」といつたような作文は真剣に考えなければならないということが報告されているのです。こういう教育をされているということを、あなたはまあ意を強うしていいのかどうか知りませんが、あなたの立場では意を強うすると言うのかも知れませんが、こんな偏向教育が行われている。なお、「日本はこれからどんな国と仲よくして行かなければならないか」という問に対しましては、アメリカと答えた者が二九%、イギリスが二三%、フランスが七%、ドイツが八%、ソヴイエトが二%、スイスが一三%、中国が三%、インドが一三%、朝鮮と書いてあるのが二%、こういうことが出ている。又、それから、「中河内郡の或る小学校の五年で社会科単元「進んだ世の中」の学習をやつたあとで、その感想を書かせたところ、次のような例が少からず現われた。」N・Tという子供は、「アメリカは偉い人がたくさんいる、日本は少いのはなぜか。アメリカにはトルーマンとか偉い人がたくさんいるが、日本には偉くない人が多いと思います。なぜ日本は小さいか、なぜアメリカが大きいのか。」T・Mという子供は、「アメリカ大変日本より勝れたいろんなものを持つているが、日本アメリカのようなものがない。日本は何でも世界と比べると負けている。」K・Kという子供は、「何から何までアメリカが一番である。発明発見でも、物凄く発明するし、日本はその真似をして作つているのだから駄目です。アメリカはよい品物ばかり発明するので、なんぼでもお金持になつている」、N・Kという子供は、「なぜアメリカはそんなに強いのだろう。アメリカはたくさんの自動車があり、どんな人でも自動車に乗れる。」こういう、アメリカを実に金持で何でも手に入れることができる国だというふうに、羨ましいような気持児童に与えておる。そうしてアメリカに従属的な国民を作ろう、今日の教科書が事実そういう意図を持つて教科書編纂されておるということなんです。これこそ偏向教育じやないですか。あなたはどういうことを考えますか。この問題に対して。
  30. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) いろいろそういう数字をお挙げになつただけでは偏向教育であるともないとも申しかねるのでありますが、ただ教員が特別に意図を持つて偏向教育というのは、ただアメリカを褒めたとかソヴイエトをどうとかいうことではないので、特定思想特定政治的な思想、これを一方的に植込むことが偏向教育なんです。特定の政党を支持し、又は反対する、こういう枠でありますから、ただどこの国が金持であるとか、どこの国がいいとか悪いとかいう問題ではありません。それは表現の問題はともかくとして、それがそういう政治思想に繋がるところに問題があると私は思います。今非常に興味のある統計もお読上げになりましたが、それだけでは、その数字を見て偏向教育であるとかないとかいうことは、これはできないことで、それは何とも御返事の申上げようがない、その教育実態を見なければ。ただ日本が好きだとか、もう一度日本祖国に生れ変りたいという者が二%ですか、これは非常に困つたことだと思います。私は。これはこの前のときにも申上げましたように、日本人が早く祖国愛というものを振起して、これは何と言つて日本の再建の基礎でありますから、ただ国を愛せよという合言葉教えつて駄目でしよう。併し真に祖国愛に燃え立つような、そういう教育が行われ、教育が行われた結果そういうことになることを私は希望してやみません。やみませんが、ただアメリカ金持であるとか好きであるとかいうことだけで、思想と関係なければ、それで偏向教育とか何とかいうことを言つては私はならんと思います。
  31. 須藤五郎

    須藤五郎君 それは、あなたの頭はどうかしていますよ。曾つて大達さんだつたらそういうなまくら半分の言葉は吐かなかつたですよ。もつとはつきり答弁できたことと思いますが、この頃はあなたも頭が少し狂つて来ておると思いますよ。私が言つておるのは、あなたは偏向教育を罰することが、それが形が現われたときに、ということだつたんですよ。だからどこの学校偏向教育がなされても、それが何ら形に現われないときはそれは罪にならんというお答えをしていらつしやつたあなたが、今日の日本教科書が或る意図を以て編纂されておる。私は学校の先生を責めておるのではない。教科書を責めておるのです。日本教科書アメリカ一辺倒意図を以て編纂されて、それを学校が使つておる。その教科書によつて育てられた子供の頭の中というものは、今私が言つたような数字で現われておる。これこそ偏向教育じやないか。だから日本教科書こそ偏向教育の材料にされておるのではないか。即ちあなたが或る意図を以て教科書編纂し、認定して、そうして児童に与えておる。それは即ちアメリカ従属的な日本人を造るための意図を以て、そこの点は強くは言わなくても、要するにそういう意図の下において日本文教が今されておるのではないか。これこそ偏向教育じやないか。それがたまたま中国ソヴイエトをちよつと褒めた文章があると偏向偏向と言うことは、私は非常な片手落であつて、あなたがたの頭の偏見を如実に示しておる証拠ではないかということを育つておる。どうですか。
  32. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この教科書検定基準には、一方に偏つてはいけない、こういうことをはつきり基準として示されておるのです。
  33. 須藤五郎

    須藤五郎君 ところが偏つているわけです、文章が。
  34. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) ところが偏つていけないということを示されておる。併し教科書は今たくさんの人がこしらえますし、それに対していわゆる検定が行われるのであります。それはたくさんのうちには成るほどよく見れば偏向、偏つたものがないと私は断言いたしません。これは私はわかりません。検定基準としては特定政治的立場偏つてはいけないということが検定基準には明らかに示されておるのでありまして、おるのでありますが、具体的にその人の判断によつて偏つたものがあるかも知れない。これは私はないということを断言するだけの自信はありません。ありませんが、併しアメリカに従属するような人間を造る。そういう意図を持つて教科書編纂されておるというようなことをあなたはおつしやつたけれども、それはとんでもない誤解です。そんなことはあり得ない。アメリカに従属する人間を造るために、そういう卑屈な精神を、祖国を忘れた卑屈な人間を造るために教科書編纂しておる、そういう意図を持つて。それはとんでもない間違いです。
  35. 須藤五郎

    須藤五郎君 それはあなたの立場でそういうことは言えないと思うのです。アメリカに従属する意図を持つて教科書編纂しているなどと、大臣の建前でそんなことは言えないでしようけれども、併し結果的にこういう結果が現われておるから、これこそ私たちは考慮しなけりやならん、関心を持つて考えなくちやならんことじやないか。将来、日本のですよ、国民を教育する場合にこんな結果が現われていることは、どうですか、これこそ私は大きな偏向だということができるのではないか。ですからあんな中国から帰つた子供が、いたいけな子供が書いた文章などを問題にする前に、この事実をあなたとしては問題にしなきやならないのじやないか。それをこちらは知らん顔をして、あちらだけをほじくり返して問題にするというところに私は大連文政の不可思議な点があるということを申上げるわけなんです。  なおニクソン副大統領夫妻が去年来ましたときに、十七日、これは昨年の十一月の十七日だと思うのです。午前「伊丹空港着、京都、奈良地方を視察し即日帰京したが池田、豊中、茨木、高槻各市の沿道では学生、児童の歓迎列がみられ手に日の丸の旗がもたれていた。」これは十九日の社会タイムスの記事であります。「これは去る十五日大阪府教委が沿道関係教委と府立高校に「都合がつけば学童生徒に出迎えるよう」と通告したためである。」と、こういう記事が載つている。これは事実なんです。これが偏向教育にはならないのですか。あなただつたら、中国の人が来たり、ソヴイエトの人が来て若しもこういうことをやらしたら、立ちどころにとんでもない偏向教育だと、若しそういうことをやらしたならば、あなたは学校に大きな圧力を加えて、学校の先生なんかやめさすかもわからない。ところがニクソンが来たときにはこんなことをやらしている。そのニクソンは何と言つておりますか。日本の農民が困つているのなら、保安隊へ入れというような言葉を吐いて、生意気に日本の内政に干渉するようなことを言つている。ずけずけと横着千万な言動をとつたニクソンですよ。このニクソンを出迎えるために、こういうことを指令している、そういうことこそ偏向じやないか。どうですか。
  36. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は詳細なことは知りませんが、ニクソン副大統領というものはあのとき国賓の礼を以て迎えられたのじやないかと思います。さような点から地方の教育委員会でそういう措置をとつたのではないかと考えます。それで偏向教育だとは思いません。
  37. 須藤五郎

    須藤五郎君 いや、アメリカに対してはこういうふうな姑息な、卑屈な態度を児童に強いて、そうして児童中国、新らしい中国を見て、その新鮮な頭であの文章を書いた。それをあなたは故意に取挙げて、これを偏向事例だと言つておるから私は問題にするのです。そこに私はあなたの頭の中に大きな錯誤が、時代錯誤的なものがあるのじやないか。それでは困る。それで日本の立派な文政を預つておるあなたとしては、それでは困るから、大いにその考えを改めてもらいたい。それでないとどうも逆な偏向教育が大いになされて、それを私たちからみれば大きな偏向教育をあなたたちがしようとしている前提にあるから、いわゆる平和教育を、日教組が言つておる平和教育偏向教育だ、再軍備をやらしたいというような憲法違反の教育方向にあなたたち教育を持つて行こうとするから、私たちはそれこそ偏向教育じやないかと、勿論問題にしているわけです。  それで私はもう一点伺いたいと思うのですが、君が代に関してこれは全国の学校の先生たちが非常に問題にしている。君が代を歌わないということは、どうして偏向教育事例になるのでしようか、どうですか、君が代を唱わないということは。
  38. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 君が代を歌わなかつたということは、それだけで偏向教育だと断定することはそれは無理でしよう。併し君が代を歌わせない、歌わないというよりも、もつと一歩進めて歌わせないという教育があるとするならば、それに関連して偏向的な教育が行われておるということを私は推定する一つの資料になると思うのです。現に日教組内における共産党の教育に対する、打ち立てている方針はたくさんあります。たくさんあるうちに、日の丸、君が代教育に対する抵抗ということを掲げておるのです。それはただ君が代の節が面白くないとか、古くさいということではないので、共産主義グループが一連の教育方針として打ち出しておる。だからそれがたまたま符合しておるかも知れない、偶然の一致かも知れないが、諸所にそういうことが行われておる。ただ子供が歌うても歌わないでも、むしろそれは構わないでおるということじやなくて歌わせない。式のときにはそれを抑えて歌わんことにきめる。そういう点に偏向教育が行われておるのではないかと一応想定する資料になる、私はさように考えております。
  39. 須藤五郎

    須藤五郎君 私は日教組内におけるフラクがそういう指令を出したかどうかということは存じませんが、又何も聞いておりませんが、併し曾つて委員会におきまして君が代が主権在民の憲法の下において果して好ましい歌かどうかということを私は質問したことがあります。そのときにあなたはこう答えておる。好ましくない歌詞がある。主権在民の憲法に照らして好ましくない歌詞があるということをあなたは、はつきりと答弁していらつしやる。憲法は我々国の最高法としてこれは最も守らなければならん法だと思つておるわけでありますが、その憲法に牴触するような、憲法の精神と相反するような言葉を持つた君が代をなぜあなたは歌うことを好ましいとして通達を発すると同時に、その憲法の精神に反する歌を歌わないということがどうしてそれが偏向教育とみなし、非難すべき行動だとあなたは言うことができるのでしよう。
  40. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は実は私自身の速記録を見なければこれははつきりわからないのですが、私は君が代の中に歌詞として好ましくないものがあるということを言うた覚えはありません。
  41. 須藤五郎

    須藤五郎君 いや、不適当というようなことを言つていらつしやいます。
  42. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 政治形態が変つた今日においては、その文字だけに即して、その文字面だけに即して言えば不適当なものがあるかも知れません。そういうことは申上げたようなことがあるかと思います。
  43. 須藤五郎

    須藤五郎君 不適当な文字があるということを……。
  44. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 併し好ましくないとか、いけないとか言つた覚えはありません。そうして更に要するにこれは日本の国土に対する祖国愛を歌つたものであつて、それは終戦前の新聞であろうがどんな著書であろうが、その文字の使い方は、その時代の基礎になつている政治形態を基礎にして言つておるのですから、あなたの論法を持つてすれば、ことごとく憲法違反ということになります。終戦前の新聞記事であろうが何であろうが、そういうことはそのときの時代を基礎にして使われた言葉であつて、だからこれが憲法に違反して、今絶対にいけないんだ、そういうことは私は思つていない、今でも。恐らくその当時でもそういう答弁をしたつもりはありません。
  45. 須藤五郎

    須藤五郎君 速記録を今ここに持つておりませんが、不適当だというような言葉を使われたと思うのです。私はこういうふうに尋ねたのです。憲法に照らして不適当の歌詞を持つた歌を、なぜあなたは好ましいと言つて通達を発したかということに対しまして、祖国愛を涵養するために、これは好ましいというふうな答えをしていらつしやると思うのです。そこに速記録がありますね。
  46. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) あるようです。
  47. 須藤五郎

    須藤五郎君 どうぞ読んでみて下さい。私は間違いないと思います。
  48. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) こういうことが書いてあります。「君が代の主権在民の関係という漠然たるお尋ねでありますが、君が代という字は主権在民という今日のとられている政体からいえば、文字にとらわれていえば、君が代ということは時代遅れであると思います。」先ほど私が申し上げました通りの趣旨であります。好ましくないとか、憲法違反であるとか、さようなことは言つておりません。
  49. 須藤五郎

    須藤五郎君 それからずつと読んでみて下さい。それを歌わすことはどうだということに対して、あなたは祖国愛を涵養するために必要だというような意味のことを答弁していらつしやる。
  50. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) こういうことが書いてあります。「過日の衆議院文部委員会における答弁といたしまして、私は君が代を学校で無理に歌わせるということはどうかと思うけれども、併し、子供が歌うものをとめる必要もないだろう、若し自発的に君が代が斉唱せられることは私としては望ましいと、こう言うたのです。その意味は、君が代という……あなたは憲法の精神に違反すると言われましたが、私が先ほど申上げましたのは、君が代という、この君という文字ですな、君が代という言葉の形からいえばこれは主権在民の国の姿にはそぐわん点がある。これは認めたのであります。憲法の精神に違反しているとは思わんのであります。私は君が代という、君という字が……君が代という歌に流れておる考え方は、これは日本の愛国心、国民の民族愛を歌つたものである、かように考えておるのであります。」
  51. 須藤五郎

    須藤五郎君 それはあなたの答弁が、それを読んだだけでも矛盾しておると思うのです。昔の憲法は主権在民じやないのですよ。而も、君という字は、あなたは祖国愛だとおつしやる、それはおかしいじやないですか。我々は今日天皇中心的な物の考え方をしていないのです。主権在民です。我々は日本人民というものを中心にものを考えておる。その憲法を持つておる。併しあなたは天皇中心的なものの考え方をしておるから、ですからそういう言葉が出て来るのです。今日の憲法から見たら君が代という字はあなたはそぐわないということを言つておる。憲法の精神にそぐわないような歌をなぜあなたは歌うことが好ましいかということを聞くと同時に、又それによつて如何なる愛国心が涵養されておるのか、要するに憲法違反の君が代によつて涵養されるところの愛国心というものは、どういう愛国心であるか、私は説明を伺いたいのです。
  52. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 御意見の点は、ただ伺つておく以外にはありません。先ほど申上げたように、私は憲法の精神に違反するものとは思わん、こういうことを申上げたのであります。
  53. 須藤五郎

    須藤五郎君 併しそぐわないということを言つています。
  54. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) それは君という字が……。
  55. 須藤五郎

    須藤五郎君 そぐわないと言つておる。憲法の主権在民の精神にそぐわないということをあなたは、はつきり言つておる。そぐわないということは不適当だということですよ。
  56. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は憲法の精神にそぐわんなどと申したことはありません。先ほどから繰返して申しております。又速記録も読んでおる。文字に捉われて言えば、今日では主権在民であるから、君という字は時代遅れであろう。併しこれは全体としては愛国心を歌つたものである。君が代ということは我々の日本の社会、こういうことと私は解しておる。その当時は主権が、政治形態が違つておりますから、我々の日本人社会ということを君が代という名前を以て表わした、かように私は考えておる。私はこの君が代が全体として憲法に違反しておるとか、さようなことは一度も申したこともなければ、そういう考えも持つておりません、ちつとも。私は日本人の社会が、その言い表わし万を当時の政治形態に従つて君が代という文字を以て表わした、これはすべての、新聞であろうが雑誌であろうが、そういう政治形態を前提としての、そういう社会におけるものの言い方は、これは君が代だけではない。みんな同じです。だからそれを挙げて憲法違反なぞとはちつとも思つておりません。ただ読み替えてみればいい。世の中が変つて来たから、今日の時代に合うように読み替えればいい。
  57. 須藤五郎

    須藤五郎君 それなら君が代の歌詞を変えたらどうです。その時代遅れの歌詞をあなたは歌うことが好ましいなどと言つて子供に押しつける理由は何らないじやないですか。時代遅れなら時代遅れらしくそれはすつぱりとやめてしまつて、新らしい時代の、新らしい憲法に即応した国歌を作るならわかるのです。ところが時代遅れだということをあなたは、はつきり認めておる。その歌をなぜ強要し、それを時代遅れとして歌うことをしない先生に対して、純然たる特高的なあなたのものの見方ですよ、実際。これを拒否することはその裏に何か偏向的な政治教育がなされておるのだろうという推測をして行くことが、これがおかしいじやないですか、どうですか。
  58. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 君が代という字を変えたらよかろうとか何とかいうことは、これはあなたの御意見ですから、これは伺つておくほかはありません。ただ物は物の意味を捉えなければならない。字句の末節に私は拘泥すべきものではないと思う。あなたの論法を以てすれば、旧太政官布告以後、明治、大正、昭和を通じて今日法律がたくさん残つております、現行の法律として。これは皆形態は天皇の名において公布せられて、いわゆる御名御璽ということで公布されております。それは皆変えなければ通用できませんか。あなたはそういうものはみんな憲法違反であつて、そういうものは皆直さにやいかん。何もそんな偏つたことをおつしやらんでも、それならなぜ議員立法であなたは全部その法律の改正をなさいませんか。
  59. 須藤五郎

    須藤五郎君 悪い法律なら全部……。
  60. 川村松助

    委員長川村松助君) 大体議論に亘るような虞れもあります。他からも折角発言を求められておりますから、適当なところで打切つてもらいましよう。
  61. 須藤五郎

    須藤五郎君 いま一言いつておきます。あなたは悪いものは改正したらいいだろう、勿論悪いものは改正すべきです。私たちが政権をとつたら改正しますよ。ただ私は一人で、微力ながら国会に一人おつて、変な法案を改正することができないことを甚だ遺憾だと思つて切歯扼腕しておるわけです。私が政権をとつたら変えますよ、勿論。併し法案の内容と君が代というものとは別個ですよ。あなたそれは詭弁です。太政官時代に作つたものでも、いい内容を持つたものなら置いておいたらいいんです。ところが君が代というものは新憲法にふさわしくない内容を持つておるから私はいかんと言つておるのです。私は何もそういう偏つて言つておるわけではない。内容を私は論議しておるということを、故意に曲げて言つておると思うのです。それは随分卑劣だと思うのです、そういう論法は。そこで私は甚だ残念で、こういうことは今日私は実は口にしたくなかつたのですが、私が前の本会議において、あなたたちのいわゆる大達文政というものを私ははつきりと性格を知りたいために、私は本会議であなたたちの前身、経歴、緒方局長、田中次官、全部の経歴を、私は特高畑から出身した人だ、だからいわゆる特高的な文政がなされるのじやないかという質問をしたときに、あなたはこう言つておるのです。嘘の皮だ。どこが嘘の皮です。嘘の皮が本当か、ここで、はつきりしようじやないですか、私の言つたことは嘘ですか。
  62. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は経歴を見て、それからいろいろ憶測をして、私の思想調査をされるということは全くいわれのないことだと思う。だから私はそういうことにむきになつて答弁する気持にはなりません。ただ申上げますが、私は未だ曾つて警察の職務に就いたことはありません。私は長い官吏生活の間に警察の職務に就いたことは一度もありません。それを特高特高とあなたおつしやるだけのことです。
  63. 須藤五郎

    須藤五郎君 はつきりしておいて下さい。私は大連さん個人の問題だけ言つたのではないのです。緒方さんから斎藤さんたちの問題もそのとき触れたと思うのですが、この緒方さん斎藤さんは、明らかに緒方さんは昭和十六年の一月二十三日警視庁の刑事特別高等警察部外事課長という職責にちやんと就いていらつしやるということは私の調査の中に現われて来ているのですが、これは嘘でしたか、本当でしたでしようか。どうです。
  64. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 一体これは須藤さんはよく御承知でありますが、内務省に入れば内務省の人事の指令に従つて始終転勤転職をさせられます。本人の思想によつて警察の職務に就くということは普通にはありません。
  65. 須藤五郎

    須藤五郎君 そのくらいなことは知つておりますよ。
  66. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) それからその職にあたつからといつて、それだからあなた、お前は特高のフアツシヨ的な男であるという推断をされるということは、これは余りあなたは論理が飛躍し過ぎます。今の緒方君は成るほど警察の職におつたことはあります。併し斎藤君のごときはこれは警察には何の関係もない。これは元来内務省の役人でも何でもありません。それを何か内務頭領だとか、あなたが勝手なことを言つている。これは日教組がそういうパンフレツトでも廻しているのです。私も読みました。そういう出放題のものを一々あなたが取挙げて、それを動かすべからざる本当のことのように本会議でも持出していらつしやるから、それで私は嘘だとこういうことを言つたのです。
  67. 須藤五郎

    須藤五郎君 それでは本日は嘘でないということを認められるのですね。それから私はこれは、はつきりしておかなければならない。今日大達文相の方向というものを。どうもあなたたち先ほどからずつと質問していると、何ら反省されてないのだ。大達さんが昔から民主的な頭に切替つていないと思うから僕は言うので、ここに「民主的政治と非民主的政治」というパンフレツト、これは文部省が出したものでしよう。昭和二十四年の文部省から出したもので、これは全部読んでも面倒ですから、私は「民主主義には言論の自由がある」という条項、それの「民主的な国」というところですね、「政府は言論の自由を禁ずる法律を通過させる権力は持つていない。これは民主的な国民の基本的な権利の一つである。民主主義と自由とはこれなしには存在しない。もし国民が政府とその政策に反対のことをいい、またこれを批判し、政府の公務員を批判することができなければ、国民は政府のどれいであつてその主人ではない。」ということが書いてあるのですが、この本は別に大した良い本ではない。これはアメリカブルジヨア民主主義の本だ、私たちの言うプロレタリア民主主義の本とは大分違う、遠い本でありますが、これだけ見ても、あなた今度のなんですか、政禁法なんというのは、ブルジヨア民主主義精神にも大いに違反するものだということは、はつきりしているが、大達さんはどういうふうに考えているか。こういう法案を出して来るから私は殊更あなたの頭の切替がされてないという点でこういう嫌な質問を、私たちこんな質問はしたくない。併し嫌な質問をせざるを得ないわけです。  それからあなたのこの間の首祭論が出て来ることは、あなたの頭の中が民主主義に切替つていないから、そういう議論が出て来るので、あなたのその頭の中からこの政禁法のごとき悪法がひよつと浮んで来るんじやないかと思う点で私は非常に危険だと思うので、あなたに対してこういう質問をしておるわけなんです。あなたは民主主義に対してどういうふうに考えていらつしやるのですか。
  68. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私はこの法律案民主主義考え方に背馳するものだとは思いません。あとはあなたの御意見として伺つておきます。
  69. 須藤五郎

    須藤五郎君 あなたは首祭論を言つて平気な顔をして澄ましていらつしやるかも知れませんけれども、これはシンガポールではすぐ問題を取上げていますよ。(「個人的な攻撃はやめろ」と呼ぶ者あり)シンガポールの、攻撃じやないですよ。大達さんに民主主義というものを理解してもらいたいから僕は言葉を尽して言つているのですよ。それさえ理解してくれたら、そんなこと言いたくないのです。シンガポールの新聞があなたがシンガポールにおいて首祭をやつたということを言つているから、あなたが本当に民主主義に反省した人ならば、こういう言葉を発するはずないんです、あなたの立場として。それを平気で言うところにあなたのやはり反省が足りないんじやないかと思うのです。
  70. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは国会の議事の中ですから……。私がシンガポールで首祭をしたということを今おつしやつたが……。
  71. 須藤五郎

    須藤五郎君 新聞に出ていますよ。
  72. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 新聞は見ました。見ましたが、そんなことは書いてありません。
  73. 須藤五郎

    須藤五郎君 「首祭の張本は大達」と誓いてあるのです。
  74. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) それは知つております。それは読んだから知つておりますが、そのどこに私が首祭をしたと書いてあるのです。
  75. 須藤五郎

    須藤五郎君 私はその見出しを……。
  76. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 中を読んでごらんなさい。
  77. 須藤五郎

    須藤五郎君 「シンガポールの有力紙ストレイツ・タイムスは十三日の紙上で戦争裁判にかんする大達文相の言明を非難し、つぎのように述べている。  戦争裁判は首祭のようなものだという大達文相は、非常に便利な記憶力をもつているに違いない。首祭というのは日本のシンガポール占領当時にふさわしい言葉だ。当時は切られた首がシンガポールの街をかざり、同市の中国人はしばられて機関銃でうたれた。当時シンガポール市長だつた大連氏がこれを本当に忘れてしまつたはずはない」というふうに書いておるのです。
  78. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私がしたということが書いてありますか。書いてありますか。
  79. 須藤五郎

    須藤五郎君 書いてないけれども、あなたが、こういう当時のシンガポールの市長だつたということをあなたは忘れてしまつたのだろうか。
  80. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私に言わしめれば日本軍がシンガポールを攻撃して、そうして無事の住民を殺傷したという事実はあります。これは私は首祭だと思う。私がしたということはない。
  81. 須藤五郎

    須藤五郎君 あなた個人がやつたとは書いてない。
  82. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) それを誰がやろうが、そういうことが首祭だろうと思つております。どこに私が首祭をしたということが書いてあります。あなたは首祭を先ほどしたとおつしやつたのです。
  83. 須藤五郎

    須藤五郎君 見出しに書いているから言つているのです。
  84. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 書いてないでしよう。
  85. 須藤五郎

    須藤五郎君 あなた個人が刀を持つてつて首祭をやるなんということは考えません。併しあなたはシンガポールの市長としてあなたの部下のやつたことは、あなたがやはり責任をとらなければならんじやないですか。
  86. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私の部下が一人としてさようなことをしたとは思いません。(「失言は取消せ」と呼ぶ者あり)
  87. 須藤五郎

    須藤五郎君 失言ではありませんよ。大連さんが一人自分で首を切つたなんて言つていやしないです。
  88. 相馬助治

    ○相馬助治君 いいかい、須藤君。今君が大論争からいろいろな論争に発展したようですが、これはやはり須藤君が問題にするところは、君が代がこの際いいか、悪いかということをはつきりさせるというよりも、偏向教育に君が代を歌つたか歌わなかつたかということが問題になり、歌わなかつた学校においては歌わなかつたということそれ自体当面の問題はないけれども、そういう現実が現われる裏には、偏向教育の虞れがあるのだ、こういうふうな考え方からして、あの偏向教育事例を出して、我々をして言わしむれば、誠にお粗末な、そうして偏向教育にもなつていないほどの事例であるとは思いますけれども、併しそこにとにかく問題が、焦点があつて、証人喚問の中では、学校教育の場において君が代が歌われたか歌われなかつたかが非常に問題になつたわけです。そこで私はこの際関連して承わつておきたいことは、この君が代の取扱いについて文部省は新たに通諜なり或いは指導なりする用意があるかどうか、と申しまするのは、あの証人喚問に端を発して、新聞に報ぜられた事例を見ますと、各学校においてはそれぞれその取扱いに迷つていると思うのです。それが質問の第一点。  それから第二点は君が代は国歌であるというふうに積極的な線を規定したことがないように私は記憶しておりますけれども、これは文部大臣としては、君が代をどういうふうに、いわゆる国歌であると見ているのか、国歌では別にないというふうに判断されているのか、これが質問の第二点、仮にこれを積極的に国歌であると規定しないとするならば、文部省自身は将来民主日本にふさしい国歌を制定する用意があるかどうか。まあ構想があるかどうか、これでもうよろしいわけです。もう一度繰返してみますと、偏向教育事例に端を発して、教育の現場においては君が代の取扱いに相当問題を起しておりまするから、文部省としてはこれに対して通諜乃至は指導のようなものをする用意があるかどうか。  第二点は、私の知つている限りでは、君が代を積極的に国歌であると戦後断定したことがないように思うのであるが、文部大臣としてはこれをどういうふうにお考えであるか。  で、第二点の質問に関連して、これが国歌と積極的に文部省も認定しているわけではないということと相成れば、将来国歌というものについて新たに構想を以てこれを制定せられるような意図がありや否や。  この三点を私は須藤君の質問に対して是非承わつておきたいと思うのです。というのは、非常にこの学校教育を預つている人たちにとつては、これはどうしたらいいのだかというので迷つているからです。私のところへも二度も照会が来たのです。何ら意図なく君が代を歌わなかつた事例があるのだが、今後は積極的に何を省いてもやはり君が代を歌つたほうが妥当であるとあなたは考えますか、是非指導して下さいという通知を受けているわけです。念のために伺つておきます。
  89. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 君が代を歌わなかつたからと言つて、それがすぐ偏向教育を思わしめるものであるというふうには私は考えておりません。ただ事例としてお手許に出したものは、君が代を歌うななどというようなことを言う者は、もうすでに教育者たるの資格はないのだ、そういうことを言う者は……、というような論議があつた。これはまあ例によつて事実無根であるかどうかはこれは別論としまして、そういう考え方の先生の手によつて偏向教育は行われているのじやないかということは、私は一応想定し得る、こういうふうに考えております。  それから君が代についての、戦後において通牒とかそういうものを私は詳しく存じませんが、天野文部大臣のときに、文部大臣の談として、祝日その他においては日の丸を掲げたり、或いは君が代を歌つたほうが望ましい、こういうことを言つておられたようであります。これが日教組内における共産党のフラク活動のほうで採上げられて、日の丸、君が代教育に対する抵抗という線が出ているのは、まあその関係ではないかと思います。これは私の想像であります。  それから君が代が国歌であるか……。
  90. 相馬助治

    ○相馬助治君 いや、それでどうしますか。大臣は直接今どうか、通諜か、指導かしようと思つておられますか。
  91. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) いや、私はそれでいいと思つております。従つて歌えとか、歌うなとか、そういうことを改めて言う必要はないと思います。私はこの前のこの国会に、先ほど須藤君の御質問に関連して読上げたときにも、答弁があつたのでありますが、これが、こういうものを無理に歌わせると言つてただ形式的に歌わせても、これはしようがないことだ、こう思うのであります。皆が心から国を愛し、民族を愛する気持から期せずして斉唱する、皆が進んで歌う、こういうことで初めて私は意味があるものと思うのでありまして、その意味のことは、先ほど私は特別国会における答弁の速記録を読上げました中にも、その意味のことを申しておつた積りであります。それでこれを強いて必ず歌えとかということに、それを指導する必要はないと思います。やはり教育の状態と睨み合わして一向差支えないものと思います。強いる必要はない、こう思つております。  それからこの国歌でありますが、これは君が代は私は形式的に国歌と制定せられたものかどうか、その辺はつまびらかにいたしません。併し少くとも過去数十年に亘つて、一般的にこれが国歌として認められており、国歌として取扱われておつた。これは争うべからざる事実であろうと思います。従つて形式の如何を問わず、とにかくこれは曾つて国歌であつた。こういうことを言つて差支えないと思います。そしてそれが国歌としての地位をはつきり失墜しておるかどうかという点は、これは私も詳しいことは存じませんが、一応とめられたということはあつたように伺つておりますが、併しこれはすでに天野文部大臣の談にもそれが解除せられたということがあるのでありますから、これは国歌としての地位を失墜させた、占領軍の手でやめてしまつた、こういうのではないので、歌うことをとめられた、こういうふうに私は承知しております。従つて、私の理解するところでは、君が代は殊に今日独立国となつた場合におきましては、やはりその国歌としての地位を今日なお存続しているものである、こういうふうに、私は考えております。第三点は、従つてそれによつて御承知願いたいと思います。
  92. 相馬助治

    ○相馬助治君 念を押して質問をやめますが、現在もやはり国歌の位置を持つているものであると考え従つて新たな国歌を制定するというようなことは文部当局としては考えていない、かようなことですね。
  93. 松原一彦

    ○松原一彦君 私は漸く数日来からこそ、ここに坐つているものでありまして、実は病気のために余りよくこの問題を理解しておらんのでありますが、文相の御説明によつて日本教育を、偏向のない正しいものにしたい、そうして教育者をば、あらゆる権威や絆から断ち放して、自由に情熱をこめてその責務を尽すことのできるようにしたいという、こういう気持で以てこの法案が出されたものであるということに理解いたしたのであります。私も教育出身の者でありますために、戦後の教育の在り方並びにこれが如何に実践せられるかと、いう方法等につきましては、文相が今お求めになつている通りに考えているものであります。そういう意味におきまして、先般来の質疑応答を聞いておりますというと、日教組の系統におられる議員のかたがたといえども偏向教育をやつていいという者は一人もおらん。ただその事例偏向でないかどうかというところに認識の差があるものと私は見ております。こうなりますというと、問題は如何なるものが偏向であり、如何なるものが偏向でないかということの吟味になると思うのでありますが、その点につきまして私には少し違つた角度からお尋ねしたいことがあるのであります。私は教育中立性なんていう言葉はどこにもないように思う。どの政党にもこだわらないで中立した教育を行えと言うても、これはどうにもならない問題ではないか、曾つて戦前に大連文相もよく御承知の通り、文相が福井県知事等をしておいでなさつた当時、日本には二つの政党があつて、政友会、民政党、これが組んず、ほぐれつ地方を混迷に陥れたことは、はつきりした事実でありますが、その当時、日本の地方における教育者は全く困り果てたことを文相いま一度思い出して頂きたい。田舎では政友会でなければ民政党であります。民政党でなければ政友会であつた当時に、学校の先生は投票を行うことにすら、もう非常な悩みを持つた。今日でも同じでありますが、この村からは政友会が何票出る、それが何票多かつた、あれは学校の先生が裏切つたのであろうといつたようなことで、もう学校の先生はいつでも天王山のようなふうにどちらからも狙われたのであります。その結果教育者は困じ果てて、政党には関係するなということで政党から関係を絶つてしまつた。そうして教育者が閉じ籠つたものは何かというと、朝に君が代を歌い、教育勅語を捧読する天皇絶対の考え方を持つた教育に没頭したのであります。政党というものに触れたがらなかつた。尤も、あの当時の政友会、民政党にはイデオロギーはない。ないけれども、どちらにも与するわけにも行かないから、政党から離れるということになつて、超然とした教育者のこの政治観が生んだ結果が何であつたかは、御記憶になつておると思いますが、つまり批判のない、国民に権威のある批判のない政治が行われて、そうしてついに政友会、民政党共に国民の信頼を失墜して、そうしてそれがどこで統一せられたかというと、軍部の手にかかつてしまつたのであります。翼賛政治会ができて政党はなくなつた。軍部一元のこれこそ超絶対無批判の政治が行われて日本が亡びようとしたのであります。文相に対するここで私まあ質疑応答に名を籍る形になりますけれどもが、それは一国の文政の責を負つていらつしやる文相として是非聞いて頂きたい。私どもは天皇一元の教育に没頭して実はいい気になつておつたのであります。それが結局日本を亡ぼす結果になつた。私昭和二十一年の春、たまたま朝日新聞に出ました記事に非常な深い衝撃を受けたのであります。それは、比島の戦線で日本兵によつて仆されたる一米国兵が、その臨終に際して言い置きをした。遺言を残したが、それには、自分はここで戦死する。日本兵のために討たれて戦死するが、死ぬというと、アメリカ政府から一万ドルの賜金がある。であるからして、この給与をば自分の出身の大学に供託して、それで以て、戦後に日本のうちから日本教育をやり直すための青年を養つて欲しい、日本教育はミリタリズムの教育であり、戦争謳歌の教育である。その結果がかくのごとき世界の禍となつた。日本教育を根本からやり直してもらうために私のこの戦死に基く賜金を母校に委託すると、こういうことであつたのであります。私はこれを見て、日本教育を戦争謳歌の今日までの態度から一変して、平和建設の教育にするために使つてくれろと言うて死んだ。この一兵卒の気持に私は心からなる慙愧を覚えた。我々の教育はこれは根抵から間違つておつた、やり直さなければならないという慙愧を覚えた。たまたまそのときに続けて一つの記事があります。比島の戦線に徴募兵として参つた一人の青年がどうしても自分は人殺しはしない。自分はクリスチヤンであるからして、鉄砲を持つて人殺しはしない。それだけはどうしてもできないという。兵隊で人殺しはしないということには行かない。鉄砲を打たないというわけには行かないから、前線に出ろ言うたけれども、どうしても聞かない。兵役の中でも人を殺さない仕事があるに違いないからそれをやらしてくれろと言う。それでは仕方ないから衛生兵をやらせようといつて、彼に衛生の仕事を言いつけたならば、彼は粉骨砕身して傷病兵の看護に尽した。戦争を終つて、後に司令官は彼を呼び出して最高の論功をし、そうして若し世界中お前のような者のみであつたならばこれは戦争のない社会ができるであろう、お前のようなのは本当の正しい人間だと言つてこれを大いに褒めたたえたという記事を読んだのであります。私はこれに、もう打たれたのでありますが、先に申しました一兵士の一万ドルの賜金には後日物語りがありまして、その後新聞を気を付けておりまするというと、果して、大学の名は忘れましたが、アメリカのほうから、日本に交渉があつて、司令部を通してその選に当つたのが、海軍の特攻隊の生き残りの中尉であつたと思いますが、これが選に入つて、向うに渡つて学業を卒えたはずであります。多分帰つて来ておるだろうと思います。教育者であつたものが、その教育の誤りから、本人たちはいい気になつて政治というものに対する批判を忘れ、自国の将来をも考えない思い上つた一方的な考からこの結果を生じたということに対しては、教育者としては、私は身も世もあられんほどの懺悔、悔恨に打たれざるを得なかつたのであります。ところが終戦後におけるあの憲法の改正、これが夢のような、歴史上未だ曾つてない一つのアイデアを盛上げたものであつた。これに基いて教育基本法も生まれ、日本にあらゆる制度が新らしく生れましたが、これは全く前例のない、戦争を放棄して平和なる文化国家を民主的に作るという、これに尽きておる。こここに我々教育関係者は全く大きな救いを見出した、これこそ教育の大道であると信じた。命を傾けてひたむきにこの史上前例のない新憲法の下に教育の道を進めることが最も尊い使命を果すものであり、教育の本道ここにありということをば歓喜を持つて迎えたのであります。私は文相がえらい心配しておいでになるところの偏向ということを中道とは思わないのであります。私は共産主義もある、いわゆる社会主義もある、資本主義もあれば協同主義もある、いろいろあります。政党を通ずるところの共通の道だと思う。普遍の原理だと思うのです。普遍の原理であり、日本の国民が向う道は最高の法規である憲法が示し、その他いろいろの法規によつて示されたるもので、目的は平和なる文化国家を如何に民主的に実現するかということにある。各政党のとつておるものもすべて目的はここにある。ただ方法が違う、順序が違う、急ぐか急がないかによつても違う。そこで教育者のとる態度は、目標をこの理想に掲げてこれを実現するために最も正しい、最もこだわりなく、過ちのない道を歩むということでなくてはならんと思います。暴力を用いてはならん、又国の法律に背いてはならん、その国の秩序を守らなくちやならない。たまたま時の政府、つまり政党責任内閣でありますから、保守党の責任内閣ができれば保守党の政策が現われる。この政策が仮にこの目的を遂げるためにあらかじめ障害をなすがごとき姿を以て現われたときにはそれはよけて通ればよろしい。目的だけは見失わないようにしなければならん。これが私ども教育者の理想を掲げて現実を歩むものであろうと思つて私は今日まで参つておる。然るに文相が、時勢に鑑みて日本の五十万の教員が歩いている道に大きな偏向がある、これを指導しても直らない、説得をしても言うことを聞かない、法律を以て、刑事罰を以て臨んで、強制的に一つの道を歩かせようと言わるる態度をとられたこと、これは理解せんじやない、一応そう思います。そういうところもありますよ。私は口を開けば日教組の諸君に対して行過ぎを説いて参つておるものです。偏向があると思います。けれどもその偏向とか、その行過ぎとかいうことはあつても、極めて少いものであつて、大多数の教育者は私は大きな、平和な文化国家を民主的に作ろうとするところの目的に向つて突進しておるものと思う。たまたまそれが共産主義の説くところと、或いは社会党の諸君の説くところと、ときには保守党と言わるる人々の説くところと一致する場合があるかも知らんけれども、これは不変の原理に基いた目標であつて、やがては国を超越したる世界連邦にまで漕付けなくちやならない。特にこの目的を遂げるために骨子となるものは私は憲法第九条に示すところの戦争放棄だと思う。殊に原子爆弾が現われ、水爆が現われて、原子兵器の戦いとなれば戦争によつて絶対に破れます。もう考え直す余地がない、暴力中の暴力であります。キリストの言うように剣を以て戦うものは剣を以て死ぬのです。共産党が革命によつて強引にパラダイスを実現しようとする、これを嫌つた自由主義の諸国がその船方を嫌つて作つた原子兵器が自他共に亡ぼす結果を招来した。私はそういう意味から申しましても、この理想はどこまでも平和なる文化国家を作ることであり、而もそれは何千年来仏教でも、キリスト教でも、儒教でも、あらゆる哲人、聖者を通しての人間の悲願でありますから、これがそんなに今日言うて明日できるものとは思われないのであります。こういうところから、この目標を貫くために、普遍の原理であるこの目標を掲げて如何に歩むべきかということをば闡明することが、教育を進め、そうして日本の新らしい憲法の精神に副うものだと、私はこう信じておる。であるからして、若し行過ぎがあり、過ちがあるとしたならば、これを改め、ひたむきに若人がこの理想に向つて突進する熱意をさまさないようにして頂くことが私は文相の責任じやないかと思う。果してかくのごとき法案を出されて高飛車に臨まれることが利益であるか、不利益であるか、私はこれをここでみつしりと考えて頂きたいと思う。  私のお尋ねしたいのは、文相は新らしい時代の教育者が過去の過ちを反省してやり直しの教育、而もそれは我が最高法規である憲法が求め、世界の人類が共通して望んでおるものであるという自覚の下に進もうとする頭に、冷水を被せられないだけの御用意があつて欲しい、私はこう考えて、更に続けて何が行き過ぎであるかということをば申して、文相の御意見をも質したい。今までの私のこの考え方について文相の御所見を伺います。
  94. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 教育中立性、これは御承知の通り基本法の規定してあるその内容を中立性という言葉で表わして、便宜そういう宵葉を使つておるということであります。この中立性ということ、これは今仰せられましたと同じように、私どもとしましてもただ右にも左にも動かさずに、真中にまあ凝然として立疎んでおる、さようなことを考えておるわけではないので、本来が批判力の豊かな判断力のある自主的ないわゆる良識ある公務員としての必要な政治教育ということを養わせるということが目的でありますから、従つてその限りにおいてはこの政治的な教育におきましても、自由な教育が、活溌な教育が望ましい、これは私どももさように思うのであります。政治上の各種の主義思想、これもそれぞれ対象である児童生徒の発達段階に応じまして、これは非常に大切なことだと私は思う。児童の知能の発達する段階に即応して慎重な用意を以てされなければならんけれども、併しながら人類社会において今まで現われておる政治上の主義、思想というものが、やはり子供教えられ、子供がさような知識を持つということが、やはり批判力の基礎でありますから、その限りにおいては自由活機な教育が行われなければならん、かように考えております。ただ、その場合において結局特定の政党の支持を、更に言葉を換えて言えば、特定の党派的勢力の伸張、若しくは特定政党の立場を推進すると、こういう意図を以て教育が行われてはならん、こういうふうに私は考えておるのであります。その場合に、その限界がどこにあるかということは、これ事実上なかなかむずかしいものであるということは、私もさように思います。ただむずしいからといつて、これは極めて重要な点でありますから、いやしくも教育を通じて特定の政党の勢力の伸張若しくはその党派的勢力を推進するという具に供せられて、そうしてこれを受けるところの子供が偏つた、偏見と申して語弊があれば、その将来の政治的生活若しくは思想の上において、子供の時にすでに方向ずけられるという結果を生み出すということは、これは誠に恐るべきことであると思うのであります。であるからして、その点をどうしても確保しなければならん、かように私は考えております。従つて教育者が「自由な立場で、偏らざる立場で以て、この政治的な或いは思想的な教育をされることは、これは極めて望ましいのであつて、真中に立竦んでいて手も足も出ないという状態であつてはならんと思うのであります。であるからして、このたびの法律案におきましても、教育者教育活動そのものを直接対象として、これに刑罰を以て臨むというようなことは特に避けました。避けましたのは只今申上げるような意味において、教育者のそういう教育意欲というものを、これがために減殺するという結果があつてはならん、かように考えたからであります。ただこの法律の目的とするところは、さような、教育者が自主的に自分の良心、良識に従つてなすであろうところの教育を外部から特定方向に持つて行こうとする働きかけがあるとするならば、この働きかけを抑えることが、いわゆる教育の自由、教育者の自由なる立場というものを擁護するゆえんであると私は固く信じておるのであります。今松原さんのおつしやつたように、成るほど日本学校教育における偏向というものがどの程度のものであるか、これは実際はわかりません。或いはお話のように一部に現われておる現象に過ぎないかとも思われるのであります。併しながらこれがその先生方のたまたま持つておられる考え方というものが、自然にそこに移つて外部から見て偏向であるというふうに見えるという程度であれば、私はこれは要するに教育者の良識に待つて然るべきものである、これを一々そう神経質に騒ぎ立てなくてもいいものじやないかと思います。併しながこれが外部から一定の計画的な、組織的な意図を以てなされるところのいわゆる教唆、扇動によつてその結果がそこに現われておるとすれば、これは私は軽視すべきものではない、こういうふうに考えておるのであります。そこで私の考え方といたしましては、決して教職員にこの法律によつて冷水を被せる、こういう考え方は毛頭ないのであります。特例法におきましても、先生自身が比較的に政治的に中立立場を保つておられるならば、その先生の良識によつて活溌なる政治教育をされることは私は差支えないと思う。その良識によつてやられることは。併し先生自身が非常に政党或いは政争の渦中に身を投ぜられて、勢い強い政治的立場を持つておるということになると、これは人間でありますから、幾ら自分では公平に教育をするつもりでも、おのずからそこに党派的な傾向が現われて来る虞れがある、であるからして先生のいわゆる個人的にも強い政治活動というものは、これはしてもらわないことにする、それによつて先生が比較的政治には、これは無論自分としてどの政党がいい、どの政党が悪いということを考えられることは当然でありますが、併しその政党の党勢拡張とか或いは政治的勢力の伸張、政策の推進ということに非常に熱狂される立場をやめてもらうことは、自然にそのなすところの教育の上において、御本人としては自由に教育をされても、おのずから時を越えることのないような結果をもたらすであろう、これが特例法の趣旨であります。それから本人はそうでなくても、外から相当強い影響力或いは支配力というものを及ぼして、計画的に、組織的に一党一派に偏した教育を行わせようとする動きがある、これは先生方に対して何らの萎縮を与えるものでもなければ冷水を被せるものでないことは勿論であります。むしろこういう影響力を排除することこそ、先生を教育者として自由な立場に解放するということであります。これを阻止抑制するということは、これは教育に対する圧迫でもなければ教育者に対する桎梏でもない、むしろ教育者に対してそういう不当な支配、不当な圧迫が加えられるその圧迫を排除しようとすることでありますから、これは私どもから言うと、これは教育の解放であると思つておるのであります。ただ先生方に特例法の規定に従つて今度のまあ法律案が成立した場合に、先生方が選挙運動その他の政争の渦中に余り深入りをされないことにしてもらう。この点はそういう点が生じます。これはやはり教育者としてはそういう立場をとつて頂くことが教育というものを先生自身が虚心に自由に教育をされて、而もいわゆる中立性を侵犯するに至らない、いわゆる埓を越え、限界を越えることのないようになる基本であると思うのであります。而もこれは必ずしも教育者だけではないのでありまして、一般の公務員の場合におきましても公務員自身が、役人なら役人というものが非常に深入りした自由党の闘士である、共産党のオルグであるということであれば、どうしてもその仕事の面に、公務の上においてそこに偏つた処理というものが現われて来る。これは人間であるから或る程度やむを得ないものである。でありますから普通の公務の場合においても、役人にはそういう強い政治的な活動は控えてもらう、こういう立場であつて教育の場合におきましても、かようなことをしなくても済めば問題はないのであります。問題はないのでありますが、今日とにかく偏向教育というものがあるという認識に立つ限り、これはやむを得ない措置であると私ども思つております。偏向教育というものが、これは極めて個然にその先生が何ら政党的な考え方を捨てて、ただ人間思想、社会に現われた思潮としてそれを教えられるということであれば、私はこれを強いて採上げなくてもいいと思います。併しながらいやしくも特定意図を持つてするさような偏向教育が行われておるということである限り、それが程度において、或いはその範囲において仮に少いものであつても私はこれは看過すべき性質のものではない。教育を具として子供の将来を方向付け、又教育を具として特定政党の勢力を伸張せんとするがごとき事柄は、これは数が少くても父兄にとつてはかけがえのない大切な子供であります。少々のことぐらいはいいじやないかと言つて済ませるべき性質のものではない。そういう意図を持つてなされる限り、それは数が少くても、ケースが少くてもこれは阻止しなきやならん。その意図でない、自然にそういう教育が行われたということであるならば、私はそれは先生方の自粛自戒に待つ、良識の成熟に待つ。或いは先生方の勤務を見ておられる教育委員会あたりが注意をされる。或いは職務上の措置をとられる、そういうことで結構であろうと思います。併し特殊の意図を持つてなされる限りは、その偏向教育というものがどの程度に瀰漫しているかという問題は仮に少いからよろしい、放つておいてもいいというものでは私はないと思う、かように思つております。
  95. 松原一彦

    ○松原一彦君 これはいろいろ問題がありますから、もう少し時間をかして頂きたいのですが、文相のそのお考え方は大変都合のいい議論であつて、割切つたようでありますけれども、これは非常にむずかしい。これは政党論から私は行かなくちやならん。文相はやはり吉田さんが言わるる通りに二大政党を理想としておいでになりますか、これから一つ伺いたいと思いますが、政党は二大政党であるべしというお考えでしようか、或いはイタリーやフランスのように多元的な異質の政党がたくさんあつてもいいというお考えでしようか、どちらでしようか。
  96. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は一体政党を二大政党でやつたほうがいいか或いは多元的な政党でやつたほうがいいかということは、国民の政治的な考え方、つまり国民の持つておる政治思想が政党の形をとつて現われて来るのでありますから、だからしてそのときその場合においてきまる筋合のもので、必らず二大政党でなければならんとか、こうでなければならんとかいうことであるものではない、かように考えます。ただ望ましいことは国民の政治的な常識と言いますか、政治的な感覚というものが大体統一せられて、そうして比較的進歩的な考えをする考え方の人々、それから割合に保守的な考えをする人々、こういうふうに大体統一せられて、そうしていわゆる政治の土俵というものがそこできまれば、これは二大政党という形で政策が、政局が推移して行くということはこれは望ましい状態であろうと思います。併しながら国民の思想そのもの、国民の政治的な動きそのものが極めて多元的であり、場合によつて混乱も考えられるようなそういう特殊の時代において、これを無理やりに二大政党ということにする、これは私は技術的な問題じやなくて、政党というものは国民の政治的な思想の結局現われでありますから、その基本になつているところが大体においてあんまりひどい逸脱なしに、極端な考え方をする人が少くなつて、凡そ土俵がきまつて来れば、そういう安定した政治良識というものがここに芽生えれば、その場合に二大政党というものは健全に発達するものである。そういう場合が私は望ましいと思う。
  97. 松原一彦

    ○松原一彦君 文相は大変そのような態度を以て御覧になつておるようですが、併し吉田さんは議会ではつきり二大政党が望ましい、社会党を育ててやるという言葉言つておいでになる。又現に只今自由党の側では自由党を解党して選挙を待たないで、国民の批判を待たないで、国民が何と考えておるかということを超越して今新党を作ろうとして現に急いでおいでになる。改進党も無理心中を仰せつけられかけておるのでありますから、私が部屋に帰つてみると私のいるところがなくなつているかも知れませんけれども、そういうふうに今のお話は国民の政治的政策、主張によつて政党はおのずから生れる、これは私はそう解釈する。それならば日本の現状は多元的な異質の政党ができるのが本当だと思うけれども、今文相のお考えの一党一派に偏らないところの教育と言われますが、若し保守政党のほかの政党、村会党が内閣を作つたとしたならば、更に共産党がここに政権を握つたとしたときに、一体寛容な態度を示すものであり得るか。一党に偏らないなどといつたようなことは言われるものかどうか。私は自由党がリベラリズムの立場から、まあいやだけれども社会党を育ててやるといつたようなふうに、まあにが虫噛みつぶして言つてはおいでになるものの、私は社会主義の政党なんというものは、これは無産階級ができた結果発生したものであつて、育ててやらなくたつて生れる。而もこれは鬼子であつて成長したならば保守政党なんというものは食つてしまう。親孝行なんてしやしません。であるからして、階級闘争を朝から晩までやつておる。そこで文相のお考えになつておるのはリベラリズムの上に立つた一つの寛容な民主的な政治のあるときにおいてのみ言われることでありますが、それにしましても私は若し政党の支配的なものの考え方、方法論を教育の上に何も表わさないような要請ができるものでしようか、どうでしようか、例えば文相は自由党の党員即ちあなたなんです。これを党員でない高所大所から日本教育を、事態を超越して一貫する平和なる文化国家建設の大道の上にのみおくような文部大臣があり得るでしようか、どうでしようか。まあ申せば吉田内閣の第一次の文部大臣は御承知の通りに下条康磨氏、その次が高瀬荘太郎氏、ともに緑風会であります。これはまあ比較的中立の形を持たれた人であります。第三代目はこれは全然無所属の天野貞祐氏、ところがどうしてもそれじやいけなくなつた。そういうような超越した文相ではいけなくなつた。一方では日教組も相当強くなつて来た。そこで岡野清豪氏がそのあとを継がれた。これはもう立派な自由党の党員であります。更にそれでもいけなくなつたので豪の者であるあなたがお出になつた。もう生ぬるいことを言つてもおられなくなつたのです。自由党で教育が方法論の上においても目的においても実現しなければおられない。しなかつたら承知しないぞ。まあ私は目標はどんなに言葉を飾られましても、これは共産党に対するところの反撃である。自由主義に対しては共産主義は容れられませんから、そこで事柄に寛容に、共産党が日本には合法政党として残つてはおりますものの、アメリカでは殆んど許されない。マツカーシーイズムはあらゆる面から共産党を葬ろうとしている。恐らく文相も肚の底はそこにあるのじやないですか。私は日本が共産党を合法政党としておつて、そうしてこの議論がこのような寛容な態度を押し通されるところに無理があるわけです。それならば共産党だけは非合法にしてしまわれるほうがよくはないでしようか。私はそんなことを大胆に希望するのではないけれども論理上そうなつて来る。若し私が今政党の在り方についてお聞きしているのですけれども、できれば、大達文相は、やはりアメリカの二大政党のようにありたいというお気持じやないかと思う。同質の同系統、いわゆる昔の政友会、民政党です。そのほかの政党はないがいいのです。イギリスとなるともはや違う。これは労働党と保守党は全然異形の、異質の政党でありますが、どちらを御希望なのか知りませんが、同じ二大政党でも在り方が違う。日本の政党をイギリスのような形に持つて行こうと言つてもこれは不可能であります。イギリスには極右もなければ極左もない。従つて政策は、保守党の政策は進歩的であり、労働党の政策は極めて穏健、漸進的でありますから、お互いに求心的に真中に寄つて来ているので、その境目がわからない。今あなたがたが保守の大同団結を策士て新党を作ろうとしておいでになるが、改進党の左の端は、これは資本主義を批判して協同主義の原理に則るということを謳つておる。そうしてこの若干の人々は、常にデンマークの協同主義をとり、スエーデンのあの社会福祉国家をば意識して、よほど自由党の諸君との考え方の上には差違がある。資本主義の系統の上には流れておつても、質においては違う。それをも一つにまとめてしまつて、保守を一つの下に固めるということは、やがて一方に社会党を一つに固める動きとなる。現に社会党はもう次の内閣を受取る気で用意しておられるように見えます。そうなると日本の二大政党というものは、遠心的に離れまして、求心的に寄つて来ません。この政策は相容れざるものである。氷炭相容れざるものとならざるを得ない。今土俵を作つて、そこで公正な闘いをやると言われますけれどもが、政友会や民政党時代、アメリカの共和党、民主党ならば、一土俵で争つて、右が勝とうと左が勝とうと、私は、政治の面には異変は起らんと思うのです。イギリスでも起りません。政策は似たようなものでありますから、天変地異のようなことはない。若しこの次の、現に今何日か後に、或いは社会党以外の一切の革新勢力というものが一つになつて政局安定内閣を作り、汚職に明けて汚職に暮れるという国民不信時代に選挙したならば、私は国民はどう動くかわからん。動いた結果がこの一つの土俵の上に現われて闘いをしたときに、これは勝負がつくのです。ついたら戻つて来ませんですよ。革命ですよ。そのときにこの法律が役に立ちますか。この法律は私は空想だと思う。むしろそうじやない。むしろデモクラシーの本義に則つて、文相が命をかけてマツカーシーの真似をなさらないで、もつと徳を以て説得して腹心を開いて教育の大道をこの一方的なものにしないで進める御意向があつていいんじやないか。私は共産主義に対しては先般も申した通りに、これを非とするものです。何となれば、自分考えだけを、イズムだけを絶対だと言うのです。勝負の余地を見せない。それは神様以外にそんなものはない。我々は永久に生成発展、真理を求めて進もうとするのに、従つて我々のデモクラシーは相対的であります。よりよき意見を容れて行く、資本主義が決して今そのままの形では伸びておらん。アメリカでも社会資本主義とか、或いは社会自由経済とか言つて、資本主義の一つ方向を与えている。変つてつている。でありますから、いざとなればすぐ権力を以て、処罰を以て一方的に固めて行こうという……この寛容な無限の発展を民主的に築いて行こうという国の態度は、私はかようなせつかちなものであつては困ると思う。せつかちな点において文相のとられる今回の態度もせつかちだ、又行世ぎであるということを私から申上げたいと思うのですが、教育者の一部が直ちに共産党のこのイズムに幻惑して明日にもパラダイスができるように考えることも又私は行過ぎだと思う。それは中国では蚤も蚊もおりますまい、泥棒もいますまい、失職者もありますまい、それは日本の中にあります。刑務所の中はその通りです。刑務所の中には失職者はない。同じ食物を食べているけれども思想の自由はない。死ぬほど苦しい。(須藤五郎君「違う、違う」と述ぶ)幾らパラダイスのように見てましても、あの通り去年やつて来た多摩の全生園の癩の患者の君は、もう政府が家族一切養つてくれるに入つてみると実に今日はいい薬ができて、髪の毛も生えて、飯も食わしてくれる、着物も着せてくれる、高等学校までも作ろうとしている、今は中学校までですが……。そして野球もあればテニスもできる。熊本の惠楓園のごときはオーケストラまである。それなのにどうしてもあそこにいるのがいやだ、我々に行動と生活の自由を与えよ、これがあの人々の要求であります。貧乏でさえなければ、それで人間の理想が遂げられるものではない。自由のないところにはおられやしない。私は民主的な自由主義を要求するが故に、今日お出しになつた態度にせつかちな、如何にも法律によつて片付けようとせられることを遺憾に思うのです。失う部分が非常に大きい。現に私のところに昨夕参つたところの、たくさんの葉書の中から一枚抜き出してみると、実に庭心的な手紙なんですが、「私どもの良心に従い、教育の本質を見究め、父兄と共に子供たちの真の幸福を願いつつ、国民の、指摘せられる誤れる点は十分反省し、強く進んで参りまますけれども、この法案は刑罰を以て戦前のごとき無気力な教師を作り上げ、無批判な子供を作り上げる虞れが実に多いように思われてなりません。我々はどこまでも反省もします。自粛もします。併し教育の本道を命をかけて進もうとする、この意欲を抑えないで頂きたい。」こう申して参つておる。与党の諸君も考えて頂きたい。これは現に皆さん御承知の通りに徳田君以下の人々をば殆んど非合法のごとく抑え付けられた結果どうなりましたか、皆地下にもぐつてしまつて、今日まで出て来ないでしよう。政府は手も足も出ない。共産党を非合法にしないゆえんのものは……共産党が地下にもぐつたならばどうにもならない。戦術はますます熾烈になる、手を変え、品を変え、千変万化、須藤君のようなおとなしい人は珍らしいのであります。(笑声)私は本当に珍らしいと思う。須藤君はえらそうなことを言つたつてちつともえらくない、一向共産党的でない。(一方的解釈だな」と呼ぶ者あり)  私は批判することをやめますが、政治にゆがみを持たせないように、例えば、私はこの間も申しましたように、今教育者が一番失望をいたしておりますことは、あの新憲法で太陽の輝くように、世界の歴史にないところの人類の悲願を、戦争のなき平和と文化国家を作ろうとするその大目的に向つて行こうとする際に、何とかかとか名を付けてごまかしの軍隊を作つて行くという、あの態度なんです。ここにそれをまつとうな正直な者が一体黙つてみておれますか。(「その通り」と呼ぶ者あり)如何にごまかしたところで、これは軍隊でないと育つたところで、大砲を引張り廻つておる。王様が大人たちにごまかされて裸で町を廻つた、子供がこれを王様は裸で歩いているといつて笑つたという話があるが、大人はごまかせても子供はごまかせない。これは明らかに軍隊なんです。併しながら私は今の教育界の人々が平和がすぐにもできるように考え、一方的に軍隊を持たなければ直ちに日本が平和になり、世界も又平和になるというこの考え方は誤りだと思う。戦争は相対的なものであつて、一国だけではできない。一国だけが幾ら戦争をすまいと言つても襲つて来れば仕方がない。「自衛は一つの生命の本能です。瞼が目を閉じるように本能であります。本能に従つて自己を守るという正当防衛はこれは当然の権利であります。戦争はせん、最小限において自己を守るということはこれは当り前だ。それをも否認して大いに理想を今眼前に現わそうとするところに教育者の短見があると私は思う。又先般も地方から来た便りの中に、学校の先生が父兄会に来てこういうことを言われた、我々は断じて戦争はさせん、我が教え子は二度と戦争にはやらん、私は自分の子が兵隊に行く、戦争に行くというならば、足をぶち折つてもこれを戦場には送らんと、こう言つたというのです。するとそれを父兄は聞いておつて非常に腹を立てて、一本何を言う、祖国が亡びるというときに一体何という態度だ、私は自分の子がびつこならば松葉杖をつかせてでも戦場に送ると言つてここで喧嘩になつた、これは見解の相違でありますが、戦争をやらない国を作り、教育をするということはいいけれどもが、我が子の足をぶち折つても戦場にやらんというのは行過ぎなんです。我が子の人権を尊重しておらん。たとえ我が子でも足を折る権利は親にはない。私はそういう行過ぎを恐れる。方法論的行過ぎだと思う。中国に理想の天地ができていると言つてえらい渇望をしている。そうかも知れません。私もあの殷汝耕夫人が体験している話を聞いたのでありますが、蚤も蚊もいませんし、犬も泥棒もおりません。好漢もおりません。実に見違えた天地になつております。それなのになぜあなたはお帰りになりましたかというと、私はいやです、私はやはり違つた着物を着たいし、違つた色のものを着たい、そしてもつとのびのびと自由に生きたいから帰つて来ました。それをこれが教育の理想であるというので、直ちにもうすぐ日記に書くところに私は行過ぎがある。ここにも無批判な追随がある。今度できる政府がどういう形において生れるか知りませんが、私は昔の保守党のごとき、或いは政友会、民政党のごときものが若しできるとしたならば、これはよほど戒心しなければならん。そして常に大目的を忘れない、政治にも批判を加え得る教育者を持つことが、私は大きな長い眼で見て民族のために、世界のために必要だと思う。文相も熱意を傾け、命を賭けて恐らくこの法案を成立させようとしておいでになられると思う。その目的は日本のためであり、世界平和のためである。若し誤つておつたならばお改めになつてもよくはないか、私もこれからあとに結論が出ますから、それまでの間になお御説明を請うて、私の考え方が誤つておつたならば私も改めます。あわてることはないと思う。日本教育の長き命のために使命を果す最高の方法をここで結論付けたいのです。私が日教組の諸君に常に言つておることは、その国の秩序を守れということです。その国の法に従つて行動する。校長がとめるのも聞かず、教育委員会が承認しないのに、学校の振替え授業を教員でやつて職場管理を行うごときは、これは行過ぎなんです。共産党になつ人間が何人かおりましよう。五百何十人かおると言いますが、その人らははつきりしておる。行過ぎも何もない。やらなかつたら当人はリンチを受けるでしよう。(「冗談言つちやいけない、そんなでたらめは言わんほうがいいですよ」と呼ぶ者あり)党員には一つの指令がある。命令があつて動いておる。誰からも奨められはしません。党の掟によつて動いておる。五百何十人の人々はどこかから、その指令は教員の組合を通して来るのもあろうが、通さないで来たほうが多いと思う。通さないで来たときにはこの法律には引かかりはしません。よほどお考えにならなければならん点があつて、長い将来をどうか一つ皆さんと共に考えて頂きたい。我が五十万の教育者、国の前途を、文化の進展を、そうして平和を築く使命を持つて、一番大切な次代の国民を育て上げようとするこの人々に、失望を与えない、この人々をば無気力な、無批判な、ただ月給をもらつて安穏に食つておればいいといつたような堕落した教育者にしないようにいたしたいために、私は深く憂うる余りに病気を押して出て参つておる。切に御考慮を願つて、私の意見に対する文相の御所見を伺えれば仕合せであります。  但し、私はなお幾多の問題を残しておりますから、質問はなお継続するものとして、本日は時間も過ぎておりますので、これで以て質問を終りたいと思います。
  98. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 簡単に所見を申上げます。先ず第一に、この文教というものが、政局を担当するところの政党の考え方から支配されることはないかどうかという意味の、これはお尋ねであつたと思います。これはやはり文教と言わず何と言わず、いやしくもそれが政治の一端である限り、政局を担当する政党の考え方によつて進められる。そしてそれが国会において国会を占めておればその考えによつて進められるものであると、こう考えております。文教といえども決してその例外でなく、又それが政治である限り、全然他の政策、施策と別途に超越した存在ではあり得ないと私は思います。私は、私自身は自由主義を奉じておると自分では思つておるのでありますが、今日の基本法の八条に書いてある政治教育というものは、やはり自由主義の見地に立つてできておるものと私は思います。これが侵されておる懸念がある。であるからして、これを守るための立法であります。この法律は、これは法律でありますから、或いは先ほど須藤君の言われましたように、共産党が政局を担当する場合には、都合の悪い法律は皆変えてやる、こう言われておりますが、それはその通りであると思います。それは政局を担当する政党が真に国家のためにかくなからざるべからず、こういう信念に基く限り、それは私は当然であろうと思う。ところで、私は現在の政府として、この基本法に規定してある教育における一種の自由主義、これを守るべきであると考えるのであります。偏向教育が、殊に義務教育のような子供を相手にして行われる場合は、これは少くとも子供の自由を剥奪するものであります。私は、思慮分別のない、判断力のない子供に、而も子供というものは先生に対してはこれを受取つて教わつてそれを本当にする立場で、いわゆる受入態勢ができておるのであります。先生の言うことを一々批判する立場ではない。先生からものを教わろうとする立場であります。そして而もそれは批判力もなく、判断力もないこれらの児童生徒に対して一方的な教育を植え付けるということは、素地を与え、そういう考え方を植え付けるということは、私はこれは一種の暴力であると思うのであります。決してこれは自由として認めらるべき限りではない。自由というものは、自分の自由と同時に人の自由を侵害してはならないのであります。私は今日偏向教育というものが小学校中学校の場において極端なる教育が行われておるということは、これは教育の自由というものを侵害するの最も甚だしいものであると実はかように考えておるのであります。決して新たなる立法をして教育の自由を抑圧しようとするのではありません。自由主義によつてできておる基本法趣旨を確保したい。基本法が破られて今日先生に、或いは殊に児童生徒の側における自由が奪われておるかのごとき状態である。これを正常な軌道に乗せたいというのがこの法律案趣旨であります。    〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕  私は一体、お言葉がありましたが、極右極左とういものは、これは私の個人的な考えでありますが、嫌いであります。恐らくはソヴイエトにおきましては共産主義は極左というのではないでありましよう。ソヴイエトの人心が実際心の中にどう思つておるか、これは知りません。けども極左とか極右というものは、全体の中の極めて小部分の人の非常に極端に片寄つた考え方というものを私は極左と極右と言うものであろうと思います。これはそれらの人々がそういう考え方を持つておることは何ら差支えない。けれども、その人々が自分らの信ずるところを以て、これが一番いいことだ、国家も国民もこの線で動かされなければならん、この線で引きずろう。つまり僅かな少数な人間が多数の国民を自分考え通りに引き廻そうということは、これは当然に有形無形の暴力の容認にならざるを得ない。少くともその傾向があると私は思う。でありますから、お言葉にありましたような、イギリスのように極左もなければ極右もない、こういう状態であれば、私は国民の考え方によつて政治が動かされて行くのが当然である。極右とか極左とかいう少数の人々が、国民の多くの人間の意思に関係なしに、国家国民を引きずり廻そうというところに、私ども自由主義者から見るとどうしても我慢のできない点があるのであります。でありますから、これは社会主義政党であつても私は差支えない。国民の大部分の、若しくは大きな部分の考え方を代表して、そうしてそれが政党として現われ、又政治の上にそれが反映する。これは私はいやだの、嫌いだの言つてもしようがない。私は自由主義というものはそういうものであろうと思う。それを押付ける筋合のものではなかろうと思います。日本イギリス流の二大政党になると結構でありますが、ただ極右極左の人々にまぜくり返されるような危険の伏在する限り、これはそういう邪悪の動きは、これはひとり教育の面ばかりじやないと思うのでありますけれども、私は文部大臣でありますから、少くとも教育の面に現われておるさような動きというものはこれを抑止するのが当然である、こういうふうに私は考えておる。決してこの法律によつて先生がたの自由を奪おうなどということは毛頭考えておりません。むしろ奪われておる自由を、又子供のために、子供が将来に亘つて奪われる虞れのある自由を回復したい、これが私ども考えであります。  でありますから、どうぞその点は御了承を頂きまして、この法律案趣旨とするところは、決して高圧的に臨むとか、そういうことではありません。政局を担当する政府の文部大臣として今日の基本法を守りたいと、こういうことであります。共産党内閣ができれば、これは基本法を変えるかも知れない。この場合に基本法というものは絶対不磨のものであつて政治を超越して絶対に誰も手を触れてはならないというものではありますまい。国民の意思によつて、国会によつて法律が変更されればこれは止むを得ないことであります。でありますから、文教といえども政局を担当する政党の考え方というものによつて運営せられて行く、これは私は当然であると思います。私は今日自由党政府の立場として、そうしてこの基本法趣旨を堅持して、守つて行きたい、こういう考え方からこの法律案提出しておるわけであります。
  99. 松原一彦

    ○松原一彦君 もうお尋ねしないということでありましたが、一口だけ。そこで私は自由主義を守つて頂きたいと思う。自由主義の国であればこそこの多言寛容の政党を認容する。これは共産主義の国には一言絶対対立はないのですから、こういうふうな国であればこそ、こういうふうな寛容な政党が存在して互いに切磋琢磨しつつ、拘泥せざる将来を築き上げて行こう。それもその希望に対しても、方法論としてのこのあなたのお考え方は、今回の法律の出し方がそれは副作用を起しはしませんかということを申上げておるのであります。これは手法が違う。共産主義とか、或いはもつと違つた一方的なものの考え方をする人々のやる方法なんです。あなたも御承知の通りに、日本が満洲を治めた当時、日本はやたらに法律で以て抑えようとしたから、あなたも御関係した一人でありますが、あなたも相当に軍部に抵抗なすつたのを聞いております。けれどもあれは法匪と言われた。日本は法律ばかり作つて抑え付けると言つて日本のことを法廷と言つたのは御記憶の新らしいことだと思う。それは本当を言うと、あれは止むを得ない、あの戦時であつたからいたし方ないといたしましても、この憲法の下に、この教育基本法の下に自由主義の世界を伸ばして行こうというならば、努めてかくのごとき権道をおとりにならないほうがいい。それは政治家としてはまずい。如何こも政治力の乏しいことを示すものだということを遺憾ながら私は思つている。文教の府に責任をお持ちになる文相であるならば、これはよほどお考えにならなければならん。現にその証拠には前田前文部大臣もこれには反対しておる。あれほどいじめられた天野前文相もこれには反対しておる。これは本道を外したくないからであります。私はそのことを申すと、この次に私なお研究したいのは……、で、まあ恐らく共産党及びその色合いが教員組合に現われ、教壇の上に実現することをば御懸念になつてのことでありましようが、この本当の実例は私の知る限りにおいては極めて少い。私の知る限り、私は大分県でありますが、大分県にはそれはない。而も萎縮することにおいて同じである上に、先般申上げましたようなこれの請求権、これが法律違反であるというところの認定をして、そうして罪であるという断罪の請求権を打つ人々が、これが各市町村に置かれてある地方教育委員であるということを考えるときに、今日何でもいやなことは、あれは赤で片付けようとする傾向のある現在、如何に正しい人間がこの赤のレツテルによつて脅かされるか、教育者が骨抜きになるかということについては、深くお考えを願いたい。私は与党の諸君にも、緑風会の諸君にも是非お考え願いたい。それから、又この法案を阻止しようとするならば、私は日教組の場合においても、或いは社会党の場合においても、もつと秩序を重んじ儀礼を守つてそうして漸進的に熟慮して教育の大道を歩むように御指導頂くことをば熱望する。一方的に文相だけ責めてもこれは仕方がない。私はさような考えを以て、なお質問を続けます。
  100. 相馬助治

    ○相馬助治君 議事進行について。それぞれ関連の質問もあると思いますが、只今の松原さんに対する答弁がついたところで、只今答弁があると思いますが、終つたところで昼食に入るようにしたいと思いますが……。
  101. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) ちよつとお諮りいたしますが、今日文部省から提出になりました資料で、ほんの一言だけ緒方局長から説明申上げたいと思いますから、時間をとりませんから、一言だけ……
  102. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 過般の高田委員からの御要求によりまして、偏向教育に関する新聞記事を謄写いたしましたものを資料として差出しましたので、手許に恐らく届いていること思いますが、これにつきまして一言申上げまして、御了解を得ておきたい。  その一点は、前々から申しております通りに、文部省が先般、前に提出いたしました偏向教育に関しまする事例は、新聞記事そのままを提出したものではないのでありまして、新聞記事にありました事例につきまして更に調査をいたしまして、その一部につきまして提出をしたということが、第一点と、もう一つは、今日の資料は、これは偏向教育に関しましての記事はまだほかにもあつたと思いますが、私のほうの手許にありますものにつきまして本日差上げてあります。その点を御了承置き願いたいと思います。
  103. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) それでは午前中の会議はこれで休憩いたします。  午後は三時からで御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  104. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) それでは二時から開会いたします。    午後零時五十八分休憩    ―――――・―――――    午後二時三十六分開会
  105. 川村松助

    委員長川村松助君) 委員会を再開いたします。  最初に参考人から意見を聴取する件についてお諮りいたします。朝鮮人学校問題について、東京都加藤教育長から、勤労青年教育振興法案について、東都立高等学校主事会会長の勝村満君及び都立新宿高等学校教諭金子勝史君からそれぞれ参考意見を聴取いたすことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  106. 川村松助

    委員長川村松助君) 御異議がないと認めましてさよう決定いたします。  朝鮮人学校問題について、加藤教育長は三時以後事情がありますので、それまでの間御質疑を願いたいと思いす。それでは加藤君から状況報告して下さい。
  107. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 私は東京都の教育長でございますが、今般都立朝鮮人学校のことに関しまして、皆様がたにも大変御心配をおかけ申上げましたことを恐縮に存じております。実情をお聞きして頂く機会をお与え頂きましたので、この際に今までの経緯を申上げてご了承を願いたいと存ずるのでございます。この都立朝鮮人学校につきましては、御承知の通り、終戦までの間は同じく日本人として日本人学校に皆入つておつたのでございますが、終戦によりまして相次ぐ混乱が来たのでありますが、最初は、終戦後は在日朝鮮人連盟という、これは北鮮の人たちで結成しておつたのでございます。いわゆる朝連と申しております。これの私立の各種学校として運営されたのであります。出発したのでございます。これには認可を受けましたものと認可を受けないものとでまちまちであつたのでございます。それが昭和二十三年の一月の二十四日文部省のほうからの通牒によりまして、御案内のような日本にとどまる朝鮮人は一切日本の法律命令に従わなければならないということになつたものでございますから、各種学校としては設置を認められない、私立の小学校中学校として設置するようにという通牒が参つたのでございまして、この通牒に従いまして私立の小、中学校に設置するように変更命令を通達いたしたのでございます。ところが幾らその変更命令を通達いたしましても応じてくれませんものでございますから、止むを得ず昭和三十三年の四月にそうした各種学校の閉鎖命令を通達いたしたのでございます。併し閉鎖命令を通達いたしましても、なおどうもこの命令に応じないものがございましたので、それで昭和二十三年の五月に地方検察庁に告発いたしまして、まだ正式な私立の小、中学校の設置の手続をとらないものは警視庁によつて逮捕留置されるようなことになつたのでございます。その結果二十三年の五月から全部私立小学校中学校として学校教育法によつて設置認可を受けるようなことになつて、それから私立の小学校中学校として朝連の設置の下に来ておつたのでございます。ところが昭和二十四年の九月の八日にいわゆる朝連が解散を命ぜられたのでございます。  そこでその設置主体である朝連が解散を命ぜられたものでございますから、従つてこの学校も解散をせざるを得ないことになりましたのですが、国の方針といたしましては、これらの学校におります朝鮮人の子弟を日本小学校中学校で収容してやるようにと、こういうことがありましたので、東京都といたしましてもこの扱いについてはいろいろ検討を遂げたのでございますが、いろいろな事情もございまして、取りあえずその当時ございました学校全部を一応都立ということでやつて行こう、そのときの考え方といたしましては、その当時の設備の限度で朝鮮人の子弟を都立朝鮮人の学校で世話をして行く、それ以外の仮に希望する者があるといたしましても、日本人小学校中学校でそれ以外は世話しよう、こういうことでその当時ありました施設の限度で暫定措置として都立として出発しよう、こういうことで出発いたしたのでございます。それでその出発に当りましては、事細かに朝鮮人学校としての取扱の要綱をきめまして、これに従つてつて行くようにと、こういうことを通達いたしたのでございます。これは勿論特にやかましいことではなくて、我々といたしましては、学校教育法を初めその他の教育の法律規則に従う範囲内においての通達をいたしたのでございます。ところがその後都立として経営いたして来ております上に、非常に運営の上に遺憾の点が多いのでございまして、幾たびか、いやしくも都立の学校なんだから、日本学校教育法を初めその他の教育関係の法律規則に従わなければいけないからということをたびたび注意して参つたのでございますが、ことごとくこれを無視されまして、要するに我々は民族教育をやるのだ、そしてこの民族教育をやるについては、我々の希望する先生を使つてやらなければならない、教育長において任命する教員だけでは十分その効果を挙げることができないから、免許状が仮にない者でも一つ教壇に立つようにしろとか、或いは又この学校に入ります生徒の数なども仮に二百五十名の定員のところならは三百名、四百名も希望者があるのだから、これに応ずるところの教室を建てろといつたような、これは又後ほど申上げますが、あの人たち考えに基く一方的な要求を繰返しやつて来ておりまして、教育の内容につきましても、甚だ面白からざる事象が頻発いたして参つたのでございます。そこでこのままでやるということになりますと、いやしくも私どもといたしましては、都の公費を以てやるわけでございますから、その朝鮮人諸君の気持の通りにやりたいならば、あの人たちの金で私立の各種学校なり何なりでやつてくれればいいわけでありまして、いやしくも都立の小学校中学校、高等学校としてやりますならば法律規則並びに教育委員会の規則の制約の下にやつて頂かなければ到底都立として認容することができないわけでございまして、繰返し注意して参りましたのでございますが、今申上げましたように、殆んどそれが聞き入れられませんで、一方的な考えに基いて絶えず繰返しその要望を達成するように陳情これ努めて来ておつたわけでございます。  昨年の十二月の八日の日でございましたが、丁度昭和二十九年度の予算の編成の関係もございましたので、特に今度朝鮮のPTAの幹部諸君に来てもらいまして、今日までの運営についてもう一遍一つ反省をしてもらつて、本当にこちらは無理を言つておるのではありません。いやしくも都立の学校として認められる最小限度のものは認めてもらわなければならないということで話を始めたのでございます。ところがなかなか話が捗りませんで、約三カ月かかつたのでございます。それで三月の二十日の日に漸く、後ほど申しますが、六つの事項について話合いをつけたのでございます。つけたと申すのでございますが、これはなかなか聞いてくれなかつたのでありますけれども、ちよつと申遅れましたが、都議会が二月になつて開催されたのでございますが、議会のほうの意向といたしましても、今までのようなああいうふうな朝鮮人学校の実情からして、部費を今八千五百万円使つておるのでございます。これだけの多額の金額を使うということはけしからんじやないか、これはもう今のような状態ならば予算を計上するわけには行かないという強い意向が現れて参つたのでございます。それで我々といたしましても、都議会の意向も十分尊重しなければなりませんし、そういう関係もあつたものですから、何とか一つどもの言うことをきいて、学校の運営に当つてくれるようにという話合いをつけたのですが、なかなか聞き入れませんでしたが到頭三月の二十日の一応六項目について話合いがついたのでございます。その内容をちよつと簡単に申上げますと、大体この項目で朝鮮人学校はどういうことをやつておつたかということはおわかりになると思います。一つは、イデオロギー教育についてということで、教育基本法精神に従うことは勿論、一方に偏した政治教育を行つているかのごとき誤解を招くようなことは行わないこと、どうも共産主義教育をやつておるように見なされてしようがありませんし、又そうしたことの現れもございます。でございますから、こうしたイデオロギー教育をやつてはいけないということが第一点であります。  それから第二番目は、民族課目の取扱についてでございますが教育諸法規に従う建前上原則として課外に行う、朝鮮人の諸君のいわゆる民族教育というものを正課の中に取入れてやりたい、こういうのでございますが、併しながら都立の学校教育法に基く学校としてやります以上はそういうことは許されませんので、学校教育法に従う建前をとつてやるならば、課外としてやつてもらいたい、こういうことを謳つたのでございます。  それから三番目といたしましては、生徒児童の定員でございますが、学校発足当初の事情もあるので、教育委員会の指示に従い、勝手に増加させるようなことを行わないこと、これはもう向うのほうで勝手に増加いたして参りまして、仮に高等学校なんかは二百の定員のところを三百名とか、中学校が二百五十名のところを五百名といつたような、こちらの定員を無視して、希望者をどんどん入れるという建前をとつて、これだけ生徒がいるから椅子、机を備えろ、教室を造り。学校教員を増員しろというようなことがありますので、その点に触れて、以後はそういうことはないようにということにいたしたのでございます。飽くまでも教育委員会と話合いをつけて、教育委員会の指示に従つて勝手にはやらないようにということを申したのでございます。  第四点といたしましては、生徒の集団陳情について、教育委員会が父兄代表者に合つてくれることを信頼し、生徒が集団陳情を行わないように努力する、これは先ほど申しましたように、あの人たちの一方的な意向を達成すべく実に生徒児童、特に高等学校の生徒を集団的に頻繁に陳情に寄越すのでございます。このために私どもといたしましても、幾たびか殆んど事務がとれないような日も続いたのでございまして、こういうことが非常に困るものでありまするから、この点にも触れてあるのでございます。  それから第五番目は未発令教員について、法規に従い未発令教員は教壇に立たせないこと、こちらのほうで発令していない教員を教壇に立たせてはいけない。向うでは要務員とか何とかいう形にして、それが教壇へ立つて教育をするのでございます。そういう人数が現在三十人くらいおります。やはり都立の小学校中学校、高等学校としてやつて行きまする以上は、やはり教員の免許状を持つて、正式にこちらが発令した教員でなければ、教育の衝に当らせてはいけないので、これは勝手にやつておるわけでございますから、この点にも触れて以後はこういうことをしないように、それから六番目は、職員会議の構成についてですが、正規の教員以外は参加させない。職員会議なんかにはPTAの代表なり、それから未発令の教員ども職員会議に参加いたしまして、ごたごたやるものでございますから、日本の校長さんがおるのでございますが、殆んどこれは有名無実でございまして、別に朝鮮のPTAのほうで任命した校長があるといつたようなことで、殆んどもう実がないような、もうあの人たちの一方的な指示によつて学校を運営しておる、こういう関係があるものですから、この点にも触れて、以上六項目について一応話合いをつけたのでございます。  なお、そのほかにも了解事項等も付けて、それから四月五日が大抵学校の授業開始の日でございますから、三月中に学校を開くことに関する細目の協定をしようということで、細目の協定につきましては、事務当局でやるということにきめたのでございます。それでそのきめに基いて私どものほうで細目協定をやつたのでありますが、了承したと称する六項目に又問題をからませまして、判こは押したのでありますけれども、これに従う意図が見えません。又一方各学校のPTAのほうからは、六項目は我々は承認しない、こういうものは断然破棄する、こういう要請をひつきりなしに言つて参ります。従つてどもといたしましても、何とか向うの人たちに話をつけて、できるものならば、今までの日本と朝鮮との関係があるものでございますから、できるだけのことはしてやりたい、こう思つて実はその誠意を尽して交渉を進めて来ておつたのです。本来から申しますれば、都立の学校でございますから、何も朝鮮人のPTAの表代者と協議し会談するという必要はないのでございます。これは私どもといたしましては、世間の一部から東京都の教育委員会はだらしがない、都立なんだからこちらで指示をいたして、それに従わなかつたら断固廃校なり閉鎖したらいいわけなんで、今更向うの代表と会談しなければならん必要はどこにあるか、こういつたことも都議会の一部からも非難を受けたのでございますが、併しながら私どもといたしましては、その非難をあえて受けまして、できるだけ一つ代表と話合いをつけて、何とか一つやれるものならやりたいということで三カ月に亘つて努力して参つたのでございますが、一向あの人たちに反省の様子が見えないものでありますから、去る四月五日の日の会談で、一切運営についての会談を打切ることにいたしまして、それでその後のやり方についてはどうするかということについて、教育委員会として慎重に検討を遂げたのでございますが、見通しといたしましては、これだけ三カ月もかかつていろいろ説得したにかかわらず、今のような状態ではこれは無駄ではなかろうかという、こういうふうな意見も出たのでございますけれども、併しながらもう一遍一つ東京都の教育委員会としては、誠意を尽して反省を求めてみたらどうだろうかということで、四月の五百附で一つこちらの日本学校教育法初め教育規則或いは又只今申した六項目の覚書その他教育委員会の指示に従つてくれるのかどうか、くれればいいが、若しくれないようだつたらば、これは都立としての閉鎖をせざるを得ないから閉鎖をする、それから又仮に一旦それじややると言うて、こちらの要求を呑んでくれましても、学校を開いてやつた後の状態がどうしてもまだ今まで通りの行き方と変りがないというふうなことを認めたならば、又これは廃校にすることもある、こういつた意味の通告を今月の九日の午後五時を期限として出して、その回答を求めたのでございます。そういたしましたところ、九日の午後三時頃から代表者が参りまして、東京都の教育委員会の指示通りに一切承諾するから、こういうことを申出でたのでございます。私は参考に、口頭だけでは今までの関係から見て不十分だと思つたものでございますから、文章で承諾書を出してもらうように要求いたしましたら、その通り翌日持つて参つたのでございますが、そういうことで一応私どもの要求を呑んだという形になつておるのでございます。一応呑んだものでございますから、我々といたしましては、一つできるだけ早く学校を開校させようということで、去る十二日から開校するようにやつたのでございますが、現実問題といたしましてはどうも誠意が認められません。一昨土曜日の日も、今日も来ておるようでございますが、二、三の学校を除きまして殆んどその実が認められんようで、日本人教員が皆吊し上げになりまして、一昨日など女の先生が気絶いたしております。少しも誠意が認められんので、これは甚だ困つたものだと思つておるわけでございますが、今私どもといたしましては、学校長を督励してこの実施をできるだけ一つ厳正にやるように指示いたしておりまするほかに、私ども教育庁から職員を直接派遣いたしまして実情を査察させております。その結果今申しましたようなことで、甚だ遺憾の点がまだ引続き行われておるような次第でございます。  十分点を尽しませんでございましたが、以上のような関係でございまして、要するに東京都の教育委員会といたしましては、できるだけの方法を尽して、一部非難もあえて受けて、何とか今日までの日韓の関係も想起いたしまして、できるだけのことはしてやりたい、こう思い三カ月以上に亘つて話合いを進めて来たのでございますが、どうしても日本の諸法規に従つて、そして教育委員会の指示に従つてやろうというふうなことが見出だせませんでしたので、止むを得ず、都立の学校でございますから、都立として学校を進めることができない、こういう結論に達しまして、ああいう通牒を出したのでございます。私ども考えといたしましては、あの人たち言つておるような、いわゆる民族教育だとか、朝鮮語による地理、歴史なんかを自由にやりたいというならば、それは何もそこまで禁止するのじやありませんので、私立の各種学校なり何なりを自分たちの経費を以てやつてくれればいいわけでござしまして、都立の学校として、あの人たちの言うような、勝手な教育をやらせるようなわけに行かんのでございますので、このような措置に出でておるのでございます。言葉は尽しませんが、又御質問でもございますればお答えいたしたいと思います。
  108. 須藤五郎

    須藤五郎君 少しお尋ねしたいと思いますが、それに先立ちまして、只今都の教育長から都の態度に関しまして伺つたわけでございますが、この議場には朝鮮人を代表するかたも傍聴席に見えていると思いますので、一方的な意見を聞いて、私たちがものを判断することは危険だと思いますので、朝鮮人代表の意見も、この委員会で機会を与えて下されば大変幸いだと思いますが、そのことを先ず一応お諮り願います。
  109. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今須藤君から、傍聴に来ておる朝鮮人の意見を聞いてはどうか、こういう御発言がありました。どう取計らいますか。
  110. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 昨日の理事会で、特に須藤君から東京都の教育長を呼んでもらいたい、こういうので、非常に今日は日程がまだたくさん残つておりますが、特に教育長を呼んでもらつたのでありますから、今日傍聴人から発言を許すということは差控えて頂きたいと思います。
  111. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今の劔木君から、今日の状況では他にまだ審議する法案もありまするので、控えてもらいたい、こういう御意見であります。
  112. 長谷部ひろ

    長谷部ひろ君 私はやはりお話は両方から聞かなければ、正しい判断ができないと思いますから、いろいろ御用がおありになると思いますけれども、やはり傍聴人側からも御発言頂くのが本当じやないかと思うわけなんでございます。
  113. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 今まで運営をやつていますのに、私どもは今日のこの日程を理事会で進行するようにきめて、それでやつておるので、若しあなたのほうでそういう意向があれば、当然そういうことも含めて、昨日お話願うべきだつたと思う。今日委員会が始まつて、その進行中に、何も話合いをしないで、ぽつとそういう発言の問題なんか出されるのは、進行の上から育つても面白くない。
  114. 須藤五郎

    須藤五郎君 私は教育長の話を聞いて、そして教育長が非常に公平な立場で話をして下さるのならば、私は強いて朝鮮の代表の意見を聞く必要はないと思いましたから、そういうふうに取計らわなかつたわけなんでありますが、只今教育長の話を聞いておりますと、私たちが耳にしておるのと非常な違いです。一方的な立場でものを話していらつしやるような感じがいたしますので、この際朝鮮人の代表のかたからむしろ聞いて、我々の委員会として公正な判断をしたいと思いますので、只今私は要望を出したわけです。
  115. 高田なほ子

    高田なほ子君 私この問題はなかなかいろいろ伺つてみると、非常にむずかしい問題のように伺つているのです。伺えば加藤さんは三時までで、あとは所用のためにお出かけになるという話、それで私の本来の気持としては、やはりむずかしい問題であればあるほど、慎重にやはり物事を取扱うということが望ましいことだと思うのです。今日実はちよつと朝鮮人の代表のかたにお目にかかりました際、できれはこの席で発言をさしてもらいたい、こんなようなお話もございまして、二、三私も御努力を願うように個人的にお頼みしたわけでございますが、時間も短いことでもあるしするから、又機会というものも別にあると思うから、今日は十分質問の形にでもされたらどうかというお話もございまして、私のほうとしては荒木さんや岡さんに、この問題について、今日朝鮮人のかたに代表として御発言をして頂くということは、何らお諮りしてありませんので、私としてはやはり皆さんに御相談をしてから又発言しなければなりません。今日は私としてはこういう資料も頂戴しているわけです。皆さんのところにこういう資料が廻つておるかどうかわかりませんのですが、この問題について二、三質問をさして頂きたい。今日の順序としては、そんなふうにして頂きたいと思うのですが、如何でしようか。須藤さんどうでしようか。荒木先生。
  116. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  117. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記始めて。
  118. 須藤五郎

    須藤五郎君 これは先日東京都の教育委員会と、朝鮮の代表のかたとの会見の席上、私もその席に参列をいたしまして、私のみではなく、社会党の衆議院の代議士のかたも三名ほど同席をして、この最後の会談を見ておつたわけでありますが、その席上朝鮮の人たちが、声涙ともに下つて、そして東京都の示した六項目というものを呑んだわけです。そのときの教育委員長の話によりますと、今後は誠心誠意を以てこの問題の解決に当ろうということをはつきり言つてらつしやるのです。そして朝鮮の人たちはいろんな立場から不満が一ぱいあつて、そして恐らくあの代表たちは、この六項目を呑んだことによつて、朝鮮のPTAの人たちから、或いは吊し上げに会うか非常な反撃に会うかわからないような状態でありながら、代表者諸君は事を円満に妥結するために、これを呑んで帰つたわけです。それは一に、教育委員長の誠意を以て解決に当るというその言葉を信頼して、この六項目を呑んで行つたわけです。ところが今日、四月九日附を以て出されたところの東京都の教育委員会の細目を見ますると、これはそのときの空気から察知することのできない非常な苛酷な、一方的な通告だというふうに私たちその席上立合つた者には感じられるような種類のものなんです。一番今問題になつておる点は、本年度の入学希望者というものは、手続はもう一応終了した者が、中学におきまして五百五十名あるのです。それから高等学校におきましては二百六十名あるわけなんです。ところがこの通告を見ますると、東京都は五百五十名の児童に対して二百五十名を収容するが、あと、三百名は収容しない、自然増を認めないということを申出ているわけです。それから高等学校におきましては二百六十名に対しまして二百名しか採用しない、入れないということを言つて来ているわけです。この点が非常に私は東京都の教育委員会の態度は非紳士的だと思うのです。あの日の空気から察知するならば、こういうことは当然好意を持つて誠心誠意解決して何ら問題を起さないはずの問題であるにかかわらず、こういうことを今更取出して、円満妥結に向おうとする途上にあるこの問題を東京都自身が好んで事を構えて紛糾させておるというふうにしか私たちはとれないわけなんです。どうしてこういうふうに児童をしぼるのか、どこに根拠があるのか、その点を先ず最初に私は伺いたいと思う。
  119. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 只今の御質問の件でございますが、一応御尤ものように聞かれるのでございますけれども、御承知の通り、この朝鮮人に対しましては、小学校中学校といえどもこれは義務教育ではございません。従いまして、先ほども私が申しましたように、都立の学校として発足いたしましたときは、その当時の施設の限度で都立の朝鮮人小学校中学校、高等学校を出発するのであつて、それ以上のものは日本人学校でお世話申すと、こういう建前で来ておるわけでございます。而もこの今おつしやつた中学校の五百五十名、成るほどその志望者がその通り五百五十名あるようでございますが、これは私どものほうからして認めておるものではないのでございます。それは向うの人たちが勝手に五百五十名入れてやるということを言つておるようでありまして、私どもといたしましては、飽くまでも二百五十名ということで来ておるわけであります。高等学校におきましてもその通りでございまして、御承知の日本人の高等学校つて、日比谷の高校その他の学校でも二倍、三倍の希望者がありますけれども、二百名なり二百五十名なりの定員で抑えておるわけであります。而も高等学校におきましては、東京都内の生徒ばかりではなく、全国から集めております。それで私、これは申遅れましたが、大体教育の目標というものは、我々は朝鮮民主主義共和国を守護防衛し、在日朝鮮人青少年を祖国に忠誠なる子弟に育成すると、こういうことを教育目標に掲げて、それから御承知の金日成の写真を各教場に掲げ、式などあるときは北鮮旗を掲げてやつおります。日本のいろいろな、例えば天皇の御誕生日だとかその他の祝日は全然休みませんで、彼らは授業をやつております。而も北鮮関係の祝日等には授業を故意に休んでやつておるのでございます。こういう定員などの関係につきましては、私どもといたしましては、できるだけその施設のある限りにおきましては入れてやりたいとこう思つております。又今日まで幾らかずつ認めてやつて来ておりますが、どうしてもこういう教育の内容をやつておるものに施設を拡充して、而も部費を注いでやるというわけにはこれは行かんのでございまして、而もここで入れてやらなければ就学の機会がないというものではないのでございまして、朝鮮人の小学校中学校としてはこれだけでありますけれども、その他は日本小学校中学校に入つておる。もうすでに御承知の南鮮の連中というものは、皆日本小学校中学校に入つておるわけなのでございます。でありますから、中学校の五百五十名、高等学校の二百六十名、これは希望者があるというのでありますが、これは私どものほうに達していないので、向うの人たちが勝手に入れてやるということを言つておるのであります。そういうことを一々取上げて、この増に従い校舎を建てたり教員を増員するというわけには行かないのであります。
  120. 須藤五郎

    須藤五郎君 今も教育長は、設備の限度で朝鮮人学校を認めたということを言つていらつしやいますが、私たちが聞くと、設備は十分あるということを開いておるのです。設備は、中学校は五百五十名、又は高等学校は二百六十人収容する設備が十分あると、だから設備の点で言うならば、その学生の数をこのように限定する理由にならないと思うのです。而もその設備は朝鮮人PTAの私財によつてなされたものであるということを私は聞いておりますから、その点は東京都としても了解すべきではないかと私は思うのです。私は東京都を攻撃するために今言つておるのではないのです。東京都と朝鮮人との間に円満妥結の点を発見して、そうして円満に行つてもらいたいという立場から私は話しておるのですから、そういう気持で聞いてもらいたい。設備の問題はそれで明らかにこれは解決すると思うのです。それから費用はこれまで東京都は年額八千万ですか……。
  121. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 八千五百万です。
  122. 須藤五郎

    須藤五郎君 八千五百万でありますが、これは日本人の教師の人件費に過ぎないのです。あとの費用は朝鮮人のPTAからたくさんの金を、約これと等しい金を朝鮮人PTAが醵金をして皆費用に充てておるので、この八千五百万というのは日本人教員の人件費、而も朝鮮人の学校の先生は日本人学校の先生よりもずつと低い給料で我慢して、そうして学校を経営しておるということを聞いておるのです。ですから、こういう点におきましても、決して一方的に東京都にのみ財政的な負担をかけるわけではないと思うのであります。  それからもう一点は、只今民族教育の問題で思想教育云々されましたが、私は東京都のとられた態度は、政禁法といいますか、この政禁法に先んじて東京都が先ず打つた手だと思つておりますが、今日まだ教員政治活動、教育中立性を守らなくちやならんというような法案は国会で審議の過程にあつて、まだ国法として定まつていない。(「定まつているよ」「教育基本法はどうした」と呼ぶ者あり)教育基本法とは違います。教育基本法精神言つておるのではない。    〔田中啓一君「委員長関連質問」と述ぶ〕
  123. 須藤五郎

    須藤五郎君 発言中です。私がゆつくりやつたあとでして下さい。    〔田中啓一君「だからあとでやるよ」と述ぶ)
  124. 須藤五郎

    須藤五郎君 そういう立場にあるので、これは問題ないと思う。而も、思想教育はしてはならないと言いますが、思想は憲法において守られておる。思想は自由です。殊に日本人と違つて、朝鮮人の場合は朝鮮人の政治に支配されるのが当然ではないかと思うのです。というのは、朝鮮人はいつまでも日本におるわけではありません。    〔田中啓二君「早く帰つてくれ」と述ぶ〕
  125. 須藤五郎

    須藤五郎君 そういうことを言うべきではないです。いつかは本国に帰るときもある。本国に帰つたときに、本国の国民として最もふさわしい教育を受けておかないと、本国に帰つたときに問題になりますよ。ですから、当然そういう意味の教育が施されるというのは、これは否めない点ではないかと思うのです。  それから、あなたはしてわれわれというようなことを言いますが、その態度が私はやはり問題ではないかと思うのです。我々は朝鮮人に対して贖罪的な立場に立たなくてはならないと思うのです。戦前四十年間朝鮮を殖民地として日本は搾取して、朝鮮人をひどい目に会わして来たではないですか。而も、戦時中は朝鮮人を日本の戦力のためにこき使つて、随分朝鮮人の人たちに迷惑をかけておるわけです。その立場から、日本人は朝鮮人に対しては本当に相済まないという気持でお詫びをいたさなければならないという立場にあるのです。何ですか学校一つくらい作つて。それを恩着せがましくしてやるやるというような言葉で表現すべき性質のものでないのではないかと思うのです。私は十分朝鮮の人たちを労つて待遇すべきではないかと、私はそういうふうに考えるのです。ところがあなたの考え方は全然それと逆で、何か厄介者を扱つておるがごとくしてやるやるというような態度で臨まれれは、従つてその間に摩擦が起るのは無理がないのです。朝鮮の人たちは、してもらつておるとか、そういう卑屈な気持でおるのではないだろうと思うのです、やはり民族教育をするのは当然だという立場に立つておると思うのです。それは私が曾つてブラジルに参りましたときに、ブラジルに在住の日本人学校日本語の教育日本人教育をやることがブラジルの政府で問題になつたことがあります。それはブラジルの二世です。二世のブラジル人が日本語の教育を受けることはけしからんということをブラジルの新聞でじやんじやんやられているときに丁度私は行つたのです。日本人としてブラジルにいる以上、たとえ二世といえどもやはりいつかは本国に帰るときもあるのだし、又日本の歴史を忘れてはならないのだ。日本語の教育をやるべきが当然だ。私はそういうふうに考えたわけでありますが、今日朝鮮の人たち日本において置かれている立場は、丁度ブラジルにおける日本立場、又それよりもつと強いものだと私は考えるわけです。ですからそういうことをよく考慮してこの問題を解決しなかつたならば、いつまでたつても円満妥結の点は発見できないのではないかと私は心配する余り、教育長に意見を伺つているわけです。
  126. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 只今の御質問のうち、先ず財政の関係でございますが、それに関連してちよつと申上げますと、生徒は小学校は十二校でございまして約三千名近くおります。それから中学校は一校でございまして千三百人くらいでございます。高等学校は校で六百五十名くらいおります。教員日本人教員は百八名、朝鮮人の教員は百六名でございます。只今のお話でその東京都の経費八千五百万円は日本人教員だけで、朝鮮人の教員というものは向うの人たちが持つておるというようなお話がございましたが、決してそうじやございませんで、日本人教員の百八名の俸給も、それから朝鮮人の教員の百六名の俸給も八千五百万円で賄つておるわけでございます。それから朝鮮人教員の待遇が日本人教員に比べて悪いようにおつしやつたのですが、ちよつと御調査がお間違いになつたのじやないかと思います。むしろ私のほうといたしましては、朝鮮人の教員日本人教員よりも幾らか年度末の手当などは余計に見てやつておるような関係でございまして、悪いというようなことはさらさらございません。もう一遍何でしたらお調べ願いたいと思うのでございます。  それから思想問題、政治教育云々のお話があつたのでございますが、これは御承知の通り学校教育法では政治教育は行なつてはならないという規定がありますので、これはもう学校でやるわけに行きません。これは御承知の通りだと思います。要するに私どもは都立の学校でございますから、学校教育法を初めとする日本の関係法規に従つてくれさえすれば私ども文句ないのでございます。これを全然無視してやろうとするところに都立として認めがたい、こう言うのでございます。向うの人たちが好きなことをやりたいならば、自分の金で私立の各種学校や何かをやるべきで、そこまで私ども弾圧するというようなことじやないのでございます。都立としてはあの人たちの御勝手な要求通りにはやれない、飽くまでも都立の制約下にやらなければならない、こういうことなんでございます。
  127. 須藤五郎

    須藤五郎君 私がさつき述べました設備の点の答弁がまだないようですが、設備が十分にあるならばその設備の許す範囲において児童を増すということは差支えないという点と、朝鮮の先生の給料と日本の先生の給料と同じであり、むしろ朝鮮の先生の給料のほうがいいということは、これは私が聞いておるのと非常な違いがあります。日本人の給料は一万何千円ベースですかであり、朝鮮の先生の給料というものは七、八千円に過ぎないということを私は実は耳にしておるわけなんですが、この点におきましては大きな食い違いがありますので、こういう点は後日朝鮮の代表者をお呼び願つて確かめて頂きたい。それでないと食い違いを確かめることができないという点、この点私はお願いしておきます。  それから入学者の決定について次の通りとする。イ、東京都内に外人登録した学齢相当者であること、ということになつておりますが、朝鮮の人で日本人と結婚しておる人があります。この人たちは外人登録をこれまでやつてない、そのためにこの条項に合わなくて入学を拒否されておるということを私どもは聞いておる。これは間違いならばもう一遍朝鮮の代表のかたに直接私はこの意見を聞かなくちやなりませんが、私はそういうふうに聞いておる。  それから、ロ、入学志願者が定数を超過した場合は抽籤等適宜の方法により決定すること、ということが書かれておりますが、これは余りおかしいので、こういうことを抽籤でやるということは朝鮮人内部の混乱を大きくさすだけであつて、決していい方法ではないと思いますが、こういうことではなしに、むしろ設備の許す範囲において東京都が責任を持つて朝鮮の児童を入学させて、そうして東京都の費用で教育をする、これがせめて我々日本が過去においてなしたるところの罪悪に対する贖罪的行為ではないか、私はそういうふうに考えるのでありますが、如何でございましようか。
  128. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 只今の御質問でございますが、先ず設備の件でございますが、これは只今お話のございましたように、小学校につきましては設備があります限度で、而も予算の許す限りにおいてはできるだけ入れてやるようにということをいたしております。ただ中学校は五百五十名を入れる実は教室がないのであります。今御指摘の点は向うの人たちの建てた学校の寄宿舎を改装して、そうしてそれを教室に当てがつて、そうして又教員自分のほうで雇うからと、こういうのです。一応表面的に聞きますと、肯ける点もあるのでありますけれども、今日までは先ほども申しましたように、こちらから示す定員というものを無視いたしまして、相当多数の人たちを入れておるわけでございます。現在も非常に窮縦な、一学級に百数名なんかも入つておる教室がございます。それは都立の学校といたしましてはこういうふうな不正常な状況に置くということは情においても忍びませんので、やはり都立の学校でやります以上は、それらしい教育をしてやりますためには相当程度定員を抑えてやらなければ、あの人たちのためにもならないわけであります。それで設備の収容人員を増加するということについても考えられるのでありますけれども、今までの実績を考えるときに、どうも又一旦それをよろしいということになりますと、すぐ教室を建てろ、教員を増加しろということが引続いて出て来るわけなんであります。でありますから増員のことにつきましては、この間の話合いで暫く現在のこちらで示しておる定員で出発してみて、そうしてこの間の協定をいたしましたその線を忠実に守つてくれれば、増員については考えるということを言つておるのでございます。それから又教育内容が今までのようなことはやるかやらんかわからないのに、又増員をやるということになりますと、却つて迷惑を多くするようなことになるものでございますから、だから一応この線で定員のところできめる、定員のところできめるのは、今申しましたような更に五百人になつたらわんさわんさの学校の状況になりまして、授業などに相当大きな大きな支障があると考えるのでございます、でありますから一応これで抑えてみる。高等学校に至りましても同様なことでございまして、希望者が五百人あれば五百人入れなければならんという問題のものでもございません。やはり予算等の制約がございまして、二百名でとどめて行かなければならない関係がありますので、制約をしなければならんので、二百五十名あるから全部入れなければならんという筋のものではないのでございます。設備の件はそういうことでございます。  教員の待遇の件ですが、これは同じ普通の教諭ならば教諭として取扱いをいたしておりますが、多くの人は専任講師、時間講師の人が多いのでございます。これはやはり専任講師、時間講師の普通並の給与をやつております。時間講師を普通の教員と同じように一万数千円出せと言つても無理でございまして、やはり資格なり担当の時間等の関係から考察されておりまして、日本人の時間講師あたりと同じ、専任講師あたりと同じ、先ほど申しました年末賞与等におきましては、幾らか余計出してやつておるようなことでございまして、決して悪いところはございません。同じ条件のものは少くとも同じ条件ということでございます。
  129. 須藤五郎

    須藤五郎君 そうすると、今の御返事を聞いておりますと、将来定員増加は認めるという建前ですね。それから設備があればそれは認めてもいい、それから東京都の予算は八千五百万円以上殖やせないが、若しも朝鮮人の人たちが費用を負担するならば増員を認めてもいいと、こういう御意見ですか。
  130. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) いや決してそうじやございません。私の申しましたのは、ともかくこの定員通りに発足しまして、そしてその運営の状況を見た上で、うまく行つておる姿をここに看取いたしますれば一つ考慮してみようと、考慮しようと言いましても、それは必ず増員を認めるということじや決してございません。そのときに一つよく検討を遂げてみよう、それまでの間はこれは問題にならないと、こういう意味合いでございます。
  131. 須藤五郎

    須藤五郎君 それではこの間教育委員長が育つた、話合つて誠心誠意を以てこれを解決しようと言つた円葉は何を意味するのですか。
  132. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 只今のことも含まれております。将来この運営の仕方に適正であるということが認められたならば、増員のことなども一つ考えてみようと、こういう意味も含めております。
  133. 須藤五郎

    須藤五郎君 増員のことを考えてみようという中には、設備ももつと都の費用で学校を建て増してそうしてやろうということなんですか。今の設備の中で増員を認めようということなんですか、どういうことなんですか。
  134. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) これは今あらかじめ私からどうこうということは言えませんが、ともかくまあ出発して、やり方を見た上で一つ考慮をして、まあ設備の点もありましようが、増員の点も一つ考えてみようということで、必ずそれは実現するという約束ではございません。
  135. 須藤五郎

    須藤五郎君 それでは誠心誠意を以て事に当ろう、解決しようということに何ら触れないと思うのです。誠心誠意事を解決するように努力すると言うたことは、それはもつと建設的な意図にとれるわけです。あなたのは、今何にも約束できないというのだ。それじや誠心誠意を以て解決しようというような口はばつたいことなんか言えないじやないですか。誠心誠意を以て解決しようと育つたから、朝鮮人の人たちは納得しながら涙を流して帰つたわけです。ですからそういうことを言つた以上は、約束は履行するのが当然なことだと思う。だから誠心誠意を以て教育長とこの問題を円満妥結するように、誠心誠意を以て、もつと建設的な意図を以てこれの解決に当つて行かなくては何も約束はできません。そういう態度では誠心減点という言葉が何の役にも立たない。誠心誠意という言葉は朝鮮人の人たちに一ぱい食らわしたということになるのじやないか、どうですか。
  136. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) まあ御意見として承わつておきますが、その委員長の言つた言葉は、私の申しました意味合いのものでございます。
  137. 須藤五郎

    須藤五郎君 これ以上はやはり朝鮮の人を参考人として呼んで、そして私たちは話を聞く以外にこの問題は追及することは無駄だと思うのです。ですから後日朝鮮の人をこの席上に呼んで頂いて、そしてこの問題を解決するように努力したいと思うのです。これは後日に保留しておきます。
  138. 田中啓一

    ○田中啓一君 只今伺つておりますと、小学校約三千人、中学校千人、高等学校はちよつと人数を聞き洩しましたが、合計五千人足らずのものだと思います。まあ学校の数は十四ございますが、そこで先生が合計二百十四人いらつしやるようであります。そしてこれもはつきりまだ伺つておりませんが、どうやらただ学校の先生の俸給だけを支払つておられるようにも伺えたのでありますが、八千五百万円というものを二百十四で割つて見ますと、一人の俸給は一年間に約四十万越す、こういうことになりまして、普通の日本の小中学校よりは遙かに高いベースになるのじやないかとこう思うのでありますが、何か特殊の事情がありますか。先ずこれを第一点に伺います。
  139. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 経費の八千五百万円は日本人教員百八名、朝鮮人の教員百六名の人件費のほかにいろいろな設備費も入つております。
  140. 田中啓一

    ○田中啓一君 私も多分そうであろうかと思つておりました。  次にお伺いしたいのは、これは都立の小中学校、まあ高等学校がございますが、学校でございまして、私は都立の学校で、而も東京都民の税金を以て作つておられる学校であります。そこで一体教育基本法にも学校教育法にも準拠しないところの教育が行われておるということは、只今伺いまして、私は国会としても看過すべからざる私は問題であると思います。むしろそういう状態であれば、私は都立の学校としては学校を閉鎖さるべきじやないか。又ここに幸いにして初中教育局長がおいでになりますが、かような法令違反の学校というものをそのまま一体これを認めておられるおつもりでありますか。尤もこれは指揮命令権が例によつてあるのかないのか、その辺私はまだとくと調べておりませんので、何とも申上げられませんが、少くとも意見をおつしやることができるであろうとこう私は思うのであります。  で、須藤君は、只今日本は戦前並びに戦争中朝鮮に対して罪悪を犯した、よつてその罪を償うのにこれぐらいのことをするのは当然じやないか、こういう御意見でありましたが、私は日本国並びに日本国民が朝鮮人に対して罪悪を犯したとは毫も思つておりません。それは須藤君の非常な独断的な、一方的な意見であると、かように思うのであります。従つて何も私は、朝鮮人でいらつしやるそうでありますから、私は国籍の点なども実は余り明らかにしておらなかつたのでありますが、それは朝鮮へお帰りになつて朝鮮国のお役に立つような人間をお作りになりたいのは、これは又御尤もだと思うのです。その点について毫末も私は異議はありません。今日独立をせられました以上、私はその国民にふさわしい教育をなさることが当然であろう。それは自分でおやりになるべきだと思う。代りに何も日本がやつて、罪悪の償いにしなければならん、このような考えは私は甚だ解するに苦しむと考えるのであります。私どもはまさに正反対の意見であります。でありますから、これは意見に亘りますから、御答弁がないのが当然でありますが、どうぞかような一体都立の学校があつて然るべきものか、或いはなかるべきものであるか、これは教育長並びに教育局長から御答弁を煩わしたいと思います。
  141. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 只今の御意見でございますが、御尤もでございまして、今日までの朝鮮人学校の運営についての正しからざる点については、私ども甚だ申訳ないと思つております。御叱正を受けるのもこれは当然のことだと思つております。併しまあ我々といたしましては、先ほどたびたび申上げますように、何とか一つ都立の学校として経画してやりたいという親心と申しますか、こういうふうな誠意を持つて、精一ぱいいろいろ陰になり日向になりして今日までやつて来たわけでございます。ところがいろいろやれば、少しはこちらの減点を受けて何とか改めて来るべきものと期待しておるのですけれども、その実が上りませんでしたので、先般止むを得ず今御指摘になつたような、こういう姿においては都立の学校としては断固認めるわけにいかないと私も確信いたしております。ですから、一つ今まで通りのことならば廃校に付する、こういうことを通達し、本当にこちらの言う通りになるならば引続いて開校してもいいかと、こういう意味のことを言つてやつたところが、全部教育委員会の指示に従う、こういう申入れがありましたので開校の運びに至つたのであります。けれども、今日の状況はまだ甚だ遺憾なのでございますので、先ほどおつしやつた御意見もございますし、私どもも同様に考えておりまして、これは都立として許すべきものは許さなければなりませんが、許すべからざるものは断固許すべからざるものだと、こういう確信を持つております。
  142. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 朝鮮人学校の問題につきましての文部省の見解をお尋ねでございましたが、全国的な実情に若干触れまして見解を申上げたいと思います。  今日までの経過、並びに朝鮮人学校におきまして行われておりまする教育の実情或いは学校管理の状況等につきましては、先ほど加藤教育長から縷々説明がございましたあの通りだと承知いたしております。つまり教育内容におきましても、教育基本法はもとより、学校教育法等に準拠しない、先ほどお話のありましたように北鮮人民共和国でありますか、その一方的な共和国のための教育というものが行われるということは実情であるようでございます。なお又管理の問題につきましても、教育委員会、又学校長の管理運営が事実上できない、それが非常に阻害されておる状況にあるように存じておる次第であります。朝鮮人学校はまあお見えになりますのは、朝鮮人だけを集団的に教育されておる学校でございまするが、これは大体全国に独立校といたしましてはこれは東京だけでございますが、十四校ございます。そのほか分校といたしまして、これは東京以外にも神奈川、愛知、大阪、岡山等に二十校ほどございます。なお独立校、分校じやなく特設学級、朝鮮人だけの学級を設けられておる所も相当ございまして、集団的に朝鮮人だけが教育を受けているという実情は非常なることでございますが、その児童生徒数は約一万六千くらい、正確な数ではございませんが、それほどだと承知いたしております。そのほかの、大体御承知のように在留朝鮮人の数は六十万ほどと推定されるのでありまするが、その子弟を約十万と見ましても、十万の中の一万数千がかような集団教育を受けているのでありまして、そのほかの子弟はこれは一般の日本学校に就学いたしまして、平穏に日本人の子弟と机を並べて勉強しているのが実情であります。これらのことから申しましても、集団教育としてこれを強く要望されておりまする面は、先ほどもお話がありましたように私どもさように承知しておりまするが、北鮮系の一部の人たちの強い要望のようでございます。従いまして、先ほど申しますように、その教育内容につきましても非常な矯激な教育が行われておるような実情に伺つておるのでございます。これに対する文部省としての見解でございますが、私どもは先ほどもお話がありましたように、今日朝鮮人に対しましては朝鮮人は外国人でございますので、外囲人同様取扱を公平にいたしたい。と申しますことは、日本といたしまして子弟の義務教育に関しましては、日本の法令による就学の義務又は権利の関係は生じないものと考えております。併しながら従来からの朝鮮との関係から考えましても、並通の外国人と若干取扱を変えておりまして、即ち公立の義務教育学校に入学を希望いたします児童生徒、子弟につきましては、これが日本の法律命令に従いまして、秩序ある態度で教育を受けるということでありますならば、この義務教育学校に受入れて、日本人と同様に教育の機会を与えて行きたい、かような考え方でおる次第でございます。この方針に基きまして、今日まで各都道府県に対しましても、教育委員会に対しましても、指導助言を行なつてつておる次第でございます。かような観点からいたしましても、このたび東京都の教育委員会におきまして、従来行われておりまする朝鮮人学校教育内容の改善、その管理の適正につきまして非常な御苦心になつております点につきましては、私どももまさにかくあるべきものだと考えております。六項目につきまして、朝鮮側といろいろお話合いの末、いろいろと御苦心になつておるようでありますが、是非とも六項目に要求されておりまするような適正な内容の教育が行われ、或いは学校の管理運営が適正に行われますことを私ども希望して止まない次第であります。文部省といたしましての見解につきまして、一応お話申上げました。
  143. 高田なほ子

    高田なほ子君 一点、二点お尋ねしたいと思います。須藤さんのお伺いしたことの中で、まだ了解がつきかねるものがありますが、私は基本的な考え方といたしましては、教育問題そのものについて民族的な劣等感や、又特別な優越感を持つて事に処すべきではないと、こういう考え方を常に主張しておる者の一人として、先ほど加藤教育長からの御報告によりますと、日本人教師が吊し上げに会つているというようなちよつと御発言がありまして、この点非常に私は日韓の国民的な、民族的な感情の上に何か暗い影を投げるのではないかということを非常に憂えているわけであります。それらの問題が解決する過程ではいろいろなトラブルも起きるでございましよう。どうか一つこの問題が不平な民族的な感情のわだかまりの上にこんがらがらないようにということを私は強く希望するわけでございます。先ずそういう観点からお伺いいたしますると、非常に、日本人の場合も同じですが、国内において小中学校とも本年度は自然増がいずれも多いわけでございます。この場合朝鮮人のほうも当然この自然増のためにこういうトラブルが激化しているのではないかということを考えるわけでございますが、この点について六項目の引目も示されて、今後とも運営の面については話合つて行こうというようなお約束をされたと承つておりますが、この自然増の問題とその解決策としてトラブルを徒らに起すというのではなく、今後とも話合を進めて行かれるという態度をお持ちでしようか、お尋ねをしたいと思います。
  144. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 只今の御質問の件でございますが、この生徒児童の増加の件は、これは私のほうでは前以てずつと定員というものが向うに示してございますので、而も又その定員の限度でやつて行くのだということも、かねぞれよく承知いたしておるわけでございます。然るにこの五百数十名なり三百数十名なりの者が希望しているからこれだけの者を入れろ、こういうことなんでございまして、これではもうかねぞれの私どもの指示なんかも何ら顧慮されていないというふうに考えられるのでございます。でありますから、私どもといたしましては、さつきも申しましたように、定員の限度でともかく今度は出発いたしまして、運営にして本当に適正な行き方をしてもらいますれば、まあ一つそのときは相談をしてできるだけのことをしようじやないか、こういう話合いをしておりまして、この点は了解事項にも書いてあるのであります。ちよつと読みますと、「覚書の原則及び細目が忠実に実行されていると認られたときは、児童増に伴う措置についてはできる限りの努力をする。」大体こういうふうな覚書になつておりますので、初めからやるというわけじやないんで、実施の仕方を見た上で一つ相談しようじやないか、こういうふうになつておるわけであります。
  145. 高田なほ子

    高田なほ子君 そこで現実の問題になるわけですが、この学校に行くことができなく、つまり締め出された子供たちが非常に困つているのだということを伺つておるのですが、その受入れやなんかについては、積極的に当局として御心配になつておるのではないかと思われますが、やはり親は親として子供教育を受ける先がないということが私は一番心配ではないかと思うのでありますが、こういつたような点についても何か積極的にお話合いをされておられますか、如何でしようか。
  146. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 御尤な御意見でございまして、こういうことのあることを予想いたしまして、私どもといたしましては初めからその定員はこれだけで行きたい、こういうことを言つてあるわけでありますが、今申しましたように、もう一方的に募集をしてしまつておりまして、その尻ぬぐいをこちらに持つて来られましても非常に困るわけなんであります。初めからこちらの言う通りに二百五十名なり二百名なりで抑えておきますればほかの朝鮮人の子弟は日本人小学校なり中学校へ上るようにしたはずだと思うのでありますが、おれの所で入れてやるともつと引つ張つて来て、そうして現実を以てこちらへ押し付けようとされましても、予算の関係もございますので、今直ちにどうというわけには行かんのでございますが、先ほど申しましたように、小学校につきましては、予算を殖やさない条件で、現在の施設で容れられるだけは容れてやる、こういうことにいたしております。ただ中学校、高等学校につきましては、今のような設備で二百五十名なり、又相当数入れるということになりますとこれは予算は勿論ございませんが、実際の教育効果の上から言いましても、非常に困ることになりますので、この点は私どもといたしましても非常に困つてはおるんですが、併しそれかと言つて、あらかじめこちらが注意したにかかわらず、その注意を無視して容れたその現実の尻ぬぐいを直ちにしろと言つたつて、これはどうかというふうな考えを持つておるわけでありまして、この点につきましても、私どもといたしましても苦慮いたしておるところでございます。
  147. 高田なほ子

    高田なほ子君 お話を聞けば尻ぬぐいというような形にそれはなるかもわかりませんが、併し大人のそういう問題と子供の問題と、もう少し切り離してお互いに考えることができないか。これはお互いにこの意思の疎通が若干欠けておる点があつたのではないか。これは十分お話を双方から聞かないとわからないと思うのですが、それだからと言つてこの子供をそのままに放置されておるということは、これは教育という立場から立ちますと、やはり納得が行かない。そういう点がこの問題のトラブルの焦点になつておるような気持がされないわけでもないわけでございます。そこでお話を伺うと、施設の面も若干ある。東京都のほうには余り御迷惑をかけたくないというような御意向を朝鮮人側の先ほど代表のかたからもちよつと伺つたわけでございます。そういつたような減点を朝鮮人側でも持ち、又施設もあるということであれば、本年度宙に浮いてしまつた子供をそのままにしておいて、非常に悪感情を持たせるということは、お互いの民族の上において私は不幸じやないかと思う。こういうように現実の問題に即して最も現実的に、政治的に物事を解決するためには、やはり重ねられた努力というものやお互いの妥協というものは私は或る程度必要として残されておるのじやないかと思いますが、教育長は、松沢委員長でございますか、大変御心配になつておられるということを私は伺つておりますが、もう少しこの問題は政治的にお話合いを進められるような御努力を私は特にして頂きたい、こういうふうに心から希望するわけでございますので、この点一つ幅のあるところでお話合いを進められる御用意があるかないかというようなことを承わりまして、後刻私はいろいろ御窮情も、今日は時間がないので余りだらだらと何しても御迷惑がかかると思いますから、研究をして見たいと思いますが、そこらの含みをお答え願いたいと思います。
  148. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 実はこの中学校、高等学校の増員の点、これは皆朝鮮人の代表者のほうからも話がございまして、設備の点につきましても教員の点につきましても、自分のほうで経費を持つから都立の学校としては拡充してもらいたい、こういう希望がありましたけれども、先ほど稜々申しましたように、私どもといたしましては、今日までの朝鮮人学校の運営の仕方から申しまして、直ちによろしいということができかねますので、それから又都議会の空気等もございますし、ただ金が今直ちに要らんからそれを取引にするというわけにも参らないので、それだけ皆さんがたのほうで金を出し、設備も出すというならば、而も皆さんがたのほうではいわゆる民族教育をやりたいという御意向もあるならば、一つそれだけの限度で私立の各種学校なり、中学校なりを一つお始めになつたらどうかということを私は言つておるわけであります。でありますから、向うの人たちの言うことならば、私立にさえすれば、今二百五十名の人を路頭に迷わすということがないわけでありまして、それをどうしても私どものところに押し付けようとするところに問題が残るわけなんでございますが、折角今高田先生からお話がございますのですが、私ども教育委員会といたしましては、この運営についての向う様との話合いはここ暫くはいたさない、こういうまあ態度をきめて来ておるわけでございます。もう開校いたしましたのですが、開校した後の情勢を見た上で一つお話合いをしたい、それまではまあともかくこちらの指示通りに従つてやるということになつたのだから、この運営についての話合いはここ暫くはやらない、こういうことをきめて参つておるわけでございますので、御了承願いたいと存じます。
  149. 野本品吉

    ○野本品吉君 先ほど来いろいろとお話を伺つておりましたが、非常に私は大きな問題だと思つております。と申しますのは、これは仮定でありますけれども、若し教育委員会と朝鮮の人たちとの話合いが一応落着いたと言われる六つの条件が履行されずに、而もそのままその学校が存続するということになりますと、特別な国際的な取極めも何にもないお互いの間において、治外封建的な存在が部分的に生じて来る。これは日本の法の権威の上におきましても、主権の点から考えましても、事一小学校、一中学の問題ではないと私は考える。そうしてこの問題につきましては、私は今仮定の上に立つて私の意見を申上げておるのでありますが、これは単なる文部省の問題でなしに、政府にとりましても大きな問題であろうと思う。緒方局長におかれましては、文部大臣を通してこの問題に対する政府の統一された見解を発表されるように取計らつて頂きたい、かように考えます。お願いいたします。如何でしようか。
  150. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 只今の野本委員の御意見に対しまして私は全く同感でございます。非常に重大な問題でございます。それだけにこのたびの東京都の教育委員会の御苦心もさこそと考えておる次第であります。この要求されました六項目の事項が十分に守られまして、教育の内容が改善され、或いは学校の運営、管理が適正になることを私どもとしては強く期待し希望いたしておる次第でございます。併し、若しも只今お話のような事態に相成りました場合には、これは日本国家としても非常に重大な問題でございますので、私ども文部省の関係のみならず、政府としてもいろいろの方策を更に考えなければならんと思います。この点につきましては、お話のように私も大臣に十分申上げたいと思います。
  151. 野本品吉

    ○野本品吉君 もう一つ、私は今までの質問できつと出るだろうと思つておりましたもう一つの重大問題があろうと思います。そはは只今ちよつと高田さんが触れられましたけれども、この問題の紛糾の途上に、或いは解決の途上におきまして、日本人の一女教員が吊し上げにあつて気絶された。若しこれが事実だとしますならば、これは実に大きな問題であろうと思つておるわけであります。そこで私はこのいわゆる吊し上げというものが何を契機として起つておるのであるか、それからして吊し上げの状況はどんな状態であつたか、その結果がどう扱われておるか、これにつきまして教育長からその実状についての御説明を願いたいと思います。
  152. 加藤清二

    参考人(加藤清二君) 私まだ詳しい調査の結果を受けておりませんので、はつきりした報告を入手いたしますれば御報告申上げます。
  153. 野本品吉

    ○野本品吉君 只今ここで詳細なお話は伺えないようでありますけれども、是非このことにつきましては、詳細なる適正な事情の御調査を願いまして、そうして私どもが納得されるような手配をとられますことを委員長にお願いいたしておきます。
  154. 川村松助

    委員長川村松助君) ほかに加藤参考人に御質疑のあるかたがありましたら、御発言願います。
  155. 長谷部ひろ

    長谷部ひろ君 先だつて来、朝鮮のかたにも我々お話を伺つたのであります。そうして又加藤教育長にも只今お話を伺いましたけれども、大分そこにずれているような気がするのでございます。そこで誠に恐れ入りますけれども、又の機会に朝鮮側からも御発言頂きまして、その上で私どもが本当に考えさせて頂くときをお与え頂きますことをお願いをいたします。
  156. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 実は今日須藤さんから加藤教育長を呼んで話をするという場合に、私どものほうもいろいろ重要問題として考えておりますけれども、なおこれは党の態度はまだ決定しておりませんので、今日は一応事情を聞くというだけにしておきまして、大体あとにまだ定時制の分もありますので、この程度でこの問題は今日は終つて頂きたいと思います。  なおもう一つ只今傍聴席から、委員長は聞えなかつたかも知れませんが、発言の声が聞えたのでございますが、一つ委員長においても十分注心して下さい。
  157. 川村松助

    委員長川村松助君) その発言は聞えませんでした。
  158. 野本品吉

    ○野本品吉君 そこらへんで嘘をつけという発言があつた。
  159. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 国会に対して非常に問題だと思うので、気をつけて頂きたい。
  160. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  161. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記をつけて下さい。   ―――――――――――――
  162. 川村松助

    委員長川村松助君) 次に、勤労青年教育振興法案に関連しまして、御所見を伺いたいと思います。最初に金子勝史君に御発言願いたいと思います。
  163. 金子勝史

    参考人(金子勝史君) 只今委員長のほうから御紹介にあずかりました金子でございます。学校東京都立新宿高学校でございます。  勤労青年教育振興法案と私どもは申しておりますのは、この前の国会で御審議を頂きまして、高等学校の定時制教育及び通信教育振興法という名前で一応通過させて頂きました法律とこのことが密接な関係があるのでございます。この前の国会で通過しました只今の定時制教育及び通信教育振興法の中には、私どもが申しております勤労青年教育振興法案の中に書いてございます公立高等学校の勤労青年教育に関する国の負担というものが具体的に出ておらないのでございます。それを具体的にして頂きまして、今度の国会で御審議頂きたいという希望を持つておるのでございます。定時制教育の法律については先生かた御承知と思いますので、これは御覧頂けばわかるのでございますが、勤労青年教育振興法案の国の負担といたしましては、私の希望しておるのは、いろいろ国家の財政もあることとは思いますが、三分の一ぐらいの負担が必要なのではないかというふうに考えておるのでございます。つきましては、私ども言つておりますこの法案は、大学の勤労青年教育にも関係があるのでございまして、全国に只今国立並びに公立の大学設置が甚だ少い。御承知のように、特に東京都においての国立、公立の大学が甚だ少い。そのために働きながら勉強をしております、特に東京は定時制と申しましても夜間でございますが、その生徒諸君が大学に入ります際に、只今申上げましたような国立、公立の大学が少いために、高い授業料、高い費用を支払つて私立の大学へ行かねばならない、こういう実情がございますので、もう少し全国的な国立の夜間大学の設置が望ましい、こういうふうに考えております。  もう一つは御承知のように、働きながら高等学校の生徒が勉強しておるのでございますが、最近の社会情勢から、職場から学校へ参ります際に、どうしても職場の圧力がかかる傾向が強くなつて参つたのでございます。そのよい例は、中学校義務教育を完全に終了しない、具体的に申しますると、三月三十一日の終業式を終らない前に、すでに貧しい子供たちは就職をいたしまして、仕事を持ちまして、本当に採用にならない前に、見習という形で勤務しておる生徒の数が多くなつて来ております。従つて高等学校に入学をいたしましても、いろいろ生徒に聞いてみますと、自分が夜の高等学校に行くことを職場に成るべく知られないようにして学校へ行く。言い換えれば、自分たちが高等学校教育を受ける場合に威張つて高等学校教育が受けられない、こういうような実情が最近強くなつて参りましたので、勤労青年教育振興法案の中に、勤務青年が高等学校教育を受ける場合に、雇主のほうで不当にこれを抑えつけることのないようにして欲しい、こういうことを考えておるのでございます。  それからもう一つは、簡単に定時制教育と申しましても、大都市でありますと、夜間の学校が主でございますが、地方に参りますると、昼の定時制高等学校があるのでございます。まとめて申しますると、昼にも定時制教育があるし、夜間にも定時制教育がある、東京都のように交通の便利な所でありますと、定時制の教師を希望するかたが割合にあるのでございますが、地方に参りますと、定時制の教師の希望が少い。これは一つは交通の不便ということが理由になりますが、そのほかに、夜だけ教えれば、或いは昼の定時制の生徒だけ教えれば、それだけでその教師の任務が終るとかいうのではなくて、働きながら勉強しておる者の相手をする教師というものは、普通の恵まれた高等学校の生徒を教える先生よりもいろいろの負担がかかるわけでございます。例えば夜間の教師の場合を申上げますと、昼は職場の斡旋をするとか、或いは職場を廻つて歩いて、自分たち教えている子供がどういうふうな仕事をしておるか、職場の連絡、斡旋、或いは家庭の訪問、こういうことを始終やらなければいけない。夜の授業は、大体東京都の例を申しますと、非常に便利の悪い所で八時四十分、便利のいい所は九時十分、こういう時間に授業が終るのであります。授業が終りましてから雑務がございます。勿論授業中にも雑務がございます。生徒諸君も大変なことで、九時十分に終つた生徒諸君が、大体自宅に帰りまして食事をとつて休む時間が、調査いたしますと、早いところで十時四十分くらい、遅いところで十一時半くらい。従つてこれは自然健康に影響する。健康のことについては、ここに主事の勝村先生がおられますので、のちほど勝村先生からお話があると思いますが、そういう状態が生徒の場合、教師も同じことでございまして、教師は大体食事を学校でする先生と自宅へ帰つてする先生とを調査してみますと、大体の先生が夜自宅に帰つて食事をする。従つて健康の上においても思わしくない。余談になりますが、或る若い男の先生が共稼ぎをするために、昼勤める女の先生と結婚したが、二人が顔を会わせるのが十一時過ぎである、こういうエピソードがあるくらいに、家庭生活も円満に行かない。夏とか冬とかいう、そういう寒い熱い時期には、特殊の状況に置かれておりますので、家庭の燃料費その他の費用が余計かかる、こういうことから勤労青年教育をスムースにやつて行くために、教師に対する国庫の補助が欲しい。  以上かいつまんで申上げますと、そういうことが、この前の国会で通過いたしましたところの定時制教育及び通信教育振興法案に漏れておりますので、この点を今度の国会で是非一つ盛込んで頂きまして、具体的に予算措置をして頂きまして、先生がたの御努力をお願いしたい。  なお、施設の面を考えてみますると、高等学校に併設されておる夜間の定時制高等学校と、交通の関係上小学校及び中学校に併設されておる高等学校と二つあるのでございます。東京の場合を申上げますと、これを分校と言つておりますが、地方にもそういう学校があるのでございますが、小学校中学校に併設されておりまする定時制高等学校は、御承知のように施設設備が不十分である、ここにいろいろな学校の運営の問題が出て参ります。理科実験室の問題、図書室の問題、そのほか毎日坐つておりますところの椅子や机の問題、大きな子供が小さい椅や小さい机に坐つておりますので、自然保健上に思わしくない。こういう問題も出て参ります。なお夜教育しております夜間の定時制高校でありますと、学校設置基準法には理想的な法律がございますが、現実問題としては電燈が暗くて出席簿も読めないというような学校が大東京都の中にも相当多数あるのでございます。こういう恵まれない生徒諸君のために、只今申上げましたのは極くかいつまんででございまするが、そういう点を是非今度の機会に法案の中に織込んで、恵まれない生徒諸君の安んじて勉学できるよりにお願いしたいというのが、私のここへ立ちました趣旨でございます。  時間がございませんので簡単に申上りましたが、なお御質問がありましたり、それについてお答えいたしたいと思います。以上であります。
  164. 川村松助

    委員長川村松助君) 次に勝村満君にお願いいたします。
  165. 勝村満

    参考人(勝村満君) 私は現在勤労青十教育上最も支障を来たしている問題、生徒の保険問題、健康管理の問題、そのうち特に給食の問題について意見を申上げまして、善処をお願いしんいと存じます。終戦後欠食児童というような言葉がございまして、大分社会上、教育上、大きな問題を投げたのでございますが、一応終戦後八年を経まして、食糧事情も緩和したというような現況におきましても、大半の生徒が今なお欠食生徒であるというような状態であるが定時制の生徒でございます。私たちはこれを飢餓通学と称しているのでございますが、東京都の生徒が四万五千、全国で五十八万という生徒の大半がこの飢餓通学をしているのでございます。定時制の生徒は大体職場が八時から五時まででございまして、それから急いで学校に駈けつける、大体今申上げたように五時から九時までの四時間が生徒の授業でございます。そういたしますと、丁度職場でお弁当を食べて学校で四時間やりますと、家へ帰るのが十時でございまして、その間約十時間というものは殆んど物を食べてないというような状態でございます。考えますと、これは丁度あの生徒の年代と申せば大体伸び盛り、食べ盛りという時代でございまして、昼間の生徒でございますれば、家へ帰れば必ずお母さんたちから相当のおやつを頂いてもなお足りないというような年配の生徒でございます。この生徒が十時間も食事をとらないで更に四時間の勉強をするということは、これは我々教師としても食べないで勉強するということは非常に苦しい状態でございます。その結果生徒たちが腹がへつてぺこぺこである、眠くなる、早く家へ帰りたい、こういうふうな状態でありますから、学習意欲というものは非常に減退して、どんなに強力な意思を以て勉強しようといつても、自然の空腹という状態に打ち勝てません。従つてたちが努力し、又生徒たちが強固な意思を以てやるのですが、どうしても打ち勝てない。そういうのでございまして、単に学習意欲が低下するのみならず、これは家へ帰つて十時以後に全くの空腹を抱えて食事をとるのでございますから、その結果食事をとりましても、而も明日は又明日の職場がありますから、勉強ということも十分できませんで、そのまま床に就くというような状態でありますので、この結果は身体に非常な悪影響を及ぼしまして、慢性の胃腸障害とか、或いは食欲不振とか、栄養失調とか、結核にかかるとか、そういう率が非常に高いのでございまして、延いては長期欠席、休学、或いは退学、遂には長期療養というようなコースを迫る生徒が相当多いのでございます。これは東京都の定時制の場合におきまして、百十七校、四万五千名を調査いたしたのでありますが、大体一年間に二千五百人の休学者があるという調査が出ておるのでございます。これは二十八年度でございます。そこで私たちはこの生徒にパンの一個でも、或いはミルク一ぱいでも食べさせたら、恐らく生徒たちは溌剌とした元気を持つて勉強するのじやないか、こう常日頃考えておるのでございます。現在の実情を申上げますと、大体給食設備もありませんし、それから生徒のふところも十分でないので、又学校のPTAも昼間と違いまして十分な経費が出ませんので、学校によつてはコツペパンを売つておるところもあります。或いはうどんなんかもやつておるところもありますが、これは大体業者任せでございまして、小使室の隅つこというような所で大体非常な時間の制約を受けて、噛み噛み勉強をするというような状態で、非常に健康の立場からもゆるがせにできないような状態でございます。  そこで、私たちは是非今度の機会に生徒たちの給食について御考慮を頂きまして、別に贅沢ということは申しませんが、とにかく腹を満して勉強がでざるようなそういう対策を御考慮頂きたい。願くば待望の給食法というようなものを考慮されておるということでございますので、その範囲内で勤労青年の体位のことも併せて御考慮頂きたい。設備、人件費、或いは食物の内容は、今国家財政も不如意の時代でございますが、折角昼間の生徒、或いは義務教育の生徒が給食のお蔭を頂きまして立派な体位を持ちましても、高等学校に入つてこういう状態では、さつきり義務教育における体位が水泡に帰するということも考えられますので、是非この点を御考慮頂きたい。なお勿論中学校における、或いは小学校における給食とは定時制に学ぶ生徒たちの給食は多少目的において違うかも知れませんが、併しいずれにしても食べないで勉強するということは、これは我々の到底生徒さんに言えることではないと存じます。私たちは給食ということを考える場合に、適当な時期に適当な食事をと、こういうことを考えていのでございます。家へ帰れば成るほどそれは食事はとれると思いますが、併し十時間の時間を空腹にするということは、これは勉強の効果においても身体の発育のためにも非常に障害が生ずるのでございます。そこでこの給食を頂きますれば、先ず生徒たちが勉強意欲が出て来る、又社会的には労働の意欲、生産の増強ということは当然考えられるので、これは両方から十分な成果があると存じます。又学校教育のほうから申上げますと、生徒たちが同じ物を食べているというような平等感をそこで植付けられますし、それかりとかく貧しい生徒でありますので、社会をひがんでおります。劣等感というようなことも先ずそういうところで是正できるんじやないか。少くとも最小限の生活ということを生徒自身が保障されているということになれば、政府ということにも明るい気持を持つて生徒たちが将来のために貢献するようになるんではないか。先ほど申上げました身体の健康ということは勿論でごごいますが、精神の健全化というようはこと、平等の観念、或いは社会の保障というようなことについても非常に明るい気持をもつて勉強にいそしむのしやないか。勉強にいそしむと同時に社会の生産に貢献して、社会に現実に貢献して行くんじやないか。そういうことを考えまして、是非早い機会において勤労者年、現在五十八万という生徒の将来のことをお考え頂きまして、この給食の制度を何とかして実現して頂きたい、こういうことをお願い申上げます。  以上であります。
  166. 田中啓一

    ○田中啓一君 質問をいたしたいのでございますが、よろしゆうございますか。
  167. 川村松助

    委員長川村松助君) 今から質疑に入りたいと思いますが、お差支えありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  168. 川村松助

    委員長川村松助君) どうぞ。
  169. 田中啓一

    ○田中啓一君 私、この勤労青年の教育というものは、私はもうその人たちのためにも、又我が国家民族のためにも非常に大切な問題だと実は思つております。殊に私どものように、これは私どもじやない、私のようにそういうような実は生立ちで来ました者から言えば、なお単身につまされるのでありまして、今いろいろ伺いまして考えさせられることが非常に多かつたのでございますが、先ず金子先生にお伺いしたいのは、雇主のほうでどうも学校へ行くことを喜ばない気風がある、従つて中には隠れるようにして行く、こういうお話がございましたが、その辺の事情をもう少しお伺いができんかと思いますが。
  170. 金子勝史

    参考人(金子勝史君) 只今の御質問は、雇主のはうで勤労青年が学校へ行くことを抑圧するその事情をもう少し具体的に話して欲しい、こういう御質問でございますので申上げますが、あれは官庁ですと時間がはつきりしておりますから、大体五時まででございますので、その時間が来ればあとは自由になるわけです。ところが私の学校が千名おりますが、官公署に勤めておる生徒諸君はその中で何人であるかというと、半数以下でございまして、あとは中小企業、中小企業はどういう形で勤労青年を使うかということは御説明申上げるまでもないと思います。特別年度末とかお盆とかというときを除きましても、その中小企業の仕事の都合によつては夜七時なり八時までどうしても職場にいないと都合が悪い。それを自分は五時二十分から学校があるからといつて出て行くと、その職場から追われる。現在の社会情勢ですと、そこから追われてすぐ次の職場へ果して移れるかどうかという傾向が、具体的に申しますと昨年の十月頃から強くなつております。そこで便法としまして、学校でも職場へ参りまして、職場の事情をよく見まして、或いは職場の雇主と話合いをして、そこのところは何とか面倒を見て頂くというふうにしておりますけれども、一般の傾向としては中小企業に仕事を持つ者が多いのでございまして、そういうのがある。それから鉄道職員ですが、これは私の所にはおりませんけれども、御承知のように一日おきの勤務である。定時制は四カ年でございますが、四年で八十五単位を履修するわけですが、一日おきですと八十五単位はとれない、こういう実情がございます。先ほど申しましたように少くとも職場で六時までおるという青年ですと、これは八十五単位とれません。そうして結局一年延ばさなくちやならない。勤労青年から言えば、一年修学期間が延びるということは、彼らの健康、経済、家庭、こういう問題において相当大きな負担がかかるというのが実情でございます。いろいろございますが……。
  171. 田中啓一

    ○田中啓一君 それからいま一つお伺いいたしたいのは、若し大学のほうで夜間部をもつとたくさん作つてくれればあんなに無理々々して昼間の大学へ人は殺到せんであろう、こういうお話を伺いましたように思いますが、そうでございましたですね。
  172. 金子勝史

    参考人(金子勝史君) ちよつと違うのですが。
  173. 田中啓一

    ○田中啓一君 それじやちよつと何か意味が違うようでございますから。お述べ願います。
  174. 金子勝史

    参考人(金子勝史君) 私の申上げました大学設置は、夜間の大学です。夜間の国立、公立の大学です。これは最近高等学校教育だけでは職場におりましても昇進の途が少なくなつて来ておるわけです。従つて大抵の夜間定時制の高等学校の生徒では、実業学校を除きますけれども、普通課程の生徒ですと大学希望があるわけです。その際に国立、公立の大学がないためにやむを得ず私立大学の高い経費をかけてそこへ行かねばならん者が多い。若しそれが国家で保障された公の機関がありましたならば、経済的に救われるのじやないか、こういうことを申上げたのであります。
  175. 田中啓一

    ○田中啓一君 よくわかりましたです。私案は最近まで余り教育問題はこまかく勉強をいたす機会がなかつたのでございまして、終戦後あつという間にいろいろ日本の新らしい教育の制度ができたのでございまして、今お話になりました夜間部の大学を作つてもらいたい、何もこれは別段新らしく大学を作らなくても私は従来の国、公立の大学が夜間部のコースを開設すれば、設備もあり、私は事足りることだと思うのでありまして、恐らくそういうような意味で仰せになつたことだと思うのであります。これは是非やりたいことだ。私も大学の学校が夜間部に専科を作つておつたので、ドイツ語を習いに行つた覚えもあるのであります。これは欲が深くて昼の大学もやる、夜の大学もやつた、こういうことであつたのでありまするけれども、都合がよかつたのは事実であります。それからまあ一番私何とか解決しなければいけないと思いますのは、飯を食わん話であります。今学校給食についてここの委員全部が非常に心配をいたしまして、何とか一つ夜間の高等学校あたりまで義務教育と併せて学校給食を拡げんものだろうかということでいろいろ研究中でございます。研究中でございますが、義務教育だけでも大体人数が千八百万ぐらいおりますが、それに五十万、六十万加わわつても、これは大したことではないのでありますけれども、とにかくそういう大きな問題でありまして、これにはもう日本の現在の農業生産まで変化を及ぼさなければやれないような問題であり、又変化を起すことが望ましい点も多々あるというような非常に、ひとりただ教育の面からだけでなしに、経済面、産業面にも変化を及ぼすような問題でございまして、まあできるだけ各方面の智慧を集めまして、今研究をしておるという実は段階でございますが、私も夕飯抜きになつて腹が減つた覚えがあるのです。十時頃まで飯を食わんというと体が変になつてしまつて、それで私はやめたのです、一学期ほど行きまして。これが四年間続けるということは私は大変なことだと思います。而も私は義務教育の大事なこともさることながら、それは終つて、併し今お話を伺いますと、終りのほうは少しあやしいようなことも最近出て来ておるということで、これも誠に私は考えなければならんことだと思うのでありますが、何とか、まあ本当を言うと、うどん一ぱいでもいいんです、むずかしいことではないのですね。それで何とか考えなければならんということと、同時に私はその定時制高等学校の今の八十五単位のお話を伺いましたが、これも少し画一……、文部省のかたもおられたようでございますが、これも少し画一に過ぎるのではないか、もう少し、まあ金子さんのところは千人おるという話ですがクラスを分けるとか何とかして、もう少し変化のあることができないかどうか。又定時制高等学校の制度そのものも全国画一に全部やるのでなくて、もう少し実情に応じた変化を求めて、而も実力のある人間が作れんか、幸い四年かかつて習うのでありますから、普通の学校に比べて年も余計とる恰好になるのでありますし、或いは中学を卒業して一年や二年はただ働らいておつて学校に来るということもある。こういうことは多々あると思うのであります。私が一番重視しますのは、この学問をするということなんですけれども、とにかくおれの家としてはぷらぷらされては困るので、何でもかんでも学校に行かなければならんというので追立てられて学校に行くものと、そうでなくどうしても自分はやりたいのだと言うて難儀の中から行くというものとは、私は大変な違いであり、そこにいろいろ変化の途も考えられるし、又我々大切にもしなければならん。本当にここらの人が国民の中堅の人になるのではないか。家に金があり余つて学校に行かなければ体裁が悪いということで学校に行つておる人は、実は私から言えば余り役に立たんであろう、学校の席を塞ぐだけである。憲法に言う能力に応じて、能力のほうはあやしいのじやないかというまでに実は私は思うのであります。そこで何かまあ制度のことは、私どもみんなで十分勉強して、実情に合わない規則でありますれば、規則を変えるのが我々の役でありますから、それは又勉強することといたしまして、差当り十時間も何も食わんでいるというのは何か解決の便法はないか。若しお考え付きがございますならば、一つどんな思い付きでも結構でありますからおつしやつて下さい。それを私ども端緒といたしまして、又勉強いたしたいと思います。
  176. 勝村満

    参考人(勝村満君) 今大変に御同情のあるお話を頂きまして、何か便法というお話ですが、まあ東京都といたしましては、二十五年度から一応実験学校というような名目でございまして、四つの学校に人件費一人だけ頂いておるわけでありまして、それで私の学校もその一つになつておるわけでございますが、人件費一人頂いておるものですから、私どもの所ではまあうどんが十円とそれからパンはこれも実験という意味で小学校と同じように今便宜を図つて頂いておるものですから、小学校と同じようなコツペを五円で売つておるわけです。これは最低限十円あれば生徒がまあ空腹を抱えなくてもできるというようなつもりで今やつておるのですが、大体半数ぐらいの生徒がそれを利用しておるわけでございます。殊に非常に困るのは両親のない子、又は地方から上京しておる子、要するに家庭のない子、この生徒が殆んど常習的にこれを利用しておるわけでございます。ですから私ども考えは十円くらいで腹をふさげたらという見当で今やつておる次第であります。なおこれは東京都の給食をしておる所としていない所と調査をとつてみたのでありますが、私ども学校はそのカーヴにすれば、その効果はあるというデータが出ておるのであります。
  177. 田中啓一

    ○田中啓一君 もう一つだけお伺いしたいのでございますが、実は私の経験では、どうやらうどん一ぱいの金は苦面できても、ときどきないこともあるのですけれども、時間がないのです。教場に駈けつけんことには授業時間に間に合わない。ところが先生の講義を聞き洩らしたのではとてもいけない、こういうことでどうにもとにかく時間がない、こういうことなんでありまして、今もお話を伺いますと、まあ普通職場が五時に解放される、五時に学校が始まる、よほど近いものでもパンを噛つている暇もない、こういうことになるのでありますが、その定時制高等学校ですから、多分とにかく何時間やらなければ卒業免状はやらんぞという規定になつておるのじやないかと思うのでありますが、何かそこら校長なり或いは教育委員会あたりで時間を大変縮めてエツセンスだけを教える、私はまあそれは多分にあると思う、私も先生もやつたのですけれども、若気の至りでたくさん教えようと思うものだから生徒のほうは堪らない。いい先生というのは多弁でないのです。これはもう私はいい先生の一番の証拠だと思う。要するに生徒に学問的な実力をつけてやるということなんですから、私はその先生のほうが相当熟しておればそれはつくであろうと私は思うのです。而も、もう何ですね。いやいや学校に行つておるのではなくして、どうでもやりたいという向学心に燃えて自発的に本当に入つて来た人なんですから、ふらふらしているのとまるで私は違うと思う、そういう人間に対して私はそういう人の能力に応じた実力をつけてやるというとは、私はやはり方次第でそう時間に拘泥せんでもやれるじやないか。まあ何か嘘も方便ということもございますが、一時間のところを四十五分でやつておる、これも私は一つの手じやないかということを実は考えるのです。で、教育ですから教え育てるのですが、育てるほうは私はこれじやゼロだと思う。身体をこわしちまつて死んでしまつて何の教育ぞや、こう私は思うのです。でありますから、何かそういうようなことも一つ見識を持つておやりになる途はないだろうか。こういうことを考えるのでありますが、如何でございましようか。
  178. 勝村満

    参考人(勝村満君) 大変に教育論を御教示頂きましたのでございますが、実は定時制の生徒は昼間の生徒と同じような教育課程を組入れられておるわけで、やはり教育内容においても、それからその効果においても同じようにしようと、全然差別がないようにしようというのが一応のまあ線でございます。そこで、一番困つたことは先ほど言つた時間のないことでございます。これは単に給食の時間がないだけではなしに勉強の時間がないわけでございます。で、恐らく生徒は朝もう大急ぎで起きて御飯をかき込んで、そうして職場に行くわけでございます。で、職場ではやはり八時間やりまして、そうして又学校に来るわけですから、その開殆んど自分が自習をする、或いは復習をする、予習をするという時間は殆んどないわけでございます。挙げて学校教育に依存しておるわけでございます。これを更に縮めるということは、これはもう非常な教育効果ということも考えなければなりませんけれども、非常にまあむじかしいということは申上げられると思うのですが、併し現実において四十五分の授業をやつておる学校もございます。それからいわゆるその一時間と一時間の間を五分に縮めている学校もまああるわけでございます。その点についてはこれは校長が学校の時間を決定する権限を持つておるわけでございますが、それぞれの学校によつて適当に按配していると思います。私の学校は非常にまあ便利でございますので、九時十分までやつておるわけでございます。普通はまあ八時……、交通の悪い所ですと八時半とか八時四十分とか、いろいろございますが、私の所では九時十分。従つて、成るべく学校に近い生徒を収容している。遠い生徒はそれぞれその近い学校に収容するということにしまして、大体九時十分と、こういうふうなことで、成るべく今御趣旨のような時間を給食のほうにも充てたいと、そういうふうに考えておるわけでございます。
  179. 金子勝史

    参考人(金子勝史君) 一点だけ。只今教科書のことが出ましたので、一つ御研究頂きたいと思いますので申上げますが、現在の教育法によりますと、只今のお話のような教科書、つまり定時制の生徒に適切した教科書が欲しいという声はほうぼうからあるのでございますが、そういうテキストを作りましても文部省では許可になつておりません。そういうことは我々のほうでも研究しておりますのですが、八十五単位という単位の問題と、それから教科書の問題というのが密接な関係がございますので、その点も一つ先生が右のほうで御研究頂きまして、是非定時制の生徒に向くようないろいろな書式がうまく考えられましたならば、全国の生徒が幸福になるのでやないか。それについては定時制の中にも教科用図書に対する補助というのがありますが、恐らくその補助は実業教科書に対する国の補助じやないかと思いますが、それだけではなしに定時制教育に適切した教科用図書が考えられた場合には、その方面の国の補助も頂けるように御努力願いたいという希望を申上げて終ります。
  180. 川村松助

    委員長川村松助君) ほかに御質疑ございませんか。
  181. 永井純一郎

    永井純一郎君 勝村先生に、簡単で結構ですが、先ほど二千五百人の年間の病人が定時制高等学校の生徒にあるということでありますが、これは大体はまあどういう病気、例えば結核等が殆んど多いとか、若し病気になつた場合にはそれはどういうふうにして生徒が医療をしておられるか、或いは悪い体を放つたらかしておられるというような実情にあるのか、その辺をちよつとお伺いしたいのです。
  182. 勝村満

    参考人(勝村満君) 休学の理由は家庭上の理由、これは家庭上の理由というのはいろいろな問題を含めていると思います。要するに経済上の問題、家庭上の理由、もう一つは職場の理由、職場を転換して或いは六時になつたとか、或いは階級が一つ上つたために早く帰れない等、いろいろでございますが、大体経済上の理由、それから職場の理由、それからもう一つは病気でございますが、その病気の中で結核と普通の病気と分けておるのでございますが、結核ははつきりしたデータを持つておりませんが、大体昼間の三倍ということは、これはもう私の学校でもやつております、パーセンテージは今正確なものをちよつと持つておりませんですが、これは東京都で調査がございますから、若しなお必要があればあとでお届け申上げます。それから療養の場合においても昼間の生徒よりも非常に期間がかかる。例えば昼間は半年でいいということであれば夜の生徒は一年かかる。こういうデータも都立一商のほうで作つておりますから、これもございます。  それから今そういう病気にかかつた場合にはどうするかということでありますが、この場合は生徒は二重に負担を持つわけであります。一つは職場のほうを休まなければならない。そうすれば非常に経済的に困難な事態に逢着するということ。学校と両方の負担で非常に困つているのですが、その場合には会社なり官庁なりで健康保険に入つている場合は非常にいいわけですが、これも今調べておりますが、半分ぐらいの生徒は中小企業その他で健康保険に入つておりません。そういう生徒は殆んど療養に要する金がないわけですから、まあいよいよ最後になれば生活扶助法によつて療養所に入る、そういうところであります。
  183. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 どちらからでもよろしいのですが、私も健康の問題を一番心配しているところなんですが、私どもの経験でよく夜の勤めもあるので、夜の勤めを繰合して昼の学校に行つてもらつたこともありますし、それから夜行く人にはできるだけそういう勤務を繰合して夜の定時制に行けるようにいたしたこともありますが、一番我々職場において心配になつたことは、本人の健康の問題なんです。朝やはり顔色を見ているのですが、どうもやはり無理がかかるのじやないか。まだ成長期にある人たちですから、両方一生懸命になれば真剣な人ほど体をこわして、結局虻蜂取らずになつてしまう場合がなきにしもあらず、そういつた非常に心配しておるのです。先ほど結核については非常に大きな率になつておると言われた。この点に対する考慮として特にどういうことが考えられまずですか。
  184. 勝村満

    参考人(勝村満君) 学校としては、一応その学校として定められた検診とか或いは身体検査、そういうものがあるわけですが、普通は年一回ということでございますが、私のほうは二回集団検診をやつております。そういうことで異常があれば更に精密検査をいたしまして、父兄に通知して適当に療養する、そういうふうに一般にはそうやつておるのでございます。
  185. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 私は教育というものはいつでもそういうものであるべきだと思うのですが、特にこういつた教育に携わる場合には、単に法律できめるとかで踏み切れるとかいうことでなしに、とにかく気持の籠つた管理なり教育が必要なように思うのですが、そういうことについての保障がないと、これは私は却つて若いうちに精神を使い果して、或いは肉体を本当に弱らしてしまうという場合が出て来る。いい加減に単位だけ取つた、卒業だけするのだという人は却つていいのかも知れませんけれども、真剣にやろうとすればするほど無理が出て来る。従つて学校のほうでも、それから勤めの世話をしておるほうでも、よはどそういつた配慮が要るように思います。そういうことを法律に作る場合としては考慮しなければならんと思うのですが、御意見としてはどうですか。
  186. 勝村満

    参考人(勝村満君) 非常に建設的な御意見を頂きましたが、実は給食の問題も身体管理の問題の一環でございまして、学校としては当然身体管理をしなければいけないので、その場合に今お話を頂きましたような法律だけでなしに、この健康相談というようなことも当然やらなければならないとそう考えております。これは施設の上においても、或いは人の問題においても当然やらなければならないのですが、昼のほうはちやんと学校の校医というのがございます。それから保健婦と養護婦というそういうものもおるわけでございます。それから休養室或いは医務室、こういうものもあるわけです。ところが定時制のほうになりますと、お医者さんもありませんし、養護婦もありませんし、休養室、医務室というようなものもないわけでございます。これはないというのは私のほうは都立ですが、都のほうからそういう大体予算が殆んど来てないわけでございます。それで昼間のほうでは大体PTAその他で賄つておるわけでございますが、夜間のほうはそういう経費がございませんので、非常に本当の努力だけではできない問題なんでございます。医者と定期にやつて相談するとか、或いは保健所に連絡するとか、できるだけはやつておるわけですが、全体の設備としてはそういう状態になつております。
  187. 野本品吉

    ○野本品吉君 時間が大分遅くなりましたから、項目を簡単にお聞きしたいのですが、簡単にお答え願いたいと思います。入学者で同時に入学した者の卒業するときの数ですね、入学当時の数と四年で卒業する者の比率はどんなふうになつておりますか。
  188. 勝村満

    参考人(勝村満君) これははつきりしたデータはない。まだ終戦後変化が多うございまして、そうして二十三年に始まりましたが、一応去年卒業生が出たわけでございます。それでその場合にはもう殆んど半分もいなくなつたという状態であります。ところが最近ではこれは私の学校の例で申上げますと、大体七割くらいはいるのじやないか、大体一年生は一番移動が多いのでございます。一年生は大体学校で一側の移動、必ずしも退学するのじやないですけれども、よその学校に行くということもあります。大体一割の移動がございます。大体七割くらいはもうこれから生徒は一年で入つて卒業するのじやないかという見通しでございます。
  189. 野本品吉

    ○野本品吉君 もう一つは私は時折授業等を参観しておるのですが今までお話に余り出なかつたようですが、照明の問題ですね。これは生徒の視力の維持という点から言いましても、学習の能率という点から考えても非常に大きな問題だと思う。地方によりましては、金がないというので照度が低いために、生徒が照明の費用を負担しておるというようなところが現実にあつたわけですが、そんなことはどうでございますようか。
  190. 勝村満

    参考人(勝村満君) 東京都の場合でもその通りでございます。都のほうから螢光燈その他照明に対する施設費は殆んど来ていないのでございます。そこで大体、学校のPTAなり、或いは生徒が出して作つておりまして、今五校くらいは螢光燈の設備になつておりまして、大体の通りになつておるわけであります。経費は全然来てないのであります。
  191. 野本品吉

    ○野本品吉君 そこで螢光燈の話が出たから、私全く同感なんですが、実は普通の電燈では陰ができて学習に非常にうまくない。そこで定時制の夜間部の学校の照明は是非螢光燈にしたいものだということは、私は年来考えておりましたが、その点についての御意見はどうでございましようか。
  192. 勝村満

    参考人(勝村満君) もう大賛成でございまして、是非螢光燈にして頂きたい。これは昼間の場合の太陽と同じでございまして電燈がなければ勉強ができない。食事のことを申上げましたが、食事よりもより以上この問題は大切と思います。
  193. 野本品吉

    ○野本品吉君 もう一つ冬の寒い時期における暖房の状況はどうなつておりますか。
  194. 勝村満

    参考人(勝村満君) 暖房はやはり生徒の負担で、大体の所はストーブをやつておるようでございます。
  195. 川村松助

    委員長川村松助君) ほかに御両君に対して御質疑がなければ、この程度で御退席願いたいと思いますが、如何でしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  196. 川村松助

    委員長川村松助君) どうも御苦労様でした。有難うございました。   ―――――――――――――
  197. 川村松助

    委員長川村松助君) それでは次に高田君からの要求の女教員のかく首の問題についての質疑に入りたいと思います。
  198. 高田なほ子

    高田なほ子君 この問題は、今日は文部大臣の御出席をお願いをしておきましたし、大蔵省のほうからも御出席を実はお願いしておいたのですが。
  199. 川村松助

    委員長川村松助君) 私も御要求があつて求めておるのですが。
  200. 高田なほ子

    高田なほ子君 大臣は今日遅くなつてしまつたので、もう何か御用ができてお帰りになつてしまつた。大変に残念なことだと思います。それで今日は、この間は福井政務次官にお出ましを願つて一応承わつておきましたので、今日はどうしても大臣にいろいろと承わつて、私は皆さんと共にこの問題を考えてと思つておつたのですが、文部大臣がおいでにならないことは非常に残念です。とにかくどうも婦人の問題なんというのはどうも大臣のお考えとしてはどれくらい考えておられるか、私はわかりませんけれども、やはり遅くなつても残つていて頂きたかつたと思うのです。併し帰つた者はここで文句を言つてもしようがない。今日は予算のほうの関係の面を主として伺いたいと思います。  その前に、この文部委員会に対して無名の女教師が涙と共に手紙をよこしてくれました。これは朝日新聞も読売新聞も教員の不当なかなか首問題に対しては全国的に取上げてくれたわけです。これは別に頼んだわけでもないのですが、非常によく採上げてくれましたし、又私ども知りませんでしたが、ラジオのニユースが本委員会討論の様子を全国的に放送してくれたらしい、それでこの無名の婦人の先生が涙とともに住所もわからないけれども一筆書かせてもらいたいというので、こういう手紙を寄越しております。これは時間も遅いことですからやめようと思いましたが、一度これは皆さんと共に考えて見たいと思うのですが、「前略校長から退職を勧告されてから三週間、退職が発令されてから一週間、楽しかるべき新学期を迎えても欝々として楽しまなかつた胸中にふとかけたラジオのニユースが途中からではありますが、今日のあなた様の国会での発言を伝えて、暗黒を貫く一筋の光明のごとく明るいものを感じさせてくれると共に、何とも甘えない後悔と焦燥に拍車をかけるような気もいたします。女なるが故に夫婦共稼ぎなるが故に五十才も待たず、まだ働き盛りの四十才そこそこで助教諭への任用替え、上席として円熟した人格技能を以て若い同僚への模範であり、P・T・Aの尊敬、信頼の的であつても、又未亡人で遺児をかかえて生活の主体であつても、四十才ともなれば同じく任用替え、五十才なれば否応なく退職、組合はあつてもやはり女は弱い者、勧告を突つぱねて後での校長や視学の崇りが恐しく、現にその夢ありあり匂わせての勧告には泣く泣く退職願に判を押した今年三月末の退職者の真相を何とぞお力を以ちましてお調べ頂きたくよろしくお願いいたします。退職の辞令は如何に発令したあとでも是非取消して頂かなければ、余りに今回の退職者の犠牲は大きく、泣くにも泣けないものであります。これが国の方針で行政整理であるとかで公平なものであるなら一応肯けもしますが、同様の条件でも巧みに立廻つた者は勧告を免れ、或いは勧告を撤回させ、五十数名の勧告を受けた者のうち二十七名の正直者が馬鹿を見たという今回の措置は、県教組も以死に働きはしたもののやはり課長や視学ににらまれ、立腹されては最後の突つばりが充分でなく、結局は弱い女教師が泣く泣く退職させられた次第でございます。」こういう手紙の後に「後の崇りを恐れて名前を書かないことをお許し下さい。どうしても書かずにはおれない訴えずにはおれない気持で書きはしましたものの御住所もわからず又後難を恐れて躊躇いたしておりますが、この気持を一筆したためまして国会議員の皆様によろしくお伝えをお願いいたします。長崎市の一女教師から」、こういう手紙であります。私はこの手紙を前にして誠に感無量涙なきを得なかつたのであります。けれどもすでに全国的に一応の人事の異動は終つたようでございますが、人事異動の問題については、ただ単に不当な転退職であるというようなことで片付け切れないような大きな問題が残つていると思います。現に先般の偏向教育事例で三十名の証人がこの国会に見えられましたが、あの見えられた中にも偏向教育であるという理由で転任を強要され、又放職を強要されている先生がたの幾人かがお見えになつているはずです。これは昨日私のところに参りましたどこの発行の新聞か知りませんが、教育文化新聞、この新聞の中にたくさんの偏向教育事例をめぐつて転職或いは放職をされておる校長先生、ほかの先生記事が載つておるので、実は私は愕然としてしまつた。この間は婦人の不当なる退職勧告で、又この新聞を見れば偏向教育ということで転職或いは放職を言渡されておる。誠に今日の地教委の存在それから今日の教育財政をめぐつて事はしかく簡単には行かない極めて重要な問題、こういう観点から実は今日は是非とも大達文相にこの一文を読上げて篤と考えて頂きたい、こういう切なる実は思いだつたのであります。併し今日は折角おそくまでお残り下さいました大蔵当局のほうに対しまして予算の問題について伺いたい。これは参議院の予算委員会でもかなり強い問題になつたことでありますが、今回の全国的に亘る教員の退職勧告について、なかんづく高給の女教師の退職勧告の問題は財政問題と密接不可分の関連を持つておるようでありますが、なかんづく大蔵当局にお尋ねしたいことは、二十八年度の先般の第三次の補正予算で二十七億の三富裕府県に対する予算の措置が講ぜられております。併しながらこの中には全国的に亘るところの教職員の給与負担額、それが非常に不足しておる。この不足しているものの都市というものが、この予算委員会の記録を見ますと、余りに明確になつておらない。そこでお尋ねいたしますが、第三次補正予算に組まれた二十七億以外に全国的に亘るところの教職員の三月末までの給与の赤字、この赤字の額と、その赤字を埋めるためにどういう操作を大蔵当局がされたか、この点を先ず一つお伺いいたします。
  201. 大村筆雄

    説明員(大村筆雄君) 二十八年度におきまする富裕県以外の給与の赤字の問題でございますが、正確にどの程度の赤字があるかという点につきましては、目下文部当局におきまして御調査中でございます。但し概略的には十億以内の赤字が出るのじやなかろうかという推測はつけておられましたので、これは第三次補正をいたしますときに文部省におきます配分の約七億、それから富裕県に対する補正が七億八千万円というものを含めまして、配分の際に考慮に入れるようにその点文部当局で配分なされているはずでございますが、又決算上赤字が出ました場合には、これは法律上実支出額の二分の一を負担する建前に法律上なつております関係で、決算上確定いたしましてからその審査を終りましたものにつきましては、二十九年度以降の予算におきましてその不足を補填することに相成ると思います。
  202. 高田なほ子

    高田なほ子君 この二十七億というのは富裕府県に対する国からの補助でありますから、それ以外に全国的に亘るところの赤字は約十億というふうに考えられておるわけであります。文部省のこの三月末の支払をしたその残額というものはこれは一つの決算補助じやないのですか、七億という金があることがわかつておりますが、この間文部省側からの御答弁でその七億というのはこれは決算補助の性格のものなんですが、その七億というものは一応三月末の給与実支出額を支払つた場合に過不足が出る、その過不足を調整するために七億というものは文部省に取つてあるのだ、こういう説明をしている。それでありますから全国的に亘るところの三月末までの赤字の十億というものをその七億で全部支払つてしまうということは、これは性格上できないのじやないかと思う。実際問題として教員に給与を支払わないということはできないのでありますから、どういう方法かでその赤字というものを埋めて行かなければならないはずだ、そこで埋めるために小笠原大蔵大臣がこういう答弁をしておられます。只今現実に金が困るという問題が生じてはいけませんから、そういう金の繰廻しの赤字府県に対しましては、今申上げました通り預金部の金を一部、一時的措置、何といいますか融通等によつて実情を凌いでもらえるのであろう、かように考えておる次第でございます。こういう答弁をされている。ですから私の質問は融通等によつて実情を凌いでもらえるであろう、こういうふうでありますから、もらつたのやらもらわないものやら、ここらがどういう措置をされているかということを聞きたい。
  203. 大村筆雄

    説明員(大村筆雄君) これは毎年度末に起る現象でございますが、これは義務教育に限らず地方財政におきまして、年度末におきまして資金上資金の不足する場合がございます。これにつきましては預金部資金の短期融資ということをやつておりますので、それで以て年度末一時凌ぎをつけるということは、毎年度これはやつておるわけでございまして、その方法を大蔵大臣は申されたんだと思うのです。
  204. 高田なほ子

    高田なほ子君 そうすると緒方さんにお伺いいたしますが、こういうような一時融資によつて現実の不足額を賄つて行く、こういうことが又あり得ると思うのです。けれどもなぜその十億というものが実文出額の一人々々の教員の給与、その給与を計算の基礎として実際数を重ねながら予算を組上げて行つたのに、どうして三月末になつてその十億という赤字が出たのか、ここらが私にはどうしても解せないところです。そこでその十億の赤字を操作するために、今大蔵省のほうからとにかく三十年度の予算の中にその不足額は組んで行くのだから別に心配はない、ただ現実の問題としては放つておかれないから、今育つたようなこの資金の運用で以つてやり繰りして行くのだ、こういうことでわかります。けれども実際問題としては地方の財政というものは大体二月にその予算を組むわけなんですね、地方の予算というのは。そういたしますと地方では非常に地方財政が逼迫しているところへ持つて来て、大体二月に来年度の予算を組んで行くという場合に足りない十億の赤字というものが二十八年度の給与の実績となつて来るわけです。実際問題としてそうなつて参りますと、必然的に教員の高級者を首切つて行かなければこれはもう地方の余剰財源というものが幅の動かないようなところに来ておりますから、必然的にやはりこの教員の高級者を首切つて行かなければならないというようなところに私は追い込められて来るんじやないかと思う。結局教員の首切りというのは、そういつたような二十八年度の三月末にしわ寄せされた十億の赤字というものが二十九年度の教員の実績を組み立てる、そのためにまあ首切りというような形になつて来たように思うわけです。緒方さんの説明によれば来年度は教員の数を殖やして、又それに伴う予算措置もしてあるのだから、決してその心配はいらないというような御答弁が実はされておるのです。併しながら現実問題として、もう全国的に首は切られる、こういうことになつて来ますと、そこらの筋がどうも私には通りにくいと思うのですが、その点を一つ緒方さんから十分御説明を頂きたいと思うわけでございます。
  205. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 二十八年度の国庫負担金の不足が幾らあるかということは、先ほど大蔵省からも御説明がありましたが、厳密に申しますと決算を待たなければわからないわけでありますが、まあ若干不足が出るのじやないかと、こういうことであります。只今私どものほうで十分に調査をいたしております。そこでその赤字が仮に出たといたしましても、二十八年度の予算に赤字が出たといたしましても、その経費が義務教育国庫負担法の対象になる経費でありますときにおきましては、それは適正な経費であります限りにおきましては、これは今後決算に基きましてその実支出額の二分の一は当然国庫負担金として支出される、地方に対しまして国が負担するわけでございます。従いまして、そのことがすぐに地方の予算編成の上に影響を及ぼすというふうには考えられないのであります。それでは只今高田委員のお話もございましたけれども、来年度の、いや本年の二十九年の予算におきましても、これは増員を見ておりますから、その点からも地方におきまして人員を減らすという根拠は予算の上から出て来ないのじやないかと思います。これはまだ全国的に十分調査ができておりません。この前調査いたすように申上げましたけれども十分調査ができておりませんが、やはり相当増員も行われているように思います。ただ併し今、先ほどお話のありました長崎等におきましても、これは増員が行われております、ただ併し退職勧告というものは、必ずしもその定員を減らした県にだけ起るものではないのでありまして、やはり人事の交流と申しますか、人事異動の関係から、実際の県の人事のやり繰りから、まあ或る人にはやめて頂く、その代りに新らしい人を採用して人事構成をやつて行く、適正な構成をやつて行く、こういうことでまあなかろうかと考える次第であります。大体今のようなことであります。
  206. 高田なほ子

    高田なほ子君 二十八年度の赤字は適正な経費として国が負担をする。これは当然のことなんですが、現実には、何と言つたつて十億という赤字が出たところに地方では財政上の不安動揺を来たしたということは、これは蔽うべくもない事実だと思うこのことについて文部省は必ずこのことは後刻です、国が適正に負担をするというようなことについて地方自治庁と御相談の上に地方に何か通牒をなされたという答弁がどこかにあつたように記憶するのでありますが、この点についてそういう措置を地方についてされたのかどうか、又いつ頃そういうことがされたのか。
  207. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 二十八年度のその赤字を埋めて行くということは、これはもう当然なことであります、法律上。これにつきましては、別に地方に自治庁と共同して通牒をしたということはございません。但し教育庁或いは地方の教育委員会の給与主管課長の会議等もやつておりますので、そういう席上におきましては十分そのことは話をしたのであります。地方に対しましては、そういう指導は十分に行なつております。ただ今私が、おつしやいました自治庁と共同して地方に指導をしたということは、二十九年度の予算に関してでございます。二十九年度の予算編成が地方財政計画におきましても、或いは国庫負担金の国の予算につきましても、ほかの一般公務員につきましては御承知のように若干今度は人事の整理をやるということがございますけれども、教職員につきましては人員整理はやらんのだと、二十九年度の児童増に見合うところの教員増加も見てあるのだと、こういう内容のことを、そうしてその地方におきまする予算編成上参考になるような国の予算の編成の仕方等にきまして、自治庁と共同で通牒を流しまして指導助言をいたしておる次第でございます。
  208. 高田なほ子

    高田なほ子君 二十九年度には何人殖やすことになつておりますか。
  209. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ちよつと私先ほどの答弁に思い違いがございましたけれども、二十八年度の最終の負担金を交付しました場合に、その書類の中で、地方に対しましては二十八年度の赤字につきましては十分国で見るのだという旨の通牒は出しております。ちよつと先ほど思い違いいたしましたので訂正いたします。  それから二十九年度の増員は一万九千数百人でございます。
  210. 高田なほ子

    高田なほ子君 一万九千数百人、これは予算上の定員でしよう。そうしますと、実際問題とこの予算上の定員というのは非常にやはり食い違つて来る場合が多いと思うのですね。こういう場合に、実際に教員が足りないという場合に、こういうきつい予算定員を組まれてしまつてあとに赤字が出て来るというような危険性はございませんか。
  211. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは二十九年度の実際の教育の構成を見ませんとわかりませんが、二十八年度の例によりますと、これは二十八年の十二月現在でございましたと思いますが、若干そこに予算定員と実人員とは食い違いがございます。食い違いがございますけれども、併し年度途中で増員をするというようなことも起つて参りますので、必ずしも実人員きちきちに予算が組まれなければ年間経理して行けないというようなことはないのでございます。これは予算でございますから、実情と若干違つて来る場合はあるかと思います。
  212. 高田なほ子

    高田なほ子君 文部省は、地方で非常に赤字があり、そのために喉から手が出るほど予算が欲しいのに、三月末に七億の調整金を置いておいた、こういうことは文部省のこれはいつでもやつていることでございますか。
  213. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これはこの前私御説明申上げたいと思いますが、七億は、その内訳を申しますと、そのうち四億は退職金に対する金額でございます。それから三億が一般の給与費に対する金額でございます。特に第四四半期になりまして、一月以降の給与の実情というものは十分に把握できて、文部省としましても、ベース・アツプもありましたし、人員異動等もあつたに違いございませんので、文部省としても十分な実情が把握できなかつた関係で、給与費の一割だけを留め置きまして、各月配当をいたしたわけでございます。それが三億になるわけであります。三月交付すべき額の一割が三億に該当いたしますが、その三億を留め置きまして、そうして各県異動がございますから、それを調整するためにそれを留め置いたわけであります。そうして年度末にはそれがすでに調整をして出してあります。それから四億の退職金も同様でございまして、一月から三月まで、一応四月から十二月までの実績に基きまして配当いたしまして、そうして三月の異動に備えまして、その実情を見まして、そうして四億を調整して各府県の実情に副うように出したと、こういうわけでございます。決してその七億を只留め置いておつたというわけではございませんので、それは予算の経理上そうやらなければ適正な配分ができない。これは概算交付でございますから、うつかりやりますとやり過ぎが起ります。やり過ぎをして又取返さなければならない場合も出て参りますので、そういうことが起らんように成るべく調整をして出すために、一番最後の三月分の給与配当額をそういうふうに留め置きまして、それで実情を調べて調整をして出したと、こういう実情でございます。これはこの前も御説明申上げました通りでございます。
  214. 高田なほ子

    高田なほ子君 こういう調整額というのは、全体の給与費の何割とかいうふうに大体きまつているものですか。
  215. 大村筆雄

    説明員(大村筆雄君) それは特別にきまつておりません。
  216. 高田なほ子

    高田なほ子君 きまつておらないと言つても、やはり予算でありますから、何か基準というものがあつて、そういう調整額というものがとられておるのではないかと思いますが、何も基準がなく、そのときの懐ろ勘定の工合でそういうものをとつておくというように了解してよろしうございますか。
  217. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは只今申上げましたように、一時調整をするために、実情を調べて、その調整をして実情に即するように配分するために一時留め置いたというだけでありまして、年度中に出しておりますから、その点は一つ御了承頂きたいと思います。
  218. 高田なほ子

    高田なほ子君 三月二十三日の予算委員会の速記録を見ると、三月分は概算払いで払つておると、こういうふうに大連文相は答弁しておる。三月分についてはすでに概算払いをしております。それでなおこれは概算払でありますから、調整分として七億を残しておると、こういうふうにお答えになつておるのであります。今の御説明ですと、三月分の給与を調整するために七億というものがとつてあると、こういうふうにあなたは言つておられますが、文相はそうでなくて答えておりますがね。
  219. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 概算交付でございまして、毎月大体概算で交付をするわけでございます。精算をしてそれにぴちつと合うような交付をするわけではございません。文部大臣の答弁も、概算交付ということであろうと思います。
  220. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 関連して。国庫負担分の不足額ですね、これはいつ予算化されますか。
  221. 大村筆雄

    説明員(大村筆雄君) 従来までのやり方で参りますと、これは一極の決算補助金でございますので、決算が確定いたしますのが大体五月過ぎると思います。従いまして、補正予算を組む気がございましたら二十九年度補正予算になりますが、大蔵大臣は二十九年度補正予算は組まれんと言つておりますから、三十年度予算に組むというのが従来の決算補助金を清算する建前でございます。ただこの金は過年度支出金になります。財政法による過年度支出でございますが、これは財政法三十五条第三項但書により、これは閣議の決定を経て大蔵大臣が指定する経費が別表に載つております。この別表に載つておりますものが過年度支出のできる金額でございます。従いまして、今回の不足額は約十億以内出るという予想もできておりますので、今までのやり方ですと、さつき申しましたように、三十年度の予算に計上になりますけれども、成るべくそういうことのほかにもできるだけ地方財政の便宜を図りたいというつもりで、予備費に、補充費途の一つ義務教育費国庫負担金を附加える予定にいたしております。従いまして、その別表に補充費途の一部に入りますと、これは旭年度支出ができる。それで二十九年度予算において大蔵省が承認いたしますと決算認定を終つて過年度支出ができると、かように考えております。
  222. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今の御説明ですと、過年度支出をするためには何らかの法改正をする必要があるのじやないですか。
  223. 大村筆雄

    説明員(大村筆雄君) 財政法の過年度支出ができます経緯は、これは御承知の通り前年度不用額に相当する金額と、それからもう一つは補充費途として大蔵大臣が指定しておる経費ということになつております。従いまして今回これはまだ確定いたしておりませんが、私どものほうといたしましては補充費途に義務教育費国庫負担金を附加えまして大蔵大臣が指定いたします。そうしますと当然に過年度支出ができるということに相成るわけであります。
  224. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この問題は文部省としては十分予想される点であると私は思うのですがね。若しその不足分を予算化する方法がなければお話のように三十年度の予算でみなければならん、こういうことになるわけであります。それでは地方として困るわけなんです。ですから今の大蔵大臣の指定する云々、そういう点は文部省としてももつと早く折衝をして決定しておくべき問題じやないですか。その点どういうことになつているのですが。
  225. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 今のお話の点は十分大蔵省とも相談をして近く正式に決定になると思います。
  226. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この問題は私は大臣の答弁を要求することを保留しておきます。なお私どもの聞いておるところでは、昨年の予算定員に比べて本年度の予算定員、これは地方における教員の予算定員は必ずしも増加していないというふうに見ておるのです。併しこれは正確な資料があつてのことではないわけです。そこで私は実情を知りたいので、昭和二十八年度の教員の予算定員、これは補正を加えた最後的なものでいいと思うのです、それと二十九年度の予算定員これはすでに決定を見ておると思うのです、従つてこれを比較してみたいと思うのです。で、実情を知るために早急に資料を一つ提出してもらいたいということを要望いたして私はこれで終ります。
  227. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 女教員の馘首の問題でございますが、私ずつと質疑応答を承わつておりまして、未だ曾つて義務教育費の半額国庫負担のときに、これは相当不足額が出た場合があつても、その不足額の故を以て馘首問題ということが起つた例は今まで曾つてないと思います。若しそれが理由で馘首問題が起つたとすれば、予算の建て方とか補充費途であるということを的確に、暫く国庫負担がなかつたので、県なり地方当局がこれを知らなかつたのじやないかと思うのでございますが、その点についてはなお荒木さんや高田さんなどからいろいろご質問があると思いますが、私ども事情がわかつておる者からいえば、一応わかつておるつもりでございますが、この問題が直接に馘首の問題に影響するものではないと一応考えております。併し岡田委員からも実際の実情を述べられましたし、今度の三月異動に際しまして、相当高給の女子の教員が馘首された事実はあつたのではないか、私たち的確には知りませんけれども、一応そう考えます。  そこでなぜそういう現象が起つたかという問題を我々考えてみますと、予算という問題以外にその原因があるのじやないか、これは私の考え方間違つておるかどうかわかりませんが、この点について一つ意見を承わりたいと思いますが、現在教員の任命というものは地方教育委員会がやる、それから俸給の文相は府県がこれをやる、そうすると府県の立場になつてみますと、無制限に市町村がいわゆる高給の先生を採用して、その帳尻が全部府県に行くということになりますと、府県のほうとしては一定の限度を示して、お前のほうはこれだけというようなことは先ず私はあり勝ちだと思います。それで府県全体の教員構成からいいますと、大体その平均給与と定員をかければ、その給与の総額というものはそう変化がないものと思うのであります。併し教員は各市町村ごとの教員構成になつておりますし、現在の状況で或る市町村におきましては相当高給の先生がだんだん多くなつて来て、その教員構成上予算の配分において非常に俸給支払いに困難を生ずるというような実情が起つて来て、やむを得ず高給の教員にやめてもらおうというような現象が地域的に出て来るのじやないかというようなことを考えるのでございますが、そういつたような現象はないものでございましようか、緒方さんにお尋ねいたします。
  228. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 退職勧告が行われておりますということを私伺うのでございますが、文部省としましてもこの実情全体につきましてまだ正確な資料を入手しておりません。それから又二十九年度の各地方の予算で定員が如何ようになつているか、増減の関係も全体としてまだ的確な調査ができておりません。併し前々から御説明申上げますように、国の予算といたしましては二十九年度は人員の増加を見てあるわけでございまして、この点につきましては地方に対しまして、十分指導もいたしておる、この事情につきましては地方の予算編成の上に国の予算の編成の仕方、地方財政計画の立て方等につきましては十分連絡をいたしまして、指導、努力をいたして来たつもりでございます。にもかかわらず実際に地方の人員が減つておるという実情が出ておるとすれば、それは何によつて起つたかということでございますけれども、これはやはり地方財政一般の窮乏と申しますか、それがやはり人員整理、これは教職員だけではないと考えますけれども、一般の人件費節約という面から、これが教職員につきましても定員の減ということで現われたのではないかと考える次第でございます。  そこで今お話にございました地方教育委員会の任命権と、それから府県が財政負担をやる、その関係でこういうことが行われるのじやないかという関係でございますが、これは私恐らく人事の全体の異動の問題もさようでございますが、定員の増減の問題につきましても、地方教育委員会は県の教育委員会の指導の下に十分あらかじめ協議をした上できめるという実情にあると考えます。具体的な人事の異動につきましてもさようでございまするが、人員の増減につきましてもこれは地方教育委員会が独自で勝手に人員を殖やすというようなことにはなかなか実情として参らんと考えております。従いまして必ずしも地方教育委員会が人事権を持ち県のほうが費用の支弁をするという関係から、そういう関係から県のほうで定員をきめて、そして地方に押付けると申しますか、地方教育委員会のほうにそれを指示して定員をきめて行くというために減員されて、そのために退職勧告が行われる、かような状況には相成つておらんのじやないか、私はそう考えておる次第でございます。
  229. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 私は定員減少という問題は、定員減をして県が指示するということでなしに、教員の俸給の構成の上からこれは曾つて半額国庫負担のときでも市町村が教員の俸給の半瀬を支払つたときがございます。そういう場合に市町村のほうでは成るべく高い先生をやめてもらうというようなことがよく起つたものでございますが、今日そういつたような現象がいわゆる高給者をやめて、割当てられた予算の中でやつて行くためには高齢者にだんだんやめてもらうような傾向が或る特殊な地域的には起つて来ているのじやないか、こういう現象はないかどうかという問題ですが、如何ですか。
  230. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは只今申しましたように、国庫負担金の国の予算全体、これが若し三十九年度非常に窮屈な、国の予算そのものが減つておる。二十八年度よりも減額して組まれておるということになりますると、負担をしまする県のほうでも高給者を整理をして月給の安い人に代えて行く、こういうことがあり得るかと存じますけれども、国の予算そのものは先ほど申しますように、むしろ増員を見て組んでおりますので、県の今の関係からお話のような点は出て来ないのじやないか、かように考えております。実情につきましてはなお一つ十分調査をいたしてみたいと思います。
  231. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 私の質問することがよくわかつて頂けんと思いますが、或る小さな村で教員が余り異動しないというような場合に、だんだん高給者ばかりになつて行く、小さい村にかかわらず多額の俸給を、割合にほかの村よりもたくさん出しておる、こういうようなことになると、県のほうでお前のところはちよつと高過ぎるから少し減せというようなことが無制限にほかとのバランスの取れないようなのがこれは或る地域的には出て来る可能性があると思います。併しその点につきましては若し私はそういう夫婦共稼ぎであるからというので、割合高給のエキスパートになつた女子の先生までそういう理由で退職をさせられるという実例を高田さんからのお話でもございましたから、そういう場合が原因一つにあるのじやないかということをお尋ねしたのでございます。  もう一つは今度は逆にいつて、この頃会計課長でございましたか、市町村の教員教育委員会の事務その他に現職のままで使つておるということは、これは文部省なり大蔵省も予算上は教員俸給としては実支出額の半額を負担するわけには行かないということで、その実情を調査しておる、いわゆる赤字になつ原因がそこにもあるのじやないかということを今調査しなければわからんということでございましたが、教育委員会等に引上げられた先生は多くの場合比較的優秀なかたが多いのじやないか、そうするとこれは文部省がそういうものは認めないということになれば、教員の身分を失いますので、職場に、学校に返さなければならんという実情が起つて来て、そうしてそれではやめてもらうのに一つ現場に、職場に返すが、先ず女の先生にやめてもらいたいというようなことから来る減員になつておるということは考えられないでしようか、その点一つお気付きでなければそれで結構ですが、私の想像でございますが。
  232. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 今お話にございました教育委員会の事務局に勤務いたしまする教員でございますが、これは義務教育費国庫負担法の建前から申しましてこの対象にはちよつとならん、これは三十八年度の年度当初で大体二千数百名ばかりございました。これはわかつておりましたので、私どもとしましては地方に対しまして年度当初から整理をしてもらうように、学校に返してもらうようにということをこれは漸次指導助言をいたして参つたのであります。若し地方の学校に返さなければやはりこれは府県費で賄つてもらわなければならんということに相成る、こういうふうに考えております。恐らく各府県でも漸次今日まで、年度当初から今日まで整理をされて来たように考えます。併しまだ若干の府県におきましては相当数のさような教員教育委員会の事務局で抱えておるのであります。それが来年度の予算につきましてはますますこれはそういう原則がはつきりなりましたので、今お話になりましたような或いは地方の学校に返す、或いは府県費自体を組みましてその給与費を賄うという操作が恐らく行われておると思います。ただ併しこれは今申上げましたように年度当初で二千数百名ございまして今日は減つておる、先ほど申しますように、国庫負担金の予算の関係からだけ申しますと二万の増員を二十九年度見ておりますから、それを差引きましてもこのことからだけで減員或いは退職勧告が行われるということには相ならないのだ、併し各府県としましては従来二分の一国庫負担金をもらえるということになつておりましたが、それがもらえんということになりましたので、それが一つの財政上の圧迫と申しますか、苦しい県の財政もそこから一つは生れて来るのじやないかと、かように考えます。併しながら人員の点から申しますとそれが主な原因で退職勧告になる、かようなことには相ならんと考えております。
  233. 高田なほ子

    高田なほ子君 もう遅くなりますから、これでいろいろの疑問を残しながら私は終りますが、私はどうしても地方財政の逼迫と、それから文部省のいわゆる一年間の予算の中で給与費が十億も赤字が出ておる、こういうようなことが婦人教師の首切りに来ておると思うのです。ただ単に緒方さんは人事の交流というふうに非常に簡単に片付けておられますけれども、私は栃木県下で六百五十人も首切られて、そんなものがただ単に人事の交流だ、人事の刷新だというように簡単には考えられない、やはりこれは地方財政の逼迫というところに大きな問題がある、こういうふうに思いますので、荒木さんの先ほど要求されまして資料は私も欲しい資料でございますし、又文部当局としてもこの間私が資料を読み上げましたが、あれは全部貧弱府県の首切りです。あの中には富裕県は入つておりません。全部貧弱府県に起つておる問題であります。でありますから、文部省のほうでも稲井政務次官が、よく調べてみましようということで、それでおしまいになつておりましたが、文部省のほうとしても、又私よりももつと詳しいデータをきつとお持ちになつていると思いますから、できましたらそれを見せて頂きたいと思います。
  234. 川村松助

    委員長川村松助君) ほかに御質疑ございませんか。御質疑がなければ本日はこの程度で散会したいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  235. 川村松助

    委員長川村松助君) ではこれを以て散会いたします。    午後六時二分散会