○松原一彦君 文相は大変そのような態度を以て御覧にな
つておるようですが、併し吉田さんは議会ではつきり二大政党が望ましい、社会党を育ててやるという
言葉で
言つておいでになる。又現に只今自由党の側では自由党を解党して選挙を待たないで、国民の批判を待たないで、国民が何と
考えておるかということを超越して今新党を作ろうとして現に急いでおいでになる。改進党も無理心中を仰せつけられかけておるのでありますから、私が部屋に帰
つてみると私のいるところがなくな
つているかも知れませんけれ
ども、そういうふうに今のお話は国民の
政治的政策、主張によ
つて政党はおのずから生れる、これは私はそう解釈する。それならば
日本の現状は多元的な異質の政党ができるのが本当だと思うけれ
ども、今文相のお
考えの一党一派に偏らないところの
教育と言われますが、若し保守政党のほかの政党、村会党が
内閣を作つたとしたならば、更に共産党がここに政権を握つたとしたときに、一体寛容な態度を示すものであり得るか。一党に偏らないなどといつたようなことは言われるものかどうか。私は自由党がリベラリズムの
立場から、まあいやだけれ
ども社会党を育ててやるといつたようなふうに、まあにが虫噛みつぶして
言つてはおいでになるものの、私は社会主義の政党なんというものは、これは無産階級ができた結果発生したものであ
つて、育ててやらなくた
つて生れる。而もこれは鬼子であ
つて成長したならば保守政党なんというものは食
つてしまう。親孝行なんてしやしません。であるからして、階級闘争を朝から晩までや
つておる。そこで文相のお
考えにな
つておるのはリベラリズムの上に立つた
一つの寛容な民主的な
政治のあるときにおいてのみ言われることでありますが、それにしましても私は若し政党の支配的なものの
考え方、方法論を
教育の上に何も表わさないような要請ができるものでしようか、どうでしようか、例えば文相は自由党の党員即ちあなたなんです。これを党員でない高所大所から
日本の
教育を、事態を超越して一貫する平和なる
文化国家建設の大道の上にのみおくような
文部大臣があり得るでしようか、どうでしようか。まあ申せば吉田
内閣の第一次の
文部大臣は御承知の通りに下条康磨氏、その次が高瀬荘太郎氏、ともに緑風会であります。これはまあ比較
的中立の形を持たれた人であります。第三代目はこれは全然無所属の天野貞祐氏、ところがどうしてもそれじやいけなく
なつた。そういうような超越した文相ではいけなく
なつた。一方では日教組も相当強くな
つて来た。そこで岡野清豪氏がその
あとを継がれた。これはもう立派な自由党の党員であります。更にそれでもいけなく
なつたので豪の者であるあなたがお出に
なつた。もう生ぬるいことを
言つてもおられなく
なつたのです。自由党で
教育が方法論の上においても目的においても実現しなければおられない。しなかつたら承知しないぞ。まあ私は目標はどんなに
言葉を飾られましても、これは共産党に対するところの反撃である。自由主義に対しては共産主義は容れられませんから、そこで事柄に寛容に、共産党が
日本には合法政党として残
つてはおりますものの、
アメリカでは殆んど許されない。マツカーシーイズムはあらゆる面から共産党を葬ろうとしている。恐らく文相も肚の底はそこにあるのじやないですか。私は
日本が共産党を合法政党としてお
つて、そうしてこの議論がこのような寛容な態度を押し通されるところに無理があるわけです。それならば共産党だけは非合法にしてしまわれるほうがよくはないでしようか。私はそんなことを大胆に希望するのではないけれ
ども論理上そうな
つて来る。若し私が今政党の在り方についてお聞きしているのですけれ
ども、できれば、
大達文相は、やはり
アメリカの二大政党のようにありたいというお
気持じやないかと思う。同質の同系統、いわゆる昔の政友会、民政党です。そのほかの政党はないがいいのです。
イギリスとなるともはや違う。これは労働党と保守党は全然異形の、異質の政党でありますが、どちらを御希望なのか知りませんが、同じ二大政党でも在り方が違う。
日本の政党を
イギリスのような形に持
つて行こうと
言つてもこれは不可能であります。
イギリスには極右もなければ極左もない。
従つて政策は、保守党の政策は進歩的であり、労働党の政策は極めて穏健、漸進的でありますから、お互いに求心的に真中に寄
つて来ているので、その境目がわからない。今あなた
がたが保守の大同団結を策士て新党を作ろうとしておいでになるが、改進党の左の端は、これは資本主義を批判して協同主義の原理に則るということを謳
つておる。そうしてこの若干の人々は、常にデンマークの協同主義をとり、スエーデンのあの社会福祉国家をば意識して、よほど自由党の諸君との
考え方の上には差違がある。資本主義の系統の上には流れてお
つても、質においては違う。それをも
一つにまとめてしま
つて、保守を
一つの下に固めるということは、やがて一方に社会党を
一つに固める動きとなる。現に社会党はもう次の
内閣を受取る気で用意しておられるように見えます。そうなると
日本の二大政党というものは、遠心的に離れまして、求心的に寄
つて来ません。この政策は相容れざるものである。氷炭相容れざるものとならざるを得ない。今土俵を作
つて、そこで公正な闘いをやると言われますけれ
どもが、政友会や民政党時代、
アメリカの共和党、民主党ならば、一土俵で争
つて、右が勝とうと左が勝とうと、私は、
政治の面には異変は起らんと思うのです。
イギリスでも起りません。政策は似たようなものでありますから、天変地異のようなことはない。若しこの次の、現に今何日か後に、或いは社会党以外の一切の革新勢力というものが
一つにな
つて政局安定
内閣を作り、汚職に明けて汚職に暮れるという国民不信時代に選挙したならば、私は国民はどう動くかわからん。動いた結果がこの
一つの土俵の上に現われて闘いをしたときに、これは勝負がつくのです。ついたら戻
つて来ませんですよ。革命ですよ。そのときにこの法律が役に立ちますか。この法律は私は空想だと思う。むしろそうじやない。むしろデモクラシーの本義に則
つて、文相が命をかけてマツカーシーの真似をなさらないで、もつと徳を以て説得して腹心を開いて
教育の大道をこの一方的なものにしないで進める御意向があ
つていいんじやないか。私は共産主義に対しては先般も申した通りに、これを非とするものです。何となれば、
自分の
考えだけを、イズムだけを絶対だと言うのです。勝負の余地を見せない。それは神様以外にそんなものはない。我々は永久に生成発展、真理を求めて進もうとするのに、
従つて我々のデモクラシーは相対的であります。よりよき
意見を容れて行く、資本主義が決して今そのままの形では伸びておらん。
アメリカでも社会資本主義とか、或いは社会自由経済とか
言つて、資本主義の
一つの
方向を与えている。変
つて行
つている。でありますから、いざとなればすぐ権力を以て、処罰を以て一方的に固めて行こうという……この寛容な無限の発展を民主的に築いて行こうという国の態度は、私はかようなせつかちなものであ
つては困ると思う。せつかちな点において文相のとられる今回の態度もせつかちだ、又行世ぎであるということを私から申上げたいと思うのですが、
教育者の一部が直ちに共産党のこのイズムに幻惑して明日にもパラダイスができるように
考えることも又私は行過ぎだと思う。それは
中国では蚤も蚊もおりますまい、泥棒もいますまい、失職者もありますまい、それは
日本の中にあります。刑務所の中はその通りです。刑務所の中には失職者はない。同じ食物を食べているけれ
ども思想の自由はない。死ぬほど苦しい。(
須藤五郎君「違う、違う」と述ぶ)幾らパラダイスのように見てましても、あの通り去年や
つて来た多摩の全生園の癩の患者の君は、もう政府が家族一切養
つてくれるに入
つてみると実に今日はいい薬ができて、髪の毛も生えて、飯も食わしてくれる、着物も着せてくれる、高等
学校までも作ろうとしている、今は
中学校までですが……。そして野球もあればテニスもできる。熊本の惠楓園のごときはオーケストラまである。それなのにどうしてもあそこにいるのがいやだ、我々に行動と生活の自由を与えよ、これがあの人々の要求であります。貧乏でさえなければ、それで
人間の理想が遂げられるものではない。自由のないところにはおられやしない。私は民主的な自由主義を要求するが故に、今日お出しに
なつた態度にせつかちな、如何にも法律によ
つて片付けようとせられることを遺憾に思うのです。失う部分が非常に大きい。現に私のところに昨夕参つたところの、たくさんの葉書の中から一枚抜き出してみると、実に庭心的な手紙なんですが、「私
どもの良心に従い、
教育の本質を見究め、父兄と共に
子供たちの真の幸福を願いつつ、国民の、指摘せられる誤れる点は十分反省し、強く進んで参りまますけれ
ども、この法案は刑罰を以て戦前のごとき無気力な教師を作り上げ、無批判な
子供を作り上げる虞れが実に多いように思われてなりません。我々はどこまでも反省もします。自粛もします。併し
教育の本道を命をかけて進もうとする、この意欲を抑えないで頂きたい。」こう申して参
つておる。与党の諸君も
考えて頂きたい。これは現に皆さん御承知の通りに徳田君以下の人々をば殆んど非合法のごとく抑え付けられた結果どうなりましたか、皆地下にもぐ
つてしま
つて、今日まで出て来ないでしよう。政府は手も足も出ない。共産党を非合法にしないゆえんのものは……共産党が地下にもぐつたならばどうにもならない。戦術はますます熾烈になる、手を変え、品を変え、千変万化、
須藤君のようなおとなしい人は珍らしいのであります。(笑声)私は本当に珍らしいと思う。
須藤君はえらそうなことを言つた
つてちつともえらくない、一向共産党的でない。(一方的解釈だな」と呼ぶ者あり)
私は批判することをやめますが、
政治にゆがみを持たせないように、例えば、私はこの間も申しましたように、今
教育者が一番失望をいたしておりますことは、あの新憲法で太陽の輝くように、
世界の歴史にないところの人類の悲願を、戦争のなき平和と
文化国家を作ろうとするその大目的に向
つて行こうとする際に、何とかかとか名を付けてごまかしの軍隊を作
つて行くという、あの態度なんです。ここにそれをまつとうな正直な者が一体黙
つてみておれますか。(「その通り」と呼ぶ者あり)如何にごまかしたところで、これは軍隊でないと育つたところで、大砲を引張り廻
つておる。王様が大人
たちにごまかされて裸で町を廻つた、
子供がこれを王様は裸で歩いているとい
つて笑つたという話があるが、大人はごまかせても
子供はごまかせない。これは明らかに軍隊なんです。併しながら私は今の
教育界の人々が平和がすぐにもできるように
考え、一方的に軍隊を持たなければ直ちに
日本が平和になり、
世界も又平和になるというこの
考え方は誤りだと思う。戦争は相対的なものであ
つて、一国だけではできない。一国だけが幾ら戦争をすまいと
言つても襲
つて来れば仕方がない。「自衛は
一つの生命の本能です。瞼が目を閉じるように本能であります。本能に
従つて自己を守るという正当防衛はこれは当然の権利であります。戦争はせん、最小限において自己を守るということはこれは当り前だ。それをも否認して大いに理想を今眼前に現わそうとするところに
教育者の短見があると私は思う。又先般も地方から来た便りの中に、
学校の先生が父兄会に来てこういうことを言われた、我々は断じて戦争はさせん、我が
教え子は二度と戦争にはやらん、私は
自分の子が兵隊に行く、戦争に行くというならば、足をぶち折
つてもこれを戦場には送らんと、こう言つたというのです。するとそれを父兄は聞いてお
つて非常に腹を立てて、一本何を言う、
祖国が亡びるというときに一体何という態度だ、私は
自分の子がびつこならば松葉杖をつかせてでも戦場に送ると
言つてここで喧嘩に
なつた、これは見解の相違でありますが、戦争をやらない国を作り、
教育をするということはいいけれ
どもが、我が子の足をぶち折
つても戦場にやらんというのは行過ぎなんです。我が子の人権を尊重しておらん。たとえ我が子でも足を折る権利は親にはない。私はそういう行過ぎを恐れる。方法論的行過ぎだと思う。
中国に理想の天地ができていると
言つてえらい渇望をしている。そうかも知れません。私もあの殷汝耕夫人が体験している話を聞いたのでありますが、蚤も蚊もいませんし、犬も泥棒もおりません。好漢もおりません。実に見違えた天地にな
つております。それなのになぜあなたはお帰りになりましたかというと、私はいやです、私はやはり違つた着物を着たいし、違つた色のものを着たい、そしてもつとのびのびと自由に生きたいから帰
つて来ました。それをこれが
教育の理想であるというので、直ちにもうすぐ
日記に書くところに私は行過ぎがある。ここにも無批判な追随がある。今度できる政府がどういう形において生れるか知りませんが、私は昔の保守党のごとき、或いは政友会、民政党のごときものが若しできるとしたならば、これはよほど戒心しなければならん。そして常に大目的を忘れない、
政治にも批判を加え得る
教育者を持つことが、私は大きな長い眼で見て民族のために、
世界のために必要だと思う。文相も熱意を傾け、命を賭けて恐らくこの法案を成立させようとしておいでになられると思う。その目的は
日本のためであり、
世界平和のためである。若し誤
つておつたならばお改めにな
つてもよくはないか、私もこれから
あとに結論が出ますから、それまでの間になお御説明を請うて、私の
考え方が誤
つておつたならば私も改めます。あわてることはないと思う。
日本の
教育の長き命のために使命を果す最高の方法をここで結論付けたいのです。私が日教組の諸君に常に
言つておることは、その国の秩序を守れということです。その国の法に
従つて行動する。校長がとめるのも聞かず、
教育委員会が承認しないのに、
学校の振替え授業を
教員でや
つて職場管理を行うごときは、これは行過ぎなんです。共産党に
なつた
人間が何人かおりましよう。五百何十人かおると言いますが、その人らははつきりしておる。行過ぎも何もない。やらなかつたら当人はリンチを受けるでしよう。(「冗談言つちやいけない、そんなでたらめは言わんほうがいいですよ」と呼ぶ者あり)党員には
一つの指令がある。命令があ
つて動いておる。誰からも奨められはしません。党の掟によ
つて動いておる。五百何十人の人々はどこかから、その指令は
教員の組合を通して来るのもあろうが、通さないで来たほうが多いと思う。通さないで来たときにはこの法律には引かかりはしません。よほどお
考えにならなければならん点があ
つて、長い将来をどうか
一つ皆さんと共に
考えて頂きたい。我が五十万の
教育者、国の前途を、
文化の進展を、そうして平和を築く使命を持
つて、一番大切な次代の国民を育て上げようとするこの人々に、失望を与えない、この人々をば無気力な、無批判な、ただ月給をもら
つて安穏に食
つておればいいといつたような堕落した
教育者にしないようにいたしたいために、私は深く憂うる余りに病気を押して出て参
つておる。切に御考慮を願
つて、私の
意見に対する文相の御所見を伺えれば仕合せであります。
但し、私はなお幾多の問題を残しておりますから、
質問はなお継続するものとして、本日は時間も過ぎておりますので、これで以て
質問を終りたいと思います。