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1954-10-07 第19回国会 参議院 文部委員会 閉会後第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十月七日(木曜日)    午前十時四十六分開会   ————————————— 本日委員横山フク君及び紅露みつ君辞 任につき、その補欠として大谷肇潤君 及び寺本広作君を議長において指名し た。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     堀  末治君    理事            荒木正三郎君            相馬 助治君    委員            木村 守江君            剱木 亨弘君            郡  祐一君            中川 幸平君            吉田 萬次君            加賀山之雄君            安部キミ子君            矢嶋 三義君            寺本 広作君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       工楽 英司君   参考人    熊本市立黒髪小    学校P・T・A    会員      福永 勝旗君    熊本市立黒髪小    学校P・T・A    会員      近松 照喜君    熊本市立黒髪小    学校P・T・A    会長      瀬口竜之介君    国立療養所菊池    恵楓園長    宮崎 松記君    熊本教育委員    会委員長    岡本 亮介君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育、文化及び学術に関する調査の  件  (癩非感染児童入学問題に関する  件)   —————————————
  2. 堀末治

    委員長堀末治君) それではこれから文部委員会を開会いたします。  本日は癩非感染児童入学問題を議題といたします。本日は参考人として熊本市立黒髪小学校P・T・A会員福永勝旗君、同じ黒髪小学校P・T・A会長瀬口竜之介君、国立療養所菊池恵楓園長宮崎松記君、熊本教育委員会委員長岡本亮介君、以上の四名のかたが出席されております。なおこの際参考人として黒髪小学校P・T・A会員近松照喜君を追加して意見を聞くことにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 堀末治

    委員長堀末治君) それではさよう決定いたします。  それではこれから順次御発言を願います。参考人の諸君のお一人の発言は成るべく十五分以内にお願い申上げたいと存じます。それでは先ず熊本市立黒髪小学校P・T・A会員福永勝旗君。
  4. 福永勝旗

    参考人福永勝旗君) 国事の御審議に御多忙の諸先生がた熊本一角黒髪校の問題でこのような貴重なお時間を頂きましたことを厚く御礼申上げます。この問題は昨年の十一月から起りました問題でありまして、当時恵楓園長宮崎先生人権擁護週間期間に、長い懸案でありました黒髪校本校恵楓園の所管するところの龍田寮健康児本校通学せしめるというこの問題を是非実現させたいという親権者かたがたの意図を酌みまして、これを熊本地方法務局に御相談なさいましたのが動機でありまして、その後この問題を取上げまして熊本市の黒髪小学校のP・T・Aの総会会員意見を求めるという会合が行われたわけであります。当時の会合の当初から私は出席いたしておりまして、当時のあの空気はそれほど今日のごとき険悪な反対の姿は私は露呈していなかつた、こういうふうに考えております。併しその後数次に亘る総会の結果これがだんだん険悪な空気に移行して行つたこのことにつきましては、私は公平なるP・T・Aの総会が果してその幹部かたがたにより正しく指導せられておつたかどうかということについていささか疑念を持つのであります。而して私ども賛成派の希望するいろいろな啓蒙運動ということについて私らの同志のかたがたは、常にこの機会を活かしてもらうべくP・T・Aの総会意見を開陳いたしておりましたが、これらの問題は当時のあの総会の席上では一顧だに与えられないというよう議事進行状態でありまして、少くともこの問題にP・T・Aの幹部かたがたが異常なる関心を持つて全国的に受入れられておるこの国立療養所の特別な施設にある保育児童通学問題が熊本市においてのみ、而も熊本市におきましても中学校高等学校は普通の学校に入つて何ら波紋を起していない、このよう環境において熊本黒髪校のみにおいてこの問題が非常に紛糾したということに対して、私は静かに考えまして、果してこの問題を審議せられる指導的立場にあるP・T・Aの幹部かたがたが公平なるお裁きを待つて議事を進行せられたかどうかということにつきましては、ここで申上げるまでもなく、諸先生がたのお手許に私らが先般配布申上げました陳情書の中の各種の事項をお読み頂きますならば御判定が付き得る、こういうふうに考えております。併しながら私どもは私らの資料のみで諸先生がたに御判定を頂こうとは毛頭考えておりません。従つて先般参りました際も立場違つたかたがたの御意見も十分お聞き願いたい、こういう私はお願いをいたして帰つております。そのようなことで本日P・T・Aの会長瀬口さんも、なお又違つた立場にお立ちになりました近松さんもここに御臨席頂きまして、双方からの意見の開陳の機会を得ましたことを私は非常に喜びに堪えない、かよう考えております。而して今申上げましたよう賛成派はいつも総会発言機会を求めましたけれども、談たまたま賛成派の本論に入り、反対派かたがたに多少なりとも啓蒙ようという論旨に入りますると、いつも発言を阻止せられたのであります。このことは反対派かたがたにはそういうことをしなかつた、こう仰せられるかも知れませんけれども、あの会の席上に最も公平な立場から御臨席になつております報道機関かたがたは数回の会合雲行を十二分に御承知と思いますので、私はこれ以上申上げる必要はない。  そこで私らはこの問題を一体どうすれば円満に解決するか、熊本市のみ、而も黒髪小学校のみのこの問題をどうすれば円満なる解決をつけ得ることができるか、このことに終始思いをめぐらしまして、常に反対一派かたがたなごやかな談合機会を求めましたけれども、そういつた機会は到底不可能だというような、けわしい様相を呈しておりましたわけでありまして、丁度この問題が本年の三月各方面の意見熊本市の文部委員会通学せしめることを妥当なりという線を打ち出す材料が集まりまして、その原則的問題は一部実現するという世相に入りますると、諸先生方も多少は御承知かと思いますよう黒髪校全面的ストライキ、こういつた事態に突入いたしたわけでありまして、併しながらこのストライキに入りますその前提として当初、今年度入ります一年生四人の子供最初熊本大学診断をして、通学せしめてよろしいという形になりまして入れました。その四名の子供通学動機となりましてストライキに入りましたわけでありまするが、その間そのストライキ進行過程反対派かたがたは各黒髪校附近のお寺とか、お風呂場とか、空屋とかいうような個所を求めて分散教育に入られましたけれども、私ら賛成派子供学校に登校することが正しいという見解の下に通学をいたしておりましたが、その間反対派かたがたはその本校通学する賛成派子供を大人のかたがたバリケード張つて黒髪校に行けば病気になるぞ、手が曲るぞ、できものをするぞ、なお又激しい妨害運動がありましたにもかかわりませず、ストライキ過程においてだんだんと本校通学生徒さんがたが多くなるという傾向を示して参つたのであります。その登校児童の増加の統計はお手許に差上げてあります私らから出しました恵楓という雑誌の中に詳細に発表してあります。そのような雰囲気になりまして、実は立場の違つたかたがたは、非常にこの事態を大きくお考えになりましたと思いますが、このよう進行過程において、一応妥協の線を見出だすという形に移行したと、私はこういうふうに当時の状態考えております。而してその妥協の方法は、一年生を入れるについては再審査をする、再審査の結果が今日四名のうち三名だけは通学できるという環境に置かれて、一名だけは当分の間観察をしよう、当時の熊大の診察の結果を私はお聞きしておりますが、その一名も癩ではない、併しながら当分の間、これを観察して、適当の時期に又入れるということを申しておられました。こういうふうにお聞きしておりますが、この妥協の条件は、熊本市の文教委員会妥協の線によつて求められましたのでありまして、この一名をオミツトするということにつきましては、恵楓園長である宮崎先生が、自分医者としての立場から、是非発言ざして頂きたい、こういう要求がありましたにもかかわりませず、熊本市の文教委員会の斡旋は、それら医者としての立場をここで主張せられて、なお入学を強要せられると、妥協ができないから、一切先生がたの御発言は、この際ならぬようにして頂きたい、そういつた形で三名の入学を一応許す、なおあと二年以上の生徒は五、六月頃になると、東大、阪大の先生検診を求めて、そうして入れることにするというよう妥協案ができまして、このことにつきましては、熊本市の教育委員会も一応の正しい線を打出しております。そのよう事態にありましたが、私は当然、少くとも遅くとも第二学期の当初よりは入学ができ得るというような確信を持つて反対派かたがた、P・T・Aの会長さんの御発言熊本教育委員会の指令というものを期待して待つておりましたが、それらの問題は漸次実現することの不可能な、猛烈な反対運動が継続せられまして、熊本教育委員会が打ち出しました原則論も、二学期よりは不可能な雲行きに見えましたので、私らは八月の終りに是非原則的取決めである残りの児童通学を第二学期の当初から認めてもらいたいという要求を、熊本法務局を通じまして熊本市の教育委員会に提出いたしましたが、その回答としまして、今日ではまだ客観情勢が好転していない、私はこのお答えを得まして、私らの見解はそうではない、時期は丁度今が一番よろしいということで、その後書類を交えない形において、賛成立場にあるかたがた代表者は、再三教育委員会にも陳情いたしましたけれども、これが入学を許すということが到底不可能な、熊本市の反対派かたがたの動きを、私は大きく評価せられた教育委員会立場としてこういう結論が打出された、こういうふうに推察いたしておりまして、これは私らとしまして大いに考えなければならない社会問題である。若しもこのような大きな社会問題、考えようでは日本国法熊本の一地方だけで踏みにじるというような行為が若しこのまま放任せられますときに、これが波及する日本的な姿を考えまして、私らはこの問題を何とかして早く解決をつけたい、而も今日においては熊本市においては到底解決困難だ、こういう結論に達しまして、熊本県選出の衆参議員かたがたの御帰遊の折に、いろいろこの問題をお話申上げますと、もはやこの問題は地方解決困難である、従つて一応中央陳情すべき段階に入つておるのではないか、こういつた御示唆も受けましたわけであります。先般お手許に御提出しましたような形の陳情書を持つて参りましたわけでありまして、その中に私らの言わんとするところは、十二分に書き記しております。而して私らはこの国会の御審議によりまして、この龍田寮のごとき、ここから作り上げて、而もその将来親兄弟の助けもなく、みずからの運命を開拓して行かなければならないよう環境にある誠に可哀そうな児童が、日本国法に頼らねばならないような今日の事態を急速に国会の御意思によつて、一応御判定を頂く、このことによつて熊本市における真の、正しい啓蒙一つの手段が中央において打出されるといたしますならば、この問題は私は急速に、而も円満に、立場違つたかたがたから、そういつたなごやかな姿が打出されるということを期待いたしまして、私らの陳情の趣旨といたしておるものであります。  私の時間が参りましたようでありまして、私は今少しく申上げたいこともありますけれども、なお立場違つたかたがたの御発言によりまして、私らがそのかたがたのおつしやる違つた見解に対しまして、私らの又一つの正しいお答えをする機会を頂きますことをお願いいたしまして、私のお願いをこれで終ります。
  5. 堀末治

    委員長堀末治君) 有難うございました。それでは続いて黒髪小学校P・T・A会員近松昭喜君。
  6. 近松照喜

    参考人近松照喜君) 私黒髪小学校のP・T・Aの近松であります。この問題が発生いたしまして以来私は実行委員として終始この問題の解決に当つて来た一人であります。実は今回の御招請に私が洩れてありましたので、多数の父兄是非出席お願いしてくれ、P・T・A会長は飽くまでいわゆる賛成反対両派を含めたP・T・Aの会長である。これは公平な立場から発言をし、又処理しなければならん立場にある。従つてこの問題に対しての一番の責任者は君である、是非出ろという強い要望によりまして、私上京いたしまして皆さんにお願い申上げましたところ、幸いにして御了承を得まして出席を許されましたことを厚くお礼申上げますと共に、又千三百の父兄も定めし喜んでおることを私はこの席上で申上げて、重ねてお礼を申上げます。  只今福永さんからいろいろ御説明がありました。勿論この問題は非常に複雑でありまして、又解決も非常な困難性を持つておるものであります。そもそもこの問題が起りましたのは、昨年の十一月宮崎園長があたかも人権擁護週間でありましたときに法務局に提訴されたことから始まりましたので、その前の瀬口会長恵楓園長との話のやり取りは又あと会長から詳細お話がありますと思いますので、私は時間の関係上、そういうことを省略いたします。  十二月の九日と考えますが、P・T・Aの総会が開かれました。この問題についての宮崎園長説明を聞き、なお会員としての意見発表するという会合が持たれましたときに、宮崎園長が御説明になりましたのは、あたかも一方において法の力を以て抑え、又一方においては科学の力を以て私たちを抑えんとするような態度が見えたのであります。而もその際の御発表の中にも、我々が絶対に納得の行かない点もありまして、私どもがいろいろと御質問問を申上げたのであります。その際私は不幸にして龍田寮から五名の患者が発生したということを聞いておりましたので、その点を宮崎園長に質しましたところが、いや、それは龍田寮から発生したのではない、恵楓園収容されてから発病したのである、こういうようお話がありました。併しその後だんだん調べてみますと、三名ではなくして五名の患者が出ておるのであります。これは昭和十九年から二十五年までの問に五名の患名が出ております。これは先ほど手許に印刷物を差上げたと思いますので、それによつて御覧を願います。そのときに宮崎園長医者としての良心科学者としての良心があるならば、私が五名の発病があつたのじやないかと申上げましたときに、いや、君は三名しか知らんが五名出たのだ、併し五名の患者はこうこうだということを親切に私どもに教えて頂かなければならん立場にあると私は考えます。而もそのときに、龍田寮から発病したのではないということをおつしやいました。併し恵楓園らい予防法によりますと健康な者の収容はできないのでございます。そうしますと、少くとも宮崎さんも法を考えて知つておられるかたでありますからして、やはり龍田寮で前駆症状のやはり疑いのあることが発見されて、その子供恵楓園に連れて行つて、そこで本当の病気になつたのかも知れません。そういうことを、本当にあの子供の将来を考え、私ども納得の行くように、受入側の者が安心して受入れられるようなことをお運びになつての上であれば、或いはこの問題もこうも複雑にならなかつたかも知れません。その点私ども誠に遺憾であります。その問いろいろとこの問題についての会合が持たれましたが、只今福永さんは、私たちがあたかも賛成者発言を阻止したというような御発言でありましたが、私はここで、はつきり申上げます。そのようなことは絶対にありません。瀬口会長は、あらゆる会合において反対者意見も求むると共に、又賛成者意見も求めておるのであります。併しながら、賛成者は極めて少数でありましたがために、そこに発言する勇気がなかつたのかどうか知りませんが、発言されないのであります。自分発言せずしてあたかもこれを私たちが阻止したかのごときことをおつしやいますことは、これは私どもとして誠に心外千万に堪えない次第でございます。その信念があれば堂々と、たとえ一人であつて発言ができるはずであります。私どもは終始この問題について、暴行やその他のことは一切やつてはいけないということを強く戒めております。或いは暴行の虞れがあるから、暴力を振われるからそういうことをやらなかつたとおつしやるかも知れませんが、そのようなことはあのクライマツクスに達したところの同盟休校の際でさえも一つも起きておりません。従つて先ほどおつしやいましたことは全然事実のないことでありまして、この点は皆様がたの御了承を得たいと思います。その間にいろいろ紆余曲折がありましたけれども、時間の関係で省略いたしますが、結局市の教育委員会が四名の新入学生通学させるという問題を決定したのであります。この問題の決定前、いわゆる四月五日に私ども実行委員岡本委員長の宅に訪問しまして、何とかこの問題を円満に解決しなければいけない、解決するためにはどういうふうにすればいいかということを御懇談申上げたのであります。その際に委員長が、自分もこの問題の解決には非常に苦心をしておる、そこで自分は萌芽でもいいから恵楓園に乗り込んで、そうして父兄と面接お会いをして、自分考えておる、いわゆる現在の龍田寮を拡張して、教員が足りなければ教員を殖やす、施設が悪ければ施設を改造して、予算もすでに自分考えておる、その点を自分行つて直接父兄に話をして納得を得たいと思うと、こういうお話があり“した。そこで、そういうよう委員長が御決心であるならば、幸い我々の“うにも患者から手紙が参つておる、自分たち患者で出られんから一回来てくれんか、そうして親と親とが話合をしようという手紙が来ておるから、先ず委員長が行く前に自分たちが出ていて父兄懇談をしようというので、今日ここに傍聴に来ております松本実行委員その他女の実行委員四名が恵楓園へ参りまして、父兄とお会いしているのであります。そうしていろいろと妥協点も見出しましたが、未解決の上も、ありましたので、後日又再びお会いすることを約して帰つたのであります。然るに、帰りますとすぐその翌日は懇談状況が一変して、更に私たしがこの結果を市の教育委員長に報告しない前に、いや、私たち恵楓園に行くときには、もうすでに市の教育委員会は四名の通学決定したのであります。私は四月、五日その懇談会のときに、どうか市の教育委員会で如何なる決定をなされても、その決定前に一応たちの耳を通してくれ、そうしなければ問題はますます複雑になつて来る、いきり立つておるあの父兄をなだめるためには、やはり私たち実行委員にあなたがたの御決定を教えて頂きたい、出し抜けにやつて頂くとどういう事態が起るかも知れない、或いは同盟休校ということも、単なる掛声ばかりではない、実際そういう雲行になつておるとうことを私はくれぐれも申上げたのでありますが、然るに私たち恵楓園から帰りましたときには、すでにその決定がなされ、四月の七日に私たちが呼ばれて、その決定発表があつたのであります。而もその以前に私どもは、あの子供を仮に入れるとしても、宮崎園長の証明ではいけない。私は宮崎園長は三十年近く癩予防に従事しておられるかたでありますからして決して無視するわけではありませんけれども岩崎園長は入れてくれという立場のかたでありますから、どんな立派なお医者さんでもその立場の人を全幅的にこれを支持するわけには行き止せん。従つて宮崎園長以外の権威者を以て検診して頂きたい、その検診の結果或る程度期間を与えて、これで大丈夫だというときには、受入れることも或いは可能であろうということを申上げたのであります。ところが、市の教育委員会において熊大検診を受けられたのでありますが、その際この健康診断は私ども要求する健康診断であるかということを突つ込みましたときに、いや、これは単なる普通入学のときに用いる軽い身体検査程度のものであるということを、はつきりとお話になつたのであります。その際に健康診断費をお出しになりました。併し私ども要求する健康診断ではありませんので、あえて私どもはそれをみる必要はない。私たち要求する健康診断というものはそういうものではありませんということで、私たちはその申入れを拒否したのであります。その後直ちに帰りまして、父兄を招集してその状況を報告いたしましたところ、非常に激昂いたしました。父兄はかねての話合いの決議の通り同盟休校だということで、ここに同盟休校がなされたのであります。この同盟休校中の過程において、バリケードをこしらえたとか何とかいう話もありますけれども、恐らくこれは福永さんの捏造でありまして、バリケードをこしらえた事実はありません。勿論多数会員の中には、興奮しておりますからして、言葉のやりとりの上に争いがあつたかも知れません。これはやむを得ません。併し決して暴力を用いた事実はありません。特に福永さんは喋々と先ほどからお話になりますけれども、このかたはこの問題に最初からタツチしておられるかたではありません。最近おいでになつたかたでありまして、最初からの事情は恐らくは詳細には御存じないと思います。先ほどからお話になりましたようなことは絶対にありません。同盟休校中に市の文教委員会或いは市長が非常に心配されまして、何とかこれを早く解決しなければいけないということで、文教委員会仲介の労たとられたのであります。そうしてその仲介の結果は熊大の各権威者を集めて再検査をする、そういうことになつたのであります。それに対しましても恵楓園からいろいろの苦情があり、その事実においてもいろいろ食い違いがありまして、私たち要求するよう検診は行われず、すつたもんだの末漸く私たち要求する検診が更に行われまして、四名のうち一名が不適格ということになつて、三名が通学要求されたのであります。その際私どもはこの三名も龍田寮から通わせることはいけない。良い環境のもとから通わせろ、龍田寮はいわゆる癩患者子供収容所であり、要観察中である。或る一定期間観察を要するところである。これは単に龍田寮だけでなく、長島の愛生園のようなところもこれは当然であります。あそこの園長さんのお話を私或る書類で見ましたが、やはり癩患者と或る期間同棲したものは或る一定期間観察が必要であるということを申しておられます。これは極めて当然かと考えます。又その子供発病状況からみましても、やはりその発病率が非常に高いのであります。その高いことは結局親と一緒に生活しているうちに、知らず知らずの間にその子供が親の病気をもらつておるということを証明するものであります。私どもはそういうような所から通わせることはこれはいけない、少くともらい予防法の二十六条によつてあの子供秘密を守つてやらなければいけないのだ、桜山中学を卒業した子供が現在社会に出ております。その子供が現在どこに行つておるか、どういう仕事をしておるかということは一切秘密であります。尋ねてもこれは秘密だからといつておつしやいません。そういう工合に社会に出た子供秘密を守つてやられますけれども龍田寮におる子供癩病患者子供であるけれども健康だといつて社会に押出しになります。法は平等でなければならんと私は考えます。成人に達した者を守つてやるならば、やはりあの幼い子供も共にその秘密から守つてやらなければならないと私は思います。長島のごときもあの園長は極めてこの点について細心の注意をして、最善の努力を払われておるようであります。この問題が起きて、黒髪校に入れないという私ども反対者に対しまして、いろいろと無智蒙昧だ、頑迷固陋だということをおつしやいます。他府県はいずれもスムースに進んでおるということをおつしやいます。併し長島状況を見ましても、決してスムースに進んでおりません。鹿屋におきましても、あそこの回答書を見ますと、但書に、この地方は民度が低いから、今なお癩を遺伝性だと見ておる、伝染病だと考えておらない、伝染病と考えておらないから、従つて先ず現在問題は起きておりませんというようなことが附記してあります。そのよう状態熊本の実情を直ちに他府県のそれと同様に、或いは他府県がそういうようないざこざを捨てて、恰かもスムースに事がすべて運んでおるかのようにおつしやつて、私どもを直ちに無智蒙昧だ、非科学的だ、非人道的だと罵られることはこれは私は当らないかと思う。父兄反対することは現在の医学がそこまで、私たちが安心するまで進んでおらないことは事実であります。これは何人も認めるところであります。でき得れば私たちは、あの子供も同じ人の子と生れ、癩病患者子供であるが故に不隅な立場にあるということにつきましては、やはり私たちも人の子であり人の親であります。血も涙もあります。それで私どももでき得ればあの子供を幸福にしてやらなければいけないという観点から、如何にすればこの問題が円満に解決するかについて日夜苦心いたしておるのであります。幸い市の文教委員会の斡旋によりまして、市長もできるだけ皆さんの貴意に副うように、あの子供を立派な環境から通わせることに努力をする、自分の減点を酌んで同盟休校だけは解いてくれ、そうしてあの子供を受入れてくれというようお話がありましたので、市長の誠意を私どもは受取りまして、私どもは一応あの子供を引取つて今後の対策に努力しておるのであります。然るに恵楓園側並びに賛成者かたがたは、漸くあの五名の子供を引取つて平静に帰しておるあの教育の場も更に又撹乱するような事柄を希望したのであります。第二学期からの通学を強要し、而も市の教育委員会が現在の客観情勢からしてその通学を拒否したところが、あたかも政治力によつて制圧され、我々のP・T・Aの圧力によつて市の教育委員会がああいうよう決定をしたというようなことを御宣伝になり、或いは皆さんがたにもそのようお話になつておることと思うのでありますが、苟しくも市の教育委員会は曽つて厚生省の高田医務局次長を囲んだ懇談会の席上でも、岡本さんははつきりと、そういう事実のないことを言明しておられます。又私どもも実際においてそういうことをやつた事実もありません。会長瀬口県会議長を頂いておりますけれども、この人は六年前からのP・T・A会長でありまして、この問題が起きましてからのP・T・A会長ではありません。従いましてとかくの非難をすることは私は当らないと思います。  結論に移りますが、私どもは現在までいろいろな紆余迂曲説はありましたけれども、どうかしてあの子供を幸福にしてやりたいという気持からこの問題の解決をどうすればいいかということについて研究したのであります。これは結局法の二十六条を飽くまで守らなければいけない。先ほど福永さんは我我が法を無視する、同法を無視するというようなことをおつしやいますけれども、私どもは絶対に国法を無視しておりません。むしろ第二十六条の規定によりまして、あの子供を一般の養護施設に移し、そうして人知れず学校に通わせること、いわゆる癩病患者子供であるというそのレツテルを取り外してやること、これがあの子供に対する最大の幸福を与えるゆえんであると私は考えるのであります。どこに押出しましても、癩病患者子供として出しましたならば、この子供は絶対に幸福になりません。これは各療養所の実例を見ても明らかであります。折角秘密にして押出したその子供が、先方で癩病患者子供であるということがわかりましたために、一般から迫害を受けて、再び長島に逃げ帰つておる事事もあります。これは実際にあつた事実であります。飽くまで癩病患者子供であるということは隠すべきであります。隠さなければあの子供は幸福になりません。法律によつて科学によつて、無理に黒髪校に押し付けられましても、あの子供は絶対に幸福になりません。同町に私どもの八百……、千九百の子供も不幸であります。あたかも現在におきましても、隣りの碩台校の子供黒髪校は癩病の子供学校じやないかということを公言しております。そのために泣いて帰つた子供もおります。私の孫は今年二年でありますが、その子供が、おじいちやん学校を変りたいと言う、なぜかと言うと、癩病患者子供と言うのだそうです。でもおじいちやん、変つて黒髪校から移つたと言つたならやはり同じでしようね、嘘を言つてなおりましようへと、こう申します。現在の子供心ですらも、そういうよう状態になつております。あれが秘密のうちに移されたならば、恐らくこういうこともありますまい、併し当初から法律の力によつてやろうとなさつた宮崎園長のこの行為は大きな問題を投げかけたのであります。又このことは非常にこの問題の解決困難性をもたらしたのであります。この点を私は余ほど考えなければならんことと思います。それで私どもは願わくはこの問題を円満に解決し、而もあの子供を幸福にするためには、やはり癩病拠者の子供であるというレツテルをこの際速かにおろして、そうして人知れずあの子供学校に通わせるということが、私は最大の解決方法ではないかと考えます。なお最後に一言いたします。桜山中学校が問題を残さずに入つておるようにおつしやいますが、これは入るときにこつそりと人知れず入れたのであります。父兄は勿論先生も知らなかつたのであります。ところが今度黒髪校の問題が持ち上りましたために大きく浮き上りまして、現在ではとかくの問題が走きんしております。決してスムーズには行つておりません。又現在自分の親がそういうよう状態にあるということも知らなかつた子供でも、現在ひがんで、遊ぶということも遠慮するというよう子供も出ております。これはあらゆる方面に大きな波紋を描いております。何と申しましても、この問題をこうまでこじらしたというのは宮崎園長の責任だと私は考えております。少くとも長島園長ような措置があつたならば恐らくこういう問題は起らずに済んでいると思います。とかくの問題が起きておりますけれども法務局を動かし、法の力で圧迫したというような事実は現われておりません。あくまで秘密のうちに解決しなければならない問題であります。私はそう思います。どうか皆さん方におかれましては、私どもが現在抱いておりまする解決方法につきまして御考慮が願いたいと思います。時間の関係でまだ申上げたいことはたくさんあります。ありますけれども、要約いたしまして、以上私の意見として申上げたいと思います。
  7. 堀末治

    委員長堀末治君) それでは、次いで黒髪小学校P・T・A会長瀬口竜之介君。
  8. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 今度の問題について皆さん方に非常な御迷惑をかけ、御心配をかけたことを恐縮に存じます。私はP・T・Aの会長としてこれに対してどういう考え方で参つたかということを簡単に申上げて、今までのことをいろいろ取上げて申上げたくございません。と申しますのは、賛成反対、いろいろ立場に立たされる人がいろいろ論論されたのでございます。さようなことで、両方から話合つてつたのではどうしてもその問題の根本的な解決には役立たないのではなかろうかというよう考えがいたします。今までのことをとやかく洗い立てて申上げたくないのでございます。併し問題の本質的なものからいたしまして、一応は簡単でございますけれども、経過を申上げてみたいと思います。昨年の十一月の終りだつたと思います。宮崎園長さんが議長室においでになりまして、私のところに今度の問題、龍田寮子供黒髪校本校に入れてくれ、というような問題についてお話がございました。その節私は宮崎園長さんにこういうことを申上げました。現在の状態においては、地域住民のこのことに対する認識の程度と申しますか、理解と申しますか、そういうのがまだ進んでおりません。で、これは何としてもお話はわかりますが、啓蒙運動が先行されなければならないと思います。或る程度地均らしができまたとき、軌道に乗せて頂くように、お話では今まで市長にお話になり或いは校長にお話になつて、そうして父兄反対であるからということで、その問題が立ち消えになつている、こういうようお話でございますが、幸い私がP・T・Aの会長でおりますから、一つ膝を割つてお話になるよう機会を作りましよう、それで是非宮崎さんもそうしてもらいたい、それでは作りますから慎重に事をお運び願いたいということを申上げたのであります。お帰りになるときには御不満のようなお顔付きだつたことを、私は覚えております。どうも私としては一応これを受入れるにしても、受入れる側の気持が和らいで受入れてやろうという気持にならなければ、入つた子供の真の幸福というものは求められないのではなかろうか、こういう考えもいたします。地域住民の人たち納得した上でこの題を進めて行くべきであろうと、こういうよう考えで申したんです。その後県の公務がございまして上京いたしまして帰りますと、板付の飛行場で子供たちが迎えに参つております。そとき私に、父ちやん、父ちやんは法務局に起訴されておる、告訴されておると本当は申しましたが、そう、何だろうと言つたら、恵楓園の問題で告訴されておるというようなことで、その事情を掲示してあります大阪毎日だつたと思いますが、示されたんです。見ますと今のようなことで、人権擁護週間法務局にこの問題が基本的人権が侵犯せられた事犯として提訴されているということが見出しに書いてございます。率直に申しまして私は、しまつたと思いました。これはこういうことで何らお話のないときに表面に出るとするならば、これは地域住民のかたがたがどういう感じでこの問題に対処せられるであろうか、私があれほど啓蒙運動が先行されなければならん、地均らしがされたのちに軌道に乗せてもらいたいということをどう宮崎さんはおとりになつたのであろうかという、こういう感じがいたしました。本当にしまつたという感じがしたのであります。帰りますと恵楓園からこのことについてのP・T・Aの意思を知りたいという公文書を頂いております。それは資料として持つて参りませんでしたが、そういう公文書が参つております。果してその事態において総会を持つことが妥当であろうかどうかということも考えましたけれども、一応そういうお話があるならばP・T・Aの総会を開かざるを得ません。又宮崎さんとお約束したこともございますので、最後の機会としてP・T・Aの総会を持つて、そのときに宮崎さんに来て順いてお話をしたら又或る意味では局面の打開ができるかも知れん、非常に望み薄であるけれども最後の機会を持とうと、かよう考えでP・T・Aの総会を持つことにいたしました。そうして宮崎さんにも来て頂いてお話を伺つたのであります。私はそのときの会合が果してプラスであつたかマイナスであつたかということは大きい疑問を持ちますが、そのときの総会発言者の中には本日ここにおいでになつておる江藤さん田中さんそのほか二、三人のいわゆる賛成者というかたの発言がございました。今日の反対者というかたの発言は非常に断片的であつたと、かよう考えております。それで公文書で要請せられましたP・T・Aの意思というものを私は一応確めたいと思いましたけれども、当日は二百名そこそこの出席者でございまして、いわゆる委任状というものの提出者が六百名ぐらい、P・T・Aの会員の実数ははつきり覚えませんが、千二百名ばかりのうちにそのくらいの人数でございます。それで委任状を行使して意思決定を諮れば諮れんこともございませんでしたが、この問題の持つ社会的な影響、本質的なそうした重要性を考えましたので、一応その席上で、会は成立しておりましたけれども決をとることだけは差控えました。それで改めまして又会員の皆さんに、こういう問題で決をとる必要があるから皆さんの御意思を承わりたいという文書を全部に廻しまして、会員の全体の意思をまとめたんであります。その後これは数字が出まして三〇数%対六〇何%で反対でございます。この票というものはどう取扱うべきか、これは余り慎重過ぎたかも知れませんが、これをそのまま公表するということが如何であろうかという考えを持ちましたので、役員会に私諮つたんであります。今日もお出になつておられます四宮アサ子夫人あたりもその役員会にも御出席になつており、令長はこの問題について総会を持つということは時期尚早ではなかつたろうか、もう少し啓蒙運動がされた後総会を持つべきではなかつたろうかという御発言がありました。併し私といたしましてはそういう公文書もあることでございますし、これをそのまま花花左して送るわけには参らないところから総会を持つたということを答弁いたしました。そうしてなお且つ会員のいわゆる概数を申しましたが、概数三対七というこの会員の数というものをどう扱うべきであろうかということを役員の皆さんにお諮りしたのであります。いろいろな御議論がございましたが、最後に私はこれは今P・T・Aが反対である、或いは賛成である、こういうふうなことを軽卒に発表するとすれば社会的な影響も如何であろうか’いう考えで、すべて取扱いは会長に作せて頂きたい、どうするかという反問がありましたので、私はこの問題の決定権を持つ岡本さんにこれを直接お渡ししたい、こう申したんであります。満場その役員会の席では御賛成になつて、それが当然であろうというふうなことでありましたので、賛成反対も一票々々見るというようなことは全然いたしませんで、学校当局が取まとめましたものをそのまま新聞紙に包んで、ここに御出席になつておる岡本さんにお手渡しいたしまして、P・T・Aの会員の意思はかようである、だからこの意思を一応御検討頂いて、教育委員会としての御善処をお願いしますということを申上げて、私の手から岡本さんに直接お渡ししたのであります。そのときに三対七、三〇何%対六〇何%という教字でございました。その後だんだんこの問題が経過して参りますと、非常に逆な方向に進みました。この点は先福永さんが言われたように、初めはさようでなかつたがだんだん反対意見が強くなつたと言われることは、福永さんが指摘された通りでございます。これにはいろいろな原因がございます。併し私といたしましてはこの問題をP・T・Aの問題としていろいろ進めて参るというのは如何であろうか、P・T・Aの持つ性格、目的、そういうようなものから如何であろうかと思いましたので、できるだけ慎重に取扱いたいと考えて参つておりました。御出席になつた会員のかたも本日ここにおいでになりますからおわかりになりますが、その後この問題を提起せられました総会で、いつも最後にはどうするか、決をとるというような場合に立ち至りましたけれども、私としてはP・T・Aとしての会合はこれまでであるということで三回か四回か切つたことを覚えております。P・T・Aの総会が終りまして、その後反対立場に立たれる会員の皆さんがお寄りになつて、いわゆる反対派父兄総会ということに切り換えられていろいろな決議をされたことは事実でございます。併し最後の場合にP・T・Aとし同盟休校ということが決議されました。私が議長席に座りまして決議いたしました。と申しますのは、私も側面から進めたのでございます。先刻近松委員長から言われたのでございますが、どうもこの間にこの問題についてはいろいろな考え方の人がおられる、だからむしろそういう中におられるかたに御遠慮願つて、直接黒髪校父兄と、それから龍田寮子供父兄である恵楓園患者さんと会つて話されれば、その間の誤解、いろいろな問題も解決できるのではなかろうかと、こういう考えも持ちましたので、いろいろ反対立場に立つておられる父兄のかたにもお勧めして、お会いになるように勧めたのでございます。そうしてそのことで話が好転すれば教育委員会としての結論をお出しになるのにも都合がよかろう、こういうよう考え方も持つてつたのでございます。時間的偶然と申しますか、御婦人を混えた反対代表者のかたが恵楓園においでになつておるその殆んど同時に、その結論の報告を聞かないで教育委員会から黒髪校に入れるべしという決定がなされて、これが全会員の憤激を買いまして、あの同盟休校という非常に困つた事態に立ち至つたわけでございます。問題については私今日まで当初に考えました考え方は変つておりません。何とかこの問題を円満に片付けて行きたいという気持は今日でも持ち続けておるわけでございます。どうぞ文部委員会の皆さんがた、本当にこの問題を基本的に解決してやろうという今回の温かい親心を、もう一つ押し拡げて頂きまして、私の力ではどうしても及びません。現地に一つおいで頂きまして、現地のそうした考え方を持つておる父兄の人たちを皆さんからもお話頂いて、そうしてみんなの納得の上で本当に和やかに、そうして円満に急速に解決が持ち来されるとすれば、私としてもこれ以上の喜びはないと存じておる次第でございます。今日では地元でいろいろと考えておりましたけれども、なかなか片方からやると、片方の演説会がある、又演説会が持たれるとそれに対する一つの動きが生じて参ります。次々に激化して行くだけでございます。一つ現地の私の力の及ばないところは皆さんのお力を貸して頂いて、現地の父兄たち納得させて頂く、又直接見て頂く、そういうことによつてこの問題の困難性ということの御認識も得られるのであろうし、私たち考え及ばなかつたことに対する御指示も得られるのではなかろうかと期待いたしておるものでございます。本当にあらましでございますけれども、私の気持を申上げてこの時間を潰させて頂きました。
  9. 堀末治

  10. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 癩の予防は大きな国策でありまして、癩患者収容いたします場合には、かなり無理をして行かなければならないことが往々にしてあるのでございます。それは癩患者が療養所に入所いたしました者は相当の長期間を予想しなければなりません。それに子供があり、或いは老人がある場合には、又その他家庭問題がございますると、これを一応解決してやらなければ、入院させ又入院させたあとでも患者たちが安心して療養ができないのであります。それで私ども患者を入院させますと同時にその子供の処置につきまして第一問題があるのでありまして、できるだけは患者子供たちだけを一つ所に集めるということは、決して今までのかたがたお話になりましたように、いいこととは考えておりません。できるだけその親族或いはその地元の養護施設に引取つてもらうことを絶えず私ども努力し、又関係当局にもそのようお願いをして努力して参つておるのであります。併しながらどうしても子供の処置がつかないことが往々にしてあるのであります。併し患者はどうしても入れなければならない、子供を何とか世話しなければならないという場合に、その最小限度の必要に迫られまして、只今各国立療養所には保育所を持つておりまして、そこで子供たちの世話をいたすのであります。子供たちが親を入院させすときに同時に子供をよく診察いたしまして、不幸にして病気に少しで“かかつておりますれば親と一緒に病院に入れますので問題はありませんが、子供を診まして如何にも健康である、癩という疑いは持てないという場合には、如何にしてみすみす病院に入院させまして、患者である親と同層さして感染させるに忍びませんので、親一は分離いたしまして保育いたしておるのが現在の問題になつておりまする龍田寮と申します保育所であります。これは病院は熊本市外の十キロの所にあまして保育所は熊本市内にありまして十キロを隔てた所で保育をいたしております。親が入院いたしまする前は子供たちは普通の学校通学ができておるのであります。何ら差別されないし、患者である親の許から差別なく教育を受けておるのでありますが、一旦親が恵楓園に入院します途端に子供たちは一般学校通学を取消されるという実情に相成るのでありまして、これは親として一面から申しますと、公衆衛生の犠牲になつて自分は病院に入る、そうすれば大事な自分子供の新吉さえろくにして預けないということに相成りまして、親の気持が如何にこの問題で深刻であるかは御想像頂けると思います。親は隔離をいたしておりまずので、どうしても私が親権を代行いたしまして、親たち立場に立つてこの問題に当らざるを得ない立場にございます。新らしくできました憲法或いは教育基本法はすでにこの教育機会均等を語つておりますし、昨年八月十五日に御制定になりましたらい予防第三条には、癩患者と親族関係にあるゆえを以て差別してはならないという、旧予防法にはない新らしい高いこの精神を盛つた条項をお定めになつております。今まで私たちは長い間この問題をお願いして参つたのでありますが、もうこういつた新らしい国会において、国民全体の意思としてそういつた、新らしい法律を定められたことでありますから、もう何とか解決せざるを得ない。患者たちもしきりにそれを迫つて参りますし、私も患者に言われるまでもなく、私自身も決意をいたしまして、何とかこれはお願いします。長い間の問題でありまするが、解決したいでおつたのを、何とか解決しなければならないという羽目に追い込まれたのであります。それで昨年の十一月であります。どうしても何とか、もう少くとも二十九年の四月頃からは解決してもらいたいということで、今まで秒長先生にそのたびごとお願いいたしますると、P・T・Aの反対がある、P・T・Aの了解さえあれば、校長としては明日からでも入学さして結構ですというお話を何回も繰返しておられた。それで私ども考えまして、私どもが親権を代行しております子供たち入学を、P・T・Aにまで頭を下げてお願いしなければならないものかということを一応考えましたけれども、やはりこの子供たち入学させることが先ず大事なことでありますので、私はさつき瀬口さんがお話になりましたように、瀬口さんを県会議長室にお尋ねしまして、事情を申上げて是非入学を許して頂きたいということを申上げました。ところがそれは甚だ困難な問題と思う、容易な問題ではないというような、これも私どもの期待に反するお言葉でありまして、今瀬口さんがおつしやつたように、私は甚だ不満な気持を持つてお別れしたのであります。そのとき私が申しましたのは、今までP・T・Aの会長さんなどに申しましても、むずかしい、困難だということである。それでは一度全会員一つ私から直接説明をし、お願いをする機会を与えて頂けないか、それでもできないとなればこれは私ども考えなければならないが、今までは幹部のかただけでいけないということを承わつておる。それで全会員に私に話をさせる機会を作つて頂けないかと申しましたら、それも、もう来年の四月から是非お願いいたしたいのだから、早急にそういつた機会を作つて頂きたいということを申し上げてお別れしたのであります。その後再三私瀬口さんのところに電話なりその他で御連絡をしましても、公務御多端、或いは上京だとかいうことで、一向いつ頃私のお願いするP・T・A総会を開いて頂けるか私には一抹の不安がありまして、このまま同じことを繰返すのじやないか。  たまたま人権擁護週間でありまして、私熊本地方法務局の前を通りましたら、大きなポスターが出ておりまして、何かそういつたことで問題があつたら相談しろ、私初めて思い余りまして、熊本地方法務局に相談を申上げたのであります。余り法律によつてどうとか、強権によつてどうというのじやなくて、そういつた、たまたま人権擁護週間でありましたから法務局長に相談しましたら、法務局長は即座に、そういうことがあるということを自分たち知らなかつたことは、非常なこれは怠慢である、我々としては当然お世話すべき問題であるから、事情はよくわかりましたから、何か文書にして出して頂きたい。早速どういう形で出しましようかと申しましたら、申告という形がいいから、申告をお出しになつたらということで、申告をいたしたわけであります。で、そのときも私ども、事教育に関することですから、余り表面化しないことが望ましい。地方法務局長も勿論そういう御意見でありまして、私ども法務局に御相談したことは飽くまで秘密にしよう、或いはそうして頂きたい。で、そのつもりでありましたけれども、丁度人権擁護週間にもなつておりまして、新聞報道機関の方々がいろいろな資料をお集めになつておる際でもありました関係でありましようか、毎日新聞と西日本新聞にその事実が掲載されたのであります。早速地方法務局長は関係の課長を帯同されまして私のところにその点をお詑びにお見えになりますし、ここにおいでになる瀬口さんにもわざわざ地方法務局長が参られまして今のことを十分話されまして、すでにその点につきましては関口さん自身も御了解がついておると私は思つておりますが、未だにそういつたことをお繰返しになるということに私どうも納得が行かない点があるのであります。それからその新聞に出た関係もありましようか、早速十二月の八日に総会を開いて頂きまして、それから或る、それを掲載しました新聞の当事者は、これは結果的にいつてつてよかつたじやないですか、新聞に出なければいつ総会を開いて頂けるかわからなかつたのに、新聞に出たからこんなに早急に総会が開けて、甚だ済まなかつたけれども、結果論的に見ればよかつたというような話も伺つたのであります。第一回の総会のときに私必らず相当の反対があるということを覚悟して参りまして、一時間半ばかり瀬口さんが会長として司会されたP・T・A総会に臨みまして、私そのときかなり悲愴な覚悟をもつて臨んだのでありますが、だんだん話をいたしておりますうちに、皆さんのうちに、私の希望的観測であつたかも知れませんが、或る婦人などは眼頭を熱くしておられるというような情景が見られたのであります。終りましてから会員の質疑に移りまして、相当の私は賛成意見の強い発言があつたと見ております。その当時の録音もいたしてありますが、相当の強い賛成、これは今まではわからなかつた、よくわかつたというような。ただ御反対になつたのは、私今考えますると、ここにおいでになる近松さん以下ここに傍聴においでになつておりますいわゆる反対実行委員の方々が私の話しまするこの前のところにお集りになつて盛んに反対をされたという記憶が今残つておるのでありまして、その当時から近松さん或いはここに傍聴なさつておる方々が反対意見を持つておられたので、今瀬口さんが申されましたよう出席者も余り多くありませんで、P・T・Aの意見を聞こうということがありました。私は意思をお聞きになるなら先ず瀬口さん自身が、さつきは啓蒙とおつしやいましたが、私ども啓蒙する機会を与えて頂いて、このことを判断するだけの知識を与えてから賛否を問うてもらいたいということを私はお申入れいたしたのでありますが、遺憾ながらここに私ども当時のP・T・Aの皆さんに配られた賛否を問う書面の写しを持つておりますが、それにはただ一ぺんのことでありまして、ただ黒髪校分教場の癩未感染児童本校に入れるかどうかについてということでありました。最初に書いてありますのは本校に入れることに反対するという一項でありました。その次が本校に入れることに賛成するということでありました。反対賛成か、その中間もありませんし、而も反対を冒頭にいたしておられるのでありまして、賛否を問う場合に我々の社会通念からいたしまして賛成反対かと問うのがこれは常識であります。この書面を見ましても反対を期待されてそんな処置をとられたんじやないかと私は非常に遺憾に思います。それからその結果につきまして私どもは非常に関心を持つておりまして、いずれにしましてもその結果を伺いたいということを私ども再三申し上げましたけれども、私どもにはお示し頂けません。それは、これは何も無記名でありませんで、記名捺印による回答でありますから、何も秘密にされる必要もありませんし、私どもとしましてはどの方面に反対がありどの方面に賛成があるか、それを知つて反対の方々に対しては私ども啓蒙の手を打ちたいと思つたのでありまするが、これに対して私どもに対してはその集計された数さえお示しを願えなかつたのであります。  近松さんや瀬口さんのおつしやつたことに対しまして私どもとして説明を申し上げたいと思いますが、時間がございませんので、又適当な機会をお与え下さつて十分私どもの両氏の御発言に対する説明をさせて頂くことができれば非常に幸いに存じます。  で、いずれにいたしましても、私ども保育所に預かつておる子供につきましては健康上差支ない。よくあそこから患者が出たということを一々お話になりまするけれども、私ども絶えず健康管理をいたしておりまして、少しでも疑いがあれば病院のほうに、親が病院におりまするから、病院のほうに移しまして、そこでいわゆる診断の確定をいたすのであります。只今まで百六十名の児童を保育いたしておりまして、そのうち九名だけ病院のほうに移しております。これは将来、癩が発病するかもしれないという疑いを持ちまして九名だけを病院に移しまして、そうしてそのうちから五名の診断を確定した。これは恵楓園内で癩という診断を確定いたしたのであります。それは恵楓園に移しましてから数ヵ月、長いのは二年たちましてからやつと癩という私どもの確定的な診断を下しておるのであります。伝染病が発病しない以上伝染の危険のないことはこれは当然なことでありまして、私ども子供発病しておる者はおりませんし、従いましてそこから通いました、癩の子供が癩の感染源になる、癩の感染の危険ありということは到底考えられないことでありまして、私どもは断じてそういうことはいたしておらないつもりであります。私どもは国立癩療養所の施設長としまして全国民に対して癩予防の責任を負うております。何を好んで今おつしやるような危険なるものをわざわざ学校に通わしてくれとお願いするか、それをお考え頂いても十分おわかり頂けると思います。若し私どもがそういつたことをいたしまするならば、当然私どもの責任を追及して頂くべきでありまして、ただ子供が危険だということで通わして頂けないということは、何としても私ども承服できません。それから全国的に見ましても、ほかの療養所ではすでに通学は実現或いは実現しつつありますし、お隣の鹿児島県の鹿屋市にありまする療養所のごときは、そこのP・T・A会長が非常な高い見識を持つておられまして、こういつた子供こそ温かく迎え入れる、それが教育の本旨だ、そういつたハンデイキヤツプのついたかわいそうな子供を温かく迎え入れて平等に教育してやるということが教育の本旨だ、我々はそれを誇りにしているというようにこの法務局の御紹介に対しては回答を寄せておられます。私どもは、どうか瀬口さんも今後十分御検討頂きまして、そういつた気持を以て入学に御賛成頂ければ誠に幸いだと思つております。なお、瀬口会長医者であられますのでお話はよくおわかり頂けると思いますし、又私の希望いたしますことは、医者であられる瀬口県会議長、P・T・A会長がどうか一度恵楓園においでになつて医者として一つ最新の癩医学を御検討頂けないか。佐伯という剛全長は医者であられまして、このかたは最初反対をされましたが、私のところへ数回お見えになられまして患者を御覧になり或いは最新のいろいろな病気の研究をお聞きになつて最初反対されましたが現在は強い賛成立場をとつておられます。そのことは幹部の皆さんは非常に不満のようでありまして、P・T・Aの副会長ともあろう者が癩療養所に行くとは何ごとかというお叱りを受けて、現に副会長の職責からやめさせられておるような現状であります。又もう少し詳しく御説明申上げたいと思いまするが、又の適当な機会をお与え頂ければ誠に幸いでございます。長時間をとりまして誠に恐縮でございました。
  11. 堀末治

    委員長堀末治君) どうも有難うございました。  それでは次いで熊本教育委員会委員長岡本亮介君。
  12. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 只今御紹介に与かりました熊本市の教育委員長岡本であります。今回お呼び出しを頂きまして出て参つたのでありまするが、こちらに参つて伺うというと、私が反対派の代表として取扱われておるということを聞きまして甚だ遺憾に存じた次第であります。教育委員会立場といたしまして、賛成者或いは反対者というような、そういうふうな立場はあり得んのでありまして、我々はどつちかと申しますと、その両方から却つて不満を持たれておるのじやなかろうかと、こう私は考えております。それはまあさておきまして、この問題の経過の概要は今まで四人のかたがたの詳しい御説明でおわかりのことと思いまするが、もう一つ遡りまして、この黒髪問題の歴史的なことをちよつとお話しいたしたいと思います。  今問題になつておりまするところの龍田寮と申しまするのは国立恵楓園の附属施設でありまして、昭和十七年に県知事並びに市長の了解の下にあすこにできたものであります。そうしてその収容されている児童教育機関といたしましては黒髪小学校の分教場としてあすこに分教場ができまして、その児童収容して教育いたしておるのであります。昭和十七年以来この問題はしばしば蒸し返され、或る点では熊本市民に一つの脅威を与えておりました。これはどういう意味でそういう工合に強く熊本のみがそういう感情を持つているのだろうかということを委員会でいろいろ検討いたしましたが、先ず第一に熊本市は他の都市と違いまして、御存じのように清正公様がありまして、あすこに全国の癩病患者が集まつて来ておつたのであります。それでこの癩病に対する嫌悪の情、或いは恐怖の情というものは他の都市よりも一段と強いのじやなかろうかと我々は判断しております。もう一つ日本国民の持つ一つの潔癖性、我々の学校癩病患者子供を入れるということは何か捗らしい感じがする、そういうふうな一つの潔癖性が根本になつておるのじやなかろうかと私は考えております。勿論P・T・Aは現在日本教育に非常な大きな貢献をされておりまするので、ここではそういう批判はいたしませんが、今度の事件におきましてはP・T・Aが相当にこの教育行政というものについて影響を与えておるということを聞いて頂きたいと思います。なお先ほどからしばしば問題になりましたP・T・A総会状況をちよつと掻いつまんでお話申上げます。当日はP・T・Aの招請状によりまして我我もP・T・A総会の席上に列したのでありまするが、聴衆は約五百名くらいであります。賛成反対こもごも立ちましてその意見を述べられました。その状態から判断いたしますると、P・T・A全体の意向というものが漫然としてわからない、そういう憾みがあつたのであります。それでP・T・Aの会長さんにそれでは一つ各家庭に向つてアンケートをして欲しい、そういうことで後日アンケートされまして私のところに瀬口会長からその結果を持つて参りました。先ほどから非常に不明だ不明だとおつしやつておられまするが、今ここで発表いたしますと、当時黒髪校の家庭の総数が千二百六十七でございます。このうちでこのアンケートに応じて答えを提出いたした数が千二百二十九名であります。未提出者が三十八名あります。このうちで賛成者は四百二十名、これは三四%に当つております。反対者は七百九十五名でありまして約六四%に当つております。中立が十四名ありまして、これが約二%ほどに当つております。こういう結果でありまして、これはこれを発表することがいいかどうかということも委員会で問題になつたのでありまするが、このアンケートの結果は、要するに地域のかたがた意見の反映である。であるから、これを或る点まで委員会の意見に反映させるのが妥当である。併しこれを社会発表するということは又別の問題で考えなきやならない。それで公けに発表いたしませんでした。これについていろいろ誤解を招いたということは甚だ遺憾に存じておる次第であります。  それからそれでは教育委員会はこの問題に対してどういう態度、どういう根本理念を持つたか、そうしてどういう措置をとつたかということを掻いつまんで申上げます。我々は勿論らい予防法の第三条ということを非常に重視いたしました。と同時に、らい予防法の二十六条というものとこの第三条がどうも多少の矛盾があるのじやなかろうかというような我々常識的に考えた点も出て来るのです。これは皆さんがた先ほどからここで法律という建前から、両面からそれを自分のほうに御都合のいいように判断をされておるよう傾向があるところを見ても、そういう点がありはしないか。これは国会一ついずれこういうことは、もう一遍再審議して頂きたい、こう私は考えております。併しながら現にこういう法律があるということは、これは我々公的機関といたしましてこれを遵奉しなければならんという根本理念に立つております。それでこれはこのらい予防法の第三条は我々の根本理念に立つた一つの元である。  第二番目は医学的な考え方であります。これは現在の医学では発病せざれば感染せずという建前に立たれておるそうでありますが、我々は素人で一向わかりません。併しながらその建前も一応我々は承認したのであります。その点から考えますと、いろいろ黒髪校のP・T・Aのかたがたのとつている態度は、多少そこにズレがあると思いますけれども、併しながら恵楓園側にも私は一つ発病せざれば感染せずというのをもつと具体的に、具体例を拳げて皆さんがた啓蒙する必要はなかつたか。ただ単なる普通の理論を述べるばかりでなしに、もつと大衆にわかりいいように具体例を以てそういう説明をするべきである、こう思つております。併し我々もこの医学的の見解には大いに力を持つたわけであります。第三番目は勿論これは人道的或いは道義的、道徳的というような精神的な、なにから来たのでありますが、先ほど総会におきましても賛成者かたがたは、じつと見ておりますと、教育家であるとか或いは宗教家であられるようなかた、そういうかたが大体賛成よう考えられますということも、その点に立ちまして理路整然といたしておりますが、その点他の反対者かたがたは非常に感情的であつたと思つております。併し社会感情というものも我々は重視いたしております。これをただ無視して法律或いは医学或いは道徳的、それのみでこれを判断することは非常に避けなければならない、こういう工合な考えに立つて、法的機関でありまするから、飽くまでも偏つたものの見方をしてはいけない、特に教育的音にあるものは教育的見地を主にいたしたい、そういう考えで先ず教育委員長がNHK或いはRKKという地方のラジオのなにから、我々は龍田寮児童熊本市内の学校通学することに決定いたしたということを数度声明いたしました。これは決定の根本理念は今申しましたようなわけ合いであります。それで、ところがたまたますでに入学期が迫つておりまして、その方法とか、その時期とかいうようなことについてはいろいろなかなかの委員会で意見があつたのでありますけれども、とにかく入学時期が迫つておるので、児童が四名ある、これを早く処置しなければならないというので、我々は先ず四名の入学児童を分校から本校通学させるという線を打ち出したのであります。これの発表において多少遺憾の点があつて先ほどから盛んにP・T・Aのかたがたから攻撃を受けておりますが、これは委員会のいろいろなことを考慮いたした思い過ぎであつたかも知れませんけれども、そこに手落ちがあつたということをここで認めております。併しそれが同盟休校に一遍に爆発した契機をなしたとは私は考えておりません。これはいろいろな事件が錯綜いたしております。多少そういう点は指導者のかたがたの責任でもあると私今でも考えております。そういう点から非常に遺憾な同盟休校という最悪の場合に立ち至りまして、いろいろ折衝を重ねて、もう一遍その四名を熊大の医科の先生診断してもらうという話合いになつたのでありありますが、私は初めはそれを拒否したのであります。これはらい予防法の二十六条にもありますし、これはそういうことをするということは委員会の立場として間違つておるというよう考えを持つておりましたが、宮崎委員長に相談いたしますと、それは仕方がない、それなら診てもらいましようというわけで診てもらつたのでありますが、その診てもらつたうちで一名が、実に熊大の教授の煮え切らないその診断の結果、ここに書いてありますから御参考に申上げますが、我々素人にはわけのわからない診断を下したのであります。こういうことを書いてある。この所見を以て癩罹患の確証とみなすことはできないが、かかる所見の存続を続けたのち癩症状を発現する場合もかなりある。かような点を総合してみれば、現在何何という子供が客観的に察知さるべき癩症状を発現しておるとは認められないが、今後注意して観察する必要がありと申さなければなりません。こういうことを書いてある。これは我々素人にとつてはこの観察というものに非常に不安を来たしたのであります。これは賛成のかたから見るというと癩じやないと判断しておるのじやないか、こういう具合に判断もされますが、一般の我々素人から見まするというと、かなり不安を抱かなければならない。而もP・T・Aのかたがた、こういうかは、この子供癩患者で現在ないということはわかつておりますけれども、こういう社会不安を誘発するような、そういうふうな診断というものは非常に困る。それで一名だけを龍田寮にとどまらせたのであります。これがのちにいろいろな批判の的になつて委員会が非常に攻撃される因でありましたけれども、事実はそういうふうな内情があるのであります。それから最近にそれではいつ全員を入学させるか、それは長い間のもつれをほどくのでありまして、そう急に参るものではない。多少時期を見て、この時間の、時間というものは相当P・T・Aのかたがたの認識を深めたりするというよう考えを以ちまして、二年以上の児童を九月一日から入学さしてくれということに対しましては、こういうふうな回答をいたしたのであります。二学期九月一日から龍田寮児二十三名の通学に対して熊本教育委員会が当時打出した線、原則として入学させるというその原則線についてはこれを堅持するが、現段階においては実施困難である。困難の理由、市教育委員会立場から見れば、社会の認識はやや高まつて来たが、客観的情勢がまだ十分熟していない、このまま九月から入学させれば、静かなるべき児童教育上再び混乱状態を引き起す虞れがあるというような意味合いで、九月一日からの二年生以上の児童通学は一応延期の形になつておるのであります。これはいろいろ又客観情勢とは何かという判断が非常に突つ込まれておりましたが、今ここで皆さんがた反対賛成の御意見を聞かれてから、これは客観情勢が如何なるものであるかということは御察知願えるかと思います。かかる客観情勢でこれを二学期から二年以上の通学を許可いたしまするいうといろいろな問題が起こる、これは教育立場から非常に我々の苦痛とするところでありますが、併しこれはまだ将来のことでありますが、近い将来に解決いたしたいと、こういうふうに考えております。この文部委員会一つ決定が我々にそれの示唆を与えるようないい決定を出して頂きたい、こういう工合に望んで私の発言を終ります。
  13. 堀末治

    委員長堀末治君) 以上を以ちまして五人の参考人の供述は終りましたが、御質問がございましたら……。
  14. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 質疑を続けてやりますか。
  15. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それはここで休憩をして、昼食後に質疑をしたい、こういうふうにしたいと思います。
  16. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 只今の昼食ののちに質問するというのは賛成です。ただその前に、配つて頂いた資料についてちよつと委員長にお尋ねしたい。ここに日本子供を守る会という所から資料が出ておるのですが、その提出者はお見えになつておるのでしようか。というのは、私は後刻質問すればわかると思いますが、この中に先生がたの責任あるかのごとき結論を出されておるのです。ところがあとで糾明して行けばわかりますが、両派は非常に対立して、或るときには職員室を占拠して先生のあらゆる行動を両派で牽制して、教育委員会は、教職員は絶対そのいずれの態度もとることはならない、教育委員会決定通りに行動しておるという言明を示唆しておるわけです。それでも先生がたとしては、あとほど何らかの機会に申上げますが、一応の結論を出されておる、そういう状況下にあつたのに、あたかも教師に責任があるかのごとく結論として資料が出ているわけですが、この資料の提出者はお見えになつているかどうか。責任のはつきりしない資料は委員長としては配つて頂きたくない。
  17. 堀末治

    委員長堀末治君) お答えしますが、私もこの資料を配ることについて御相談を受けていないのです。
  18. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 そんな資料を勝手に事務局は配つたのかね。
  19. 堀末治

    委員長堀末治君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  20. 堀末治

    委員長堀末治君) 速記を起して。  それではこれで休憩いたします。午後の再開は……。
  21. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 御発言中でございますが、参考人として発言いたしましたのに齟齬いたしておる点がございます、宮崎さんと私の話しましたのに。これを証明したいというよう機会あとでお与え願いたいと思います。
  22. 堀末治

    委員長堀末治君) いずれそれは質問の機会に入れようと思いますから、どうぞそのときにお願いいたします。  それでは一時半から再開いたします。    午後零時三十四分休憩    —————・—————    午後一時四十五分開会
  23. 堀末治

    委員長堀末治君) それでは午前に引き続いて再開いたします。  先ずちよつと御了承を願いたいと思いますが、それは先般の理事会で決定いたしておりました日程についてでございますが、十月九日の委員会は都合によつてこれをとりやめまして、十月の十一日午前十時から開会することに理事会において打合せをいたしたのでございますが、さよう了承願いたいと思います。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  24. 堀末治

    委員長堀末治君) 御異議ないと認  めます。   —————————————
  25. 堀末治

    委員長堀末治君) それでは午前に引続いて癩感染児童入学問題を議題といたします。  先ほど参考人の公述が済んだ次第でございまするから、これから公述に対して質疑を行いたいと思います。どうぞ御質疑のあるかたは御質疑を願います。
  26. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 問題はここまで発展して今日参考人の公述を終りましたので、若干その公述に基いてお伺いいたしたいと思います。  先ず熊本市の岡本教育委員長に伺います。申上げるまでもなく、この問題は熊本教育委員会が当面の最高責任者であるわけでありますが、市の教育委員会としては県教育委員会に何らかの助言、指導を求めましたか、それとも県の教育委員会から積極的に何らかの助言、指導がありましたかどうか、この点を先ずお伺いしたい。
  27. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) お答えいたします。県の教育委員会に我々は助力を求めました、併しながら非常に消極的であつたということは我々は多少不満であつたのでありまして、最後のあの四名の児童を入れる、入れんという場合に県の教育委員会は四名とも一応龍田寮に帰して、白紙に還して、それから交渉を再開してはどうかというような助言を頂きましたが、市の委員会はこれを拒絶いたしました。そして市の委員会の所信に向つて邁進いたしたわけであります。
  28. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 ということは、県の教育委員会は市の教育委員会の期待と相反するところの助言、指導があつて、これは市の教育委員会のとらざるところとなつた、こういうふうに了承してよろしうございますか。
  29. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 積極的に助言はなかつたように思います。ただ当初は我々の意見に非常に同調いたしておりましたが、土壇場になりましてそういう工合に四名を、一応龍田寮に引取つて白紙に還つてはどうかというようお話でしたから、我々はそれを拒絶したようなわけであります。それ以外に余り大した影響はいたしておりません。
  30. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 この段階になつて立法府に何らかこの問題を解決して欲しいという陳情があつて本日の委員会が開かれているわけでありますが、熊本市の教育委員会としては文部省から何らかの助言、指導があつたか、或いは求めたかどうか、更にこの事件が起つて文部省の初等中等教育長並びに文部大臣は直接熊本市にこのためではありませんが、熊本市の文教視察も兼ねておいでになつたわけでありますが、その際何らかの助言、指導があつたかどうか、又市教育委員会として求めたかどうか、その点を併せて……。
  31. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 法務省、厚生省、文部省のこの三省の申合せは印刷で頂きました。委員会はこの事態の経過を文部省に報告いたしております。別にそれ以外に何らの勧告、助言も接しません。こちらからも別に又積極的にそういう何は求めておりません。
  32. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 次に伺いたい点は、この出された資料を拝読し、又皆さんがたの公述を承わつた結果、私の気付いた点は、熊本市の教育委員会は当初四名の入学委員会で決定し、再三に亘つて委員長はラジオ放送して市民の協力を求めておりながら、その後態度が変つておりまするが、これについて一部では非常に政治的圧迫があつたというようなことが報じられておりまするが、これは如何なる状況判断の下に、市の教育委員会は態度を変更されたのか、念のため承わります。
  33. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) よく巷間にそういうふうな、如何にも政治的圧力を加えられて、当初の何を変更したのであるというような非難を受けておりまするが、そういう点は一つもない。どうしてそういう工合になつたかと申しますと、第一にこの問題はいろいろ声明をしたときに、本質としては市内の小学校入学を許可するけれども、その時期並びに方法は慎重な態度をとらなければならないということも併せて声明してあります。その後の客観情勢が、例えば盟休に入るというよう事態に立至つた、そういうふうな事態が起りましたので、多少これは時期的にずらさなければ、この興奮は冷めない。この興奮の冷めたのちに適当な措置を取ろう、そういう工合に考えておつたわけであります。これを変更したわけではありません。基本線は現在でもしつかり考えております。
  34. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 それに関連するのでありますが、私が頂いた資料を拝見いたしますというと、四月十五日と、その後五月六日に一応妥結をするまでに二日診察をしていると思うのでありますが、如何でありますか、その点は。
  35. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 実は四人を入学させるについては一応委員会から大学のほうに、先ほど近松さんが申しておつたように、体格検査程度で診察を受けさしております。その点では異状ないというような、そういう資料を求めまして、それを持つて四名を入学させるということにいたしたのであります。ところが非常事態がやかましくなつて、今度はP・T・A側から、もつと精密検査をしろというようお話がありました。この精密検査をするというようなことになりますと、らい予防法の二十六条にひつかかるような気がいたしまして、宮崎園長ともそれを相談いたしますと、こういう事態だからしようがないから、患者のほうもそれを納得するから、もう一遍そんなら精密検査をしてくれ、自分はこの四名に対しては健康児であると自信を持つて言えるのだけれども、P・T・Aがそういうわけならば、もう一遍大学で診断させようというような承諾を得まして、再度、二歩目に精密検査というようなことを実施したわけであります。
  36. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 その精密検査の問題に触れますが、その精密検査の場合は、楢原皮膚科長以下、熊本大学の医学部の四科長を以て構成したあの診療団を指すわけでありますか。
  37. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) そうであります。
  38. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 市の教育委員としては、この熊本医大の学長をして言わしむるならば、ベスト・メンバーだと言つておりますが、この診断の結果をしたことと私は了承するのでありますが、その点と併せて承わりたい点は、この診療の結果、五月の六日だと思いますが、三名だけを入学せるということが教育委員会決定として出され、学校にその開校通告が出されたのちに、熊本地方法務局の局長名で、その熊本医大の診療は納得しかねる、これは癩の権威者である恵楓園宮崎園長さんの、四人とも大丈夫だという診断を信用する以外にない、教育委員会が三人を入学させて、一人を保留したことは誠に人権侵犯で不当である、こういう声明を地方法務局長の名において、事故において出されておりますが、これに対しては地方教育委員会としては、事後処理上からどういう所見を持たれておるか、念のため承わります。
  39. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) そういう通告を受けました。けれども、これは法的立場に立つた人の言うことであつて、我々教育家の立場は、又そこに違う、我々は勿論四人とも宮崎園長のおつしやるように大丈夫だとは思つておりますけれども、一名が先ほどよう診断書で大いに世人を惑わすような、ああいう診断書ですから、これが他に漏れた場合に、非常に社会的不安を起すというような意味合いから、この法務局の勧告はこれを取上げなかつたのであります。
  40. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 次に伺いますが、五月三名を入学させるということで、一応盟休が解けて、黒髪小学校が開校された、その後の、三名が入学をした黒髪校状況はどうであるか。それからこの時に当つて、今後如何ようにしてこの問題を解決して行こうと、どういうふうに教育委員会としては考えておられたかどうか、他の角度から伺いますと、一応あの五月八日で問題が平穏に帰し、解決の方向に進みつつあるので、今後更にどのようにして解決して行こうと考えておられたか、それともこれはいずれ又大変な問題になる、どうしたものかと、はつきりした対策もない状況であつたのかどうか、その点委員会の態度を承わりたい。
  41. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 先ず五名の入学児童状況を申上げまするが、今子供ら五名は嬉々として毎日ランドセルを背負つて学校行つておりますが、これが教師に言わせると、何でもない、大した抵抗も受けないで授業を受けたと申しておりまするが、又反対派のかたの言い分を開きますと、非常に子供は、例えばその一人がころんでも、誰も助け起す者がない、そういうふうな状況である、実に可哀そうであるというようお話を承わつておりますが、大体私ども考えとしましては、平穏に行つておるのではなかろうかと思つておりまするが、最近にも運動会の問題が出まして、例えば手をつなぐとか、ボールを投げ込む、ああいうふうなのを父兄が嫌うというふうなことで、何か運動会も延期になつたよう状況ように思つております。それから、然らば次の手はどういう手を打つのかと申しまするいうと、これは非常にここで言明することは、この次の段階に入る上にこれが公表されるということは非常に事態をむずかしくするのじやなかろうかと考えますが、実はその点はしつかりした計画はありますけれども、ここで述べるということはどうも工合が悪いと、こう考えております。
  42. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 ということは、これを審議した結果、参議院の文部委員会でかくかくだというような或る線が出る出ないにかかわらず、市の教育委員会責任者立場としては一応の自信のある腹案を持つておると、こういうことでございますか、そうですが。
  43. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) そうです。
  44. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 それではその内容は追及いたしません。  次に承わりたい点は、まあ非常に両派対立状態に一時なつたようですが、そのときに賛成派のかたは学校内に余り入られなかつたようです、私の調査では。ところが反対派のかたは、数が多かつた関係もありましようが、ともかく学校の職員室に入られて、それを一つ反対の運動の足場としたと、まあ露骨な言葉で言えば、旭丘中学校の職員室占拠、学校外の者による学校管理という形も現出したと、私の調査では考えられるのですがね。そのときに一体市の教育委員会は如何なる態度をとられたか。私の調査では、市の教育委員会は、問題が非常にデリケートだから、教職員は賛成反対のいずれの態度もとらないで慎重にして欲しいということを厳粛に示達された。従つて、教職員はそれを忠実に守つたようであります。それから賛成派反対派の御父兄のかたも、先生がたも、できるだけこれには捲き込まれないようにという好意的な忠告をされたようです。又一部の先生がたは、非常に激化した両派の先生がたから無言のいわゆる威圧を感じたと、だからあの当時は非常に言動に困つたということを申しております。これはまあ推察に難くないわけですが、私教育委員長に伺いたい点は、いずれにしても反対派のかたが職員室を占拠して、そこを足場にして数日間その運動を展開されたということは、教育委員長としてどうお考えになつておられるか、伺いたいと思います。
  45. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) この点は非常に遺憾だと思つておりまして、断固たる何を申しようと思つておりましたけれども委員会では、現在非常な重大な段階に立つておるので、これはこのまま見通して、そうして本質の問題の解決に力を尽したほうがよかろうと、そうしないというと、例えば教員にも、私は再三黒髪校教員に、君らは厳正な中立な立場をとつてつてくれと、これが解決しても、又破れても、君らの立場は非常に悪くなる、その点は厳正な中立を守つてくれと、そういうことを厳重に申渡して、成るべくこの点には触れないで、本質的な問題を先ず片付けようと、そういうふうな心持でおつたわけであります。この点いろいろと考え方もありましようけれども、当時の委員会のとつた態度は私今から考えて決して悪くなかつたと、市の教員組合のかたがたもこれに対して積極的に応援したいという心持を表わしましたけれども、私のほうで教員組合のおかたがたが出ることは暫く遠慮して欲しいと、いずれは右するか左するか決定するから、その場合になつたならば委員会を全面的に支持して欲しいというようなことでありまして、実は最後の妥結案に達する前日は、市の教員組合のかたがたに寄つて頂いて、最悪の場合にはこうして下さいということをお願いして、よしやろうというところまで行つてつたのでありまするが、それまで成るべくこの問題に余り立入つて派生的の問題がそれからそれへと起るということを非常に恐れたわけであります。それで木打的な問題が見失われるというようなことを考えまして、その点は黙過しておつたわけであります。
  46. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 次に承わりたい点は、三名を一応入学させたと、ところが二年から六年まで全部一挙に入学問題を解決して欲しいと、こういう要望が賛成側のかたから非常に強いわけです。そうして、その書面によりますと、四月二十一日の妥結のときの賛成派のかたの条件、即ち、そのうちに、従つて、五、六月頃か、少くとも九月頃までには残る生徒も全員黒髪校入学できるようにするというこの条件、約束は、市の教育委員会としては賛成派のかたとなされておつたやに私は陳情書面によつて了承するのでありますが、その真偽は如何でありますか。
  47. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) その約束はいたしておりません。この二学期入学という線が恵楓園患者かたがた、それから賛成派かたがたの胸にだんだん固まつて来たのは、丁度三月でしたか、四月でしたか、法務局恵楓園側、それから賛成者反対者かたがた教育委員会、その協議会開きました節に、あとの全部の二年以上の生徒も、東大或いは阪大の教授に、もう一遍精密検査をしてもらつて、そうして入学させようという話になつてつたわけであります。ところが、よく照会してみますというと、例えば厚生省のほうにその阪大或いは東大の先生を紹介して欲しいというような文書を出しますというと、そういうことはできないというようなお断りがありましたし、この人選にも困つたし、五月、六月、七月というのは学会がありまして大学の先生たちはお忙がいしというお話も開きました。いずれはこれは八月くらいになるのではなかろうか、そうすれば大体二学期に間に合うのではなかろうかという話がその法務局の協議会で出ましたが、その話がずつとだんだん固まつてつたと私は思つております。別に賛成者かたがたと改まつてそういう約束をした覚えはないと、こう思つております。
  48. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 あなたに最後に伺いたい点は、先ほどお答えに関連するのでありますが、責任者としてこの問題を解決するに当つて、本文部委員会から何らかの助言、指導、これはまあ正式にする機関ではないのですが、何らかの本委員会の意思表示、どんなものが出るかわかりませんが、そういうものを本問題を解決されるために期待されておりますか、それともそういうものは別になくても自分の責任において熊本市の教育委員会解決すると、こういうお考えでおられますかどうか、それらの点について承わりたい。
  49. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) これは非常に期待しております。多分我々の解決策と大して違わんのじやないかというような自信さえ持つております。これは普通の人の考えで、普通の常識で、我我は良識でものを考えたい、別に科学的に偏したり、或いは一方に偏することなしに、万人が考えよう解決策ということを念頭に置いております。それで多分この文部委員会の御決定は、我々は非常な関心を持ち、又助言がありますれば、それは非常に重大視する考えでおります。丁度私が参考人としてこちらにお呼ばれいたしましたときに、委員会を開きまして、これまでの勧告とか助言とかいうのとは今度は違う、今度は国政の最高機関が我々に向つて勧告し或いは助言して下さるのだ、だからしてこれは大いに尊重しなきやならんというようなことを皆委員かたがた考えて述べられたわけであります。大いに期待しておりますので、どうぞ妥当な一つ御成案を得たいとお願いいたすわけであります。
  50. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 その答弁を頂きますと、私は極めて重要な最後の一点をお伺いしておかなければならないわけです。それは何らかを期待するとなると、あなた様の御意向では大体自分らと同じ考えだろうということですが、それは全くわからんことでして、どんなものが出て来るかわからん。従つて私は最後の重要な一点をお伺いしなければなりません。それは現在は一年生の龍田寮の一人を龍田寮に置いて、三名だけを入学さして、現在学校が開校されておる。賛成のかたはこれで九月から、もう過ぎたのですが、この際に六年まで全部是非入れて欲しい、而もこれは法的に筋が通ることであるし、又医学的にもはつきりしたことだ、こういう陳情があり、要望が熾烈なわけです。そこで私はここに仮想の下に一点伺うわけなんですが、それによつて、もうあと伺いませんが、それは今ここに法的に、或いは医学的立場に立つて、仮に本委員会が、熊本市の教育委員会はあの龍田寮児童を一年から六年まで黒髪小学校通学させるように措置するのが妥当であると、仮にこういう結論が出たとした場合に、市の教育委員会責任者である教育委員長は現実的にこれをうまくその決定に基いて処理できる自信があられるかどうか、あなたお一人じやそれは仮定のことは言えないでしようが、あなたの言葉の端から私はいろいろ推察いたしたいと思いますので、そういう結論が出る出ないは別として、全く仮定のもとでありますが、私は一言承わつておきたい。
  51. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 仮定によつての御質問でありますから、仮定によつてお答えいたします。そういうことはここで今これだけの参考人が集まつていろいろ意見を述べておりまするが、そういうふうな、いきなり全部一遍に入れてしまえというようなことは私は多分なさらないだろうと思つております。これは入れるのが妥当であり、本筋であるけれど、その間に順序があるので、一遍にいれるというような、これは勿論法律的に、医学的に考えて、かくあるべきでありましようけれども、併しそれは現在のことの情勢というものがどういう摩擦をしょうずるか、どういう結果になるか、或いはその他の千三百名の子供もその犠牲に捲き込まれてどういう結果になるか、或いはその二年以上の子供学校に入った場合に、みんなの憎しみ或いはそういうようなものがしわ寄せされて、その子供たちにどういうふうな精神的ショックを与えるか、そういうことを考えますと、いきなりそういうふうな荒治療はできないということは、私はこの文部委員会かたがた考えて頂きたいと思つております。併し本筋は入れるのでありまするから、そこに若干の考察といいますか、いろんな段階があるのであります。その段階を今ここで発表いたしますと、又事態を紛糾に導く虞れがありますので、先ほどどなたか申されておりましたが、宮崎園長がああいうことを初めに申していられなければ、それは自然にだんだん行くところであった。それを表面的に出したので、事態はやかましくなつたというのと同じで、そのところは、そういう精神を持つておりますけれども、いきなり全員を入れるということは、そういう御結論にならないものだと仮定いたしております。
  52. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 それではここで宮崎参考人に伺います。宮崎先生が多年に亘つて日本の癩療養に専心御精進なさつておることについては、平素から敬服いたしております。改めて敬意を表して、若干聞かして頂きたいと思います。  先ず第一点は、この双方の陳情書を見て私は伺わなければならないのですが、それはこの龍田寮というものの性格ですね。これについて賛成派のほうは龍田寮の性格は一般の保育所と同じである、何ら危険を伴うものではない、こういう立場に立たれておる。ところが反対立場に立たれるかたは龍田寮というものは要観察者を収容するところのものである、こういう性格付けをしているわけですね。これが私はそもそもの根本問題だと思います。そこでこれはいずれあとで厚生省関係に伺いたいと思うのでございますが、今は参考人の方にお伺いする時間でございますから宮崎園長さんにお伺いするのでございますが、龍田寮の性格というものはどういうものでございましょうか。
  53. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 癩患者収容いたします場合に、子供があります場合、癩患者の入院は相当長期に亘りますので、結局子供を世話しなければ患者を入院させることもできませんし、又入院後も安んじて療養ができなせんので、子供の世話をすることが必要になつて参ります。こういう場合場合に、私どもはやはり癩患者子供だという親族関係にあるものだけを一カ所に集めて保育するということは決して策の得たものではない。将来、さつきからお話ように、レッテルを貼られる虞れが多分にありまして、将来に亘つて彼らの不幸の原因になる。それで努めて、親である患者を入院させた場合には、近親の者に引取らせるとか、或いは地元の養護施設に移つてもらうというようなことを努力いたしますし、又送致に当つて下さる各県の当局にもそれをお願いして、先ずその第一の努力をいたすのでありますが、どうしてもそういった措置ができない、それから親である患者は予防上入院させなければならないという場合には、子供措置ができることが先ず第一に必要なことでありますので、やむを得ず厚生省は癩療養所に附属いたしまして保育所を兼営いたしておりまして、私どもその世話をいたしておるような次第であります。それで子供がありまして、万一親の病気が感染して発病しておりますれば、これはもう親と一緒病院に入れれば世話がいらないのであります。併し私どもから見ましても癩ではないという場合には、午前中も申しましたように、みすみすこれを病院に入れまして、親と同居さして癩に感染する危険にさらさせるに忍びませんので、親と分離して、私どもが見まして、癩に関する限り全く健康であるという者のみを止むを得ずこの保育所で保育をいたしておるよう次第でありますから、若し最初の私どもの希望のように、近親者の引取り手があり、地元の擁護施設で全部引取ってもらえますれば、私どもは非常に都合がいいのでありまして、私ども医療の手さえ十分廻りかねますのに、子供の負担まで負わなければならないということは、私ども本来から申しますれば決して望んでおりませが、止むを得ずああいった保育の事業をやっておるというような現状でございます。同時に私ども医者でありますし、又親が病院に入っておりますので、若し少しでも病気の疑いがあれば直ちに病院に入れて観察するということで、始終その意味におきまして健康管理は十分いたしておるのでございます。
  54. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私は熊本ですから龍田寮も見ましたし、それから先生恵楓園もいつぞや見学さして頂いてお気の毒な姿を拝見したわけですが、感染した子供恵楓園内の学校に就学している姿も拝見したわけです。これに関し伺いますが、医学上から、子供が生れた途端に、患者である父兄と引離した場合と、患者である父兄と暫く同居して、同居期間を持つたのちに引離した場合と、医学上差等がつきますか、つきませんか。
  55. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) それは癩医学り立場から、できるだけ分娩と同時に分離するというのが理想でありますか、日本の場合におきましてはそうはつきりと処置ができませんので、大体或る期間観と同居しておつたのがかなりあります。これは厚生省の関係かたがたから全国的或いは社会的ないろいろな統計がありましようから、それで御承知願えればいいこととしまして、恵楓園におきましての数字を申上げますと、只今まで総数百六十名の子供を保育いたしておりまして、そのうち九名だけを恵楓園に移して観察するのが安全だということで、恵楓園に移しまして、そのうち五名だけが移しましてがら数カ月、長いのは二年を経過いたしまして、癩と私どもは診定する状態になつております。あとの四名はまだ観察中であります。
  56. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 龍田寮に入つている子供さんの大部分は、両親を恵楓園収容するから、それでその子供の面倒をみる意味であそこに収容されている。いわば、両親を恵楓園収容するその交換条件として子供さんは龍田寮に入れて面倒をみてあげますと、こういうことだと私は推察しておるわけですが、その点と、もう一つは両親を患者に持ち、又患者である両親と暫く同居した人が発病する場合、若いときにより以上発病するとか、或いは結核みたいに十代のときに発病率が多いとか、こういう年令と発病との関係が私はあるやに了承しているのですが、あるかないか、若しあるとするならば、何才頃に最も発病率が高いのか、専門的立場からお伺いしたいと思います。
  57. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 龍田寮収容いたしております子供は両親が恵楓園に入つているものもありますし、父か母かどちらか入つておる場合もありますし、又その両親のない子供で、祖父母が扶養義務者であるという場合にも、その孫に当る子供収容いたしておりまして、現在龍田寮に親たちがおる場合もありますし、いない場合もございます。それは死亡いたしました場合には親がいない子供も預つております。結局患者との関係におきましてはそういつたことでありまして、龍田寮子供を引取りますのは、今お尋ねのようにあなたこの病院にお入り下さい、その代りあとのことは心配なく、こうして子供の世話もするからということで、収容の裏付けとしてあの事業を開園しておるような次第でございます。  それから癩の発病年齢の点でございますが、これは私いささか研究いたしましたので、論文も書いておりますから、若し必要があればお手許にお届けいたしたいと思います。私どもの研究ではやはりこれは結核と同じでありまして、小さいときに感染の状態にありまして、たまたま或る誘因がありまして、例えば全身的に衰弱をするとか、或いは非常な疲労困憊に陥るとか、或いはほかの病気を併発するとか、殊に婦人におきましては妊娠、分娩の頃によく発病いたすのであります。私ども今次戦争におきまして多数の軍人の発病を見ましたが、出征するときは立派な体を持つて出征いたしまして、戦地で、或いは後方勤務地において発病した多数の傷痍軍人癩病患者観察いたしております。その結果から申しまして、私の考えでは、癩はやはり感染と発病は別個であつて或る誘因の作用によつて発病するものだと、それと年令から申しますると、やはり十七、八歳から二十頃のいわゆる青春期に一番高い数を示しまして、その前後が低くなつております。私の経験いたしましたのは生後九カ月という例があります。又高令の例は七十七歳或いは八十歳に近い者で初発をするというような例があります。専門的に亘るようで甚だ恐縮でありますが、まだ何か……。
  58. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 そこでさつきの質問に返るのでありますが、これは厚生省の方もよく考えておいて頂きたいと思いますが、若し龍田寮ような寮が全く完全に一般の保育所と同じ性格であるならば、私は一カ所に収容しないで、国費で依託して、適当な保育所があるのですから、そこに保育をお願いすれば、これはいい方法ではないかと、こう考えますが、これは私の意見ですが、ところが反対は、又極端に要観察者だというように脅えきつているようですが、私は恐れ入りますが、ちよつと意見を言つてあなたにその意見に対して答弁して頂きたいのですがね。あの龍田寮ような性格は、これは一般の保育所と少しは違うのじやないか。というのは一般の保育所と全く同じならば、一週間に一回の検診が必要でないのじやないか、一週間に一回検診をしているということは、大丈夫であるけれども、やはり若干養護観察して行かなければならない、ちよつと違うのじやないか、それに対する御見解と、それと問題になつているのはほかの委員は御存じないと思いますが、龍田寮というのは園長さん御承知通り癩患者収容しておつたのですが、そうしてあの癩患者恵楓園へ持つてつたわけです。だからあの地域の人たち龍田寮というところは癩患者がおるものだという先入主を持つているものだから、必要以上に龍田寮にいるお子さんを恐怖心を持つて眺めておる。これが相当私は禍いしておると思います。そういうところからこの龍田寮の性格というものがより以上問題のポイントになつて来るわけですが、これらの点について簡単で結構ですから、先生の専門的な御意見を承わりたい。
  59. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 今おつしやつたように、若し一般に融け込ますことができますれば、これは越したことはない。さつきから申しましたように、ああいうような特殊施設を作りませんで、一般の施設で見て頂けれはこれが一番最良の方法だと思います。これはできましたのは二十年前でありますが、その頃は今みたいに養護施設も発達しておりませんし、なかなか子供の引取り手を求めることが非常に困難でありまして、結局今言つたよう状況になつたのであります。今後養護施設がどんどん充実されまして引取つて下さるということになれば、私はこれを厚生省の立場におかれましてはどういう御見解か知りませんが、私直接世話をしておるものといたしましても、そのほうが子供のためにも幸福ではないか、始終私ども見ておりますと申しますのは、これは私どもも責任上龍田寮には再々参りますし、私のところの医官も参りまして接しております。それは親がやはり癩であるために、それと私たちが、癩予防上の非常な責任を国民に対して負つておりまするから、万一そういつたことで御迷惑でもかけるようなことがあつてはいけないという非常に慎重な意味で始終検診をしておりまして、若しそうでなければそれほどの必要はないのじやないかというふうに私は考えております。
  60. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私はいろいろのお医者さんに意見を聞いて見たのでありますが、人によつて若干見解が違うようです。併し私は次の点についてはこれはどなたもお認めになるのじやないかという医学上の一つの知識を得たわけですが、それを申述べますから、あなたが専門的な立場からそれは正しいのか、若干疑点があるのか、教えて頂きたいと思います。それは癩菌を持つておる保菌者であるかどうかということは大変診断しにくい、保菌者であつてもこれは伝染はしない、伝染する状態になつたならば、その診断は極めて容易である、こういうことはどうも広く認められておることじやないかというような私は感じを今持つておるのですが、これは如何でございますか。
  61. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 今おつしやつたその通りでございまして、一般にそういうふうに理解しております。
  62. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 ちよつと横にそれて申訳ありませんが、瀬口参考人は癩のほうでなくて、内科の専門家ということに了承しておるのでございますが、今のに対する御見解瀬口さんとしては如何でございますか。
  63. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 今の通りでございます。矢嶋委員のおつしやつたように、今私たちは知つております範囲においては、発病せざる間の診定は非常に困難である、発病されたあとはしろうとでも診定ができるというようなことでございます。さつきもお話でございましたが、これは反対者のかたが非常に主張されておる要点でございますから、私から一応この際付加えておきたいと思います。私たちが調べました成書によりましても、今までの親と同居しておる人たち子供、いわゆる随伴といいますか、そういう子供発病率は大体三七乃至四四%でございます。生後立ちに引き離された子供発病率は〇・五%であります。これは資料、成書をここに持つてつておりますから御覧願いたいと思います。
  64. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 宮崎参考人に続いて伺いますが、龍田寮子供は両親が恵楓園収容されたので龍田寮で相当の衛生管理を受ける、ところがそれ以上に衛生管理を受けていない危険な子供が相当におる、こういうことを私は聞くのでありますが、或いは全国的に、或いは熊本県の地域社会においてそういうまだ衛生管理を受けないで実は危険である、要観察者であるというよう児童というものはどのくらいおられると癩寮養の当局者としては見込まれておられるわけですか。
  65. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 只今私のところに千六百二十七名の患者が入つておりまして、十八才未満の少年少女が百四名ありまして、そのうち五十九名が小中学の学令児童でございます。これは病院に入院しますまで一般の学校に通つてつた子供でありまして、相当重症な者もおるのでありますが、とにかく一般には何ら管理を受けないで、本人が病気であつて私のところに入つて来たのが今申しましたような数字でありますし、そのほかまだ熊本県だけでも三百或いは四百というような数字を挙げておられるようでございますが、その家庭からは平気で患者である親と毎日接触しながら一般の学校通学しておるというような実情であります。
  66. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 もうあと一、二点ですが、恵楓園園長さんである宮崎参考人は非常に御熱心ですが、私は今是非とも一挙に六年まで解決を直ちにやつてほしいという希望は非常に強いと思います。私その希望を持たれておるということを前提に龍田寮を拝見に参つたのです。そうしましたところが、龍田寮は昨年の九月に立派に、私の予想以上によかつたのですが、分教場を新設いたしておりますね。これは厚生省のほうから予算が流れて来てやつたのだと思いますが、あれを私は見たときに、宮崎参考人は昨年あの立派な分教場を作られたのを見ると、暫くは一部はあの分教場において漸進的に解決して行こう、こういうお気持であれは建築されたのじやないかというように私あそこを拝見してから感じたのでございますが、これは私ちよつと御意見を承わつておきたいと思うのでありますが、あの分教場に立派なものができたのだから、余り摩擦が大きければ、一般市民の啓蒙が十分できるまでは一部は非常に不満足ながらあそこで教育する、漸進的な行き方をするのも止むを得ないというようなお気持でおられるか、それとも是が非でもこれは法的に又医学的に相当の証明ができることだし、六年まで全部是非とも今解決しなければならん、こういうふうにお考えになつていらつしやるか。これは一千数百名の恵楓園患者さんが自分子供の可愛いさに園長さんにいろいろと切なる要望をして、園長さんも理論上からも、又園長さんが管理されておる患者、両親の血の出るような親の情から出る願望に随分苦慮されておるというような点非常に同情申上げるのですが、よくその気持はわかりますか、その辺のところをここではつきりとお答えできないにしても、園長さんどんなことをお考えになつておるか、おぼろげでも私承わりたいと思います。
  67. 相馬助治

    ○相馬助治君 関連して。私今の矢嶋さんの質問ですが、これは非常に感情的にまで不幸にして高まつておる。私ども事態を正確に知つて、それから厚生省、文部省、人権擁護局の諸君等も非常に緊張した面持でここにこれを聞いておられるので、これが解決はやはり極めて客観的な立場から我々も微力ながら協力しなくてはならないとこう思うのです。宮崎さんの場合にはその患者さんを預かる一つ立場を以て言はば利益代弁者の立場に立つていらつしやるので、そのかたに結論に重大な影響を与える御質問をしたことによつて、どう答えてもこれはその問題を複雑ならしめるのではないかという私の心配がある。従つて宮崎さんが若しもこの正規の委員会で以て、正規の速記のある所で質問を受けたので、答えたくはないけれども答えたということであつてはなかなか問題だと思うので、委員長においてはそういう結果に影響のあることに対しては、参考人の諸君は答弁を拒否し得る自由のあることも知らせて、然るのちに宮崎さんがむしろ進んでそういう見解を述べたいという御希望ならば聞かせて頂きたい。かように申すことは矢嶋君に失礼に当りますが、それは失礼ではなく、むしろ矢嶋さんもこの問題の解決のために熱心になられておるために言つておることで、御了解頂けると思うので、矢嶋君の了解を得て参考人の諸君にも本委員会の意思を明らかにして頂きたいと思います。
  68. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私の質問に対しましては、参考人のかたがどういう答弁をするとも自由であります。私は無用の追及はいたしません。だから自由な立場において、宮崎参考人からどんな答弁でもよろしいからお伺いいたします。
  69. 堀末治

    委員長堀末治君) 各参考人の皆さんに申上げます。只今お聞き及びの通りでありますから、どうかこのお気持をよくお汲み下さいまして、自由な立場お答え願いたい。若し甚だ都合が悪いことでございますれば、この際差し控えて頂いても一向結構でありますから。
  70. 相馬助治

    ○相馬助治君 意見はいいのてすが、事実は述べてもらわなければならない。あなたの御意見と言われたら、意見は御勘弁願いたいということは結構ですが……。
  71. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 今の矢嶋委員のお尋ねにお答えいたします。御覧頂きまして、これは去年の九月に落成をいたしました二教室であります。家が、文教施設ができております。歴史的に申しますと、昭和十七年にあそこを改造いたしますときに市長とか、当時国立でありませんで、九州各県の連合県立でありまして、熊本県知事が管理いたしておりますので、熊本県知事を通じまして、熊本市長に対しまして通学をさしてくれということを申述べまして、それは結構だということであそこに保育所を作つて頂いて、いろいろな経緯で今以て解決しておりません。私どもは校長先生に対しましてはその都度通学要求して来ましたけれども、実現いたしませんで、結局あの家ができる前は保育所の一室を提供いたしまして、年をとられた校長先生あたりの一人の老先生が一年から六年までの教育をして頂いておる。だんだん子供も多くなりまして、どうしても部屋も明けなければ分教室にまで貸す部屋の余裕がなくなりまして、教年前からもうかたがた子供も多くなりまして、部屋も狭くなつたから、前の通りにあの本校に通うように取計らつて頂きたいということを校長先生には再三申しましたけれども、やはりP・T・Aの反対があるので、校長としてはP・T・Aの了解さえあれば明日からでもいいのだけれども、どうしてもそういうわけにはいかない、校長の苦しい立場了承してくれということで、私どももそれでは余り強く申しかねまして、結局校長先生が御心配になつて、あれは国費ではありませんで、市の予算を百万円か幾ら校長先生が奔走されまして、予算を取つて、これで家を作るから、一つもう暫らくそちらで我慢してくれということでありました。私はそのとき、今矢嶋さんのお話にありましたように、これは困ります、この際部屋も狭くなつたから、どうぞ子供たち本校に引取つて教育してくれ、こういう家を作ると、私どものほうがこれで分教場教育承知した、これで満足だということになつては非常に困るから、その家をお作りになることは一つやめて下さつて、それよりもむしろ学校通学できるような御努力が願いたいと申したのです。予算もすでに私が奔走してこれだけもらつてあるから、一つ先ずそう急には行かないから、当分の間ここで教育をしてくれ、家は作るからということでした。で、それは困りますと申しましたものの、家は狭くなりますし、子供教育はいよいよ困りますし、結局私どももいつも弱い立場に立たされまして、止むを得ず建てられることを承知しました。土地の借用の期間最初は十年間にしてくれということでしたけれども、そんな十年などと私は気の長いことを言つていられない、三年くらいなら土地の貸借の契約もできましようけれども、十年では困ります、と申しましたら、土地の契約の最低期間は五年とかおつしやつて、五年以下の最低期間の契約はできないから五年にしてくれということで、それから昨年九月いよいよでき上つたから落成式をやろうということで、校長先生から申出がありましたけれども、P・T・Aが恵楓園が建てたのだから、あなただから、あなたのほうで落成式の費用一切を持つて盛大な落成式をやりたい。私は、とんでもない、そんな落成式などして喜ぶ気持は毛頭ありませんから、落成式などお断りいたしますといつて、私は未だに落成式もしていないような事情であります、  それから、あそこの施設を如何に完備して頂き、或いは理想的にして頂きましても、私どもはやはり僻陬の地とか、その他特別の事情があれば別でありますが、あの同じ校区内にあつて、隣におる子供本校に通い、あすこにいる子供はあれから一歩も出ないで隔離した教育を受けなければならない。御承知ように矢嶋さんは教育のことは御専門でいらつしやつて甚だ失礼でありますが、今の教育はただ読み書き算数だけではありませんで、やはり広い社会性を獲得させるということが重大な教育の使命であります。あすこにただ一人の先生がいて、小さいところでやりまして、果して一人前の社会性を獲得した社会人ができるかどうか、私は社会性の欠如した奇形児を作る以外には何ものもない。それで如何にあすこを充実して下さつても、私は本校に通わして頂いて、そうしていろいろな教育をさして頂きたい、これが私の、私に限りませず、私は親である患者の気持を代弁いたしまして、私自身の感ずること、親たちの気持をここで申上げるのでありますが、そういう気持で一ぱいであります。さよう承知を願いたいと思います。
  72. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私の宮崎参考人に対する質問は終ります。他の人の質問の後、私は瀬口参考人だけに残つておりますので、あとで。
  73. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は瀬口さんにお尋ねしたい。お尋ねしたい要点は、昭和二十九年の二月十六日に法務それから文部、厚生の三省で協議をいたしまして、そうして或る決定線を出しております。このことについて瀬口さんの御見解を聞きたいと思います。特に瀬口さんはお医者さんでもありますので、その打合せ決定事項の第一項である厚生省としては、癩療養所附設の保育所に収容中の児童につき周到な健康管理を行なつているので、癩を他に感染させる虞れはないと認める、こういう結論を出しているわけなんです。この見解に対して瀬口さんはどういう見解を持つておられるか、お伺いしたいと思います。
  74. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 三省の決定のことは私当時承わりました。これは現地の事情と関係の三省がお考えになつた原則論としては私も肯定いたします。ただ私が心配いたしましたのは先刻お話になりましたよう龍田寮というのが宮崎さんのお話ように、健康なる子供の寄宿舎であるという考え方から現地民の受取つておる感じは非常に遠いものがございますので、これは飽くまでも三省の申合せは原則的に我我は認める、これを現地に移す場合にはよほど慎重にもつて行かなければならないという感じで受取りました。
  75. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういたしますと、医学上の立場と申しますか、そういう立場からものを考えて行つた場合は、龍田寮子供を黒髪の小学校に入れるということについては癩が他の児童に感染するという慮れもないし、又そこから来ている子供には、癩については発病する心配はない、こういう見解をとつていらつしやるわけですね。
  76. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) あの原則的な申合せのことと、龍田寮の具体的な問題といささか違つて私は考えておつたのであります。龍田寮子供のうちから発病者が出ないということは、現実に五名発病者が出ておりますから、この事実はそれと関連しては考えませんでした。いわゆる三省では本当に健康である子供であるならば差別待遇を受けてはならない、こういうようなこは原則的には私は了承いたしております。
  77. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 どうもちよつと食い違いがあるようで、もう一度打合せ事項の初めの点を読上げますが、癩療養所に設置してある保育所に収容中の児童については周到な健康管理を行なつているので、癩を他に感染させる虞れはないと、こういうふうに判断しているわけなんです。そういたしますと、癩療養所に附設してある保育所といのは私全国に相当数あると思うのです。その中には私は当然龍田寮の保育所もこれに含まれておるのじやないか、こう思うのです。従つて周到な健康管理を行なつているから感染する虞れはないと、こういうふうに判断しておる中には龍田寮もその中に含まれておるのにやないか、こういうふうに思うのですがね、私が見ればですね。
  78. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) それ以上は申し上げたくなかつたのでございます。と申しますのは、周到なる健康管理が果して行われておるかどうかという事実を私から申し上げなければ皆さんに御認識が得られないかと思うのです。この問題が提起されまして以来、龍田寮子供と親たる患者の会見その他がよほど抑制されておるようでございます。その前においては患者とやはり管理者との人情論と申しますか、そういうようなことで相当の交通のあつた事実を地域住民は知つております。だから、原則論として三省で御会議になつたことは存じておりますけれども龍田寮の現実の問題と勘案いたしますと、それをさように受け取り得なかつた。ここまでは申し上げたくなかつたのでございます。やむを得ません。    〔参考人宮崎松記発言の許可を求む〕
  79. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 ちよつと待つて下さい。そういたしますと、厚生省としては保育所の管理は非常に周到になされておると、こういう判断をしているわけです。瀬口さんは龍田寮に関してはそうはいかん、こういう御見解なんです。そういたしますと、瀬口さんの見解ではこの厚生省の判断については認めることはできないと、こういう結果になるのじやないですか。
  80. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 周到なる健康管理が行われているという前提の下この問題は原則的には私は了承いたします。又具体的に龍田寮という言葉でそれがありますときには、今のような結果で、私は必ずしも承服いたしかねる点がございます。
  81. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると、私は相当この点から厚生省に対する質問も出て来るわけなんですが、それは後日に保留しまして、ここに明らかに周到な健康管理を行なつていると、こう書いてある。ですから、今のお話であると、周到な健康管理を行なつていない、龍田寮に対してはですね、そういう見解を持つておられる。これは相当の私は食い違いがここにあると思うのですね。ですからこの問題について一応宮崎先生の……。
  82. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) ちよつと待つて下さい。これは私はP・T・Aの会長でございますから、そういうことを具体的なことを申し上げたくなかつたのでございます。御質疑によりましてお答えしたのであります。直接龍田寮の近所に住んでおり、又反対側の立場に立つておる近松さんが前後の事情を知つておられますから、その問題に関連しまして、近松さんから実情をお聞きとり願いたいと思います。
  83. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 じや次にお伺いすることにして、宮崎先生一つ
  84. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) じや今の御説明を申し上げます。そういつたことは具体的にお話をいたしませんと、何月何日どういう者が行つたということでありませんと、例えば今そういつた誤解をなさつておる一つの事実はこういうことでありました。患者の親戚なり何かよく患者のほうに面会に参りまして、そのついでにその子供に会いに行こうというようなことは往々あります。ところがよくわかりませんので、龍田寮というところはどこだろうということで、その親戚に当る者が親に面会すると同時に子供に面会に参ることはありがちであります。そういう場合に、周囲の方々は恵楓園から患者が来ておつたのだというような誤解をしておられるのじやないかと、私はそういうふうに考えております。若し何でありましたら、何月何日、どうということでお話し預けば御説明できる。親が私のところは十キロも離れた所におりまして、やはり親子の関係がありますので、定期的に春秋二回くらいの程度で保母が付添いまして、親である患者に面会に参ります。そのときは学校の成績品とか、作文とか、いろんな写真とかを持つて参りまして、親たちと面会させますが、そのときでもやはり保母が付添いまして、医官が付添いまして、決して予防法上迷惑をかけるような処置はいたしていないつもりでございます。その点はつきり御了承願いたいと思います。
  85. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは先ほど瀬口さんから折角の御指名もあつたのですから、私は一応近松さんからもお話を聞きたいと思います。
  86. 近松照喜

    参考人近松照喜君) 只今の面会のことであります。私は龍田寮の近所に住んでおるものでありまして、ちよいちよいこの問題が起きましてから龍田寮状況を見に参つております。子供状況も見に参つております。その際に、これは名前は申上げません。今後の身分上に関係しますからその点は差支えますが、現在龍田寮は一人の主事がおります。併しその人は現在龍田寮から遠く離れた本山町に住んでおります。それであなたは晩はここにおられますか、といつたところが、いいえ帰ります、それじや晩は誰か男のかたがおられますか、いいえおりません。保母だけです。それでは面会なんかのときにはこれはさぞ困るだろうね、女ばかりじや、実はこの問題が起きてからは患者も自重して面会に参りません、併しその以前には彼らが面会に来るのが一番私たちの悩みの種でした。と言つておりましたが、親子の情愛というものを考えますときに、無下にこれを断ることができないというような実情もありまして、本当に困つております問題だと思います。現在龍田寮には面会所というものがありません。それで結局親と子はお互いが接触して面会しなければならんよう状態になつております。それと、これも名前は若し御必要であれば私あとで申上げますが、これも私たちの近所に住んでおる人でありまして、その子供が新聞配達をしています。ところでその子供が新聞配達ができなかつたからお母さんが代つて龍田寮に新聞配達に行きました。ところがそのときに患者のお母さんが子供に面会に来ておつて、その別れ際に子供がお母さんに取り縋つて泣く、そのときにお母さんが、もうあつちに行つておらんかい。と言つて自分の財布から小遣銭を出して、これをお前にやるからあつちへ行けよ、と言つて、その小遣銭を出しておられた場面を見ております。それが丁度十二月の九日、宮崎園長さんを迎えて第一回のP・T・Aの総会をしたときに、我々のほうから、前回はどうしているかという質問をしましたときに、宮崎先生が、いや面会は適当な距離をもたせて厳重な監視の下に行われておるということをおつしやつておる。それを聞いてそのお母さんが、宮崎さんはうそばかり言わつさる、私は現に見ておる、どうしてそげんうそばかり言わつさるか。とこういうようなことを私のところに話しに来たのです。これは併し親子の情としてやはりあの人たち自分子供がかわいいから会いに来るのだと思います。これを見たときに、私は相当御父兄方が真剣になつて不安に感じておられることも誠に当然だと考えておるのであります。
  87. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 私に今のに対する弁明をさして頂きたいと思います。
  88. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それはいいでしよう
  89. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) よろしゆうございましようか。
  90. 相馬助治

    ○相馬助治君 荒木君、具体的に弁明したいと言つたらさせてやつたらどうかな。
  91. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この問題は私は周到な健康管理ということがどういうことであるか、それは相当別の機会に検討をいたしたいと思つておりますが、まあ一応弁明したい、こういうことであれば、宮崎先生から一応お話を伺うことにいたします。
  92. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 今のお話を伺いまして、私も非常に遺憾に思いますが、これは私から一々弁明するまでもなくここに資料を差上げてあります。「龍田寮児童通学問題に関する関係方面の決定、協定、声明等」といううちの七頁の下の段の左の場所でありまして、「最近一部に取沙汰されていることで、過去一月及び二月中に龍田寮児童から恰かも三名の発病者があつたかの噂があるが、これについて法務局はその真偽を調査した結果、うち二名はそれぞれ某県下の父及び母の膝下に引取られ、他の一名は某県内の商社に住込就職のため退寮した者であつて、いずれも発病したものでないことが明確となつている。」これは龍田寮から三名過去……これが三月十八日でありまして、三月十八日に地方法務局の人権擁護課長管村幸夫氏が声明をお出しになつたものであります。過去一、二カ月の間に龍川寮から三名患者が出たというようなことを言い触らされましたので、地方法務局としては捨ておけないでこういつた調査をして、これが悪質のデマだということをここに声明しておられます。それから教育委員会も、十六頁を御覧頂きまして、十六頁の下のところでありまして、これはここにおいでになる教育委員会の声明でありますが、やはりこの患者が出たというようなことを言い触らされまして、教育委員会としても公的機関の名においてそういうことはデマであることを声明するということを言うておられまするから、この文書もありますから間違いないと思います。これによつて私は弁明の必要はないと思います。御承知おきを願います。
  93. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 近松さんに私はお尋ねしたいと思うのですが、それはやはり三省打合せの問題です。第二項に文部省の見解が出ておるのですが、「らいを他に感染させるおそれのない健康な児童である限り一般の児輩と区別することなく就学させるべきであると考える。」こういう意見です。これは私は特に常識的な意見ではないかと思うのですが、この文部省の見解に対して今近松さんは同意するよう見解を持つておられるか、それは困る、こういうふうな見解を持つておられるか、お伺いしたいと思います。
  94. 近松照喜

    参考人近松照喜君) 龍田寮の性格が先ほど瀬口会長からお話になつたよう状態でありまして、文部省の三省決定の事項もこれは原則論であります。これは先般文部大臣がおいでになりましたときに私直接お目にかかりまして、その際の文部大臣のお話も、実は新聞記者諸君から三省会議の決定事項についてお尋ねがあつた、併しそのとき、自分はあれはあくまで原則論である、あれによつてどうせいこうせいという我々には権限がない、この権限は市の教育委員会にある、従つてどうか地元の皆さん方がお互いに話合つて、そうして納得のいくところで市の教育委員会がこれを決定するように運んでもらいたいというお話でありまして、私も文部省のこの見解はあくまで原則論であつて龍田寮に関する限り龍田寮先ほど申上げたよう状態の下に置かれる現在におきましては、私はこれに対して納得はできないのであります。
  95. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 原則論でも結構ですが、この文部省の見解について賛成であるか、反対であるか、おつしやつて頂きたいと思います。
  96. 近松照喜

    参考人近松照喜君) 原則論は認めす。
  97. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういたしますと、癩を他に感染させるおそれのない健康な児童である限り、それは反対しない、こういう御意思の発表があつたわけであります。そこで問題になるのは龍田寮の場合、十分な健康管理が行われているかどうか、こういう点にある。十分な健康管理一が行われて、そうして癩を他に感染させる心配はないのだ、こういうことが明白になつてくればこの問題も解決して行くというふうに私には考えられるわけなんです。そこでやはり問題は周到な健康管理が行われて、そうして他に感染させるような心配は全然ない、こういうことが明らかになつてくることが私は必要になつてくると思うのです。そこで先ほど周到な健康管理が行われているかどうかということについては、双方にそれぞれ異なつた、何と言いますか、御意見の御発表があつたわけなんです。ただこれは私はここでこの問題を周到な管理が行われているかどうかということを更に御説明願うということもどうかと思います。そういう意味でこれ以上は質問をいたしませんが、私はこの龍田寮収容されている生徒児童黒髪小学校入学する、こういう問題について今まで反対をせられておつた方方の見解もやはり相当明白になつて来ておるのじやないかと思うのです。それは癩の感染に心配がない、こういう事実がはつきりしてくれば、その態度は変つて来るのじやないか、こういうふうにまあ考えるわけです。併しこの問題をここでこれ以上私は明らかにするということは困難であると思うのです。従つてこういう問題については更に私は文部委員会として十分などうするかということについては検討をしなければならんと、かよう考えておりますが、そういう考えは又後日申し上げることにして、一応私の質問はこれで打ち切りたいと考えております。
  98. 相馬助治

    ○相馬助治君 結論的には荒木さんが考えておるようにすることがいいか悪いかじやなくて、そうする以外にないと私は思つておるのですが、ただ非常にむずかしい問題のようですから、私も参考に二点ほど伺つておきたいのです。一つ宮崎さんに、一つ近松さんに。宮崎さんに伺いたいのは事実の問題として、患者と同居しておる子弟が全国にも普通小学校に学んでおる例もあるような話をちよつと聞きましたが、突然に癩患者が発生して、その患者の伝染経路を調べた場合に、それが学校という場所を通じて、その学校癩患者と同居しておる子弟がいた、こういうような経路でこの患者は発生したのである、こういう事態が明瞭になつた事実が今までのケースでございますでしようか、それともございませんでしようか。
  99. 宮崎松記

    参考人宮崎松記君) 今申しましたように、私のところで、先ほど申上しましたから数は繰返しませんが、とにかく私のところに学令の児童患者として入つてつております。それはその入るまでは普通の学校に通つてつたのでありまして、それがどういう経過で癩に感染し発病したかということは、これは非常に慢性の伝染病でありますので、なかなか急性の伝染病みたいに感染路を突きとめるということが困難でございますので、今はつきりお尋ねにお答えするだけの材料は持つておりません。あとで又何か厚生省あたりでもお聞き下されば……。
  100. 相馬助治

    ○相馬助治君 私は長い間文部委員をやつて来ておりますが、実のところこんなにむずかしい問題は初めてです。癩予防法二十六条を見ると、医師であるとか保健婦であるとか看護婦は、患者の親族であること、癩患者のその者が親族であるとか、或いは癩患者であつたものの親族であるというようなことを職務上知つたことの事実を他に漏らしてはならない。これには刑法上の処罰を以つてむくいるという厳密の規定がありますが、併し癩患というものが伝染病であるという角度から眺めれば、病原が、伝染経路がどこにあるかということを明確ならしめなければならないので、この間の事実問題としての調整というものが、どういうふうにすることが最も理想的なのであるかということについては、私は今の判断ではどうにも解決がつかないのです。それで結論的には結局厚生省なり文部省なりの諸君と共に真剣に考えさして頂きたいと思うのですが、私この際近松さんにお聞きしたいと思うのは、一方は伝染病としての恐怖からこの児童入学を拒否する。併し人情論も忘れたわけではない、又一方的にはむしろ人情論が先行して、反対論の人たちは何という罪なことを、えげつないことをやるのであろう、こういうよう意見が非常に強いと思うのです。そこで私は近松さんに是非伺つておきたいと思いますことは、この昭和二十九年三月一日に癩親族児童通学に関する協議書というのがございますが、龍田寮児童通学問題に関する関係方面の決定、協定、声明等という小冊子の一項から二項に亘つて、この和解条項を見ますと、二項目に分れて規定されております。和解したのは誰かということを見ますると、その当事者は委員長岡本さんと恵楓園長宮崎さんです。ところが岡本さんは反対論でも賛成論でもない、宮崎さんのほうは是非通わせてもらわなければならない、こういうことでこの当事者間の和解に対して反対論者の人はそつぼを向いて、和解は和解としては我々は承知できないというところに我々は問題があるのじやないかと思うのですが、原則論でも何でまなくて、近松さんはこの和解条項にはやはり了解は今後ともできませんですか、和解条項を読んで見ましようか。
  101. 近松照喜

    参考人近松照喜君) それは私は知りません。
  102. 相馬助治

    ○相馬助治君 ちよつと読んで見ます。    和解条項  一、熊本教育委員会は、昭和二十九年四月以降龍田寮児童を全面的に黒髪小学校通学させる。  二、菊池恵楓園は、前項通学児童に対する健康管理を一層厳密にする。  いわば、通学賛成者の意思というものが相当強力に主張が盛られた和解条項だと思うのです。これに対しては近松さんはどういうふうにお考えですか。
  103. 近松照喜

    参考人近松照喜君) その和解条項は、私ここでお聞きしますのが初めてであります。勿論私どもはその和解条項には絶対賛成はできません。大体知らされておりません。初めて聞くのであります。
  104. 相馬助治

    ○相馬助治君 先ほど荒木委員から質問されたことは、いわゆる打合せ決定事項で原則論でしたが、この和解条項というものは具体的にこういうことをまあ書いてあるわけです。そこで、私どもといたしましては、こういう和解条項があるにもかかわらず、反対論者の方は何が故に強力な反対の意思を変えないのであろうかということがまあ非常に不思議だつたのですが、それを初めて聞かれたということを聞いて、まあ事態が私が了解していたことといささか違うことがわかつたのですが、これに関して特に岡本さんの御発言お願いしたいと思うのですが……。
  105. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) これはP・T・Aとの交渉の始まる前であつたと思います。この恵楓園側と会見いたしましたときに、こういうふうな先ず協議をいたしまして決定したようなわけでありまして、それからだんだん進展して行つたわであります。
  106. 相馬助治

    ○相馬助治君 従つて、この和解事項には今日反対論をなす、反対論で固まつていらつしやる方々の意思というものはまだ表面化しない時代で、その意思が盛られていないと、こういうことでございますね。
  107. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) そうでございます。
  108. 相馬助治

    ○相馬助治君 そうすると、岡本さんが、失礼な言葉ですが、まあ一極の見込違いをされて、この程度の和解条項でまとまると思つたが、事実は強硬な反対論に会つてまとまらなかつたのだと、かようなことですか。
  109. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) お説の通りです。
  110. 相馬助治

    ○相馬助治君 そこで近松さんにお尋ねしたいのですが、この和解条項を、この今申しました和解条項ですね。ひつくり返してこういう和解条項になつたならば、あなたは個人としては大体よろしいとお考えですか。この答弁は強要いたしませんが、一つとして、菊池恵楓園通学児童に対する健康管理を一層厳密にする。これがまあ先行するのですね。そうして、二に行つて熊本教育委員会龍田寮児童を全面的に黒髪小学校通学させること。こういう和解条項になつたならば、あなたたちのほうは納まりますですか。
  111. 近松照喜

    参考人近松照喜君) 只今の御発言をそのまま私が承認できるよう黒髪校の情勢であれば、私どもは今日までこのように苦労はいたして参りません。先ほど御質問のありました中に、健康管理が厳重になれば通学をさしてもよろしいのじやないかという御意見がありました。健康管理が厳重に行われるということは、文部省の原則論を私は原則的に認めるだけの問題でありまして、それによつて直ちに黒髪校通学させるということは私は絶対に認めがたいのであります。と申しますのは、先ほど申しましたように、龍田寮子供癩患者子供であるということを強く打ち出されて、通学させるということは、これは法二十六条の違反でもありますし、又あの子供自体が非常に不幸に陥る結果ともなるのであります。と同時に黒髪校が、先ほど私が申上げましたように、近隣の学校から癩病学校だというふうに宣伝されておりますることは、黒髪校教育上にもこれは極めて重要な問題であります。これらの諸観点から考えてみまして、現在のままの通学には勿論父兄は絶対に反対であります。この空気は一度皆さん方が現地においでになつて親しく御覧頂きまするならば、私がここで千万言を費やすよりも極めて明白であります。私はここで重ねて皆さん方にお願い申上げたいのは、どうぞこの問題を円満に解決してやろうという親心がおありでございまするならば、私たち賛成反対両派に分れて論戦をいたしますよりも、実際においで頂いて御覧頂けば状況は極めて明白でございまして、又適切なる御判定が頂けるかと思うのであります。
  112. 相馬助治

    ○相馬助治君 今の近松さんの法二十六条違反だとおつしやつたが、これは当らないと思うのです。癩予防法の二十六条の規定というものは、癩患者に対する保護立法の精神が盛られておる。それが先行していると思うのです。従つてその点は私は当らないと思うのですが、そのおつしやつている趣旨は、あなた個人の意見としてでなくて、そういうふうに感情的に父兄はとんがらがつていると、こういうことだけは十分私にもわかるわけです。併し今のお話を附きますと、全くこのことに関しては、先に陳情した福永君等の意思というものは全面的に否認されない限りは解決の途がないというふうにも聞えるのですが、そういうふうなきつい意味を持つておるのでございますか。それは私が聞き下手だつたのですか、これはむしろP・T・A会長瀬口さんにお伺いしたほうがいいかと思うのですが……。私の質問はこの一片だけです。
  113. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 少し長くなると思いますが御了承願いたいと思います。  この問題ほど、私も二十一年地方自治体の仕事をしたのでございますが、苦しんだことはございません。率直に申しまして今反対だという言葉で要約されておりますけれども反対派の中には大別して三通りの方がおられる。非常に素朴な考え方で何が何でもいやだ、まあ潔癖感と申しますか、何が何でもいやだという方がございます。それからもう少し科学的に或いは資料が集つて納得さしてもらうまでは、まだ今の状態では不安心であるからいやだという方がございます。第一のグループといたしましては、今の状態子供を入れることは我々は肯定できないのだ。こういう三つのグループがいわゆる反対派という言葉で要約せられておるのでございます。これをどう処理して行くかということに非常に私としては悩みだつたのです。それで例えばこの問題について今二十六条のことを御指摘になりましたが、私が考えますのは、医者或いは看護婦が業務上で知悉した患者秘密をほかに漏らしてはならないということは御指摘の通りでございますが、又その地域社会がこのレプラという病気を如何に嫌悪し恐れておるかという社会通念を容認した、そうしてその上に患者を保護してやろうという立法だとこう考えるのでございます。で、長島愛生園のことも私承わつたのでございます。長島愛生園では、愛生園の中で保育所を設けられて、そこから直接職場とか或いは里親あたりに送れば、非常に子供の身上の秘密が漏れて又逃げ帰るという例があるので、一応楓蔭会という一つの団体をこしらえて、そこの中に移して、そこから身上を隠してそれから社会に持つて行くというような方法がとられておるようであります。今日の龍田寮は、龍田寮そのものが私たちのレプラの子供であるということを地域社会の者がみんな知つておりますから、これから今如何に健康管理を現在の段階において厳重にされたから、ああそうですか結構ですということで地域住民は恐らく納得しないのではなかろうか、こういう私は見方を持つておるのでございます。
  114. 安部キミ子

    安部キミ子君 瀬口さんにお尋ねします。私はあなたのお話を初めの頃は大変立派なP・T・Aの会長さんだと、どちらにも偏しないところに、而も学校の行政については立ち入つた、口を挾んだとか、或いは権力を行使するというようなそういうふうなこともなさらない妥当なP・T・Aの会長さんだというふうに話を聞いておりました。ところがあなたの話が進むにつれて、あなたがこれに反対だ、その最も旗頭じやないかというような印象を受けるのであります。と申しますのは、あなたは医者である。ですからこの癩という病気の性格などについては他の反対者の方たちよりも一番よく理解されておられるはずだと思います。従いまして、賛成反対のこの渦巻の中であなたこそが本当に正しい線を持つてこれらを調整し、啓蒙されなきやならない重大な役割がある。そういう点味であつて初めてP・T・Aの会長の名たる効果が上ると思うのでありますけれども、あなたの陳述を聞きますと、やつぱりあなたが反対者の筆頭だと、あなたの心情の中にはその自分の意思を強力に押付けよう、或いはいろいろ近松さんあたりは反対者の最も精鋭かとも思えますけれども、そういうふうな印象を強くいたします。私はP・T・Aの会長さんが、而もあなたが医者であるからこれを反対或いは賛成意見、それらのことをよく調整されて、先もほどのどなたかからの公述にありますように、ただ恐怖心なんです。そこには理論的なものもなければ科学的なものもない、学問的なものがないように私は伺います。それもあなた方がおつしやる通りですね、そういう意味でこれらの人をもつとやさしく啓蒙し、あなたが最も先頭に立つてこういうふうな収拾できないような混乱に陥れられるようになるまでに、何か努力が一体なされたかどうか、あなたはそのような積極的な良心的なP・T・A会長としての名に恥しくないような行動をなさつたかどうか、そういう報告をして下さい。
  115. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 非常に私ども力の足らなかつたことを恥しく思うのです。私はこの問題についてP・T・Aの会長として総会を数回持ちました。その場合にこの問題は重要な社会的な影響もあり、いろいろな問題があるというので、P・T・Aとしていろいろ会員からの要請がございましたけれども、P・T・Aとしての決議は極力避けたのでございます。先刻宮崎さんからお話がございましたので、そのとき敷衍して申上げようと思いましたが、私はこの総会を持ちます場合に、第一回のときにもこの問題が持つ重要な社会性その他がございますから、この前の総会で決をとれというお話がございましたけれども、決をとりませんでした。だから今度は是非お考えつてこの問題についての皆さんの御意見を承わりたいという私の招請状の一部を挙げて、宮崎さんさつき御説明になりました。これは御指摘の通りに私医者でございます。今医者をやめておりますけれども医者としての勉強をいたしたのでございますが、何を申しましてもP・T・Aの総会でございます。医者の団体の会でございませんので、或る程度のことはその機会宮崎さんには作つて差上げたつもりで、お話頂く機会を作つて差上げたつもりですが、その結果は期待と反して妙な恰好となりました。その後も二度三度総会を持ちまして、P・T・Aとしての決議をするのは如何であろうかというようなことで決議はいたしませんでした。その後は反対父兄会合ということでお話は進んでおります。今までは私はその点中正な立場をとつて来たと思つております。先刻のことをちよつと朗読いたします。「前略ごめん下さいませ、一昨十二月九日のP・T・A総会において龍田寮分教場の未感染児童本校収容するかどうかの問題について御協議いたしましたところ、賛否両論あり、而も出席者も僅かに百四十四名、委任状六百三十名にて直ちに結論を出すには余りにも重大な問題でもありますので、会員全部の方々の御意見を求めることに決定いたしました。よつて左記是非御記入の上、十二月十四日まで」、後段のほうは先刻宮崎さんの御指摘の通りでございます。できるだけ私はこの点父兄の方の皆さんの御了解が得ればまとめてあげたいと考えて参りました。その後情勢が変化いたしましたので、只今の段階では入れるのは如何かとかように存じております。
  116. 安部キミ子

    安部キミ子君 この関係写真集というのには、プラカードを立ててこの反対の示威運動をやつております。それからいろいろな写真は出ておりますが、あなたのお宅にも鉄条網が張られたようなのも出ております。併しこういうふうなことが、あなたはいろいろな目的があつて、恐らく私どもが心配するようなこととは別な御答弁を恐らくなさると思いますので私は質問いたしませんが、要するに、あなたが全然政治に関係のない方であれば世間の人も白紙であなたを見るんです。ところがあなたが何党でもいいんですけれども熊本県の議長さんだ、県会議長さんだというふうな選挙に関係があり、或いはたくさんの票がほしいと、率直に言えば私どもでも同じでございますけれども、そういう関係がありますので、世間がそのような目で見るのですね。でございますので、P・T・Aという職責上あなたは最も公正で、而も普通の人であれば一つ反省したらいいものであつたときには、あなたは二つも三つもたくさん反省なされて自分を強くむち打たれなければ、こういう問題は世間を一層疑惑に導くと思います。それで、今後いずれにいたしましても熊本県の問題ではなくて、黒髪校だけの問題ではなくして、根本的な人権問題にも触れる問題でありますから、率直にあなたが今いろいろな感情もあるようです。あなたの発言を聞きますならば、あなたの心の底には反対だという心理が強く動いておる、私はこう見ますけれども、そういうふうな一方に偏したような感情を抜きにして、白紙に還つて早くこれを立派に解決しなければならないというふうに私は希望として会長さんにお願いするものですが、今後これに対して私は啓蒙という問題が一番重大だと思います。先行すると思いますので、そういう点で御協力頂けますでしようか、頂けませんでしようか。
  117. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 非常に私の選挙と問題が絡みましたので恐縮でございます。私はそういうことのためにこの運動が世間的にいろいろな目で見られることを恐れまして、今度の会長に就任することは極力固辞いたしました。併しどうしても全会員の意思、全会員というか、殆んど全会員と言つていいぐらいの選挙で選ばれたので私これを断り切れませんで、これを引受けました。啓蒙運動が先行されなければならん。これに対して協力するかどうかというお話でございます。これはむしろ私から先刻も申上げましたように、当初常時園長さんに申上げました言葉でございます。これに協力するしないというようなことは、私としては十分協力いたします。ただ現在の地域住民の感情と認識の段階において先刻のよう見解を持つておることを申上げたので御了承願います。
  118. 安部キミ子

    安部キミ子君 そういう地方の情勢についてはあなた御自身が一番よく御存じでありますので、私はそのことはとやかくは申上げませんけれども、併し結論はこれをいいほうに解決する、こういうふうに私は一つの線に向つて国民乃至あなた方のその地域社会の人が一つのいい結論に向つて前進しなければいけないと思うのです。目標がばらばらであれば幾日たつてもこの問題は解決しません。それでいいほうに解決する、善は一つだ、私はこういうふうに考えます。これはいろいろな反対賛成意見もありましようけれども、そういうふうな感情論だとか、或いはいろいろ今までのいきさつだとかいうことは抜きにして、これをどうしたら解決できるか、一体どういうふうに解決すれば最善の途であるかということは、私は皆さんがこの善というこの解決点に向つて一つの方向に進んでもらわなければ幾ら経つて解決をしないと思うのです。そこでそういうふうにあなたは今いろいろな情勢がこういうふうにあるから、なかなか協力できないし、期待には副えないかも知れない、それは御意思はよくわかります。私も啓蒙はしますと、そのことはするけれども、何しろこういうふうな情勢だから、こういう但書のお言葉があるようですけれども、私はそういう、勿論困難でないとは申しません。困難でありましようけれども、困難だからといつていつまでも放つておいたのでは解決できませんから、その困難を乗越えて、そうして先ずその反対派の皆さんにも又賛成派の皆さんにもあなたが会長さんなんだから、どつちのほうにも偏することなく両方の御意見をまとめて、そうして両方がよく話合つて解決して頂きたい、こういうふうに考えているわけなんです。
  119. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 瀬口さんにお尋ねいたしまするが、知事はこれに対してどんな考えを持つておりますか。それから岡本さんにお伺いいたしますが、市長はこれに対してどんな態度に出ておるかということだけお伺いいたします。
  120. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 知事は現在までこの問題に関係いたしておりません。地域の人たちから知事に陳情さしてくれというような話もございましたけれども、これはこの問題の持つ社会的な状況からして、決して私が社会的にこれでプラスになるとか、票を稼ごうとかいうような気持は毛頭ございません。友だちの連中はこれは漱口マイナスだから早く手を引けということを何遍か言つたのです。
  121. 堀末治

    委員長堀末治君) ちよつと、お待ち下さい。こつちのほうの答弁だけ。
  122. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) そのことについて関連して前提として……。これはマイナスであるから、この問題についてさような意味で知事を引き出して疵物にするのは如何であろうかということで、知事まで引つ張り出さんでもいいじやないか、お互い同士が話合つてはどうかというようことで、現在知事がタツチいたしておりません。
  123. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) 市長は最初のうちはこの際十何年来の何を一つお骨折りだけれども岡本さん片付けてくれというような御意思だつたのです。ところが事態がこういうことになつて来ました。ところがこれはなかなかちつとやそつとで解決つく問題ではないから、一つ腹をきめてゆつくり一つ解決してほしいと、根本的に解決してほしいとこういう腹でございます。上京する前にちよつとこういうことを話合つたわけでございます。
  124. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 この問題はここへ持つて来られるというふうなことは、それは勿論地方解決し得ない問題としてここへ持つて来られるべき性質のものです。従つてような問題については知事に対してあなた方が一応地方の問題として御相談あるべきものである。知事としてそうしてそれを解決して、し得ない場合においてここへ来られるべき性質のものではないかと私は思う。それに知事に対して何らの御相談もなく、ただ一地方の感情問題のように承わりますが、感情問題によつてこの問題を二解決ようとせられるならば、百年河清を待つと同じで解決はできんと思いますが、少くともこの問題をここへ持つておいでになるのならば、或いは知事が持てあましてどうしても解決がつかないというときにおいてここへ持つて来られるべき性質のものである。私は地方的にかような問題は解決せらるべきことが当然だと思います。御再考を煩わし、いま二度お国へお漏りになつたならば、地方的にこの問題を解決する方法がないかという御考究が願いたいと思います。
  125. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私は簡単に瀬口さんにお伺いいたします。こうして問題がここまで来て参考人の公述があつた以上は、これは問題のポイントだと私は思うので聞いておかなければならないと思う。その意味でお伺いするわけですが、先ずお伺いしたい第一点は、四月二十一日に市の文教委員長並びに市長等が入つて妥協の線が出た、そうして五月八日から学校は再開された。この四月二十一日の妥協点即ち要観察者一人を龍田寮に置いて他の三人は黒髪校の一年に入学させる。これはスムースにその後行われたかどうか、それを先ずお伺いしたい。
  126. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) 先刻表面的に平穏である、こういうことを岡本委員長から申されましたが、中身は必ずしもそうでございませんでした。今までこの問題に絡んで、ここで申上げると御当人の立場もお困りになることがございますから、ここで申上げませんで、あとで矢嶋先生まで申上げます。いろいろな問題が出て参りましたが、結局一般父兄の憤激その他のことも、今の実行委員なり私どもで一応委せてくれというようなことで、問題は進展しないようにして今日まで参つております。それで表面問題が起らないで平穏であるかのような観をしております。実質的には必ずしもさようでなかつたことと私は思います。
  127. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 この混乱した問題を一カ月の同盟休校を終えた後に不満足ながら一応の解決点が出て、そうして事態は静止状態になつた、これに対してはお互いが私は努力する義務があると思う。そこで私は伺うのですが、私の調査ではこの五月八日の入学式には学校当局は七級編成してあつたが、父兄の要望か何かあつて、てんてこまいをしてこれを学級編成にしたいというようなことが私の調査の結果出て来ました。これは丁度これは非常にスムーズには行かなかつたのだということを丁度私は裏書きしておるかと思うのですが、これを如何にして納得させるようにP・T・Aとしては相当私は努力をされたと思うのでございますが、大体この線で落着いて行くという会長は見通しを持つておられましたか。それとも又は爆発して大変なことになるというような御見解でおられたわけですか。この答弁によつてあともう一遍質問をいたします。
  128. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) この問題はやはり両者間の冷却期間と申しますか、或る程度じつくり考えて行くような時間がなくて、次々にこれを両方から強行して行けば、決して問題は落着かないでますます激化する方向に行くのじやないかという感じを持つております。四月八日のときも入校当時もそうでございましたし、その後もだんだん冷静になつて行こうとすると、いろいろな問題が出て参りますので、今日までこれに対する地域住民の熱度といいますか、そういうものが冷静になつておりません。何かきつかけがあれば非常にいやな問題が起つて来やせんかというような心配を今日でも持つております。
  129. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 現在三人分生徒さんが入つておられて、教育委員長説明では非常に喜んで勉強しておる。私自身こつそりその勉強状態を見ました。確かに子供は喜んでいます。こういうところまでも来ておるのを、その入つておる三人を何とか外圧で追い出そうというような動きがあるのかないのか、若しあるとするならば、これを何とかそういう動きはなくするようにP・T・Aとしては努力をされるのかどうか、又その見込はあるのかどうか、この答弁次第でお互いの御両者の見解というものは余りにも隔つているという事態が我々委員には大体つかめると思うのですが、この点はどうですか。お答え願いたいと思うのです。
  130. 瀬口竜之介

    参考人瀬口竜之介君) これは今後の解決方法と関連いたします。四月入学されるときに市の文教委員なり或いは市長なり、その他の関係者からP・T・Aに一応の妥協案として、妥協案と申しますか、そういうことで提示されたことには含みがございまして、そして今後の児童入学ということについては漸進的に問題を解決して行こう、そのためにはこういうことが考えられている、併しこれを今発表すれば無用の摩擦を市民全体にいろいろな影響を及ぼすから、これは含みとして、お互いの了解事項というまでも至らずとも含みとして考えておいてもらいたいというようなことが、P・T・A側には話されておつたのであります。それでそうしたことの実現のために漸次努力して行けば、今の三名の子供はできるだけ平静に持つて行つて上げたい。そうして来年の三月或いはその次に来たる時期において漸次根本的な解決策を考えて頂ければ、自然に黒髪地区の平静は取り戻されるのではなかろうかという考えで、現在の三名だけについてはみんな見守つてやろうというような気持で今日はおるのでございます。
  131. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私最後に簡単に希望を申上げておきますが、黒髪小学校委員のかたも大体おわかりになつたと思いますが、千九百人の生徒がおつて、そして四月のときに一カ月の空白期間があつて夏休も休まないでこの空白期間を埋めているわけです。そして今度の十月には楽しい運動会というのに、こういう事故で運動会すら彼らはできないことになつているわけです。この黒髪小学校生徒の事柄と、黒髪校に入れない龍田寮子供さんのことですね。これは大きい立場で私は是非反対派賛成派も再考をお願いしなければならん。殊に先ほど説明がありましたように、桜山中学校、これには九人の中学生がいるわけです。それから九州学院高等学校に一名の学生がいるわけです。桜山中学校は従来は問題がなかつたが、プールを作るに当つて同じプールで泳いだ云々という問題が起りつつあるわけです。一部には中学校になれば伝染しない、中学校は大丈夫だろうというよう意見を言つておる人もあります。これは中学校から、高等学校に波及するような場合、これは教育委員会として、行政の責任者としてよほど私は考えなくちやならんと思う。又一部には他の地区には全然問題にならんことが、全然というと言い過ぎかもわからんが、このことが或る意味においては清正公様という特殊の事情もありましようが、これは皆様には誠に失礼でありますけれども、併し私はP・T・A会長さんにお願いしておきたい点は、あの子は癩の子だと父兄の一人でもが指さすようなこと、こういうようなことは是非ともみんなの慈愛心でないように努力してもらいたいし、又賛成派にしてもこれは私失礼のようでありますが、非常に法理論一本で、或いは声明文をたくさん出せばそれは解決できると、これに法務局は油を注いでいよるうですが、こういうような行き方というものは私のほうから見ると失礼でずが、第二者から見ると非常に両極端であつて、これは熊本の問題で、最高責任者の市教育委員会がしつかりがんばつて解決しなければならんのを、何かほかの力を借りて解決ようという他力本願的なことでは私は根本的な解決ということはなかなかできないと思う。今日もまあいろいろ皆さんの公述を承わつて委員の質問によつて委員さん方も大体この問題を如何にせなければならんとか、医学的に、法的にどうしなければならんかということが出たから、委員長さんの賢明なるお取計らいで何らかお助けするよう結論が出て来るだろうと思いますが、併しそれと同時に、賛成の方も反対の方もさつき言つたように一カ月かかつて運動会もできないというような千数百名の子供、それから隣りの桜山中学校の子供、それから恵楓園収容されている千数百人分患者さん、こういう人を大きい立場から考えて皆さん指導者の立場におられるのですから、解決するよう皆非とも今後とも御努力願いたい、これは私の切なる希望です。
  132. 寺本廣作

    寺本広作君 今後この問題をどう進めるかに関連する事項についてですが、と申しますのは、この委員会か何らかの結論を出すか出さないか、出すとすればどんな結論を出すかということに関連して教育委員長さんに一言だけ伺つておきたいと思います。先ほど矢嶋委員教育委員長さんとのやり取りの中で、この参議院の文部委員会結論如何にかかわらず市の教育委員会としては腹案を持つておる。今解決に差支えるから今直ぐは公表できない、腹案を持つておるという話がございました。それに対して矢嶋委員から、それではこの委員会は結論を出さんでもいいじやないか、それとも結論を出すことを求めるのかという質問がありましたのに対して、やはり結論が出たほうがいいという御返事でございました。而もその結論は大体市の教育委員会が持つておる腹案とそう違わんと想像するから、結論が出たほうがいいという話でございました。併しこれは相当の危険なことだろうと思う。我々はその結論を伺つたわけでもなく、賛成派のかたは恐らく賛成派の思惑を持つておるだろうと思うし、反対派の人はこの委員会がこんな結論を出してくれればいいという思惑があるでしよう賛成派反対派の思惑は伺わないでも先ほどお話で尽きております。教育委員会はこの問題についての第一次的の責任者です。矢嶋君が言われました通り、我々国会がこの問題に乗出したということは決して第一次的の責任を負うために乗出しておるのではございません。この点については地元の世論を代表すると思われる熊本日日の論説でこの委員会に警告を出しております。参議院文部委員会で証人喚問を行うという、中央の問題になつてその参議院の委員会で通学させるべきだという結論が出たとしても、それで直ちに解決するとは思えない、この前のよう反対派通学拒否のストに出るという事態がもう一遍起きないとも限らないだろうというような警告的の論説を掲げております。当委員会として結論を出すか出さんかわかりませんが、どんな結論を出すかということについて慎重に考慮を加えると思いますが、その際やはりこの委員会で判断の重要な材料になることは市教育委員会が持つておられる解決の腹案だろうと思います。これを公表することは解決に差支えるということも御尤もだと思いますので、秘密会なり、この委員会終了後に熟談会でも結構でありますから、その腹案をお漏らし頂くよう委員長においてお取計らい願います。
  133. 岡本亮介

    参考人岡本亮介君) その点につきまして委員かたがたに我々の持つておる腹案をお話して御相談申上けたいと思います。    〔参考人福永勝旗君)「委員長さん、ちよつと一言発言させて下さい」と述ぶ〕
  134. 堀末治

    委員長堀末治君) もう大体これで尽きておると思いますが、それではお一人に五分間ずつお願いしましよう近松さん。
  135. 近松照喜

    参考人近松照喜君) 先ほど三人発病のデマ云々というお話がありましたが、これは私どもの調査では二名発病でありまして、この発病の事実は、三月二十五日の法務局との懇談会のときに、私たち最初三名といつてつたのが二名を加えて五名発病となつたわけであります。別にデマでも何でもありません。これは法務局のほうでも明らかになつております。運動会の問題が出ましたか、これは十月十日に開くことになつておりましたが、もう運動の競技の方法なども詳細に打合せてお互いの担当できめてあつたところ、突然文部委員会に提訴されて会長もお呼び出しになつたり、なお一般の父兄がそれならば実行委員を置いてくれというような要望もありましたし、学校当局も、こういう空気の中で運動会をやつても果たして本当に子供が喜ぶような運動会ができるかどうかという疑念もあるので一応延期しようということで延期したのであります。昨晩電報が参りまして、学校と打合せて運動会を十七日に開催するようにきめた、こういう電報が来ております。これは会長にも私にも相談なしに皆様がた学校とでやられたことでありまして、如何に学校とP・T・Aの間がなごやかに行つておるかということがこれで証明できるのでありまして、これで、もう運動会ができるのだと子供たちもさぞ喜んでおることだろうと思います。
  136. 福永勝旗

    説明員(福永勝旗君) 私らは賛成派代表といたしまして、当初から円満な解決を望んでおつたのであります。熊本の現状は、どうしても円満な解決が望めないという現地の情勢でありまして、賛成派といたしましては、最善の而も最後の方法として国会陳情という形をとりましたことを諸先生がたにおかれましても十二分に御了解願いたいと思います。なお私は、先ほどからいろいろと反対派かたがたが仰せられましたが、実はこの運動がこのような形をとらなければならないいきさつとしまして、大変熊本反対派空気が強くなつたという仮定の中にP・T・Aの姿で運動したら工合が悪いから、黒髪会というのを作つて、その黒髪会が違つた立場からこの反対運動の非常な扇動をいたしておつた事実があるのであります。而もP・T・Aの会長の漱口さんか黒髪会の会長でありまして、P・T・Aの副会長である近松さんが黒髪会の副会長であります。私はこのような問題が今後もこういう線からいろいろなまとまりのつかないような形にならないように今日漱口さんや近松さんの御意向を拝承いたしますと、将来円満に解決つけ得る見通しが一応つけられるのじやないかと、私はかように善意に解釈して、帰りましたならば賛成派かたがたにも又反対派かたがたにもお伝えする機会が得られるのじやないかと、こういうふうに考えております。併しながら国会陳情いたしましたこの趣旨というものは、現地において解決でき得たいという現状をどうぞ諸先生がたにおかれましても、十二分に御勘考願いたい。而して岡木教育委員長もおつしやつておられますように、是非とも国会から一応の正しい線、強力なる勧告とか示唆とかいうような意味でなくても、国会として取上げられて、この問題の円滑な解決一つの方途となるような形をとつて頂きますことを切にお願いいたしまして、私の御礼の一言といたします。
  137. 堀末治

    委員長堀末治君) それでは当委員会はこれを以て散会いたします。    午後四時五分散会