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1954-04-26 第19回国会 参議院 文部・人事・法務連合委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月二十六日(月曜日)    午前十時二十七分開会  委員氏名   文部委員    委員長     川村 松助君    理事      剱木 亨弘君    理事      加賀山之雄君    理事      荒木正三郎君    理事      相馬 助治君            雨森 常夫君            木村 守江君            田中 啓一君            高橋  衛君            中川 幸平君            吉田 萬次君            杉山 昌作君            中山 福藏君            岡  三郎君            高田なほ子君            永井純一郎君            松原 一彦君            長谷部ひろ君            須藤 五郎君            野本 品吉君   人事委員    委員長     松浦 清一君    理事      宮田 重文君    理事      千葉  信君            北村 一男君            松岡 平市君            後藤 文夫君            溝口 三郎君            山川 一男君            湯山  勇君            紅露 みつ君   法務委員    委員長     郡  祐一君    理事      上原 正吉君    理事      亀田 得治君            青木 一男君            小野 義夫君            加藤 武徳君            楠見 義男君            高橋 道男君            三橋八次郎君            小林 亦治君            棚橋 小虎君            一松 定吉君            羽仁 五郎君            木村篤太郎君   ―――――――――――――  出席者は左の通り。   文部委員    委員長     川村 松助君    理事            剱木 亨弘君            加賀山之雄君            荒木正三郎君            相馬 助治君    委員            雨森 常夫君            木村 守江君            田中 啓一君            高橋  衛君            中川 幸平君            吉田 萬次君            杉山 昌作君            中山 福藏君            岡  三郎君            高田なほ子君            永井純一郎君            松原 一彦君            長谷部ひろ君            須藤 五郎君   人事委員    理事            宮田 重文君            千葉  信君    委員            湯山  勇君            紅露 みつ君   法務委員    委員長     郡  祐一君    理事            上原 正吉君            宮城タマヨ君            亀田 得治君    委員            三橋八次郎君            一松 定吉君            羽仁 五郎君   国務大臣    文 部 大 臣 大達 茂雄君   政府委員    法制局長官   佐藤 達夫君    法制局第二部長 野木 新一君    人事院総裁   浅井  清君    人事院事務総局    管理局長    丸尾  毅君    文部政務次官  福井  勇君    文部省初等中等    教育局長    緒方 信一君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       工楽 英司君    常任委員会専門    員       熊埜御堂定君    常任委員会専門    員       西村 高兄君    常任委員会専門    員       堀  真道君   説明員    文部省初等中等   教育局地方課長  斎藤  正君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○義務教育学校における教育政治  的中立確保に関する法律案内閣  提出衆議院送付) ○教育公務員特例法の一部を改正する  法律案内閣提出衆議院送付)    〔文部委員長川村松助委員長席に着く〕   ―――――――――――――
  2. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今から義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案の両案について文部人事法務連合委員会を開会いたします。慣例によりまして不肖私が委員長を勤めさして頂きます。  本日は主として人事委員法務委員かたがたに御質疑を願います。最初法務委員のかたに御質疑をして頂き、法務委員のかたの質疑が終了いたしましてから次に人事委員かたがたに御質疑をして頂きたいと存じます。  本日要求いたしております国務大臣及び政府委員は次のようであります。文部大臣人事院総裁法制局長官刑事局長の代りに桃沢公安課長が見えております。以上でございます。
  3. 千葉信

    千葉信君 議事進行について。只今承わりました委員長日程と、或いは又本日の公報に掲載されました日程から言いましても、法務、それから人事文部の三者の連合委員会が今日は午前中という予定になつておりまするし、それから非公式に承わりましたところでは、若しも今日人事委員会委員質疑が終了しなければ、明日又労働委員会との連合委員会あと質疑をすることにしてもいいという御予定のようでございますが、私どもこの法案を拝見いたしますと、国家公務員法に直接関連を持つ要件がはつきりしておりまするし、従つて疑義に亘る点がかなり多数ございますので、できるだけ今日の御予定になつておりまする午前中という審議予定をできるだけ私ども質疑にも、法務委員かたがた終つたあとでは時間を余り制限されずにやつて頂くということ、それから明日の労働委員会との連合に際しましても、できるだけ私ども納得の行くような時間を割いて頂くことをこの際委員長に希望を申上げておく次第でございます。
  4. 川村松助

    委員長川村松助君) 承わりました。
  5. 亀田得治

    亀田得治君 私のほうでも実は私ども連合審査をして頂く際にはもつと時間がもらえる、こう予定をしていたんですが、聞いてみると人事と一結だ、而も何か午前中というふうなこともちよつと聞くのでありますが、それではもうとても十分なことは勿論できませんし、是非とも質さなければならない点だけでも不十分なんです。この点は一つ、どういうふうにお考えになつていらつしやるでしようか。委員長からその辺のおつもりを少し聞かして頂きたいと思います。
  6. 川村松助

    委員長川村松助君) 文部委員会のほうにお申入のありました際に、全然人事委員会のほうのことは頭になかつたのであります。それで一応スケジュールを組みまして御挨拶しております間に、人事委員会のほうからも強つてのお申入がありましたので、文部委員会のほうの計画もあることでありますし、果して御期待に副えるかどうかわからない状態でありましたが、併しでき得るだけお互いかわかるように質疑を進めてみようではないか、ついては只今お話がありましたように午前中に法務のほうを先ず終了しまして、人事委員会のほうは午後に延びてもやむを得まい、こういうことでお打合せを済ましました。併しその後千葉さんからも御要望があり、委員の間でもいろいろ懇談いたしましたが、要するに諸種の目的を達するためには相当の時間もかかるであろうけれども、又同時に文部委員会のほうの事情もありまするので、この点は御考慮を願つて適当に進めて行こうではないか、こういうことになつております。
  7. 亀田得治

    亀田得治君 適当に御考慮を願つて進めて行く、私ども質問事項が非常にたくさんありますから、大体の見当を示してもらいませんと非常にこちらも都合が悪いわけなんです。
  8. 川村松助

    委員長川村松助君) そうすると今日何時間くらいお使いになることになつておりますか。
  9. 亀田得治

    亀田得治君 私だけで二時間くらいは予定していたのです。ほかのかたは勿論あると思うのですが……。
  10. 剱木亨弘

    剱木亨弘君 法務委員会から申込まれたときに、私どもとしては法務委員だけといたしましても午前中というお約束をいたしました。それで今委員長が、そういうことで委員会承知したのでありますから、委員長はこれを御考慮の上お取計らいを願いたいと思います。
  11. 郡祐一

    郡祐一君 私からちよつと申上げますが、法務委員会連合審査の御要求があり、直ちに文部委員長とお打合せをいたしまして、そうして文部委員長のほうでは文部委員会議事進行上、半日に法務委員連合審査はいたしたいという文部委員長からの要求がございましたので、委員会でも御了解を得ましたように法務委員会との連合は半日という予定法務委員長といたしても承知をいたしておりますので、どうか本日の午前と申しましても時間が若干延びることは当然予想されると思いますけれども、大体本日の半日を法務委員との連合に使うということで御進行を願いたいと思います。但し只今十時半であるから何時ということは申せませんけれども午後に若干延びましても、私は文部委員長とのお約束通りお進めを法務委員のかたにお願いをいたしたいと思います。
  12. 亀田得治

    亀田得治君 一応やはりそれでしたら進めてもらつて進行の模様によつてこれは文部委員会都合もおありと思いますから、考慮してもらいたいと思います。折角やるのですからその点希望しておきます。
  13. 川村松助

    委員長川村松助君) 承わりました。
  14. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 議題になつております二つ法律案は身を教育に捧げておられる教員かたがたに関するものでもあり、そして又これがそのかたがたに向つて刑罰を以て臨む、従つてその意味においては公正を使命としておられる裁判所にも関係をして来る法律案であり、且つ又第三にはこれがいわゆる国家の公共の福祉に献身せられる公務員のことにも関係している、こういう重大な法律案国会において如何に審議せられるべきであるかということは委員長においても十分御了解のことと確信をします。仮にこういう法律案国会において十分の審議を得ないで成立いたしますとすれば、第一に教育に献身をいたしておられるかたがたはどういうふうにお考えになるか。又第二に裁判所は如何なる迷惑をこうむられるか、又第三に国家公務員並びに国家公務というものに如何なる支障が生ずるか、申上げるまでもないと思います。そこで私としてはこの参議院が第二院として現在政府に向つて申入れていることがある、そのことに対する返答を伺わないうちに委員会が活動するということは果して妥当であろうかどうか、深い疑問を抱いているものであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)政府は勿論第二院の意向を無視せられるものではあるまい、国会を無視せられるものではなかろうと思う。而も明治、大正、昭和今日に至るまで前例の少い態度参議院政府に対してとつているのである、従つて政府は速かにこれに対する答えをせらるべきものたと思う、その答えがなされないうちに私がここで政府に向つて質疑をするということは、国会を尊重する意味から心苦しいのでありますけれども、やむなく質疑をなさんとするものであります。  第一に文部大臣に向つて伺いたいのは、この法律案国会提出せられましてから今日に至るまで、各方向輿論批判というものを御承知になつていることと思う、而もこの各方面の輿論批判の中には、今日日本の国民が教育に関して最高の敬意を払つておられるかたがたがある、一々その名前を引用しませんが、或いは東大矢内原学長であるとか、或いは前の東大学長であられた南原先生であるとか、そのほか文部大臣がお考えになつて御覧になつても、教育に関する識見においてあなたと決して劣らないだろう、或いはあなたよりも事によれば長く教育について献身しておられたかもわからない、なかんづく戦争中の誤れる教育に対して節操を持つておられたこれらの教育者批判というものもある。これらの批判に対して、そして又第二には朝日、毎日、読売など日本の信顧せられておるところの新聞の社説というものが挙つてこの二法案批判を加えておる或いは反対をしておる。  第三には直接教育に関係しておる教員の今日最も信頼しておるところの職員組合或いはこれと又立場を異にする、そうして明治以来の長年の教育上の伝統を有する信濃教育会、そのほか或いは小学校校長先生がた団体であるとか、こういうように教育に直接身を捧げておられるかたがた団体がそれぞれ挙つてこの二つ法律案反対をしておられる。又教育に我々の子供たちを預けておる父兄のかたからもこれらの法律案に対する反対がある。その反対の重点とするところは教育刑罰の下におくべきでないということだ、こういう世論反対及び批判に対して文部大臣只今如何なる反省をしておられるか、それを伺つておきたい。
  15. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この二法案をめぐりまして世間で相当強い反対意見が行われておりますことは、私もよく承知をしております。ただ私はそういう反対があるにもかかわらずやはりこの法案の必要であるということを確信をしておるのであります。従つて私の責任においてあえて国会の御審議お願いしたいと思つております。と申しますのは、私は決してこの意地になつておるとか或いは又他意があつてこの法律案の成立を願つておるのではありません。従つて若し私が成るほどと納得をいたしますれば、今になつて撤回するということはできますまいけれども、私の意見を変えることに決してやぶさかではないのであります。ただ今日まで反対意見が相当ありますけれども、併しそれにもかかわらず私はなお私の所信を変えていないのであります。国会のほうにおいて慎重に御審議を頂きたいと、かように存じております。
  16. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 教育に関係し且つ裁判に関係し且つ国家公務に関係する法律案でありますから、これを提出せられた政府責任者がいやしくも無批判で或いは無反省であるという態度をとられるようなことがあれば、この法律は仮に成立しても紛擾を増すばかりです。従つて文部大臣が今日までこの法案提出せられた以後における今日までに現われておる高いレベル世論批判というものに対して、現在最初提出せられたときのお考えを少しも変えておられないというお答えは私は実に驚き入る。これは文部大臣に対するお願いでありますが、どうか全国の、殊に小学校教職員諸君大学教授とか、そういうかたがたはいろいろな社会的な保護もあります。併し貧しい、そうして苦しい仕事に全身を捧げておられる小学校かたがたというもののことを本当にお考えになつて、そうして従つてこれらの人々を守ろうとして率直に述べておられるその高いレベル批判というものに対しては、いま一応十分に御検討を願いたい。今のお言葉にも決して意地になつているとか或いは無反省であるという心持はないとおつしやるから、それにおすがりしてお願いをするのですが、どうかもう一遍読んで見て頂きたい。もう十分お読みになつたでしようが、或いは矢内原学長の御意見或いは蝋山政道学長の御意見、その他いろいろなかたがたの御意見、あなたの御了解に適するような御意見もあると思う。それらを十分御検討願つて、そうして又我々が今伺うことをも、そういうお心持でお聞取り願つて、今日までお変りになつていないというお考えが、どうかお変りになる必要をお認めになればお変えを願いたいと思う。今申上げたのは世論批判というものを尊重せられたいという点であります。  次に伺つて置きたいのは、この二つ法律案立案目的は何かということです。これは我々は国会において現在の憲法及び国会法においては国務大臣を証人としてここに立つて頂くということは差控えなければならない。けれども国務大臣はそこにおいて御答弁になる御答弁というものは、いやしくも誠意に欠けるところがあられるはずはないと思う。そこで決して今までなさつておられるような御答弁で私は満足する気持ではないのです。端的に申上げますが、どうかこの国会に対してはその立法の目的が何であるかということを正直にお答えを願いたい。これがいやしくも言を左右にせられるようでありますと、国会審議というものは進行いたしませんから、あなたが立案者としてこの二法案によつて何を目的としておられるのか、その目的を端的に明確にして頂きたいと思います。
  17. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 最初に私は今日世論としてこの法案反対意見、これにつきましては私は私の目に触れる限りできるだけ読んでもおりますし、又私に直接大学教授かたがたなどが決議等を持つて見えます。そういう場合にはできるだけ長い時間お目にかかつてお話も聞き、又私の考えを申上げておる。又外国人でボーレーと申しますか、ああいう人の、これについても十分意見を聞き、又私の考えを長時間に亘つて話しておりまして、決して世論に耳を傾けない、そういう気持は全然ない。むしろ進んでそういう論文があるということであれば、人に頼んでその論文を手に入れても読んでおりまして、決して全然一方的に耳を傾けない、こういうつもりはありません。  それからこの法律案提出しました狙いと申しますか、目的とするところでありますが、これはすでに本会議においても申上げ、又文部委員会においては常に衆参両院を通じて論議を申上げておるのでありますが、結局その目標として考えておることは、学校教育における教育政治的中立確保したい、現在教育基本法の第八条の二項に書いてありますその精神を学校教育の上ではつきりと貫きたい、こういうことに尽きるのであります。それには先ず教育に当る先生がたがその点に十分自重せられて、そうして偏つた教育をしないということにしてもらわなければならない。併し学校における教育活動自体を採上げてそうして個々の場合に、これが中立を破つておるとか、一方的に偏しておるとかというようなことで、この一々の教育活動を対象として、殊に刑罰を以て臨むというようなことであれば、これは非常に教職員を萎縮させ若しくは教育そのものを萎靡させ、又誰かの考えで以て教育というものが勝手に方向に強圧的に向けさせられるということも十分考えられることだと思います。でありますからして、そういう面接的な方法をとることはやめたのであります。そうしてただ教育に当る教員諸君ができるだけ政治深入りをし、一口に言うと余り政争に没頭するとか、夢中になるとかいうようなことをやめてもらつて、現在必ずしもそうしておるというわけではありませんけれども、そういう深入りをするということをしない、それによつて本来の職務である教育活動の上に中立が維持されることを期待する、こういう考え方であります。これは一般公務員についてやはり公務というものが一党一派に偏せず、或いは一部の利益に偏らずに、適正、公平に行われなければならん、これは公務一般についての原則であろうと思います。その場合にもやはり公務員自身政治的に余り深人りした立場に立たないということによつて公務の適正を保証しておるのか現在の公務員に関する政治活動の制限というものの趣旨であろうと私は了解しております。それと同じ考え方の下に先生がたが強い政治的な行動、そういうものについては、先生がたは手を出さないことにしてもらうことによつて、その公務であるところの教育中立が維持せられることを期待する、これが第一点であります。それからその次には学校先生のほうはそうでありますが、今度は先生に対して政治的に偏つた教育をするように政治的な勢力の伸長を目的として、そういう教育をするように働きかけると言いますか、そういうことが考えられる、若しさようであれば、これは先生が折角偏らない教育をしようと思つても、それに対して相当強い影響力を以て外から先生を強いてそういう教育をさせようとする、そういう行為は、これはとめなければいかん。いやしくも教育中立性を維持することがいい、そうすべきであるということが教育基本法に立てられておる原則である限り、それを偏らせるような教唆扇動教職員に向つてする、こういう行為は許さるべきものではない。その反社会性というものは、これは当然考えられることでありますから、それに対しては刑罰を以てそういうような働きかけは断ち切る。つまり外からのそういう働きかけを断ち切ることは、先生をして外からの影響を受けることなしに自分の良識と良心従つて自主的に教育をするという立場確保するゆえんである、そうしてその先生には強い政治的な動き方をするということは、これは遠慮してもらうことが教育活動の上における政治中立確保する、こういうゆえんであろう。こういう先生自身と、外からの場合と、こういう二つの場合を分けて考えまして、その両面から教育中立を維持する、こういう考え方であります。
  18. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 只今文部大臣の御答弁はこの二法案提出当時の御答弁と少しも変つておりません。これは先ほどの御答弁に反する。提案以前においては或いは文部大臣はその程度の御反省で結構であつたのかも知れない。併し提案以後現われている高いレベル批判というものは、正に今お話二つの点について有力な反対を表わしておられます。それに対するお答えがないので、私から改めて申上げるまでもないと思いますが、どうですか。それではさつきの御答弁即ち提案以後において現われているところの世論というものについては十分学んでいるということなんですが、然らば御答弁において提案以後現われている世論に対する反批判をあなたがここでして頂かなければならない。第一には今おつしやる教員政争に没頭する、これは政治上の問題です。第二は教員に向つて外部から働きかける人がある。これも政治及び良心の問題であります。こういうことが望ましいか望ましくないかということであれば、教員が教務を抛つて政争に没頭する或いは堂々と教員に向つて外部からいろいろと指図、さしでがましいことを言う、或いは圧迫を加える者があれば、望ましくないことは言うまでもない。けれでも望ましくないことが直ちに刑罰によつて防止できるかどうか、又防止すべきであるかどうかということについて世論反対しているじやありませんか。第一の問題は政治の問題、第二の問題は良心の問題、それを刑罰の問題で解決しようとされているところにこの立案者識見の低さが現われておると批判されているのであります。それに対してそうではないというならば、そのお答えを頂かなければならない。
  19. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この反対意見というものはこれも非常にいろいろあります。でありますからして、それについて一々具体的にどの点についてというお尋ねであれば、それに対して具体的なお答えをしたいと思いますけれども世論というものがまとまつた形になつてはいないのであります。従つてそういうふうな具体的の形でお尋ねを頂きたいと思います。  それからこの世論というものが事実についての認識の違い、或いは認識の深い、浅いという点からも結論が違つて来るという点もあるように思います。これは新らしく教育方針を打出したものでありません。教育基本法第八条の二項には政治教育に当つては特定の政党を支持したり、或いは又反対するような教育はしてはならんということが、これは原則として打出されておるのであります。新らしい方針をこのたびこの両法案で打出しているわけではない。このすでに確立していなければならんはずの教育政治的中立、こういうものが現在において必ずしも守られておらん、或いは又それが危険になつておるというふうに認められる。であるからして、今においてそれを維持する方法を講じなければならん、こういうことが主眼なのであります。でありますから、これはその方法についてはそれぞれの意見がありましようが、併し刑罰を以てする。現在は罰則の付かない基本法の八条の二項というものが現にあるのであります。そうしてそれが守られておらん、こういう認識に立つ限り、現在のような罰則の伴わないものだけではそのまま打つちやつておくわけに行かん、こういう結論にならざるを得ないのであります。世間の反対論の中には、かような刑罰等によつて教育というものを維持して行こうとする、そういう考え方自身が面白くない、或いはそういうことは誠に好ましからざることである。こういう議論が相当多いのであります。私も同様に考えます。教育というものを刑罰の力を借りて維持しなければならんような、そういうことが決して喜ぶべきものでないということは私も同様に思うのであります。併しながら現実の事実に目を蔽うて、ただそういうものだからこういうものはいけない、こういうふうな結論になつて来るというと私ども納得ができない。そういうものであつてそれが現に教育者自身の自重自戒と、そうして世の中の社会一般の良識によつてそれがきちんと守られておらん何らの危険を感じないということであれば、何も苦しんでかような法律を出す必要はないのであります。ただそれが守られておらん、現に教育基本法の八条の二項にそれがはつきりと書いてある限り、それを蹂躙し或いはそれに違反するような教育をする先生がたは、これは教員としての行政処分と申しますか、懲戒の対象に現行法上なつておるのであります。なつておるのであるけれども、併しながらなおそれでも現実の問題としては中立性が保たれていない、保たれていないと、はつきり言うことが悪ければ、それは危険を感ぜざるを得ない、こういう実情であるということであれば、それに対して何らかの方法、具体的な方法をとらなければ、つまり現在のやり方では足りない、私どもはこういう認識を持つておるのであります。  それから教唆扇動の関係につきましても、これはやはり同様なことでありますが、これは教育そのものに対して直接何を規制をするとかいうことでは全然ありません。これは教育者に対する規定でもないのでありまして、要するにこれは特定の人を対象にしておるのではないのであります。一般にそういう反社会的な行為を規制しよう、つまり教育基本法の八条の二項に反するような教育をなすべきことを教唆扇動する、これが少くとも教育基本法原則を堅持する限り望ましからざると言いますか、今日の教育上の秩序、法律秩序というものを乱す行為であることはこれは明瞭であろうと私は思います。これは教育活動ではありません。教職員に対して、教育上の責任を持つ人に対して横合いから要らん世話をやく、要らんことをけしかける、こういうことでありますからして、これをとめるということは教育を圧迫するものにあらずして、私は教育を擁護するものである、こういうふうに考えておるわけであります。
  20. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 今度は法制局、長官に伺いますから、そのおつもりでお聞きを願いたいと思います。只今大達文部大臣は私の二回に亘る質疑、質問に対して、即ち第一、本法案目的は、立法の、立案目的政治目的である、即ち教員政争に没頭することを好ましくないと考える。第二はこの二つ法律案、いま一つの第二の目的は、教員に向つて外部から意見を述べる人々の行動というものを抑えたいという、これは仮に差出がましい意見があつたとしてもその人々の、良心の問題である。で、こういう理由に基いて法律を以て基本的人権を制限して刑罰を加えようとしている、その危険、眼前の危険というものに対して、文部大臣が述べられたところは今法制局長官がお聞きになつ通りであります。即ちそういう中立性が破られているということは、悪ければというお言葉をお使いになつたが、破られているかいないかということは議論の余地のある問題で、そうして又仮に教育中立性が破られておるとしても、それが直ちに如何なる眼前の危険をもたらすかということについては、大達文相はいざ知らず、あなたは、はつきりした見識がおありだろうと思います。そこで大体以上のような政治目的において、そうして又人の良心に関係する問題であり、そして第三に眼前の危険というものについて只今責任者がお述べになつたような認識に基いて人の基本的人権を制限する、そのために刑罰の立法をするということは、法制局長官責任において許されるとお考えになるかどうか。
  21. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 主として憲法との関係の角度からお答えすればお答えになると思うのでありますが、今度御提案申上げております法律案は一つは特例法の関係、それからいま一つは中立確保と言われている二件でございます。この特例法関係のほうは、これは申すまでもなく、すでに国立学校先生についてとられているところと同じことを公立学校先生にも及ぼそうということでありまして、この根本の基くところの問題は、国立学校先生の場合と同じであろうと思います。従つて多くを申上げませんが、この中立確保のほうの問題は、要するに、今文部大臣からのお答えにも含まれておりましたように、教育基本法の八条そのものの規範の問題にこれは繋がると思います。八条はとにかく正しいかどうかということによつて話が出て来ることであろうと思います。八条は正し。いということはどういうことかと私ども考えますと、まあ極めて素朴な考え方でございますけれども学校教育というものは立派な政党員を作る、或いは政党の有力なシンパを作るということでなしに、立派な国民を作る、公正な判断者と主権者を作り上げるというのか恐らく私は教育の本当の目的であろうと思うわけです。そういうことからいたしまして、無垢なる子供に政党的な色着けを付けてしまうということでは民主主義の根本そのものを動かして右、左、赤、黒、白というような投票機械を作つてしまうということになり恐ろしいことであろうと思います。そういう点から申しますというと、今のこの法律で制限しようと思つておりますところは、もとよりまあ手近な目で見れば言論の自由とかその他憲法の保障する自由に対する関係で非常に私は心配になることであろうと思います。その点は御尤もであると思いますけれども、そういう点から考えて見まするというと、やはり憲法というものはその根本になつておる民主主義というものの基盤を立派なものとして作り上げて行かなければならんという要請を第一義的に私は持つておるものであろうと思います。そういう意味におきまして言論の自由というようなことは勿論でございますけれども、そこには又今の大きな制約から参りますところの、まあ公共の福祉とでも申しますか、羽仁委員は十分御承知のことでありますけれども、そういう点からの制約が憲法上当然出ておることであろうと考えるわけであります。丁度そのことは主権者が我々の代表者としての議員を選ぶという最も崇高なる任務を遂行する選挙の手続においてすらも大きな演説その他言論その他の行動の自由が制約されておるわけであります。これも何じ憲法上の要請から来ておるものと思いますので、そういう点から申しますというと、この法案の狙つておりますものはその限界の中のことであると申さざるを得ないと思うのです。ただこのような措置を現実にとることがいいか悪いか、或いは行き過ぎか行き過ぎでないか、これは政治の問題として私は憲法のいずれも制限枠内だと思いますけれども、これは政治の問題として国会でおきめになる事柄であると、かように考えます。
  22. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 私の法制局長官お答えを頂いておきたいと思つた点は今お答えなつた点ではないのです。それでは角度を変えてあなたに伺いますが、今提案されているような二つ法律案に類似するような国際的な我々が以て範とすべきような法律が外国にありますか。
  23. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 外国の立法例のことを一々調べて正確なる知識を持つておりませんからして、その点についてはお答えはいたしかねます。これはまあ文部省のほうが或いは詳しいかと思います。少くとも日本の憲法の下において、日本の現実の情勢の下においてこの法律は憲法には違反しないというふうに考えております。
  24. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 専門家であるあなたがこういう立法例につい外国に例があるかないか、詳しく承知しないとおつしやるのは、ないというお答えだろうと思う。それは専門家としてのあなたの良心からいつて、ここに提案されておるような二法案というものが、憲法違反の疑いかあるということと関連しております。その憲法違反の疑いがあるかないかということは、勿論私は決定することもできないし、あなたが決定することもできない。けれどもあなたが良心に基いて、この二法案が憲法違反の疑いがあるという議論を発生する理由があるかないかという点については、どうお考えになりますか。
  25. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 先ほども触れましたように、卑近な目で言論の自由とか、その他の人権というものを眺めれば、その自由に対する制約を当然もたらしますからして、これは憲法の許す範囲の制約であろうか否かという点について御疑問が出て来るのは、これはもう一応、尤もなことだと思います。併し我々としては、先ほどお答え申上げたように、その制約は憲法自身の予定しておる制約でございますと考えておるわけであります。
  26. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 憲法自身の予定している制約であるかどうかということについて伺つているのです。基本的人権が制限され得る場合と、どういう場合に制限され得るかといえば、あなたはまさか、国際的に確立せられた原則である眼前の明白な危険という理論を否定されはしまいと思う。ところで今この二法案要求しているような、基本的人権の制限、即ち刑罰というものに対して如何なる眼前の明白なる危険がありますか。
  27. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 眼前の明白なる危険の原理につきましては、曾つて破壊活動防止法のときに、全く羽仁委員と私とそのこと自身については意見が合致したのでありますから、今でもその点は変つておりません。従つて先ほどの説明も、その点に触れて申上げているつもりであります。この根本に基いておるところの、要するに大きなことを申上げて恐縮でございますけれども、民主主義そのものの基礎が崩れるとか何とかということに対して、私は影響のある事柄だと思いますからして、事柄自体としては今申しましたような眼前明白の危険ということに当然繋がつて来るというふうに考えます。
  28. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 破壊活動防止法の討議の際に、眼前明白なる危険の原理についてあなたの意見と私の意見が合致したということは私は了承しません、従つて今の御答弁の註釈は取消しを願います。私の言う眼前明白なる危険というのは、そういう判断の余地のあるような問題ではないはずです。これはあなたに向つて申上げるまでもないことですが、眼前明白なる危険があるかないかという程度のことであつて、基本的人権を制限し、又は刑罰法規を立法するということはできないことです。現在の日本教育及びそれに関係するいろいろの事情が日本の民主主義の基本を危くしているかいないかということは、見ようによつては危くしているとも見られるでしよう。併し見ようによつては危くしているとは見られない。そして又民主主義が危くされているという場合でも、それは何によつて是正されるものであると憲法は考えているか。憲法は、民主主義を救うものは、民主主義よりほかにないのです。民主主義を危くする動きか仮にあるとしても、それを直ちに刑罰によつて救うということにはならない。私はそこには、あなたに向つて申上げるのは恐縮だが、三段ぐらいの関係があろうと思う。民主主義がみずから救う作用、これが最も高い作用です。それが具体的には、第二にどういうことになつて現われて来るかと言えば、政治或いは言論、世論、そういうものによつて救われる、それが第二の救われ方で、これは最も望ましいのです。然るにみずから救う作用、これはそうした政治上、社会上又は世論によつて救われる、これらのいずれにも救われないで、最後に残る手段が刑罰によつてこれを救う、刑罰法規によつてこれを救うということになるのです。そこで具体的にこの二法案につきまして申せば、教育に関係して、民主主義の方向を誤るかの慮れがあると仮にお考えになつても、それがあるかないかは別問題として、その第一に我々の願わなければならないのは教員みずからがそれを正すことである。教育に関係しておる人みずからがそれを是正することである。自己是正の作用を忘れては、民主主義というものの最高の使命はございません。これはお認めになるたろうと思います。第二は、仮に不幸にして、教員及び教育に関係する人がみずから救わない、救えない、或いは救おうとする努力の片鱗さえも示さない、日教組自身においても、反省の片鱗も示さない、或いは教職員諸君もみずから是正しようとされる一つの、一片の努力も惜まれるというようなことがある場合でも、次に控えておる手段としての世論がこれを批判する。学校が置かれておる地域社会の批判もありましよう。又父兄の批判もありましよう。又新聞もそれほど大きな危険があるのにだまつておるはずはないのです。日本の民主主義の基本が、憲法に明示しているところの民主主義の基本が危くなつているのに、新聞がだまつているはずはないのです。従つて天下の新聞が挙つてこれを攻撃するでしよう。以上二つの手段が尽されて、而も救えないというとき、初めて刑罰による立法ということを考えることが、お互いに法の尊厳を維持しようとするもののとるべき手段ではないかと思うのです。今の第一、第二の手段が尽されている、或いは尽される見込みなしというように判断して、第三の手だて、即ち刑罰立法に入るということが許されるとお考えになるかどうか、その点を伺つておきたい。
  29. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 世論を構成する基礎は言論でございます。その言論の途が封ぜられて、健全なる世論が出て来るはずはないのです。従つて健全なる民主主義の運営ができるはずはないとおつしやるのは全くその通りだと思います。併し先ほど触れましたように、その言論というものについて全然限界がなくていいものかどうか、これが逆に無制限、放埓なる言論ということを許すことによつて、民主主義が逆に壊されやしないかというような建前と、私は両面の建前から考えてみなければいけないと思います。先ほども非常な、素朴な考えで申上げたのでございますけれども、選挙のごとき場合を考えてみましても、我々主権者が我我の代表者を選ぶ、その崇高なる任務を果すに当つて、その候補者即ち代表者たるべきおかたの言われること、なされること、これはすべて直接に選挙民たる我々が批判して、世論を以てこれを厳正に動かし得る事柄で理論上はあるわけです。然るにもかかわらず、選挙の法律におきましては、厳格な取締りが設けられておる、選ぶほうも、或いは選ばれるほうの活動についても制約がある、これは私先ほど申上げましたように、もう一つ逆のほうの心配から、そこにそういう規制が出て来ておるのです。その点は両面からよく考えて、その調和点を発見しなければならないことかと私は信じております。
  30. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 選挙の場合について、しばしば言及されますが、それは却つて議論を紛糾させることになると思いますが、おつしやるからそれについて伺いますが、選挙については眼前明白なる危険があるのではないですか、教育の場合と著しくその事情を異にしておる、選挙の場合は選挙の腐敗、或いは政府の閣僚、その選挙事務長が自殺をする、或いは政府与党の幹事長が逮捕許諾を求められて、そしてそれを閣僚が阻止する、そういういわゆる政情の腐敗と関連するところの選挙の腐敗、それによる民主主義の転覆、或いは民主主義の障害、眼前明白なる危険があります。然るにもかかわらず、或いは政府閣僚の選挙違反の場合であれ、或いは与党の幹事長の逮捕許諾の問題であれ、直ちにその閣僚に刑罰が及ばない、或いはその幹事長が逮捕せられないという事実も、あなたはよく御承知通りです。これは何を意味するかと言えば、選挙の場合でさえも、刑罰を以て立法してあるけれども、併し直ちにその刑罰を機械的に適用するということができない事情があることを示しています。私はそのことがいいか悪いかと言つているのじやない。法律上の議論としてお考えを願いたいと言つているのです。而も選挙の場合と、選挙の取締りの対象となつているものと、それからこの二法案の取締りの対象となつているものは質が違います。選挙の場合には明瞭に投票という行為があるのである。現在の場合には投票という行為が対象になつているのじやありません。従つて、選挙の場合とこの場合とを理論上の根拠としてお挙げになるということは、私は議論を紛糾させるだけだから、それについては、今の意見を申上げるだけで別にお答えを頂きたくないか、この二法案の場合に問題になることは、議論を元に戻しますが、先ほど文部大臣に伺つた三つの点、即ち第一は政治目的という点です。これは決して私は揣摩臆測をするものではありませんが、文部大臣が先お述べになつたのは、教員政争に奔走するというお言葉をお使いになりましたが、他の場合において、或いは衆議院において、或いは参議院において、或いは本会議において、或いは委員会において、又はその他の場合において述べられていることにしばしば挙げておられるのに日教組という職員団体を挙げておられる。それから社会党左派という政党を挙げておられる。このために、世論批判の中には有力な批判として、本法案というものはいわゆる選挙対策であるという批判を受けていることは、あなたも御承知のところと思う。この選挙対策であるかどうかということを私は今言つているのじやないのです。この立法の基礎に政治目的があるということに問題があると思う。これも勿論非常にむずかしい問題で、その立法の基礎となる政治目的というものの概論を私はここでやろうとするものじやないが、併し問題は、これは蝋山学長の衆議院における公述の場合にもその点を述べておられるけれども、つまり日教組というものを眼中に置き、或いは社会党左派というものを眼中に置いて立法をなす場合に、そういう立法をするのがいいかどうかということを私は言つておるのじやないが、そういう立法をして、そうしてそこに刑罰が出て来るという場合に、これが憲法違反の疑いがあると言われるゆえんでもあろうが、その議論はさておいて、あなたにいま一言伺つておきたいのは、そういう法律が実際に適用された場合に、裁判所がこの立法の動機にそういう動機があると考えられる法律によつて、法に触れた人の裁判というものにどういうふうな困難を感ぜられるかということは、あなたがよくおわかりのことだろうと思う。おわかりになりませんか。それではもつと端的に申上げますが、この人を禁錮十年或いは十五年牢屋に入れる、或いは罰金をとるという、人権を制限する。この人権を制限するということは、誰が見てもそれに値すると考えられる場合においてのみ裁判の公正は維持されます。これが自由党から見た社会党左派、或いは特定の人々から見た日教組というような考え方の上に立つておれば、裁判の公正は維持されません。裁判の際に、必ずこの法に触れるという疑いを受けた人は、その点において自己の行為が公平な見地から見れば妥当なものである。政治に熱心に活動するということは民主主義的な美徳ですよ。政争に奔走するということは民主主義の美点である。与党幹事長は政治的活動に没頭しておられるでしよう。我々が政治に活動する熱意を捧げるということは、民主主義の美徳である。よいことである。併し、よいことであるからといつて、それをなす時と場合とがある。従つて、いいことではあるが、それをなす時とそれをなすところ、考えられないところでそれをなそうということは、それは差控えらるべきなんです。けれども、それを差控えることが誤られたからといつて刑罰を加えることができるかということは問題です。これはあなた御自身にしてもそうでしよう。自由党の内閣の法制関係の最高責任者を長くやつておられるけれども、その他面あなたは学者としての法に関する識見というものもおありになろう。けれども、人間でありますから、あなたが政府立場をとられて法律についての立案をし、或いは説明をせられるときに、人間としての立場においてあなたのお述べになることが学問上の、或いは法理論上の公正をときに外れることがあつても、私は必ずしもそれは刑罰に値するものとは考えないのです。これは人間というものが生き物である以上は、正しいことをなすというその場所と時との判断をときに誤まるということは、これは或いは政治上の問題であり、或いは良心の問題であると言つておるのです。それが差控えらるべきことは申すまでもないが、併し差控えられなかつたからといつて、直ちにこれが刑罰の対象となり得るかどうかということに問題があるのだと思う。そこにこの二法案についての立法の一番大きな問題があり、且つ又これが万一法として成立した場合に、最後のところまで考えなければならない。あなたもお考えにならなければならない。我々も考えなければならない。裁判所において裁判がいやしくも階級裁判であるというような印象を与えることを、我々は飽くまで防がなければならない。あなたも御同感だろうと思う。従つて、そこに出て来る法というものが、裁判官をしてそうした非難を受けるような立場に置くという法律を我々は国会において制定すべきものではないと考える。ですから、簡単に質問を要約いたしますと、第一の政治目的、即ち教職員が職務に全身を捧げないで政治上の活動に没頭するということ、これは好ましくないことではあるが、けれども政治上の活動をするということは民主主義の美徳である。その美徳をなす時と場合とを誤つておるというに過ぎない。それを直ちに刑罰の対象とすることができるか。第二に、外部から教職員団体を通じて教員に向つて政治上の意味を含む教育をなせということ、これもこの政治活動というものは民主主義の美徳であり、そのこと自体は決して悪いことではない。で、恐らくは現在この二つの問題について、これらが悪いかのごとき印象を若し文部当局が持つておられるとするならば、文部当局の考え方に過去の官僚主義の考え方があるのだろうと思う、如何なる政治活動も、それは美徳です。そうして、その政治活動の行き過ぎがある場合に、それを救い得るものはそれに対する政治活動あるのみです。今日自由党が社会党左派に対して堂々として政策を以て争われると、そうしてその自由党の文教政策が立派なものであるならば、天下の教員は必ず自由党を支持します。何も遠慮されることはない。ただ、不幸にして今日自由党の文教政策か、客観的に見て甚だ貧弱である、且つ又その自由党の政策全般が救うべからざる状態に陥ろうとしている、それに対する反作用として野党或いはオポジシヨンの活動が起つているのである。  それから第二の外部から教員に向つて言論を以て働きかけるということも、そうした言論が誤つているならば、正しい言論を以てそれに立向い、言論を救うには言論よりほかはない、そのように政治を救うには政治よりほかはなく、言論を救うには言論よりほかはないのであります。で、仮にそれに向つて、よいことであるけれども、時と場所とを誤つている、或いは言論であるけれども、同様の言論の濫用があるというような場合でも、御承知のようにそれが刑罰によつて是正せられるべき場合に至るには、私は二つの問題が考えられなければならないと思う。  一つはそれが刑罰によらないで、いわゆる行政上の処置によつて解決する場合。それから第二は眼前の危険が明白に迫つているという場合。眼前の危険が明白に迫つているというのは、民主主義の基礎が覆りそうであるかどうであるかというような、そういうことを言つているのじやありません。もつとホルムスの言つた元の言葉に戻してあなたは考えて頂きたいと思う。ところで公務員或いは教育公務員公務員教育公務員たるの身分というものから来るところの制約というものはその身分にとどまるのが当然であつて、即ち行政上の処置或いは免職せられるということが当然であつて、その身分を超えてその人の人格にまで入つて行くということは、これは議論の余地のあることだろうと思う、私は許されないことだろうと思う。あなたは憲法の範囲内で許されることだというふうに前からお答えになつているけれども、併しこれは議論の余地のある問題だろうと思う。で、国際的な立法例を見ましても、身分に関して起るところの法に副わない行為というものについての処置は身分にとどまるべきものである。その人の人格に及ぶということは非常な場合である、これはよく御承知だろうと思う。で、国家公務員政治活動の制限ということも国際的に例の多いことではございません。極く最近にイギリスでは公務員政治活動の制限を著しく緩和して、これに政治活動の自由を与えています。いわんや日本国家公務員における政治活動の制限というものは、立法当時から今日までを考えてみるのに、それが妥当なものであつたか、妥当なものでなかつたかということについても議論の余地があろうと思う。そういうようにこの二法案考えているようなこと、即ち政治上の目的を根拠とし、そうして第二には良心という、そういう問題に刑罰を以て臨むということについて、先ほどおつしやつた選挙法の場合その他の場合とは特に違うのです。選挙法の場合には国際的な例もあります。現に選挙法に刑罰を以て行なつているということはあるけれども教育の場合にはそれがないということからもこの場合が違うということはおわかりになろうと思う。  そこであなたに伺つておきたいのは今申上げた点ですが、裁判が階級裁判である、或いは特定の政治的意図を以て裁判が行われる、或いは特定の団体というものを圧迫しようとする意図の下に裁判が行われるということになつては、これは裁判所の権威のために困るのですか、この二法案はそういう慮れがないとお考えになるかどうか、その点です。
  31. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 裁判所は法を離れて特別の意図を以て、或いは又階級裁判といわれるような裁判をするのじやないかという疑問が少しでもあれば、すべての法律は私はもう信頼すべき拠りどころのないことになつてしまうと思います。ところが幸いに今日の日本裁判所は、そういう点一点の疑いをも入れる余地のないくらいに私は厳正公平に裁判をやつておられると確信しております。そうしますと今度その裁判の種になる法律の形がどうであるかという問題が第二の問題になつて来ます。併し今回御提案申上げてあります法律の内容といたしまして、今御心配になりましたような階級裁判なり或いは特別の意図なりというようなものを推察すべき何らの片鱗も私としては見受けかねます。従つてその点から御安心頂いてよろしいと考えるわけであります。
  32. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その点について最高裁判所意見はお聞きになつたことはおありになるのですか。
  33. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 意見は聞いておりません。
  34. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 では今の点は法制局長官は最高裁判所の意向は御承知がないとおつしやるので、私としては最高裁判所意見を伺つておくことが必要じやないかというように思いますので、これは委員長お願いしておきます。  それから質問を続けますが、今度は刑罰の問題ですが、法制局長官はよく御承知のことだろうと思いますが、国際的に学問上の言葉としていわゆる法によつて罪を設定するということの問題があります。罪というものは社会的に確定せられた概念として存在している必要があります。従つて刑罰も明確な概念を持つていなければならない。ところが法によつて罪を作らなければならない場合がある。これはそういう事実があるのですが、そこで法によつて罪を作るということは喜ぶべきことであるかどうかといえば、勿論あなたも喜ふべきことでないとお答えろになるたうと思う。法によつて新らしい罪を作くるということは、これは容易ならないことです。今この二法案によつて新らしい罪が二つできます。一つは今まで教員がそういう行動をしても罪とは考えられなかつたものが罪となる、一つは教員に対して教員団体を通じて今までそういうことをなすことが罪とは考えられなかつたことが罪となる、新らしい罪が二つできるわけです。これは法によつて罪ができて来るのです。私は法によつて罪を殖やすということはよくないことだと思う。人聞が神から与えられているその罪罰というものに基いて、或いは社会の長い間の慣習というものに基いて罪と罰というものがあり、それに基いて法を作るので初めて法は適正に執行されるのである。ところが法によつて罪を作るということになると、その刑罰の適正ということか却つて法の根本を揺がす慮れがあります。この点について、あなたはこの二法案が法によつて設定しようとしておる罪がその法の上で確定するものと考えられるかどうか、その第一点を伺つておきたい。
  35. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 法によつて罪を設立するということについて、深い考慮をしなければならないことは当然でありますけれども、私はもう一つその手前に、法によつて自由を制限すること自体について、もつと深い考慮をしなければならないことであろうと思います。その自由の制限に伴つて罪の問題が出で来るわけであります。むしろこれはそれを確保するための手段の問題、保障のやり方の問題であつて、本質は自由を制限すること自体の問題だろうと思います。従つて私は罰則があろうとなかろうと、およそ自由を制限するという法律を作るときには慎重なる考慮をしなければならないというふうに、そのほうに主眼を置いて考えておるのであります。で、この法案立案に参画いたしました際にも、むしろそのほうの角度からいいますと、教育基本法の八条そのものの問題が根本をなしておるのではないか。それは八条そのものが不当なる自由の侵害であるということならば、この法律は出て来る余地がないわけです。ところが八条そのものがやむを得ない、これは一応正当なものとして認められるということになれば、第二次的の問題としてこれの制裁の方法をどうするかという問題が出て来るわけです。これは率直に言つて憲法論というよりもむしろ立法政策の問題であつて、それこそ国会の多数の御判断によつて、どういう方法をとつたらこの狙つておるところが確保、保障できるかということになると思うのであります。その意味においてはこの刑罰それ自身を設けたことは憲法に違反するというような問題ではなしに、むしろ立法のやり方の問題であるというふうに考えておるわけであります。
  36. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 今引用されたので問題が戻るのですか、教育のいわゆる中立性という問題ですが、教育中立性ということについてはいろいろな議論があり得ると思うのです。ただそういうように解釈されてはならないということだけははつきりしているというのは、政府がそれを判定することはできないと思う。何が中立であるか、民主主義の意味するところの中立というものはあらゆる立場の議論が述べられて、そしてその中立が判断せられるということだろうと思うのです。そこであらゆる立場を述べられる場合に特定の立場が特に強く述べられるということですね、恐らくは、今この法律案目的としているところは。それを制限したい、その或る特定の立場か強く述べられることに対しては、反対立場が強く述べられればそれが望ましいと思う。社会党左派なり日教組なりの活動が盛んであれは、それに対して自由党なり或いは自由党のそういう職員組合政策なりというものが有力であれば大した紛擾は起らないで大衆は判断を誤らない、それが第一に望ましいことである。併しこのことにおいて十分なされていない。なされていないということは世論批判にも、なぜ文相はもつと教育関係者なり或いは教育者団体なりというものと直接の交渉をされて、そして問題を打開されないかという批判があるからもわかります。それからその中立性というものは第一には今申上げるように官僚的な、独善的な、ドグマティックな判断によつてこれが中立だ、これかよい教育だ、或いは悪い教育だということはできない、そういう点を排除しておいて、そこでこの中立性というものはさまざまに作用によつてできて来るのだけれども、そしてさつき申上げたようなその問題に直接関係している教職員教育者自身の自己是正の作用、それから世論の是正の作用というものも仮にあつたとして、そういうものが十分尽されているのに、然るにもかかわらず而もなお中立が失われるという事実がある場合に、そこでこの法律が出て来るのです。その法律が身分にとどまるべきではないかという点なんです、今あなたに向つているのは。そしてそうするとあなたは必ずお答えになるだろうと思う。それは国家公務員法に遡つての問題だとおつしやる、さつき申上げたような国家公務員法自身について問題があるのじやないか、それは理論上あるし、文法の実際の適用上あるのではないか、そこにそれを拡大することがいいか悪いか、そこでさつきの質問のように、法によつて罪を設定するということに問題があるのです。それを今拡大することがどうであろうかということを申上げているのです。特に文相は先ほどの御説明では、国家公務員の担当する公務教育公務員の担当する公務とを同じようにお考えにまさかなつておられるのではないでしようが、並べておつしやいましたが、これはあとから人事院総裁の御意見も伺つておかなければならないと思つておりますけれども法制局長官からもその点伺つておきたいのは、国家公務員政治活動制限の理由、何によるか、且つ今法による罪の設定を拡大することがいいか悪いかということについて伺つておきたいのは、国家公務員政治活勅の制限の理由、それから第二に教育公務員国家公務員との公務の性質の差違をあなたはどうお考えになつておるか、それから第三に国家公務員の身分に及ぶ制裁と、そうしてそれが目的を達し得ない場合、その人の人格に及ぶ制裁がどれくらい起つておるか、それから最後に現在教育基本法によつて、そうしてそれに基く教育公務員特例法などによつてなされておるところの教員の好ましからざる行為に対する身分にとどまる制裁がどの程度まで今まで行われており、そうしてそれによつては問題は解決されない、従つてその本人の人格に及ぶところの制裁が必要だと考えられる場合がどれくらいあるというふうに認識しておられるのか、それらの具体的な点を法制局長官がこの法案の立法に参加せられるとき、以上の諸点について如何なる根拠に基いて参画せられたか、お答え願いたい。
  37. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 公務員に対しての政治活動の制限の由つて来る根拠は申すまでもなく憲法の第十五条に、一部の奉仕者でなしに全体の奉仕者であるということが述べられておるわけであります。そのほかに公共の福祉云々の裏付も出て参りますが、公務員そのものの性格としては全体の奉仕者ということに重点が置かるべきものであろうと思います。国民がとにかく政治の手伝いを任すために選んでおるその公務員が、部のために奔走してもらえばこれは一種の叛逆的行為でありますからして、当然にその意味で反社会性を生ずる。従つてその制裁は勿論身分に伴う限度で打切るということもこれは考えられないことはありませんけれども、今のような反社会性考えて見ますというと、刑罰を以て臨む根拠は一応十分に出て来るというふうに考えられます。教育公務員に関しては、見方によつては更にそれよりも重い責任を持つておるのじやないか、先ほど最初に私が触れましたように、次の主権者を育て上げる人たちというものは、普通の我々公務員と又違つた崇高なる責任の重い仕事を背負わされておる人たちであろうと思います。従つて教育基本法でありますか、教員は全国民に対して責任を負つて教育を行うということを特に教育基本法に謳つておるわけであります。そういう意味ではむしろ強調されておると思われます。従いまして先ほど一般公務員について申述べましたところは、或いは見ようによつてはそれ以上の強い力で教育公務員に対して考えられるのじやないかという気がいたします。  実際の今までの運営ということについてはこれは各地方で教育委員会その他においてやつておられることでありますから、私ども精密なことは存じませんけれども、余り事例は多くないのじやないかという気持を持つております。
  38. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その点が非常に問題になるのです。余り事例が多くないのじやないかというふうにお考えになつておる。これは調査をして見なければわからない程度のことです。眼前明白なる危険というものは調査をして見なければわからんという程度のものを眼前明白なる危険とは言えないと思うのです。それはあなたがおわかりにならんはずはないだろうと思う。つまり新らしく法律によつて罪を殖やそうというのですから、だからどうもそうしなければならんのではないかというような考えもあるが、そうしなくてもよかろうという考えもある、こういう程度の段階で新らしく罪を作るということがあなたとして問題にならないかというのです。  続いて今の問題について人事院総裁の御意見を伺わせて頂きたいというふうに思つておるのですが、国家公務員法制定の経緯は総裁も勿論御承知通りです。国家公務員法最初に制定せられた当時においては、いわゆる現業の人々というものは一般職としては考えられていなかつた。その人々の争議権というものは制限されておらず、又それらの人々の政治活動の制限というものも現在の形のような制限は受けていなかつた。そのときの考え方と、それから改正によつてこれが著しく制限されて来たときとの考え方とにどういう考え方の違いがあるか。今法制局長官教育公務員公務の性質は一般公務員公務の性質よりも一層刑罰によつて規制せられるべきであるかのごとき言辞を弄された。併し国家公務員法或いはその背景をなすところの公務の概念と一致するものではありません。そこで人事院総裁に伺つておきたいことは国家公務員法そのものによつて規制せられる公務員の基本的人権、政治活動或いは団体交渉、団体活動その他の行為が規制せられざるを得ないということは、この公務の如何なる性質に関係するものであるか、これを第一に伺つておきたい。
  39. 浅井清

    政府委員(浅井清君) これはやはり法制局長官からお答え申上げましたように全体の奉仕者としての中立性要求されておるからであると思つております。
  40. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 それでは伺いますが、最初立案された当時の考え方と、それからそれが改正されてからの考え方の間に違いがあると思いますが、その違いはどういう点におけるものだつたのですか。
  41. 浅井清

    政府委員(浅井清君) その改正でございますが、何回かの改正がございましたが、恐らくは羽仁さんの御質問は現業公務員が団交権を認めなかつたことに対する改正を指しておるものと考えておりますが、これは要するに現業公務員が、この現業の性質、これが民間の企業にやや近付いておる、こういう点からの違いかと思つております。
  42. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 そうするといわゆる公務といわれるものの中にも、その仕事の性質が民間の仕事と類似しておるという場合は公務というふうに解釈せざるを得ない。こういうことでひとしく国家公務員公務といつても、民間の仕事と同じような仕事がある場合というものをおつしやつたのですが、もう一つあると思います。それは国家公務員の中に民間の仕事と非常によく似た仕事がある、これは教育公務員の場合にもございます。私立学校教員の仕事と、それから国立学校、或いは公立学校教員の仕事は非常によく似ております。従つて今のような点がやはりこの法律で以て問題になつて来る点があると思います。  それから第二の点は、これは私から申上げるのは失礼ですが、この国家公務員法などの法律によつて制約されなければならない理由は、公務が政策遂行ということに関係しておるからでしよう。これは税金をとるということが国会の通過しておるのに、税務署の役人がその税金に対しては反対意見を持つておる。従つて税金をとらないということは国家公務に差支えるというのです。そこで教育公務員の持つておるところの公務は政策遂行であるかどうか、この点です。  以上の二つの点について、この二法案について問題がないか、その点を伺つておきたい。
  43. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 民間と同じ仕事をやつておるから云々のお話がありましたが、さようには考えていないのであります。若しそういうようなお言葉でございますればタイピストのごときものは国家公務員にもございますし、民間職員にもございます。自動車の運転手も官庁にもおれば民間にもおる、その点決して公務員との違いをいつておるのではございませんので、現業として一つのまとまつた中におるというところに違いかあるように考えております。これは別に羽仁さんの御説明を反駁する意味ではなくして、ただお言葉がそこに触れましたから申上げたのであります。  第三の教育という点でございますが、この教育というものが公務の実行であるかどうかということでございますが、若しも国立大学教授国家公務員でございますれば、その教育公務の実行の一面を語るものであると申してよろしいではないかと思つております。ただ羽仁さんのお尋ねの本旨とするところは、これはいわゆる国家の政策それ自体を、つまり遂行するような仕事であるかどうかという点にあるのじやないかと思うのでありますが、それならばそれは教育はそうでなかろう。但しそれがために教育国家の政策と全く離れてもいいものかどうか、これは私は所管事項ではございませんから、文部大臣からお答えを申上げます。
  44. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 人事院総裁はおつしやるので、一応文部大臣お答えを伺つておいたほうがいいと思うのですが、国家公務員公務教育公務員公務というものは著上く違う。殊に政策遂行という点において一般の公務員はその点から制限されざるを得ない理由があるのですが、教員のなすところは政策遂行ということではない。これは恐らく全く違うものであろうと思う。この点については文相はどういうふうにお考えになりますか。
  45. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は一般の公務員であつても、或いは教育公務員でありましても、その取扱う仕事が公務であるという点につきましては同じことであろうと思います。ただそれぞれの公務員が担当する公務の内容に至つては、これは千差万別であろうと思います。ただ土木のほうの仕事をする人もありましようし、先ほど人事院総裁からお話になりましたように、自動車の運転手をしているという人もあるかも知れません。公務としてはその中身は千差万別でありますけれども、併しそれは公務であるという点については共通であろうと思います。  そこで一般の公務というものは政策の遂行である、そうして教育の場合にはそれが政策の遂行というものではない、これはそういうふうに御覧になる考え方もあり得ると思います。私は政策の遂行と言えましようが、併し正確に言えば私の考えでは現在するところの国の制度、或いは国の行政上の秩序その他を確保し、実行して行くものだ、公務というものは。その制度が打立てられることは、これはそれぞれの主義の政策によつて打立てられるでありましよう。併し一旦国の制度としてそれが確立すれば、そうしてそれを実際の上に実行して行くということになれば、これは必ずしも政策の遂行という考え方よりは、いわゆる公務の遂行と言いますか、国の制度の主義するところを実現して行くところの国家活動、或いは地方の公務員であれば地方公務員たる公務員の地方の行政団体の活動であるとか、こういうふうに私は考えます。  そこで教育の場合には、そういう意味においては教員であつても、或いは公務員であつても、直ちに特定政党の政策を実行しておるのだという、正確に言つてそういう考え方にはならないのじやないかと、これは私の意見であります。そこで教育の場合でも、これは教育というものを一々その中身を細かく一般の行政事務のように規定をしておるものではありません。これは教育の性質上当然であろうと思います。ただその枠と言いますか、限界というものにつきましては、これはやはり国が法律を以つてその限界をめておる。例えば今の中立の問題について言えば、教育基本法の八条の二項というものは、学校における政治教育についての限界というものをきめたものでありましよう。そこでその教育基本法というものを、仮にそういう法律案提出して、そうしてそれを国の制度として確立したということになれば、これはその当時の政府の所見に従つて政府の政策として私はでき上つたものであろうと思います。教育基本法の制定というものから。併し一旦教育基本法という制度が国の制度としてできれば、その基本法に則つて教育をすることが一々政策の実行である、こういうふうに私は考えていないのであります。これは考えようで、或いは言い方の問題かも知れません。要するに国の制度というものに従つて国が認めておる教育というもの、国が目指しておるところの教育というものを実行しよう、こういうことが教育公務員公務の内容であろうと思います。
  46. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 この点は文部大臣に、提案の主たる責任者としてよくお考えつておきたいと思うのです。  第一にさつきからくどく伺いましたのは、教員中立的でない教育をした、或いは教員に向つて有力な団体を通じてそういうことを求めるという行為が好ましいか好ましくないかと言えば、あなたは好ましくないとお考えになり、私も好ましくないと考える。ただそれがその人の、つまり人間としての落度から来る点なので、従つてその人に対して或いは政治上、或いは社会の世論というものでそれを是正することが第一に望ましいのじやないか、これも大体御同感が頂けると思う。それからそれがその人自身の落度なんですから、その人自身で救つてもらいたいのです、反省して。これはあなたが教壇にお立ちになつたことはないと思いますが、私自身は長く教壇に立つておりました。そしてこの教育というものは、やはり教育の効果を教育者としては第一に考えるのです。長く教員をしていた者はなかなかその職業を変えるということはむずかしいのですから、ですから教員として長く勤めたいと皆思つている。そのためにはあの人はいい先生だという信頼がなければ教育というものはできるものではありません。ですから教員は自分の心の中で政治上例えば自由党を支持している、或いは共産党を支持しているという気持があつても教壇の上にそれをそんなに軽卒に言うものでありません。それを余り軽卒に言えば子供たちがその翌日からその教師の言うことを余り信じなくなります。又父兄もそういうふうになります。ですから教員は本来教壇に立つて中立を守ることに教師としての自分の権威又教育の効果という点から十分努力をしているのです、法律がなくても。私は過去数十年間教師をしておりましたが、而も私は特定の考え方を持つています、人生観にしましても政治観にしても。併しそこにおる生徒なり学生なり、そして又その父兄なりは違う世界観を持つている。違う政治観を持つているのです。ですから余りそれを露骨に出せば教室の中に必ず紛擾が起る。従つて自分が教員としての地位を全うすることもできない。従つて本来これを控えるのが当然なんです、法律がなくても。そこでその人は控える作用を失つてつい行き過ぎて、共産党でなければ駄目だと言うふうになるにはよくよくの事情があるということを第一に御了察を願いたいと思う。  で、あなたがときどきお答えになつておりますが、休職給を殖やせとか校舎を直せとか、こういうことは本法にかかりやしないのだと、ところがそれをかかるように言うのは、いわゆるあなたの言う嘘の皮だという強い言葉をお使いになりますが、そこにはどういう理由があるかということを考えてもらいたい。即ち休職給を殖やす。校舎を新築するということは、結局繋がつて来るところは政策に繋がるのです。一方では防衛隊、保安隊の宿舎がどんどん新築されている。他方学校はすべてが、小学校ばかりではありません。この間私は京都大学に行つてみて、学生の集合所に行けば畳が腐つて落ちています。歩くのが危険なくらいです。そういうところに学生は集まつている。而も救つてくれといつても救えない。つまるところは政策だ。自由党はそういう政策をとつているから休職給は殖えないのだということになる。思い余つてつい教壇においてこの人は口を滑らすことがあるかも知れない。併しそういう性質の落度でありますから、その人は必ず口を滑らした途端、ああ自分は言うべきでないことを言つたと考えるのです。従つて翌日はそういう態度を改める。私は佐藤さんにもよく聞いておいて頂きたいと思うのですが、憲法の命ずる民主主義が健全に育つ第一の作用はここにあろうと思う。ところがそれによつて恐らく本人が救済しないでも教員室には他の立場先生がおられるのです。又子供に接するにもそういう先生とは違う先生も接せられる。ですからそこでこの本人が自分でもよくないと思うから、やむにやまれない人間としての弱さから、そうして過ちを犯してもそれは同僚教員が救います。それから又これを世論が救うというようにして救われるのである。それにもかかわらず、やはりその先生教員としておられることは困るという、つまり行政上の処置というものは私は最後の処置ではないかと思うのです。ところがそういうような性質のものである、即ちもとへ戻れば人間としてむしろ美徳である。政治上無関心の人をあなたは決して尊敬せられないだろうと思う。教員であるが政治には無関心だ、休職給などどうなつてもいい、俺は月給だけもらつていればいいのだというような教員をあなたは尊敬せられないと思う。即ち場所と時とを誤つているのです。その場所と時を誤つたということを本人も自覚しておるのである。又同僚もそれを是正しようと考える。又世論もこれを是正しようとしておるのである。そういう作用があつても、そういう本人をなおまだ妨げになるという場合にやめてもらえばいいのじやないか、つまり行政上の処置ということでこれが最大限ではなかろうか、そこへ向つて刑罰を加えるということは、これは我々法務委員として非常に困る、つまり裁判所がお困りになるのじやないかというように考えておる点なんです。  第二に伺つておるのは公務員ということなんです。今の人事院総裁お答えにもありましたように、国家公務員公務の性質は主として政策の遂行ということにあり、従つてそれに伴う制約はやむを得ないと考えられる場合があるけれども教育公務員の場合には政策の遂行ということじやないということはあなたもお認めになつておる。従つて政策の遂行に関して国家公務員が受けるやむを得ない制約というものまで教育公務員に負わせるということには多分に問題があるだろうということをお考え頂きたいと思うのです。この点について次の問題に移りますが、次の問題で伺つておきたい問題は、第一は国家公務員法が制定されましてから今日に至るまで、これは浅井総裁のお答えを伺つておきたいと思うのですが、御一緒に。ああした法律の制定の際に、随分失礼なことも申上げましたが、併し私としても国家公務員法というものによつて日本国家公務というものが、いわゆる官僚主義を脱却して、そうして民主主義的な公務員制度というものが確立するのであれば、こんなに有難いことはないと思つて御協力を申上げて来たんですが、今日に至るまでの国家公務員法の経過というものを御覧になりまして、多々お考えになつておる点があろうと思う。一言にして申上げますれば国家公務員政治活動の制限ということが好ましい結果をもたらしておるかどうだろうかという点です。これは国家公務員政治活動の制限或いはそのほかの基本的人権のさまざまの制限、団体行動の制限、これらを救うためにこれらは決して単に制限されておることではない。この制限せられたものに向つてつて与えられるべきものがなければならなかつた。そうでなければ不当な制限を受けたと考える人が必ずあり、その不当を救うことができない。従つてこれらの制限を与えたことが、そうしてその制限をしたために、その制限に代るものを与えた。即ち人事院を与えた。この第一の点は、その制限を与えた点について問題がないかどうか。それから第二には、その制限を与えたことによつて代りに与えた制度、人事院或いは公平委員会、その他ヒヤリングというような制度、その制度が今日においてあなたの総裁のお考えで、立案当時の予期した目的を果しておるとお考えになるか、果していないとお考えになるか、この点を第一に伺つておきたい。
  47. 浅井清

    政府委員(浅井清君) お答えを申上げますが、  第一点は国家公務員政治的活動を制限することが好ましいか好ましくないということは私として批判を避けたいと思う。これは国会の、当時御意思によつてかような制限になつておる次第でありますが、私個人の意見といたしましては現存の状態においては、私はこの国家公務員法百二条に基くところの政治活動の制限は、やむを得ない必要があると現在でも思つておるのでございます。  第二の点といたしまして、争議権その他を奪われましたものに対していろいろな制度が設けられておる。人事院もその一つでございましようし、公平審議の制度もその一つである。又行政措置の要求もその一つである。これらは外部から御覧になれは定めて御不満に思われる点があるかも知れませんが、我々としては十分その職責を尽して参つたつもりでおります。
  48. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 初めにこういう問題は刑罰を以て法律で規制するよりも世論によつて是正せらるべきものだ、これは私はその通りに思います。私はこういう法律が出ると出ないにかかわらず教育の問題についての世論が活溌に行われるということは非常に結構である。まあ民主主義というものはそういうものでなければならん。問題になつている例えば教育基本法の八条の二項、中立を維持しなきやならんという趣旨の規定についても、現に教育というものはそれでは不徹底である、そういうものじやないという議論があります。私はやはりそれも、私はそれとは考えが違いますけれども、併しこれも一つの議論であり考え方であろうと思います。従つてその議論が世間で活溌に行われましても、これは決して私はかれこれ言うべき筋合いのものではない。憲法には軍備をしないということを規定してありますけれども、併し憲法を改正して軍備をやつたほうがいいとか、いや、やらんほうがいいとかいう、こういう議論が抑圧されるべきものではない、法律に規定があるからといつて抑圧すべきものだというものではないと思います。従つて基本法の第八条二項が世論の対象となり議論の対象になつても一向差支えない。ただ現在教育基本法というものが厳存する限り、さような見地に基いても基かなくても学校教育の現場において教員諸君に対してそういう一方的な、つまり八条の二項に違反するような教育をあえてなすべきであるということを、つまり現在の法律をそのままにしておいてあえてそういうことをするのが当然であり又そうしなさい、こういうことを言うということは、これは許されないことである。その人の考えとして中立性なんというものは不徹底で無意味であるという議論をすることは結構であるけれども、現在の国の仕事にそれを持込んで来て現場の教員に対して基本法の趣旨に反するがごとき教育をせよ、ここまで来ればこれは明らかに行き過ぎである。それはあたかも現行憲法をそのままにしておいて戦力を持たなければならん、現憲法はそのままにしておいてかまわん、戦力を持つんだという議論と私は同じであろうと思う。でありますから、それに関する限り、つまりこの中立性確保に関する法律、それに関する限りは私は現在の基本法というものが国の基本的制度として立つている限りは、これをいけないとか、これが非常な思想、或いは言論の圧迫であるとかいうふうにはどうしても実は私は考えない。  それからその次に教員は実際極めて穏健な人であつて教室ではそういう行き過ぎたことは教えたくない、教えない、こういう人が大部分であるというふうなお言葉がありましたが、これはそうでありましようが、併しこれはまあ事実上の認識の問題でありますから、現在の教員諸君がみなそういうことであれば私は非常に結構であると思いますが、これはまあ実情に対する認識の問題かと思います。  それから教育の社会の実情がいろいろ同じ思想を起させる、従つてそれが時と所を誤る場合があるかも知らんが、教室においてもそういう点が出て来る、この点は十分私もそのように思います。ただ今日の一般的な社会事情というものがいろいろな考え方の基になつておること、これも私はその通りに思いますが、併しこれは一面からいうと又非常に重大なことであります。先ほどお話がありましたが、私は民主主義というものは自主性のある自分の考えで判断をし自分の考えで行動する、こういう人が出なければ一体民主主義社会というものは保てないものである、子供に否応なしにつまり一方的な方向を与える、こういう教育が行われては私は民主主義というものは根本的には崩れるほかない、こういうふうに考えておりますので、その場合時と所を誤るというようなことのないように是非そうしたい、こういうふうに思つておるのであります。  それから行政上の処置でいいではないか、これは御尤もであります。殊に職務上の問題でありますから、行政上の処置でこれができることならば結構だと思いますが、ただ実情から言うとなかなか行政的な、例えば教職を離れてもらうというようなことは実際できがたいし、又これはまあ観念的に言えばお話のように職務上の制裁と、人格に対する制裁といいますか刑罰、これは観念的に言えば非常に違いますけれども、実際の何から言うと、まあ罰金を取られるよりは教職を追われて一種のパージみたいに追出されてしまう、これは生活その他でどつちが一体重い制裁になるかどうかということは、これは実情としては簡単に言えないと私は思いますが、併しまあそんなことはともかくとしまして、行政上の処置によつてこれが確保されるということであれば、何を好んで刑罰をもつて臨む必要はないと思います。ただ遺憾ながら実際においてはそれではその効果を期待することができない、そういう今日は事情にある、これは詳しく申上げればいろいろその事情はありますけれども、私はそういうふうに考えております。
  49. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その点についていろいろ速記録を拝見したのですが、文部大臣のお考えの中に私の抱く疑点の一つがあるのですが、教員が皆そういうふうな自尊心があれば結構だ、今認識の相違だというふうにおつしやいましたか、それは認識の相違の問題ではないのじやないか。これは佐藤さんにも隣でよく聞いておいて頂きたいのですが、私は繰返して申す議論ですが、つまり法律というものは天使のための法律と悪魔のための法律二つあるのではないということなんです。悪いことをする人がこれに引かかるんだから大多数の教員は心配しないでいいということをあなたはしはしばおつしやつています。つまり行き過ぎたことをなさる教員だけが触れるので、行き過ぎたことをなさらない教員にはちつとも触れるのじやないから心配しないでよいということをおつしやつておる。けれどもこれは法務委員としては伺えない議論なんです。法というものは悪いことをする人だけに関係するものじやないのです。つまり人権全般の制限に関係して来る。且つ又人間というものは決して悪魔でもなければ大使でもないのです。ですから随分悪い人でもよいところは持つている。随分よい人でも悪いところを持つておる。ですからその行き過ぎをする人だけの問題だというお考えでこの法律案進行させることは一つ御反省を願いたいと思うのです。世間の批判の中にもそれがございます。少数の行き過ぎをする人がある、或いは日教組の問題である、ところがそれが五十万の教員の諸君に不安を与えるから困るじやないかという議論を、あなたはいつも五十万の大多数の人は行き過ぎをすまい、従つて関係はないのだとおつしやるのですけれども、併し法としては、さつき申上げるように、この法は悪魔に適用するものだ、大使は安心しろというわけにいかない。つまり人間は天使の面もあれば悪魔の面もある。従つて行き過ぎをするつもりのない者でもことによるといろいろな状況から、或いは自分の置かれておるところの興奮した状況において行き過ぎをすることがあるかもしれない。我々法務委員として問題になるのは、その今の点です。行き過ぎをする人だけの人権を制限するというのじやないので、法全体によつて教育公務員の人権を制限することになるので、従つて矢内原総長なんかも言われるように、教員刑罰の下に置くということは教育の冒涜である、教育が成り立たないというふうにおつしやるのもそこにあるのです。つまり教育というものがよいこともできれば悪いこともできる、そこでよいことをするので初めて道徳というものは存在するので、悪いことができないようにしておけばそこには道徳は存在しない、法だけしか存在しないことになります。悪いこともできるんだがしないのです。そこに道徳や教育の価値がある。ですからそういう点で行き過ぎをする人だけの問題だというお考えは御反省を願つておかなければならん。  それから、もとへ戻りますが、この公務員の問題で、総裁は職務を全うしておられるというお答えだつたのです。私はそういうことを伺つておるのではない。それは勿論そうあろうと思うのですが、国家公務員が解決しようとしておつた問題ですね。問題の第一は、日本のいわゆる国家公務というものを民主化するということにあつたと思うのです。それができましたかどうですか。或いはできる方向にあるかどうか。これは余り漠然としていますから、もつと端的に伺いますが、国家公務員法の制定及びその改正の過程においてしばしば問題になつた問題は、国家公務員政治活動の制限又団体活動の制限、これらを行う結果国家公務員の中のモラルは頽廃するだろう、こういう非難がありました。現に公述人にお招きをした公務員の下級或いは中級を代表せられるかたがたが、折角この敗戦後新憲法によつて官庁の空気というものは非常に民主化され明朗になつた、けれどもこの国家公務員法乃至その改正などによつて政治活動団体活動などが制限せられる結果、役所の中は再び又昔の日本の役所になるだろう、暗い役所になるだろう、そして汚職の発生する役所になるだろうということを言つておられましたが、公平に考えてみて、総裁は人事院総裁としての責任において、あの国家公務員法制定以来日本公務員制度というものはその法の目的に到達する方向を歩んでいるか、それとも反対方向を歩んでいるか、いずれであるとお考えになりますか。
  50. 浅井清

    政府委員(浅井清君) お答えをいたしまするが、これは非常にむずかしいお答えをしなきやならんと考えておりまするが、第一点として、現在の政治活動の規則がなくなつたから官庁の中か汚職に満ちると、さようなふうにはないだろうと思つております。ただ、現在の状態におきましてこの政治活動禁止の規則を廃止するということに私は反対であります。これは現在においても必要であろうと考えておるだけのことでございます。  それから次に、人事院設置以来どのように民主化がなされて来たかと申すことは、これは羽仁さんも御承知通り我々だんだん努力いたして参つたのでございまするが、なお前途において多くのなすべき仕事が残されておるということは御承知通りでございます。    〔委員長退席、人事委員会理事宮田重文君着席〕
  51. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 それじやあ問題をもつと限定しますが、この教育公務員政治活動の制限ですね、それが今拡大せられることが教育公務員公務の遂行を民主化するか、それともそれを反対方向に導くだろうかという点については、今まで国家公務員法全体の適用の責任をとつておられた御経験からどういうふうに御判断になりますか。現在の学校の中の空気というものは十分に御承知がないかも知れませんが、併し公務員全体の関係の中でああした政治活動の制限又は団体交渉の制限というものがなされてから公務員は著しく元気になり、公務の遂行敏速の度を増し、能率が挙り、人事は適正になり且つ不正は減少しておるというようにお考えになるか。それから類推して今まで政治上の制限を受けていなかつた教育公務員が今度制限を受けることによつてその教育公務員公務の遂行が敏速、能率的且つ民主的そして不正が排除され、暗い空気はなくなるか、それとも反対か、どつちだというふうに判断されますか。
  52. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 私は政府委員といたしまして政府提出法案批判する立場にありませんから、現在出されておりまする教育法案が、これが誠に適切なものであるかどうかということについては発言の限りでないと考えております。ただ私どもの従来の人事院規則、例の政治活動……、人事院規則運営の経過から申しますれば、現在国立大学教授は全部この規則の適用を受けて参つたのでございまするが、私はこれによつて国立大学教授か著しき言論の圧迫を受けて苦情を言つたというようなことは承知いたしておりません。
  53. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 承知していないのは恐らくお忘れになつたということだろうと思う。で、この今の問題ですか、国立大学教授政治活動の制限というものがなされようとしておるときに、国立大学教授団体挙つてこれに反対されたことは、よもやお忘れはないだろう。それからその反対に対して人事院はこの国立大学教授政治活動の制限というものはその適用は極めて最小限度になされるものだろうというふうな措置をとられてその不安を解消せられることに努力をしたこともお忘れはなかろう。それから立法的にも大学は研究機関としての指定を持つている。そういう規定を持つておる研究上、政治上の言論というものが認められるということが保証されています。それから最後に、大学教授教授会という組織を持つている。そして大学の自治という制度が確立せられております。以上のような点から、国立大学教授が現行法のような制限を受けても著しく不安を感ぜられないという理由があるのであつて、今お答えのように、押しなべて現在提案されておるような場合と、国立大学教授の場合と同じように扱うということは、そのまま納得することができない。殊にあなたのようなかたがそういうことをおつしやるということは、政府の政策を誤らしむる点において、あなたは政府委員としての職務とも関係があろう。而も最後に申上げておこうと思うのは、あなたもよく御承知通りに、国立大学教授公務員、もつとあつさり言えば、官吏として扱うことは非常な弊害があります。あなたは戦争中よく御承知でしよう。当時東京帝国大学に鈴々たる教授がおられた。然るにそれらの東京帝国大学教授が、日本はああいう戦争をなすべきでないという意見を十分に発表せられたならば、日本の今日の惨状というものは救われたかも知れない。ところが国立大学におられる日本の最高の良識を代表せられる人々が官吏として扱われたために、いわゆる官吏服務規律などによつてその言論が束縛された。そのために識見の浅い政治家が国を誤つたという事実があるじやありませんか。そういう点からも国家公務員法が建前として教員を縛るということを目的としていないことは、あなたもお認めになるだろうと思う。そこでそれを今拡げて国立大学教授に今まで及んで行き、実際には適用されない。それは或いは研究機関として或いは救援会の自給というものによつて或いは人事院が当時政府を通じてなされた声明などの保証によつてそうした、不安が除かれているのである。ところが今それらをあたかもすべて御破算にしてしまうかのごとくに、教育公務員というものを、地方公務員として扱われていたものを、国家公務員として扱うことは、教育国家公務である性質上これは望ましいことであるのか、望ましくないことであるのか。そして現実の問題としてそれがよい方向に行くか、悪い方向に行くか。これは仮定の問題ではありませんよ。あなたが専門家であられ、且つ又その実際の任務に当つておられたのだから、良心に基いてこういうことをすることは、教員教育公務の上に心配がないとお考えになるか、それとも心配はあるとお考えになるか、その点を伺つておきたい。
  54. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 一身上の弁明のような形になるかも知れませんが、成るほど羽仁さんの仰せられるような反対論もあつたのであります。私はそれを否定したのじやなくて、その後の運営の実績について申上げたのであります。なお国立大学だけがこれに服しておるかのように仰せられましたけれども、国立大学以外の国家公務員たる教授も若干おつて、それにもこの規則は国家公務員である以上適用を受けているのであります。なお人事院の運営上この規則の適用が国家公務員たる教育公務員から除外されておるかのごときお話が、ございましたが、これは除外されておるのじやなくて、適用されておるのである。ただその運営に万全を期して、決して濫用のないように気をつけておるからでございます。なお最後に自分の良心に対して今度の提案された法案についての意見を言えというような御発言でございましたが、これは政府委員として最前申上げましたごとく、政府提案法案批判はいたしかねる、かようにお答えを申上げるのであります。
  55. 宮田重文

    委員長代理(宮田重文君) ちよつとお諮りいたします。時間も丁度十二時半になりましたが、これから三十分休憩いたしまして食事をいたして続行するようにいたしたいと思います。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  56. 宮田重文

    委員長代理(宮田重文君) それでは三十分間休憩いたします。    午後零時三十一分休憩    ―――――・―――――    午後一時三十二分開会
  57. 川村松助

    委員長川村松助君) 再開いたしますから御審議を願います。羽仁君。
  58. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 この二法案が衆議院を通過せられましたときに、朝日、毎日その他の日本の信頼されておる世論が、参議院の良識に期待するという社説を掲げられたことは御承知通りです。私どもも不肖その上院に議席を持つて二院制度の建前からその第二院がやはり特にこういう教育に関する問題、旧憲法時代には或いは勅令による或いは枢密院によるというような措置をとられておつたそれとは全く趣旨が違うけれども、特に第二院たる上院において十分の審議を尽すことは妥当ではないか。で、決して私は審議の遷延というようなことを毛頭念頭に置いておりません。これが教育に関係し、且つ又裁判に関係し、且つ又国家公務に関係する、従つてこの議会における審議にいささかでも手落があればこの法は紛擾を巻起し、政府の予期せられるところとは反対の結果を招く、及ぶところは法の尊厳をも傷つける、法治国の体裁を失つてししまう、そういう点から伺うのです。  午前に文部大臣に御了解を願えた私一番大きいことは、この政党を支持し、又は反対するということはよいことである、民主主義の美徳である、そのよいことをなす時と場所というものが不適当であつたということによつてその人の身分に懲戒なり処分が及ぶということを仮に認めるとしても、それをその人の人格に及んで刑罰を加えるということは私はよほどお考えつておくべき点だろうと、こういうふうに考えるのです。この点はどうか一つ文教の、文部の最高責任を担つておられるあなたが、どうか一つ十分にお考えを願いたい。世論の最も憂えておる点は、教員刑罰の下に置くならば、世界にもその例がないではないか。又日本明治以来こういうことはございません。御承知小学校令、明治二十三年の小学校令にしたところが処分は身分にとどまつているので、決してその人格に及んでいない。或いはまだ日本が民主主義になつていなかつた時代のいろいろな治安いに関する条例にしても、教員の身分というものに処置が及んでいるので、決していわゆる人格に及んでいない。こうして明治以来の政治家が保つて来たところの教員の身分の尊厳というものを、現在民主主義の原則の下にある我々が軽々しくその一線を破るという問題でありますから、どうか慎重にお考え願いたい。  で、私の第二の問題は、公務の性質に公務と教務、教育公務というものですが、第一に伺つておきたいのは、この教育公務員国家公務員との関係において殊にその政治活動の制限において同列に扱われるというのですが、これについては佐藤長官もよく御承知でしようが、重要な問題が幾つかございますが、その第一、国家公務員法というものの自体、即ち国家公務員政治的活動を制限することがよいか悪いかということについては、あなたはよいと、現在の政府はよいとお考えになろうが、併し悪いという有力なる見解もある、又国際的な例を見てもそれらの制限が緩和せられている。先ほども申上げたように、最近のイギリスの実例のごときは緩和せられている。これはイギリスの世論などを見ても、国家公務員政治活動の制限というようなことはフーリツシユ、馬鹿げたことだという批判さえされております。で、そういうような関係で国家公務員法そのものに疑念がある。ところが今伺いたいのはこの教育公務員政治活動の制限において国家公務員と同じように扱うが、その他の点において教育公務員国家公務員と同様に扱われるものかどうかという点を第一点に伺つておきたい。
  59. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 教育公務員でありましても地方公務員であるものにつきましては勿論地方公務員として取扱いを受ける、これは国家公務員に身分が変つたということでなしに、政治活動の制限について国家公務員と同列に置くということでありますから、当然そういうことになります。
  60. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その点について法制局長官の御意見を伺つておきたいのですが、文部大臣からお答えなつたようなことが法の体系として妥当でありましようか。
  61. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) これは両方考えられると思います。これは本当に立法政策の分野の問題であつて、例えば先年御提案申上げましたように義務教育学校先生は全部国家公務員にしてしまうということは、立法政策としては一つの行き方でありましようが、現状を踏襲して、その点は踏襲して行こうというのも一つの政策である、かように考えます。
  62. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 伺つているのはその点ではないのです。その今政治活動の制限及びそれに伴う刑罰といつた点においてだけ教育公務員国家公務員は同列に扱つて、その他の点においては地方公務員と同じ身分を持つている。で、而もその政治活動の制限の由つて来たる理由のものはその身分に伴う、その身分に関係する制限、そしてその身分に関係する刑罰というものを国家公務員と同じように扱つて、身分の本体を地方公務員として扱つて行くということは、法の体系として妥当なりや否や。
  63. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 地方の公務員の仕事も国家性を、その教育の仕事は国家性を帯びているという点に着眼して、その実体に触れて身分そのものに触れて、どの程度まで持つて行くかということは、これはどうも法の体系としてはどちらともとり得る形であると思つております。
  64. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 これは人事院総裁に今の点も伺つておきたいと思います。おきたいと思うのですか、人事院総裁国家公務員法による国家公務員政治活動の制限というものがこういう形で教育公務員に及ぶということについて自信がおありになるかどうか、伺つておきたい、あとからお願いしたいと思います。  第二点を伺つておきたいのでありますか、政府人事院の存在についてこれを廃止せられて、そうして内閣の外局である人事委員会というものに変更されるという意思を明確な意思として発表されておりますが、そういうようになるものと考えてよろしいのでしようか、どうでしようか。これはどなたがお答え下さるか、本来ならば総理大臣がお答えになるはずですが、どなたからでもお答えを伺つておきたい。
  65. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 私から便宜お答え申上げますが、政府只今提案申上げております国家公務員法の改正は人事院を総理府の外局にするという行政組織上の変改を主として企てて、その内容としておるものであります。
  66. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 そうしますと端的に伺いますが、国家公務員にさまざまの制限を加えて、そうして不当の処分を受けた、不利益な処分を受けたと考える人を救済する人事院というものは著しく独立の性格を持たなければならないということはすでに認められた原則です。そのために当時としては人事院が第四権というような非難を受けたほどの独立性を持つておつた。その独立性は必要なものだと私は考えるのです。若しこれが失われるならば、国家公務員法全体が失われる。与えられるものを与えないで、奪うものだけを奪うということは法の体系上許されない。従つて内閣の外局としてできる人事委員会は現在の人事院とその独立性において大差ないものとお考えになりますか。それとも著しく違うとお考えになりますかどうですか。
  67. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 違いは殆んどないと思つております。
  68. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 殆んどないと言う、併し殆んどないというのはあるというお答えだろう。どういう点が違いますか。
  69. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 殆んどという言葉を使つたのは間違いでございまして、違いはないと考えております。(「ありますよ」と呼ぶ者あり)
  70. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 別に綸言汗のごとしとは言わないが、あなたもまさか全くないとはお考えになつていないでしよう。そこに相違がございます。その点を伺いたい。
  71. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 給与の勧告の関係など、その実質的な面においては、これは若干の相違があろうと思いますけれども、今の機構が内閣の所轄でしたか、に属するという形が、今度は総理府の外局になつたということによつて、その変改から来る独立性そのものの違いはないのじやないかと考えております。ないと考えております。
  72. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 あるものをないと言う法制局長官を持つていることを私は国民のために悲しみます。明らかにその勧告にせよ、或いは、不当の処分にせよ、相違が出て来ます。現に勧告の場合に国会に直接勧告するということはできないでしよう。そういう明らかな独立性の差違がございます。そこであなたに伺つておきたいのですが、その基本的人権である政治的自由或いは団結、団体行動の自由というものの制限その他、あなたは軽々しくできるとお考えなつちやいないと思う。従つてそれを制限した場合に与えられるものと、与えられたものとは恐らく車に最小限のものであろうと思う。いいですか、決してあれが十分にあれによつて償われていると、事実問題としてお考え下さい。勧告は一つも殆んど実行されていない。時間がないので言葉が多少あれしますが、どうか揚げ足かとらないで私の伺いたいと思うことか答えて頂きたい。恐らく現在の人事院の独立性というものは基本的人権たる政治的自由の制限、団体活動の制限を奪おうとして、代つたものとして与えられたものが足りないと思いこそすれ、決して余つているとは思えない。その足りないものの権限を縮少するということが一方において考えられている。そのときに逆に今度は国家公務員政治活動の制限というものを拡大するという二つのここに作用が起つて来る、一方においては国家公務員法が足りなかつた点を一層少くし、他方においては国家公務員法教育による基本的人権の制限を今までも精いつばいじやないかと考えられたものを拡大しようとしておる、そこであなたに伺つておきたいのは、そういうようにして基本的人権が保障せられ、拡張せられる方向に進まないで、基本的人権が制限せられ、或いは不当に制限せられるのじやないだろうかという方向に進むものであると、この法律案を我々は考えております。それで心配をしておりますが、その点についてあなたのお考えを尋ねるのです。
  73. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 揚げ足をとるなという御命令でございますけれども、その前提になつております何かこの際国家公務員そのものの活動をこの法律案で制限というようにお考えになつておるように聞きとれたのでありますが……。
  74. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 そうじやない。
  75. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) お尋ねの要点はどういうことでございましようか。
  76. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 国家公務員法自体としては国家公務員法で恐らく足りないのじやないかと思われる程度の基本的人権の保障しかしていないのですよ。人事院というものによつて恐らく公務員諸君はその政治活動の自由、団体活動の自由によつて、もつと権利が保障せらるべきであろうとお考えになつておると思う。人事院ができたことによつて、奪われたものが十分償われているとはお考えになつていないと思う。そこが足りないのです。足りないものを更に削るのですよ。総理府の外局、独立性の著しくなくなつたものに移して行く。そこで私は必らず国家公務員法のほうで政治活動の自由の拡大の要求が起きて来る。これは理の当然ですね。真理の当然です。その政治的自由の制限、団体活動の制限というものと、仮にその百対百という関係で今保障されておるとしても、それが総理府の外局になることによつて九十九に減るのです。これはもつとずつと減るでしようけれども、それを議論を簡単にして百のものが九十九に減つて来る。これはどうしてもその政治的自由の制限、団体活動の制限というものは緩和せられたいという希望が出て来るのは当り前です。で、そのことを伺つておるのじやない。そういう国家公務員法の現状にあるときに、今まで国家公務員法の規定するような政治的自由、団体活動の自由というものの制限を受けていなかつたところの人々である教育公務員を、その制限のもとに縛り付けるということがこの二法案目的ですよ。そういうことが妥当であるとお考えになるかどうかという点を。もつと端的に申上げれば、人事院というものは要するになくなるのでしよう。そうすると政治活動の制限或いは団体活動の制限は、これは奪うべきものは奪つて又与えるべきものも奪おうとしておつた、こういうことがフェアであるかどうか。而もその問題をここで論議する必要はない。ここで論議するのは国家公務員法自体がその目的を変更しようとしておる。少くともそういうふうに変更して、国家公務員法に持つてつて教育公務員法と結び付ける、而も今まで教育公務員はそういうような教育政治的自由の制限、団体活動の制限を受けておるのではない。それを結び付けるようなことが妥当であるかということです。これはどうか一つ端的にお答えを願いたいと思うのですが、それで行くとお考えになつておるかどうか。それで行くのは何かはかのものを使わなければならないのじやないかという点ですね。あなたが法制局長官としてどう考えますか。
  77. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 人事院が外局になることによつて独立性が少しでも弱いほうの影響が来るということは、先ほど申しましたように考えておりません。仮にこの政治的活動の関係の人事院規則というものを見ましても、仮に人事院規則なるものは総理大臣の承認を要することにするとか、閣議の了解を得なければならないということになるならば大変な違いになると思いますが、そういうことは少しも今までと変つておりません。人事委員の任免等についてやはり身分の保障がそのまま維持されておりますから、その点からの関係は私はないと思います。それから先ほど今までの拘束した拘束を更に加えて、何かはかに考えるべきことがあるのではないかというようなお言葉でございましたけれども、私どもはまあ給与の関係などになつて来ると、或いはこれはそういうことはあるかとも思いますけれども、こういう政治活動の制限その他の問題はこの取引きといつては言葉が過ぎますけれども、これを剥奪する代りにこれをやるのだということでバランスがとれるような問題では、又そういうことになつてはならないと思います。政治活動の制限なら政治活動の制限それだけを取出して、多くの人の批判に曝らされて、そうしてこれが立派な正しいことである、やむを得ないことであるということが私もできるようなものでなければ、ほかにプラスしてこれを考えて両方勘案をして、だからいいのだということは私は言えないことだと思います。この意味でこれだけを抜出してお考えになつて、而もどうであるかという御判断をお願いしたいと思うわけです。私どもが今朝から申上げておるのは、これだけを抜き出して頂いても、それの批判には堪え得るのであるということを御説明申上げておるわけであります。
  78. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 こういう不利益な処分を受けたというように考えられるかも知れない場合を予想しなければならない法律の場合には、言うまでもなくそれを救う措置が丁重でなければならない。ところで今の点でお話のように、人事院とそれから今それが変えられるであろう人事委員会というものが大差のないものだとすれば、なぜそれをお変えになるんですか。違いのないものであるならば現行通りを維持されてよかろうと思う。そうして又今の不当な、不利益な処分を受けたのではないかというように、まあ端的に申せば非常にくやしいという気持があるだろうと思うその教育公務員としては、自分のやつたことは正しいことである。それなのに自分が不利益な処分を受ける。実際世の中に神様もない、仏もないかと思う。それを救う措置が飽くまでも丁重でなければならない。今もう時間がないので詳しく申上げませんが、こういう二法案を出すことによつてその救う措置が丁重でなくなるのではないか。その点如何ですか。
  79. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 救う措置と申しましても、この二法案の片一方のほうは何人もという一般的な問題ですから別にいたしまして、地方の公務員の場合につきましては、これは先ほどお話にありました罰則規定になつておりますからして、その罰則関係のいわゆる裁判による問題になつて一般の訴訟の問題に繋がつて来る。こういうふうに考えております。
  80. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その刑罰になるという問題ですが、その刑罰が身分であることから発生する刑罰です。そうですね。そこで身分であることから関係して来てそれが違法である、或いは不利益な処分を受けるということについては御承知のように、いきなりつまり裁判にかかるということは気の毒だ、従つて身分に関係してそういうことが起つたことが不利益な処分であるか、或いはそれとも適法な処分であるかということについて十分その本人の弁明を聞くべき機会が与えられているということが国家公務員法の制度だろうと思う。そうですね。恐らく公平審理ということはその点にあるのだと思いますが、今教育法案のその第一点の教育公務員特例法の改正による場合、これもやはり身分によつてつて来る違法行為というものですが、従つてそれは身分によつて一般にはよいことであるんだが、この身分の関係から不適当だと考えられることについての処分を受けられる場合に、今申上げたように十分にその本人の不当であるという考えを述べる機会を与えられていますか、どうですか。その点を教えて頂きたいんです。
  81. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) お教えするどころではございません。こちらこそお教えを受けたいのでございますが、要するに問題の根本はこれを刑罰によつて臨むことがどうであろうかという問題に私は尽きるんではないかと思います。普通の今の懲戒の関係、いわゆる行政措置としてやられる場合について、今のお話のような部面が出て参りますけれども刑罰権の行使になりますというと、そういう部面がむしろ馴染まない事柄だと思いますので、やはり根本について御論議を頂くよりほかないんじやないかと思います。
  82. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 それは実際教えて頂きたいんです。私はその懲戒なり何なりという点については丁重な措置がとられて、そこでいろいろ、いや私がそういうふうなことをしたのはこういう意味だ、決して私としては悪いことをする意味ではなかつたということを十分に述べられる機会が与えられておるんです。ところがそれより、もつと重い人格による刑罰というものが、その原因からいうと、その身分から発生しているんです。それは最後に裁判が公正に行われることを最後までも、あなたもお考えになると思うし、私も考えて、そうしてその不当な処分を受けたと思うかたができるだけ納得せられるには、どうしても私は先ず第一に自分が教室でそういうことを言つたのは自分の行き過ぎであつたが、併し自分の普段も見てくれというように、普段も考えることもできるような、即ち裁判所なり何なりでない、その前にそれらのかたがたが身分の上で持つているところの周囲の人々の中でそういう弁明をせられる機会があることが私は望ましいのではないか。それが今の法律改正によつてはないのじやないか、その点を伺つておきたいと思います。
  83. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) こういうことじやないかと思います。といいますのは、本人の懲戒処分のような場合には先ず本属長官がいわゆるその役所の主たる責任者たる本属長官が自分の判断によつて処分をするというのが第一の筋であろう。それに対して今度は異議を申立てさして、そうして人事院というような第三の機関に公平審査をさして、そうして第三の機関が本属長官のやつたことを横から冷静に客観的に見て、そうして判定を下すことによつて政府部内の反省作用というものをそこで営む。元々が行政府部内の本属長官のやつたことですから、行政府部内に第三の機関を設けて部内での反省の機会を保証するというのが今のいわゆる行政般処分についてのお扱い方だと思います。ところがこれを刑罰のほうの問題になりますと、刑罰権そのものがもうすでに別の機関による刑罰権の作用ということになりますから、それはすぐそつちのほうへ繋がつてしまうということになるだけであつて、問題は、先ほど触れましたように、行政処分にするか、刑罰にするか、右か左かによつてつて来るのではないかというように考えます。
  84. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 形式的な御答弁を頂いているので非常に残念に思うんです。法制局長官というような高い位置にあられるかたですから、どうか国全般の動き、殊に教育の動きというものについて内容的にも考えて頂きたい。で、私は質問を繰返すことは失礼ですから質問は繰返しませんが、どうか、私の心配している点は十分おわかりのことだと思う、それを政府の内部においてあなたが尤もと思われる点は、文部当局なり何なりにその点を話して頂きたいと思いますが、要するに今の問題はやはり世論の最も重視している点です。で、教員が自分が行なつ行為が不幸にして越ゆべからざる線を越しているということについてはいろいろな理由があろうと思う。私は文部省なり何なりがお出しになつている実例というもの、決して私は文部当局がああいうものを利用しているというつもりではない。併しああいうものを拝見しただけでも、こういうようなことをしなければならなくなつたのは何か理由があるのだろうということが考えられます。そういう点が十分に聞かれることが私はいいことだと思う。現在アメリカなどで起つている場合でも、つまりできるだけヒヤリングの機会を設けて行くということがいいことじやないか。今お話のように形式的には成るほどその直属長官がなしたことだから自己反省という意味で聞いてみるということもありましよう。それから又それは行政処分の場合で、これは刑罰の場合でということもありましよう。ですから、一応お答えは形式的には承わつておくのですが、併し内容的に言えばやはり教員教育上において、その人が市民としては、市民として考えれば政治的情熱、政治的熱意というよいことである、褒むべきことである。ただそれが教員であるというそういう場所においてそういうことがなされるということは、これは本人がよくないことだと考えていることは百も承知だと思う。それがつい何かの過ちで出たということについては一般の刑罰の場合と同列に考えないで、それについてヒヤリングの機会を与えるということがいいのじやないか。そこで根本問題だからこの教育公務員の身分というものを部分的にいじることが法律の上からも困つて来るのじやないか。先ほどのお答えではそういう部分的にいじるということもできるというお答えでありましたけれども、併し建前としてはこの教育公務員の身分に関してそれを保障しているものがその本法が地方公務員であるのだからして、その地方公務員のほうをむしろ改正すべきが法としては妥当ではないか。その教育公務員特例法というものを改正するということが妥当であるとあなたがお考えになるならば、その理由を伺わせて頂きたい。これは形式的に申上げているのじやない。その教育公務員の身分の問題は、地方公務員で以て保障されているのです。ところが教育公務員特例法のほうは身分ではない。その教育公務員教育に関する人事従つてこの法律の中にはいわゆる教育研修、そういうことまで規定してある法律ですね。そういう法律のほうを改めることによることは本末顛倒ではないか。この点について蝋山お茶の水大学学長が、これはナチ的立法の疑いがあるというようにまで言われているのは、そこに関係して来ると思うのです。私はこれをあなたにナチ的立法かどうかということを判定して頂こうとは思わないのですが、併し法の体系としてこういうことが好ましいことでしようかどうでしようか。質問の趣旨は御了解下さつたでしようか。
  85. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 理窟だけで申しますと、法の中の実質というものは承認せられ得べきことであるならば、それがどういう体系をとつてもいいだろうと思います。いいだろうと思いますけれども、併しその体系をとることによつて一つのカモフラージュになるとか、ごまかしになるとかいうような体系になる場合もあります。例えばとんでもない法律の中に盛り込ませてごまかそうというようなことは、これはもう絶対に私は許されないことであろうと思いますけれども、それ以外の部分において堂々とその内容は明らかにされておるという形であるならば、これはやはり技術の問題であつて、我我がその技術の好みに従つてこうあるべしとかいうようなことで政治をリードして行くような性質のものではないように考えております。
  86. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 それじや端的に伺いますが、あなたは学校教員がしよつちゆう六法全書をいじつていることを望みますか。それとも恐らくそういうことはお望みにならないでしよう。私自身としては学校教員がそうしよつちゆう六法全書をひつくり返しているようになつては、世の中はおしまいだろうと思うのです。ところでこの二法案を拝見すると、これは実にいわゆる六法全書をいじくつている人がこしらえた法律でしよう。この法律案が通れば、その本法のほうが修正されて、もう少し体裁はよくなるでしよう。併し教育に関係して、今お話のようなその実態が明瞭なものであるならば、どういう法律の中にどういうふうにして入れてもよかろうというように、教育に関係する立法がなされることが妥当かどうかということなんです。併しその問題についてお答え頂けますか、それともどうします……。  それでは続けて伺つて行きたいのですが、この公務員法というものを全般的に考え直すほうが法制局としてはお考えになるべき点じやないでしようか。その点どうです。
  87. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) これは全く同感であります。ですから、すでに我我の部内におきましても、我々と申しますか、むしろ政府部内におきましてもこれらの再検討のためのコミテイを、今顔振れもきまつております。ただ国会のほうが忙しいものでございますから、まだスタートはいたしておりませんけれども、根本的にこれを再検討しようという気持ちは十分持つております。
  88. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 そこで文部大臣にお伺いしておきたいのですが、これは本当に公務員法の体系がいろいろに複雑になりまして、且つ又刑罪、刑法の体系も非常に複雑になつてしまうのです。そこでこれはどうかこういうことをお考え願いたい。決してそれを今ここでそうするとかしないとかいう無理なお答えを頂こうと思わないのですか、このお考えになつているようなことを公務員法全体としても、又刑法全体としても、余り無理をしないでやられるような方法をお考え頂くことのほうが私はいいのじやないかと思うのですが、どうでしよう。
  89. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この特例法の一部改正という法律案は、公立学校先生国家公務員たる教育職員と政治活動の制限の面において同じ立場に立たせる、こういうまあ形式的にはそういうだけの問題であります。無論今日の現在国家公務員に課せられておる政治活動の制限の内容は、十分これを内容を見た上での話ではあります。けれども、形式的に言うと国家公務員に準ずる、準ずるといいますか、まあ例によるというだけの形式でありますから、将来公務員法というものが根本的な再検討をされて、そうして政治活動の制限につきましても内容が大幅に変るというような場合を考えますと、この法律案によると、そのまま自動的にそれについて行くという結果になろうかと存じます。私は恐らく国全体の公務員と切離して教育公務員だけを特に重くしなければならんという理由は私はないと思いますから、そういうことになろうと思います。併しその改正の内容がどういう形をとるか、これは今日はわからんことでありますから、それはその際にやはり一応検討してきめなければならんと思います。併し大体只今のところでは国家公務員以上に厳しい制限を加えるという必要はない、こう思つております。
  90. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 いや、お聞きしたいと思つたのは、お考えになつている意図はあるにしましても、それによつて国家公務員法なり或いは公務員法なりの全体の体系が著しく複雑なものになる、又刑法の関係でも著しく複雑になる。それは国家公務員法全体にいい影響がない。勿論悪い影響があります。それから刑法全体にも余りいい影響がないと思うのです。私どもは、公務員ですから、その面から申上げるのですが、この法律案によつて果されようとする利益をお考えになつているでしよう。この法律案によつていいことができる。そのいいことができるかできないかは、あとから伺いたいのですが、それと失う点ですね。刑法の体系が著しく複雑な難解なものになつて来る、或いは国家公務員法が又著しく複雑になつて来る。端的に言えば、その結果教員がしよつちゆう六法全書をいじくつていないと危くて世の中が渡れないというふうなことになつてしまう。そういうことを気にしないで、可愛い子供たち教育に専念するということが不可能になつてしまう。法網に触れないことに没頭しなければならないということになつてしまう、法律が余り複雑になつてしまいますから。現にこれは非常に複雑な法律で、私どもがちよつと拝見したくらいではわからない。瀧川さんもそういうことを言つておりました。この法律を拝見しただけではどうもよくわからないというようなことで……。どうか一つこの点を今御即答頂きたいというのじやないけれども、なお十分お考え下さつて、これはことによると国家公務員法なり公務員法なり、全体の改正のほうでやるべきではないかという点もお考え頂いておきたいと思う。時間がないためにお答えを今頂戴しないで次の問題に移りますが、最後に二つだけ伺つておきたい。  それは、その一つは、そこで今のような関連から問題になつて来ますのは、これは政府が非常な御苦心をなすつたでしようが、いわゆる罪の請求を教育委員会、或いは学長とか知事とか、そういうかたがたがなさるという問題ですね。これはやはり法律的にはなかなか厄介な問題になつて来るだろうう。それでこれは或いは専門家の中には日本に陪審制度を復活させようとするその端緒がここに表われているというようなお考えまで出て来るくらいまでにこれはなかなか重大な問題を含んでいる問題です。で、ここで二つの問題を私としては伺つておきたいと思うのです。第一に教育委員会なり或いは知事なり何なりか、この知事の場合には、知事がこういう教育に関係して持つて来るところの、今まで与えられているところの権限というものになるのですが、問題は主としてこれは教育委員会の場合に伺つておきたい。  非常に複雑となりますから、教育委員会の持つている主たる任務は一体どういうことにあるのか、そうしてその教育委員会の持つている主たる任務と、この罪、刑罰の請求権というものとはどういう関係に置かれるか。その関係が好ましいものとお考えになるか、好ましくないものとお考えになるかということ、この点が第一の点ですが、教育委員会というものは御説明申上げるまでもなく、その任務を遂行する上に恐らく私は余裕のあるものじやなかろう。それで、この教育委員会教員の諸君との関係は常に最善であることが必要不可決です。若しも教育委員会教員との関係が絶えずお互いに猜疑しなければならないというような関係になつてしまつては、もう万事休すと申上げなければならない。そこでこの教育委員会というものにこの罪の請求ということを与えることが、教育委員会の本務に反しないかという点です。文部大臣お答えを伺つておきたい。
  91. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 教育委員会と、それから教育委員会の主たる任務と、それから刑罰の請求権という問題に関連をして、委員会教員との間は互いに信頼をしあつて、そうしてこの教育というものをそれぞれの建前から立派な教育を進めて行く。こういうことは無論そうでなければならんと存じます。そこで、この請求権を教育委員会に認める。言葉を換えていうと、刑事訴追の要件としてこの請求がなければ訴追に入らん。訴追手続をとれない。これは私どものほうから申しますというと、やはり軽々しく教育に関連をして、これは無論教唆扇動という行為を対象としておるのでありますが、併し教育に関連をして警察とか或いは検察のほうの側で罪を論ずる、或いは又一般の、これは私ども畑違いのことで間違つておればあとで直しますが、一般の犯罪については何人もこれを告発することができる。だから国民の誰でもあそこにけしからん犯罪が行われていると、こう思えば何人も告発することができるはずです。それによつて訴追の手続をとられる場合も生ずるわけです。この場合には、教育委員会の請求がなければ罪を論じない。刑事の訴追に入らない。こういうことでありますから、従つて一般の人の告発ができないことは勿論でありますし、だから警察或いは検察庁の手で面接に洗い立てるというようなことも通常は先ずこれであり得ない。これは犯罪の捜査としては法律上はポツシブルではありましよう。併し請求に待つて初めて罪を論ずるということになれば、そういう請求もないのに警察とか、検事のほうで飛び出して来るということは先ず通常ないものと私は考えます。そこでそういう意味で、できるだけこの学園の静謐ということを維持する。又実際上大したことでもないのに、いろいろな刑罰法令の制定に、法規の制定に関係をして学校にいろいろなトラブルが起きるということは、これは防ぎたい、こういう考え方であります。    〔委員長退席、法務委員長郡砧一君着席〕  そこで教育委員会教員の問題でありますが、これはまあ仰せられましたように、これは両々互いに信頼をしあつて、互いに立派な教育を進めるということに協力をして行かなければならんと思うのであります。然るにその場合に、この法規は、あたかも教育委員会が何といいますか、教員を監視するというか、そういう対立的な何か目で見合つて、鵜の目鷹の目で学校教育の非を睨んでおるというふうなことになるという前提でのお話であろうかと思います。そういう場合も絶無ではないと思います。これは非常に、相当に学校において激しい偏向教育が行われているというような場合には、これについて教育委員会が閥心を持ち、又それをそういうことのないようにするために働かなければならん。これはまあ私は当然であろうと思います。又ふだんでも人事権を持つておるのでありますから、学校先生の、いい先生はいい先生、余り思わしくない先生は思わしくない先生、そういうことは、教育委員会としてはこれは請求の問題でなくても関心を持つのは当然で、それでなくては適正な人事ということは行い得るはずがありません。ただ私どもがこういう制度を作りましたのは、作ろうとしておりますのは、そういう意味でなしに、逆に学園の静謐を、外部からいろいろ学校入り込んでいろいろする、そういうことをむしろこの請求を待つということによつてその点を維持したい。不必要に騒々しい影響を受けたくない。而もこれは学校先生が直接には対象ではありません。学校に対して外部から教唆扇動する、それに対してどうも、具体的にいうと学校教育しているところに外からいらんことを助言をやるとか、或いはけしかける者がおつて困る、学校先生も困るから、そういう側からいらん世話をやくのを一つやめてもらいたい、こういう立場であります。それからいやしくも、そういう該当する罪があると認めた場合には、学校の運営、教育の実際の面において大して影響もないのに、一々これを行為があつたからといつて必ず罰しなければならない、いわゆる必罰主義を取らなければならんというものでもないと思うのであります。そういう意味でこの教育委員会、ほかの一般の誰も告発し得るような状態ではなしに、或いは警察が見て、あそこに犯罪があるというので、すぐ出かけて行くというのではなしに、やはり学校の正常なる運営というものに責任を持ち、又立派な教育ということに常に関心を持つている教育委員会の判断によつて請求をさせる。そこで初めて司直の手が動くということは先生を擁護する立場であり、又学校教育を守る立場でありますから、その意味において私どもはその教育委員会に大いに鞭撻激励して、いやしくも妙なことをすれば皆請求しちまえ、妙なことということは学校先生じやありませんから、そういう気持じやなくして、逆にできるだけこういう法律があつて、学園が静謐に、外部から下らん呼びかけがあつて教育が平穏に行なえるということを期する意味でこの規定を設けたのでありまして、決して教育委員会というものを使つて先生と対立させるとか、そういう考え方ではないのであります。その点御了承を頂きたいと思います。
  92. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 お言葉の中にあることで、お考えを願つておきたいと思うのは、外部からいらないことをするとおつしやるのですが、いらないことの内容は、政党を支持し、反対するということ、これはよいことなので、そのこと自体としては、政党を支持し或いは反対する、例えば自由党を支持し、共産党に反対するのは、きつと大達さんもいいことだとお考えになつている。それは民主主義の市民としては政党を支持し、反対するということは美徳です。非常な美徳で、最高の美徳といつても差支えない。ですからいらないことをするのじやなくて、よいことをなさろうとなさるのです。ただそれが、教員の身分ということに関係してだけ問題が起つて来ることなんですから、いらないことをするというふうにお考えになりますと、世間ではあなたがやはり官僚的なお考えを持つておられて、それで独断的にこれがいいことだ、あれが悪いことだというふうな判定をされるような思想の持主じやないかというふうに疑われますから、その点は一つどうか、これはいらざることをするというお言葉は私は頂戴いたしません。で、その点はどうぞこの法律が重大な法律ですから、慎重にこれが否決されますにつけ、可決せられますにつけ、誤解がないようにして頂きたいと思うのですが、伺つております問題は、端的に申しますと、教育委員会の本務に反することであるということはお認めになつたようです。教育委員会の本務はそういうことではないのだ、けれども他面において、そういう問題が、誰でも危険を感ずるというのでなく、教育委員会が問題にして初めて問題になる。この方面で得るところがあると思うので、教育委員会の本務ではないけれども、そういう責任を負つてもらいたいというように考えているのに、そういう御説明のように思いますか、違いますか。
  93. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) ちよつと私の言葉が足りなかつたかも知れません。私は要らざることを側からいうということを申しましたのは、やはり私は要らざることを言うという意味で申したのです。というのは、どの政党がいいとか、或いはどの政党を支持するほうがいいとかということを呼びかけることは、これは無論今日当然なことでありましよう。正常な政治活動であると私は思います。でありますから、仮に学校先生に向つていわゆる政談演説をしても、又学校先生のほうも選挙演説を開きに出かけて行つても、これは何も差支えないことであろうと思います。私がいらざることと言うという意味は、この中立確保に関する法律案を前提としての意味でありますから、つまりそういう特定の政党をこれが一番いいんだ、これを支持せよ、こういうことを学校の子供に教える、その先生にそういうことを言うのじやなくて、先生に呼びかけるのではなくて、先生に、学校の子供にそういう教育をせよということを呼びかける、これは基本法八条の存する限り、つまり現行の教育法規の下においてはこれはもういらざるごとというか、むしろ甚だ反社会的なことであろう、こういうふうに思うのであります。その意味でありますから、その点は一応誤解のないように申上げておきます。  それから教育委員会の本務にこの請求権を認めたということは、本務に反するというふうに御了解になりましたようですが、そういう意味ではありません。教育委員会が一体どういうことを本務とし、どういう仕事をすべきかということは、これは法律によつてきまることであります。一般的には、無論大綱的に言えば教育基本法に基いて、そうして学校教育、或いは学校の管理運営、そういう面について立派な教育をすることに教育委員会としてやつて行く、こういうことであります。併し具体的に教育委員会の職務権限の内容というものは、これは法律によつてきまるのであります。法律がきまればそれが教育委員会の本務になる、こう思うのであります。そこでこの際請求権を、こういう種類の犯罪について教育委員会の請求に待つて罪を論ずる、つまりこういう場合に必要があれば請求をするというのが、若しこの法律が成立した場合にこれは教育委員会の仕事の一つになるわけであります。そうすればこれは教育委員会の権限として、いわゆる教育委員会の仕事といいますか、本務といいますか、仕事のうちに加わるのであります。法律にきめられたものが即ち権限の内容でありますから、これが特に別に加わわつて本務に反する、教育委員会の本務が何であるかということは、これは法律の規定に待つて初めてきまることであります。法律でかような規定がき交れば、これは教育委員会の職務権限の内容になるわけであります。これと同様なものが、例えば公正取引委員会ですか、私はよく知りませんが、それから独禁法に規定する不当な取引をしたような場合に、やはり公正取引委員会の請求に待つて罪を論ずるというふうに規定してあるように聞いております。この場合でも公正取引委員会は、独禁法の施行については一番重要な仕事をする関係を持つ委員会でありますから、その委員会にこの請求権を認める、その請求権を認める法律ができれば、これは即ちこの公正取引委員会の職務の内容になるわけであります。この場合におきましても、教育委員会の仕事の内容にこの法律が規定すればそうなるのでありまして、決してその本務に反するとか、別ものであるとかいうことにはならんと思つております。
  94. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 時間がないために簡単に伺りよりほか仕方がないので、非常に残念ですが、法制局長官は退席されたのですか…。それじや今の問題を保留しまして、人事院総裁から先ほどの点についてお答えを頂きたいと思いますが、先ほどの点と言いますのは、人事院のあり方について政府は変更を加えようとしておられるようです。そういう提案を議会に向つてなされておるようです。で、人事院が今日持つておられるところの独立性というものは、私は最小限度のものであろうと思います。これは基本的権利を制限して、その代りに人事院が持たれておるところの最小限度の独立性です、この最小限度の独立性を少しでも減らされるということがあるならば、私はその基本的人権の制限が緩和せられざるを得ないと思いますが、如何でしよう。
  95. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 大事な点でございます。今回国会提案されておりまする人事院の改組案、国家公務員法の一部を改正する法律案は、決して人事院が提案をしてかく立ち至つたものではございません。我々といたしましては、そのような提案をいたした覚えはないのであります。これは参議院の本会議でもさように申上げておつたつもりであります。ただ今回提案されたものによつて人事院の独立性がどうなつたか、これは現行法よりも独立性は若干低くなつたでございましよう。併しそれによつて独立性というものは全然なくなつちやつて、例えば公務員法百二条による人事院規則を運営して行く上において、もはや中立性が維持できないほど独立性がなくなつておると、私はさようには考えておらんのであります。従つて羽仁さんが申された現行法が最小の限度のものであるかどうか、その点はちよつと御所論と意見を異にしておると思いますが、この提案されたものによつて人事院がその中立性を維持できないほど独立性を剥奪されたかどうか、これは私はさように考えていないのでございます。
  96. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 佐藤長官に伺つておきたい。今ちよつとお留守中でしたが、人事院総裁最初におつしやつたのは、今国会提案された国家公務員法の改正は人事院の御意思によるものでないということが第一、それから第二に、それによつて人事院の独立は、今度のできる人事委員会というものによつてその独立性というものは減るものであるというお答えです。さつきのあなたのお答えと一致しておりません。それから第三は、それによつてあなたにお考えを願つておきたい。これは浅井さんじやない、あなたにお考えを願つておきたいのは、今のような形で国家公務員法の改正がなされました結果、喜ぶべき結果が出るかどうかというと、その国家公務員法を主として扱つておる人事院の意思にも基かず、そうして又人事院の独立性が減少する、そういう人事委員会において減るという形において国家公務員法が改められて来る結果は、私は必ずそこにそれは権利の制限である基本的人権の制限が拡がつたものと考えざるを得ない。そういうものへ持つてつてこの教育公務員というものを結びつけることが、あなたがお考えになつてうまく行くとお思いになりますか。
  97. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 浅井総裁がお答えしたのは、最初に私が大体においてというような妙な言葉を挿んでお答えしたのと同じだろうと思います。私の大体においてというのを、その次のお尋ねによつて分解いたしまして、第一点はこの組織そのもののあり方から来る独立性は全然変りはないと申上げてよかろうということを申上げ、第二に権限の実体において、これは今の給与の勧告その他が今まで国会に直接できるのか、内閣を通すような形になつたという意味では、その意味の変更はあるということを申上げたので、これをプラスすれば今の浅井総裁のお答えに結局合致すると考えております。私自身最初にそう申したのであります。それから今のような形で改正になつた場合にとおつしやいますけれども、これは先ほども触れましたように、政府人事院或いは人事委員会に対して指揮監督権が今度強く持つことになるかどうかという点、これはちつとも変りはございません。それから第二点としてその変形になりますけれども、例えば人事院規則について一々政府が承認をするとか、或いは政府から内容を指示するとかという点に現実的な問題があると思いますけれども、これも少しも変りはございません。さような点から言つて信頼すべき人事の中枢機関としてずつと存続するというふうに考えておるわけであります。
  98. 須藤五郎

    須藤五郎君 今本会議のベルが鳴つております。これはこの前の参議院の決議に対する政府答えが今日なされるということを聞いておるので、若しそうならば、この委員会を一時休憩にして本会議へ入りたいと思います。
  99. 郡祐一

    委員長代理(郡祐一君) 須藤君にお答え申上げますが、只今の本会議について、議運の理事会で委員会の続行を許しておりまするかどうかについて、文部委員剱木理事只今問合せに参つておりまするので、その間御続行を願つたら如何かと思いますが。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  100. 郡祐一

    委員長代理(郡祐一君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  101. 郡祐一

    委員長代理(郡祐一君) 速記を始めて下さい。本会議が開会いたされましたから、暫時休憩いたしまして、本会議終了後直ちに連合委員会を続行いたします。    午後二時三十二分休憩    ―――――・―――――    午後三時五十六分開会
  102. 川村松助

    委員長川村松助君) 連合委員会を再会いたします。
  103. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 これまで主として二点、第一には政治的理由に基き人の良心乃至良識に関係する問題について、刑罰を以て基本的人権を蹂躙するということが我が憲法の命ずる精神に鑑みて妥当なりや否や、従つてかかる立法が万一成立した場合に、裁判所が如何なる迷惑をこうむられるであろうか、殊にこの教育中立性確保せられるというところの法案などによつて出て来るところの教唆扇動のごときものは実体のないものであり、裁判所がこれの罪の疑いを受けられたかたを裁判によつて納得させることは著るしく困難であろうと思う。これらの点に関する私の質疑に対して、政府の御答弁は私を納得させることはできなかつたことを甚だ遺憾に思います。  第二に、公務員の制度の、日本公務員制度というものが民主化され、そうして能率を上げるという制度の上から、それにこの教育公務員というものを今提案されておるような法律案の形で結び付けるということは多大の弊害があろう、従つて人事院はこういう新らしい立法に対して恐らく自信はおありにならないだろう、これについても私の心配は払拭せられなかつたのであります。で、時間の関係がありますために、私としては総論的なことしか伺えないのでありますけれども、併し参議院に寄せられております世論の期待に応えて、是非これらの点について機会を与えられて、今少しく詳しく伺つておきたいと思うのです。  休憩前に引続いて伺つておきたいのは、この人事院に御相談もなく人事院のあり方を変えるということは余り民主的なやり方ではない。政府は最近そういうことをしばしばやつておられる。余談になるかも知れませんが、学術会議のあり方について、学術会議に相談しないでこれを変えようとしておる。学術会議から諮問を受けよと言われて初めて諮問するというようなこともある。そこで人事院の総裁に私の心配になる点を伺つておきたいのは、この国家公務員法によつて制限されておる政治活動の制限というものによつて教育公務員が制限を受けられるということにつきまして、人事院はそれがそれで結構だと人事院としてそれをお認めになつて、そうしてあと責任をおとりになることがおできになりますか。それとも何か御心配になる点はございませんか。その点を伺つておきます。
  104. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 国家公務員たる教育公務員につきましては現にやつておることでございますから、これはそのままであつて、今回の二法案によつて何ら影響を受けるところはないと考えております。問題は地方公務員たる教育公務員国家公務員の例によるということにあるのでございますからして、従つて地方公務員たる教育公務員にも公務員法百二条に基く人事院規則の十四の七という例の政治活動の規則か適用されることになるわけでございます。問題が新しいのはこの点であります。この点につきまして人事院といたしましては、若し国会の御意思がさようにきまれば、運営について支障なきを期するつもりでおります。
  105. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 ちよつとお考えの中に入れておいて頂きたいのは、地方公務員だけではなく、私立学校教員もいわゆる義務教育に関する限りは、国家公務員法の制限する政治活動の制限に服するということになるのじやないですか。それはなりませんか。
  106. 浅井清

    政府委員(浅井清君) それはないと思つておるのであります。これは文部大臣からお答えになることでございます。
  107. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 義務教育に関する教員は、やはり同じような適用を受けるのじやないでしようか。
  108. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 国家公務員である教員は、これはまあ初めから現状通りであります。それから地方公務員である教員、これを国家公務員並みにするというのが特例法でございます。でありますから、私立学校教員はこれは公務員でありませんから、従つてこの際はこの公務員の特例法の関係では除外されております。ただもう一つの法律のほうは、これは国、公、私立、すべての義務教育学校については、この対象になつております。
  109. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 私の質問が少し混乱しておりましたが、その第二の法案のほうのいわゆる教育中立確保するという、この教育の関係で以て公務員以外に、あらゆる義務敏育の関係する教員が政党を支持し、又は反対するという活動ですが、これは直接には国家公務員法による政治活動の制限とは関係がないように考えられているのですが、併しその基くところはやはり国家公務員法でそういう政治活動を制限しておるということと私は関連があるのじやないかと思うのです。それで国家公務員法による政治活動の制限というものが公務員のみならず、やがてすべての人の政治活動の制限に及ぶという悪影響があるのじやないかという議論を当時私はしたのですが、人事院総裁もお聞き取り下さつたことだろうと思う。つまり国民の或る部分の政治的自由の制限ということはやがて広くいろいろな国民に及ん行く、この点についての心配を抱いているのであります。この人事院総裁に伺つておきたいことは、今のそういう法律が通れば支障なきように実行できる、実行するという御努力をなさるでしようが、そうして今そういうお答えだつたのですか、地方公務員がこの政治活動の制限においてだけ国家公務員と同じように扱われる。その他の点においては地方公務員と同じように扱うということになるのですか。
  110. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 私の言葉が足りませんために、御了解が願えなかつたと思いますが、私の運営に支障なきを期するというのは、この百二条に基く人事院規則、この運営に支障なきを期するということでございまして、人事院といたしましては、所管事項としてはそれだけになるよりこれは制度上いたし方がないと考えます。    〔委員長退席、法務委員長郡祐一君着席〕
  111. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 この点について本法の立案者がいわゆる国家公務員法による政治活動の制限に準ずるというふうになさつたことについて、人事院とは十分にお話があつたように今の御答弁で伺うのですが、この人事院としては国家公務員法によるいわゆる公務員政治活動の制限が、この只今議題になつておりますような教育公務員特例法の改正によつてそういうところへ使われることですね。それについては私は問題があろうと思うのです。元来がそれは国家公務員政治活動の制限として作られたものですから、それを教育公務員にそのまま使う、まああなたが目をつぶつていらつしやればそれまでの話かも知れないのだが、そういうことがなされることですね。そうして国家公務員と地方公務員と、教育公務員との間にいろいろそういうような筋道がさまざまに入りみだれるということが、国家公務員法を担当しておられるあなたとして好ま上いことであるでしようか、どうでしようか。
  112. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 最初お答えを申上げますが、私はいわゆる教育法案がこのたび立案せられますについて、人事院が少しも相談を受けなかつたとは申したことはないのでありまして、これは文部省のほうから人事院に対して意見を求められ、そうして申上げた。ただこの法案を出すか出さんかというようなことは、これは文教政策に関する問題でございますから、私のほうからは何も申しません。ただ私ども考えましたことは、この政治活動人事院規則が、地方公務員たる教員がそれに乗つかつて来ました場合に支障なく運営できるかどうか、この点を考慮しただけでございます。
  113. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その点についてはなお心配があるのですが、時間がないからちよつと総裁にお願いしておきたいのは、丁度曾つて国立学校、国立大学教授その他について人事院がおとりになりましたように、この法の適用がいやしくもそれらの公立学校大学教授その他の活動を脅すことのないような万全の措置を十分に考えて頂きたいというふうにお願いしておきます。  それで、次に是非この際伺つておきたいと思いますのは、これは主として法制局長官お願いしたいと思うのでありますが、この教唆扇動の問題についてですが、犯罪の実体のない教唆扇動というものが今度新らしくできる。で、まあいろいろ瑣末な議論をすれば、今までにもそういうものが全くないのじやない、或いは似たようなものがあるという議論もなされるでございましようけれども、併し端的に申上げますが、この教育ということに関係して、そうしてこういうその行為自体は犯罪というものにはならない、ところが、それを扇動したという行為が犯罪となるということが、この刑法の確定せられたる観念というものにとつて有益であるか有害であるか、この点です。従つてこれが裁判所において、これに基いて紛争の処理が円満に行われるという確信がおありになりますか、どうでしようか、この点を伺つておきたい。
  114. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 実行者と教唆者と両方罰するということはオーソドクスか何かは別といたしまして、伝統的な形であつたことは事実であります。ただその場合にも、やはりその行為行為を捉えておのおの反社会性がなければ罰することはできないはずでありますからして、やはり二つの場面を分けて考えますれば、実行者の実行行為そのものに反社会性があり、教唆者の教唆行為そのものに反社会性があるから、両方を罰することになつているだろうと思います。従つて今度の場合には教唆者、扇動者を罰するという点についてはやはり切り離して、その教唆行為、扇動行為というものの反社会性を判定して行つて、これがあるということでありますからこそ処罰規定を置いたわけであります。それじや次に実行者の行為というものをなぜ罰しないか、これも反社会性があるのじやないかということは一応論理上成立つことであると思います。併しながらその場合の考慮の対象となるのは、もつと公益と法益との間の相互の調和というものも考えなければならない。その行為そのままを掴まえて、これは悪いことだから罰するという立場でいいのかどうかという点から考えてみますと、丁度公務員法のストライキの規制に違反したものに対する関係において、これをそそのかした人、これは処罰されることになつております。併しその扇動に応じておのおのの公務員がとつたストライキの行動については処罰いたしておりません。その場合にはやはりそそのかされてやつたという、まあ純真な気持であるものが、或る人の指導のために処罰されるという場面も出て来るから、まあ俗な言葉で言えば少し気の毒といいますか、酷になりわしないかという気持があつたことは事実であります。そういう頭から今度の中立性法案を見ますというと、確かにその教唆を受けて実行した教職員かたがた行為そのものには反社会性があるかも知れませんけれども、なお他のもう一つの大きな見地から、先ほど文部大臣のお言葉にもちよつと触れておりましたけれども、教場で行なつ行為というものが直ちに犯罪の問題になるということは、延いては教場で教職員かたがたのとられる態度というものに何か圧迫感といいますか、影響を受けやしないか、又それに関連して教壇での行動に対して訴追関係の手がいろいろな形で働いて、そこで教壇の静粛と申しますか、それが阻害されるというようなことは、又一面においてはどうしても考えられなければならないというような見地を考慮いたしまして、現実に実行された人を処罰を以て臨むということは如何であろうか。それは勿論別に、先ほどお言葉にもありましたように、行政処分なり何なりの対象にはなるわけでございますが、それを逃がしたからといつてそう落度にはならない。むしろ逃がすほうがよろしいのではないかというふうな角度から考えてみますというと、やはり総合して今の御提案申上げておる形が穏当じやないかという結論になつたわけでございます。
  115. 郡祐一

    委員長代理(郡祐一君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  116. 郡祐一

    委員長代理(郡祐一君) 速記を始めて。
  117. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 法制局長官に伺つておるのはその点じやないのです。その教唆、扇動を罰する場合に、その教唆、扇動の対象としてこの法律案考えておるものが、その教唆、扇動の事実として刑法上確定するつもりかという点を伺つておるのです。これは衆議院の本会議などで文部大臣お答えを伺つておりましても、つまり或る政党を支持し又は反対するに至らしめるに足るような、そういう教唆、扇動というこの文句の解釈ですね、それに自然の成行きで、つまり言葉の上で自由党を支持せよ、共産党を支持せよと言わなくても、その言葉の上手な言い廻しで以てそういうことになるものを処罰するというお答えをなさつていますが、こういうことが、つまりそれを教唆、扇動として刑法上罰する場合に、どこでそれが違法行為である、或いは違法行為でないかという線を引くことが著しく困難ではないかということを伺つておるのであります。ですからストライキの場合とか何とかいうものは、そこにストライキがあるのだし、それを扇動するということが、仮にそれが本行為を罰するか罰しないかという問題は別問題としても、教唆、扇動という概念がやや確定し得る線がありますけれども、今度の場合は、一つの政党を支持し又は反対するに至らしめるに足りるようなそういう教唆、扇動をやるというその教唆、扇動の概念が刑法上確定するかどうかということです。
  118. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 御引例の字句そのものは、私としては残念でありますけれども、衆議院で変りましたから、これ自身についてはお答えはいたしませんけれども、併しおつしやるところは、この法律の建前そのものとしてはやはり一つの批判として残るだろうと思います。而もよくわかります。わかりますが、根本はそういう教唆、扇動行為というものがいいことか悪いことかということを判断をして、それがやはり悪いことであるということになれば、それを処罰の客体にせざるを得ないという結論になる。そこで悪いことであるということはどういうことが悪いことであるかということを、法文の上で明らかにすべきじやないかということが御指摘の重点だろうと思うのです。ただ併し確かにおつしやるようなストライキのような場合は、ストライキというものがきまつていますから、これは大抵の場合にはつきりわかることだろうと思いますけれども、具体的に取上げられておる形の教唆、扇動というものは、実際はいろいろな形が出て来得るものでありまして、どうしてもこれは技術上の問題として書き現わさられない面を持つております。又選挙法の例を出して又叱られますけれども、選挙法を御覧になりましても、選挙の公正を害する行為というようなことが罰則の中に入つておるわけであります。これは恐らくやつぱり選挙の公正を害する行為というものはいろいろな態様があつて、如何に立法技術の粋を尽してもきめられないからであると思います。でありますからして、要するに技術者としては非常に面目ないお恥かしい次第ではございますけれども、人力を以て及び得ない事柄であつて、而もその範囲内でできるだけはつきりした形をとりたいという努力が、今の御引用になりましたような妙な文章になりました。これは私どものそういう方向に向つての努力の現われであつたということでせめてまあお読み取りを願いたいというわけでございます。
  119. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 時間がないので重ねて御答弁を伺えないのですが、要点はストライキの場合とか選挙法の場合と大分違うのです。つまり教育というものの性質から来るのであります。教育はやはり被教育者影響を与えなければその教育意味はございません。そこでその影響というものは非常にデリケートなものである。従つてそのデリケートなところにまで入つて、それが社会的によくないとかいいとかという世論批判を受けて是正されるならいいのですが、先生が刑法上の教唆、扇動になるものが整つて来ることが、この教唆、扇動そのことでなくても、私の場合いろいろな問題があり、人権の侵害になる慮れがありはしないかという点について、今おつしやるように人力の及ばないということは、技術上人力が及ばないのじやなくて、本質的に人力の及ばない点でしよう。本質的に人力の及ばない点にまで入つて刑罰を作つて行くということは神を無視するものであるという非難を受けることもあり得ることなんです。  それで最後に、今度は文部大臣に伺つておくのです。文部大臣はこういう法律ができることによつて教育界に人材を得ることができるとお考えになつているかどうか。いやしくも思想あり節操ありそして政治的情熱があるような、そういうものでなければ教育者として仰ぐに足るものじやないと私は思う。そういう人々が今後殖えるかそれとも反対に、教育については、政治については一切ものを言わない、そういう実に唾棄すべき無節操な、そうして何らの勇気のないそういう教員が殖えるとお考えになつておるか。従つてこの法律案が通ることによつて日本教育日本を幸福にする方向に向うか、それとも日本がどういう方向になるかいよいよわからなくなる。この点については、どうかあなたが本当の私の言葉尻などをおとりにならないで、あなたが本当に確信して、こういう法律案が通れば、教育界に人材がますます殖えて来るとお考えになつているか、それとも或いはその他の御心配がおありになるか、それを伺つておかなければならないと思うのです。  それで、以上を以て私の総括的な質問を終りますが、どうか委員長におかれても、問題の重要な点をお考え下さつて、決して私は無理はお願いしませんけれども、私が総括的な質問の中で、残念ながら時間がないために具体的に伺うことができなくて心配をしておる点がありますので、それらについて伺う機会を与えられるような考慮を頂きたいと思います。
  120. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 学校における政治教育、この場合にはいわゆる良識ある公民たるに必要な政治的教養を与える、こういう見地に基く教育がなされなければならない。この点は基本法において明確にしておるところであります。この法律はさような教育を推進すると、こういう見地に立つておるのであります。従つて先生がその意味で二法案の趣旨をよくお考え下すつて、そうしてそういう健全なる、つまり枠を踏み外さない限界というものを守つて、そうしてできるだけ活溌な政治教育を施すことにしてもらいたい、こういう考え方であります。この場合外部から若し相当な支配力を或いは影響力を以て、先生自身の良識、良心に基いて責任を以てなさるべきはずの教育というものか、外部の影響によつて支配されるということはこれは甚た遺憾でありますから、その点をそういう不当の支配が及はないようにしたいという見地であります。従つてその限りにおいて、つまり基本法の要求するところの教育というものかこれによつて確保せられることを希望しておるのでありまして、その意味において教職員が自主的な教育を活溌に行う、こういう考え方でありますから、私は人材ということがどういう意味でありますか、これはまあ考えようによると思いますが、決して教職員を無気力にして萎靡沈滞さして、そうして活溌な教育か行われなくなる、こういうふうには考えておらんのであります。  ただ非常に熱情的ないわゆる人材といいますか、これも考えようによりますが、人間として自分の信念をどうしても貫くのだ、或いは教育は無論公務であります。公務であるからして、やはり法律に定めておるその枠の中で国家の予期しておる限度において教育が行われるべきである。併しそれでは自分は満足しない。自分は自分のこれは人間社会を幸福にする最善の途であり、又将来の子弟をそう導かなければならん、こういう信念を持つて教育をする。それが公務であろうと何であろうと、これが一番いいのだ、こういうことを考える人は、これはその人としては尊敬すべき人であるかも知れん。或いは人材と言つていい人かも知れん。併しながら国の教育は、殊に公務員の身分を持つておる人が自分の考えだけでその公務を左右するということは、これは法律においてとめてあります。これはひとり教員だけではありませんけれども、如何に、これか最善と考えても、やはり公務員という枠で縛られておる限り、又法律によつて限界か定められておる限り、その限界を超えるということは、それは個人々々の場合には随分立派な信念的な人があるかも知れない。併しながら現行の制度に関する限りは、かようなことは教壇においては許されないことであります。その意味において、そういう人はあえて教壇を去るということが起るかも知れません。併しこれは私どもから言えば、つまりひとり法律があるからというのでなしに、飽くまでも教育というものは政治的な中立という限界を保ちつつ行われるべきものだとこういう考え方に立つ限りは、これは止むを得ない。そういう先生がいなくなつてもこれは止むを得ないし、更に進んでは、そういう先生日本の教室を自分だけの考えで左右せられるということは、極めて望ましからざることであると、こういうように考えております。
  121. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 私は一応質疑を打切るつもりだつたのですが、今のお答えの中に、やはり文相としても苦衷がおありになると思う。で、今のような点ですね、そこにこの法律案の一番最後の問題があると思うのです。つまり人としては尊敬すべき人である、ところがその人が教育公務員としては働いてもらうことができない、そこに一つ問題がございます。それから次に、そのかたにやめてもらうだけでなく、刑罰を科するということに問題があると思う。これ以上もうお気付きのことと思いますから伺いませんけれども、これは佐藤さんも人事院総裁もお聞き取り願いたいと思うのですが、つまり恐らく人としての最も大きな問題だろう。官吏として自分の身分或いは分限というものを守るということと、それから自分が人間としてなさなければならないということをしなければならないということとは、どつちにこの社会として、国家として重大な問題があるだろうか。過去の日本においてはその官吏の分限というほうを重く見て来たりであります。そうして又今日も或る程度までそういうふうに制限しなけれ保ならないことを私も認めますが、併しそれによつて、つまり官吏としての分限さえ守つていればいいのだという考え方が出て来たことが、この今日の日本の不幸の大きな原因でもある。従てそれをどこでして行くかということは、国家公務員法においてやはり止むを得ず制限はするが、併しその制限によつてその人の人としての良心、或いは人としての情熱というものまでも冷やしてしまうべきではないというお考えは、人事院総裁にも法制局長官にもおわかりだろうと思う。併しそこは非常にむずかしい問題ですが、どつちへ我々の立法者としての重点を置かなければならないかということは、どうか十分にお考えを頂きたいと思います。  なお、この教育委員会教育委員会の監督に属しない「何人も、」という、あらゆる人の行為について起訴をする、刑罰を請求するという関係から、どうしても教育委員会が警察権を用いなければならない。その刑罰を請求する場合に調査をする手段は全くございません。今教育委員会が一般の人に対して、その人が教職員を主たる団体とする団体を通じて、教員偏つた教育をなさせようとしておるかしていないかこいうことは、教育委員会といわゆる一般の市民とは何らの関係がないから、従つてどうしても独立にこの教育委員会がこの任務を遂行することができない。従つて教育委員会が絶えず警察権の力を借りて行かなければならないということが、いろいろな意味で或いは言論を抑圧することになり、或いは教育委員会の本務を逸脱することになり、さまざまの疑問があり得ると思うのですが、これらの点については他の委員からの御質疑の際に、どうか政府は我々の心配としておるところを納得の行くように御説明を願いたいと思います。
  122. 亀田得治

    亀田得治君 私は両法案につきまして、時間の点等も考えまして三つの点に要約してお尋ねしたいと思います。その一つは、この両法案に違反する事態が起きた場合に行われる調査、捜査或いは裁判、こういつたような関係の点、それからもう一つは、その結果処罰されるわけですが、その処罰の関係、この二つに重点を置いてお尋ねしたいのですが、その前提といたしまして、主として中立確保に関する法律案の中で非常に不明確な概念がございます。これらの点について先ずお伺いをしておきたい。  その第一は、中立確保法律案の第三条、即ち衆議院で修正をされました第三条の第一項の終りのほうに、「特定の政党を支持させ、又はこれに反対させるための」、こういう言葉が入つて来ております。これは恐らく原案の第三条第二項を削除する代りに、これが入れられたものと考えるのでありますが、その実質的な内容は第二項とどういう関連においてこれが取換えられたか、この点一つ先ず御説明を受けたい。
  123. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 第三条の第一項、つまり政府原案による場合でありますが、「特定の政党を支持させ、又は反対させる教育」、こういう字句が使つてあつたのであります。これはもともと、これは申上げるまでもないのでありますが、教育基本法の八条に書いてありますその趣旨をできるだけ正確に書きました。そうして基本法の趣旨が保たれるようにしたいということがもともとの本旨でありますので、三条の一項には最も鮮明なものとして「支持させ、又は反対させる教育」、こういうふうな字句を使用したのであります。ただこの場合におきまして、この「支持させ、又は反対させる教育」というのは、これは人によつてやはりそこに解釈の上に意見の違いが起る。つまり「特定の政党」とありますから、自由党であるとか、社会党であるとか、共産党であるとか、そういうふうなはつきりした名前をそこへ出して、そうしてそれを支持せよ、それに反対せよ、こういう意味教育と、極めて狭義に限定して解釈をする、こういう見地に立つこともできましよう。又実質において特定の政党を支持させ又は反対させるような教育であれば、やはりそういうものも包含するというような解釈の余地もある、解釈も成り立つと思うのであります。先日の文部委員会における公聴会におきましても、牧野英一博士は、「ための」とあつても「支持させる」だけに書いた場合でも自分は同じと思うと、こういうような見解を漏らしておられました。ただその間に人によつて解釈の上に疑義を生ずるというふうに考えましたので、そこで第二項の規定を設けまして、そうしてこの支持させるに至らしめるに足りる教育というものも含むんだと、こういう解釈的規定を第二項として設けたのでございます。つまり第一項の支持させる又は反対させる教育、この観念は動かさない。その観念のうちには直接に政党の名前をはつきり打出さなくても、そこに至らしめるような教育を含むんだという念のためと申しますか、解釈的の規定を第二項として掲げたのでございます。それが衆議院において二項が削られまして、そうして「ための」という字が人つたのであります。この「ための」という字句でありますが、これは教育基本法の八条の二項には同様な字句を使用しておるのであります。従つて教育基本法八条第二項の趣旨に合致する修正であると私ども考えております。そうして原案の第一項だけでなしに、第一項を、多少人によつて違いますけれども、第二項をも含めて解釈する場合、つまり第二項がそのまま存続する場合をもこれによつて含んでおる、「ための」という字によつて含んでおる、こういうふうに解釈をしております。
  124. 亀田得治

    亀田得治君 そういたしますと、この第二項は削除され、第一項に「ための」か加わりましたけれども、実質的には原案と変りない、こういうふうに承わつてよろしいですか。
  125. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは衆議院において修正された意味は、これは修正者に聞かなければわかりません。私どもとしては、只今言われましたように「ための」という字によつて、第二項の場合も包含されると、こういうふうに解釈しておるのであります。
  126. 亀田得治

    亀田得治君 これは修正をされた修正者は、その点についてはどのように御説明になつておるでしようか。これは大臣としても、あなたが原案を出されて、そうしてそれが修正されたわけですから、修正者はどういう考えであるかわからんじや、これは済まないと思うのですか、非常に大事な点ですから……。
  127. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは衆議院におきまして、この修正をされた当の修正案を提出せられました代表のかたが衆議院の委員会において答弁をしておられます。又私の見解もその席で聞かれたのです。只今申上げたような趣旨であります。
  128. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると両者の見解が一致しておるように考えるのですが、若しもそういうことでありますれば、特に第二項を削除して、第二項に「ための」を入れる、こういうことは必要がないのじやないかと思います。第二項のほうが事柄を分けて書いてあるのですから、非常にやはりまあどちらも不明確なんですが、不明確のうちにも比較的第二項のほうがわかりがいいのじやないか、一般の人から見てですよ。この第一項に「ための」という三字が加わつた、この三字の中に第二項のようなものも含まつておるのだ、これは相当註釈をしないとその通りには必ずしも解釈をしてくれぬだろうと思う。だからですね、若しそういうふうに同じものだというのであれは、この改正された意味というものがよくわからないのですな。大臣はこの改正にも同意されておるというのですが、どういう意味でこれは同意されておるのですか。
  129. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 元来が第二項の場合も、第一項の規定には包合されておるという見解をとつておるのであります。原案がただその間疑義の余地なからしむるために、第二項において次のようなものも包含をする、これは別の問題ではなくて第一項の観念のうちにはこれも入つておるのだというのが原案であります。そうしてこれはまあどつちがわかりやすいかということになると、これは人によつて又解釈の違い、読む人によつて違うわけであります。亀田さんのような専門の人が見ると、このほうが正確であるということになるかと思います。衆議院で修正をされましたときの衆議院のときは、文部委員会における修正の提案者である議員の説明によりますと、こういうことが書いてあります。「第二に、本法の中心たる第三条に関する修正でありますが、特に第二項はその表現が極めて難解である、実際の内容におきましても誤りの恐れもございますので、これを第一項に取まとめて明らかにした次第でございます。」、これによりますと、先ほど申上げたように、むしろこれは素人には難解の規定である、支持するに至らしめるに足りる教育、こういう言葉は非常に難解である。それよりも「ための」という字を使つたほうがわかりいい。少くともこういう考え方で修正されたものである、こういうふうに私は考えております。
  130. 亀田得治

    亀田得治君 これは原案が「至らしめるに足りる」という少し日本語としてはどうかと思われるような言葉があつたから非常に不明確になつたんだと思うのです。不明確のような印象、私は特定の政党を支持し、又はこれに反対するような教育も含むようなと平たく、やれば少しも問題にならなかつたと思う。「至らしめるに足りる」と、こういうふうな字句がむしろ問題になつて、議論がそういうふうに発展したんだと思います。併しまあこれはこの程度にこの問題はしておきますが、併し、更にお聞きしたいのは、まあ「ための」でもよろしいか、この「ための」という内容ですね。「ための」の内容、これはですね、特定の政党を支持し又はこれに反対させるような結果が出て来るようなもの、そういうことに因果関係のあるものは全部含むのだ、こういうことになりますとこれは無限に拡がつて行くわけですね。又この条文を掌る人によつても、これは非常にむずかしい問題になつて来る。それは最後には教育委員会なり、それは裁判所が判断するのだとこういうふうにおつしやるかも知れんが、それはもう少しあとの議論であつて、立法者自身はどういうふうにこの限界というものを考えておるのか。この点を具体的にお答えを願いたい。先ほど佐藤長官は、まあともかく人間の業としてはこの程度しか書きようがないと、こうおつしやるわけですが、必ずしもそうではないと思う。簡単な条文にまとめようとするからこういうことにもなる。これを具体的に分けて行けばもつと明確な書き方もございます。お前作つてみろと言われれば作れんこともない。だからそういうものなんですから、これしか仕方がないのだということでは済まされない。ともかくこういう原案が出ておるのですから、この「ための」ということの内容ですね、どういうところに一体標準を置いておるのか。具体的に個々に判断するのだといつても、個々の判断の基準を結局はこれは何らかお考えになつておられると思いますから、先ずその点お答えを願いたい。
  131. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この「ための」という字は、成るほど解釈のしようによつては広くもなれば狭くもなると思います。でありますからして、結局問題は立法の精神に従つてこれを解釈するということに落着かざるを得んと、刑罰を以て臨むこの法律は仮に私といたしましても、教育基本法の八条に同様の「ための教育」ということを同じ表現がしてあります。これについても私どもはできるだけこれを狭く解釈をすべきものである、かように考えております。それは良識ある公務員たるに必要なる政治的教養を与えるということは、やはり政治に関するいろいろの知識を子供に与えなければならない。これを何も言わぬということでは、何も政治的教養は養われないのであります。でありますから非常に、この「ための」という字を広く解釈して、例えば社会主義の、これは子供の発達段階によることでありますから、まあいろいろ具体的な場合が、いろいろな程度があろうと思いますが、仮に社会主義の話をするということが、これは勿論政治的な知識を与えるという点から見て必要であろうと思います。そこで、それを言えば、すぐ社会主義政党を支持させるためのものである、こういうようには私ども考えておらん。それはやはり、この豊かな政治的教養を与えるというこの法律の大精神から見て、この「ための」という字句を広く解釈をして、いやしくも現実の政党に多少でも関係するような政治立場、或いは政治意見、或いは政策というものに少しも触れてはならないのだというように考えておりませんので、ただ政策に触れたからといつて、例えば自由党の何か考えておることをそこで話をして聞かせたからといつて、すぐに人が、それじや私は自由党になる、こういうものではありません。どうしてもやはり自由党なり、社会党なり、共産党なり、そういうものを自然どうしても支持するようにするという教育でありますから、これは当然に拡張して解釈すべきものではないので、厳格に解釈すべきものである。これは教育基本法の立法の精神から見て明瞭だ。殊に第一項の規定と対照する場合において明瞭であると思います。そこで、この基本法の八条の二項というものを確保する意味で、今度の法律案ができておる。この場合には、少くとも基本法の八条の二項を解釈する以上に拡張解釈は許すべからざることは、これは立法の趣旨からいつて極めて明瞭である。殊にこの場合の、さような教育を教唆、扇動することに対して、罰則を以て臨んでおるのであります。罰則を以て臨んでおりますから、特に罰則を以て臨む法規の解釈が、いやしくも拡張解釈の許さるべからざることは当然であります。できるだけ厳格に拡がつた解釈はしない。この基本法の教育というものは立法上の趣旨からいつても、又この法律案の罰則を以てこれに臨んでおるという点から見ても、私は拡張した解釈は許さるべきものではない、かように考えております。恐らくはこれが裁判所の問題になりましても、裁判所も同様な見解をとられることであろう。少くとも私どもが行政的に文部省の仕事を進めて行く場合には、八条の二項については、さような解釈の下に進みたいと思うのであります。  そこで具体的に申上げますと、特定の政党を直ちに教育と結び付けて、そうしてこれがいい。この政党でなければだめた。ほかのものはだめだ。これを支持しなければいかん。こういうことを言うのは当然問題はありません。併し、子供の教育というものは、小さい子供から大きな子供までおるのでありますから、いろいろの段階において、いろいろの話し方がせられる。その場合教育が、もともとのこの立法の、法律目的とするところは、政治的教養は豊かに与えられなければならない。併しそれが一方に極度に偏してはいけない。これは政治的の教養というものを逆にゆがめる結果になる、こういうことでございます。仮に政党の名前を挙げなくとも、特定の政党、現実の特定の政党を支持せざるを得ないようなつまり素地を与える、先入感を植付ける、これは教育のことでありますから二月、三月の問題ではありません。だんだんと子供にそういうふうな先入感を与え、素地を植付ける。結局子供は自分ではわからんけれども、否応なしに子供を特定政党に持つて行くような、そういう教育というふうに私どもは解釈しております。ただ具体的な政策或いは具体的な政治的な思慮、それに言及したからといつて、それがすぐこれに当るものではないことは勿論であります。特定の政党に子供の頭を結び付けるようなそういう教育、そういう意味において私どもは解釈をしております。
  132. 亀田得治

    亀田得治君 大分はつきりしたようで、なかなかはつきりしませんが、この「ための」を非常に狭く解釈する、これは私、当然だと思うのです。ただ教育基本法の八条の二項の場合には、こういう罰則の問題まではまだ出ておらない。これが罰則か出て来て、同じ言葉が出て来るから、非常に問題になるわけなんです。だからこれは、言葉は教育基本法第八条第三項で、すでに使つているのだから、それと同じなんだと、それではちよつと問題の掘下げ方が足らないわけですね。教育基本法の場合にはそれほど、現在ほど真剣にはこれは考えられておらんはずなんです。大体これは行政的な問題ですから、だからそこであなたが今狭くこれを解釈すると、それはいいのですが、ところがそれに引続いて、いろいろな政策等の話をして、最後には一つの政党を支持する、そういうような気持になるような教育、これはいけないのだ、こういうふうにおつしやる。そうなると狭く解釈することと、非常に私矛盾すると思う。そういう考え方であつては、結局は矛盾して来ることと思う。だからその狭く解釈するということが、ちつともその狭い解釈にならんと思うのですね。そこで一つ例を申上げてみたいのですが、例えば今学校の教師は、現在の平和憲法、勿論これに基いて教育しているわけですね。そうしてこれを、やはり最高のものとして教育をしているわけです。憲法自身もこのことを明示しているわけですね。従つてこれを改正するというような議論に対しては、これは当然反対的でしよう、現在の平和憲法を一番いいと考えているのだから。で、これを皆が協力して育てて行くようにしなければならんと、義務規定まで憲法に置かれているわけなんです。で、教師かそのことのために熱意をこめてしやべつている、これは当然なんですね。ちよつと今大臣が頭をかしげられましたが、どうなんですか。それはちよつと疑問があるんですか。じやちよつと先へ続ける前に、そういう教師の行為が悪いというふうにお考えになるのでしたら、この話の仕方を又変えなければなりませんが、その点だけちよつと先に承わりましよう。
  133. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 憲法の趣旨の話をして、そうしてこれを説明をし、この憲法を守つて行かなければならん、こういう教育をすることは私は無論差支えない。これは勿論問題になりようはありません。ただ今のお言葉に、ちよつと首をかしげたとか何とかおつしやるが、私は先ほどから申上げたのでありますが、例えば基本法の八条の二項にいうような中立というものは、一体教育の場合においては徹底した考え方じやないのだ、それだからああいう規定は要らないのだというのも、これは一つの議論です。だからしてそれは、学校の子供にそういうことを教えては困ります。やはり基本法のある限りは困ります。そういう教育をしちやならんと、こう書いてありますから、ならんという法律があるのに、そういう教育をすることは困りますけれども、一般の議論としては、そういうことはあり得ると私は思います。あり得ると……。それまで言つちやいけない、それじや世の中の学問や思想の進歩もない。法律の枠内でしかものは言えない。枠内で言論、思想が抑えられるということじやいけないと思う。これは私の考えです。  そこで憲法の場合に、憲法を改正するということは、これは憲法自身の予定していることであります。憲法には改正の場合の手続をあらかじめ書いてある。だからして現在の憲法をそのまま残しておいて、その憲法の範囲内において我々の生活というものは規制されなければならないけれども、残しておいて違反するようなことをやるとこれはいけますまい。併し憲法自身がもつと改正せられなければならんという言論が行われることは、これは私は何も憲法を破壊するものでも何でもない、これはすべての場合においてそうである。ひとり憲法に限らず、すべて政治上の論争というものは大体において制度の改廃というものを前提にしている。だから現行の法律がこうであるから、それだからその改廃を論じ、改正を論じちやいけないという理窟は成り立たないと思う。これは余り余談のことを申上げて恐縮ですが、私は憲法を改正するようなことを言うてはならん、これは飽くまでも守つて行かなければならん、改正なんかしちやいかんということを仮に先生が言つても、それがすぐ特定政党云々にかかるということはありませんが、私はそういう教育学校でなされるということは少くとも私は望ましくないと思います。これは憲法とは限りません。法律というものはたくさんありますから、その法律はどうしてもこれが大事で、例えば三本建なら三本建というのもこれは法律なんだから、これに反対しちやいかん、これを改正しちやいかんというような、一体これは言う必要ないことなんです、学校教育の中で……。ですからそれを私は今の偏向教育とか何とかいう意味でなしに、お話を聞いておつてちよつと私は不審に感じたからちよつと首をかしげたというたけのことでありまして、これは本論には関係ありません。
  134. 亀田得治

    亀田得治君 私が改正という言葉を挾んだのが或いはそういう首をかしげられた理由のようですが、私は現在の憲法では、例えば第九条というようなのは、この憲法の基本なんだから、改正権それ自身についても相当程度制約されたものである、こう思うのですが、併しまあその問題はこれは意見が分れますから触れんでもよろしい。従つて改正じやなしに、ともかく現行平和憲法があると、これが改正されるまではもうこれを後生大事にこの精神に立つて、こう先生がいつもものを言つたり行動して行つて、これは差支えないことじやなしに、これはもうむしろそうすることが当然なんでしよう。これはいいですね。その点はどうですか。改正じやないです。
  135. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 現行法の説明をするということは勿論差支えもなし、又当然なことであります。併し現行法規を、現行の制度を子供に、まあこれは子供といつても相手はいろいろありますから、年の進んだ生徒に対しては又場合によつて違いましよう。私は現行制度というものを、これはまあ憲法というから角が立つので、すべて現行の法律制度というものを護持して、これを子供に強調するということは、教育の上からいつて私は必ずしも望ましいことであるとは思いません。併しこれは憲法を守つて行かなければならん、又そういうことを言うこと自身は何にも偏向教育とか一方に偏するということには、それだけではならんと思います。それだけではならんと思いますが、併し教育というものは現行の法律制度の枠の中でその法律制度を讃美するのが教育だというふうには私は考えておりません。
  136. 亀田得治

    亀田得治君 これは重大な問題ですよ。憲法を強調することが必ずしも、必ずしもという言葉を入れられたのですが、望ましいことではない、そういうふうにおつしやるのですか。
  137. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は制度一般について申上げたのであります。憲法は法律の中の基本的なものであり、国のよつて立つ基本でありますから、その精神が子供に対して高調せられる、これは私は問題はないと思うのであります。これが悪いなんということは申上げません。ただ一般的に、あなたは現在の制度であるからということに一つの根拠を認めておられるようでありますが、私は現在の制度であるからそういう教育をなすべきものである、こういう考え方はしていないということを申上げた、若しそういう教育ばかりが行われるということになれは、社会の進歩は現行の制度の上には出ることができないと思います。
  138. 亀田得治

    亀田得治君 そういたしますと現行制度をどれだけ批判して言つてもいい、こういうことに逆になりますよ。吉田内閣が何かやろうとする、従つてそれに対する批判も自由ということになつて来ますよ、その点どうなりますか。
  139. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は学校教育が現行の制度を中心としてなされるのではなくて、むしろ学校教育というものは教育として人間の政治的教養を高めるための教育でなければならんと思います。現行の制度とか法律とかいうものを中心にして、それがいいとか悪いとか、これはそういうことを言つても差支えありませんでしよう。先ほどから申上げたように、それだけで基本法の八条にいう特定政党云々という問題にはなりません。ただ私が首を横に振つたとかいうことから因になつて、そういう話になりましたから申上げたのでありまして、私は現行の法律というものが教育上の、そういう教育の本質から見て政治的な思想とか、政治的な主義とか、そういうものこそ取上げられるべきであつて、現行法がこうであるが、どうであるかということが教育の一つの大きな基本的な基準になるとは思つておりません。
  140. 亀田得治

    亀田得治君 これは憲法の場合には相当考え方が違うべきなんじやないですか。いろいろな枝葉末節の法規なんかを私言つているのではないので、これはやはり現在の制度の基本ですからね。これを先生が強調するのは差支えないじやなしに、強調すべきなんじやないですか。どうもこれは問題がたくさん横へ出て来ましたが、その考え方が非常におかしいと思う。さつきからそういうことも差支えない、差支えないというようなことを言つているのですか、およそ憲法なんかの場合には、これはあなた現行制度の下における教師でしよう、国家公務員でしようが……。さつきから盛んに羽仁さんの質問に対して公務員としての心得をお説きになつておるその公務員が憲法を強調する、これは私最も必要なことだと思う。差支えないどころじやない。それをせんのがいたら、それこそ人事院のほうで少し問題にしてもらわなければならん。それくらいに私思うのですか、どうも基本的な観念というものがちよつとおかしいと思う。憲法というものはそんなものじやないでしよう。ただ単に、それだけに教育がとどまるんじやないですよ。それはあなたのおつしやるように、この現行制度以外のことについてもいろいろ基本的な教養を教えている、これは当然必要なんです。併し、だからといつて、そういう現行憲法に対してそんな何といいますか、ぞんざいな態度をおとりになることは私間違いだと思いますが、如何でしよう。
  141. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は決して現行憲法を粗末にするとか、ぞんざいな態度をとる、こういうことは一つもありません。又憲法に限らず国の、国民の意思によつて定められた制度秩序というものは、これはこれを馬鹿にしたり、ぞんざいに考えたのでは国家生活というものは成立ちません。でありますからして、殊に憲法のごときものが、これが非常に大切なものであることは申上げるまでもない。だからしてその憲法の趣旨を説明をして、そうしてそれをよく子供にわからせる、これは大切なことでありましよう。差支えないと言つたのはそういう意味であります。併しこの憲法しか世の中に真理はないのだ、政治上の形態、その他すべて思想というものはこの憲法に集約せられておつて、この憲法がいわゆる最善最美なものであつて、絶対にこれに手をつけてはならん、ここまで来れば私はそういうふうなことは少くとも望ましい教育とは思いません。それは現代の人々が、我々日本人が我々の考え方で、そうして今日の考え方の下にこしらえたその制度というものをいわゆる不磨の大典として今後の我々の後継者になる国民、人々というものを束縛するということには私は決してならんと思う。やはり次の時代でもつといい憲法を作るということになつて、それが国民全体の総意であれば、それを今抑えてさせないという考え方教育は私は間違つておると思います。決して憲法を軽視するとか、そういうことではありません。これは私は当然だと思います。教育というものは私はそういうものだと思う。国の公務員は、これは憲法に限りません、あらゆる国の制度に従つて公務を執行する、その制度の枠を外れてならんということは当然であります。併しながら教育というものは、教育の内容までそのときの制度、そのときの政府のすることを説明するという立場をとるべきものじやない、かような意味で私は申上げたんであります。誤解のないようにして頂きたいと思います。
  142. 亀田得治

    亀田得治君 それは結局あなたたちのほうがこの憲法を改正しようというような考え方がどこかにやはりあるんですよ。あるからそういう考え方が出て来る。恐らくそういう考え方がなければ、この憲法を大いに慫慂しておる人がいたら、それに対して少しもこんな文句は言われないだろうと思う。そんないろいろ現行法の説明はされてもよろしいというような消極的なことでなしに、大いに一つ力を入れて説明をしてくれ、私はこういうふうにおつしやるだろうと思う。併しこれは大分問題か少し横へ行つておりますので……。私の議論をちよつと進める前に、羽仁さんからその点の何があるそうですから……。
  143. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 今の点について一言だけ伺つておきたいんですが、そうしますと、文部大臣のお考えでは、現在小学校において、先生が現在の憲法を十分に尊重して説明し、併しその他面日本は共和制に行くほうがいいかも知れないというような議論があるということを教えるということをあなたは望ましいとお考えになつているんですね。
  144. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私の申上げ方が足りなかつたかも知れません。私は現在の憲法の趣旨を子供に説明をする、これは非常に結構なことであると思います。併しながらこれ以上の制度はないんだから、絶対にこれを変えてはいけないんだということは、私は行適ぎである、少くとも教育者のとるべき態度じやない、こういうふうに思つておるんです。そこで今の、何でしたかね……。
  145. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 共和制……。
  146. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) そういう現在の憲法を批判して、この憲法はいけない、つまり改正上の意見を述べて、こういう憲法は望ましくないから、それでこういうのがいいんだ、こういうことは私はやめてもらいたいと思います。そういうことは、現在の制度というものを、趣旨のあるところをつぶさに説明をする、子供によくわからせる、憲法の精神を、趣旨を体得させる、これは極めて大事なことであります。この憲法ではいけないんだ、或いは又将来とも憲法は絶対にこれがいいんだ、ここまで行けば、この特定政党云々ということは別として、私はそういう教育は私自身としては余り好ましい教育だとは思いません。  それから亀田君が改正意見を私が持つているから、だからそういうことを言うのだろうということを言われますが、私自身が仮にどのような考えを憲法に対して持つているといたしましても、私が改正したほうがいいと仮に思つても、私がそういうことを考えるからそういう見解をとるということはありません。私は私自身の考えによつて日本教育を動かそうとか、私自身改正をしたほうがいいという考えであるから、そういう教育をやつちや悪いとかいいとかというようなことを言う、そういうことを言われては甚だ私は迷惑なんです。全くこれはそういう意味では絶対ありません。
  147. 亀田得治

    亀田得治君 いろいろこう質疑をしておりますと、大分現行憲法のほうへの比重が高まつて来たと思うのです、大臣の最初の言葉よりも……。で、結局現行憲法とそれに対するまあ右左両方の一つの改正意見というものがある。これは程度の問題なんだ。どの程度取扱つていいかという……。やはり常識的に先ほどからの質疑をずつと総合すると、まあ七分、三分くらいにこちらは感ずるのだね、公平に見て……。五分、五分というわけには行かない。やはりどの程度いろいろな憲法問題について述べるかと言えば、やはり七割程度は現行憲法に重点をおかんと、これはどうも国家公務員としての取扱を受ける教員としては不適当、そういうふうな感じがしますが、どうですか、そういう点……。
  148. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は初めから同じつもりでその憲法に関する教育ということを申上げておりました。(「だんだん違つて来ましたよ」と呼ぶ者あり)どうもどういうなんでしたか、ちよつと聞取りかねたのですが、これは憲法のただ具体の問題について言いますと、今日平和教育とか平和憲法の教育というものを盛んに言われております。成るほどこれは憲法の基本がどこにあるかという点については、民主主義であり或いは平和国家の建設である、文化社会の建設であるというようなことが、この憲法の基本的なつまり思想的な基盤であると思います。併し個々の具体の政策として、或いは具体の政治形態というものが憲法の中に書いてある。憲法の基底をなす思想は民主主義であり平和を願うことであり、文化国家の建設である。これは争うべからざることだと思います。併し憲法は日本政治形態はこういうふうにきめる、それからこの問題についてはこういう政策をとるということをずつと書いてあります。又政府の行政組織はこうでなければならない、政府の組織はこうだ、これは思想の問題でありません。憲法の基盤をなすところの思想とはおのずから違うと思います。これは今日の憲法が将来においてもこの民主主義、平和主義、或いは又文化主義、この基盤が将来揺ぐということは私自身は想像ができません。これは日本人が非常に悪魔にでも憑かれればどうか知りませんが、そういうことは想像したくない。併し憲法に謳われている政治上の政策とか、或いは政治形態とか、或いは国としての方針とか、具体の問題についてはこれは将来は変るかも知れない。変る可能性はあると私は思う。これが不磨の大典とは思いません。これはまあ私の意見でありますが。その場合に今日の憲法の第九条を以て憲法の真髄である、成るほど第九条は憲法の基本的な考え方である。平和国家の建設、平和社会を作る、この考え方から現れて来た一つの政策といいますか、政策上の基本方針であるには間違いない。併しそれだからして、第九条の趣旨をわからせる、これはもう非常に結構です。又いやしくもこれに反対するようなことを言う者は教室においてもこれを撃破する、ここまではまだいいと思います。併しそれだけで平和教育、平和憲法の教育ということは私は考えられない。一連のいろいろなことを言うてあるところだけを非常に強く言うて、それから同じ憲法の第一条に、天皇は国民の親和の象徴として、親和の中心であられる、こういう点に来ると皇室誹謗なことを言つて憚らない、意図的に……。だから私は第九条の精神を高調することを悪いとは言いません。併しそれが一定の方向をとつた一連の教育である場合には、これは私は問題が起り得る。だから一つ一つを取上げて、こういう教育はしていいか悪いか。或いは又基本法に違反すると思うか思わんかと言われましても、私は一方に偏つた支持させ、又は反対させる教育というようなものは、そう一つ言つたからといつて、これがどうだというものではないというふうに思つております。やはり教育というものはそういうものだというふうに私は思つております。
  149. 亀田得治

    亀田得治君 大分はつきりして来ましたが、私も教師が憲法を非常に重要なものとして教えなければならないというのは、これは九条だけじやない。これは、第一条から全文に亘つて、あなたが今おつしやつたような立場で言つているのです。たから、そういう立場でやることは、ともかく、先ほど例えて申上げたわけですが、いろいろなことをしやべるとしたら、ともかく七割程度は重点を置いてこれはやるべきなんです、現行制度がこれなんですから。そこで、次にお尋ねするのは、そういうふうに憲法を熱心に教えて行きますと、これは当然現在憲法問題について各政党の政策が出ております。このうちで、やはりどうしても左派社会党とか、そういう特定政党を支持するように子供がなるのです。自然になります、これは。特にそういう意図がなくても、で、この場合には、私は「ための」、これには入らないと思うのですが、文部大臣どうお考えになるのですか。
  150. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 再軍備をすることは書法の趣旨に反する、これはもう憲法九条の存置する限り、憲法の趣旨に反することは明瞭であります。再軍備というか、戦力を放棄するということはもう間違いない。そのことを聞かせるということは、これは無論差支えないというか、望ましいというか、とにかくこれは問題になるべき筋合いではありません。で、その結果、子供が大きくなつて、大きくなつてですね、それが頭へ残つてつて、社会党を支持することになるかも知れない。これも当り前のことだと思います。なつてもそれをかれこれ文句を言う筋合いではない。私は、教育それ自身が、客観的に見て、その与えられた教育が、子供の頭をいや応なしに特殊の政党に結び付けるような教育をするということがいわゆる「ための教育」、こういうふうに考えております。そういう教育は排斥せられなければならない。子供が考えて、又は大人の場合でも同じでありますが、再軍備をすることはよくないということを言つたからといつて、大人の場合で言えば成るほど、そのほうが賛成だ、こう言つたつてすぐ社会党へ入る、こういうものじや私はないと思います。すぐ自由党から脱党して、よそへ行く……、これは、個々の政党というものは、それぞれよつて立つところの、何といいますか、政治上の主義という基盤もありますし、その政党を顕著に特徴付けるものもあります。いろいろありますから、だから再軍備に賛成、反対ということで、国民が簡単に、いやこの政党へ入る、あの政党を出る、こういうことには私はならないと思います。だから、そういう教育自体にですよ、そういういや応なしにそこへ引張りつけて行くという客観性を持たない限り、その教育を受けた子供が大きくなつて、それが頭に残つてつて、社会党に行きましても、それは勿論一方に偏した教育とは私は言えないと思います。無論先生政治的なことをいろいろ教えて聞かせれば、それは子供の政治的教養となり、又長じての判断力の基礎になるのでありますから、それが、先生の言われたことというようなものがいろいろ影響して、将来その子供が大きくなつて、自分の判断で政党を選ぶ、或いは自分の向うべき政治の道を選ぶ、これは当然にあるべきことであり、又そうなければならん。私が言うのは、与えられる教育が客観的に見ていや応なしに社会党左派へ行かざるを得んような教育をする、それがいけないと言うのであります。いや応なしに自由党でなければほかへ行きようがないような教育をすることがいけない、こういうことであります。
  151. 亀田得治

    亀田得治君 平たく憲法を説明して、自然に左派社会党なら左派社会党を支持する、そういうことになることは少しも差支えない。ただいや応なしにそこへ持つて行くようなやつはいかんのだ、こういうわけですね。その区別は一体どういうところなんです。これは非常に大事なことなんですね。今後先生方がしやべろうとする場合に、この法案が出ますと、先ず関心はそこなんです。だから、そこでその区別を聞きたいわけですが、例えば、憲法の話を先生が教室でする、子供からですね、この平和憲法を一番守ろうとしているのはどの党か、こういう質問が出た場合に、それは左派社会党だ、これは差支えないでしような。(笑声)先ず一つ一つ聞いて行きます。
  152. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は、社会党左派だけが憲法を守ろうとしておるとは思いません。
  153. 亀田得治

    亀田得治君 先生意見としてですよ。子供からそう聞かれた場合に、いろいろあるが、大きな党としては左派社会党だということは、これは私は別に今常識に反した答じやないと思う。そのことを言われるのは、これはどうなんです。
  154. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 制度を改正する、政治意見によつて改正をするということと、それから制度を守らないということはこれは別の問題であります。憲法を改正するという考え方は、憲法を守らないという考え方とは思わない。私はやはり憲法に則つて、そうして憲法に定めてある改正の条件に従つて、そうしてこう憲法を少くともその人の関する限りにおいてはよりよきものにする、こういうことであろうと思います。だからして現行憲法を変えないのだということを仮にまあ或る政党が言つておる場合にも、だからといつて、これは現行憲法を守る政党はそこだけだ、こういうことは私は考えません。これは言葉の違いかも知れません。通いかも知れんが、社会党左派だけが、若しくは社会党左派が最も憲法を守る政党であるというふうには私は思わない。私は学校先生がそういう教育はしてもらいたくない。社会党左派が憲法を守るということが一番いいことであり、そうして社会党左派が一番憲法を守つておる政党である、こういうことを子供に言うて聞かせるというようなことは、これは私はやめて欲しいと思います。ただですよ。私は法律を守らないということは、とにかく反対があつても何があつても、例えば、安保条約、行政協定、こういうものは現在の法律秩序であります。又国か条約によつて一定の義務を負担しておる。だから、安保条約は、ああいうものはやめたほうがいい、行政協定はやめたほうがいい、やめたほうかいい、一定の手続を踏んで、この主張は差支えないでしよう。当り前たと思う。政治上の意見としては。併し、行政協定というものを、安保条約というものを、現在の秩序というものを、そのまま置いておいて、そうして基地は取返せ、アメリカ人は追い帰せ、こういう議論はなさるべきではない。これは丁度憲法をそのままにして置いて、憲法をそのままにして置いて、戦力を保持せよという議論と同じであります。私はそういうことを言う者こそ法律を守らないということであつて法律を当り前の手続によつて政治的な手段によつてですよ、改正をする、これが改正をするという意見を言うた場合に、これは法律を守らない人間である、守らない、つまり遵法精神のないものだ、改正は反対だ、やはり現行のままでよろしい、こういうことを言うた者が一番守るんだ、こういう議論は私は納得できません。
  155. 亀田得治

    亀田得治君 私改正の問題も含めて、とにかく現行憲法のままで行くと、そういうふうに問われた場合のことなんです。決して改正の手続を踏まんで憲法を破壊するとか、そんなことじやない。勿論これは守ろうと育つたつて、それは改正して変えて行くことのできるその前提で私は物を言つておる。そこでね、文相は、あなたはそういう教育はしてもらいたくないと言われますが、それではね、子供というものはなかなかいろいろなことを尋ねますが、先生がずつと平和憲法の話、七分通り重みを置いて話をする、そうすると、子供が、先生は一体その今のお話から言うと、憲法のことがやかましく言われておるが、そういう立場から見て、どの政党がいいと思うか、こう言われた場合に、先生はその返事をしていいのですか悪いのですか。
  156. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は先生が憲法の趣旨の説明をせられて、そうして……但しこの非常に重要な規定である第九条についても現行憲法をそのまま維持すべきである、或いは実情に応じてこれは改正をして自衛的な方法を講じなければならん、こういう両方の議論がある、その場合において自衛論を主張するものがどこの政党であり、或いは自衛論というか、改正して再軍備を主張したほうがいい、こういうものがどこの政党であり、そういうものはいけないというのがどこの政党であるというふうな説明をされることの差支えないことはこれは当り前であります。ただ先生がそのいずれか一方の主張である改正しなければならんという考え方、若しくは絶対に改正しちやいけないのだという考え方、これだけを先生が子供に強力に教えて、そうしてそれならばその論を支持している政党はどこですかと聞いた場合には、それは社会党左派です、こういうことを言われることは私はいけないと思います。これは子供に特定の政党を支持させる教育だ、こういうふうに私は思います。但し教育のことでありますから、観念的にはそういうことは言えますが、実際の問題としては、具体的の場合について実情について検討して見なければ、それぞれのはつきりした意見はきまらないでありましよう。併し観念的に言つて、子供にこの政策が一番いいのだ、これが最も基本的に一番いい政策なんだ、そうして一番いいということを先ず言うて、そうしてこれを堅持して譲らざるものが社会党左派である、こういうことを言えば、私は特定政党を支持させる教育である、こういうふうに思います。
  157. 亀田得治

    亀田得治君 そういう言い方を私はしているのではない。それは憲法を非常に公平に平たく説明して来て、最後に子供が、党のことを抜きにしてもいいか、それじや先生は今の憲法をそのまま守つて行くべきだと思うか、こういうふうに聞かれた場合には、これはいいですか。
  158. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) そのことだけであれば私は差支えないと思います。
  159. 亀田得治

    亀田得治君 そうするとそれが今度は第二段には、それを守つて行こうという政策を掲げている政党とは、これは当然自然的に結び付くわけですね、調理的に、例えばその場合左派社会党というものを出さなくても……。ところがそうなると、例えば至らしめるに足りる教育、この「ための」ということは、こういうことも含んでいるということなんですから、そういうことになりませんか。
  160. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これが大人の場合であれば、個々の政党はいろいろ政策を掲げておりましよう。でありますから、一応の判断力、批判力を持つたいわゆる大人であれば、左派が再軍備反対である、自分も町軍備に反対だという場合に、左派が再軍備に反対しているその点においては左派の政策に自分の考えが一致しているというだけですぐ自分は左派を支持する、その他は反対する、こういう簡単なものじやないと思います。それぞれの政策はそのときどきに打出されるのでありますからして、同じ人であつても、この点については自由党の言うほうが正しい、この点については改進党の言うほうがいいようだ、こういうことは思うでありましようが、個々の政策の場合に、それに対する賛否とそうして政党そのものを支持し反対するという立場とは区別して考えなければならんのでありますから、大人の場合においては、そういうものか一方を支持させる教育教育といつて言葉が悪ければ……、そういうものではないと思います。併し子供というものはとにかく大人が政治演説を聞きに行くのとは違います。第一先生の言うことは、子供は教わろうという気持を持ち、いわゆる先生の言うことによつて自分は教わるのだという受入れ態勢というものができている。そうして殊に年少の子供におきましては先生の言うことだけでなしに、一挙一動がこれに強い影響力を与える。影響力を子供に持つということは争うべからざることであります。    〔委員長代理郡祐一君退席委員長着席〕でありますからして、大人に言う場合にこの程度のことは差支えないということであつても、私はこれは先生自身に自粛して頂きたいと思うのでありますが、受入れ態勢を以て先生から教わろうということで、そういう身構えを持つているもの、而もまだ判断力も批判力もないのに、それを一方付けるような虞れのある教育というようなものは、私は望ましい教育だとは思いません。ただこの罰則を以て規制せられる場合の教唆、扇動の対象になる教育ということになれば、先ほど申上げたようにこれはルーズな解釈であるべきものでないことは明瞭なんです。でありますから、これはできるだけ厳格に解釈をして、いやしくも拡張解釈は許されてはならんと思います。併しそれならばここまではこの法律に触れる、この法律の教唆、扇動の対象になる教育だ、そこから先は皆やつてもいい、こういうふうに割切つて言われましても、私はやはり子供の発達段階、そういうものと併せ考え、そうして子供と教師との関係というものも併せ考えて、そうして学校先生ができるだけ子供の将来を損わないように、或いはその方向を歪めさせないようにして、素直に育つような教育をして欲しいと、こう思うのであります。十分注意してもらいたいと思いますから、私は、それだけの教育なら大いにやつてもよろしいということは、私の気持としては言えません。ただこの法律としては、これは先ほど申上げたように、極めて厳重に解釈されなければならん。併しこの法規に触れないからといつて、大体同じように虞れのあることを、この程度までなら大いにやつてもらいたいということを私は言う気にならないのです。その辺を御了承願いたい。
  161. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると私が問題にしていることが必ずしも文相としては好ましいことではないが、併しそれが必ずしも直ちに三条の第一項の罪に当るものではないのだ、そういうふうにお考えのようですが、もう一つそれじや例を挙げて聞きたいのですが、例えば今汚職問題と言えば、これはもう子供まで全部知つております。これは悪いことだということは全部知つております。そうするとこれはもう憲法問題よりももつと端的ですね、汚職をやつたのは一体どの政党か、だからあれはいいとか悪いとか、これが議論になつた場合は、これはもうはつきり先生としては、どの党はいけないのだ、これは結論を濁すわけには行かないと思うのです。そんなことを結論を濁したら子供に対する道徳教育も何もできません。これはどうですか。
  162. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 汚職といいますか、とにかく刑辟に触れるようなことを政治家がやる、或いは役人がそういうことをする、それがよろしくないということはこれは申すまでもない。子供に、そういうことは政治をきれいにするためにやつてはならんということを教えることは勿論差支えないことだと思います。併し子供に一体どの政党がやつているということを言われましたが、政党として汚職をしているのは私は聞かないのです。政党としてですよ、汚職を方針とするとか、党として汚職をしているというものはない。いいですか、これは党員である人が汚職したことがあるかないか知りません。私は知りませんが、それはそういう疑いを受けたとか、それによつて逮捕されるという事実は現在あるけれども、いずれかの政党に汚職によつて逮捕せられた人が出たからといつて、あの政党は汚職をする政党だから、あの政党は悪いのだということを子供に教えることはよろしくない。一体法律上の中立性の問題を離れても、まだ子供に余り世間のことを教える必要はないと思う。私はそれは悪いとは言いませんよ。悪いとは言わんが、まだ裁判によつて汚職があつたとかなかつたとか、又逮捕もされておる人もあるし、ただ新聞に書かれただけの人もある。中には料理屋へ行つたというだけで、如何にも悪いことをしたというふうに言いふらされているということは、汚職々々といつて政治上の問題にされることは私はこれは差支えないと思う。お互いに自粛することが必要であろうと思いますが、併しそういうことのきまらんような、中身もよくわからんようなことを、何も学校へ持つてつて、子供に言い聞かして、教えて、揚句の果に、どの政党が汚職をしているのだ、だからあの政党はいけないという、そういう教育は、私は絶対に困る。そういう教育はすべきではない。私は教育者の経験はありませんが、私はそういう教育はしてもらいたくない。どうしてもう少し子供にヒューマニズムであるとか、みんな仲よくするとか、そういうことをどうして教えないのか。そんな世の中の要らんことを子供に教える、私はそういう教育は望ましくない。これはあなたはこれは当り前のことだと言われるが、どこの政党がいけないと言うことは当り前だと言われるが、一体党として汚職をしておるなんという事実がありますか。
  163. 亀田得治

    亀田得治君 党はみんな一つの政策を持つてこれは立つておる。汚職を何も目的にしておる党、そんなものはありつこない。私の言うのは、子供が常識的に考えて言つておることをつかまえておるだけのことである。義務教育学校の中で、中学程度であれば、そんなことは漠然と考えておりますよ。漠然と考えるというのは、つまり突込んで言うならば、あなたの言うようにむしろ分析しないのだ、その政党というものは一体汚職を目的としておるかどうか、そんなことは考えておりません。ただ現われて来る現象を見て、どこの人たちがどういうことをしておるようだが、あれはどういうことかと聞かれた場合に、その言葉を濁すことはできんじやないか。そういうことまでこの「ための」ということになつて来るかどうか、この点が問題なんです。先生としては答えざるを得ないでしよう。憲法以上にはつきり答えなければならん問題です。
  164. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は先ほど言つたのは、汚職というものを説明をして、そしてどの政党がだからいけないのだ、こういうことを言われるのはこれは私はいけないと思う。これは反対させるための教育である、こう思います。併し現実の問題として、これは問題にならんのであります。そんなに政党が汚職しておるなんということは……。政党の中にそういう疑いを受ける人が出た場合に、政治的にこれは非難の的になる、その政党が……。或いは政党自身としても、自戒をするという問題はそれはありましよう。併しそれを教室に持つてつて、どこの政党が汚職をしておるからあの政党がいけない、あの政党はいけない政党である、こういうことを子供に教える、これは特定政党を反対させるための教育ということに私はなると思う。
  165. 亀田得治

    亀田得治君 それはちよつとおかしいと思いますね。汚職ということがいいことか悪いことか、こういうことが教室で抽象的に問題になる。それに続いて一体今新聞でみると、どういう方面でこういうことが行われておるか、これもはつきりして来る。それだけでいいわけなんですね、先生がそこで区切つて話をとめても、結果においてはとにかく汚職はいかんと、こう言うておるのですから、じやどの方面でどういう問題が起きておるかということを説明すれば、それはいかんということになる。だからそういう場合でも「ための」ということでくくられるようなことがありませんかということを聞いておる。
  166. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私は、今のように汚職が不都合であるということを言うことは、これは当り前のことなんです。当り前でそれを悪いという問題は起り得ない。それからまあ世間でこういう方面に汚職があるというようなことを言つておるということを教えてもいいでしよう。私は、併しそれは余り望みません。私は自由党だからそれを望まんというわけではない。教育というものは、そういうことをしてもらいたくない。そんなもののわからんようなものに望みませんが、併しそれはいいでしよう。併しどの政党がいけないのだ、ここまで来ればこれは特定政党に反対させるための教育である。はつきり言わなくても、小さい子供でありまして、先生の言うことはすべてこれを教わる意味影響を受けておる子供でありますから、子供の頭に意図的に、どの政党を非常にいやがるようなふうに仕向けるような教育は私はしないほうかいい。これはそういうことをすることは、やはりこの一方に偏つた教育になる、こういうふうに私は思います。だからそういう問題を取扱う場合には、よほど汚職が不都合であり、これが政治を腐敗させる根源である、そういうことを説明することは非常に結構でありますが、慎重にやつてもらわないと、先生がそういうことを利用して、どの政党に反対をさせるような子供を作ろうと、こういうふうな気持の現われるような教育はこれはいけないと思います。
  167. 亀田得治

    亀田得治君 それじや特定の政党を支持又は反対させるというような気持さえなければ、只今先生の説明から申しますと、何々政党は余りよろしくないですかと、こう聞かれた場合に、そうですと、そういう意思さえなければ、そうですと言つていいですか。
  168. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) そういう意図の現れておるようなというのは、客観的に、その教育自身のうちに客観的に、その先生気持は別ですよ。先生はどういう目的を持つていたかは別として、外に現われた教育の内容を見て、客観的にその意図が窺われるような教育、これは私は偏向した教育である、こういうふうに申上げます。
  169. 亀田得治

    亀田得治君 そこで「ための」で時間をとりましたが、結局「ための」というのは削除されたほうがよいと思います。最初の説明によりますと、「特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育」、この「ための」というのが入つていなくても相当広い意味なんだ、こういうふうなことも言われましたが、「ための」が入つていなければ、比較的やはり狭く解釈しやすいと思うのですね。直接にこの政党を支持せよといつたようなことだけに限定されやすい。ところが「ための」が入りますと、それは理論上同じなのだ、例えば牧野博士などもそういうふうにおつしやつたというのですが、併し「ための」が入つておりますと、非常にこれが拡張して解釈されやすいと私は思うのです。そうなると、これは教育基本法の八条の二項と言葉遣いが違いますけれども、私は違つてもいいと思う。八条の二項の場合には、一般的な教育に対する心構えとして、こういうつもりでやらなければならない、こういうことなんですから、幾らか広く「ための」ということがあつてもいいと思う。併しそれが全部処罰対象に必ずしもならない。そういうふうにあなたの先ほどのことを聞いていると、少しく区別があるような……。そうしてみれば、私は文字の上でも、基本法の八条二項ではこうなつているが、ここではこの「ための」を抜いたほうが厳格に解釈するという点から形の上でもはつきりして来る。そういうふうにおやりになつたほうがよいと思いますが、どうでしようか。
  170. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この点は御指摘の通りにこの罰則規定をいやしくも濫用の結果の起らないように厳格に対処する、できるだけ狭義に解釈するという点から見れば御指摘の通りであろうと思います。けれどもやはりこれも今のように広くも狭くも人によつて解釈は違いましようが、「ための」という字がなければ、少くとも非常に広がつて解釈されるという虞れはなくなると思います。ただ問題は、私どもとして今度逆に非常に狭く解釈をせられて、特定政党という名前を持出して、そうして共産党がいいのだとか、社会党がいけないのだとか、こういうようなはつきりした言い方をしなければこの法律論には関係ないのだ、こういう元来解釈が成り立つというふうになると、これは私ども申上げると、この法律提案する趣旨は没却されるのであります。なぜ没却されるかというと、学校教育というものは、無論教育でありますから、いわゆる党勢拡張の場でもなければ、政党の勢力をそこで伸長させるための政治活動の場ではありません。これは飽くまでも教育であります。その場合に特定政党という名前を持ち出すということになれば、これは明らかに政談演説とか、明瞭な政治活動であります。そういう教育が私は学校教育の場において行われるということはないので、やはり子供の政治的な頭を作つてやるためのものでありますから、そこで何も具体的に政党の名前を持出さなくても、とにかく一方的に非常に偏つた政治立場をとらせるような、若しくはとらざるを得ないような教育をする、これが問題の焦点であります。でありますからして、肝心の目的は逸せられて、名前さえ出さなければ今度何を言つてもかまわないのだ、こういうふうに狭くなつてしまつたんでは、これは何のためにこの法律を出したかわからん。こういうことに実はなる虞れがあるのであります。そこで先ほどから申上げましたように、政府部内におきましても、法制局長官、それから法務省の関係のかたとも非常な勉強、努力の結果、原案のような規定ができて、余り拡がらんような、又そうかと言つて、この法律案目的を逸するようなことであつてはならない。だから特定政党の名前さえ言わなければいいのだ、こうなつてしまうと、この法律が出れば誰も名前を出して共産党を支持する教育をせよなんということを言う人はありません。又現実においてもそんなことをはつきり打出して、いわゆる教唆、扇動の疑いのあるようなものはありません。だから実質的においてそこに持つて行くような教育をする、それがいわゆる教育でありますから、政治活動ではないのでありますから、そこで私どもは原案によつて必要な最小限度のものを確保したい、こういうことで二項を入れたわけなのであります。ところが今度修正されて「ための」という字に変つたのであります。だから「ための」という字は今お話のありますように、人によつて比較的広く解釈される虞れはあります。私は原案よりも虞れがあると思います。あると思いますけれども、これは衆議院で修正されたのでありますから……、衆議院はむしろ二項のようなわかりにくいことを書いておつたら困る、それよりこちらがわかりやすい、こういうことで修正されたので、その趣旨は私どもとしては反対する筋合いはない。もともと教育基本法を守るということでありまして、この表現というのは、基本法そのままの表現を使つているのであります。でありますからして、今のような御心配があることは、これは私は尤もだと思いますが、さればというて「ための」という字をみななくしてしまう。二項もなくする。そうすると逆に非常に狭くなつて、非常に教育防衛の見地からいうと無意味なものになつてしまう。私どもはこれによつて教育を防衛するつもりでおりますから、無意味なものになつて来る、こういうふうに私ども考えております。
  171. 亀田得治

    亀田得治君 これは刑罰がついておるから実は問題になるのです。これがなければ、「ための」があつても別に私どもそんなに文句を言いませんよ。ともかく、いやしくも先生を刑務所に入れるのですからね。刑罰原則というものは、これは私から言わなくても、九十九人逃れさしても一人の犯罪を作つてはいけない。これは何と言つても法全体の大事な基本なんです。六体法律を作つて、全部これに違反したやつを引つかけてやろうということはできるものではない。それよりも実際はやつておらんのだけれども法律を無理にあんなに解釈されてぶち込まれることがよほど害になるのですよ。こういうのが一人出ても……、私はそういう立場でこれを申上げた。それで、而もその処罰の範囲は、そういうふうに小さくしても、この処罰されない諸君を放つとくというわけでもないでしよう。処罰されない者に対しては、又行政措置とか何とか又考える余地があるのですから、元来処罰するかどうかについて基本的に問題があるというのは、これは午前中からのいろんな質疑で明らかになつている。そういう問題のあるものについて、いやしくも踏み越えて濫用の虞れのあるようなところこそ我々はとめるべきだ。うまく言い逃れをして逃げて行つてしまつた、これは私あつていいというのじやないのですが、冤罪者を作るよりもよほどそういうことは世の中を暗くする、そういうことは。私はそういう意味で、どうもさつきからいろいろ質疑をして見た結果、なお更どうも「ための」というものが大きな弊害を及ぼしそうだという確信が大分固つて参りましたので、まあこの程度でこの点は一つ一応打切つておきます。  そこで、次に大臣は、私いろんな速記録なんかを調べて見たわけですが、三条の濫用を防ぐ一つの方法として、三条の初めのほうに、目的を書いてある。それから第二番目に組織を通じてやつた場合、こういう二つの条件があるのだ、だからこの条件があるのだから、「ための教育」というものは相当広い場合もあるかも知れんが、この二つ考えると大分そこは制限されるはずだ、こういうことをほうぼうでおつしやつております。ところがこれが私どもいろんなこういう関係の刑罰規定を実際に、実務で取扱つた経験から申上げるのですが、一番初めに書いてある目的ですね。これは何らの制限の保障にはならないのです、こんなものは。なぜかと言いますと、特定の政党の力の伸長又は減退に資する目的をもつて、こういうわけなんですから、これは一番終りのほうに書いてある特定の政党を支持させ、又は反対させるための教育、これとちつとも変らないのですよ。変らないと申上げるのは、つまり特定の政党を支持させ、又は反対させるようなことを言うと、どこかで言うと、その中にその目的というものは含まれているのです。同じ一つの行為を、言葉を二重に、二つ書いてあるだけなんです。だからこんなものは何ら制限の保障になりませんよ。そうじやなしに、例えば初めのほうの書き方か、特定の政党と何か具体的な連絡をとつて、そうしてこうこうこういうことをやつた。こういう場合にはそういつた具体的な連絡があつたのかどうか、この点が裁判で先ず議論になりますからね。だからそれがなければその教室における行動差支えない、その教唆、扇動の行為差支えない、こうなつて来るのです。だからこんな「目的をもつて」というような、あと行為に含まれているようなものを、ここで二つ三つ、どんなに書いてあつたつて何にもならない。その人の主観ですからどうにでも解釈できるから、この点あなたこんなものが何かの保障になるとお考えですか。
  172. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) まあこういう法規の解釈については、亀田君は専門家でありますから、十分敬意を持つて私は拝聴するのでありますが、ただ私の考えを申上げると、支持させ、又は反対させるための教育、その「ための教育」という「ための」という字は、私の解釈するところでは、その教育に当る先生がそういう目的を持ち、反対させようとするためにする教育、こういうふうには私は解釈しておりません。「ための教育」ということは、その与えられる教育をどういうつもりで教育をやつたかやらんかは、これは先生考えは別として、その教育だけを取出して客観的にこれを調べて見るというと、その教育の中にそういうふうに特定政党の支持に持つて行くような客観的の要素を含んでおるそういう教育、つまり教育そのものの客観性のうちにこの「ための」という要件が必要である、こういうふうに私は考えておる。先生がそのつもりでやつたかやらんかということはこれは別論であります。私はこういうふうに考えております。それでそういう「ための教育」という内容の教育が、果して特定の政党の政治的な勢力の伸長になるのか減退になるのか、これは全然知らない人が仮にあるといたします。仙人みたいな人がおつて書斎に引籠つてつて、そうして自分の研究をして、そうして現存の世情には全く暗い、現在の政党には一体どういう政党があるのか、どういう政党がどういう政策を主張し、どういう政治的な主義の基盤に立つておるかということを全然知らない人が、これが何かの教職員団体の会合に出て、そうして教職員諸君はまさにかくのごとき教育をしなければいけない、こういう仮に演説をしたといたしますと、その人は知らないのです。そうしてその内容はそれをそのままその先生の言う通りを教えれば、それはいわゆる「ための教育」という内容に合致する、その観念に合致する内容を持つておる。そういう演説をして、教職員たる者はよろしくかくのごとき教育をしなければいかん、こういうことをまあ義務教育学校先生の集まる教職員団体に出てそういう演説をしたと仮定します。その場合にその人は何も特定政党の政治的勢力を伸長させるなんという目的は持つておらないのです。これは非常にあり得ない例のようではありますが、観念としての問題であります。私はこういう場合に、その演説をした人にこの法律の罰則は適用されないものであると、そういうふうに考えておる。その「ための教育」ということに当るか当らんかは、これは与えられる教育自身について客観的なものとして「ための」要素があるかないかは、これは検討せらるべきで、そうして今度は主観的に教唆扇動する人が特定政党の政治的勢力を伸長する目的をもつてやるということがこの犯罪の成立する要件であります。従つて両者の場合には、あなたが今仰せられたような、もう言わなくてもわかり切つておるという場合もそれはありましよう。併し観念的にいえばやはりこの目的がそういう犯罪を成立する要件である、これは全く無意味な要らん文句ではない、こういうふうに私は思つております。
  173. 亀田得治

    亀田得治君 要らん文句ではないんです。私はこういう趣旨のものを是非置いてもらいたいと思うんです。置いてもらいたいんですが、その書き方であつては置いたも置かんも一緒である、そういうことを申上げておるんです。それも先ほど申上げたように、「特定の政党を支持させ、又はこれに反対させるための教育」、これを教唆扇動したということが断定されれば、もうその断定の中に同じことが、お前はそういう目的であつたに違いない、そんな目的でなしにあんなことを言うはずはないじやないか、こういうふうに押しつけられればそのままになつてしまう。それは本当に誰が見てもあの人は仙人のような人で、そんなことは、現実の政党がどうなつておるか全然知らないんだからそんな目的を持つはずがない、こういうふうに、ひよこつとどこからか降つて来たような人間がこういうことをやつた場合にしかそういうことは言えない。そうでない場合には、あれはけしからん、あれは一つやつつけてやろうということになれば、もうこの行為自身で目的というものが断定されてしまう。そういうものを幾ら掲げてもあなたがちつともこれを守つてくれることにはならない。だから折角こういうことをお書き下さるのであれば、例えば特定政党と連絡をとつてとか、そうしてこうこうこういうことをやつた、こういうふうにでも書けば、これはもう相当いい保障になるんです。だからあなたの濫用されないようにというお気持を私は酌んで申上げておるわけです。その気持を活かすためには、もう少しこれを具体的なものに書き替えませんと、折角のあなたの好意が通じない。だから俺の意思に反して法象ができたあとにいろいろなことがある、あれはそんなことでなかつたんだ、こういうことを言つても取り返しがつかないから申上げますが、その点は御了解願えると思いますが、願えればこの点はもう少し具体的なものに改められるようにしてもらいたいと思いますが、もう一度これをお聞きします。
  174. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) まあ御論旨はよくわかります。「ための」という字があるから、だからその目的というものは通常の場合さような教育を教唆、扇動したということ自体によつてその目的というものが立証されるんじやないか、従つてこれを特に目的罪として規定したことには大した意味はない、又これを拡張解釈的なことから守る上において大したことにならん、こういう御趣旨であつたと思います。この「ための」、これは私は支持させる教育というような字が、仮に「ための」という字が外れた場合に、それこそ私は初めの目的罪にした意味は殆んどなくなつてしまいはしないかと思います。これは共産党がいいんだとか、社会党がいいんだとか、こういう教育をせよという場合には、極めて狭義に解釈されたとして、そういう場合には、もう目的を特に規定することは本当は全くないだろうと思います。ただ「ための」という字があるから、これは今申上げたように、その教育者の主観的な目的をそこへ表わしたものとは私は解釈しておらん。「ための」という字は、特定政党を支持させる教育、そういう端的なものよりも、そこへ自然に子供が持つて行かれるようなそういう教育、こういう意味に解釈をしておりますから、つまり幾らか極めてはつきりした、どの政党がいいんだというような教育の場合よりは、そこは幅が拡がる、その場合にはやはり目的を持つてしたかどうかということは、やはり私はこの法律ができるだけ適用が厳格にされる意味において、この法律が「目的」という字があつたほうがやはりいいんじやないか、こう思います。「ための」という字がついたから目的罪にすることが、もう同じことを見ようによれば重複しておるんだということにはならないので、「ための」という字がむしろなければ、そのときこそ殆んど目的罪ということにした意味は私はないと思います。「ための」という字があつて、そこに実際から言うと扇動者の意思がそこへ露骨に現われておらんという場合、而も教育基本法の上から見てこれではどうしても困るという、そういう教育を補足しようとすればこそ私は前の「目的」というものがそこでものをいつて来る、こういうふうに思います。
  175. 亀田得治

    亀田得治君 いや、これはもうそういうことになりません。「ための教育」というのは、勿論これは客観的に判断される問題なんです。問題なんですが、その客観的に判断されてしまえば、これはもう第三者の教唆した人の主観的な目的というものはもうそこから引出されてしまうんだから、折角一つの制限を加えるのであれば、こういうことでは大した制限に実際上なりませんよ。これは一つまだ時間があるわけですからお考えを願いたいと思います。もう一つはこの「組織又は活動を利用し、」これが一つの条件になつているんだ、こういうことが盛んに言われているんです。ところがですね、これは文部大臣の私記録だけを見た説明によりますと、非常に教唆、扇動者を或る場合に救うために書かれている条件のように盛んに強調されるのですが、実際問題としてはそうじやない、実際問題として問題になる点はそういうことよりも、この組織又は活動を利用するような場合にだけこの法律を適用する、そのほかの場合には教唆扇動した第三者の教唆、扇動は認めて行く、こういうところに実は決して教唆、扇動者を保護するとかなんとかじやなしに、いわゆるこの法の前の平等性をこれは破壊する私規定だと思つているんです、現状から行くと。組織又は活動を利用してやる、具体的にはなんでしよう、教職員組合ですね、その場合にだけいけないのだ、それ以外の場合はそういうものを通じないで直接先生がたに対して教唆、扇動をやるのはいいのだ、こういうふうになるんですが、この点は非常に不平等があると思いますが、私これは憲法上も許されない差別扱いだと思いますが、どうお考えでございますか。
  176. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 決してこれは教唆、扇動行為のうちに差別を設けて、そうして一部を保護するとか、これはさような教育を教唆、扇動するというようなことを保護するとかなんとかいうことでは勿論ありません。ただ世の中の一般常識として、一般の言論として、或いは思想として、常識上許されたいわゆる言論活動というのがありましよう。そしてこの法律は常に御論議にあるように、とかくその問題と或る程度密接な関連を持つ場合があるのであります。そこでこの法律案を作るに当りましては、学校教育中立性を堅持するという立場だけで考えるならば、いやしくもこれに対して不当な教唆、扇動を以て働きかけて来る、こういうものは一切お断りするというのが当然であります。併しそれでは世の中の実情というものを考えて、やはり今日の社会に影響を及ぼす、つまり反社会性の事実上の程度、性質だけでなしに。それに限定してこの法律を適用しなければ、ややもすると行過ぎの問題が起るであろう。そこで考えられた、つまりしぼつて作つたのでありますが、その第一には今の一定の政治的勢力の伸長を目的とする、こういう目的を先ずかぶせる、これが第一の制約であります。この場合においてもその目的があろうとなかろうと、具体的にそういう偏向教育を教唆、扇動するということが好ましからざることは当然でありますから、目的があろうとなかろうと、これを取締るというか、禁止するということはこれは当然であるかも知れません。併し実際においてはその目的があるということが一つの条件なんです。次には教職員団体を通して行う、これも実際において教職員団体というものは学校先生に対しては特殊の強い支配力を持ち、影響力を持つているのです。現在大した影響力、支配力というものがないならば、それが側からいろいろな言論があり、まあいわゆる教唆、扇動があつても、それを一々気にして罰を以て臨まなければならんということは、実際の必要を超えるものであります。実際そういう強い影響力を持つものだけに限定してもいいのじやないか、これが第二点であります。それから義務教育学校だけにこれを適用する、これも義務教育というものの特殊の国家的性格からみても、そして又それが極めて年齢の行かない子供を相手にしている、つまり一番影響を子供に今度は与え易い立場教育であります。だからそれに限定をしてもいいのじやないか。現に今日高等学校におきましても随分眼に余る偏向的な教育が行われておるという事例を私どもは聞いております。高等学校まで持つて行かんでも、とにかく義務教育学校、つまり、小、中学校のところで一応止めておいていいのじやないか、そこまで神経質に手を伸ばさんでもいいのじやないか。それから教職員に対する働きかけ、これも一つの限定であります。そういうふうに現実の中立性を守るためにできるだけ行過ぎに亘らないように、あらゆる点を考えてこれをしぼつて、必要の最小限度と申しますか、見ようによつては必要な限度には及ばないかも知れない程度にこれをしぼつたのであります。でありますからして、具体的の問題といたしましては、例えば学者が或る新聞に教職員諸君に望む、こういう論説を書いて、そして日本学校における教育はかくのごとくならざるべからず、こういう言論を発表した、これはあることであります。さようなことは社会の常識として、いわゆるそういうことをしたからと言つて、今日それを直ちに学校教育を蹂躙するものとしてこれを取締りの対象にするということは、少くとも社会の常識と申しますか、これは違法性の観点からみてこれは穏当でありません、新聞紙上にそういう論文が出たからと言つて。と私は思つておるのであります。そういう意味においてしぼつて実際の必要の点からみて、必要の最小限度にとどめたい、こういう気持で出したのでありまして、いやしくも教育の基本法に指でも触れるようなものは、そういう教唆扇動はことごとくこれを罰しなければ不公平になる、平等性を破壊する、そういうことは私はないと思います。法律というものは殊に判例を以て接する場合には平等性というようなことではない、社会の秩序を維持するための必要な最小限度に限らるべきことは、これは刑罰法例としての当然の制約であります。でありますから、これをしぼつて来たということは、私は御論議の対象になるとは思われんのであります。
  177. 亀田得治

    亀田得治君 これは一般に、例えば破壊活動防止法、あの場合には主としてまあ左のほうを対象に実際の気持はされていた、併し立法の形式は飽くまでも暴力行為に対する右左を問わず対象にされているわけです。これは私立法上の技術としては当然そうあるべきだと思う。それから例えば暴力行為等処罰法、これもこれは勿論戦前の議会で可決されるときには、これは主として右の暴力団、こういうものに対してあれは向けられたはずです。併し形式としてはその後例えば労働運動、農民運動なんかにもそういう同じような事態があつた場合には適用されておる。併し当初においては一定の目標をもつておる。もつておるのだが立法の形式は飽くまでもそういう差別扱いをしないようなやり方をとつておるのです。これは私は正しいと思う。何だ一方のほうだけやつてそれじやそれから除外されたものは同じようなことをやつてもいいのか、これをやれば、例えばボス的に教師に圧力をかけるとか、個人が……、こういうものは逆に言うと公認されることになりますよ。あなたはこんなことは望ましくないのだ、ただ刑罰の対象にしないだけだと言いますが、そうじやないのですよ。普通の刑罰法規の規定から言うならば、当然両者が、余りそういう事態はないかも知れんが、併し絶無とは言えないのですから、一方のほうをやるのであれば全部が、若しあつた場合には全部がかかるように講じなきやならない。これが常識です。それを特にこれを除くわけなんですからね。だからこれは私重大な、やはりそういう意味で立法技術上もこれはまずいし、非常に不平等な扱いだと思う。じやこれを除けてこの「組織又は活動を利用し、」というものをとつてしまうと仮定しまして何も差支えないじやないですか。いや現実に問題になるのは日教組だけなのだ、私はそう思いませんよ。ただ各論ですから実はあなたの気持も相当酌んで話しておるわけなんですが、そういう立場だというふうにこれは誤解されちや困るのですが、とにかく日教組だけだと、こうおつしやるのでしよう。たとえそれであつても立法としてはこんなものを除けておいていいじやないですか。あと法律の運用の問題でしよう。現実にそれが日教組を通じてだけのものを問題にしなければならんとあなたのほうがお考えになるのであれば、法を司る人がそういうふうに運用して行くだけなんだ。これはあなた破防法の場合だつて暴力行為処罰法の場合だつて同じことなんです。こういうことを特に出して来るから余計いろいろなところに問題が起きて来る。それから、現にそれじやそういう組織を通じて以外のやつは絶対に問題にする必要がない、こんなことはあなた断定できないでしよう。それは数が少いとおつしやるかも知れんが、併し数が多いか少いかも余りはつきりしないのですよ。数が多いといつて何かいろいろな実例をあなたお出しになつたようですが、いろいろ文部委員会で証人を調べたりしていると、どうもはつきりしないのもある。午前にいろんな事例なんかも羽仁委員から聞かれた場合、従来国家公務員として従来いろんな何か処罰か何か受けたものがあるのか、そういつたものについても余り明確じやない。だからそういう点から考えてもこういう人を差別扱いするようなこれは「組織又は活動」と書いてあるからまあいいのですが、これは実際は日本職員組合を利用しと、これと実態はちつとも変らんのです。あなたの委員会の記録なんかを見てもちつとも変らん。だからこういうことは絶対にどういう立場の人が立法する場合でも避けてもらわなければならん、これは社会党がやる場合だつて、社会党がやる場合にどうもあいつ社会党に反対するからあの辺を狙つて……、こんなことは考えないでしようが、考えないとしても、その場合の立法形式というものはそんなものであつてはならない。これはだからこれを消したからといつて、何もこの法の目的が達せられんわけじやないのでしよう。だからこれは是非消してほしいと思う。どうですかね。
  178. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 成るほど一定の犯罪として法律に規定された行為を甲のものに対しては処罰する、乙のものに対しては処罰しない、こういうことであればこれはあなたのおつしやるように不平等であり、これは不都合な立法であると思います。この法律は何も教職員、いわゆる日教組というものだけを対象にしているというわけではありません。現実の問題として日教組がこれに非常に関係のあることは私もそう思います。思いますけれども、日教組であろうと何であろうと、教職員を主たる構成員とする団体の力を利用して、そうして呼びかける場合には、これはことごとくこの法律によつて取締りを受けるわけであります。日教組だけに限定をしてこの法律を適用する、こういう考え方でないことは、これは法文を御覧になつて亀田君は専門でありますから、この点は一点の疑いも容れないと思います。ただ現実の問題として誰が教唆扇動に力を籍すかということになれば、これは事実上の問題であります。事実上の問題。法律の建前としては日教組だけに適用する、こういうものではないことは極めて明瞭であります。そうしてこれは先ほど申上げたように、多いから少いからというのじやありません。こういう教職員団体の力を通して来る場合には、それが教職員に及ぼす影響力が強い、非常に強い影響力を持つている。だからさような危険からこれは守るのだ、こういう意味であります。そうしてこれは御覧になる通り、犯罪の構成要件であります。犯罪の行為の態様であります。これだけの要件が揃わなければ犯罪にならない、だからこの形態を備えた行為をするものは誰でもこの罰則の対象になる、だから初め「何人も」、と書いてある。決して人によつて同じ行為を甲には適用して、乙には適用しない、さようなことはないことはこれは法文上明瞭であります。これは犯罪の構成要件として教職員団体の力を利用する、こういうことにきめたのであつて、何も日教組という特別なものがやつた場合だけをやるということではない、これは明瞭であろうと思います。
  179. 亀田得治

    亀田得治君 そういう形式的なことは勿論私も法文を読めばわかるわけなんです。ただ実際問題としては日教組がどういう立場をとつているか、それに対して反対をしておられる人はそういう団体を持つておらない、これは具体的に言えばですね。そうすると、その団体を持つておらない人たちのほうがどんどん侵入して来る、こういう恰好になるんですよ。結果においては非常な不平等な結果になる、このことを私は言つているのです。誰でもこういう形をとれば処罰されるのだから平等だとおつしやるのですが、一方のほうではそういう形を利用できない状態になつているわけなんですね。それがいいか悪いか別ですよ。現実の状態はそうなんです。だからその人たちに対してはとにかく先生に圧力をかける、これは相当やれる、こうなんです。この問でも自由党の党報ですか、あれが配られる、好ましいかどうかは別にして。とにかく非常な差別扱いを受けますよ。それを社会党もやつたらいいじやないか、こうおつしやるかも知れませんが、社会党のほうではそういう形をとるような今状態にはないでしよう。だから個人的な立場をとろうとするものは、はつきり言つて自由党なんだ、だからこの法文の形だけをとつて私言つているのじやない。これが実行されると実際には政府のほうのやつだけがどんどん入つて来る。こういうことは私は甚だおもしろくない、どうも教唆扇動が悪いのであれば、政府がそういうことをやるのも取締れるようにしておいてもらいませんと困るでしよう。これは反対があるにかかわらず成立したということになれば、やはり法治国ですからこれは何とか守つて行くということになる。そうすると教職員組合のほうも或る程度いろいろ動き方について自制をするでしよう。その際に一方のほうだけが法文にない、ですから抜けておつたらおかしいことになる。これは私はそんな形式じやなしに、実際の情勢から判断して御了解願えると思う、どうですか。
  180. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 或る団体が果して教職員を主たる構成分子としているかどうか、これはそれぞれの団体について現実に調べてみなければわかりません。この法律におきましてはその意味は大体過半数が現職の教職員を以て組織されている団体、こういうふうに解釈をしております。これは日教組以外にも各地に教育会であるとかいうようなものが、この教育者団体というものがあるように私は承知しております。併しそれが過半数現職の教員によつておるかどうか等の点についてはつまびらかでありません。これは日教組という組織を通じなくても、そういういやしくも現職の教職員に対して強い影響力を持つている、つまりそういう活動を通してそういう教唆、扇動をするということに特殊の社会的な危険を感ずる、特殊の反社会性というものをそこに認める、こういう趣旨の、従つてそれを犯罪の構成要件として取入れた、こういうだけのことであります。決して不公平を考え、特にどれかをいじめる、そういうような趣旨は少くともこの法文からは私は出て来ないと思います。又私の提案した気持からいつても、さような気持は毛頭ないのであります。  例を以て申上げるというと、例えば或る教職員団体の招聘に応じて、或る先生がその教職員団体の会合にですね、大会とかその他の会合に出席をして講演をした、その場合に教職員団体は知らないのですよ、どういう講演をするのか。それはあらかじめ打合せてあるわけじやない。その場合にその教職員団体の会合にその人が臨んで、その先生がそうして教職員に対して、あなたがた教職員日本の将来のためにこういう教育をしなければいかん、つまり特定な政党を支持するような教育、そういう内容の教育を演説をして、教職員はかくのごとき教育を施してこそ初めて教職員の値打がある、子供に対してそういう教育をしなさい、こういう工合に演説をしたとします。これはこの場合、この教唆、扇動に、それがその人が一定の政治目的を持つてそれをした場合には、これは教唆、扇動に該当するのであります。この場合にこの教職員団体自体はこれは何らこの犯罪に触れることはない、何もそういう講演をしてもらいたい、又そういう講演をさせるために連れて来たんではない、ただ先生に講演を頼んだところが先生がそういうことを言うた。こういう場合にはやはりそれは入るのでありまして、決してこれは特に強い影響力を持ち、それを言うてみたところで実際に何も大した影響がない、従つて日本教育がそこから来る危険を感ずるような心配は先ずない、こういう場合にそれまで取上げて一々罰則を適用しなければならんということはない。いわんや新聞雑誌等において、いろいろな先生教育者に望む、或いは日本教育はかくのごときでなければならんというようなことを論じられるということ自体をとめるということは、これは社会の進歩に対する、或いは思想言論に対する抑圧ということになりましよう。でありますからそういうものはやめて、そうして最小限度に現場の教員に強い影響力を持つものだけに限定をした、こういう趣旨であります。これは決して日教組に対して特につらく当るとか不平等の扱いをするとか、そういう気持は毛頭ありません。先ほど申上げたように、この種の立法をする場合においては、できるだけ一般社会的の進歩を阻害する、思想言論に対する圧迫にならないようにとの配慮から、特にさしおきがたい強い影響力を持つものに限つてこれをする。そういう意味においてこの犯罪の構成要件をきめた、構成要件をきめたんです。その人によつて。同じことをしても甲の人間には勘弁する、乙の人間は罰した、こういうことでないことは、冒頭に「何人も、」という字が使つてある一点から明瞭であると思います。
  181. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記をとめて下さい。    午後六時二十五分速記中止    ―――――・―――――    午後六時五十四分速記開始
  182. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記を始めて下さい。    七時半まで休憩いたします。    午後六時五十五分休憩    ―――――・―――――    午後七時五十一分開会
  183. 川村松助

    委員長川村松助君) 再開いたします。
  184. 亀田得治

    亀田得治君 引続いてお尋ねいたしたい点は、本件の二法案違反の事件が起きた場合、どういう裁判が行われるか、こういう点について文部大臣がこの法案を作られるときに、どういうふうにお考えになつていたか、こういう点、処罰する以上はどうしても証拠が揃わないといけないわけです。こういう事件の証拠と言えば、一つは子供の側の証拠、もう一つは先生の側の証拠、それからもう一つは教師の同僚の側からの証拠、それから第四に考えられることは、父兄の側からの証拠、これはまあ、併し考えられるだけのものをここで考えてみておるわけですが、この中で一番直接的なものは、これはもう子供からの証拠なんです。私はこの点は非常に扱い方が間違いますと、恐ろしい結果になると考えておるのです。そういう点を十分お考えになつてこういう罰則というものを考えられたのかどうか。ただ反社会性が認められる、これはけしからんから処罰するんだという、そういうことばかりに余りこだわり過ぎたのじやないか、こう私は感じておるのですが、この点如何でしようか。
  185. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これが裁判になつた場合に、立証に関係する、何と言いますか、取扱いと言いますか、こういう点については私誠に不案内でありますが、只今お話になりましたような、証人について調べるという場合は勿論あろうと思います。ただ犯罪になる行為は、いわゆる教唆、扇動の行為でありますから、教唆扇動のあつたか、なかつたかという点が中心の問題であろうと思います。これは教唆、扇動の行為それ自身を独立の犯罪として規定しておるのでありますから、その教唆、扇動によつて、現場の教室で以て特定政党を支持させ、又は反対させるような教育が行われたということは必ずしも犯罪の成立には関係がない。要するに義務教育学校教職員に対して教唆、扇動というそういう働きかけというものが到達するということで、犯罪としては一応成立する、かように考えます。ただ実際の問題としてはそれによつて学校教育が乱されたという場合に、教育委員会が請求する場合が多かろうと思います。従つてこれは一々の場合については今お話になりましたような、先ず教唆、扇動の事実が立証されるということが先決の問題であります。そうしてそれに伴つて偏向的な教育が行われたかどうかという点についても、恐らくは裁判所は諸般の事情、或いは刑の量定等の関係から言つて、その調べをすることであろうと思います。これは今御指摘になりましたような場合が生ずることは当然にあり得ると思います。
  186. 亀田得治

    亀田得治君 私の言い方が少し足らなかつたのですが、この特例法の改正によりまして国家公務員に準じた取扱いをされます。従いましてこの教唆、扇動を受けまして、或いは受けなくても、教師がいわゆる偏向教育をやつたという場合には、当然この特例法の改正案によればそれが処罰の対象になるわけですね。教唆、扇動が問題になるのも、やはり教唆、扇動に伴つてそういう事態が起きた場合、これは今文相も言われた通りの場合に、主として私問題になろうかと思います。如何にこれは独立犯として規定されておる教唆犯であつても、何らの実害が出ておらないという場合には大してこれは問題にならないと思う。教育委員会もそういう場合にはいろいろ注意する程度でとめるのではないかと思うのです。だから従つて結局はいわゆる偏向教育という事実がどつかにあつた、こういうことが一番問題になろうと思います。教唆、扇動の場合であれば、子供というものが、その場合に、処罰する場合に子供を調べる必要は必ずしもない。ところが今申上げたように、ともかく子供に対する教師の国家公務員法違反の行動による教育活動が行われたと見る場合には、最大の証拠というものは、子供なんですね、教育をされた子供なんです。この子供というものを証拠にするのは、これはなかなか証拠法上問題があるわけなんです。だから今文部大臣中立確保法のことに関連しておつしやつたのですか、私の申上げるのは、むしろ特例法の場合、特例法の場合でも一番今問題になつているのは今申上げたような事態、そうなつて来ると子供が証拠をとる方法として大きく出て来るわけです。これを、どのようにあなたはお考えになるか。
  187. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 特例法の規定する政治行為の制限は、教育公務員に対して課せられた制限でありますけれども、併しそれは教室内における教育活動というものを対象とする観念ではありません。教職員の身分を持つておる公務員の個人的な関係において政治活動をする場合、その一定の目的を持ち、又一定の人事院規則に定められたる行為をする場合、それに対して、これを禁止する規定と罰則の定めがあるわけであります。これは学校内における教育というものとは、少くとも観念的にはこれは関係のない事柄であると思います。学校教育の場において、偏向教育というものは、本日申上げましたように、直接これが罰則の対象とはなつておらない。これを罰則の対象とする場合には、教室にいわゆる警察官の手が入つて来る。又警察の手が伸びて来る。教員公務である、教室という公務を遂行する場合、その一つ一つについてこれが偏向である、これが法律違反である、こういうことで罰を以て臨むということは、私は極めて行き過ぎの場合を生ずる。であるからして、これは教員の自重自粛に待つのである。ただその場合に、ただ職務上の問題であるからして、職務上の行政処分、そういうことが加えられるということは当然考えられます。これは現在においてもそうである。現在においても基本法八条二項というものがある限り、それは同様であります。この規定によつてその点は何らの増減をする点はないのであります。特例法の規定は、教育公務員たる身分を有する個人に対して、特定の政治活動を禁止する規定であると私は考えております。御指摘のような子供を相手にする教員政治行動、これが犯罪として…、これは或いは私の記憶違いであるかも知れません、間違つておるかも知れませんが、公職選挙法において児童を使つて、児童を利用して選挙運動をするということが禁止されていると思つております。で、これは公職選挙法において、児童を使つて選挙運動をするというようなことは、それ自体がこれは選挙の公正を害するという立場から、公職選挙法において禁止せられている規定であり、又罰則を以て臨まれている規定であります。こういう場合には、現在現行法にあるそういう選挙運動の制限について、子供を証人に呼ぶという場合も起るでありましよう。併しこの特例法の場合には、これは子供に対する教育活動に対する制限ではありません。むしろこの人事院規則の中に、「この規則の如何なる規定も、職員が本来の職務を遂行するため当然行うべき行為を禁止又は制限するものではない。」こういう規定があるのであります。これは個々の場合について考えなければわからんのでありますが、或る場合においては、この人事院規則に牴触するような行為があつても、それが職務としてなされる場合には、本来の職務としてなされる場合には、むしろその違法性を阻却するという規定まであるのであります。でありますからして、この特例法の一部改正によつて、当然に子供が証人に呼出されると、そういう問題は通常の場合においては生じ得ないと、私はそう考えております。
  188. 亀田得治

    亀田得治君 そうしたら、特例法と離れて考えてもらいたいのですが、この国家公務員法の百二条で引用されている人事院規則ですね。この如何なる条項によつても、教室内で子供に対して特定の政党を支持させるといわれる教育を教師がした、そういうものは、これには該当しないと、これは明確に言えますか。
  189. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この点は特例法の解釈の問題であろうと思います。でありますから、これは特例法についての有権的な解釈は、人事院総裁がお見えになつておりますから、この人事院総裁の御見解というものが少くとも行政的には権威を持つものであろうと私は思つております。ただこの七には「いかなる規定も、職員が本来の職務を遂行するため当然行うべき行為を禁止又は制限するものではない。」この「当然行うべき行為」というのが一体どの程度の問題であるかということだろうと思います。今朝来この大学先生については特にこれが当時この公務員についての反対があつて、特に解釈においてその点が緩められているというふうなお話でありましたが、これは必ずしも大学教授だけに限つてこの違法性阻却の規定があるのではない。職務上正当に遂行するための行為、つまり職務を行う場合にはその規則の違反の制裁を受けないということが書いてある。そうして人事院の解釈、これは一般に発表せられた解釈によりましても、「例えば国立大学政治学の教授が学術的見地から現行の選挙制度の不合理性を指摘し、経済学の教授が米券制度の得失を批判する研究論文を発表すること等も同様である。」つまり違法性阻却の場合として書かれているのであります。だから一応職務の遂行としてなされる場合には違法性が阻却されるものと、こういうふうに私は考えておりますし、又実際の問題におきましても、殊にこの義務教育学校等におきましては実際の問題の発生するケースを考えても、児童生徒を相手にしての特例法違反、つまり特例法違反と言いますか、この人事院規則違反、つまり特定の政治目的を持つて特定の行為をするというようなケースは事実上殆んどないのではないか、こういうふうに私は思つております。
  190. 亀田得治

    亀田得治君 これはやはり私どもから見るとそこに一つの危惧があるわけなんです。それはどういう点かというと中立確保法のほうは成るほど本犯と関係なしに切離されて教唆扇動を問題にしているのですか、従つて教唆扇動されたものが教室でやつてもこの中立確保法には関係ないのだ、こういうことが盛んに言われている。そうするとこの教唆、扇動された教師は何でもないのだ、こう伺つているのですが、どうも細かく調べて行くと必ずしもそうならないのじやないか、こういう実は懸念がする。それはなぜかと言いますと、この人事院規則ですね、例のことをずつと細かく見ますと、やはりここに流れておる精神から言いますと、この教師か教室でいわゆる偏向教育をやつた、このどれかに当るような気がするのです。この人事院規則を作るときには勿論そんなことは考えなかつたでしよう。これは別個の立場から作つておるのですから。ところが一方ではそういう偏向教育ということがこの中立確保法によつて不法な行為なんだ。社会的にこれは排斥さるべき行為なんだということがこれによつて明確になつて来るわけですね、社会的というか、刑罰の対象になる、そういう不法行為なんだということが明確になつて来るわけでしよう。そういう考え方がずつと出て来ますと、成るほど人事院規則を作るときには考えなかつたことであつても、」の規則自身は、これは抽象的な規定でありますから、こういう法律ができたというのは勿論そういう偏向教育というものは、この人事院規則にひつかかるのだ、こういう解釈は絶対にあなたがとらないのだ、こういうふうに断言されれば私それで安心するんですが、どうもそうならないように思われるこの点は人事院総裁考え方も承つておきたいと思うのです。
  191. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 今申上げましたように、偏向的な教育をしてはならない、これがまあ一種の不法行為であるという点につきましては、すでに教育基本法第八条の二項の規定のある限り、これはこの法律案提出せられると否とにかかわらず、その点は既定の事実であると私は思います。そこで仮に国立学校先生の場合について、それに限定して考える場合には、国立学校先生については、この人事院規則がそのまま初めから適用されておるわけであります。そうして国立学校におきましても勿論教育基本法八条の二項のいわゆる偏向的教育をしてはならん、又それをすることが法律の違反であり不法行為であるという点は、この法律案があるとないとに関係のないことであります。そうして公務員政治行為の制限というものは、公務員たる身分を持つておる人がその個人的の関係において一定の政治活動を禁止する、こういう規定であつて、そうしてそれが職務上どうしてもしなければならん、つまり職務としてそれをするような場合には、むしろ違法性が阻却されるものである、こういうことを規定しておるのであります。でありますからして、このたび公立学校教職員国家公務員と同様な地位に立たしめるというそれかあることによつて人事院の規則の適用が何らの変化を生ずるものではない、かように思います。ただ、私は先ほど申上げましたように、人事院規則に対して、これは私の個人的の見解でありまして、当面の責任者として有権的な解釈はこれは人事院においてなされることであります。私は私の個人的見解を申上げれば、職務上の問題であつても、それを自分で意識してそれを承知の上で学校において、特例法の人事院規則に違反するようなことを教室においてする、つまり職務の遂行である形式はとつてつても、それを承知の上で人事院規則に違反するような行為を教室においてする、これは主としてまあ教室で演説するといいますか、そういう意見を発表する場合であると思いますが、そういう場合には、これは特例法の違反として、人事院規則の違反として罰せらるべき場合が生ずるのではないかという、これは私の個人の見解を持つております。これは誠に釈迦に説法になつて恐れ入りますが、外科の医者が人を手術する場合に、これは治療行為という場合でなければ、人の体を勝手に切つたり張つたりすることは、これは当然に傷害罪とか何とかいうことになりましよう。併しそれが当然の職務としてなされる場合においては、これは通法性が阻却せらるる。これは当然のことである。但し、その医者が手術の形式はとつても、初めからその人を殺すつもりで手術に名を借りて殺したということが立証されれば、これは職務行為として違法性の阻却さるべき肋合いじやないと思う。私がこういうことを申上げるのは少し行過ぎでありますが、私自身はそういう見解を持つております。併しこの点は人事院総裁もいらつしやることでありますから、これは人事院総裁のほうからお答えを願つたほうがいい。私はそういう考えを持つてつて、これがために教室における先生教育活動というものが、この人事院規則の対象として罰則を科せられるということは通常の場合においてはないものであると、こういうふうに考えております。
  192. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 私から補足さして頂きたいのですが、只今文部大臣から仰せになりましたことで私は同感でありまして、よろしいと考えております。一体この人事院規則は、ただ一定の目的を以て一定の行為をやつた者を罰しておるというだけのことでありまして、初めから偏向教育とか何とかいうことはこれは全然考えておらんのであります。それで運営して参つておる。その中にはすでに国立大学教授を初め、国立学校先生はその適用を受けて来たのでありまして、今度のいわゆる中立法案なるものが仮に制定されたとしたらどんな変化が起るか、さようなことはない、従来の通りである、かように考えております。
  193. 亀田得治

    亀田得治君 もう少し具体的に例をとつて申上げますと、この人事院規則の第六項の十四号ですね。「政治目的を有する演劇を演出し若しくは主宰し又はこれらの行為を援助すること。」、これは政治行為の第十四番目ですね。そしてそれが第五項の政治目的の、例えば第四、「特定の内閣を支持し又はこれに反対すること。」、こういうことが想像されるような内容のものである。そして先生が学芸会で子供に対して、まあ先生がいろいろ主宰したり、援助をするのはこれは普通ですから、そういうふうに結付く、こういうことになりますと、但しこの第七項には、「この規則の如何なる規定も、職員が本来の職務を遂行するため当然行うべき行為を禁止又は制限するものではない。」と、これは仰せの通りあるのでありますが、ここに「本来の職務を遂行するため」と、「本来の」となつておるわけですね。これは私どもの経験から言つても、いわゆる偏向教育というものが一方で単に基本法といつたような法律できめるだけでなしに、こういう法案が出てその処罰の対象となつて行く、こういうふうな事態になつて行きますと、今申上げたような十四号なんかの中に、教師の教室内における行動というものが挿入されて来る虞れは私は十分だと思う。これは恐らくこういうものを細かく調べる教育委員会があつて、これに該当するのじやないか、これをどうして放つて置くのだと、こういうふうに出られたら、言葉の上では私は否定できないのじやないかと思う。その際に、いや、第七項に「本来の職務」云々とあるのだからと、こう言われるかも知れないが、そういう行為はもう本来の職務遂行のために当然行うべき行為じやないのだ、だからこの第七項によつてもそういうものは違法性を阻却しないのだ、こういうふうに必ず言われるのですよ、これをやつけようと思えば。だから私今度の二法案が出ても決して学校や教室内における先生行為までは対象にせんのだと、こういうことをちよつと記録を見ますと言われておるのですが、必ず止しもそうならんのじやないか。やはり法律は一旦出来上つてしまいますと、その文字の解釈の許す以上はその法律をやはり理詰めで適用されて行く、こういうことに私はなるような気がして仕方がない。若し文部大臣がそういう場合までも実は考えていないのだと言うのであれば、何かそういうことをもう少しこの二法案の中に適当な方法で盛り込んで置きませんと、これも先ほど第三条について申上げたような、無用な混乱を起すのじやないか、こういうふうに考えておるのですが、私が今申上げたような解釈は絶対できないものと文相も、人事院総裁もお考えになりますか。私は克明に法律論を構成する教育委員会なんかができたら、私は成り立つと思う。どうでしよう。
  194. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 人事院規則のことでございますから、私から先にお答えを申上げますが、この中立法案があつてもなくても只今仰せになつたような点は問題になるのであります。即ち教育本来の目的には政治目的はないはずなんでございます。ただ今御指摘になりました「政治目的を有する」という場合は、これが演劇とか文書、図画とかにかかつて来る場合でありまして、そのもの自体の中において政治目的があるかどうかが判定される場合に「有する」という字を使つておる。「政治目的をもつて」と書いてございまする場合は、これはその政治目的があるかどうかを本人について立証する必要がある。「政治目的を有する」という場合は、下に必らず文書、図画とか、演劇とかいうところへかかつて来るので、その文書、図画、演劇等それ自体の中において政治目的があるかどうかが判断せられるわけでありますから、只今の「本来の」というような規定を設けておきませんと、これが不当に広く解釈される虞れがある、そこでそういう規定を設けたわけでありますが、只今仰せになりましたことは、今回の教育中立法の有無にかかわらずそれは問題になつて来る点だろうと思つております。
  195. 亀田得治

    亀田得治君 この「政治目的を有する演劇」、これは勿論客観的に演劇そのものについた形容詞、これは今あなたのおつしやる通りなんです。で、ただそういう「政治目的を有する演劇」だというふうに客観的に判断されますと、丁度第三条でこの目的というものは少しも扇動者を保護することに役立たないと申上げたと同じ理窟で、そういうことが客観的に判断されれば、主観的にも政治目的を持つているというふうにこれはもう当然とられて来ます。そうするとまさしくこの人事院規則に当てはまる。而も当てはまつた場合に第七項では非常に厳重に言つておる。「本来の職務を遂行するため当然行うべき行為」、これだけが抜けるのであつて、そんなことをやつてもやらんでもいいようなことだから、これはやはり引つかかるのだ、必ずこうなつて来る。従つて人事院総裁が言われたように、この中立確保法律の有無にかかわらず、特例法がこういうふうに改正をされて来れば、教室内における行動というものは、この人事院規則によつて処罰の対象になつて来る。あなたもそういう御意見ですね。そういう場合もあるというのでしよう。
  196. 浅井清

    政府委員(浅井清君) お説でございますけれども、若しこの二法案を別に考えまして、現在やつておる人事院規則の運営におきまして、特定の内閣を打倒するための演劇を教室内で教員がこれをやるということになれば、これは人事院規則違反になつていいのじやないかと私は思つております。
  197. 亀田得治

    亀田得治君 そこでそういうことがはつきりしたものであれば人事院規則違反になつていいのですよ。ところが我々が心配しておるのは、何もそんなことを口に出して言うわけじやないのですね、演劇ですから……。そのときの社会のいろいろな材料を取材してやるわけですから、だからそういうものに対していろいろな解釈をされる、つまりそのことが教師の学校における生徒の指導、そういうものに対して非常に消極的にさせるわけです。決してそんな初めから吉田内閣打倒というようなそんな演劇をやるわけはないのです。つまりそういうものを表向き出しておらんでも、そういうことが推測されて来るならばこれに当るというのであれば、つまり教師の教室内の行動は問題にならないのだということだけは言えるのじやないか、これは言えますね、そういうことは。
  198. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 法律の規定はどこまで具体的に書きましても、これは抽象的な運営の部面は残すことは御承知通りでございます。実は若しこのような規則が、只今裁判官について規定されておりまするように、積極的に政治活動してはならないという一句で以て規定されておるといたしますれば、裁判官のような身分保障のない一般の行政官吏については由々しき大事を生じます。よつて、できるだけ詳しく書いたつもりでありますが、それでも只今仰せられたような問題は残つておると思います。そこで、只今人事院規則の運営では、違反事件があるときは直ちに人事院に報告することになつておりまして、その規定もこの中に入つております。これはそういう運用において濫用のないように適切な運用をして行きたいというところから出ておるのでございます。
  199. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると、結局、成るほど中立確保法に関連して被教唆者が処罰されると、教唆を受けて行動した人が処罰されると、そういう関係は断ち切られておるのでありますが、この特例法の改正によりまして、結局は教室内の行動が問題になるのである、今度の改正によつて。だから、これは国家公務員である教師についてはまあ現在もやつておるかも知れないが、そうでない地方公務員である教師にとつては、これは大きな改正になつて来るわけです、ここで。で、こういうことになりますと、私が最初に申上げたように、いわゆる子供というものがそういう事件が起きて来た場合にはやはり法廷に出されるのだ。こういう事態になりますよ。そこまで考えなかつたのだというなら、文部大臣、この特例法の改正で百二条援用するが、但し、教師の教室内における行動なんかは問わないとか何とかね、明確にしておきませんか。文部大臣はその点少し勘違いされていたのじやないかと思うのです。私はそういう意味でこれは必ずこの法の運用如何によつては、子供というものが法廷の対象になつて来る。そういうふうに今の人事院総裁の解釈を進めて行つてもそういう場合があり得るわけですが、どうでしようか。
  200. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは観念としては偏向教育をする、つまり教育ですから教育活動でありますが、一方的に偏つた教育をするということ自体を、この特例法といいますか、政治行為の制限として考えているのではないことはこれは明瞭であります。政治行為の制限は、公務員たる身分を有する教職員の個人的政治行為の制限であります。そこで只今御指摘になりました政治目的を有する演劇をやりたい、これを主宰したり演出するということは、これは学校であろうが学校でなかろうが、これは別途の禁止された政治行為であります。それをたまたま教室内においてやつたと、これは少くとも観念の上から言えば、これは特例法違反になるかならんかは、これは人事院の行政的な御解釈もありましよう。又裁判所に出れば裁判所によつて判断されることでありましようが、併しそれが行為の形態において特定の内閣を打倒するようなことを目的としているという演劇であるから、成るほどそれを教室内においてやれば、いわゆる偏向教育の一つの場合と考えられるでありましよう。併しそれは偏向教育なるか故に罰せられるのではありません。人事院規則に定めてあるところの政治行為の制限、特定された政治行為の制限というものに違反するからしてこれが罰の対象になる。偏向教育であるからという、その教育であるからという理由では私はないと思うのであります。でありますから第三条のこの中立確保に関する法律は偏向教育教唆扇動する者に対する罰則であります。であるから偏向教育というそういう観念が法廷に移されて、そうしてこれが取調の対象になり、これが処罰の対象になるというのではないので、その政治行為の制限というものに触れるような行為を教室においてやつた場合に、これは偏向教育になるとかならんとかは別途の問題であります。そういう行為が教室内において行われた場合に、これは本来の当然の職務として行われたかどうかという点についてのこの解釈はそれぞれ人によつてありましよう。若しこれが本来の職務でない、当然にすべき行為でないというならば、これが偏向教育であつたからとかないとかいう問題は、この場合には法律的な関係はない。それは人事院規則に違反する行為であるから罰せられる。偏向教育であるからという観念はそこに入つて来ない、私はそういうふうに考えておる。
  201. 一松定吉

    一松定吉君 ちよつと今の質問に牽連して一つお尋ねしたいのですが、この教育公務員特例法の第二十一条の三の二項ですね、これによりますと、国家公務員法第百二条第一項に規定する政治行為をしてはならん、こういうことですね、そうすると国家公務員法の第百二条の第一項はどう規定してあるかというと、前のほうは抜きますが、「これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、」これから先です。「人事院規則で定める政治行為をしてはならない。」、これが百二条の一項の後段の規定です。そこで人事院規則に定める政治行為とは何ぞやと、そうするとそれはいわゆる人事院規則のこの六項ですね、「法第百二条第一項の規定する政治行為とは、次に掲げるものをいう。」、だからいわゆる国家公務員法の百二条の一項に規定する政治行為とはどれをいうかというと、実はこの六項の「次に掲げるものをいう。」次に掲げるものというのは一から十七まで掲げられておる。だから一から十七までの政治行動をしてはならん、そこで今文部大臣のいわゆる七項の「この規則のいかなる規定も、職員が本来の職務を遂行するため当然行うべき行為を禁止又は制限するものではない。」、この七項は準用されておりませんよ。つまり公務員法の百二条の一項というものは、人事院規則できめてある政治行為をしてはならない、その政治行為というのは、人事院規則の六項に規定してあるものであつて、七項のことは言うてはいない。だからして一号から十七号までの行為をしてはいかんとこういう。これをした者は今度の改正法で、即ち「同法百十条第一項の例によるものとする。」とこうある。文部大臣は七項の規定を御援用になつて職務の執行である場合には違反にならないのだとあなたは仰せになるけれども、この百二条の規定は七項は援用していない。援用していないのですから結局人事院のこの六項の一号から十七号までの行為を禁ずることになる。今度の改正法ではだからこの禁止されたことをやれば当然罰則に至るんではありませんか。若しあなたのような御解釈であれば、このいわゆる百二条の「人事院規則で定める政治行為をしてはならない。」ということだけじやいけません。職務の執行の場合には、但しこれは除外するのだという七項の規定の準用があればあなたの解釈の通りでいいが、これがない限りは七項というものは問題にすべきじやない。なぜかといえば六項の一号から十七号までの行為をしてはならんというのが百二条一項の規定なんです。これはどう解釈なさるのですか。
  202. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは人事院総裁からお答えになるのが当然かと思いますが、私にお尋ねでありますから私の見解を申上げます。この国家公務員法の百二条の規定は、これは国家公務員について定められた規定であります。そこでこの百二条の中には「人事院規則で定める政治行為をしてはならない。」ということが書いてある。これはお話通りであります。これは国家公務員についてさような規定があるのであります。そこで人事院規則においてはこの規定を受けて、人事院規則に定めるというこの法律の授権に基いて人事院規則というものが定められている。だから人事院規則は法律から委任された内容は、政治行為を定めるということでありましよう。それ以外に法律人事院規則に対してさような授権をしてはおらんのであります。そこで人事院規則においては、一定の政治行為を列挙して定めている。その場合に一応列挙しているけれども、但しこれこれの場合に、つまり職務としてする場合においてはそれは違法性を阻却されて罰せられない。つまりその場合にはその行為というものは禁止されないということを規定している。これは国家公務員について規定しているのであります。この両者併せて国家公務員に対して課せられる政治行為を禁止する内容をなすものだと思う。そこで今度の特例法改正は、国家公務員の例によると、こう言つている。例によると。国家公務員と同じ立場に立たせる。だから国家公務員について人事院規則の第七項ですか、その規定が適用されるものとするならば、この法律によつて公立学校教育職員についても、当然にこの人事院規則の例によるということになる。いわんやその内容は政治行為の内容であります。こういう場合にはそれは禁止されないということを規定している。人事院規則というものは、その政治行為を定めることについてのみ法律の授権を受けている。だからして国家公務員の例によるといつた場合には、その七項が除外される理由はありません。
  203. 一松定吉

    一松定吉君 あなたの例によるというのは、それは罰則ではありませんか。ここの条文の「同法第百十条第一項の例によるものとする。」というのは、いわゆる百十条の第一項の例によるというのは、即ち国家公務員がこの規定に反したときはこの例による。例によるのは、いわゆる第十九号の第百二条第一項に規定する政治行為をなしたときには三年以下の懲役若しくは十万円以下の刑罰に処する、この例によるというのです。人事院規則の例によるなんということではない。この二十一条の三の2は、百二条一項に規定する政治行為の制限、政治行為の制限というのは、いわゆる人事院規則の六項の中の一号から十七号までがこれである。これをすることはできんという、これをしたときには、この公務員法の百十条の十九、いわゆる百二条第一項に規定する政治行為の制限に違反したんだから、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処するぞと、こういうことなんです。あなたのおつしやるように、いわゆる人事院規則の七項というものが職務に関して、職務の執行であつたならば罰せられないということであるならば、この百二条の人事院規則で定める政治行為をしてはならない、この政治行為というのはどれかというと、六項の一から十七までの、これをしちやいかんと、こういうのです。職務の執行であるとか何とかいうことは、これは二十一条のほうに規定がない。あなたのおつしやるように、人事院規則の第七項を、これを若し準用なさるとか、適用なさるとかいうことであれば、今度の改正法の二十一条の三の最後のところにその意味を言い現わさなきやならん。なぜかというと、ちやんと百二条の政治行為をしちやいかん、百二条の政治行為というのは、人事院規則の六項の一から十七まで、これをしちやいかんと、こういう。職務の執行であろうと何であろうと例外はない。その例外の七号をこれに適用して、七号の場合には罰しないぞということであれば、それは明示しなければならん。明示も何もしてなくて、百二条のこれによつて見ると、この行為を、人事院規則で定める政治活動をしちやいかんと、こう書いてあるのですから、あなたの言うように、七項をこれに持つて来て、それは職務の執行だから罰せられないとか何とかいうのは、このままでは解釈できませんよ。どういうわけですか。それを一つ御説明願いたい。
  204. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 人事院規則のことでございますから、私から先にお答えをさせて頂きますが、今の一松さんの御意見によりますと、公務員法百二条の「人事院規則で定める」というのは、この人事院規則十四の七の第六項のみを指すのであつて、それ以外のものを指してはならんという御趣旨のように考えておりますが、私どもはそうは考えていないので、この人事院規則十四の七は一項から八項まで分れておりますが、この全部を指すのでございます。即ち、百二条で言つておるのは、一定の政治行為をしてはならないのだと、それについては人事院規則で定めると、こういう趣旨でございます。従いまして、若し一松さんの仰せのように、六項のみを指すものといたしますれば、政治目的をきめました第五項は、これは問題でならなくなるのでございます。そうではないので、第五項に定めた政治目的を以て第六項で定めた一から十七までの行為をしてはならない。従いまして、その一から十七までの一つ一つに第七項がついておるのと同じことでございます。から、只今一松さんの御疑念のようなことは生じないと考えております。
  205. 一松定吉

    一松定吉君 あなたはそれでは六項を一番初めから御覧になつたでしようか。読んで御覧なさい。こう書いてある。「法第百二条第一項の規定する政治行為とは、次に掲げるものをいう。」と書いてある。これはあなたはお読みになつたでしようか。
  206. 浅井清

    政府委員(浅井清君) それでは、第五項の「法及び規則中政治目的とは、次に掲げるものをいう。」というのも同じことでございまして、即ち第五項に掲げた政治目的を持つた第六項に掲げる政治行為、これが即ち公務員法第百二条の政治行為考えております。
  207. 一松定吉

    一松定吉君 つまりね、国家公務員法の百二条の一項はどう書いてあるかというと、人事院規則で定める政治行為をしてならんと書いてあります。人事院規則で定める政治行為とはどこかというと、人事院規則の第六項にちやんと定義を示しておる。「法第百二条第一項の規定する政治行為とは、次に掲げるものをいう。」、ですから、「次に掲げるもの」は即ち国家公務員法の百二条の二項のいわゆる政治行為ですから、この政治行為をすることができんと、こういうのです。法文がこうなつておるから。第六項の法百二条一項に掲げる政治行為というのは、左に掲げる行為をいう、左に掲げる行為というのは、この六項の一から十七までをいうのです。これはどう解釈なさるか。
  208. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 然らばその人事院規則の一番初めを御覧下さるようお願いしたいのでございますが、人事院規則十四の七、「政治行為」と書いてございます。即ちこの規則で政治行為とはどういうものかということを言つておりまして、それは第一五項に掲、げた政治目的を持つた第六項に掲げた政治行為、かように考えております。
  209. 一松定吉

    一松定吉君 けれどもあなた、この六項に明らかに書いてあるじやないですか、(笑声、「御尤もだ御尤もだ」と呼ぶ者あり)百二条による政治行為とは左に掲げるものをいうと明らかに書いてある。これをどう解釈するかというのです。そうでしよう、国家公務員法の百二条の一にいわゆる人事院規則に定める政治行為をしてはいかんと書いてある。その人事院規則に定める政治行為というのは、人事院規則の六項に、法第百二条の一項に規定する政治行為とは左に掲ぐるものと、ここにちやんと限定してあるのです。あなたの言われるようにいろんなところから持つて来て、そんなことはできんです。ちやんと規定してある。だから一から十七までは国家公務員法で禁止されておるのだから、これをしちやいかん、これをしちやいかんというのに、文部大臣は、これをしても、それがこの七項のいわゆる職務、本来の職務を遂行するときであれば罰しられぬ、こう言うからわからんのです。若しそのつもりなら七項のこれをこの法文の中に持つて来なければいけませんよ。もう先はこれは議論ですから言いますまい。この通りなら我々は承知できませんよ。法文を無視しての解釈ですから。
  210. 川村松助

    委員長川村松助君) いいですか。
  211. 一松定吉

    一松定吉君 よろしい。もう関連質問ですから。
  212. 亀田得治

    亀田得治君 今質疑したように、この点は非常に文部当局の考え方が不明確だと思うのです。私がまあ速記録なんかを見ます。と、最初に申上げたよに、何か教室内の行動は問題にされておらない、こういうふうに簡単に言われておるのですが、私は問題になる。こういう解釈になつて来れは、いずれは又問題になることがある、こういうふうな考えを持ちます。それでこの点は一つこの法案が最終的な結論に到達するまでに、いろいろこれはお考えを願いたいと思う。で、私の希書としては、たとえ国家公務員法を準用なさるにいたしましても、教室内における教師の行動、これは一つ罰則の対象にしないように明確に実はしてもらいたい。そうしませんと、先ほどから申上げますように、そういうことが罰則の対象に心ならずもなつて来るということになれば、結局は裁判で、証人は子供です、お前一体どういう話を聞いたのか、子供のことですからまちまちですよ、答え。だからもしそういう裁判に対して争う教師が出れば、子供全部を調べてみなければならんことになる。教師のほうから要求すれば、これは全部調べなければいかんです。而も子供のことですから内容が極めてはつきりしない。何か書いたものがあるだろう、こういうことも言われるかも知れんが、子供の書いたものですから、どうにでもとれるようなものばかりに違いない。どうせそういう裁判があるというふうなことを予想しておれば、それは先生も注意してこれは偏向教育でないのだということを最後に附加えるようなことを書かすでしようが、そんなことを一々考えて話ができるものじやない。このことは非常に恐ろしいことなんです。結局は先生の供述とそれから子供の供述、これしかなくなる、この裁判は。私はこういうことが始まつたらどこかで一つ起きてもこれは全国の教師に対して非常に大きな衝動を与えると思う。子供ですからまあ先生をかばうために或いは幾らか嘘をつくのもあるかも知れん。ところが子供は智恵がなくて嘘をつくのですから、嘘をついたことが却つて不利になつたりいろいろな悲喜劇が起る。子供では不十分だというので子供から聞いた父兄からそれじや間接に聞こう、証言としてとる、これは間接は大して価値のない証言ですが、併しそれも参考になるかも知れない。父兄の場合には、これは御存じのように、中にはいろいろな考えを持つた人もいる。或いは党派的な立場の人もあるだろうし、だから事態か非常に紛糾して来る。私名今前を思い出せないのですが、アメリカで、学校で共産主義を教えることを禁止する法案というものが問題になつたときに、共産主義の嫌いな教授がこれに対して非常な反対をした。私今ちよつと名前を思い出せないのですが、これは私よく気持がわかるのです。その人の言われるのは、それはむしろ共産主義の教育学校で行われるよりももつと恐しいことだ、先生を処罰するのにその大事な子弟の証言を求めなければならないというようなこと、そういうことをするのは学園の空気を全く乱してしまう、絶対にそういうことはしちやいかんと思う。共産主義の教育をたとえ学校でしても、それで何も生徒が全部共産主義になるわけじやない、だからそういうことも、そういう生徒の証言を求めなければ処罰できないような法律を作ることは何としてもいけないということを強く主張されたのを書いたものを読んだことがありますが、丁度私はそういうことがうつかりしておりますと、今度の二法案の改正で出て来るのじやないかと思う。そんなことまでは考えていないということであれば、一つこの法案の最終結論を出すまでに、この点を一つもつと明確にするように御工夫をしてもらいたいと思うのです。大臣としてどういうふうにお考えになりますか。
  213. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 先ほど申しましたように、偏向教育をした、或いはするというそういうことの観点から、先生が犯罪としてその行為を処罰される、こういうことは私はないと思います。ただ他の規則によつて先生刑罰を以て禁止されているような制限が先生に課せられている、こういう場合は偏向教育という観点ではありませんが、それは学校の外でやる場合が無論普通の場合であります。そういう場合にその制限が課せられている。たまたま教室内においてそれが行われた場合の問題を、言つておられると、こう思うのでありますが、その場合にこれは、亀田君はこういう点についてエキスパートでありまして、私は全然の素人であります。法廷における証人の事実調べということがどういうことで行われるか、それすらもよく知りませんが、併しその場合に子供を、つまり特定の行為でありますから一般の偏向教育という観点ではありません。具体的に只今御指摘になつたように、一定の政治目的を有するところの、つまり特定内閣を打倒するとか反対するとかいう意味政治目的を以てする演劇を上演をし、演出をし或いは又主宰する、そういう行為、特に人事院規則に定められたる行為が、たまたま教室内において子供を対象にしてなされた場合であります。特殊の場合であります。これは職務上当然の行為として処罰せらるべきや否や、これは七項と併せて具体的に考えらるべきものだろうと思います。ただこういう場合は演劇を演出したとかどうとかいうことを、私の考えでは、先生と子供の供述以外には立証の方法がないのだ、そういうことになる場合もありましよう。又併しそうでなしに、他に有力な立証をなし得る場合もあろうかと思います。ただお話によりますと、子供を証人に法廷に呼び出すというようなことがあつてはならん。これは成るほど望ましからざることでありまして、併しながら先生が犯罪に該当する行為を教室内においてした、こういうことが仮にあれば、それがそうして裁判になつたという場合に、証人として法廷で必要とすれば、子供を呼んで聞くということも、これは絶無ではなかろうと思います。何もこの二法案ができたから急にこういう場合が生じたということではないと私は思います。刑法において、暴行、傷害というものを禁止せられておる。子供に対して先生が余りひどい躾をした、歐つた、蹴つた、これがいわゆる躾の教育として、これはいい悪いは別でありますが、いわゆる教育活動なりや否やという点に一つの問題がありましよう。併しそれがために非常に大怪我をさせたということで、これが暴行傷害として法廷の問題になつた場合には、それを見ておつた子供が証人に呼ばれる場合もありましよう。それからこの間の本郷で起つた殺人、子供を相手にした誠に悲しい殺人事件がありました。こういうものが法廷に審理される場合に、子供が証人に呼ばれるという場合もあり得るでしよう。子供であるからして、これは法廷に呼び出すということは好ましくないことであることは明確であります。併しそれがあらゆる場合において拒否せられるべきものだとは私は思いません。事実の審理の上に必要であれば、これは裁判所の良識によつて裁判所の認むるところによつて誰が呼び出されるということは、これはあり得ることであろうと思います。ただ私が申上げたいことは、この二法案が出ることによつて、そういう事態が、新らしく日本裁判所にそういう事例が開かれる、こういうことは絶対にあり得ない、かように私は思います。これは偏向教育というものであるからということで罰則を科せられるのではありません。他の法令によつて法律によつて禁止せられておるところの制限、罰則を以て禁止せられる制限が教室内で行われる。そこでそれを目撃するところの子供が呼ばれる場合があり得る、こういうことでありまして、この法案ができたために、そういうことが制度として当然ここに予想されて起る、こういうことは私は承服できません。
  214. 亀田得治

    亀田得治君 約束の時間がだんだん来ますので、簡単に切上げたいと思うのですが、どうも私の言つていることが御了解願えないようなことを私言つているつもりはないのですが、どうも少し食い違う。勿論教師が学校で窃盗したとか暴行したとか脅迫したとか、そういう場合には、これはそれを見た人が証人になるのは当然でしよう。ところが今度この二法案ができることによつて、教室内における教育というものが新らしく処罰の対象になることがあるのです、これは。これは国家公務員の場合には以前からあるし、地方の公務員の場合に新らたにこれに加わるわけですよ。今までは何でもないことなんですよ。それが教師が子供に対して教育をする、そのことなんですから、それで私は問題だというのです。そのことで証人に出されることがある。こういう子供の教育と関係ないことで、教師が学校で悪いことをした、それに対して子供が見ておつたから証人に出す。そんなことは少しもあつても何かほかの先生は驚くわけでも何んでもない。何らの又弊害も起らん。その点を言つているのであつて、これは併しまあ大体私の申上げることも御了解つておると思いますので……。一体こういうふうな問題を、幾らかこの法案としては不明確なようですが、最後にはどう処理するのかというふうな問題になろうかと思いますので、時間の都合考えて、この程度にします。  で、あと一、二点だけお尋ねしておきますが、教育委員会がこの処罰を請求する、こういうことがこの中立確保の前提になるわけですね、処罰の……。で、この場合文部大臣が以前にお答えなつたのを見ますると、甲乙丙といろんな教育委員会がありますが、この取扱が私非常にまちまちになつて来ると思うのです。そういうことをそれでいいのだと、そのほうがむしろ当然なんだというふうな意味にとれるようなことをおつしやつておるようなんですが、その点どうなんでしよう。
  215. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 同じような事例に対して甲の教育委員会ではこれを請求をする、又乙の委員会ではこれを請求しないで黙殺する、こういう場合は当然に起り得る場合だろうと思います。そこでその場合にそれぞれの教育委員会においてそれを請求する、或いは請求しない理由は、それぞれの教育委員会考え方或いは解釈によつてつて来ると思います。同じようなことについて、甲の教育委員会はこれは偏向教育ではないと、従つてこれに対する教唆、扇動があつたけれども、これは罪を請求するべき限りではない、こういう見地に立つ場合もありましよう。乙の委員会では逆にそれと反対の見地に立つ場合がある。或いは甲の委員会ではこれは教唆、扇動という事実が認めがたい、こういう事実について実際問題として認めがたいという見地から請求しない場合もあろうし、乙の委員会においてはさような事実を認める、こういう見地でする場合もありましよう。又甲の教育委員会においては、さような事実は偏向教育を教唆、扇動したという事実があるけれども、実害がなかつた、従つてそう人の罪を請求してまで論ずる必要はない、こういうふうな見地でする場合もありましよう。或いは又非常に実害があつて迷惑をした、このままでは放置しておけない、こういう考え方でそうして教育委員会が請求する場合もありましよう。でありますからこれは一種の親告罪的な制度でありますから、教育委員会としてはむしろ被害者のような立場をとる気持が多かろうと思います。つまりこういう迷惑なことをされるのは困る、こういうことである。自分らの手では負えないから官憲によつてそういうことをやめさしてもらいたい、こういう場合が実際の場合としては起ると思います。これはすべての親告罪的なものについてそれぞれの親告訴権者によつてこれはまちまちであります。これはまちまちになるということがいけないのだ、いやしくも法を維持し、法に違反するようなことがあれば、ことごとく、まあ極端に言えば、草の根を分けても罰しなければこれは公平にならん、こういう考え方も一つの考え方であるかも知らん、法を維持するという点から見れば。併し現実に教育中立性を維持するということが目的であつて、そうしてその当面の責任者であるところの教育委員会意見従つて、或いは請求し或いは請求しない。こういうことが起つても、これが私は非常な混乱であつて秩序を乱すものである、こういうふうには考えません。この点については私は裁判についても同様であると思います。甲の裁判所と乙の裁判所が必ずしも法律上の見解を一にするものではない。甲の裁判所においてはこれは有罪ときめるかも知れん、乙の裁判所においてはこれは無罪ときめるかも知れん。裁判所はそれぞれの管轄地域によつて区分がきまつておりますから、その場合において両者併せて考えて見るというと、同じことをやつて、甲の場合には、甲の裁判所の地域におればこれが有罪になる。乙の地域におればこれが無罪になる。こういう場合は私はあり得ると思う。又検察官にしても起訴するかしないかということは、当該検察官の意見従つてすることであります。同じことをしても甲の検察庁ではこれが起訴に値いしないと思うかも知れない。これは起訴すべきものであると思うかも知れない。これは私は決して異例の問題ではなくて、こういうことは如何なる場合においても起る問題であつて、これが特に一般的な混乱を引起す、こういうことは実際上私たちは考えられません。
  216. 亀田得治

    亀田得治君 そこが実は問題があるわけです。どういう点かと言いますと、成るほど一般の処罰についても、裁判所により、或いは起訴前の検事の取扱、これも人によつて幾らかの違いというものは出て来ておる。併しそれはやはりそこに一定の違いの幅というものがある、そんなに大きな違いというものはあるものじやないのです。ただこの教育委員会の場合には恐らくいろいろな、今大臣もおつしやるように、型が私は出て来るのじやないかと思う。その出ざるを得ないというところに実は問題がある。そういうものは本来は処罰の対象に適しないのです。行政的な措置の段階なんですよ。そういう段階のものならいろいろな裁量があつて然るべきなんで、いやしくも人を刑罰の対象にする、これが扱う委員会によつてまちまちになるようなことが起きて御覧なさい、こんなことはちよつと承服しませんよ。幾ら刑法の運用が裁判所、検事によつて通う三一号たつて、そんなに大した違いがあるものじやないのです、日本全国……。教育委員会の場合必ず私は違つて来ると思う。それは本来処罰なんかで以てやるべきものでない、行政的な範囲のものだということをそこからも実は証明しておると私は思つておるのです。そういう意味で、じやそれを私、画一的にやれと、こういう意味じやないのです。大臣がそういうふうにお答えになつているその裏には、つまり処罰の対象にするのかそういうことでは無理なんだ、いやしくも人を刑務所に入れるのに、そのときの事情で取扱が相当違つて御覧なさい、処罰される人がそれで納得するものじや絶対ない。これも一つ罰則を以て臨むかどうか。これは非常に議論になつておる点でありますから、一つこれは問題点としてお考えを願いたい。  それからもう一つは、もう最後にいたしますが、特例法の改正によりまして国家公務員の例によることになりまして、一定の行為をやつた場合には三年以下、十万円以下、こういう罰則が今までなかつた人たちにつくわけです。ところかこれは先ほどもいろいろ人事院規則のことで問題にされたわけですが、人を処罰するのに、この特例法のこれだけを見てはわからない。国家公務員法の規定によるというから、国家公務員の百二条を見ると、それを見てもなお且つわからない。もう一つほかのものを引つくり返して、人事院規則の政治行為というところの項目を引張り出して見る、こういうことなんです。而もそれをずつと関連して見ると、いや、その七項が引用されておるとかおらんとか、これがはつきりしないような問題があるわけですね。こういう形で刑罰法規を作る作り方ですね。これは絶対にこういうことがあるのはいけないと思います。人を処罰するのにはちやんと処罰を、その法律の中で処罰条件というものが明確になつて来んといけない。  それからもう一つは、その形式の問題が一つと、それからもう一つは、その処罰条件を人事院規則に大幅に譲つておる。これは罪刑法定主義の立場からいつておかしいと思う、こういうことは。で、いやそれはもう従来国家公務員法でやつて来たことなんで、今更始まることじやないと必ず又こういうお答えをされると思う。そう頭を下げられるとこれは困るのですが、(笑声)そういうお答えじやこれは満足行かない。と言いますのは、国家公務員に対してそういう今まで扱いをやつて来たこと、それが私は問題だと思う。そういうやり方で処罰法規というものを作つて来たことが、これは一つの行政罰の対象とか或いは行政上のいろいろな懲戒のための規定とか、そういうことならいろいろなものを引用したりしてされてもよろしいのですが、人を処罰する場合に、これは憲法の罪刑法定主義に反すると思う、絶対にこれは。現に人事院規則、これは国会の承認を得ないで変えれるんでしよう。それはそんなに滅多にむちやな改正はいたしません、こうおつしやるかも知れんが、されるかも知れない。だからその点一つから見ても、私はこの際にこういう処罰規定のやり方は改めてもらいたいと思う。刑法というものは、そういう点だけじや極めて人を処罰するに厳重にやつているのですから、それが一方ではこういうふうにルーズなやり方で法律が作られる。而もその処罰条件が一部ほかの規則に任されている、こんなことは私は大変なことだと思う。国家公務員で今までそういうことがあつたからといつて、これは許されることじやない。従来のやつも引つくるめて、この際私は改めてもらいたいと思う。これは人事院総裁、両方とも一つどういう御見解か承わりたいと思います。
  217. 川村松助

    委員長川村松助君) 簡単に願います。
  218. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 先ずこの特例法一部改正の法律案の書き方の問題であります。成るほど国家公務員の例によると、こういう極めて簡単な書き方でありますから、これだけを見たのでは、これによつて制限を受ける先生がたが一体何を制限されたかわからん。こういう、これだけ免れはわかりません。併し国家公務員の例によるということでありますから、国家公務員に関する政治行為の制限というものを御覧になれば、自分たちの受ける政治行為の制限の内容、これはわかるはずであります。ただ書き方として、できるだけわかりやすく書いたほうがいい、これは御意見であります。御尤もに思いますが、ただこの例によるということは、私から申上げては釈迦に説法でありますが、ただ現在の国家公務員法に規定してある制限の内容、或いは又人事院規則に規定してある内容を地方公務員に対して準用するとか、或いはそれと実質的に同じ制限を課するとか、つまり現在のものを基礎としてそれと同じ内容を地方公務員に課するためにというだけではないのでありまして、国家公務員と同様な立場に立たせるということは、将来国家公務員に関係して政治行為の制限に関する法律の規定なり、或いは人事院規則が改正された場合には、自動的に地方公務員たる公立学校教職員もその制限の内容が変つて来る。つまり国家公務員と同じ立場に立つ、こういうことが趣旨でありまして、列挙するのとはそこが実質的に違つて来るのであります。でありますからして、これはまあさようなことを一般に周知させる方法をとるということができるならば適当であろうと思います。これはまあ従来もそういう用例が前からあることでありますからして、その用例に従つたものとして御了承を頂きたいと思います。  それから人事院規則の問題でありますが、これは私からお答えをいたすのは筋違いであると思いますが、併しこの教育公務員特例法の一部改正に当つて、この問題を併せて考えたかどうかということでありますが、これは成るほど人事院規則の内容に定めてあるような、相当広汎な、或いは又重要な制限というものは、殊に罰則を以て規制されておる制限、これを規則に任せないほうがいいんだということは、これはもう十分その理由がある、一つの議論であろうと思います。又一つの見識であろうと思います。ただ現行法においては、これを人事院規則に譲つておるのであります。でありますが、これは法律自身がこれを譲つたのでありますから、これを若し不適当であるとするならば、法律を改正して、そうしてかような規則に譲らないという方法は立法府においてとり得る。何時でもとり得る問題であろうと思います。これは若し不適当であれば是正をする途があるのであります。ただ一応法律によつてさような方法、措置をとつたと、こういうふうに私は了解をしております。ただ今度の特例法一部改正におきましては、これは国家公務員の例による、つまり国家公務員並みにする、つまり地方公務員国家公務員の場所まで運んで来ると、こういうことでありますから、その辺人事院規則を法律によつてきめるというところまで私どもとしてはこれを考え立場ではありません。ただ法律によつて人事院規則に任せて、そうして人事院規則においてはこれを列挙して、具体的な行為として規定しておるのでありますから、いわゆる罪刑法定主義というものに反するとか、或いはその趣旨に……そういう趣旨から見て、少し違つてはおらんかというふうに私は考えます。
  219. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 只今文部大臣から申されたことに尽きておるのでございますが、人事院としての意見も述べよとのことでございますから、一言補足いたします。只今の罪刑法定主義は御尤もでございます。でございますから、人事院としては、人事院規則が法律として立法化されることに少しも反対はいたしておりません。ただこれは国会の御意思で、現行法がかように相成つておるので、我々としては現行法を基礎としてお答えを申上げておるのであります。ただ問題は、私といたしましては、最前申しましたように、裁判官のように、ただ一行で以て一般行政職員の政治活動を禁止するということは、非常に危険があろうと思つております。即ち裁判所法にありますように、積極的な政治活動をしてはならないというような条文でございますと、これは運用によつて濫用される虞れが多分にありますから、相当詳細な規定を設けなければならん、少くとも人事院規則くらいの詳細な規定は要るだろう、その場合に、これを国家公務員法の中に入れて、全体の法典としての体裁がいいか悪いか、この点は考えるところだろうと思いますが、これを法律に、立法化することには少しも我々は反対ではございません。
  220. 川村松助

    委員長川村松助君) ちよつと速記とめて。    〔速記中止〕
  221. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記始めて。
  222. 一松定吉

    一松定吉君 質問を以て答弁を求めるということはせんで、私の疑問のあることだけ申上げまするから、これを御考慮願います。  偏向教育を是正するのが目的であるということはよくわかりますが、それならば偏向教育をやつた者に対してのみ責任を持たせるような規定を設ければよくはないか、然るにこの国家公務員法の規定をこれに準用して、そうして非常に範囲を広くして、本当に教員が何らの活動もできないようなことにするということは、これはよくないのではないか。これは一つの疑問だけ残しておきます。  それから地方公務員法第三十六条の規定は、これには精彩がありませんね、現行法では。ところがこれを今度国家公務員法の百三条により、人事院規則によるということになつて来ると、これが大変重いのであつて、即ち三年以下の懲役、十万円以下の罰金ということになつておる。それには制裁があるが、現行法の地方公務員法三十六条の規定、それには制裁がない。それをにわかに一躍して一年以下の懲役、十万円以下の罰金ということを科するのは、これは考慮の必要がある。お答えあとで一括して願えれば結構です。だからして、地方公務員法の三十六条の規定に、若し必要があれば制裁をこの規定に設ければいいのであつて、これを範囲を拡げて、国家公務員のほうに範囲を拡げるということは、これは余りに行ぎではないかと、私はこう思います。  それからその次は、この義務教育のほうのいわゆる政治的中立に関するものに、教唆、扇動した者は、これは国家公務員法の第百二条の一項によりまして、そうしてこれが同法の百十条の十九号によつて、三年以下の懲役若しくは十万円以下の罰金です。そうしてこの教唆した者は一年以下の懲役若しくは三万円以下の罰金、教唆した者のほうが悪い、教唆した者のほうが悪いのに、それが軽くて、教唆された者は国家公務員法の百二条によつて、三年以下の懲役、十万円以下の罰金と、こういうような刑の偏向は、これは失当である、こういうように私は考えております。  それからこの検挙の仕方が、これでは検挙できません、こういう取締をこしらえましても。而も、常にそういう偏つた教育を受ける者は、これは生徒なんです。これは私が先刻言つた、文部大臣は教室内における云々は七項の規定において除外されるからとおつしやつたが、これは除外されません。人事院総裁お話も、五号のことをあなたは用引になつたけれども、五号は、六号において制限した以外のことは罰せられないぞということが第五号に書いてあるだけであつて、これは条文を見ればよくわかる。だからして、六項の一から十七までのことがいわゆるこの国家公務員法の百二条で禁じられておる。それをしてはいかんと、それは余りに範囲が広過ぎる。地方公務員法ならば、三十六条で僅か七カ条だけ禁じられておるが、併しこれには制裁がない。国家公務員法になつて来ると、一から十七まであつて、そうして制裁が非常に多い。こういうような不均衡なことであつてはいけないのではないか。  検挙の方法についても、これは親告罪になつておりまして、国立大学学長たとか、教育委員会だとか、或いは都道府県知事だとかいうような者がこれを親告する。こんなことで証拠は上りませんわ。そういうようなことを設けて、これはただ威嚇するだけです。威嚇するだけにこういう法律を設けるということならよいけれども、これによつて実績を上げるということは本当はできない。若しこれを実績を上げようとするならば、学校に警察官が私服で入り込んでおつて、いつもこれを監視する、或いは監視員がおるということでなければ、できやしない。そういうことは、財政からもできなければ、治安維持の建前からもそういうことはすべきでないけれども、結局これは威嚇法に過ぎない。こういうようなことをして、そうして教育家が本当に自由なる政治教育をすることもできん。教育基本法の第八条に書いてあるように、基本法の第八条にはどういうことが書いてあるかと言えば、いわゆる良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重せんけれはならん、これだけのことはちやんとやる義務があるのです。そういうようなこともできんようになつてしまう。本当に我々のところにやつて来るように、私どもは口を緘して何もできませんから困つたものでございますという投書がたくさん来る。そういうように、教育家を威嚇するような立法は、これは少しく考慮しなければならんのではなかろうかと、それだけの疑問を残しておきますから、お答えはまとめてお答え下されば結構で、私の時間は来ましたからこれで終ります。
  223. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私から簡単にお答えを申します。  第一の偏向教育をやめさせたいということがこの二法案の主眼であるとするならば、偏向教育を直接やめさせる方法をとるべきであろう、それを特例法の改正をして政治行為の制限をするということはちよつと見当が違うというか、要らんことではないか、こういう御趣旨でありました。偏向教育、つまり教育活動の内容についてこれを一一処罰の対象にするということは、これは先ほど来申上げましたように一面非常な行過ぎを生じて、そうして教育活動を圧迫する慮れがあります。最後にお述べになりましたように、先生方がうつかりしたことは言えない、こういう状態に追込まれる危険が非常にあると思うのであります。でありますからして教育を萎縮させ、萎靡させるような結果が起つてはならないから、偏向教育自体を罰則の対象とはしたくない。それで特例法について、国家公務員と同じ立場に立つてもらうということを考えたのであります。それは教育はこの場合公務でありますから、その公務が適正に執行せられるために、一般公務員というものは政治活動の制限を受けておるのであります。現状は、国家公務員であると地方公務員たるとを問わず政治活動の制限を受けておる。その制限をつけておる根拠は、それぞれが担当する公務を公平に適正に執行運用する、こういうことを保障するために政治行為の制限がしてあるものと私は解釈をしております。この場合において学校先生が教室内において偏向教育をするということは、これは公務たる教育の上においてこれを適正に行つていない一つの場合であると考えられます。であるからしてその場合に、教育の特性からして、政治活動の制限というものはこれは国家公務員と同列に置くべきものである、かような観点から特例法の改正をしたのでありますが、特例法の一部改正の趣旨とするところは、学校先生を直接偏向教育をしたというかどを以て処罰の対象とすることなしに、而も先生公務である教育の上の偏向教育というような好ましからざるやり方が起らないように、それを保障するために、公務員自身に対して政治活動の制限をする、これは一般公務員の場合と同様な見地に立つておるのであります。  次に、地方公務員法の第三十六条においては罰則の規定が附してない、然るにこれを一躍罰則を三年以下の懲役というような相当強い罰を以て臨む、これは少し行過ぎではないか、こういう御趣旨であります。これは只今申上げましたように、国家公務員についてはそういう規定ができております。そうしてこの法律は、教育というものが国家的性格を持つておる。国立学校の小、中学のする教育と、それから公立学校においてする教育、その実質においては何らのそこに差異はない、これはやはり国家というものを、法律によつてその基本がきめられて、そうして教材についても文部省のつまり国家において検定をした教科書を使わなければならん、或いは又学習指導要領というようなものにもよらなければならない、こういうことであつて、この点については国立学校の小中学と公立学校との間に、その公務の内容たる教育において何らの差異がない、従つてその公務たる教育が適正に執行せられるがためには、国家公務員と同様な制限の下に置くことが適当である、こういう見地から特例法の一部改正をするわけであります。  それから教唆、扇動した者は一年以下の懲役、一万円以下の罰金と比較的軽い罰である。然るに先生は一年以下ということになるとこれは重きに失しておるじやないか、こういうことでありましたが、教唆、扇動の罰則が一年以下の懲役ということになつておりますが、併しこの教唆、扇動によつて、教室において偏向教育をしたというかどを以ては、職務上の問題として行政処分の対象にはなりましても、その意味学校先生には刑罰は科せられないのであります。従つてこの場合に一年と三年という刑罰の軽重の問題の比較の問題は起らない、これは別途の問題であると考えております。  それからこの場合にやはり人事院規則の七項ですか、お挙げになつて、地方公務員については、その職務上の違法性の阻却の規定は適用がないのだから、従つて特例法の一部改正の結果としての三年以下の懲役が学校における教育活動の上においても適用される場合が生ずる、こういうような御意見でありましたが、これは先ほど申上げました通り、私ども国家公務員の例によるというのであるから、人事院規則の第七項が国家公務員について適用される限り、この点だけ地方公務員たる教育公務員から除外されるというふうには考えておりません。  それから最後に、教育委員会ではこれは立証の方法がない、従つて教育委員会が請求をする場合にはそれについての証拠を挙げる途がないから、従つてこの法律が施行されるためには、ふだんから警察が調べをしなければならん、こういうふうなお言葉でありましたが、この点も私はそういう実際の取扱、捜査の問題についてはこれは一松先生専門でありますから、私その点は明瞭には存じませんか、併しこれは御指摘のように一種の親告罪のようなものであります。親告罪で親告する場合に、先ず警察がするような的確なる証拠を挙げて、殊にこれは各種の親告者が警察に依頼して警察を頼むということはできません。教育委員会の場合でも同様でありまして、教育委員会が警察を使つて先ず調べをして、そうして然る後に請求すべきか否かを定めて請求するというものではないと私は思います。教育委員会はみずからその事実があつて、そうしてこれは是非やめてもらわなければ困る、こう思えばこれは請求をすると思うのであります。その場合において初めて検察の手が動いて、そうしてその事実の有無とそれが法律に定めるところの罰則に触れる行為であるかどうかということは、これは検察庁の手で判断をして、そうして起訴する。そうして起訴されれば裁判官がそれに対して判断をして罪をきめる、こういうことでありまして、教育委員会がその請求をするために警察を使うとか、或いは警察が先ず動かなければ請求をする余地がないということには私はならないと思います。ただそういうものを使わない、そういう十分な捜査機関を持たないために、請求をしたくてもできないという場合がありましよう。あり得ると思います。併しこれはやはり証拠がはつきり、教育委員会としてこれは困る、こういうことをされては……、こういうことがはつきりしないのに、明瞭でないのにやたらに請求をするというようなことは、これはそれこそ混乱を起すことでありまして、これは警察官を使わなければならんの、だということにはならない。親告罪の場合に親告があつて、初めて検察或いは捜査の手が動く、それと同じケースであると、かように思つております。
  224. 一松定吉

    一松定吉君 一分間だけ。私の言うのは、刑の量定がいかんじやないかというのは、教唆、扇動した者はいわゆる一年以下の懲役若しくは三万円以下の罰金、ところが、教唆、扇動された教員は、この規定では処断されぬけれども国家公務員法のあの規定の百十条の、人事院規則のあれのうちのどれかに当てはまるのです。それを一つ研究して御覧なさい。十一号から十七号までに列挙してあるどれかに当てはまるのです。教唆された者は、あのいわゆる人事院規則、百十条のあれによつて人事院規則の六項の規定のうちのどれかに当てはまるとすれば、いわゆるあの規定によつて、百十条の規定によつて三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に当るというのです。この規定では教唆、扇動した者だけ罰せられるのだけれども、今度国家公務員法の規定でやつた者は、あの法に当てはまるから罰せられる、そうすると刑の量定の権衡を保たんということになる。議論はいたしませんが、これは御参考までに申上げておきます。質問終ります。
  225. 川村松助

    委員長川村松助君) 法務委員会のほうはこれで終りました。
  226. 湯山勇

    湯山勇君 大変遅くなりましたが、私もいろいろお尋ねしたいことがありましたけれども、すでに大臣の見解の明らかになつた問題もありますので、特に人事院としての、つまり人事委員会委員としての質すべき点を若干お質し申上げたいと思います。なおお尋ねするに当りまして、大臣は最初非常に謙虚に、納得が行けば、意見を変えることにやぶさかでないということをおつしやいましたが、私も又同じように私自身納得が行けは、私が今持つておる意見を変えることに決してやぶさかではございません。なお、時間の関係もありますから、端的に簡明に一つお答え頂けれはと思います。  で、前提としてお尋ね申上げたいことは、国家公務員に対する政治活動の制限規定による処罰か教育公務員に対して適用された事例があるかどうか、この点を先ずお伺い申上げたいと思います。
  227. 浅井清

    政府委員(浅井清君) これは私からお答えすべきだと思いますが、私の記憶では未だその事例はございません。
  228. 湯山勇

    湯山勇君 誰も今までかかつたことかないということは、先ほどもどなたかがおつしやいましたように、誰もがかかる、たくさんの人がかかる法律は悪法である、同様に誰もがかからないという法律も又悪法であるというような意味のことを、これは浅井総裁も前に衆議院のほうでおつしやつたことがございますね。つまりすべての人が処罰されるような法律は悪法である。同様にすべての人が引つかからないような法律も又悪法である、こういうことを総裁はおつしやつたことがあると思いますし、大臣も又そういう言葉ではないけれども、そういう意味のことをおつしやつたことがおありになると思います。
  229. 浅井清

    政府委員(浅井清君) ちよつと最前のお答えで、私聞き違えておつたのでございますが、お尋ねが、国家公務員たる教育公務員に適用された事例があるかとのお尋ねであると思いましたので、それはないと申しましたが、国家公務員に適用された事例があるかと申せば、それはあるということでございます。
  230. 湯山勇

    湯山勇君 教育公務員の場合はないのでしよう。ではその点を一応御確認願つておきまして、若し教育公務員に対して今日まで適用された事例がないとすれば、これは先ほどから御指摘のありましたように、すでに四年有半をたつておるのですから、やはりこれは教育公務員に関する限りは威嚇法であるか、悪法であるか、こういうことが言えると思います。これを地方公務員にも適用するというところに問題があるわけなので、その点についてお尋ね申上げたいわけですが、その前にもう一つ、文部省設置法の第十一条によりますと、調査局は諸外国の教育事情を調査し、これを研究し、これを利用するということがはつきり出ておりますので、この重要な法律を出すに当つて、諸外国の実例をどのように調査研究、更にこれを利用しようとなされたか。つまり本日の最初からの質問に対しましても、諸外国には余り例がない、私が聞きましたのでは……。私がちよつと二年ばかり前に調査したことがあるのですが、フィリピンに若干あるようでございます。その他の国には全くないようですが、なぜ他の国々はこういう法律を作らないでもやつて行けるか、こういうことは非常に大きい問題だと思います。従つてそれらの調査研究、そういうものの結果について簡単にでございますが、お知らせ頂きたいと思います。
  231. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 外国の立法例でありますが、これは国によつて非常に複雑なものもありまして、文部省の一応の調査におきましては、十分的確な調査ができておりません。アメリカにおきましては御承知通り各州によつて非常にそれぞれ規定が違つておるようでありまして、教育活動を直接対象としたもの、これはあるようであります。併し罰則の規定がないというのが一つの場合であります。これは丁度今までの日本の第八条の二項というようなものよりは強いようでありますが、併し罰則の規定はない。それから又或る州におきましては、教員政治行為の対象として罰則があるものもあるようであります。それから破壊活動、これの禁止、その中には破壊的教育というものも含めて破壊活動として罰則を以て規定しておるものもあるようであります。それからフランスにおきましては、政治行為の禁止をしておらんようであります。そうして教員はすべて国家公務員として扱われておるようでありますが、ただ政治行為の禁止はない。ただ教員政治の一般政策を攻撃するというようなことは制限がきめてありまして、それは又教員の懲戒の事由になつておる、こういうふうなことがあります。系統的にはなかなか調査が困難であります。それから西ドイツでございます……。
  232. 湯山勇

    湯山勇君 途中ですけれども、よろしうございます。
  233. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) こういうことでただこれを日本のこのたびの教育法案の場合に一応は調べをしてもらつたんでありますが、併し御承知通り、こういうことはそれぞれの参考にはなりますが、その程度においての参考でありまして、これはこの法律制度というものはそれぞれの国情に応じて、その国の政治行政の局に当つておる者が自分の責任によつて見解を定めてきめなければならん、こういうふうに私は思つております。そこで殊にこの教育法案、殊に政治的中立確保というような法律は、これは恐らくは特殊なものであつて、外国には殆んど例がないんじやないかというふうに私は思います。併しこれはいつも申上げることでありますが、決して好んでこういう法律案提出したのではないのであります。現在の日本教育界の現状からみて、その実情に鑑みてこういう法律案提出した、こういうふうに御了承頂きたい。
  234. 湯山勇

    湯山勇君 私がお尋ねしておる趣旨と大臣のお答えなつた趣旨とは若干違いますので、その点だけ申上げておきたいと思います。と申しますのは、大臣も今おつしやいましたように、成るべくならばこういう法律は作りたくない。大臣のお調べになつた資料は、どこでこういうのを作つておるのかというほうだけしかお調べになつていらつしやらない。私はむしろ、どこの教員つてそう違うものではないのです。それが作つていない国のほうが多いとすれば、それはどういう政策をとつておるか、或いはどういう社会情勢にあるか、こういうふうにすればこういう法律を作らなくても教育中立性は維持できるというような調査が私は文部省として当然なされなければならない。それは大臣の今おつしやいましたように、この法律は好ましくないという前提に立つておられることからも明確だと思います。そういう御努力をなさつたかどうか。これは私は非常にとつてつて参考にすべきものが多いと思いますので、そういう調査がなされていないことは極めて遺憾でもあるし、又端的に言えば、文部省の調査局の怠慢であるということも言えるんじやないかと思うのですが、前提としてお聞きしたいことはそれだけでございまして、次に、国家公務員法を直ちに地方公務員に準用することによつていろいろ不都合な点が越つて参ります。で、そのことを指摘する前に文部大臣提案理由として説明されたその中に納得の行かない面がありますので、この点についてお伺いいたしたいと思います。それは国立学校教育公務員と公立学校教育公務員との間には現在法制上顕著な差が設けられております。こういう前提に立つて、即ちその内容としては制限事項、罰則、それから制限を受ける地域、それらについて著しい差があるようにお述べになつておられます。で、地域について差があることは私もよくわかります。罰則について著しい差があることも、一方は零ですし、一方はあるんですから、これもよくわかります。ただ制限事項に著しい差があるということは私には納得できかねるのですが、これはどういうところからこういうことをお考えなつたか、この根拠を明確にして頂きたい。
  235. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは両者の間に相当な違いがある、その違いのある点が政治行為の制限の内容であり、罰則の有無であり、そしてその制限の行われる地域の問題、こういうような点ということで著しい両者の間には相当な違いかある、こういう意味で申上げたと思います。そこで政治行為の制限につきましては、御承知通り国家公務員におきましては法律で一応のことをきめて、そうしてその大部分の禁止さるべき政治行為の内容というものは人事院規則に譲つております。それから地方公務員におきましてはこれはやはり国家公務員よりもむしろ或る程度詳細に直接法律によつて禁止せられる行為の内容を採上げております。併しやはり同様にそれぞれの地域について条例を以て定めるという規定を置いてあつたと思います。丁度条例と人事院規則が相対しておるような形であります。ただ条例につきましては私は詳細に存じませんが、この政治行為の禁止について条例を現実に定めておるものは非常に少いのじやないかと思います。或いはないのじやないか、こういうふうに思います。又その制限につきましても、これは条例でありますから、それぞれの地方多によつてみなそれぞれ違い得るわけであります。これは地方公務員としてその地域社会の全体に対する奉仕者という立場からその公務の適正を要求せられておる地域から見て、その地域々々によつて内容が違うということは必ずしも不当ではない、こう思います。ただ教育公務員につきましては前々申上げるように、公務として適正を保証されなければならないその公務の内容が国家的性格を持つておると、こういう見地から今度の特例法の改正をしたわけであります。
  236. 湯山勇

    湯山勇君 只今のは御答弁が少し私のお尋ねしたのと逢つております。つまり提案理由には、法制上の違いがある。実質の問題ではありません。而も制限事項及び罰則の有無について差がある。だから制限事項には当然差がなくちやならないはずです、この提案理由通りから行けば。ところが今大臣がおつしやいましたように、人事院規則のほうは十七項目かつきりです。ところが地公法の三十六条によれば制限項目として挙げてあるものは四項目ですけれども、第五項目に条例でこれを更に加えることができるようになつている。つまり十七に対して地方公務員の場合は四アルフアという形になつております。従つてどちらが制限が大きくてどちらが制限が小さいということは法制上差があるとおつしやるけれども、法制の建前からは全く差がない、差があるという断定はできないということになると思うのですが、これはむしろ人事院総裁のほうから御見解を承わるほうが適当かと思いますので、その点についてお願い申上げます。
  237. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 私、文部大臣提案理由に何とあるか存じませんが、今承われば制度上とある。制度上ということが法制上でございますれば、或いはお示しのように差はないかも知らん。併し実際の制度上ということですと、こういう条例があるかないか私は存じませんが、或いは現存するものはないのじやないか。そういう意味であると私は了解しております。
  238. 湯山勇

    湯山勇君 総裁がおつしやいましたように、これは提案理由には、はつきり現在法制上顕著な差があるとあるのです。だから間違いでございましよう、今のは。
  239. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 制度上は条例が附加わつておりますために、これを差があると言えないかも知れません。
  240. 川村松助

    委員長川村松助君) 答弁を求めますか。
  241. 湯山勇

    湯山勇君 確認だけいたします。総裁は先ほど、制度上の場合だと実際問題を伴うからどうかわからないが法制上の差というものは考えられないとおつしやいましたので、その点御確認願つたものと考えてよろしうございますか。先ほどのお言葉の通り繰返したのですから……。
  242. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 但しこれは文部大臣提案理由の中の用語でございますから、どういう意味でそこで法制上という言葉が使つてあるかは、これは文部大臣からお答えになることだと思います。
  243. 湯山勇

    湯山勇君 私は文部大臣の御見解を聞いておるのじやないのです。今のは人事院総裁の御見解を承わつたのだから、それはそれでもう結構でございます。そこで今のような人事院総裁の御見解ですから、これは大臣の提案理由は少とくも政府委員である人事院総裁は間違いであるということをおつしやつたわけですから一つ御明記願いたいと思います。速記録をあとで御覧下さい。法制上となつておるのか間違いだとおつしやつておるから……。
  244. 川村松助

    委員長川村松助君) ちよつと発言を求めておりますから、その話を聞かれたらどうです。
  245. 湯山勇

    湯山勇君 私時間が惜しいものですから……。
  246. 川村松助

    委員長川村松助君) けれどもつておるところがあるというのだから、聞くほうは……。
  247. 斎藤正

    説明員(斎藤正君) お示しの三十六条の第五に定めてあるのはこれは条例で定めることになつております。その場合に、一十六条の政治目的というものはこれは定め得ないことになつております。それに対しまして、国家公務員法の関係におきましては政治目的政治行為につきましても、両方とも人事院規則で定め得ることになつております。従いまして、三十六条の条例に基きまして、政治行為を如何ように定めましても、政治目的については本法に三十六条の本文に書いてあるところを書きますから、従いまして制度上差が出て来ることに相成ると思います。
  248. 湯山勇

    湯山勇君 制度上と法制上と大分混同しておられますが、これは今おつしやつたのは制度上のことをおつしやつたわけなんです。法制上のことではありません。それは一つ先ほどのように……。
  249. 斎藤正

    説明員(斎藤正君) 同じ意味でございます
  250. 湯山勇

    湯山勇君 お間違いにならないように。浅井総裁がおつしやつたのは、具体的な事実が伴えばそれは制度上の問題ということに言えるであろうとおつしやいました。この点一つしつかりしておいてもらわないと困るのです。それから大臣の提案が制限事項及びとなつておるので、行為とか目的ということとは別です。制限しておる事項があるかないかということは、目的がどうあろうと、行為の制限をうんとたくさんすればやはり制限は多くなるのです。よろしうございますね、条例で。おわかりになりますか。だから決してあなたが言われるように目的が変る。たつた一つの、目的つてその制限事項をうんと行為を多くすればやはり制限は多くなるわけです。だから目的がどうだからこうだからということによつて、そのことだけでもつて制限事項に差があるなしということの決定にはならないということも申上げておきたい。で、なおこういう抽象的な議論をするよりも具体的に人ります。今の点は今の点として、はつきり一つ御確認願いまして、次に地方公務員国家公務員法を適用する結果、なおここでもう一つ指摘申上げたいのは、各地方の条例でどういう制限をしておるかよく御存じないということを大臣はおつしやいましたか、これは怠慢です。私は率直に申しますが、地方でどういう条例による制限をしていないかを検討しないで地方公務員に適用されたものを取上げるということは、これは私は非常に暴力だと思いますが、若し御意見があれば承わりたいと思います。
  251. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 政治行為の制限の内容について国家公務員の場合と地方公務員法三十六条に規定しておる点、公務員に対する制限の内容そのものは当然差違があると思います。これは国家公務員法とそうして、人事院規則を合せたものと三十六条に規定してあるそれを対照して見れば、その間に相違があることは明瞭であると私は思います。ただここに著しく違つておりますことは、この国家公務員法におきましては、単に政治行為を制限しておるだけで、地公法におきましては、そういう制限されておる行為をかまわずやれということを、いわゆる教唆、扇動する、そういうものを禁止しております。これは「何人も」という形で禁止しております。これは著しく違つておる点でありますが、行為の内容におきましても、これは両者の間に違いがあることは明瞭であります。それからこの一、二、三、四と行為を列挙して、そうして最後に条例で以てその行為をその地方々々の実情に応じて追加しますか、あなたの言われるプラス・アルフアーというものを規定しております。これは地公法におきましては、この国家公務員法と違つて、いわゆる政治目的というものを法律に書いてあります。でありますからして、条例に譲るところはその的を以てする行為についてそれぞれの地方の実情に従つて追加することができる、こういうふうになつております。従つて両者全く同じであるということは到底言えません。これは制度上も法制上も私ども同じ意味に使つておりますから、その点は御了承を願いたいのであります。それから条例につきましては一例もまだ各府県で条例を規定しておるものはありません。
  252. 亀田得治

    亀田得治君 市町村……。
  253. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 町村でもないのです。
  254. 亀田得治

    亀田得治君 ないのですか。
  255. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) そこで、ただこの点は成るほど調べる必要があるとすればあるのでありますが、併しこの特例法の立案の趣旨は、教育というものの性質から国家公務員法と同じに扱う、つまり現在の地方公務員法に定めてあることがこれで十分であるか十分でないかという問題ではないので、国家公務員と同様に扱う、こういう趣旨が立案の趣旨であることはもうすでに申上げてあるところであります。
  256. 湯山勇

    湯山勇君 具体的な問題に入つてお尋ねいたします。  他の法律を準用する場合には、それを準用するには相当したちやんと理論がなくてはならないと思うのです。それは枠だけの問題ではなくて、個々の具体的な事象についてもそれ相当の合理性がなくてはならないと思います。そこで人事院規則によれば金品を国家公務員に与えることはできないとなつております。地方公務員に与えることはかまわない。そうすると今度の場合の教職員国家公務員政治目的を以て金品を与えることはいけないが、地方公務員に与えることは政治目的を以てしてもよろしい、私一々法文は時間がありませんから条文を引用いたしませんが、これは一体合理的な説明かできますか。国家公務員の例に倣うのだというのでは済まないと思いますから、御説明頂きたいと思います。これは文部大臣のほうからお答えを願いたい。
  257. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この点は実は私どもでもこの法律案を作るときに一応考えたことであります。ただこれはまあ瑣末な点と言えば何でありますが、実は関係各省との政府部内の意見の調整をする場合に、現在のそういう点について、それらの点については人事院のほうにおいても改正せられるまあ御意図がはつきりしなくても、何とかしなければならんという点があるそうであります。で、そういうものと合せて解決したらはいいじやないか。ここで読み替えの規定を作るまでもなかろうというので実はやめたのであります。ただ私は地方公務員であるから、地方公務員に金品を与えということが禁止するのは当然でありましようが、同時に国家公務員に対してもそれを禁止せられてもいいことではないか、こういうふうに思つております。従つて、現在の人事院規則をまあ準用するというお言葉ですか、大体準用すると同じことでありますが、国家公務員の例による場合に、国家公務員に対して金品を与えるとかというようなことがありましても、それを禁止することは不合理ではないのであります。ただ地方公務員についての規定が欠けておるということは、これは御指摘の通りであろうと思いますが、その間の事情は只今申上げましたような事情であります。
  258. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 只今の点でございますが、それは人事院といたしまして考慮しなければならん点があると思つております。大体その「国家公務員に与え」という点、それから国の庁舎に政治目的を有する文書、図画を掲示する云々という点、これらの点については考慮しなければならん点があると思つておりますが、それは先ず国会の御意思が御決定を願いたい。この法律が成立するのかしないのか。この法律か成立した後におきますれば、我々は国会の御意思に従つて行わなければならん。決してそのほかの意思には従いません。国会の御意思に従つて適当の考慮を加える必要があろうかと思うのであります。
  259. 千葉信

    千葉信君 只今文部大臣から、このままでは人事院規則を例にとつてやることは当を得ないが、併し、人事院のほうでも人事院規則の点についてはやはり何とかしなければならんだろうという御意向もあるようであるから、こういう御答弁を頂きましたが、この点は誠に重大な問題たと思うのです。  それからもう一つは、只今浅い総裁のほうからこの法律通りましたならば、人事院としては考慮しなくてはならなくなるかも知れないという、国会の御意思決定によるという御答弁でございましたが、私はお二人に対してこの際質問をしたいと思います。  それは今現行法によりますと、国家公務員法によつて人事院が政治活動の制限をすることのできる、いわゆる人事院規則の制定なるものは、公務員法の第十六条に基いて、この法律に基いてと明記されております。従つて、この法律に基かない公務員法の百二条の人事院規則の制定などはあり得ないだろうと思います。従つて、その場合に問題となりますことは、例えば、国の庁舎或いは施設という問題を地方公共団体の建物若しくは施設というふうに若しも改めるとしたら、少くとも現行法の場合におきましては人事院の越権でございます。それから又地方公務員に対して与える云々という条件におきましてもこれ又越権でございます。それからまだそのほかにもこの人事院規則によりましても例えば第八項等におきましても若しもこの第八項を人事院がほしいままにこれを変更し、人事院規則を改廃するということになりましたら、これは明らかに国家公務員法によつて人事院に委任されているその委任の範囲を逸脱するということは明らかでございます。こういう点について、一体文部大臣は今非常に楽観的なお見通しの上に立つてこの法律案提案されておりまするが、その点については一体どうお考えになつておられるか。  それから人事院総裁に対してお尋ねしたいことは、この法律が通つただけで若しも人事会議においてこの百二条に基くところの人事院規則をこの法律の施行に合致するような方向において改正するということは不可能なはずでございます。今政府のほうから国家公務員法の一部改正法案提案されておりまして、この国家公務員法の一部改正法案が通過いたしますれば、第十六条について改正を目論んでおられるようでありまするから、これが通過いたしますれば、人事院がこの国家公務員法の第十六条に基かないで、他の法律による人事院規則の制定ということもこれは勿論許されるでありましよう。併し浅井総裁自身、一体国家公務員法の第十六条を含んで改正しようとしている国家公務員法の一部改正法案が通過するというお見通しに立つておられるのかどうか、それからこの条文が間違いなくこの通り修正されずに通過するというおつもりに立つておられるのか、若しそうでないとすれば、浅井総裁が言われた、この法律が通ればつまり教育公務員に関する特例法の一部を改正する法律案が通つただけでは不可能なはずです。そういたしますと、只今の浅井総裁の御答弁は少し食い違いを生じて来ると言わなければならないと思いますが、その点は如何でしよう。
  260. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 現存の人事院規則に対してこれをそのまま地方公務員たる教育職員に適用するということは国の庁舎云々のような規定のある点から見てもこれは不合理である、そのまま適用すべきものではないというふうな御趣旨であつたように思います。私のほうではそれは不合理とは考えておらんのであります。国の庁舎を公務員が、地方の公務員であつてもそれをこういう政治目的のためのビラを貼つたり、そういうような類のことをするということは禁止せられて然るべき行為である、こういうふうに思つております。ただ身分が地方公務員でありますから、その場合に地方団体の庁舎等についても同様の規定を設けるべきではないかということは考えられます。その点がつまり人事院規則を適用することが不都合である、不合理であるということでなしに、そういう点が抜けておるということが考えられるのであります。つまり足りない点ができて来る、これは私の了解するところでは、今度逆に国の公務員がそういう政治活動をする場合に地方の建物を使つても、そういうことに利用してもいいか悪いかという問題はやはり同様にあるわけです。地方の公務員がやる場合に国の庁舎を使つてもいいか悪いかという問題があると同じように、国の公務員の場合でもいやしくも公共団体の公の施設というものをそういう自分たちの政治活動のために利用していいか悪いかという問題がやはり逆に生ずるわけであります。それらの点について調整を人事院のほうでお考えになつておる、こういうふうに私ども了解しておるものでありまして、このままでは地方公務員に対して適用することが不都合であるというふうには考えておりません。それから十六条につきましては、これはまあ全然人事院関係のことでありますから、総裁から御答弁があることと存じます。それから人事院規則の八項ですか、これは地方公務員には適用はしません。適用がないということはこの規定自身が国の公務員だけに限つて適用せらるべき性質の内容を持つておりますから、これは例に準ずるといつても入らんと思つております。適用はないと私は解釈しておりますがこの点も人事院総裁の御答弁があるかと思います。地方公務員たる教育職員にはこの八項の規定は適用されない。これは各省各庁の長というふうに書いてありますから、その場合にはこれは入る余地がない、適用される余地かないと考えております。
  261. 浅井清

    政府委員(浅井清君) 今般の教育公務員特例法は地方公務員たる教員国家公務員の例によるというのでありますが、この例によるというのはすでに給与等においても例によるという例は多くあるのであつて、これは少しも構わんことであろうと思つております。従いまして実際上人事院規則の運営の中に地方公務員が実際上入つて来るのであります。この場合に人事院といたしましては適当の人事院規則で調整するということはこれは可能であろうと思つております。それは法律上不可能であるとは私は考えていないのでありまして、それは公務員法百二条によつて人事院規則に移譲されてあるものであつて、これは今回の国会提出されておりまする法案が成立するか成立しないかとは別問題で、現行法上できるように考えております。なお八項は地方公務員には適用ないのでありまして、これは適用させることは不合理であろう、又この点を変更する意思は持ちません。
  262. 千葉信

    千葉信君 私は只今大達文部大臣の御答弁、それから人事院総裁の御答弁について前後順を追つてのちほど質問することにして、この際は関連質問ですから以上で湯山君の質問に譲ります。
  263. 湯山勇

    湯山勇君 それぞれの改正にはそれぞれの理由がなくてはならない。それで今まで地方公務員については地方公共団体の庁舎は使つちやいけないということになつておつたのです。それを許して国の分だけを禁ずるということはやはり不合理だと思う。よろしうございますか。新らしく国の庁舎だけ使つてはいけないということを規定するのであれば、只今のおつしやつたような答弁が成立つのですけれども、それでは地方公共団体の庁舎を使つてよろしいことにした理由はないのです。これはどうでしようか。
  264. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは現在に、この地公法においてはそれを禁止してあります。でありますからして、この点についてやはり地方公務員である身分を持つておる教職員についてこの制限を緩和する理由はない。この点は私もそのように考えます。これは先ほど来から答弁したのでありますが、国の公務員につきましても逆に地方団体の建物、庁舎、施設、つまりそういう公共施設というものをさようの政治運動に使用するということは、これはやはり制限されていいことだと、こういうふうなことでありますので、現在国家公務員については地方の庁舎を使つて悪いという規定はありません。それから地公法においては国の庁舎を使つて悪いという規定はない。けれどもこれらの公の施設というものを政治活動の具に使うということはこれはいずれの場合も禁止されて然るべきものである。その点は国の人事院規則においても調整をされる、でありますからして、それで以てその点は、是正されるものと考えておるわけであります。
  265. 湯山勇

    湯山勇君 今大臣がおつしやいましたように、このことはやはり不合理である。つまりこの国家公務員が今自分たちが使つておる庁舎を使つちやいけないということと地方公務員が使つている庁舎を使つてはいけないということは同義です。同じ意味である。それをこうやつたことには今大臣みずからおつしやいましたように問題がある。で、なおいろいろありますけれども、更にお尋ね申上げたいのは、人事院総裁はこの法律が通つたらこれを考えるということをおつしやいましたけれども、私ども今これを通すか通さないかというために御意見を聞いておるのでございまして、よろしうございますか、通すか通さないかを判断するためにお聞きしておるんだから、このまま適用すれば不都合な、不都合なということは今のような仮定に立たないで、将来の問題としてではなくて、現在のこの規則でこれを適用した場合にはこうだと、こういう不都合があるというようなことを明確にして頂ければいいと思います。これは御答弁要求しておるわけではありません。  それから次にこの問題は、これは一松委員がおられると非常に好都合なんです。大臣は七項はこれは教員にも適用される、八項は適用されない、こういうことを至極あつさりお答えになつておる。これはこのまま適用することが不合理だから八項は適用しないんだと、こうおつしやつておるのですが、不合理なところはたくさんあるのですが、これは大臣の只今までの御言明はつまり当然やらなければならないこととしてやつた、七項は適用されるというのです。先ほど一松委員おつしやいましたので、おられると又関連質問あると思うのですけれども、おられないので、私指摘だけにとどめますが、時間も余りありませんので指摘だけにとどめますが、これは非常に問題たと思うのです。で、以上の点は大体今までにも質問された点もあつたり或いは大臣のほうも大体御用意なさつておられたようですが、私は更にもつとそれ以上にこの国家公務員に対する制限が地方公務員である教職員に適用されることによつて著しい不利益を受けるという場合ができる、そのことについてお尋ねいたしたいのです。それはどういうことかと申しますと、この人事院規則の政治目的の七号に「地方自治法に基く地方公共団体の条例の制定、若しくは改廃又は事務監査の請求に関する署名」、これに関することがあります。ところが現在地方公務員にはこういう制限はなされていないのです。このことは私のほうから大体申上げますが、地方公務員に禁止されておるのは、地方公務員法によつて執行機関等に対する直接請求の署名或いは議員のリコール等に関する署名、こういうふうなものは禁止されておりますけれども、給与とか勤務条件に関する条例の改廃についての直接請求署名については何ら禁止されていない。このことは職員団体が給与、勤務条件についてそれぞれ執行者、理事者と交渉することができるという規定との関連もある。又国家公務員については人事院というものがあるということとの関連があるわけです。これが若し実施された場合には、地方公務員は単に政治活動の制限だけでなくて、給与並びに勤務条件において著しい不利をみることになると思うのですが、これはどのようにお考えになつておられますか。
  266. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは目的に関する規定でありますから、この七号に掲げてあるような目的を以て次の六項に掲げてある行為をする、こういうことであろうと思います。そこで地方自治法に基く地方公共個体の条例の制定若しくは改廃それから事務監査の請求、こういうものに関する署名を成立させ又は成立させないこと、これは国家公務員法において強い政治目的として採上げておるものであろうと思います。そこで地方公共団体の条例の制定若しくは改廃に関する請求、これは地方自治法の七十四条に総数の五十分の一以上のものの連署を以て代表者から云々という、請求をすることができる。これは一定の法律にそういう標準を定めまして、そうしてそこの地域住民の強い意思の現われとして請求をする場合でありまして、単純な何とか条例を改正して、もう少し給与を上げてもらいたいとか、給与を厚くしてもらいたいとかいう単純な陳情とか、そういうものとは違つて、一定の法律に基いて特殊の政治的効果を狙うところのいわゆる政治活動であります。そうして又事務監査の要求、これもいずれかの地方の役所において経理上の不都合がある、こういう弾劾的な意味を持つて要求する、こういうことでありまして、これは国家公務員の場合においては無論国家公務員だからそれを禁止するのでありますが、これは国家公務員でありましてもそれぞれの地域の住民であります。地方団体に所属するその地方の住民であります。住民としての権利、住民としての政治行為、こういうものであろうと思います。住民としての政治行為でありますから、それが今の法律にきめるような特定の数を揃えて、署名を揃えての条例の改廃の要求であるとか、或いは事務監査の要求であるとか、こういうものは国家公務員法においては、やはりそういう目的を以て、特定の内容を持つた行為をすることは禁止すべきものなりとして禁止されていると思うのであります。地方公務員の場合におきましても、国家公務員法に合せます場合に、地方公務員であるから、さような行為は当然許さるべきものである、こういうことには私はならないと思います。これは地方公務員であるから、或いは国家公務員であるからということではないと思うのであります。地域住民として、その地域の行政機関に対して強い要求をする、政治的な効果を持つ強い要求をする、その場合の行為政治行為の制限として、やはりそういう目的を持つ一定の行為を、制限の対象としているのであります。地公法におきましてはその規定がありませんし、国家公務員であるから、地方公務員であるからということでは私はないと思つております。国家公務員に合せる場合にこの規定が地方公務員にも適用される、つまり地方公務員が強い政治活動をするという点の制限の一つでありまして、これが不合理であるということには私はならんと思います。
  267. 湯山勇

    湯山勇君 大臣もよくこの内容を御存じないと思うのです。    〔委員長退席、人事委員会理事宮田重文君着席〕  それは地方公務員は無条件で条例改廃の直接請求をしてもいいということにはなつておりません。地方公務員にもやはり制限はあるのです。ただ地方公務員の場合はその執行部とか知事のリコールだとか、或いは町村長のリコールだとか、そういうことをやつてはならない。或いは特定の議員なりそういう者のリコール等はやつてはならない。併し一般の他の条例については、今まではこういうことができたのです。現在もやることができる。それはそれだけの理由がちやんとあるのです。その理由はどういうことかと申しますと、国家公務員については人事院が勧告もしますし、或いはその勧告は尊重もされますけれども、地方公務員についてはそのような制度がありません。そうして現在の地方公務員の給与、勤務条件は殆んど条例できめられている。その給与、勤務条件に対するいろいろな、これは組合としての交渉も認められているわけですから、これについて直接署名、つまり法にきめられた直接請求をすることも又許されている。これは当然のことなんです。でないと、文部委員長いらつしやいましたらよく御存じですけれども、曾つて岩手県のごときは降給条例というのが出かかつて随分騒ぎました。こういう条例について住民が放つておいて、反対するということはないのです。やはりこれは当事者がこういう条例が出て困るからやつてくれと、こうでなくちやならない。多くの県では地方財政が困つておりますから、昇給のストップだとか降給条例だとか、そういうことをさすがに知事、理事者は考えないけれども、議員提案でやろうとしているのはたくさんある。そうして結局この教にものを言わせて議会だけは通す。議会だけ通るが、これはこの国と地方う違うところは、国の場合は二院制ですけれども、地方の場合は一院制です。だから議会の決議があつても知事が公布しなければこれは有効でないのです。そこで条例が可決した段階において、知事はこれをもう一遍議会に差戻すために、あなたがたこれを一つもう一遍直接請求をやつてくれ、そうしないとこちらから再議に一遍付しても、もう蹴られたら駄目になるのだから、二回しかできませんから、知事はですね、そこで二回蹴られたらおしまいになるから、そのあとは一つ直接請求でもう一遍議会に諮るようにやつてくれということはよくやることなんです。これは今のような人事院を持つていない、二院制でない、そうして勧告その他においていろいろ不利を見ている、或いは勤務条件、或いは給与について交渉権を持つた地方公務員には当然なくてはならないことである。そのことが今度のことによつて剥奪される。勿論特定の内閣を倒すための署名だとか、或いは何といいますか、理事者をリコールするとかいうことは、これはいけないのは地方公務員国家公務員も同じです。この点が明確にならなければこのことによつて非常な損失を受ける。これについて、どうお考えになつておるか。これを一つ承わりたい。
  268. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは、この地公法におきましては、御承知通りに、政治行為の制限をする場合に、その行為をする目的というものを法律で規定しております。地公法三十六条の第二項には、「職員は、特定の政党その他の政治団体又は特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、」こういうふうに、その目的を、特定の政党を支持し、或いは特定の内閣、或いは地方公共団体の執行機関、これを支持又は反対する、こういう場合に限つておるわけです。ところが国家公務員の場合においては、この目的の点も併せて人事院規則にこれを委任をしておることは申上げるまでもありません。そこで人事院規則においては、その目的を、丁度地公法のそれに該当するような場合のほかに、政治方向影響を与える意図をもつて、特定の政策を主張し、又は反対することを目的とする場合、それから国の機関又は公の機関において決定した政策の実施を妨害する目的を以てする場合、それから今お話の、地方自治法の規定による請求に関する署名を成立させ、若しくは成立させない場合、それから地方自治法に基く地方公共団体の議会の解散又は法律に基く公務員の解職の請求に関する署名を請求する。若しくは……。
  269. 湯山勇

    湯山勇君 問題は七号だけです。
  270. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) そういうふうに、国家公務員法の規定しておる政治行為目的についての限定が拡がつております。従つて地公法において、これらの目的以外の目的を以てする政治行為というものは、これは禁止、禁止する対象になつております。国家公務員法の場合においては、今御指摘の七号の場合も、その他の場合も、これは国家公務員法においては、禁止の対象としております。この特例法の一部改正の規定によりまして、これを国家公務員法の例によるということにすれば、それらの地公法に欠けておる部分が行為の禁止の内容として入つて来るわけです。この場合に、地方公務員であるから、この七号というものの目的を持つものは制限せらるべきではない。これは湯山さんの御見解でありますが、私はそうは思わないのであります。地方公務員であるからして、これらの行為を、目的をもつてする一定の政治行為というものも、これは当然禁止されてはならんという御見解だと思います。私は地方公務員であるからの故を持つて、これを禁止されてはならんということにはならないと私は思います。その点におきましては、政治方向影響を与える意図でやる場合、或いは決定した政策の実施を妨害することを目的とする場合、そういう場合と同様に、やはり禁止されていいものではないか。併しこれは国家公務員について設けられておる制限でありますから、この特例法におきましては、これは国家公務員並みにするということによつて、これは当然にそれらの制限が加わつて来るわけです。これは別に地方公務員に対してはこの種の制限をすることは不合理であるというふうには、私は考えません。
  271. 湯山勇

    湯山勇君 これは大臣は他の項目とごつちやにしておられます、趣旨をですね。地方公務員に対してこういうことを認めておるのにはそれだけの理由があるのです。何もこの地方公務員を緩くするためにしておるのではなく、身分、勤務条件、給与に関して、当然国家公務員になされておるのと同じ保護がなされていない、その保護規定として、ここにこれだけのものを許している、それを今度は奪つてしまうのだからこれは大問題である、これについてどう考えるかということをお尋ねしている。
  272. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) この第七号の目的でございますが、これが禁止されましても、こういう目的をもつて政治行為をやりますことは禁止されましても、先ほどいろいろお話もございましたけれども職員団体がその当局に対しまして待遇、条例の制定等につきまして、交渉いたしますことは、これは何ら制限されないのであります。先ほど大臣の答弁がありましたように、この制限の趣旨は選挙権者の五十分の一の連署を以て直接請求をする、これは相当程度を過ぎた政治行為でありますから、これに職員がこういうことをいたしまして、そのために政治の渦中に捲込まれることを制限するという趣旨でございます。国家公務員に対しましてその制限があるのでございますか、地方公務員に対しましてこれを同様に適用いたしますことは何ら矛盾はないと思います。それから更に又地方公務員に対しましてはいろいろな保護がないから、これが与えられておるというお話でございますが、御承知のようにこれは地方公務員法の第四十六条を見ましても、いわゆる措置の要求がちやんとできることになつておりまするし、先ほど申しましたように職員団体の交渉といたしましても東京府にこれは当然権限がある事項でございますから、条例の制定、改廃、こういうことにつきましては交渉することは、これは十分認められたることであります。
  273. 湯山勇

    湯山勇君 そういうことでは不十分だと思います。これは国家公務員つて交渉することを認められておるのです。だからその点を言つておるのではありません。それから又今の給与とか勤務条件について直接請求をするといいことと政治的中立ということは無関係です。つまり社会党に味方をして給与の条例を変更して貰うとか、勤務条件をどうこうじやなくて、これはどの党だつて同じことなんです。偏向というようなこととは無関係である。で、交渉するということを認められておるとおつしやいますけれども国家公務員の場合にしたところで、文部省の人たちが文部大臣と交渉して、それで給与が上つたり下つたりするということにはならない。そうでしよう。で、結局は人事院の勧告を待つて国会の決議によつてなされる。それで国家公務員の場合は一段落ですけれども、地方公務員の場合は更に次に条例というものがあるんです。この場合には誰も勧告しない、責任を以て勧告しない、こういう状態を守るためにこういう措置がなされておるのである。これらも今回取上げてしまうということは不利益な処分ということになる。これについてどうお考えになるか。
  274. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 只今お話のうちに、第七項の条例の改廃或いは事務監査の直接請求でございますが、これが政治的な目的じやないというお話でございますが、人事院規則におきましてはこれを政治行為の前提になる政治目的と、取上げております。これはそして単に待遇の改善等の、その職員が待遇の改善を当局に要求するという関係じやなくて、一般住民に対しまして認められておる権利、その一般選挙権を持ちます者が選挙権者の五十分の一の連署を得て、それによつて地方公共団体の長に対しまして直接に請求する、かような権利なのです。これをこういうことを国家公務員或いは今度地方公務員たる公立学校教員も同様になりまするけれども、そういうことに狂奔と申しますか、それに深入りをしてやりますことは、これは政治的な紛争の渦中に巻込まれると、かようなことになりますので、こういう目的を持つて次の第六項に掲げてあります政治行為をすることを制限をして行くと、かような趣旨であると考える。それから又給与の改善等につきましては只今も申しました措置の要求等の権利もございまするし、地方公務員につきましてもございまするし、それから更に又人事委員会が給与法の整理等につきまして必要があると認めれば、これは勧告することに相成つております。さような点から申しまして、そのこととこの第七項を目的として、政治目的として制限するという問題とは別なものであると考えております。
  275. 湯山勇

    湯山勇君 今の御答弁では質すべき点が多々あります。例えば今、局長は私が政治目的でないというふうに言つたと申しますけれども、私は政治目的でないとは申しておりません。政治的な偏向でない、中立確保の問題とは無関係だと言つている。勤務条件とか給与とかいうものは、いいですか、そういうことを申上げたので、これは感違いしておられます。それから地方の人事委員会が必要ある場合ですけれども、国の人事院の場合は今度まあ改正になれば別ですが、必要である場合じやなくて当然情勢適用の原則に基いてしなければならない、こういうのがあるんです。この辺は非常に違つている。ただ交渉ができるとか同じように勧告ができるとかいつても、その内容が著しく違つている。で、そういうことはただああだこうだという当面を糊塗するようなことでなくて、実際に給与とか勤務条件に関して直接条例に対して意思表示をする、そういう機会が失われるのだということを御確認願えればいい。それが願えればそれについてのことを私は質したいわけなんです。
  276. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 私がお答えします中に言葉がちよつと……。ただ給与並びに勤務条件の要求をいたすことは、政治的の偏向に関係がないというお話でございますが、これはそうであろうと思います。併しながら第七号に掲げてありますように、自治法に基きまするこの直接請求をやると、つまり選挙権者の五十分の一の連署を得てやる。これは一つの政治行為目的でございまして、それを禁止するというこの度の改正案が成立いたしますれば、公立学校の教師もこういう目的政治行為をやりますことはできなくなる。これはその通りであります。
  277. 湯山勇

    湯山勇君 一つずつ押して行きます。そうされることは、地方公務員である教職員にとつては、不利になるということもお認めになりますか。今までできていたものができなくなるのだから当然不利になる。お認めになりますか。
  278. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これはそういうことになると思います。制限をいたすのでありますから。
  279. 湯山勇

    湯山勇君 それならば、それに対する代償はどのようにお考えになつておられますか。
  280. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは服務に関しまして、その職務を公正に執行させるために、一定の政治行為の制限をいたして行くというものでありまして、その制限をいたしますために、何かプラスをするというような関係にはならんと思います。こういう必要がありますので、職務の遂行を公正にいたしますために、この政治行為の制限をするということでございますが、それに関連しまして、それではその代りに、何か与えるかということは出て来ないと思います。そして先ほどちよつと申上げましたが、この第七号が適用されます結果、不利になるという考え方もこれはございますけれども、併しながら政治行為を制限して行くという考え方の中には、一面職員を保護して行くという考え方もあるのでございまして、これは人事院規則の運用方針等にも規定してございまするが、職員が政治的な紛争の渦中に巻き込まれまして、そのために延いて身分が不安定になる。そういうことを保護して行きたい。そして職員の地位を保障して行くという考え方もございますので、必ずしもその政治的制限が加わりましたために、それだけ不利になるということには相成らんと思います。
  281. 湯山勇

    湯山勇君 私はそういう問題をお尋ねしておるのではなくて、給与、勤務条件というのは職員団体の交渉の最大要素であります。職員団体結成の最大の目的です。それに関してのこういう権限を、而も国家公務員と違つた状態にあつて、当然保障されておつたものを、今回不用意に剥奪するということになる。これは重大な問題だということを申上げておるのです。お分り頂けましたでしようか。
  282. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 給与の改善或いは勤務条件の改善ということにつきましては、その教職員の、何と言いますか、職種の団体を作つて交渉する、これによつてその関係についての内容的に給与をよくするとか、勤務条件をよくするとかいうことの内容についての発言は十分にできるはずである。そしてこの七号の規定はさような見地からでなしに地域の住民として一般に条例の制定、改廃、つまり地域において公民権を有するものとして地域の政治に対する法律に定められた発言の形式でありますからして、これは政治的なものとして、それを目的として何か特定の行動をするということは、政治的に公務員としては行き過ぎたことになる、かような見地からの制限であると私は解釈をしておるのでありまして、これは制限されるからそれぞれの職場にある人としてその給与の改善とか、勤務条件の改善の上に不利の結果をもたらす、こういうことには私は考えられんと思います。
  283. 湯山勇

    湯山勇君 現実に不利なものがあるのです。これは文部委員長、今さつきいらつしやいませんでしたが、岩手県では降給条例、現在の俸給の何号でしたか、二号でしたか三号でしたか、とにかく下げようという条例が提案されるところまで行つたのです。こういうことを防ぐのはただ陳情や、請願や、交渉では片付かない。大臣自身もこれは私は聞いたのですが、日教組との交渉において、これはなんぼ言つて来ても陳情みたいなものだから聞き放しでよろしいということを大臣みずからおつしやつている。現在の地方自治体の理事者がただ単に職員団体の交渉をそれほど重要に考えてはおりません。だから議会関係の勢力分野の如何によつては降給条例の昇給のストップも或いは勤務条件についてもつと苛酷な条例も出しかねない。そういう場合に、ただ手をつかねてお願いします、どうか助けて下さいというのでは具合が悪いのです。できないのです。そういう場合にこそ、その地域の人たちの力を結集しなければならない。そのために地方公務員としてはこれはやつちやいけない。政治活動が過ぎるからこの地方の理事者に対するリコールだとか或いはどうだとかいつたようなことはいけないが、このことだけは残しておこうというので残つておる。これは国家公務員とのバランスの上にも必要なのです。大臣も、今、そういうことはないとおつしやいましたけれども、現にそういうことがあつた。これは文部委員長からお聞き下さい。たしか岩手県だつたと思いますから。
  284. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは私は間違つておるかも知れませんが、府県の或いは単位団体としての教職員団体というものは交渉ができる。給与その他の勤務条件の改善について交渉ができると思つています。ただ私は日教組の諸君に対して申しましたことは、日教組の諸君はこれを交渉と同じように扱いたがるのであります。例えば、請求をするのであるとか或いは納得が行かなければ困るというふうのことを申します。これは併し湯山さんのよく御承知のように日教組というものは何も法律に根拠をもつたものではありません。でありますからして、少くとも法律的には交渉権はないはずであると私は思います。そこでいつも間違いが起りますから、話は幾らでも聞くけれども、それはいわゆる交渉ではなくていわば陳情と考える、これは念のために私は日教組のかたがたに面会の際に申したことがあります。これは日教組というものの団体の性質として当然であろうと思います。それは府県の職員団体とかいうものとはそこにおのずから違いがあると思います。それでこの政治行為制限の目的についての公共団体の条例の制定若しくは改廃という広い問題でありまして、必ずしも給与に関する条例とか何とかいうことに限られたものではありません。給与その他の勤務条件の改善については交渉の道があるのであります。これは七号にあることは地域住民として地域の住民に重要な利害関係のある条例、これは当然であります。これは国家公務員でありましても、それぞれの地域の住民でありますから、住民としての重要な利害関係を持つところの条例或いは条例の制定、改廃ということについて、住民の立場でする請求、一定の法律上の条件を具備した請求をする、言葉を換えて言えば、その地域において強い発言、政治的な発言をする、こういうことであろうと思います。でありますからして、国家公務員がそれぞれの地域の住民として地域の政治において重要な利害関係を持つておる、これは十分に認めらるることであります。その場合でも国家公務員としては、仮に地域住民として非常に利害関係の強い問題につきましても、その政治活動の形式が、自治法に定める或いは法律に定めるところの請求をする、その署名を集めるという目的をもつて、特定の、これも限定されておりますが、政治行動をする。そういうことはつまり政治的に行き過ぎを生じ易い、政治の渦中に深入りをし過ぎる、こういう見地から制限されておるものであつて、決して国家公務員だから地域住民として条例の制定、改廃に大した利害関係も持たんからと、こういう意味じや勿論ないと思うのであります。  そこで給与の問題を言われますが、この給与の問題については交渉の道があるのであります。それから無論署名をすることも差支えはありませんし、ただこういう目的をもつて成る程度の強い、例えば署名運動を主催するとか、そういう強い動きをする、これは政治的に行き過ぎの場合を生ずる、こういう見地であろうと思います。ただ今のようにこの場合は一般的に地域住民としての利害に関係する条例の問題を採上げておるのであります。この場合にそれを教職員が地方において給与を受けておるから、だから当然にこれは排除されるという御意見でありますけれども、私はその間別に矛盾はないと考えております。
  285. 湯山勇

    湯山勇君 大臣のおつしやつた意味の範囲においてはありません。おつしやる通り。併しこれは大臣のお考えになつておるのは二面だけであつて、地域の住民としての性格から言えば、勿論差はないと言つても結構です。併しここで特にこのことを規定したのは、さつき大臣もおつしやいましたように、地方公共団体の施設は使つてはいけないというようなことだつて、今の大臣の論法から行けば当然そうあるべきです。にもかかわらず、このことに関してこういうふうにしたのは地域住民としての性格よりも国家権力です。つまり身分上の問題に関係する、これを無視してこの問題を見ることはできないと思うのです。そういうことでわざわざこう来ておるのであつて、この点については十分再検討して頂かなければならない。ただ交渉ができるとおつしやいますけれども、これも地公法にしても国家公務員法にしてもだろうと思いますが、職員団体を作るということは必須の条件ではないのです。勤務条件や給与について交渉するために団体を作ることもできれば作らないこともできる、だから日教組が任意団体だから交渉じやないとか、どうとかいうことも又これも問題があります。間違いだとは申しませんけれども問題があるんです。で、地方はむしろ今大臣がおつしやつたのと逆に正当な交渉さえも阻まれております。そしてそういうことが無視されて昇給昇格のストツプ、それから首切り、それが甚しいところは今の岩手県のように降給条例、こういうことまで出されようとしておる。こういうことですから現在の給与を下げるんです。全部一律に二号俸ずつ下げる。こういうのを条例でやるんです。こういうことは事実なんですから大臣、いいですか、どうか一つこの点は他の点にも問題がありますけれども、この問題は本当に大きい問題です。若しこれについての何らの措置がなされないでこのまま適用されるということになれば、これはもう非常な国家公務員との間の不平等待遇になるんです。国家公務員との不平等待遇というのは説明していても長うございますから、先ほど申上げましたような勧告の問題にしても違いますし、法律通りましても、国家公務員は通つた通り貰えますが、地方公務員は貰えません。で、〇・二五の問題について奈良県知事が遂に最後出さなかつたのも御存じでございましよう。ああいう問題もありますし、それからこのベース・アップにしても、地方公務員の場合はあの通りやられたところもありますけれども時期のずれたところもあると聞いております。ただ合わすために遡つて実施はしましたけれども、渡るのはずつと遅れて渡つたのは沢山あるんです。こういうことを何とか防がなくちやならない。大臣が意図された三本建だつてそうです。国の法律で三本建は通りましたけれども、地方の条例ではできていないためにあれもまだ実施されていないところもあると思う。私はこれには反対ですけれども、併しケースとしては同じです。三本建は必要だとお思いになつて、国の法律でもきまつたつてやはり実施されてない県が沢山ある。これが地方公務員の実情なんです。そのときに国では二本建ができているのになぜ県ではできないか。県では三本建をやつて下さいというこのことを、よろしうございますか、直接請求で訴えることは、これは許されている。国とそれだけ違うのだから、そのことを禁止しようとするこのやり方には大きな欠陥がある。不平等待遇、不利な扱いがあるということを十分一つお考え頂きたい。  それから次に沢山あるんですけれども、次のほうへ移ることにいたします。又時間がありましたら……今の国家公務員に移したために残つた問題で今のように大きい問題ではありませんけれども、小さい問題では辻褄の合わないところが沢山ありますから、指摘しただけでも今のあの寄附金の問題、調査のしようの問題の七項は適用されて八項は除外される問題、それから只今の問題とかいろいろあります。で、大人の着物を子供に着せるような恰好になりましてどうしても直さなくちやならない問題がある。これを人事院規則で直すことは誰に期待されておつてもできないことです。なぜかというと人事院なり国家公務員法国家公務員だけのものですから、これが地方公務員のことを謳えばこれは違法です。越権行為です。できないと思う、やろうとしたつてできない。法律を立てないから、代えない限り、国家公務員を代えない限りこれはできない。人事院規則は、国家公務員で作られたものを誰が使つても勝手ですけれども、私の服を誰が着ようが勝手ですけれども、どなたかが着るために、これを作り直すことは許されない。これが法律の建前ですから、先程来大臣や人事院総裁が、ちよつとそういうような意味のことをおつしやつたかと思いますけれども、これは大問題ですから、そういうことは不可能であるということを御認識願いたい。こういうことに関してです。まだ申上げたいことがありますが、時間があればそこへ戻ります。  次に、二法案を出した理由について、いろいろ速記録によると御答弁になつております。で、その御答弁等から考えて、私は非常に心配になつたのは、この立案に当りまして、知事とか、市長とか、そういう人達の意見をお聞きになりましたでしようかどうでしようか。その点についてお伺いいたしたいと思います。
  286. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この立案につきまして、直接知事、市長、そういう方面の意見を聞いたということはありません。
  287. 湯山勇

    湯山勇君 大臣の先ほどからの御答弁で、どうしてもこういう法律を作らなくちやならないということをおつしやつておるのです。それはなぜかと言うと、教育中立性が守られていない、こういう言い方が悪ければ、そう言うというようなこともおつしやいましたけれども、実際は、政治的な中立性が守られていないということを大臣はおつしやつておられます。若しそうだとすれば、私はここで一つお伺いいたしたいのは、文部省設置法の第五条並びに第八条によりまして、当該自治体に対して、それぞれの自治体、京都なら京都に偏向教育があるということならば、当然文部省の責任において、その自治体に対して助言をする、指導をする、更に強力な勧告をしなければならないことになつているのであります。どういう勧告を京都についてなさつたか、大臣が偏向教育の事例として指摘されておる山口県について、どういう勧告を文部省はなさつたか。このことをお尋ねいたしたいと思います。設置法の第五条か第八条。
  288. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) この偏向教育が行われておるということを、私は、はつきりした形において認識をいたしましたのは山口県の小学生日記、これがはつきりした形で認識した初めであります。尤もその前は、私は文部大臣をしておりませんでしたから。これは就任して聞もなくのことであります。その当時、この種の偏向教育については、全国一般に五条によるところの上限、勧告という見地から、全国の教育委員会に、これを偏向教育が行われないようにと、又それに関連して、勤務の不良な、これはまあ勤務自身でもありますし、職務の執行の内容において、思わしからざる教職員に対しては、そういう先生方がいなくなるように、いなくなるようにというのは、必ずしもやめてしまへという意味ではありません。そういう先生方の後を断つように御尽力願いたい。こういうような通牒を出しました。只今御質問のあつたのは、知事に出したか、こういう意味は、知事は私立学校においては、知事が監督長としての役をしておる。だから知事にも出すべきだ。教育委員会だけでは足りなかつたのだ。多分こういう御趣旨じやないかと思うのです。
  289. 湯山勇

    湯山勇君 趣旨は、文部省設置法による、私今手許に法文を持つておりませんけれども、設置法の第五条並びに第八条に、文部省は地方自治体に対して、それぞれ助言、指導、更に勧告をするということになつております。そうでございましよう。それをどういうふうになさつたか。どこへどういうふうに助言したか。これは決して一般的に通牒を出すということじやないです。勧告ということは、山口県なら山口県はこういう日記帳で不都合なことがある。そこで今のように、地方公務員法第三十六条が生きて来る、こういう条例を出せ、こういうようなことが勧告なのです。そういうことを京都なり、山口県なり、大臣自身さえもこの法律は好ましくないとおつしやるのですから、そうすれば出さずに済んだかも知れない。そういう勧告をなさつたかどうか。その偏向とみなしておる地域の知事に出すのが正しいと思う。条例は知事が出せますから、そういう勧告を市長なり、知事なり、当該者にどういう勧告をしたか、それを伺いたいと思います。なさつていなければ、なさつていないで結構です。
  290. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 先ほど私が申上げたのはちよつと間違つておりました。偏向教育のないように御注意を願いたい、こういう意味の通牒は一般に各府県に亘つて出しました。これは別であるとおつしやいますが、私どもは具体的の事例について一々その場合に指示する、指示するといつては語弊がありましようが、文部省の意見によつてその処置を勧告、助言することもその方法でありましよう。併し一般的に偏向教育というものがないようにして欲しいと思う。これは山口県の日記を具体的の事例として、そういうふうな教育は行われないようにして貰いたいということを、一般的に通達を出したのであります。教育委員会だけに出しておるように申上げましたが、府県知事にも出してあります。府県知事に出してあるのは地方団体の云々という意味ではありません。府県知事は私立学校については勧告の位置にあります。でありますから、その意味において府県知事に出したのでありますが、ただこの種の文部省勧告、これはそれぞれの責任者である知事なり或いは又教育委員会のほうでどの程度の関心を払つて文部省の勧告というものに順応せられたかという点はなかなかわからないのであります。又私は非常に有効であつたとは思いません。残念ながら大した関心と影響とを呼び起すまでには至らなかつた。その後引続き偏向教育の事例によるものが各地に見聞されますので、文部省としてはその後改めて、偏向教育の実情について報告を求めた、これも御承知通りであります。これについても、私どもが満足するような同等は得られませんでした。甚だ申訳ないことであります。今日文部省の、地方の教育委員会やそれぞれの地方の教育機関に対する指導、勧告というものは、言葉によつては違うと思いますが、この偏向教育に関係しては、強い、何といいますか、地方に反響を認め得ないのは甚だ遺憾であります。さような点もありまして、又偏向教育というものがどの程度に行われているかということも文部省の把握も不十分である。それから、一面、日教組等の組合活動として、教育に対する偏向的な方向を指示するとか、指令するとか。又この法律的には、裁判の問題にしては、とくと吟味されなければならないでしよう、これが果して教唆扇動に当るかどうかということは。併しとにかくそういう状況が見受けられる。かれこれ考え合せまして、この二法案提案したわけであります。
  291. 湯山勇

    湯山勇君 大臣が率直におつしやいましたように実例についての調査は不十分である。併しこれも文部省設置法によれば当然そういう実情の調査をしなければならんことになつている。これはやはりなさるべきだと思うのです、そしてどうすればこういうことはとまるかということを事実についてお当りになつて、若し文部省が文部省設置法にあるような助言なり勧告なりで。特にこの地区という事例があれば、これは勧告によつてその地方公共団体に条例を作らせる。作るということの決定はできないにしても、勧告はできるのです。そういうことになれば或いはとまつたかも知れない。というのは実例を申上げますと、今度の場合は実際調査が不十分だつたし、実態把握が足りなかつたから通牒も不徹底だつたと思う。併し昨年か一昨年か消費生活協同組合と教科書の関係については、次官通牒をお出しになつて、それでびつたり、九県ですか八県ですかは、あとで局長通牒によつてこの府県はよろしいという通知を出されたにもかかわらず、殆んど全部が生活協同組合が教科書を扱うことをやめてしまいました。これは何回も公取委なんかで調べて行きまして実態把握をしてからそういう手を打つたからよく行つたわけです。今回の場合は今大臣がおつしやいましたように、実態把握をしていなかつた。だからこの手が適切を欠いたと思うのです。そこで若しこの法律を作ることがさして好ましいことではないというお立場から言えば、文部省の当然採らなければならない中間段階を飛ばして、直ちに法律によつてこれをこうしようという行き方は、行き方としても非常にまずいのではないか。その間の調査或いは手だて、その他についてやはり若干の不備な点があつたということをお認めになられますか、どうですか。おそうございますし、大臣は咳も出ておられますから、どうぞお坐りになつたままで……。
  292. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 文部省として、もう少しこの法律案提案する前に文部省の設置法によつて与えられたる職員として他にとるべき方法、少くともその前提としてとるべき方法があつたではないか、こういうことでありますが、それは私も御尤もなことであろうと思います。ただ今の生活協同組合の教科書の取扱いについては私つぶさには知りませんが、これは事柄がそれとは違つておりまして、実際教育活動の内容自身の問題であります。極めて重大な問題であり、而もこれは人によつて認識はそれぞれ違いましよう。その重大性についての問題、実際どの程度に偏向教育が行われておるであろうかということの判断の点において、又日教組の動向につきましても、これは見る人よつてそれぞれ違うと思います。私は今日の実情というものは、日本学校教育をこのままの状態に置くことは、極端な言葉を以てすれば、一日も放置することを許されない状態だというふうに考えております。そして従来文部省といたしまして、これは条例によつてというようなお話がありましたが、この問題は条例で云々という問題ではないと思います。教育活動の内容それ自体の問題でありますから、公立学校については教育委員会が管掌すべき、この管掌というのは何と言いますか、管轄、所掌という意味であります。という問題でありまして、この問題を条例においてということは、どういうことなのか、条例で扱える場合もあるかも知れませんが、ちよつと私、頭へぴんと来ないのでありますが、要するに問題は事実問題として、偏向教育というものがなくなるということであります。これは先ほど申上げましたけれども、なかなか文部省の力というものは、十分に残念ながら末端においては尊重せられない、と言えば語弊がありますが、どうもそういう点かある。まあほかの予算のことであるとか或いは校舎がどういうふうに普及しておるかというような点についての報告ならば、これは文部省が求めればどんどん必要な報告が参ります。ただこの問題については先ほど申上げましたように、私どもとしては殆んど満足すべき回答は得られなかつたのであります。それならばそういう事例がないからいわゆる該当なしというような県もありました。それは該当が実際ないのもありましよう。併しながら全然報告をして来ないとか、これは文部省は報告する職務権限というものを持つておるのでありますから、そうして教育委員会としてはとにかくこれは報告を求められれば報告をしなければならん、こういう義務があると思います。それにもかかわらず、報告を受取ることができなかつた、又該当なしと言つて参つた府県につきましても、私は必ずしもその言葉通りに該当しなかつたものとは思いません。そういうわけでこの問題は非常にデリケートな点があつて文部省は指揮監督をしたりするということはできませんし、そうして事が教育内容に関係する場合でありますから、これをいささかでも無理な行政的な方法を以て地方にこれを強いるとか、それは法律的には拘束力はありませんが、文部省が事実上の圧力を以て地方に強いるとか、或いは事実上徹成した調査を行うとかいうことになれは、これは又二側付き過ぎの問題が起ります。御承知通り、現にたた通牒によつてそれぞれの実情について報告を求めただけでも、これは思想調査であるとかいうことで、国会において相当に問題になつて参つたのでありまして、この間の問題が重大であればあるだけに文部省がこの間に処して何とかこの偏向教育というものの後を断ちたい、こういう念願をしてこの問題と何して来た、その苦衷は一つお認め願いたいと思います。文部省が何もそれらの点に考慮を払わずに、出しぬけにこういう法律案を出した、出して来て事情を有無を言わせずこれで抑えてしまうのだ、こういうような印象を与えておることは、誠に私どもとして不本意でありますけれども、実情はさようなわけでありまして、同時に又私ども認識におきましては、今日この問題を今日の状態においてこのまま放置するということは、どうしてもできない、こういうふうに思つておるわけであります。
  293. 湯山勇

    湯山勇君 大臣のそういうお気持もわからないではありませんけれども、ただ問題は大臣のおつしやつた通りに受取れないのは、二法案が出されるということが先に決まりまして、それから後に調査の事実があつたわけです。そこに問題のこんがらがつた要素がある、そうでなくて大臣の本当にそういう立場から御調査になるのでしたら、これは恐らく、ああいう思想調査云々の問題は起らなかつただろうと思います。あれほどにはならなかつたと思います。すでに二法案が用意された後にあつたために、静岡の問題にいたしましてもその他の問題にしても、問題が大きくなつたと思うのです。大臣がおつしやつたように、地方に今の文部省の権限を以て強いる意思がない、或いは勧告等にしても、そういうことをするのはどうかと思うということですけれども、これは指導、助言、勧告ということは、好意的になされることなんですが、今回のように法律で一網打尽にやつてしまうということは、考え方によれば、一層地方に強いることになるし、もつと言えば地方を無視したことになる。こういうことも言えるわけです。そうなりますと、偏向教育について心配しておる大臣のお気持は分るにしても、このやり方では結局大臣が考えておられるのと逆なことが出て来るのではないか。こういうやり方だからこそ大臣が予想した以上に、あらゆる方面がこのやり力に対して反対している、こういうことを招いたのではないか。その要素としては、当然これを作るまでに履まなければならない手だてを正当に覆んでいない。これは大臣もお認めになつ通り、そして文書の回答ではやはり駄目です。これは文部省にはそういう課もあるし、局もあるのですから、こういうことにならないときに、すでに現地について御調査になれば、そういうふうに問題の起つたところへ人を派遣して、その実情を調査された例は、他にも沢山ありますし、私もその実例を知つております。それは愛媛県の教育委員会が総辞職をし、教育庁も又やめるという寸前まで行つたときに、田中課長が見えまして、数日に互つて実情をお調べになりました。実に詳細にお調べになつた。で、こういうこともありますので、事例があれば、ただ単に、文書でなくて、文書では本当のことは確かに分りません。だから実情はやはり本当にお調べになつて、これはこうだからこう、という適切な手をお打ちになれば、今日このような混乱した、反対の多い法律をお出しになる必要はなかつたのではないか。このことをもう一度、一つお考え直して頂きたいと思います。更にこの今のことから考えまして、私は今回の二法案は、特に中立維持の法律案は運用される虞れがあるのではないか。飛ばすものですから連絡がなくて恐縮ですけれどもあと時間も少うございますから、今回の中立法案は運用される慮れがあるのではないかということを心配いたします、と申しますのは、御承知通り教育は普通の行政と違いまして、常に教育の主張、こういうやり方、ああいうやり方、そういうものがありまして、その主張によつて、今日までいろいろ進歩発達を遂げて来たのです。例えば自覚性の教育だとか、或いは個性教育とか、或いはこれは戦前のことでもそうなんですが、自由教育だとか、或いは形式教育だとか、実質教育だとか、そういつたような、或いは今日においても、なお生活教育とか、個性教育とか、或いは純潔教育だとか、いろいろ、それぞれの教育には、主張があるのです。そしてそのとき、そのときの教育の実態に立つて教育委員会なり、或いは教師の組織なりが、それぞれふさわしいコース及びふさわしい書物を推薦して研修を続けて行く、そうすることによつてとにかく欧米諸国からいろんな教育上の知識を学び取り、まあ今日日本教育は今日の段階に到達した。特に信濃教育会などはその顕著なものでございます。ところが教育の主張というものは誰が考えましてもそれはけしからんというような主張は一つもありません。純潔教育なら純潔教育にしたつて誰もそれはいいことだと思いますし、自由教育という命題についてもそれはいけないという人はない。個性教育にしても同じです。そこで教育がそのような命題を捉えてそれによつて進歩発達して行くという今日までの過程から考えますと、それによつて教師が研修して行くという事実から考えますと、今回の法案が出されましたために若し私がよし今あそこでああいう教育をやつているから壊してやろうと思えば、私は私の党なら党のスローガンに、例えば今の教師たちが純潔教育ということを謳つているとすれば、我が党のスローガンは民族を守るための純潔教育であると打出す。そうするともう教師は、その純潔教育という言葉を言えないことになる、同じ、一致しますから……。そうすると、意図的に教育を壊すことができるという裏があるのです。今の例でそうであるとかないということは申上げておりませんよ。再軍備反対なら反対ということを、仮に教師たちが軍備を持つてはならないと言つているのに対して、教師が言つておるからおれも言つてやろう、某政党が、どこかの政党が強く取上げて真先に掲げてばつと打つて行けば、これは結局教育を牽制することになる。不当な干渉を受けることになる。こういうやり方がとられるここに一つの途が生れて来た。つまり、この法律によつて表の門は閉したけれども、今度はその代り裏門を開けたということになるわけです。これは一体どういうふうに大臣はお考えになりますか。
  294. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 初めの点でありますが、文部省として何かの手段を尽すべきであつて、いきなりこの法律案考える、これは余り、何と言いますか、不親切であるというか、尽すべき手段を尽しておらんということでありますが、これは当時、昨年の特別国会においても、これは国会においてこの山口県の日記が問題になつたときに、私申上げたのでありますが、若しかくのごとき教育が行われておるとするならば、これは是非是正をしなければならん、何とか適当な処置を講じなければならんと思う、ということは当時申上げたのであります。ただ、どういう方法によつてするかということはその当時すでに腹案があつて、又この教育法案の内容も腹案があつた、こういうわけであります。ただ成るほど行政的に尽すべきことを尽すということは一応理窟でありますが、併し私は文部省が教育の場に与えられた指導勧告ということをするということはこれは当然のことでありますが、文部省の気のついたことについてそういう関心を引くという意味でそれを指導する、勧告するというのは当然でありますが、さればと言つて地方の学校においてしていることを文部省の力で、まあ行政的な手段でそれを矯め直すと言い、ますか、是正すると言いますか、これはややもすると文部省の持つつまり政府の裏教育に対して相当強い影響力と言いますか、支配力を及ぼすということが前提でありますからこれは場合によつてはいわゆる中央集権というか、そういう形になる虞れもそこへ出て来ると思うのであります。この法律案は両案とも御覧になりますように、その内容は実情に合わない、若しくは酷に失するという、さような御意見は御意見といたしましても、これによつて文部省か中央集権的な立場に立つということは、私はこの両法案のいずれからも出て来ないと思うのであります。ただ文部省として偏向教育是正のためにこういう法律的手段をとつたほうが適当であるという見地から、立案して提案したのでありまして、これは文部省の行政上の権限というものに何らのプラスになるものはない。これによつて文部省が行政的な権限を拡張するということはない。ただ一定の行為を取締りをする。こういう法律ができ上るだけであります。文部省がその行為に対する監督権とか、或いは行政上の権限を、これによつて与えられるということはないのでありまして、この法律の運用というものは或いは教育委員会、或いは又その行為をやつた場合の一般の犯罪と同じように裁判所において取扱われるものでありまして、文部省はその間に何らか発言をし、又介在する余地はないのであります。ですから見方によりますと、文部省は行政的な方法を以て地方に強い力を加えるということは、いわゆる中央集権と言いますか、中央政府の圧力が教育の面に及ぶという場合も考えられるのであります。でこの法律案につきましても、これは要するに案として文部省はこれが適当であろうという考え国会提出したのでありまして、これを御審議になつて決定することは、国民の意思を代表するところの立法機関たる国会においてきめられるのであります。私ども国会がさような法律をお作りになる、その材料として、こういうことが適当であろうという意味で、国会に出してあるのでありまして、決して文部省が国会を差しおいて、或いは行政的の手段を以て教育の上に圧力を加えるとか、そういうことを意図するはずもなければ、又教育法案提出からそれが割出されて来る結論ではないと思います。その点は御了承を頂きたい。それからこの教育中立性確保する法律が、却つて逆に利用されることになりはしないかということでありますが、私は一体偏向教育というものは、ただ一定の政策とか、そのときそのときの政党の政策主張が教育の上でそれと合致するものがありましても、それはすぐその政党を支持するとか反対するとかいう所へ飛躍するものではないと思つております。どうしてもその政党の立つておる基本的な理念であるとか或いは特にその政党を政治の元として本質的に特徴付けておるものであるとか、そういものに触れなければいろいろそのときそのときに時勢の動きに応じて政党の打出して来る幾多の政策のうちに合致するものがあつてもなくても私はそれがすぐ政党を支持する、反対するというものではない、こういうふうに思つております。殊にこの政党というものが好んで教育を破壊しようということを目的とするようなことがあるかどうか知りませんが、わざわざ自分の党の主張を今度政党の側から、学校の純潔教育とかいうような例をお挙げになりましたが、そういう学校でやる純潔教育であるとかいろいろ名前をつけてやりましよう。道徳教育ということもあるでしよう。その場合に政党のほうからその学校においてそういう教育をさせないために、殊更にそれを自分の党の政策として掲げて妨害をする、これは私、政党の場合についてはなんぼなんでもそういうことはあり得ないと思うのであります。殊に、仮にそういうことがありましても、先ほど申上げますように、それがすぐその政党を支持し、反対するということには、私は個々の場合のことでありますから、そういう場合もあり得るでしようが、そういうことは考えなくてもいいのじやないか、こう思うのです。
  295. 湯山勇

    湯山勇君 一々大臣の御答弁について意見を申して行きますと大変時間がかかりますけれども、ただ私が最初の点で申上げたいことは、現在勧告なり、助言するということは法で認められていることなんです。悪いことがあつても中央集権、力で云々するということになつては工合が悪いからと言うので放置された、そういうことはならんというふうにおつしやいましたが、悪いことならば当然やつていいことだ、こういう手続をお踏みになるかならないかということが問題だ、そういうことが踏まれてないところに手続上、問題があるということを申上げたまでですから、これはこれとして後の場合です。私は政党と申しましたけれども団体もあります。団体だとこれは又問題ができて来るのです、実際に……。それから最初羽仁委員からの御質問のときに、憲法に関する問題があたかもここに該当するかのような例になつているのです。そこで憲法の問題についても申上げたいと思つておりましたが、それは省いてこの場合の例としてだけ申上げたいと思います。  それは講和条約前です。つまり憲法ができた当時は、すべての政党の憲法に対する考え方は殆んど一致しておりました。ただ憲法に対しての考え方が分れて参つたのは、サンフランシスコ講和以後です。時期的にサンフランシスコ講和の日からというのではありません。あのことが問題になつた以後なのです、これは大臣も御承知通りです。ところが今の教員は、本会議でも、委員会でも問題になつたと思いますが、あの吉田総理大臣の言つた通りを今日も進んでいる、これはお認めになりますね、今育つていることと少しも変つていない、ところが実際は、改進党は憲法改正まで行つているし、自由党の人はああいう主張を述べているし、それから社会党でも右の人は又違つた意見を持つている。こうなつてつて、結局いろいろおつしやいますけれども、端的に言えば、道連れで今まで来たものが階級的な問題、労働者と使用者という問題から離れて、憲法だけの問題について言えば、今まで五人が手をつないで一本の道を歩いて来たものが、先ず横道にそれて行つた人ができてたまたま二人残つたのです。同じ道を歩むものがこれが実情です。ところがその実情が多くの場合やはりあの政党は一辺倒だとか、或いは偏向だとかそういうふうに言われております。私はこのすべてがそうだとは申しませんけれども、基本的な流れというものはそれなのです。だから意図的にやる、やらんにかかわらず、そういう事実はやはりできて来る。取残されたものが道連れになつているということが偏向の事例として挙げられている。大臣はそうお考えにならなくても地方ではそう育つているのです、多くの場合、だからそういうことから考えても、殊に大政党は別として小さな団体等ではこれはもう無数にあります。この議事堂に上つた団体もあるし、昨日ですか、土曜日ですか、衆議院でビラをまいたのもこれも団体。そういうものはひよつとするとやはり教育に対して今の裏口からの攻めかけをする虞れなしとしない。こういうことをお考えになつて頂きたいということを申上げておるのでございます。
  296. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君)  現在の憲法の趣旨に副つて国政が運用され、又国民の社会生活が営まれて行くべきである。こういうことを学校で教える、或いは説明をする、又その趣旨を子供によく言い聞かせる、これは勿論今日も話がありましたが、これを以て偏向したということはできないと思います。この間私も初めて聞いたのでありますが、お話では成るほどたくさんの政党或いは政治団体というものか日本にある。現在三千幾つあるとか。こういうことでありますから、随分いかがわしい、総裁だけおつて党員がおらんような政党になれば随分お話のようなことを意図的にするということもあり得ないとは申せますまい。ただ成るほど特定政党という言葉に捉われて考えますと、何でも政党として届出をして、いわゆる政治結社という形を取れは、とにかく大政党でも、小さいものでも、その間に法律的な差別はない、こういうことは言い得るのでありましようが、名前も知らんような政党のことを私ども法律論としてはそういうケースを挙げて論ずるということはあり得ましようけれども、実際の問題としてこの法律が守らんとする要点は、要するに政治上の主義なり思想なりの上において子供が非常に一方的なことを教え込まれて、そうして他日大きくなつても一般的な政治上の判断をするような立場が奪われて、否応なしに一方的な立場をとる、そういう片寄つた教育、こういう意味でありまして、字句に捉われるというと、五六人しかおらんという政党でもこれはそれに反対する教育とか賛成する教育とかいうことはいけない、それを教唆扇動したものは罪になる、こういう形式的な論理は成立いたしましよう。併しながらすべてこういう犯罪につきましても、何と申しましようかその解釈には、おのずから限界があろうと思います。形式的には、成るほど法律には形式だけから言うと該当すると、併しながら一般社会の良識においてはそれはそんなものを罰するということはおかしくつて考えられないということは、これはすべてのいわゆる犯罪についてもあることでありまして、私はよく存じませんか、専門家の間における違法性の問題ということはそれであろうかと思うのであります。この場合におきましてもその教唆扇動が果して法律によつて罰せられるべきものであるや否やという点については、たとえ、それが法律の形の上からは一応その型にはまつておりましても、世の中の良識、判断においてそういうものを取上げるのはおかしい。そういうものは罪にならんというのはおかしい、こういう五人か六人しかおらんような政党があるとする。その政党が妙なことを言つておる。それは一般の常識としては非常におかしいことたから、学校で教えることがたまたまその政党の主張しておることは全く反対なことを教えたという場合にそういう政党がどこかに探し出してあつたからと言つてそれがすぐその教育を、そういう教育をすべきだと言つたことが教唆扇動になるかならんかと言えば、これは字句の上から言えば入るとか入らんとか言う議論がありましようけれども、これは一般の良識の許すところではありません。そういうものは私は一般のこれはひとりこの問題ではありませんが、そういうものは常識上いわゆる灘法性がない。違法性を阻却されておる理由で犯罪として扱われるべき筋合いのものではないんじやないかと思うのであります。この場合におきましても、只今のような御心配が法律論的には絶無ということは申されませんか、私はそういうことはすべての犯罪行為の場合と同じように、やはりこの社会生活の常識と言いますか、良識というものと照らし合わせて、違法性かない、こういう断定に立つ場合が実際上はあるであろう、こういうふうに考えております。なおこれは私は専門外のことでもありますし、そういう点については私から申すべきことではありませんから、法務省なり或いは法制局出の人も又政府委員の方も見えておりますからそれが若し間違つておりましたら、これは直して頂きますが、私は政党という名前についても、日本人の十人や二十人のことで政党というものをごしらえてそれが飛んでもないことをまあ言つておる。それが常識から考えて、そういうおかしなことはないから学校教育では当り前のことを教えると、よう調べて見ると、その政党のことと全く反対のことであつた、というようなことのためにこの法律適用によつて教唆扇動で罰せられる、或いは又逆にそういう無責任な政党というものが教育の正常な、一般の常識上、正常な教育というものを破壊する、邪魔をするために小さい政党ようなものをこしらえてそういう妙な主義主張を掲げて、邪魔をするということがあつても、それはそれによつて、この確保に関する法律案が非常に運用されるとか悪用されるとかいう問題はそう心配する必要はないじやないか、こう思うんです。    〔委員長代理宮田重文君退席、委員長着席〕
  297. 湯山勇

    湯山勇君 私は先ほど局長もおつしやつたように、そういうつまらん者が実際の教育を犯そうとする。そういうことから守ることがむしろこの法の趣旨でなくちやならない。ところが逆なんです。そういうことは解放して、そしてそういうことがあり得る状態において、而も表口のほうを閉じようとする、これは非常に問題があると思うのです。大臣が今おつしやいましたように、そういう政党なり政治団体の主張を教師が教えるとか、たまたま合わして見て逆だつたとか言うのでなくて、例えば大臣ではちよつと工合が悪いですが、羽仁委員なら羽仁委員を或る教員団体が講師に呼びます。そのときにその政党が、これはまあ地方、公務員に……貼つているビラを、スローガンを書いたビラをずつと貼つてしまう。その中へ全部ですね。これは違法じやないんですから今度改正になれば、そうすると羽仁講師は違法と思うこと、我か党のスローガンはこうだということをやられたら止むを得ないことになる。そういう妨害ができます。そしてそこでなお考えになつておられる平和教育なら平和教育の話をすれば或いは我が党はこうだというひつかけができて来るし、そういう中では、教師も良心的に話ができない。する気にならない。こういうことになることを恐れるのです。これも今大臣のおつしやつたような点も含めて再検討願いたい点だと思います。時間がありませんから次へ移りますが、次に今度は基本的な問題へ帰ります。教育基本法の第八条を大臣は随分問題にしておられるのですが、これは法制局長官に先ずお聞きしたい。ここに政治教育とか、社会教育、括弧がしてあるのであります。あれは何の意味でしてあるんでしようか。
  298. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) これは終戦後の大体形式でございますが、要するに法律に、或いは政令等を見やすくしたいというわけで、その見出しという意味で、大体どんなことが書いてあるかということはわかるという手がかりのつもりでつけております。
  299. 湯山勇

    湯山勇君 そこでもう一つ、第八条についてお伺いいたします。第八条は第一項が主なのか、第二項が主なのか、これは如何でしよう。
  300. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) ちよつと主従をここで判定しかねますが、要するに、二つが集まつて一本になつておると申上げるほかはないと思います。
  301. 湯山勇

    湯山勇君 地方公務員教職員国家公務員に移した提案の理由に、教育は、国民全体に責任を負つて行われるものであるということを挙げておられます。大臣の御答弁にも、しばしば教育は国民全体に責任を負つて行われるということを、ちやんと教育基本法に書いてある。教育基本法にある通り教育は国民全体に責任を負つて行われるものである。こういうことをおつしやつておられますが、これは今もなおそのようにお考えになつておられますか。
  302. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) そう考えております。
  303. 湯山勇

    湯山勇君 教育は、国家全体に対し、面接責任を負つて行われるべきものであるというのは、教育基本法の第十条の教育行政のところにあるのです。だからむしろ……、ちよつと御覧下さい。教育行政はそういうつもりでやらなくちやならない。さつきの法制局長官のおつしやつた通りに、一項がそれぞれ独立しておるのはでなくて、二つの項目が一つのことを示しておるとすれば、第十条は一項において、教育行政はこの自覚の下にやらなくちやならない。一つずつ切離すのでなくて、両方一緒にすれば、教育行政においてはこうでなくちやならないということがきめてあるのであつて、個々の教員教育活動について述べたものではないということの結論になります。これは法制局長官の御説明の通りに説明すればどうですか。
  304. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) 教育基本法は第一条から十一条まで全部重要なところはきめられておると思いますが、今のお話教育行政という括弧書に関連してのことでございますが、例えば第六条の第二項を見ましても、法律に定める学校教員は全体の奉仕者であつて、というような言葉が出て来ておるわけです。それだからおのおの相照応し合い、この主たる観念というものが組立てられているというふうに思つております。
  305. 湯山勇

    湯山勇君 そこで第十条の規定というものは教員自身の身分を地方公務員法の適用から国家公務員に移すというような意味合にすべき性格のものではなくて、むしろ、これは教育行政者がこういう精神で教育行政をしなければならないということになつておるわけです。それはあたかも第八条がこの一項、二項それぞれ別々のものではなて、従属関係がなくて、両方で以て一つのことを示しているという法制局長官のお説の通り行けば、第十条においても又同様なことが言える。そうすると行政を規定しておるのでございますから、むしろ国民全体に直接責任を持つ、全体の奉仕者ということを特に言い換えてあるのは、教育委員会なり、文部省なり、そういうことに対しての教育行政に当る者の基本的の事柄を謳つたものである、こう解釈しなければならないと思うのです。これはどうお考えでございますか。
  306. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) 私はこの第十条に括弧して教育行政ということを書いてある。だからしてその中に使つてある教育という字は教育行政と呼ぶべきものなのである。こういうふうに、私は字句の上からもそういう解釈は成立しないと思います。教育は、とあればこれは教育として読まなければならない、教育自体として読まなければならない、当然であります。そうして教育行政はその前項にある教育、その字句をもつてその教育目的を遂行する必要な条件を備えるのだ、こういうふうに書いてあるのでありまして、教育行政というこの括弧に入つておるから、これは教育行政のことである。こういうことは法律の字句というものを離れての御解釈であると私は思います。そうなれば第二項において教育行政ということまで書上げるのはまずい。第二項においても教育は、と書いて教育行政と読ましたらいいじやないかと思う。
  307. 湯山勇

    湯山勇君 そうすると法制局長官とはお考えが違うわけですね。
  308. 佐藤達夫

    政府委員(佐藤達夫君) どうも大臣のほうが法律的には正確のようにここで拝聴いたしました。私の説明よりも大臣の説明のほうがどうも詳しいように思いますから。(「おかしいな」と呼ぶ者あり)
  309. 湯山勇

    湯山勇君 大臣は大変法律学者でございますから……。そういうことでしたら、又問題は第八条にも、そういうふうに今度は分けて考えるということになれば第八条の解釈に問題がある。併しもう時間もありませんから、主な点は少しですが、こういう点を聞きたいのです。問題は今度やはり助役の教育長兼任の法律をお出しになる御予定でございますか。
  310. 大達茂雄

    国務大臣大達茂雄君) これは自治法の改正になりますので、自治片のほうにお願いして向うでそれでよろしいということであれば自治法の改正として提案をして頂くようにお願いをしております。
  311. 湯山勇

    湯山勇君 これは又今の中立法並びに地方公務員法、国家公務員法との関連において非常に重要な問題ができて来るのです。それはどういうことかと申しますと、助役というのは教育公務員ではありません。特別職でございます。従つて助役というのは、身分においては政治活動の制限は地方公務員ほどにも受けないのです。而もこれは政治的に自由な町村長と直結している、そうでございましよう、その市町村長と直結していて政治的に自由です。何党を支持しようがどうしようが勝手な助役が教育長を兼ねる、而もその教育長は教育委員会法によつて人事については教育長の内申がなければ委員会はやれないのです。法律的にもそうだし、それから人事の懲罰等についても、条例で、法律ではそうではないが、条例ではそうなつております。又内規等ではすべて人事教育長の内申がなければ委員会は決定できないことになつている……。(「時間、時間。」「もう三十秒ある。」と呼ぶものあり)そこでそういう勝手に変更できる教育長が、而も町村が財政樺を持つておりますから……。
  312. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今、午前零時となりましたのでこれを以て散会いたしたいと存じます。  なお文部法務人事連合委員会は終了したものといたしまして御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  313. 川村松助

    委員長川村松助君) 御異議ないようでありますからさよう決定いたします。  本日はこれを以て散会いたします。    午後十二時散会