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羽仁五郎君 選挙の場合について、しばしば言及されますが、それは却
つて議論を紛糾させることになると思いますが、おつしやるからそれについて伺いますが、選挙については眼前明白なる危険があるのではないですか、
教育の場合と著しくその事情を異にしておる、選挙の場合は選挙の腐敗、或いは
政府の閣僚、その選挙事務長が自殺をする、或いは
政府与党の幹事長が逮捕許諾を求められて、そしてそれを閣僚が阻止する、そういういわゆる政情の腐敗と関連するところの選挙の腐敗、それによる民主主義の転覆、或いは民主主義の障害、眼前明白なる危険があります。然るにもかかわらず、或いは
政府閣僚の選挙違反の場合であれ、或いは与党の幹事長の逮捕許諾の問題であれ、直ちにその閣僚に
刑罰が及ばない、或いはその幹事長が逮捕せられないという事実も、あなたはよく御
承知の
通りです。これは何を
意味するかと言えば、選挙の場合でさえも、
刑罰を以て立法してあるけれ
ども、併し直ちにその
刑罰を機械的に適用するということができない事情があることを示しています。私はそのことがいいか悪いかと言
つているのじやない。
法律上の議論としてお
考えを願いたいと言
つているのです。而も選挙の場合と、選挙の取締りの対象とな
つているものと、それからこの二
法案の取締りの対象とな
つているものは質が違います。選挙の場合には明瞭に投票という
行為があるのである。現在の場合には投票という
行為が対象にな
つているのじやありません。
従つて、選挙の場合とこの場合とを理論上の根拠としてお挙げになるということは、私は議論を紛糾させるだけだから、それについては、今の
意見を申上げるだけで別に
お答えを頂きたくないか、この二
法案の場合に問題になることは、議論を元に戻しますが、先ほど
文部大臣に伺つた三つの点、即ち第一は
政治的
目的という点です。これは決して私は揣摩臆測をするものではありませんが、
文部大臣が先お述べに
なつたのは、
教員が
政争に奔走するというお言葉をお使いになりましたが、他の場合において、或いは衆議院において、或いは
参議院において、或いは本
会議において、或いは
委員会において、又はその他の場合において述べられていることにしばしば挙げておられるのに日教組という職員
団体を挙げておられる。それから社会党左派という政党を挙げておられる。このために、
世論の
批判の中には有力な
批判として、本
法案というものはいわゆる選挙対策であるという
批判を受けていることは、あなたも御
承知のところと思う。この選挙対策であるかどうかということを私は今言
つているのじやないのです。この立法の基礎に
政治的
目的があるということに問題があると思う。これも勿論非常にむずかしい問題で、その立法の基礎となる
政治的
目的というものの概論を私はここでやろうとするものじやないが、併し問題は、これは蝋山
学長の衆議院における公述の場合にもその点を述べておられるけれ
ども、つまり日教組というものを眼中に置き、或いは社会党左派というものを眼中に置いて立法をなす場合に、そういう立法をするのがいいかどうかということを私は言
つておるのじやないが、そういう立法をして、そうしてそこに
刑罰が出て来るという場合に、これが憲法違反の疑いがあると言われる
ゆえんでもあろうが、その議論はさておいて、あなたにいま一言伺
つておきたいのは、そういう
法律が実際に適用された場合に、
裁判所がこの立法の動機にそういう動機があると
考えられる
法律によ
つて、法に触れた人の裁判というものにどういうふうな困難を感ぜられるかということは、あなたがよくおわかりのことだろうと思う。おわかりになりませんか。それではもつと端的に申上げますが、この人を禁錮十年或いは十五年牢屋に入れる、或いは罰金をとるという、人権を制限する。この人権を制限するということは、誰が見てもそれに値すると
考えられる場合においてのみ裁判の公正は維持されます。これが自由党から見た社会党左派、或いは特定の人々から見た日教組というような
考え方の上に立
つておれば、裁判の公正は維持されません。裁判の際に、必ずこの法に触れるという疑いを受けた人は、その点において自己の
行為が公平な見地から見れば妥当なものである。
政治に熱心に活動するということは民主主義的な美徳ですよ。
政争に奔走するということは民主主義の美点である。与党幹事長は
政治的活動に没頭しておられるでしよう。我々が
政治に活動する熱意を捧げるということは、民主主義の美徳である。よいことである。併し、よいことであるからとい
つて、それをなす時と場合とがある。
従つて、いいことではあるが、それをなす時とそれをなすところ、
考えられないところでそれをなそうということは、それは差控えらるべきなんです。けれ
ども、それを差控えることが誤られたからとい
つて、
刑罰を加えることができるかということは問題です。これはあなた御自身にしてもそうでしよう。自由党の
内閣の法制関係の最高
責任者を長くや
つておられるけれ
ども、その他面あなたは学者としての法に関する
識見というものもおありになろう。けれ
ども、人間でありますから、あなたが
政府の
立場をとられて
法律についての
立案をし、或いは説明をせられるときに、人間としての
立場においてあなたのお述べになることが学問上の、或いは法理論上の公正をときに外れることがあ
つても、私は必ずしもそれは
刑罰に値するものとは
考えないのです。これは人間というものが生き物である以上は、正しいことをなすというその場所と時との判断をときに誤まるということは、これは或いは
政治上の問題であり、或いは
良心の問題であると言
つておるのです。それが差控えらるべきことは申すまでもないが、併し差控えられなかつたからとい
つて、直ちにこれが
刑罰の対象となり得るかどうかということに問題があるのだと思う。そこにこの二
法案についての立法の一番大きな問題があり、且つ又これが万一法として成立した場合に、最後のところまで
考えなければならない。あなたもお
考えにならなければならない。我々も
考えなければならない。
裁判所において裁判がいやしくも階級裁判であるというような印象を与えることを、我々は飽くまで防がなければならない。あなたも御同感だろうと思う。
従つて、そこに出て来る法というものが、裁判官をしてそうした非難を受けるような
立場に置くという
法律を我々は
国会において制定すべきものではないと
考える。ですから、簡単に質問を要約いたしますと、第一の
政治的
目的、即ち
教職員が職務に全身を捧げないで
政治上の活動に没頭するということ、これは好ましくないことではあるが、けれ
ども政治上の活動をするということは民主主義の美徳である。その美徳をなす時と場合とを誤
つておるというに過ぎない。それを直ちに
刑罰の対象とすることができるか。第二に、外部から
教職員の
団体を通じて
教員に向
つて政治上の
意味を含む
教育をなせということ、これもこの
政治活動というものは民主主義の美徳であり、そのこと自体は決して悪いことではない。で、恐らくは現在この
二つの問題について、これらが悪いかのごとき印象を若し
文部当局が持
つておられるとするならば、
文部当局の
考え方に過去の官僚主義の
考え方があるのだろうと思う、如何なる
政治活動も、それは美徳です。そうして、その
政治活動の行き過ぎがある場合に、それを救い得るものはそれに対する
政治活動あるのみです。今日自由党が社会党左派に対して堂々として政策を以て争われると、そうしてその自由党の文教政策が立派なものであるならば、天下の
教員は必ず自由党を支持します。何も遠慮されることはない。ただ、不幸にして今日自由党の文教政策か、客観的に見て甚だ貧弱である、且つ又その自由党の政策全般が救うべからざる状態に陥ろうとしている、それに対する反作用として野党或いはオポジシヨンの活動が起
つているのである。
それから第二の外部から
教員に向
つて言論を以て
働きかけるということも、そうした言論が誤
つているならば、正しい言論を以てそれに立向い、言論を救うには言論よりほかはない、そのように
政治を救うには
政治よりほかはなく、言論を救うには言論よりほかはないのであります。で、仮にそれに向
つて、よいことであるけれ
ども、時と場所とを誤
つている、或いは言論であるけれ
ども、同様の言論の濫用があるというような場合でも、御
承知のようにそれが
刑罰によ
つて是正せられるべき場合に至るには、私は
二つの問題が
考えられなければならないと思う。
一つはそれが
刑罰によらないで、いわゆる行政上の処置によ
つて解決する場合。それから第二は眼前の危険が明白に迫
つているという場合。眼前の危険が明白に迫
つているというのは、民主主義の基礎が覆りそうであるかどうであるかというような、そういうことを言
つているのじやありません。もつとホルムスの言つた元の言葉に戻してあなたは
考えて頂きたいと思う。ところで
公務員或いは
教育公務員が
公務員、
教育公務員たるの身分というものから来るところの制約というものはその身分にとどまるのが当然であ
つて、即ち行政上の処置或いは免職せられるということが当然であ
つて、その身分を超えてその人の人格にまで入
つて行くということは、これは議論の余地のあることだろうと思う、私は許されないことだろうと思う。あなたは憲法の範囲内で許されることだというふうに前から
お答えにな
つているけれ
ども、併しこれは議論の余地のある問題だろうと思う。で、国際的な立法例を見ましても、身分に関して起るところの法に副わない
行為というものについての処置は身分にとどまるべきものである。その人の人格に及ぶということは非常な場合である、これはよく御
承知だろうと思う。で、
国家公務員の
政治活動の制限ということも国際的に例の多いことではございません。極く最近にイギリスでは
公務員の
政治活動の制限を著しく緩和して、これに
政治活動の自由を与えています。いわんや
日本の
国家公務員における
政治活動の制限というものは、立法当時から今日までを
考えてみるのに、それが妥当なものであつたか、妥当なものでなかつたかということについても議論の余地があろうと思う。そういうようにこの二
法案が
考えているようなこと、即ち
政治上の
目的を根拠とし、そうして第二には
良心という、そういう問題に
刑罰を以て臨むということについて、先ほどおつしやつた選挙法の場合その他の場合とは特に違うのです。選挙法の場合には国際的な例もあります。現に選挙法に
刑罰を以て行な
つているということはあるけれ
ども、
教育の場合にはそれがないということからもこの場合が違うということはおわかりになろうと思う。
そこであなたに伺
つておきたいのは今申上げた点ですが、裁判が階級裁判である、或いは特定の
政治的意図を以て裁判が行われる、或いは特定の
団体というものを圧迫しようとする意図の下に裁判が行われるということにな
つては、これは
裁判所の権威のために困るのですか、この二
法案はそういう慮れがないとお
考えになるかどうか、その点です。