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説明員(井上綱雄君) お答え申上げます。この件は六、七年前のことでありまして、突然六、七年経
つてこの裁判が提起されたのであります。実はその当時のいろいろな証拠書類或いは又人間の記憶というものは誠に悲しいもので、向うにも大きな考え違いもございますし、又私どもといたしましても、六、七年た
つて初めて訴訟が突如行われたので記憶が薄らいでおるのでございます。いろいろ材料を取揃えております。又原告側も初めは
局長が
説明されたように、憲法違反の訴訟であ
つたのが途中で財産の継承の問題に変更され、だんだん回を重ねて来ておると私は考えております。私といたしましては、当時競馬課長をしておりまして、その後競
馬部長に図らずも任命されまして事務処理に当り、又当時の事務の整理は戦前と異なりまして、とにかく散逸になりがちでありまして、この事後処理の収拾に非常に困
つたのであります。大体現在におきましては、裁判所側で要求されます証拠書類は出揃いまして、且つ又私どももだんだん記憶を回復し、
関係者をそれぞれ集めて相談した結果、次第に正確なることもお答えできる段階に達しております。私はまだ裁判所に呼ばれておりませんが、いずれ証人として出ることになると思います。実は今日そういつた正確な
資料をたくさん持
つて来ておりませんから、概略のことを申上げますというと、原告側の誤解は、これは
昭和二十二年の夏頃からアメリカ側からの話が出ておるわけでありますが、二十二年の夏頃に、当時のアンチ・トラスト・セクシヨンのヘンリー・ウオール氏から突然として、日本競馬会は戦時中において非常に軍隊の増強、軍馬の増殖に協力した、聞くところによるとしばしば陸軍省に献金したということであるから、そうしたようなことは適当でないということを
言つて来たので、それはどこの国でも戦争中に協力しないという個人もないし、又よほどのことでもなければ協力しないという団体もないであろうというようなことで、私は単なる向うの感情問題だと考えてお
つたのでありますが、だんだん深刻にな
つて参りまして、二十二年の暮頃になりますというと、この団体は結局独占禁止法の
趣旨に触れる団体である、我々の聞くところによると、独占禁止法というものは経済団体に限り適用されるものと聞いておるのであるが、この日本競馬会は社交団体であり、経済団体であると我々は認められないということで、いろいろ論争をいたしたのでありますが、結局独占禁止法の第何条かに触れるということでなくて、独占禁止法の建前から見るというと、先ず日本で競馬らしい競馬をやるところの十一の競馬場というものを独占しておる、それから更にこの十一の競馬場に馬を出し得るのは、競馬振興会というものがあ
つてそのメンバーに限り馬が出せる、この二点は競馬の独占事項である、
地方競馬についても同様のことが言えるのであ
つて、
地方競馬会は当時
地方の競馬を独占しておる。いずれにしても独占機関としてこれは閉鎖すべきものであると、こういう意見にはつきりな
つて来たわけであります。当時競馬課長でございましたので、それらの重大なる相手方の発言によりまして、私ども当事者と十分懇談を重ねたのでありますが、何といたしましても、当時御承知のように占領軍の発言というものは重大なる影響があ
つたのでありまして、これが内地の日本の
法律に違反するか、違反せんとかいう問題よりも、憲法以上の力があるように我々も考えておりましたし、又そういう政策が随分行われておつたと思うのであります。このたびの原告の
お話は、書かれたものによりますというと、アメリカ側の言い分は我々は全然知らなかつた。政府の一方的な見解で以て押付けられたのであると、こういうことのようであります。然るに私ども証拠書類を裁判所に提出しておりますが、メモランダムこそ出なか
つたのでありますが、はつきり閉鎖すべき団体の名前が
農林省に通告にな
つておる。日本競馬会及び中央馬事会及び
全国の
地方の馬連の名前が上
つておるのでございまして、それが切迫した事情におきまして、このようなものが出て参りましたが、事競馬に関しましては、何分にも生産者、調教師、騎士、馬丁或いは馬主といつたような広汎な
関係もございますし、且つ又相当、三十年間もいわゆる公認競馬につきましても国民的にも相当支持のある競馬でございますので、これを潰すことは堪えられないことである、そういつたものであるが、アメリカでも政府がや
つておるのではないか、併しそれはどこでもああいう形体でや
つておるのではないか。あなたは競馬に
関係したことがないからそう言われるが、どこの国でも競馬というものはああいういわゆる独占形体でや
つておるのだと、こういうような
お話をして随分長く強く交渉をいたしました。この間の事情につきましては、日本競馬会の中におきましても、十分に向うと接触をと
つて知
つておる人もあるわけであります。ただここで私ども遺憾に思うのは、交渉の経過におけるいろいろな事項というものは、当時の占領政策のほうから、明らかにこれを公表することはまかりならんという
一つの線がございまして、役人といたしまして、アメリカ側と交渉いたします際は、この点は漏らすことができない事情にあ
つたのでありますが、併しこの日本競馬会といたしましては死活の問題でございますので、はつきり名前を申上げますと、当時の経理部長である山口立氏は、直接自分の知り合いの通訳をお連れにな
つて向うのアンチ・トラスト・セクシヨンに行
つてヘンリー・ウォール氏と会見して、二、三度会
つてお話したように承わ
つております。従いまして、原告側が御承知のように一方的に我々が押付けた、或いはこれに陰謀をたくらんでおつたということにつきましては、私どもれつきとした証拠を挙げてこれを
説明することができるわけでございます。ともかくそういうような経緯がございまして、ヘンリー・ウォール氏からどうしても閉鎖するようにという言渡しがございましたが、今申上げますように、この広汎な
関係がございますので、何とかこれは勘弁してくれ、そうして漸く競馬に関する団体だけは閉鎖機関指定から免かれしめるように、約二月に亙り毎晩のよううにも押しかけし、いろいろな話をいたしまして勘弁をしてもらつた経緯もあるわけでございまして、そのときのことは今もはつきり覚えておりますが、この競馬会の当事者でも、単に理事者のかたのみならず、一般のかたにも感謝されたのであります。然るにその後、その競馬を国営にするならばや
つてもよろしいというアメリカ側の線が出されております。と申しますのは、独占企業というものは、国のような形体でやるよりいた仕方ないのだということであ
つたのでございますが、こういうふうに申上げますと、ちよつと誤解を受ける虞れがありますが、独占的なこういう
事業をやるのは今申上げますように、民間の団体では困るというアメリカの出方であり、そこで日本競馬会と相談いたしまして、日本競馬会の財産は理事会の決議によりまして国が引継ぎまして、それにつきましては、当時の理事会の決議書もあつたわけでございまして、それはもうはつきりしたものでございます。そういう経緯がございまして、今日に至
つておるわけでございまして、いろいろ議会に文書を出されまして私の名前が上
つておりますことは誠に不徳のいたすところでありますが、私としては残念に思うわけでございます。なお書類等につきましては、その点の弁明が許されますならば、今日は用意いたしておりませんが、弁明いたしたいと、かように考えます。