○
参考人(中野好夫君) 私は一般市民としてマス・コミュニケーシヨンの非常に今大きな力を持
つているそういう放送をまあ非常に
注意しているわけですが、それ以上にまあ法制上のことだとか機関上のこと、技術上のこと、そういうことは素人で知りませんし、又市民の
立場として、第三者として見ておる気持、意見を申上げ
ようと思うのですが、今日は別に法案があ
つてそれを具体的にやるわけじやありませんから、非常に漠然となるだろうと思うのですが、ただその漠然と私の
考えておる、素人なりに
考えております要点、それでもまあ五つや六つあると思うのですが、羅列的にやりましても散漫になると思いますので、私は一番心配している点を申上げ
ようと思うのです。
それは又最初に、放送法の全面的な改正というものが今声が挙が
つているということは、私はどうも当然の
ように思います。それは鹿倉さんからも話がありましたし、私
ども現行の放送法を実は去年少し或る事で読んで、今度もう一度読み返したわけですが、何しろこれができましたときが、現実の問題としてNHKしかない時分で、まあ民放ができる機運はあ
つたようですが、併し現実にはできていないものですから、現行法が何とい
つてもNHK中心にできているのはその
通りだと思うのです。で、現に今の民放に当るべきものは第三章ですか、五十一条から五十三条とた
つた三条で非常に簡単に扱われておる。これは当時のそういう、吉田さんじやないが、仮定の問題だ
つたからこれはまあこれくらいで扱われたのは仕方がないだろうと思うが、併し現在はとにかく民放というものが全国で四十社に近いものもできて、その聴取者もそれは相当、私は正確な。パーセンテージは知りませんが、相当に聞かれておるのです。そういう現実が変
つて来ておるのですから、今の現行法はNHKに有利だというふうな解釈を民放のほうでされるのは、これはどうもそう見えても仕方がないかと思うので、だからその意味でこれは何とい
つても、先ほどどなたかからも話がありました
ように、両方が併存することが根本的にいいか悪いか、これは非常に大きい問題でし
ようが、現実としては、これはここに相当の将来二本建で行くよりほかないと思いますから、その意味で両方がつまり何といいますかな、対等といいますか、それぞれの特色を発揮しながら、対等の存在権を主張するという
ようなそういうものに改正されなくちやならん機運には来ておると思うのです。その意味で改正されることは私は賛成でありますが、ただその改正に当りまして、私は事務局のほうから、各
方面からの課題という
ようなものを頂き、それからNHKと民放から、両方から実は
資料も頂いて、ここにわか勉強したわけですが、私の一番心配しておりますのは、やはり郵政省から出ておる
一つのいろいろの課題の中のNHKのあり方というところがありますが、第三に。そこに協会に対する国の監督は現状のままでよいかというこの一項、非常に漠然とした形で出ておりますが、それで私はやはり思い出しますのは、去年見ました、というのは、実は二十八年の六月ですか、一部改正
法律案のあのときに私は一番、私は実は放送で反対の放送をしましたし、輿論もこれは反対したと思うのですが、それは例のやはり第四十九条の三の郵政大臣は第七条に規定する目的を達成するために特に必要があると認めるときは、協会に対し監督上必要な命令をすることができるという、この必要があるときとか、それから必要な命令、監督上必要な命令というのは、まるで空の紙袋みたいに、
内容が何でも入る
ようなもので、命令ができるということは、これは言論の自由というものは相当大幅に妨げられると危惧する。妨げないとおつしやるでし
ようけれ
ども、これさえあればやろうと思えばできるというものがある。これが恐らく今度の課題の中の国の監督は現状のままでよいかというところへ来ていると思う。私は、この問題についてはもう言うまでもなく、私は一番危険な大体いろいろな法案を出されているのとほぼ共通する大きな傾向の
一つと結付いて非常に危険で、若し今度の改正の実は本当の狙いはここにあるという
ようなことであ
つたならば、私は非常に心配だと思うのです。或いはつまりそのほかの聴取料とかこれはいろいろ問題があると思うのです。聴取料、それから民放とNHKとの性格の問題とか、そういうふうな、まだまだありますが、そういう問題とつまり込みにしてこれがすらつと出されたとするならば、私は非常に重大な問題だと思う。まあ今、今日も伺
つてお
つてもわかりますね、それから私は平生もそれに気がついておりますが、何とい
つてもNHKは今まで既得権を持
つておられる。これは歴史的に仕方がないでし
ようが、それを守ろうとする
立場、それから民放のほうはそれからあとから出てそれに切込んで行こうという
立場で、なかなか火花を散らす
ような合戦、それならば大いにそれは結構でありますが、併しうつかり民放もNHKもそういうお互いの泥合戦、と言
つては失礼かも知れませんが、或る場合には、と見えることもありますが、そういうことに余り狂奔する余りに、それにうまくこの監督権という、前の第四十九条の三の
ようなものが織込まれて、それがふくと改正案として通
つてしま
つたら、私は非常に憂慮するのです。これに対してはまあ鹿倉さんは国会に安心して、もうどの
ような
法律でも決して……待
つていられると言
つたが、私は少しも待
つていない、安心して待
つていないので、少くとも参議院などは殊にお
考えを願いたいと思うのです。これは私は現在の与党、政府が監督権を持つことに危険を感ずると同じ
ように、私は今の現政府与党がいつまでも、永久に与党とも政府とも思
つておりませんから、仮に反対の、今の野党が、或いは革新政党がな
つた時であ
つても、私はこのことは同じに申上げたいと思う。現に放送というものは中立でなくちやならんと言われておりますが、この一項が入れば、私は何と申しますか、中立というものは、この一項だけで放送の中立というものは破れて来る
可能性が大きく出て来ると思
つております。恐らくまあ、具体的に言えば、何でもNHKの「日曜娯楽版」ですか、「ユーモア劇場」というものが非常に問題にな
つておるのでありますが、それは恐らく与党或いは政府のほうから出る声の
ようですが、仮に今度社会党でもが政権をと
つて「日曜娯楽版」が時の政府をやれば、今の自由党が野党に廻
つて大いに喝采されて、あれをとめるな、けしからんと私はおつしやる、だろうと思う。この意味において、これが入れば実際上の、政治の中立と言いながら、政治の中立は失われて行く。私は実は中立ということが、中立の意見というものは余り、果してあるものか、今の社会の中であるとは
考えないのですが、私は
日本の殊に現在の国民というものは、長い間言論の自由を知らなか
つた国民が、とにかくいろいろの意見というものがもつともつと活溌に多くな
つて、自由を残して行くことが
日本の何ですか、殊に民主政治というのですか、
民主主義というものの発展に是非必要だと思うのでありますから、この点をこれは民放もNHKも、それから国会の方にも、特に郵政省の課題に出ておる協会に対する国の監督は現状のままでいいかということを、今度の改正法の中で、法案を作る場合に、或いは法案を上程されたあとの最も大きな重大な問題として
考えて頂きたい。もう一遍繰返しますと、そのほかのたくさんの問題と込みで若しこれが通過してしまうと、成立してしまうと私
どもは大変なことになると思
つております。私は私たちの
立場として一番申したいのは、実はそのことだけなのであります。
あとは私たち市民の
立場でずつと小さくなりますが、ほぼ今までの御意見を
伺つたりしましたから、多少申上げ
ようと思いますが、NHKと民放の議論が火花を散らすときにいつでも出て来るのは公共性という問題でありますが、実は公共性というのは議論をするときは非常に便利な言葉でありますが、実際具体的にどの放送が公共性があ
つて、どの放送は公共性がないというか、稀薄だということになると、これは全くこの間の河野密さんのどこまで禿で、どこまでが額でどこまでが頭かわからないことと同じで、公共性というのは議論の役に立ちますが、実際問題としては役に立たないので、広い意味で言えば、公共性と言えば、鹿倉さんも言われた
ように、これはNHKの放送もそれから民放の放送も私はやはり公共性は持
つておるのだ、公共性に立
つておるのだというふうに私は
考えるわけです。ただ併しNHKと民放との場合は、その公共性は私はどつちも公共性は
考えてもらわなければ問題にならないと思うのですが、それぞれの特色を発揮するという点で、これは抽象的ですからつかみにくいかも知れませんが、とにかくNHKは一種の公共性、これは
公社の
ようでもないし、一種独特の組織の
ようですが、とにかく一方それに対して民放は企業である、こういう点で公共性をどつちも窮極の目的としながら、おのずからあり方は違
つて来るべきものだと思うのです。例えばこれは聴取料がいいか税がいいか、これは別問題でありますが、とにかくそういうものによ
つて経営が支えられておる。NHKというものが必ずしも聴取者の御機嫌をとるためのサービスばかりではなく、聴取者の数においては多少犠牲にしましても、これは実際必要である。つまり国の文化とか教養、これも都会中心ではなくして、むしろ放送こそ山間僻地まで行きますから、そういうものにそれを特色として出して頂きたい。これは当然のことであろうと思うのです。併し、だからとい
つて、私はそういう議論を言う人も表には出していない
ようですが、なかなか話をしているうちに口吻では出る場合があるのですが、いわゆる娯楽放送というのはNHKには要らないということは、私はそういうことはないと思います。それから民放の放送とNHKの放送は、鹿倉さんは何ら少しもと副詞を使いましたが変りないとおつしやいましたが、私は確かに民放が公共放送、NHKと近い
ような公共放送といいますか、私などは大体そういうところですが、そういうことを言
つておられるのを私よく知
つております。併し私はやはり民放もそういう公共放送をや
つておられるというのは、NHKにも公共放送があるということが民放にもやはりそういう公共放送的なものを出さなくてはいかんというこれは
一つの力、支えにな
つておるのじやないか。それから娯楽放送は一体どこまでということになると実際わからないのですが、教養放送、娯楽なんというものは、例えば音楽でも、べートーヴエンのシンフオニーは一体娯楽か公共か、スポーツは娯楽か公共かということになると非常に問題ですが、その議論は余りやれませんが、併し鹿倉さんがおつしや
つたような民放の主として娯楽面ですが、NHKが少しも変らんというのは、これは私たち第三者で見ておりますと、非常にわかることは、両方が特色を出すというよりも、まるでお互いが競争で同じ
ような、つまり商業放送として面白いぞ、こういうことをやればいいというと、それを今度はNHKが真似をする。NHKがやる
ようなことと同じ趣向を民放がやるというので、むしろ両方が同じことを取合いしているというところに私はたまたま、私はちつとも違わんと申しませんが、ほぼ同じ
ような放送ができ上
つておるので、これは私は二本建のあり方としては余り感心しないと思うのです。例えば、これは非常に泥合戦が行われておるので、併し大体これは鹿倉さんの意見とは違うかも知れませんが、私は本来どうも民放のほろがスポンサーつきでやるために小野さんが言われた
ように、時には私たち
ちよつと眉をしかめる
ような場合があるわけであります。これは実はラジオ東京で放送したのですが、一年か二年前「クイズばやり」というのがありましたが、「クイズばやり」の中で、クイズで当
つた者に金を渡すのに、何か金がじやらじやらと鳴る音を聞かしたことがあるので、これは非常に、民放がクイズをや
つたのですが、そのときに私はラジオ放送の十分論評でや
つたのです。そのときに係の人は、これは
ちよつと困りますがと言
つていたが、結局やらして頂いて、私はラジオ東京のむしろ公共性に感心しているのです。そういうことがあ
つたり、それから小野さんも
ちよつと言われた
ように思いますが、スポーツ放送とか娯楽放送にしても、スポンサーのいわゆる広告文、余り感心しない、顰蹙させる
ような広告文句が中に飛び出して来て、これではどうも公共性と言えるのかどうか問題である
ような、そういう場合はかなりある。事例は多々ラジオなどにも相当出ておりますし、我々も耳にしたのもありますが、そういう点で私これは互いに特色を活かすよりも泥合戦、最近の落語家のお互いの引抜きな
どもおかしいと思うのです。全く泥合戦だと思うのですが、鹿倉さんは民放のほうは芸人の専属は仕方がないとおつしやいましたが、私はどちらも専属というのは我々から見ればおかしいので、専属制をとることが泥合戦を起すことである。こういうことはNHKも開放すれば民放も開放する。これはいろいろな経営上の理由があるのでし
ようが、併しそうすると商業放送に若しそれがあるとすれば、商業放送というものの何かその点では批判されるべきものの
可能性を残していると思うのです。そういうわけでこの点は性格は公共性という
ような言葉ではなく、もつと一々具体的に、つまりNHKはそういう経営の基盤において企業よりも安定した要素を持
つているのですから、それを活かす
ようにする。それから民放は、私は公共性の放送がなされることはお許しにならんほうがいいと思うのですが、併しその商業放送にしても、又自由企業の長所を活かすと同時に、それだからとい
つて、民間放送でなければできない
ようなほうに進んで行くという意味で性格の区別をするのが二本建の意味を生かす点だと思うのです。
それから聴取料のことが出ましたが、現在の聴取料が、あの契約という形のものが、確かに憲法の契約の自由というものと違背する甚だ後味の悪いものであることはその
通りだと思うのです。これを合理的にされるということには私は少しも不賛成でありませんが、一体それにはどうしたらその次にこれに代る
方法があるかということをやはり
考えてからでないと、これは
ちよつと困ると思うのです。鹿倉さんは税ということをおつしやいましたが、これも私はどうも政府の干渉等は非常に嫌いなもので気にするのですが、現在の
ような形で予算が国会の承認というだけのものでも、この間の値上げ問題としては、「ユーモア劇場」ですか、NHKが出したり引込めたりした問題ですが、これはNHKはそうじやないと公的にはおつしやいましたが、私はかなりいろいろな人、NHKの人に当
つてみたが、どうもあの要素があ
つたようです。値上料の駈引が、そういう今の状態ですら、国会の承認という形ですら番組の自主性というのは確かに一部不自由さがあるのですから、まして私は税で、国家からの交付金という
ような形で予算面を国家が握るという、政府が握るという
ようなことになれば、これは個人の場合と一緒で、財布を握られれば必ずそれはその
内容に対して力を及ぼそうと思えば幾らでも及ぼし得ることになるのですから、それに代るに私は税という形でやるということに対しては、よほど大きく重大に
考えて頂きたいと思うのです。民放がそうおつしやるのはいろいろ理由もあるでし
ようが、併し若しそういうことがあ
つてNHKの言論がそのために不自由にな
つたとしたならば、そういう不自由さは当然いつかは私は民放にも及んで来ると思う。つまり外濠を埋めるために民間の方が力をお貸しにならんことを私は希望するわけです。そういう最後の線、一線という
ようなものをさえ用心すれば、聴取料というものを多少それ以外の
方法で、その線を越えない点で今より合理的にする代るべき
方法があれば、これは私には具体的な
方法はないのでありますが、
考えはないのでありますが、あれば合理化ということはあり得ていいと思うのです。
それからテレビとラジオとが両方ということも、試験時代はとにかくですが、ここ将来長くいつまでもテレビとラジオが一緒ということは私は
ちよつとまだ
考える余地があるのじやないか。
それから
新聞とラジオの問題ですが、私は
新聞の資本がどういうふうに入
つておるのか、そういう機構上の内幕は知りませんが、ただ我々市民として見ておりますときには、多少
新聞がその
自分の
関係の放送事業に対して何といいますか、必ずしも公平でない
記事は認められる
ようであります。その最もひどいのは私はテレビだと思います。或る
一つの
新聞の或る民間テレビに対する支持の仕方というのは、或るときの
新聞などというものは、殆んどそのテレビの宣伝機関であるのかと思われる
ような
記事があることは、今日はそれは持
つて来ておりませんが、これはもう私
新聞を保存しておりますからいつでもお目にかけていい。恐らくその
新聞を出せば如何に、我々は
新聞をテレビの宣伝機関と思
つて買
つているわけじやないのですから、非常に精に障る場合があるのです。これはまあ勿論
新聞の良識に待つべきものでありますが、良識に待
つてお
つてよろしければいいが、併し良識というものが期待できなければ、つまり結局は
新聞もそういう放送事業という
ような
一つ同然の形であるということはやはり危険だ、危険といいますか、その場合は望ましからん、顰蹙すべきものだというふうに持
つて行かざるを得ないだろうと思うのです。
それからもう
一つ、私は
日本にラジオ、この放送事業の研究所という
ようなものは、つまり今NHKにある
ようですが、これはNHKを離れてのほうがいいじやないかと思う。とにかく放送事業という、放送文化というものをもつと客観的に研究する、そういう研究所というものを、或いは別にこしらえるかそれを離すかは別問題ですが、そういうものは私は
日本に是非あるべきで、そういうところから最もやはり客観的ないろんなデータが出て来るということが、
日本の放送文化のために非常にいいじやないかというふうに
考えております。
そのほか小さい点もありますけれ
ども、又それはあとに譲ろうと思います。