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参考人(上床国夫君) 私東京大学の教授上床国夫であります。
只今委員長のほうから御紹介がありましたような問題につきまして、実は
石油開発五カ年計画の必要性につきましては、すでにもう御
承知だと思いますし、又
政府当局のほうからも例を挙げて具体的な御
説明があ
つたと思いますので、その点は省きまして、今日は五カ年計画の開発に対するいわゆる先ほど
お話がありました可能性につきまして技術的な面からその要点を
お話申上げたいと思います。五カ年計画の開発の可能性と申しましても、要点は
石油のいわゆる資源量が
日本の油田の中にそれだけの計画をいたしますについて、あるかどうかということが、まあその主点なのであります。それでそのことにつきまして
石油及び
天然ガス資源開発審議会というのは、これは
御存じのように、
石油資源開発法が一両年前に実施されましたときに、その法律に基いてできた審議会でありますが、その前身、やはり
占領当時に進駐軍が参りまして、そうして
石油開発促進
委員会というものを作りました。これはプレトリアム・エキスプロレイシヨン・アドバンスメント・コミテイーとい
つてお
つたんですが、これは進駐軍のいわゆる天然資源部のいわゆるヨーロツパ及び
アメリカの
石油技師たちが指導をいたしましてそうして、その
委員会を作り、そうして我が国からはいわゆるそれに
関係のある学識経験者というものを集めまして作
つた委員会であります。その
委員会におきまして、
日本の油田を再検討するということになりまして、それ以来ここ数
年間の間、その
委員会によ
つて調査を進め、或いは探鉱を進めて来てお
つたのであります。たまたま一両年前に新らしく
石油資源開発法が実施されまして、今度はその
委員会が改組されまして、そうして
只今の
石油及び
可燃性天然ガス資源開発審議会というものが成立
つて来たのであります。従
つてこの五カ年計画は、
只今の
委員会、いわゆる審議会から提出されておりますが、その
資料となりますものは数年来検討して参りましたそのPEACの
資料をそのまま引継ぎまして、そうして今日その
資料に基いてこの五カ年計画を立てたのであります。それが、この審議会の経過と、それから五カ年計画を立てますについての
資料についてのいろいろな検討、経過であります。そういう審議会の審議の結果、一昨年の暮から昨年の夏八月頃までかかりまして、
日本の
石油油田の開発についてもつとこれは町検討して更にこれを計画的に開発すべきじやなかろうかという議が審議会に起りまして、そうしてこの五カ年計画なるもののいわゆる案を作
つたのであります。そうしてそれを通産大臣のほうに昨年の九月答申いたしました。それはお手許に審議会の答申案として渡
つておると思いますが、そういういわゆる議案が通産大臣に提出されたのであります。その当時私ども参りまして
説明をいたしましたのであります。それが通産省において採択されまして、
只今のような、御案内のような結果にな
つて来たのであります。
次に、ではその五カ年計画をなすについての資源量の可能性について入ります。その審議いたしました結果、次のような資源量につきましての結論を得たのであります。それは今直ちに試掘をする、そうしたら油が出るという個所が百五十六カ所出ました。それはその答申案にもありますように、北海道から青森、秋田、山形、新潟、それから静岡、その他の地域が加わ
つております。
それからそのほかに、
石油の可能性があるからして探鉱調査すべき地域という地域が百六十八カ所出ました。それもやはり北海道、秋田、山形、新潟、その他から合計いたしまして百六十八カ所出たのであります。
それでこの結果に基きまして、先ず試掘に際しましてどういう順序で試掘するかということ、これを五カ年に分類いたしまして、計画的にその探鉱のいわゆる試掘の計画を立てたのであります。ところでその試掘の百五十六カ所の中で、これを採掘と試掘に分けまして、試掘のほうが百十一カ所あります。これは新らしい所、それから採掘のほうは四十五カ所ありまして、これは既成油田の、いわゆる深い所を掘るわけであります。例えば八橋油田をもつと深く掘るとかいうのは、この探掘のほうに入りますが、それが四十五カ所、試掘のほうの百十一カ所の中で、空井戸を掘りまする数が、一カ所に三本といたしまして三百三十三本掘るわけでありますが、その総メートル数が四十二万六千九百メートルになるわけです。従
つてそれを平均いたしますと、一個当りが千二百九十三メートルになります。それが試掘のほうであります。採掘のほうの四十五カ所におきましては、三本ずつ掘りまして百三十五個掘りまして、それの総深のメートル数が二十万九千四百メートルになります。従
つて一個当り平均千五百五十一メートルの井戸を平均の深度として掘ることになるのであります。そういたしますというと、それだけの井戸を掘りましてそれは計画を立てたわけですが、一体油がどのくらい出るかということがこれは非常に技術的にむずかしい問題でありまして、それをどういうふうに計算したかということであります。これを一つお聞き願いたいと思うのです。それは我が国の過去二十
年間のいわゆる試掘の実績即ち探鉱の実績をとりますというと、試掘いたしました個所が百三十二カ所あります。その中で井戸を掘りました数が三百九十三個あります。総平均のメートル数が三十五万九千六百二十六メートル、一個当りの平地深度が九百十五メートルです。それだけ掘
つたわけです。そうしたら新らしい油田が幾つ見付か
つたかというと、二十
年間に十四の新らしい油田が発見されております。そういたしますというと、発見率は幾らかといいますというと、大体一〇%、十本掘
つて一本当
つたというのであります。そうしてどれだけの油が、いわゆる可採油量として計算されたかと申しますというと、七百八十四万トン出ております。従
つて一つの油田が大体五十六百万トン、まあ大体六十万トン級の油田が発見されておるという実績があるのであります。それで審議会といたしましては、この過去の我が国のいわゆる油田開発の実績を、今の
お話いたしましたこの計画に当てはめて見たのであります。それ以外に実際のデータとしていわゆる
資料として当てはめるいろいろな
資料がありませんので、これが一番合理的だと審議会では考えましたので、この二十
年間の
資料を当てはめて見ました。そういたしますというと、次のような結果になるのであります。
試掘地域が新らしい五カ年計画で百五十六カ所ありまして、新油田発見率が一〇%であります。そういたしますというと、百五十六カ所掘
つて一〇%ありますのですからして、大体十五カ所の新らしい油田が発見される。そういたしまして、過去二十
年間の油田が五十六万トン出ておりますからして、それを掛けるわけであります。そういたしますというと、今度それに対しまして過去二十
年間におきましては、平均深度が九百十五メートル掘
つておるわけです。ところが今度の計画におきましては、試掘におきまして千二百九十三メートル、採掘におきまして千五百五十一メートル掘るのでありますからして、過去のいわゆる掘さく作業量に対しまして、大体におきまして五〇%の増加であります。従
つて採油最も五〇%増加するものといたしまして、千二百六十万トンの油が可採油量として出て来るという勘定に
なつたのであります。従
つて新らしい油田を発見いたしますというと、可採油量が千二百六十万トンが見込まれたわけであります。これが第一次採油法によ
つて採掘される油の量であります。次に二次採油法、いわゆるセコンダリー・リカバリーでありますが、この方法によりまして、今度は更に油がとれるのであります。この二次採油法と申しますのは、今度の戦時中に
アメリカが古い油田に対しまして、やはり
石油の増産を図るために油層にエネルギーを与えまして、そうして地下に残
つている油を、これを押し出す、そのエネルギーといたしましてガスを圧入するという方法と、それから水を圧入いたしますウオーター・クラツデイング、即ち水攻法というこの二つの方法を利用いたしまして、
アメリカでは非常にいい実績を挙げております。その
数字はいろいろあるのでありますが、時間がありませんので申上げませんが、そのセコンダリー・リカバリーの方法を我が国におきましてもこれを採用しようというのであります。それでこの問題につきまして、進駐軍が私に
アメリカの二次採油法を見て来いということでありましたので、三年ほど前に私それによ
つてずつとペンシルバニア、それから中部の油田、それからカリフォルニア油田と、
アメリカの二次採油法を実施しております油田をずつと見て参りまして、その結果を参考とし、
日本の油田にそれを実施しようということになり、同時に又進駐軍といたしましては、
アメリカのカリフォルニア大学のサマトン教授を招聘いたしまして、そうしてこの二次採油法を実際に具体的に実施しようということになりまして、ここでやはり先ほどの
委員会におきましてこれを実施するということを検討したのであります。その実施を秋田の八橋油田に実施いたしました。
その結果を申上げますと、大体増産いたしました率が六六%増産いたしました。非常にいい結果であるのであります。でありますからして、このいわゆる第二次採油法を実施いたしますというと、更に油が増産するということになるのであります。ところで、このいわゆる新らしい油田の発見による増産と、それから二次採油法による増産、それから更にもう一つは、この二次採油法と言いますのは一次採油法、いわゆるプライマリー・リカバリーの方法と同時に
アメリカで行な
つております。二次採油法というのは老朽油田に対しますいわゆる若返り法と考えられるのでありますが、併しながら新らしく発見された油田に一次採油法と同時に二次採油法を行な
つて行く、つまり並行して行な
つて行きますというと、油の増産が大きくなるわけでありますからして、
只今申しましたいわゆる五カ年計画で新らしく発見された油田に対しましてこれを、二次採油法を同時に行うという結果をもたらしますと非常に増産するという結論になるのであります。その結果といたしまして、どれだけの可採油量が得られるかと申しますと、既成油田に対しまして従来一九二八年から一九五二年まで大体三十五、六
年間に我が国では千二百三十五万トンの油をと
つております。この油田に対しまして二〇%の採油量を、いわゆる増加率をセコンダリー・リカバリーでとるということにいたしますと、二百四十七万キロリツターとれます。それから新油田に対しましてこれが先ほど
お話いたしましたように、千二百六十万トン出ることになりますので、これに対しまして二次採油法を行な
つて二〇%仮にとれたといたしますと二百五十二万トンとれるわけであります。これを合計いたしますと、二次採油法だけで四百九十九万トン、大体五百万トンの油が二次採油法だけでとれるわけであります。これを先ほどの新油田の発見の千二百六十万トンと加えますと、大体千七百五十九万トン、大体千七百六十万トンの油が可採油量として出て来るのでありまして、この千七百万トンという
数字は、従来
日本が七十
年間日本の油田を今日までや
つておりますが、大体今までと
つた油は千七百万トンぐらいと
つております。でありますから、その五、六十年の間にと
つた油がこの数
年間の間にこの実施方法をいたしますというと圧縮いたしまして増産するという結論の
数字が出て来たのであります。
以上が、大体資源量が、
日本の油田の資源量が五カ年計画を実施するについて決して無理な資源量でないのだ、大体過去の実績から実施いたしまして、過去は三十年も四十年もかか
つてだらだら三十五万トンの油を
とつお
つたのを、それを五カ
年間に圧縮して、そうして試掘や掘さくを盛んにやれば、それの三倍の百万トンぐらいになるのは決してこれは難事ではないという結論の
数字を得たのであります。
次に申上げておきたいことは、では五カ年計画をやるにつきまして、これは後ほどこの五カ年計画の大部分を
負担されますところの
帝国石油株式会社の方から或いは
お話があると思いますが、審議会といたしまして五カ年計画を実施するについて技術の点は、いわゆる油田開発の技術の点はどうかということが、これが懸念になりますので、その点を検討いたして見ましたところが次のような結論を得たのであります。
それについて簡単に申上げます。と申しますのは、技術が非常に進歩いたしましたために、最近の油田の発見は非常に短時日に発見される、例えば今日山形県の新庄平原のところに、いわゆる内陸油田と言われているところに、堀内油田が発見されました。これは調査を昭和二十五年に始めまして、そうして発見いたしましたのが昨年であります。で、この夏頃からこれが鉱場として発足することになりますが、大体三
年間で発見しております。ところが昔は、
戦前におきましては、例えば例を挙げますと、秋田の八橋油田でありますが、これは大正五年に試掘を始めまして、そうして成功いたしましたのは昭和八年であります。その間非常に長い間かか
つたのでありますが、その間中止しておる時間もありますので、実績は、これは大体十カ年ぐらいかか
つて現在の八橋油田を発見したのであります。こういうものは、取りも直さず今日の技術が
戦前の技術に比較いたしまして非常に進歩してお
つた結果、短時日においてこの油田の新発見ができるという結論を得ておるのであります。
では、どういう点が具体的に技術的に進歩したかと申しますというと、いわゆる探鉱の方法、いわゆる物理探鉱の方法、或いは物理探鉱の中でも地震探鉱、重力探鉱というような、そういう物理探鉱の方法、それから試掘いたしましてコアの試験方法、それから油層に当りましたときのいわゆる油層のテスト、即ちホーメーシヨン・テストというようなそういう試験方法ですね、これらが
アメリカあたりの新らしい技術を取入れておりますので非常に進歩しております。同時に技術者が戦時中に南方に参りました。南方油田の開発にかなり向うの技術を修得いたしました。その経験が生きておりまして、その結果これらの新らしい試験方法、即ち計測の方法をうまくこれを実施いたしました結果、先ほど申しましたような短時日の間にこの油田の発見が可能に
なつたのであります。特に最近におきましては、二次採油法を実施いたしますにつきまして、最近でありますが、この間
アメリカから放射能探鉱の機械を帝国
石油で、これは
政府の助成金を得まして二次採油法の一つの探鉱の方法として購入されたのでありますが、この油層を放射能鉱法で探鉱いたしますというと、そういたしますというと、二次採油法を行いますのにどこのところに、どの深さに油があるかということがはつきりいたしますので、それで非常にまあ技術的に都合がいいのであります。こういう技術的な問題が進歩して来ましたので、五カ年計画を遂行するにつきましては、技術的に見まして十分であるという結論を得たのであります。
最後に結論として審議会といたしまして申上げたいことがあります。それを一つ申上げたいと思います。私どもは
石油を取扱
つておりますので、
石油の部面だけを取上げてこれを国に、いわゆる国会にこれを開発して下さいと、或いは
政府にこれを開発して下さいということをまあ進言するのでありますが、併しながら国といたしましては、一つ通産
委員のほうではこういうことを御考慮して頂きたい。それは総合エネルギー政策を確立して頂きまして、そうしてそのエネルギー政策の一環として、我が国の国内油田の開発をどういたすべきしかということを一つ考慮して頂きたい。そういたしますというと、先ほど私どもが計画いたしました五カ年計画が、総合エネルギー政策の、いわゆる我が国の総合エネルギー政策のいわゆる一環として取上ぐるべきか、或いは否か、それに対する国として如何なる対策を講ずべきか、或いは又国の
予算を如何ほど支出すべきかということが
数字が出て来るわけであります。我が国の現在のエネルギーは、或いは
御存じだと思いますが、このエネルギーをカロリーに換算いたしますというと、大体一兆カロリーであります。最近の一
年間の使用量がその中で石炭が五三%、電力が二八%、
石油天然ガスが八%、これは輸入原油、輸入
石油も入
つております。それから木炭が一一%、こういう
状態であります。従
つてこれが我が国のいわゆるエネルギーでありまして、これが我が国の産業のいわゆる基本にな
つておるわけです。ですから私が今申上げました
石油が、国内資源の
石油が、このいわゆるエネルギー政策に対しまして、如何ほどのものであるかということの御検討を願いたいと思います。そうしていわゆる
石油政策に対しまして、如何なる確実な政策を立てたらいいかということを申上げたいと思うのです。それで御参考のために
戦前における我が国の
石油政策というものを申上げます。これは或いはすでに
御存じだと思いますが、それが
戦前における
石油政策は、これが第一はん造
石油の
生産であります。第二が対外油田の獲得、第三が海外原油の精製、いわゆる海外原油を輸入いたしましてそれから精製すると、第四が海外原油の貯蔵ということにな
つております。ところでこの政策の四つばかり政策がありますが、今日この政策の中で何が残
つておるかと申しますと、御案内のように残
つておるものは海外原油を輸入して精製するというだけしか残
つていないのです。あとのものは全部失敗したわけであります。で、ただ残されたものは、そのいわゆる国内油田の資源をどうするかということが残されておるのでありましてそういう点をいわゆる審議会といたしましても広く検討いたしました結果、今申上げました五カ年計画という案が出て来たのであります。以上で
説明を終ります。