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参考人(
石田昇君) 本月四日の本
委員会におきまして、私の回答が明確を欠きましたために、本日更に呼び出しを受けまして、皆様に御迷惑をかけるに至つた点は深くお詫び申上げます。それと同時に、私は非常に国会には不慣れであつたのでありますが、割合率直に意見を述べることが前回できたのであります。この点につきましても、
委員の皆様に対しまして厚くお礼を申し上げます。
前回の陳述では、単に総評の攻撃に対して防禦をするにとどめただけでありまして、私としてはかなり控え目に申したつもりでありまするが、その結果が、まあ
森谷委員長さんの話では、
警察側が正当性のように主張して、労働者側を如何にも違法であるように言われておる、こういうことであります。それから更に如何にも
警察が労働組合を弾圧しておるようなお話でございましたが、こんなことを一々
言つていても切りがないわけであります。私どものお願いすることは、これは従来のような違法な状態を改めて頂きたい、そういう点、
法律を遵守しまして、合法的な集会や、デモ、陳情等をや
つて頂くのほかはないと思うのでありまして、正しく許可を受けて頂いて、条件をよく守
つて頂きまして、そうしてこの蛇行進や渦巻行進等をして、公衆の迷惑になるようなことを中止して、正しく面会を
求めて、常道に従
つて抗議陳情をして頂きたいだけであります。そういう正しいものを弾圧するというような気持は絶対にありませんし、又そういうことが許さるべきでもないのであります。
あといろいろ条件を挙げておられますが、
森谷組織部長の御主張は、単なる言葉の揚足とりに過ぎないのでありまして、事実を否認しておるのに終始しておるのでありまして、これはどうも前回総評の幹部がここで主張をせられたよりも少しも進歩していない。むしろ低調であるということは、どうも
森谷さんのために、私はどういうわけでそういうことを
言つて、ここに来て角を立てて妙なふうに私が嘘つきのように言われるかということは、私はもう不思議でたまらないのでありますが、
森谷さんと事を構えて、そういう枝葉末節の問題につきまして、一々回答をするということは余り好まないのでありますけれども、まあどうしても仕方がないのでありまして、ここに具体的に明確に私から
森谷さんが言われた各条についてお返事をしてみたい、こう思うのであります。
第一は、全国を股にかけている専門家が多いという点でありまするが、私の主張は形式的な言葉ではなくいたしまして、むしろ重点はその
内容にあるのでありまして、非常にたくさん総評側で動員をかけましても余り集らずに、三百名前後のときには、殆んどその大
部分の人が或いは組合の幹部か、或いは本部の職員であるとか、専従員であるとか、青年行動隊というようなかたがたが非常に多くて、労働争議やデモ、陳情等の現場にはよく出かける機会が多い。それで自然に経験も積んで、最近ではもはや専門家の城に達しておる。そこで、
警察官との衝突の場におきましては、その交渉や駈引き、動作等は我々より優秀であるということを申上げただけであります。(笑声)従
つて、専門家という言葉はこれはエキスパート、或いはその道のベテランとか、熟練工とか、達人とか、(笑声)それはどういう言葉でも結構でございまして、組合側の希望するものに、その
内容を表現する言葉があれば是非訂正をいたしたいと思います。それから又全国を股にかけるということは、地域的広さを
言つておるのでありまして、
東京に居住していますから、
東京地方の
事件に出ることが多いということは、これは事実でございます。併し
事件が起つたときはよく応援に行かれるのでありまして、全国に跨がつた地域的広さにおいて経験を積まれているという総評の言でありまして、大いに敬意を表しておるつもりで実はあるわけでありまして、この
委員会のメンバーの中にも、政治の専門家もおりましようし、まあ政治家や宗教次、社会思想家等が全国を股にかけて遊説をするということは少しも悪いことではないのであります。労働運動の専門家が全国的に
事件発生の現場に参りまして、応援をせられるということは一向
差支えないことと思うのであります。特に、総評は全国を支配しておるのでありまして、これは全国的にお出かけになられる機会が相当多いと思うのであります。それは全国を股にかけてと言つたら、股旅者扱いにした、専門家という言葉は無頼漢扱いであるというようなふうに怒られることは私どもには到底理解することができないことで、誠に実は不思議に堪えないと思うのであります。
次に第二、第三の点は
あとに
関係して来ますので、
あと廻しにいたしまして、第四、第五、第六は、
森谷さんの言われたほうは、これは二月の、二十日に新丸ビルの五階の三菱鉱業本店で
森谷さんが行動せられたことでありますから、このほうを先にはつきりさしておくほうがを
あとの点も非常に明快になると思いますので、この点から先に一つ申上げます。
二十日の午後、
国鉄の本庁に集合しておりました総評傘下の各労働結合の代表者による集団デモは、
森谷民を先頭といたしまして、この
国鉄本部前から移動を閉始いたしまして、
警察の注意を無視しまして、わつしよいわつしよいと蛇行進を始めまして、
交通信号を無視して新丸ビルの正面玄関に行つたのであります。階段を上
つて五階に参りまして、青年行動隊の歌を高らかに歌いまして、そうして廊下を一周いたしまして、午後三時三十分頃三菱鉱業本店総務部の前回の廊下に集つたのであります。それで三菱鉱業では労組員に侵入されまして
事務を妨げられることを恐れまして、各入口を閉鎖いたしまして内側から鍵をかけて、廊下の受付には蜂谷課長代理がみずから出まして、部員と共に警戒していたのでありますが、五階廊下を一廻りして来たデモ隊は、
森谷氏を先頭にして蜂谷課長代理に険悪な様相で、誰かここに連れて来い、こう怒鳴りました。部長以下の幹部は会議をしているから合えません合ら御承下さいと答えたつ蜂谷氏の言葉を容れずに、経営者をここに連れて来い、取次げと言うので、それでは取次ざましようと、蜂谷氏は傍らにいた鈴木課長代理に中からあけさすように合図をさしたのであります。で、内側から扉の鍵をかけて監視をしていた戸井田氏は合図があつたので、まさか大勢の人が旗を持
つてなだれ込むとは知らずにドアをあけました。あけると同時に入れというかけ声で大勢が
森谷氏を先頭にて入
つて来たので、社員の三、四名が入室を拒否し、内からドアを閉めようとしてのであります。この中に三菱
自動車の運転手の松本質治、四十才でありますが、松本質治君がおりましたが、
森谷氏は邪魔をするなと言いながら、松本君の顔面を二回殴打したのであります。三菱総務部文書課勤務の金原周五郎君三十六であります。金原周五郎君が侵入阻止応援のためにドア附近に来たときに、松本氏が
森谷氏に殴られまして、眼鏡を飛ばしたところだつたので、何をするかと言いますと、
森谷氏が何をするかと言いながら又金原氏が殴られまして、この人も眼鏡を飛ばしたのであります。更に
森谷氏は室内を進みまして、川町文書課長の所に来て大声で、経営者を出せ、団体交渉をすると怒鳴つたのであります。ここは
事務をとる所だから大勢に入られては困りますと、富田文書課長が答えますと、
森谷氏がこづき廻したのであります。富田課長はこづかれながら逃げるように退いて行つたのであります。すると、群衆の中から殴れ殴れという声がありまして、同時に
森谷氏は富川課長の左頬を強く殴りつけて、自鏡は外れて落ちたのであります。この間に入室を阻止していましたところの庶務課の戸井田米四郎、三十六です。戸井田米四郎君は労働員の一人から下腹部を蹴上げられまして、チヨツキのボタンがとれたのであります。又館内係の、館内の仕事、館内係の山岸虎治四十九才、山岸虎治君は赤旗を持つた五、六十名がどつと来るときに左手薬指を扉に挟まれて傷をしました。中に入つた労組員はおよそ百名余りと認められるのでありますが、私が現場に着いたときはすでにもうデモ隊が室に入つた
あとでありまして、私はその報告を受けると同時に、
東京駅公安室に待機させておいた予備隊一個中隊の出動を促したのであります。この予備隊を東側の廊下の隅に集めまして、今乱入しておるところの労組員を室外に追出さなければならんということで、その
方法について間違いのないように細かに注意をいたしまして、そうして午後三時四十五分に現場に行きますというと、もうすでに
警察官が集ま
つて準備をしておることを知りましたところの侵入した大部の者は廊下に出ておりまして、残つたのは二十名足らずの人であつたのであります。そこで私はこれに退去を命じまして、富田課長から、その中に入られたときの状態の報告首を受けまして、初めてその事実がわかつたわけでありまして、そこで私は
森谷氏の余りの乱暴に現場逮捕を決意いたしましたが、成るべくトラブルの起らない
方法で逮捕したいと思いまして、エレベーターと労組の集団との間に予備隊を配置しまして、私はエレベーターの前に行きまして、
森谷さんを私の所へ来るように、直接に遠藤警部に
森谷さんを連れさしたのであります。林谷氏はちよつと待て、逃げも隠れもしないと
言つて盛んにアジ演説をぶちまして、午後四時頃大威張りで私の所へ来たのであります。私は住居侵入、暴行の現行犯人として逮捕することを告げて本署に同行さしたのであります。
森谷氏の供述書では、室の中では警備をしているらしい社員と認められる人が数名、入らないで下さいと言いながら両手を開いて阻止しますので、私はこれら立ち塞がつた人々を排除しながら、一番奥の文書課長の机の所まで進みました。排除というのは両手を水平にして、前方から左右に手を払い除けて行つた。そのとき相手の人はふらふらとよろけた状態を覚えています。とあります。釈放するとき私は
森谷氏に直接会いまして、釈放の理由を告げたのでありまするが、告げまして、将来自重してくれるように警告をいたしたのであります。そのとき
森谷氏は、自分は相手の面部を平手で強く払い除けただけで、これが
犯罪とか何とかになるとは全然考えていないのだということを言いまして、肩をかして大手を振りまして、
事務所を出て行つたのでありまするが、以上の説明は成るべく、殊に暴行した現場は殆んど私見を入れてありませんのでございまして、これは全都被議員者の供述調書をただ単に綴つただけでありまして、これを必要がありますれば、一々の被害者の供述書を読上げれば明確になると思います。それから現場写真には、現場の見取図もここに持
つて来ておりますので、当日の
森谷氏の暴行の事実は明確にそれらのものによ
つてはつきりするのでありまして、すでに
書類は地検に送付してありまするが、そのときに複写をしておりまして、同時に
とつた複写の写しを私の所にこれは持
つて来ております。まあこの行為を我々は住居侵入であり、暴行罪と考えておるのでありまするが、
森谷氏は正規の入口から入室したのであ
つて、乱入ではない、それからまあひつぱたいたなどということは穏やかでないと、こう言われるのでありますが、今まで説明しました事実に照らしまして、これをどういうふうに見ているかということを御判断を願いたいと思います。
それから第二は、革命前夜を思わせるすさまじさという点でありますが、それは私の言うことは、制服の
警察官を取巻きまして、そうして胸を突いたり、それから税金泥坊、犬め、ぶつ殺すぞというような、今にも殺しかねないような殺気立つた様相、公務を
執行しているところの
警察官に対して言葉の暴力、力の暴力を以て、いつ何時で、も対抗する、お前たちが来るなら来い、いつでも力、暴力を以て相手にしてやるというこの姿です。大衆行動や集団陳情ならば、これは社会秩序、人権を無視してどんなことをしようが、言おうが勝手放題であるという思い上つた
考え方、私はこの心理的な点に非常に重点を置きまして、私がそのときに主観的に革命前夜のような様相であるということを申上げただけであります。これは我々がまあ違法行為に対して警告したときや、それから実力行使で相手方と対立したような場合には、常に起る現象でありまして、私はこの様態が将来の危機を孕むと、非常にこの状態を恐れているものでありまして、
森谷さんは組合員は通常の服装で、而も素手である、武装していないという客観的な要素に重点を置かれまして、私の言葉の不法をなじ
つていられるようでございます。私は火炎ぴんとか、手榴弾とか、それから銃器を持
つて襲いかかる暴徒というものは大した問題ではないのでありまして、これは問題でないということは、これらは暴徒であることは明らかでありますから、我々もこれに対して敢然と
警察官としての権力を発動して、そうしてこれを鎮圧することができるのでありまして、この点は私どもは余り将来といえども恐れていないのでありまして、むしろ
森谷さんのような善良な労働大衆が今日のような思い上つた状態で我々と対立するということが、これが明日への治安の危機であると思いまして、私はこの点を深く憂慮しておるものであります。
第三ですが、これはやはり第七に
関係して来ますので、第七のほうを先にお話したいと思いまするが、第七は、革命だ、ギロチンだと言わなかつたという点でありますが、逮捕の旨を私が告げましたときに、
森谷さんはエレベーターの前ではつきりと、革命の暁にはお前は真先にギロチンにしてやる。お前たちがこんなことができないように俺は近く行動を起す、早く行動を起してやると言いました。このことは、これは遠藤警部以下丸ノ内署員が十数名、本庁の公安二課の渡辺警部以下数名、それから予備隊員等多数聞いておりまして、これはまあ実にはつきりしておるのでありまして、
森谷氏は逮捕のときは、先ほども
本人が述べていたように、みずから覚悟をきめて出て来たのでありますから、興奮して言つたものでは全然これはないのであります。まあ単身我々
警察官の中に取囲まれていたときに言つたのでありますから、無論我々を脅迫するために言つたのでもないのでありまして、平素常に考えている信念が、逮捕という機会に口を突いて出たものと思われるのでありまするが、
森谷氏ともある者が、このくらいのことをはにかんだり、何も謙遜したりというようなことをする必要はないと思うのであります。なぜかこれを否認しておりますが、特に
森谷氏は十九日頃、
石田みずから、だてに
警察官はしていない、革命が起ればギロチンにかけられるようなことくらいは覚悟しておると言つたというような、帯しいごまかしを
言つているのでありますが、これは
森谷氏の言つた時とは全然別でありまして、そのことは二を話したときに続けてお話したいと思います。
第二点の石は投げなかつた、こういう点でありますが、常に対立の場合には私を目がけて石を投げた、或いは丈余の棒を何本も投げかけて来ているのでありまして、当日石を投げたものと思
つておりましたが、これは配置してありますところの
交通の二、三人の人間によく
調べて見ましたとろが、フラツシユを投げただけで、石は投げていないということであります。この点は
森谷さんのおつしやる
通りでありますから、石を投げた点は一つ取消しておきます。
その次に、このときの状態でありまするが、これは二十日の日の午後一時五十分頃、私は二時頃だと思
つております。
報告書には一時五十分にな
つておりますが、二百名ぐらいおりまして、これが正面玄関に押しかけまして、そうして外から中へ入ろうとしまして、外からドアを押しまして、そうしてこの守衛や公安官が整理するのをむりやりに押そうとしまして、二尺くらいちよつと開いたわけであります。それを辛うじて中から公安官と守衛で締めたわけですが、そのときに中から締めるのを旗竿を以てデモ隊が突こうとしたわけであります。突こうとしてこのときに中に入ろうとしていたところの
国鉄の労組員電務区の専従の書記で奥津英夫君であります。これが頭部打撲裂傷、全治二週間の傷を受けたのでありまして、これは後から突いた傷でありまして、そのときにつまり私が丁度、この二十日の
国鉄前というのは、そのときに私が一人で
国鉄前に伝令も連れずに
自動車から降りて行つたわけであります。
森谷さんが
最初七百名と
言つておりましたが、これは私のほうで間違
つているので、ここのところの速記がはつきりしないのでありますが、訂正を申込んでありますが、これは制服は遠藤警部が伝令等を七名くらい連れて横のほうで見ていたのでありますが、余り労組が気勢を上げるので、
東京鉄道局の公安室の中に予備隊が待機しているのであります。その待機している予備隊の所へ丁度連絡に行
つていた後にこの
事件が起つたのであります。
道路に三、一三の
交通係が配置してあつただけであります。そうすると私が降りて参りますというと、丁度そのときに今の奥津君が同士打ちで頭を怪我して血を見たわけでありまして、そうして青年行動隊を中心にして十数名が私をとり囲みまして、私の胸を突き、今のフラツシユを投げて参りまして、そうして
警察官が警棒で殴つたんだ、この野郎を殴
つてもよろしいのか、こういうことで私に詰め寄りましたので、それは
いかん、
調べて謝まります、こう言うと、後のほうでは殺せ殺せと言うておる、やつちまえ、こういうことを
言つておるのでありまして、私は非常にこのときにはこれは怖くもありましたが、まあ憤慨したのでありまして、卑怯者、何をするんだ、こういうことで非常に私が憤慨した。そうすると、これはまあ割合簡単に引いてくれた、これはいくら労組側でも自分たちが怪我をさしておいて、そうして署長一人で降りて来たのを、これをお前のほうがやつたんだということは、さすがにこれはまあ良心が詐さないところであると思いますが、すぐ引いてくれたわけであります。併し余りにも不当であるから、私は青年行動隊の私を取り巻いた連中を成るべく印象に残そうと思
つて静かに私はまあ挑めていたのでありますが、このときに今の
森谷氏が私が言つたという、ギロチンだというようなことを怒鳴る人がありましたので、これは私が笑いながら、いやそれはもう覚悟の上である、革命の暁にはギロチンにしてもらえば余り自殺する
手数もかからなくていいかか、却
つて結構であるという返事をしただけでありまして、これは私はわざわざギロチンにかけてくれというようなことをお願いするほど、私もそういうことをお願いするほどじやないと思います。(笑声)それからこんなことを一々
言つていますというと、そのときにいろいろあれがありますが、こういうことを
言つておるというと、実は切りがないのでありまして、私の
森谷さんに対する回答はこれだけにとどめたいと存じます。