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参考人(
加藤一郎君) 初めに二つばかりお断わりしておきたいことがございますが、第一は私は
専門が民法でありまして、前にお話をされた三
教授は、いずれも
国際法の御
専門であります。民法でありますのにこういう問題に関心をも
つたということは、つまり
国際法上も
損害賠償というような私法的な問題については、やはり民法の
原則が当然反映している、そういう意味では民法というものが法の
一般原則というものを
損害賠償のような問題については明らかにしている、そう考えるからであります。先ほど
準拠法の問題について
大平教授と
小田助教授との間に
意見の相違がございましたが、私はその点で
小田助教授の考え方のように、つまりこれは専ら
国際法の問題であ
つて、国際私法の問題ではないというふうに考えるのであります。そこで問題になるのは、結局
国際法上の
損害賠償の問題なんであります。そこに当然民法の
原則が法の
一般原則という形で反映をして行くべきものである、そういう意味で民法は一体
損害賠慣についてどういう考え方をと
つているか、その点について申上げたいと思うのであります。
第二にお断わりしておくことは、私は前にこの問題につきまして「ジユリスト」という雑誌の今年の七月十五日号、番号で言いますと六十二号に、ビキニ
水爆実験と
損害賠償という題で一応私の考えを述べたのであります。そこでは非常にいろいろな問題について触れたのでありますが、今日は
損失賠償の
範囲について主として申上げて、その前提として一体
アメリカ側に法的な
損害賠償責任があるかないかという問題を申上げたいと思います。申述べますことは前に書きましたことと大体同じなんでありますが、ただ直接
損害と
間接損害との
区別の問題についてはその後いろいろな本を見まして、前の考えよりももう少し先に進んで述べたいと思うのであります。
そこで本論に入りまして、先ず第一に、
アメリカに
損害賠償についての法的
責任があるかないかという問題であります。主として故意、過失の問題になりますが、この点については
アメリカは好意的に、一応額は問題でありますが、その金を払うと
言つております。ですからここで法的
責任を論ずることは大して実益がないようにも見えるのでありますけれども、これはやはり非常に実益のある問題だと思うのです。なぜならば、法的
責任があるということになれば、
賠償額の
範囲が当然法的の
損害賠償の
範囲になるわけですが、
責任がないというならば、これは
アメリカ側の好意によ
つてそれを適当に縮めることができるので、
賠償額に非常に響いて来るのであります。
それからもう一つは、これが今後の前例になり、仮に
アメリカが又
水爆実験をや
つて日本の漁船が
被害を受けたというような場合に、やはり
賠償額について今後も
アメリカの好意によ
つて向うの適当と思うところまでの
損害賠償しか取れないということにな
つては、今後の問題として非常に困ると思うのであります。そこで、法的
責任があるかないかということは、やはりこの際明確にしておきたいと思うのであります。
そこでこの
損害賠償責任についての
一般原則と申しますと、
我が国で言いますと民法の七百九条というのにその
原則が掲げられておりまして、「故意又ハ過失ニ因リテ
他人ノ
権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル
損害ヲ
賠償スル責ニ任ス」というふうに書いてあります。その
不法行為成立の要件といたしましては、第一に故意、過失、第二に
権利侵害、
権利侵害ということは最近の学説によ
つて違法性という問題である、
違法性があるということであると言われておりますので、つまり故意、過失と
違法性という二つの要件が必要になるのであります。これは
日本の民法でありますが、どこの国の
法律を見ても結局この点は同じことであります。
そこでこの二点について考えて参りますが、先ず第一に
権利侵害即ち
違法性の問題であります。この点については、先ほどから
大平教授或いは
小田助教授が言われておりますが、この間には考え方の違いがあるようであります。
小田助教授のように全面的に
水爆実験は違法であるというふうに考えればこの点にはつきりしておりますし、又
大平教授のように
水爆実験は一応できるにしても、それが
損害を起したときはやはり違法になるのだというふうに考えても、
違法性ということについてはどちらも一致しておられると思うのであります。私としても、少くとも
水爆実験によ
つて生じた
損害は
賠償しなければならないという意味での
違法性は認められなければならない、そういう意味での
損害賠償するについての
違法性ということは、
水爆実験が
公海の自由を侵害すると否とにかかわらず、ともかく
違法性があるのだというふうに考えております。
そこで次に第二の要件といたしまして、故意、過失があるかどうかという問題であります。この点は
小田助教授のように、故意、過失は全く問題にならないとされれば非常にはつきりしておりますが、今までの考えでは一応過失
責任ということが
原則にな
つているようでありますので、先ず過失
責任として考えて、故意、過失があるかということを問題にしたいと思うのであります。
大平教授は、先ほど過失があるということを言われましたが、私今日この点で申して見たいと思います。従来の伝統的な過失
責任の
立場、これは古い過失
責任の
立場からいたしますと、そのときに最善の努力を費してもなお
損害が生じたという場合には過失はないというふうに考えております。ですから仮に
水爆実験をやるに当
つて、
アメリカの現代最高の科学者たちが精密に計算をして、あの危降区域の
範囲ならば
損害が起らないと思
つてや
つたところが、その外で第五福龍丸に
損害が生じたというそういう場合になりますと、それが最善の努力を費したと見られるといたしますと過失はないということにならざるを得ないのであります。恐らく
アメリカとしても十分計算をしてや
つたことだとは思うのでありますが、なお且つ
損害が生じたのであります。この点で
我が国のほうで、
アメリカ側に過失があるということを立証することは甚だ困難であります。尤もその後にな
つて危険区域が六倍にも拡大されておりますので、その点からして前の計算は過失があ
つたのではないかという推定は一応できると思うのであります、ですからそこで挙証
責任を転換しまして一応過失があ
つたのではないか、若し過失がなか
つたと
アメリカ側で
主張するならば、その根拠を示してくれという
要求をすることは十分できると思うのであります。つまり挙証
責任の転換ということによ
つてアメリカ側の無過失を立証させるという点までは十分行き得ると思うのであります。
次に更に進んで過失の擬制、つまり過失があると凝制することはできないかという問題があるのであります。この点で
アメリカ法上ネグリジヤンス、過失による
責任或いは法的
義務違反による
責任という一つの
不法行為の類型がありますが、ネグリジヤンスという
不法行為の類型においては、過失というものが次第に客観化、定形化されて来ております。つまり過失を客観化、定形化して、何か
損害が生じたならばそこに当然過失があ
つたというふうに擬制をして行くのであります。これは形式的に申しますと、やはり過失
責任の中にとどま
つて過失があると
言つているのでありますが、
実質的に考えますと非常に無過失
責任に近くな
つているのであります。
アメリカでも過失なきネグリジヤンスというような言葉が使われたりしておりまして、鉄道その他の企業
責任についてはこの過失のいわば定形化、客観化によ
つて一般に
責任を認める
傾向が非常は強くな
つているのであります。今回の
事件についてもこのような考え方を推し及ぼして、ともかく
損害が生じた以上そこに過失があ
つたのではないかというふうに
主張することがこれも十分できると思うのであります。
ところで以上は過失
責任という旧来の
立場を維持しながら過失があるというふうに言おうとするのでありますが、更に進んで、こういう場合には無過失
責任が認められないかという問題があるのであります。無過失
責任にはいろいろな根拠が挙げられておりますが、特にこの場合に問題になるのは危険
責任の問題であります。今日では特に大きな危険を生ずるような場合には無過失
責任になるということが相当程度法の
一般原則として世界各国に認められていると思うのであります。その中で英米法の
立場を見てみますと、これはすでに一八六八年にライランズ対フレツチヤー
事件という有名な
事件がございます。これは危険物を保管する者はそこから当然に
責任を負う。そこから生じた
損害について当然
責任を負うという英米法でいう厳格
責任が認められているのであります。この危険物を、これは自分のとにかく持込んだものがそこから生じた
損害に対して
責任を負うということでありますが、それは更に火にも
適用されているのであります。最近にな
つてアメリカでは従来の判例を総合しまして、リステートメントといいまして、法文の形に書き直す仕事を
法律協会が進めておりますが、そのリステートメントの五百十九項というのを見ましても今のような考え方が現われているのであります。それを申しますと、極度に危険なる
行為を営む者はその
損害を防止するために最大の注意が払われたときでも
責任を負うと、そういう趣旨の規定であります。これは今英米法だけを申しましたか、諸国でもそういう方向にみんな向
つているのであります。これをビキニの
水爆実験に当てはめて見ますと、ビキニの場合はまさにみずから強大な危険を人為的に作り出し、それによ
つて他国人の平和な生活に突然の
損害を与えたという、危険
責任の極めて典型的な場合になり得るのではないかと思うのであります。
従つて、仮に
アメリカ側の過失が立証できないといたしましても、この場合は無過失
責任としての責仕が当然認められるべきだと私は考えるのであります。尤も
国際法上どうしても過失
責任でなければ認められないというのでありましたならば、先ほどの過失の擬制によ
つて過失の定形化、客観化によ
つてアメリカ側に過失があ
つたとい
つてもいいんですが、学問的に言えばそれはむしろ本質的には無過失
責任にな
つているのだと私は言いたいのであります。又仮に
国際法上従来過失
責任しか認められていなか
つたといたましても、それは今回の場合には
国際法上の慣習として必ずしも
適用されるものではないと思うのです。慣習というのはそれと
類似の
事件についてみ
適用されるのでありまして、
ビキニ実験というのは全く新らしい事柄であります。それに対しては従来の慣習が仮にありといたしましても、必ずしも
適用されるものではない、そう考えるのであります。
結倫を申しますと、私はビキニ
責任の場合には無過失
責任に学問的にはなる。若しそれが実際上
主張することは、無理な過失があるということを
損害の発生から客観的に述べることは十分できるというふうに考えるのであります。
以上のように
アメリカ側は
損害賠償についての法的
責任があるというのが、第一の問題についての私の結論でございます。
そこで次に第二の問題に進みまして、
損害賠償の
範囲は一体どこまでかということに移ります。で、この点についても、各国の立法例から、法の
一般原則として何が認められているかということを考えて行きたいと存じます。で、その場合に、やはり
当事者である
日本法と英米法とは一番
参考とすべきだと思いますので、先ず
日本法の考え方を申上げます。
日本法では、
損害賠慣の
範囲についてはつきり規定したものがないのであります。
不法行為について規定がありませんので、これは業務不履行の場合についての
損害賠償の
範囲を定めました民法の四百十六条を、やはり
不法行為にも
適用すべきであると一応考えているのであります。四百十六条によりますと、第一に、通常生ずべき
損害はすべて
賠償する、第二に特別の事情による
損害で予見が可能であ
つた、あらかじめ予想することが可能であ
つたものは
賠償する、そういう二段構えにな
つております。これは
相当因果関係を現わしたものであると言われておりまして、つまり
相当因果関係の
範囲内の
損害ならば、
賠償責任があるというふうに
言つております。で、これは言い換えますと、いわゆる予見可能性の理論でありまして、予見可能な
範囲の
損害はすべて
賠償すべきであるというのあります。これは一つの
損害賠償の
範囲についての考え方でありまして、ここまではどこの国の立法例でも大体認められております。ドイツ、フランスあたりもすべてこの
相当因果関係の理論で行
つていると思うのであります。
ところで次に英米法においてはどうであるか、これか結局実際には一番問題になると思うので、少し詳しく申上げて見ます。英米法におきましては、一般的にこの近い
損害は
賠償するブロクシメイト・タメジは
賠償する。遠い
損害、リモート・ダメジ、これは
賠償しない、これが
一般原則であります。この
損害賠償の
範囲について、あとで申上げますようないろいろな言葉が使われておりますので言葉の使い方は非常に厳密にしなければならないと思うのですが、先ず近い
損害と遠い
損害ということで、
賠償の
範囲を分けているのであります。ところでこの何が近いか何が遠いかということは、これは幾ら議論をしてもきまることではない、こういうふうに向うの学者も
言つておりまして、結局実際問題に当
つて何が近いか遠いかを決定しなければならない。その近い遠いを決定する
基準としていろいろな点が挙げられているのであります。
で、歴史的にこれを簡単に見て行きますと、第一にはいわゆる予見可能性の理論、つまり
日本法のような
相当因果関係の理論というものがとられていたのであります、つまり合理的な人が予見し得たものは近い
損害である、それから予見し得なか
つたものは遠い
損害をして
賠償がとれない。これは一八五〇年頃からの
判決でずつと認められていた点であります。
ところで第二には、直接性である
損害は近い
損害で
賠償がとれる。これを直接というのがデイレクト、デイレクト・タメジというふうに言われております。即ちデイレクト・タメジは近い
損害として
賠償の
範囲に入るというふうに言うのであります、それを裏返して申しますと、
間接の
損害は遠い
損害として
賠償されないということになります。この問題は直接、
間接という言葉の意味でありますけれども、我々がちよつと考えますと、直接というのは非常に近いものだけしか言わないのじやないか、例えばビキニで言いますと、直接に灰を被
つた第五福龍丸とか、その他
被害を受けた漁船だけを指すのであ
つて、例えばまぐろの値下りによる
損害などは直接に入らないのじやないかというふうに考えがちで、今までの議論を見ますとどうもそういうふうに進められていたように思うのであります。ところがこれは非常な間違いなんでありまして、実は
アメリカで直接ということを持出しましたのは
最初の予見可能性の理論をむしろ拡張するために使われたのであります。この点は非常に重要なことだと思うので特に申上げたいのであります。で初めは予見可能性ということを
言つておりましたが、それは
不法行為責任が生ずるかどうかという点に関してだけ問題になるので、一度
責任ありとされたならば
賠償の
範囲にはすべての直接の
損害が含まれるというふうにこの判例が
言つております。これは千八百七十年のスミス
事件、千九百二十一年ポレミス
事件の二つの有名な
事件においてとられた理論であります。つまり直接ということは途中において
因果関係を中断するような
妨害物が入
つて来ないでまつすぐ続いて行くところまでは
賠償の
範囲に入る、それが予見可能と否とにかかわらずともかく
因果関係が中断されずに続いている限りはすべて直接である、このように考えております。つまりデイレクトというのはまつすぐ続いているところは全部入ると、そういう感じらしいのであります。
日本では灰を被
つただけが直接であとは全部
間接だというふうに
言つておるようですが、それは繰返して申しますように間違いだと思います。結局何が直接か、何が
間接かというところで争う必要があるのであります。その後直接性と言いますと
因果関係が非常に先まで行く可能性があ
つて、不合理な場合が生ずるからもう少し制限しようという考え方が出て参りまして、次にはイミージエツト・タメジ、直近の
損害というふうな言葉を使
つた判決が千九百三十三年のリースボツシユ・ドレツジヤー
事件というものがあります。それでは何を除外したかと申しますと、河の底を掘る浚渫船が沈没してその持主がその浚渫船で浚渫をするという契約上の
義務を負
つていたのでありますが、船が沈没したためによそから船を借りて浚渫しなければならなくな
つた、ところが資金難でありましたためにその船をよそから借りるには非常に高い金で借りざるを得なか
つた、うまく安く貸してくれる人がいなか
つたので高く借りざるを得なか
つた、そこで特に高く借りたというのは遠い、遠隔の
損害であるために、特にイミージエツトという言葉を使
つたのであります。ですからその言葉の
範囲も広いので除外されたというのは非常に遠い
損害なのであります。でこのような判例が大体英米の判例法でありまして、例えばウインフイールドという人が千九百四十八年に書きました本の中にはまとめてこういうふうに
言つております。
損害が直接の
損害であれば遠い
損害ではない、つまり
賠償がとれる、でその直接の
損害という意味は次のごとくである。先ず物理的な
損害が生じた場合にはそれが全部入る、物理的という意味は合理的な人がそれを予見したと否とにかかわらず一般の科学的な法則に
従つて起るべき結果を意味する、つまり科学的な法則によ
つて当然その場合に生じたというものは物理的な
損害として直接の
損害に入る。で第二の従属的な
基準としまして直接今の物理的な
損害以外の
損害については結果を予見したかどうかということで直接性がきま
つて来る。言い換えますと、
相当因果関係の
範囲は当然入る、予見可能性の
範囲は当然入る、更に物理的な結果についてはそれが拡張される、そういう考え方なんであります。
それでそのような結論から今日のビキニの問題についての我々についての教訓を引出すといたしますならば、
アメリカが
間接の
損害について
賠償しないと
言つているのは、これは当り前の話なんであります。
日本が
間接の
損害まで
賠償しろというのは
アメリカとして恐らく理解し得ないところだろうと思うのです。それで問題はつまり直接か
間接かというどこでそれを
区別するかというところなんでありまして、
日本では
賠償要求するものはすべて直接の
損害であるとい
つて請求をして行くべきなのであります。それを何か頭から第五福龍丸だけが直接の
損害で、あとは全部
間接の
損害である、併しその
間接の
損害までよこせというのは
主張の仕方として非常におかしいのでありまして、
賠償を
要求するものはすべて直接の
損害として
請求して行かなければならない。そうして
アメリカで直接というのは非常に広い
範囲までを含むものである。ですからあとで申しますように、このまぐろの値下りとかその他のいろいろ
損害がすべて直接の
範囲に含まれるというふうに私は考えますし、恐らく
アメリカの今までの判例等の
立場から行きましても、それが直接の
損害の
範囲内に含まれると思うのであります。
そこで次に具体的にそれではどこまでそういう意味での直接
損害に含まれるかということを申したいと存じます。
第一に第五福龍丸
関係の
損害、これが一番近い
損害であることは言うまでもないのでありまして、いわばこれが第一級の
損害であります。これは当然直接
損害に含まれます。
それから第二に、第五福龍丸以外で廃棄したまぐろの
損害がどうなるか。この(ハ)の1というところにあるものでありますが、この廃棄したものは第五福龍丸ほど近くはないけれども、第二級に近い
損害である。これは当然直接
損害の
範囲に含まれるのであります。
それから第三に、(ハ)の2にありますまぐろが
放射能を帯びたことによ
つて一般の需要が減退し値下がりをした、そのことによる
損害、これが結局現在一番問題にな
つていると思うのであります。それでこのような一般の市価の値下りということが問題にな
つた事例は、今まで捜して見たのですが、実は余り見当らないのであります。それは今度のビキニの
実験が非常に特殊な
事件である。ともかく
日本の漁場の主要部分を占める地域が
汚染されて、それによ
つてまぐろの価格が下
つた、つまりそれほど大規模に
国内全体の価格を支配するほどの
損害が起
つたということは今までないと思うのであります。それで併し
因果関係を考えて見ますと、ビキニ及びその附近の水域は
日本のまぐろ漁業の中心地でありまして、そこに今回のような異変が起
つた場合には
日本のまぐろ価格が左右されるということは当然のことでありまして、そこに直接性を阻害すべきほかの
原因が入り込むということは考えられないのであります。それで仮に
日本の消費者が過度に敏感にな
つて値下りを生ぜしめたということも或いは考えられるかも知れないのですが、それは
日本の消費者が、つまり合理人として行動した場合にやはり当然そういうふうに行動するであろう。
従つてこれは
相当因果関係を中断するような事由にはなり得ない、当然このまぐろの値下りによる
損害も第二級の
損害として直接
損害の中に含まれると思うのであります。その中で特にこの廃棄したまぐろと一緒にな
つていたまぐろというものは更に値下りをしているのでありますが、その部分はむしろ第一級の廃棄したまぐろに近い
損害である、いわば一級半くらいのところの
損害だと思うのであります。
次に第四に、(ハ)の3に挙げてあります検査のための水揚遅延により船を繋いでおいたために生じた
損害、これもそういう
事件が起
つたならばまぐろの検査をするということは当然予期されることであり、当然期待されることである、でそれによ
つて繋留期間が延長したことも当然この直接
損害の
範囲に含まれると思うのであります。これもやはり第二級の
損害と
言つていいと思うのであります。
次に第五番目としまして、(ハ)の4に挙げてあります危険水域設定のため漁場を
喪失し又は航路の迂回を余儀なくされたための
損害、これは今までに述べた
損害とはちよつと
性質が違うものでありまして、いわば得べかりし利益の
喪失というようなものであります。でこの点はこの危険水域の設定が合法的であ
つたかどうかという点とも関連するのでありますが、これはむしろ第一級の
損害である、最も近い
損害であるというふうに思うのであります。
次に第六番目に(ハ)の5挙げてあります需要激減に対する回復策の費用、つまりまぐろ業者が投じた啓蒙宣伝費でありますが、これはそういう啓蒙宣伝費を投じても値下りのまま放置しておくよりは有利であると思
つて投じたものであります。ですから放
つて置けばもつと
損害が大きくなるはずであ
つたのを、それを食いとめるために投じた費用でありますから、これによ
つてアメリカ側の
賠償すべき
賠償額も減
つているのであります。その
賠償額を減らすために有効に投じられた費用でありますから、これも第二級の
損害として直接
損害の中に入ると考えます。
次に第七番目に、今度はまぐろ業者から離れまして一般の魚商人の
損害でありますが、これは仲買人、小売商人等が値下りによ
つて損害を受けております。そのうちで初めに値下りということを知らずに買
つている、これは
ビキニ事件が、第五福龍丸が帰
つて来てから二、三日の間そういう現象が若干起
つたようでありますが、普通に売れると思
つて買
つたところが急に値下りをしてそれが売れなくな
つた、これはむしろ(ハ)の2に挙げてありますまぐろ業者の
損害と丁度同じ
性質のものでありまして、これも第二級の
損害に入ると思うのであります。
そのほかに一般の取扱数量の
減少による
損害というのがあります。つまり今までまぐろをたくさん売
つていたのが売れなくな
つたから、その手数料の額が少くな
つたという
損害があります。これはまぐろ業者が受けた
損害よりも幾分遠くなるのでありまして、いわば第三級の
損害になるわけであります。で魚の商人がまぐろばかりではないほかの魚もたくさん売
つておりますし、まぐろが売れなくて却
つてほかの魚が売れたということも或いは無きにしもあらずと思うのであります。ともかく一段と遠い
損害になるので、ここまで入るかどうかが、結局境目の問題だと思うのです。併しやはりまぐろの値下りということが
ビキニ実験の結果生じたもので、当然生ずべき
損害であ
つたのでありますが、私はここまではやはり直接
損害の
範囲として
賠償の
範囲に入れていいというふうに考えております。で更に最後にそのほかの
損害といたしましてはいろいろのものが考えられます。
政府や地方公共団体の投じた
行政費、いろいろ検査のために投じた
行政費というものがありまして、これも私は通常生ずべき
損害であ
つて、やはり直接
損害の中に入るというふうに考えております。それから先になりますと、今度は一段と遠くなり第四級、第五級の
損害でありまして、第四級の
損害としてはまぐろ漁業者にいろいろな品物を売るものの
損害、これはまぐろ漁業者が漁業に出られませんので買
つてもらえないという
損害、それからすし屋が受けた
損害、まぐろが危いというのですし屋が売れなくな
つたという
損害、それからすし屋が売れなくなりましたので今度はわさび業者が(笑声)わさびが売れなくな
つたという
損害、でここう辺はいわば第四級の
損害でありまして、ここは少し、直接
損害というには少し無理ではないかと考えておるのであります。更に第五級の
損害といたしましてはまぐろを食べられない消費者の
損害、(笑声)或いは精神的シヨツクを受けた
損害であるとか、それより近いのは焼津とか、三崎とかいうところのまぐろ漁業の根拠地の一般のこの業者が全部不況に陥
つているそういう
損害も挙げられるのですが、これは更に遠いいわば第五級の
損害であるというふうに考えます。
以上で私の申すことは終りでありますが、要するに直接
損害間接損害という言葉の使い方をもつと正確にしなければならないということを特に申したいのであります。