○
説明員(清井正君) 本年度の
北洋漁業について御
説明申し上げ
ます。
三枚の紙がござい
ますが、一番上が地図でござい
ます。略図でござい
ますが、これを御覧願いたいと思い
ます。ここにござい
ます太い実線で囲んでござい
ますのが母船式の鮭鱒
漁場であり
ます。四十八度から北にかけまして東は西経百七十五度、西はカムチヤツカへ寄りまして引いてあり
ますが、やや四角い
漁場、これが母船式の鮭鱒漁区でござい
ます。それからその真中にござい
ますのは母船式の捕鯨の
漁場であり
ます。全部で四カ所、これは短かい線と長い線で囲んであり
ますが、これが捕鯨の
漁場であり
ます。それから一番右に斜線が引いてござい
ます。これがかにの
漁場であり
ます。こういうことにな
つておるのであり
ます。
そこで先ず二枚目の数字を御
説明申上げ
ますが、先ず母船式の鮭鱒
漁業であり
ますが、これは二十七年、八年、九年三カ年やりました数字を実績によ
つて表わしておるのであり
ます。母船は二十七年、八年は三隻であり
まするが、二十九年は七隻出まして、直接さけ・
ますをとる独航船は二十七年度は五十隻、二十八年度は八十五隻、本年度は百六十隻ということでござい
ます。その他調査船がござい
ます。そこでどれくらいとれたかと申し
ますと、ここに総漁獲高と書いてござい
ますが、二十七年が二百十一万尾、二十八年が七百七十万尾、二十九年度は二千四十九万尾、こういうふうにな
つておるのであり
ます。この種類別はそこに書いてござい
ますが、そこで漁船の一隻当りの平均漁獲数はどれくらいになり
ますかというと、二十七年が三万七千尾、二十八年が七万三千尾、二十九年が九万九千尾、そういうようなことでいずれも逐年隻数の増加と共に成績も非常な発展を遂げておるような状況であり
ます。
それから次が母船式のかに
漁業であり
ますが、これは二十八年と二十九年の二回しか出ておりませんが、東慶丸という船が一隻母船として出まして、これに附属船が十二隻出ており
ます。昨年はとれました
罐詰が五万八千二百四十函でございましたが、今年は「ずわいがに」を入れて六万三千三百七函、「たらばがに」では五万九千八百五十函というかに罐を製造いたした次第でござい
ます。これも又非常にいい成績を挙げておるのであり
ます。
それから一番
最後が母船式の捕鯨業であり
ますが、これは二十七年、二十八年はばいかる丸という船が一隻出たのであり
ますが、今年はばいかる丸のほかに更に錦城丸という船団がこれは一年限りの試験操業ということで出漁をいたしました。錦城丸はすでに漁を終えて帰
つて参
つており
ますが、ばいかる丸も又近日中に漁を終えて帰ることにな
つておるのであり
ます。これ又非常な成績を挙げておるのでありまして、例えば白長須換算で二十七年が百七十八ということにな
つており
ますが、二十八年は三百三十二、二十九年のばいかる丸は五百七、錦城丸が三百五十という計算にな
つておるのであり
ます。そういうことで、おしなべて見
ますと、北洋は母船式の鮭鱒
漁業も母船式のかに
漁業も母船式の捕鯨業もいずれも成績が非常に優秀なものを挙げたということにな
つておるような次第であり
ます。なお御
質問ございましたらばお答え申上げ
ます。