○
参考人(
松坂義正君) 実は
広島県の
医師会長は今回八月の八日に中国、四国という方面と
話合いまして
保険医大会というのを開いたのであります。私はどちらかと申すと非常に
自重派であ
つた、まあ余りそういうことをせずに
話合いで
一つ解決しなければいかんというのが私の建前でありましたが、八月八日に
広島県の
保険医大会を開きましたところが、未だ曾て見ざるところの会員の凄惨と申しましようか、深刻と申しましようか、実に名状すべからざるところの大会であ
つたのであります。その結果私が幾らとめましても、会員の一同はデモということをやるというような状態にな
つたのであります。私は非常に悲しんでおりまするが、併しそのかくのごとく
なつたということは、
只今保険局の各課長さんがたの御
説明を承わりましたところによりまして私
どもも多少平素から研究いたしておりまするが、御無理のないところもありましよう。ただ、私
どもはその政治的にもう少しなぜ
保険局という方面と、私のほうの中央の日本
医師会とがじつくり
話合いをして、そうしてこの今回のような全国的にああいうその熾烈なる
医師の大会というものを開かないようにしてもらいたか
つた。
広島県の
医師会の大会の
状況を我が県選出の国会代表各議員諸公にこの旨を陳情に参
つたわけであります。日本
医師会に参
つたわけではございません。
そこでなぜそのこの末端の
保険医が非常にかような状態に
なつたかと申しますと、日本
医師会の種々な声明書を見ましたり、或いは一雑誌を見ましたりして
地方の
状況を見て、そうして誠に尤もだ。例えば
薬価が値下げをしたのだから、
点数を下げるのは
当り前だと、こういう厚生省側の御意見、御尤も至極であります。併しながら必ずしもその
法律を以てしては解決するものじやない。で、その
薬価の
値下りというものを先般の六月何日か知りませんが、医療協議会のあ
つたときにおける
医師会側のほうの代表が二十分か三十分……ここに代表の方がおられますが、退場したのを強行して医療協議会を遂行した。まあそこに
一つそういう無理なことをしてもらわんでも、もう少し肩を叩いて話合
つたらわかるんじやないか、けしからんというのがまあ怒りの
一つでありますし、それから今度はその次にその告示というものを
医師会が承諾したとか、せんとかというような問題、これは幸いにして
委員会ができましたのでありまするから、日本
医師会が間違
つたことを言うておるのであるか、或いは厚生省側が間違
つたことをおつしや
つておるのであるかということを剔抉して正邪をはつきり我々末端の
保険医にお知らせを願いたい。でそういうような例えばこの
薬価の値下
つたやつを呑むと、承知したと日本
医師会側のほうでは言わないというし、厚生省の幹部におかれては承知したのじやと、こういうことが我々の耳に入
つて参ります。一体どちらがほんまなんだろうかというようなことご私
どもは非常に懸念に思いまして、私は
久下さんなんか非常に御懇意でございますが、ここを
一つはつきりして頂きたい。
それからもう
一つは、そういうことが重
なつて本
年度の社会
保険課税に対するところの税率が、大蔵省、国税庁の方面から、長官のほうから今までのをやめたのであります。これは
昭和二十六
年度に社会
保険はあの当時はつきりとガラス張りのうちに
収入がわかるんであるからして、この分は誠にかわいそうだから、二五%乃至三〇%にしてやろうというところの約束を、ときの厚生大臣及び大蔵大臣は池田勇人さんでありますが、はつきりと私が池田、ときの大蔵大臣、
広島県の出身でありまするから、よくお話合をして、はつきりとこれはや
つたのであります。それで非常に喜ばれて、一、二年の間というものはスムーズに行
つておりましたが、今年それを全然一方的に、もうすでに約束を以てこういうふうに、その代り一点単価は十円であ
つたものを一円五十銭上げて十一円五十銭、その代り課税のほうで都合すれば大体十四円何十銭くらいになるだろうから、まあそれで我慢しろ、それから
保険審議会というものを作
つて適正なる
保険単価というものを
一つ早くやろうじやないか、それから
入院料の問題は、これは即刻解決するというわけで、
入院料の問題はたしか即刻解決されたことでありましよう。又医療
保険審議会というところの問題も大変これは責任はどちらにあるか知れませんが、ここにおいて会が解決し得ないところの議論倒れというふうに
なつて今月まで来ております。そこで課税は今年はその
通り非常な税務攻勢で、中央国税局長官もいろいろなこと言うて、数回に亙
つて地方の国税局に来ましたけれ
ども、末端のほうでは税務官吏というものは
一つもそういうことを頭に入れずにびしびしや
つたものでございます。そこで
広島県のごときも
相当に難儀をいたしまして、未だにまだ解決せざる点がある。そのときにこういうふうな
状況に
なつて、厚生省においてはこういう我々が難局に立
つてお
つても、前のときにこうして下す
つたのだから、もう
一つ厚生省は突込んで遅らせるように我々と共に図
つて下さらなか
つた。これは甚だ以てどうも残念なことであります。こういうように前のほうのやつは一方的に
政府の一方的の考えによ
つて破
つてしまう。それから今度告示の問題はこうである、それから一点
薬価の値下げのために下げる、そういう下げるところは下げる、叩くところは叩いても、撫ぜるときは撫ぜてくれないというようなことを末端の
保険医が非常に憤慨しておる。
広島県におきましても、なかなか私の手じや今までは一糸乱れず行きましたが、なかなか私の手では治まらないそいつが、私が支払
基金の審査
委員長をや
つておりまして、内情もよく知
つておりますので、成るべく激烈なことをやらせないように抑えて参りましたが、倒底抑えることができなくなりました。それで陳情に参
つたわけであります。
それから
保険医の
収入が二十六
年度よりもいささか多少殖えたということは、これは事実であります。これはそのときはやはり現在のごとく今におきましては、
医師も、末端のほうの
医師も都会の
医師はややまあ七〇から八
○、或いは工場近くにおきましては一〇〇%というところの
保険診療の有様でございます。それらの
保険医は多くは弱小
保険医であります。弱小
保険医というものが、一体どのくらい今
収入を取
つているかということを、丁度この際この間の私のほうの八月八日の会のある前に顕に入れておかなければならんと思
つて統計をとらせましたところが、二十八年十二月の統計におきまして、五万円以下の
保険医が六一%、それで一万円以下が、そのうちこちらに
ちよつと
資料を持
つて参らなか
つたのでありますが、一万円以下が一五%、二万円以下が一五%、三万、四万、五万まで行
つて、大体六一%という
数字が出ております。これが二年前には五万円以下というものがまだ多うございましたが、それほど下
つて来たが、最近は
保険医の
収入が若干余計に
なつて来た。それはやはり被
保険者数がだんだん二十六年くらいじや六〇%、七〇%が今では非常に多く
なつて参りました。
地方のほうの村のほうでは、
広島県のごときは、
国民健康保険というものが
相当に布かれておりますから、従
つてこれ又
保険診療というようなことに
なつている。そういうようなわけで私としましては、一方的に約束をそむいて、一点単価をそのままにして置いて、税金はあの
通りにしてしまう。それから今度の
薬価の値下げで
点数は下げる、
点数は下げても、或いは告示のときの状態というものは、
医師会の代表者が退場したという、そういうことを以て直ちに厚生大臣が告示を出した、けしからんというようなことで徹底的に闘おうじやないかというような有様で、末端のほうに行きましては、収拾できないような
状況に
なつております。私
相当なだめておりますが、そういうふうなわけで、止むなく一応中央の
状況を我が県出身の国会代表の方々に陳情に参
つたわけで、詳しい
資料がございませんので、総論的なことだけ申上げて、又お尋ねによりまして、お答えをいたしたいと思います。