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参考人(
マーガレツト・サンガー君)(
村松稔君
通訳) 従いまして、私にと
つて非常に大きな
興味でありますことは、現在の
日本におきまするこの
家族計画と申す
仕事に対しまして非常に大きな
関心が持たれておる。そのよ
つて来
つた原因が一九一四年当時の
アメリカと同じく、
人口妊娠中絶が非常に多い
時代に直面して、こういう面の大きな
関心がまき起されて来たという点は、私に非常に
興味がある点であります。それで
日本の
状態を、現在のところを私拝見いたしておりますと、これは非常に結構なことと存じますが、非常に立派な理路整然たる
優生関係の
法律を
日本では持
つておいでになるという点であります。
アメリカにおきましては、当時入
つて参ります
外国からの移民ということに関しましての
優生的な
法律はございました。例えば悪い病気、
伝染性の疾患でありますとか、或いは精神的に異常のある人であるとか、或いはその国にと
つて不利益になるようなそういう
障害を持
つた人々を入れないようにするという
意味での
優生的な
法律を持
つておりました。
日本の場合には国内にこれが適用されまするところの
本当の
意味での
優生という
観点から、立派な
法律的な
政策を持
つておいでになるわけであります。
当時この
運動が始まりました
米国におきましては、この問題に対する
反対は非常に強か
つたのであります。例えばピユーリタンと申しますか、その系統の
人々の考えでは、性でありますとか或いは
産児制限と申しますような、そういう自然の本能に関したことは一切口にすべきでない、公の席上はもとよりでありますが、個人的な場合におきましても滅多にそういうことを品にすべきではなく、品にすることは即ち淫わいなことだという観念が非常に強か
つたのであります。こういうふうなピユーリタン的な
意味での
反対のほかに、更に又、合衆国の
連邦政府の持
つております
法律並びに各州の持
つております
法律というものは、こういう
仕事の
関係でいろいろな例えば書いたものでありますとか或いは文献、図表と申しますか、そういうようなものを郵便で送
つたり或いは発表したりすることは犯罪になる、こういうことは
医学に携る人でさえもしてはいけないということが規定されておりました。初めのうち少くとも十年間と申しますのは、我々がこの
運動に携わりましてから、その
運動の
本当の
意味しておるところを
一般の人に知らせるのに非常に苦心を
払つた時代でございます。歴史的に申しまして、
バース・コントロールという
言葉が現在でも盛んに使われておりますが、私
自身この歴史的な
言葉を作り上げたと申上げてもよろしいかと思います。今でもそういう
言葉を言
つておりますし、
バース・コントロールという
言葉はいい
言葉だと思
つております。但し、この
言葉を使います場合の定義というものはかなりむずかしいわけでありまして、それを慎重に、
本当に
意味するところはこうであるというふうに、
人々に
教育する点に私
最大の
努力を払
つたわけであります。で、私の申しますこの
バース・コントロールという
言葉の
意味は、自覚的に
出生率というものをコントロールするということでございます。特にこの際に注意いたしておりますことは、
妊娠というものがあらかじめ起るのを防ぐということが趣旨であり、決してすでにできておるものを破壊する、壊すということではないという点が
一つと、もう
一つコントロールと申しますのは、英語で申しまするリミツト、即ち、
制限をするという
言葉と同じではない、即ち一人、二人で
制限せよと申すことではないのでありまして、母親の健康と父親の経済的な能力というものとよく考え合せまして、
自分たちに育てられるだけの
子供の数を生むようにコントロールするという、この
二つの点に注意を払
つて参りました。
今申上げましたところが第一の我々の
運動の幸福な面と申しますか、
仕事をや
つて参りますときに第一に申上げたい面でございます。
それから第二の点は、私
自身が当時看護の
方面に携わ
つておりまして、こういう
運動を進めて参りますのには、全
医学界というものが正しい認識を持たなければならないということを痛感いたしたわけであります。こういうふうにいたしまして全
医学界というものが十分この問題に対して支援を与えてくれるように、そういうふうに導いて行くまでには、随分長い年月を要しました。例えばワシントンで、この
方面で
努力いたしました約七年間これに費したのであります。その結果
中央連邦政府の
法律を変えることができたのであります。その際に、東京の病院におられました
日本の
医師の方が一人私
たちに、この
運動の今申上げましたような
成果を挙げるのに非常に尽力して下す
つたのであります。と申しますのは、このときに
日本のこの
お話いたしました
医師の方の
努力というものが私
たちに非常に助けになりまして、それが非常に大きな原動力とな
つて、申上げましたような
成果が
挙つたのでありますが、箱に入れました
避妊の器具でございますが、ペツサリー、これを
アメリカへお送りになりまして、これを私
たちは
最高裁判所に持
つて行つて、こういうような
外国からの応援と申しますか、それを借りて、
法律的に
アメリカでもお医者さんはこういうものを処方したり、或いは教えたりすることができるという
状態に導いて行
つたわけでございます。一九三五年でございます。
現在
アメリカでは直接
産児の
関係の
クリニツクが全国で五百余ございます。すべて
医学関係の
人々の十分な
指導の下に運営されております。併しながら現在の
米国におきましても大きな問題がございます。それは御
承知のように広い
土地の上に住んでおります
人間でございますので、比較的そのうち町に住んでいる
人々は、こういう
クリニツクに来る
機会が多く与えられている。従いまして主にそういう
クリニツクに出て参ります
人々は、
一般的に申しまして
教育の高い、教養もかなり高い水準を持
つた、又比較的
収入の多い
人々が多いのであります。
従つてそういう
人々に多くの
産児制限の正しい
知識が分たれて行く。それに反しまして比較的
収入の低い層の
人々は、町を遠く離れました農園と申しますか、
農業関係の
人々が多いために、なかなかこういう
クリニツクに来て、正しい
指導を受けるということがむずかしい。而もそういうふうに離れた
土地におります
人々が、実際はこの
方面の
知識が非常に必要だという
状態であります。
こういうふうな何と申しますか実際に要る
人々たちに実際の
知識が渡らない。この正しいところにまあ逆淘汰と申しますか、そういうような傾向があるわけでありますが、
只今こちらで
委員長の
お話を伺
つておりますと、
日本の場合にも同じようにこういう問題についての困難がおありなように拝聴いたしました。ただ、
日本の場合には私非常に立派な目標を立てておられると思
つておりますのは、この
家族計画関係の
仕事というものを、
公衆衛生関係のいろいろな施設を通じてお
仕事をなさると同時に、
社会福祉の
方面とも深い
関係をつけて、そういうふうに例えば
収入の低い、実際に非常に多くの数であり、又非常に切実にこういう
方面を求めておる
人々に、今の
衛生及び
福祉を結びつけてこの要求に応えて行きたい、それによ
つてこの困難を克服したいということに
努力をして
おいでになる、その点を非常に立派なお
仕事だと思
つております。現在の
日本におきましては
厚生大臣の御
指導の下に、厚生省が非常にこの
方面に大きな
関心を
払つておいでになります。又
公衆衛生院の
古屋先生も御
承知のように幾つかのこの
方面での優れた
仕事をして
おいでになります。例えばそのお
仕事のうちの一端を伺
つたところでは、農村でありますとか、或いは
鉱山関係、或いは漁村というようなところに個々の
人々を尋ねてこういう問題の
指導に当
つており、今の
バース・コントロールという問題に対してこういうところに住んでおる
人々がどのような反響を示すか、どの
程度の
関心を持つかということをよく研究なす
つておいでになります。現在
日本の
人口は約八千七百万と伺
つております。年々の
自然増加は約百万を超えるという
お話でありますが、
従つてこの
方面での
仕事というものは、かなりスピードを早くいたさないと、なかなか追いつかないというような
状況かと考えます。
日本のほかに、同じような
仕事をしておりますもう
一つの国、即ち
インドという国がございますが、ここでも最もこういうことが必要なところにおいて
人口の
増加というものをできるだけ抑えて行く、合理的な範囲に抑えるという
努力をこれからも続けてや
つて行くわけであります。
インドの場合のことを少し申上げますと、我々の持
つております
人口よりも桁違いに大きな
人口を持
つておる国であります。
従つてその
インドの
人口問題も非常に深刻なものがある。全
人口のうちの六六%は一日に満足な食事を一度すらもできないというようなことが言われております。そのぐらい非常に深刻な
人口問題に悩んでおりますが、
インドの独立以来、このような非常に深刻な時局に直面いたしまして、国を挙げてこの問題に大きな
関心を寄せております。で、
ネール首相もその
インドの五カ年
計画というものの中に、是非この
バース・コントロールのプログラムを入れるべきであるということを非常に強く強調いたしました。
一定の
予算、
相当額の
予算を国家がこれに当てて、十分の
仕事をや
つて行くべきであるということを言
つたわけであります。この結果といたしまして、昨年のボンベイで我々が
会議をいたしましたあと聞いておりますところでは、勿論
インドの金でございますけれども
アメリカのドルに直しまして約百三十万ドルに相当する額の
予算を出しております。これを
公衆衛生並びに
社会福祉関係のほうに割当てて、貧民窟と申しますか、非常に貧しい
人々がたくさんに住んでいるような地域に対して重点的に
人口を抑制する、
人口の
増加を抑制するということに
仕事を行うべきであ
つて、実際にこれをや
つておるわけであります。
で、今
お話しいたしましたような
インドの
予算と申しますのは、この深刻な
インドの
人口問題並びにほかのいろんな問題から見ますと、額としては非業に決して多くない額と思います。ほかにも例えば灌漑用のいろいろな
予算、それから
土地の若返り、或いは又
食糧というような、日前に差控えております緊急な
仕事に、何百万ドルというような金が年々必要であり、又これが注ぎ込まれているわけでありますが、まあ仮に今年なら今年に五百万新らしい
出生があり、又来年六百万次の
子供たちが生れるというようなことにな
つて参りますと、折角モンスーンが持
つて来てくれた水を、灌漑に使うという
仕事も、又
土地を若返らせるというような
努力もどんどんどんどん殖えて参ります。例えば一千万人或いは千五百万人というような新たに
食糧を求める
人口というものにとても追いつけない、どんどん
人口の
増加のほうが先に
行つてしまう、どんなに金を費やしてほかの
仕事をや
つても間に合わないということにな
つて参ります。従いまして我々の持
つております
知識という点、或いは又現実的な
政策という点、或いは又宗教的な
観点というようなことからいたしまして、
インドという国が現在もつとよい国、仕合せな国というものを作り上げるために、
最大の
努力をこれから捧げて行こうというわけであります。恐らくこれは併し早急にはそういう
目的は達成しがたい。十年経
つてやつとそろそろ
成果が上るということになるかも知れませんが、併しこういうふうな
人口の問題が幾らかでもそれでおさま
つて来るということならば、非常に意義の深いことだと思います。例えば町に溢れております乞食の数が減る、又
病人、誰もみる人もない
病人がどんどん減
つて行く、或いは又住むに家のない人も減る、それから町の一隅のどぶの中で生れて、恐らく一生をそのどぶの中で暮して行くというような人、又その
人たちから生れる
子供たちも同じような
状態を繰返して行くというような、誠に悲惨極まるこの
状態が幾らかでも改良されるということでありますならば、どんなこの
方面の
運動であ
つても、それは必ず偉大な
仕事になるに違いないと断言して憚からないところであります。
私
自身この
日本の
芸術、なかんずく絵のほうに
興味を持
つておりますが、いつも感じますことは、この一七〇〇年代から一八〇〇年にかけましての
日本の大体百年間くらいの
人口が、増減のない大体
一定の線を上下してお
つた、
経常人口であ
つたということを伺
つております。で当時、その線と申しますのは、約三千三百万という線を下らない、或いはそれを余り越すこともないという線であります。而もその
時代に私の伺
つておりますところでは、
日本の文化といいますか、
芸術の面で非常に大きな発展があ
つた。現在でも
皆様方昔のその偉大な
芸術家、或いは絵を画く
方々というものを鑑賞して
おいでになり、又その当時のことをいろいろ美しい記憶を持
つて毎日を暮して
おいでになるわけであります。それが明治維新以来
日本は
工業化の途を辿りまして、非常な速度で工業的に発展して参りました。でそれと同時に
人口の
増加も非常に顕著なものがございまして、一九二二年、大正十一年私が前に
日本に参りましたときには、
人口が約六千万人、現在は八千七百万、非常に急速にその間に殖えているわけであります。で
只今も
委員長のほうで
お話がありましたように、そのように
人口の殖えた現在の
日本は、六千万の
人口を養わねばならなか
つた時代に比べて、
食物を生産すべき
土地は更に減
つている。従いまして非常にこれは重要な大きな問題でございます。併し大きな問題ではございますが、必ず
解決のできる問題だと存じます。
それでは
結論として一言申上げまして、あとで
皆様方とのいろいろ疑
質応答ということを期待いたしておりますが、このようにいたしまして
人口が過剰であるというような問題は、ただひとり
日本の問題のみでなしに、殆んどすべての、全
世界の
国々が
程度の差こそあれ、或る
程度直面しつつある問題でございます。勿論
米国という国は現在のところはその度が低いというわけでありますが、間もなく近い将来にこの問題に当然直面せざるを得ない
状態だと考えられます。同時に又ヨーロツパの
国々、ドイツ、イタリア、
イギリスというような
国々をおとりにな
つてみましても、同じように大きな
人口の問題に現在直面いたしております。こういうような
世界の情勢の下に極めて重要なことは、
インドと
日本という
二つの国が極めて現実的な態度をこれにと
つて、この問題を直接
解決に導くような方途を現に実行して
おいでになる。この点が何にも増して重要な現在の
状態であると私考える次第であります。フレデリツク・アツカーマンという名前を御存じの方も多数
おいでになると思いますが、この有名な
学者が曾て
日本に参りまして、二年間
天然資源関係の
調査をいたして
アメリカに
帰つたのでありますが、その報告の
結論の中に、この
先生の
言葉を借りて申しますと、
大要次のごときことが書かれております。
日本の将来には選ぶべき途は三つある。
一つは、自覚的に、建設的に、而も自然に無理のない
方法で
出生率を下げて行く、
バース・コントロールというものによ
つて出生率を下げて、将来の事態に備えるという途が
一つ、それから永久的に
食物を他の国、例えば
米国のようなものに
自分たちの
人口を養う
食物を永久的に頼
つて行く、第三の途とたいしましては、常に
自分たちが一
人々々与えられる
食糧或いは生活のための
必要品というものを切下げて行く、いつでも不十分なものを食べ、又不十分なもので暮して行くというこの途、この三つの途が残されておるということを言
つております。最後に申しました一人一人の割当を減らして生きて行くということは、知性のある、又
元気溌剌たる
国民でありますれば、当然それには我慢ができない。何とかして
自分たちがもつとたくさんのものを獲得するように、或いは
自分たちが生残るというために、非常に反社会的な
方法に出るということも十分考えられるわけでありまして、例えば革命というようなことにもなりかねない勢いだと思います。第二の点について申上げますれば、ほかの国にそういう重要なものを頼
つて行くということは、少くとも誇りを持
つた、或いは自尊心のある
国民でありますれば、これもやはりどうにも承認いたしかねるということにな
つて参ります。
従つて残る途は、第一に申しました
出生率と
死亡率というものとの調和ということを考えて、
自分の力でこれから先
日本の
人口は間もなく一億の線にも達するであろうということが言われておりますが、できるだけ早く
自分たちの手で自主的にこういう
状態に対応できる道を作
つて行く。即ち残されたその最も理智的な道は第一の点に帰するということになると存じます。
で、実際的な
方法につきまして最近非常な進歩が見え始めておるということについて一言申上げておきたいと思いますが、現在までこの
方面に関しての技術的な実際の
方法は、例えば簡単でない、お命がかかる、或いは害がある、いろいろな欠点が多くありました。而も
世界を通じて非常にたくさんの数の
人々がこういう問題を非常に必要としておるということから、そういう実際的な
方法につきましていろいろな
障害ということは、極めて大きな困難を我々に与えておるわけであります。ところがここ七年間、
アメリカにおきましてはいろいろ
仕事が
学者の間で研究されております。それによりまして非常に簡単で安くて而も害のない、そういう
産児制限の
方法、
受胎調節の
方法を作り上げようという
努力が行われて来ております。例えば
人間の卵を
妊娠に対して
免疫にする、例えて申上げますと、御
承知のようにコレラでありますとか、天然痘というものは、予防注射によ
つてこれを防げるということでありますが、同じようなことがどうして
妊娠というものに対して
免疫にすることができないか。できない理由もないということから、このことが非常に現実的にな
つて参りました。勿論
医学の
世界におきます新らしい
発明発見というようなものは、これが確実になるまでは、かなりの時日が要するものでございます。殊に害が全然ない、
人間に対して無害であることが確証されるまではかなり慎重でなければならないわけでありますが、このような問題につきまして、
日本、
イギリス、
アメリカ、
インド、プエルト・リコというようなところの
人々が一致協力してこの問題を衝いて行くということにいたせば、恐らくもう一年も待てば確実な、決定的な、而も簡単で安くて無害であるという
避妊の
方法ができるというこの希望が非常に多くな
つて参りました。私
自身も今回参りました
一つの
目的の中には、
日本のこの
方面の研究の
方々に是非この問題に
ついて一緒に
お話申上げたいということが含まれているわけであります。残念ながら私
日本語が喋れませんので、直接
皆さまがたに
お話することができませんが、
皆さま方が貴重なお時間を割いてお聞き頂きましたことを心から御礼申上げる次第であります。(拍手)