○曾祢益君 平和
条約を引用されて
集団安全保障の制度というか或いは観念を一応容認したのは、そのときからだというようなお話だ
つたと思うのですが、これは私は多少違うと思うのです、正確に
言つて。平和
条約の第五条でしたかに
国連憲章の一部を引用しておりまするが、更に
日本の
安全保障について個別的及び集団的な自衛権、五十一条の権利を明確に
承認した、これは確かにある。併しこれは
一つの権利として
日本にそういう
安全保障の態勢をと
つていいという権利を与えたものであると共に、
日本が
国連憲章の精神に賛成する、
国連憲章の精神そのものは勿論昔のようなスイス型の孤立的ないわゆる中立という
考えじやないのです。確かに集団です。併しその
集団保障の中にもいわゆる憲章五十一条、五十二条等のいわゆる地域的取極というような
意味の
NATO式の
集団保障というものを、
日本は権利は認められておるけれ
どもそいつを行使するかしないかということは、これは全然平和
条約にきめてないのです。而うして
安保条約においては確かに
一つの地域
集団保障体制に入
つているけれ
ども、これは内容的にはつきりと片務的な片面的な義務であるということが
一つと、いま
一つは飽くまで二国間のものである、過渡的なものである。こういう性格のものであ
つた。併し
MSA協定を受入れてこの
条約を作り、あの標題と、それから
前文、第一条第一項、第八条、こう来れば、これは何とい
つても平和
条約と
安保条約を結んだときのいわゆる
集団保障というものとは違
つた観念に一歩踏み入れたということに私はなろうと思います。併しこれは
議論でありますからそれ以上お答えを求めませんが、そこでこの第一条第二項に基く
日本の、仮に第三国と言うか
自由国家群との防衛
援助というか、に対する防衛
援助というか、これが極めてまだ装備的な、物置的なものであるということなんですが、それは
日本の現状から見ればその
通りだと思います。殊に第一条の書き方から見ても、いずれか一方の
政府が
承認することがあると抑えているから、
日本が
承認さえしなければ、いわゆる物質的な
援助以外に殆んど、それから一部の役務、これも非常に軍事的の色彩の薄い役務だけに
日本政府が絞
つて行くであろうということは、これは政治論としてはわかる。併し飽くまで厳格な
条約の字句から解釈するならば、これは私も前から
指摘して、外務大臣の
意見も聞いたのですが、実際役務ということも非常に広い役務もある。サービスのうちにはミリタリ・サービスもあり得るわけです。だからサービスというからそれでいいというわけでもないし、殊に役務その他の
援助ということになると、これは純然たる字句解釈の問題から言えば、その前に古いてある装備、資材とは
関係のないような軍事的な
援助ということだ
つて、字句そのものからは排除してないのです。であるから
政府の御
説明はこの字句の解釈としては決して十分でない。
従つてそういう点は議事録事において一切そういう
誤解のないような十分な
措置をと
つておられるかどうか。この点を明確にして頂きたい。