○
政府委員(
島居辰次郎君) それではもう御存じかと思いますが、一応
重点だけ簡単に御
説明いたします。
ビキニ環礁附近の
立入禁止の問題につきましては、従来三回に
亘つて私のほうから
航路告示で注意をや
つておるのであります。第一回は
昭和二十六年二月十日であります。第二回は
昭和二十七年十一月一日であります。これは
北緯十度十五分から十二度四十五分まで、
東経百六十度三十五分から百六十三度五十五分まで。第三回は
昭和二十八年十月十日でありまして、これは少し東のほうに
拡大されまして、
北緯のほうは同じでありますが、
北緯十度十五分から十二度四十五分、
東経百六十度三十五分からこれが拡がりまして百六十六度十六分、こういうふうな
立入禁止のことを
航路告示で発表しておるのであります。そこで今度の
事件のことでございますが、この第五
福龍丸の一番重要な点は、遭難した
位置がどこであ
つたかということが最大
重点問題でございますが、これは私のほうでその
航海日誌、
天測計算いたしたものと、
漁撈日誌及び
乗組員の供述を総合いたしまして慎重に
調査したのであります。これは三月一日の午前三時四十二分現地で
天測を
行なつております。その直後十分間北東に航走いたしまして、機関を停止して約二十分間漂流したときに
閃光を認めていますので、丁度午前四時十二分頃と推定いたしておるのであります。この避難の
つまり閃光を認めました
位置はおおむね
北緯十一度五十三分四分の一、
東経百六十六度三十五分四分の一というふうに決定いたしたのであります。そこで、この
位置の決定は、
天測をやりました
漁撈長、これは非常に熟練な者でございまして、その速度の練度というものは非常に正確であり、又時計とか或いは
天測を実施いたしましたときの天象とか気象の
状況も
申分のない明け方のときにや
つたのでありまして、非常にいい
状況であります。又その天体とか或いはすべて大体通常測ります好条件のときにや
つてあるので、この
天測の
状況は確実なものと認められます。又その
天測の計算も改竄したかどうかという点につきましても、改竄した痕跡もございませんので、信用を置けると我々も発表したわけであります。これが重大な問題でございまして、その後これに関連いたしまして、私のほうといたしましては、
外務次官宛にその第五
福龍丸の遭難の
調査を
報告いたしますと同時に、次の大体三項目に亘りまして
アメリカ側のほうへこういう要望をしてもらいたいということを
申出ておるのであります。その第一は、
米国が
太平洋諸島信託統治協定の条項によりまして
立入禁止区域を設定した場合は、又
公海に
危険区域を設定した場合には
通報を受けるように
措置する、第二は
危険区域が
予想外に今回のように広い範囲であるように
考えられますので、
アメリカ側が
試験を実際に実施する場合には、あらかじめ直前でなくて、十分に余裕を以て
通報を受けるように
措置してもらいたい。第三番目には、
アメリカが
試験を実施する場合には、危険が
予想される海面に所在する
船舶に直接
警告を発する万全の
措置をとるように要請してもらいたい、こういうふうな
希望を以ちまして、
外務省のほうへ
報告しておるようなわけであります。
その後、先般来第五
福龍丸について
安藤国務大臣を議長といたしまして
善後処理の、
委員会ができたのであります。
海上保安庁のほうといたしましては、重要なる使命は今までの
位置でございまして、果しておるのでありますが、今後の問題といたしましては、現在
船舶が
焼津におりますが、
秘密保持の
関係もございますし、これは将来大体
文部省の研究の
対象として
文部省のほうで買上げになるというふうな方向に向いておるようでありますが、この船をいつまでも
焼津に置くわけにも参りませんので、どこかへ持
つて行かなければならないということでありますが、これは
文部省のほうでいろいろお
考え頂いて、そのときには私のほうとしてできるだけ御協力を申上げたい、こういうふうな
関係なのであります。以上
海上保安庁に
関係いたします
重点のあるところをかいつまんで申上げたようなわけであります。