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参考人(
服部諭君) 今沢さんからいろいろ
事故の
処理についての誠意を以てされておるような
お話がございましたが、実は私の調べましたデータによりまして、種々ございますのですけれ
ども、これは世田谷区船橋町の大野栄二さんの問題でございます。大体において弔慰金が五千円、香奠を含めてやられた。そのときの
事故に対する
会社の態度はどうだつたかということを、大野さんの署名入りで頂きましたけれ
ども、暴圧的で
被害者側に責任を転嫁している。こういうふうな形を遺族は
考えておる次第でございます。それは明らかに示談に
なつた場合のことを言われておると思います。又遺族の
意見として、納得の行く全
施設の
改善と弔慰
方法を講じて、
被害者に対して最大な謝意を表してもらいたいということを申しております。
又世田谷区の世田谷二の千九百五十五の田中淳子さん及び田中佐登子さんのお二人が、梅ケ丘の第一
号踏切、信号だけで
番人いない所で
事故に会
つて、一人は重傷後死亡、一人は即死された。こういうことに対しても、この方の証言によりますと、
会社の態度は極めて冷淡であ
つて、郷里の寺に埋葬するための旅費さえもらえなかつた。これもたしか香料千円で、一万円そこそこでやはり解決しておるという話です。
又経営の今井さんという、このかたは乃子さんという十二歳の
お子さん、この方も
会社の態度は暴圧的で
被害者側への責任転嫁である。今後絶対このような不幸がないように全
施設の
改善を希望する。こういうことでございます。
それから世田谷区世田谷五丁目二千九百五十、桑原邦博さん、八歳にいたしましても、非常に弔慰金が軽少であつたということをはつきり申しております。
又世田谷区の経営町に住んでおりました岡田喜久子さん十九歳の亡く
なつたときには、最初
運転士の偽れる証言の下で自殺という形にな
つておりましたが、最近におきまして調べた結果、自殺でないということがはつきりした。これもやはり弔慰金と、そういう形によりまして、明らかに
会社側の不注意であるということがわかりましても、
会社から一千円の香奠を持
つて来たきりで未だ解決してない次第でございます。
又世田谷区の石川喜久という方、四歳の男ですが、この方が亡く
なつたときには、やはり
会社の、これは長文にな
つておりますから読上げますが、
会社の態度、極めて冷淡なり。示談にしてくれこの申越しに、今後のためを思い、
踏切に何らがの
設備をするよう二十九年度予算編成の際に組入れる口約束をした。(
事故係和田)過ぐる三月二十四日一周忌を迎えたが、
会社側から何ら話がないので、最近問い質したところ、まだそのままにしてあるということで憤激を覚えた。面会の申込をしたところが、過ぐる四月五日午後三時に和田氏来宅との約束に万難を排して待ち受けたが、とうとう面会ができなかつた。翌る日六日も音沙汰なし。七日にこちらから電話をしたところが和田氏は不在、こちらから訪問するとまで申込んだが、和田氏が帰り次第連絡するとの代理人の返事に八日の今日も今か今かと待
つている次第です。一周忌に現場に花を捧げようと駅員の許可を求めたところが、フンといつた態度。駅員の精神的訓練が必要である。こうまで申されております。
まだほかにありますけれ
ども、例えば北多摩郡狛江町和泉におります朝田静枝さんが轢れたときも、やはり弔慰金一千円を持
つて来た次第です。
先ほど申上げましたように、そのときも下北沢にあります金子という
葬儀店、
小田急の葬儀でございますけれ
どもと言
つてわざわざ出て来まして、まあ余り問題にしないようにしたら如何ですか。どつちにしても
被害者のほうが悪いんですからと、こういうふうなことで、むしろなだめるような形にな
つている。
世田谷五丁目の海老沢清さんの長女豊子さん、この方はやはり千歳船橋五
号踏切で死んだときは香奠が一千円、
見舞金三千円。
又大蔵町の千八百七十四市村五郎次女信子の死んだときも、やはり一千円の三千円。
それからこれは
一つ特徴的に出ておりますのは、世田谷区祖師谷二丁目四百十三番地の清水徳治次男の儀弘君が死んだときは、香料千円持
つて来たきりであります。そうしてそのときは
踏切を
改善してくれ、おれの
子供が犠牲に
なつたんだからよくしてもらいたいということを
小田急に誓約してくれと言
つて頼んだけれ
ども、未だにその
踏切は
改善されてないとい
つて現在憤激されている次第であります。
又北多摩郡調布町国領千四百八十山内光子長女の史子のときには、やはり香典一千円を持
つて来たきり未だに今日まで
事故係の和田氏に何遍か交渉して見ましても、行けばなかなか会
つてくれない。そうして来ると言
つても来ない。それでそのときにたまたまその光子さんの長男が
発言したときも、どうも
運転士が代
つて運転したらしいと言つたら、何を言うか、そんなことを言うと、
運転士に殴られるぞというような暴言を吐いている次第であります。
最後に申上げますことは、
経営電車区の足立金治という男が私の所へ参りまして、昨日もこの
一つ先に
事故があ
つてかなわん、こんなにちよいちよい
事故があ
つてはかなわないという、こういう
発言なんです。
被害者の宅へ来て随分無礼なことを言うやつです。お茶を出しましてなだめて話をしました。
小田急からは一千円の香奠をもらいました。又それから果物の添え物をもらいましたけれ
ども、見るのも何となく、いやです。そのままお返ししたのです。そうしますと、その足立金治は、何を言うか、人の好意を無にするやつがあるか、こういうような
発言がありました。人の好意ということはどういうことか。誠意があるならなぜ葬式やお通夜に来ないかというと、通知がないから来ない、こういうのです。通知がないから来ない。そんな馬鹿なことはあるか。駅も近いから当然葬式を出せばわかるじやないか。そういうとそのときには
発言しないのです。足立は私のほうでも轢きたくて轢いたのじやないのだ、こういうような
発言をしたために、私は俄然憤慨しまして、それならば帰
つてくれというと、帰りしなに玄関の戸をぴしやつと閉めながら人の好意を無にすると言
つて帰つた次第でございます。
このような、徹底的に
小田急が如何に
被害者自身の麻痺して、そうし非常に淋しい気持にな
つているときに、高圧的な態度で
処理されているかということがはつきりとわかります。このようなことでありますし、確かに私
ども被害者のこういう運動を始めましてから、町の人たちは
踏切りを通るのも怖くてしようがないとい
つて非常に注意して通るように
なつたことは事実でございます。これはもう多数の方がそういう
意見を聞かされて、むしろ本当にそれこそこういう運動を自主的にやること、
自分たちの力でやること、民衆が理解することは、
小田急とか
国鉄当局が幾らじやんじやん鳴物入りでや
つても何にもならないということをはつきり私は認識した次第であります。
それはそうでありますけれ
ども、勿論
自分の命を失うことでありますから、当然注意することは当り前でありますが、
施設も何にもしないで、私の現にいる
踏切、私の
子供の亡く
なつた
踏切は、明らかに何らの
施設もしていない。ただペンキのはげた棒が二本両側に立
つておるだけである。それも瀬戸引きのはげました
踏切注意という極く僅かな見えるか見えないかというような棒が二本立
つておるような
状態でございます。それが大多数でございます。そのような
状態で、あらゆる
踏切施設に対しての完全なる
施設をしないで、ただ単に
通行者の責任であるという
監督局長のお言葉は実に暴言だと思います。こんなことで
踏切問題が解決してそれでどんどん合が発展して行く都市の周辺にある
私鉄があぐらをかいてお
つて、
住民が安心して生活ができて行けるかどうかということを
考える。又同時に
小田急の沢専務は、たまたま本社で会いましたので、お客さんの
事故におきましては私たちは満腔の敬意と弔意を表します。これは切符を持
つておるお客さんである、こういうことを申されました。だが一般の
踏切の
通行人の場合には、私はそうは
考えません。どんな
事故であ
つても、私
どもは構内に起きた
事故に対しては絶対の責任を持
つていたしますということを、私
ども多数の人間の前で公言されております。この点はどうかと思うのですけれ
ども、私たち沿線の
住民は、いつも
小田急の沿線に住んでいる人間は皆お客さんじやないか。乗るにきま
つているのですよ。但し
子供は乗らないかも知れないけれ
ども、親は定期を持
つておる人たちが毎日乗るか、いつかの機会に乗
つていると思います。その人たちに対する
考え方が、構内に起きた
事故に対しては絶対の責任がある。この梅ヶ土の駅を代表的に取上げますとよくわかりますのですが、梅ヶ丘の駅においては、現に従業員は三人しかいない。そうして切符を売りながら、又切符の改札をしながら急行が飛んで来ますと、飛んで来て
踏切の所に立
つて両手を拡げて立つというような
状態であります。こんなことで
踏切の
交通が安全に保たれているかということはかなり疑問に思います。
それからもう
一つ申上げたいことは、私は
先ほど申上げました
運転士の労働条件のことについてちよつとこれは調べましたが、
児玉学さんが調べられた文書がございますが、小島さんの
お子さんを轢きました守屋茂という
運転士が、その事件がありました八十一日目の三月二十二日午前四時
事故の件で検察庁に取調べを受けたのです。そうして帰るとすぐ混乱した精神
状態のまま車に乗りまして、同日の午後八時五十分又「生長の家」の宣伝カーと衝突した
事故があるのでございます。こういうことを
考えて見すと、
運転士がどのような精神
状態で使われておるかということがわかると思うのです。もうこれで昼間のうちに検察庁へ行
つて取調べを受けたその人間を乗車させて、やがて八時五十分に
踏切事故で「生長の家」の自動車にぶつか
つているのです。こういうような
状態で私たちは殆んど安心して暮して行けるかどうか。沢専務の言うことは非常に鄭重であ
つて、非常にきれいでございますけれ
ども、実際上精神において、私はこういう点において非常に
考えられない。まだまだ申したいことは、たくさんあります。例えば車の中に救急函が
一つも置いてない。又
労働者の場合におきまして、
小田急の
労働者か大体において神奈川県の農家の出身が多いのでございまして、従
つて通勤に非常に時間がかかる。特に乗務員にあ
つては前夜から家に帰れません。一週間も帰宅できない場合も珍しくないような
状態であります。それの上に休日は農業の手伝いをする。又
電車区に泊る場合は、その
設備も全く劣悪であ
つて、狭い一部屋にごろ寝をする
状態であります。その上に昔の軍隊の従卒のように助役の靴を磨く必要があるというぐらいに、封建的な形で従業員が使われておるというような
状態でございます。このような
状態で安心してただ単に
踏切の問題だけでなくて、むしろ従業員の問題と
踏切の問題とに非常に関連性を持
つて来るのではないかと思います。たまたま
小田急運転課のほうから出されておる書類によりまして私
ども拝見いたしますところによりますと、これは運転課のほうにおきましての課第百五十五号に出ております二十八年度運転
事故数に鑑みて、
昭和二十八年度運転
事故統計簿によりますと、衝突とか脱線等の重大
事故はない。大変に結構なことだと言うが、
踏切傷害は多い。
踏切事故の増加、それによる死傷の数が著しく増加しておるのは、その主たる原因は、
被害者側にある。
被害者側にあるとはつきり言
つておるのです。
自分たちが
踏切の
施設を
ちやんとして置かないで、この
踏切事故による死傷の増加、死傷者の数が著しく増加しておるというのは、原因は
被害者側にあるとはつきり言
つておる。こういうようなわけでありまして、最後に行
つて裁判所の判例なんかを挙げまして、お前たちが注意をしなければいかん、
運転士が注意すれば
事故が片付くと思
つておるが、そうでなくて、
踏切施設を完全にしてくれれば先ず運転の業務は楽に運転でき、むしろ安心して
住民もや
つて行けると思います。それですから、非常に何か全部の責任が
被害者又
通行人、従業員だけにある。
小田急の経営者当局は関係ないのだというような態度で通告を出されておるところを見まして、如何に
小田急の経営が非民主的であるかということは、私はここで断言できる次第であります。